目を開いて最初に認識したのは、灰色だった。
一度開いた目を再び閉じて、ゆっくりと瞬きを繰り返す。身体は気だるく、意識は朦朧としていた。
ユートは頬に違和感を覚えて指を這わせた。指先に感じるのは水の感覚。しばらくぼうっとしているうちに、再び頬に水滴が落ちてきた。ユートはそこでようやく、ぼんやりとしていた意識が覚醒してきた。
ユートはコンクリートの上に横たわっていた。周りには風化してボロボロになった建物の残骸が無残にも転がっている。屋根に裂け目ができていて、その隙間から水がポタリと落ちてきていた。痛む身体を何とか動かして、ユートは上体を起こす。生き物の気配が感じられない、荒れ果てた廃墟だった。ユートはこの場所がどこなのか詳細こそわからなかったものの、この雰囲気に覚えがあった。
ゆっくりと立ち上がって周りを見渡す。何かのビルだったのだろう、コンクリートの隙間から鉄筋が露出して痛々しい。ユートは床に散らばる窓ガラスの破片の上を歩いて、扉の壊れた出口の方へと歩いていった。そうして建物の外に出て目にしたのは、予想通り、荒れ果てた街だった。エクシーズ次元、ハートランド。ユートの故郷である。
ユートは耳を澄ませながら荒れた街を歩いた。人を探しながら、状況を整理する。ユートはエクシーズ次元のデュエリストで、この次元に侵攻してきた融合次元のアカデミアに対抗するレジスタンスのメンバーだ。アカデミアに攫われた仲間の瑠璃を助けるため、平穏を奪ったアカデミアを葬るため、ユートはスタンダード次元に行っていたはずだ。それなのになぜ、自分は今エクシーズ次元に再び戻ってきてしまったのか。そこでユートは意識を失う前の記憶を、何とか引っ張り出そうとした。最初に思いだしたところから少しずつ記憶をたどり、数日分の記憶を経由してようやくユートは最後の記憶に辿りついた。
あれはスタンダード次元で行われていた舞網チャンピオンシップの途中のこと。同じくスタンダードへと行っていたレジスタンスの黒咲隼、その対戦相手である融合次元のデュエリストと
カードを託し意識を失った後、何らかの要因でこの次元にまで飛ばされてしまったらしい。以前、柊柚子という瑠璃によく似た少女のブレスレットが光り、同じ次元内の別の場所に飛ばされたことがあった。もしかしたら今回も何か似たような力が働いた可能性は十分にある。しかしそれはあくまで可能性の話で、もしかしたら全く関係のない力によってこの次元に飛ばされたのかもしれないとも思える。ユートには詳しいことはわからなかったが、とにもかくにも今彼にとって重要なのは、隼と
ユートがいたのはハートランドの随分と端の方で、あたりには人っ子一人いなかった。ハートランドがアカデミアの侵略を受けたのは随分と前のこと。しかしハートランドにはまだ人が住んでいるはずだ。難民キャンプもあったし、自身の家に戻ってひっそりと暮らしている人もいるはず。ユートは拭えない焦燥を抱きながら、レジスタンスの拠点へと向かった。
1時間ほど歩くと、ボロボロの施設にたどり着いた。壁に走っている僅かな亀裂から身体を滑りこませて中に入る。アカデミアの人間がいる可能性を考えて息を殺しながら様子を伺ったが、そこには誰もいなかった。しばらくの間、藁にも縋る思いで人が来るのを待っていたが、待てども、待てども、人は来なかった。――レジスタンスは全滅したのだと、ユートは認めざるを得なかった。
ユートは夜の闇に紛れて無人の廃屋に入った。ハートランドにはまだアカデミアが来ている痕跡がある。今、アカデミアの人間に見つかるわけにはいかない。ユートはデッキをあちらの次元に置いてきてしまっているのだから。放っておくと無茶ばかりをする幼馴染を心配に思いながらも、今は何もすることができない。ユートは深くため息をついて、遣る瀬無さを吐き出すことしかできなかった。
*****
エクシーズ次元に戻ってきて2日目。ユートはハートランドの街を歩いていた。アカデミアの連中に見つからないように気をつけながら、生まれ育った街を歩く。モンスターの攻撃によって破壊された建物や、人に踏みにじられたゴミを見ていると、あの日の光景が脳裏によみがえった。耳に子どもたちの悲鳴がこびりつくようだった。ユートは無意識のうちにこぶしを握り締め、唇を噛んでいた。
ユートははっとして後ろを振り返った。人の足音が聞こえたからだ。ユートの心臓が痛いほどに鼓動する。とっさに建物の陰に隠れようと思ったが、それよりも前に足音の持ち主が姿を現した。赤い服を着た男。間違いない、アカデミアのデュエリストだ。男はユートの姿を確認すると、少し離れたところにいたらしい仲間を呼んだ。男の口元に下卑た笑みが浮かんでいる。ユートは走り出したが、その行く手を阻むようにモンスターが姿を現した。
「くっ……」
「まだこんな子どもがいるとはな」
「残念だったな。ほら、ディスクを構えろ」
ユートは今、デュエルディスクを所持していない。アカデミアの連中は、ディスクを持っていない者、つまりデュエリストでない者は容赦なくカードにしていた。ユートの脳裏に死の一文字が浮かぶ。――うかつだった。アカデミアの人間が来ていることをわかっていながら、考え事をして見つかるなんて。最悪だ。ユートが一向にディスクを構えないので、デュエリストではないと考えたのだろう、3人はつまらないなと言っていやらしい笑みを浮かべた。
「じゃあな」
ディスクが向けられる。カードにするために。ユートは逃げようとしたが、3人が展開したモンスターが行く手を阻む。――ああ、すまない隼、瑠璃――キュッと閉じた瞼の裏に、友の姿がよぎった。
ユートが死を覚悟したとき、張りのある声がその場の空気を引き裂いた。
「ドロー!」
声の方に顔を向けて目にしたのは、一人の少女だった。
*****
そこには人の気配はおろか、生き物の影さえなかった。空は灰色の雲で覆われ、地もまた砂やコンクリート片のせいで汚らしい。そんな死んだ街を歩きながら、少女は忙しなく視線を動かしていた。
少女の名前はリアという。長くしなやかな足でしっかりと地を踏みしめて、足場の悪い瓦礫の上を軽い身のこなしで進む。着ている服はその場にそぐわないほど清潔で、どことなく品が漂っていた。黒い細身のパンツに機動力のあるブーツ、上は白いシャツにライダースジャケットというシンプルな服だったが、だからこそ彼女の美しさを引き立てている。腰には大きめのウエストバッグがあり、ベルトの右手にはデッキケースが取り付けられていた。
リアは一度立ち止まって辺りを見回した。酷い有り様だ。こんなところに人が住んでいたなんて考えられない。しかしリアの目的は、何も滅ぼされた都市に思いを馳せることではない。リアが、ここ、エクシーズ次元のハートランドを訪れたのは、自らが心から慕い崇拝する主人であり友人であるセレナを探すためだった。数日前に置手紙を残して姿をくらませたセレナを追って、リアはアカデミアを出て、単身こうして次元を超えてきたのだ。セレナの残した置手紙は実に簡素で、「プロフェッサーに実力を認めてもらうため、しばらく留守にする」といった内容しか綴られていなかった。いったいどうやって実力を示すというのか、まるで記されていなかった。
リアとセレナは幼いころから苦楽を共にしてきた。リアが心細くて震える夜は、セレナが手を握って一緒に眠ってくれた。思ったようにいかなくてセレナが泣きそうになったときは、リアが肩を抱いて彼女を励ました。二人は互いに認め合い、互いに支え合ってきたのだ。にもかかわらず戦場へ行くというのに置いて行かれたというのは、リアにとっては我慢ならないことだった。まさかそう思っていたのは自分だけだったのか? そんな疑心を何とか振り払って、「何が何でも連れ戻す」という気持ちだけを携えて、プロフェッサーの命令を破りアカデミアを飛び出してきたのだ。
最初に訪れたのはもちろんエクシーズ次元のハートランドだ。実力を示すというからには、デュエルで相手を打ち負かすということだろう。ならば戦場になっているエクシーズ次元に来るのが普通だ。そう思ってくすねてきたディスクの初期座標に設定されていたハートランドに来たわけだが……この荒廃ぶりを見て、ここに来たのは見当外れだったかと思い始めた。
リアがこの街について数時間が経ったころ、少し離れたところから人の声が聞こえた。リアはエクシーズの残党がいるのかと思ってそちらへと向かう。建物の角を曲がると、視界にモンスターが飛び込んできた。アカデミアのデュエル戦士に支給されているデッキに含まれる、《
リアはアカデミアの人間が3人もいることに疑問を持った。デュエルとはつまり、魂と魂のぶつかり合い。フェアプレーの精神でもって初めて成立する崇高なる儀式であり、そのうえで相手を倒してこそ意味がある。ところがどうだ、目の前の戦士たちはたった1人の人間に3人で挑んでいる。しかも相手はよく見たらデュエルディスクすら所持していない。それはつまりデュエリストではない一般市民ということだ。リアは怒りが身体を支配するのを感じた。即座にデッキケースからデッキを取り出し、数枚のカードをサイドデッキのカードと入れ替える。そしてデュエルディスクにデッキをセットして、カードを引いた。
「ドロー!」
4人の視線がリアの方を向く。リアは構わずにカードを手札に加えた。
デュエル戦士たちの場にはそれぞれ《古代の機械猟犬》が1体ずついる。攻撃力1000のモンスターだ。セットカードがそれぞれ2枚ずつ伏せられているが、彼らの戦法はわかっている。オベリスクフォースならまだしも、リアはこんな雑魚に後れを取るようなデュエリストではない。
「私はカードを2枚伏せて、手札から《手札抹殺》を発動! 3枚のカードを墓地に送り3枚ドローする」
デュエル戦士たちは突然乱入してきた少女に戸惑いを隠せなかったが、3対1、勝てないはずがない。その慢心が下卑た笑みとなって現れる。リアはそんな彼らには目もくれないで、自らのプレイングに集中していた。
「私は手札抹殺の効果で墓地に送った《シャドール・ファルコン》の効果を発動。このカードは効果で墓地に送られた場合、フィールド上に裏側守備表示で特殊召喚できる。さらに、このシャドール・ファルコンをリリースし、《ブリザード・プリンセス》をアドバンス召喚! このカードは魔法使い族モンスター1体でアドバンス召喚が可能だ」
フィールドに白い衣装を着た少女が現れる。ロッドをくるくると回して地にドンッと突くと、地面が凍って冷気が漂った。
「私はセットしていた《巨大化》をブリザード・プリンセスに装備! 私のLPが相手のLPより少ないとき、装備モンスターの攻撃力は倍になる」
ブリザード・プリンセスの攻撃力はもともと2800であるため、2倍の5600になる。ただしそれは彼女が言った通り、LPが相手より少ないとき。今はともに4000であるためブリザード・プリンセスの攻撃力は変わらない。しかしそれだけで終わるはずがない。リアは最初に伏せたカードを発動した。
「さらに私は魔法カード《拡散する波動》を、LPを1000払い、自分フィールド上のレベル7以上の魔法使い族モンスターを1体選択して発動する。私はブリザード・プリンセスを選択! このターン、ブリザード・プリンセスはすべての相手モンスターに1回ずつ攻撃する」
「なっ……なんだと!?」
アカデミアの戦士たちは神々しい光を放つプリンセスを見て一歩二歩と後ずさりした。魔法カードを発動するためのコストを利用して、《巨大化》の恩恵を得る。《ブリザード・プリンセス》の攻撃力は5600、3人のフィールドにいるモンスター《古代の機械猟犬》の攻撃力は1000……攻撃を通すわけにはいかない。
「バトル! 《ブリザード・プリンセス》ですべてのモンスターに攻撃!」
「罠カード発動! ……何故発動しない!?」
「ブリザード・プリンセスが召喚に成功したターン、相手は魔法・罠カードを発動することができない!」
「なに!?」
「やれ、ブリザード・プリンセス!」
「ぐああああっ!」
一度で4600のダメージを受けて、デュエル戦士たちは敗北した。レッドとイエローではこの程度だろうなと、リアは内心ため息をつく。彼らは一度に大ダメージを受けて、地に伏して起き上がることができないまま、融合次元へと転送された。それを見てリアが目を丸くする。まさかディスクにそんな機能があるなんて思いもしなかった。
「消えた……? いったいなぜ……」
「……君は?」
リアはデュエルディスクを太ももの専用ケースに仕舞って、声の方に振り返った。そこにいたのは暗い色の髪の少年だった。服は汚れ、ボロボロになっている。痩せて健康状態もよくなさそうだ。そして何より、デュエルディスクを支持していない。
「私はリア。君はデュエリストではないのだろう、一人で出歩くのは危険だ」
「……デュエリストだ。ただ、デッキもディスクも、今は手元にないが」
「なにがあったらそうなるんだ」
リアは呆れたという表情でため息をついた。デュエリストでありながら、デッキを持ち歩かないなどありえない。少年は何も言わないで、少し視線を逸らした。
「それで、君は?」
「……俺はユート。君は何者だ?」
「何者って……そんな言い方しなくてもいいだろう」
リアとユートとでは情報量が違う。ユートはリアがデュエリストであるということしかわからないが、リアはこの少年がエクシーズ次元の人間であるということを知っている。ユートはリアが融合次元の人間であることを知らない。それは大きな差だった。
「ここはいったい何なんだ? なんでこんなことに……」
「……」
「もう何時間もここにいるが、君たち以外誰にも会わなかったよ」
リアはユートがエクシーズ次元の住人であることを知っている。もし自分が融合次元の人間だと知られれば、間違いなく敵対されるだろう。そうなっては情報を引き出すことができない。リアは今のデュエルで融合召喚を行わなかった。現時点で、ユートがリアを融合次元の人間だと判断できる決定的な要素はないはずである。デュエル中は距離もあったので、ディスクは注視されてはいないだろう。
ユートは探るような目でリアを見て、尋ねた。
「君はどうしてここに?」
「……わからない。気が付いたらいたんだ」
「……」
一方でユートはリアが何者なのか、敵なのかそうでないのかを判断しかねていた。エクシーズ次元に来ることができるのは融合次元のアカデミアの人間と、シンクロ次元の融合の手先だけのはずである。ならばこの少女もまた、そのどちらかということになる。しかし少女はここがどこかわからない様子で、おまけにアカデミアの人間を返り討ちにした。アカデミアの人間がエクシーズ次元の人間を助ける理由などないはずなのである。
「君は? ここに住んでるのか?」
「……」
「黙っていたら何もわからないよ」
リアは細く長いため息をついた。そしてユートから視線を外して、あたりを見回す。まさに破壊されたというのが相応しい、酷い有り様だ。人の気配は二人以外に感じられない。
ユートはそんなリアの様子を見て、融合次元の人間ではないと考え始めた。ならばリアはシンクロ次元かスタンダード次元の住民ということになる。どちらかというと前者の方が確率が高い。スタンダードからやってきた人間は、今のところユート以外いないからだ。ユートももともとエクシーズ次元の人間なので例外だと考えれば、スタンダードから来た人間は未だいないとも言える。
ユートはリアがシンクロ次元の人間か、スタンダードの人間か、すぐに見分ける方法を知っていた。
「君の知っている召喚法は全部でいくつだ?」
「……」
リアはユートの質問の意図を即座に察した。融合とエクシーズを知らずシンクロを知っている場合はシンクロ次元の人間、すべて知っている場合はスタンダード。しかしそれを察したのは良いが、この場合何と答えるのが最善なのかリアは一瞬迷った。すべてを答えればいいのだろうか。
「? 通常召喚、アドバンス召喚、特殊召喚、かな?」
「特殊召喚には何種類ある?」
「え? ……2種類? 効果によるものとシンクロ召喚の2つ?」
迷った結果、リアはシンクロ次元の人間を偽ることにした。スタンダードはすべての基礎となる世界ということは聞いているが、それ以外は詳しく知らない。シンクロ次元もリアにとってはまだ知らぬ世界ではあったが、まだシンクロ次元の方が単純だろう。そう思ってのことだ。
「なんでそんなこと……私を試しているのか?」
「いや、違う。すまない」
「謝ることはないけど……」
随分と疑い深い性格だなとリアはため息をつきたい気持ちになった。このままでは少しも話が進まない。ふと視線を左に向けると、日が傾いて太陽が建物の向こうに沈もうとしていた。赤い色の光が廃れた街を照らす。リアは腕をさすって暖をとるような仕草をした。それを見たユートは、このまま佇んでいるわけにもいかないと思ってリアに言った。
「少し先に水道の生きた家がある。そこに行こう」
「……ああ」
リアは一瞬どうするか躊躇ったが、ディスクもデッキも持っていない少年を放っておけなくてついていくことにした。
【ユートの扱い】
ユーゴとのデュエルの後、遊矢と肉体的には融合していない。ユートの魂の一部が遊矢の身体に宿ってしまった的な設定。ユートだけ戦線離脱なんてイヤダ! ユーゴやユーリみたいに、なんか遊矢とつながりがあるという状態に。ただ二人よりはより深くつながってる。