真夏の二十四日 作:夏草
その日も例にも漏れず八月のよく晴れた日の事だった。
「あちぃ……」
最早定位置となりつつある縁側にて俺はいつも通りぐだっていた。早朝テレビで見た天気予報だと今日は今年一番の暑さで三十度を優に超えるとか。それに便乗するように蝉の声も何時もに増して騒がしい気がする。
こういう時に限って風は吹かず、軒下の風鈴はまったくその音色を俺に享受させてくれない。すこし視界を上へと向ければバケツ一杯の青い絵の具を画用紙にぶちまけたよな真っ青な空。そして太陽は手加減の三文字を忘れたかのように地上を照らす。どっかの誰かに恨みでもあるのだろうか、もしそうならとばっちりを受けた俺はたまったものじゃない。
さて、今日はどうするか。
これだけ暑いと取れる行動は二つ。一つは小川で泳ぐ、もう一つはここまま何もしないだ。
テレビは例にももれず甲子園を見ている祖父母に占領されているし、その居間ですら空調は何もない日影なぶん外よりもマシな程度だ。つまらない野球を見るくらいならいっそここで何もしない方がまだいい。同じ空調が効いていない空間なら縁側のここの方が幾分か風が通っていい。
小川に行けば涼は十分に取れる。小川の水は真夏でも十分につめたい。きっとこの体の火照りも沈めてくれるだろう。だが、問題は行くまでだ。首をだらりと真横に向ける。そこには日陰の、ひの文字も存在しない。あるのは殺人的な日光を浴び続ける乾いた地面のみ。行っても地獄、行かぬも地獄とはこれいかに。
勉強? それは端から選択肢にすらない。高校受験と同じ行ける大学に適当にはいるまでだ。
「……はぁ」
首を再びもとの位置に戻し、再び天井の梁を見つめる。毎年見上げるこの天井に変わりはない。まるで時間が止まったかのように毎年その姿を留めている。この天井だけではない。この家、この庭、裏の畑、そして周りの風景。その全てが毎年何も変わらない。
不思議とそんな風景を見ていると時が止まったかのような錯覚にとらわれる。蝉の声がどこか遠く感じられる。音がどんどんと止んでいき、それと同時に色もドンドン褪せていく。ふと、理解した。このまま、音が完全に止み、色がなくなれば、その時完全に世界が止まると。
まぁ、それも悪くない。何かの小説で春は魂の在処を忘れる季節と書いてあった。なら、夏は世界が止まる季節でも可笑しくはない。雲雀は春の陽気にさそわれ、鳴きつくしたあとに魂の在処を忘れ消える。なら、夏に時間と言う概念を忘れ消える人間だっていてもいいはずだ。
ただ、だまって天井の一点を見つめる。かの間もドンドンと蝉の声は遠のき、世界の色は褪せていく。かの俳人の有名な句に『閑さや岩にしみ入る蝉の声』とある。彼がこの句を呼んだ時の境地はきっとこのような気持ちだったのだろう。
一人立石寺で瞑想した芭蕉と今の俺が一緒、なんてそんなことは微塵も思っていない。思ってはいないが心持と言うのは案外似たよなものでないだろうか。まぁ、あくまでも高校三年のガキが考えることなどで間違えていること必須なのだろうが……。
「あっ! やっぱりここにいたっ!」
そんな時だった。止まりつつある世界に声が響いた。綺麗なソプラノ声は穢れを知らない純白の音色。それを脳が認識した瞬間、世界が動き始めた。蝉の声が戻った。水墨画の世界に五彩の絢爛が戻った。
「……ん?」
体全体を動かすのが億劫なので寝そべったまま首だけを横に向ける。
「えへへっ! お兄ちゃん一年振りだねっ!」
「一年振りだな、ガキんちょ」
そこに彼女はいた。すっかり身長は伸びあった時の面影すらない。顔は出会った時のまま成長し、随分と美少女になっていた。昔から小説家は人物の容貌を極力描写すると相場が決まっているらしい。古今東西の言語で、佳人の品評に使用されたものを列挙したなら、かの大蔵経とその量を競うとか何とか。
だが、残念なことに俺は小説家ではない。俺の語彙力何てせいぜい流し見する小説で得たものばかり、彼女の美貌を上手く伝えるものは容易出来そうにない。なので、ここではただ美少女になったとだけ書いておく。これだけでも十分理解してもらえたはずだ。
「むぅ、ガキんちょじゃないよっ! 穂乃果だよっ!」
毎年恒例のこのやり取りも今年で何回目だろうか。彼女はもはやトレードマークになっている麦わら帽子を片手で押さえながら頬を膨らませた。
「ん、そう言えば今年は一日早くないか?」
彼女がここを訪れるのは毎年、一日遅い日付のはずだ。だからこそ、俺は今日の選択肢に彼女をつれそって何かをするという項目を排除していた。
「んー、実は家の都合で今年は早く来たの」
「ふーん、そうか……」
「ねぇねぇ、今日は何をするつもりだったの?」
「ん、今日か。今からここでダラダラと時間を潰すか小川に涼みに行くか悩んでいたところだ」
「小川!?」
小川と言う言葉に反応された。
「あぁ、うん。今日暑いしさ」
「小川って昔、穂乃果と釣りしたあの小川?」
そう言えばそんなことも昔あったなぁ。確か、穂乃果が麦わら帽子を落っことして大変だった記憶がある。どうにか、釣り竿引っ掛けて回収したっけな。
「あぁ、あの小川だ」
「えぇ、いいじゃんいいじゃんっ! そこ、行こうよっ!」
「っておい、いきなり手を引っ張るなって! 危ないだろっ! それにちょっとまて、色々準備があるんだよ」
こうして俺は半ば強制的に小川に行く言う選択肢を選ばされる羽目になったのだった。