黒雲は瞬く間に頭上に広がり、土砂降りになるまでそう時間はかからなかった。
「ひゃあ! 冷たい!」
ボクたちは、学生カバンで頭を庇いながら走る。
水たまりに突っ込んだスニーカーが気持ち悪いが、もう贅沢も言ってもいられない。地面を蹴る度に上がる飛沫で、膝から下が重くなっていた。
「おい、ラディッツ。雨脚が弱まるまで避難してようぜ」
「う、うん! 賛成」
ナッパさんがガード下を指さす。雨宿りの提案にボクは乗った。
「ひー。酷い目にあった」
逃げ込んだガード下。髪からシャツから雨が滴る。ゴミ太郎が「ケケー」と犬みたいな身震いをして水気を払う。
「はーっ、はは、はあっくしょぉん!」
ガード下をビリビリと揺らしたくしゃみはナッパさんだ。豪快すぎてもはや衝撃波の領域に達している。
「風邪ひいちゃうね」
ボクがそう言うと、ナッパさんは鼻水をすすりながら、
「そんな軟弱じゃねえよ。鍛え方が違うんだ」
たしかに、ナッパさんが病気で床に伏せる姿なんて想像出来なかった。
「くしっ!」
つられてボクもくしゃみを一つ。
「おいおい。お前の方がヤバそうじゃねえか」
ボクは健康な状態でも人から「病気? どこか悪いの?」って訊かれるくらいひ弱なので、この冷たい雨はちょっとマズい。肺炎にでもなったらどうしよう。
ううー。寒いなあ。冷えてきたよ。
ガタンゴトン、とやかましい音をたててガードの上を電車が走って行った。
電車の音が遠のく。
「ナッパ、ってのはそこのハゲか?」
アスファルトを叩く雨音の間から声は聞こえた。
見ればガードの外、ビニール傘が一つ。
髪をツンツンに逆立てた、小柄な少年が一人。
着崩した制服のポケットに片手を突っ込み、傲岸不遜を絵にしたような尊大な態度。
「オレ様が訊いてんだよハゲ。お前がナッパか?」
「な、」
少年が着ている制服は見慣れないものだ。たしか、隣町のエリート進学校の制服じゃなかったっけ。
「強いんだろ? ハゲ」
またハゲって言った。ナッパさんはなあ、ハゲじゃなくてスキンヘッドなんだよ。ファッションなんだよ多分。そう、ボクが言い返そうとし、
「ラディッツ。下がってろ。コイツはやる気らしい」
ボクを押しのけて、ナッパさんはガード下を出た。
雨の中、睨み合うナッパさんと少年。ナッパさんは見下ろすように。少年は薄い笑みを浮かべて見上げている。
こうして見ると、二人の身長差が良く分かる。体格差も。
見た感じ少年はボクよりも背が低い。手足も細い。天を衝く逆立て髪が異常なボリュームがある。筋肉ガチムチ、スキンヘッドヒゲなナッパさんの方が明らかに強そうだ。
それなのに、この少年の余裕は何だろう。
無謀な蛮勇でも無根拠な虚栄でもないのは、目を見れば分かる。己が強者であるという自信に充ち溢れ、人を見下すのに慣れた眼差し。剣呑な輝き。もしもその視線を向けられようものなら、コンマ秒で土下座する覚悟がボクにはある。
「ケケェ……」
ゴミ太郎が不安げな鳴き声を上げてすり寄ってきた。
栽培マンにもこの不穏な空気が分かったのだろう。
「大丈夫だよ、ゴミ太郎。ナッパさんは強いんだから」
少年は、ビニール傘を投げた。
始まる。ケンカが。いや、ナッパさんは指先一つで街をダウンさせてしまうんだ。ケンカなんてレベルで済むかどうか。
「ラディッツ。お前は関係ない。帰れ」
「え?」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
「これはコイツがオレに売ってきたケンカだ。巻き添えにならんように帰るんだ。お前もだ、チビ。ラディッツは関係ない。見逃してやってくれ」
「良いだろう。そのひ弱な坊やに手は出さない。オレ様にチビと言った事を死ぬほど後悔させてやろう」
今、この瞬間に殴り合いが始まらないのが不思議なくらい、二人の間で闘気が激しくぶつかる。
「行け。ラディッツ」
こちらを一切見ずに、ナッパさんはもう一度言った。
「明日、学校でな」
明日。約束。種まき。
大きな背中がそう言ったから、
「う、うん」
ボクはゴミ太郎の手を引いてその場を後にした。
家に帰るまで二回転んで、三回、車に水を引っ掛けられた。
テレビを点けると、ニュースをやっていた。
ボクの知らない遠い場所で山が四つ消し飛んだらしい。