千葉ラブストーリー   作:エコー
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九月の半ば。
比企谷八幡がアパートに帰宅すると。

注:沙希の最後のセリフを少しだけ変えました。


黄金の月

 九月半ばともなれば、暴威を振るった暑さも若干ながら和らいでくる。日没後ともなれば過ごし易さは尚更である。

 俺の居城である都内の安アパートも、夜風が涼しくなったお陰で一階の部屋とはいえ随分と快適になった。

 本当、この季節がずっと続いて欲しい。

 でもそうなると、主力のおかずは秋ナスや秋刀魚になりかねないな、いや柿や栗、金さえあればマツタケだってあるぞ、などと詮無い思考を重ねつつ、冷んやりと心地良い夜風を頬に浴びながら家路を急ぐ。

 最後の四つ角を過ぎた辺りで、ビルの陰から十六夜の月が顔を覗かせる。足を止めて、しばし月見と洒落込もうか。

 

『名月や 故郷遠き 影法師』

 

 漱石の句が浮かぶ。

 今頃あいつも千葉で妹たちと同じ月を見ているのかな、などと少々ノスタルジアに浸るのも、故郷を離れた者の特権なのだろう。

 とは言っても電車で一時間程で帰郷できる、お手軽単身赴任なのだが。

 

 暫く月を仰ぎ見ていると、左手に提げたドラッグストアの買い物袋が夜風に吹かれて、しゃわしゃわと鳴った。

 まあ、急いで帰ったって誰も待ってはいないからね。のんびりで良いのだ。

 その後も時々月を見上げながら、ゆるりと歩を進める。

 アパートに着き、空の郵便受けを確認して、部屋の鍵を取り出してドアを開ける。

 

「たでーまー」

 

 ふっ、誰も返事をする訳がないのに帰宅の挨拶をするなんざ馬鹿げていると思われるかもしれない。

 だが挨拶は大事。中々他人には出来ないけどね。

 

「お、おかえり」

 

 ──はい?

 

  * * *

 

 カーペットの上で胡座をかいて座っていると、沙希が目の前の座卓に湯呑みをすすっと差し出してくる。

 

「お、サンキュ」

「うん」

 

 ……さて、どうしてこうなった。

 

 私立大学の夏休みは国立大よりも早く終わってしまう。俺の通う大学もその例に漏れず、昨日から講義などが始まっている。

 それに合わせて都内に戻った俺は、今日どうしても取っておきたい講義があったので昼前に大学に赴き、帰りに近所のドラッグストアで安売りのカップラーメンを買って帰宅。

 で、今はそれから五分後である。

 それでは目の前で茶を啜る沙希さん、どうぞ。

 

「あのさ、サキサキ」

「ぶん殴るよ」「はいっ、ぶん殴られます」

 

 サキサキこわっ。思わず受け入れの声明出しちゃったよ。

 よし、ミッション変更。アプローチを変えてみよう。

 

「……ねえ川崎さん」

「なんだい比企谷さん」

 

 うん。ファーストコンタクトは成功の模様だ。

 さてさて、ここでもう一度現状確認だ。

 現在、俺と沙希は都内の安アパートの一室で膝を突き合わせて会談に臨んでいる。

 

「えーと、理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「うん。許可したげる」

 

 うわっ、何だこの良い笑顔と物言い。ちょっと腹立つな。

 つーかお前、俺が何言っても許可しなかった試しが無いだろうが。

 

 今となっては良い意味でのトラウマと化した熱海の一泊旅行以降、俺は沙希に対してかなり無遠慮に物を言っている。勿論沙希も同様に振舞っている。

 それも「もっとお互い素直に我儘を言い合おう」という沙希の提案からなのだが、今のところ、俺がどんな我儘を言っても沙希に否定も却下もされた試しがない。

 腑に落ちない部分があれば修正案を出してくるのだが、基本俺の我儘はすべて通ってしまう。

 

 たまに沙希も我儘を言ってくるのだけれど、俺にとってそれは我儘でも何でもなく、むしろご褒美の内容だ。

 俺の労力で沙希の笑った顔が見られるなら、率先してご注文を伺いたいまである。

 ま、大概は買い物やメシの話だったりするのだけれど。

 

 夏休み中、何度か沙希が比企谷の実家で料理を作ってくれたのだが、その時のメニューはすべて俺の我儘が採用された。

 茄子のおひたしが食べたいと言ったら「はいよ」と言われ、鯵のフライが良いと言えば「じゃあ身の厚くて脂が乗った鯵を探してこなきゃね」と俺をスーパーに連れ出す。

 母親はその様子に涙し、親父は新聞を逆さに広げてワナワナするという古典的なボケを繰り広げていた。

 小町は小町で、沙希と一緒に訪れた京華ときゃっきゃうふふと戯れるのが気に入ったようだ。

 大志? 誰それ。

 ……改めて考えると、生まれて初めて家で甘やかされたな、俺。

 

 さて、余談が過ぎたな。

 そろそろ閑話休題と参りましょうか。

 

「そりゃありがとう……で、なんでお前ここにいるのかな。今日はまだ週末じゃないんだけど」

「合鍵もらったからに決まってるでしょ」

 

 きょとん。

 沙希は、ハトが三連装遅燃性高熱散榴弾砲(通称ポタン砲)を喰らったような顔で、悪びれる事もなく小首を傾げて俺を見る。

 くっ、可愛いじゃねぇかよ。

 

「いやいや、お前、今朝来たじゃん。で、帰ったのって今日の昼だよね。何なら五時間前だよね。そん時お前『また来るね』って言ってたよね。いくらなんでも次が早くね?」

 

 さて、今日の回想シーンである。

 今朝早く、東京に用事があるとかで川崎沙希が来訪した。

 俺は今日から大学の秋期なのだが、沙希は国立大学なのでまだ夏休み期間。まったく羨ましい限りである。

 俺もサボってしまいたかったのだが、それをすると沙希は烈火の如く怒るだろう。

 結局、俺の大学の講義の時間ぎりぎりまで二人でまったりと過ごし、俺が出掛ける時間となって『じゃあ……また来るね』と、名残り惜しそうに言って、確かに沙希は帰っていった。

 何なら最寄りの駅まで二人で歩いたのだ。

 はい、回想終了っ。

 

 さてさて、サキサキの言い分を聞いてみよう。

 

「あ、あんたにあげたいも……あっ、そうそう、忘れ物。忘れ物しちゃってさ」

 

 そうそう、じゃねえよ。

 完全に今思いついた言い訳じゃねえかよ。

 では、そこら辺を重点的にイジってみましょうそうしましょう。

 では、失礼をば。

 

「へえー、何を忘れたというのかね川崎くん」

 

 さあ沙希さん。

 俺様ちゃんの追求を上手く切り抜けてご覧なさいな。

 にやにやしながら見ていると、案の定沙希は下を向いて唸っている。

 当然だな。何も置き忘れてなどいない筈だからね。

 さあ、どんな言い訳を考えてくる……お、唸り声が止んだ。さては何か妙案が浮かんだのか。

 突然、たんっ、と座卓に手をついて立ち上がると、沙希はキッチンへ行ってしまった。

 訳わからん。

 

「ったく。なんなんだ、あいつは」

 

 座卓に頬杖をついてごちていると、目の前の座卓には小さな紙の箱。

 

「……は、はい、これ」

 

 沙希の手によって開かれた箱の中には、苺のショートケーキと、美味そうなモンブランが入っていた。

 

「え、どしたのこれ」

「あたし、まだあんたの誕生日を祝って無かったから、さ」

 

 するってぇと、何かね。

 キミはあちしの誕生日を祝う為に舞い戻ってきたということかね。

 むふん。嬉しいではないですか沙希さま。

 

「遅くなっちゃったけど、おめでとう」

「そうか、ありがとよ」

「うん……」

「…………」

「…………」

 

 で、何だよこの沈黙は。

 二つのケーキを挟んで対峙する沙希の俯いた顔を、得体の知れない違和感が包んでいる。

 言い換えれば、緊張感に似た空気だ。

 それは、本来の目的が別にあることを連想させた。

 気になる。ものすごく気になる。

 が、今はモンブランのお味も気になる。

 

「も、モンブラン……食べてもいいか?」

「え、あ、うん。じゃあコーヒー淹れてくるよ」

 

 そそくさと立ってキッチンへ向かう沙希の背中を見送りながら考える。

 こいつったら、いつの間に我が居城のコーヒーやお茶の配置を覚えたんだろ。

 沙希の家事スキルが計り知れない。こりゃいよいよ専業主夫の夢は潰えたか。

 

  * * *

 

 モンブランは美味かった。好みから言えば黄色くて安っぽい、昔ながらのモンブランが好きなのだが、この本格的なモンブランも素晴らしく美味かった。

 沙希も苺のショートケーキを食べ終えて、今は再び茶を啜っている。

 

「あの」

 

 呟く声がした。緊張しているのか、若干声が震えている。

 

「何だ、どした」

「あ、あのね……その、プレゼント、なんだけど……」

 

 ははーん、違和感の正体はそれか。きっと急に思いついたものだから、プレゼントを用意する余裕が無かったのだろう。

 

「いいさ。こうして祝って貰えただけで有り難いからな」

「ちがっ、違う、の」

 

 何かを言い淀む様な俯いたその目は、上上下下左右左右BAと、コ○ミコマンドばりに泳ぎ回っている。入力ミスなのか分身は増えていないけれど。

 

「こっ、これから言うことは、あたしの我儘だから……その、出来ればでいいから」

 

 何だ、その口幅ったい言い回しは。我儘は素直に言い合おうって言ったのはお前だよね?

 

「わぁった。聞かせてくれ」

 

 俯いて、手をもじもじ、体をもぞもぞ。

 何だろう。そんなにきつい要求なのだろうか。

 まさか、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断しろ、とか?

 

「あたしの我儘はね、この先のあたしの『初めて』を、全部あんたで染めたいっ……て」

 

 ──。

 乙女だ。目の前に乙女がいるぞ。

 頬を紅潮させて目を潤ませ、口唇を噛み締める沙希は、可憐な乙女そのものだった。

 きっと、この先もこういう沙希を見て「ああ、こいつと一緒に居られて幸せだ」などと思ってしまうのだろう。

 だから。

 

「その台詞、そっくりそのまま返すわ。俺は、沙希が初めての恋人だ。だからと言う訳ではないが、この先の初めてはお前と一緒がいい」

 

 俯いていた沙希の顔に花が咲く。

 やっぱりこいつの笑顔は最上だ。見慣れてきた今でもうっかり胸が踊ってしまう程だ。

 すすっと座卓を迂回しつつ沙希が寄ってきて、肩に頭を乗せてくる。

 その青みがかった長く艶やかな猫っ毛に手櫛を通すと、気持ち良さげに目を細めてくる。

 心音と体温が少しだけ混じり合う。

 

「あたし、男の子の誕生日を祝うの、初めてなんだ……」

「……そか、ありがとな」

 

 どちらからともなく顔を寄せ、口唇を合わせる。そのまま俺の肩口に頬を乗せた沙希は、至近距離で視線を向けてくる。

 

「でね、プ……プレゼントなんだけど、貰ってくれる……?」

「ああ、沙希がくれるなら病気でも焦げ付き手形でも有難く受け取る所存だ」

「ばか……そんなもんあげる訳ないでしょ」

「いや、モノの例えなんだけど」

「……知ってたから」

「いやいや、解ってなかったよね。サキサキ解ってなかったよね」

「さ、サキサキいわないでよ……ん、んむっ」

 

 時折互いの口唇を啄ばみながら叩く軽口が心地良い。

 

「……じゃあ、プレゼントを用意するから、ちょっと後ろ向いて目を瞑ってて」

「──なんだよ、かごめかごめか。それとも打ち首か?」

 

 軽口を叩きつつも言われた通りに目を瞑り、沙希に背を向けて座して待つ。

 何だよ。ちゃんとプレゼント用意してあったのか。

 つーか、今日の沙希は明らかに変だ。妙に勢いがあるかと思えば、何でもない様な返答に窮したり。

 凡そ川崎沙希らしくない、ちぐはぐな印象だ。

 いや、高校の時のこいつってこんな感じだっけか。

 教室の中、人垣の向こうから俺を睨んでたと思ったら顔を真っ赤にしてそっぽを向いたり、廊下の角で出会い頭に見つめられたり。

 嫌われてるのか怒っているのか、随分と理解に苦しんだものだ。

 それにしても長いな。かれこれ五分は経つぞ。

 まだ目を閉じてなきゃならないのかよ。

 

「……まだか?」

「ま、まだダメっ」

 

 何をしているのか、背中からしゅるしゅると音が聞こえる。

 まさか、ここでラッピングしてるとか。

 急遽用意した物なら、それも致し方ないだろう。なんせ俺が何時に部屋に戻ってくるかなんて沙希には分かりっこないのだから。

 もしかして、首にリボンとか巻いちゃったりして

『プレゼントはあたし♡』

 みたいなこと言われたらどうしよう。

 思わず「おう、美味しく頂戴するぜぃ」とか言っちゃったりして。ふひっ。

 ──ま、沙希に限ってそりゃ無いか。こいつがそんなスイーツ脳とは思えん。

 つーかそんなもん、妄想の世界の世迷い事だ。考えるだけ無駄。杞憂だ。

 

 背中に響いていたラッピングと思しき音、つまりラップ音が止んだ。

 同時に背後から、まるで胸部レントゲン撮影の時みたいな深い呼吸音が聞こえた。胸部じゃなくたって良いのかもしれないけど、なんか胸部って言いたい。

 それだけ沙希の胸部は素晴らしいのだ。

 

「い、いいよ」

「ったく、長えよ」

 

 漸く許可を得て、恐る恐る目を開ける。体ごと沙希の方に振り返っ……

 

「……うぁだっ!?」

 

 ──思わず変な声出しちゃったじゃねえかっ。

 あー、やばいやばいやばい。

 マジでやばいって!

 俺は、俺史上最速の動きで再び沙希に背中を向けた。今なら縮地も軽功術も使えそうな速さだ。

 無理だ。

 

 ──さて。

 今振り向いた瞬間に見たことを、十文字以内で説明するぜ。

 

 上下白リボン。以上。

 

 よしっ、句読点込みでぴったし十文字だ。

 ……なに? わからん?

 うん、八幡わかってるよ。これじゃ流石に解らないよな。

 もうちょっと詳しく言うと、つまり上下とも純白の下着姿の川崎沙希が、首にピンクのリボンを結んで立ってい──

 

 ──はあああああぁ!?

 

「な、なんの真似だっ。よせっ、早まるなし──」

 

 背中を向けたまま沙希を説得にかかるも、不意に感じた背中の温もりが言葉と思考を遮断する。

 背中から肩を飛び越えた沙希の両腕は、俺を包む。

 

「プ、プレゼントは……あ・た・し」

「……は?」

 

 な、な、な、な……

 なんですとおおおお!?

 

「だっ、だからぁ、あたしをあげるって言ってんのよ」

「お、おう」

 

 耳元で叫ばれて思わずキョドってしまった。

 てか、これって夢?

 さっきの俺の妄想そのままじゃねぇかよ。

 そうだ、夢に違いない。

 色即是空、空即是色──

 

「ねえ」

「な、なんでしょう」

 

 ──観自在菩薩(かんじーざいぼーさーつ)行深般若波羅(ぎょうしんはんにゃーはーらー)……。

 

「こっち向いてよ……」

「いや、だってさ、お前、下着……じゃん」

 

 脳内の読経に混じって、背後から唸る声が聞こえる。

 それよか早く服を着てくれ。般若心経は短いんだぞ。

 つーか、俺っていつ般若心経なんか覚えたんだっけ。

 あっ、中二病時代か。

 

「──わかった。もういい」

 

 放たれた声音は強く、怨嗟の念すらこもっている。幸いお経を唱えていた俺には全く効かないけどね。

 諦めてくれたか、若しくは呆れられたのか。

 とにかく危機的状況は回避──

 

 むにっ。

 

 ──出来なかった。

 

 突如背中に当たった二つの柔らかいもの。それはTシャツ越しでも分かる。

 沙希の、胸だ。

 そして沙希の身につけた防具は純白のレースの下着のみ。

 しかし……沙希の純白の下着姿、素晴らしく綺麗だったなぁ。申し訳ないけど脳内のフォルダに有難く記憶させて頂きますね。

 ま、それはそれとしてだ。またお経の出番かな。

 いやいや無理だな。だってもう、背中は煩悩まみれですもの。

 

「あ、あの、当たってるんですけど」

「あ、当ててんのよ」

 

 あ、こいつこのネタ知ってるのか。

 じゃなくてっ。

 

 背中から双丘の温もりが離れて、肩に手が置かれる。

 その手が離れたと思ったら、俺の正面に沙希が回り込んで、ぺたんと鎮座した。

 カーペットに下着姿で座るってことは、カーペットに下着が触れてるってことだよな。

 ……うん、その部分を今日から「聖地」と呼ぶことにしよう。

 

  * * *

 

 愚考を断ち切って、あらためて沙希を見る。

 

 ──やはり綺麗だ。

 思わず瞬きを忘れちまう。

 思ったより肌白いのな。胸もあんなに実っちゃってまあ。

 そして……何より目を惹かれるのは、口唇だ。

 ぷるんと瑞々しい口唇には見慣れない紅い口紅が塗られている。

 真紅よりも桃色に近い赤。まるで熟す一歩手前のトマトの様な色。

 普段見ることのない赤い口唇は、目の下の涙ボクロと相俟って、普段の数倍は色っぽくみえる。

 そして、更に純白の下着だ。

 紅い口唇との対比で、純白の下着が更に映える。

 決して派手ではない刺繍が施された清潔感溢れる純白の下着は、沙希の豊かな膨らみを包み支えて、双丘に谷間を形成している。

 そしてその豊かな胸の谷間には、ペンダントが──ん?

 そのペンダントって……まさか。

 

「か、鍵……か?」

「う、うん……比企谷に初めて貰った物、だから」

 

 俺の部屋の合い鍵かよ。

 くそっ、自分の部屋の鍵に嫉妬するとは思わなかった。

 

 ごくり。

 無音の部屋に俺の喉音が響く。

 下着姿の川崎沙希が、手の届く距離にいる。

 それは即ち、まさか、いや、しかし、でも……。

 

「……今日は、比企谷に全てを捧げるつもり」

 

 やっぱり。

 下着姿の沙希は、背筋を伸ばして居住まいを正す。

 そして床に両手の指をつき、上半身をゆるりと倒す。

 

「あたしを、もらってください」

 

 流麗な所作で三つ指をついた。

 

  * * *

 

 夜の十時。

 灯りを落とした、音の無い六畳間。

 その故郷から遠く離れた空間に、二人分の鼓動だけが響いている。

 窓際に配置された狭いベッドに沙希を促す。

 カーテン越しに照らす十六夜の月は、沙希の白い肢体を、その豊かな凹凸を薄闇に浮かび上がらせる。

 俺はベッドの淵に腰を下ろしたまま、その白い肌に目を奪われている。

 ふいと、恥ずかしそうに沙希は身を捩った。

 

「……見過ぎだよ」

「わ、悪りぃ。あんま綺麗だったから」

「……き、れい」

 

 口を尖らせて顔を背けるも、その紅潮した頬も、豊かな胸も、細く締まった腰も、その下に続く骨盤のしっかりした臀部も、何処も手で覆って隠そうとはしない。

 とうに覚悟を決めているのだろう。

 音の無い部屋を二人の呼吸音だけが満たしてゆく。

 

「い、いいのかよ」

「うん」

「本当に……いいのか?」

「しつこいね。これは、あたしが頼んでるんだよ。いわばあたしの我儘なんだ。聞いてくれるでしょ、あんたなら」

 

 なんて言い分だ。

 さっきまで誕生日のプレゼントとか言ってたくせに、今度は我儘ときた。

 その言い分の捻れ方に思わず苦笑してしまう。

 

「……何で笑うのさ」

「いや、可愛いなと思ってな」

「ばっ、馬鹿じゃないの」

 

 笑ったせいか、若干緊張が解れた。

 息を吐き、横たわる沙希に少しだけ近づくと、安普請のベッドが軋んだ。

 沙希はベッドに腰掛けたままの俺のその腕を引き寄せる。

 促されて、沙希の横に身を横たえる。添い寝の状態だ。

 枕に頬を沈めた沙希の潤んだ目が、月明かりを反射している。

 ああ、これは。

 こいつが甘える時の目だ。

 

「八幡……すき。あいしてる」

「いや、俺の方が愛してる」

「……ばか」

 

 沙希の手が、俺の手が、互いの背中に回される。

 夢中で口唇を吸い合い、肌を寄せ合い、触れ合う。

 その度に互いの鼓動がその隙間を埋めていき、想いは胸の中を埋める。

 温もり。幸せ。

 溢れた想いは手を伝い、互いの背中に流れ込む。

 欲しい。

 沙希のすべてが欲しい。

 想いの丈を、すべて注ぎ込みたい。

 自然と抱き締める腕に力が入る。それに呼応して沙希の指先が背中に食い込んでくる。

 もっと。

 もっとひとつに……。

 

「ねえ、八幡」

「ん?」

「生まれてくれて、ありがと。出会ってくれて、本当にありがとう……ね」

 

 お父様、お母様、小町。

 並びに川崎家および関係各位の皆様へ。

 今日、比企谷八幡と川崎沙希は──

 大人になります。

 

 

  * * *

 

 

 ──。

 ──あ。

 抱き合ったまま、見つめ合う。どうやら沙希も重要な事に気づいたらしい。

 

「ね、ねえ、そういえばさ……アレって、ある?」

「あ、アレって……アレか?」

「うん、アレ」

「勿論……無いな。今まで必要無かったからな」

「あ、でも今日なら大丈──」

「──いや、やっぱダメだ。ちゃんとしよう。お前の初めてなんだから」

「八幡……優しい。でも、ちょっといじわるっ」

 

 ──どうやら、もうしばらくお預けの様である。

 はあ、うまくいかねぇ。

 

 

 

 

 




千葉ラブストーリー番外編、京葉ラブストーリーをお読み頂き、誠にありがとうございます。

八幡め……そう簡単には遂げさせんよ。フヒッ。

──またお会い出来れば幸いです。







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