千葉ラブストーリー   作:エコー

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川崎沙希の運転する車で訪れたのは、夜の海。
そこで二人は、お互いの歪みを見せ合う。

そんな、第3話。


もしも願いが叶うなら

 時刻は夜の十時。

 夜の東京湾は静かで、波も穏やかだ。

 辺りには他に車は無く、たまに遠くで右折だか左折だかのヘッドライトがちらっと光るのみ。

 つまり人気は皆無、貸し切り状態である。

 

 車の窓を開けた瞬間、海風に乗ってやってくる潮以外の匂いは、きっと京葉工業地域の皆さんが夜通し頑張っている証なのだろう。

 そうであると願って、すぐに窓を閉める。

 

 ふと視線を右に向ける。運転席の川崎沙希はフロントガラス越しに海を眺めている。

 車内の灯りは少なく、いかにも川崎らしいシンプルさを感じさせる。と云っても実際は川崎のお母さんの車らしいのだが。

 それでもメーターパネルの放つ弱い光が、不規則に色を変えるカーステレオの灯りが、遠く湾の対岸を眺める川崎の表情を浮き彫りにする。

 

 ……つーかさ。

 なんで俺、川崎と夜景なんか見てんの?

 まあさ、これは川崎の家の車で運転手は川崎な訳だから、俺に行き先を決める権利は無いとは思うよ。

 でもさ、なんつーか、その、雰囲気よすぎじゃね?

 まるでカップルみたい。

 平塚先生でいう処の「アベック」みたい。

 

「最近さ……たまにだけど、ここに来るんだ」

 

 ほーん、なるほど。

 ここは川崎にとっては自分だけの穴場スポットって訳だ。

 確かに良い場所ではある。

 夜の海ってのは、見ていると不思議と心が穏やかになるし、何よりも東京湾の向こうにひしめき合う小さな光の集合体は、遠目ながらも輝きが溢れている。

 

 川崎は、この景色を見せたかったのだろうか。

 

「ここからだと、遠くにあんたの住む街が見える気がするんだ」

 

 ……へ、へぇー。

 そおなんだぁ。

 まあ確かに、俺が住むアパートは正面の方角なんだけど。

 というか、だよ。

 

「ここに来て、今あんたは何をしてるんだろう、何を見てるんだろう、って」

 

 川崎って……。

 この一週間の俺とそっくりじゃん。ストーカー気質たっぷりじゃん。

 って、笑えねぇ。

 女子が言えば、ともするとロマンチックに聞こえもする。

 が、同じことをこの俺がしてるとバレたら即通報され、民事と刑事のダブル訴訟の末に檻の中で負債を抱え込みかねん。

 ぜひ賠償金はローンでお願いしたい。

 あ、弁護士は葉山の親以外で。

 

「重い……よね。気持ち悪かったら云って。やめるからさ」

「い、いや。別にいいんじゃねえか。誰にも迷惑は掛けてないんだし」

 

 うん。俺もそういう事考えたことあるしね。何ならこの一週間、ずっとそんな調子だったし。

 だから俺のことも許して欲しいっス。

 

「あの、さ」

 

 川崎の声音が変わった。上ずったようなアクセントに脈が跳ねる。

 

「ちゃんとして無かったじゃん、あの日は」

 

 な、何だよ。

 何をちゃんとして無かったって言うんだよ。

 まさか……避妊か?

 そうなのか?

 でもでも、キスだけで子供が出来るなんて聞いたことないぞ。

 ま、まさか、一日に四回以上キスしたら妊娠の可能性も……あるのか?

 

 って、無いですね、はい。

 子供ってのは、おちんちーーゲフンゲフンっ。コウノトリさんが運んできたり、キャベツ畑から生まれたりするんですよね、欧米では。

 おっと、愚考が過ぎた。つーかそうでもしないと緊張で吐きそうだ。

 

「だから、言わせて」

 

 声のトーンが一段落ちる。

 遠くの車のヘッドライトが一瞬だけ川崎の顔を、髪を、口唇を照らす。

 

「あたしは、二年前からあんたが好き。だから、出来たら……一緒にいて欲しい」

 

 確かに、あの日はお互いそういう言葉は口にしてなかった。つーか、それどころじゃ無かった。

 川崎の家で身を寄せ合っている時は心臓爆発寸前だったし、実家に戻ってからは終始ふわふわしてたし。

 

 川崎のやりたい事は解る。俺も同じだ。

 区切りというか、やはり物事は明確にしておくべきだ。

 だが。

 答えを告げる前に、こいつには話しておかなければならないことがある。

 これは完全に俺の我儘。単に俺が筋道を通したいだけの話。

 

「じゃあ今度は俺の番だな」

「へ、返事……は?」

「まずは俺の話を聞いてくれ。返事は……それからする」

 

  * * *

 

 俺は語る。

 この一週間で考えたこと、思ったこと、感じたこと。その全てをなるべく細大漏らさずに話す。

 

 話す度に川崎の表情は変化した。

 微笑んだり、俯いたり、睨んできたり。

 しかし、俺が話し終えた後の表情はひとつだった。

 その表情に名前を付けるとしたら「哀しみ」なのだろうか。

 

 短い沈黙の後、川崎の口から発せられた言葉は、その表情とは不釣り合いのものだった。

 

「ーーありがとう」

「……は?」

「どうしたのさ。なんか変、だった?」

 

 はい、変でしたよ川崎さん。だってね、

 

「 今、結構ひどいこと言ったぞ俺」

 

 俺が言った「ひどいこと」。

 それは、この一週間の間で一番懸念していたこと。

 川崎の気持ちと、俺の気持ちの大きさの違いだ。

 ぶっちゃけ俺は、川崎に想われるのと同等の量の気持ちを抱いている自信がない。

 川崎と俺の天秤は、均衡が保たれていないのだ。

 

「でもあんたは、あたしの為に一週間も真剣に考えてくれたんでしょ。それは素直に嬉しいよ。それに」

 

 川崎の潤んだ瞳に反射するカーステレオの光が、俺の視線を捕らえて離さない。

 

「あたしは、あんたが少しでも好きでいてくれればそれでいい。あんたがあたしを5パーセントしか好きじゃなくても、あたしが残りの95パーセントになる。そうすれば……100パーセントになるでしょ」

 

 そういう事じゃないだろ。

 自慢じゃないが俺はこういう事態に役立つスキルは持ち合わせていない。

 だけど、恋愛ではそういう単純な足し算が通用するかどうかくらいは数学と恋愛が苦手な俺にも解る。

 

 かつて、恩師平塚先生は云った。

 計算して計算して、それでも計算し尽くせなくて残ったもの。

 それが「心」だと。

 

 故に。

 

「お前のその論理は受け入れられない。却下だ。だが、その上でーー」

 

 川崎の表情が重くなる。ああ、この顔は、きっと怯えている顔だ。

 否定されるのを恐れる顔だ。

 

 咳払いをひとつ。マッカンを一口。

 喉を万全の態勢に整える。

 

「ーーひとつ、頼み、いや、お願いがある」

 

 助手席で身を捩り、事態の把握出来ていないであろう川崎になるべく身体を正対させて、頭を垂れる。

 

「少しでいい。お前の中に、俺の居場所をくれ。いや、ください」

 

 空気が固まった。

 

 川崎も固まっているのだろう。

 そりゃそうだよな。言ってる俺だって抽象的過ぎて訳わかんねぇんだから。

 だけど。

 思ってしまった。口に出してしまった。

 こんなのはお願いでも何でもない。ただの期待の押し付けだ。

 居場所を提供してくれれば受け入れますよ、という、上から目線の傲慢で浅ましい保身でしかない。

 それでも、俺は、こいつの胸の中の一区画だけでも独占したかった。

 

 そうじゃないと、幸せという不安に押し潰されそうだったから。

 

 人を好きになる。

 俺は今までその行為を避けてきた。

 理由は簡単。失いたくないからである。

 失いたくないものは、最初から望まなければいい。

 手に入らなければ、最初から手許に無ければ、失うことも無い。

 故に俺は人を好きになることを愚かなことと決めつけていた。

 失う為に求める、愚者の選択だと。

 

 だが今俺が突き付けた願いは、それよりも愚かな行為なのだろう。

 何せ、確証が欲しいだけなのだ。

 手に入れてもいない事柄に対して保証だけを先に欲しがる。

 浅ましく意地汚い、小心者の選択だ。

 

 恐る恐る頭を上げる。

 視線がぶつかる。

 その瞬間、弾けたように川崎は笑い出した。

 

「……あー、おっかしい。なにそれ」

「多分、俺の本心、だと思う」

 

 たどたどしく応えると、またしても笑い出した。

 

「ふーん。じゃあ、あたしからもお願い」

「え、返事は?」

「あんただって、まだ返事くれないじゃない」

 

 おお、なんて鮮やかな意趣返し。いや、この場合は、しっぺ返しか。

 ま、とりあえず覚悟だけはしておこう。傷を最小限に留めるために。

 

「あんた……あなたを、あたしの居場所にしてください」

「……はい?」

 

 えーと、川崎の中に俺の居場所を与えてくれる代わりに、俺を川崎の居場所にしろ、と。

 どういうことだ?

 

 地主から借りた土地にアパートを建てた家主に地主が住まわせてくれと頼む感じか?

 違うな。

 地主を甲、家主を乙として、甲は乙に甲の土地を貸すという貸借契約を為し、乙は甲に乙のーー

 

 あー、余計にわからん。

 

「つまりそれは、どおゆうことなん?」

「簡単な話さ。お互いがお互いの居場所になればいいんだよ。ま、元々あたしの心にはあんたが住み着いてるけどね。約二年ほど無断で」

 

 何それ。不法占拠になっちゃうの?

 心の不法占拠って、なんだか甘ったるい響きだよね。

 つーか、二年分の家賃滞納かよ。よく追い出されなかったな、俺。

 

 それはそれとして。

 

「えーと、結果的にはそれは……」

「あー、ほらっ。あんたが小難しい言い回しばっかり使うから話がややこしくなるんだよ。あたしも経験無いけど、もっとシンプルでいいんだよ」

 

 さすがサキサキ、頼れる長女だ。大志もきっと、こんな風に夜な夜な説教されてるんだろうな。

 夜の説教か……。

 くそっ、けしからん。

 

 おっと、いかんいかん。

 弟に嫉妬してる場合じゃなかった。

 こんな時はまずは謝罪からだ。俺の経験上、謝っておけばまず間違いは無い。

 

「す、すいません」

「ん。素直でよろしい。じゃあ簡単な言葉に言い換えてあげる」

 

 川崎の顔が近づく。

 口唇を奪われるかと、身体が強張る。

 だが、川崎の口唇は俺の頬を掠めて耳元で止まった。

 

「愛してるぜ、八幡」

 

 川崎の両腕が、俺の背中に回される。俺も抱きしめ返すべきなのかと迷うが、胸に当たっている豊かな二つの膨らみが俺の思考を麻痺させる。

 

 結果。

 

「お、俺も愛しちぇる」

 

 噛んだ。噛んでしまった。

 一世一代の告白で噛むなんて。

 ーー俺のアホ。

 

  * * *

 

 世にも恥ずかしい儀式を済ませた俺たちは、互いにフロントガラスの向こうに広がる東京湾を見ていた。

 

 互いの顔?

 そんなもん恥ずかしくて見れるかよ。

 

「ねえ、さっきのだけど。なんで受け入れられないって言ったの? あたしが95パーセントじゃ嫌?」

 

 なんだ、まだパーセントがどうとかの話を気にしてるのかよ。

 

 だったら答えてやろうじゃないの。

 今度は噛まないように、慎重にね。

 

「お前さ、100パーセントにこだわり過ぎなんだよ」

「は? どういうこと?」

 

 俺は先程の失態を挽回すべく、ここぞとばかりに精一杯のキメ顔を作る。

 

「別に……二人合わせて100パーセントを超えたって、いいだろ」

「ーーぷっ」

 

 結果、失笑。

 初の彼氏ヅラは敢えなく東京湾の藻屑と消えた。

 

 うーん、恋愛って難しい。

 

 




お読みいただき、誠にありがとうございます。

注釈というか、誤解の無いように少々説明させていただきます。

この回の中で、八幡は大きな勘違いをしています。
「失う為に求める」
彼は、これが間違いであることに気づいていません。そして間違いであることに気づかないまま、否定しました。
それは、彼が恋愛に不慣れが故の間違いです。

次回から少しずつ物語が動き出します。まだ書いていませんがw

感想、批評、評価などいただけたら嬉しいです。
では引き続きよろしくお願いします。

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