魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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#2

 

 

 

 第八世界ファー・ジ・アース。

 “狭界”と呼ばれる次元と次元の狭間にたゆたう絢爛なる宮殿――アンゼロット城、その執務室。

 本来の主である某世界の守護者の趣味通り、優雅で豪奢な内装の部屋で忙しなく動く人影。留守中の主に代わり、ここに間借りしている巫女装束の女性――赤羽くれはだ。

 今日も今日とて、はわはわと鳴き声をあげながら人知を越える書類の山と必死に格闘している。

 とんとんとん。ドアをノックする音が響く。

 

「あ、どうぞー、入ってー」

 

 書類から視線を上げたくれはが応える。

 

「失礼します」

 

 ドアを開いて入室したのは、真紅のロンギヌス制服に身を包んだ藤色の髪の少女――志宝エリスである。

 この春、高校を卒業したにしてはやや童顔で幼児体型なスタイルは彼女の密かな悩みの種だ。

 

「くれはさん、ご用ってなんですか?」

 

 力を失い、魔法使い(ウィザード)ではなくなったエリスだったが、尊敬する先輩であるくれはの補佐という仕事に誇りを持っていた。「戦う“力”はなくても、世界は守れるんです!」というがここ最近の彼女の口癖である。

 ちなみに、エリスのここでの役職は“赤羽くれは専属第一秘書官”兼“特殊部隊グリーンティー永世名誉隊長”である。

 

「うーん……。用があるというかなんというか……」

 

 エリスの質問に表情を曇らせたくれは。明瞭快活な彼女にしては珍しい歯切れの悪い言葉だ。

「あの……?」どういうことかとエリスが小首を傾げる。

 

『説明しましょう』

 

 二人の間に、突然、魔法陣のディスプレイが展開した。

 そこに映りだされていたのは、銀髪白皙の美少女。上品なしつらえの、ゴシックロリータ調の黒いドレスを纏っている。

 

「はわっ!?」「あ、アンゼロットさん?」

 

『はい、暫くですエリスさん。お元気そうで何よりですね。くれはさんもお仕事頑張っていらしてるようで、わたくしとてもうれしいですわ』

 

 銀髪の美少女――アンゼロットが二人へ至極にこやかな笑顔を向けて、挨拶をする。彼女のこの清々しいい笑顔が油断ならないものだと知るエリスは内心、身構えた。

 

「あの、アンゼロットさん。説明って?」

 

 続く問いに、待ってましたとアンゼロットが口を開くが、

 

『こ』

「はい!」

 

 条件反射的なスピードでエリスがそれに応える。

 

『……エリスさん、そのネタはもういいんです』額に指を当て、頭痛を感じるような仕草をしたアンゼロット。

 

「えっと、じゃあ「私の質問に、はいかイエスで答えてください」って返した方がよかったですか?」

 

 さらに畳みかけられた言葉は、アンゼロットの決めゼリフだった。そのチョイスが、天然なのか計算なのかは不明だが。

 思いもよらぬ攻勢に、アンゼロットがぽかーんとアホの子な顔になった。かなりレアな表情である。

 二人のやり取りを見ていたくれはなどは「強くなったね、エリスちゃん」ともらし、涙をハンカチで拭っていた。

 

『な、何やらとてもふてぶてしくなりましたね、エリスさん。……というか、いい加減話が進まないので、説明、初めてもよろしいですか?』

「あ、はい。お願いします」

 

 すぐさま再起動を果たしたアンゼロットはざーとらしく咳払いをして、説明を開始した。

 

『単刀直入に申しますと、エリスさんには主八界の()に消えたとある魔王を追跡していただきたいのです』

「えっと、いろいろ引っかかるところがあるんですけど、とりあえずどうして私なんですか?」

 

 言外に、「非戦闘員にそんなことさせんな(意訳)」と主張するエリス。当然の意見である。

 彼女の疑問に答えたのは巫女服の先輩だった。

 

「そのとある魔王っていうのが、()()シャイマールなんだよね」

「っ!」

 

 一瞬、あからさまに顔をしかめ、嫌そうな表情をしたエリスは、彼女の言葉で自分が選ばれたあらましを瞬時に理解してしまった。

 “シャイマール”――詳しい説明は割愛するが、その名はエリスにとって浅からぬ因縁を持つものだ。

 そして、最近突如として姿を現したシャイマールを名乗る裏界魔王は、度々ファー・ジ・アースに現れては愉快犯的に事件を起こしている。

 ヒトを小馬鹿にしたような言動、交戦しても適当に撤退して被害を受けない(したた)かな手際、人間の心理と社会構造を巧みに突いた小細工などなど。驚異的なタフネスとバイタリティを誇る“蠅の女王”に勝るとも劣らない厄介さに加え、ウィザードたちの介入しづらい一般人(イノセント)同士の動乱によるファー・ジ・アース転覆を度々企てていることも特筆に値する。

 そのため、()の魔王はすでに世界中のウィザードたちから大いに嫌われていた。

 

「私が選ばれたのは、彼を“感知”できるから、ですか?」

 

 エリスは、シャイマールを――そして、彼の力の一部である“七徳の宝玉”の存在を感知する能力を持っている。

 未だ彼女の魂にわずかに残る、“シャイマール”の転生体(うつわ)としての因果に由来する力だろう。

 

『その通りです。先ほども言ったとおり、かの大魔王は主八界の外へと進攻したようなのです』

「主八界の外の世界……というと、柊先輩が前に行ったっていう“ミッドガルド”ですか?」

 

 以前から、主八界の外の世界についての情報は僅かながら確認されている。

 もっとも、ここでそれについて語る必要もないが。

 

『いいえ、まったく未知の世界、未開の宇宙です。別段、その世界を守る義務がわたくしどもにあるわけでもありませんが、何がしかの力をこちらへ持ち込まれては面倒です』

 

 冷徹な面を覗かせるアンゼロットの言葉を、複雑な表情のくれはが引き継ぐ。

 

「でも、距離があまりにも遠すぎて、今のところ、シャイマールと近しい魂の波動を持ってるエリスちゃんしか送れないらしいんだよね。だから、エリスちゃんには先行して調査してきてほしいんだ。いったんエリスちゃんがあっちに行けば、何とか転移できるようにはなるらしいからさ」

 

 すぐに増援は送るよ、と結尾を切る。

 くれはの表情は、エリスを心配する気持ちと守護者代行としての責任感が混ざり合い、複雑な様相を呈している。

 

「……」

 

 エリスは無言で考え込む。

 おそらく、この任務に就いた場合に自分にかかるだろう危険を予測して。

 もともとエリスは賢く聡い娘だったが、この数ヶ月の間、くれはの秘書として激務をこなす傍ら時にはウィザードたちを死地に送り出す役目を経験がその内面を大きく成長させていた。

 故に、その答えは――

 

「どうする、エリスちゃん? 現地がどんな場所かわからないし、危ないからやめても――」

「いえ、やります。やらせてください!」

 

 くれはの言葉を遮って、(みどり)の瞳に確固たる意志の光を宿したエリスが決断した。

 

 

 

「――というわけなんです」

 

 はやての自宅。

 広々としたリビングのソファーにちょこんと行儀よく座ったエリスが、ひとしきり説明を終えて一息ついた。

 ずずず……と昆布茶で乾いたのどを潤す。

 なお、エリスの服装は以前着ていた白い制服によく似たデザインの、白いジャケットと青いプリーツスカート。髪留めのリボンも以前のように水色だ。

 

「はぁ、ファー・ジ・アースですかぁ……見たことも聞いたこともない世界です。あやしいですね、そのお話、ほんとですか?」

 

 ふわふわと浮かぶ、体長30センチという文字通り“小さい”水色の髪の少女が半信半疑に言う。

 彼女の名前はリインフォース(ツヴァイ)。愛称を古代ベルカ語で妖精を意味するエルフィといい、未だ休眠を続けている夜天の魔導書の管制人格リインフォースを復活させる一環として、はやてが製作した〈融合騎(ユニゾンデバイス)〉だ。

 ちなみに、エリスは彼女を「かわいい!」といたく気に入ったようである。

 

「そんな頭ごなしに疑っちゃあかんよ、エルフィ。簡単に信じてしまうんもあかんけど、頭っから疑ってかかってしもたら、ほんとうのことなんてなんもわからんくなってまう」

「は、はいです……」

 

 はやては我が家の末っ子を軽く窘めたあと、エリスと同じくずずず……と昆布茶を口にする。

 困った表情で言葉を探すエリスに、助け船が出された。

 

「この子――エリスちゃんの出てきた魔法陣、ミッドチルダやベルカとは全く違う様式のものだったわ。少なくても、未確認の魔法文化を持つ世界からの来訪者、ってことは間違いないんじゃないかしら」

 

 黄緑色のエプロン姿が板に付いているシャマルが、自身の考察を披露する。

 魔法関連の見識について全幅の信頼を置いている参謀の意見に、幼き女王は頷いた。

 

「それは同感や。ほんでエリスさん、これからどうするつもりなんです?」

 

 初対面の年上――とてもそうは見えないが。主にスタイル的な意味で――ということで、敬語っぽい丁寧な口調で問いかけるはやて。その視線は少女らしからぬほど鋭く、何かを探るようだった。

 エリスはそれに気づきながらも努めて冷静に言葉を発する。

 

「はい……。その、私てっきり“こちら”は単一惑星でできた世界だとばっかり思ってまして。でもはやてさんのお話を聞く限り、次元世界――すごく広いんですよね?」

「うん。少なくとも管理外世界はここ以外に96ヶ所はあると思います。管理世界は今30くらいやったけ……ともかく、そん中からヒト一人探すんは砂漠に落ちた針を探すよりも大変ですね」

 

 その途方もない話に、エリスはがーんと強くショックを受けて俯いてしまった。

「はう……どうしよう」しょんぼりとして涙目で呻く。

「なんやこの萌え生物……っ」はやてがよこしまな意味で呻く。

 

「エリスちゃん、連絡手段とかはあるの? もしあるのなら、指示を仰いでみたらどう?」

「あ、はい。そうですね……」

 

 シャマルのアドバイスを受け、エリスは荷物の入った小さなナップザック――ファー・ジ・アースの魔法技術の粋を結集して開発された超☆大容量の〈簡易月衣〉。開発コードは“十六次元ポケット”――を手に取り、薄紫色の折り畳み式携帯電話を取り出した。

 

「ケイタイ、ですか?」

「これは0-Phonっていう、高性能の携帯電話です。異世界での使用はもちろん、条件さえ整えば過去からだって通話できるんですよ」

「か、過去て……マジ?」

「マジです」

 

 頬をひきつらせる面々を横に、エリスはカコカコとキーをいじくる。

 手慣れた手つきで「赤羽くれは」のアドレスを開いて、呼び出し開始。

 

「…………」

 

 が、エリスは耳を当てたまま、硬直する。

 スピーカーからは「現在おかけになられた番号は……」というアナウンスが続いていた。

 

「あ、あれっ? ど、どうして?」

 

 あわあわと盛大に混乱してキーを操作するエリスに、「壊れちゃってるんじゃないですかぁ?」とエルフィが尋ねる。

 

「そ、そんなことは! あ、こちらのお宅の電話番号、教えていただいてもいいですか?」

「ええですけど。えーと、――――です」

 

 教えてもらった番号を打ち込んでみると、ややあってリビングにある据え置きの電話に着信が入る。

 相手は当然、エリスの0-Phonだ。

 

「壊れとるわけやないみたいや。てか、ほんとにつながって驚いたわ」

「うう……どうしよう」

 

 当てが外れてすっかり意気消沈した藤色の髪の少女の様子を、はやてはあごに手を当ててじっと観察する。

 特殊な生い立ち故か、他人の機微には聡いはやてである。今までのエリスの言葉や行動から、彼女の人となりを密かに分析し、信用にあたる人間なのか把握することにつとめていた。

 何も、不用心に不審な人物を家に招いたわけではないのだ。

 その結果は――シロ。

 少なくとも、現時点では嘘を言っているようにも、ましてや悪意があるようにも見えない。むしろ善意の固まりというか、とても“ふつうの女の子”だ。――もしかしたら、自分や親友たちよりもずっと。

 だから、はやては言う。軽くため息混じりで。

 

「ほんなら、ウチにいたらええよ」

「えっ?」

 

 そのため息はたぶん、ままならない自分の感情へのある意味での憤りの発露。だが、悪くない。はやてはそう思う。

 

「幸い私ら、時空管理局の人間やし、次元を渡る手だてにあたりつけられる。それに、なにより――」

 

 なにより? と一同が意味深に間を取るはやてが発する言葉の続きを待つ。

 

「こんなにかわいいヒト、ほっとくことなんて私にはでけへん!」

 

 ぐっと拳を握り、力説するはやて。

 ばばーん。何やら間抜けな効果音がエリスの耳に届き、しらーっとした空気がリビングに流れる。

 庭で伏せていたザフィーラが、眠そうに欠伸していた。

 

 

   *  *  *

 

 

 第一世界“ミッドチルダ”。

 多数の次元世界を“管理”する時空管理局の運営に強い影響力を持つ、ある意味で中心地とも言える世界である。

 その中央区画、近未来的な建築物が建ち並ぶ首都“クラナガン”の繁華街にて。

 

 人通り賑やかな大通りを歩くのは、赤みがかった茶髪をグリーンのリボンでサイドテールに纏めた十代半ばの少女。コドモとオトナの間をさまよう瑞々しい肢体を、白と暖色系で揃えた活動的な女の子らしい服装で包む。

 

「ごめんね、ユーノくん。お買い物につきあわせちゃって」

 

 彼女――高町なのはが、申し訳なさそうな表情で言う。

 

「いや、いいよ。僕も久しぶりに取れた休暇を持て余してて困ってたんだ」

 

 その隣を行くのは、なのはと同年代の少年――ユーノ・スクライア。

 長い白みがかった金髪を首の後ろで束ねる緑色のリボン、フレームなしの眼鏡や、押さえ目の色合いのカジュアルな装いは彼の理知的な雰囲気によく合っていた。

 

「そういえば、こうして二人で出かけるのって久しぶりだね」

「うん、そうだね。私もユーノくんも普段は忙しいもんね」

 

 時空管理局の教導官にして若きエースと、無限書庫司書長――書庫長兼務――であり歴史学者という極めて忙しい身分の二人だ。たまの休みがかち合うことも滅多になかった。

 とはいえ、出会った頃から忙しさ自体はさほど変わってはいないのだが。

 

「ほんとは、フェイトちゃんと来たいなって思ってたんだけど……」

「そ、そうなんだ」

 

 親友(フェイト)の代わりというある意味で容赦のないセリフに、ユーノは軽くヘコんだ。

 以前からなのはの優先順位では下の方――魔法=フェイト≧はやて>家族>>自分、かなり省略しているが概ねこのようだとユーノは把握している――なので慣れっこだ、と空元気を振り絞る。

 彼のこんな性格が、なのはへの六年越しの想いが伝わらない遠因なのかもしれない。

 

「……フェイトちゃん、また元気なくてなっちゃって」

「4月の中旬くらいに急に機嫌がよくなった、って言ってなかった?」

「うん。そうなんだけど、この前の火災のあとからまたすごく悩んでるみたいなんだよ。なんだか、初めて会ったころみたいに張りつめてて……」

 

 話しているうちに感情移入したのか、自身も沈みこんでいくなのは。親友であるフェイトを心配するあまり、自分まで落ち込んでしまっては元も子もない。

 

「そっか……。でも、下手に触らない方がいいんじゃないかな。ほら、フェイトって周りに心配かけまいとして無理するタイプだし」

 

 思わず出掛かった「なのはと一緒でね」という言葉は飲み込んだ。

 数年前、なのはが再起不能に近い大怪我をした出来事は、ユーノにとっても痛恨の記憶として残っている。

 どうしてもっと気にかけてやれなかったのか。「なのはを守る」と“約束”したのに、と。

 誰と交わしたのかはどうしても思い出せないが、それでもこの“約束”をもう違えないとユーノは心に決めていたのに。――彼女はユーノにとっても、何よりもかけがえのない人だから。

 

「――ユーノくん?」

「あ。いや、何でもないよ、なのは」

 

 傍らのなのはから見上げられて、慌てて取り繕うように笑うユーノ。暗くなった思考を無理矢理に振り払う。

 せっかく、なのはとふたりきりの買い物――デートじゃないのが残念だけれど――なのだから、楽しまなくては。気分を切り替えたユーノは、当たり障りのないアドバイスを口にした。

 

「ともかく、今はそっとしておくしかないんじゃないかな」

「そう、かなぁ……」

 

 なのはは腑に落ちない風に表情を曇らす。

 お節介な彼女はどうやら、何もしないこと――否、何も出来ないことに不安を感じているようだった。

 けれど、この問題はいつものように“お話”で解決できることじゃない。結局のところ、フェイトの、フェイトだけの問題なのだから。

 

「そうだよ。フェイトだって子どもじゃないんだから、あまりしつこく構っても逆によくないよ」

「うう……でも……」

 

 なおも食い下がるなのはが、二の句を継ごうとした時、

 ――――空に、紅い月が浮かんだ。

 

「えっ?」

「これは……」

 

 建築物は血のように紅く染まり、仄暗い天空には不気味な紅い満月が鎮座する。

 突然の異常事態、通行人がどよめいく。

 

「ただの結界魔法、じゃない? 空間を浸食するような――こんな魔法、始めてだ」

「外に念話、つながらない。遮断されちゃってるみたいだよ」

 

 知的好奇心を刺激されたのか、やや興奮した様子のユーノとは対照的になのはは極めて冷静に対応している。

 ただ一つ

、優秀な魔導師である二人は敏感に感じ取っていた。

 まるで“常識を犯す”ような違和感を覚えるこの現象が、いかに異常なのかを。

 

「――っ!」

 

 刹那、強大な魔力を前兆として、前方にそびえ立つ高層ビルが爆発炎上した。

 頭上で起きた大きな爆発や降り注ぐ瓦礫に恐怖し、悲鳴を上げる群衆はあっさりパニックに陥った。

 

「きゃっ」「なのは!」

 

 逃げ惑う人の波に巻き込まれ、さらわれかけたなのはの手を取るユーノ。そのまま手を引いて、二人は路地裏に逃げ込む。

 

「あ、ありがとう、ユーノくん」

「うん」

 

 人混みから離れ、一息。

 ふと空を見上げたなのはが、爆炎の中からが飛び出したふたつの影に気がついた。

 彼女の位置からでは詳細はわからないが、体つきやシルエットから判断するにどうやらどちらも少女であるらしい。そして、この騒動に何らかの関係がある可能が濃厚だ。少なくとも、ビルを爆破したのは彼女らに違いないだろう。

 ――カチリ。

 そんな音を立てて、なのはの中でスイッチが切り替わる。

 中学生の高町なのはから、時空管理局の魔導師“高町なのは”へと。

 

「ユーノくん、民間人の避難誘導、お願い」

 

 なのはは、少女らしい柔和な面立ちを戦闘者としてのそれに引き締め、首にかけた紅い宝石を手に取る。

 輝く、桜花の光輝。

 一瞬にして白いバリアジャケット――機動力重視の〈アグレッサーモード〉――を纏う。

 その手に携えるのは“杖”。先端は湾曲した黄金色の装飾に抱く紅玉、付け根から延びたノズルや石突きも同じく黄金。取り回しやすい長さの持ち手は、持ち主の装束と同じく白。

 不屈の心、レイジングハート・エクセリオンである。

 

「わかった。……気をつけてね、なのは」

 

 ユーノの言葉に無言で頷くと、なのはは、桜色の三対の翼〈アクセルフィン〉を靴に生み出して、紅い空へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♯2 「Darkness」

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅い天上。

 地上で、蟻の子を散らすように逃げまどう人々を尊大に見下す二人の少女。

 ひとりは、ほっそりとした肢体を紫色の制服らしき装束で包み、南米の民族衣装を思わせるポンチョを羽織る、なのはたちと同世代に見える人形のような顔立ちの小柄な少女――ベール=ゼファー。

 大魔王らしく傲岸に腕を組み、眼下の人々へ虫けらを見るような視線を送っている。ウェーブのかかった美しい銀髪が、紅い光を受けてティアラのように輝いていた。

 

「リオン、()()()は?」

 

 もうひとりは、整ったスタイルをブルーのゆったりとしたドレスで隠す、十代後半の外見を持つ少女――リオン=グンタ。トレードマークである分厚い書物を広げ、読み込んでいる。

 俯き加減と、漆黒の前髪で面立ちは見えづらいが、やや眠たそうな半眼と微笑の底は読めない。

 

「……この月匣内にはもう居ないようですね。任務完了、とでも言いましょうか」

「そう。――ったく、どうしてあたしがこんな害虫駆除みたいなマネしてんのかしら」

 

 リオンの報告を聞き、忌々しそうにベルが吐き捨てる。

 

「どうしてと言われましても。そのような契約を“彼”と交わしたからではないのですか? ……こうして人間をついでに取り込んで、ちゃっかりとプラーナを回収するつもりのくせに」

「……ま、それもそうね」

 

 連れのもっともな指摘に、ベルはあっさり矛を収めた。溜まったストレスを愚痴として吐き出したかっただけらしい。

 

「さて、と。じゃあ、プラーナはいただこうかしら」

 

 好物を目の前にした子どものように無邪気に笑い、ベルは両手を突き出した。

 獲物は弱き人間たち。気紛れな魔王に命を摘まれる哀れな生け贄だ。

 

「顕現せよ、万物を消滅させる虚無の世界」

 

 拡大した黒い魔力が、立方体の魔法陣を形成、人々を包み込む。

 

「ヴァニティ――ッ!?」

 

 完成寸前だったベルの口上を遮るように、下方から桜色の光芒が迸った。

 

「……誰よ? あたしの邪魔をする不届き者は?」

 

 発動間際の魔法を丁寧に霧散させ、光を軽く回避したベル。高飛車なセリフを発したその表情は、不愉快そのもの。

 

「――時空管理局です! そこの子たち、直ちに魔法の行使を停止して投降を!」

 

 急速に上昇してくる白い装束を纏った少女――なのはに、殺気を込めた鋭い視線を注ぐ。

 

「なにあれ」

「……さあ?」

 

 顔を見合わせるベルとリオン。魔王にして人外たる彼女らが、ヒトの都合や道理に従うはずもない。

 そんなことなど知る由もないなのはは、二人に向かって言葉を投げかけ続ける。

 

「あなたたち、この現象についてなにか知っているなら、お話聞かせて」

「……なるほど。大魔王ベル、この人間、“彼”の言っていた高町なのはのようですよ」

 

 お得意の書物から“秘密”を読み取ったリオンが言う。

 名乗ってもいない名前を言い当てられ、びくりと身体を硬直させるなのは。もっとも、彼女とて管理局ではそれなりに名の通った魔導師なのだからそういう経験もあるのだろうが。

 

「ふぅん、この子が……」

 

 虫けらか塵芥でも見ているかのように凍えきっていた金色の瞳がにわかに興味を帯び、薄く細められた。

 新しい玩具を見つけて喜ぶ童女のごとく、ベルはなのはの総身を絡みつくような視線で眺める。

 

「……っ!?」

 

 妖しく光る金色の瞳。なのはは、寒気を感じ無意識に身体を震わせた。

 彼女の感じた悪寒の正体は、自分の心の奥底を見透かされているような、言い知れぬ強い不快感。

 “蠅の女王”と渾名されるヒトならざるものの圧倒的な存在感に、白き少女は飲まれていた。

 

「リオン、あんたは先に帰ってなさい。あたし、この子とちょっと遊んでいくから」

「わかりました。……ですが、お戯れはほどほどに」

「大丈夫、殺しはしないわ。殺しは、ね」

 

 絹糸のごとく柔らかな銀髪を掻き上げ、酷薄な笑顔をこぼすベルに軽く釘を刺すと、リオンは踵を返した。

 

「あっ! 待って、まだお話を――」

「あら、まだあたしが居るじゃない。失礼ね」

 

 飛び去るリオンを追い縋ろうとするなのはの進路を阻むベル。ばさりとポンチョが大きくはためく。

 

「……あなたの名前、聞かせてもらってもいい、かな?」警戒感を露わにしつつも、なのはは自らのスタイルを崩さない。

「ええ。今は気分がいいから、特別に名乗ってあげる」少女の見た目に不釣り合いな人外の色気を纏い、ベルは艶やかに唇を歪める。

 

「我が名はベール=ゼファー。あまねく空飛ぶものを統べる、“蠅の女王”」

 

 華奢な痩身から噴出する地獄の底のような禍々しい魔力。

 想像を絶する膨大なそれはあまりの高密度に半物質化し、漆黒の炎となって紅い空を灼く。

 

「ベール……、ゼファー……」

 

 黒い炎の奥に潜む魔力とは違う強大で異質な()を、漠然とだが感じ取ったなのはは、どこか脅えたように“少女”の名前を繰り返す。不屈の心を自称する彼女ですら、()()と相対することで本能が抱いた恐怖を隠すことは出来なかった。

 だが、無理もない。妖艶に微笑する“蠅の女王”を前にして、畏怖を覚えぬ人間など存在しないのだから。

 

「覚えておきなさい、高町なのは。今から、あなたを壊す者の名よ」

「――っ!?」

 

 猛烈なプレッシャーを発するのは、理不尽と破壊の権化。

 科学の世界に降り立った古き神の一柱(ひとはしら)

 

「さあ、一緒に遊びましょう?」

 

 ――――甘美な声とともに、深淵の闇が、全てを飲み込む“虚無”が解放された。

 

 

「ふぅん。けっこう速いのね」

 

 紅く染め上げられた空にソプラノの声が響く。

 突き出した片手から投射した“虚無”の矢――〈ディストーションブラスト〉が、高速で飛行する白い影へと迫る。

 白い影――なのはは、桜色の翼をはためかせ、それを難なく回避する。その動きはベルの言葉通り、経験と天賦の才に裏打ちされた見事な戦闘機動だった。

 

「これは犯罪行為だよ、おとなしく停止して!」

「ふん。そんなの、あたしの知ったことじゃないわ」

「誰かを傷つけたりすることは、いけないことなんだよっ!? 私の話を聞いて!」

 

 言葉が走り、桜色の光条と漆黒の虚無が幾重にも交錯した。

 両者はつかず離れずの距離を保ち、幾度となく魔法を撃ちかける。数え切れない爆光が紅い夜闇に爆ぜ、輝き、連なった。

 

「人間風情が魔王(あたし)に説教垂れるなんて、いい度胸してるじゃない。それはともかく」

 

 急制動、急加速で砲撃をひらりひらりと躱しながら、優雅に虚無の矢を連続で放っていく。

 その間にも銀色の(まなこ)は白い魔導師を捉え、その裡を観察し続けていた。

 魔王の前に、虚飾は許されない。ヒトの奥深くを見極める眼力を前に、“心”を偽る誤魔化しなど通用しないのだ。

 

「――いい加減、自分を誤魔化すのは止めたらどう? 高町なのは」

「……なんのこと?」

「ああ、やっぱ気づいてないんだ。……だとしたら、あなたとんだ道化だわ。滑稽ね」

「それって、どういう――」

 

 意味深な言葉で惑わすように、魔王がクスクスと愉しそうに唇を歪める。

 意図がわからず困惑する少女を無視して、ベルは眼下の逃げ惑う人々目掛けて光の奔流を何気なく撃ち放った。

 着弾した閃光が爆ぜ、大音量と灼熱の炎を撒き散らす。

 

「なっ、どうして……!?」

 

 突然の凶行に表情をひきつらせたなのはが、彼女にして珍しい激怒の感情を込めた視線を人形じみた容貌の少女へ向けた。

 

「あーらら、大変。あれで何人の人間が死んだのかしらね。あたし的には全滅だとあたりをつけてるんだけど、あなたどう思う?」

 

 怒気を含んだ眼差しを鼻であしらい、ベルは自らが起こした虐殺をまるで賭け事かゲームのように語る。

 あまりの怒りに歯を強く噛み締め、なのはは目の前の“悪魔”を睨んだ。

 

《――大丈夫だよ。落ち着いて、なのは》

「ユーノくん?」

 

 怒りで我を忘れかけていたなのはに、慣れ親しんだ声が念話で届く。

 同時に、噴煙を斬り裂いて、暖かなグリーンの魔力光で構成された大きな魔法陣が姿を現した。

 ベルの放った砲撃を阻んだのは、民族衣装風のバリアジャケットを纏ったユーノであった。

 

《多重障壁を張って防いだんだ。まあ、ほとんど破られちゃったけどね》

 

 少し自嘲気味にユーノが言う。自慢のバリアを破られたのが悔しいかったのだろうか。

「っち」自らの魔法が防がれたことに小さく舌打ちしたベル。忌々しそうにユーノを見やる。

 

《下のことは気にせず、なのははなのはの思うように、思いっきり戦って。いつも通り全力全開、でね》

「うんっ」

 

 いつもの調子を取り戻したなのはが柔らかく破顔する。長らく忘れていた、ユーノがサポートしてくれる有り難みを再認識して。

 ふたりのどこかほのぼのとしたやり取りに焦れたベルは、音もなく滑るようにしてなのはに肉薄する。

 

「ほらほらっ、仲良くお喋りしてる余裕なんてないわよっ!」

 

 掌に形成した直径十センチの黒い球体、〈ヴォーティカルショット〉を射出する。

 桜色の羽を散らしてなのはが急上昇。入れ替わるようにビルに着弾した球体は、いったん消失した後、空間の歪みを創り出し、外壁を大きく削り取った。

 

《マスター、この領域にはまだ民間人が多数残っています。大規模な魔法の使用は控えてください》

《うん、わかってる。物理干渉は切ったままでいくよ》

 

 その破壊の爪痕を視界の隅に置きながら、なのはは相棒と念話で言葉を交わす。

 そして、猛スピードで追撃してくる銀髪の少女を眼下に収め、魔力を解き放った。

 

「レイジングハート!」

 

 ロードカートリッジ。排出された空薬莢が落下していく。

 りん、と涼やかな音が鳴り響き、なのはの足下にミッドチルダ式の魔法陣が閃いた。

 

「アクセル――、シュートっ!」

 

 彼女の周囲に光のスフィアが生成されていく。デバイスを指揮棒のように振りかざし、それに併せて総勢25個の光弾が射出された。

 光の尾を引き、桜色の魔弾〈アクセルシューター〉が四方から高速でベルに殺到する。

 

「ふふっ」

 

 魔弾の檻に囲まれたというのに、余裕の態度を崩ずしもしないベルは、魔力を発露しそれらを追い払うように片手を薙ぎ払う。

 吹き荒れる純粋魔力の暴風。

 それを無造作に、何気なく叩き付けられたアクセルシューターは何とも呆気なく破裂して爆発した。

 

「そんなっ!?」

「こんな()()()な豆鉄砲で、このあたしを捉えられるなんて思わないことね」

 

 自らが信頼する魔法が、いとも容易く破られたことに動揺を隠せない魔導師を、魔王が嘲笑う。

 圧倒的優位に立つ者の余裕と、弱者をいたぶる嗜虐心。慢心、油断、侮りとも取れるそれはしかし、大魔王を名乗るに相応しい絶対強者にしか許されない風格だ。

 

「っ、だったら!」

 

 後方に下がりつつ、なのはは〈バスターモード〉に変形したレイジングハートを射撃体制で構える。穂先の下部の機構が二回コッキング、空薬莢を同じ数だけ吐き出す。

 収束する魔力。広がる魔法陣。震える大気。

 なのはの発露した魔力の量に「人間にしては結構やるじゃない」とベルは感想をこぼした。

 そして、小悪魔的な表情で両手を頭上に掲げる。

 溢れ出す魔力。高速で構築される術式。鳴動する空。

 そこから繰り出されるのは()()()()の代名詞――――

 

「ディバイィィィインッ!」

「ディヴァイン!」

 

 なのはとベル、異音同意の言葉を紡ぐ。

 

「バスタァァァァーーーッッ!!」

「コロナッ!!」

 

 桜の魔法陣を纏う金色の穂先から放たれた、桜色の大砲撃/紅い三連魔法陣から生まれた、黄金に輝く大光球。

 ふたつの魔法が、ふたりの間で激突した。

 光球を押し止めるように、曲線に沿って桜色の光が迸る。

 

「く、ううう……!?」

「フフン」

 

 正面からの真っ向勝負。

 前方から迫る圧迫感に表情を歪ませるなのはとは対照的に、ベルは余裕を滲ませ、微笑まで浮かべていた。

 拮抗はほんの数秒――

 

「なっ!?」

 

 〈ディバインバスター〉の光条を押し切った〈ディヴァインコロナ〉の光球が炸裂する。

 極大閃光魔法(ディヴァインコロ)の直撃を受けた少女の悲鳴は灼熱の閃光に飲み込まれ、紅の空に絢爛なる大輪の花が咲き誇った。

 

「だから言ったでしょう? ()()()な魔法じゃあたしには届かない。ま、術式自体はそう悪くはなかったけど」

 

 もうもうと残る爆炎を呆れたように眺めるベルは、煙の中に桜色の光を見つけた。

 

「あら、今ので墜ちたと思ったのにずいぶんと頑丈なのね。……声だけじゃなく、そんなところまで()()()と似てるなんて、ますますもって虐めたくなってきたわ」

 

 とっさに障壁を張り巡らし、落ちたる太陽の輝きを辛くも防いだなのはは、墜落した地点で。

 しかし、鉄壁を誇る彼女の魔法障壁をもってしてもディヴァインコロナが内封する大魔力と大熱量には耐えきれなかったのか、バリアジャケットの所々が焼け焦げている。

 その表情は多大なダメージの苦痛に歪み、険しい。

 

「レイジングハート……物理干渉、オンにして」

『しかし、それは――』

「あの子の魔法と撃ち合うには、それしかないよ」

 

 そう言って、なのはは相棒の意見を制した。

 ベルの魔法に撃ち負けたのは、“非殺傷設定”――魔力ダメージによる昏倒・制圧を目的とした一種のリミッターが原因だと、歴戦の武装隊員であるなのはの経験が告げていた。故の命令。

 

『……』

「レイジングハート、お願い」

 

 レイジングハートの優秀な人工知能が、主の判断がもっとも合理的だと肯定する。

 それと同時に、なのはとともに歩んだ時間で培った感情と呼べる“何か”が、一抹の不安を感じていた。

 

『……Yes my master.A firing lock is cancelled』

 

 だが、デバイスである“彼女”が主の指示を拒否する意志など元よりない。

 一拍、間を置いて、レイジングハートが非殺傷設定から物理干渉――言うなれば、殺傷設定へと切り替わる。

 

「へぇ……やっと、本気で遊んでくれる気になったのね。うれしいわ」

「こんなの遊びじゃない。ただの暴力、悪いことだよ」

「あら、お遊戯じゃない。殺す覚悟も死ぬ覚悟もなく、分不相応な力を手に入れて粋がってる小娘(あなた)にはお誂え向きのゲームだと思うけど?」

「そんな覚悟、私はいらないっ!」

 

 なのはが強く叫び、やれやれと魔王が肩をすくめた。

 

「だからダメなのよ。あたしにはわかるわ、あなたの矛盾が、あなたの歪みが……あなたの抱えた“闇”が手に取るように。ふふっ、あなたみたいに歪んだコ、あたし、けっこう好きなのよ? かわいらしくって……グチャグチャに壊したくなる」

 

 艶やかに、妖しく。

 ベルは嫣然と腕を組み、なのはの心を抉り出そうと言葉を次々に弄する。

 心に染み渡り、纏わりつき、深みに誘う蠱惑的な甘い響きの声音――それはまさに、数々の伝承に名を残す人間をたぶらかし、闇に落とす闇の呼び声。

 

「そんなこと、知らない! ベルちゃん、覚悟して。私なりのやり方で、お話を聞いてもらうから!」

 

 決然と宣言し、なのははレイジングハートの穂先を一瞬だけむっとした美しき魔王へと突きつけた。

 

 

   *  *  *

 

 

 桜と黒、二条の光が激突と交錯を繰り返しながら徐々に遠方へと離れていく。

 被害が出ないようになのはが誘導しているのだろう。

 地下シェルターの入り口に並んだ列はもう数人で終わりそうだ、とユーノは胸をなで下ろした。

 

「よし。これで、この辺りは大丈夫かな」

 

 避難誘導が速やかに進んだ。

 ひと月にあるかないかの頻度でしかないが、管理局魔導師と犯罪者の魔法戦闘が市街地で起きることがある。そのため、クラナガン市民は比較的こういった非常事態に慣れていたためだ。

 各施設には避難設備が整備され、魔法的物理的に強い堅牢なシェルターが都市の至る所設置されているのも幸いだった。もちろん、ユーノ自身の優れた補助能力もその一因だろうが。

 

「あ、あの……っ」

 

 住民な避難が終了次第、なのはの援護へ向かおうと思案していたユーノにかけられた声。

 怪訝に思い、振り向く。

 声の主は身なりのいい、二十代後半くらいの女性。顔面蒼白といった様子で、心底慌てているようだった。

 

「どうしたんですか、何か問題でも?」

「その、娘が、娘が……っ」

 

 嗚咽のように途切れ途切れな言葉は要領を得ない。錯綜している思考の糸を何とか繋ぎ止めて、何とか彼女は言葉を続けた。

 

「この騒ぎで、娘とはぐれてしまって……。どうか、探してもらえないでしょうか。お願い、します」

 

 涙混じりに必死で懇願する女性を、ユーノは錯乱している相手を安心させるように、努めてやさしい声色で質問する。

 

「お子さんの姿を最後に見たのはどこですか?」

「そこの建物の、一階です……」

 

 女性が示したのは目と鼻の先にそびえ立つ高層建築物。

 この一帯のランドマークとしてつい最近オープンしたばかりのスポットで、下層にショッピングモールやレストラン街、上層に商社のオフィスなどが入っている一大複合施設だった。

 

「わかりました。後のことは僕に任せて、あなたはシェルターに避難していてください。……大丈夫、必ず見つけ出しますから」

 

 お願いします、と何度も頭を下げる女性をシェルターへと促した後、ユーノは踵を返して、コンクリートでできた巨大な塔へと駆けて行った。

 

 

   *  *  *

 

 

 降り注ぐ怒濤のごとき火線の間隙を、ベルは縫うようにしてすり抜けていく。

 余裕をにじませた表情でぐんぐんと速度を上げ、砲火の弾幕を作り出すなのはへと急速に迫った。

 天空に羽撃くモノ全ての支配者たるベルにとって、空はホームグラウンド――自らの領土だ。神の座から墜ち、魔王として恐れられるようになった今でもそれは何ら変わることはない。

 大空の女王たる自分が、たかが人間の小娘に負けるわけがない。そう言わんばかりに膨大な魔力と武力を惜しげもなく披露する。

 

「っ……!」

「ほらほらっ! さっきの威勢はどこに行ったの? さあ、もっとあたしを楽しませなさい、よっ!」

 

 挑発の言葉を吐いたベルは、舞踏を踏むような機動の合間に漆黒の矢を撃ち放ち、距離を取ろうと後退するなのはを執拗に攻め立てる。

 その冷静で老獪な攻勢は、なのはの体力と精神を少しずつ、だが確実に削り取っていく。

 疲労は僅かな綻びを生み、綻びは小さな隙となり、隙は大きな致命傷を呼び寄せる。

 牽制の魔法を()()()()()()()体勢を崩したなのは目掛けて、先読みで放たれていた虚無の矢〈ディストーションブラスト〉が真っ直ぐな軌跡を残して飛翔。反射的に展開された全方位型障壁〈オーバルプロテクション〉に突き刺さると、八つに飛散して、巨大な空間のうねりを生み出した。

 

「う、ああぅっ」

 

 膨れ上がる空間の歪みの内部で、なのはが苦痛の声を漏らした。幾重にもねじ曲げられた歪曲空間の影響は障壁をものともせず、ギリギリと全身が悲鳴を上げる。

 ややあって、終息した歪みから抜け出したなのはは、まただ、と内心で歯噛みした。

 魔力を注ぎ込んだ強固な障壁を張り巡らしているというのに、撃ちかけられる漆黒の魔法はそれを嘲笑うかのようになのはの身体を徐々に蝕む。

 自らの防御能力に絶対の自信を持つなのはにとって、長年貫き続けていたスタイルの崩壊は想定したこともない事態。理解不能の手段で攻撃を受け続けることは、彼女の精神に強い焦りをもたらしていた。

 負の力にて、空間そのものを操作する〈虚〉の魔法の前では魔法的な耐性などほとんど意味を成さない。バリアなどの障壁魔法で辛うじて軽減出来るものの、鉄壁の防御で相手の攻撃を受け止めて戦うなのはにはあまりに相性の悪い攻撃手段である。

 仮に、“もう一つのモード”を使用したとしても、ベルのスピードに翻弄され、防御の上から体力を削り取られて嬲り殺しにされるだけだ。

 それをわかっているだけに、あまり得意とは言えない回避重視の戦法を取りざるを得ない。

 しかし、最適と思えたその手は、言い換えれば砲撃と防御の黄金パターンを崩され、動揺した彼女の消極的な心が生み出した逃げの一手。接近されることを嫌うあまり単調になった砲撃など、いくら撃ってもベルには障害にもならない。

 

「ざーんねん。鬼ごっこの鬼はちゃんと逃げなきゃ、ね?」

 

 金色の光――“プラーナ”を解放して得た神速で瞬く間に距離を潰したベルは、なのはの胸元に結ばれた赤いリボンにとんと右手を当てる。

 

(しまっ)

 

 ぐっと一瞬だけ力を込めて、ベルは囁くように術式を発動した。

 

「――ヴァニティワールド」

 

 ゼロ距離で解放された漆黒の力。

 ベルの右手を起点にして、虚無の力が放射状に広がり、立方体状の魔法陣を形成。なのはごと空間を包み込んだ立方体の魔法陣は、人には聞こえない高周波のノイズを放って全てを喰らい尽くす。

 〈ヴァニティワールド〉。立体魔法陣の内部に取り込んだ全てを等しく無に帰す、虚属性の最上級魔法である。

 リオンに言った通り、殺さない程度には手加減していたが、その威力は絶大にして無比。“万物を消滅させる虚無の世界”の名に相応しい、破滅の力がなのはに襲いかかる。

 

「きゃああああっ!!」

 

 悲鳴を上げながら、白の魔導師が紅く染まった摩天楼へと墜ちていく。

 そのままとあるビルの屋上に墜落。コンクリートを砕いて出来た小さなクレーターの中心から、砂煙がもうもうと立ち昇る。

 

「く……っ」

 

 震える身体を叱咤して、なのははレイジングハートを支えに何とか立ち上がる。純白のバリアジャケットは見るも無惨に損傷し、口元からこぼれた紅い血が筋を作っていた。

 そんななのはの目の前に、ふわりとポンチョをはためかせ、ベルが悠然と降り立つ。

 

「あなた、力の使い方ってものが全然なってないわね。自分の力を過信して、得意な距離、得意な戦い方にこだわりすぎよ。……どうしてこう、馬鹿魔力の持ち主ってのは揃いも揃って単純馬鹿ばっかりなのかしら」

 

 こめかみに指を当てて頭痛を感じているかのような仕草をして、ベルがどこぞの誰かを引き合いになのはを当て擦る。

 

「そんな、たくさを魔力を、持ってる……あなたに、だけは……言われたくない、よ」

「ふん、言うじゃないの」

 

 ダメージの色濃い身体でなのはが苦し紛れに当て付け返す。が、ベルは嘲りを浮かべるのみだ。

 

「ま、いいわ。完全なる敗北と、絶対なる絶望の味を心行くまでたっぷりと教えてあげるから、ありがたく思いなさい」

 

 漆黒の陽炎を巻き上がる。

 ふわりと浮遊したベルの突き出した右手に黒い輝きが瞬いた。

 

 

   *  *  *

 

 

 なのはがベルに追い込まれていたその頃、ユーノははぐれてしまった少女を探してショッピングモールの廊下を走っていた。

 サーチャーを散布し、特定した地点へと奔走する。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ。これは、もう少し、運動した方がいいかな……」

 

 最近、仕事がデスクワーク主体だったユーノの運動不足は致命的であり。久々の全力疾走に痛みを訴えるわき腹を押さえてぼやく。

 軟弱な自分が情けないと自省しつつ、曲がり角を抜ける。

 

「ぐすっ、ママぁ……ママぁ……」

 

 少し先、一面ガラス張りの大きな窓のある廊下の床に、ぺたりとへたり込み、ぐずぐずと泣いている十歳前後の少女が見えた。

 赤みがかった髪をピッグテールに結ったその少女に、初めて出会ったころのなのはの姿がだぶる。そんな益体もないことを脳裏に浮かべながら、ユーノは少女に駆け寄った。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

 

 突然声をかけられて驚き、びくりと肩を揺らした少女は、涙をためた黒目がちな瞳で恐る恐るユーノを見上げる。

 

「ぅぅっ……ひっぐ、おにーちゃん、だぁれ?」

「君のママに頼まれて、代わりに君を迎えにきたんだ。もう大丈夫、一緒にママのところに行こう」

 

 その言葉に、少し間を置いて――おそらく、幼いなりにいろいろと考えたのだろう――、こくりと頷いた少女に、ユーノはやさしく笑いかけた。

 

 

 大きすぎる慢心が災いしたのか、ベルは遅延型のバインドに引っかかり、空中に張り付けにされていた。

 

「くっ、しまったっ!?」

「全力全開! スターライトッ!!」

 

 桜色の拘束具に四肢を捕らわれ焦りの表情でもがく銀髪の少女(人外)へ、なのははこの隙を逃しはしまいと金色の切っ先を突きつける。

 撃ち放つのは、渾身の一撃――〈スターライトブレイカー〉。

 きゅんっと軽快な音を立てて、無数の“星”が環状魔法陣を展開するレイジングハートの先に集い、集った“星”が収束して、巨大な光となった。

 直径50メートルはあろうかという桜色の光輝を前にして、ベルは驚愕で表情を染め――

 

「――なーんて、ねっ!」

 

 一転、薄ら笑いを浮かべた魔王の痩身から金色の光が勢いよく吹き出す。

 その圧力に耐えきれず、ぱりんっ、とガラスが割れたような甲高い音を立てて桜色の光が粉々に砕け散った。

 有り余る魔力と“プラーナ”で、力任せにバインドを破壊したベルは、ひらりと身を踊らせて巨砲の射線から離脱する。

 

「ブレイ――――え?」

 

 発射態勢に入っていたなのはは唖然として、目を見開く。

 臨界点を越えた大量の魔力は、対象を見失ったとしても留めることなどできはしない。

 放射された桜色の巨大な魔力の塊は、ベルが捕らわれていた位置を通り、遥か後方にそびえ立つ40階建ての高層ビルに向けて一直線に走っていった。

 

 

 少女を連れ、転送魔法でここを離れる準備していたユーノは、次第にまばゆい光に気がつき、ふと視線を窓の外にやる。

 

「ッ!!」

 

 そこにあったのは、紅い空の下、遠方からとても馴染み深い見慣れた色をした光の柱。それが、ユーノたちが居るビルへと直撃コースを取って突き進んでくる光景。

 その極太の光に込められた膨大な魔力に、ユーノの背筋が凍りつく。

 

(なのはのスターライトブレイカー!? 転送――ダメだ、間に合わない!!)

 

 足下には、きょとんとした顔をして見上げてくるいたいけな女の子。

 その小さな姿に出逢った頃の想い人の面影が重なって、ユーノの目の前が真っ赤に染まる。

 

「くそっ!!」

 

 転送魔法を即座に破棄して跪くと、少女の頭を抱え込み、限界まで魔力を注ぎ込んだ最大強度の多重障壁を張り巡らす。

 刹那、世界そのものが揺れるような甚大な衝撃波が彼らを襲う。極大砲撃の余波で、多重障壁は簡単に砕けて。

 中層階は消し飛び、支えを失った上層部が一気に崩落を開始する。

 重みに耐えられなくなった鉄筋や、コンクリートが雪崩のように降り注ぎ、緑の防御膜の中で身を縮めるユーノの視界を覆った。

 

 

  *  *  *

 

 

「あーらら、崩れちゃった」

 

 崩れた巨大な塔を見やり、ベルが愉しそうにクスクスと嗤う。

 そして、その軽薄な態度が不愉快なのか、顔をしかめるなのはへと艶美な眼差しを向ける。

 

「あんなに派手に壊れて、人間が中にいたらどうなったのかしらね?」

「それって……」

「猪武者じゃないんだから、少しは自分の頭で考えたらぁ?」

 

 遠回しな物言いを訝しむなのはに、ベルは馬鹿にしたような猫なで声で促す。

 

『Master!』

「っ!」

 

 レイジングハートの短い警告から事態を理解させられたなのはは、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるベルを半ば無視して、弾かれたように飛び出した。

 目的地は目と鼻の先。

 コンクリートや鉄筋、その他いろいろな物が積み上がった瓦礫の山。微弱な生命反応を――いや、幼い女の子の泣き声を頼りにしてなのはは辿り着いた。

 

「ユー、ノ……くん?」

 

 祠のように積み重なった瓦礫の下から、紅いナニカが足下に広がっている。

 引き寄せられるように歩を進めると、紅いナニカがぴちゃりぴちゃりと跳ね、なのはの白い靴を汚す。立ち止まった靴のつま先に、ひび割れたノンフレームの眼鏡がぶつかった。

 

「どう、して……こんな……」

「あなたがやったのよ」

 

 地面に突き立つ、五メートルほどのコンクリートの破片に腰掛けたベル。すらりとした細い脚を組み、冷たく光る金色の双眸で茫然自失した少女を見下ろす。

 

「わたっ、私は……!」

「言ったでしょう? あなたは分不相応な力に振り回されるだけの、ただの粋がった小娘だって」

「ちがっ、ちがう!」

「違わないわ。ほら、見てみなさい」

 

 瓦礫の奥、影になっていたところに紅い月の光が射し込む。

 真っ赤な血液を止めどなく垂れ流す数年来の親友――そして、彼の血で汚れ、恐怖に泣き喚く小さな女の子がいた。

 流血した彼の姿と、痛々しい少女の泣き声がなのはの心を深く突き刺し、容赦なく抉る。

 

「ぁ、あ……ああ、あああぁぁあ!?」

「クスッ、好い顔。……ねえ? わかったでしょう? ()()は、あなたが傷つけたの。あなたの力で――あなたのその手で、ね」

 

 なのははレイジングハートを強く抱き抱え、膝から血溜まりに崩れ落ちる。

 

「い、や………ちがう、ちがうの……私、そんなつもりじゃ……うそ、だって、こんな、こんなの知らない、知らないよ……。私……、わたし――」

 

 血の気が失せた青白い顔で長い髪を振り乱し、脈絡のない言葉を壊れたラジオのように繰り返す。

 虚ろな青紫の瞳からは、輝きが失われていた。

 

「フフッ、案外愉しいゲームだったわ。機会があったらまた遊びましょう? ……もっとも、あなたがそこから這い上がれたらの話だけど。……じゃあね――アハッ、アハハハハハハハッ!!」

 

 紅い闇の中に溶けていく嘲笑だけが、色褪せ始めた紅い世界と崩れていくなのはの心に、残された。

 

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