魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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「番外編」新暦71~74年
しゃーぷ3


 

 

 

 海鳴市の住宅街にひっそりと立つ高級マンション、その最上階。以前は時空管理局の次元航行艦アースラのセーフハウスだったところであり、今現在はハラオウン一家のマイホームであるその一室。メゾネット式の上階が見える、だだっ広い室内はまさに成功の象徴と言えるだろう。

 ハイソな雰囲気たっぷりなここは、俺こと宝條攸夜にとっても馴染みの深い場所だ。階が一つ違うとは言え、半年ほど住んでいた場所だからな。

 駄菓子菓子……だがしかし、穏やかな家族団欒の舞台となるはずのリビングは今や、公開処刑の場と化していた。

 

「……(にこにこ)」「……(ぴくぴく)」「……(にやにや)」

 

 目の前のソファに腰を付けるのは、世にも恐ろしい三人の怒れる美女。この三人の前では裏界魔王も裸足で逃げ出しそうだ。

 鬼子母神と阿修羅、それから……小悪魔? あ、あとおまけの一人息子もね。

 皆さん、程度は違うけど静かに怒ってらっしゃるわけで。

 フローリングの堅い床に正座で黙する俺は、沈痛な面もちで頭を垂れて粛々と断罪の時を待つばかりだったのであった。

 ――――拝啓、母さん。俺の命運、そろそろ尽きそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  しゃーぷ3 「大魔王の憂鬱 ~ 宝條攸夜、帰還一日目のこと ~」

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、釈明の言葉はあるか?」

 

 ソファの横に立っているクロノさんが高圧的な口調で詰問し、こちらを見下ろしている。相変わらずいけ好かない人だが、未来のお義兄さん(確定)なので無碍にも出来ない。

 ちなみにだが、正座する俺の目の前のソファに腰掛けて緑茶――息を吸うがごとく、砂糖をザバザバと入れていた――を啜っているのがリンディさんで、エイミィさんとアルフがそれぞれ左右に。クロノさんは前述のように立っていて、フェイトは俺の側に持ってきたスツールにちょこんと座っている。かわいい。

 

「いえ、全て仰る通りですハイ」

 

 そもそも、事情を話すと言って嘘を吐いたのも、逃げるように姿を眩ましたのも事実なので否定のしようもない。

 素直な態度が気に入らないのか、大胆に脚を組んでいるアルフが面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らす。

 

(このやろう、いぬっころの分際で……)

 

 などと心の中で悪態を吐くが、口には出さない。というか出せない。

 今、ヒエラルキー最下層を絶賛驀進中な俺である。反抗などしたら最後、フルボッコは確実だ。

 まあ、フェイトは優しい娘から庇ってくれるだろうけど、そんなのは男としてのプライドが許さない。だったら滅多打ちに糾弾された方が何百倍もマシだと思う。

 

 物理的にも精神的にも四面楚歌な現実から逃避気味に、現状を整理してみよう。

 諸々の後始末を終えてようやくゆっくり出来るようになった俺は、フェイトの誘いで彼女の自宅に招かれた。喜び勇んで向かったわけだったのだが、そうは問屋が卸さない。というか、むしろ飛んで火に入る夏の虫?

 玄関先で待っていたのはニコニコ壮絶に笑顔なリンディ・ハラオウン女史。それから、憤怒のあまり瞳孔が開ききったアルフとにこやかだが少々危険な空気を纏うエイミィさん。ついでにクロ助、もといクロノさんだった。

 で、なだれ込むように始まったのがこのいわゆる家族会議というわけだ。

 いや、床に正座したのは自分の意志でだけどさ。

 

「攸夜君?」

「……はい」

 

 一家の長、リンディさんがついに口を開く。

 天網恢々疎にして漏らさずだな、としょうもないことを考えていた俺は、弾かれるように背筋を伸ばして居住まいを正した。

 

「どうして六年前、あんな嘘までついて姿を消したのか私たちに教えてくれる?」

「あの時は、あれが最善だったからです」

「――はぁ、なるほどね。それ以上のことを話すつもりはない、といいたいのかしら?」

「…………」

 

 無言の肯定に、ため息混じりで眉を下げるリンディさん。そんなガッカリした表情されてもこれ以上言い訳も出ないわけですが。

 なお、リンディさんやクロノさんたちの記憶の修復についてだが、本人たちいわく「いつの間にか思い出した」そうだ。推測になるが、俺とこの世界とを繋げたキーであるフェイト――正確には彼女の所持している“モノ”――に接触したことで、誘発的に修復が起きたのだろう。速度というか可能性の要因は俺との繋がりの深さ、と言ったところか。

 なのはとユーノはもちろん、アリサとすずかなんかも、顔を合わせてすぐに思い出してくれたしな。

 

「いいか? 大体、君はだな――」

 

 そして始まるクロノさんのお説教。ミッドチルダでひと暴れしたことについては無論、六年前の素行の悪さまで掘り返しては延々と続く。

 至極まっとうな正論だし、今日に限っては反論する気など毛頭ない俺は神妙な顔をして「面目次第もありません……」と答えるだけだ。

 ただ、クロノさんはどうやら返答がお気に召さなかったようで、眉間に皺を寄せて憮然とする。

 

「僕が聞きたいのは、そういった当たり障りのない謝罪の言葉じゃないんだ」

「お、お兄ちゃんっ、ユーヤも反省してるんだしそれぐらいで、ね?」

「しかしだな……」

 

 俺の窮状を見かねてフェイトが助け船を出してくれる。

 だがね、お嬢さん。残念ながらそいつはこの場じゃ逆効果なんだよ。

 

「フェイト、あなたは少し黙っていなさい。反省しているしていないはこの際、関係ないのよ」

「そうだよ、フェイト。アタシも頭に来てるんだからね」

「今回ばっかりはおねーさんも擁護できないな~。攸夜君、おいたがすぎたね」

 

 ほら来た。リンディさん、アルフは勿論のこと、傍観を決め込んでいたエイミィさんまで同調する始末。マシンガンのごとく矢継ぎ早に畳み掛けられたおかげでフェイトは涙目だ。かわいい。

 って、おおう、女性陣の醸し出す鬼気に気圧されてクロノさんまで引いてるじゃないか。

 

「攸夜君」

 

 騒然とする場の空気を締めるように、リンディさんが声を発する。

 

「正直言って、あなたには失望しました。――そういうわけだから、フェイトとのおつき合いは認められません」

「は……?」

 

 はいぃぃぃぃ!?

 いきなりしれっとナニ言ってやがるんですかこのお人はッ!

 

「ちょ、まっ!?」

「か、母さん!?」

 

 不意打ちに、フェイトが血相を変えて動揺。俺も似たようなものだろう。ていうか、どういう話題転換だよ。

 渦巻く感情のコントロールに苦慮して言葉を窮していると、クロノさんが口を挟む。

 

「いや、母さん待ってくれ。確かに僕もこんな奴との交際には大反対だが、今その話は関係ない――」

「はいはい、クロノ君はちょっとあっち行ってようね~」

「エイミィ、いつの間に!? は、放せっ! 僕の話はまだ終わってないんだぞ!」

 

 が、後ろからエイミィさんに羽交い締めにされて、どこぞに引きずられていく。男女の体格差を無視とは……恐ろしい。

 ……あれ? 何かムカつくこと言われたような気がするんだけど。まあ、いいか。

 

「フェイトもいいわね?」

「ぃ、いやっ!」

 

 意識の糸を紡ぎ合わせたフェイトが、“母親”の言葉に反発して声を荒げる。クールというか、穏やかであまり感情を露わにしないタイプのこの娘にしては、らしくない反応だ。

 それから、横合いから寄ってきてぴったり抱きつかれた。ふわりと女の子特有の好い香りが俺の鼻孔を擽る。

 

「やっと……、やっと逢えたのにユーヤと離れるなんていやだ。母さんがなにを言っても、別れたりなんかしないから!」

 

 瞳を涙で潤ませて強く主張するフェイトの横顔に、俺は心を打たれた。好きな女の子にここまで想われて、嬉しくならない男が居るわけがない。

 彼女の気持ちに応えるように腰に腕を回して抱き寄せる。ほっそりと引き締まったくびれに少しドキドキしたのは秘密だ。

 両者はぴりぴりと緊張感漂わせて膠着状態に陥っている。若干以上にフェイトが押され気味か。

 ふと視線をやると、アルフがフェイトの言葉に腕を組み、うんうんと感慨深げに頷いていた。……味方してくれてる、のか? 少し意外だな。

 

「……その子はそう言っているけど、攸夜君はどうする気なのかしら?」

「そうですね……」

 

 試すような物言いに引っかかるものを感じながら、腰を軽く浮かして正座から片膝立ちに。視線は、毅然とした母性溢れる表情のリンディさんに向けたままだ。

 

「まあ、フェイトを連れてどこかに駆け落ちでもしますよ。もう絶対に離さないって約束しましたから……今度こそ、ね」

 

 腕の中のフェイトが驚く気配を感じつつ、分割思考を駆使して逃走のリスクをシミュレートする。

 六年前とは違い、今の俺には時空管理局()()()()という絶大な後ろ盾がある。当時考えたように逃げ隠れする必要もないし、やりにくいとは思うけどフェイトも仕事を続けられるはずだ。

 借りを作ることになるが、評議会のじーさんたちからミッドの戸籍を買って定住するってのも悪くない。“故郷”を捨てるなんて本意じゃないけどな。

 管理局上層部の後ろ暗い――というか、ドス黒い実状を少なからず垣間見た今だから言える。あの時、短慮に走らなかったのは正解だった。

 下手に逃げ出して隠れ住んだとしても子どもだった俺たちがまともに生活が出来るものではないし、捕まった後にふたりで仲良くモルモット、という不愉快極まりない未来もあり得たかもしれない。

 それを考えると虫酸が走る。

 正直、俺自身はどうなろうとかまわないが、フェイトは言うまでもなく別だ。この()のそんな姿、想像するだけでも発狂しそうなくらいに胸くそ悪い。

 

「ユーヤ……?」

 

 自分の想像で自家中毒を起こし、ザリザリと脳髄を直に削られていくような感覚に苛まれる俺をフェイトが心配そうに見上げている。「大丈夫だよ」と笑いかけて向き直る。

 

「いい加減、不毛な腹の探り合いは止めませんか、リンディさん。フェイトが怖がってますし」

「あら、気づいてたの?」

 

 リンディさんが相好を崩して、はんなりと上品に微笑む。やっぱりか。

 まったく意地が悪い人だ、と内心で文句を垂れて種明かし。

 

「あんな唐突な話題の変え方じゃ気付きますよ、そりゃ。何より、リンディさんのキャラじゃありません、あんなの」

「ふふ、そうかしら。……ごめんなさいね、現役時代の癖がなかなか抜けなくて。それに、“こういうこと”一度やってみたかったの」

 

 うふふ、とお茶目に笑ってウィンクする二児の母。間の抜けた様子に力が抜ける。あれか、「お前なんぞにうちの娘はやらん!」的なあれですかそうですか。

 というか、心臓に悪い冗談は止めてください。マジで。

 

「えっ、と……?」

「俺たち、どうやらリンディさんに一杯食わされたらしいよ」

「それじゃあ……」

「ええ、母さんは賛成よ。攸夜君の人となりは、重々承知していますからね」

 

 ふわりとした微笑。リンディさんらしい表情だ。

 あるいは、今回の吊し上げも俺を試すためのものだったのかもしれない。まったく随分な歓迎ですねっ!

 

「さあ、お夕飯にしましょう。今夜は攸夜君が帰ってきたお祝いよ」

「あ、俺も手伝います」

 

 立ち上がったリンディさんに倣って腰を上げる。が、フェイトにシャツの裾をガシッと捕まれて止められた。

 

「ユーヤはお客さんなんだから、座って待ってて」

「いや、でもな……」

「いいからっ。行こう、母さん」

 

 言うが否や、フェイトがキッチンへてててっと駆けていく。

「攸夜君、ゆっくりしててね」と言い残したリンディさんと、いつの間にか子犬モードになっていたアルフがその後に続き。キッチンの方では、エイミィさんがすでに準備をしていたようで、彼女と合流すると調理を開始した。

 この場に残されたのは、フェイトの意外な押しの強さに呆気にとられた俺と、どこぞからむっつりやってきてソファに深く腰掛けたクロノさんだけ。

 男は体よく蚊帳の外に閉め出されてしまった格好だ。……仲間外れにされたみたいで少し府に落ちないが。

 

(まあ……、いいか)

 

 けれども、楽しそうに調理をしているフェイトを眺めていたらそんな些末事、どうでもよくなってきた。どうやら新しい母親や家族とも上手くいっているようだし。

 ――それに、だ。

 黄色いエプロンを着こなしたフェイトは、筆舌に尽くしがたいほどキュートで、かわいくて、愛しくて。

 俺は、そんな彼女の姿を見ているだけでホクホク満足していたのだった。

 

 

   *  *  *

 

 

 白いダイニングテーブルを囲んでの会食の時間。“お祝い”というだけあって、テーブルに乗った料理はなかなかに豪勢だ。

 メインには熱々のラザニアに具だくさんのクリームシチュー、焼きたての海鮮ピザなどなど。サイドメニューは、山ほどのシーザーサラダとふかふかのバゲットだ。どれもハンパなく大量に用意されている。……しかし、いくら何でもこの量は食いきれないぞ?

 それはともかく。

 欧州の香りたっぷりな献立はなるほど、ミッド風であるとも言えた。聞いた話によると、地球(ここ)から向こうに移住したヒトの子孫とかも結構いるらしいしな。

 

「……」

 

 とりあえず、フェイト自ら焼いたというピッツァ(ピザに非ず)を食べてみることにした。何故にそのチョイスなのかは永遠の謎である。テスタロッサ(イタリア系)だけに、なのか?

 ……ふむ、パッと見た感じは悪くないな。いや、むしろよく出来ている。手作りの生地もちゃんと丸くなっているし、トマトソースの赤い絨毯に乗ったエビやイカ、ホタテなどの魚介類が色鮮やかに食欲を誘う。

 二等辺三角形に切りそろえられた一枚を手に取る。とろとろに溶けたチーズが糸を引いててうまそうだ。

 隣で心配そうにこちらを見ているフェイトを視界の隅に納めつつ、パクリ。

 …………。んむ、なるほどなるほど。

 

「ど、どお……?」

 

 おずおずと探るように尋ねるフェイト。小首を傾げる仕草が小動物みたいですごくかわいい。

 あんまりかわいらしいもんだから、ちょっといじめたくなる。がまあそれは思うだけにしておいて、素直に感想を言ってあげることにしよう。

 

「ああ、すごくおいしいよ」

 

 過剰な装飾は必要ない。恋人の手料理、という欲目を抜いても本場顔負けな味だと思う。イタリアに行ったとき、実際に食べたからよくわかる。

 俺の感想に、ぱああっと表情を明るくしたフェイト。「よかったぁ……」と安堵のため息を吐く。

 もっとたくさん食べて、とのリクエストに応え、俺はほとんど全部平らげた。……満面の笑顔でそんなこと言われたら、食べきるしかないじゃないかっ!

 

「あっ、ユーヤ、口にソースついてるよ」

「ん?」

 

 白いハンカチが口元に伸びてきて、赤いソースを拭い取っていく。……何だかすごくデジャヴを感じるな。

 

「うん、とれた」

 

 ――ああそういえば、前にもこんなことあったっけ。よし、これをネタに少しイジってやろう。

 

「ありがとな。……それにしても、指で拭って食べてくれないの?」

「っ! も、もうそんなことしないよっ!」

 

 フェイトは大いに動揺し、必死に否定する。かあああっと音が聞こえるくらい、真っ赤に茹で上がってちゃ、怖くも何ともないがな。

 畳み掛けるように「それは残念だ」と煽ったら、恥じ入って俯いてしまった。

 

「……」

 

 ふと不審な視線を感じて周りを見渡してみれば、ぽかんと間抜けな表情をしている人々。足元でステーキ肉にかぶりついていたアルフまで、馬鹿みたいに口を開けて見上げてやがる。

 みんな、食事の手を止めて凍りついていた。あ、いや、リンディさんだけは、あらあらうふふと捕らえ所のない上品な微笑してるけど。

 

「何です?」

 

 どうして固まってるのかは大体予想がつくので、白けた視線を送り返してみた。

 

「いやー、仲がおアツいなぁと思って」

 

 再起動したエイミィさんが代表して答える。

 気まずそうに苦笑しているが、シレッとからかってくる辺り油断ならない。ま、その程度じゃ俺は動じないがな。

 ではお返しに、もう一つ爆弾を投げ入れてみますか。

 

「羨ましいでしょう? そういう()()()はどうなんです?」

「おおっと、そう切り返しますか。腕を上げたねぇ、攸夜君。ちなみにその質問については黙秘権を行使するよ」

 

 何の腕だよ。

 エイミィさんは一転してころころ楽しげに笑っているが、クロノさんは軽く赤面してシチューをかっこんでる。

 しかし、ちょっとカマを掛けただけなんだが当たりだったか、このむっつり屋さんめ。

 フェイト? 今の会話の意味がわからなくてキョトンとしてるよ。戦闘中はキレキレなのに、普段は結構ニブいのな。

 

「あ、そうそう! ねえ、ふたりってどこまで進んでるのかな?」

 

 興味津々に瞳を輝かせるエイミィさん。この会話の流れなら、そういう話にもなるだろうさ。

 

「キスまでですよ」

「「!!」」

 

 何気なく正直に即答したら、ざわりと場の空気が騒然となってしまった。主に、狼狽したフェイトとクロノさんが盛大に吹き出したことによって。

 むせてるフェイトの背中をさすってあげると、恨みがましい目で見られた。

 そんな目で見ないでくれ。無性に罪悪感が湧いてくるから。

 

「いや、ごまかすようなことでもないだろ? 男と女なんだからさ」

「わぁ、大胆」

 

 言いながら、エイミィさんはチラリと横目でハラオウンさんちの長男を窺う。当の本人は気まずそうにサッと視線を逸らして咳払い一つ。エイミィさんがはぁ~、と大きなため息を吐いていた。

 

 ――とまぁこのように、夕食は概ね和やかに進んだ。

 そんな中、リンディさんが興味深そうに目を細めて、俺を――いや、俺とフェイトを眺めていたのがやけに印象に残った。

 余談だが、明らかに作りすぎだと思われていた食事は、フェイトさんがペロリと平らげてくれましたとさ。

 ちゃんちゃん。

 

 

   *  *  *

 

 

 夕食後。

 バスルームからリビングに向けて歩きながら、水分をたっぷり吸ったごわごわの髪をタオルで叩くように乾かす。成長して髪質が変わったのかは知らないが、最近さらにボサボサになって正直鬱陶しい。

 ソファに座ってお茶していたリンディさんとフェイトが、俺の気配に気づいて振り向いた。

 

「攸夜君、お湯加減はどうだったかしら」

「はい、いいお湯でした」

「そう、それはよかった。じゃあフェイトもいってらっしゃい」

「うん。じゃああとでね、ユーヤ」

 

 名残惜しそうに手を振るフェイトは、俺と入れ替わりで廊下に消えていく。ぱたぱたとスリッパが慌ただしく床を叩く音が耳に残った。……ていうか、あんなに落ち着きのない()だったっけ?

 

 今のやり取りからもわかるように、今夜はハラオウンさんちに泊めてもらうことになった。

 その経緯を説明しよう。

 まず前提として、フェイトは中学を卒業するまで海鳴に居る予定だという。当然のことだが、これから彼女とつき合う――もちろん、男女の仲的な意味で――には根無し草ではどうにもよろしくない。まあ、戸籍なんかは割と簡単に偽造出来るんだけどさ。

 しかし、以前住んでいた部屋はすでに埋まってしまっている。だから、仮の住まいとして近場の適当なアパートなりを間借りするつもりでいたんだが、姉さんの強い意向もあって何故か隣街――遠見市、だったか――の高級マンションということになってしまった。

 姉さん曰わく「由緒正しい裏界魔王がそんなところに住むなんてみっともないわ」とかなんとか。プライドが高すぎるのも考え物だ。

 でだ。その住処を準備するにはどうしても時間がかかる。家具やら何やらだって揃えなきゃならないから、今夜は野宿でもしようかと思っていた。幸い野営には慣れてるし――その理由については後ほど語ることになるだろうが――、月匣というかフォートレスを張っておけばそれで済むしな。

 それを夕食の場で話してみたらフェイト以下、その場の全員から大いに反対されてしまい――、まあ、そんなこんなでお泊まりとなったわけである。ちなみに、後でホテルでもとればよかったと気づいてちょっとヘコんだ。

 

「攸夜君、ひとついいかしら」

 

 ソファに腰掛け、風呂上がりの気だるさを楽しみながら、つらつらと今後の予定などに思惟を伸ばしていると、リンディさんに改まって呼びかけられた。

 その表情はどこか硬い。

 

「あ、はい、何ですか?」

 

 薄い湯気を上げる湯飲みがコトリと白いリビングテーブルの上に置かれる。

 

「さっきのお話の続きだけれど」

「さっきの、というと?」

「フェイトとのおつき合いのことについてよ」

 

 む、まだ何かあるのだろうか。警戒して、弥が上にも気が引き締まる。

 わざわざフェイトが不在の場で切り出すくらいなのだから、彼女に聞かせられない内容だということは想像に容易い。

 

「あなたたちの交際はもちろん認めるわ。もともと、私も応援していたことだから。でもね、血の繋がっていないとしても母親としてはその……、あなたたちに年相応の節度を持ったおつき合いをしてほしいと思うの。あ、そんなに難しいことじゃないのよ? ただ、あの子……()()()()()()に少し疎いというか鈍い子だから、攸夜君に気にかけてもらいたいなって」

 

 ほら、女の子はいろいろと大変でしょう?とやや言葉を濁す疑問系で、結尾が切られた。

 ……なるほど、そういうことか。確かにフェイトには聞かせられないな。

 直接的な表現は避けられてるけど、言葉の意図は容易に掴める。念を押したいのだろう。

 

「仰りたいことはわかっているつもりですし、リンディさんが懸念するのはもっともだと思います。まず言っておきます、安心してください。もともと少なくとも中学を卒業するまでは、プラトニックなつき合いにとどめていこうと思ってましたから。フェイトのこと、大切にしたいし……何より俺たちはまだ、子どもですしね」

 

 大切にしたいというのは勿論、偽らざる想いだ。けれども、そこに俺自身の感傷というかかつての後悔が含まれていることも否定できない。

 そんな内心を隠すポーカーフェイスは見抜かれなかったようで、リンディさんの表情が和らいだ。

 

「そう、わかってくれているなら私からはもう言わないわ、無粋だものね。……信じてますからね、攸夜君?」

 

 リンディさんの浮かべるいわゆるコロす笑みに、背筋が総毛立つ。冷や汗をダラダラと流して、脊髄反射的にぶんぶん首を縦に振っていた。

 ドラ息子の本能という奴だろうか、この人にはたぶん生涯逆らえないだろうというイメージが脳裏を過ぎる。

 とはいえ、反目したりするつもりなど毛頭ない。やぶ蛇になってもつまらないし、何より俺の今の基本的な行動方針は「親善親睦親和親交」――当然相手にも寄るけど、敵対するより味方にした方がずっといい。人間関係を円滑に、よりよい方向に進めるには時に譲歩し、自分の意志を曲げることだって必要だとこの六年の間に悟ったのだ。

 まあ、人類みな兄弟、なんて妄言は吐かないけどな。

 

「さて、と、堅苦しいお話はこれまでにしましょうか。素直にお願いを聞いてくれたご褒美ってわけじゃないけど、フェイトのアルバムでも見てみる? 昔のフェイト、ちっちゃくてかわいいわよ~」

 

 なん……だと……!?

 

「是非ッ、是非に見たいですお義母さんッ!」

「あらあら、気の早い子ね」

 

 俺の問題発言を優雅な微苦笑で流すリンディさん。どうやら満更でもない様子だ。

 そのあと、アルバムの写真を肴に大いに盛り上がった。

 風呂から上がったばかりのフェイト――レモン色でわんこ柄のパジャマ姿は鼻血が出てもおかしくないくらいかなりかわいかった――に見つかって、恥ずかしがった彼女と一悶着あったのはまったくの余談である。

 こうして、初日の夜は賑やかに更けていった。

 

 

   *  *  *

 

 

 女子校――それは女の花園。魅惑の言葉。男どもが入り込めない禁断の領域だ。

 そんなところに、俺は居る。

 ふはは、羨ましかろう愚民どもッ! ……とか言いつつぶっちゃけ何らかの感慨があるわけでもなかったりするんだが。

 何故なら俺は、今も昔もフェイト一筋だからさ。他の女の子なんて端から眼中にないのだ。

 

 さておき、時は真昼。

 女学生たちが弁当片手に、思い思いの場所でおしゃべりに花を咲かしている頃である。

 聖祥大附属中の屋上、その一角。ニスの塗られた木製のベンチの上に立ち上がった(・・・・・・)俺を取り囲む、五つの大きな人影。誰もが見惚れる見目麗しい美少女たちだ。

 

「――で、この薄汚いのはなんなわけ」

 

 人影の内の一つ――見上げるように巨人なアリサが言う。いや、俺の方が小さいんだけれども。

 しかし、薄汚いなんて失礼にもほどがある。風呂くらい毎日入ってるっつーの。

 

「薄汚いとは何だツンデレ」

「ツンデレ言うなっ! ……ってやっぱり攸夜、アンタだったのね」

「なんだかかわいいよね。なんの動物だろう?」

 

 頭痛を感じたように額に手を当てるアリサ。ほんわかとした雰囲気ですずかがほんわかとした感想を述べると、なのはがそれを受けて口を開く。

 

「えっと……たぶん、フェレット、かな?」

「たぶんじゃなくて、フェレットなの。ユーノのヤツからコピったんだ」

 

 そう。俺は今、フェレットに姿を変えているのだ。

 真っ黒なイタチを想像してもらえればいいだろう。……言うまでもないと思うが、どこぞのハーブみたいな名前したエロオコジョみたいに、公序良俗に反するようなことは何一つしてないぞ。ずっとフェイトと一緒だったし。

 

「ユーノくんからコピったって……」

「フェレットモード、けっこう便利だよね。私もユーノから教えてもらったから使えるよ」

「ふぇえっ、そうなのっ!? そんな話、私聞いてないよっ!?」

 

 フェイトの何気ない一言に、やにわに動揺して食ってかかるなのは。ふーん、珍しいこともあるもんだ。……ユーノのこと、意識しだしてきたのか?

 そのまま目をぐるぐるさせて暴走するイノシシ娘を「まあまあ落ち着いて。あとで教えてもらえばええやん」とはやてが至極真っ当な正論でなだめ、話題を変える。

 

「しかし、なんでまたフェレットのカッコでこんなところにおるん?」

「いや、フェイトがどうしても離れたくないって言うもんでな。こうして、小動物の姿で近くに居たんだよ。たまに念話したりなんかしてさ」

 

 なあ? と視線を上げて同意を求める。赤面したフェイトからの返答は、「ぅ、うん……」とまるでシャボン玉のように尻すぼみ。まったくめんこい娘さんだこと。

 

「うんまあ、そないなカッコしてる経緯は理解したけどな……」

 

 歯切れの悪いはやてに、なんか文句あんのか、と視線で問い掛ける。

 すると微妙な表情をしたはやては、困ったように周りを見回す。フェイト、なのはとアリサは首を傾げているが、すずかだけはどうやら意図が読めたようで苦笑いした。

 

「なんつーか、真っ黒やし」

「体毛の色なんだから仕方ないじゃないか」

 

 イタチ科の生き物で黒一色の種類は居ないんだよな、確か。どうでもいいトリビアだな。

 

「言いたいことがあるならはっきり言えって」

 

 ちびだぬき――もとい、はやては神妙な面もちので勿体ぶった間を作る。ゴクリ……、無意味な緊張感に誰かが喉を鳴らした。

 

「あんな……」

 

 そして、ついに重い口が開かれる。

 

「なんかその姿、ヒワイな気がするんよ」

「ひわっ、卑猥ぃっ!? なんでさッ!?」

「黒いし、長っ細いし」

 

 ぐ、ぐぬっ……! 否定できない……ッ!!

 ナニを指しているのか理解したなのはとアリサが頬を軽く染めて俯く。相変わらずフェイトはぽややんとしてるが。

 

「そ、そういうイジられ方するのはユーノの持ちネタじゃないかッ!!」

「そのセリフ、ちょっと聞き捨てならないんだけどなー」

 

 再起動を果たしたなのはから浴びせられたのは、ツンドラのごとき冷たさを帯びた声。

 

「うー! うぐぐ!」

 

 進退窮まった俺。逃げるようにベンチから飛び降りて、開けた場所で変身魔法を解除。ボン、と愉快な破裂音と白煙を巻き上げて元の姿に戻る。

 服装は黒い学ラン――廃棄都市で、真行寺命たちを待ち受けていた際にも身に着けていた輝明学園秋葉原校中等部指定ものだ。

 

「これでいいんだろ! これで!」

「……なにも泣かなくてもいいじゃない」

 

 呆れたアリサのツッコミが、グサリと胸の柔いところに突き刺さった気がした。

 

 

 昼休みの時間は有限だ。

 気を取り直して、俺たちは昼食を摂ることになった。

 なお、さっきの茶番で負った心的外傷はフェイトに癒やしてもらいました。

 

「あれ? フェイトちゃん、お弁当は……?」

「あ、うん、それはね」

 

 なのはの素朴な質問に、手ぶらのフェイトが嬉しさを溢れさせてこちらを向く。俺は彼女に軽く笑みを返すと目の前に両手をかざした。

 ヴンッ、と音を立てて月衣の中から、三十センチ四方二段重ねで漆塗りの豪華な重箱が手の中に現出する。早朝から借りたキッチンで作った自信作だ。

 ついでに、六畳ほどもある大きな茣蓙を出してやる。

 

「さあさ、お前らもぼーっとしてないで座れ座れ」

 

 ひとまず重箱を床に置いた後、茣蓙をバサリと広げて硬直しているなのはたちを促す。まあ、理由はわかるが。これくらい慣れろ、“魔法使い”の基本だぞ?

 事前に伝えていたフェイトは当然フリーズなどせず、さっさと俺のすぐ隣に着席。ちょっと遠慮気味なのがまたかわいらしい。

 

「ナップザックん中から竹箒が出てくるんも衝撃やけど、これはこれで効くなぁ」

「何言ってんだ。俺にしてみれば宝石とかバッチが杖になる方が驚くっつーの」

「どっちも非常識よ!」

 

 さすがバニングスさん、鋭いツッコミをありがとう。

 ああ、ファー・ジ・アースの魔法科学でも似たようなことが出来るって指摘は簡便な?

 

「「「「「いただきます」」」」」

「どうぞ召し上がれ」

 

 そんなこんなで昼食を食べる。

 かなり多めに作ってきた弁当をフェイトはもちろん、なのはたちにも振る舞った。

 俺も含め、皆食べ盛りな中学生、好評の内に次々とおかずが減っていく。女の子ってのはみんな少なからず食べるのが好きだしな。

 で、おかずをあんまりにも食べられるもんだから、フェイトがへそを曲げてしまい、機嫌を取ろうと「あーん」ってしたらしこたまからかわれたのには参った。……フェイトには悪いことしたな。

 

「――ところで攸夜君、学校ってどうしてるのかな?」

 

 和気あいあいと食事が進む中、どこか非難するような声色で問うすずか。鋭い洞察はさすがだが、その不良を見るような目つきは止めてほしい。

 

「ちゃんと通ってるって。()()()じゃないけどな」

「こっちじゃない言うたら、ファー・ジ・アース?」

「正解。毎度おなじみ輝明学園秋葉原校の中等部に一応在籍してるよ」

 

 なにが毎度おなじみよ、というアリサを華麗にスルーしてイモの煮っ転がしをパクリ。……んむ、我ながらなかなか上手く味が染みている。悪くない。

 

 ――こちらから主八界に渡った俺は、“マジカル・ウォー・フェア”最終決戦のおよそ五年前に転移していた。殆どの力――ウィザードとしては十分すぎるほどだったが――を封じられた状態で、だ。

 それが戻ったのはオリジナルの宝玉が砕け散った後のことであり……、そういうわけもあって帰還には思いの外時間がかかってしまった。

 で、俺はその時間のズレを「ちゃんと義務教育くらい受けなさいよ」という母さんの意向と判断し、輝明学園秋葉原校に紛れ込んで生活していたのである。あそこ、門度が無駄に広いから俺たち裏界勢力も入り込みやすいし、社会勉強の一環でウィザードとして活動するにもいろいろと都合がいい。

 この辺りの話は昨夜リンディさんたちを交えて説明してある。それ故か、フェイトは訳知り顔でだし巻き卵をパクついていたり。しかしフェイト、箸の使い方が様になったな。

 ――だがひとつだけ、こちらに来て説明していないことがある。力が戻ったあとに決行した裏界での武者修行についてだ。

 自重しない馬鹿どもとやり合って腕や脚を潰されたり、内臓破裂などで死にかけたことなど一度や二度じゃない。主にグラーシャとかグラーシャとかグラーシャとか、あとたまにマルコとかにも。

 そんな刺激の強すぎることを話したら、フェイトなど卒倒しかねない。言わぬが花、というヤツだ。

 

「でも、攸夜くんここにいるよね? サボリ?」

「ああ、それは現し身を置いといてだな」

「現し身、って?」

「実体のある分身みたいなもんだと思ってくれればいいよ。で、そいつを替え玉にして、たまに送ってくる情報を受け取ってるって寸法さ」

「なんや、どこぞの金髪碧眼忍者みたいやな」

「訓練の効率が倍々になったりとかはしないけどな。……真面目に授業は受けてるからな?」

 

 エミュレイター、魔王というのは何も常に日本だけで活動してるわけじゃない。複数の国、複数の場所で並列的に策動することも必要だろう。そんな場合に、こういった情報召集用の半自立型現し身を用いることもある。

 ……まあ、どういうわけか揃いも揃って日本にご執心な奴らばっかなのが不思議だけど。

 便利な現し身であるが、気を付けなきゃいけないのは増やしすぎると本体や現し身自体が弱体化することだろう。現し身の作成に魔力や“プラーナ”が削られて死に体になった、なんて目も当てられない。本末転倒もいいところだ。

 そういや、分身しすぎて自分の首を絞める冥魔王がどこぞに居る、とか姉さんが笑い話にしてたっけ。えーと、名前は確か――、エン、エン……エンなんとかさん?

 閑話休題(それはともかく)

 

「てなわけで、俺はちゃんと学校に通ってるんだよ。この制服も中等部のものだしな、生徒会長用の」

 

 ふーん、と声を揃える一同。

 

「…………」

 

 数瞬の沈黙。

 不自然な間を訝しみ、眉間の皺を深くすると――――

 

「「「「ええええぇぇぇーーーっ!?」」」」

 

 驚愕極まりない、悲鳴ような声が見事にハモる。何がそんなに驚きなのかは知らないが、仲のよろしいことだ。

 

「う、ウソよっ! そんなの信じないんだから!」アリサが声高に否定する。目がなんか虚ろだ。

「せや、なんかの間違いに決まっとる! 攸夜君がそんなことするんて世界の終わりやっ!」同調して頭を振るはやて。飛躍しすぎだ馬鹿野郎。

「うぇっ!? だって、生徒会長さんだなんてそんなっ、ふぇえぇぇっ!?」なのは、お前は吃りすぎだ。少し落ち着け。

 どこかズレてるフェイトは平然として「ユーヤ、すごいねっ」と屈託のない尊敬の込められたキラキラする眼差しを向けられた。まあ、悪い気はしないな。

 同じく落ち着き払った様子のすずかが、「あっ」と何かに気づいたように声を上げる。

 

「そういえば攸夜君、クラス委員とかしてなかったっけ?」

「あー、言われてみればそんなこともあったような。……よく覚えてるわね、すずか」

「うん。攸夜君らしくないな、って印象に残ってたから」

 

 すずかのセリフに騒然とした空気が静まった。

 らしくないのは認めるが、他人に仕切られるくらいなら自分でやった方がマシじゃないか。どうせ決めるのにゴタゴタするなら自薦した分、時間の無駄もない。ついでにこの俺がやるからには、完璧に仕事をこなすしな。

 

「はふぅ~……なんだか私、ますます攸夜くんがなにやってたのか気になってきたよ」

「そんなこと言われてもな」

 

 力いっぱい騒いで疲れたのか、ぐったりした様子のなのはが嘆息する。

 

「――――そのご質問、僭越ながらこの(わたくし)がお答えしましょう」

 

 不意に響く、甘くとろけるような女性の声。背後の空間が歪むのを関知して、すぐさま振り向く。

 そこにはこの数年で嫌というほどよく見知った、眼鏡のメイドが営業スマイル全開で佇んでいた。

 

「若様のお世話役兼教育係を仰せつかっておりますエイミー、と申します。ふつつかな魔王ですが、なにとぞよろしくお願いします」

 

 驚きを隠せない俺たちに向けて褐色の肌の闖入者、“誘惑者”エイミーが恭しく一礼する。

 90°ピッタリに再度お辞儀するメイド魔王。さすがは我が礼儀作法の師、相変わらず非の打ち所のない完璧な所作である。

 フェイト、なのは、はやてがほぼ同時にビクリと肩を揺らして全身を強ばらせた。どうやら魔王という単語に反応したらしいが無理もない、実際戦って痛い目を見たんだものな。

 アリサとすずかはさすがお嬢様、メイドなど珍しくもないようだが。

 

「エイミィ、さん?」

「エイミーです。くれぐれもお間違えないように」

「ご、ごめんなさい」

 

 ある意味お約束のやり取りの後、エイミーの全員から「若様?」と疑問の視線が一斉に突き刺さる。

 なにやら気まずいので、咳払いして話題を無理矢理に切り替えることにした。

 

「ゴホン。……エイミーお前、住処の準備をしてたんじゃないのか?」

 

 かつてアインを思い出すので、「ご主人様」と呼ばせないのは失敗だったかもしれない。

 他にもそう呼びたがる部下(ヤツ)が何人かいて、毎回訂正するのが面倒だ。

 

「はい。ですが、そちらはすでに整えてありますのでご心配なさらず」

 

 もちろん電化製品の設置も完璧ですよ、などと当てつけのように余計な一言を付け足して。

 同じ、“金色の魔王”の派閥に組するものとして、そしてそれ以上に保護者代わりだったり帝王学の講師だったり家事全般の師匠だったり……このメイド魔王とは古い顔馴染みだ。

 知られたくないことまで知られている、とも言えるが。

 

「攸夜くん、機械音痴まだ直ってなかったんだね」

「うるせぇやい」

 

 苦笑いするなのはの態度に、俺は不良座りでやさぐれる。

 大体、説明書からして分厚すぎるんだよ! あんなもん読んでられるかっ!

 

「だいじょうぶだよ! これからは、ユーヤの代わりに私が全部ずーっとやってあげるもん!」

 

 フォローのつもりなのか、フェイトが声高に主張する。

 そう言ってもらうのはすごく嬉しいけど、何だか逆に情けなくなってきたよ。

 

「あらあら、若奥様ったら大胆ですのね。それではまるで、生涯を供にすると宣言しているように聞こえますよ?」

「おくさっ!? なななななっ、なっ!?」

 

 ぼふっ、と音を立ててフェイトが茹で蛸のように真っ赤に湯立って狼狽える。

 ――あー、くそっ、俺も釣られて顔が熱くなってきたじゃないか。

 

「若様の奥方となられる方なのですから、そうお呼びするのが筋かと」

 

 にこやかに、とんでもない発言をするメイド魔王。

 “いつかそうなること”について否定はしないが、今言うことじゃないだろう。ほら、なのはたちもちょっと引いてるし。というかフェイト、小声で「若奥様、ちょっといいかも……」とか言ってるんじゃない。

 話が一向に進まないことに軽く苛立った俺は、少し強めの口調で諌める。

 

「いちいち茶々を入れて混ぜっ返すな。それで、こんな場所までやって来て用向きは何だ?」

「はい。皆様が()()()での若様のご様子をお知りになりたい聞き及びまして、ご説明に上がった次第です」

「そんな気遣いは要らん。お前はファミレスでバイトでもしてろ」

「あっ、知りたい! でもどうやって……?」

 

 なのはがわずかな警戒心も投げ捨てて食いつく。他の面々の表情も嬉々としていて似たようなものだ。

 

「それは、こちらのアルバムをご覧になればよろしいかと」

 

 波打った空間から、すとんとエイミーの手の中に落ちてくる一冊の分厚い書物。

 鮮やかな青い表紙に金箔で刻まれだ題名は、「Yuuya.H's Grown-up record」……。――成長記録ぅ!?

 

「ちょ、ちょっと待て! そんなものがあるなんて俺は聞いてないぞ!? 大体、俺は写真が嫌いで――」

「はい。ですので、こっそり草葉の影に隠れて撮影しました」

 

 いけしゃあしゃあと言ってくれる。

 このメイド、それくらいやりかねないから質が悪い。……いや、黒幕は姉さんか? などと苦し紛れに背後関係に想像の手を伸ばしている間にも、事態は刻一刻と進む。

 

「あの、見せてもらっていいんですか……?」

「ええ、もちろんです若奥様」

「ぁ、あぅ……」

 

 おずおずとエイミーに願い出たフェイトが、地雷を踏み抜いて自爆した。

 すると、今のやり取りを契機にしてか、お嬢さん方がエイミーに近寄っていく。

 マズい……! どんな写真が載ってるのかは知らないが、コイツらに見られたら碌なことにならないのは目に見えているッ!!

 

「ちょっ、待て! ――のわっ!?」

 

 エイミーからアルバムを奪おうと腰を上げるた瞬間、俺は何かに躓いて、前のめりの形で盛大に転倒。胸を強く打って一瞬息が詰まる。鍛えていても、痛いものは痛いのだ。

 不自然な自分の有様を不審に思い見やれば、身体を何重にも拘束する銀と金の光の輪――バインドか!?

 

「攸夜君はそこでちょっと寝ててな」

「ごめんね、私も読んでみたいから……」

 

 見上げれば、すまなそうに手を合わせるなのはと悪びれた様子も見せないはやて。その横をアリサとすずかが抜けていく。

 そして――

 

「えっと……」

 

 視線が紅い瞳とかち合う、が、すぐに逸らされた。フェイト……お前もか。いや、拘束魔法の魔力光を見れば一目瞭然なんだが。

 昨夜、昔の写真でイジり倒した仕返しなんだな。そうなんだな?

 

「……もう、勝手にしてくれ」

「うんっ」

 

 もう何を言っても無駄そうなので、俺は大人しく簀巻きになっていることにした。無理矢理破るのは簡単だけど、物騒だし。

 決して日和ったのではないと、強く主張しておく。

 

 芋虫のようにうつ伏せで床に転がった俺。目線の先には、アルバムを囲んで盛り上がる女性陣。

 時折、フェイトが心配そうにチラチラこちらを窺っているのが印象的だ。そんなにすまなそうにするなら最初から荷担するなよ。

 ん? なのはがアルバムを持って近づいてくる。俺の話でも聞きたいのか。

 

「ねえ、攸夜くん、この男のひとは誰?」

 

 写真に写るのは、見覚えのある教室で俺と眼鏡の優男が何やら会話をしている姿。明らかな隠し撮りである。

 

「ウチの担任、まほうせんせいだな」

「まほうせんせい……? 担任の先生にしては若すぎじゃないかな」

「18歳だったかな、確か」

「じゅうはちっ!? それって法律とか、だいじょうぶなの?」

「10歳児よりは遥かにマシだろ。それに、今のは時空管理局の局員から出るセリフじゃないな」

「うっ……」

 

 言葉に詰まるなのは。自覚はあったのか、意外だ。

 続いてフェイト。近くの写真に、俺と一緒に写ったネコミミっぽい帽子をかぶる女の子を指差す。

 

「じゃあこの子は?」

「にゃふぅ」

「にゃふぅ?」

「東雲摩耶、通称にゃふぅ。同級生で、悪い娘じゃないんだけどちょっと変わっててね」

 

 有り体に言うとみそっかすにされてる。

 そういう時、取り繕うように笑う姿がなんとなくフェイトに重なって、それとなく気にかけてた。

 まあ何を勘違いしたのか、クラスメートの露出狂に〈グランブルー〉で押し流されたりもしたんだが。……アイツ、元気にしてるかな?

 

「ふーん……」

「なに? 焼き餅焼いてくれてんの?」

 

 図星だったようで、フェイトは目をまんまると見開いたあと、ぷいっとそっぽを向いた。はっはっは、かわいいのう。

 他にも、“謎の美少女”に“地味系忍者”、“秋葉原のカリスマ”とそのヨメ。それから、“新米錬金術師”に“リンカイザー”などなど――事件で共闘したり、敵対したり、平時で出会った人物もいる。まあ、彼らとの絡みについてはいずれ語る機会もあるだろう。

 小学生の頃のものから、アル=シャイマールとしての初陣の写真まであった。確かに「成長記録」と題されるだけのことはあるけど、こんなものどうやって撮ったんだ?

 

「なんや攸夜君、けっこう交友関係広いんやなぁ。ちょっと意外やな」

 

 呆れ顔ではやてが言う。

 

「意外とはなんだ意外とは。人の心はコミュニティによって満ちるんだよ」

「それどこのながっぱなや」

「冗談はともかく、俺は快楽主義者だからね。不幸を気取って他人を拒絶するより、みんなで仲良く騒いだ方が楽しいじゃないか」

 

 フェイトとなのはがハッとしたように息を飲む。フェイトは別にしても、なのはにまで心当たりがあるとは思わなかったが。

 しんみりとした微妙な空気が漂う。このイヤな雰囲気、俺の仕業だというのは明白だ。

 

「えっと……あ! ねえ、攸夜君、この写真に写ってるのってアメリカのグランドキャニオンだよね?」

「ん、そうだな」

「なんでまたアメリカなんかに行ったのよ?」

 

 空気を変えるすずかのアシストに、これ幸いとアリサが話題に乗ってきた。

 

「前にすずかから料理の本をもらったろ? あれ読んで実際に作ってみたんだけど、なかなか納得のいく味に辿り着けなくてさ。仕方ないから本場の味を確かめに行ったんだよ」

 

 実際に食べて見なきゃわからないだろ? と問いかける。

 コクコクと頷く傍聴者たち。俺はそれに満足して、エイミーの淹れてくれた紅茶――ダージリンだった――で喉を軽く潤す。

 

「そうやって各地を回ってるうちに、旅行するのが楽しくなってきてさ。あの手この手で時間を作って世界各国津々浦々、いろんなところに行ったな……」

 

 ただ吹く風に任せ、当てもなくあちこちを放浪していた頃に思いを馳せる。

 ――陽炎揺らめく灼熱のサハラ砂漠。

 ――身体の芯から凍えるような南極大陸。

 ――旅先で訪れた異国情緒溢れる街々、風光明媚な田舎町、茜色に染まった地中海の海。

 ――広大で雄大なアフリカの大自然。

 その一つ一つから受けた感動を呼び起こし、言葉に紡ぐ。フェイトたちは俺の話を熱心に聞いてくれている。

 いわゆる世界遺産なんかもいろいろ回った。マチュピチュ、リア・ファル、ストーンヘンジにパルテノン神殿とかもな。まあ、こっちは“お仕事”の下見も兼ねてだけど。

 気付いたら紛争地域を縦断していたり、アマゾンで何日も彷徨う羽目になったことも今ではいい思い出だ。おかげで大抵のものは選り好みせず食えるようになったし、サバイバルな知識も実体験でかなり身についてしまったように思う。野宿に慣れているのはこの所為である。

 

 ――世界中を旅して、見て聞いて感じたことは確実に俺の中で息づいている。

 佳いこと、美しいことばかりじゃない。悪いこと、醜いこともたくさん見てきた。けれど、だからこそ“世界”というものを強く認識出来るようになった。

 知識として知るのと実際に自分の目で見るのとでは、大きな隔たりがあるのだから。

 

「じゃあ、ユーヤって旅行が趣味なんだね」

「んー、趣味と言えば趣味かな。今は管理世界を巡ることにも興味があるしね。……いつか一緒にいろいろなところに行こうな、フェイト」

「うんっ」

 

 満面の笑顔を咲かせるフェイトの頭を軽く撫でてやる。くすぐったそうに目を細めてかわいらしい。

 いちゃいちゃ、いちゃいちゃ。効果音をつけるならそんなところだろうか、不愉快そうな視線をチクチク感じるけど知ったことじゃない。

 

「特にローマには一緒に行きたいなぁ。真実の口とか、トレビの泉とか」

「……攸夜君がなにをしたいのかわかったような気がする」

「私もや。手を突っ込んで――、ってやつやろ?」

「ベタね、ベタすぎるわ」

 

 フェイト、なのはがはてなマークを頭上に飛ばして顔を見合わせた。残りの三人は意図を察してくれたようだ。

 お前たち、仕事に熱心なのはいいがもう少し文化的なことも嗜め。あれは古典だが名作だぞ?

 

「うんまぁ、攸夜君が人生をすごーく楽しんでるんはよぉわかったわ」

「だろ?」

 

 はやてのまとめ。さすが核心を突く観察眼に洞察力だと感心する。せっかくの“人生”、楽しまなきゃ損だものな。

 ちょうどそこで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、ひとまずこの場はお開きとなった。

 ――どうやら、俺の試練はまだまだ終わりそうにないようだが。

 

 

   *  *  *

 

 

「やっと着いたな」

「予定だともう少し早くつくはずだったんだよ。……ユーヤが道、何度も間違えるから」

「…………。――うん、マジごめん」

 

 夕刻。もうすぐ宵の口を迎える頃。

 フェイトを引き連れ、遠見市のとある高層マンションの最上階――仮の住処となる一室の前に辿り着いた。

 俺たちの手には、夕食となるべく買い揃えられた食材が詰まったナイロン製の買い物用バッグ。今晩は俺の好きにしていい、ということなので純和風の献立にするつもりだ。

 道すがら聞いた話によると、ここはジュエルシードの一件の頃にフェイトが間借りしていた部屋らしい。

「偶然だねー」と彼女はのほほんと笑っていたが、察するに姉さんは最初から知っていてわざわざ選んだのだろう。俺もそうだが、あの人はこういう細かい演出が好きだから。伊達と酔狂が裏界魔王の華である。

 

「ただいまー……ここに来るの初めてだけどなー」

「おじゃまします」

 

 高級マンションらしく、エントランスにしては広々とした廊下に、俺の間の抜けた声とフェイトの礼儀正しい挨拶が響く。

 放課後、調子に乗った若干二名――黄色いきつねと茶色のたぬきに捕まってこってり絞られた俺。ご丁寧にもなのはの実家、翠屋にてである。そこには当然、なのはの家族もいるわけで……あとは予定調和のようにお決まりのパターンでいろいろと吐かされた。

 ついでにお代をまるっとおごりらされたし。ま、久しぶりに翠屋の味を存分に堪能できたからイーブンだけどな。ザッハトルテ、旨かった。

 ――そういえば、桃子さんが、最近なのはの様子がおかしいと漏らしてたっけ。「なにか知らない?」と訊かれたが、心当たりが多すぎるので当たり障りのない受け答えではぐらかしておいた。

 ベルと殴り合ったダメージはまだ抜けきってないらしいし、戦闘の際に交わされた言葉の内容を俺は知らない。ただなんとなく、なのはは“魔法”を避けているように見える。……大きなお世話かもしれないが、一度腹を割って話してみる必要があるかもな。

 

「お帰りなさい、攸くん。いらっしゃい、フェイトさん」

 

 俺たちの声を受け、紅いカーディガンをストール代わりに羽織った姉さん――幼女モードではなかった――が、優雅な微笑を浮かべて出迎えてくれた。

 すぐ後ろには、先に到着していたらしいエイミーが澄まし顔で付き従っている。如才ないヤツだよ、まったく。

 

「ただいま、姉さん」

「お、おじゃまします。えと……」

「ルーさん、でいいわよ。昔みたいに、ね?」

「あ、はい、ルーさん」

 

 どこか恐縮した様子のフェイトに、姉さんが苦笑混じりに言う。

 つい先日、ルー=サイファーとして一戦やらかした後だから萎縮するのもわからなくはない、のか?

 それにしたって動揺しすぎだとも思うがな。

 

 

   *  *  *

 

 

 姉さんの招きで上がったリビングはフェイトの家のそれにも見劣りしない広さだ。相変わらず、家具や調度品はアンティーク調のもので統一されている。姉さん、貴族趣味だからなぁ。

 でだ、月衣の中に詰め込んでいた私物――プラモとかゲームなどのオモチャ、それから本全般――を自室に置き、満を持してフェイトと一緒に夕飯の準備、二人でキッチンシンクに並んで調理した。

 「家庭科の成績がいい」となのはが言っていただけのことはあり、フェイトの手付きは危なげない。いささか段取りが悪いような気もしたけど、及第点は余裕で越えていると思う。

 

「本当に料理の腕を上げたんだな。たいしたもんだ」

「うん、ありがとう。……きっと、覚えてなくてもユーヤに食べてもらいたかったからだよ」

「嬉しいことを言ってくれるね。これならいつでもお嫁に来れるかな?」

「も、もうっ、恥ずかしくなるからそういうこと言わないでよっ」

「ははっ、ごめんごめん」

 

 このようにじゃれあいつつ調理された夕飯は会心の出来だった。フェイトと一緒に作ったからなのは疑いようもないな。

 その味は姉さんにも好評だったらしく、近年稀に見る上機嫌さで食べてくれた。これだから料理はやめられない。

 ……ただ、食事の席でもフェイトの表情はどこか陰りが見えて。居心地が悪そうに――いや、思い悩んだようなその様子がひどく気にかかった。

 

 そして食後、時計の短針が9時を指した頃。

 風呂で一日の汗を流し、ようやく訪れたまったりできる怠惰な時間。しかし俺は、趣のあるL字型の大きなソファの上で胡座をかいて読書――というか、勉学に勤しんでいた。

 フェイトは俺から少し離れた場所にちょこんと座って、予め作っておいた牛乳プリンを一口一口噛み締めるように味わっている。ほんと、幸せそうにものを食べる娘だ。見てるこっちまで幸せな気分になってくるよ。

 なお、姉さんとエイミーは自室に退がっている。「ごゆっくり」と意味深な笑みを残して。

 何がごゆっくり、だ。

 

「…………」

 

 時折、こちらをチラチラと窺うフェイトを視界の隅に納めつつ、ミッドで買い求めた分厚い政治関連の専門書に目を通す。反芻するように、何度も。

 昔、姉さんにも言われたことだけど、俺は俺が思っているよりも頭の出来が悪いから、しつこいくらいに勉強しなきゃな。

 

「ユーヤ……」

「うん?」

 

 視線を本から上げる。

 声の主、フェイトは何やらもじもじして遠慮がちにこちらを見つめている。どうやらプリンは食べきったらしい。

 専門書にしおりを挟んでソファに置いてから、「どうした?」と努めて優しい声色で問い返した。

 

「あの……、あのね、そっちに行っても、いい?」

「あぁもちろん。おいで」

 

 微笑んで手招きすると、フェイトは嬉しそうに近寄ってきた。すとんと横に腰を落ち着けて、少し躊躇ったあと遠慮気味に俺の腕に自分の腕を絡める。

 

「遠慮なんかしなくていいのに」

「うん、ありがとう……。でもね、ユーヤ、勉強してたでしょ? だから邪魔しちゃだめかなって」

「そうか……優しいな、フェイトは」

 

 言って、高級なシルクを思わせる柔らかな髪を撫でてやる。フェイトは「やさしいだなんて……、そんなことないよ」と薄く頬を染めて謙遜する。あれか、これが世に言うナデポか。初めて見たぜ。

 ぐりぐり。なでなで。

 手触りのいい艶やかな金髪を存分に楽しむ。フェイトは俺になされるがまま「ん~」と気持ちよさそうに目を細めている。

 

「……私の髪、撫でるの好き?」

「そうだな、フェイトの髪はいい匂いがするし、手触りがサラサラしてて気持ちがいいからね。触られるのは嫌?」

「ううん。私もユーヤに触れてもらうの好き、かな」

 

 あれ? 何か、空気が……。

 

「ねぇ、ユーヤ」

「な、何かな?」

「……髪を触るって、とくべつなこと、だよね……?」

 

 ルビーの瞳を潤ませ、フェイトが俺の胸に体重を預けるようにしてしなだれかかってくる。少しはだけたパジャマの襟元から覗く白い肌は今や桜色に上気してひどく艶っぽい。

 女の子特有の甘いフローラルな香りが鼻孔をくすぐる。

 

(――!!)

 

 パリンッ、と何かが欠けたような音が聞こえた。

 一瞬意識を飛ばしていた俺は、フェイトをギュッと思いっきり抱き締めていた。

 

「んっ……」

 

 女性的で、少し筋肉質で、だけどふかふかで優しい匂い。

 同い年には到底思えないフェイトの色香――たぶん天然――に、心中穏やかでなかったが、わずかに残った理性をかき集めて何とかそこで踏みとどまった。我ながらよく頑張ったと思うよ、うん。

 脳内の片隅で、薄紫の髪の幼女が「ほらっ、チャンスだよ! 押し倒しちゃえ!」とか無責任なことを抜かしたような気がしたが、無視を決め込んだ。

 以前、劣情――かどうかは今でも定かじゃないが――に任せてフェイトを押し倒した記憶は痛恨だった。今もたまに思い出して、自己嫌悪に悶絶するくらいには。

 だから当分の間は自制して、一線を越えない――“穢さない”と決めている。だけど同時に、この娘を穢していいのは俺だけだという強い征服欲があることも否定しない。自己矛盾だな。

 リンディさんに言ったのはただの言い訳。自分でも逃げているということは理解しているけれども、こればっかりはどうしようもない。感情はロジックじゃないのだから。

 

「ユーヤ……?」

 

 気がつくと、フェイトが小首を傾げてこちらを見上げていた。どうやら無言だった所為で、心配させてしまったみたいだ。

 ――まったく度し難い愚か者だ、俺は。

 

「何でもないよ」

 

 内心の自嘲を押し隠して、金色の髪に軽く口付けた。

 

「ふぁ……」

 

 フェイトがくすぐったそうに身をよじる。少し不満そうな雰囲気も感じるが、概ね満足してくれたみたいだ。

 同時に、心底白けた顔をして「ヘタレー」と罵ってくる幼女の姿を幻視した。おうおうっ、ヘタレで悪ぅございましたねっ!

 ぐりぐりとおでこを俺の胸に押しつけ、じゃれついてくる黄色いわんこ。いくらか精神も落ち着いてきたので余裕を持って後頭部を撫でていると、わんこはソファに置きっぱなしだった本に目をつけた。

 さすが執務官、目敏いな。

 

「……“次元世界関係論”? 外交関連の論述書、それもミッドチルダのだよね」

「ああ、ちょっと“お仕事”に必要だから勉強してたんだ」

「外交官、目指してるの?」

「そういうわけじゃないんだけどね。ただ、必要なら資格も取るかもしれないな」

 

 俺は、この“世界”から冥魔を駆逐しきったとは思っていない。遠くない未来、奴らは再び現世に姿を現すだろう。ここに巣くった冥魔の元凶たる存在はそういう性質を持っているのだ。まったく忌々しいことこの上ない。

 冥魔の跳梁跋扈を防ぎ、そして俺の野望――ということにしておく――を成し遂げるため、すでに配下を動かしていくつかのプロジェクトとオプションを推進させている。今のところは極秘裏にだが、いつか俺自身が表舞台で活動する必要に迫られる状況が必ず来るはずだ。

 そのための予習というわけである。単に教養を深めるという意味でも無駄にはならないしね。

 

「そうなんだ、すごいね。……でも」

「でも?」

 

 楽しそうにしていたフェイトは一転、眉を落とす。どこか悲しみを湛えた表情。胸の奥に鈍痛が走るのを感じた。

 

「あなたがなにをしてるのか、なにをしたいのか――、ちゃんと話してほしいなって。私、ユーヤのこと、もっと知りたい」

 

 頬に白魚のような指先がそっと触れる。

 

「だって私……、ユーヤのカノジョ、だもん」

 

 フェイトが愛らしくはにかんだ。

 その表情に見惚れ、自分の手を“カノジョ”の手に重ねた。

 

「フェイト……。君の言う通りだ、ごめん。今は無理だけど、時が来たら必ず話すから――、君の彼氏としてね」

「うん、信じてる」

 

 無邪気で、あどけない笑顔をフェイトは向けてくれる。誰よりも大切で、大好きな少女が曇りのない全幅の信頼を向けてくれる。

 それが、何よりも嬉しい。

 どんな高価なものよりも尊い、強くて儚い愛するひとの笑顔を護っていたい。いつまででも見ていたい。きっとそれが俺の原風景。最も純粋な、混じりっけのない欲望だ。

 けれども、ただ独りでは何も叶えるなんて出来ない。ただの暴力では笑顔になんて創れない。

 だから俺は求めた。暴力ではない、もっと別の“力”を。

 そして今、それはここにある。

 

 ――君は言った。「あなたなら、ぜんぶの人たちを救うことだってできるはずだよ」と。

 ならば救ってみせよう、俺なりのやり方で。

 飽くなき欲望を満たすため、何よりも愛するひとのため。

 この“力”で俺は、この世全てのヒトを――――

 

「フェイト?」

「すー……、すー……」

 

 考え事をしてる間に、我が愛しのお姫様は、くぅくぅと気持ちよさそうに寝息をたてていた。

 安心しきった、幸せそうな寝顔はまるで子どものようだ。昼間、はしゃぎ疲れてしまったのかもしれない。

 ……そんな顔されたら、起こすに起こせないじゃないか。

 

「おやすみ、フェイト。――愛してるよ」

 

 起こさないように囁いて、もう一度髪にキスをする。

 あと少しだけ、このまま恋人の温もりを味わうとしよう。

 

 ――――この世全てのヒトを笑顔に。そして、“世界”の全てをやさしく暖かなところに。

 それが君の想いに報いることになると思うから。

 

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