魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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しゃーぷ7

 

 

 

 新暦72年 5月

 

 ここミッドチルダ首都クラナガンは、約一年前に起きた冥魔と呼ばれる存在との遭遇と、それに伴う大規模戦闘――後に“冥王の災厄”と名付けられた事変が残した傷痕もようやく癒えつつあり、一応の平穏を取り戻しはじめていた。

 しかし、破壊を機に開始された区画整理や非常時の備えなどの整備は未だに続き、慌ただしさは払拭しきれていない。

 それはまるで何かに追い立てられるように。

 絶え間なく続いていく。

 

 ――――戦いは……、“戦争”はまだ始まったばかりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  しゃーぷ7 「あるいはカレとカノジョの事情」

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラナガンの中心地にそびえる時空管理局地上本部ビル、そのほど近くの一等地に立つマンションの最上階。

 十五畳ほどの広々とした寝室に、カーテンの隙間から朝日が射し込む。陽の光はキングサイズのベッドにまで延び、清潔なシーツにくるまった一糸纏わぬ姿の男女を照らした。

 

「――……ん……朝、か……」

 

 黒髪蒼眼の少年――いや、青年が、気だるげな動作で上体を起す。

 寝起き特有の覚束ない視線が虚空をさまよい、ベッドサイドの時計を捉える。長針と短針は5時半を示していた。

 ガリガリとひどく寝癖のついた真っ黒な癖っ毛を掻き乱し、間の抜けた顔で大きな欠伸を一つ。隣で寝ている“彼女”には決して見せられない表情だ。

 

「――……ぅん、んん~」

 

 その“彼女”――フェイト・T・ハラオウンは悩ましい吐息を漏らし、むずがって寝返りを打つ。まだ彼女の意識は、まどろみの底から浮上しきっていない。

 攸夜はそんな恋人に頬をゆるめた。 

 金糸の髪を起こさないようにそっと撫で、するりとシーツから抜け出る。身長180センチ近くの長身、練りに練り上げられた無駄のない日に焼けた肉体を惜しげもなく披露する。

 

「さて、と。今日も一日、世のためヒトのために齷齪(あくせく)働くとしますか」

 

 コキコキ、と首の骨を鳴らし、黒髪の青年――宝條攸夜は、今朝も愛する少女のために活動を開始した。

 

 予定通り、フェイトの中学卒業と同時に攸夜は活動拠点をミッドチルダに移した。

 本格的に時空管理局の仕事に携わるフェイトのため――攸夜に対しての人質にでもしようとしたのか、一時地上本部への異動話が持ち上がったものの、社会的な意味で潰されている――、そして攸夜自身の(やぼう)を実現するためにも必要な処置だ。

 もっとも、二人にはクラナガンに定住するつもりなどなく、いつか一区切りがついたなら“故郷”に帰ると相談して決めていた。

 冥魔の蠢動はもう始まっており、予断を許さない状況を前に、一刻も早く戦力を整え、裏界の予言者“魔王女”イコ=スーにより必然の未来として予知されている大攻勢に備えなければならない。すでに時空管理局内、ミッドチルダ行政府内で一定の影響力を得ている攸夜は、この機会を利用して両者を完全に掌握するつもりでいる。

 なんだかんだ言っても裏界魔王、権力志向の強い攸夜だった。

 

 

 時間は飛んで、7時頃。

 白と黒を基調とするすっきりとした印象の機能的なダイニングキッチン。奥にはベランダに面した広々としたリビングが繋がっていて、家具は壁や収納などに調和したモノクロのシンプルでモダンなもので揃えられている。

 清潔感のある室内は隅の隅まで掃除が行き届き、さりげに几帳面な家主の性格をよく反映していた。

 仲間内から「愛の巣」と揶揄されるこのメゾネットタイプのマンションは、部屋四つにリビング、ダイニングキッチンを備えた造りをしており、二人で暮らすにはいささか広すぎる――実際部屋が余っている――が、訪れる人々の頻度や多さを考えたならば適切と言えるだろう。

 ここは、ミッドチルダに越すに当たって数ヶ月前から住宅情報誌を見繕い、ふたりで一緒に決めたふたりだけの“城”だ。

 家賃や光熱費は折半――攸夜の割合がかなり多いことをフェイトは知らない――で、執務官という歴とした職のあるフェイトは当然として、攸夜も“箒”を始めとした主八界由来の技術に関連するパテントや最高評議会との契約金などなど、収入源をしぶとく確保していた。

 地獄の沙汰も金次第、と言うわけだ。

 ちなみに、当たり前のことだが、リンディ、アルフの両保護者から同棲の許可を取る際に熾烈な攻防があったことを追記しておく。

 

「「いただきます」」

 

 白いダイニングテーブルにつく二人。どちらもワイシャツにスーツのボトムという格好で、これから仕事に向かうということが窺える。

 攸夜の首筋にくっきりと残っていた()は、幻術でごまかしている。こんな後始末も、もう慣れたものだ。

 今朝はベーコンエッグにサラダ、トーストのごくシンプルな献立。攸夜としては白いご飯に納豆とみそ汁、焼き魚の純和風な朝食が好みだが、納豆が苦手なフェイトに配慮してこういった洋食をメインに置いていた。

 

「……」

「……(はむはむ)」

「……」

「……(もぐもぐ)」

 

 穏やかな朝食の時間。

 二人とも食事中はあまり喋らない方であるし、アイコンタクトで大抵のことは通じ合えるのだから無用な会話は必要ない。新婚と熟年の雰囲気を併せ持つ二人だった。

 

『続いてのニュースです。ジェイル・スカリエッティ被告の三回目の公判が――――』

 

 リビングのテレビから、朝のニュースが流れている。

 今年初頭に起きた大物次元犯罪者の電撃的な逮捕は管理世界社会全体にも相当の衝撃を与えたようで、逮捕から3ヶ月以上経った今でも連日のように報道が続いていた。

 幾つもの罪状を抱えるこの男の裁判はいつ終わるともしれない。――しかし、()の事情を事細かく把握する攸夜ならば、“茶番”の一言で断じるだろう。

 どういった判決が出るのかを、彼は知っている。

 何せ、男の隠れ家を暴き、捕縛して、あまつさえこの茶番の筋書きまで書いた張本人なのだから。

 

「……」

 

 ミルクがたっぷり注がれた黄色いマグカップに口をつけたまま、フェイトがじっとテレビ画面を複雑な心境で注視している。

 浅からぬ縁――自分が“造られた”遠因と目される男の裁判、その成り行きに少なくない興味を引かれていた。

 

「やっぱり自分の手で捕まえたかった?」

「……そんなこと、ないよ」

 

 フェイトの表情が陰る。

 その言葉はごまかしだと看破した攸夜は、トーストにマーガリンを塗りながら本心の一部を打ち明ける。

 

「悪かったと思ってるよ、相談もなしに潰しちまってな。まあ、ヤツがバラ撒いていた玩具(オモチャ)が目障りだったから、排除したんだけどさ」

「だから別に……だいたい私、あの人について捜査してたわけじゃないもん。気にしてないもん」

「ならいいけど」

 

 やけくそ気味な言葉に胡乱げな視線を返しながら、攸夜がキツネ色のトーストにかじりつく。サクサクふわふわな焼き上がりに満足した。

 一方、フェイトは信じてなさそうな攸夜の声色に腑に落ちないものを感じつつも、このまま否定し続けることの不毛さをわかっていたので話題を転換する。

 

「そんなことより、約束ちゃんと覚えくれてる?」

「もちろん。俺に会わせたい子がいるんだろ? キャロ、だっけ」

「うん、キャロ・ル・ルシエ。ちっちゃくて、ピンク色で、かわいい子なんだよ~」

「……犬猫じゃないんだから、そう何人も拾ってくるのはどうかと思うけどね」

 

 件の少女を保護するに至った大まかな経緯を聞き及んでいる攸夜は、皮肉気味な言いようで興奮気味のフェイトをたしなめる。

 今のところ自分のことでいっぱいいっぱいな彼女が、誰かを背負っていけるような女の子ではないことを彼は知っている。それゆえの苦言。頭を冷やされ、少し冷静になったフェイトはうつむいて唇を軽く噛むと、訥々と心情を零す。

 

「……だって、強すぎる力を持ってるから追放されて、強すぎる力が扱いきれないから使いつぶされて――そんなの、ぜったい間違ってるよ。キャロはまだ小さい女の子なんだよ? それなのにひとりで……、たったひとりで放り出されて。そんなのってないよ……」

「フェイト……」

「……ユーヤも、私と同じ立場だったら、助けてあげるでしょう?」

「まあ、な」

 

 期待の込められた熱い視線に耐えかねて、攸夜は曖昧な返事をする。諸手を上げてフェイトの言葉を肯定するには、彼はいささか汚れすぎていた。

 たしかに、目の前にそんな娘がいたら手を差し伸べてしまうだろうと攸夜は思う。自分のことを快楽のために善行を成す偽善者だと分析する彼だ、そんなさも正しいことが出来る恰好の機会を逃しはしない。

 だが、心から助けたいと願うフェイトに比べてなんと醜いことだろうか。

 反吐が出る、と自虐した攸夜は非生産的な思考を一時振り払って、この話題を切り上げるべく締めに入った。

 

「――ともかく。6時にターミナルで待ち合わせってことでいいか?」

「うん、それでいいよ。着いたら連絡するね」

「りょーかい。あ、ウチに泊めるんだよな?」

「そのつもりだったんだけど……だめ、かな?」

「いや、問題ないよ。それなら外食より、ここで夕食にした方がいいかなって思い付いただけさ」

「あ、うん、いいかも。名案だよ、それっ! お夕飯はオムライスがいいなぁ……」

「まあ、食べたいと言われれば作るけどさ。自分が食べたいだけじゃね?」

 

 大好物の味を想像し、ぽわわんと陶酔してとろけた表情のフェイトをツッコミつつ、攸夜が呆れ混じりの苦笑をもらした。

 

 

 出勤間際。玄関、エントランスにて。

 黒い制服の上着を着込み、どこから見ても立派に管理局執務官なフェイト。心なしか表情もきりりと凛々しい。

 その後ろには、ワイシャツの上からシアンブルーのエプロンをかけた――エプロン姿がやけに似合っている――攸夜が、まるで影のように付き添っている。この立ち位置が、彼らの関係性を如実に表しているようだった。

 

「これ鞄な。弁当は入れといたから」

「うん、ありがとう」

 

 攸夜からフェイトへ黒革の頑丈そうなビジネスバッグが手渡された。中には言葉通り、愛妻ならぬ愛夫弁当や仕事に必要な書類などが整理整頓されて収められている。

 

「ん? フェイト、タイが曲がってるよ」

「えっ、あ……っ」

 

 不意に顔を近づけ、わずかに歪んでいた黄色のリボンタイを直す攸夜。さっと薔薇色に染まったフェイトの顔色に気づいているのかいないのか。

 ともすれば、こうして最近ますます男っぷりを上げ、勇ましく精悍になった彼の相好と対面しているフェイトだったが、そうそう慣れるものではなく。生娘でもあるまいに、どきどきと胸をときめかせていたりする。

 

「これでよし、と」

「あ、ありがとう……」

「ん。そうそう、ハンカチやティッシュは持った? 忘れ物はない?」

「うん、だいじょうぶだよ」

 

 心配性のお母さんみたいだ。過保護なセリフに微苦笑したフェイトは、出勤前の“儀式”をすべく瞼を伏せて、攸夜の首に腕を回した。

 ちょんとつま先立ちで顎はやや上向きにした彼女の腰を、攸夜が優しく抱き寄せる。服の上からでもわかる腰のくびれ、胸板に押しつぶれるたわわに実った柔らかな双乳――今更照れ入るような間柄でもないが、美人は三日で飽きるという言葉は嘘だと実感している攸夜を魅了するには十分だった。

 かわいらしくおねだりする最愛の女性の、ぷっくりとして艶やかな花唇をいつものように塞いだ。

 

「ん……」

 

 攸夜の広い背中に手を回し、ギュッと抱きしめたフェイトの胸中は、幸福感と充足感でいっぱいになる。こうして、ハードな仕事をこなすための勇気と英気を分けてもらうのが最近の彼女の日課だった。

 たまゆら、そのままで。お互いの体温を感じあい、刻みあう。

 

「はふぅ……」

「じゃあ、いってらっしゃい、フェイト。気をつけて」

「……うん。いってきます、ユーヤ」

 

 名残惜しそうに、恋人の頬へちゅっと短く口づけて、若き執務官は自らの戦場(しごとば)へと向かうのだった。

 

 

 ドレスルーム。

 全身を映す姿見の前で、トレードマークのボサボサ頭をオールバックに撫でつけた攸夜が、蒼い無地のネクタイを締めている。慣れた手つき、慣れた手順で危なげない。

 ネクタイを締め終え、紺色の背広に袖を通す。その胸ポケットに正方形に四つ折りし、さらに三等分したポケットチーフを頭が覗くように差し込んだ。ネクタイと同じ鮮やかなシアンブルーは攸夜のシンボルカラー。濃紺のビジネススーツと合わせて、現在のバリアジャケットを思わせるこの衣服が彼の仕事着だ。

 

「よしよし。今朝もキマってるな」

 

 姿見の背広姿を見て、攸夜が満足げに頷いた。

 

 フェイトを送り出したあと、攸夜はこの二ヶ月ほどで日課となった家事を処理していた。

 朝食の後かたづけを皮切りに、各部屋の掃除――特に寝室は念入りに――、衣類の洗濯、ゴミ出しなどなど。テキパキ動作は淀みなく、ハウスメイクを完璧に仕上げる手際はまさに芸術的。メイド魔王に直接師事していただけのことはある。

 家の仕事は二人で分担すると同棲を始めるときに――全て自分がやると主張する攸夜を、フェイトが押し切った形で――取り決めたのだが、本格的に入局し、執務官としての職務が増え始めたフェイトは毎日帰ってくるだけで精一杯の有様。攸夜の分担が増えることは明々白々、自然の成り行きだった。

 そのことについてフェイトは忸怩たるものを抱えていたものの、一方の攸夜は嫌な顔一つせず、むしろ最愛の恋人の世話が出来ることを至福の喜びに感じていたりするから始末に負えない。転生を経由した志宝エリスから性質の一部を引き継ぎ、家事全般を苦にしない性格の攸夜にとっては大した労力ではなく、加えて当初から一人で全てやるつもりだったのだから今更である。

 そんな感じで今のところ、二人の間に不和は起きていない。

 

 そんな攸夜だが、彼は彼で管理局関係者との打ち合わせ、各管理世界政府の要人との密会、犯罪シンジケートの撲滅、発生した冥魔の駆逐、勝手気ままな魔王の相手とその他諸々――かなりのハードスケジュールを東奔西走とこなしている。

 だが、基本的に彼の移動手段は次元すら越える空間転移――普通に徒歩などで移動すると絶望的に迷うため。たまに転移事故を起こしたりもする――であるし、その気になれば現し身の一つや二つ創って替え玉や人手にすることも容易い。だから、フェイトが帰宅する時間に合わせて夕食や風呂を用意しておくことなど造作もなかった。

 それに、どこに居ようが関係なく、攸夜にはフェイトの居場所が手に取るようにわかるのだ。比喩ではなく、事実として。

 理不尽極まりない異能を私生活にも遺憾なく、さりとて無駄に活用している攸夜だった。

 

「っと、そろそろ行くか」

 

 どこへ出しても恥ずかしくないビジネスマン然とした装い。冬場はこの上からベージュのトレンチコートを羽織るのが彼のお気に入り。周囲からは、おっさん臭いともっばら不評だが。

 本人としては、「紺の背広とトレンチコートはオトナの男の戦闘服」というこだわりがあったりする。

 

 火の元戸締まりなど、室内の最終確認を終えた攸夜は、ワックスがけがされてツヤツヤの革靴を履き、ご丁寧にも玄関から外に出る。

 「ロック」の一言でドアの戸締まりをしてから空間を歪め、黒い闇に溶け込むように攸夜の長身は消えていった。

 

 

   *  *  *

 

 

 ミッドチルダ某所。

 全容もわからないほどにほの暗い室内、三本のシリンダーが妖しく輝く。

 超巨大組織、時空管理局を開設当時から牛耳る「最高評議会」――その隠れ家であり、攸夜の主な仕事場の一つだ。

 ここで最高評議会と攸夜とで毎日行われる定例会議が始まる。

 秘書役のアニー=ハポリューが書類片手に佇んでいた。

 

「やあやあ、みなさん。今日もお元気そうで何より」

『それは肉体を捨てた我らに対する皮肉か、シャイマール?』

 

 ほとんどタイムラグなしで転移した攸夜は、軽薄な薄笑いを浮かべ、軽薄な物言いを脳髄たちに投げかける。

 機械によって合成された音声が、器用にも声色に込められた不愉快さまで再現して彼を迎えた。

 

「とんでもない。俺は評議会の皆さんと仲良くしたいんですよ。一緒に世界をより善くしようと企むナカマじゃないですか」

『フン、心にも無いことを』

『お前が無断でスカリエッティを捕縛した事、忘れたとは言わせんぞ。火消しにどれだけの労力を払ったと思っている』

「やだなぁ、あなた方の暗殺を未然に防いで差し上げたというのに。感謝されることはすれ、非難される謂われはありませんよ?」

『感謝しないとは言わん。しかしやりようを考えろ、と我々は言っているのだ。お前の勝手の煽りを受けて、こちらの研究機関は軒並み壊滅したのだぞ?』

「世の中の片隅が綺麗になっていいことじゃないですか。中将閣下も検挙率が一気に上がって喜んでいるでしょう」

『そのレジアスだが、今年度の予算が例年にも増して減ったと愚痴っておったがな。開発費と設備投資費が嵩んで管理局の財政は火の車だ』

『我々が確保していた機密費やプール金の一部を放出して補填せねば、破綻しかねなかったぞ』

『“世界樹計画”についてもそうだ。冥魔打倒に必要不可欠だとは理解しているが、あの全容はお前の個人的な趣味だろう? 過剰戦力だという、各管理世界の政府や聖王教会からの突き上げをどうしてくれる』

「はてさて、何のことやら」

 

 糾弾を、あからさまなお為ごかしで飄々と受け流す攸夜。梨の礫というか、破天荒な孫に振り回されるお爺ちゃん状態で、もはや利用するどころではないようだ。

 このような間柄になるまでに、血で血を洗う血みどろの抗争が繰り広げられた……かどうかは定かではない。

 ただ、攸夜が身内以外に対する容赦をカケラも持ち合わせていないことと、最高評議会が魔王の――人知を越えた存在の恐ろしさを嫌と言うほど教えられた、ということだけは述べておく。

 

「前置きはこれくらいにして。アニー、今日の報告を始めてくれ」

「はい。ではまず、各部に配備されたマシンサーヴァント制式仕様の稼働状況ですが――」

 

 静観していたアニーが、手元の資料を捲りながら報告を開始した。

 〈マシンサーヴァント〉。それは、ファー・ジ・アースの〈錬金術師〉が用いる機械仕掛けの使い魔の総称である。

 獣、鳥類、幻想類はもちろん、人型にデザインされた個体も存在し、ここで話題にされているのは人型――いわゆる、ヒューマノイドタイプのものだ。

 本来、〈錬金術師〉でなければ扱えないところを不必要な機能――主に戦闘力、武器変形機構など――のオミットで解決、先行試作型の試験運用を経て、この春晴れて実戦配備に成功した。

 開発局の有志と、監修に携わったテスラ=陽炎=フラメルの努力の結晶である。彼女の協力を得るために、攸夜はチョココロネを山ほど焼く羽目になったのは全くの余談だ。

 現在、管理局で稼働しているマシンサーヴァントは全て魔力炉を内蔵しない充電式で、オペレーターなどの非戦闘員系業務を担当している。ミッドチルダの優秀な人工知能技術を応用、ヒトと遜色ないコミュニケーション能力を備えた“彼ら”は、人手不足にあえぐ時空管理局のまさに天の助けとなった。

 現在、2000体を越える機械の友人たちが、地上本部や本局にて日夜を問わず人々の未来のために働いている。

 なお、特にゴタゴタもなくマシンサーヴァントが受け入れられたことに攸夜は驚いていたりする。インテリジェントデバイスという前例の存在を加味しても、ミッドチルダや管理世界の民度はおおむね高いらしい。

 とはいえ、協力者にして配下である二柱の魔王――“詐術長官”カミーユ・カイムンと“告発者”ファルファルロウを使って、ヒューマノイド・ロボットに関係する条文を管理局法にねじ込む作業は忘れていない。人間社会において法定遵守と根回しの大切さは説明するまでもなく、自ら隙を招くような迂闊な真似はしなかった。

 

「“教育”の方はどうです?」

『至って順調だ。――まったく、老骨をこき使いおって』

「亀の甲より年の功、未来の管理局を担う人材を自らの手で育てられるんです。本望でしょう?」

『……忌々しいが、否定出来んな』

 

 マシンサーヴァント、そして未だ完成を見ない“上位機種”の基礎人工知能の教育は、評議会と管理局魔導師が保有する優良なインテリジェントデバイスのコピーデータが担当していた。

 任務の内容に合わせて最適化された知識はもちろん、道徳や一般教養、人間関係を円滑に進める諸々の術を学ぶ。そして、規格化生産された“身体”にデータを移植することで“彼ら”は生まれ、その後、それぞれが経験を積み、それぞれの個性を得ることになる。

 

「それから、無限書庫の“秘密侯爵”よりギャラクシアンライナー建造を要請する上申が」

「……あの鉄子め。銀河鉄道でもSDFでも、落ち着いたら好きなだけ作ってやるから大人しくしとけと伝えておけ」

「了解しました。では続いて、教導隊にて試験運用中のガンナーズブルームおよびウィッチブレードについてですが――」

 

 会議は続く。

 この後、報告に基づいて今後の方針の決定や、遂行中の計画の微修正などが話し合われるのだが、管理局全体の運営について攸夜は完全にノータッチ。口出しは基本的にしない。

 それは門外漢だからというより、必要がないからだ。

 最高評議会には長い間、時空管理局の巨体をある程度維持してきた実績がある。よほどのことがない限り、下策は打たない。

 実際、攸夜は最高評議会をお人好し集団だと見抜いていた。切羽詰まれば手段を選ばないだろうが、必要に迫らなければ間違った道は取らないだろうと。

 ――攸夜にとって、ここにある“遺物”たちは合従連衡の間柄であるが、同時にいつでも蹴散らせる路傍の石でしかない。そうしないのは利用するに足りる価値があるから、というのは建前で、単にその後に起こるであろう混乱の処理が面倒なだけ、眼中にないだけだ。「黄河は水溜まりを叱らない」のである。

 最高評議会が真っ黒なのは攸夜とて重々承知している。だが正直、彼らが非人道的な人体実験をしていようが何をしようが知ったことではない。それで“世界”がよりよくなるのなら、嫌悪しつつも賞賛するだろう――身内に被害が出ない限りは。

 フェイトに述べた「命を冒涜する真似は嫌い」とは所詮その程度の、信念とも呼べない張りぼてだった。

 最大多数の最大幸福――それが人間社会の正しいあり方、最良の理論だと。肝心なのは、幸福の範囲を最大限にまで広げる努力と、こぼれ落ちてしまう人々を救う仕組みを作ること、そしてそれを“みんな”で維持することだと攸夜は考えていた。「独りでは何も出来ない」――この言葉は、その考え方を象徴している。

 「悪に人権無し」を信条とする宝條攸夜という“人間”の思想の本質は、「管理と統制」――最も正しく、最も賢い、統べるに値する能力と意志を持った指導者によって統治・管理された世界こそが理想郷である、という典型的な独裁者の思想だった。

 つまり、攸夜と評議会は同じ穴の狢、同類というわけだ。

 ――考えてみてほしい。

 攸夜は破壊神シャイマールのレプリカだ。皇帝(カイザー)シャイマールとはその称号通り、群雄割拠の裏界(ファーサイド)を圧倒的な武力によってまとめ上げ、裏界帝国という国家を造った始祖王(カリスマ)を指す言葉である。

 その王の子を自称し、彼あるいは彼女から知識と記憶を引き継いだ攸夜がそういった考えに行き着くのは当然の結果だった。

 極端な話、民草が安寧と幸福を得るなら、思想まで統制された完全な管理社会を肯定しかねない。もっともエゴイストな攸夜であるから、自分とその周りが対象になれば断固として拒絶するだろうけれども。

 それでいて、自らが支配するという直接的な行動に走らないのは、世界が一部のイデオロギストのものではないと理解しているからだろう。由らしむべし、知らしむべからず――結局のところ、民衆は自分たちの頭がすげ変わろうとどうでもいいのだ。雨風がしのげる場所と一日の食事、明日へのわずかな希望さえあるのならば。

 あるいは――

 すでに攸夜は“世界”を手にしているからなのかもしれない。

 ……フェイトの傍らという、彼だけの、何ものにも代え難い“世界”を――――

 

 

   *  *  *

 

 

 夕刻。

 ミッドチルダ各地方から出発した列車が集う鉄道の中心地、巨大ターミナルビル。ここに停車する様々な列車目当てに、某魔王が毎日通っているらしいとかいないとか。

 そんな余談は、ともかく。

 おなじみ黒い制服姿のフェイトと並ぶ、桃色の髪と同じ色のワンピースと白いブラウスでおめかしした7、8歳くらいの女の子――キャロ・ル・ルシエは、刻々と高まる緊張に身を強ばらせていた。

 抱えたバスケットから顔を出した銀色の仔竜フリードリヒが「きゅる、きゅるる~?」と心配そうに見上げているが、それにすら気づいていない。

 

(うぅ~、どうしよう……)

 

 手はじっとりと汗ばむ。ストレスを原因とする生理的反応が、彼女の精神状況を如実に表していた。

 

「キャロ、どうかしたの? おなかすいた? あ、もしかしてお手洗いとかかな」

 

 そんなキャロの様子を怪訝に思ったフェイトが膝を折りつつ、顔を覗く。

 服装が執務官制服のままなのは、仕事を早めに切り上げたその足でキャロがお世話になっている地方の保護施設まで迎えに行ったためだ。

 

「ぁ……、だ、だいじょうぶです、フェイトさん」

「そう……?」

 

 腑に落ちない顔をしているフェイトに曖昧な笑みを返して、キャロは抱えたバスケットをギュッと抱きしめた。

 彼女がこれほど緊迫している原因は、これから会う予定の男性にある。

 自身を窮状から救ってくれ、今は強く信頼し尊敬するフェイトから、人となりや馴れ初めをのろけ混じりに聞かされているけれども、まだ見ぬ男性との対面に不安は膨らむばかり。今よりも幼い頃、とある事情から住んでいた里を放逐され、それなりに苦労を経験したキャロが見ず知らずの男性に恐怖と警戒感を感じるのも無理からぬことだろう。

 

「――あっ、ユーヤっ!」

 

 屈んだままの体勢でキャロを心配そうに見ていたフェイトが、突如立ち上がり、弾けるような笑顔でぶんぶんと大きく手を振る。

 クールで物静かだと思っていた恩人のイメージを、粉々にぶちこわす無邪気さに、面食らったキャロ。なんとか復帰た彼女は、フェイトの視線の先を遅ればせながら追いかける。

 やや遠く、鷹揚に手を振り返しながら近づいてくるスーツ姿の青年が見える。遠くからでもわかる特徴的な黒い癖っ毛を、キャロは「ワカメみたい……」と何気なく思う。密かに彼が気にしていること言い当てるあたり、子どもは残酷である。

 青年は颯爽とした足取りで近寄りながら、精悍さと稚気を併せ持った面差しを朗らかに相好を崩した女性にまっすぐ向けていた。

 170センチ台後半の大柄な男の人の接近に、言い知れないプレッシャーを感じるキャロの横で、フェイトは驚くほど綺麗な表情で青年を迎えた。

 

「時間ピッタリ、だね」

「あんまり待たせるのも悪いから、早めに出たんだ」

 

 それでもギリギリだったけどね。苦笑混じりに青年が答え、フェイトがくすりと笑みをこぼす。

 短いやりとりだったが、表情や言葉の端々に滲み出る信愛は、聡いとはいえまだ子どものキャロでもわかるほど。

 

(このひとが、フェイトさんのいちばん大切なひと……)

 

 まじまじと自分を見上げる桃色の少女の視線に感づいた青年は、片膝をついて目線の高さを合わせた。子どもの扱いを心得ているのだろう、キャロの感じていた圧迫感が弱まる。

 

「君がキャロだね?」

「は、はいっ」

「そんなに堅くならなくていい。フェイトから聞いてるとは思うけど、宝條攸夜だ。よろしく」

 

 青年――攸夜は微笑から手を差し出す。ひどく優しい、包み込むような声色にわずかにくすぶっていた恐怖心が雪解けのように、ゆっくりとほどけていく。

 恐る恐る、キャロは自分の手の三倍はあろうかという大きな手を握る。柔らかく握り返された手の感触は、とてもゴツゴツとしていて頼りがいがありそうに見えた。

 

(おっきくて、なんだかあったかい……これが男のひとの手なんだ……)

 

 キャロの胸中に暖かな安堵感が広がっていく。事前に感じていた不安は、いつの間にかなくなっていた。

 

「きゃ、キャロ・ル・ルシエです。それからこの子は――」

「きゅるる~っ」

「――あっ、フリードっ!?」

 

 籠から抜け出した仔竜は何を思ったか地面に着地すると、白い腹を攸夜に向けて寝そべる。

 それは服従のポーズ。鱗の薄い腹は飛竜種にとっては弱点であり、そこを無防備に見せることは最大限の敬意を相手に示しているのと同意義のこと。

 初めて会ったひとにこんなことするなんて。愛竜の行動に驚くキャロの一方、攸夜は「ほう」と得心したような顔で目を細める。

 

「俺の本性がわかるのか。賢いな、お前は」

「ユーヤの本性?」

「昔見たろ、“黒い蛇”。竜種とは親戚みたいなものなんだよ」

 

 二人の間だけにしか通じない会話。

「で、キャロ、この仔の名前は?」ひとり置いてけぼりのキャロに攸夜が問いかける。

 

「あ、フリードリヒって言います、愛称はフリード。わたしが里を出たあともずっとついてきてくれて……」

「そうか、いい名前だな。フリード、これからもご主人様をちゃんと護るんだぞ」

 

 柔らかい腹をくすぐられてフリードリヒが「きゅるるる~」と気持ちよさそうに喉を振るわせる。そんな、すっかり懐いてしまったその様子が何だかおかしくて。

 くすくすころころ。キャロが控えめな笑い声をこぼす。

 和やかな空気が場に流れ、攸夜とキャロが上手く打ち解けたことに満足して、フェイトがふんわりと微笑んだ。

 

 

 二人に連れられて、キャロは市内にある彼らの自宅マンションへ赴いた。

 帰宅するなり、攸夜はすぐさま夕食の準備に取りかかる。その際、部屋のあまりの広さにキャロの目が点になったり、妹分にいいところを見せようとしたフェイトが自分もやると言い出したりと一悶着あったものの、調理は滞りなく進み――

 

「いただきます」

「「いただきます」」

 

 キャロとフェイトが並んで、その対面に攸夜という形で白いダイニングテーブルに着く三人。

 事前のリクエストどおり、メインは赤いケチャップたっぶりのふわふわとろとろオムライス。それと、かぼちゃのポタージュに具だくさんのサラダがテーブルに並べられていた。

 香りはもちろん、見栄えも美味しい料理にキャロのおなかは我慢しきれず、くきゅーっとかわいらしい悲鳴を上げた。

 

「あ……」

「くすっ、キャロ、おなかすいちゃったんだね。食べていいよ」

「は、はい……」

 

 真っ赤になったキャロは微笑むフェイトに促されて、ほかほか湯気を上げる少し小さめのオムライスをアルミのスプーンでそっと崩す。黄金に輝く卵とパラッと炒められたチキンライスをすくったキャロはそのまま口に、ぱくり。

 ――ややあって。

 

「わぁ! おいしい、すごくおいしいです!」

 

 十年とないキャロの短い、けれども割と激動の人生のなかでも、これほどおいしいものを食べたことはないと断言できる味だった。

 実際、攸夜の料理の腕は一流ホテルのシェフ並だ。食いしん坊なカノジョのために日夜研鑽を重ねた結果である。

 

「そんなに喜んでくれると、こっちも腕を振るって作った甲斐があるよ」

 

 心からの感想に、攸夜がゆったりと鷹揚に笑む。

 

「あ、キャロ、グリンピースはちゃんと食べなきゃだめだよ?」

「おっと、君からそんな台詞が聞けるとはね。皿の端にどけてたのはどこのどなたでしたっけ?」

「むっ、それは昔の話でしょ? いまはもう食べれますっ」

「じゃあ納豆は?」

「……あんなの、人間の食べるものじゃないもん」

「フェイトさんって、グリンピースだめだったんですか?」

「――あっ」

 

 しまった! と口を両手で押さえるフェイト。しかし、もう遅い。

 

「そりゃあもう。すごく苦そうな顔をして食べてたよ、食後のデザートにつられてね」

「へー」

「ちょっ、ユーヤ!」

「フェイトさん、ちょっとかわいいですね。意外です」

「だろう? 自慢の彼女なんだ」

「あ、あうう……」

 

 お姉さん風を吹かせようとしたフェイトの試みは、一枚上手な攸夜によって脆くも崩れ去り。のみならず、かわいい妹分に昔の恥部を知られてしまう結果に。

 慣れないことはしないに限る、とキャロは学んだ。

 

 攸夜と同じ量、大盛のオムライスをペロリと平らげたフェイトの健啖ぶりに価値観の崩壊を感じたり。女の子二人、一緒にお風呂に入ってたくさん話をしたり。キャロは宝條家への滞在を満喫した。

 なお、風呂場で交わした会話は八割方ノロケで、彼はすっごくやさしいのだとか、いつもは一緒に入浴しているのだとか、聞いている方が恥ずかしくなるくらいの赤裸々な話にキャロはいろんな意味でのぼせて真っ赤になった。

 

 そして、風呂上がり。

 

「キャロの髪、ふわふわでやわらかいねぇ」

「そうですか? よく、わかりません」

「きゅるー」

「おう、未来が楽しみだ。そのためにも、今からきちんとケアしてやらなきゃな」

「うん、キャロはかわいいもんね。おっきくなったら美人さんになるよ、きっと」

「あ、ありがとうございます……」

 

 膝の上にフリードリヒを乗せたキャロの髪をフェイトがやさしく拭き、そのフェイトの髪を攸夜が丁寧に乾かす。

 三人並んだ姿はまるで仲のいい家族ようだった。

 

 男性にしては手慣れすぎた手つきを不思議に思ったキャロが問うと、ほとんど毎日フェイトの髪をとかしているのだという。

 一般的に、女性にとって髪とは命と同じくらい大事なものだ。

 同性のキャロから見ても羨ましいほど綺麗な髪をいとも簡単に任せてしまうのは、それだけ信頼していることの証。フェイトさんはユウヤさんのこと、とても頼りにしているんだな。キャロは漠然と、そう思った。

 

「ユウヤさんは、なんのお仕事をされてるんです?」

「そうだな……管理局員が毎日気持ちよく働ける環境を作る仕事、かな」

「……?」

「つまりね、ヒーローってことだよ、キャロ」

「フェイト、お前な……。とりあえずそれは違うからな?」

 

「召喚魔法か。珍しいね、こっちの使い手は始めて見たよ」

「そう、みたいですね。故郷ではみんな使っていたから、あんまり実感ないですけど……」

「ふむ、召喚……召喚、か。仕込めばアレを使えるか……?」

「ユーヤ、悪い顔してるよ。なにかか企んでるでしょ?」

「ははは、ソンナコトナイヨ?」

 

 他愛のない会話を交わしたり、家にあったボードゲームやテレビゲームで――どれもこれもキャロは初めてのものだったが、攸夜は丁寧にレクチャーしてくれた――楽しく遊んだり。

 当初は遠慮気味にしていたキャロもいつの間にか打ち解けて、無邪気な笑顔をこぼしていた。

 その様子はまるで親子……というよりは、遠路はるばるやって来た姪っ子を遊ばせる若い夫婦といった風情。そう見えたのは残念ながら、本当の意味で“親”になる心構えは二人に――特に、フェイトにはなかったから。

 自分を子どもとしてしか認識できない人間が、誰かの親を務めることなどおこがましい。ましてや未だに、“母”の面影を振り切れていない彼女ではなおさらだった。

 

 

 夜更け、草木も眠る丑三つ時。

 間接照明のみの薄暗い部屋の中、お気に入りのソファに身を預けたフェイトと攸夜は静かに語らっていた。

 

「キャロはこんなに懐いてくれたのに……」

 

 遊び疲れて眠ってしまった少女を膝の上で寝かしつけながら、眉尻を下げたフェイトがぽつりとこぼした。

 

「どうして、エリオはユーヤと仲良くしてくれないんだろう……」

 

 さらさらと、桃色の柔らかな髪を撫でる。そんなフェイトの胸中に浮かぶのは赤毛のかわいい弟分のこと。

 こちらに移る直前、攸夜と顔合わせのために会食の場を張り切ってセッティングした。

 けれども彼は、ひどく無愛想な表情で素っ気ない態度をするばかり。平時はとことん鈍いフェイトにもわかるくらいの不機嫌な空気を発して。

 結局会食は微妙な雰囲気のまま終わってしまい、以来、攸夜は彼に自分から会おうとは一切しない。「俺に会っても悪影響しか残さないだろうから」と苦笑いするだけだ。

 その攸夜は、フェイトの隣で真剣な顔をして彼女の言葉に受け答える。

 

「あっちが心を開いてくれなきゃどうにも、な。それはわかるだろ?」

「……うん、でも――」

 

 フェイトには、どうして素直でいい子なはずの“弟”が攸夜を嫌うのかわからない、わかるはずもない。――そもそもの“原因”である彼女には。

 

「まあでも、あの坊やの気持ちもわからないでもないよ。俺も同じ立場なら、気に食わないしな」

「……?」

 

 持って回った意味深な言葉に、フェイトが怪訝な顔で小首を傾げた。

 攸夜はただ穏やかに微笑み、彼女がキャロにするのと同じように金色の髪を撫で、「いつかフェイトにもわかる時が来るよ」とだけ言うと、フェイトの肩をそっと抱き寄せた。

 

 

   *  *  *

 

 

 クラナガンに住み始めて、半年ほど過ぎたとある休日。

 生憎の曇り空を望むリビング。攸夜は、青い柄物のポロシャツにジーンズのラフな姿でソファに寝そべり、のんべんだらりと怠惰で退廃的な一日を過ごしていた。

 

「ふぁ…………あふ」

 

 愛読しているライトノベル――“ダブルクロス”という題名の、現代異能バトル物だ――の新刊片手に、攸夜は休日をことのほか堪能していた。

 

 日に日に忙しくなっていくフェイトが取れた久々の休み。まとまった休暇が取れたならば念願の旅行に出かけたのだろうが、取れたのはたったの一日だけ。さらに午後から土砂降り雨の天気になるらしく、これではデートすることもできない。

 だが、フェイトと一緒にいられる機会をみすみす逃す攸夜ではない。本当なら今日も予定で詰まっていたところを、ほとんど力業で無理矢理に空白を作り出したのだった。

 フェイトの仕事を最大限以上尊重しつつ、フェイトを最大限以上愛でるのが彼のポリシーである。

 

「……うん?」

 

 とととっ。不意な足音。

 今、この家にいるのは攸夜以外にはフェイトだけ。当然この物音は彼女もののはずだ。

 それにしては足音の間隔が小さすぎるような気もするけど。攸夜は不思議に思う。

 

「――ねぇユーヤ、見て見てっ」

 

 どこか弾んだ声色。

 いつもよりやや高いソプラノを怪訝に思いつつ、攸夜が笑顔でのそりと上体を起こす。

 

「なんだなんだ。何か楽しいことでもあったの、か……?」

 

 笑顔のまま、固まる攸夜。

 彼の目の前に居たのは可憐な金色の妖精――思い出深い桜色のリボンで金髪を二本に結い上げ、懐かしい白いワンピース風の制服を纏う、いたいけな女の子が慎ましやかに立っていた。

 

「ちょっ、おま……っ!? 何やってんすか、フェイトさんっ!?」

「えと、どう……かな」

 

 スカートの裾をつまみ上げた妖精が、おずおずと問いかける。小首を傾げ、瞳は潤んで上目遣い。

 ずぎゃーん。攸夜の心臓をガンナーズブルームの弾丸が撃ち抜く。破壊力抜群のロリっこにメロメロだった。

 ちなみに、攸夜の本来の好みは年上のおねーさんだったりするのだが。

 

「か、かわいいけど! すごいかわいいけど! めちゃめちゃかわいいけどっ!!」

「えへへへへへへ……、ありがと♪」

 

 あまりのことに興奮しすぎて妙なテンションでほめちぎる攸夜。引くどころか、気合いの入った賞賛の嵐に頬を薔薇色に染めてもじもじ恥じらうフェイト。

 似た者同士、とてもアレな二人だった。

 

「――で、変身魔法使ってるのはわかるけど。急にどうしたのさ」

「うん。ちょっとクローゼットを片づけてたらこの制服が出てきて……」

「懐かしくてつい着てしまった、と」

「うん」

 

 ひょいとソファを乗り越え、はにかむ小さな女の子に近寄る攸夜。そんな彼を見上げるフェイトは、ユーヤってこんなにおっきかったんだ、と不思議な感慨で平べったい胸の内を満たしていた。

 他方、じゃあ中身は生か……、などと品のないことを考える攸夜は、片膝を突いてフェイトと目線を合わせる。

 サラサラと艶めく金色の髪、真っ白に透き通る白雪の肌、大粒の宝石のようにつぶらな瞳。まるでビスクドールのごとく整った目鼻立ちは、遠い記憶に刻まれた鮮烈な姿のまま――いや、思い出補正がかかりにかかって、攸夜には神々しく光り輝くように見えていた。

 

「しっかし、クオリティ高いな。ほっぺぷにぷだし」

 

 少し落ち着いた様子の攸夜が感心しきりに言う。指先で、瑞々しいもち肌をぷにぷにつんつん。

 魔力に対して異常なまでに敏感な攸夜ですら、よく目を凝らして見ないとわからないほど緻密かつ繊細な術式構成。細やかな魔力コントロールが持ち味のフェイトらしい、非の打ち所のない完璧な変身魔法だ。

 

「んんっ……、うん、お母さん直伝の変身魔法だから。昔のだけど、捜査で使ってるのよりは自分のカラダの方がイメージしやすいし」

 

 頬をぷにぷにとつつかれながらフェイトは答えた。くすぐったくて身をよじっている。

 

「ああ、リンディさん、そういうのやけに上手いもんな。…………前々から思ってたんだけど、二十歳の子どもが居てあの若さを保っているのはきっと――」

「ユーヤ、それ以上は言っちゃだめ。だめったらだめ」

 

 フェイトが瞳のハイライトを消して、珍しく攸夜の言葉を遮る。数瞬見つめ合い――というか真意を探り、「そうだな。俺、フェイトを残して逝きたくはないし」攸夜は素直に引き下がった。

 世の中、知ってはいけないことと知らない方がいいこともあるのだ。

 

 最近、稀にだが養母リンディのことを“お母さん”と呼び始めたフェイト。今まで以上にいい親子関係を築けていたのはきっと、無理を重ねて、肩肘張って、背伸びして――フェイトの心に纏わりついた“呪縛”が少しだけほどけて、自然体で居られるようになったからかもしれない。

 こちらに移って以来、フェイトはほぼ毎週のように実家へ連絡を入れている。攸夜と同じく、家族をとても大事にする彼女らしいエピソードだろう。

 余談だが、つい先日結婚したばかりの兄嫁エイミィとは自分のパートナーについて赤裸々に語り合っているらしい。

 

「それにしても……」

「……?」

 

 蒼い瞳が、ジーッと真剣な表情でちんまりな金色幼女を眺める。どこか熱を帯びた真摯な眼差しに、内心ドキドキしていたフェイトが小首をちょこんと傾げると、彼は彼女の小さな身体を持ち上げた。有り体に言うと、抱っこだ。

 

「きゃっ、ゆ、ユーヤ!?」

「いつにも増して軽いね。子どもだからかな、何となく体温も高い気がする」

「こ、子どもじゃないよっ」

 

 顔から火が出るくらいに恥ずかしがるフェイトの主張は「今は子どもじゃないか」という攸夜の正論が封殺。反論に窮したフェイトは口を噤む。

 残念ながら、この姿では説得力の欠片もなかった。

 

「うぅー」

「こういうのは嫌?」

 

 一拍の間。

 

「……ううん。ちょっと、うれしい」

 

 消え入るような声、青いポロシャツの胸元を小さな両手がグッと掴む。

 どうせ自分たち以外は居ないんだから体面なんて気にする必要ない、と思ったかどうかは定かではないが本格的に攸夜へと擦りつく。

 

「フェイト、こういうふうにしてもらったことは?」

「あんまり……」

「そっか……」

 

 表情をわずかに曇らせたフェイトの心中を案じて、攸夜はそれ以上何も訊かず。ただ優しく背中を撫でるだけだった。

 ジュエルシードの一件の後、ハラオウンの家に養子に入る前から、フェイトは一個人として意思を尊重されていた。

 その扱い自体は、当時の彼女の事情・立場を鑑みれば当然だが、それまでの生活はスキンシップすら夢のまた夢の荒んだもので。故に、彼女はストレートに子ども扱いされた経験がほとんどない。誰かに抱き上げてもらったことなどせいぜい数回、両手の指で足りる程度。

 幼い頃から大人びているのも、ちょっと考え物だな。フェイトをあやすように抱きながら攸夜は彼女ことを心から不憫に思う。

 ――そして、何気なく頭に浮かんだ言葉を口にした。

 

「俺たちに子どもが出来たら、ちゃんと抱っこしてやろうな」

 

 ぴくりと小さい肩が揺れる。

 

「……うん。そう、だね……」

「フェイト?」

 

 歯切れの悪い返事。気遣う声色で自分の名を呼ぶ攸夜の探るような眼差しを曖昧な笑みで見返したフェイトは、唐突に彼の腕の中から逃れて飛び降りる。

 二本のしっぽとスカートの裾をふわりとなびかせて、ちょんと着地。くるりと半回転する仕草はまるでダンスのよう。

 

「私、もうオトナだよっ」

「だから、その格好で言っても説得力ないって」

 

 ぷくーっとほっぺを膨らましたちいさなお姫様に、攸夜はわずかに苦笑した。

 

 切れ間のない雨音が室内に響く。

 晴れていれば、クラナガンの近未来的なビル群が一望できる見晴らしのいい広々とした窓。しかし今そこから見えるのは真っ黒に濁った空と、荒れ狂う風、叩きつけるように降り注ぐ雨だけ。

 子どもの姿がよほどお気に召したのか、フェイトはそのままの格好でソファにちょこんと腰掛け、テレビをぼんやりと眺めている。テーブルの上の半分に欠けたレアチーズケーキと白い湯気を立てるティーカップがどこか寂しげで、雨の日の鬱々とした雰囲気を助長していた。

 つけっぱなしのテレビの液晶画面に映るのは、とある管理世界の雄大で美しいフィヨルド。「THE次元世界遺産」という題名のこの番組は、管理世界各地の遺跡や景観、自然などをさる大企業の協力の下、高画質の映像で紹介するネイチャー番組だ。

 旅行好きを自他ともに認める攸夜のお気に入りで、この番組のことを知った際、「ミッドチルダにもあったのかっ!」とやけに興奮していたのをフェイトはよく覚えている。はしゃぐ彼がかわいいくて、しっかり脳内フォルダに保存したのはヒミツだ。

 さておき、その攸夜はと言えば、奥のキッチンで夕飯の準備中。初めのうちは「私もやる!」と息巻いていたフェイトだが、最近はそんなこともなく。家事の分野に関しては全く太刀打ちできないことを悟ったから。

 さすがに、下着の洗濯ぐらいは恥ずかしいので自分でしていたが。

 

「……」

 

 ぼーっと何も考えず、フェイトはただただ座る。

 普段、酷使している頭を休ませるための休息日。たまにはこういうのんびりした日があってもいいかな、と彼女は思う。お世話してくれるユーヤには悪いけど、と生真面目な一面も覗かせて。

 

「……むー……」

 

 ――とはいえ、だらけるのも度が過ぎれば退屈なもので。

 大好きな攸夜にかまってもらえないフェイトは、現在進行形で手持ち無沙汰。しょうがないので目の前のチーズケーキに手をつけることにした。

 銀色のフォークを手に取り、おもむろにケーキをさくりと一口大にカット、小さな口にゆっくり運ぶ。

 はむ。もぐもぐ。

 

「んふ~っ♪」

 

 へにゃんと擬音が聞こえるくらい相好を崩壊させるフェイト。チーズケーキがよほどお気に召したらしい。

 さらにもう一切れ食べようと、手を伸ばした刹那――

 大きな稲光が轟く。

 

「ひっ」

 

 フェイトの手からフォークが滑り落ち、毛の短いカーペットに迎えられた。

 小さな悲鳴に耳聡く反応した攸夜が料理の手をいったん止め、鷹揚な足取りでキッチンからやってきた。

 

「フェイト、まだ雷が苦手なのか?」

「ぅ、うん……」

 

 青いエプロンで手の汚れを拭いつつ、攸夜が涙目で縮こまっているフェイトに近寄る。怯える仕草が子犬みたいでかわいい、と場違いなことを考えながら。

 

「電撃ビリビリ娘が雷なんぞを怖がるとはね。嵐とか台風とかに大はしゃぎしそうなイメージだったんだけど」

「ゆ、ユーヤっ、私をなんだと思ってるの?」

「冗談だ。でも不思議だな、普段から雷は身近だろう? サンダーフォールとかでさ」

「それは、そうなんだけど……。なんていうかね、ゴロゴロって音を聞くと“母さん”に叱られたときのこと、思い出しちゃって……カラダ、固まっちゃうんだ」

 

 しゅんと力なく肩を落とし、フェイトはギュッとスカートの裾を握る。幼い相好には強い困惑の色が浮かび、まるで泣き顔のようで。

 複雑な表情で、攸夜は黙する。フェイトの負った“傷”の深さに、思いを巡らせているのかもしれない。

 

「自分で起こすならだいじょうぶっていうか、戦闘中なら気にならないっていうか――」

 

 俯いたまま、訥々とフェイトが喋る。その時、濁された言葉を打ち消すようにふたたび雷鳴が轟いた。

 

「ひゃっ!」

 

 小さく悲鳴を上げてフェイトは首を竦めた。ギュッと目は瞑り、両手は耳を塞ぐ。

 優しげに微笑した攸夜は隣に座ると、恐怖に慄くフェイトの脇に手を入れて抱き上げる。違う意味でびっくりする彼女にはかまわず、そのまま膝の間に座らせた。

 

「ほら、俺が一緒にいてやるから、な? これなら恐くないだろ」

「うん……こわくないよ」

 

 攸夜の膝の上にちょんと座らされたフェイトは、背中に感じる大きな温もりに身体を委ねた。

 怯えて震える柔らかく小さな手を、甲に血管が浮き出た男性らしい堅くて大きな両手が包み込む。

 

「……ユーヤの手、大きいね」

「そうか?」

「そうだよ……ね、もっとギュッとして?」

「ふふっ、甘えんぼうだなぁ、フェイトは」

「うん。私、甘えんぼさんだもん」

 

 攸夜と手をにぎにぎしながら、子どもの姿でデートしよう、と心に決めたフェイトだった。

 

 

   *  *  *

 

 

 別のある休日。

 今日も今日とてフェイトと攸夜はイチャついている――訳ではなかった。

 

「ユーヤなんて、ユーヤなんて大きらいっ! ばかぁーっ!」

 

 などと言い残し、目尻に涙を浮かべたフェイトが走り去る。

 茫然自失した攸夜は、その場で立ち尽くした。

 しばらくそうしていた彼は、月衣からおもむろに0ーphonを取り出すとどこかに連絡を取った。

 

 

「――で、なんであたしが呼ばれたワケよ?」

「慰めてもらおうと思って」

「ウゼェ」

 

 呼び出された銀髪の美少女――ベルは、要求に盛大に顔をしかめた。

 が、結局こうしてノコノコやってきているのだから、ベルは大概お人好しな魔王である。

 そしてなんだかんだ言って面倒見もいい彼女は、面倒だなぁと思いつつもとりあえず事情を聞いてみることにした。

 

「それで、ケンカの原因はなんなのよ」

「かいつまんで言うと、アイツが追ってた凶悪犯をとっつかまえた」

「具体的には?」

「地道な裏付け捜査中に、横合いから、力づくで」

「それは……あんたが悪いんじゃないの」

 

 うぐ。言葉に詰まる攸夜。自覚は一応あったらしい。

 魔王とはあらゆる点でスケール感が大きく、それ故に基本的には大袈裟で大雑把な生き物であり、彼らの取る問題の解決方法は大体にして雑で極端かつ身も蓋もないのだ。さらに攸夜の場合はそこに時として鷹揚で大らかな気質が加わるため、さらに酷いことになったりもする。

 

「仕方ないだろ、俺の見立てではフェイトとヤツの相性は最悪だ。接触したら十中八九負けてただろうし、悪い“運命”に」

 

 腕を組み、憮然とした様子で攸夜が言う。

「ふぅん」その話に興味を持ったのか、ベルが仔細を問う。「それ、どんなヤツだったのよ?」

 

「高位の精神操作系魔導師で典型的なサイコパス」

「ああ、あんたが一番嫌いなタイプね」

「その癖、斬ったはったもできるキチガイでさ。ああいうのとはな、関わり合いにならないのが一番なんだよ」

 

 ちなみに攸夜は、問答無用、見敵必殺とばかりに不意打ちかつオーバーキルで対処した。“宝玉”の権能まで惜しげもなく駆使して。

 やはり、身も蓋もない。

 

「実際、内密の捜査だったってのに察知されて逆に狙われてたんだからな。一歩間違えば知らない間に頭ん中弄くられてたり、洗脳された市民を肉の壁に嬲り殺しにされるところだったんだぞ?」

 

 依然、憮然とした態度を崩さない攸夜は「あとで、魂魄に干渉して精神耐性(ロック)をかけてやらなきゃならないか」などとかなり不穏なことまで口にしている。理不尽の権化であるくせに、身内のこととなると途端に過保護になる男である。

 ベルは、「そんなに心配なら、さっさと〈落とし子〉にでもしたらいいのに」と思ったが口には出さない。彼女の面倒見はいいが、お節介ではないのだ。

 

「ちなみにその凶悪犯とやら、どうなったの?」

「うん? いつも通り“特別施設”にぶち込んだけどなにか? 犯罪者のプラーナ美味しいです」

「あんたの悪知恵には、さすがのあたしも脱帽よ」

 

 悪名高い“蠅の女王”が呆れ混じりに感嘆した。

 善くも悪くも世界に影響を与える凶悪犯という人種は、大変迷惑なことながら“プラーナ”保有量が一般市民に比べて多かったりする。さらに、魔導資質が高ければ高いほどその傾向は強まるため、管理局によって逮捕された次元犯罪者は拘留された無人世界にて、エミュレイターに“プラーナ”を搾取されるだけの存在に成り果てている。一部は“アモルファス”に肉体を乗っ取られて自我を失い、残りは死んだ方がマシなくらい過酷で悲惨な目に遭っているわけだ。

 攸夜に言わせれば「悪に人権はない」のであり、自分の“庭”たるこの次元宇宙に蔓延る()()に罰を与えて駆除したにすぎない。

 なお、彼は第八世界(ファー・ジ・アース)でも同様の手口で“プラーナ”を地味に稼いでおり、やっていることは他の侵魔(エミュレイター)と大差ないが結果的には人界の平和に繋がっているため、ウィザードたちはもちろん、国家権力や守護者勢力すらも強く妨害できないでいる。他にもいろいろと謀略を巡らしているが、そのどれもが人間社会の構造を逆手に取ったものであり、そのためにウィザードたちから嫌われているのた。

 “裏界皇子”アル=シャイマールは、正しく裏界魔王なのである。

 もっとも――

 

「ううぅ~、フェイトぉ~」

 

 今の情けない姿を見ると、とてもそうとは思えないが。

 グテッとソファテーブルに突っ伏す攸夜には、まるで普段の覇気がない。さながら嫁が実家へ帰ってしまい、飲んだくれるダメ亭主のようだ。

 鬱陶しいなぁとは思いつつ、やはり面倒見のいいベルは彼女なりに叱咤してみる。

 

「バカねぇ。そんなにヘコむくらいだったら、最初からやらなきゃよかったじゃないのよ。アレ、こっちの人間にしてはそこそこデキるんだしさ」

 

 叱咤というより、駄目押しだったが。

 

「……そう言うがな、お前だってアゼルが目の前で危害を加えられそうだったら未然に、全力で防ぐだろう?」

「む。まあ……わからないでもないわね。あたしも、同じ立場ならそうするわ」

 

 どこか放っておけない灰色の少女を脳裏に浮かべ、ベルは攸夜の意見に理解を示した。

 ここでそのことを追求すると「べ、べつにアゼルのことが心配なワケじゃないんだからねっ!?」などとツンデレるわけだが、盛大に気落ちている攸夜はイジる気にもならず、再びソファテーブルに突っ伏した。

 二人の間に流れるどこかアンニュイな雰囲気。

 とそこに、突然ドアが開き、特徴的な金色の(しっぽ)を振り乱した少女が部屋に乱入した。

 

「フェイト……?」

「……っ」

 

 少女――フェイトは、どこか不安定な様子で入り口あたりに立ち竦んでいた。

 普段ならベルと出会すと敵意を剥き出しにするのだが、今は視界に入っていない様子だ。

 

「ぁ、あの……、その――」

 

 もごもご口を動かし、小動物的にぷるぷる震えるフェイト。青白い顔色、ひどく不安げな雰囲気――精神的に不安定になっていることは明らかだ。

 

「ご、めん……、ごめんね。だ、大きらいなんて言って……、き、きらいに、ならないで……」

 

 ぽつぽつと、言葉を詰まらせながらフェイトは必死に懇願する。普段以上に幼い口調で、ようやく意味を成した言葉も途切れ途切れで要領を得ない。

 こういう部分は、出会った頃とまるで変わりがない。いや、むしろ攸夜の前だからこそ普段は上手く押し隠した本質的な部分が露わになるのだろう。

 大切な人に嫌われたくない、独り残されたくない、見捨てられたくない――トラウマを抱えるガラスの心。そんなネガティブで自虐的な体質の彼女のこと、姿を消してからずっと独りでウジウジ内省していたことは想像に難くない。そのあたりを重々承知している攸夜はすぐさま立ち上がり、風のように素早く、速やかに彼女を確保した。完全に、魔王的なスペックの無駄遣いである。

 当然、抱き寄せられたフェイトは驚いてびくりと肩を揺らす。が、攸夜はそんなこと関係ないように彼女を強く抱きしめた。

 

「俺の方こそ悪かった。君が心配だったんだ」

「! わ、私のこときらいにならないの……?」

「そんなわけないじゃないか。俺はフェイトが一番大好きなんだ」

「うん、うんっ……! 私も、ユーヤが一番大好きだよ」

 

「なにこの茶番」

 

 いつの間にか仲直りを通り越してイチャつきだした二人に、ベルがしらーっと白けた視線を送る。

 というか、謝っているようで結局のところ自分の行為の非は認めていないあたり、我が強いどころではないだろう。さすがは腐っても魔王の端くれである。

 

「フェイト……」「ユーヤ……」

 

「あーあー、イチャイチャしやがって鬱陶しい。……あたし、もう帰っていい? てか帰るから。――ちょっとはこっちに反応しろ、このバカップルっ!」

 

 完全に無視されたベルは、とうとう地団太踏みながら悪態を吐いたのだった。

 

 ちなみにベル、後にこの日の出来事をリオンとパーソナリティをやっているアングラなラジオで盛大に愚痴っていた。

 もっとも、これは特に意味のない余談である。

 

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