千葉ラブストーリー   作:エコー
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前回のあらすじ(ウソ)
都内某所に降臨した大天使トツカエルは、その笑顔をもって八幡に衝撃を与えた。

今回は、戸塚来訪の翌日のお話。


ドキドキしちゃう

 昨日の戸塚ショックが未だ尾を引く俺の目の前にトーストと目玉焼きとサラダ、そして練乳入りのコーヒーが並べられた。

 

「んー、ん」

 

 実はまだ寝起きである。顔を洗って多少マシになってはいるが、まだ頭はぼんやりしている。

 それに比べて沙希はすごいな。

 俺が目を覚ました時にはちゃんと着替えていて、尚且つ朝食まで用意してくれているのだから。

 こりゃいよいよ俺の専業主夫の座は危ういな。

 

 ぽやんとした頭で愚考をしながら朝食を終え、歯を磨くついでにもう一度洗顔。ちょっとは脳みそがマシな状態になったのを見計らってノートパソコンを開く。昨日聞いた戸塚の悩みを解決する手段、大学の転入について調べる為だ。

 沙希はといえば、キッチンで洗い物をしている。その沙希が用意してくれた二杯目のコーヒーを啜りながらキーを叩き、検索ワードを打ち込む。

 まずは教育学部の編入を受け入れている大学を調べるか。

 

 思いつくままに検索ワードを組み合わせて二年から編入出来る大学を探すも、中々に難しい。

 ちなみにうちの大学は、三年次からのみ編入を受け入れているらしい。要は、最初の二年は基礎課程、後半の二年が専門課程という意味合いなのだろう。

 あとは可能性があるとしたら体育大学だが、あの天使のような戸塚をガチムチ共の巣窟へと放り込むなんて、ピラニアの群れのど真ん中に材木座を放り込むようなものだ。

 もちろんこれは純度百パーセントの偏見に基づいた個人的な意見である。実際には女子生徒は多いだろうし、アスリート系女子というのも中々にそそるものはあるのは事実だ。ジャージに包まれた沙希の尻とか最高だし。

 

「どう? 戸塚の希望を叶えられる大学はありそう?」

 

 洗い物を終えたばかりの沙希が、エプロンで手を拭いながら横に座る。

 ところで沙希さん。そのエプロンさ、すごく胸の辺りが窮屈そうなんだけど。それってわざと小さなエプロンを着けてる訳じゃないよね?

 めちゃくちゃ目の毒なんですけど。

 ガン見したい気持ちを押さえつけ、早く普段のクールで利発な俺に戻らなければ。

 

「……いや、今のところは無い、な」

 

 うっ。チラ見してしまった。クールで利発な俺も、やはり乳トン先生の発見した万乳引力の法則には逆らえないらしい。

 特に童貞には効果は抜群だ。

 そのチラ見に気づいているのか否か、さらに沙希は乳、もとい身を寄せてくる。

 

「やっぱり、そう簡単には見つからないのかね」

「ま、まあな。そもそも編入を考える学生が少ないから、ネットにも大した情報が無いんだよ」

 

 それから、胸や尻の誘惑と死闘を繰り広げながら小一時間ほどネットの情報を調べてみたが、やはり結果は芳しくなかった。

 

「──明日、大学で聞いてみるか」

「そうだね、あたしも聞いてみるよ」

 

 さて、そうなるとだ。

 これからやる事がない。

 

 思えばである。沙希が部屋に来ると大体は部屋の中でまったりと過ごしている。

 超インドア派の俺は気楽で良いのだが、果たして沙希はそれで満足なのだろうか。

 ぼっちはぼっちでも、沙希は比較的行動派のぼっちだった筈だ。でなければ高校二年生でホテルのラウンジで朝まで働く暴挙はすまい。

 

「ちょっと、街に出るか」

「え?」

 

 沙希はハトが超電磁砲(レールガン)を喰らった様な顔を向けてくる。無理もない。凡そいつもの俺らしくない提案だしな。

 変に怪しまれても嫌だし、これは補足説明が必要か。

 

「あ、いや……お前さ、東京に来てもこの近所しか見てないだろ? せっかくだから、と思ったんだが」

 

 沙希は一瞬表情を明るくして、すぐに俺を窺い見る。

 

「い、いいの? あんた、無理してない?」

「無理してるかどうかは分からん。だけど、もうすぐ俺たちも大人だ。そういうのにも少しは慣れていかなきゃいけないだろ」

 

 詭弁だな。いや、そうでもないか。実際、必要最低限の社交性は身につけるべきだと思い始めていたし。

 

「ま、そりゃそうかもね。あたしも社交性は無いからね」

 

 沙希も同意見のようだ。

 

「だから、その訓練に付き合ってくれるか?」

 

 沙希に負担を感じさせない様に、屁理屈を混じえた尤もらしい理由を述べる。

 

「そ、そうだね。じゃあ着替えないとねっ」

 

 分かりやすいな、サキサキ。

 出掛けると決まった途端に、笑顔が二割増しで綻びやがった。この笑顔が見られただけでも、思い切って提案してみて良かった。

 

 * * *

 

 午前十時を少し回ったくらいである。

 沙希の着替えが終わったらしい。

 ちなみに沙希が俺の部屋で着替える時は、ユニットバスの脱衣所を使っている。

 前に冗談のつもりで「覗くぞ」と云ったら「いいけど、恥ずかしいからバレない様にね」と云われた。

 いや普通そこは断固拒否の台詞だろうが。こっちは拒否されるの前提で云ってんだよ。

 ぶっちゃけ、揶揄(からか)おうと思ったらしっぺ返しを食らっただけだったのだが。

 

「準備、終わったよ」

「おう、こっちも大丈夫だ」

 

 六畳間に戻ってきた沙希を見て、はっとする。

 一言で云えば、綺麗で格好良い。

 スキニージーンズと云うのだろうか、ぴったりとラインが出るジーンズに、上はデニム、いや色が薄いからダンガリーシャツかな、よく分からんけど。

 第三ボタンまで開けた胸元には、白いカットソーだかキャミソールだかがちらりと見えている。

 なんだこいつ。

 決して高い服を着てる訳じゃないのに、どうしてここまで格好良く着こなせるんだろう。

 つーか、スキニージーンズ最高っ!

 

「……なんでお尻ばっかり見てんのよ」

 

 げふん。

 だってさ、どうしても目がいくって。足のラインは綺麗だし、その上にあるその……臀部がだな、主張しすぎというか、丸くて柔らかそうで、思わず手が伸びるというか。

 うん。ちょっとだけ痴漢さんの気持ちが理解出来たかも。リスクを考えたら愚行でしかないけれど。

 それよりも、現在俺には可及的速やかに解明しなければならない謎がある。

 そう、これはただの探究心なのだ。

 

「お前……ちゃんとパンツ穿いてるか?」

 

 ──殴られた。素朴な疑問を投げかけただけなのに。まあ、ぺちんと額を叩かれただけで全然痛くないけれど。

 

「きょ、今日はラインが出ない下着なのっ」

 

 結局答えるんかい。

 覗いてもオッケーなのに下着の事を聞いたら殴られるって、どんな羞恥心だよ。

 

「み、見たいなら後で見せたげる」

「いやいやいや、それこそ訳分からんわっ」

「ふふっ、冗談だってば」

 

 あの、どうせならもっと分かりやすい冗談にして貰えますかね。こちとら童貞なんですけど。ドキドキしちゃうんですけど。

 つーかテンション高いなこいつ。まるで久しぶりにデパートに連れてってもらう小さな子供みたいだ。

 

「──で、何処か行きたいとこはあるか?」

「あ。全然考えてなかった」

 

 ……やっぱり子どもだ、こいつ。

 

  * * *

 

 街に出て、駅近くのパスタ屋で昼食を摂った俺たちは、ぶらぶらと歩く。まだ目的は何ら決まっていない。それでも沙希は上機嫌だ。

 時折ショーウインドゥを眺めたりしながら笑顔で歩調を合わせつつ、俺のパーカーの袖に絡みついてくる。

 そう、俺はパーカーなのである。洗練された印象の沙希とは真逆な俺の服装。

 歩道に並ぶ店先の大きなガラスに映る沙希と俺。

 釣り合いが取れていないのは、俺でも分かる。

 

「服、買うか……」

「ん? どしたの」

 

 不意に立ち止まった俺の顔を覗き込む、その沙希の表情に思わず見惚れる。

 

「いや、なんか、服の釣り合いが、な」

「あれ、あんたってそういう事気にする人だったっけ」

「いや、ここまで違うとさすがに気になるわ。部屋にいる時はそうでも無かったけど、街に出てくると……な」

 

 ふーん、と口角を上げながら逡巡した沙希は、頭上に電球が浮かんだ様な表情に変わった。

 いわゆる「あっ、ひらめいた」的な、あれだ。

 

「そうなんだ。じゃあ、今日はあんたの服を見よう。そうしよう、ね?」

 

 ……くっ、可愛い笑顔じゃねえかよ。

 

「お前は行きたい所はないのかよ」

「あたしはあんたと一緒なら何処でもいいよ」

 

 そういう事をさらっと云うんじゃない。未だに対応に困るんだから。

 そんな困惑を余所に、沙希はくいっと俺の腕を引っ張る。

 

「うん。よし、行こ」

「お、おい、予算は一万くらいしか無えぞ」

「そんだけあれば上等だよ。着回しが出来る服を二着くらい買えば、きっと見違えるよ」

 

 俺の腕をぐいと引っ張りながらも沙希の足取りは軽く、このままでは俺を引きずってスキップを始めちゃいそうな勢いである。

 つーか、沙希ってこんなキャラだっけ。

 

「ほら、何ぼさっとしてんの。行くよっ」

 

 ──うん。こんなキャラだった。

 

  * * *

 

 沙希に手を引かれて訪れたのは、駅近くの複合商業施設。

 沙希(いわ)く、このビルはセレクトショップが多くて、一度来てみたかったのだそうだ。

 一歩施設内に入ると、もう別世界である。

 

 最初に連れて来られたのは、若者向けらしき服屋である。若者である俺がこう云うのはお門違いなのであるが、ちらっと見えてしまった店内の若者たちのチャラチャラした格好を見ると、そう云わざるを得ない。

 つまり、俺にとって対極の存在が集う店なのだ。

 簡単に云うと、ギャップが半端ない。

 

「お、おい、本当にここに入るのかよ」

「まあね、ここじゃ見るだけで買わないけどね」

 

 入口での俺たちの遣り取りは、そこにいる店員の耳にも届いているだろう。そしてこの店員は、たった今「買わない」と宣言した俺たちにどんな対応をするのだろう。

 

「ほら、あっち見てみようよ」

 

 沙希は俺の腕に自分の腕を絡ませて奥へと導く。と、周囲の男共の視線が集中する。まず、誰が見ても様になっている沙希を見て、次に明らかに場違いな俺、の順番でだ。

 

「えっと、これと、これと……これかな。ちょっと試着させてください」

 

 既に沙希の手には数着の上着、シャツ、ズボンがある。

 試着をお願いされた店員は困惑していた。それも道理だ。なんせ(はな)から買わない旨を明言してるのだから。

 

「さ、これ着てみてよ」

 

 有無を言わさずに試着室に押し込まれた俺は、盛大な溜息と共に諦める。

 今日は元々沙希を楽しませる為の外出なのだから、と自分に言い聞かせて、渡された服を広げてみる。

 ──あれ、意外と普通だ。つーか、上着じゃなくてベストかよ。

 着替えていると、カーテンの外から声が聞こえる。

 

「ねぇ、どっから来たの?」

「あのさっきのダサい奴、まさか彼氏?」

 

 どうやら試着室の前で沙希が絡まれている様だ。

 急いで着替えてカーテンを開ける。

 

 ──!

 

 案の定、沙希の周りには三人の戸部モドキが付きまとっていた。

 そんな戸部モドキを気にもせず、試着室を出た俺に駆け寄る沙希。

 

「ん、いいね。やっぱりあんたスタイル良いよ。でも……こういう頭悪そうな服はあんまりパッとしないね」

 

 沙希の云う、頭の悪そうな服を着た戸部モドキ三人も、俺を見て固まっている。

 え、絶句する程似合ってないのか。沙希だけは褒めてくれたからいいけど。

 スマホのカメラで全身の写真を撮られて、一軒目は終了。

 

 次に沙希の目に止まったのは、先程の店よりも少し大人な雰囲気の服屋だ。

 中に入ると、海浜総合の意識高い系の輩が好みそうな服がずらりと並んでいる。

 沙希は前の店と同じく、服を三点ほど選んで試着を促す。この店の男性店員は、試着を快諾してくれた。

 俺はもう覚悟を決めていた。今日は沙希の着せ替え人形としての役目を全うしよう。

 腹を括ればやる事は決まっている。さっさと着替えて試着室を出るのみ。

 

「ん、これいいね。あんたにはこういう知的な感じの服が似合うね。どう、結構タイトな服を選んだけど、着てみて圧迫感とか無い?」

 

 パシャパシャとスマホのシャッター音を鳴らしながら沙希が問う。

 

「ああ、ちょっとズボンがきついかな」

「じゃあ下はシルエットが崩れない程度にルーズにしようか」

 

 ──こんな調子でこの後服屋を梯子(はしご)すること五件。太陽もいい具合に沈みかけている。

 ところで。

 さすがに疲れてきたぞ沙希さんや。あれだけ巡って何も買わないんじゃ、文句の一つも云いたくなるというものだ。

 

「おい、結局どの店でも買わなかったじゃねぇか。もしかしたら、この世には俺に似合う服は無いんじゃないか?」

「ううん、ほとんど全部似合ってたよ。買わなかったのは、予算の問題かな」

 

 予算一万じゃあ無理も無いか。すまんね、まだ夏休みのバイト代は残っているんだが、それはもう使い道が決まっているのだよ。

 

「じゃあ今日は買わずに帰るのか」

「買うよ、これから行くお店でね」

 

 沙希が最後に選んだ店は……俺の行きつけ、お求めやすいお値段のチェーン店だ。

 

「ごめんね、ここではちょっと時間かけるよ」

 

 そう云うと沙希は買い物カゴを手に取り、じっくりと商品を選び始めた。

 その真剣な眼差しは、なんでも鑑定してしまうテレビ番組の目利きの先生の様である。

 それでも二十分ほどである程度のアイテムが揃った様だ。

 

「とりあえず、これとこれ、あとこれね。着てみて」

 

 促されるまま試着室に入る。渡されたのは、白いカッターシャツと、若干細身のジーンズ、それにブレザーの様な紺のジャケット。

 うん。やはり安物は肌に合う。高い服なんか着たら歩くのにも気を遣いそうだ。

 試着室を出て、沙希に見せる。

 

「──うん。一つ目はこれでいいね。じゃあ次は、下はそのままで上だけこれに替えてみて」

 

 渡されたのはVネックのカットソーと、一軒目の店で着たのと同じ様なベストだ。

 云われた通りに再び試着室で着替えて出る。

 

「うん、これもありだね。じゃあ次はシャツをこっちに替えてみて」

 

 渡されたのはワイシャツ、では無いな。もしかして、これが噂のドレスシャツと云うヤツか?

 名も定かでないシャツに着替えて試着室を出た瞬間、沙希の顔が固まった。

 似合って……ないんだろうな。

 だが奇妙なことに、固まったままの沙希の顔は見る見る朱に染まってゆく。

 

「……いい! 惚れ直しちゃうよ」

 

 抱きつかんばかりの勢いで迫る沙希に戸惑う。

 

「いやこれ、似合うか? ドレスシャツなんて着慣れないからなぁ……」

「何云ってんのさ。高校の時に毎日着てたじゃないの」

「あれはワイシャツだろ」

 

 当然の様に答えると、沙希は二カッと笑った。

 

「ワイシャツもドレスシャツなんだよ。本当は襟とカフスがついたフォーマルなシャツの事なんだけどね」

 

 そういえば、初めて見たかもしれないな。

 ──沙希の本気のドヤ顔。

 

「そ、そうなのか……知らんかった」

 

 結局、ドレスシャツ二着、カットソーを二着、スエード革っぽいベストを一着、裾上げ不要の細身のジーンズを一本購入。

 しめて、八千円ちょい。

 ──すげえな、おい。これだけ買って、一万円札でお釣りが来たぞ。

 レジで会計を済ませると、沙希は店員に伝えた。

 

「すみませんが、試着室をお借りしていいですか。買った服に着替えたいので」

 

 は?

 俺、また着替えるの?

 

「ほら、許可はもらったから着替えておいで。一番最後のヤツにね」

 

 はあ……沙希の奴、超楽しそうじゃんかよ。テンション爆アゲじゃんかよ。

 まあいいか、俺も楽しくなかったと云えば嘘になるし。

 

  * * *

 

 最後の服屋を出た時には、もう空は暗かった。

 俺は買ったばかりの服に身を包み、沙希と並んで歩いている。

 ショーウインドウの大きなガラスに映る二人の服装には、然程違和感は感じられない。

 でもちょっとだけ恥ずかしいかも。こんな格好したの初めてだし。

 こ、こんな格好を見せるのは……沙希の前だけなんだからねっ。

 脳内妄想で遊びながら歩を進めていると、沙希の熱視線を感じた。

 

「ありがとうね。今日はすっごく楽しかったよ」

「いや、お礼を云うのは俺だろ。結局俺の買い物しかしてないし」

「いいの。今日はあんたの色んな格好良い姿を見られたから」

「……照れ臭せぇよ」

「うん。顔見れば分かる」

 

 うっせぇ。お前だって顔赤いじゃねえかよ。

 都会の片隅で赤ら顔の男女。酔っ払いかよって話だ。

 

「あっ、もう一軒だけ寄っても……いいかな」

「おう、ここまできたらとことん付き合うわ」

「ありがと。じゃあ、ここね」

 

 沙希が指差したのは……眼鏡屋?

 

「レポートや論文でパソコン使う機会が増えてるでしょ。だから、その、あの……」

「ああ、ブルーライトカットの眼鏡か」

「うん。それ」

 

 何故に顔を赤らめるのですかねぇ。何か企んでおられるのでしょうか。

 

 店内に入ると、当然の事ながら色んな眼鏡が並んでいる。

 その中の一角、PCメガネのコーナーへ行く。

 そう云えば、前にもこんな事あったな。

 黒歴史ではない、数少ない良い思い出を懐かしみつつ、ブルーライトカットの眼鏡を物色する。

 

「ね、これかけてみて」

 

 いつの間に選んだのか、沙希の手には黒縁の角張った眼鏡があった。

 それを手に取り、掛けてみる。

 

「……!」

 

 おい、掛けさせといて感想も無しかいっ。

 と突っ込んでやろうと沙希を見ると、俺の顔を見つめたまま頬を朱に染めていた。

 

「どうした、沙希」

「あ、え、はっ!?」

「お前、ぼーっとしてたぞ」

「う、うん、ちょっと……ね」

「変な奴だな」

「そ、それ、貸して!」

 

 云うと同時に、沙希は俺の顔から眼鏡を剥ぎ取って走って行った。

 ったく。何なんだ。

 さて、仕方ないから沙希が戻るまでの暇つぶしに他の眼鏡でも物色するか。

 沙希にはどんなのが似合うかな。銀縁は違うな、丸いのもなんか違う。

 と、気がつくと沙希が小走りで寄ってきた。

 

「い、行こう。お腹空いちゃった」

 

 ──こいつ。やっぱり変だ。

 

  * * *

 

 地下鉄の駅を出て、アパートに向かう。

 その途中、沙希はちらちらと俺を窺っている様に見えた。アパートに着いても同様だ。何かの機会を窺っている様な、そんな違和感が沙希から感じられる。

 時計は夜の九時を回っていた。

 そういや、沙希はまだ帰らなくても大丈夫なのだろうか。いつもなら日曜の夕方には帰るのに。

 

「沙希、あの……」

「ひゃ、ふぁい」

 

 あ、こいつ噛んだ。何か言おうとして噛んだな。

 

「時間、大丈夫なのか」

 

 ちらっと時計を見た沙希は、途端にそわそわし出す。バッグの中に手を突っ込んでは溜息を吐いたり、ぱっと顔を上げたと思ったら俯いたり。

 

「何か、あるのか?」

「う、うん……あの」

 

 沙希がバッグの中から手を引き抜く。その手には、綺麗にラッピングされた小さな箱がある。

 

「あの、これ。良かったら……使って」

 

 促されて包装紙を開く。

 出てきたのは、艶のある白い箱。

 開けると、そこにはさっき眼鏡屋で掛けさせられたPCメガネが入っていた。

 

「これ、買ったのか」

「う、うん。最近パソコン使う機会が多いみたいだし、その、似合ってた、から……」

 

 顔を真っ赤にしながら俯き加減で口ごもる沙希に、胸の奥が熾火の如く熱を持つ。

 

「提出物にパソコン使うのはお前も同じだろ。自分用のは買ったのか?」

 

「……笑わない?」

「内容による」

「じゃあ、言わない」

「イントロだけ匂わせといて途中でやめるなよ。夢見が悪くなるじゃねぇか」

「でも、笑うんでしょ」

「笑わない、多分。きっと」

 

 赤い顔のままの沙希がバッグから出したのは、俺の目の前にあるのと同じデザインの、琥珀色の枠をしたPCメガネだった。

 

「……可笑しいでしょ、あたしがペ、ペアルックに憧れてた、なんて」

 

『ペアルック』

 リア充の間で語り継がれる伝説の一対の聖衣(クロス)の名称。

 それを着用せし男女は時空を歪め、あらゆる場面に於いて「つがい」であることを主張すると云う。

 ルックとはルーク(狼を表すギリシャ語)の方言の一つとされ、その源流は古代ギリシャ時代まで遡ることができる。

 一説には、二体存在した双子座の黄金聖衣が発祥とも云われるが、この説は定かでは無い。

 因みに、猫の飼い主が猫耳を着用する行為も、その派生である。

 ※民明書房刊『ペアルックと古代ギリシャ文明』

 

 ──ふっ、またつまらぬ妄想をしてしまったぜ。

 

 と、それは置いといて。

 

 まさか沙希がペアルックなんて乙女な願望を持っていたなんて、予想だにしなかった。

 しかも、服やアクセサリーなどの常時身につける物ではなく、PCメガネという或る条件下でしか使用しない物をお揃いにするとは。

 やべぇ。健気(けなげ)過ぎるよサキサキ。

 沙希の、沙希らしからぬ乙女な行動の可愛らしさに、思わず噴き出してしまった。

 

「……ほら、やっぱり笑った。悪かったね、似合わないことしちゃって」

「いや、今の笑いはそういう意味じゃない」

「じゃあ、どういう意味?」

「単純に……か、可愛いと思ったというか、沙希の意外な一面を見れて、嬉しかったというか」

 

 感情を上手く伝えられない自分がもどかしい。

 

「……はち、まん」

 

 あ、伝わったらしい。

 その証拠に、肩に擦り寄ってくる沙希の目は、すっかり甘えるモードに突入していた。

 瞳を潤ませる沙希を迎え入れ、ポニーテールの毛束を指で梳く。

 

「ありがとな。大事に使わせてもらうわ」

「うん」

「あと、服も選んでくれてありがとな。助かった」

「うん」

「あと……」

「……あと、なぁに?」

「言わねえ」

「……けち」

 

 互いに身を寄せ合って体温を感じながらの遣り取りを続けていると、不意に沙希が俺を覗き込んだ。つまり上目遣いである。

 至近距離での沙希の上目遣いは、相変わらず抜群の破壊力だ。

 

「もう一つ、お願いがあるの」

「なんだ。ギャリック砲とか撃てねえぞ」

 

 動揺を隠す為に適当な事を云って誤魔化す。そうでもしなけりゃ理性が保てん。

 どうやら「理性の化物」と評された俺は、既に過去の遺物らしい。

 

「ふふっ、あんたトマト嫌いだもんね」

 

 なんでトマトの話?

 まさかギャリック砲を撃つ野菜王子とかけてるのか。

 もしそうだとしたら、超分かりづらいぞ。

 

「あんま関係ねぇぞ、それ」

 

 そういえばイタリアだか何処だかに、トマトを投げつけ合う祭りがあったな。超怖え。口に入ったら地獄だろ。

 などと愚考に妄想をミクスチャーしていると、眼前に迫る沙希の口角が上がって見えた。

 

「まあ、いいや。勝手にやっちゃうんだから」

 

 妖しい空気を纏いながら、膝歩きでじりじりと距離を詰める沙希。後ずさりの結果、座卓の淵で背中を打つ俺。

 

「さあ、観念しな」

「こわっ、怖ぇって」

 

 沙希との距離、およそ三十センチ、二十、十……あ。

 

「大丈夫……大人しくしてれば、すぐ終わるから」

 

 え。え。なに。

 何をされるの? 予防接種?

 まさか……夜のお注射!?

 

 沙希の冷たい手が、俺の頬を下から上へと撫でる。その蠱惑的な仕草に背筋がひくんと痙攣(けいれん)を起こす。

 

「い、いや……だから何をするつもりなんだよ。まず主旨を云え主旨を」

 

 沙希の指先は、顎の輪郭をなぞり終えると口唇にそっと押し当てられた。

 

「云ったらあんた、嫌がるでしょ」

「だからそれは内容による──あふっ」

 

 正面から迫る沙希の両手は、緊張で無防備になった俺の脇をすり抜けて背中を這う。

 

「よ、よせ。まだ時期尚早だから……」

「だーめ。今じゃなきゃだめなの。ほら、両腕を上げて」

 

 そ、そんな。このまま両腕を上げてしまったら……どうなるんだ?

 

「ほら、背筋を伸ばして。ちゃんと測れないじゃないの」

 

 キリキリキリと音を立てるのは、沙希の左手に握られた──メジャー。

 

「ん、胸囲は八十五っと」

 

 は、はあ!?

 

「──てめえ、揶揄(からか)いやがったな」

「ふふっ、ちょっと調子に乗り過ぎちゃったかな」

 

 ──紛らわしい。

 うっかり貞操を捧げる覚悟を決めるとこだったじゃねぇかよっ。

 しかし、嫌かと問われれば全然嫌ではない。むしろかなりのご褒美でしたよ。

 でもね沙希さん、今のは童貞相手には過激過ぎますぜ。

 

「じゃあ次は肩幅ね」

 

 この後、ウエストや腕の長さ、腕の太さまで計測された。

 何なんだ、一体。

 

 

 

 




御無沙汰しております。
そして。お読み頂きまして誠にありがとうございます!

そういえば、最近八幡と沙希は外でデートしてないなぁ……
と気づいて書いたお話でした。
誤字脱字、感想批評、評価などいただけたら幸いです。

ではまた次回、この場所でお会いしましょう☆







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