「高木統括、お電話です」
「ありがとう、和久井くん」
和久井さんが差し出したのは、オレンジ色の携帯電話。俺もそうだが、和久井さんはたくさんの携帯電話を持っている。色によって用途が違い、オレンジ色の携帯電話は社内の人間と通話する用のものだ。
「私だ」
『あ、あの『レイジー・レイジー』の第二マネージャーの山田です。すみません、高木統括。また一ノ瀬を見失ってしまいました。その、ほんのちょっと、一瞬目を離しただけだったんですが……』
またか。
レッスンのトレーナーさん、第一マネージャーの藍原さん、衣装係の高野さん、色んな人から幾度となく一ノ瀬失踪の報告が来る。
第二マネージャーの山田くんは我が社に入ったばかりの若手なんだ。アイドルの失踪という、普通に考えれば取り返しのつかないレベルのミスをしたことにすっかり萎縮してしまっている。
「山田くん、迅速な方向感謝する。自分のミスを上司である私に報告するのは勇気が必要だっただろう。安心したまえ、君の対応は何一つ間違ってない」
『あ、ありがとうございます!』
「一ノ瀬くんは私が探しておくから、今日のところは『レイジー・レイジー』の事は忘れて、他の業務をしていてくれるかな?」
『ありがとうございます!よろしくお願いします!』
電話を切り、ゆっくりと和久井さんに携帯電話を渡す。
俺と一ノ瀬は中々長い付き合いだ。知り合ってからの年月もそうだが、割と二人で過ごした時間も多かったと思う。
そんな俺からすれば、あいつがふらっと居なくなるのは別に騒ぎ立てる様な事じゃない。ペットの猫が他人の家の庭へとくつろぎに行っている様なものだ。きちんと夕飯の時間には帰ってくる。
しかし当然ながら、他の人間は違う。
あいつがいなくなるたびに責任が問われるんじゃないかと怯えるし、次の仕事に遅れたらどうしよう、そういった考えが頭に浮かぶ事だろう。
「今までは自由なところもあいつの個性だと思って好きにさせていたが、そろそろ本気で考えなければいけないかもな」
しかし俺程度の頭で考えた策で、あいつが素直に仕事に行く様になるだろうか。答えはきっと否だ。俺はついぞ、一ノ瀬に勝てた事はなかったのだから。
しかしだからと言って諦めるわけにはいかないので、あれこれと考えながら、とりあえず今は一ノ瀬を探しに行く事にした。
◇◇◇◇◇
まずはレッスンルームに行った。本来、今の時間『レイジー・レイジー』がここでレッスンを受けているはずだ。しかし中を覗いてみると、宮本さんが一人でダンスレッスンを受けていた。
ダンスレッスンは基本的に、一部分だけをひたすら練習し、一つ一つのステップを確実に覚えていく。そしてそれが済むと、今度は通しで一曲分を踊る。
一曲通しで踊れる様になったら、今度はユニットのメンバーとの調和を目指す。ステップの微妙なタイミングのズレや、指先の動きなんかを合わせていくんだ。
まあ、俺はダンスの分野には疎いから、そこまで詳しい事は分からないが。
しかし宮本さんには今のところ専用曲が無いし、そもそも基礎が出来ていないので、曲ではなく手拍子を鳴らしながらの基礎的なステップの練習をしていた。
トレーナーさんの手拍子に合わせてステップを刻んでいく。足に気を取られれば腕が、腕に気を取られれば足が疎かになる。
単純で、それでいて難しい。宮本さんは元々運動をしていた訳でないので、体力的にも辛いだろう。
「ほお……」
しかしそれでも、一瞬一ノ瀬を探しに来た事を忘れるくらい、宮本さんは魅力的だった。ダンスとも言えない、ただのステップなのに見ていて飽きがこない。
技術的な事を言えば、下手ではないが決して上手いとは言えない。昔のアイドルも含め、これでも何百というアイドルを研究してきた俺だ。このレベルの人間は嫌という程見てきた。
しかしこれ程までに楽しそうに躍るアイドルは、いや人は見た事がない。
宮本さんが楽しそうに躍るだけで、ちょっとしたミスや無駄な動きも、愛嬌や個性の様に見えてくるのだから不思議だ。
本当にアイドルというのは面白い。これがダンサーなら確実に欠点なのに、アイドルならば魅力になるのだから。上手く踊る事でなく、人を魅了する事が出来るかどうかなのだ。
「よし、今日のレッスンは終了だ。私は片付けを済ましてくるから、クールダウンしておけ」
「今日も楽しかったよー♪レッスンしるぷぷれー?」
見つめることしばし、宮本さんのレッスンが終わったみたいだ。ちょっと覗くくらいのつもりで来たのに、一ノ瀬を探すのも忘れて最後まで見てしまった。
「宮本くん、青木くん、お疲れ様」
「高木さん、いらしてたんですか!」
トレーナーをしていたのは、346と姉妹全員で契約を結んでいる青木家の次女、青木聖さん。青木家四姉妹の中で一番勝気だが、一番流されやすいという面白い人。
「あっ、プロデューサー!フレちゃんのセクシーダンス見に来たの?今ならタダだから、好きなだけ見ていっていいよー。今日はもう踊らないけど」
「コラ!宮本、高木さんになんて口の利き方だ!」
「いや、構わないよ」
「なんとお優しい!流石は高木さんです、感服いたしました」
ちょっと褒めすぎて逆にバカにされている様な気になるが、彼女は本心から言っている。聖さん、というか青木家四姉妹とは中々良好な関係を築けている、と思う。
「今日の要件は、やはり一ノ瀬のことでしょうか」
「話が早くて助かる、その通りだ。キミから見て、彼女をどう思う?」
「才能はあります。ダンサーとしてもアイドルとしても。踊ることも楽しんでいるようです。しかしレッスン以上に興味がある事を見つけると、そちらを優先してしまうようですね。
これは一ノ瀬の出席率とレッスン効率をレッスンの内容ごとに私がまとめたものなのですが……見ていただけたら分かります」
青木さんは意外と理詰めの人で、こうやってデータをまとめたりするのが好きだ。
渡された資料を見てみると、分かりやすく一ノ瀬の行動と、それに対する青木さんの考察が書かれていた。
「……両極端だな」
「ええ、その通りです」
難しいやりがいのあるステップを練習する際には毎回きちんと出席し、真面目に取り組んでいる。しかし簡単なステップだったり、足を動かさず指先の動きの確認の日なんかは休んだり、ダラダラとやっていることが多い様だ。
そのうえ最近はレッスンそのものに飽きてきたのか、内容に関わらず休むことが多くなってきている。興味が三分しか続かないと豪語する一ノ瀬らしいといえばらしいが、流石にこれは個性云々の話ではない。
「シキちゃん、アタシとのレッスン楽しくないのかな……」
俺が資料を読み込んでいると、クールダウンを終えた宮本さんがポツリと呟いた。
彼女にしては珍しく、顔には影が差していた。
『一ノ瀬くんがレッスンに来ないのはキミのせいじゃないから、そう落ち込むことはないよ』
俺がそう言ったら、宮本さんはきっと笑顔を浮かべて、納得した
宮本さんは人をいつも適当に振舞っている様で、その実、人を楽しませることに一生懸命だ。そして反対に、誰かを怒らせたり、不愉快にさせてしまうことをとても嫌ってる。
だからきっと、普段忙しそうにしてる俺に心配をかけさせまいと、自分はなんでもないと振る舞う。付き合いが短い俺でさえそう分かってしまうほどに、宮本さんはとても優しい人だ。
「宮本くん、良ければ今から一緒に、一ノ瀬くんを探しに行かないか?」
だから俺は、そう提案してみた。
宮本さんは優しい。外野の俺が何を言おうが、一ノ瀬自身からの言葉がない限り、一ノ瀬を気にし続けると思ったからだ。
「うん、いいよー。レッツラお散歩ゴー!あ、でもでもフレちゃん今ジャージだから、着替えてきていい?」
「私はここで待っているから、ゆっくり着替えてくるといい。私に気を遣って、早く着替える必要はないからね。それとそのジャージ、よく似合ってるよ」
「フレちゃん元がいいからね♪何着ても似合っちゃうのかなー、なんちってなんちって!
宮本さんは俺の言葉を聞いた後、嬉しそうに更衣室へとスキップして行った。確か、プロフィールにオシャレって書いてたし、服装を褒められるのは嬉しいのかな?
いやでも、宮本さんのことだから適当にプロフィールを埋めた可能性も……