魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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#20

 

 

 

 灰色の空。土砂降りの雨。

 もしかしたら、直に落雷でもあるかもしれない。

 ――心と身体が芯から凍えるような、そんな陽気。

 緋紅の、透き通ったつぶらな瞳を希望の光できらきらと輝かせ、ツーサイドテールに纏めた艶やかな黄金の長髪をふわふわと風に流す――誰もが足を止め、ため息をついて見惚れてしまうほど可憐な少女が、マンションの踊場を足早に進んでいる。

 今の彼女は、普段以上に輝いていた。

 その一番の理由は、ひどく幸福そうで希望に満ちあふれた表情。もともと備えていた西洋人形の如く整った容姿と、きめ細かい白雪の肌を彩った溢れんばかりの感情が一層、彼女の美しさを引き出していた。

 

「……」

 

 少女――フェイトが、表札に「HOUJOU」と書かれた一室の前に辿り着く。

 鍵が開いていることを確認すると、弾んだ息を深呼吸して整える。ぷっくりとした愛らしい桜唇から、白い吐息が断続的にこぼれ出す。

 ドクンドクン。ドクンドクン……。

 命のビートを刻む心臓が痛いほど高鳴る。

 

「……落ち着け、私……、ユーヤとお話するだけなんだから」

 

 胸に手を当て、フェイトは浮ついてしまう自分を懸命に押さえようとする。

 ――パーティーの後、翠屋から帰宅した彼女は自室でひとり、感情を持て余して悶々と“彼”の帰りを待ちわびていた。

 しかし、待ちわびすぎるあまり寝不足が祟って居眠り。数時間後に慌てて飛び起き、“彼”の家にやって来たという顛末がどこか抜けている彼女らしい。

 ともかく、ようやく自分の感情を明確に理解したフェイトは、彼女の主観で数日ぶりに訪れる大好きで恋しいひとへ、一世一代の告白をするつもりであった。

 周りの人間からすれば、「何を今更」と口を揃えて呆れられるだろうが、当人にとってみればそれは今までの苦境からは考えられないほど革命的なこと。屈託のない、咲き誇らんばかりの笑顔によく表れている。

 基本的にネガティブ思考な彼女のこと、自分の懸想を理解しても相手の気持ちを思い悩み、拒絶されることを恐がってもっと事態は複雑怪奇を極めていただろう。しかし幸いにも、“彼”からの求愛はもうすでに受けている。

 必要なピースは全て出揃い、あとは行動あるのみ。

 

「私……うまく、やれるよ。きっとだいじょうぶ……だいじょうぶ。だいじょうぶだから。……フェイトなら、私ならできるよ」

 

 何度も何度も自分に言い聞かせ、フェイトは視線を外に向けた。

 一向に止む気配もなく曇天から落ちる雨のカーテン。踊り場の欄干から、霞のかかったような街並みを見下ろして、フェイトが小さくため息をつく。

 前向きになってみても、緊張は拭えない。押しつぶされそうな不安が止まらない。

 けど。

 だけど。

 天気が悪いとか、ロマンチックじゃないとか、そんなこともはや関係ない。

 一刻も早く、“彼”に逢いたい。今すぐ“彼”に抱きつきたい。この想いを“彼”に伝えたい。

 だだ強く純粋な感情だけが、今のフェイトを突き動かしていた。

 

「…………よしっ」

 

 意を決して侵入した玄関は、夜闇のように真っ暗だった。

 鍵が開いているにも関わらず、明かりがついていないことを訝しみつつ、フェイトは手探りでスイッチを探す。前にもこんなことしたっけ、と思い出して自然と無邪気な笑みが漏れた。

 ようやくスイッチを見つけ、電灯が点灯。少女の視界を照らし出した白い光――理路整然と整理整頓されたエントランスは、妙なところで律儀なこの家の居住者の性格を如実に表している。

 ふと、視線を落としたフェイトの目に、無造作に投げ出されたぐっしょりと濡れた白と青のスニーカーと、カーキ色のハーフコートが写った。

 几帳面な印象のある“彼”には似つかわしくない光景に、首を傾げる。

 

「……?」

 

 夥しいまでの水たまりが転々と、明かりのついていないリビングの方まで続いている。

 おかしい。こんなのおかしい……普通じゃない。

 嫌な胸騒ぎを感じたフェイトは、自らの衝動に突き動かされるようにして廊下を駆けた。

 

 ――耳障りな雨音がする。

 

 水溜まりを追ってフェイトは、この家で一番広く、だが()()()使()()()()()()(

)部屋に辿り着く。

 備え付けの家具と申し訳程度に置かれたベッドだけの、生活感に欠けた寂しい室内。

 薄暗い視界の先に、揺らめく幽鬼のように佇む人影があった。

 

「……ユーヤ?」

 

 恐る恐る発っせられた声に、人影がゆっくりと振り向く。

 湿気を含み、普段よりもボサボサになっ漆黒の髪、袖や裾やから滴を落とすトレードマークの青いパーカー。雨に打たれたのだろうか、彼――攸夜の全身は、余すことなくずぶ濡れとなっていた。

 暗がりに遮られて、表情はわからない。

 

「そ、そんなかっこうじゃカゼひいちゃうよ! はやくふかなきゃ――」

 

 言いながら、慌てて駆け寄るフェイト。攸夜は向かってくる彼女へおもむろに両手を伸ばすと、いきなり抱き寄せた。

 

「えっ? あっ……ひゃっ!?」

 

 突然強く抱きしめられ、きょとんとするフェイト。首筋に攸夜の顔が埋められると、びくりと身を震わせる。

 冷え冷えとした身体、しとどに濡れた雨の名残が服を濡らして二人の体温を奪う。

 フェイトの鼻腔を雨と、そして彼の匂いが刺激する。かああっと血が上り、顔色が見る見るうちに赤らんでいく。

 

「ユーヤ、どうしたの……? なんか変だよ?」

 

 恥ずかしさと嬉しさと切なさが綯い交ぜになった困惑の声。ギクシャクとした仕草で、両手は宙をさまよっている。

 攸夜は何も答えず、無言でフェイトをフローリングに押し倒した。

 

「きゃあっ」

 

 寒々とした空虚な室内に、鈍い音が響いた。

 

 

「あう……っ」

 

 背中を打った痛みで小さく呻き、両膝を立てる形で横たわった少女の華奢な肢体に少年の影が覆い被さる。

 降り注ぐ雨粒が奏でるBGMが、二人の微かな息づかいをかき消していた。

 

「……ゆ、ユーヤ?」

 

 驚き、紅玉の瞳をまるまると見開いた少女が少年を見つめる。

 すぐそこにある彼の表情は、濡れそぼった癖毛に邪魔をされて窺うことができない。

 前髪の先端から落ちた雨の滴が少女の頬を濡らして。

 突然のことに、うまく頭が働かない少女の小振りな頭と引き締まった腰に両手を回して、少年は彼女を再び強く掻き抱いた。

 

「――んっ」

 

 反射的に身をよじる。

 だが子どもらしい見た目に反してしっかりと鍛えられている彼の強い力に、少女は逃れることができなかった。

 

「は、ぅ……くすぐったい、よぅ……」

 

 冷え切った少年の身体に包まれながら、少女の心は混乱する。

 初心で無垢な彼女の未熟な知識では、“この先”に何が待ち受けているのかなどわかりようはずもない。

 けれども、大好きな彼に、深く求められていることだけは生物の本能が漠然と理解していた。

 

「あ、やんっ! ――ふ、ぁ……」

 

 耳を甘咬みされ、小さな唇から悩ましい吐息が漏れる。黒い髪が顔にかかり、彼の匂いが鼻孔をくすぐった。

 ずり上がった白のプリーツスカート、陶器のように白い柔肌が露わにされる。薄く上気した太股が未だ幼いながらもどこか倒錯的で、艶めかしい。

 

「はぁ、ん……、あん……」

 

 玉の肌を羞恥心に染める少女などお構いなしに、彼女の柔らかくてほっそりとした身体を少年の手が弄る。

 太股、脇腹、背中――

 恥ずかしさのあまり、少女が瞼をぎゅっと瞑る。(おとがい)を反らし、真っ白な喉がさらけ出される。さまよう両手は、自分を抱き続ける少年の背中へ躊躇いがちにかけられた。

 

「や、あ、ぁあっ……そこっ、だめぇっ……」

 

 絡まり合う脚。乱される金糸の髪。微かな衣擦れの音。

 荒い呼吸が、ますます勢いを増した雨音に紛れて……。

 ――拙い、だが不相応に苛烈過ぎる情欲のすべてをぶつけ、壊れ欠けた少年は未熟な少女のぬくもりを求め、貪った。

 愛しいものを決して逃がさぬように、しかし、愛しいからこそ自らの手で壊してしまいたい。支配し、独占しようとする暴力的な欲望――そんな屈折した愛情を一身に受け、少女の身体は悲鳴にも似た軋みを上げる。

 同時に彼女は、自分の身体の奥から沸き上がる未知の感覚に戸惑い、翻弄されていた。

 

「ふぁ、ん、はぁぁっ、や、ぁ、ぁ……んんっ、あんっ……」

 

 そうして、とうとう彼の手が

水気を含んで肌に張りついた黄色を基調としたボーダー柄のシャツに潜り込み――

 

「……こわい、よぉ……ユーヤぁ……」

 

 壊れてしまうくらいに強く抱擁され、思わず口をついた言葉。絞り出された、か細い声。

 

「――ッ!!」

「あっ……」

 

 その声で我に返った攸夜は弾かれたように立ち上がり、寝そべったままのフェイトから大きく離れる。

 想い人のぬくもりが名残惜しいのだろうか、フェイトの表情は複雑だった。

 

「ユーヤ……その、いきなりどうしたの?」

 

 ぼんやりと恍惚した様子で、上体を起こしながらフェイトは攸夜に問いかける。

 と、ようやく自分の痴態に気づき、彼女はほんのりと頬を染めて乱れに乱れた衣服をいそいそと直した。

 

「――ごめん」

 

 苦虫を噛み潰したように表情を歪め、攸夜は、座ったままの格好で自分を見上げる少女から視線を外した。まるで罪から目を逸らすように。

 

「……なにか、あったの?」

「何もないよ」

 

 気遣わしげにフェイトは問い続けるが、返答はにべもなく取り付く島もない。

 だが彼女は、彼の抑えきれていない苦痛と悲しみを声色を感じ取り、半ば直感的に嘘だと見抜く。

 

「でも……」

 

 愛しいひとの心を想いやってフェイトはなおも食い下がり、立ち上がって攸夜へと近づいた。

 刹那、カーテンのない窓から見える景色一瞬強い光に照らされ――

 

「来るんじゃない!」

 

 やや遅れて轟く雷鳴。

 

「ひっ!」

 

 フェイトがびくりと身を強ばらせて悲鳴を上げ、再びぺたんと尻餅をつく。稲光に驚いたのか、あるいは拒絶が恐怖を呼んだのか。

 

「今は……一人にしてくれ」

 

 垂れ下がった前髪から覗く蒼い瞳に浮かぶ感情は清爽で穏やかな大海のそれではなく、あらゆるものが凍結した永久凍土――はっきりとした拒絶の感情が浮かんでいた。

 髪に含んだ水滴が額から垂れ、冷たい瞳を通って床に落ちる。

 

「ユー、ヤ……?」

 

 心が、凍りつく。

 自分を冷たく見下ろす彼の姿が母と重なる。侮蔑と失望の眼が頭をよぎる。恐怖と喪失の記憶に身体が竦む。

 知らず、震えだした身体をかき抱いて彼女は後退りしていた。

 

「……ごめん、なさい」

 

 小刻みに震えるフェイトの紅い瞳から光が失われる。

 大切な人に嫌われることにも、永遠に失うことにも臆病な少女は、それ以上、彼の内側に踏み込むことができない。

 最後の最期まで母に拒絶され続け――それでも、残された言葉だけを“絆”にして、ここまで生きてきた。

 そんな中でようやく見つけた、欠けた心を満たすことのできるかもしれない“繋がり”を、失いたくなかった。嫌われたくなかった。

 だから――

 

「ごめん……ごめん、ね。……ほんとに、ごめんね」

 

 痛々しく無理矢理に微笑んで謝罪を繰り返すと、金色の少女はふらふらと立ち上がり、黒髪の少年の前から逃げ出した。

 悲哀に濁った瞳に、大粒の涙を溜めて。

 

 

 フェイトが立ち去った後。

 独り、真っ暗な部屋に残った攸夜は、だらりと力なく棒立ちし、どこか空虚な眼差しを闇に漂わせていた。

 突然、彼は膝から崩れ落ち、足下に広がった水たまりに左拳を打ちつける。

 響き渡るくぐもった打撃音。

 

「ッ!!」

 

 殴る。拳を固めて、堅い床に打ち下ろす。

 何度も、何度も。……何度も。自分を罰するかの如く自傷を続ける拳がついに裂傷し、鮮血が滲む。

 最後にひときわ大きな音を立てて拳が床を打った。

 拳の傷から流れ出した紅い血が混ざり、濁り始める水溜まり――手首に巻きつけた鈍く光る純白の腕輪はまるで、彼の心を縛った枷のようだった。

 

 

   *  *  *

 

 

 翌朝。

 昨日の大雨が嘘みたいに晴れ渡った青空。燦々と降り注いだ太陽の光が、少し開いたカーテンから差し込む。

 隙間から忍び込んだ明光がベッドの上で、小猫のように毛布にくるまる少女の顔にかかった。

 

「――ん、んんー……ふみゅぅ……」

 

 いやいやと、微睡みを楽しむように寝返りを何度も打ち、ややあってのそりと起き出した少女――フェイトは、「あふ」と小さく欠伸をした後、泣きはらして真っ赤になった目をこすった。

 

「……そっか……私、眠っちゃったんだ」

 

 攸夜の前から自宅へと逃げ帰ってきたフェイトは、リンディたちが沈みきった彼女の様子に驚き、気遣うのも無視して自分の部屋に閉じこもり。渦巻く感情に任せて一晩中むせび泣いて、泣き疲れていつの間にか眠ってしまっていた。

 トラウマを大いに刺激され錯乱したフェイトだったが、よくよく考えれば“彼”が自分を嫌ってしまうはずがないと彼女は思う。

 理由はまったくもってわからないが、昨日はただ落ち込んでいただけだろう。だったら自分が慰めてあげればいいのだ、とやや強引な論理展開で思考をまとめたのだった。

 消極的なわりに思いこみの激しい彼女らしい発想の転換であったが、これで概ね間違っていないところが末恐ろしい。

 そうして、妙な流れで冷静になったフェイトの脳裏に不意に過ぎる昨晩の記憶。

 “彼”のぬくもり。

 “彼”の匂い。

 “彼”の感触。

 “彼”の――――

 

「――っっ!? うー、ううーっ!!」

 

 急に恥ずかしくなったフェイトは毛布に顔をうずめ、奇声を上げてパタパタと悶える。

 彼女の幼心に刻まれた“記憶”はいささか過激すぎたようだ。

 

「……」

 

 一通り悶えた後、割とすっきりした表情で起床直後の虚脱感を楽しんでいると、きゅるるーっとかわいらしく鳴いて体が空腹を訴える。

 

「はぅ……」

 

 頬を軽く赤らめ、お腹を押さえる。

 

「おなか、すいた……」

 

 目尻を下げてため息混じりに呟く。

 昨日のパーティーから何も口にしていない上に、目を泣きはらすまで涙を流したのだから飢えを感じるのも当然だ。

 もっとも、泣き暮れたおかげで気持ちの整理がついたのだから無駄ではなかったが。

 

「フェイト……」

「あ、起こしちゃった? ごめんね、アルフ」

 

 すぐ側で伏せていたアルフが、主を心配そうに見上げている。

 ベッドの宮に置かれたホワイトのシンプルな置き時計で時間を確認――時計の針は六時半を少し回ったところを指していた――するフェイトに、アルフは労るような声色で声をかけた。

 

「……もう、大丈夫なのかい?」

「うん。心配かけてごめんね、アルフ。私は、だいじょうぶだから」

 

 言って、自らの使い魔に控えめな笑みを見せた。

 そんな飼い主に、訝しそうな視線を送るアルフは心持ち強い口調で意見を述べる。

 

「アイツと喧嘩したんだろ? アタシが行って直接文句を――」

「だめっ!」

 

 思わず叫んだ強い拒否の言葉。直後にハッとして、フェイトは取り繕うような表情をアルフに向けた。

 

「あ、えっと……その、ケンカとかそういうんじゃないんだ。ただ、ユーヤがすごく落ち込んでいたみたいで――」

 

 瞳を閉じ、両手を胸に当てて前日のことを思い返しながら、フェイトは自分の想いを確認するように独白する。

 

「理由はわからないけど、辛そうで、悲しそうで、苦しそうで……まるでいつかの私みたいで。だから、その、ユーヤのことは私ひとりでなんとかしてあげたいんだ。――やさしさに、ただ甘えてるだけじゃ、ダメだと思うから」

 

 言葉は、透き通るように綺麗な笑顔で締めくくられる。

 そこにアルフは、少女の中に芽吹いた成長のきざしを感じ取った。

 

「ふぅ……わかった。フェイトの好きにするといいよ」

 

 がんばりな、と少しだけ呆れた風にアルフが言うと、フェイトは赤みが残る瞳に決意をこめて答える。

 

「うん、がんばる。心配してくれてありがとね」

 

 と、きゅるるーっと締まらない音が急かすように鳴り響く。

 

「ふふっ、まずはシャワーを浴びて朝ごはん食べなきゃね」

「ぁ、あうー……」

 

 アルフにからかわれて、フェイトは小さくなって赤面した。

 

 

 朝食の場でやんわりと問い質してくるリンディたちを、当たり障りのない説明――昨日のあれが()()()()ことだとは何となくわかってはいたので、それだけはアルフにも明かしていない。フェイトだけの大切なヒミツだ――で何とかはぐらかし、フェイトは攸夜の住む部屋までやってきた。

 少しだけ躊躇った後、ブザーを押してみるが反応はなく。思い切ってドアノブを捻れば鍵はかかってない。

 言い知れない胸騒ぎを感じながら、フェイトは思い切ってドアを開けた。

 

「おじゃまします……」

 

 電気がつけっぱなしだった玄関や廊下は、昨日と違って水たまりがなく、しっかりと片付けられている。

 フェイトは少しだけ安心して、とりあえず攸夜を探そうと彼の自室に向かった。

 

「ユーヤ、いる……?」

 

 開いたままだったドアの隙間からひょこっと顔を出して、部屋の様子を窺う。

 部屋の奥、ベッドの布団が盛り上がっていることに気付いたフェイトは、足音を忍ばせてそっと近づいた。

 

「ユーヤ?」

 

 青い掛け布団を深々とかぶったこの部屋の主――攸夜が、フェイトの方に寝返りを打つ。

 

「うぅ……」

 

 目を強く瞑り、眉間に皺を寄せた攸夜が苦しそうに喘いだ。

 顔色が土気色で、一目見ただけで体調が悪いとわかるほど。さあっと、フェイトの頭から血の気が引いた。

 

「っ、ユーヤ!? ユーヤっ!! ユーヤぁぁぁっ!!」

 

 響く悲痛な叫び。

 純白の腕輪と血の滲んだ包帯が巻かれた左手が、だらりとベッドの端から垂れ下がった。

 

 

「――あ、あの、リンディ提督。ユーヤの様態は……?」

 

 額に脂汗を浮かべ、不規則に寝息をたてる攸夜と難しそうな顔つきのリンディの間で、フェイトがはらはらと視線を行き来させている。

 

「39度2分……風邪、かしらね。ひどい熱だわ」

 

 デジタル式の体温計を睨み、頬に手を当てたリンディがため息混じりに計測結果を口にした。

 

「さ、39度っ!? ゆ、ユーヤ、死んじゃうんですか!?」

「ちょっと落ち着いてフェイトさん、飛躍しすぎよ。確かにかなりの高熱だけど、さすがに死んじゃったりはしないわ。攸夜君のことが心配なのはよくわかるから、ね?」

「は、はい。ごめんなさい……」

 

 酷い熱と聞いて焦り、涙まで浮かべて混乱したフェイトの素直さに苦笑しつつ、リンディは言い聞かせるように窘めた。

 

「っ……」

「あらあら、目が覚めたちゃったのね。攸夜君、具合はどう?」

 

 意識が朦朧としているのか、薄く目を開いてぼんやりと視線を漂わせる攸夜。ゆらゆらと、覚束ない瞳がリンディとフェイトの間を彷徨う。

 

「フェイ、ト……」

「うん」

 

 自分に弱々しい眼差しを向けて譫言を言う攸夜の真新しい包帯を巻き直された左手を、フェイトは小さな両手で包み込むように優しく握る。

 

「――ごめん、な……」

「っ! うん、うんっ……!」

 

 少女の、白魚のような手を握り返しながら紡がれた言葉。それが、何に対しての謝罪なのかはフェイトにもわからない。けれど、その一言に込められた彼の気持ちは心に確かに届いた。

 もう告白どうのという事態ではなかったが、フェイトはそれでも幸せだった。甘くむず痒い幸福感を噛みしめて、長いまつげを伏せる。

 その両手は、攸夜の左手をまるでガラス細工に触れるかのようにそっと包み込んでいた。

 

「ふふ、若いっていいわね」

 

 少女と少年の幼い情事を横目に、リンディは思考する。

 攸夜の保護者は現在()()()()()()()()であり。自分が看病してやりたいのは山々だが、提督としての仕事――クロノの報告では近い内に、グレアム提督の居場所が掴めそうだという――がある。これはどうしたものか、と。

 

「でも、困ったわ。攸夜君の親御さん、今はいらっしゃらないし、こんな様子の子を放っておくわけにもいかないし」

「……っ」

 

 再び熱にうなされ、苦悶に眉目を歪める大好きな男の子の顔をじっと見つめるフェイトは、弱りきった彼の様子を切なく思った。

 ひんやりとした手を彼の額に乗せて、愛おしそうに汗で張り付いた前髪を梳く。攸夜の表情がいくらか和らいだように見えるのは、きっとフェイトの

気のせいではないだろう。

 

「あの、リンディ提督。お願いがあるんですけど」

「うん? 何かしら、フェイトさん」

「ユーヤの看病、私にやらせてくれませんか。いつも彼に迷惑かけてばかりで……そのお返しってわけじゃないけど、お世話してあげたいんです」

「フェイトさん……」

 

 フェイトのある意味彼女らしくない決然とした態度にリンディは目を細め、何かに納得して微笑んだ。

 

 

    *  *  *

 

 

「――ってことがあったんだ」

 

 後日、はやての病室にて。

 今日も今日とてかしましい四人組は、不在の黒一点の話題を肴にして談笑に花を咲かせる。

 

「ふーん、攸夜君がカゼなぁ。ふてぶてしい見かけによらず、実は柔いんかな?」

「ほんと意外よね。なんとかはカゼをひかないはずなのに」

「アリサちゃん、攸夜君に理数系以外で大差つけられてるの忘れちゃダメだよ。そうなると、アリサちゃんもそのなんとかってことにならない?」

「んなっ!? そ、それとこれは話が別というかなんというか……うう~っ!」

「見事に墓穴を掘ったアリサちゃんでした」

「すずかちゃん、なにげにひどいね」

 

 サイドテーブルには、それぞれ赤茶のウサギ、黄色のキツネ、紫のネコ、そして茶色のタヌキ――白いポンチョを羽織り、ハリセンを抱えている――のマスコットが付いた携帯電話が仲良く置かれている。

 はやても攸夜特製人形を持っているのを見て、仲間外れにされていることを思い出したフェイトが機嫌を悪くしたのは些末なことだ。

 

「そうだ。ごめんね、なのは。お家にお夕飯を食べに行く約束してたのに……」

 

 申し訳なさそうに肩を落とすフェイト。なのはは笑顔を浮かべ、落ち込む親友を宥めた。

 

「いいよいいよ、わたしんちにはいつでも来れるんだし。ところでフェイトちゃん、攸夜くんにはどんなことしてあげたの?」

 

 暗くなりかけた空気を払拭するため、なのはが話題を変えた。残りの三人も、興味津々にフェイトの答えを待ち受けている。

 

「えっと、氷まくらを作ってあげたり、おかゆを作って食べさせてあげたり、とか?」

 

 おお~っ、と感嘆する一同。

 ありがちでお約束なシチュエーションに、彼女たちの乙女心も大いに満足したようだった。

 

「おかゆ、むずかしくなかった?」

「うん、最初は失敗ばかりだったよ。お塩とお砂糖をまちがえちゃったり」

 

 フェイトはリンディの指導があったにも関わらず、四苦八苦して調理したことを思い出してちょっぴりヘコんだ。

 本人は、もう少しデキるものだと思っていたらしい。

 

「そらまたベタな……」

「あ、でも、いまはだいじょうぶだよ。使う前に味見するから」

「や、そういう問題やなくてな」

 

 砂糖の入ったお粥は、攸夜がきちんと複雑な表情をしながらも文句一つ言わずに食べきった。

 食べ物を粗末にしてはいけないのである。

 というか、彼の価値観では女の子――特に、フェイトが作ったものを残すなどあり得ないことだ。おそらく、某緋色の人の弁当レベルであっても食べきるに違いない。

 

「フェイト、ほかには?」

「ほか? ほかには……汗をぬぐってあげたりしたよ」

「汗をぬぐう?」

「うん。こう、背中をきれいなタオルでごしごしと」

 

 言葉に合わせてゼスチャーしてみせるフェイト。振りだというのに、その手つきはとても丁寧だった。

 なんだかいいなー。親友の幸せそうな表情にほんわかとした気持ちになっていたなのはは一転、はたと何かに気がつき、ぼんっ、と音を立てて真っ赤になった。

 

「そそそ、それって、攸夜くんの……ふ、服を脱がせたんだよね、フェイトちゃん?」

「そうだよ。それがどうしたの?」

 

 挙動不審ななのはの問いに、フェイトはあっけらかんと言い放つ。

 

「つ、つまり、攸夜くんのはだかを……」

「えっ!? そ、それは……そのっ……っっっ!!」

 

 言われて初めて気がついたのか、かあああっと瞬時に沸騰したフェイト。余計なことを言い出したなのははもちろん、アリサとすずかも一緒になって赤面する。いやはや想像力が旺盛な娘たちである。

 はやては一人、「やれやれ」とでも言いたげな表情で肩をすくめて呆れかえっていた。

 

 

   *  *  *

 

 

 十二月二四日 土曜日

 

 夕刻。三学期の終業式で特別に登校したフェイトたちが、その帰りにクリスマスプレゼントを持ってはやての見舞いに向かっていたその頃――

 

「……」

 

 湯気がもうもうと立ち上るシャワールームで、黒髪の少年は勢いよく降り注ぐ熱湯を頭からかぶっていた。

 俯き加減の上に癖の強い闇色の髪に隠れて、表情は窺えない。

 雪崩れ込んだ膨大な“知識”と“記憶”に耐えきれず、彼はここ一週間、熱を出して寝込んでいた。

 だからこれには、汚れを洗い落とす意味もあるのだろう。

 しかしそれ以上に、彼の心にわだかまる“迷い”を無理矢理に押し流す、禊ぎの儀式であった。

 

「……」

 

 排水溝に流れていく熱湯をぼんやりと眺めていた彼は、やがてアルミで造られたシャワーの栓を強く閉めると、水分をたっぷり吸った髪をバサバサと振り乱した。

 ――――狂気に溺れ、泣き叫ぶほど壊れたくても強固な理性が邪魔をする。

 しかし、全てを忘れ去り、赦してしまえるほど聖人君子でもない。

 こんな中途半端、いっそあの()()のように、心の底から狂気に身を委ねることができたなら、どれだけ楽だっただろう。知りたくもない真実を知り、同時に大切な人を失ってしまった少年の心はすでに、取り返しのつかないところまで蝕まれている。

 欠けた心は罅割れ、隙間にどろりと滑り込んでくる黒い感情が、じくじくと――彼の精神を苛んでいた。

 

 黄昏。夕日が射し込む室内。

 聖祥大附属小の白い制服に袖を通した攸夜は、人気がなく寒々としたリビングをゆっくりと見回す。隙間の目立つ食器棚に目が止まると、苦痛に表情が歪がんだ。

 彼は、普段自分の使っているティーカップを用意すると、染みついた手順と動作で紅茶を淹れる。

 ダイニングテーブル。“彼女”の指定席の前に置かれた、白いカップに注がれるルビー色の液体が。

 バラの香り立つそれをしばし見つめ続けた少年は、黄金の宝石を抱いたシルバーチェーンのネックレスを身につけ、ソファーの背もたれに用意してあった蒼いマフラーをその上から巻きつけた。

 両肩にマフラーの先がかかったのを確認すると、未だ迷いに揺れ動く蒼い瞳を堅く閉る。

 

「……よし」

 

 次に開いた蒼い瞳にはもはや迷いはなく、昏く冷たい決意の焔だけが宿っていた。

 

「――行ってきます、姉さん」

 

 応えるものの居ない呟きは薄闇に消え……。

 攸夜はこの数ヶ月を、彼の全てを過ごした“仮初めの居場所”を振り返りもせず、後にする。

 ぽつんと残されたティーカップには、鮮やかな色の紅茶がゆらゆらと揺れていた。

 

 

   *  *  *

 

 

 イブの夜。

 薄く曇った夜空の下、ついに闇の書の主は白日の下に曝され、始まった決戦は一本の“矢”によって打ち破られた。

 腰にかけてを深々と貫き、コンクリートの床に突き刺さっていた。

 

「えっ? ……シグ、ナム?」

 

 シグナムと対峙していたフェイトが、唖然として。

 苦痛に表情を歪めるシグナムの視線の先――凶弾の射手が、闇黒から溶け出すようにして姿を現した。

 

「攸夜くん? なんで?」

 

 呆けた表情で、なのはが友人の名を呼ぶ。

 なのはの視線の先――給水塔の上に立つのは、白亜の大弓を放った格好で制止した見慣れた白い制服姿の少年。無造作な黒い髪と首に巻かれたマフラーの先を凍えるような夜風になびかせて、蒼い凍てつく瞳で眼下の一同を見下ろす。

 

「ウソ!? クラールヴィントには何の反応も――」

 

 慌てたように呟いたシャマル目掛けて、突如として大弓から分離した七枚の“羽根”が青と深紅の光を纏って突撃する。

 七つの軌跡を残して。

 猛スピードで接近する飛翔体を、元来支援型の彼女に避けることなど不可能だった。

 

「きゃあっ!」

「シャマル!」

 

 七枚の刃はシャマルの魔法障壁をいとも容易く砕き、斬り裂く。

 大量に出血し、倒れ伏すシャマルには眼も向けず、凶行を引き起こした少年は給水塔を蹴って皆の前に降り立つ。青いマフラーが滲むようにして虚空に消えた。

 

「てめぇええええッ!!」

 

 仲間を傷つけられて激昂したヴィータが吼え、無防備に佇む少年に鉄槌を掲げて吶喊する。

 それを冷たい瞳で見返す少年は、彼女に向けて左腕を軽く振り上げた。

 ――走る紅黒い斬閃。

 

「が……っ!?」

「ヴィータちゃん!!」

 

 血飛沫で服を真っ赤に染め、ヴィータが崩れ落ちる。呆然とした様子で事の推移を見ていたなのはが、ついに悲痛な叫びを上げた。

 生温かい返り血を浴び、白い制服と顔を汚した少年の手刀を覆って伸びる鋭き光の刃。魔法剣。

 物質の域に達するまで圧縮された超高密度の光が構成する魔法剣、〈オリハルコンブレード〉。術者の力量次第では名刀聖剣にも勝るその一閃は、鉄槌の騎士の身体を易々と断ち斬った。

 

「……」

 

 刃に残る血を無造作に払って拭い、少年は歩を進める。だらりと垂らした刃先が床を裂き、疵痕を残した。

 

「攸夜くん! どうしてこんなひどいことするの!? なにか言ってくれなきゃ、わたし、わからないよっ!!」

 

 返り血を浴び、血みどろな少年になのはが桜色の翼をはためかせて詰め寄る。その足元に、突如として深紅の光を発する七芒星の魔法陣が形成された。

 

「っ、あうっ!?」

 

 超重力の網〈グラビティネット〉にその翼を絡め捕られた白の少女があえなく墜落し、床に強く叩きつけられる。莫大な魔力をもって創られたそれは、たとえ魔力自慢の彼女であっても解くことは容易ではない。

 地面に縛り付けられたなのはを一瞥した少年は、自らが放った槍に貫かれた剣の騎士へと歩んでいった。

 

「ユーヤ、もうやめて!!」

 

 彼の進路に立ち塞がるようにして、金色の少女が躍り出る。

 

「――邪魔だ」

 

 想い人に向けたとは思えない凍てついた声、。

 主の意を受け、七枚の“羽根”がフェイトに襲いかかった。

 

「う、くっ! このっ!!」

 

 純白の“羽根”に追い立てられる黒衣の少女を捨て置き、少年がどろりと腹から流血するシグナムの前に辿り着く。

 

「宝……、條……っ」

「シグナム、アンタのことは嫌いじゃなかったよ。だけどお前は、()の大切なものを傷つけ、奪った――だから、壊れろ」

 

 シグナムの首を刈り取らんと振り上がる魔力の刃。

 

「そう、か」

 

 冷たく輝く蒼い瞳を見返し、シグナムは表情を自嘲で歪める。

 これが当然の帰結だと、彼女は薄れゆく思考のどこかで納得していた。

 

「やめてぇえええええええっ!!!!」

 

 フェイトの叫びは届かず――夜闇に、紅い華が咲いた。

 

 

 途中、乱入したザフィーラを両腕の魔法剣で一蹴――細切りに――した少年は、床に転がる古ぼけた書物に左手をかざした。

 

「闇の書……本来の名は“夜天の魔導書”、だったか?」

 

 ゆっくりと上昇する豪奢な装丁の施された書物を前にして、黒髪の少年が無邪気な表情で謳う。

 

「まあ、いい。――その深き闇の底に堕ちた〈獣の欠片〉、我らが力の破片を返してもらうぞ」

 

 赤茶けた表紙。うっすらと光る“紅い蛇”の痣を浮かび上がらせた闇の書に手を伸ばす。

 指先が痣に触れる刹那――

 

「チッ」

 

 黒いスパークが迸り、衝撃で少年が大きく後ずさる。

 浮遊したままの闇の書の下に、黒い魔力光を放つ剣十字の魔法陣が生み出された。

 

「ここで主を呼ぶか。欠陥品の分際で、存外忠実らしい」

 

 体勢を立て直し、少年は皮肉に表情を歪めて魔法陣から現れた小さな人影を見やる。

 

「な、なんなんこれ……?」

 

 人影――はやては、苦しそうに胸を押さえながら、唖然とした様子で呟く。

 

「はやて、ちゃん……!」

「はやて!」

 

「――なのはちゃん? フェイトちゃん?」

 

 未だ強靱な闇の呪縛に捕らわれて床に伏せるなのはと、七枚の“羽根”に阻まれたフェイトが口々に叫ぶ。

 

「やあはやて、いらっしゃい。ようこそ終わりの始まりに」

「えっ、攸夜、君……?」

「まぁ周りをご覧よ、はやて」

 

 快活におどけるよく見知った少年の言葉を疑いもせず、はやては周囲を見回す。

 そして見た。真っ赤な血に塗れた、大切な家族の姿を。

 

「シャマル! ザフィーラ! シグナムっ! ヴィータっっ!!」

「声をかけても無駄だよ。あれは僕がもう壊したんだから」

 

 白い制服を鮮血に染め、頬に赤い筋を残す少年はひどく愉快そうに嗤う。

 

「なんでっ、なんでこんなことするん!?」

 

 空色の瞳に涙を溜め、はやては憎悪にも似た激情を込めて、ニヤニヤと嘲りを浮かべた少年を睨みつけた。

 

「君の家族が、僕の大切な人を奪ったからだよ」

「う、ウソや! みんながそんなことするはずない!」

「嘘じゃないさ。奴らのせいで、姉さんは消えちゃったんだよ。まあ、もう誰も姉さんのことなんて覚えてないだろうけどね」

 

 くすくすと空虚に自嘲する少年に、言葉を失うはやて。彼の語る事実にフェイトとなのはも息を飲む。

 彼女たちは彼の姉など()()()()。けれど、それがどれだけ辛いことなのかは理解できた。

 皆、それぞれ種類や程度は違えど、本質は同じ“痛み”を心に抱えていたから。

 

「それは……でもっ!」

「だから、君の家族を壊した――なんてつまらないことは言わないよ。どうせそんなことをしたって、姉さんが帰ってこないってわかりきっているんだから」

 

 一瞬だけ、悲しそうな面持ちを見せる少年。だがそれも、すぐさま狂気に上書きされて。

 

「だけど、だからこそ、せめて消えてしまった姉さんにプレゼントを贈ろうと思うんだ。聖なる夜の贈り物を――君という生け贄を、ね」

「ひっ!」

 

 少年の右手から発生する紅黒く輝く光の剣。その切っ先を、ポロポロと涙をこぼし、死の恐怖に震える少女へと向けた。

 彼はゆっくりと、あえて足音を立て、恐怖を助長するように歩み寄る。作り物めいた微笑を張り付けて。

 混乱し、。

 

「いや、いやや――」

「さようなら、はやて。君はいい友だちだったよ」

 

 凶刃が、少女の身体を貫く――

 

「だれか、助けて――――!!」

 

 その瞬間。

 物言わぬ守護騎士たちの躯がそれぞれを象徴する色の光となって、はやての、闇の書の(もと)へと集う。彼女の足下に発生した白銀の魔法陣が、瞬く間に漆黒に染まっていく。

 開かれた闇の書の中に吸い込まれた四つの光に阻まれて、光剣が弾かれた。

 

「何ッ!?」

 

 フェイトの相手をしていた“羽根”が主の下に戻り、ようやく重力の網を取り払ったなのはが夜空に飛び上がるら、

 紫の爆炎を上げ、天を突く漆黒の雷鳴。

 間欠泉のように吹き上がる膨大な魔力の濁流に抱かれて、自己を遺失し、赤い瞳をしたはやてが命ずる。

 

 ――……封印、解放……――

 

 闇よりもなお暗い、禍々しく輝く濁流の中から、漆黒の装束を纏う銀髪の女性が姿を現す。

 漆黒の羽毛を舞い散らせ、三対の翼がその威容を誇った。

 

「へぇ……」

 

 白亜の楯に守られた少年が愉快そうに呟き、唇を獰猛な笑みで歪める。

 

「また……全てが終わってしまった。いったい、幾たび、こんな悲しみを繰り返せばいい――」

 

 天を仰ぎ、瞳を閉じた彼女の病的なまでに白い肌を一筋の涙が伝い落ちた。

 

「はやてちゃん!」

「ユーヤ!」

 

 上空で、渦巻く二つの大魔力を見下ろしたふたりの少女が叫ぶ。

 白の少女は大切な友を。黒の少女は大好きな人を。

 

「我は、闇の書。我が力の全ては――」

 

 天に捧げられる右手、妖しく光る左手の書物。生み出された漆黒の球体。

 

「主の願いの、そのままに。主の敵よ、眠れ――」

 

 全てを飲み込むほどの深い闇黒の前でなお、余裕の態度を崩さない少年は蒼い双眸を伏せる。

 瞬間、眩いばかりに燃え盛る深紅の炎が渦を巻いて円筒状に立ち昇った。

 

「断るよ。生憎、僕にはやることがあるんだ」

 

 幼くも人心を惹きつけ、惑わすような声が響き渡り、煉獄のベールが霧散していく。

 

「アンタの全てを破壊するという大事なことがね」

 

 夜闇に散る深紅の炎。その跡に佇んだ十三枚の羽根を背負う“獣”が、ゆっくりと()()の瞳を開く。

 差し向ける左手。その中に収束する白い光輝。濃藍の光を纏う七枚の“羽根”。神聖なる光の冠が灰色の夜闇を焼き尽す。

 太陽が如く輝く純白の“光”と深淵よりも深き漆黒の“闇”が、聖なる夜に激突した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♯20 「聖なる夜に永久の眠りを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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