「あ……!」
朝。
チャイムの呼び出しに、眠たそうな目を擦りながらドアを開けたフェイト。インターホンを押した張本人を前にして、彼女のつぶらな瞳はあらんばかりに見開かれた。眠気は一瞬にして晴れたようだ。
「おはよう、フェイト。今日もいい天気でなによりだ。知ってる? こういう天気のことを小春日和っていうんだよ」
「ふぇ……ぁ、あう、あの、えっと……そのっ……」
昨晩のことなどなかったかのように、普段の調子で挨拶をする黒髪の少年。一方、彼の姿を見た途端、雪のように透き通った白皙の肌を真っ赤に染め、もじもじして落ち着きを失う金髪の少女。
一見すると対照的な二人であったが、攸夜の方も実はそれなりに動揺していたりする。唐突に天気の話などをしだしたのがいい証拠だ。
ひねくれた少年の無駄に複雑な機微など未だ情緒が幼く、発展途上中なフェイトに感じ取れるはずもなかった。
「……お、おは、おはよう、ユーヤ」
「おう」
少しどもりながらも何とかはにかんで挨拶ができた少女に、少年は微笑を返した。
「あああ、あのね、えと、き、昨日のね――」
「そろそろ……」
昨夜のことについて、改めて切り出そうとするフェイトを華麗にスルーして。攸夜は、明後日の――具体的に言うなら二人の共通の友人の自宅がある方角を向いて、言う。
「なのはが来る頃だろうから、深呼吸でもして落ち着くといいよ。……顔、タコみたいに真っ赤だぞ?」
「ええっ!? ――はぅぅぅ……そうする……」
フェイトは頷くと、火照った頬に両手を当てて落ち着こうと懸命に深呼吸をはじめた。
数分後。どうにかこうにか動揺を収めたフェイトは、気持ち上目遣いで攸夜を見る。
「ごめんなさい……」
「何に謝ってるのか、わからないな」
「私にもよくわからない……でも、ごめんなさい……」
脈絡もなく落ち込んで、しゅんとするフェイト。結った髪も心なしか垂れ下がっているようだ。
そんな姿が、叱られて耳をすぼめた子犬のみたいに見えて。攸夜は思わず頬をほころばせた。
「まあ……フェイトのそういうところ、僕はかわいいと思うけどね」
「っっ!?」
ようやく赤みのひいたフェイトの頬が、不意を突くようなセリフに再度赤らむ。きめ細やかな白い肌が紅色に染まるとまるで楚々とした薔薇のようだ。
「あ、あううぅぅ~……」
「くくっ、ほんとフェイトはかわいいなぁ。うりうり」
『……相変わらず悪趣味ですね、ご主人様』
『どつぼに陥っていますよ、お嬢様。落ち着いてください』
ニヤニヤと笑み、フェイトの頭を撫で回す意地の悪い主を呆れたようにツッコむアイン。そして、冷静に主をフォローするバルディッシュ。そんな彼?の発言に、攸夜が怪訝な顔をした。
「……一つ、いいか? バルディッシュ、いつからフェイトのこと“お嬢様”って呼ぶようになったのさ?」
『いえ、アイン・ソフ・オウルに合わせてみようかと』
『毒されていますね』
「お前が言うな、お前が」
漫才のようなやり取りをする一人と二機。
「んー……」
なされるがまま、攸夜に頭を撫ぜられているフェイトは、気持ちいいしもうどうでもいいかな、などと思考を放棄し始めた。
なお、後からやって来たなのはが、二人の間に漂う甘ったるい雰囲気を怪訝に思い、不思議そうに首を傾げていたことを追記しておく。
♯18 「敗北 ~悪夢に染まりゆく~」
モニターの発する光が照らす仄暗い一室。
近未来的な設備に併設されたコンソールの前に座り、忙しなく指先を働かせるエイミィ。その背後、控えるように佇む攸夜は腕を組み、モニターを厳しい表情で睨んでいた。
「…………」
正体不明のクラッキングから何とか回復したモニターに映る映像――異世界の砂漠を舞台に、黒衣を纏う金髪の少女と魔剣を振るう女剣士が、死力の限りを尽くして激闘を繰り広げている。
それを食い入るように見つめる攸夜の表情は冴えない。
もしもの時のために控えとして残っていた彼だが、本音では自分が代わりに戦いたかったのだろう。組んだ腕に爪を立て、無理矢理に感情を押さえ込んでいた。
同じく、戦槌の騎士の元へ向かったもう一人の友人――白い服の少女のことなど、もはや攸夜の眼中にはない。
しかし、それも無理からぬことだ。
現状唯一、生の感情を曝け出せる人物――全幅の信頼を置く保護者、ルーチェの不在による歪みはわずかに、だが確実に心を蝕んでいる。
彼とてまだ小学生、親の庇護が必要な年頃。同世代よりはしっかりしていたとしても、それはあくまで“子ども”という範囲でのこと。根本的な精神の強度はなのははもちろん、フェイトよりもずっと脆いのかもしれない。
そこに来て、すぐ近くへと越してきた想い人が毎日のように通い始め――多少過剰かもしれないフェイトのスキンシップで、攸夜の心は一応の均衡を取り戻していた。
けれど、それはつまりフェイトに依存するということ。少しの弾みで彼の不安定な心は簡単に砕け散るだろう。とはいえ、フェイトの方はフェイトの方で、攸夜にあらん限りの信頼を置いて依存しているのだから、お互い様としか言いようがないが。
打ち合い、傷だらけの二人。
彼女たちの決闘は、意外な形で決着を迎えた。
《う、あ……うああああああーーー!?》
「ウソ!? そんなっ!」
「ッ!!」
攸夜とクロノを妨害した仮面の男が突如として乱入し、背後からフェイトの身体を貫く。黒みがかった紺色の魔力光が迸り、貫通した掌には金色のリンカーコアが収まっていた。
その映像を茫然として眺める攸夜は鈍い頭痛のようなものを感じて、無意識の内に左手で顔の半分を――左眼を押さえる。
仮面の男に刺し貫かれ、砂の上に崩れ落ちる、好きだと伝えたばかりの女の子に別の誰かの姿が重なった。
――脳裏に浮かぶのは、白と赤の巫女服を身に纏う黒い髪の“ダレカ”。
“私”のせいで死んでしまって……でも、それでも、“私”を救ってくれた、大切な――――
「……エイミィさん、行きます」
「え? ちょっ、攸夜君!? 行くってどこに――」
エイミィの制止を無視して、能面のように表情を失った攸夜は七芒星の魔法陣を床に敷く。
“紅黒い”魔力の光を放つそれは、漆黒のバリアジャケットを纏った攸夜の身体を光明のカーテンで包み込んだ。
* * *
とある異世界、灼熱の砂漠。
サラサラとした砂の上に倒れ、闇の書に魔力を吸収されていく金髪の少女を前にして、シグナムの鋭利な美貌は苦々しく歪んでいた。
「くっ、私は……!」
フェイトとの決闘に水を差され、あまつさえ不意打ちに倒れた彼女から魔力を蒐集するという卑劣な行為に、シグナムは騎士の矜持を汚されたと感じて屈辱に震える。しかし一方で、“主”のために如何なる汚名も被ると誓った理性と忠義がこの行為を是とし、その矛盾が彼女を苛んでいた。
シグナムの葛藤を余所に、フェイトの胸から露出した金色のリンカーコアが、闇の書に喰われて縮小する。身の毛もよだつ、悍ましい光景。
「……」
仮面の男が目的を達したことに満足し、この場を去ろうとしたその時だった。
「――――
透き通る、蠱惑的なテノールが辺りに響いた。
そして世界にノイズが走り、世界は一瞬にして塗り変わる。
「何だ、これは……?」
理解できないモノを目の当たりにしたように、シグナムが唖然とした様子で呻く。
蒼天の下、地平線まで続く砂の海が広がっていただけのその光景は、今や一変していた。
赤、紅、朱、あか、アカ――ここはアカイセカイ。
大地を覆う生命の息吹を封じるアスファルトと、不規則に乱立する無数のビル群。命の痕跡を残さない作り物の街並みは、どこか空虚で、薄ら寒ささえ感じさせる。そして、鮮血を思わせる朱い天空に座す紅い満月は不吉なほどに輝き、爛々たる光で模倣の街を深紅に染め抜く。
“コレ”が自分たちの使う、封鎖領域と同質異法のモノであることは理解できる。だが、シグナムに理解できたのはそれだけだった。
誰が想像するだろうか。
ただ一人の人間が、独力で世界を塗り替え、街一つを砂漠に創り出す奇跡じみた大魔法を操るなどということを。
「…………」
この、紅い領域を創造した支配者たる黒衣の“獣”は、紅黒い魔力光で形作られた六枚の翼と紅い月を背負う。
彼の身体から漏れ出した莫大な魔力とプレッシャー――、周囲の空気がチリチリと悲鳴を上げる。
彼に付き従う七枚の“羽根”は、天から降り注ぐ紅い光を受けてもなおその純白の輝きを誇っていた。
「宝條、なのか?」
癖の強い無造作な、無明の闇にも似た漆黒の前髪から覗くのは、あらゆる感情を凍結させた絶対零度の蒼い瞳。風のない、凪の海を思わせる穏やかな光を湛えていた瞳はどこにもない。
「……」
王者の凱旋か、それとも悪魔の光臨か――――
ゆっくりとした速度で、黒衣の“獣”が降下する。
シグナムを一瞥した彼は、迷うことなく横たわる少女の側に降り立った。
「ユー……、ヤ……?」
意識が朦朧としているのだろう、フェイトは視点の定まらない虚ろな紅い瞳に少年を映して、弱々しくその名前を呼ぶ。
攸夜は片膝を突き、彼女のほっそりとした腰と簡単に手折れてしまいそうな首に手を入れて、華奢な身体を優しく抱き締めた。
「大丈夫だよ、フェイト。今は少し休んでいて」
柔らかな頬に、大切な宝物を扱うような仕草でそっと手を添え、囁く。
「う、ん……」
攸夜の言葉に安心したのか、フェイトは儚く微笑むと、穏やかな表情でまぶたを瞑る。
弛緩した彼女を地面にそっと横たえる攸夜。慈しむように金糸の髪を軽く撫でてから、名残惜しさを残しつつ、彼はゆっくりと立ち上がった。
「アイン、お前はフェイトを護っていてくれ」
『――――』
七枚の羽根は、一言も言葉を発せず、ただ主の言いつけ通り地面に横たわった少女を取り囲む。
「宝條、これはいったい――」
「アンタは喋るな」
シグナムの問いをにべもなく切って捨てた攸夜は、右手を無造作に彼女へと突き出す。
有り余る膨大な魔力が解き放たれ、発生した超重力の魔法陣がシグナムの全身を絡め捕った。
「がッ!?」
アスファルトを破砕して、地面に張りつけにされたシグナムに興味を失ったのか、攸夜は敵意の――いや、殺意の籠もった視線を警戒して構える仮面の男へと向けた。
「直ぐに分かると言った筈だ。お前のしている事は――」
「黙れよ」
一言。そのたった一言で、男は膝を突いた。浴びせられた殺意を伴った猛烈なプレッシャーに堪えきれずに。
「アンタがどこの何者だかは知らないし、僕たちの邪魔して何を企んでるかなんてそれこそ知ったことじゃない」
少年の小さな身体から瘴気にも似た濃密な、根源的な恐怖を齎す魔力が放たれる。
それは蒼銀ではない。昏く濁った紅黒だった。
「ッ!?」
深い深淵を思わせる漆黒の衣と、六枚の硬質な深紅の翼。紅黒く燃える魔力の焔――――
神々しくも禍々しい矛盾を孕んだその姿は、唯一神に反逆する悪徳の化身、魔界の支配者、全ての悪魔の統べる王――古き神話にて謳われる“魔王”そのものだった。
「どうでもいいんだ、そんなこと。……だけどただ一つ、気に食わないことがある」
湯水のように垂れ流される魔力の負荷に耐え切れず、ビシリと嫌な音を立てて地面に無数の亀裂が走り、終いには砕け散る。
帯電したエネルギーがスパークし、欠片や細かい塵などが浮かび上がった。
地の底から響きわたる重苦しい地鳴り。
「アンタは僕の大切なひとを傷つけた。それだけはどうしても許せないんだよ。だから――」
言いながら、攸夜がゆっくりと軽く握った左手を白いスーツの男へと突き出した。
掌の中で凶光が集まる。
指の間から漏れ出した魔光が紅い夜闇を焼き尽くし――――
「壊れろ」
ありとあらゆるものを破壊し、滅ぼし、無に還す紅黒い光が臨界を超えてその力を解放した。
〈
自身が存在する周辺空間に常時纏う生命エネルギーの衣――“プラーナ”を押し広げ、強靭な結界を創り上げる異能。“フォートレス”とも呼ばれるこれは術者の内的世界そのものともいうべき空間であり、因果を通常空間から切り離すことで内部で発生した事象、行動は外界に対して全く影響を与えない。
――そこはもはや完全に独立したひとつのセカイ。
紅黒い月光が照らし出す、世界から切り離された場所で繰り広げられている光景はもはや戦いなどではなかった。
圧倒強者による蹂躙。
殺さないように加減して、しかし最大限の苦痛を刻み込むように
鉄拳が、蹴撃が、魔法障壁をいとも簡単に粉砕する。闇黒の魔弾が暴風雨のように乱れ飛び、光焔の魔手が煉獄の灼熱をもって愚者を灼く。
おそらく仮面の男の純粋な技量は、攸夜のそれよりも遙かに上だろう。以前、二人掛かりのクロノと攸夜を軽くあしらっていたことからも明らかだ。
しかし、その技量差を覆して余りある底知れない魔力の濁流があらゆる攻め手のことごとくを問答無用でねじ伏せていた。
――――理不尽の権化、絶対無比の化身。破壊と暴力、人心の闇と破滅の光を担う“悪意の存在”の再臨であった。
「ぐあッ!」
猛攻を受け、仮面の男の纏う白いジャケットは襤褸切れ、顔を覆い隠す仮面は下半分が完全に破損して地肌が露出し、残った部分も罅割れている。無論、全身は血みどろである
「ほらほら、どうしたの? もっとちゃんと抵抗しなきゃ」
対する攸夜。傷一つない漆黒のコートを靡かせ、どこか空虚に見える無邪気な笑みを浮かべ、悠然と、だが気怠そうに構える。
苦し紛れに繰り出された拳を易々と避け、カウンターにボディーブローを叩き込む。
内なる神秘を乗せた一撃は、疲労して脆弱となったバリアジャケットを突き破り、仮面の男の身体に深刻なダメージを与えた。
「が、はッ……」
肺を無理矢理に圧迫され、男の口から血の混じった空気の固まりを吐き出す。
「じゃないとさぁ――」
追撃の後ろ回し蹴りが、クロスして防御する仮面の男を横合いから薙ぎ払った。
骨が砕ける嫌な音が響く。
男は弾丸のように吹き飛び、勢いよく高層建築物の壁に次々と突っ込んだ。
「――すぐに壊れちゃうじゃないか」
凶兆を感じさせる紅い真円の月を背負い、攸夜は愉快そうに
眼下には倒壊し、噴煙を上げるビルの残骸。彼はそれに向けて左の人差し指を突きつけた。
濁った血の色をした七芒星の魔法陣が足元に広がり、周囲にテニスボール大の光球が無数に発生する。
「行け、破砕の光球……!」
底冷えのする笑みを崩さず、攸夜が呪言を紡いだ。
それを引き金に、数数え切れないほど創り出された破壊の力を秘める光球――〈サンライトバースター〉が、文字通り絨毯爆撃のごとく地面に降り注ぐ。
まばゆい閃光が偽りの街に溢れ、着弾した光球が次々に大爆発を引き起こした。
「くすくす……さあ、お次はこれだよ」
爆光が終息し、出来上がったおびただしい瓦礫の山を眼下に収め、攸夜は両腕を天に差し向けた。
光速の集中――ボールを挟むような形を取った手の中に、圧倒的かつ天文学的な量の光子が集まっていく。それを取り囲むように二本の紅黒い帯状円環魔法陣が形成。
一抱えはある光明の塊は、深紅のコロナを舞い散らせながら徐々に大きさを増す。
あまりに高すぎる温度のために、赤から金、金から蒼白、そして真白へと色彩を変化させる。熱が漏れ出さないよう魔力で制御されていなければ、術者諸共たちまち辺りは灼熱地獄と化すだろう。
万象を例外なく、完膚なきまでに焼き尽くす小さな太陽がそこにあった。
「天壌の劫火、太陽の輝きをその身で味わえ――――!!!」
頭上に抱えた半径5メートルはあろうかという攸夜は巨大な光輝を、一気に摩天楼へと投げ落とした。
〈ディヴァインコロナ〉。攸夜が扱える数多くの魔法の中で、最上級の一つに数えられる〈天〉の極大閃光魔法である。
あらゆる生命の根源たる太陽にも匹敵する強烈な輝きで、邪なる存在を浄化する滅光の極地。攻撃範囲こそリブレイドやジャッジメントレイに劣るものの、その一撃の破壊力はジャッジメントレイの約二倍に届く。
三つの魔法陣を潜り抜け、加速されたディヴァインコロナが――天より落ちる太陽の輝きが、光の尾を残して瓦礫の山へと到達する。
大地を揺るがす轟音とともに、純白の光芒が全てを覆い尽くした。
「……あれれ、もう終わり? もう少し耐えられると思ったのに、がっかりだな」
攸夜はその不可解な現象に少しだけ眉を揺らすも、「変身魔法か」と真相に思い当たると詰まらなそうに鼻を鳴らした。
「ふん……なかなか胡散臭いじゃないか。まあ、僕にはどうでもいいことだけど」
手加減したとはいえ、“神聖なる光冠“の威力は凄まじく。使い魔は生きているのが不思議なほどに傷つき、ボロボロだった。
もっとも、彼女の“正体”を知るものからすれば当然ではあったのかもしれないが。
「う……」
辛うじて生存していることがわかると、変わらない嘲笑の中に嗜虐心を覗かせ、顎に指を当てて考えるような仕草をした。
「さて、コレをどうしてくれようか。…………あぁそうだ、腕と脚を切り落として達磨にしよう。くすくす……一応、いろいろと聞き出さなきゃいけない立場だからね」
言って、右手に闇を縒り固めた魔力の槍を創り出し、着地。同時に三対の紅黒い翼が魔力の残滓になって霧散した。
残忍なセリフには不釣り合いなほどあどけない表情を浮かべ、ちいさな“魔王”は愚者にトドメを刺すために一歩一歩、ゆっくりと歩み寄る。
もしも今このとき金色の少女に意識があったのなら、攸夜が身に余る“チカラ”に翻弄され、自分を見失っているように思ったはずだ。命を賭して彼を止めようとしたかもしれない。
しかし、現実の彼女は未だ深い微睡みの底。暴虐の限りを尽くす“魔王”を鎮めることが出来る者など、この場には存在しなかった。
たとえ、歴戦の騎士であったとしても――――
「何のつもりだ?」
自分の目の前へ躍り出た人物に、攸夜は呆れ果てたように嘆息した。
「もう十分だ! 止めろ、宝條!」
重力の網を抜け出したシグナムがレヴァンティンを携えて立ち塞がる。
「止める? 何を?」
「テスタロッサは直に目覚める! お前がそこまでする必要などないだろう!?」
“主”の友の暴挙を見ていられなかったのだろうシグナムの、決死の形相で発せられた言葉。当の本人は、きょとんとした表情で彼女の叫びを聞く。
そして――
「く、ククク……クハ、ハハハハハハ、アハハハハハハハハッ!!」
「ッ!?」
表情を歪め、狂ったように“獣”が嗤う。喉を張り上げ、身を仰け反らせて。
壮絶な狂気に気圧されたシグナムが思わず身体を強ばらせる。あまりの狂態に、目の前の少年が得体の知れない“バケモノ”なのではないかという馬鹿げた妄想が彼女の脳裏に過ぎった。
「――たかが人斬りの分際で常道を語るか。寝言は寝て言え、シグナム。誰がフェイトを傷つけたのかを思い出せ。自分の立場くらい弁えろよ、戯けが」
シグナムの言葉を一笑に付し、ギラギラと蒼い瞳を狂気で輝かせた攸夜は独白する。
「僕はただ、フェイトを傷つけようとするモノ全てを破壊し尽くしたいだけなんだよ。“守る”んじゃない、“壊す”んだ。あの娘がもう傷つかなくていいように、もう泣かなくていいように」
自らの心情を、自らの“戦う意味”を吐露しながら、攸夜は左手をゆっくりと掲げる。
「――だってそうだろ? 世界にいるのが僕たちだけなら、誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることもなくなるんだから。子どもの僕にもわかる、簡単な図式さ」
それは独善。
独りよがりで自己完結した心が生み出す、空疎な自分を守るための防衛本能。傲岸不敵で飄々とした仮面で隠した脆弱な本質を現れである。
けれど、心優しい少女はそんな哀しいことを少年に求めてはいない。今はまだ幼い、淡くて未熟な恋心が辿り着く“答え”はきっと別の何か。
「だから、全部壊すんだ。もちろん、アンタもね」
「宝條!」
「……いい加減面倒だな。そんなに死にたきゃ、アンタも一緒に壊れなよ」
掲げた左手の中に集束する深紅の魔力――再度、生まれる太陽の輝き。紅黒い燐光を火の粉のように撒き散らしながら、次第に肥大する。
ひどく歪んだ白い太陽は、攸夜の心に巣くう
シグナムの頬を汗が一筋伝い、アスファルトへ流れ落ちる。
「じゃあな。アンタは嫌いじゃなかったよ」
「くっ!」
反射的に愛剣を右八双に構え、パンツァーガイストを身に纏うシグナム。だが、疲弊した状態の自分ではあの極少の太陽を防ぐことはできないと、彼女は理解した。理解させられた。
(済まない、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル……後は、頼む……)
心の中で同胞に謝罪し、彼女は覚悟を決める。同時に振り下ろされる左の腕。
「消え――」
「だめ……ユーヤ……」
「――っ!」
不意に発せられた少女の譫言。地に伏せたまま、無意識の内に紡がれた微かな声が少年の壊れかけた心を揺さぶる。纏わりついていた闇黒のような殺意が霧散した。
その瞬間、攸夜の構築していた月匣に大きな亀裂が入った。
空に浮かぶ濁った紅い月が、一瞬だけ透き通るような蒼白に染まり、鮮血で塗りたくられていた街並みが本来の色を取り戻す。
支えとなる力を失った月匣が外界との矛盾に耐えきれず、軋み、歪む。
――ガラスが砕けるような甲高い音が鳴り、虚像の領域が崩壊した。
「……! 結界が――」
蒼白い衛星がいくつも浮かぶ蒼空。
砕けたセカイの欠片が、白雪にも似た蒼銀の粒になってパラパラと、砂の海に舞い落ちる。
幻想的な光のシャワーを浴びながら、攸夜とシグナムが睨み合っていた。
緊迫した沈黙が広がる。
未だ警戒を解かないシグナム。攸夜は軽く深呼吸するように吐息を漏らした。
「……興が削がれたな、行けよ」
左手に残っていた魔力を消散させる。漆黒の槍を気怠そうに肩に担ぎ、呆然としているシグナムへと告げる。
それは普段、攸夜が見せる不敵で飄々とした態度。だが、蒼い瞳に宿る剣呑な光だけは変わらず、寄らば斬るといった雰囲気を纏いシグナムに突きつけていた。
「――テスタロッサに、言い訳はできないが済まない、と伝えてくれ」
「ああ」
レヴァンティンを納剣し、沈痛な表情で言うシグナムに攸夜は素っ気なく答える。
彼女にもう戦う意志がないことを理解すると、興味を失ったように視線を外して砂丘のベッドで眠る少女に向けて歩き始める。
その態度に強烈な拒絶を感じ取ったシグナムは、少年へ投げかける謝罪の言葉を口の中で彷徨わせ、諦めたように瞳を伏せた。
「……」
紫色の魔力光を放つ剣十字の魔法陣がシグナムの足元に広がり、彼女をこことは違う場所へと誘った。
「……。フェイト……」
純白の“羽根”に守られて、静かに寝息をたてる可憐な想い人の姿。かわいいな、と攸夜は不謹慎な考えに微笑みをもらす。
彼は彼女のすぐ横に腰を落ちつけると、無言で柔らかいさらさらとした黄金の髪を撫で始める。つい先ほどまで苛烈な破壊を起こしていたとは思えないほど、とても優しく、哀しげな表情で――
アルフが迎えに来るまでの間、白い七枚の“羽根”は少年と少女を見守るように、慈しむように、ふたりの周りを静かに漂い続けていた。
* * *
ようやく改装を終えたアースラ、その会議室にて。
幻想的な青白い光に照らされて、数人の人影が浮かび出される。艦長のリンディ、執務官のクロノとその補佐を勤めるエイミィ、ブリッジスタッフであるアレックス――そして、なのはとアルフ、攸夜が揃っていた。
皆の表情は一様にして冴えない。
「仮面の男の正体が分かった。リーゼロッテ……ギル・グレアム提督の使い魔の片割れだ」
複雑な表情のクロノが説明を始める。
実際、彼の心中は様々な感情が入り乱れ、混沌としていた。尊敬し、師と仰ぐ人物の不可解な行動に動揺して当然の反応だったが、執務官としての責務を全うするために必死で押し殺している。それにはどれだけの精神力が必要なことだったのだろうか。
「彼女は現在拘束されているものの、意識は取り戻していない。医師の見立てによると、命に別状はないが全治半年の重傷だそうだ。これじゃ、事情聴取なんてとてもじゃないができないな」
言って、非難の視線を大怪我を負わせた張本人に投げかけるが、攸夜はそれに気づきもせず上の空だった。
リンカーコアにダメージを受け、医務室で眠っているフェイトのことが心配なのだろう。
「主とリーゼアリアはタイミングを見計らったように雲隠れ。現在、目下捜索中です」
「ふたりが出動してしばらくして、駐屯地中のシステムがあらかたダウンしちゃって、それで、指揮や連絡が取れなくなっちゃって……何とか復帰させたら、今度は攸夜君が――」
「現地へ強行。見事、ロッテを拘束できた訳だ」
「……」
しょんぼりとしているエイミィから引き継いだクロノの皮肉混じりの説明に、ようやく攸夜が反応する。僅かに眉を顰め、不愉快そうに目を細める。
「管理局の機材を使っていたにも関わらず妨害されたのも納得ね。身内、というか内部の犯行なのだもの、当然よね」
困ったように頬に手を当て、自嘲気味に笑うリンディ。
「……“幽霊の正体見たり枯れ尾花”、か」
「ゆうれい……? 攸夜くん、それってどういう意味なの?」
心底白けたと言わんばかりの表情で、攸夜がぽつりと漏らすと隣に座るなのはが不思議そうに首を傾げて意味を問うた。
「幽霊かと思ってよく見たら、ただの枯れたススキの穂だった。実体を確かめてみれば、真相は平凡だったことをたとえた言葉だよ」
「へー」
なのは感嘆したように相づちを打つと、攸夜は人の悪い笑みを浮かべる。
「案外、何もなければしれっと何食わぬ顔でこの会議に参加してたりしたんじゃないかな。自分たちで妨害しておいて、「仮面の男の映像が撮れただけでも~」とかなんとかほざいてさ」
吐き出された辛らつな皮肉に、管理局の関係者は揃って苦虫を噛み潰したような顔をする。
その他人事のような物言いに我慢できず、クロノは噛み砕くほど歯を食いしばって攸夜を睨みつけた。
「攸夜、どうしてあんなになるまで彼女を傷つけた? いや、それ以前に、管理局の設備で索敵も、観測すら出来なかったあの“結界”の中で何をしていたんだ?」
「……別に。ただ、逃げられないように結界を張って、“敵”を殲滅しただけですけど」
醒めた目をして、自分に向けられた視線を受け流す攸夜。そこに悪びれた様子など微塵もない。
「君はッ!」
「本音を言えば――」
ふてぶてしい態度に激するクロノのセリフを遮って、言葉が続く。
「フェイトを傷つけた“アレ”が、目障りだったんですよ。ひねり潰してミンチにしてやりたいほどに、ね。半殺しで済んだだけまだマシだと思ってほしいな」
「ッ!」
勢いよく立ち上がるクロノ。勢い余って椅子が床に倒れる。
烈火のようなクロノの視線と、凍結した攸夜の視線が交わった。
「なに怒ってんです、クロノさん。……まさかアンタ、“アレ”が身内だからって情けをかけてるとでも?」
「ッ!? ぼ、僕はそんなつもりは――」
「なら、赤の他人だったらそんなふうに声を荒げてましたか?」
「……ッ」
攸夜の鋭い指摘に無意識の感情を暴かれ、クロノは言葉を失う。確かに、仮面の男の正体が自身の恩師であったこと、そしてその恩師を酷く傷つけられて感情的になっていることを否定できない。
「ふん」
その程度かと見下して鼻で笑う少年に内心を切開され、ますます頑なになった執務官は悪意には屈しないと指すような視線を強める。
対立する二人の間に流れる一触即発な空気にどうしたらいいのかわからず、涙目であわあわオロオロと混乱するなのは。クロノを宥めようとする管理局職員二人。アルフは攸夜の意見に賛同しているのか、腕を組んで我関せずの態度を取っている。
「落ち着きなさい、クロノ」
殺伐とした雰囲気を払拭するような、凛としたリンディの声が響く。
「ですが!」食い下がるクロノを視線だけで黙らせたリンディは、そのまま攸夜へと言葉を投げかけた」
「攸夜君、あなたはとても賢い子だから、自分のしたことが一歩間違えれば重大な罪になりかねないことだと、ちゃんと理解しているわね?」
「……」
「沈黙は肯定と受け取ります。……私は、アースラの責任者としても、一人の“大人”としても、あなたがしようとしたことを許すことはできないわ。次はない、そう思っておきなさい」
断固とした口調で告げるリンディを見返して、攸夜は数瞬沈黙する。ややあって、根負けしたように吐息をこぼした。
「……わかりました」
力ない声を発したきり、攸夜は口を閉ざす。その後、グレアム提督の目的、闇の書の主の所在などが話題に出たが、会議の空気はまるで通夜のように沈みきっていた。
そして、攸夜となのはが帰宅したあと、アースラの解析室に残り、難しそうに眉間に皺を寄せて考え込んでいるクロノに、リンディが声をかけた。
近くのコンソールで作業していたエイミィも、手を取め、会話に聞き耳を立てる。
「クロノ、辛いなら泣いてもいいのよ?」
「っ、艦長、子供扱いしないでください」
ムスッとして言い返すクロノ。内心では“母”に感謝しているのだろうが、さすがに泣きつくわけにもいかない。
「ただ――、
「そうだよねー。彼、なのはちゃんやフェイトちゃんと違って、素直じゃないというか、すごく気難しい子だから……。普段はわりと聞き分けのいい子なんだけど、戦闘とかそういうシビアな話になるとけっこう物騒なんだよね」
「あら、そんなことないわ。攸夜君もなのはさんやフェイトさんのように十分、素直な子よ」
「そうですか?」
わりと酷いクロノの所感にエイミィが同調すると、リンディはすかさず否定した。
「そうよ。……あの子は、自分の心と感情に素直なのね。好きなものは好き、嫌なものは嫌……最終的な判断基準には白か黒しかないから、すごくシンプル」
述べるリンディの表情は、凛々しい“管理局の提督”ではなく優しげな“一人の母親”のもの。
母性愛の強い彼女は自分の子どもだけでなくフェイトやなのは、攸夜のようによくも悪くも目を離せない子どものことが気にかかってしまう。
「それでいて芯は脆いから、傷つかないように虚勢の仮面をかぶって、“本当の自分”には誰も近寄らせようとしない。少しひねくれてはいるけれど、攸夜君も普通の男の子よ。……それで、少しでも、みんなに心を開いてもらいたくてフェイトさんにお願いしてみたのだけれど、結果的に逆効果になっちゃったみたいね」
そう言葉を締めくくる。それから彼女は、やや疲れたように苦笑いを浮かべた。
さすがのリンディも、攸夜の本質的な部分に抱えた歪みまでは汲み取れなかった。
「へー……。艦長、よくそんなことわかりますね」
「エイミィも、母親になればこれくらいのことはわかるようになるわ」
リンディとエイミィは、なぜか揃ってクロノの方へ視線を向ける。
「……何か?」
「「いいえ、何も」」
怪訝な顔をするクロノを促して、三人は諸々立て込んだ作業を進めるのだった。
* * *
小春日和の暖かな日差しが差し込む清潔な病室。ベッドに横たわる金髪の美女と、黒髪の少年が談笑している。
ブラックローズ・ティーの注がれたカップが二つ、ベッドサイドのテーブルで湯気を揺らす。
一見楽しそうに見えるが、少年――攸夜の表情は、どこか陰りを帯びていた。それを保護者の勘で感じ取ったのか、美女――ルーチェは心配そうに問いかける。
「攸くん……元気ないけど、どうかした? 何かあったの?」
「え? そうかな、そんなことないと思うけど」
黒髪の少年が力なく取り繕う。わかりやすい態度に「ふぅん……」と、チシャ猫のような笑みを浮かべたルーチェがさらに爆弾を放り込んだ。
「もしかして、フェイトさんにふられちゃった?」
「ち、違っ、違うよ!」
身を乗り出して、力の限り否定する弟のリアクションに姉は「あら、そうなの?」とあっけらかんとして見せる。
「ぅぅ……あー……まあ、フェイトのことなんだけどさ。ちょっと体調が悪いらしくて、今日の学校休んだんだよ。それで、ね」
「そうなの……、それは心配ね。で、告白はどうなったの? したんでしょう?」
「う゛……どうも引っ張るね、今日の姉さんは」
「女の子だもの、こういう話は大好物よ」
とびきりイイ笑顔のルーチェ相手に、これ以上の抵抗は無意味だと判断した攸夜は観念して小さく溜め息をついた。
「今のところは、何も。昨日はいろいろ忙しかったし……答えを聞くの怖かったから、言わせないようにはぐらかしたんだよね」
「ちゃんと好意を伝えられたのはエライけど、意気地なしねぇ」
「…………意気地なしで悪かったですね」
「くすっ、ごめんなさい、言い過ぎたわ。でも少し詰めが甘いわよ、攸くん。“男は度胸、女は愛嬌”ってね。なんだったら押し倒しちゃって――」」
「ちょ、姉さん!?」
「――とまあ、それは冗談として」
ズルッと椅子からずり落ちる攸夜。そんな甥を手招きして、ベッドの端に座らせると、ルーチェが彼の頭を軽く抱きかかえる。
「わっぷ」形のいい双丘に顔を突っ込む形になってしまった攸夜は、思わず赤面した。
「攸くん」
「ん、な、なに?」
癖の強い髪を優しく撫でながら、ルーチェはかわいい弟に問い掛ける。
「フェイトさんへの気持ちは本物?」
「うん」
「大好き?」
「うん、大好きだ」
「私よりも?」
「……うん」
「ふふ、いい返事ね。お姉さんも応援してあげるからがんばりなさいな、攸くん。あんないい娘さん、絶対に逃しちゃダメよ?」
慈愛に溢れた微笑みで、その整った面立ちを彩り、ルーチェは攸夜のボサボサな黒髪をやさしく撫でてやる。
恥ずかしそうな表情でなされるがままの少年へ、彼女は続けて言葉を投げかけた。
「……きっとあの
「……?」
意味深な言葉の真意がわからずきょとんとする攸夜。ルーチェはそれ以上は語らず、ただ微笑を浮かべて癖の強い髪を撫で続けていた。
「じゃあ、ルー姉さん。そろそろ帰るね」
「ええ、帰り道は気をつけてね。最近めっきり寒くなったから、カゼなんてひいちゃだめよ?」
「うん」
引き戸が閉まり、黒髪の少年の姿を完全に遮った。
「…………」
笑顔で攸夜を見送ったルーチェは、人好きのする柔らかい表情を一転して消し去り、高慢で傲慢な雰囲気を振りまく。
その気配はしかし、彼女の美貌を何一つ損なってはいなかった。
「ふぅ……」
彼女の人形のように整った美貌に疲れの色が浮かぶ。攸夜の前では隠し通していた消耗がここに来てどっと押し寄せたのだろう。
その疲れた顔が、壁に掛けられたカレンダーに向けられる。17日と24日に赤いペンでハナマルがつけられ、“攸くんの誕生日”・“クリスマスイブ”とそれぞれ丸みのおびた女性らしい字で書かれていた。
「……聖夜はもう直ぐそこ、か。――クッ、どうやらつくづく
彼女は不可思議な奇縁にシニカルな笑みを浮かべた。
“過去”の出来事を引き合いに出して自虐するなど、あまりにも“彼女”らしくなかった。“彼女”をよく知る者が、この光景を見たなら、真っ先に自分の目を疑ったことだろう。
目の前に持ってきた“紺色”の後ろ髪の一房を指でいじりながら、ぽつりと呟く。
「これしきで弱気になるとは、まったく情けない事だ」
自嘲して、窓の外に広がる冬の街並みを物憂げに眺める。その儚げな姿は、まさしく深窓の令嬢といった様相だった。
「「きっと、みんなの記憶から私のことは消えて、誰かが悲しむこともない」――……お前もこんな心境だったのだろうな、テスラよ……」
ふと口をついて出た皮肉げな弱音。
誰一人として答えるもののない言の葉が、冬の冷たく物悲しい空気に虚しく溶けていった。