魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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#10

 

 

 

 このミッドチルダの(そら)に寄り添い浮かぶ双子の月のように、少女と少年は夜空(そら)をたゆたう。

 ふたりの負った傷を癒す幻想的な蒼銀の淡い光が、その光景をまるで物語の一ページのように彩っている。

 六年の空白――、それを埋めるように心と身体を重ね合うふたりの周りに漂う七枚の“羽根”が、七色の宝玉がちかちかと光らせて祝福していた。

 攸夜の首根っこにしかと抱きつき、フェイトは六年ぶりに――墓地での一件はカウントされていない――感じる恋人の温もりを、心ゆくまで堪能する。

 

「ユーヤ、ユーヤっ、ユーヤぁーっ!」

 

 目尻に涙を溜め、何度も何度も飽きることなく愛しいひとの名前を呼び続けるフェイト。そんな彼女の様子に、攸夜は微笑ましくも苦笑する。

 しかし、昔年の願いを成就させた彼の胸中は幸福感で溢れていた。それは腕の中でめいっぱいに甘えている女の子も同じだろう。

 すると件の少女は何を思ったか、じっと上目遣いで攸夜の顔を見つめ始める。どこか不安そうな、それでいて陶酔したような顔付きに、何気に純情な少年の心臓がどきんと脈打った。

 

「えへへ……、ユーヤぁ~♪」

 

 薄く開き、紅い舌の覗いた艶かな唇。そこから零れた鼻にかかったような猫なで声、鼻孔をくすぐる甘い香りのする金髪。かわいらしくも美しい白百合の笑顔を彩るのは、うるうると艶めかしく潤むつぶらな瞳。そしてなにより、胸の辺りに押しつけられて潰れたひどく柔らかなマシュマロのような感触が彼の脳髄を直撃した。

 

(ちょっ、近い近い近いっ! 息とか胸とか当たって!? ――やっぱりフェイト、ふわふわ柔らかくて気持ちいいなぁ……じゃなくて!!)

 

 妙なところで年相応な彼の思考回路は、過負荷によりショート寸前。パニック一歩手前の状態にまで追い込まれ、有り体に言うなら攸夜は今とてもすごく照れている。

 そんなことなどつゆ知らず、出し抜けに瞳をぎゅっと瞑ったフェイトが首を伸ばした。「ん~」と不自然に唇を突きだし、グイッと攸夜の顔めがけて。

 二人はほとんど隙間なく密着しいるわけで。

 当然――――

 

「いたっ」

「きゃっ」

 

 ごちんとおでこをぶつけ合い、思わず離れる攸夜とフェイト。

 赤くなった額を撫でつつ攸夜が非難のジト目を向ける。不意打ちがそれほど痛かったのだろうか、わずかに涙目だ。

 

「……急に何のつもりさ。目から星が出たじゃないか」

「あう……、ご、ごめんね。えっと、今のは、そ、その……」

「うん?」

 

 フェイトは、やんわりとした追求にもじもじと前掛けの裾を指先でいじる。「あの……」だの「うんと……」だのと呟くその頬は、羞恥の感情で薔薇色に染まっていた。

 

「――したいなって……」

「はい?」

「ゆ、ユーヤとキスしたいなって、思ったのっ!」

 

 かなり過激なセリフを発したお嬢さんは言ったきり、真っ赤に茹で上がって俯いてしまう。

 若干気まずい沈黙が流れる。

 赤面したまま恥ずかしさのあまり縮こまる恋人を前に、ぽかーんと口を開いてフリーズした攸夜。経験豊富に見えて、実は結構初心な男である。

 が、何とか現実世界に復帰して、「ははーん、なるほどなるほど……」と強がり混じりに意地の悪い笑みを浮かべる。記憶にある“あくま”の笑みに背筋を凍らせたフェイトだったが、もう遅い。

 大胆に抱き寄せられて、唇を奪われた。

 

「んむっ!?」

 

 じたばた。

 

「んんーっ、んむーっ!!」

 

 じたばたじたばた。

 

「んンっ……、ふあ……っ、んふっ、ちゅく、ちゅぷ、……んっ!?」

 

 こくっ、こくっ。

 

「んくっ、んうっ……んんん~っ……っ、はぁっ、んっ、ちゅく、ぷちゅ、ちゅっ……」

 

 くてっ。

 

「ん……、ぷぁっ、ぁ……」

 

 情熱的すぎるベーゼより解放されたフェイトの小ぶりな桜唇から、熱い吐息と一緒に銀色の橋が伸びる。それがぷつんと切れて、白い(おとがい)をつつーっと垂れ落ちる様はひどく蠱惑的だった。

 好き放題に“じゅうりん”されたフェイトはシアワセそうに表情をとろけさせ、ぽーっと惚けていた。

 

「ふぅ……お気に召しましたか、お姫さま?」

 

 たっぷりねっとりとフェイトを味わって愉しんだ攸夜は軽く息を吐き、ふてぶてしくのたまった。

 そして、とろとろにとろけきった自らが言うところの“お姫さま”を優しく抱き寄せる“あくま”が浮かべたのは、至極満足げな笑顔。キザに振る舞っておきながら、自分も密かに耳を赤らめているのはご愛嬌だ。

 

「ううぅ、いきなりひどいよ。……ユーヤのえっち」

「あはは、俺はリクエストに答えただけですよ?」

 

 何とか精神の再構成を果たしたフェイトが恨みがましい視線を送るも、攸夜はどこ吹く風とおどけるのみ。むしろ、その視線を楽しんでいるようにさえ見える。

 こんな時の彼に何を言っても無駄だと知っているフェイトは、「もう……」とたおやかにはにかんで呆れた。

 

 いろいろな意味で落ち着ついたフェイトは、未だ抱きしめられたまま攸夜の胸板に顔を埋めていた。

 だが、このままでいるわけにもいかないことをようやく思い立ち、顔を上げて声を発しようとする。

 

「ねぇ、ユーヤ」

「うん?」

「これからどうす――っ!?」

 

 やや躊躇いがちに発せられた問いかけを遮って、足下――雲海の遙か下方から身の毛もよだつ気配が這い上がる。

 地の底から響く怨嗟の叫び声。

 生まれて初めて感じ取る魂までも震え、慄くような邪悪な波動に、フェイトの肌が粟立つ。不愉快極まりない悪寒を嫌い、彼女は無意識の内に攸夜の服を強く握っですがりついた。

 

「なに、この感じ……?」

「これは――」

 

 戦慄と戸惑いがフェイトの口をつく。

 今までの弛緩した顔付きを一転させ、厳めしい戦士の顔をして見せた攸夜は、眼下の雲海――その先に現れた“モノ”の名を明確な敵意と共に呼んだ。

 

「――やっと()()のお出ましか、“災厄を撒き散らすもの”!」

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♯10 「這い寄る混沌」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅん、けっきょくあたし以外は全滅かぁ~……」

「くッ!」

 

 レヴァンティンの斬撃を、人差し指と中指の二本だけで易々と受け止めたパールは、誰ともなく呟く。刃先を挟まれ、びくともしない剣に相対するシグナムが焦りの表情を浮かべた。

 パールが制御するもの以外の“楔”は全て例外なく消滅し、クラナガン全域で勃発していた戦闘も小康状態に入っている。未だに小競り合いを続けているのは、ここの面々だけだ。

 “楔”同士の共鳴によって起動する儀式魔法は、過半数を失い完全に失敗したと言えるだろう。

 もっともパールにしてみれば、成功しようが失敗しようが知ったことではないのだが。

 何せ、これは“祭り”。闘争と鮮血と殺戮とで彩られたカーニバルなのだから。

 

「ルーもベルもアルも、揃いも揃ってだらっしないなあ。……まっ、これでこのパールちゃんがいっちばん最強でかわいいって証明されたわけねっ☆」

 

 正確なんだかズレてるんだかよくわからない評価を仇敵(ライバル)たちに下して、巫女服の暴君は尊大に胸を張る。

 とはいえ、百戦錬磨のヴォルケンリッターを相手にしてさえも、致命傷はおろかトレードマークの巫女服に損傷の痕すら見あたらないことは彼女の強大さを示す立派な証左だろう。

 と、指先の力が緩んだ隙を突いてシグナムが離脱。大きく後退する。

 

「んー? あっれー、あんたまだ居たの? もう死んでたのかと思ってたんだけど」

「……っ」

 

 気持ちよく口上を述べていたパールが一転、不愉快そうに眉をひそめて口上を阻んだ不届き者を睨み付ける。

 その口振りはまるで、「お前など眼中にない」と言いたげだ。

 

「あーあ、なんかめんどくさいし……あんた、消えちゃいなさい」

「くっ!」

 

 破壊を引き起こす術式を紡ごうと、横柄な態度で魔力を発露した刹那――、唯一残る“楔”が禍々しくも激しい紅の輝きを放ち始める。

 次いで起こる地鳴り。激震。

 飛行している彼女らではわからないことだが、。

 

「――って、ありゃ、始まっちゃったんだ」

 

 間の抜けたセリフを合図にしたかのように、眼下の街並みの様相が兇変した。

 クラナガン中央区画に、邪悪極まりない妖気が漂い始める。

 アスファルトの地面や、コンクリートの建築物を割って漆黒の瘴気が噴き出した。

 街灯や、ネオンの明かりが消えていく。

 それは“闇界”と呼ばれる異界の空気。全てを侵し、滅ぼす致死毒の大気だった。

 

「なんだ、あれは……」

 

 中央区画の象徴たる、時空管理局地上本部ビルにほど近い大通り――瘴気が最も充満した地点。

 どこまでも深い大穴にも見える漆黒の瘴気溜まりが波打つ。

 遙か深淵に繋がる穴から、多種多様、どれもこの世のものとは思えない姿をした異形の軍勢が無数に這い出る。

 師団規模にも及ぶバケモノが尽きることなく現れる中、ひときわ大きく波立つ闇。そこからずるりと這い出したのは、巨大な漆黒のカタマリ。

 黒曜石に似た漆黒の外皮に、血を思わせる朱い爪を持った六足の甲虫のような脚。

 山のように長大な体躯は、ぞろりと生え揃った凶暴な牙を持つ禍々しい魔獣の顔が、上下重なっただけの奇形。その背後から長く太い尾が大穴の奥底へと伸びている。そして、上部からは龍の頭部ような触手が数え切れないほど蠢く。

 見るも悍ましい異形の“龍”が、巨大な顎門を開いて雄叫びを上げる。それは断末魔の叫びのような気味の悪い砲哮。

 巻き起こる衝撃波で、周囲の高層ビルが崩壊を始めた。

 

 

「――アレこそがこの“世界”に巣くった冥魔。我らが次元ごと討つべく画策していた“災厄を撒き散らすもの”、その真名(まな)をアジ・ダハーカ」

 

 負傷した躯を庇いながら、ルーは眉間に皺を寄せ、視線の先で暴虐の限りを尽くす存在の名を口にする。

 その声色は普段の優雅で気品溢れる彼女らしくなく、苦々しく吐き捨てるようだった。

 

「“災厄を撒き散らすもの”……」

 

 満身創痍のはやてを“箒”のタンデムさせたエリスが、その禍々しい異名を繰り返す。

 

「アジ・ダハーカ……っていうと、ゾロアスター教の悪魔の名前やな。剣で斬りつけても、傷口から爬虫類やらの邪悪な生きもんが出てきて倒せへんていう」

 

 読書家らしく、マニアックな知識を披露するはやて。辛そうではあるが、ミッドチルダの危機を前にして寝ては居られないと根性を発揮する。

 理解の早いはやてに、ルーはどこか満足そうにほんのわずかだが微笑んだ。

 その表情は、およそ自らに手傷を負わせた相手に向けるような性質のものではない。

 

「左様。その伝承の通りに、奴めは内在に孕んだ災厄を撒き散らすのだ。近い性質のモノに“夜闇よりも冥きもの”があるが、アレはそれ以上に質が悪い。現世に溢れる怨念、悪意、嫉妬、恐怖、憤怒、疑心、そして絶望――あらゆるヒトの負の想念を糧にして、無尽蔵に冥魔を産み出し続ける……アレは言わば冥魔の生体プラントだな」

 

 正体を説くルーは、美しい相好を忌々しく歪める。

 

「それが、この“世界”全体の中心地、あらゆる感情の終着点たる“ここ”に陣取れば……結果は自ずと導かれよう」

 

 その意味するところに一同が息を飲んだ。

 放置すれば、世界のどこかで今も生まれては降り積もる(おり)を腹一杯に喰らって、“災厄を招くもの”は冥魔を際限なく産み落とすだろう。――ヒトが生き続ける限り、負の感情が絶えることはないのだから。

 なお、端で聞いている翠はちんぷんかんぷんで頭から煙を出してたりする。

 

「何故、そんなものが今になって……」

 

 いくらか回復した様子のスルガが疑問を口にした。

 

「あの“楔”には次元震を起こす以外にも、アレを無理矢理に叩き起こす式を組み込んであってな。……というより、こちらが本命だったのやもしれぬが」

「!!」

「何時目醒めるかわからぬのではちとやりにくい。だが、契機をこちらでコントロール出来れば話は別だ。所詮は冥魔王を名乗れぬ三下、我らの敵ではない」

 

 もっとも、この有様ではな、と自嘲混じりにルーは結尾を切る。そして、挑戦的な色を浮かべた白銀の眼差しを藤色の髪の乙女へと向けた。

 

「さて、どうする志宝エリス」

「わ、私、ですか……?」

「この“世界”の危機を前にして……ヒトの護り手の一員たるそちが、まさかみすみす看過するつもりではあるまいな?」

 

 からかうように妖艶な笑みを披露して、金色の魔王がそんな言葉を投げ掛けた。

 

 

    *  *  *

 

 

「な、なんだよこれ……!?」

 

 アゼルと睨み合いを演じていたヴィータが、信じられないものを見たと驚愕する。

 釣られて視線を落としたアゼルも眼下に広がる光景(地獄)を見て、わずかに表情を引き締めた。

 クラナガン全域のあちらこちらから地表を突き破り、噴き出した漆黒の瘴気。悪しき気配を帯び、満ち満ちとした邪毒が、近未来的な大都市を異界に塗り替えていく。

 死の街を徘徊するのは魑魅魍魎――様々な姿をした冥魔の群れ。共通して言えることは、そのどれもが生理的嫌悪を引き起こすカタチをした異形だということ。

 

「……大魔王パール」

「うん?」

 

 跳梁跋扈する冥魔を面白くなさそうに眺めるパールの背後に、リオンがいつの間にか現れた。

 いつもの、何を考えているか読みない微笑で小さな暴君に呼びかける。

 

「当初の打ち合わせ通り、限《・》定《・》解《・》除《・》です。ですが……」

「わかってるって。「やりすぎないようほどほどに」、でしょ」

 

 同胞のたしなめを鬱陶しそうに受け流し、パールがくるりと踵を返す。ツインテールを結った鈴の髪飾りが揺れて、しゃらんと高鳴った。

 相対していたシグナムは、クラナガンで勃発した急転直下の事態について行けず戸惑い、問い質す。

 

「待て、どこへ行く! あの黒い煙は一体――」

「きゃんきゃん吼えるな駄犬。そんなに知りたきゃ、あんたの飼い主に思念通話でもしてみたら? どーせいまごろ、ルーあたりが説明してやってるだろうしさ」

 

 文字通り野良犬か何かを追い払うかのように、シッシッと手を振るパール。にべもない。

 

「なっ、駄犬っ!?」

「あ、そういえば。リオン、あんたどうすんの?」

 

 あんまりな暴言に額に青筋を立てていきり立つシグナムを華麗にスルー。パールはマイペースに事を進める。

 

「どうやらルーが負傷していらっしゃるようですので、そちらに」

「ふーん、あっそ。じゃあ、パールちゃんはちょっくら行って、冥魔どもをぶっ潰してくるからっ☆」

「ええ、ご武運を」

 

 リオンの抑揚のあまりない声援を背に、パールは腰を中心点にその場で半回転。魔力素(マナ)を虚空で固めて創った足場に両足をつける。

 ぐぐっ、と力を溜めるように屈伸し――、ズドン、と耳をつんざく炸裂音が鳴り響く。

 反発力で打ち出された巫女服の魔王が、猛スピードで地表へと墜ちていった。

 

「……さて」

 

 それを見送ったリオンが、シグナムに向き直る。

 剣の騎士は、激発しかかった感情を何とか押さえ込もうと肩をプルプル震わせていた。

 

「パールの言葉ではありませんが……、あなたがたの主に伺いをたてたら如何でしょう」

「っ確かに、それは道理だが……助言のつもりか?」

「いえ、こちらとしても人手は多ければ多いほど助かりますから。――それが例え、取るに足らない犬畜生の“手”であっても」

 

 辛辣すぎる毒舌を残して、リオンはしゅんと姿を消す。消え去る際に、口元が意地悪く歪んでいたのは見間違いではないだろう。

 

「…………」

 

 俯いたシグナム。垂れ下がった前髪で表情は窺えない。

 

「フ、フフフフ……フフフ、犬、犬か……。確かにそうかも知れんな、フフフフフ……」

 

 三日月のように歪んだ唇から怨嗟のような声が漏れ出した。

 その後、納剣した状態のレヴァンティンの柄を掴んで「斬る……、たたっ斬る……、斬って捨てる……!」などと割と本気で呟くシグナムを、シャマルが「お、落ち着いてシグナム。クールよ、クールにならなくっちゃ!」とおたおたなだめ始めた。

 もっとも彼女では、ある意味火事に原油をドバドバと注ぐ結果になっているかも知れないが。声色的な意味で。

 

「なあ、ザフィーラ」

「何だ、ヴィータ」

 

 戦闘を切り上げて――うやむやになったとも言う――手持ち無沙汰になったヴィータがグラーフアイゼンを肩に担ぎつつ振り返り、同じく丸太のよいう腕を組んで浮遊するザフィーラに声を掛けた。

 どちらの表情もどこか気が抜けきって、白けている。

 

「あんなのが将と参謀で、私ら大丈夫か?」

「……言うな」

 

 鉄槌の騎士の呆れ混じりな問いに、盾の守護獣は気まずそうに目を逸らした。

 ちなみにアゼルとエイミーはと言えば、

 

「リオンってなにげに毒舌だよね、エイミー」

「まあ、「だって、聞かれなかったしぃ~」が口癖の方ですから」

 

 などと、呑気に会話していたりする。

 なんだかもう、グダグダだった。

 

 

   *  *  *

 

 

 クラナガン上空。

 手を繋ないだまま、分厚い雲の層を突っ切ったフェイトと攸夜の目に飛び込んできたものはまさしく地獄絵図、冥魔の大群に蹂躙される人々の営みの象徴だった。

 聳え立つ摩天楼は次々に倒壊し、残されていた乗用車などはひしゃげて爆散する。

 その光景はまるで、世界の終末を記した黙示録のよう。

 

「クラナガンが……、ひどい……」

 

 フェイトが眼下に広がる惨状に呆然と呟き、安心感を求めて攸夜と繋ぐ左手をぎゅっと握る。

 すぐさま握り返された手の温もりに、彼女のさざ波立っていた心の湖面が静まっていく。

 自らの気持ちの変化を肌で感じ、フェイトは彼が自分にとって必要不可欠な存在なのだと改めて再確認する。そしてもう、絶対にこの手を離れないと、心に強く誓った。

 

「あの一番大きいのが、“災厄を撒き散らすもの”なの?」

「ああ。野郎、ずいぶんと派手にやらかしてるな」

 

 いくらか落ち着きを取り戻したフェイトの口をついて出た問いかけに答え、攸夜が眉をひそめる。声を落とし、言い捨てるような口振りには強い不快感が滲んでいた。

「あっ!」どこか酷薄な横顔を少しだけ心配そうに見上げていたフェイトが、突然声を上げた。

 

「住民の避難! た、大変だ、どうしよう……」

「それは大丈夫。心配要らない」

「でもっ」

 

 恬としてやけに落ち着き払う恋人に、血相を変えたフェイトは食い下がる。ついさっき、「小を切り捨て大を護る」などと物騒な発言していたのだから無理もないだろう。

 打算などではなく、心の底から他人を思いやれる。そんな心優しい少女の在り様に、攸夜は軽く頬を綻ばせた。そんな君のためだから、自分は“力”を揮うのだ、と。

 

「フェイト」

 

 少年が恋人の名前を呼ぶ声はまるで睦言のよう。

 彼は、今にも飛んでいってしまいそうなおてんば娘の肩に軽く両手を乗せて制した。

 

「大丈夫だよ、安心して」

 

 聞くものに安心感を与える穏やかな声。魔王のカリスマの片鱗。攸夜は普段、あまり見せない真摯な表情で大粒の紅い瞳をじいっと覗き込んだ。

 どこまでも透き通るプラネットブルーの双眸に射抜かれたフェイトの胸は高鳴り、頬が薄紅色に染まる。端正だが美形というよりは精悍で、それでいて気品のある――乙女フィルターを通すとそう見えるらしい――面差しに、彼女は見惚れてしまう。

 ぽーっと惚けるフェイトの胸中を知ってか知らずか、攸夜は気取った風に言葉を紡ぐ。

 

「何せ、この街には今、一般人なんて一人も居ないんだからさ」

「えっ……?」

 

 言葉の真意がわからず、ぽかんとするフェイト。不思議そうな顔で、こてん、と小首を傾げて続きを待つ。

 

「打てる対策はもう施してあるんだ。戦いの勝敗は、始まる前から決まってるってね」

 

 恬然たる魔王は少女の小さな期待に応えるかのように、いつもの不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 首都クラナガンの中心に聳える巨大な超高層建築物、時空管理局地上本部。

 各次元世界に展開した地上部隊、いわゆる“りく”を統括する本拠地である。

 その一室。無駄な装飾や調度品が省かれた、質実剛健な執務室らしき部屋に初老の男性が一人佇んでいた。

 厳つい面差しに切り揃えられた口髭は、恰幅のいい体躯を包むパリッとノリの利いたブラウンの制服と合わさって、巌のように揺るぎない厳格な雰囲気を漂わせている。

 

「……」

 

 彼の半生を写しとったかのような深い皺が刻まれた顔は、真っ直ぐ魔法の輝きが瞬くガラス窓の外へと向けられていた。

 コンコンコン。控えめなドアをノックする音が三回響く。

 

「失礼します」

 

 入室したのは聡明な印象のすらりとした二十代ほどの女性。男の副官を勤める才女だ。

 

「中将、一般市民及び非戦闘員の避難が完了しました。現在この本部ビルに残っている非戦闘員はオペレーターや現場指揮官など、一部局員と我々だけです」

「……そうか」

 

 副官の簡潔な報告に男はむっつりと応える。視線は強化ガラスを隔てた向こう側――巨大な黒い体躯を揺らして都市を踏みにじる冥魔から離さない。

 予め、“楔”が発動した時点で市民の避難は勧告されていた。転送魔法を規制する結界を一時解除した上で、魔導師たちによるピストン輸送が功を奏そうたのだ。

 本部付きの結界魔導師たちは短いタイムリミットの中、よくやってくれた。

 

「……本当に、これでよかったのでしょうか」

「……」

 

 一点、表情を曇らせた副官は困惑を隠しきれない。

 それも仕方ないだろう。お堅い見た目通り、彼女はあまり融通の利く質ではない。

 

「彼らの行為は明らかに管理局法に違反しています。例え、アレを止めるためだしても、それは……」

「わかっている。だが、“奴”には命脈を握られているのだ。従う他に道は無い」

 

 不快感を隠さず、苦々しく表情を歪める男。その脳裏には、数ヶ月前、何の前触れもなく青いドレスを纏った少女を伴い現れた“悪魔”の姿が過ぎる。

 どうやって知り得たのか、痛い腹の内を隅から隅まで次々に暴き出し、「こちらに協力して下さるなら、貴方の“望み”を叶えて差し上げましょう」――そう不敵な笑みを浮かべて慇懃無礼に言い放った憎たらしい小僧の姿が。

 何が協力だというのか、ペテン師め、と男は内心で毒づく。

 あの“悪魔”の握る情報がひとたび世間に公開されようものなら、男はすぐにでも失脚。社会的地位も数々の名誉も全部まとめて消し飛ぶことだろう。

 別段、男は地位や名誉に固執するタイプではないが、自らの手を“罪”に染めてまで成し遂げたかった“信念”を貫くためには頷かざるを得ない。最初から選択肢などなかったのだ。

 

「クッ……! 奴め、管理局を乗っ取り、操るつもりか……?」

 

 本局の上層部も言葉巧みな甘言と教唆によって陥落し、手中に納められているものだと男は当たりをつけている。

 事実、廃棄都市地区の一件では地上本部にわざわざ断りが入り、あまつさえ丁重な協力の依頼まで申し込んできたことからも明らかである。もっとも、事前に戦闘が行われる旨がご丁寧にも通達されていたのだから、対外的な体裁を整えるためのポーズとしか言えないが。

 男とて、いい様に使われている現状は業腹ものだ。

 だが、“悪魔”が協力するにあたっての対価として提示した()()は、管理局体制を根本から革新――あるいは崩壊――しかねないような代物だった。故に、男と本局の高官たち、そして両者の上位機関たる“彼ら”は、半ば望んで“協力”している。

 無論、打算と利害で成り立つ空寒い関係ではあるが、洗脳や暴力などで無理矢理に支配下に置くのではなく弱みを握って退路を断ち、その上で道理を説き、利益を示して人心を掌握する――ヒトの心理を知り、社会という枠組みを逆手に取ったその所業は少年のような見た目とは裏腹に老獪極まりないものだった。

 男は知る由もないが、それこそが“裏界皇子”――またの名を“プリンス・オブ・デーモン”と呼ばれる魔王の本領である。

 今回の大騒動で、さらに管理局内のシンパが増えることは間違いないだろう。この世界の人間は皆、冥魔という未知なる脅威に少なからず戦慄を覚えたのだから。

 

「中将……」

 

 物思いに耽っていた男に、心配そうな視線を送る副官。「ム……」僅かにばつが悪そうに唸り声を漏らした男は、鋭い眼光を再び窓の外に向ける。

 

「まあいい。こちらも精々利用させてもらうだけだ。――魔王とやらの力を、な」

 

 誰ともなく紡がれた重々しい言葉は、未だ戦いの光絶えない灰色の闇に滲んでいった。

 

 

   *  *  *

 

 

 灰色の闇が覆う夜空に、魔法使いと魔王が対峙する。

 業火燃え立つ地上では、混沌の勢力が我が物顔で闊歩してた。

 

「私、は……」

 

 “金色の魔王”の問いに惑うエリス。今の彼女は、何の力もない無力なイノセント――魔法の力を失ったただのヒトだ。

 “世界結界”の縛りのないここでなら、“箒”なり魔道具なりを駆使して冥魔を滅することができるかも知れない。だが、それが何になるというのだろうか。

 

「……志宝エリスよ。ここに、“光”がある」

 

 ぱきんっと澄んだ音を鳴らしてルーの“羽根”、アイン・ソフ・オウルが展開した。

 禍々しい(くれない)に発光する結晶と宝玉がエリスの瞳に映る。

 

「――っ」

 

 無限光の名を冠したそれは、失った“力”の象徴。

 空に浮かぶ紅き月を思わせる妖しき煌めきは、望まずに背負わされた宿業の証だった。

 

「“シャイマール”の器であったそちなら、我が力……、我が“羽根”を従えることも出来よう。これを用いて、冥魔どもを存分に滅ぼすがいい。――破壊神らしく、な」

「!!」

 

 古傷を抉る不躾な言葉。意図的に発せられたであろうそのセリフは、深々と少女のトラウマに突き刺さる。

 芯が強く、善き心を持っているエリスとて本質的にはどこにでもいる普通の娘だ。自分自身の“存在”に悩み、苦しんだこともある。それが原因で世界を滅ぼしかけたことも、ある。

 

「エリスさん……!」「エリスちゃんっ」

 

 動揺してふらついたエリスを、はやてと翠が気遣う。

 

「だいじょうぶだよ」

 

 支える二人に向かって微笑むも、その表情に力なく陰りが見てとれる。

 事実、エリスの胸中は混乱の極致を極めていた。

 魔王の紡ぐ言葉は甘美だ。それがどれだけ間違っていようとも、心の隙間にするりと忍び込む。

 カリスマ、威厳、威圧感――世界の運行を司る“神”の生態として生まれ持った異常な魅力は、地の底に堕ちようとも失われることはない。

 

「何のつもりですか、ルー=サイファー」

「……そちとは話しておらぬ。黙って聞いておれ」

 

 庇い立てしたスルガの追求をピシャリと切り捨て、魔王は挑戦的な――期待にも似た色の込められた視線を送り続ける。

 

「さあ、どうする志宝エリス。この力を取って災禍と戦うか? それともそこらで無様に縮こまり、災禍が過ぎ去るのをただ待つだけか――道は二つに一つだ」

「わたし、私は……――」

 

 答えに窮するエリス。

 彼女の返答を見下すかのように尊大な顔で待っていたルーが、ふと背後に振り返る。

「――む、リオンか」呟きを合図に空間を歪めて静かに現出する“秘密侯爵”。

 

「首尾は?」

「パールが冥魔との交戦を開始しました。直にアゼルとエイミーも始めるでしょう。……ですが、ベルが魔導師に討たれてしまったようです。これも書物にある通り……とはいかないものですね」

「そうか。チ……、戦力が足らんか」

 

 今も際限なく増え続ける冥魔に視線を向け、ほぞを噛むルー。

 ベール=ゼファーは、パール=クールと並んで今回の案件での文字通りの要だ。アジ・ダハーカが覚醒した際には、本体を斃す役目の一翼を務める予定だった。

 真なる最強は“本体”を以て来訪した彼女の弟――攸夜だが、彼とて単独で冥魔だけを駆逐し尽くすのは難しい。

 惑星と次元の被害さえ考えなければ赤子の手を捻るよりも容易いものの、それでは意味がないのだ。この次元宇宙は、彼の“王国”となるべき場所だとルーは捉えているのだから。本人の意思とやる気はともかくとしても。

 故に、大公たるベルの力を当てにしていた。

 多面的に“古代神”が戦場に展開できるのなら、たかが冥魔など物の数ではない。

 気に食わないが、ルーはベルの実力を正当に評価している。気に食わないが。

 

「仕方あるまい。何時の時代にも、“英雄”という存在は居るものだ。リオン、我も赴く。傷の治療を――序でにあやつらにもくれてやれ」

 

 満身創痍のウィザードと魔導師を横目に、ルーがごく自然な様子で命を下す。その内容に、エリスたちは耳を疑った。

 

「宜しいのですか?」

 

 怪訝そうな語調で、その実、いつもの澄まし顔でリオンが聞き返す。

 

「構わぬ。元よりこやつらウィザードを引き寄せたのはこの時の為。結局、()()の描いた脚本通りとなった訳だ」

 

 阻止された場合の対応――自陣営の敗北まで組み込み、後々の布石をいくつも置いて、二重三重に張り巡らせた用意周到な、悪く表現してしまえば狡っ辛い計略は攸夜の案だった。

 魔王の王道らしいかと言えば首を傾げざるを得ないが、人の上に立つ者の思考としてはそれほど悪くない、とルーがほくそ笑む。

 事実、彼女を含めたアクの強すぎる魔王たちを紛いなりにも大過なく率いてみせた手腕は、肉親の欲目があったとしても満足できるものだった。

 幼少期、帝王学を徹底的に叩き込んだ甲斐があるものだ、と懐かしむルーの横、了解を示し、雷速で集中するリオンの足元に裏界の魔法陣――五つの円と菱形を組み合わせた七芒星が敷かれる。

 魔法陣からゆっくりと広がるオーロラのような癒しの輝きが、ルーを初めとしてこの場にいる全員――はやて、翠、スルガを包み込み、傷を塞いでいく。

 

「火傷、まとめて治った……。なんつう回復力や」

 

 再生というよりも復元に近い現象。焼けただれていた痕が跡形もなくなった自らの皮膚を見やり、はやてが驚きの声を上げた。

 そうして、消費した魔力以外ほぼ快調のコンディションとなったルーは、気品溢れる仕草で優雅に微笑む。

 

「さあ答えよ、志宝エリス。考える時間はもう無いぞ。冥魔どもは、刻一刻とその数を増しておるのだからな」

 

 銀色の瞳と、紅い光を見返してエリスは考える。

 このまま何も出来ず、何もせず、見て見ぬ振りをしているだけでいいのかと。

 傷つく友や仲間の姿を前にして、自らの無力を悔み、唇を噛んだのは偽りだったのかと。

 

 ――たとえそれが、忌まわしい力だとしても、私は……っ!!

 

「ルー=サイファー……力を、貸してください」

「ほう……」

「エリスちゃん!? どうして――」

 

 詰め寄る翠を視線で制して、エリスは続ける。翠緑の左瞳が、仄かに碧く輝いていた。

 

「だけど、私は――、シャイマールの“器”としてじゃなく、志宝エリスとして……ただひとりの人間として、あなたの“光”を使いますっ!」

 

 強い、揺るぎない信念を滲ませて少女は魔王の鋭利な眼光から眼を逸らさない。

 白銀色の双眸が感心を帯び、僅かに見開かれた。

 

「私は……、この“世界”とはなんの縁もない異邦人です。でもだからって、誰かが困ってるのに、目と耳をふさいで見なかったことにするなんてできないし、しちゃいけないと思うんです」

 

 灯や翠、命にスルガ。

 ファー・ジ・アースに残り、自分たちの帰りを待ってくれて居るであろうくれは。

 今もきっとどこかで、世界を護るために戦っているはずの“先輩”。

 そして、この世界で出会った人々――

 

「はやてさんやシグナムさんたち……、それから、たくさんの人たちに会って、少しの間だったけど一緒に過ごして」

 

 “社会”とは、“世界”とは小さな自分と、たくさんの誰かで形作られている。自分が、自分以外の誰かに支えられて生きていることを知ること……それは、とても簡単なようでとても難しい。

 ヒトは容易く独善に陥り、自分以外のものを廃してしまう。狭い自らの視野から抜け出せず、「自分こそが正しい」「これが正義だ」「あなたは間違っている」「こうじゃないと駄目だ」、そう身勝手に決めつけて自ら可能性を狭めてしまう。

 だからこそ、エリスを創った“存在()”は不完全なヒトを滅ぼして、新しく完全なモノを創ろうとした。

 

「見ず知らずの私に優しくしてくれて……“仲間”だって迎えてくれて、うれしかった」

 

 だが、エリスは創造主の願いを否定して今の世界を選んだ。

 ヒトはそれほど愚かな存在ではないと知ったから。大切な仲間が支えてくれたから。

 正しくあれと、全てを壊せと願われて創られたシャイマールの器としてではなく、様々な出会いを正しく糧にして形成されたひとりの人間、“志宝エリス”として。

 

「だから、私は“力”を取って戦います。護りたい大切な人たちがいるから……友だちが――仲間が、みんながそこにいるから!」

「……やれやれ、つくづくヒトとはいうものは――ふふっ……、それも良かろう。そちの好きにするがいい」

 

 少女の決意を否定することなく、呆れたような――だが、どこか愉快そうな笑みを漏らした“金色の魔王(ルー=サイファー)”の側から七枚の“羽根”がおもむろに離れ、“七徳の継承者(志宝エリス)”の側へと辿り着く。

 縮小した“羽根”が左腕に巻きつき、お馴染みの白い腕輪と変わった。

「……っ」エリスの表情は険しい。魂の奥底から急速に溢れ出す魔法の力――取り戻した、しかし仮初めの“光”がもたらす負荷は膨大だ。彼女の華奢な身体が内側から膨れ上がる力に軋みを上る。

 ――エリスの右眼に、紅月の輝きが宿った。

 本来“遺産”とは魂の一部。継承した者以外が使いこなすことなど出来ない。しかし、彼女たちの“羽根”は別だ。

 志宝エリスとルー=サイファーは、根元を同じくするコインの表と裏なのだから。

 

「そちはそこの魔導師を連れ、“災厄を撒き散らすもの”を討ちに往け。有象無象は我が引き受けよう」

 

 “羽根”がエリスに馴染んだことを確認すると、ルーは魔導師(はやて)を一瞥してまるで自らの配下にするように指示を飛ばす。

 幼い少女の姿だというのに、言葉や仕草には凛々しくも威厳に溢れていて。思わず呑まれて従ってしまいそうな絶大なカリスマは、さすが数多のエミュレイターを従える大魔王だけのことはある。

 

「ふぅん……力をエリスさんに貸してしもうて、ちゃんと戦えるんかいな、魔王さん?」

「ふん、小娘がなめるでないわ。――借りるぞ、テスラ」

 

 指図されたのが気に障ったのか混ぜっ返すはやて。ルーは不愉快そうに眉を寄せ、月衣から一振りの“箒”を引き抜く。

 波打ったルーンの刻まれた刀身に、不気味な瞳の意匠が施された鍔の長剣。それは、彼女が寄り代とする少女、テスラが愛用していた“箒”――デモニックブルームだった。

 

「大泉スルガ、真壁翠」

「……」「は、はいっ!?」

「手伝え。雑魚を駆逐するには手勢が些か足りぬ」

「えっ? で、でも――」

「わかりました」

「――スルガさん?」

 

 即答する青年に、翠は訝しげな顔をする。当のスルガは無機質な青い眼差しを妖艶に微笑む魔王に送ったままだ。

 

「貴方と手を組むのは正直不愉快極まりないですが……、()()()()()()というのであれば、話は別です」

 

 詭弁にも聞こえる物言い。人造人間らしい機械的な無表情で、スルガはデモニックブルームを見つめていた。

 惑いの一つも見せない彼の様子がおもしろくないのか、ぷいと視線を外したルーはそのままエリスに向き直る。

 

「……この“金色の魔王”が力を貸し、あまつさえ霧払いまで務めるのだ。志宝エリス、“災厄を撒き散らすもの”、見事討ち取ってみせろ」

「もちろんです。あの……、ありがとう」

「要らぬ世話だ。早よう往け」

 

 居心地が悪そうに、つんとそっぽを向くその姿がどこかおかしくて、エリスはくすりと笑みを零した。

 

「はやてさん、乗ってください! 一緒に戦いましょう!」

「よしきた、任せとき!」

 

 テンペストに相乗りするエリスとはやて。藁の束に偽装した推進機構に淡い魔力の火が点る。

 

「気をつけてね、エリスちゃん!」

「後のことは僕らに任せてください」

「うんっ!」

 

 仲間たちの力強い声援を背に、エリスはテンペストの柄を強く握り込む。

 噴き出したアフターバーナーが“大嵐”の名に相応しい烈風を巻き起こし――、魔法使いたちは、瘴気漂う漆黒の夜闇へと飛び立った。

 

 

 空を黒く覆い尽くすほどにひしめき合う冥魔の群れに、一筋の帚星が突入した。

 躍り掛かる異形の怪物を急加速と急制動の巧みな繰り返しで次々にパスして、“箒”が夜闇を駆け抜ける。目指すは漆黒の瘴気の発生源――巨大なる冥魔アジ・ダハーカ。

 この次元世界に、破滅と死滅を孕んだ災厄を撒き散らす混沌の権化である。

 

「っ――、いくらなんでも多すぎんちゃうんかこれっ。一匹みたらなんとやらかっ!?」

『冗談を言っている場合ではありませんよ、主はやて』

 

 テンペストのタンデムシートに跨るはやて。朱色の短剣や、金色と桜色の魔弾を大量にばら撒いて黒い鳥のような姿をする下級冥魔――闇鳥を当たるは幸いと撃ち落とす。

 軽口を叩いてはいるが、はやての表情は厳しい。魔法魔弾の大盤振る舞いをしているというのに、一向に減らない冥魔に危機感を募らせているのだ。

 

「私も! アイン・ソフ・オウルっ!」

 

 左腕を天に掲げてエリスが懐かしいその名を叫ぶ。

 ぱきんっと澄んだ音を鳴らして、白き“羽根”が放射線状に射出された。

 

「行って! 切り裂いて!!」

 

 仮初めの主の命に従い、純白の盾が紅い光を引いて飛翔する。エリスの思考をフィードバックした複雑な軌道を描き、紅い輝きが冥魔を打ち砕いていく。

 だがしかし、それは黒い固まりの僅か一角を削り取ったにすぎない。

 どこからともなく湧き出した闇鳥の群は際限なく増え続けている。地上では、闇の騎士やスライムなどの空を飛べない種が大群をなし、彼女らが堕ちてくるのを今か今かと待ち受けていた。

 

「くっ、いちいち戦ってたら埒が開かん!」

「っ、振り切ります。しっかり掴まって!」

 

 強烈なソニッグブームを引き起こし、テンペストが急加速。一匹の生き物のように蠢く黒い鳥の大群と、青白い光の尾を引く“箒”が熾烈なドッグファイトを繰り広げる。

 追いすがる冥魔を左右に蛇行運動で躱し、時折攻撃を仕掛けながら逃走を続ける。

 そうしているうちに、幾許か開けた空域に差し掛かった。

 

「――見えた!」

 

 眼前に見える小山ほどの怪物。触手のような竜頭から瘴気にも似たブレスを吐き出して、辺り構わず暴虐の限りを尽くしている。

 ぎり……、と歯軋りするはやて。相応に愛着を感じている街がいいように蹂躙される様に怒り、震えているのだ。

 

「一気に接近します!」

 

 “箒”がその速度を上げた。

 

 

   *  *  *

 

 

「――ソードオブっ!」

 

 摩天楼の谷間に、巫女服の魔王の砲哮が轟く。

 彼女の身長の十倍近くはある炎獄で形作られた大剣が、大きく振りかぶられた。

 紅蓮の炎が大気を焼き嬲る。

 

「スルトォォォオオオオッ!!!」

 

 縦一閃。

 パールの偉大なる力により拡大延長された“火の国の(ソード・オブ・)王剣(スルト)”の斬撃が大地を真っ直ぐに斬り裂き、天を突くほどの火柱を数キロに渡って走らせる。

 その軌跡に巻き込まれた冥魔や建造物などは有象無象に関わらず斬断され、分解され、消滅した。

 

「っと、このプリティーで偉大なる超公パールちゃんにかかれば、ざあっとこんなもんよっ☆」

 

 超々高熱に溶かされたガラス状の物体が山積する焦土を前にして、パール=クールは尊大に胸を張る。

 限定解除の意味のまま、魔王の魔王たる所以、ヒトを超絶した想像を絶するほどの圧倒的武力を遺憾なく披露した。

 ちなみに、これほど絶大な被害を引き起こしたにも関わらず、かなりの手加減している。アホの子だって、たまには配慮くらいするのだ。

 

「……」

 

 闇の騎士を愛剣で両断したシグナムが、複雑な表情でそれを見上げていた。

 はやてと連絡を取り、事情を把握した彼女は仲間たちとともに冥魔の駆逐に従事していた。

 だが、パールたち魔王とは協調しているというわけではなく「敵の敵は味方」とばかりに不可侵状態を通している。

 というか、魔王たちは好き勝手に暴れ回っているだけなのだが。

 

「ったく、数ばっかごちゃごちゃとうざってえ。気色悪ぃのばっかりだし」

 

 複数の球体が幾何学的に繋がり合う形をした怪物――リフレクションボールを叩き潰したヴィータが、ぼやきつつシグナムの近くに降り立った。

 総じて気が狂いそうなほど不気味な様相をした冥魔の相手に、さすがの歴戦の騎士も嫌気が差しているようだ。

 

「……ヴィータ」

「ん? なんだよ、シグナム」

 

 脱力して、不自然に隙を晒しているシグナムを怪訝に思うヴィータ。眉を軽く上げつつ、同胞の呼びかけに応える。

 

「私たちが戦う必要、あるのか……?」

「必要って、そりゃあ……」

 

 視線の先を追うヴィータ。

 そこでは“誘惑者”エイミーが、大気中の水分を圧縮した無数の刃を放つ水属性の極大水撃魔法〈アクアレイブ〉にて、雑多な冥魔をまとめてズタズタにしている。

 

「ベル、だいじょうぶかなあ……心配だなあ……」

 

 目下音信不通な友の安否を気にしつつ突撃槍を振るうアゼル。気もそぞろだというのに、そつなく機械的に冥魔を斬り殺している辺り、“荒廃の魔王”の名に恥じない活躍ぶりだ。

 

「っとと、まじめにやらなきゃ。――バレルセット」

 

 思い直したアゼル。キーワードとともに、彼女の鎖骨と脇腹の辺りからプレートのような突起がドレスの生地を突き破って持ち上がる。

 たわわに実る膨らみを挟むように展開された四本のプレート。その中心に、漆黒の球体が産み出された。

 スパークを迸らせ、急速に肥大化する黒球。

 

「グラビトンランチャー、デッドエンドシュート……!」

 

 掛け声とともに、漆黒の球体――超重力の塊が解き放たれた。

 それなりの速度で投射されたそれは、冥魔の一団に着弾すると高圧重力のフィールドとなって範囲内の全てを押し潰した。

 

「――って、アルに言えって言われたけど……なんの意味があるんだろ?」

 

 グロテスクな肉塊と化し、風化していく冥魔を意に介さず、アゼルは不思議そうに首を傾げた。

 

「……ねーな」

 

 ズドンと腹に響くような重低音の爆発をBGMに、白けた様子のヴィータが呆然と零したのだった。

 

 

   *  *  *

 

 

 繁華街のとある大通り。

 周囲は、黒い薄もやがかかっているかのように視界が悪い。冥魔の影響で発生した瘴気が充満している所為だ。

 そんな地獄のような場所を舞台に、孤立無援の魔女と勇者が孤軍奮闘していた。

 

「これでは、近づけない……」

 

 半物質式の魔力刃を発振させたエンジェルシード白兵戦モードを振りかぶり、灯は周囲の冥魔を一気に薙ぎ払う。

 

「ちょっとこの数は……しんどい、かな」

 

 命が額の汗を拭い、弱音混じりに応じる。

 突然現れた巨大な怪物と多数の冥魔。事情については通信機代わりに繋げていた0-Phonを介してルーの説明を聴き、概ね把握している。

 故に、二人はそれらの進行を阻止しようと接近を試みているのだが、散発的に現れる大量の冥魔の相手に忙殺されて進めずにいた。

 そんな中、灯はふと何かに気がついて天を仰ぎ見る。

 

「あ、命、あぶない」

 

 いつもに増して感情のこもらないセリフ。身も蓋もない棒読みだった。

 

「え?」

「「きゃああああっ!」」

 

 釣られて見上げれば、上から女の子らしい叫び声を上げて、藤色乙女と茶色のちびだぬきが降ってきた。

「ぐえっ!?」哀れ、命はお約束通りに蛙の潰れたような声を上げる。

 

「いたたた……」

 

 強かに打ち付けた腰をさするはやて。リインフォースの『飛行魔法を使えばよかったのでは?』との指摘はスルーされた。

 

「あうぅ……、また落ちちゃった……」

 

 ぽきりと半分に折れて、使い物にならなくなった“箒”を手にしてエリスは複雑な表情をしている。

 あこがれの先輩と同じなのは嬉しいけど、痛いのはイヤだ、的な。

 

「エリス……?」

「えっ、灯ちゃん!? って、あっ、命君、ごめんなさいっ」

 

 灯の声にエリスは表情を明るくして顔を上げ、踏みつぶしている哀れな人に気づいて飛び退く。

「だ、大丈夫だよ……」引きつった笑みを浮かべる命だが、冥魔の攻撃よりも遙かにダメージを受けているようだった。

 

「その“羽根”……エリス、力が戻ったの?」

「……うん」

 

 含みのある短い返答を聞き、灯は無表情に「そう……」とだけ呟く。しかし、緋色の瞳は僅かに揺れていた。

 

「詳しいことはあとで、ね?」

 

 柔らかく微笑むエリス。親友の心遣いをうれしく思いつつも、視線を前へと向ける。

 そう、今は武器を執り、戦うべき時なのだから。

 

「うまく合流できたんはラッキーやったけど……」

「余計なものまでついて来ちゃいましたね」

 

 前方に大きな黒い影が落ち、だんだんと面積を増していく。

 ()()が、冥魔を押し潰して着地。巨大な質量が落下したことで地響きが轟いて、地面の縦横に亀裂が走る。

 ごう、と豪風を巻き起こして黒い巨体がエリスたち四人の前に立ち塞がった。

 

「……!」

「だ、ダークサウルス!?」

「あれに追いかけ回されて私たち落っこちちゃったんだよ、灯ちゃん!」

 

 頭部がゲル状の物質で覆われ、黒い体皮をぬらぬらと光らせた巨大な恐竜のような姿。しかしその背には、巨体に見合ったサイズの飛膜が生えている。

 ダークサウルス。いわゆる雑魚冥魔の中では特に強力な部類に入る冥魔だ。いくつもの“世界”の危機を切り抜けたウィザードたちですら苦戦する相手、と言えばその強大さが理解できるだろう。

 “災厄を撒き散らすもの”への進路を遮るように、ダークサウルスがその巨体を揺らす。

 

「まったく、しつこいやっちゃな。粘着質は女の子に嫌われんで?」

『主はやて、警戒を!』

 

 地面に刻まれたひび割れから噴出する漆黒の瘴気。

 瘴気の中や、裏路地などから多種多様な冥魔が列をなして這い出してくる。

 怨嗟のような唸り声、呪言のごとき遠吠え。様々な不の感情を呼び起こす悍ましい叫びが木霊して、大気が震える。

 

「ここを切り抜けないと」「先へは進ませてもらえんみたいやな」

 

 とんっ、と背中を合わせて庇い合う四人。

 左手を眼前に突き出して、紅に光り輝く七枚のアイン・ソフ・オウルを展開するエリス。錫杖の石突きで地面を叩き、はやてが白銀の光を放つ魔導書を開く。

 

「なら、全部倒して」「押し通るまでだ!」

 

 それぞれの武器を構え、灯と命が吠える。純白の“箒”に砲弾が装填され、両刃の大剣が純白の光を放った。

 対するのは破滅の先兵。

 もはやお馴染みとなった闇の騎士に闇蛇、スライムと闇魚の群れ。それから、無機質を人型にまとめたような姿をした闇の妖術師に、狼のごとき姿のダークビースト――まさしく冥魔の見本市だ。

 一、十、百千……数え切れないほどに溢れかえるそれらは皆、自らの本能である破壊衝動を強烈な殺意にして垂れ流していた。

 

「さあ、遠慮せんとかかってきぃ。みんなまとめて返り討ちにしたるわ」

 

 はやての不敵な言葉を皮きりに、彼女らを喰らい尽くそうと冥魔が動き出し、

 ――不意に世界が紅く染まり、(くれない)の夜空から一筋の蒼き光芒が降り注いだ。

 

「ッ、なんやっ!?」

「紅い月、月匣……?」

「それにこの魔法は、リブレイド!?」

 

 はやて、灯、エリスが口々に疑問を呈す。突如飛来した聖なる光がダークサウルスを一撃の下に撃ち抜き、着弾点で巻き起こった爆発の余波で数体の冥魔が消し飛ぶ。

 瞠目したはやてが夜空を仰ぐ。

 紅い真月が浮かぶ天蓋から、無数の剣軍が真っ逆さまに落ちてくる。

 蒼銀に輝く十字の聖剣と天雷閃く黄金の光剣による一分の隙間もない分厚い剣の驟雨が、エリスたちを囲んでいた冥魔を無慈悲に打ち砕いていく。

 雷光の剣はもちろんのこと、対冥魔用の魔法たる光の十字剣もその特性を遺憾なく発揮し、混沌の勢力は例外なく塵に還っていった。

 黒い砂が風に煽られて紅い夜空に巻き上がる中、ふたりの男女が悠然と降り立つ。

 

「ここかァ? 祭りの会場は」

 

 両手をポケットに突っ込む黒髪の少年が飄然と濃い群青の外套を翻せば、

 

「たいじょうぶ? はやて」

 

 金色の長髪を靡かせた少女が親友の身を案じて声をかける。

 大量の冥魔を造作もなく一掃したというのに、彼らの様子は平静そのものだ。

 

 ――天空に、紅い(しるし)が妖しく光る。

 呆然とする魔法使い(ウィザード)たちの前に、次元無双を誇る比翼の鳥が夜闇を斬り裂き舞い降りた。

 

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