その日から、ボクはナッパさんのお手伝いをする事になった。
毎日の放課後が楽しみになり、何となく灰色だった学校生活が少しずつ色づいていくようだった。
「おい、弱虫ラディッツ。最近、付き合いワリーじゃん」
数日経った放課後、例の如くコッソリ教室を抜け出そうとして、ボクは凍りついた。
キュイくんに見つかってしまった。ついに。一番、見つかりたくなかった相手に。
粘度の高い嫌な汗が噴き出る。血の気が引いて頭が上手く回らない。舌も回らない。
ヘビににらまれたカエルだってもっとマシな反応をするだろう。その時のボクは、意味無く「あうあう」言っていた。
「お前を見かけなくて俺、さびしくてさぁ。あ、殴れる相手がいなくて、って意味な。深い意味は特にねーから」
キュイくんの後ろに控えた取り巻き二人、いつもキュイくんにベッタリで、合わせて仲良し不良三人組はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる。
「ひさしぶりの再会を祝して、ゲーセンとカラオケにでも行こうぜ。モチ、全部お前持ちな。なんて顔してんだよ。友達のいないお前のタメに、優しい俺がわざわざ提案してやってんだろ? なら、金はお前が全部払うのが当然じゃん。なあ、遊びに行こうぜ」
馴れ馴れしくキュイくんはボクの肩に腕を回す。親しげに肩を組むのとはまるで違う。キュイくんの腕には強い力が込められていた。
首が締まる。
教室から出ていくクラスメイトたちは一瞥するだけで、興味ないそぶりで通り過ぎて行く。誰だって好き好んで災難に巻き込まれたくはない。
誰も、助けてはくれない。
うつむいたボクは、プレッシャーに負けていつものようについ「う、うん」と答えそうになり――
「わりーな。ラディッツはこの後、予定があんだわ」
この数日ですっかり聞き慣れた声がした。
キュイくんは眉根を寄せ、「ああん?」と背後を振り返り、
「げえっナッパ!」
取り巻き二人を後ろからアイアンクローした大男は、ナッパさんだ。
驚いた拍子に拘束が緩んだ。ボクは、そのスキになんとかキュイくんから距離をとる。離れたボクを見て、ナッパさんは二人の頭を解放した。ボクもこないだやられたけど、アレ、痛いんだよねナッパクロー。
「な、なんだよナッパ。驚かせんなよ。俺はラディッツを誘ってるだけだぜ」
「何度も言わせるなよ。ラディッツには先約があるんだ。俺との、な」
ナッパさんの一睨み。
キュイくんは舌打ちすると、「おい、行こうぜ」と取り巻き二人に告げ背中を向ける。
取り巻き二人は面白くなさそうにナッパさんにメンチを切ったけど、何も言わなかった。
ボクはと言うと、ケンカが起きるんじゃないかとハラハラしていただけだった。それしか出来なかった。
「おい」
去っていく三人に、ナッパさんは言った。
助けてもらった事も嬉しかった。
けど、それ以上に嬉しい事が起きた。
「言っておくけどコイツ、俺のダチだから」
一瞬、振り向いたキュイくんは、これ以上ないくらいのしかめツラをしていた。
「よし。行こうぜ、ラディッツ。今日はよ、ちょっとばかし試してみたいんだが、まず土を二十センチくらいどけてから――なんだよ、そのツラ。ヘラヘラして気持ち悪いぞ」
ダチ。ってつまり、友達って事だよね。そういう事なんだよねナッパさん。
その時のボクはヘラヘラして気持ち悪かったと自分でも思う。
授業が終われば、花壇に行きゴミ太郎と遊ぶ。
ナッパさんが来たら、二人で土を耕したり、雑草を引き抜いたりしながら色んな話をした。
テレビの話や、好きなアイドル、マンガの話。学校の美味しくない食堂の話。嫌な先生の授業の話。
楽しい日々だった。
生まれて初めて、やりがいのある事をしているのだと、誰かの夢のお手伝いをしているのだと思った。
日が落ちたら解散になるのだけど、一度だけ帰りに二人で本屋に寄った事もある。
園芸コーナーに二時間以上も居座り調べ物をしたのだ。見かねた店員さんが注意しに来たけれど、鬼神の如き形相で『園芸の友』のページをめくるナッパさんを見た瞬間、言おうとした事を全部飲み込んで素通りして行った。
今まで『ファミ通』と『パソコンパラダイス』が愛読書だったボクだが、最近は園芸や農業の専門書も読むようになり、すっかりと詳しくなった。自分でも驚くような変化だ。
一週間、二週間とカレンダーの数字は飛ぶように過ぎていき、ボクとナッパさんが話すようになってから一月が経とうとしていた。
季節は夏へと変わっていた。
期末試験を何とか乗り越え、(結果は散々なものだと思う。園芸の事なら誰にも負けないのに!)終業式を迎えたボクたちは、いつもの花壇へ集まっていた。
夏の太陽は脳天をジリジリ焼くような高い位置にある。
退屈な終業式に憂鬱な通知表渡し。面倒なイベントは午前中で全て終了し、午後からは放課だ。
クラスメイトは開放感いっぱいに街に繰り出して行ったみたいだけど、ボクたちにはボクたちだけの一大イベントが待っていた。
土の違いが分かる男ナッパさんのこだわりで無農薬有機肥料農園を目指した花壇も、土壌改良の大詰めを迎えていた。
精魂込めた手入れを行った花壇の前に、ナッパさんが屈みこんでいる。
ナッパさんのスキンヘッドは日差しの直撃で大粒の汗をかきテラテラと輝いていた。
緊張の面持ちでボクは大柄な背中を見つめていた。
いつもならボクの周りをチョロチョロと忙しなく動き回るゴミ太郎も、ただならぬ空気を感じ取ったのか、隣でジッとしている。
一滴の汗が顎を伝い落ち、夏服の胸に一点の染みを作った。この暑さなら数分で乾くだろうけど。
と、土を吟味していたナッパさんが立ち上がり振り向いた。
「いい土だ。いい栽培マンが育ちそうだぜ」
ナッパさんは日焼けした肌に似合いすぎる白い歯を見せて笑った。その表情は、いつかボクが想像した生産者写真の笑顔そのものだった。
ボクは安堵の息を深く吐いた。あまりの緊張感に、息をするのも忘れていたのだ。
「ナ、ナッパさん。それじゃあ」
「ああ。ありがとうよラディッツ。お前が手伝ってくれたおかげで、予定よりだいぶ早く改良が終わったぜ」
胸に熱いものが込み上げてきた。
何かをやりとげるなんて、初めてだったんだ。
ゲーム以外の何かを頑張るなんて、初めてだったんだ。
ああ、いや。まだだ。感動で忘れかけていたけど、まだ大事な仕事が一つ残っている。それは、ナッパさんが受け継いだ夢への第一歩で。
「おめでとうナッパさん。それじゃあ、すぐに種まきを」
ボクの提案にナッパさんは眩しい空を見上げた。感慨深そうに。
夏空には、白い大きな雲が伸びている。
不意に、ぐうぅうう、場違いな音がした。
どこからだ。
ボクの腹からだ。
「…………」
「…………」
「ケケケ」
……もう! もうちょっと空気読めよボクの腹! そりゃ、昼ごはんも食べずに花壇直行だったけどさ!
「ご、ごめん……なんか、雰囲気台無しで」
「いいさ。オレも腹減ったし。そうだな、種まきの前に」
苦笑気味に言うナッパさん。
「ちと気が早いが、打ち上げに行くか」