#13
十二月初旬
季節は冬――
薄く曇った空は一段と厳しくなる肌寒さと、年明けを間近に控えたもの悲しさを見る者に感じさせる。
清潔感が漂う白い部屋。仄かに消毒液の匂いが香る病室に、暗い闇色のくせっ毛を持った少年が現れた。
彼は凝ったデザインの白いセーラーの制服の上からカーキ色のフードつきハーフコートを着込み、茶色い紙袋を抱えていた。
「姉さん、具合はどう?」
「ええ、悪くないわ。攸くんがお見舞いに来てくれるからかしら」
白いシーツの敷かれたベッドの上で、上半身を起こしている黄金の髪の女性は優しく微笑む。
しかし、女性の笑顔は弱々しく、顔色は普段の陶磁器のように透明な白よりも青白い。もっとも病的な顔色ですら、元来彼女の持つ神々しいまでの美しさを損なうことはなかったが。
「あ、これ頼まれてた差し入れ」
少年は女性の顔色を見ない振りをして明るい口調で喋りながら、持ってきたおみやげを彼女に渡す。
「ありがとう、すっごく楽しみにしてたのよ」
女性はとてもうれしそうな表情でそれを受け取る。
紙袋の中から茶色っぽい巻き貝的な物体を取り出すと、ほぅ……、とうっとりしたようにため息を吐いた。彼女の表情は、長く恋い焦がれた人に出会った童女のようだ。
「……相変わらずチョココロネが好きだね、姉さんは」
「だっておいしいじゃない、コロネって」
「まあ、おいしいことは同意するけど。なんか共食いっぽくない? 見た目的に」
「まぁ! ひどいわ、攸くんったら」
「ゴメン、言い過ぎた。でもなんか別の意志を感じるよ、姉さんの好みに」
「ふふふ……細かいことを詮索しちゃダメなのよ、攸くん」
そう言って上品に笑う金髪の美女を見て、少年はかなわないなぁと苦笑を漏らした。
そして、面会時間いっぱいまで最愛の“姉”との逢瀬を楽しんだのだった。
病室での面会を終えた黒髪の少年――宝條攸夜は、日の落ち切った冬の街を独り歩いていた。
煌々と夜を照らすネオンの中、鼻歌交じりに歩く攸夜の手には帰りしなに分けてもらったチョココロネ。それをもふもふかりかりと味わいながら、通行人を器用に避けて進む。
冷え切った空気に、吐く息が白く染まる。
攸夜はふと立ち止まり、夜空を見上げた。
墨汁を垂らしたような暗い夜空には、眠らない都会の発する明かりに負けて弱々しく光る星々と、夜空の主であると誇るように天に座す真円を描いた紅い月が浮かぶ。
「いい月だな」
言葉とは裏腹に彼は、煌々と輝く
そして――――“世界”が閉じる。
鋭敏な感覚が“世界”の異常を知らせる。腐れ縁の友人と、そして知らない魔力の波を感知し、彼の冷たさを帯びた蒼い瞳が薄く細められた。
「……しかしまぁ、どうしてこう厄介事に巻き込まれてばっかりなのかね、僕ってヤツは」
『そういう星の下に生まれたと諦めましょう、ご主人様』
彼のぼやきに左手首に巻き付いた純白の腕輪、アイン・ソフ・オウルが七色の“宝玉”をチカチカと光らせて答える。
「諦めるってのは性に合わないんだけどな……」
『強情ですね』
「それが僕のチャームポイントさ――っと、お遊びはこれまでかな」
パキンと小気味いい音を響かせて腕輪が分解。七枚の盾が主を守るがごとく現出し、それとほぼ同時に夜の暗がりから長身の人影が進み出る。
「……気付いていたか。存外、勘はいいようだな」
凛とした女性の声が、闇に響き渡った。
明るい桃色の長い髪をポニーテールに纏め、鋭利な美貌は武人然とした印象がある。
豊満な長身を包むのは紫の西洋風甲冑と白い戦羽織。腰には鞘に納まった一本の長剣を佩く。現代の街並みにはあまりにそぐわない物騒な装束に、攸夜は僅かに眉を顰める。
女は、彼のリアクションを気に留めることもなく冷静に対峙していた。
佩いた剣の柄に手を添える。抜刀の構え。
「……お前に恨みがあるわけではないが――」
「つべこべ取り繕ってんじゃないよ、鬱陶しい」
女剣士の不躾な口上を遮ったのは、隠しきれない理不尽に対する苛立ち。
蒼い双眸が彼女を射抜く。
「こっちはアンタの事情なんて、知ったことじゃあないんだ。興味もない」
「……」
展開した白い“羽根”が攸夜を円陣に取り囲む。
攸夜の足元の地面に、魔力によって創られた蒼白い旋風が渦を巻く。唸りを上げる風は心に吹き荒れる冷徹な激情の現れ。
「アンタがただの辻斬りで、僕はそんな危険人物に襲われた哀れな子羊」
「……ッ」
痛烈な皮肉に女剣士はたまらずピクリと眉を揺らす。
刹那、蒼銀の旋風が夜闇を切り裂き、一気に天へと立ち昇る。荒れ狂う蒼白い風のカーテンが少年の小さな身体を覆い隠した。
「――たったそれだけの、単純でシンプルな図式だろ?」
風のカーテンを割り裂き、左の鉤爪が突き出る。
白い鉤爪が幕を水平に勢いよく切り裂いて、蒼銀の光が渦を巻くように夜闇へと飛び散った。
蒼白い炎風を纏い現れるのは“魔法使い”。髪と同じ闇色をした、いわゆる長ラン風のロングコートをなびかせ、夜闇に君臨する。どこか悪魔を連想させる立ち姿は、まさしく魔法使い――“魔の外法を使うもの”と言えるだろう。
「まぁもっとも、“窮鼠猫を咬む”にならない保証はできないけどね」
舞い踊る魔力の蒼白い燐光。
七枚の“羽根”を従えた魔法使いが、殺伐とした雰囲気に似つかわしくないおどけた言葉を吐く。
しかし、相対する女剣士はその裏にある昏い敵意を肌で感じ取っていた。
未だわだかまる熱風が長いコートの裾をあおる。
「ふっ……。では、せいぜい咬まれぬよう気を付けるとしよう」
鋭い白刃がすらりと鞘を走り、紅き月の下に晒された。
♯13 「点火 ~紅き月が昇る~」
アースラ、艦内。
私、フェイト・テスタロッサは与えられた自室をうろうろと往復していた。
「…………」
てくてく。うろうろ。
「……フェイト」
うろうろ。てくてく。
「――フェイト!」
自分を呼ぶ声に気がついて顔を上げる。
声の主は私の愛しい使い魔、アルフ。腕を組んでなんだかあきれた感じの表情をしてる。なんでだろ……?
「アルフ、なに?」
「あの子たちに会えるんで落ち着かないってのはわかるけど、ちょっとじっとしたらどうだい? いくらなんでもソワソワしすぎだよ」
そ、そんなにそわそわしてたかな、私?
「う、うん、そうだよね。そうする」
素直に従うことにして、近くにあったイスに座る。
ぱたぱた、ぱたぱた。
脚をぶらつかせる。……むー、なんだか落ち着かない……。
だってしかたないじゃないか。
裁判の判決が出て――リンディ提督やクロノが、できる限り早く終わるように取りはからってくれたと聞いている――、ようやく、ようやくなのはとユーヤに……たいせつな“友だち”に、半年ぶりに会えるんだ。
これが浮かれずにいられるだろうか。いや、いられない。そうだ、そうに決まってる。
などと自己弁護しつつ、ふたりと顔を合わせたらどんな話をしようかと思いを馳せる。
……なのははきっと、花が咲いたような笑顔で「うんうん」って聞いてくれるだろうし、ユーヤはたぶん軽快な合いの手を入れて楽しませてくれるに違いない。
考えただけで、わくわくして、うきうきして、どきどきして、自然に笑みがこぼれた。
――――そんなときだ。
『フェイトちゃん!』
艦内放送、エイミィから突然の呼び出し。ずいぶんと慌ててるけど、なにかあったのかな?
『なのはちゃんと攸夜君が何者かに襲われてるみたいなの! すぐにブリッジに来て!』
「っ!?」
立ち上がる。ガタンと音を立ててイスが床に倒れた。
私はかまわず、弾かれたように部屋を飛び出した。
「はぁ……はぁ、っ襲われてるって、どういうことですか!?」
息を切らせて飛び込んだブリッジには、難しそうな顔で宙をにらむリンディ提督とクロノ、エイミィと私よりも先に着いていたユーノもいる。……あ、気がつかなかったけど、アルフもちゃんと後ろをついてきていたみたいだ。よかった。
……展開した二つのスクリーンに視線を移す。
一方には、ハンマー型のデバイスを携え、紅いゴシック調のバリアジャケットを身に纏う私と同年代くらいで三つ編みの女の子と、熾烈なドッグファイトを繰り広げるなのはの姿。
もう一方には、片刃の長剣型デバイスを縦横無尽に操るポニーテールの女魔導師と、彼女の猛攻に黒い槍を振るって耐えしのいでいるユーヤの姿が映っていた。
戦況は、襲撃者の方に傾いている。
なのはは女の子と戦うことに若干のためらいを見せているし――なのはのことだ、たぶん説得……ううん、「話を聞い戦意て」とか理由を問う言葉をかけているんだろう――、ユーヤも体術を駆使してなんとか善戦しているけど、相性がよくないのか押されている。
「あっ!」
業を煮やしたように女魔導師がデバイスを振るう。
長剣の峰のあたりから弾丸みたいなものが白煙をあげて排出されて、蛇腹のように変形した長剣の刃が七枚の盾を薙ぎ払い、そのままの勢いで防御の槍を断ち切った。
そして、切っ先がユーヤの胸に突き刺さり――――
「っ!」
紅いモノをたくさんまき散らしながら、ビルの外壁に叩きつけられる“友だち”――目の前はたちまち真っ赤に染まった。
沸騰する感情に任せて艦橋を飛び出し――
「待て、フェイト!」
肩をクロノにつかまれた。
「邪魔しないで!」と叫びながら振り払う。
すると「落ち着けと言っているんだ!」って叱られた。
「君は、宝條攸夜があれしきでどうにかなると思ってるのか?」
「それは……」
そんなことない。ユーヤは強いもん。
スクリーンの映像には、瓦礫を吹き飛ばす蒼白い閃光が映し出されていた。
額から血を流し右腕を左手でかばっているけるど、ユーヤはしっかりと立ち上がる。そのまま女魔導師へ果敢に挑みかかった彼の健在な姿に、さざ波立った私の心はいくらか落ち着く。
冷静になって、その隣に映るハンマーの一撃でレイジングハートを損壊させられたなのはの姿に気がついて、背中に冷たい汗が流れたのを感じた。一時とはいえ、なのはのことを忘れてしまっていた自分に罵倒を浴びせたくなる。
っといけない、反省はあとだ。
両方のスクリーンを交互に何度も見比べて、私はどちらを助けに行けばいいのかわからず混乱してしまう。
守ってあげたいなのはと、いまにも命を燃え尽きさせてしまいそうなユーヤ――どちらかなんて、選べないよ……。
そんな私にユーノは気遣うように声を発した。
「僕らはなのはの方へ向かおう。ユウヤなら、大丈夫だ」
「えっ、でも……」
反論しようとするけど、いままで黙っていたリンディ提督が口を開いた。
「そうね。近接戦とはいえ攸夜君をあれだけ追いつめる力量――あの女性、かなり出来ると見たわ。でも……」
画面内のユーヤは一転して、女魔導師を完全に圧倒していた。
でも私は、その荒れ狂う猛火のような容赦のない戦いぶりにわずかな戦慄を抱く。まるで、普段のユーヤじゃないような――、そんな違和感が胸を埋め尽くす。
っ! ダメだ、こんなこと考えてちゃ。
「今はなのはさんの方が心配ね。あの三つ編みの子も十二分に強いわ。急いでフォローに回らないと」
「本当は僕も一緒に行きたいんだが。……やっぱり、心配だな」
クロノがユーノに視線を向けてそう言い、言われた方はむっとした表情をした。このふたり、仲が悪いみたいなんだけど、なにが気に障るんだろう? ……男の子同士の機微はよくわからない。
「ともかく、三人とも無茶はしないこと。いいわね?」
「はい」
私がいちばんに応えると、ユーノとアルフも同様にうなずく。
いますぐ。はやく。一秒も惜しい。はやくいかなきゃ、ユーヤが死んじゃうっ!
「時間がないわ。エイミィ、転送のサポートを」
「了解! みんな、気を付けてね」
転送が開始される寸前、私はスクリーンに映り出されたふたりに心の中で呼びかける。
(……今度は私が、ふたりを助ける番だ。ユーヤ、なのはを助けたらすぐに行くから、それまで待っていて……!!)
ユーノが展開した転送魔法の光に包まれながら、私は誓う。
たいせつな、たいせつな“友だち”に、絶望の底から救ってもらった恩返しをするんだ、と――
* * *
噴煙残すビルの外壁の前で浮遊する女剣士――シグナムは、黒髪の少年との戦いに一瞬我を忘れ、全力で愛剣を振るったことに強い慚愧の念を感じていた。
少年――攸夜の戦闘能力が彼女の予想を超えていたわけではない。
確かに彼の保有魔力量から考えれば驚くほど強かったが、あくまでそれは子どもにしてはであり、未熟な面も多々あった。
彼女に自制心を忘れさせたのは攸夜の瞳――惹き込まれるような蒼い双眸は、獰猛な野生動物のそれを思わせる剣呑な敵意。あるいは殺意とも言える強烈なプレッシャー。
突き刺さらんばかりの威圧を浴びて、シグナムの剣士としての――戦闘者としての部分が疼き、彼女の中から自重という言葉は消え去った。
(“主”の未来のため、
猛烈な殺気に、シグナムは息を飲む。
刹那、コンクリートの塊を消し飛ばして蒼白い魔力光が迸った。
「っく!」
即座にシグナムは回避行動に入り、避けられた蒼銀の光条は向かいのビルを消し飛ばして虚空に消えていく。
「……」
シグナムは無言で愛剣を構える。
正面よりやや右寄りに立てた長剣――いわゆる八双の構え。剣士の型としてはオーソドックスな構えだ。
油断なく待ち受けるシグナムの視線の先、外壁の崩れたビルに佇む黒衣の少年は額を切ったのか血流し、左手で右腕を庇っている。また、漆黒のロングコートも端々が酷く損傷し、脇腹などは血が滲んで赤黒くなっていたが、それでもシグナムの一撃の打点をずらして致命傷だけは避けていた。
その様子は一見すると満身創痍。しかし、蒼い瞳に写るギラギラとした危険な光を失ってはおらず、むしろ理性という首輪が外れ、解き放たれた猛獣と表現するのが相応しいだろう。
彼から発せられる無軌道な魔力はまるで〈暴走〉しているかのように暴力的で、周囲の空間を軋ませるほど歪んでいた。
「――ッ」
ぞくりと背筋に何かが走る。
この時、シグナムが覚えた感情は恐怖などではなく喜悦。剣士としての
(満身創痍だが、目は死んでいない。――っ、治療などさせん!)
攸夜の頭と右腕に蒼白い魔力光が灯る。それを治療魔法だと看破したシグナムは、そうはさせまいと一気に距離を詰めた。
しかし――
「ぬッ!?」
白刃一閃。盾のいくつかを叩き落とし、いくつかを
その隙を“獣”は逃さない。
蒼銀の翼を広げ、床を打ち砕く勢いで爆発的跳躍。迎撃によりわずかにバランスを崩したシグナムの首筋を刈り取らんと、大量の魔力の練り込まれた鋭い右の回し蹴りが放たれた。
「くっ!」
何とか愛剣の腹で蹴撃を受け止めたシグナムの腕に、鈍い衝撃が伝わる。
(先ほどよりも速いッ……それに、一撃の重さが上がっているだとッ!?)
続けて繰り出された顔面を狙う左の手刀を、首を捻ることで避ける。左手がシグナムの肩を掴もうと鉤爪を開く。
その掌の中で輝く蒼白い魔力光を視界の端で認識した彼女は柄から手を離し、瞬時に展開した鞘にて攸夜の腹を殴打した。
無防備な部分にカウンターを喰らい、自然攸夜は吹っ飛ぶ。
対象を失った爪甲が虚しく空を掴み、解放された閃光が夜を焼いた。
「……いい攻めだが、一手足りんな」
宙返りして危なげなく体勢を立て直す攸夜を見やりながら、シグナムは先ほどの攻防を評した。
長剣の峰に取り付けられた機構がコッキングし、内蔵する魔力の弾薬が炸裂。シグナムの足元に、三角形の頂点に円状、中央に剣十字を抱いた〈ベルカ〉の魔法陣が展開する。
残像を残し、肉薄――
「――紫電一閃ッ!!」
間髪入れずに振り下ろされる獄炎の刃。斬撃が少年の身体に到達する間一髪のところで、上空から七つの“宝玉”を抱いた白亜の大盾が飛来した。
「!?」
橙色の光を纏う大盾が灼熱の炎を纏う魔剣を阻む。
剣と盾がぶつかり合う耳障りな音。刀身に宿った魔力はその役目を全うし霧散、同時に大盾が七枚の“羽根”に分離した。
〈紫電一閃〉に耐えきれなかった? 否、アイン・ソフ・オウルの護りは堅牢無比。生半可な攻撃ではびくともしない。
ではなぜ、盾は分離したのか。
その答えは、まばゆい光とともにもたらされた。
「聖光爆裂――」
開かれた空間から現れたのは、翳した左の掌に蒼白い光球を創り出した黒髪の少年。腕を囲む環状魔法陣を仮想砲身として、強烈な
蒼銀色の閃光が、夜闇の中で盛大に爆ぜる。
膨れ上がる爆炎。轟く爆音。
煌々と燃え盛る蒼白い炎の内側から伸びた白刃が、それを斬り開く。
瞬く間に晴れた空間には無傷の女剣士。全身に紫色の膜のようなものを纏い、健在な姿を誇っていた。
「…………」
攸夜は無言で右手を振るう。
生み出された複数の黒い魔弾が女剣士に襲いかかるが、それらは例外なく魔力の膜に弾かれ虚空へ消え失せた。
「無駄だ。その程度の魔法では、我が“甲冑”の護りを破ることなど出来はしない」
シグナムの言葉を意に返さない様子の攸夜は、眼前の敵を打ち砕かんと猛進する。
「無駄だと何度も――何ッ!?」
シグナムが彼を迎え撃とうと構えた瞬間、周囲に不可思議な青い光の帯が取り巻き、彼女の纏う“甲冑”――〈パンツァーガイスト〉が突如として砕けるように消滅した。
理解不能の事態に踏鞴を踏むシグナムの腹に、攸夜の重たい蹴撃が突き刺さる。
「か、は……ッ!?」
斜め後方へと吹き飛んだシグナムに追い討ちをかける“羽根”。次々に突撃し、彼女をさらに上空へと打ち上げていく。
コートの裾をはためかせた“獣”は、天高く投げ出された女剣士を瞬く間に追い抜いた。
「ぐ……ウウッ」
空中に放り出されたシグナムの首を、待ち受けていた攸夜が右手で鷲掴んだ。
気道を締められ、苦痛に怜悧な相好を歪めたシグナムは苦し紛れに空いた手で腕を掴む。攸夜はそれを一瞥し、無表情のまま彼女をビル群へと振り向ける。
妖しい輝きを見せる紅い月を背に――
七枚の“羽根”が推進器として展開。魔力が注ぎ込まれ、蒼白い燐光が大量に吹き出す。
少年は口元を禍々しく歪め、魔力を解放した。
「あああああッ!!」
衝撃波を撒き散らし、凶鳥が夜闇に翼を羽撃かせる。
蒼銀の彗星となって夜を斬り裂き、摩天楼の群れへと一直線に墜ちていった。
それは、銀河を巡る彗星のように美しく。同時にそれは、絶対的な破壊の権化が如く。
邪悪な流星が高層ビルの中腹を突き破り、雷鳴のような轟音と悲鳴にも似た地響きを辺りに撒き散らす。
その凄まじい衝撃に耐えきれないコンクリートの塊は、孕んだ鉄筋を粉塵を爆発するようにぶち撒けた。
「っ、はぁ……はぁ……」
完膚なきまでに倒壊し、粉塵がくすぶるビルの跡地から、攸夜は身体を引きずるようにして抜け出した。
すでに蒼い瞳は理性を取り戻しており、苦しそうに肩で荒く息をしている。魔法で塞いだ傷口が開いたのだろう、脇腹が真新しい血液で紅く染まっていた。
渾身の一撃を敵に放ったというのに、攸夜は前方を厳しく睨むことを止めない。
そして彼の直感は正しかった。
「あれを喰らって……、まだ、立ち上がるのかよ。……頑丈だね、アンタも」
苦し紛れの憎まれ口に「いいや、随分と効いた」と返答したのは女剣士――シグナム。半径10メートルほどのクレーターの中心で、愛剣を杖代わりにして立ち上がる。
彼女の纏う騎士甲冑は言葉通り、所々が損傷していた。
「咄嗟にパンツァーガイストを展開し直していなければ、やられていた」
「ハッ、詰めが甘かったってわけか」
本来の不敵な、悪く言えば軽薄な言動を見せる攸夜。相対するシグナムは、目の前の少年へ疑問を問う。
「騎士かと思えば、砲撃。魔導師かと思えば、近接。果ては術式の
「何者だ、と訊かれてもね。僕はしがない“
ぐったりしながらも攸夜はそのふてぶてしい態度を崩さない。
これは彼なりの流儀であり、弱気を隠すために付けた仮面である。
「フッ、“
シニカルな笑いを漏らしたシグナムは、攸夜へと高らかに宣言する。
「ならば“
〈ベルカ〉の騎士、そして〈ヴォルケンリッター〉の将を名乗らなかったのは、シグナムが隠しきれなかった僅かな私情。目の前の少年を戦士を認め、ただひとりの剣士として刃を交えたいという願望の現れ。
当の少年は、目をスッと一瞬だけ細め、あっけらかんとした声を発した。
「……レーヴァテイン?」
「レヴァンティンだ」
「…………なんかパチモンくせえ」
「パ、パチモっ!?」
シリアスな空気が一気に白けたところで、攸夜が矢継ぎ早に口を開く。これが彼のやり口だ。
「まあ、本当なら「辻斬りに名乗る名はない!」、とでも言うところなんだけど……アンタみたいなヤツは嫌いじゃないから名乗ってやるよ」
年相応の柔和な童顔を、不釣り合いな獰猛な笑みで染め上げて己の名前を称する。
「僕は宝條攸夜。コイツは相棒のアイン・ソフ・オウル」
「ホウジョウ……宝條か」
シグナムは少年の名を軽く呟いくと、愛剣の切っ先を攸夜へと突きつけた。その表情は、少年と同じく猛々しい。
「では、宝條。改めて、お前に勝負を挑もう。……私の本来の役目は、お前の足止めだったのだがな」
「ふぅん……足止め、ね。まあ、僕はそもそもアンタをタダで帰してやる気なんてないし、覚悟するんだね」
「討たれる覚悟など元よりある。いざ、尋常に――ッ!? すまない、事情が変わった」
「……はい?」
一転してシグナムは納刀する。急変した彼女の態度に間抜けな顔を晒した攸夜。
「ちょっ、ここって一騎打ちイベントじゃないの?」
「仲間の危機だ、許せ。足止めならば十分に叶っているしな。……それに、満足に戦える状態でもないだろう?」
その指摘に攸夜は苦々しい表情をした。
シグナムから受けた痛烈な一撃と先ほどの猛攻、そして捨て身の特攻は、攸夜自身にもかなりのダメージを残している。バリアジャケットを創れたとしても、根本的な紙装甲は変わらなかったようだ。
自己診断と並列して周囲の魔力を探れば、自分と同じく襲われていたであろうなのはと襲撃者――それから、三人の見知った乱入者の存在を感知する。
即座にシグナムを逃すべきではないと判断した攸夜は、術式を展開――
「タダで逃がす気はないって、言ったろ!」
突き出された右の拳から、
闇の塊を軽く避けたシグナムは、戦羽織の裾を翻して攸夜に背を向けた。
「勝負はひとまず預ける。また会おう、宝條」
捨てゼリフ一つを残して、シグナムは紅い月が見下ろす夜空へと飛翔した。
「チッ、逃げ足の速い! 僕たちも行くぞ、アイン!」
『ご主人様、これ以上の戦闘行為は厳しいのでは? 回復につとめるべきです』
追跡しようと魔力の翼を広げる攸夜を、アイン・ソフ・オウルが制止する。その声音は優しく、ぐずる子どもに言い聞かせる母親のようで。
それを敏感に感じ取った攸夜は理性では正論だと理解していてなお、言い募る。
「だけど……っ」
『なのはさんや、それからフェイトさんたちが心配なのはわかります。ですが、今のご主人様では足手纏いになってしまうだけです。ここは自重してください』
「ッ!」
にべもなく切って捨てられた攸夜は一拍置いた後、ボサボサの黒い髪をくしゃくしゃと掻き乱してため息を吐いた。
「……わかった。お前の言うとおりにする」
ゆらゆら覚束ない足取りで、それなりに大きなコンクリートの塊に近づくと、背を預けてズルリと力なく腰を床に落とした。
散々に軽口を叩いていたものの、実際のところ攸夜の体力は限界に近かったのだ。無論、“手札”など吐いて捨てるほど残してはいたが。
「はは…………。僕は弱い、な」
自嘲と一緒に紡がれた言葉。
遠くの空で微かに走る黄金の光へ贈った言霊は、夜の闇に消えて――
『最初から強い人間なんて、どこにだって居ませんよ。ヒトは、弱いから強くなれるんです。命があれば、望みを捨てなければ、次があります。次がダメならその次、それがダメならそのまた次に……そうやって諦めなければ、出来ないことなんてほとんどない。そうでしょう?』
「そう、だな……」
半身の励ましに弱々しく微笑む。そして、攸夜の瞼は伏せられて意識が微睡みの淵へと落ちる。
静かに寝息を立て始めた彼を守護し、包み込むように純白の“羽根”が夜闇に漂っていた。