空が叫び、地が唸る――それは終焉を告げる
大地が裂け、大空が嘆く――それは光と闇の
黒光纏う、漆黒の翼をはためかせる告死天使が揮う闇黒の〈デアボリックエミッション〉。
紅光抱く、純白の羽根を広げた悪魔王が放つ滅光の〈ディヴァインコロナ〉。
――――相反する二つの
引き起こされたのは極大の爆炎、耳を
闇の書の管制人格――“闇の書の意志”が創り出していた封鎖領域内の出来事でなければ、どれだけの被害が出たか計り知れない。
爆炎を突き破る漆黒と深紅の光点は、それぞれの光を散らして交錯した。
天壌を揺るがす二つの強大なる力が“絶望”という名の呪詛を込め、お互いを滅ぼし尽くさんと猛り狂う。そこに余人が割り込む隙などありはしない。
「はやてちゃん……攸夜くん……」
繰り広げられる闘争を遠巻きに眺めることしかできない白の少女――なのはは、友だちが傷つけ合っているというのに何もできない自身の無力さを責め、否が応なく噛みしめる。
彼女には理解できないでいた。
どうして攸夜があんなひどいことをしたのか。どうしてはやてが闇の書の主であるのか。
そして、どうして友だち同士が殺し合っているのか。
「フェイトちゃん、なにか知らないの? 攸夜くんは、お姉さんがどうのって……」
自分に背を向けて、二つの光点を無言で見つめるもう一人の少女に、問い詰めるようにして声をかけた。
「……わからないよ」
むべもなく、気のない返事が返ってくる。
「でもっ」
「わからないよ!」
なおも食い下がるなのはの言葉に、振り向いた黒の少女――フェイトが強く言い捨てる。大粒の紅い瞳に浮かんだ涙の雫が飛び散った。
彼女の形相に驚き、なのははびくりと身を強ばらせた。
「――どうして、なの、か……私にも、わからない、んだ」
ポロポロと涙を溢れさせ、途切れ途切れな言葉は目的地もなくさまよう。
キュッと、下唇を噛み、フェイトは訥々と口を開いた。
「なにも……ユーヤのこと、なにも、わからなくなっちゃった。……ねえ、なのは。私、どうしたらいいのかな」
問い返されたなのはは、返す言葉を失った。――フェイトの表情が、あまりにも辛そうだったから。
「なのは! フェイト!」
二人の名前を呼んでユーノが合流する。アルフも一緒だ。
「ユーノくん……、攸夜くんが……っ!」
目尻に涙を浮かべ、なのははユーノに思わず抱きつく。
「うん、わかってる」
胸の中の柔らかい髪を慰めるように撫でながら、ユーノは苦悩で眉目を歪めて紅黒い光を睨んだ。
「それが君の“本当の力”なのか、ユウヤ……」
禍々しくも美しい、二色の光がその光彩を強める。
「どうして?」
静謐なる悠久の夜にして蒼茫たる大海原のような“彼”には、あまりにも似付かわしくない濁りきった深紅の輝きに胸を痛め、少女は届きもしない想いを紡ぐ。
「どうして、あなたは――」
――――そんなにも、悲しそうなの?
「――ッ!!」
無音の気合いとともに振るわれた深紅の剣閃。攸夜の両腕に纏った二振りのオリハルコンブレードが、閃光の速さで“闇の書の意志”に迫る。
「“盾”――ぐっ!?」
障壁で斬撃を受けた“闇の書の意志”の腕に、無数の傷が刻まれる。
不可解な現象の原因を探る間もなく繰り出される魔の刃。次々に刻まれる裂傷は全身に及ぶ。
近接戦を嫌った“闇の書の意志”は障壁を自らで破壊し、その勢いで急激に距離を離した。
「刃似て、血に染めよ。――穿て、ブラッディダガー」
間髪入れず発動した魔法、〈ブラッディダガー〉。“闇の書の意志”の周囲に創り出された血色の短剣が、紅い光線を引いて不可視の速度で飛翔する。
「――剣弾」
それに対応する攸夜の発した一言で、閃光が瞬く。紅黒い魔力光で構成されたシンプルなデザインの十字剣が無数の剣雨となって天空から降り注ぎ、鮮血の魔弾の侵攻を阻む。
〈ソードレイン〉。聖なる力を纏った数え切れないほどの光剣を雨のように降らせ、対象を串刺しにする〈天〉の魔法だ。
剣雨の壁が撃ち落としきれなかったいくつかの短剣が少年に殺到したが、それらは彼の眼前で組み上がった橙色の光を纏う白亜の大楯に余すことなく防がれた。
巻き起こる爆発と噴煙。
その中から、七枚のアイン・ソフ・オウルが飛び出して“闇の書の意志”へと突撃した。
白き“羽根”を迎撃する“闇の書の意志”の後方――大きく離れた位置に、溶け出すようにして攸夜が現れる。
「――“信頼”」
紡がれる言霊。
緑の光に包まれた“
「――!」
追い払われた羽根が一枚を残し、三枚一組の円陣を組む。溢れる緑色の光の中から、攸夜と瓜二つの“影”が生まれた。
世界を“信頼”させ、実体を持った幻影を創り出す“信頼の宝玉”の権能、〈信頼の魔力〉――その権能により創り出された二体の幻像が“闇の書の意志”に挑みかかる。
「聖、光、爆、裂……!!」
本体とほぼ同等の戦力を持つ幻の相手をしている“闇の書の意志”へと突き出した左手の中に、発生した紅黒い光を放つ光球。深紅の魔法陣。
何もない空間が斬り開かれ、形成された暗黒の穴に深紅の砲弾を数発、放り込む。
「リブレイドォッ!!!」
“闇の書の意志”を囲むように四方八方に展開したスキマから漏れる紅黒い光。空間に開いた
爆発。爆音。爆炎。
しかし会心の一撃だったというのに、攸夜は警戒の構えを解かない。
彼の直感は正しい。魔力爆発が残していった噴煙が、漆黒の魔力により吹き晴らされる。
「四大の力――ここに」
表紙に刻まれた“刻印”を赤々と、煌々と輝かせる闇の書。
“闇の書の意志”の足下に、剣十字を二つ組み合わせた複雑な魔法陣が描かれる。
続いて、虚空から現れた漆黒の鎖が攸夜の四肢を拘束した。
暗雲の空をキャンバスに、漆黒の光が彩った。
「チィッ!」
即座に迸った青い光がバインドを粉々に破壊。それとほぼ同時に、“闇の書の意志”が紡ぐ大魔法が完成する。
「古より伝わりし浄化の炎……、落ちよ」
上空に完成した巨大な魔法陣から、全てを灼き尽くす極太の火柱が大地に落ち、
「氷結は終焉、せめて刹那にて砕けよ」
大気中の水分、全てを使い果たして生まれた絶対零度の棺が閉じ込める。
「恐怖と共に消えよ。鳴け、極限の嵐」
唸り、流転し、逆巻く巨大な竜巻が氷の棺ごと全てを斬り裂いて……、
「大地に秘められし、破壊の力よ」
ビルよりも高く隆起した大地の牙が、波濤の如く押し寄せて全てを破壊した。
「咎人に、滅びの光を。――星よ集え。全てを貫く光となれ」
“闇の書の意志”が掲げる右手の先に、“星”が集う。
「貫け、閃光――」
――――そして、全てを砕く桜色の光が生み出された。
* * *
「ユーヤぁあああっ!!」
独り、“闇の書の意志”と激闘を繰り広げる少年を離れた場所で見守っていたフェイトが、彼の窮地にその名を叫ぶ。
「ダメだよ、フェイト! あれが、スターライトブレイカーが来る。早く退かなきゃ!」
今にも飛び出してしまいそうな自らの主を、アルフが慌てて押し止める。
「でも!」
遠くで輝きを増す桜色の光。
自らの魔法の威力を理解していないのか、ぼやぼやとしているなのはに視線を向け、フェイトは強く歯噛みした。
「……っ! アルフ、ユーノを!」
「あいよ!」
なのはをかっさらうように小脇に抱え、フェイトは持てる限りの速さでその場を離脱。急激に距離を取る。
「ちょっ、フェイトちゃん。こんなに離れなくても……」
「至近で食らったら、防御の上からでも墜とされる……! 回避距離を取らなきゃ!」
なおも戸惑うなのはを見るフェイトの表情は、苦渋に満ちていた。自らが受けた時のことを思い返しているのか、それとも――
退避中、バルディッシュの報告により、結界内に紛れ込んだ一般市民――アリサとすずかを見つけた二人。発動した〈スターライトブレイカー〉が、巨大な桜色の爆発となって迫る。
「ふたりとも、そこでじっとして!」
フェイトが二人を囲むようにドーム状の障壁を張る。そして地面に降り立ち、さらに防御しようとした時――
「今度はなによっ!?」
近くのビルが爆発し、そこから紅黒い光の粒子を翼より放射する黒衣の少年が飛来した。
大魔法を受けたダメージなのだろう、右腕と額からはひどく流血し、バリアジャケットの胸辺りにもどす黒く変色している。
「やっぱり、あんたも……」
「攸夜君……」
「ユーヤ!?」
「攸夜くん!」
少女たちの言葉を無視し、攸夜は無言でフェイトの隣に降り立つと、白い羽根を飛ばす。連結し、大楯となったそれらが、最前列に陣取るなのはを庇うようにして突き立ち、橙色の光を纏う。
迫る光の壁――
フェイトと背中合わせの攸夜が、対になるように左手を突き出した。
「闇よ、広がれ!!」
発動する魔法。直径一メートルの黒球が一同の目の前に創り出された。
〈ダークバリア〉――いや、その上級魔法〈ヴォーテックス・スフィア〉が滅びの奔流を喰い尽くす。
「ぐ……っ!」
「――っ」
光の怒濤が雪崩れ込む。
血を流しながらも衝撃に耐える攸夜を、フェイトは傍で耐えつつ心配そうに見ていた。
余波が収まった後。アリサとすずかを避難させ、ユーノたちに待かせたフェイトとなのははクロノからの連絡を受け、はやてと“闇の書の意志”――そして、攸夜に投降と停止を呼びかける。
はやてを返して、と。
戦うのをやめて、と。
されど――
「我が主は、この世界が――自分の愛する者を奪った世界が、悪い夢であって欲しいと願った」
「少し手を伸ばせば取り戻せることも知らないで、被害者面か。虫酸が走る」
二人は、己の闇を吐き出すように言葉をぶつけ合う。
「我はただ……それを叶えるのみ。主には、穏やかな夢の内で永久の眠りを」
「夢は所詮、夢――幻想だよ。残酷な現実に打ち破れた矮小な存在が逃げ込むには、ちょうどいい」
「そして、愛する騎士たちを奪った者には――永久の闇を!」
交わるはずがない。止まるはずがない。
お互いがお互いを憎み、滅ぼそうとしているのだから。
「――っち」
“闇の書の意志”の足元に魔法陣が現れ、攸夜は小さく舌打ちしてその場から離れた。
「闇の書さんっ!」
「お前も、私をその名で私を呼ぶのだな……」
「……っ!」
地面を割り延びる異形の触手に捕まって、もがくフェイトたちに一瞬だけ顔をしかめる攸夜。辱めを受けてなお、少女たちは真摯な想いを声に乗せ、“闇の書の意志”に訴え続ける。
けれど、心を尽くした言葉も彼女には届かず。大地が裂けてマグマの柱が吹き上がり、世界の崩壊が始まる。
終焉の時は近い。
悲壮な表情で“闇の書の意志”が言う。直に自分は自我を失い、闇の書の暴走が始まると。
「意識がある内に……主の望みを叶えたい。――闇に、沈め」
鮮血の短剣が三人の周囲に現れ、襲いかかる。
血飛沫のような爆煙から、紅黒の翼をはためかせ、攸夜が紅黒い刃を発する白亜の大剣を構え、突撃した。
「っ、ユーヤ、待って!」
躊躇うことなく飛翔する黒髪の少年を、金色の少女が雷光散らせて追いかける。
「その前に、僕がアンタを破壊してやるよ!」
「主の友だったお前も、我が内で……眠るといい」
開いた闇の書の前に発生する漆黒の魔法陣。
「くっ!?」
それに受け止められ、弾かれる深紅の刃。同時に、攸夜の身体が深紅の粒子に包まれる。
「ユーヤ!」
正面から魔法陣にぶち当たった攸夜と、彼を救わんと腕を伸ばしたフェイトが紅黒と黄金の光に変わる。驚愕し、苦悶の表情を浮かべたフェイトと、どこか酷薄に嗤う攸夜がほぼ同時に消失した。
『Absorption』
――――闇の書が、閉じる。
「フェイトちゃん……? 攸夜、くん?」
「……全ては、安らかな眠りの内に」
放心したように二人の名前を呼ぶなのはと、無慈悲な“闇の書の意志”の言葉が、崩れ始めた世界に残った。
* * *
湖畔にそびえ立つ古城――
白く清潔な薄手のカーテンからうららかな光が射し込む。
しっかりとした造りの白い外壁に青い床――どこか見覚えのある部屋の、大きな木製のベッドの上で、私は目覚めた。
寝起きのぼんやりとした頭が違和感を覚えて、私は自分を見回してみた。服装は……スカイブルーのパジャマに同じ色のリボン――間違っても、ついさっきまで戦闘していたような格好じゃない。
ここはまるで、あの悲しい戦いが夢だったような、あたたかい場所……。
「……」
なんとなく、隣を見る。
「……えっ?」
そこには、子犬の姿のアルフと――ピンク色のパジャマを着た金髪の女の子。私は直感的に、彼女が“私と同じだ”と思った。
「ここは……?」
どうしてこんな場所にいるのだろうか、と困惑していると部屋のドアがノックされた。
「フェイト、アリシア、アルフ。朝ですよ」
聞こえてきたのは女性の声。活発さの中に、理知的な印象を与える優しげな声。
それはとても懐かしい声だった。
「まさか、そんな……」
「ん……おはよ、フェイト」
隣で寝ていた金髪の女の子がもぞもぞと起き出す。金砂のようなさらさらとした見事な髪に、くりくりと大きな紅い瞳が少し眠たげに、私を見ている。
ああ……。
私は“私”によく似た、ううん、鏡映しのこの女の子の姿に不思議と納得していた。
「みんな、ちゃんと起きてますか」
「はーい」
「……ねむいぃ~」
栗毛の女性がドアを開け入ってくる。
私たちに声をかけながら、カーテンを開けはじめた。
ブロンドの女の子は少し不機嫌そうに、アルフは不満を露わにして返事をして。
私は、あまりのことにぽかんと呆気に取られていた。
「ふたりとも、また夜更かししてたんでしょう」
「ちょっとだけだよ」
「ねー」
「早寝早起きのフェイトを見習って欲しいですね。アリシアはお姉さんなんですから」
「むぅー……」
呆然としている私を置いて、彼女たちは親しそうに会話をする。
栗毛をショートカットにした女性の言葉に、女の子が軽く頬を膨らませて無言の抗議。それはとても自然で、とても穏やかで。
思わず、女性に訪ねる。
「あの、リニス?」
「はい、何ですか? フェイト」
女性――リニスが不思議そうに首を傾げる。
彼女は“母さん”の契約していた使い魔。契約満了で消えていった私の魔法の先生、もういないはずのひと。
「アリシア……」
「ん?」
女の子――アリシアが、私と違って活発そうな紅い瞳で見返してくる。
彼女はクローンである私のオリジナル。ずっと昔に死んでしまって、“母さん”と一緒に虚数空間に墜ちていったはずのひと。
なぜ?とか、どうして?とか、わけがわからず混乱する私と……彼女たちがいるのなら、必ずいるはずの“あのひと”の姿を期待する私と……そして、どこか冷めた目でこの
* * *
広々とした食堂。
大きなテーブルとたくさんのイスがあるどこかあたたかい場所で、“あのひと”が待っていた。
「怖い夢を見たのね。でも、もう大丈夫。母さんもリニスもアリシアも、みんなあなたのそばにいるわ」
一度も
揺れる。ココロが揺れ動く。
欲しかった“母さん”の笑顔。欲しかった“母さん”の言葉。
――だけど、これは夢。
私の目の前に置かれたあったかそうな食事も、おだやかに談笑する母さんとアリシアも、それを見守るリニスも、みんなもういないひと。
――だけど、これは私がずっと欲しかった時間だった。何度も、何度も夢に見た時間だった。
* * *
近くの草原へ、アリシアとお散歩に出かけた。
突然の雨、大きな木の下で雨やどりする私とアリシア。木の幹に背を預け、楽しそうに、にこにこしているアリシアとぽつぽつお話して――
そして、私は見つけた。
バケツをひっくり返したようなどしゃ降りの雨の向こう側、傘も差さずに立っている黒い髪の男の子を。
この降り注ぐ大雨が、まるで“彼”の心を覆う悲しみの涙のように思えて。
苦しくはないだろうか。悲しくはないだろうか。痛くはないだろうか。……寂しくは、ないのだろうか。
――そればかりが、胸に浮かぶ。
太陽のような笑顔と、海原のようなやさしさは悲しみの雨に隠されてしまっている。……だけど、いまは見えないだけで、かならずあの雨雲の先に光はあるはずなんだ。
私はようやく決意を固めて、一抹の罪悪感を覚えながらアリシアに告げる。
「……アリシア」
シアンブルーのパーカーとクリーム色のハーフパンツ、白と青のスニーカーを履いている“彼”。初めて出逢ったときにも着てた思い出の服だった。
「ん? なぁに、フェイト?」
夜のように深くてつややかな黒い髪に隠れた、海のようにきれいで澄んだ
止まない雨に打たれても、どんな闇の中でも光り輝いて私を導いてくれた蒼銀の
――だから、私は……
「私、もう行かなくちゃ」
“彼”は、私とアリシアを見比べて微笑みを浮かべて。それから後ろを振り向くと、歩き去る。その後ろ姿は、幻のように消えてしまった。
私は見えなくなった“彼”を追うように、立ち上がる。
頭上に浮かぶのは、満ちた大きな紅い月。降り続いていた雨は、いつの間にか止んでいた。
「……やっぱり、行っちゃうんだね」
悲しそうに眉尻を下げたアリシアが言う。私がこの選択をするって、最初からわかっていたみたいだ。
「うん。私の見る夢は、起きて見る夢だから。そして私は、夢に見たことを、現実にしたいって願ってる。やさしい
まだなにも、伝えられてない。はじまってさえいない。
「……ここが、この夢が、あなたの欲しかった幸せでも?」
「たしかに私は願ったよ。でもいまはもう、“彼”のいない時間なんて考えられないんだ。……たとえこの場所がどれだけステキでも、そんなのに意味なんてないって思うくらいに」
「フェイトは、強いね」
アリシアがはかなく微笑む。
私はちいさく苦笑して、首を振った。
「それは違うよ、アリシア。弱いから、がんばるんだ。負けないように、折れないように」
私は止まらない。止まれない。
“母さん”の言葉を忘れてしまわないように、“彼”の言葉が真実であると信じて。
「――がんばって」
アリシアが差し出した手のひらの中には金色の宝石――バルディッシュ。彼を受け取り、私はアリシアのちいさな身体を、ぎゅっと、抱きしめた。
「ありがとう、アリシア。……夢でも、会えてうれしかった」
「うん、わたしも。……叶うといいね、フェイトの夢」
私はこれからも、前を向いて歩いていく。
過去を忘れるんじゃない。過去を無駄にしないために。
――――でも、いまは、いまだけは……涙を流しても、いいよね?
♯21 「世界の中心で愛を叫んだけもの」
海鳴市、近海上。
白と黒の影が澱んだ夜空に交錯する。
白い影――なのはを包む白のバリアジャケットは、戦闘の激しさを表すように見る影もないほどボロボロ。所々から痛々しく血を流している。
対する黒い影――“闇の書の意志”は変わらず、その禍々しい力を顕在していた。
「お前も、もう眠れ」
戦況は最悪。
仲間もおらず敵は強大、勝ち目はない。
だが――――
「いつかは眠るよ。だけど、それはいまじゃない」
高町なのはは諦めない。
その胸に灯した、不屈の炎が消えない限り。
勇気の光が絶えぬ限り、その桜色の翼で“空”を飛び続ける。
「いまは、はやてちゃんとフェイトと攸夜くんを、助ける。……それから、あなたも! レイジングハート、エクセリオンモード――ドライヴ!!」
レイジングハートがまばゆい光に包まれ、姿を変える。
黄金色の突撃槍、〈エクセリオンモード〉。心に宿した見えない炎がカタチを成した姿。
「繰り返される悲しみも、悪い夢も、きっと終わらせられる」
「一つ覚えの砲撃、通ると思ってか」
「通す、通してみせる! レイジングハートが力をくれてる! 命と心をかけて応えてくれてるっ!!」
なのは渾身の叫びとともに、レイジングハートが炸裂音と共にカートリッジを吐き出す。
桜色に煌めく三対の翼が、黄金の穂先で
――――いつまでも、逃げてたらだめなんや。
「泣いてる子を、救ってあげてって!!」
『A.C.S. stand by』
なのはの足下に、眩いばかりに輝く桜色の円状魔法陣が生まれた。
――――悪いことしたんなら、ごめんなさい、てちゃんとあやまらなあかん。
「アクセルチャージャー起動! ストライクフレーム――」
『Open!!』
レイジングハートの先に、紅い光刃が突き出す。それは想いを貫く無垢なる刃。
――――許してくれなくたってええ、あやまって、あやまって。あやまり続けて。
「エクセリオンバスターA.C.S.――、ドライヴッッ!!!!」
――桜色の羽が舞い散り、白い流星が夜闇を斬り裂いた。
――――わかってもらえるよう努力して。それが、“友だち”いうもんやて私は思う。
「届いて!」
カートリッジロード、三発。
封じ込められた魔力がチャンバー内で爆発し、莫大な力をなのはに与えた。
「ブレイクっ!!」
漆黒の障壁を貫く紅い突端に、莫大な星の如き魔力が集う。。
「シューーーートッ!!!!」
――――せやから、私はこんなとこで寝とる暇ないんや! ええ加減目ぇさませ! リインフォース!!
夜を焼き尽くす巨大な爆発。
わだかまる桜色の光に混じる白銀の光の中から、白い騎士甲冑を纏い、黒い三対の翼を背負ったはやてが現れる。
左手には魔導書を、右手には錫杖を。
その表情は若干困惑気味だ。
「はやてちゃん!」
「心配かけてごめんな、なのはちゃん。私は、私たちはもう大丈夫や。……なんやいろいろはしょられた気がせぇへんでもないけど」
『それは言ってはいけませんよ、
闇の書――否、〈夜天の魔導書〉の管制人格リインフォースは、相も変わらず淡々とした声で、しかし確かな優しさを込めて
顔を見合わせ軽く笑い合った二人は、すぐ表情を引き締める。
まだ、全てが終わったわけではないのだから。
「私ら、なんかムリヤリに弾き出されてしもたな。リインフォース、中の二人はどうなっとるん?」
『それが、所在が掴めないのです。まだ内部に存在していることは確認できるのですが……』
突如、閉じられた夜天の魔導書の
『ッ――馬鹿な、自動防衛プログラムへ何者かの介入!? いけない、こちらの領域まで影響を……! 主、プログラムの即時切り離しを具申します』
「待って! まだ、攸夜君とフェイトちゃんが――」
『しかしっ。くっ……駄目です、侵蝕が止まらない! 防衛プログラム強制排除!!』
苦しそうに呻くリインフォースの言葉を引き金に、海上に広がった銀色の魔法陣。
その上に、紅い“蛇”の紋章が輝く。
『――ッ、来ます!』
剣十字の魔法陣が書き換わる、侵蝕される。
蝕まれ、徐々に形を歪ませる魔法陣。
七角形七芒星を中央に抱いた巨大な円状魔法陣を囲むように正四角形のラインが張り巡らされ、各頂点には同型約二倍の大きさの魔法陣が配置されている。
不可思議なルーン文字が無数に書き込まれた幾何学模様のそれらは、深紅の燐光を放っていた。
「攸夜くんの、魔法陣……?」
事態の変化に付いていけず、なのはが呆然と呟く。
巨大な光の記号から“それ”が悠然と、姿を現した。
「アイン、さん……?」
――“それ”は、白い七枚の楯。深紅に輝く七つの宝玉を抱いた、全長10メートルはあろうかという巨大な純白の“羽根”。
七枚の“羽根”が、花弁が閉じるように巻き上がる。組み合わさり、形成されたのは数十メートルを越える巨大な白い“繭”。紅黒い結晶で覆われ、紅黒い七枚の歪んだ光の羽根を生やしたそれは、神々しくも禍々しく――蜷局を巻く“蛇”にも似たその姿を、少女たちの前に晒した。
紅い、血のような色をした檻が広がる。世界を閉ざす。世界を侵す。
空に浮かぶ、紅い真円の月。
「な、に……あれ……」
「あかん! いったん逃げるで、なのはちゃん!」
頭部と思わしき場所に展開する七芒星の魔法陣。
妖しく発光する五つの円から膨れ上がる紅黒い魔力が、極太な滅光の柱として撃ち出された。
――――天空に、紅い月が昇る時、大いなる“獣”の狂乱が始まる。
そして、還るところを失った一匹の獣と心優しき少女たちの、最後の物語が今、幕を開けた。
* * *
紅い月。空虚な街。
それら異形の光景には目もくれず、
走る。
走る。
一心不乱に少女は走る。
蜂蜜のように甘美で優しい誘惑を振り払い、大切な少年の影を追い求めて。生気のない虚像の街を力の限り、走り抜ける。
「はぁ……はぁ……っ、ユーヤ、は――」
唐突に、巨大な影が地面を通り過ぎた。
「っ!?」
見上げた先――血のような色の空と、紅の月を覆い隠してしまうほどの巨体を轟々とうねらせた、漆黒の鱗を持つ“蛇”が、我が物顔で蜷局を巻く。
黄金の双眸は獲物を探してギラギラと光り、ぞろりと生え揃った凶悪な牙が恐ろしい。
その圧倒的で幻想的な存在の威圧感に呑まれ、フェイトは立ち竦んだ。
漆黒の“蛇”は眼下の少女に気がつくと鎌首をもたげ、その顎門を裂けんばかりに開く。
音のない砲哮。砕ける空気。
掻き乱された大気が暴風となって荒れ狂う。
「きゃあっ」
悲鳴を上げ、へたり込むフェイト。彼女にできたのは両腕で頭を庇い、瞳をぎゅっと閉じて嵐が過ぎ去るのをじっと待つことだけ。
猛烈な風が消え、恐る恐る開いたフェイトの瞳に息を切らせてまで追い求めた、少年の後ろ姿が映った。
「――駄目、か。内側からならもしや……とも思ったんだけど。ま、ここに来た目的の半分は達成したからイーブン、かな。……しっかし、欠片はかなり深く癒着してるみたいだ、鬱陶しい」
大きな交差点の中心、先ほどと同じ普段着を着た黒髪の少年が佇み、うんざりしたふうに独り言ちる。
彼の足下には、紅黒い光を放つ彼独特のデザインの魔法陣が敷かれていた。
「ユーヤ!」
紅い眼を大きく見開いて、フェイトが少年の名前を呼ぶ。
「ん? ……ああ、やっぱり来ちゃったんだ、フェイト」
自らを呼ぶ声に振り向き、少女に気づいた攸夜は少しだけ、悲しそうに笑う。前髪から覗く爬虫類じみた黄金の双眸が、あの黒い“蛇”を思わせるように妖しく輝いていた。
少しだけ鼻白み、それでも勇気を振り絞って立ち上がったフェイトが少年に問いかける。
「この“場所”はなんなの?」
「ここか? ここは、闇の書の最深部を
フェイトの常識からすれば非常も識甚だしいことを、攸夜はさも当然のように言ってのける。
「闇の書を……侵蝕、って」
「案外、掌握するのは簡単だったよ。闇の書を闇の書たらしめている“チカラ”は、僕にはよく馴染む。当然だ。だってそれは、僕の
少年は朗々と謳う。
玲瓏たる美声で。皮肉を込めた声色で。
闇に葬られた真実を嘲り、嗤い、語り尽くす。
「どうやら大昔のマスターが知的好奇心に駆られて、“チカラ”を夜天の魔導書の中に組み込んでしまったらしくてね。……まったくバカな奴だ、ただのヒトがカミの力を制御できるわけがないのに。無知は罪、よく言ったものだよ――まぁ、そうして人知を越えた力に侵された魔導書は、至極当然に暴走」
今に至るというわけさ。そうおかしそうに“闇の書”が誕生した経緯を語ってみせる。
管理局はおろか、当事者の騎士たちすらも知らない事の真相を。
「なんで、そんなこと……。――ううん、それだけじゃない。あなたは、
彼の紡ぐ言霊を惑わされぬよう、断固とした意志を持って少女は問う。
本当に知りたいことを。
自分が知らなければならないことを。
「私はもっと知りたいんだ、あなたのこと。どうして、シグナムたちにあんなことをしたのか。どうして、はやてにひどいことを言ったのか。……どうして、そんなに悲しそうな顔をしてるのかを」
両手を胸にそっと当て、嘘偽りのない思いの丈を眼前の少年に投げかける。
それはとても静かな、透き通った声で。
「あなたの悲しみのみなもとを、私なんかじゃ理解できないかもしれない。ううん、きっと理解できないと思う。――でも言葉にしなきゃ、伝えようとしなきゃ、いつまでたってもわからないって、なのはや……あなたに教えてもらったから」
辺りは濃厚な紅黒の闇に包まれているというのに。彼女の周りだけは清らかな光が燦々と降り注ぎ、澄み渡った静謐な空気で満たされているかのようだった。
胸に当てていた両手を放し、すっ、と目の前に佇む少年に差し伸べる。
彼の全てを受け止めたいと、痛みを分かち合いたいと。ただ、それだけを想って。
「だから、教えて。あなたのことを。私は知りたい、あなたのことを」
「っ、そう……知りたいんだ。なら……教えてあげるよ、“僕”が一体何者なのかを」
フェイトの一点の曇りもない真摯な姿勢に一瞬怯んだ攸夜はしかし、その動揺を取り繕うように唇を悪意で歪め、ぱちんと左の指を鳴らす。
「っ!」
フェイトと攸夜の間を分かつように広がった結晶のスクリーン。
薄い、深紅の光を放つそれに映り出されたもの
――それは神話。
受け継いだ“記憶”を紐解き、綴られる荒唐無稽な神々のものがたり。
ひとりの偉大なる存在が生み出した、古き神々と新しき神々との果てしない戦争の記録。
腕の一振りで星々は潰え。
剣の一閃で次元は裂け。
魔の一撃で世界が滅ぶ。
――神々の戦争に、人間の力など無意味に等しい。世界に生きる小さき人々の命の価値など、塵芥にも劣るだろう。
「これって……?」
映像から伝わってくる現実感に圧倒されて、フェイトが呆然と問う。
「現実にあったことだよ。
幻像の中では、先ほどの巨大な“蛇”が、闇よりもなお
「僕は、その“世界”で全てを無に帰す破壊神と呼ばれ、恐れられた存在――“シャイマール”の
攸夜の言葉を肯定するように、スクリーンの中で悠然と空を這う叛逆の“蛇”――破壊神シャイマールが悍ましく吠え哮った。
「……えっ?」
“レプリカ”、“劣化品”。
ある意味馴染みのありすぎる単語を聞き及び、フェイトの思考が凍りつく。
「お笑いだろ? 「生まれ方なんて関係ない」だの、「ありのままで居ればいい」だの、恥ずかしげもなく得意げに君に語った当の本人が……人間ですらないバケモノだったなんて」
自らの滑稽さを
次に結晶のモニターに映り出されたのは、病室らしき部屋。
同性であるフェイトが思わず見蕩れしまうような、黄金の髪の美女と目の前の少年――そして、自分が楽しそうに談笑する姿。
だが、そんな記憶、彼女にはない。あれほど美しく気高い雰囲気を醸し出す人物ならば、必ず印象に残るはずだというのに。
「やっぱり覚えてないよね。あの人は、僕の姉さん……この世界でたったひとりの家族だった、何よりも大切だった人だよ」
悲しそうに瞳を伏せる攸夜、ずきりとフェイトを不可解な頭痛が襲う。
知っているけど、思い出せない。思い出そうとすればするほど、記憶は手繰る手をするりとすり抜けて。思考にぽっかりと空いた矛盾が彼女を苛む。
映像は、紅いローブを着込み、フードを目深いにかぶった誰か――おそらく、先ほどの女性だろう――が、シグナムと戦う様子に移り変わる。
烈風のような剣戟、死と隣り合わせの舞踏。
フェイトをして、技術面では及ばないと言わしめるシグナムとローブの女性は互角に戦っていた。
舞い踊るかのように見事な剣舞は、シグナム渾身の一閃で女性が傷を負い幕を閉じる。致命傷ではないがかなりの深手だと、フェイトは分析した。
「もっと早く、僕が闇の書の存在に――はやてのことに気がついていれば、姉さんは消えずにすんだかもしれないのに。……姉さんがいなくなってしまったのは、僕の責任だ」
泣きそうな、
先ほどと同じ病室で、年相応に泣きじゃくる攸夜と、ひどく優しい笑顔をたたえ、黄金の粒子となって消えていく女性の姿を最後に、スクリーンは消失した。
「ユーヤ……」
事のあらましをぼんやりと理解したフェイトは、瞼に残った小さな少年の姿に胸を痛めた。
家族を、大切な人を失うことがどれほど苦痛なのか、痛いほど知っているから。
「好きだった。姉さんのことも、母さんのことも、愛してた。――だけどッ! それは全部嘘だった!! ニセモノだったんだよ!!」
胸元から覗く、銀のチェーンで繋がれた黄金の宝石がでちらりと光った。
大胆不敵で大言不遜。いつも自分をよくも悪くも強引にリードして、引っ張っていてくれていた彼も、本当は弱くて脆いのだと、改めて――いや、初めて思い知る。
彼はいつだって強くて特別なのだと、フェイトはどこかで妄信していたこと自覚した。同時に、自分と同じ、彼を護りたいと強く想った。
「本当の“世界”からは放逐され、居たかった“場所”も失って――」
空っぽな、空虚な表情で少年が独白する。少女はその言葉の中に、心の中に隠された彼の色濃い悲哀と自暴自棄の意図を強く感じ取っていた。
「還るところ、その全ては失われた。……もう僕に、居場所なんてないんだ」
少年は、最後に酷薄に笑って結尾を切った。
少女が、彼の皮肉混じりな言葉に眼を見開き、声を荒げる。
「違う……違うよ! そんなことない!」
「違わないさ」
少女の叫びを否定して、少年の周りを囲むように紅黒の焔風が燃え盛る。
「バケモノならバケモノらしく、破壊神なら破壊神らしく。――君も、世界もっ! 全部……、全部壊してしまおう! それがただの八つ当たりだとしても――、僕にできることは、この世全てを破壊することだけだ」
霧散する風。展開する白き“羽根”。
漆黒の装束を纏い、少年が暴力的な愉悦で柔和な面立ちを歪める。そこに、普段の飄々とした面影は微塵もない。あるのは自らの本性である破壊衝動だけ。
無言で付き従う七枚の“羽根”が、彼の深い絶望を反映し、禍々しいばかりに煌めいた。
「悲しい顔をして、悲しいこと言って――それはほんとうに、あなたの本心なの?」
少年の虚飾を否定して、少女の身体を包み込むように金色の雷光が光り輝く。
「私は、認めない。あなたがバケモノだなんて、居場所がないだなんて、そんなの認めない! 私に、ありのままで生きばいいって言ってくれた、希望を信じて諦めないことを教えてくれたあなたが!!」
四散する雷。生まれる黒き戦斧。
漆黒の外套を羽織り、少女が可憐な面立ちを真っ直ぐな決意で彩る。今度こそ、愛する人の心を救ってみせる――取り戻す、あのやさしい笑顔を。
手に携える一本の戦斧が、彼女の小さな希望に応えるように、まばゆいばかりに煌めいた。
「君が認めなくたって、事実は変わらない」
「それならあなたの心を、変えてみせる!」
澄み切った真紅と、濁り切った黄金の眼差しが交わる。
始まりはほんの偶然。通りすがりの他人同士。
再会はきっと必然。ジュエルシードを巡る敵同士。
時には戦い、
時には背を預け、
時には笑い合い、
時には悲しみを分かち、
時には傍に寄り添って――
「アイン・ソフ・オウル……」
「バルディッシュ!!」
そして、ついには心を通わせた。
巡り逢った瞬間、始まったちいさな奇蹟。重ねた日々と育んだ想いの数々――全てを賭けた決着の時を告げるため、凍てついた酷薄な声と鈴を転がすような声が深淵の夜闇に響き渡る。
――――天空を浮かぶ紅の月が、少女と少年の行く末を静かに見守っていた。