あたしは、弱くなってしまったのかもしれない。
泣くし、落ち込むし、寂しくなるし。
この夏、比企谷八幡と再会して……つ、付き合い始めてからだ。
八幡はすごく優しい。
一緒に買い物に行けば荷物を持ってくれるし、道を歩く時は当然の様に車道側を歩いてくれる。ドライブの最中に助手席でうとうとしてしまった時なんか「寝てていいぞ」なんて、ぶっきらぼうだけど優しい声を掛けてくれる。
それに、キ……キスの時も。
あと、初めてあいつに抱いてもらおうとした時も。
不器用だけど、色んな場面でさりげない優しさと誠実さを見せてくれる。
それが、あたしにとっての比企谷八幡。
もうちょっとくらい、乱暴に扱ってくれても気にしないのにね。
でも、会えない時。
ついついあたしは考えてしまう。
会いたい。声が聞きたい。口唇に触れたい。
駄目だ。
これは言ってはいけない我儘だ。この我儘はあいつを困らせてしまう。
だって、あいつは優しいから。
うっかり電話なんかして、会いたいなんて言ったりしたら……きっとあいつは、どんな手段を使ってでも会いに来てくれる。不意にあたしが会いに行っても、きっと自分の用事を後回しにして迎えてくれる。
だからあたしは、たった一回の電話ができないまま悩んでいる。
弱っちいな、あたし。
しっかりしな、川崎家の長女。
秋の夜長、自室で物思いに耽っていると突然スマートフォンが鳴った。
名前を確認する。
──比企谷、八幡。
あいつから電話を掛けてくることなんて滅多に無い。大概はメールが先に来る。
つまり……何かがあったのだ。
五秒、六秒と着信音が鳴り響く。深呼吸をして心を落ち着け、着信ボタンをタッチする。
「──もしもし、どうしたの急に。何かあった?」
不安で声が上ずってしまう。胸を押さえつけて動悸を鎮めようとするも、中々うまくいかない。
『いや、別に急用は無いんだが……その、声が、な』
やばっ。あたしの声が上ずってるのがバレてる!?
もっと普通に喋らなきゃ。
「ん? 声? あたしの声、なんか変?」
ばか。こんな質問しちゃったら、声がおかしいのを認めたことになっちゃうじゃないの。
本当に馬鹿だ、あたしって。
『そうじゃなくてだな、声……聞きたかった』
……え?
どういう、こと?
『め、迷惑、だったか?』
もしかして、何の用事でも無くて、ただ声を聞きたくて電話をくれたって、そういうこと?
何それ。
何だよそれ。嬉しいじゃんか。
ただの電話がこんなに嬉しいものだったなんて。こんなに安心出来るものだったなんて。
──またひとつ、八幡に幸せを貰っちゃった。
あ、あれ。
嬉しいのに、すっごく幸せなのに、勝手に涙が溢れてくる。
そういえば──八幡と再会して以来、あたしはよく泣いてる。もしかしたら京華よりも泣いてるかも。
京華に知られたら……笑われちゃうね。
『お、おい……何か言ってくれ』
電話の向こうに気づかれない様に鼻を啜る。余計な心配はさせちゃいけないからね。
「……ありがとう、嬉しい」
ようやく振り絞った言葉が自分の耳に響く。
あ。駄目。泣く。
泣いちゃう。
『は?』
きょとんとした声が、あたしに温もりを与えてくれる。
駄目だ。もう骨抜きになってるな、あたし。
もう止まんないや。
「だって、こんな風に電話くれたのって、初めてだから……」
スマートフォンを耳に当てたまま、泣き崩れてしまう。
『お、おいっ、どうした』
「なんでもない、なんでもない、うれしいのに……ごめんね」
嬉しいのに泣くなんて、またあいつを困らせちゃう。
「はぢまん……会いたい、会いたいよぉ……」
『──今、家か』
「……ゔん」
『一時間くらい待てるか』
「ダメ、待てない」
『待てねぇのかよ。瞬間移動とか出来ねぇぞ俺は』
「うっ、うるしゃいっ!」
『はいよ、悪かった』
「ゔん、ゆるす」
許すって、あたしったら何様のつもりなのさ。
でも、こんなあたしの言葉を受け止めてくれることが嬉しくて。でも、今隣に居ないのが切なくて。
この気持ちをどうやって言葉にしよう、なんて考えていると、電話の向こうから低い呟きが聞こえた。
『……やべえ』
「ん、どうしたの?」
何かあったの?
見えないから不安だよ。
もう……何であたしに超能力が無いんだろう。
もし超能力があったら、すぐにあいつのとこへ飛んでいって、それで──
『俺も……会いたくなった』
「──え」
会いたいって、あたしに……だよね。小町に会いたいとか云うオチじゃないよね。
『いや、声を聞ければ明日沙希が来るまで辛抱出来る予定だったんだが、どうやら駄目らしい』
「は、はちまんも、会いたいの?」
『ああ、瞬間移動出来ない自分を呪いたくなるくらいにはな』
思わず噴き出してしまう。
まさか、あたしと同じことを考えていたなんて。
胸の奥が熱くなる。
「なにそれ、ばっかじゃないの?」
『馬鹿は自覚済みだ。あと、お前が泣き虫なのもな』
軽口を軽口で返されて、それがすごく心地良くて。
思わず心が漏れてしまう。
「泣き虫……きらい?」
『そりゃ人によるな』
ほら出た。屁理屈だよ。
お得意の屁理屈が始まったよ。
その屁理屈に胸が弾んでしまうあたしも大概だな。
「あたしは?」
『……言わねえ。言ったらすぐに会いに行っちまう』
何それ。文脈を考えたらすぐにわかっちゃうのに。
素直じゃない八幡には、ちょっと意地悪してやろ。
「ふーん、あたしはこんなに好きなのに、言ってくれないんだ」
『そういうのは、あれだ。気軽にホイホイ言う言葉じゃないんだよ』
わかる。わかるよ。
どんなに美味しい料理も、食べ続けてたら有り難味が無くなるって言いたいんでしょ。
でもね、言いたいんだ。
伝えたいんだ。
聞きたいんだよ。
「……すき。大好き」
『ったく、言った側から連発しやがって』
予想通りの返答に、これ以上無いってくらいに楽しくなる。
こんな姿、弟や妹には見せられないな。
「いいの、言うの。好き、好き、すっごい好き」
『お、おう、ありがと……』
あ、八幡が根負けした。勝った。勝っちゃった。
ふふっ、可愛い。
電話の向こうで照れる顔が浮かんじゃった。
──はぁ、楽しかった。
心も何かすっきりしたし。
ふと窓の外を見ると、星空に半月が浮かんでいる。
あれって、下弦の月っていうのかな。
「ねえ……月、見える?」
『ああ、見える』
「良かった、同じ月が見られて」
星空に浮かんだ半月を見つめる。
同じ月を見てるなら、あいつの顔が月に小さく映らないかな。
無理か、無理だね。
『な、なあ、沙希』
「ん?」
月を見つめながら応える。
『月が……綺麗ですね』
そ、それって、夏目漱石の──あれ、だよね。
まったく。あたしがその話を知らなかったら意味わかんないじゃないの。
「……ばか、愛してる」
悔しいから素直に言ってやった。
* * *
朝が来た。
ここ何日かで一番の心地良い目覚めだ。
そして、今日は特別な日。
着替えを済ませてキッチンへ行く。朝ごはんを済ませたらすぐに出掛けなきゃいけないから、申し訳ないけど今日は簡単なおかずで許してもらおう。
鮭の切り身をグリルに突っ込んで、ボウルに玉子を割る。味噌汁用に作った出し汁と砂糖を混ぜて、いざ厚焼き玉子だ。
炊飯器が保温に切り替わってすぐ、大志が起きてきた。あんたが自分で早起きするなんて感心だね。
「おはよ、姉ちゃん……あれ、何かいい事あったの?」
「えっ、な、なんで!?」
「何でって、そんなに楽しそうに玉子焼き作ってたら嫌でも分かるって」
やばい。昨日の電話のせいで顔が緩んでたかな。
仕方ないよね。すっごく嬉しかったんだから。
「そ、そう、かな」
煮立った鍋に味噌を溶かしながら取り繕うと、大志は冷蔵庫から水のペットボトルを取り出した。
「あっ、そういえば夕べ誰かと電話してたよね」
ペットボトルの水をコップに注ぎながら、大志は意地悪な顔を向けてくる。その視線の直視に耐え切れなくなって、ふいと顔を逸らす。
「べ、別にいいでしょ」
「……お兄さん、か」
──あたしって、そんなに分かり易いのかな。
それとあんた、以前あいつをお兄さんって呼んで怒られたの、覚えてないの?
ま、そんなあいつをあたしは怒ったんだけどね。
だ、だって、あたしがあいつとそうなったら、そう呼んでもおかしくない訳で……。
「もうっ。朝ごはん出来たから早く食べちゃってよ。あたしは出掛けるんだから」
「……お兄さん、か」
あうぅ……。
覚えてなよ大志。
あんたに彼女が出来たら十倍返しで
その後、二十倍の祝福をしたげるけどさ。
お読み頂きまして誠にありがとうございます!
今回のお話、前半は前回の八幡との電話の沙希視点、後半は沙希の日常でした。
本当はですね、こういう穏やかなゆるい感じで書きたいのですが……ついつい波風を立てたくなるのは私の悪いクセです。
すぐエロくなるのも悪いクセw
また懲りずに読んでやってくださいましm(__)m