そら時間かかるよね。でも前後編で終わらせたかったので仕方なかったんです。
真耶と鈴麗と別れ、第三アリーナに辿り着いた箒と簪は学園の生徒達によって最終調整とチェックが行われているISを眺めていた。
―――第一世代型ISゲイレール
ヴァルキュリアフレームと呼ばれるISをベースとして十年程前に作られた世界初の後期型リアクター搭載ISである。
後続機であるグレイズがロールアウトするまではギャラルホルンの主力ISとして配備されていたが、現在ではその座をグレイズに完全に明け渡して大半が解体されている。
既に旧式の部類に入る機体ではあるが、一部が格安で民間に払い下げられており、IS学園のように訓練機として使われている物や、傭兵が運用しているなど、現在でも稼働している機体は少なくはない。
だがよく見れば箒の視線が向けられているのはISではなく、機体の整備を行っている一人の女生徒。しかも女生徒を見つめる箒の眼には警戒の色が宿っていた。
とはいえ生徒が訓練機の整備を行う事自体は珍しい事ではない。何故ならばIS学園ではIS技術者志望の生徒達に経験を積ませる為、二年生以降に開設される整備科に属する生徒が訓練機の整備、調整を行う事になっているからだ。
当然資格を持たない生徒が作業をしても事故が起きないようにする為、絶対防御やシールドバリアといった操縦者の命に関わる部分には干渉できないようにプロテクトが掛けられた上に、内部フレームの交換が必要な程の損傷を負った場合にはギャラルホルンから派遣される技術者が対応するなどといった安全策が施されている。
そういった条件付きとはいえISに触れる事ができる為、座学だけでは学べない貴重な学習機会であり、わざわざ普通科ではなく整備科を選んだ生徒はISの整備ができる事を楽しんでいるものが多い。実際に今ゲイレールを整備しているのは任意で呼びされた夏休みを寮で過ごしていた十数名の整備科の生徒達であるのだが、生徒は忙しそうに走り回りながらも楽しそうに作業をしていた。
しかしそんな中でただ一人、箒が見つめるその女生徒だけが異なる反応を見せていた。彼女はその手に持つソフトウェア調整用の小型端末を操作しながらも挙動不審に周囲を見渡し、時折箒の方を怯えた目で見ていたのである。
「……箒? どうかしたの?」
「ん? あぁいや、帰りに簪といつもの甘味処にでも寄ろうかと考えていたんだ」
沈黙に違和感を感じた簪にそう問われた箒は思わずそう言って誤魔化す。実際にこの模擬戦が無ければ行こうと考えていたので嘘ではなかったが、真っ直ぐで嘘や虚言、卑怯な真似を嫌う箒は今考えている事とは異なる考えを口にした事に心を痛めるが、それを苦笑を浮かべる事で隠した。
「もう……じゃあ行こうか?」
「あぁ。気分良く行く為に勝たなければな」
箒は気が付いている事を悟られない為に、簪と他愛ない話をしながら、あえて女生徒から意識を外して整備が終わるのを待つ。
「あの……終わり……ました」
「ありがとうございます」
やがてその女生徒から呼ばれた箒は展開状態のISに載る為のタラップを使わずに僅かな突っかかりを利用して器用に乗り込む。その手慣れた鮮やかな動きに周囲が感嘆の声を上げるのを気にも留めずゲイレールをその身に纏い、ISを起動する。
(……む?)
その直後、箒の顔が僅かに険しくなる。起動直後に決して無視できないような違和感を感じたのだ。それは例えるならばサイズの大きすぎる靴を脱げないようにしながら歩くような不快感に近い。
(同調率がやけに低いな……)
その理由に即座に思い当たった箒は即座に機体状態のチェック画面を操縦者以外には見えない不可視モードで開く。するとそこには同調率四十%と彼女の予想通りの原因が表示されていた。
同調率とは文字通りISと肉体の感覚のズレをどれだけ埋める事ができるかという指数であり、高ければ高い程IS展開時の違和感は薄れていく。
適正Sを持つ箒がISに乗った場合、機体の同調率は最低でも七十五%、彼女の為に細かな調整を施した専用機ならば八十%まで到達する。それより上の数値を発揮するのは阿頼耶識システムを使う必要があるとされているが、それを使わずにここまで発揮できる人間は公には彼女を含めて二人しか存在しない。
彼女が感じた違和感は本来ならばそこまで上昇するはずの同調率が適正C以下まで低下した上、ISが本来行うはずの調整機能が全く働かない故に起きた物であった。
(まるで何かに妨害されているかのような―――)
そこまで考えた瞬間、箒は一つの可能性に至り、原因と思われる方へと顔を向ける。彼女の視線の先には先程までソフトウェアの調整を行っていた挙動不審な女生徒がおり、箒と目が合った瞬間、女生徒の眼に明らかに動揺した様子が見て取れた。
(彼女が何か細工をしたのか……だが何故……)
同調率周りの設定は操縦者の命に直接関わらない為、生徒であっても干渉する事は可能となっている。それ自体は理解できるが、彼女が何故このような真似をしたのか理解できなかった。
女生徒が箒に敵意を持っているのならば納得できる。だが彼女から感じるのはそういった負の感情ではなく、罪悪感を感じている様子と縋るようにこちらを見つめる視線であったからだ。
「箒? 機体の調子が良くないの?」
ISに乗ったまま動かない箒を見て簪が心配そうに声をかけてくる。
簪の言う通り機体の不調。それも推測の域を出ないとはいえほぼ確実と言っていいほど人為的な原因によるものだ。正直に伝え、犯人と思われる生徒を外した上で再度調整を行ってもらうのが正しいだろう。
だがそれを言葉にしようとした瞬間、不意に箒の脳裏にある光景が浮かぶ。それは幼い頃に見た小さくも頼もしい少年の背中だった。
『いや、何でもない。乗った事のないISなので少し戸惑っただけだよ』
そんな過去の記憶を何故か思い出してしまった箒は思うところがあったのか、何も告げる事なくそのままの状態で出撃しようとカタパルトへと機体を進ませる。全身に水中にいるかのような抵抗感を感じながら後ろを振り返らず、ISの全方位モニターで後ろにいる女生徒の姿を確認すると、驚く彼女の姿が視界に入った。
(らしくない事をしたな……)
それを確認した箒は苦笑を浮かべる。女生徒に何か理由があり、彼女の意に反してISに細工をしたのだと何となく察した箒であったが、そんな事情を汲み取ってやる義理は本来ない。
機体に細工をするなどIS整備士を目指す人間が絶対にしてはならないタブーである上、その被害を全面的に受けるのは自身である。身内や友人ならばいざ知らず、名も知らない他人の事を庇ってやるほどお人よしでは無いと思っている箒は、彼女の事を無視して事実を口にするつもりであった。
(何故今あいつの事を……だが……)
だが不意に思い出してしまった幼い頃に出会い、別れてしまったとある一人の少年の事を思い出してしまった箒はそうする事が出来なくなってしまった。
(あいつならきっとこうしただろうな)
その少年は箒にとって正義の味方であり、憧れであり、隣に立ちたいと思えるほど愛おしい存在だった。
今その少年の事を思い出してしまった箒はここで女生徒を見捨てたら彼に顔向けできないと感じてしまい、思わず彼ならばこうするだろうという行動を取ってしまったのだ。
『篠ノ之箒。ゲイレール出る!』
少年の姿を思い出した事で胸に感じた郷愁と痛みを出撃の掛け声と共に振り払い、ゲイレールを駆ってカタパルトから飛び出し、アリーナへと降り立つ。既にその心の中に少年の姿は無く、戦いにその意識の全てを向けていた。
『ハッ! 来たわね……!』
アリーナに飛び出した箒を待ち構えていた三人のうち、リーダー格と思われる金髪碧眼の少女が声をかけてくる。
彼女のグレイズは左右の手に四連式ロケットランチャーと輪胴式グレネードランチャーを装備し、他の二人を楯にするように空中に佇んでいる。
そして彼女を守るようにその前に位置取る二人の少女は、片方はバトルアックスを二振り持ち、地上用ブースターユニットを装備した近接特化仕様。もう片方は左肩にバズーカ砲を装備し、右手に取り回しが良いナイトブレードを持った中距離仕様。
遠近中と三人が役割を持った装備を整え、さらにそれぞれ腰には予備のバトルアックスとライフルをマウントおり、予想外の事態にも対応できるようになっていた。
(ふむ……)
手当たり次第に装備を付けたのではなく連係を重視した装備で纏めているのを見た箒は、相手が少なくとも無策で突っ込んでくるタイプではないと判断し、それ以上相手に付いて探る事を止める。
その理由は彼女自身が相手を見ただけで強さを見抜ける程武人として大成していない事を自覚し、素直に戦った方が力量がわかると考えているからである。そこに天才故のおごりは欠片もなく、箒には勝負事で手を抜くつもりも、対戦相手を格下と見下す考えも最初からなかった。
『よろしくお願いします。それでは始めましょうか。開始の合図は――』
何を言っても相手の神経を逆なでするだけだろうと思った箒は、相手の挑発的な視線と言動を流そうとする。だが彼女が最後まで言い終えるよりも早く、近接装備仕様のグレイズの姿が掻き消え、次の瞬間にはアリーナに激しい金属音が響き、遅れて何かが地面に叩き付けられる音が周囲に響き渡ると同時に土煙が箒の姿を覆い隠す。
開始の合図を待たずの先制攻撃。だが土煙が晴れた時、観客の目に飛び込んできた光景は簪、鈴麗、真耶を除くこの戦いを見ていた者達の想定を覆す物であった。
地面に叩き付けられていたのは攻撃を仕掛けた側であるはずの少女。そして攻撃を受けたはずの箒は出撃した時に立った場所から一歩も動くことなく、右手に持ったバスターソードを楯のように構えていた。
『っ!? 何をしやがった?!』
『試合中に手の内を晒す気はありません』
躱された訳でもないのに自身が地面に叩きつけられた意味がわからず困惑する少女へ箒は答えの代わりに冷ややかな視線と素っ気ない言葉を送る。不意打ちという卑怯な真似を行った彼女に対する箒の評価は零に等しく、丁寧な言葉使いとは裏腹に、その声色には先程まであった年長者に対する敬意の欠片も無くなっていた。
『この……っ! 舐めやがって……!』
箒の態度が気に入らなかったもう一人の前衛の少女が肩のバズーカ砲を放ち、誘導性能を持つ砲弾が箒へと迫る。だが箒はそれに動じることなく、機体を操り起き上がろうとしている少女へ接近するとその手に持ったバスターソードで掬い上げるように振り上げ、機体を空中へ浮かび上がらせる。
『あ……っ!』
バズーカを放った少女が、浮かび上がった機体が箒と砲弾の中間にいると気が付いた時にはどうする事もできず、砲弾が仲間の少女へと直撃して爆炎が上がって再び二人の姿を覆い隠し、その直後に強烈な金属音と数発の銃声が鳴り響く。
そして黒煙が晴れた時には頭部ユニットを完全に破壊され、恐怖の顔を浮かべたまま気絶する少女の姿と左手にライフルを持ち、無傷のままその場に立つ箒の姿があった。
『……何とか戦えるな』
その光景に驚き、静寂に包まれた会場の中心で、一人目を瞬く間に打ち倒した箒が頷きながら呟く。同調率の低さから来る不快感と振り回される感覚の為、万全とは程遠く本来の力の半分も出せない自らの未熟を情けなく思いながらも、想定していたよりは動けた事に安堵する。
『由加里?!てめぇ、よくも……!』
箒の声に、自身の砲撃を利用され仲間を倒された少女が我に返り、怒りの籠った声と共に再度砲撃を放とうと砲口を向ける。
『遅い。狙いがわかりやすい』
『うぁっ?!』
だが一撃が放たれるより早く、箒は瞬時加速により距離を詰め、その横をよぎると同時に砲身を斬り落とす。放たれる直前だったバズーカ砲は爆発を起こして左手に持つライフルを誘爆させて左腕を完全に破壊した。
『手を抜くのは最大の非礼と言うのが私の信条。故に今の私が出せる全力で行きます』
箒はそう宣言すると再び少女へと接近するとバスターソードの重みを利用した重く速い連撃を振るう。
『うっぐっ……ああああっ?!』
最初の二撃までは残された右腕に持つバトルアックスで防いでいたが、それもあっさりと弾き飛ばされ、容赦ない一撃が幾度となく叩き込まれていく。
『明里!』
リーダー格の少女が援護しようと武器を向けるが、四連式ロケットランチャーも輪胴式グレネードランチャーも細かな狙いには向かない上、箒と仲間の距離が近すぎるので下手に撃てば先程のように巻き添えにしかねない状態であった。
『くそっ!だったら……!』
右手に持つ四連式ロケットランチャーを量子化し、取り回しのいいライフルに持ち替えて対処しようとする。だが判断を下すのが遅すぎた為、リーダー格の少女がライフルに持ち替えるのとほぼ同時に仲間の少女は箒の見事な兜割りを受けてシールドバリアと意識を失って地面に落ちていった。
『くそっ……! 同調率が低い機体でなんでそんな動きができるのよ!』
『ほう……? 何故私の機体が不調なのを知っているのですか?』
動揺した少女が口にした言葉を聞いて箒は眉を潜める。操縦者以外が機体の同調率を調べることは整備中でも無ければ不可能である為、今彼女が機体の不調を知っているのは有り得ないはずだからだ。
『あ……っ!』
『……成程』
箒の問い掛けに動揺した目の前の少女と、機体を改竄したあの少女の様子。その二つの点からあの少女は目の前の彼女達に脅迫されてやむを得ずこのような真似をしたのだと確信する。それが弱みを握られたからなのか、暴力によるものなのかまではわからないが、どちらにせよ最低の行為であることには変わりがない。
(下種が……)
箒は言葉にせず、内心で毒を吐くと、そして左手に持っていたライフルを収納する。そしてバスターソードを両手で持ち直し、刀身を頭上へ掲げる。その形は剣道では火の構えと呼ばれる物であった。
『もはや敬意を向けるに値せず。全力で斬り捨てます』
『何を―――』
箒の宣言に言い返そうと少女が口を開いた瞬間、その眼前から箒の姿が掻き消える。それと同時に彼女の腹部へ凄まじい痛みを感じたかと思えばその身体が勢いよく後ろへと吹き飛ばされ、背中から壁に叩き付けられ、その衝撃でその視界が白く染まる。
『ガ……ハッ……?!』
突然自身を襲った痛みに、少女は一瞬何が起きたかわからなかった。だが視界が戻り、目の前に突き付けられたバスターソードの切先と切断された機体の両腕を認識した事で自らが斬られたのだと理解する。
『降参……します……』
『お手合わせありがとうございます』
自らの完全敗北を悟った少女が絞り出すように降伏を宣言すると、箒は淡々とした口調でそう告げるとバスターソードを収納したその瞬間、会場からは割れんばかりの大歓声が響き渡る。
圧倒的な強さを見せた箒を称える声が聞こえてくるが、本人は振り返って一礼するだけで何も告げる事なくそのままアリーナを後にするのであった。
――――――
「いやはや圧倒的だったねぇー。予想通りの結果だったけど」
管制室で試合を見ていた鈴麗が笑みを浮かべながら戦いの結末をそう評する。その表情や声色に驚きの感情は一切含まれておらず、本当に箒が圧勝する事を確信していたのだと傍らで聞いていた真耶は理解した。
「篠ノ之さんに才能があるのは知っていましたが、既にここまでの強さを身に着けているとは思いませんでした。特に最後の一撃なんて何が起きたか私にもわかりませんでしたし……」
真耶は最後に会った時とは比べ物にならない成長を見せていた箒の強さに感嘆する。彼女の実力が既に自身を超えていると確信できる領域に至っている事を充分に見せつけられ、来年から彼女の教師となる身としては恥ずかしいと思いつつ、操縦者として立派な実力を身に着けたとなった恩人の妹君の成長を喜ばしく思っていた。
「あれは縮地。私が知る限りでは箒ちゃんだけができる唯一の技だよ。同じ適正Sだけど千冬は性格が大雑把だからできないみたい」
「縮地……日本武術における体捌きですか?」
「そ。あれのIS版みたいな感じ。瞬時加速の完全上位技だね。簪ちゃん曰く、通常の瞬時加速時に機体周辺の空気を微調整する事で風圧の影響を完全に零にして接近するんだってさ。今日やったのは前見た時よりなんだか雑かったけど、本来ならハイパーセンサーすら認識不可能らしい」
「ハイパーセンサーで感知できない……?! そんな事が可能なのですか?!」
その説明を聞いた真耶は驚愕を隠す事ができず、思わずといった様子で鈴麗に問いかけた。
ISのハイパーセンサーは空気の動きを感知して相手の瞬時加速の発動を予測する機能を有している。本来はこの機能により相手の瞬時加速を発動前に察知して対応するのだが、箒の技はこの予測機能を事実上無力化してしまうというのだ。
やられる側からすれば気がついた時には致命的な間合いに入られている為回避は非常に困難であり、驚異の反応を実現できる阿頼耶識システム対応者でなければ回避する事は非常に難しいだろう。
「技術云々より繊細さと才能が為せる技ってやつよ。だからパワーバカの千冬じゃ無理な芸当よ」
「パワーバカって……先輩が聞いたらまた怒られますよ?」
「本人がいないから言ってるのさー。真耶先生が黙ってればバレないしね!」
鈴麗が笑いながら真耶の肩を叩く。笑顔と裏腹に放たれている言ったらどうなるかわかるなと言わんばかりのプレッシャーを受けて、真耶は黙って首を何度も上下に振る。
「真耶先生なら黙っててくれると信じてたよ! お礼に今度飲みに行こう! 奢るよー! ってな訳で、ぶっ壊れた機体の修理手続きしてくるね! 集合場所は校門前って簪ちゃんにメールしておくから先に二人のとこ行ってきて……ねっ!」
「ひゃうっ?!」
鈴麗はそう言いながら最後に真耶の胸をわし掴んでからヒラヒラと手を降りながら走って管制室から飛び出していき、真耶は顔を赤くしながらも鈴麗に遅れて部屋から出て箒達の元へ向かうのであった。
――――――
整備室に戻った箒を整備を担当し、ここのモニターから試合を観戦していた生徒達の歓声が迎え入れる。
「機体の整備、ありがとうございます。折角お休みの皆様にお手数を掛けさせて申し訳ありませんでした」
ゲイレールを格納庫に戻し、綺麗な動きで飛び降りた箒は彼女達に深々と一礼し、感謝と謝罪を口にする。その表情は変わらず無表情であったが、言葉の端から本心から敬意を示している事が伝わるだろう。
「あ……あの……っ!」
そんな箒に近寄り話しかけてくるのはゲイレールのシステム整備を担当していた女生徒。彼女は目に僅かに涙を溜め、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「その……ごめんなさ――」
「あぁ、ちょうどよかった。申し訳ないのですが、最後に無理をしたせいでシステムの同調部分に不調を起こしてしまったのです。どうか見ておいていただけないでしょうか?」
「え……?」
謝罪しようとした女生徒の言葉を遮るように箒がそう言うと、女生徒の顔が驚きの表情へと変わる。
だが驚くのは無理が無いだろう。自らの罪に自覚があり、素直にその罪を告白しようとしたのを被害者であるはずの箒が止めただけではなく、自らの過失であったと告げたのだ。
そしてその言葉がこの場にいる全ての第三者の耳に入った事で、【女生徒の改竄行為によって不調となっていた】という事実が【箒の無理によって機体が不調をきたした】という物に変化し、彼女の罪が消える事となる。
当然調査をすればすぐにばれてしまう事ではある。だがその影響を受けたはずの箒が一見すれば完璧なパフォーマンスで機体を運用した上、そのような事実はなかったと明言し、同時に結果として残っている機体の不調を自らのせいだと宣言してしまえば、少なくとも一般生徒の間で彼女が罪人扱いされる事はないだろう。
「無事試験を通れば来年からここの生徒になります。その時はよろしくお願いしますね」
「あ―――」
戸惑う女生徒へ箒は手を差し伸べ、そしてその表情を見た女生徒が呆けた表情を浮かべて固まる。何故なら手を差し出している箒が優しい笑みを浮かべていたからだ。
システム改竄という下手をすれば退学となるような罪を問うことなく、それを自らの失態として女生徒を庇ってくれた名家の血縁者である未目麗しい美少女が笑顔と共に手を差し出している。大げさではなく、彼女には箒が女神のように見えたであろう。
頬を赤く染め、呆然とした様子で握手に応じた女生徒へ最後に一礼を送ると、箒は少し離れた位置で待ってた簪の傍に向かう。
「真耶さんと鈴麗さんに挨拶したら帰ろうか。簪」
「……うん」
「……簪? 何を怒っている?」
箒が声を掛けると不機嫌な様子の声が返ってくる。その反応が予想外であった箒は訝しみ呼び直すが、彼女はそれに答えることなく黙って整備室から出て行ってしまう。
「何かお前を不快にさせる事をしたか?」
「…………」
その後を追い再び問いかけるが、簪は口を噤んだままであった。加えて彼女は怒りのせいか周りが見えていないようで周囲にそれなりに人がいるにも関わらず、怯え隠れることなくどんどんと先へと進んで行く。
「…………なんで最初から不備があった機体で戦ったの?」
そのまましばらく二人は会話する事無く歩みを続けていたが、校門へとたどり着いた簪が立ち止まるとポツリとそう呟く。
「……気が付いたのか? うまく誤魔化したつもりだったのだが……」
「一人目の攻撃への対応が僅かにだけどいつもより遅い。二人目を倒した時の斬撃の動きがいつもより雑。それに三人目に使った縮地がいつもより相手に近付き過ぎてる。他の人は誤魔化せても私にはバレバレだった」
「……お見事」
自分でも気になっていた細かな部分を的確に指摘してきた簪の見事な観察眼に対し箒は素直に白旗を上げる。そもそも箒の戦闘スタイルは簪のアドバイスや模擬戦での動きの分析よって確立されており、そんな彼女の眼を誤魔化せると考えた自身の考えが甘かったのだと気が付き、箒は苦笑を浮かべた。
「私が怒っているのは万全じゃない機体で試合をするなんて危険な真似をした事」
「同調率の低さが命の危機に繋がる事はない。心配してくれるのは嬉しいがそれは杞憂という物じゃないか?」
「ISに絶対はあり得ない。あの程度の相手に箒が負けるなんて思ってないけど、小さな不備が大きな事故を引き起こさない保証なんてなかった」
「……確かに危機意識が足りなかったな。心配してくれてありがとう、簪」
簪の言葉が心の底からのこちらを心配してのものだと充分に感じた箒は、ここは変に意地を張るべきではないと認め、感謝と謝罪を伝える。するとそれで納得したのか簪は黙って頷くと共に不機嫌そうであった表情から元のおとなしげな物へと戻った。
「……ねぇ箒」
「ん?」
それから1分ほど沈黙が互いの間を支配していたが、意を決した様子で箒へと向き直り呼びかける。それを見た箒は真面目な話だと察し、彼女もまた真剣な表情で簪と向き合った。
「今日、たくさんの人が箒に歓声を送ってくれた。その強さを認めてくれた。箒はそれをどう思った?」
「ふむ……」
簪の問いに箒は握った右手の親指を口元に当てる仕草をしながら思案する。
他人に認められる事、自分の強さを示す事、戦い勝利する事。それらは自らの心を満たす行為だ。それが才能に胡坐を掻いているだけでなく、相応の努力の果てに得られた物であれば、得られる喜びは大きいだろう。
「何も感じなかった」
だが箒の答えは素っ気無い物であった。その言葉に宿っていた物は高い向上心を持つ故に現状に満足できないという訳でも、この程度は当然だという自身でもなく、何の想いも感じられない冷たい虚無であった。
「アイツが
それは簪と実の姉だけしか知らない篠ノ之箒が抱える欠陥。幼い日に愛した少年がとある事情で外国へ行き、そこで死亡したと姉から伝えられた瞬間からまるで喜びという感情が消失したかのように心に浮かばなくなったのだ。
笑う事はできる。一般的に言われる笑顔をイメージし、それに合わせて顔の筋肉を動かしつつ優しい口調で喋るのは、彼女にとってそれほど難しい事ではないからだ。
だが心から笑う事は出来ない。最後に心から笑ったのはいつだろうと記憶を辿れば、少年と他の友人と共に遊んだ光景が浮かぶが、それを思い出しても心が震える事はなかった。
「そう……」
その答えを聞いた簪は残念そうに肩を落とす。彼女は少年とは面識はないが、少年が
それ故にまたかつてのように戻ってほしいと願っており、今回の事が喪失した感情を戻すきっかけにならないかと期待したのだが、結果は簪の望んだ通りにはならなかった。
「簪。今回の事でわかったんだ」
辛そうな表情を浮かべる簪がその言葉を聞いて顔を上げると箒の瞳と視線が重なる。その綺麗な瞳は意思を宿しておらず、まるで硝子細工を見ているような錯覚を感じさせられた。
「私が欲しいのは名誉でも周囲の評価でも力でも無い。ただ、アイツに凄いなと頭を撫でて欲しかったんだ……!」
そう呟いた箒の眼から涙が零れる。だがそんな彼女に掛けるべき言葉がわからず、ただ唇をかむ事しかできなかった。
次も幕間入れるか本編進むか悩んでます。