千葉ラブストーリー   作:エコー
<< 前の話 次の話 >>

6 / 40
思わぬ場所で再会した雪ノ下雪乃と比企谷八幡。
その偶然の再会を知った時、川崎沙希は。比企谷八幡は何を思うのか。


彼女はデリケート

 音量を絞ったカーラジオから深夜零時の時報が聞こえた。
 この時間になると、さすがにパーキングエリアに止まる車は少ない。

 エアコンの吹出し口、飾り気の無いドリンクホルダーには、レモンティーとマッカンが仲良く並んで汗を垂らしている。
 エンジンのアイドリング音に混じって微かに聞こえるのは、カーラジオから流れ始めたジャズっぽいスローテンポの洋楽。その甘美な音色は、まるで人々を眠りの闇に誘い込もうとしているようだ。
 生憎、俺の心は眠るどころかドキドキマウンテン。意味は気にしないでくれ。

 語りかけるように小さく響くサキソフォンの音色が沈黙を静かに埋めていく。
 心が緩んでいく。きっと名曲を名プレイヤーが演奏しているのだろう。
 こういう時って、ラジオ局のホームページで流れてる曲のタイトルとか調べられるんだっけ。
 詮無い思考を手繰っていると、川崎の手が俺の手の甲に重ねられる。
 おお……ちょっと冷んやりして気持ちいい。思わず息が漏れてしまう。

「あんた……やっぱりかなり疲れてるみたいだね」
「そうか?」
「うん、普段よりもかなり目が沈んでる」

 ほほう。俺の目の状態を「腐ってる」以外の言葉で表されたのは久方振りかも知れない。
 そういえば川崎って、俺に対して文句や叱る言葉は言うけど、悪口は言わないよな。
 悪口や暴言の類など普段は気にも留めないのだが、案外川崎のこういう処に惹かれているのかもしれない。

「そんなに厄介な生徒だったの?」

 ふむ。やはりそうだ。
 こいつは俺に気を配ってくれている。決して押し付けではなく、風鈴を揺らす涼風のような柔らかさの気配り。

 今夜ここに来たのも川崎の一言からだった。
 家庭教師のバイトの後。
 いつもの公園で待ち合わせした。川崎は俺を見るなり付き合い始めて以来の疲れ顔と腐れ目に爆笑したあと「気分転換になるかも」と、家から一番近い京葉道路の幕張パーキングエリアに連れてきてくれたのだ。

 結果は、川崎の云う通りだった。
 有料道路に入るだけでちょっとした旅の雰囲気を味わえるし、車窓を流れる見慣れない景色はガラリと気分を変えてくれた。
 何より、こういう何気ない川崎の心遣いが有難く、嬉しい。
 こういうことがある度に、川崎と再会出来て本当に良かったと思う。
 きっと以前の俺ならば、この手の親切すらも「押し付け」のひと言で片づけていただろうけど。
 とにかくだ。
 川崎と過ごしていると、心が程よい緊張感を保ちながらもどんどん弛緩してゆくのだ。
 心が緩むと、口も緩んでしまう。

「ああ、あの生徒は多分ダメだろうな」
「へえー、あんたがそういうこと云うの、珍しいよね。どんな風に駄目なのさ」
「まず本人にやる気が無い。母親は努力の過程をすっ飛ばして結果だけを求めていて、家庭教師を付けりゃ勝手に成績が上がるものだと思ってる」

 純度百パーセントの俺の愚痴に、川崎は嫌な顔ひとつせず応えてくれる。

「うわぁ……初めての生徒がそんな奴なのか。そりゃ災難だね」

 川崎は俺の手を撫でながら、憐れみ混じりの溜息を吐いて苦笑する。

「大変というか、策も手段も思いつかない感じだな」

 本当にもう、お手上げ状態。
 幾ら教える側が頑張ろうと、生徒本人にその気が無ければ良い結果なんて出る訳がない。
 高校在学中、受験勉強の際に雪ノ下も由比ヶ浜の理解力の乏しさに度々頭を抱えていたけれど、あれは本人にやる気があったから何とか結果と繋がった。
 やる気を出させるのも教える側の義務だと云う輩もいるが、それは生徒本人と周囲の家族の仕事だ。

「あんたってさ、そういう面倒な奴を引き寄せる何かがあるんじゃないの」

 えっ、俺って変人処理係なの?
 河合荘の面倒な面々に次々とツッコミを入れなきゃならんの?
 俺は宇佐くんじゃねーってば。
 第一、Mっ気たっぷりの同居人は存在しないし、面倒な巨乳のお姉さまは……知り合いに二人ほどいるな。しかも一人はまんま行き遅れ。
 でもそれ以外に変人は、ひい、ふう、みい……うわ、変人ばっかじゃねえかよ俺の知り合いって。
 あ、一番面倒なのは俺自身でしたね。
 はちまんったら、自分のこと棚に上げすぎちゃった。
 さあ棚卸しの時間ですよ。

「ま、類は友を呼ぶ、ってヤツなのかもな」

 けらけらと川崎が笑う。何それ、俺に呼ぶような友はいないだろうっていう笑いなの?
 い、いるもんっ、戸塚とか彩加とか、あと戸塚彩加とか。

「で、この後も続けるの? その子の家庭教師」

 川崎の手がドリンクホルダーに伸びる。

「たぶん辞める。雪ノ下でも無理なものを俺にどうこう出来る道理が無い」
「……え」

 レモンティーを手に取った川崎の動きが止まる。

「ゆ、雪ノ下と……会ったの?」

 ドリンクホルダーのマッカンから雫がぽたりと落ちた。

  * * *

「う〜」

 カーラジオは相変わらずスローな洋楽を流し続けている。
 だが、今の車内に先程までの様な心地良さは無い。
 隣に奇行に走ってる奴がいるからね。

「う〜」

 時々微かに唸り声を洩らしながら、川崎は額をハンドルにぐりぐりと押し当てている。
 何それ。変だけどちょっと可愛い。
 いやいや今は、川崎の可愛いトコはっけーん、とかやってる場合じゃない。

「……う〜」

 この凝り固まった重い空気を打破しなければ。
 だが、何をどうすれば矛を納めてくれるか見当もつかずに、かれこれ五分ほど項垂れた川崎を見ているだけ。
 自分の経験不足が恨めしい。
 今の手持ちのスキルでは川崎の感情の正体が掴めない。

 困り果てて頭をがしがしと掻くと、川崎のハンドルぐりぐりがピタリと停止する。
 ……ああ。
 沈黙って、こんなに苦しかったんだな。新発見。
 てな場合じゃ無い。


「……ふうん。で、あんたは雪ノ下との久々の再会で鼻の下を伸ばしてたと」

 額をハンドルに押し付けたままで川崎が嫌味ったらしく呟く。
 おいおい、随分と棘のある言い方だな。もし俺が喜んでるとしたら、もっと不気味に笑うだろうが。
 だがこれではっきりした。原因は雪ノ下と再会したことだ。

「別にそんなんじゃねぇよ」
「ふんっ、どうだかね。雪ノ下に会ったのだって隠してたし」

 こいつ、やけに突っかかってくるな。

「隠してた訳じゃねえよ。たまたま云うタイミングが無かっただけだ」
「よく云うよ。じゃあ何でもっと早く云わなかったのさ」

 あれ、これって。

「お前、もしかして怒ってるのか」
「……怒ってる訳じゃないよ。ただ機嫌が悪いだけ」

 噂に聞いた「焼きモチ」ってやつだ。

「それを怒ってるって云うんじゃねぇか」
「だからっ、怒ってないってば!」

 うわぁ、おこだよ。激おこだよ川崎さん。
 はあ……もう。
 再びがしがしと頭を掻いて息を吐く。

「……悪かった」
「何で謝るのさ。何も悪いことしてないんでしょ、あんたは」

 うわ、こいつメンドクセー。今ので終わりにしとけよ。謝ってるんだから。

「そりゃそうだけどよ」
「じゃあ謝る必要なんてないんじゃないの。それとも、何か後ろめたいことでもあるの?」

 売り言葉に買い言葉。
 何でこうなった。
 云うまでもなく俺が不用意に雪ノ下の名前を出したのが原因だろうけど。
 しかし困る反面、少々嬉しくもある。嫉妬するくらいに俺を想ってくれていると感じてしまうのは……自惚れかな。
 川崎を見る。川崎は顔を逸らす。
 さらに覗き込む。さらに顔を逸らす。
 うーむ。
 なんだろう、悪くない。
 悪くないどころか、ニヤニヤしてしまいそうだ。
 怒らせてニヤニヤ。不謹慎ですよね、はい。

「悪かった」

 こみ上げる不謹慎な喜びを隠すように口を真一文字に閉じ、川崎に対して深く頭を下げる。

「まだ謝るの? 何に対して?」
「え、あ……」

 即答出来なかった。
 雪ノ下とは偶然再会しただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 若干雪ノ下には俺への害意があったような気もするが、云うなればそれはあいつの通常仕様だ。
 勿論俺に後ろめたくなる様な心当たりは一切無い。だからこそ不用意に雪ノ下の名を出してしまった。

 ならばである。果たして俺は何に対して謝っているのか。
 川崎が怒っているから。当然それもある。
 だが、その裏に隠れた本当の理由を考える。
 ーーあれ、もしかしたら。

「……俺ってもしかしたら、自分が思ってるよりも川崎が好き、なのか?」

 迂闊に呟いてしまった思考の声。
 その瞬間、川崎沙希が固まった。それどころか耳まで真っ赤になっていた。
 やばい、失言だったか。
 空気が緩み、川崎が笑い出す。

「……な、何それっ」
「う、うるせぇ。ただの独り言だ」

 急に気恥ずかしくなって顔を背ける。
 背けた頬に冷んやりとした体温を感じる。
 目を向けると、俺の頬に手を伸ばした川崎の微笑みがある。
 その手の先、親指と人差し指が柔らかく俺の頬を摘まむ。そしてーー。

「……いででっ」
「今回はこれで許したげる」

 何をだよ。訳がわからん。
 頬を摩りながら憮然と川崎を見据える。
 目が合うと川崎は薄っすら微笑み、身体を寄せてきて俺の右肩に頭を乗せる。ここ数日の川崎のセツトポジションである。
 これで初めてのケンカはめでたく終了、なのだろう。
 川崎が姿勢を微調整する度に、後れ毛が頬に触れる。
 それが妙にくすぐったくて心地良い。
 だけどもう一歩、いや半歩でも近づきたい。

「な、なあ川崎さんや」
「なぁに比企谷さん」

 けふん、と、川崎に振動が伝わらない程度の咳払いをひとつ。

「その、ちょっとだけ……肩を抱いてもよろしいでしょうか」

 川崎の喉が鳴った。

「……っくっく」
「な、なんだよ」
「あっはっはっは……悪い悪い……ぷっ」

 俺の肩に頭を乗せたままの川崎は、長い足をバタバタさせて笑い出した。
 その足がたまにアクセルに当たって、無意味にエンジンの回転数が上がる。
 アイドリングストップ。大事だね。

「えーと、笑うほど可笑しなことを云ったか?」
「いや、そうじゃないけどさ。あんたムードって言葉、知ってる?」

 ふむ。知らない子ですね。

「あんたさ。キスの時は何も聞かないクセに、肩を抱く時には許可を求めるんだねぇ」

 にやりと笑う川崎に指摘されて気づく。
 そういえばそうか。でも仕方ないじゃんか。
 最初の肉体的接触が、その……く、口唇どうしだったんですもの。
 きゃっ、云わせないでよっ。

「ーー慣れてないんだよ。経験無いし」

 まさかの俺DT宣言。
 うわぁー、俺カッコわりぃ。

 オブラート並みに薄っぺらな俺の経験を紐解くに、俺が積極的に肉体的接触を試みた相手には間違いなく避けられてきた。
 何なら手に引っ掻き傷すら刻まれた。
 ふっ、とんだじゃじゃ馬だったぜ。
 ちなみに相手は猫のカマクラだ。

「あたしも経験無いから良く知らないけどさ、そういうのは許可とか要らないんじゃないの?」
「そ、そういうもんか」

 でもでもぉ、無許可って恐いじゃないですかぁ。
 通報とか逮捕とか起訴とか。

「だいたいさ、いちいち許可を求めてたら、あんた最初の時あたしにキスなんて絶対許可しなかっただろ?」
「まあな。ATフィールド全開で断固拒否してただろうな。俺だし」

 さすが川崎さん。ぼっちの気持ちを解っていらっしゃる。
 しかし、最初の時はそれを見越してあんなに強引に迫ってきたのか。
 川崎沙希、恐ろしい子だこと。

「うん、だろうね。だからさ、あんたも何も云わなくていい。あんたのしたいようにすればいいよ」
「し、しかしだな」

 そうは申されましても、当方と致しましては確認の為にですねーー。

「あーもう、焦ったい。じゃ、一度だけ云うよ」

 え。あ。
 は、はい。内容の確認と許可の件でしたね。
 伺いましょう。

「あたしは、あんたのもの。だから肩を抱くなり何なり……好きにしな」

 さすが恐ろしい子、川崎沙希。
 やはりこいつには敵わない。
 まあ許可されたところで、当方には実行する度胸は無いんですけどね。
 でもちょっとだけ失礼をばーー。

 恐る恐る、川崎の背中を触らないように肩に手を回す。
 そのままくいっと引き寄せると、川崎の頭が俺の鎖骨辺りに落ちた。

 ーー!

 ムッハー。
 超柔らけーサキサキ。
 くんかくんか。はあー、髪とか超良い匂いだし。
 うわ、耳ちっちゃい。
 そういえば耳のカタチって、あそこのーー

 ーーって、まるっきり変態だな俺。
 さあ、そろそろ落ち着け俺。

「ねえ」

 見上げてくる川崎と、至近距離で視線がぶつかる。それを合図に、暗黙の了解のように口唇が触れる。
 確かに川崎の云う通りだ。キスに言葉は要らない。

 一秒、二秒。

 口唇を離した川崎はさっきよりも深く、俺の鎖骨辺りに頭を戻してしな垂れかかり、頭をぐりぐりと押し当ててくる。

 ふと気がつく。
 気のせいか、川崎の吐息が強い。

「ねえ……抱いて」

 気のせいじゃなかった。

 直後、示し合わせた様に、運転席と助手席のシートが後ろに倒された。

 お父様、お母様、小町、
 おやすみなさいーー。



お読みいただき、誠にありがとうございます。

この物語を書き進めるたびに、川崎沙希には幸せになって欲しいなぁ、と切望してしまいます。
何なら私が直接この手で幸せにしたい!

まあ、ラストは決めてあるので結果は解ってしまっているのですが。

引き続き感想や批評、評価をお待ちしております。
お暇でしたらまた次回。







※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。