その日も、普段とどおり普通に過ぎると思っていた。
この出来事は運命だったのかな? 僕にはわからない。
ただ一つ言えることは、すご~く面倒で厄介なことに巻き込まれたってことだけ。
まあ、愚痴はともかく……
魔法少女リリカルなのは、始まります。
♯2 「紅き月、白い羽根」なの?
授業の合間にクラスメートから質問責めにあったが、それ以外は別段何事もなく昼休み。
僕は弁当を食べる場所を探して校内をぶらついていた。
周囲の風景を観察しつつ、つらつらと午前の授業のことを思い返してみる。
自分で言うのもなんだが、僕の学校での成績は結構いい方である。だがしかし、聖祥大附属小のレベルは思いの外高かった。
決してついていけないほどではなかったけれど、カルチャーショックでだいぶヘコんだ。……特に算数とか。
これはあとで予習しなくては。
「……将来何になりたい、か」
そして思い浮かぶのは、社会の授業の最後に先生からもたらされた一つの問い。その言葉がやけに心に響いた。
普段の僕ならばこう答えるだろう。「平凡な会社に就職し、綺麗で優しい奥さんと慎ましく暮らすこと」と。
けれど……
「なんだろうな、この感じは……」
胸に小さなトゲが刺さったようなほんのわずかな違和感は、モヤモヤと、ジクジクと僕の思考を浸食していた。
答えの出ない思案が頭の中を巡る僕の頬を、春の風がそっと撫でた。どうやら考えに没頭してるうちに、屋上まで来てしまっていたようだ。
青い空、白い雲……んむ、ロケーション的には悪くないな。
お昼はここで食べることに決め、その辺の適当なベンチに座って弁当を開いた。
献立はシンプルにサンドイッチ。具材は冷蔵庫の中身を適当に流用したぶっちゃけ手抜きの産物である。
人に食べさせるものならどんなに簡単なものでも拘って作るけど、自分だけ食べるなら手を抜いたっていいと思う。おなかが膨れればなんでもいいのだ。
もちろん、甘いものに関しては別だけど。
「さて、と。いただきます」
サンドイッチを食そうと口を開くが、人の気配が近づくのを感じて中断。
邪魔しやがって、とかいささかエレガントではないことを考えつつ、後ろを振り向く。
「あ、あのー……、ちょっといいかな」
そこには、特徴的なツインテールの女の子が居た。というか、今朝、目線が合った女の子だ。
「えっと、同じクラスの娘、だよね?」
「うん。わたし、高町なのは。あのね、もしよかったらわたしたちとお弁当を一緒に食べないかなって」
「一緒に?」
「うん」
少し離れたベンチでこちらを興味津々な感じで見ている少女が二人。彼女たちが、この娘――高町さんの言う「わたしたち」なのだろう。
僕に声をかけたのは転校生がひとり寂しく弁当を食べることを見かねた、とかそんなところか。どうやら彼女はなかなか善人らしい。おひとよしともいう。
でも女の子からの誘いを断るのは失礼だよね、うん。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「うん!」
了承の言葉に、高町さんは花が咲くような笑顔を浮かべる。
そこに、朝感じた違和感はどこにもなかった。
とりあえずまあ、移動して。
僕らはまず、自己紹介をしあう。
「えーと、アリサ・バニングスさんに月村すずかさん、だね。うん覚えた」
金――いや山吹色の髪をツーサイドテールにまとめた、ややつり目がちな女の子がバニングスさん。
うーん、惜しい。キツそうなところがなければど真ん中ストライクだったんだけど。てか、ツンデレっぽいし。
そして艶やかなやや青みがかった紫紺の髪が美しい優しそうな女の子が月村さん。
こちらも惜しい。綺麗というよりはかわいいって感じだ。……若干、黒っぽい雰囲気がするのは何でだろ?
うん、二人を足して二で割るとちょうどいいかも。
「ねえ、あんたなんか失礼なこと考えてない?」
キッ、と鋭い視線をこちらに向けるバニングスさん。隣の月村さんもぱっと見にこやかであるが、なにやら黒いオーラが漏れ出している。
「あはは。気のせいだよ、バニングスさん……でも、僕も混ざっちゃって本当によかったのかな?」
旗色が悪そうなので話題を転換、申し訳なさそうな声色と表情で言う。いや、本当に申し訳ないと思ってるんだけどさ。
「もちろんだよ。ね、アリサちゃん、すずかちゃん」
「うん、クラスメートなんだから当然だよ」
「私は二人がどうしてもっていうから、それでよ。特別なんだから感謝しなさいよね」
「ははっ、肝に銘じとくよ。三人とも、優しいんだね」
照れる高町さんたち。素朴だ。
この後、弁当を自分で作ったことを感心されたり、バニングスさんと月村さんの家がブルジョアなご家庭であることを知ったり、将来何になるかという話で「平凡な会社に~」と言ったら枯れてると心配されたりした。最後のは失敬だな。
ともかく彼女たちとの昼食は思いのほか楽しくて。
僕は、これからの学校生活がなにやら楽しいものになりそうな予感を感じていた。
* * *
時間はさらに進んで放課後。
行きとは違いスクールバスにて下校。途中まで高町さんたちと一緒になったのは驚いた。
どうやら高町さんは近くに住んでいるとのこと。ちなみに彼女たちは塾があるらしく、途中で分かれた。
それからいったん帰宅して、エコバックを片手に近くの商店街まで買い出し。
「うーん……、今晩のおかずはどうしようかな」
食事関係は、大学の講義やらなにやらで忙しいルー姉さんに代わり、僕が担当することになっている。
昨夜「居候するんだから料理くらいやらせてほしい」と提案し、渋るルー姉さんを何とか説得したのだ。その時、僕の方が料理の腕は上だから、とか言ったら泣かれた。いくら甥の方が上手だからって泣かなくても……。
女性の涙は苦手です。
「よし、あとは帰って……」
商店街を回り、一通り食材を買い終わり帰ろうとした矢先――――
《――――》
「ッ!?」
視界にノイズが走ったような、不快な感覚に陥った。
《――――――》
脳裏に直接何かが注ぎ込まれるような、ざらついた感触。自分の深いところを無理矢理触れられ、侵されるような嫌悪感。魂の奥底から何かを引き摺り出され――――
僕は無意識に、左手で左目を強く押さえたていた。
……。
…………。
どれくらい時間が経っただろうか。ノイズのような嫌悪感は過ぎ去っていた。
「……いま、のは……?」
未だ鈍痛の残る頭で考えても答えは出ない。霞がかかったような思考は支離滅裂を繰り返す。
「…………帰るか」
僕は奇妙な出来事のすべてをうっちゃって、帰宅することを優先した。作ると言い出したからには半端な料理など論外、僕の矜持が許さないのである。
* * *
夜。それは黒が支配する闇の世界。
魑魅魍魎が跳梁跋扈する逢魔の時間。
人類が無休の光を手に入れた現代とて、それは変わらない。世の片隅に追われても“闇”は絶えず、夜の影の奥深くに、ヒトの心の奥底に住み着く。そもヒトが“闇”を――“世界”を御すことなど出来はしないのだ。
――――とか、かっこよさげなことで言って現実逃避してもしょうがない。
「………………迷った」
そう、僕は道に迷ったのさ。
夕飯をルー姉さんと一緒に食べ、一日の疲れを落とすべく入浴したまではよかったんだ。
入浴後、デザートを買い忘れてしまったことに気付き、近くのコンビニへ。
あとの経緯はまあ、想像に任せる。
「ルー姉さんと一緒に来ればよかった……」
後悔先に立たず。後の祭りとはこのことか。
アンニュイな気分で空を見上げれば、墨汁を垂らしたような黒い夜空にやけに大きい紅い満月が爛々と輝いていた。
立ち止まる。あの鮮やかな紅月を見ていると、不思議と安らぎを感じる。あんなに不気味な光景だというのに、なんだかいやな感じだ……。
「もう遅いし、今日はあきらめて帰ろうかなぁ。まあ、帰りつけるか自体も怪しいけど。……ん?」
開けた交差点に出たとき、特徴的な髪型をした女の子の後ろ姿を目にした。
僕の予想が正しければ……。
「高町さん?」
「にゃあっ!? ……攸夜、くん?」
急に後ろから声をかけたためか、変な叫び声をあげる高町さん。やはり変わった娘である。
「こんばんは、こんな時間にこんなところで何やってるの?」
「えと……この子を探してたの、かな?」
疑問系で返事をする彼女の手のひらの上には小動物が乗っていた。……オコジョ?
と、黄色ががかったイタチっぽい生き物に注目していると、ソイツが身じろぎをした。
「あれが、来る……早く……」
「小動物が喋って、る……?」
「にゃはは……」
僕は目の前で起きている理不尽に頭を抱えたくなった。高町さんもなにやら困ったように笑っていた。
その時、突然背筋に寒気を感じ、僕は振り返った。
「今度はいったい何だってんだ?」
「な、なにこれ……」
振り返った先にいたのは、黒いバケモノ。
紅い瞳らしきものを爛々と光らせ、今にも飛びかかりそうなそれは出来の悪い特撮ドラマに出てきそうな怪物。ディテールが甘くてなんだかちゃっちい。
――って!?
「っ、危ない!」
「きゃあっ」
不穏な気配を察して、僕は咄嗟に身を竦ませている高町さんを突き飛ばす。
瞬間、黒い影が僕の前を覆った。
「ご、は……ッ」
紅い月が見える。
僕は自分がバケモノの突進をモロに受け、宙に舞っていることを認識した。
次いで視界が反転、盛大にアスファルトと戯れる。衝撃で肺から空気が無理矢理吐き出された。
(――――っっ、肋、何本か逝ったか?)
額でも切ったのか、左の視界が紅く染まる。
地面にうつ伏せたみ視界を上げると、腰を抜かし、ぺたんと地面に座り込んだ高町さんを獲物と決めたバケモノがジリジリと彼女に近づいていた。
結構な距離が開いているけど、高町さんが襲われるのは時間の問題だ。
(く……どうする? 考えろ、考えるんだ攸夜――!)
僕は混乱する感情を押し込め、悲鳴をあげる全身を身体を動かす。その間に、思考の総てをこの理不尽な状況の打開に費やしていた。
敵は強大――よくわからない真っ黒なバケモノ。
こちらは無力――ただの小学三年生だ。
そして恐怖に震える女の子――今日知り合ったばかりのクラスメート。
「……フフッ」
ガクガクと震える脚で立ち上がる。鉄の味がする口からは自然と笑いが漏れた。
生還するなら高町さんを切り捨てればいい。おそらくそれで僕は生き残れるだろう。
なのにまったくもっておかしなことだけれど、どうやら僕はあのバケモノに立ち向かうつもりみたいだ。命を賭して。
勝ち目はゼロ、馬鹿らしいほど分が悪すぎる。一つしかない命を溝に捨てるような行為。
だけど――
(女の子を見捨てて、自分だけ助かろうだなんて、できるかよ!!)
左の袖で額の血を乱暴に拭い、痛む身体に叱咤して走り出す。
勝ち目なんて万に一つもないだろう。だから、僕にできることなどただひとつ……!
「ああああッ!!」
高町さんに気を取られているバケモノの鼻面に、走り込んだスピードを乗せた全力の跳び蹴りを叩き込んだ。
しかし、バケモノはわずかに体躯を揺らすだけ。
効かないことなんて始めからわかっている。重要なのは少しでも時間を稼ぐこと。バックステップで距離をとって、僕は喉を張り上げた。
「高町さん! 早く逃げて!!」
「攸夜くん!? でも……!」
「僕のことはいいから! ――っち!」
よろめきながら、何とか立ち上がる高町さん。僕を置いて逃げることを嫌って逡巡しているみたいだけど、それどころじゃないと意識から切り離す。
向き直れば、バケモノが黒い巨体で邪魔者を蹴散らそうと突っ込んでくる寸前。僕は自らを壁にする覚悟を持って、左腕で身体を庇った。
そんな僕の冷静な部分は「ああ、これは死んだな」と目の前の死を他人事のように分析していた。
なんて、呆気ない……。
僕がそう呟いたその時――――
『私の光、戻りなさい』
夜闇の静寂を破り裂くように涼やかな声が辺りに響き渡り、左腕の腕輪が蒼銀の光とともに弾け飛んだ。
七枚の白いソレは、暖かなオレンジ色の光を放ちながら次々に連結し、白亜の巨大な盾を成する。
大楯が創り出す光の壁――バリアともいうべきものに弾き返され、バケモノがコンクリートの壁に激突して土煙を上げた。
『私の名前はアイン・ソフ・オウル。――おはようございます、ご主人様』
そして茫然とする僕に、“彼女”は労るような優しい声色で語りかけるのだった。