千葉ラブストーリー   作:エコー

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川崎沙希と交際を始めた比企谷八幡。
彼は心境の変化を迎える。

第4話、スタァァトゥ!



変化

 ようやく川崎の連絡先を手に入れ、実家に帰ったのは深夜三時過ぎ。何ならあと一時間もすれば空は白んでくるので早朝とも云える。

 つまり、プチ朝帰りな訳だ。

 

 失態と屁理屈に塗れた回りくどい告白の後、俺たちは車の中で互いに身を寄せたまま、何をするでも無く静かに時を過ごした。

 

 うん。嘘。

 

 本当はめっちゃキスした。手も繋ぎっぱなし。

 沈黙の中で互いの視線が絡み合う度に、引力が働くように幾度も口唇を重ねた。

 そりゃもう、口唇も脳も蕩けちゃうくらいに。

 実際、車内の僅かな光に浮かぶ川崎の表情は緩み切っていて、危機感が足りないぞと言いたくなるくらいに無警戒だった。

 

 余談だが、川崎曰く俺の口内はマッカンの味がしたらしい。

 何それ、甘すぎる。

 

  * * *

 

 川崎に実家まで送ってもらった俺は、皆を起こさないように自室に忍び込み、息を潜めて悶々と過ごして朝を迎えた。

 

 音が立たない程度にベッドの上で足をバタバタさせて悶絶していると、両親が玄関を出る音が聞こえた。その一時間ほど後に小町がどたどたと階段を昇り降りした。

 夏休みだっていうのに元気な奴め。

 

 どたどたがピタリと止まり、部屋の扉が勢いよく開く。

 差し込む朝日に照らされて、目を光らせた小町がニヤリと笑って立っていた。

 

「さあて、そろそろ聞かせてもらおうかなっ」

 

 朝のテンションじゃないなこれ。まさか、ずっと起きてたのか。

 ズカズカと俺の部屋に踏み込んだ小町は、ベッドの枕元からスタンドライトを掴んでオン。その光源を俺に向ける。

 うぜぇ。あと眩しい。目が痛い。

 

「容疑者お兄ちゃん、洗いざらい吐くのですっ」

「な、何のことでしょう」

 

 小町が人差し指を天井に向けて立てる。その指先は少しずつ倒されて、びしっと音が鳴るかと思う勢いで俺に向けられた。

 

「夕べはどこにお出かけしてたのかな?」

 

 小町の言葉が呼び水となり、昨夜の出来事がフラッシュバックする。思わず体温があがり、紅潮しているであろう顔面を見られないように、ぷいと顔を背ける。

 しばらく横を向いていると、スタンドライトが回り込んできて白熱球が顔の正面に当てられる。

 いやこれ以外と熱いからね。

 ーーあ、だから顔が熱いんだ。

 納得の「な」でございます。

 うん、古いな。誰も知らんだろうな。

 

「さ、散歩だよ」

 

 いつの間にか用意されていたバインダーに、小町がふむふむと頷きながらペンを走らせる。

 え、マジの事情聴取なのん?

 だったら黙秘権くらいはあるはずだよね。

 ここは平和憲法の国だもの。

 

「へえー、じゃあ質問を変えるね。誰と、何処に、誰の車で行ってたの?」

 

 えー、もうほとんどバレてるじゃん。ただの穴埋め問題じゃん。

 だか、まだまだ諦めない。兄としての矜恃は譲れんぞ。

 

「黙秘します」

 

 早速黙秘権を行使しようとした俺に、小町はノンノンノンと立てた人差し指を左右に揺らす。

 

「小町の取り調べには黙秘権は無いのです。さあ、さあさあっ」

 

 これまたいつの間に用意したのか、でかい虫眼鏡で俺の顔面を覗き込みながら詰め寄ってくる。

 

 だが、そうはさせんっ!

 俺は黙秘を貫くのだ。

 

 沈黙を続ける中、虫眼鏡に集められた白熱球の光が頬の一点に集中しーー。

 

「ーー熱ちぃっ!」

 

 小町がニヤリと嗤った。

 やだこの子、ちょっと見ない間にドSに目覚めちゃったのかしら。

 

「ふう、じゃあもう一度質問を変えます。大志くんのお姉さんと、どこまでいったの?」

 

 うげっ、やっぱ知ってやがった。

 小町イヤーは地獄耳かよ。

 

「稲毛の、ちょっと先まで」

 

 俺の地理的な回答に深く溜息を吐いた目の前のドSな妹は、バインダーで頭を叩いてくる。

 

「だぁーもう、そんなことを聞いてるんじゃないの。Aとかキスとかベーゼとか、そっち方面の話だよっ」

 

 わわっ、こいつ何云っちゃってるのさ。

 

「もう勘弁してくださいよー、エロ刑事さんっ」

 

 嗚呼、お父様お母様。

 我らが愛する小町が、ついに性に関心を持ち始めましたよ。

 

 つーか、Aもキスも同じ意味だろ。今どきAとか言わねえし。

 あと、ベーゼってあれか。ほ、抱擁か。

 

 ……うん。全部したな。

 などとは口が裂けても言えない。俺は小町の前では高潔なお兄ちゃんでいなければならなーー。

 

「ベロチューした?」

 

 ーーおうふ。

 すぐさま顔を逸らす。

 

「……したんだね」

 

 愛する妹のジト目と迫力に完敗して顔を伏せる。

 何このプレイ。

 この先、川崎との♂♀♬とか△♀∀なんかを逐一小町に報告せねばなんねーの?

 つーか、♂♀♬とか△♀∀って何だよ。

 ……伏せ字だよ。

 

 気がつくと小町は、ニヤニヤと口角を上げて悪い笑いを浮かべている。

 

「つーか小町、誰から聞いたんだよ」

「ふっふっふ、情報源は平つ……ヒミツなのです」

 

 いま平塚先生って言いかけたよね。「ひらつ」まで発音したよね。

 あんの独身アラサー行き遅れ教師め。一瞬でも恩師だと思った自分を呪ってやりたい。

 

「ま、迷えるチキンのお兄ちゃんのことだから、大志くんのお姉さんに押し切られたんだろうけど」

 

 うぐっ。我が妹ながらなんて分析力だ。

 てか迷えるチキンってなんだ。略して「まよチキ」か。偶然だな。

 

 小町が云うにはーー

 帰郷初日の俺の様子で何かがあったらしいことくらいは予想がついていたらしい。

 そこへ平塚先生という名の匿名希望の情報屋から、川崎と俺が一緒に歩いていたという目撃情報が舞い込んだ。

 大志経由で川崎の拗らせまくった気持ちを聞いていた小町は、すぐに俺にちょっかいを出す気でいたのだが、それは平塚先生に制止されたという。

 兄の幸せを願うなら見守ってやれと。

 

 なんだよやっぱ恩師かよ。紛らわしい。

 JAROに言いつけてやる。

 

 この後俺は、全てを白状させられた。

 話の途中、小町は終始真っ赤な顔で、時折身をくねらせていた。

 

「……ふう、ご馳走さまでした」

 

 話を聞き終え、耳まで真っ赤に染めた小町の第一声である。

 恥ずかしい体験談を詳らかに話してしまった俺には「お粗末さまでした」と返す余裕も無い。

 

 ふと、小町のテンションが戻る。いつの間にかスタンドライトも消灯されている。

 

「結衣さんや雪乃さんには……内緒にしとくの?」

「別に隠す必要はないけど、報告する義務も無いだろ。しばらく放置だ」

 

 俺の腐った目をじっと見つめた小町は、腕を組んで瞑目を始める。

 ん〜〜と、長々と唸ったと思ったら、突然ぽんっと可愛い膝頭を叩いた。

 

「ーーわかった。お兄ちゃんがそういうなら、そうする。でも、いつかちゃんと話してあげなよ」

「ああ、そのうちな」

 

 その機会があるかは解らないけどね。

 

  * * *

 

 昼間は川崎のバイトが休みの時に会い、図書館やブックカフェに籠ったり、時々川崎の買い物に付き合う。

 それ以外は毎晩あの公園で川崎と会う。

 

 川崎と過ごす時間は、居心地が良い。

 決して長い付き合いではないのだが、気心が知れていると思えているのか、苦にならない。

 戸塚から連絡を貰った際に、ちょっとだけ川崎と戸塚の「両手に花」を目論んだのだが、やんわりと戸塚に固辞された。

 あの時の俺は落ち込んだ。川崎には生温かい目を向けられた。

 

 経験の無い者同士の交際は、手探りながらも順調に思える。といっても、まだ十日そこそこか。

 ただ、ふと川崎の目が潤んでいたりすると、忽ち心臓が踊り始めてしまう。

 十日プラス一日の経験上、そういう時の川崎は肉体的接触を求めていることが多いのだ。

 平たく云えば、キスを求めている目である。

 

 そんな逢瀬を重ねながら七月は過ぎた。

 

  * * *

 

 八月に入って、俺はバイトを始めることにした。川崎と一緒に過ごす為の資金が欲しかった。

 理由を含めて川崎に話したら「そんなのいいよ」と笑っていたけど、やはり一緒に美味いもの(特にラーメン)を食べに行きたいし、いつも川崎の家の車にお世話になりっぱなしでは申し訳ない。

 食事代や燃料代くらい俺が出さなければ心苦しいのだ。

 

 俺の思考は川崎沙希を軸に回り始めていた。

 

 一応有名私立の大学に通う俺が選んだバイトは中学生相手の家庭教師だ。求人を見てすぐ連絡を入れ、面接の約束を取りつける。

 面接の結果は、採用だった。大学名が功を奏したか。

 何にしてもだ、理系が苦手な俺を受け入れてくれて、夏休みのみの短期でも雇ってくれたのはありがたい。

 

 面接の後、早速何枚かのの紙を見せられた。

 氏名、志望高校名、主要五教科の点数などが書かれた生徒の個票だ。

 

 並べた個票を眺める。

 まず、女子は却下だ。

 川崎に義理立てするとかでは無いが、やはりリスク管理は必要だろう。

 俺はロリコンでは無いが、間違いが起こり得る状況を作らないことが大事だ。

 よって、まず三枚の個票は端に除けておく。

 目の前に残るは男子の個票は二枚。

 一人は軒並み平均点以下。もう一人は理系の点数がずば抜けていて、文系は平均点くらい。

 俺はその二枚の個票を差し出して、この二人のどちらでも良い旨を伝える。

 

 あくる日、ちょうど川崎と昼メシを食べている時に連絡が来た。

 家庭教師の依頼だ。

 

「ーーはい、よろしくお願いします」

 

 スマホを置いて、川崎を見る。

 

「決まったぞ、月水金と二コマずつで八月末までだ」

 

 緊張するな、と零すと川崎は笑い飛ばしてくれた。

 

  * * *

 

 八月三日、家庭教師初日。

 指定された住所へと赴く。初日ということで、親御さんとの意思や方針の擦り合わせの為に三十分ほど早く到着するようにした。

 結局俺の担当生徒は軒並み平均点以下の中学一年生の男子、広田裕樹だった。

 家庭教師の会社の説明だと、昼過ぎから夕方までは理数系科目の家庭教師がつき、俺はその後に文系を教えるらしい。

 つまり、夏休みだというのに広田裕樹は勉強漬けにされる訳だ。

 可哀相だとは思うが同情はしない。

 俺は金が欲しい。切実だ。

 

 事前説明によればこの生徒は全般的にやる気が無いらしく、何度も家庭教師が代わっているとのこと。

 親はこの生徒を将来弁護士にしたいらしいのだが、大手進学予備校に入るだけの学力も無い状態で、やむなく家庭教師を依頼した、と。

 

 勉強なんてものは、ぶっちゃけ本人のやる気だ。

 やる気さえあれば何とかなる。

 しかし今回の生徒には、そのやる気が無いという。

 依頼主である親は、そのやる気の無い平均点以下の息子を弁護士にしたいとのたまう。

 つまり厄介な案件を押し付けられた、ということだ。

 ま、ここまで来てしまったからには四の五の言っても始まらない。

 初日は捨てるつもりで様子見をしよう。

 そう腹を括って、玄関の呼び鈴を押す。

 

「ごめんください。今日から家庭教師に伺う者ですが」

「あ、ああ、ヒキタニ先生ね」

 

 いや違います。ヒキタニ先生はいません。

 

「まだ数学の先生がいらっしゃるので、どうぞ上がってお待ちください」

 

 どうやら理数系を担当する家庭教師は仕事熱心なようで、生徒が理解するまで授業を延長するスタンスを取っているらしい。

 効率重視の俺にはとても真似出来ないな。

 

「さあさあ、お茶でも召し上がってくださ……あ、授業が終わったようですわ」

 

 リビングの奥、母親が覗き込む階段の上から軽い足音が聞こえてくる。

 

「先生、お疲れ様でした。ささ、お茶をどうぞ」

「……お気遣いありがとうございます」

 

 耳に心地よい、鈴のような声音。

 俺は、その声に聞き覚えがあった。

 

 高校二年生から卒業間際まで聞いていたその声の主は、すぐにわかってしまう。

 

 ーー雪ノ下雪乃だ。

 




お読み頂いてありがとうございます。

やはり出てきました、雪ノ下雪乃。
ここから物語は若干ごちゃごちゃし始めます。

この先の展開はまだ書いておりませんが……
川崎沙希が好きな方、雪ノ下雪乃が好きな方、由比ヶ浜結衣が好きな方、それぞれに不快な思いをさせてしまうかもしれません。

でも、決して悪いようにはしません(予定)

願わくば次回も何卒よろしくお願いします。

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