魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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#16

 

 

 

 首都まで電車で30分。クラナガンへのアクセスに便利な地点にあるありふれた岩山に穿たれた洞穴の深奥。白衣を羽織った男と、濃紺のビジネススーツを着こなした青年が向かい合っている。

 スーツ姿の青年はもちろん、“裏界皇子”こと宝條攸夜。堂々と腕を組んだ立ち姿は傲岸不遜、まるで彫刻か絵画のようだ。

 

「やあ、シャイマール。相変わらず君は突然現れるね」

 

 この、どこかフランクなトーンで話しかける白衣の男の名はジェイル・スカリエッティ。そしてここは、第一級次元犯罪者だった彼の収容施設――とは名ばかりの研究所だった。

 次元世界に悪名を轟かせたその悪魔的な頭脳を買われ、「時空管理局へ全面的に協力する代わりに、好きなことを好きなだけ研究させてやる」という司法取引の条件を飲んだ彼は、数年前から密かに様々な分野の研究を続けている。

 飼い主が“裏”から“表”に変わっただけのくだらない茶番劇だが、スカリエッティは現状にある程度満足していた。何せ、ある程度研究の方向性を束縛される代わりに、主八界由来のテクノロジーを直に触れるのだ。そんな絶好の機会をこの稀代のマッドサイエンティストが逃すはずもない。

 主な研究成果は、“箒”の運用思想を本格的にデバイスへ流用した第六世代デバイスなどなど。()()ではなく()()な辺り、さすがの奇才も世界の神秘に端を発した“魔法”の全容を理解するには未だ時間が必要らしかった。

 なお、彼自らが設計したスバルたちの新型デバイスのデビュー戦については、概ね満足している。

 

「神出鬼没が俺の信条でね。ところでなんだ、さっきのセリフは?」

「何、ここで言わねばならない気がしたのだよ。特にこれといった意味はない。……まあ、私の芸風というかお約束だね」

「身も蓋もないことを言うなよ」

 

 予想外の返答に呆れ、攸夜は広間の中心へとてくてくと歩を進めた。

 確かにプロジェクトFの成果物や戦闘機人のプロトタイプに興味がなかったわけでもないが、今更そんな「枯れた技術」にかかずらっているほどスカリエッティは暇ではないのだ。研究三昧的な意味で。

 故に、現在連絡がつかず行方知れずになっている彼の“作品”――二人の被験者についても、興味を失い記憶にも残っていなかった。

 

「しかし意外だね。君のことだ、冗談でも()()()()()()を言えば、殺気の一つも浴びせてくると思ったのだが」

 

 自らの助手も務める戦闘機人、ウーノが用意した円卓に着き、スカリエッティは少し拍子抜けした様子で肩をすくめた。

 現状、ほぼ無敵に近い攸夜の唯一とも言える弱点が「フェイト・T・ハラオウン」であることは、事情について知る人間の間では割と有名なことだ。その弱みを突いてイニシアチブを握ろうと画策し、逆に身を破滅させた俗物がごまんと存在することも。

「別に」短く前置きして、用意された椅子に悠然とした所作で腰をつける攸夜。幾度となくここに訪れているからだろう、悠然と足を組んだ姿はまるで遠慮というものを知らない。

 

「アンタの好きにしたらいいさ。……生きたまま、脳髄を引きずり出されてホルマリン漬けになりたければ、の話だけど」

 

 ゾクッ――

 感情の籠もらない声色に戦慄が背筋を駆け抜け、ウーノはティーセットを用意する体勢のまま凍りつく。

 最初期型とはいえ戦闘機人であり、全身くまなく調整を受けているはずの肌がぞわりと粟立つ。彼女の脳裏には、スカリエッティを捕縛すべく来襲した魔王との戦いが――否、惨劇の場面がフラッシュバックのように再生されていた。

 重圧の闇に飲まれ、ひしゃげたガラクタの山。破滅の光が全てを壊し尽くす。

 理不尽としか言いようのない力の顕現に手も足も出ず、ウーノと妹たちはなす術なく蹂躙された。

 特に四番の妹など、身内以外を見下す性格が災いして、傲り高ぶる精神を徹底的に破壊されて今も会う度に恐れ慄いているという。

 後に知ったことだが、この青年は「利用されること、支配されることが嫌い」らしい。ついでに「自分が世界の中心だと身の程知らずにも勘違いして、思い上がった雑魚はもっと嫌い」だとも。

 なるほど、たしかに四番の妹とは相性が最悪だとウーノは納得すると同時に、見せしめにされた妹が不憫だった。

 十数年の歳月をかけ、入念に準備していた“計画”の最後は呆気ないものだったが、実行せずに済んだのはむしろ幸だったのだろう。管理局の魔導師相手ならまだしも、こんなバケモノと敵対するなど正気の沙汰ではない。少なくとも、現世にある尋常な手段での打倒は不可能に近いのだから。

 

 気まぐれな機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)の所業は、因果応報――今まで数多の命をいたずらに弄んだ狂信者たちへの報いだったのかもしれない。

 

「興味深い、管理局のフィクサーらしくない表現だね。ここは始末するとでも言うべき所ではないのかい?」

 

 面白がるような声色でスカリエッティが問うと、攸夜の眉が左側だけくいと上がる。

 

「死と滅びは万物全ての終着点、分け隔てなく持ちうるただ一つの安らぎだぞ? 何故それを罰として与えてなきゃならない」

 

 こんな常識も知らないのか。そんなニュアンスを含めて攸夜は鼻を鳴らした。

 定命がなく、基本的に不変にして不滅である古代神にとって、生命とは所詮はその程度のものだ。愛玩動物のように愛でるならともかく、命の重みだなどという普遍的な概念すら持ち得ない。むしろ「最上位者自ら刈り取ってやることが、愚かな泥人形に相応しい最大級の慈悲である」と彼らは考える。

 

「永遠に近い間、責苦を受け続ける方がよっぽど罰になると思うけど」

 

 そして、それは攸夜も変わりなかった。

 ヒトであろうと振る舞っていても、今の彼の根底にあるのは“破壊神”の記憶と知識。それらが彼に歪んだ生死観を与えているのだ。

 古来よりヒトは、絶対的な“死の恐怖”から逃れようと様々な方法を模索してきた。

 不老長寿、その試みが成就した試しは神話の時代に逸話が残るのみ。ほとんどが例外なく夢破れ、終焉の滅びを享受して無の彼方へと還っていった。

 しかし仮に、その夢を叶えたとして。死を免れ、不滅の永遠を手に入れたとして、ヒトは果たして幸せになれるのだろうか?

 答えは否だ。

 精神とは、時間とともに磨耗し、腐っていくものなのだから。

 

「アンタだって、自由を奪われて延々とただ闇雲に生きるのは嫌だろう?」

「ふむ……、それは確かに退屈そうだ。遠慮したいところだ」

「アンタにしては賢明だな」

 

 物騒極まりない事柄をまるで夕食の献立のように語り合う二人。狂人と人外、常人とはかけ離れた精神構造を持つ彼らは常人には理解し難い理由で納得しあった。

 ――まあ、唯一の観客であるウーノは、人外の存在を相手にしても泰然として揺るぎない生みの親に、尊敬と畏敬の念を深めていたのだが。

 

「時に、シャイマール。いい加減お父さんとは言ってくれないのかな?」

「誰が。プレシアならともかく、アンタを親と呼ぶ道理がどこにあるか、気色悪い」

「道理ならあるじゃないか。プロジェクトFの根幹理論を創り出したは私だ。つまり、その産物たる“彼女”は私の娘という事になるのだよ」

「……それ、本人の前では絶対に言うなよ。ザンバーでホームランされるぞ、確実に」

 

 など、会合の度に毎回微妙に内容を変えて行われる押し問答をBGMに、ウーノは準備した紅茶をティーカップに粛々と注いでいく。

 ありがとう、と声をかけた攸夜は姉とメイドに躾られて身につけた優雅な所作で、カップを手に取る。

 立ち上る湯気に含まれた芳しい香りを感じようと鼻先を近づけ、

 

「む……、この紅茶――」

 

 紅茶には少々うるさい攸夜の鋭い嗅覚がその香りに違和感の捉えた。

 白いカップの中一杯に満ちた紅の液体はどこかくすんで見える。攸夜が胡乱げに口を開く。

 

「いったい何杯目だ?」

 

 主語の抜けた問いは果たして、意味を通じた。

 

「はぁ……やはりおわかりになりますか」ティー・パックの入ったポットに視線をやり、ウーノが申し訳なさそうに答える。「これは来客用なので二回目です。普段は使用後に乾かして、十回くらい使ってるんですけれど」

 

「苦労、してるんだな……」

「ええ……、月末は特に辛くて。妹たちには迷惑ばかりかけて、情けない限りです」

 

 頬に手を当てて日々の倹約への疲れを垣間見せるウーノの様子に、攸夜は趣味に散財放題の旦那を支える健気な嫁の姿を幻視した。その旦那は、うっすーい紅茶をさも美味そうに飲んでいる。

 この研究施設の奥、プライベートスペースには洗濯用のロープが張り巡らされており、使い古したティー・パックがたくさん干されていた。それ以外にも有象無象の涙ぐましい努力によって、生活力皆無なスカリエッティは脳天気にも研究を続けられるのである。

 

「そうか……」

 

 生まれてこの方金に困った経験のない、というかぶっちゃけいいとこのボンボンな攸夜だが、あちこち放浪していた頃にはひもじい思いをしたことがあったので、彼女の境遇にわずかな同情を感じた。

 迷いに迷って、雑草やらよくわからない生き物を食らって飢えを凌いだ記憶は惨めだった。あまりに惨めすぎて、意気地が折れそうになったことも少なくない。その度、最愛の女の子の笑顔を思い浮かべては「なにくそ!」と奮起し、これも強くなるための試練だとポジティブに捉えたわけだが……まあ、これは余談である。

 今度、安くておいしい節約メニューをまとめたノートをお土産に持って来よう。攸夜は苦笑いを浮かべてそう決心した。

 

「ところで君は、何をしに来たのかい? とりあえず世間話ではなさそうだが」

「おっと、そうだった」

 

 今更な指摘にはたと目的を思い出した攸夜は、月衣から何か大きな物を引きずり出す。

 ずん、と床に立てられたそれは二メートルほどの真っ黒な長方形の匣。まるで棺桶のようで不気味な威圧感を放っている。

 

「アンタに依頼されていた“ホムンクルス”、その現物だ」

 

 座ったまま、隣に聳え立つ匣をトンと軽く叩く攸夜。スカリエッティは、椅子から中腰になり、ぱあっと新しい玩具を買い与えられた子どものように瞳を輝かせた。

 さんざ待ち焦がれていたサンプルが目の前にあるのだ、無理もない。

 

「元々はさる傭兵派遣企業の()()だったんだが、倫理思考に重大な欠陥があったらしくてね。味方や一般市民まで見境なく惨殺するシリアルキラーに成り下がり、見かねて処分されたものを譲り受けた」

「ということは、これは死体かい?」

「勿論。生きたままこちらに持ち込むのは手間がかかって面倒だし、第一疲れる」

「ふむ、そうか。ありがたく使わせてもらうよ」

 

 特にも異論を挟まず、素直に納得する肩透かしな反応に攸夜がきょとんと呆気にとられる。

 何かね? とスカリエッティが不審な目を向けた。

 

「いや、てっきりアンタのことだから生きた現物が欲しいとか無茶を抜かすのかと」

「心外だね。解答を見て“正解”に辿り着くつもりはないのだよ、私は。学問というのは試行錯誤と思考実験の繰り返しで進めていくものだ。世界の真理を解き明かすのに、近道などありはしない」

「むぅ……」

 

 らしくない正論に攸夜が思わず唸る。スカリエッティなんかに言い負かされて悔しい、と子どもじみた感情が浮かぶ。

 

「まあ、いいか。それからコイツは土産だ」

 

 くだらない感情を切り捨てた攸夜は、月衣からジュラルミン製のアタッシュケースが現出させる。

 ばちん、と留め具が外され開かれたケースの中には、黒い緩衝材に包まれた拳大の宝石が収められていた。

 

「“第七世代”用のエネルギーコアとして使えるか、検査して欲しい。好きに弄ってもいいが壊してくれるなよ? 用意するには苦労するんだ」

「ほう……」

 

 七色の不思議な赫耀を放つ六面体の宝石から強大な波動が広間に響き渡り、スカリエッティが感嘆のため息がもらしている。

 かなりのものだと自負している彼の観察眼が、これだけのパワーを秘めたこの魔宝石が未だ眠っている状態だと看破した。

 

「これは一体?」

 

 ふ、と広角をわずかに釣り上げ攸夜が薄く笑う。

 

「“天使の種”、さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♯16 「夜の王子さま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 特にアクシデントもなく、無事に初任務を終えた四人の教導メニューは個人レッスンへとランクアップした。

 それぞれのスキルに合った講師と、一対一でのトレーニング。内容はもちろん、教導官であるなのはが一生懸命考え抜いたもの。みんなのことをつぶさに観察して、何日も前からうんうん唸って必死に練っていたメニューはきっと効果バツグンなはずだ。

 

 そんな5月末の、とある日のこと。

 

「……」

 

 今日も青空の下、空間シミュレータで再現した森林を使った個人訓練。才能の原石を懸命に磨いて、光り輝く宝石とするために。

 ふと仰ぎ見た空は突き抜けるように蒼く、澄み渡るみたいに晴れ晴れとしていて。

 まるで“彼”の瞳の色みたいだと思うと、私の心はとたんに浮かび上がった。

 そわそわ、じりじり。

 自分でも、落ち着きがなくてみっともないと思う。でも、どうにも感情が自制ができなくて。もう表情はゆるゆるのゆるゆるで。

 もうすぐ――、もうすぐ、あとほんのちょっとで、私の大好きなあのひとに逢えるんだと思ったら、いてもたってもいられない。

 “彼”に逢ったらなにをしよう? どんなお話をしよう? ――今日はそればかりを考えてしまう。焦がれてしまう。

 まず最初にぎゅーっと抱きついて、次にいっぱいおしゃべりをして……それから、それから――

 

 ――フェイトさん!」

 

「わひゃあっ!? ……と、エリオ、なに? 急に大声だしたら驚いちゃうよ」

 

 足下で私を見上げる男の子を軽くとがめる。めっ、だよ?

「すみません……」しゅんとするエリオは、どこか戸惑ったように二の句を告げた。

 

「でも、課題が終わったのにいくら呼んでも気づいてくれないので……」

 

 しまった。めっ、なのは私の方だ。

 はぁ……私、なにやってるんだろ。

 

「そっか、そうだったよね。ごめんね。えと……、どこまでやったっけ?」

「基本動作の高速化です、フェイトさん」

「エリオ、ごめん。悪いけど、もう一度やってみせてくれるかな」

 

 私の身勝手なお願いにも、嫌な顔をせず「ハイ!」と元気よく返事して、エリオがソニックムーブの機動に入った。

 ……うん、たしかに注意をちゃんと聞いて、動作の入りと終わりを意識するようになってる。キレもわずかだけどよくなってるし。

 評価はバッチリだと告げると、エリオはうれしそうにはにかんで頬を薄く染めた。

 あ、個人レッスンの教官についてだけど。エリオには同じ電撃変換資質持ちで、タイプもほとんど同じの私が。スバルにヴィータ、ティアナにはなのはが面倒を見ている。

 そして、キャロには――

 

「あらあら、訓練中に監督官がぼんやりしてはいけませんよ、フェイト隊長。たしかにいいお天気で、眠たくなるのもわかりますけど」

 

 森の奥からやってきた物腰の柔らかな、長い紫色の髪の女性にやんわりとたしなめられて、私は自分のダメさ加減に恥入りたくなった。

 想像にかまけて監督を忘れるなんて教官失格だ。穴があったら入りたい……。

 

「すみません、メガーヌさん……」

「私に謝っても仕方ないでしょう。次からはこういうことがないよう、気をつけてくださいね?」

「はい、そうですよね。エリオも、ほんとごめんね」

「いえ、僕は別に……」

 

 私をやさしく注意した彼女の名前はメガーヌ・アルピーノさん。シグナム率いる別働隊“シーカーズ”のメンバーで、階級は二等陸尉。みんなの頼れるお母さん的存在、かな?

 彼女はつい最近管理局に復帰した古参の局員で、「個人的な事情」から機動六課に飛び入りで参加した。それまでは、管理局傘下の養生施設で戦傷の後遺症のリハビリをしていたと聞いている。

 ……公式の記録では、数年前に起きたいわゆる“戦闘機人事件”でMIA――要するに生死不明になっていたはずなんだけど、そのあたりの経緯はよくわからない。本人いわく「機密に抵触するから禁則事項よ」とのこと。なんとなく察しはつくけど、深く詮索しない方がよさそうだ。

 

「えと、メガーヌさん。キャロはどうですか?」

「とっても優秀な子ね。教えたことをスポンジみたいに吸収してくれて、教えるこちらが楽しくなるくらい」

 

 ニコニコするメガーヌさんの視線の先を追うと、背後にフール=ムールをつけたキャロが大量の剣――錬鉄召喚の一種、〈アルケミックソード〉だ――を頭上に召喚して、速射砲みたいに地面に撃ち込んでいた。

 ズガガガガッ!と土がものすごい勢いで耕されていく。

 あの魔法、対人戦には明らかにオーバーキルだよね。

 これはおそらく、膨大な魔力を消費する魔王の召喚を維持しながら、ほかの魔法を同時に行使するための訓練なのだろう。いくらマルチタスクがあるっていっても、複雑な術式を並列的にコントロールするのはかなりの負担なはず。……メガーヌさん、やさしそうに見えてけっこうスパルタかも?

 

 そうこうしているうち、キャロは召喚をやめてこっちに近寄ってきた。疲れてるのかな、フラフラしててなんだかかわいい。

 

「せんせー、課題の100ダース、召喚し終えましたー」

「はい、よくできました。じゃあちょっと休憩にしましょう」

 

 屈んでキャロのくせっ髪を軽くなでるメガーヌさん。その表情はとても柔らかでひどく穏やかだ。

 はーい、と返事をしたキャロは背後でふわふわ浮かぶ人影に振り返る。

 

「フールさん、あっちでお話しよー? 占いの続き、聞かせてください」

「……懲りぬな、小さきものよ。我は子守ではないと何度言えば――」

「いいからいいから~」

 

 ついーっと滑空してきたフリードをうまくキャッチしたキャロは、無邪気に頬をほころばせた。

 召喚、というのはそれなりにレアなスキルだ。当然、教えられる人材も総じて少なくて、私たちじゃ大したことをしてあげられない。その点、実戦経験も豊富な一流の召喚魔導師であるメガーヌさんはキャロの先生役にピッタリ。

 キャロからも「せんせー」と慕われていて、エリオのこともなにくれとなく気にかけてくれてるみたい。スバルのお母さんとは同僚だったそうで、二人で話してるのをよく見かけるし、ティアナに女性局員の先輩としていろいろアドバイスしてるのも知ってる。

 ――“オトナの包容力”というのだろうか、私にはない不思議な魅力にちょっぴりジェラシーを感じてるのはヒミツだ。

 

 閑話休題。

 そんなわけで、彼女の加入は部隊の運用面でも確実にプラスになってると思う。年長者がいる安心感は、なにものにも代え難いんじゃないだろうか。

 ちなみにメガーヌさんも“侵魔召喚”の使い手だ。こちらはキャロほどじゃないそうだけど。

 

「……エリオ、私たちもひと休みしようか」

「あ、はい」

 

 ただひとつ、不思議なことがある。

 彼女のキャロを見つめる横顔が、どこか憂いを帯びていて。遠くの誰かを重ねているような……、そんな気がするのはどうしてだろう、と。

 

 

 木陰に座って小休止。

 ぼかぽかした、うららかな日差しに身を任せていると冗談抜きで眠たくなる。

 そんなのどかな時間を切り裂くように、遠くの方から怒号のような大声が飛び込んできた。

 

「――ああもうっ、ほらまたっ!!」

 

 ……うん? これ、なのはの声だ。ずいぶんエキサイトしているみたいだけど……。

 

「動くなら動く、止まるなら止まる! どっちかハッキリしなきゃダメだって何度も言ってるでしょ!? もっと視野を広く保って!!」

「は、はい……」

 

 うわー……。ティアナ、かなり参ってるみたいだ。

 

「そんな中途半端な動き、実戦では通用しないよ? もう一度最初から、できるよね」

「――ッ、やれます!!」

「よし。それじゃあ、いっくよーっ!」

 

 若干やけっぱちなティアナの返答からすぐ、再び乾いた銃声がせわしなく鳴り始めた。

 砲撃魔法を封印して以来、コントロールのキレが増した感のあるなのはの誘導弾が一斉に襲いかかっているのだろう。性質の異なるそれらを的確に撃ち落とすのが、ティアナの訓練メニュー、シュートイベレーションなんだけど……。

 

「……なのはさん、いつにも増してスパルタですね……」

 

 声と音だけでヒシヒシと伝わる訓練の苛烈さに、私の近くに座って休んでいたエリオはちょっと退いている。

 まあ、気持ちはわかるよ、うん。

 

「それは違うよ、エリオ君」

「え、キャロ?」

 

 不意に発せられた否定の言葉に、エリオが戸惑いを含んだ声を上げる。

 そういえば、エリオはいつの間にかキャロのことを呼び捨てするようになっていた。この前の任務を通じて打ち解けたのかな、仲良しなのはいいことだ。

 

「スパルタっていうのはね、ジャングルで20時間耐久鬼ごっこをしたり、200メートルくらいの崖を魔法なしで這い上がったり、砂漠のまん中に一週間置き去りにされたり、零下10度以下の極寒をバリアジャケットだけで耐え抜いたりすることをいうんだよ?」

 

「「「…………」」」

 

 虚ろ瞳でキャロが一息に言う。その非常識な内容に、私たちは揃って絶句した。

 さすがのメガーヌさんも笑顔をひきつらせているし。ていうか私、そんなことになってたなんて聞いてないよっ!?

 

「うふふ、あれはつらかったなー、ほんとうに。あははは……」

 

 殺伐すぎるサバイバルの苦難を感じさせる乾いた笑い。

 ちいさい女の子になんてことさせてるんだろう……。“元凶”には、あとでキッチリ()()()()しないとダメだと、私は決心した。

 

 

   *  *  *

 

 

「ティア、だいじょうぶ?」

「うう……大丈夫じゃないかも……」

 

 空が茜色に染まった頃。

 帰路に着く集団の最後尾、ぐったりした様子のティアナとそれを支えるスバルが、情けない感じの会話を交わしている。

 スタミナ自慢のスバルと教官役が緩いエリオ、基礎がほぼ完成している感のあるキャロは特に疲れた様子を見せていない。

 才能豊かな同僚たちと比べて、自分はなんて無様なんだろう。ティアナはそんな思いに駆られて、歯軋りが漏れ出すほど強く歯噛みした。

 

「ティア?」

 

 純粋に親友が心配で、スバルは俯き加減な顔を横からのぞき込んだ。前髪が影になって、表情を窺うことはできない。

 

「だらしねぇなぁ。んなことでヘバってるようじゃ先が思いやられるぞ」

 

 後ろ歩きで、二人に呆れ混じり視線を送るヴィータが嘆息する。もっともらしい小言が耳に痛くて、ティアナは身を縮ませた。

 

「どうどう、ヴィータちゃん。ティアナだってガンバって訓練してるんだから」

「……でもよぉ、なのは」

「訓練なら、いくらひどい失敗したって取り返しのつかないことにはならないんだし。いいじゃない」

 

 幼い見た目に反してヴィータも結構厳しいが、今は笑顔で擁護を述べるティアナの教官は想像以上に容赦というものを知らない。

 

「……なのはが言うと説得力ビシビシあるよな、なんか」

「経験談だからね~」

 

 にゃはは、と彼女特有の言葉遣いで照れ笑うなのは。それが、自嘲を含んだ苦笑いだとスバルとティアナは気付かなかった。

 

「フェイトちゃんもそう思うでしょ?」

 

 笑顔を絶やさぬまま、なのはが親友に同意を求める。

 がしかし、一人先頭を行く金髪の親友は、ぽけーっと心ここにあらず。完全に眼中にない。

 

「……フェイトちゃん?」

 

 なのはが訝しむ。

 突如、ぴきーんと効果音を鳴らし、電気らしき何かが前髪のてっぺんに走るのをその場の全員が目撃してしまった。

 フェイトは途端にそわそわ落ちつきを失う。

 

「ははーん」

 

 長年の付き合いで事情を察したなのはが、チシャ猫のように目を細めた。

 

「先、行ってきたら? カレが来たんでしょ?」

「えっ、いいの!?」

「ちょ、それには食いつくんだ……。いいよ、残りのお仕事は私がやっといてあげるから」

 

 びっくり目を見開いたフェイトは、親友の配慮に感極まってなのはにガバッと抱きついた。

 

「なのは、大好きっ!」

「はいはい、わかったわかった」

 

 なのははスキンシップの激しい幼なじみの背中をポンポン撫でて、手慣れた様子であしらう。ややおざなりなのはきっと、色ぼけっぷりが鬱陶しいからだろう。

 じゃあねっ、と一言断りを入れたフェイトは隊舎の方角へ瞬く間に走り去った。後には、漫画のような砂煙だけが残る。

 

「……なにあれ」

「さ、さあ?」

 

 状況がサッパリのティアナとスバルは、顔を見合わせて一様に首を捻ったのだった。

 

 まあ、行けばわかるよ、というなのはの言葉に従い、一行はとりあえず帰路を急いだ。

 実際、度合いは違えど皆訓練でヘトヘトのハラペコだったから、きっと今夜の夕食もおいしいに違いない。

 道すがら、大体の経緯を知る三人のちびっ子たちの反応は三者三様それぞれ個性的だった。

 まず、一番付き合いの古いヴィータは興味がまったくないようで、今日の夕飯は何定食にしようかと思考の翼を伸ばしていた。

 次に“二人”と特に親しいキャロは、ワクワクを隠しきれない様子でメガーヌとお喋り。仲のいい様はまるで本物の親子のようだった。

 最後にエリオだが、どこか不機嫌な雰囲気を漂わせて若干ふてくされていた。彼にはおもしろくなかったのだろう、“恋敵”の登場が。

 

「あ、フェイトさんだ」

 

 斜陽差し掛かる隊舎の玄関前、約100メートルほど離れた辺りに件の人物の姿を認めたスバルがのんきな声を上げる。

 彼女はまるで、主人の帰りを玄関先で待つ忠犬のように佇んで、じーっと埋め立て地と本土を繋ぐ長い橋の方を見つめて微動だにしない。

「フェイトちゃんかわいい」その一途で熱心な様子になのはが、ほのぼのしつつぼそりと感想を漏らした。

 

「フェイトさん、なにしてるんだろ?」

「誰かを待ってるんじゃない?」

「うん、ティアナの言うとおりだよ。まあ、お目当ての人はまだ来てないみたいだけど」

「ますます感度に磨きがかかっとるみたいやねぇ、フェイトちゃんレーダーは」

「そうだねぇ……、小学校のころはあんなじゃなかったのに。――って、はやてちゃん!? どうし――ムグッ」

 

 ごく自然な流れで会話に混ざっていた六課の一番偉い人に、一時場が騒然となる。叫びかけたなのはの口はヴィータが押さえた。

 慌てて敬礼しようとした若い部下たちを手で制し、はやては「おーす」と軽快に挨拶する。頭の上に乗っけたリインフォースⅡも「おーす、ですぅ」と暢気に続く。

 

「部隊長はどうしてここに?」

「はやてお前、こんなところで油売ってていいのかよ。またマジメコンビに小言言われるんじゃねーの?」

「なにかて、そらザフィーラの散歩や。グリフィス君とつきのんには断ったし問題ないやろ」

 

 声を潜めたティアナとヴィータの指摘に、はやては流れるように受け答える。彼女の足下で、黙して静かに伏せているザフィーラが片目だけを器用に開いた。

 

「お散歩をコージツに逃げ隠れしてるだけですけどね~」

「エルフィ、余計なことは言わんでよろし。……そんでな、隊舎のまわりをぐるーっと散歩しとったんよ。んでな、ちょうど戻ってきたら――」

「フェイトちゃんに出くわした、と」

「せやねん。目の色変えて疾走してくるんやもん、もうはやてさん何事かてビックリ仰天や」

 

 ヒソヒソとお互いのことを確認し合っていたそのとき、状況が動きを見せる。

 遠方から、透き通るような独特のエキゾースト音が響く。

 やって来たのはメタリックブルーの大型オートバイ。ネイビーブルーのスーツに、フルフェイスのヘルメットを着用した人物をシートに乗せ、六課の敷地に乗り入れた。

 ライセンスを持ち、プライベートでツーリングをしたりもするティアナは、それが近頃地上部隊の陸戦魔導師から憧れの的となっているバイク型“箒”〈オラシオン〉の一種であることを見抜く。ぶっちゃけ、前から一度乗ってみたいと思っていたので、密かに管理局の広報誌やアングラなミリタリー雑誌でチェックしていたのだ。

 バイクは悠然と速度を落とし、フェイトの目の前にぴたりと停車、横付けする。

 

「……っ……」

 

 ササッと物陰に隠れた一同が嬉々交々、固唾を飲んで見守る中、鋼の騎馬を駆る人物が颯爽と降り立った。

 狭苦しいヘルメットから解放された馬の(たてがみ)の如き漆黒の癖毛が、潮を含んだ海風に流れる。フェイトとの身長差からして180センチは越えているだろうか、スラリとした印象の美丈夫だった。

 

「わぁ……」「へぇ……」

 

 なぜかうっとりとしてため息を零した教え子たちを横目で見やり、シチュエーション補正がかかってるなぁ、などとなのはは他人事のように思った。

 まあ確かに、よく見知った自分の目から見てもあの幼なじみはなかなかのモノだが、自分の好みのタイプはもっと別の……こう、理知的で穏やかで自然体なのだ。眼鏡が似合うかわいい感じの。

 そう、例えるなら某司書長とか――

 

「――~~っっ!!!!!」

 

 ブンブンブンッ!!

 サイドポニーがはちきれんばかりに頭を振り回し、妄想を打ち消す。ばちんばちんと髪の毛が顔面を強打し、なのはは悶絶した。

 

「いたひ……」

「な、なのはさん?」

 

 突如として奇行に走り、いろいろな意味で真っ赤っかな顔を両手で押さえる上官に、スバルが胡乱げな目を向ける。

 にゃはは、となのはは苦し紛れに笑ってごまかした。

 夕陽の中、影法師を長く伸ばす二人の男女。軽くハグし、眼差しを絡め合う。

 

「わ、わわっ」「フェイトちゃん、いい具合にイっちゃってるね」「……ッ」「ちょ、こんなところでっ!?」「ししょー、楽しそう」「ベタベタベタベタしくさってからに。道路に落ちたガムかちゅう話や」「相っ変わらず暑苦しーヤツらだなぁ……」「まあ、はやてちゃんとヴィータちゃんにはムエンのセカイですけどね~――ぷぎゅ!?」「まあまあ。今時の子たちったらずいぶん大胆なのね」

 

 オレンジに染まった海面がキラキラと宝石のように輝き、彼らの浮き世離れした雰囲気と相まって神秘的な空間を形成していた。

 

「部隊長、あの人が……?」

 

 まさに映画のワンシーンのような光景に、不覚にも感じ入っていたティアナがはやてに問いかける。

 恥ずかしそうに頬を染めていたのはご愛嬌といったところか。

 

「せや。宝條攸夜、公称18歳。特技、家事全般。得意料理、オムライスと肉じゃがとカレー。趣味、旅行と模型いじり。賞罰特になし。私らの幼なじみで、フェイトちゃんの“ダーリン”やね」

 

 視線の先で、フェイトと親しげに語らう黒髪の青年を眺めながら、はやてがすらすらと簡単なプロフィールと口にする。

 他方、ひと月ぶりの恋人との逢瀬を楽しむ金色の乙女はまるで童女のように綺麗で無垢な笑顔を咲かせ、息を飲むほど美しく輝いていた。笑顔は女性にとって最高の化粧、とはまさにこのことで。

 なのはとはやては内心、ちょっと大げさじゃないかと思わなくもないが、「恋は盲目」を地でいくフェイトの“病気”はもはや毎度のことなので、無意味な疑問をさっさと放棄した。

 あの天下無敵の色ぼけカップルと友人をやるには、この程度で動揺していては無理なのである。

 

「攸夜君は、私をクビにできる権限を持っとるなかの一人でな。表向きは六課の協力者(オブザーバー)っちゅうことやけど、事実上の権利者(オーナー)にして黒幕(フィクサー)――、まあ、要するに上層部の代理人(エージェント)やね。ちなみに君らを選出してここに送り込んだんも彼なんや。みんな、よう覚えとき」

 

 あれでけっこーえらい人やから、敬わんとあかんよ~。敬意も何も込められていない声でテキトーなことをのたまい、はやての言葉は締めくくる。

 明かされた新事実に、四人――特に、自分の適性を常々疑っていたティアナ――は目を丸くして感心しきりだ。このとき、自分たちとたいして歳の変わらない青年の、あまりに高すぎる社会的地位を原因に若干名の胸中に複雑な思いが生まれたが、ここでは割愛する。

 何やら浮かない顔でいたなのはが、胸に浮かんだ疑問を素直に漏らした。

 

「……あれ? みんなを選んだのはマルドゥック機関とかっていう組織じゃないの?」

「ピュアやね、なのはちゃん。そら完璧に攸夜君に担がれとるわ。ま、元ネタ的な意味では正しいんやろけど」

「な、なんですとーっ!?」

 

 がびーん。なのはがオーバーなリアクションで奇声を上げる。

 四羽のひよこは自分たちの親鳥(きょうかん)が、何気にドジッ子で親しみやすい人だという認識を深めた。

 

「ところでなあ……、なんで私だけ()()()()()なんやろか」

「そりゃ人徳の差だな」「人徳の差ですぅ」「ワウッ」

「……アレ? なんや私、バカにされてる系?」

 

 八神一家の軽妙な漫才を横目に、一同はピーピングに勤しむ。

 なのはとスバルの師弟コンビはかなりノリノリで、ティアナも興味がない振りしてチラチラと。年少組二人は相変わらず対照的な雰囲気を漂わせ、しかし目を離すつもりはないようで。

 最年長のメガーヌが、一歩下がったところから苦笑混じりにその様子を見守っている。席を外さないのは、彼女も若者の恋愛事情に興味があったのだろう。

 

「あっ!」

 

 その声は誰が上げたのか。

 いつの間にか熱い抱擁を交わしていた二人がどちらからともなく、ごく自然な流れで。そうすることが当たり前のように、唇を重ねた。

 待ちに待った熱烈で濃厚なラブシーンの到来に、デバガメたちはにわかにヒートアップするかと思われたが――

 

「キャロさん、エリオくん。あなたたちにはちょっと刺激が強すぎるかしらね」

「「ええ~」」

 

「ティア~、なんで私まで?」

「う、うっさい! アンタみたいなお子様には早いのよっ」

 

 早々に目隠しされた三人が声を揃えて抗議するも、保護者たちは取り合わない。もっとも、赤面したティアナの言葉に説得力は皆無である。年頃の少女には少々刺激が強過ぎたようだ。

 なお、ちびっ子二名の視界は、メガーヌの魔法で召喚されたアルミのバケツが遮っていた。

 

「うっわ……いつものようにところかまわずだね、あの二人」

「ほんとにな。もうあっこまでちゅっちゅするんは公害レベルやと思うんやけど、どう?」

「だよね~、目の前であんなベタベタされるちょっとウザ――じゃなくて、ウンザリっていうか。……既成事実、さっさと作っちゃえばいいのに」

「本音が出とるでー。そういや、なのはちゃんは年内入籍に賭けとるんやったな」

「うん、いい加減いっしょになったらいいと思うんだよね、私は。はやてちゃんはどうだっけ?」

「うーん……攸夜君、あれで変に倫理観とかしっかりしとるやろ? フェイトちゃんの仕事のこと考えて、二の足踏んでしもてるんやないかなと思うんよ。せやから保留や。勝てへん戦いはせぇへん主義です」

「あー、それあるかも。フェイトちゃんもいまの関係に甘んじちゃってるしね~。けっこう奥手で恋愛ベタなんだよね、なにげに」

「……ソレ、なのはちゃんにだけは言われたないと思うわ」

 

 当人たちには聞こえないからと好き放題、言いたい放題の二人。サラッと問題発言絶好調のなのはだが、自分も某フェレットもどきとの仲を身内一同から生暖かく観察されていることを知らない。

「ほぇ? どうして?」などと自覚も皆無で首を傾げている辺り、始末に負えないが。

 

「あ、フェイトさんたち行っちゃいますよっ!」

 

 焦りを帯びたスバルの発言通り、連れ立って、建物内に消えていく二人。やはりと言うべきか当然と言うべきか、ピタリと寄り添って離れない。

 その際、ほんの一瞬だけ流し目に細められた蒼い瞳がざわつく野次馬たちを捉えた。

 お前らのことなど最初からお見通しだと言わんばかりの眼光、薄く口角を吊り上げて三日月の形にした口元。その様相を垣間見た者は誰もが例外なく、狡知に長けた悪魔のようだと表現するだろう。……まあ実際、悪魔の類だが。

 射竦められたなのはは、性悪でいじめっ子な親友の性質を思い浮かべ、額にタラリと冷や汗が浮かんだ。

 さもあらん。あれだけギャースカ騒げば嫌でも気がつく。

 

「そ、そろそろ帰ろっか」

「せ、せやね。もうええ時間やし、みんなも異論ないな?」

 

 同じ想像をしたのだろう、冷や汗をかいたはやてがそう言うと、ヴィータとメガーヌ以外が一斉にガクガクと首を何度も縦に振った。蒼い眼の、異様なプレッシャーに怖じ気づいたのだ。

 そそくさと退散する面々に、年長?二人がそれぞれ複雑な表現でため息を零した。

 

 この後、食堂のド真ん中で人目もはばからずいちゃつくバカップルの“げっこう”に巻き込まれ、独り身の職員が男女問わず軒並み撃沈し、家庭を持つ職員たちも深刻なホームシックにかかる被害が続出。一時、機動六課の全機能が麻痺する異常事態が起こったことを追記する。

 

 ――これが、「六課最強のおしどり夫婦」と渾名される二人の伝説の始まりだった……、のかもしれない。

 

 

   *  *  *

 

 

「んんっ……ぁふ――、おかえり、ユーヤ」

「ああ、ただいま」

 

 私と“彼”、ユーヤの唇は離れて、つーっと銀色の橋が渡る。

 ここは寮の一室、その入り口。堪えきれなくなった私は、人目がなくなってすぐユーヤに襲いかかったのだった。

 かれこれ、五分くらいはしてたかな。カラダの芯からとろけるような、濃厚で情熱的なオトナのキスに頭の中はまっ白で――

 

(はふぅ……、まだクラクラするよぅ……)

 

 隊舎の玄関前でユーヤを出迎えてそれから夕飯を食堂で食べたあと、私は彼と暮らす部屋――つまりここに案内した。一瞬、「女子寮に男の人を連れ込んでもいいのかな」って疑問が過ぎったけど、まあユーヤだし、マチガイなんて起きないんだから心配する必要もない。

 ともかく、つらいガマンの日々はもう終わり。たっぷりユーヤ分の補給もしたし、これからずーっと幸せにしてもらうんだもん!

 

 てててっ、と小さな白い影が私たちの足下に駆け寄ってくる。

 あ、せいろんだ。

 

「ただいま、せいろん」

「きゅう」

 

 私の挨拶に応じたあと、後ろ足で立ち上がったせいろんは、ビシッと左前足を頭に当ててユーヤを見上げた。そのポーズ、なんだか敬礼みたいだ。

 

「任務ご苦労。退っていいぞ」

「きゅー」

 

 ひと鳴きして、せいろんの白い姿がしゅんと欠き消えた。今の、もしかしなくても空間転移?

 ユーヤを見て、小首を傾げてみる。彼はすぐ、私の疑問をくみ取ってくれた。

 

「ん? あぁ、ナリは小さくても俺の()()であることには変わりはないからね。そこらの魔導師には負けないよ、アイツは」

「へぇ……? そうなんだ」

「そうとも。伊達に護衛じゃないってわけだ」

 

 ……よくわからないけど、実はせいろん、けっこう強かったのかもしれない。

 

「それはともかく――」

 

 気を取り直したように言い、しげしげと部屋の中を見回すユーヤ。どこか楽しげで、悪く言うとすごくイジワルだ。

 

「ん、部屋を綺麗にしてるじゃないか。ちゃんと一人暮らしができてたみたいだな」

「と、とーぜんだよ。お掃除だってお洗濯だって、私ひとりできるもんっ」

 

 わりと好感触な感想で、言葉とは裏腹にほっとする。実はこうなるんじゃないかと、あらかじめ昨日のうちに部屋中を片づけといたんだ。

 彼はなんだかんだできれい好きだし、なによりだらしのないところは見せたくない。家事関係で負けっぱなしじゃ、女の子としての沽券に関わる。せめて一矢くらいは報いないと。

 

「ははっ、そっか」

 

 わしゃわしゃと、ユーヤが私の髪を撫で回す。ちょっと乱暴な手つきが心地よくて目を細めた。

 

「……でも、もう二度とはしたくない、かな」

 

 そう言うと、頭上からはっとしたような気配が伝わってきて。

 私はそっと抱き寄せられた。大きくて頼りがいのある胸……。

 

「……ごめんな、寂しいを思いさせて」

 

 頭上から、静かな声が降りてくる。

 その声色に含まれた後悔の感情を感じ取って、胸の奥が熱くなった。

 ――ああ、同じ気持ちだったんだなぁ、って。

 

「うん……寂しかった。すごく寂しくて、不安だった……」

 

 彼と離ればなれになっていた間、私は身体の半分がなくなってしまったような――、絶望的な喪失感を感じた。

 ふとひとりになったとき、ひたひたと迫ってくる言い知れない恐怖……。

 

 ――私は臆病だ。

 

 失うのがこわい。

 見捨てられるのがこわい。

 ひとりぼっちになるのがこわい。

 ……母さんに捨てられて、否定されて。ユーヤとお別れしなきゃならなくなって。

 痛くて、辛くて。

 悲しくて、苦しくて。

 胸が張り裂けそうなくらい切なくて。

 ――……いま、こうして思い返すだけでも、涙があふれて止まらない。

 

「ぅぅ……」

 

 蘇った記憶が脳裏に浮かんで、ぶるりと震えた身体をぎゅーっと痛いくらいに抱きしめられた。

 顔を上げる。

 海のような、空のような、惑星(ほし)のような。とても深い色をした真っ蒼な眼差しが、私をまっすぐ見つめていた。

 

「ユーヤ……?」

「戯れでさ、「たまには距離を置いてみるのもいいかもな」なんて言ったりもしたけど……君と離れてみて思い知ったよ。やっぱり俺、フェイトがいないと駄目なんだな、って」

 

 私の頬をそっと撫でて、ユーヤは真摯な眼差しのままそう言った。

 そんなの、

 

「私だって、同じだよ……。だから約束して? もうどこにも行かないって」

「ああ、誓うよ。君がしわくちゃのおばあちゃんになっても、俺は君とずっと一緒だ」

「……うん」

 

 しわくちゃだなんてあんまりだけど、それはきっとユーヤなりのユーモアなんだと思う。

 いのちのぬくもりと、いのちの鼓動と。嗅ぎなれた彼のにおいが、私の欠けた部分に満ちていく。

 ……うん? におい? 

 

「あっ!」

 

 ばっ、と慌てて離れる。

「どうしたフェイト?」明らかにいぶかしむ様子のユーヤ。いますごくいい雰囲気だったんだもん、当然だ。

 でも私、言いにくいけど大事なことに気づいちゃったんだよ。

 

「えと、えっと、ね? ほら私、訓練してたでしょ? それでその……、臭くない? 汗いっぱいかいたから……」

 

 運動したあとなのに、シャワーすら浴びてないことをすっかり忘れてた。ユーヤと入るつもりで先送りにしたのは失敗だったかもしれない。ていうか私、運動着のままだし。

 ああでも、洗いっことかひさしぶりにしたいというかそれはむしろ恋人としての当然の権利なわけで。いやでもはしたないかないますぐ押し倒すという案もなきにしもあらず――

 

「んー……まあ確かに匂わなくもないか。でも嫌いじゃないぜ、こういうの。動物的で、そそるじゃないか」

 

 真顔でそんなことを言われて、顔がボッと火照った。……もう、えっちなんだから。

 しまらないなぁ……、お互い様だけど。

 

 

 彼の脱いだ背広を預かってハンガーにかけ、備えつけのクローゼットにしまう。ちなみにこのクローゼットには私の制服一式が二種類六着、今かけたものとまったく同じデザインの――有名なブランドのオーダーメイドで、けっこうお高い――スーツ一式が四着。それと、何着かの私服が納められている。

 ……それにしてもこういうの、すごく“おくさん”って感じがしてすごくイイ。こうしてお世話する機会なんてめったにないからだろうか、浮かれてしまう気分をうまくコントロールできないや。

 

「……」

 

 すぐとなり、ネクタイを指先だけで器用にほどいているユーヤを横目でじーっと窺ってみる。

 ……ああ、私の大好きひとはなんてすてきなんだろう。

 仕草のひとつひとつが洗練されてて、どれをとっても視線が惹きつけられてしまう。それなのに、みんな私のことを「見る目がマヌケ」だなんて失礼しちゃうよ。

 普段の生活の中でこんなにかっこいいんだもん、お仕事中とか戦いの最中の威風堂々とした雄々しさにも肯けると思う。もちろん、中身もとっても魅力的なんだけどね。

 ううー……、なんだかまたすりつきたくなってきちゃった。

 

「……フェイト」

「うん、なに?」

 

 ちょっと本格的に見惚れていたら、改まった感じで名前を呼ばれた。

 なんだろう……、思い詰めてる?

 

「君の家族――、プレシアとアリシアの墓のことについてなんだけど」

「ぁ……」

 

 ザリ――

 目の前が一瞬、紅く暗転した。

 

「ごめん。方々手を尽くして犯人を捜してるんだけど、手掛かりがほとんどなくて……、本当にごめん」

 

 真摯に謝るユーヤを見ていたらなぜだか胸がきゅんと切なくなって、動揺は収まる。

 えと……、そ、そう! フォローしなくっちゃ!

 

「あ、うん、いいんだ、わからないならわからないで。……その、こういうのは難しいってこと、よくわかってるつもりだから」

「……だけどあれはお前の家族が眠ってる場所だろう? だったら――」

「い、いいから! この話はこれでおしまい、ねっ?」

 

 無理やり話題を切り上げて、うやむやにする。ユーヤはまだ、どこか納得していないふうだった。

 

 ――“どうしてのお前だけが、欠陥品のお前だけがのうのうと生きている?”

 

 あの真っ紅な光景に――“母さん”たちに、そう責められているようで。あまり、考えたくない。

 ユーヤがここに、私のそばにいるのに――、イヤな予感だけが、降り積もっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 月夜の密林。

 夜行性の生き物たちがざわめく森の中、開けた広場のような一角でパチパチと音を立てて燃え立つ焚き火のオレンジが映える。

 不規則に揺れる灯りに照らされて、二つの影が浮き彫りとなっていた。

 ひとつは少女。未だ幼いという表現が相応の、小さく儚げな紫色の髪の女の子。ぼろ切れを毛布代わりに木陰にうずくまっている。

 ひとつは小人。ふわふわと浮かぶ、三十センチほどの焔を思わせる紅い女の子。まるで小悪魔のような黒い服を着ている。

 どちらも系統は違うが可憐なことには変わりなく、この暗く鬱蒼とした木々の直中にはあまりにも似つかわしくない。

 

「――――」

 

 切り倒した立木を枕に、地面に生えた雑草をベッドにして、少女は眠りについている。

 だが、その眠りは決して安らかなものではない。

 彼女は薄汚れた赤い布の切れ端を大事そうに――まるで縋るように抱きしめて、迫り来る悪夢にうなされていたのだ。

 

「――リュー……、ダメ……!」

 

 掠れ掠れに漏れ聞こえる譫言は、悲痛一色に染まり。堅く閉じられた瞼から、つ、と涙がこぼれ落ちる。

 止めどなく流れるこの悲しみを、晴らす術はあるのだろうか。

 

「ルールー……」

 

 彼女の枕元に浮遊して心配そうに様子を見つめる小人は、自らの無力さに打ちひしがれていた。

 自分がこの子の夢に入れたなら、一目散に駆けつけて助けてやれるのに。たとえ現実では無力だったとしても、夢の中でなら救うことができたかもしれないのに、と。

 

 ――それもこれも、あの紅い羽のヤツが来てからだ!

 

 それまでは、鬱陶しいヤツからの面倒な依頼があったくらいで、うまくやっていたのに。

 なのに“アイツ”を殺されて、この少女は笑わなくなってしまった。本当に、本当の意味で。

 

「……クッ」

 

 世の中の理不尽を、大声で喚き散らしたい気持ちが沸き上がり、彼女はグッと抑えた。

 自分たちはここ何年、当て所なく追手からの逃亡を続けているのだ。例え悪夢に囚われていたとしても、疲れて眠ったところを起こしてしまうわけにはいかない。気が短くても、その程度の分別はつく。

 唐突に、明々と燃え盛っていた炎の勢いが弱まる。森がシン、と静まり返り、生き物たちの気配が一斉に途切れた。

 闇が、その濃さを増した。

 

「ルーテシア、アギト」

「っ!!」

 

 背後、暗闇の中から溶け出すように現れたのは、漆黒に紅い縁取りの入ったローブを纏う不気味な怪人。

 フードを目深にかぶり、体格や性別もゆったりとした衣装でわかりづらいが、背丈からおよそ十代後半以降だと予測することできる。

 

「……ゼストは?」

 

 しかしその声はひどく透明で、心地よさを感じられるほどに美しいソプラノ。世界すべてに憎悪するような、強烈な悪意を孕んだ雰囲気には不釣り合いなものだった。

 

「ダンナなら、いまは留守だぜ。オマエ……なんの用だよ」

 

 まるで物語の魔女のような風体の侵入者に、小さな少女は敵意を隠すこともせずぶつける。生憎小さすぎて、犬歯を剥き出しで威嚇しても迫力は足りなかったが。

 ふぅん……。どうでもよさそうな反応の意味は、言葉の内容か、それとも敵意についてか。

 

「まあ、いいか。……“アンリ”からの伝言。――本格的に動くわ、準備してなさい」

「ッ! またオレたちをいいように使おうってのかよ!?」

「ふふ、そうよ。あぁ、はやくあの“失敗作”を八つ裂きにしたいなぁ、クス……たのしみ」

 

 “彼女”は、近く始まるであろう血生臭い宴を思い、サディスティックな危うさを露わにする。

 感情の高ぶりに呼応して漏れ出した瘴気が、静謐な森の空気を穢す。わずか瞬く間のことでしかなかったが、薄弱な生命や霊魂は混沌を源とする邪毒に当てられて潰えた。

 

「用件はそれだけ。……じゃ、おやすみ」

 

 最後に不可解な労りを零して、深紅の魔女は闇に溶ける。

 

「……なんなんだよ、いったい」

 

 月夜の密林は、元通りの静けさを取り戻していた。

 

 

   *  *  *

 

 

 しん、と静まりかえったほの暗い部屋。すえた栗の花のにおい、甘い欲望の残り香が満ち満ちている。

 シーツにくるまる私と、楽な姿勢で座っているユーヤは生まれたままの姿で小休止。……ドラマとかなら、彼がタバコを吹かしているところだろうか。

 

 念願の混浴――シャワーだったけど――は目論見どおり達成した。

 本音を言うと、広いお風呂でゆったりしっぽりがよかったんだけど、ここの個室にはバスタブがないから妥協した。

 ……隊長権限で大浴場を貸し切りにすれば――――

 

「明日も訓練で早いんだろ? せっかくいつもより()()()したんだし、そろそろ休んでもいいんじゃないか」

 

 私の頭をなでなでしながらユーヤが言う。

 

「いいよ、関係ないよ。そんなことより、もっといっぱいお話しよ?」

「いや、よくないだろ……」

 

 気だるい倦怠感といっぱいの充足感に、なんだかぜんぶがどうでもよく感じる。

 たくさんいじめられて、たくさんかわいがられて――疲労感もあるけど、幸福な悦びの方がずっと強かった。

 加減してこれなのに、“裏界流房中術”の本気はまだまだこんなものじゃないらしい。今でも翻弄されっぱなしなのに、もっとスゴかったら私……、いったいどうなっちゃうんだろう?

 

「もうすぐ、日付が変わるな」

「うん、そうだね」

 

 カチコチカチコチ、規則正しい音を刻む枕元の置き時計。

 長針と短針がまるで私たちみたいにぴたりと寄り添って、また新しい一日がはじまった。

 

「フェイト、ちょっと起きてくれないか」

「いいけど?」

 

 求めに応じて、胸元をシーツで隠しつつ、体勢を起こす。

 向かい合う形になったユーヤの顔を見上げて首を傾げていたら、彼は何かを握った左手を差し出した。

 

「あ……、きれい」

 

 それは花束。白いセロファンとレモン色のリボンでラッピングされた、まっ白な大輪のバラが十本のブーケ。どこかデジャヴを感じるのはどうしてだろ?

 

「“出会って十年”は生憎過ぎてしまったから――、君と“友だちになって十年”の記念に」

 

 呆然とする私にそっと花束を握らせて、いたずらっぽくユーヤが微笑んだ。私の一番好きな表情。

 思いもかけないことに、言葉が出ない。私の短い人生でいちばん、もう限界突破で感動してた。

 

「うそ、私、なにも……」

 

 言ってないのに。

 だ、だってまさか、覚えててくれたなんて。あ、だめ、涙が……。

 

「覚えてるよ。フェイトとの思い出は全部大切だから」

 

 その一言で、もともと緩い涙腺は見事に決壊。氾濫する気持ちが私の手を放れて、ぐるぐるでたらめに暴れまわる。

 

「ぁぅ、ふぇえっ……」

 

 涙が滲んでなにも見えない。

 胸がどきどきして、もうなんかよくわからない。頭がバカになっちゃったみたいだ。

 

「ふふ、泣き虫だなフェイトは」

「だ、だってぇ~」

 

 ぐしぐし鼻すすってたら、ユーヤは慰めるように抱きしめてくれた。

 あの臨海公園ではじめて友だちができてから、今日でちょうど10年になる。私にとってあの日、あの場所はすべてのはじまり、絶対忘れたくない特別なできごと。

 だから私は今日この日を、自分の誕生日だって決めていた。

 誰かに宣言したとか、そういうわけじゃないけど。でも今日はとても、とっても大事な日で……。

 

「ぐす……すてきなプレゼント、ありがとう」

「喜んでくれて嬉しいよ。愛してる、フェイト」

「うんっ……! ユーヤ、好きっ、だーいすきっ!」

 

 ちゃんと覚えててくれたのがうれしくて、私は本日一回目のキスをした。

 男の人って、こういう記念日ごとを忘れてしまうものらしい。他ならぬうちのお兄ちゃんも、うっかり結婚記念日に仕事を入れてしまい、一週間も家に入れてもらえなかったことがあったそうだ。  エイミィからその話を聞いたときは「そんなのひどいっ!」と憤ってしまったものだけど、私の未来の“だんなさま”には心配無用みたいだ。――無用だよね?

 

 抱きついた私の髪を撫でてくれながら、ユーヤが小さく苦笑する。

 

「ワンパターンで悪いな」

「ううん、気にしないで。私もバラの花、好きだから」

 

 素直な気持ちが届いたみたいで、彼は微笑んでくれた。

 なにかにつけて贈ってくれるユーヤの影響で、私もいつしか白いバラが好きになっていた。

 で、本人が一番好きな花はソメイヨシノなんだとか。ワビサビのわかる男の人はすてきだと思う。

 

 さておき。花束をそのままにしておくのはかわいそうなので、生けることにする。

 床に投げ捨てられてた彼のワイシャツ――脱ぎたてほやほやだ――を肩にひっかけ、お手洗いへ。

 ぺたぺたと裸足の足音が静かな部屋に響く。

 洗面台、シンプルなガラスの花瓶に水をためる。茎の先はちょきんと斜めに切って、と。……落ち着いたら、本格的なガーデニングとかしてみたいなぁ……。

 

「あ、ねえ知ってる? 白いバラの花言葉」

 

 ふと思い立ったことを聞いてみた。もちろん作業は続けながらだ。

 

「ん? いや、知らないな」

「“あなたにふさわしいのは私”、っていうんだって」

 

 この言葉、ユーヤと私の関係にこの上なくピッタリだと思うのは自惚れだろうか。

 ……あれ? 反応がない?

 洗面所からひょこっと顔を出して様子を窺ってみると、彼は眉間にしわを寄せて頭を抱えてた。

 

「……あのロリコン、そんなつもりで贈ってたのか……」

「え?」

「いや、なんでもないよ。気にするな、俺は気にしない」

 

 ……? 変なの。

 

 バラを生けた花瓶をテーブルに飾って、ベッドの指定席に戻る。ぽすっ、柔らかなマットレスが私の体重を受け止めた。

 そのままの流れで、ユーヤにほとんど生まれたままの姿の身体を預ける。

 ココロとカラダはまだ、昂ぶったまま。むずがゆい火照りが収まってくれない。

 ひと月もお預けされてたんだから仕方ないと思う。そのあいだ、自分で慰めたことだって……。

 だから、私は――

 

「ね、ユーヤ――」

「うん?」

 

 しゅる、羽織っていたシャツが肩から落ちる。

 

「さっきの続き……しよ?」

 

 媚びるような猫なで声で、愛しいひとにおねだり。せいいっぱいの魅力を振り絞る。

 こういうのはきらい?

 はしたない女の子はいや?

 どきどき。胸が期待で高鳴る。

 果たして。ユーヤは驚きもせず、穏やかに、ほんとうに穏やかに微笑んだ。

 

「……いいよ、おいで」

「えへへ、やった♪」

 

 私を迎え入れるみたいに軽く開いた腕の中に、遠慮なく飛び込む。逞しい黒鉄のような胸板に押し潰されて、むにゅんと大きな脂肪のかたまりが変形した。

 すりついて、なでられて。しあわせで。

 それから情熱的に、果てるまで――まあその、ユーヤとたくさん愛しあったのだった。

 

 求めあって。

 与えあって。

 支えあって。

 私たちの関係はイビツ、なのかもしれない。

 でも……、でもこの胸にある想いはきっと、なによりも尊いものだから。

 この絆はきっと、どんな“運命”にも負けないものだから。

 この魅了(チャーム)の魔法はきっと、永遠に解けないトクベツの魔法だから――

 

 …………あ、そうそう。

 キャロの教育方針については、ユーヤときっちり()()()()したことを述べておく。

 

 

   *  *  *

 

 

 翌朝。

 私は、すっごくしあわせな気分で朝を迎えることができた。

 ここ数十日、味わえなかった安らかな気持ちが欠けたこころを満たしていく。

 目が覚めて、すぐそばに大好きなひとがいてくれる。これ以上幸福なことが、この世界にあるだろうか。寝起きのふにゃふにゃな頭で、誰かに抱きつけるのがこんなにも幸せだったなんて思ってもみなかった。……起き抜けにもらえたキスなんて、最高だった。

 

 ――だけど。世の中はやっぱりそんなに甘くなかったらしい。

 彼の気遣いもむなしく見事に朝練の時間に寝過ごして、訓練帰りのなのはから「今日のお仕事はいつもの3倍でお願いね」と笑顔で言い渡されてしまったり。

 廊下でばったり出会したしたはやてに「昨夜はお楽しみでしたね」なんて、人の悪い笑みでからかわれてしまったり。

 はやてといたシグナムから「今朝のテスタロッサは一段と肌の色艶がいいな」と、苦笑混じりでからかいのコメントをいただいてしまった。

 私も女の子の端くれなので、容姿をほめられてうれしい。含まれた揶揄にいたたまれなくなったという説もあるけど。

 まったく、散々な朝だった。

 ユーヤってば、ニヤニヤしてないで起こしてくれたらいいのに。「君の寝顔がかわいくて、ずっと眺めていたかったんだ」なんて言われたら、怒るに怒れないよ……ずるいなぁ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 そんなこんなで場所を移して、隊舎の食堂。私たちは、遅めの朝ご飯を取ることになった。

 こんがり焼けたお魚とほかほかまっ白のご飯、わかめとお豆腐のお味噌汁に春菊のおひたし、おしんこが乗った小鉢、生たまごの小鉢、それが2セット、テーブルの上に用意されている。

 今朝のメニューは見てのとおりの焼き魚定食。じつは私、ここの食堂で和食を頼むのは今回が初だったりする。

 

 なぜか私たちのまわりの空席が不自然に目立つことを不審に感じつつ、黒いプラスチック製のお箸を手に取った。

 割り箸じゃないのは、ミッドチルダがエコロジーに力を入れている世界だからだ。

 

「……」

 

 目の前には、おいしそうな焼き目のついたお魚さん。香ばしい磯の香りが食欲を誘う。

 ――むむ、さあどうしてくれようか。

 数瞬、にらみ合う。

 実を言うと、私は骨のついた焼き魚を食べることが得意ではない。むしろ苦手といってもいいだろう。

 私がやると、どうしても身がボロボロになってしまってきれいに解体できないのだ。我ながら、戦いばっかりで、こくいうのはホント不器用だなぁ……。

 と、こんな感じにフリーズして悩んでいたら、ユーヤがニヤリと笑った。

 

「ほらフェイト、貸してみ」

「あっ」

 

 お皿を奪ったユーヤは、お箸だけでお魚の骨を器用に解体していく。

 ほんとは食べる前に身をばらしちゃダメらしいんだけど、私が食べるのへたっぴだから仕方ない。

 淀みのない見事な箸使いは優雅そのもので、彼の育ちの良さをにじみ出ているかのよう。おおらかに見えて、ユーヤはマナーにちょっときびしい。

 

「はい、出来上がり」

「……あ、ありがと……」

 

 きれいに骨と身が分離されたお魚を乗せたお皿が、元の場所に戻る。ユーヤは満足そうにひとつ頷いて、自分の食事に手をつけはじめた。

 このとき私は、余計なことを――とは思わなかった。だいたい、骨のついてるお魚を食べるときは毎回取ってもらってるんだし、不満なわけがない。

 

「しかし、またどうしてわざわざ焼き魚定食なんて選んだのさ。いつもは頼まないんだろう?」

「……ユーヤといっしょじゃなきゃ、やだ」

 

 それが今朝、和食を選んだ理由。普段はトーストとかすましてしまうけど、今日からは違うんだ。

 きょとんとしたユーヤは、それから心底うれしそうに頬をほころばせた。ちょっと耳が赤して、かわいい。

 

「フェイトはかわいいなあ!」

 

 ひどく上機嫌になったユーヤは、私のおでこをつんつんうりうり突っつく。

 えへへ、とか言ってしなを作り、内心ほくそ笑む。計画どおり。

 ユーヤが私の弱いところを知り尽くしているように、私もユーヤのグッとくるツボを把握しているのである。いくら鈍い私でも、同棲していればそれくらいわかる。

 彼は独占欲と支配欲が人一倍強いひとなので、そこを刺激するようなことを言えばこのとおり、喜ばせるのはわりと簡単だ。

 ポイントは「誘導されていることを気づかせない」こと。

 ユーヤの勘はびっくりするくらい鋭くて、その上誰かにコントロールされるのを極端に嫌うから注意しなければならない。わざわざ地雷を踏んで嫌われたくはないし。

 あと、どうやら隷属体質っぽい私と、唯我独尊オレ様なユーヤ。そういった意味でも、私たちの相性はバツグンなのだ。ふふふ……。

 

「やっぱ朝食の締めはTKGだな」

「てぃーけーじー?」

「たまごかけごはんの略」

「ああ! そっかあ」

「本当は納豆も入れると完璧なんだけどね」

「う、納豆はちょっと……」

 

 などと他愛のないおしゃべりをする。普段、食事中の会話をあまりしないんだけど、今朝はとくべつ。

 もっともっと、ユーヤとお話したい。触れ合っていたい。一緒にいたい。理解したい。

 

 ――これから私はきっと、今までの100倍、がんばれるんだろうな。

 おかわりしたごはんをガツガツと威勢よく消費する世界で一番大好きな恋人を眺めながら、そう思った。

 

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