「にゃん、にゃにゃ~?」
「にゃ!」「ふにゃあぁ」「にゃあにゃあ」「うにゃ?」「にゃーん!」
茜色に暮れなずむ機動六課隊舎。正面玄関脇。
巫女服を身に纏う、絢爛豪奢な金髪ツインテールの少女――パール=クールが地面にうずくまって数匹のネコと戯れていた。
にゃんにゃん、パールのネコ語のようなものはネコたちに通じているようで、彼らあるいは彼女らは見ている方が微笑ましく思うほど懐ききっている。
黒ネコ、白ネコ、ブチに以下省略――ともかく、たくさんのネコたちに囲まれて、まおーさまはたいへんご満悦の様子である。
「よーしよし、ハラペコのおまえたちにご飯をあげちゃうぞー」
「「「「にゃあ~♪」」」」
パールは月衣から大きな白い平皿とミルクタンクを取り出し、準備に取りかかった。
とくとくとく。こぼさないように、丁寧な手つきで注がれた牛乳が白いお皿に満たされていく。
傍若無人が巫女服を着てふんぞり返っているような存在である彼女にしては珍しく、というか考えられないほど穏やかで慈悲に満ち溢れた表情を見せていた。
「うん、カンペキっ――て、ああっ、コラッ」
「「「「みゃあみゃあみゃあ~!」」」」
我先にと容器に注がれた栄養満点のミルクに群がるネコたち。折り重なるように殺到し、元気いっぱい合唱する。
半ば野生化した野良が、ここまで無防備に懐いていることは驚くべきことだろう。海上に孤立した埋め立て地であるこの駐屯地に、ネコたちがどうやって渡ってきたかは永遠の謎だが。
「こらこらおまえたちぃ、ケンカするんじゃないのよ。みんなでなかよく食べなさい、いいわね?」
「「「「うみゃあー♪」」」」
そう鳴き声をあげるネコたちは素直にパールの言うことを聞き、大皿を囲むように整列してミルクを舐め始めた。
その様子を、頬杖をついて満足そうに眺めるパールの眼差しはいつになく柔らかい。
裏界にてもっとも強大な勢力を誇る一人にして、戦場では勇猛苛烈な戦女神である彼女は、自らの雷により“混沌”を打ち倒し、人の手に海を渡したという伝承を人界に残す立派な豊穣神だ。
ファー・ジ・アースや裏界では残念な子として通っているパールだが、こう見えてかつては“世界”の管理を担っていた神々の一柱。故に、こうした慈悲深い側面も持ち合わせているのだった。
「ふーふーふー♪ このかわいさアピールで、パールちゃんの好感度はうなぎ登り急上昇中ねっ☆」
――それがどこをどう間違えばこうなるのかは、定かではない。
パールが鼻歌交じりでネコたちの世話をしていたすぐ横。日課の午後の訓練を終えたなのはたちとスバル、ティアナ、キャロ、エリオの四人が隊舎に帰ってきた。
六課が発足して間もない頃は、四人とも程度差はあれど息も絶え絶えといった様子だったが、今ではもう厳しい教導にも慣れたものだ。さすがは選りすぐりの金の卵たち、どこか余裕すら生まれ始めている。
「スバルさん、食べながら歩くと危ないですよ。というか、女の子としてそういうはしたないのはちょっと……」
「らってぇ、んぐ――だって、なのはさんの作ってくれたものだし、おいしくって」
もそもそとスライスされたレモンらしきものをくわえたスバルが、キャロの苦笑混じりなたしなめに顔を赤らめた。
その腕にさも大事そうに抱えられた大きめのタッパーの中で、ハチミツの海の中で数えるほどしか残っていないレモンが寂しげに揺れている。
スバルが食べているのはなのは特製レモンのハチミツ漬け。皆の訓練の疲労を労うために、彼女が早起きして手作りした品だ。
「にゃはは、そんな喜んでもらうと、作ったこっちがうれしくなっちゃうよ」
「僕、こういうの初めて食べたんですけど、思ったよりずっと甘くて驚きました」
手放しの賞賛に照れ笑いを浮かべるなのはに、エリオが続けて感想を述べる。
「運動のあとの栄養補給にはわりとポピュラーなんだよ? 簡単に食べれるし、栄養もたくさんだしね」
「詳しいんですね」
「んー。学生時代に運動部のマネージャーしてたから、それでね」
「へぇー」
「ラクロス部だったんだけどね、練習とか試合のあととかに配ってたんだよ。バイトをいくつか掛け持ちしてて毎日やってられたわけじゃないけど、楽しかったなぁ……」
懐かしそうに、心行くまで満喫した高校生活へ思いを馳せる。
諸々のことで深く傷ついたなのはの心を癒したのは、どこにでもあるような他愛のない日常の連続。そして家族を始めとした身近な人々だった。
――それらがどれだけ得難いものか、そして自分が今までどれだけ蔑ろにしてきたのかを思い知り、再び彼女は“この空”に戻って来たのだ。
「なのはさん、なんでもできるんですね! ますます尊敬しちゃいますっ」
「強くて、優しくて、仕事もできて気が利いて――、カンペキですね、すごいなー」
「その上、きれいでかわいいなんて。どうやったらそんなふうになれるのか、ぜひ教えてほしいです」
「や、やめてよ~。私、そんなんじゃないってばーっ」
「「「またまた~」」」
スバル、エリオ、キャロの順でやんややんやと過剰に持ち上げられ、困り切ったなのはがわたわたとうろたえた。
実際、彼女はこの数年で料理全般の腕をメキメキと上げ、喫茶店を営む両親から「いつでも跡を継げる」とのお墨付きをもらっていたりする。
もっとも、本人としてはとある男の子のところに永久就職したいなー、なんて考えてたりもするのだが。
「もう、みんなでからかって……?」
ぱたぱたと、熱を持った顔を手で扇ぐなのはの目に、会話にも参加せず、最後尾を一人とぼとぼと歩くティアナの姿が映った。
まるで他人を拒絶するような空気。どこか思い詰めたようにも感じられた。
「……ティアナ?」
疑問を乗せた彼女の名前は届くことなく、暮れていく空に溶けて消えた。
♯23 「譲れない願い、すれ違う想い」
深い紺色に染められた夜空には今宵も蒼白い双子の月が浮かぶ。
静かにたゆたう蒼白の月は気の遠くなるような遙か以前、太古の昔にこの惑星ほしが生まれた頃から、ずっとこの大地ほしを見つめ続けている。
そっと、そっと――
「っは、く――つあっ!」
草木も眠る深夜。
機動六課女子寮側の雑木林で少女が独り、銃火の舞踏を踏んでいた。
ランダムプログラムに沿って四方八方から襲いかかるにターゲットを避け、時にはそれに銃口を向けて処理していく。一人で対応するには明らかに多すぎるそれらを、彼女は電光石火・正確無比な判断で見極め、見事に処置していた。
様々な軌道で飛び交っていたターゲットが一斉に停止する。これも、あらかじめプログラムされていたインターバルだ。
同時に少女――ティアナがその場にへたり込んだ。
「はー……っはー……っ、はぁ、はぁ……」
息を整える彼女の顔は、目に見えるほど土気色。軽い酸欠状態に陥っていたのだろう、呼吸はひどく乱れ、飢えに飢えた肺が酸素を貪欲に求める。
立ち上がろうとする脚はガクガクとまるで生まれて間もない子鹿のように震え、覚束ない。蓄積した疲労がここぞとばかりに吹き出していた。
無理もない。毎朝早朝から夕方まで訓練に明け暮れ、その合間にはデスクワークなどの庶務の諸々――、そんな環境の中、さらに冥魔の掃討というハードな任務が重なるとなれば、心身ともに磨耗することは明白。その上でオーバーワークを続ければどうなるかは自明の理であろう。
「……っと」
何とか立ち上がったティアナが、ぱちん、と自らの頬を両手で挟む。自らに気合いを入れ直し、深く息を吐き出した。
「――うしっ! 続きやるか、シューティングミラージュ、難度をもう一段上げて」
『了解。プラクティスモード、レベル8で起動。3、2、1――スタート』
こうしてまた、ティアナは訓練を繰り返す。
胸にくすぶる漠然とした不安と不満、そして言い知れない焦燥と劣等感をぶつけるように――
「――いいのか、なのは」
建物の影になった一角。
片目を閉じて腕を組み、壁に背を預けたスーツの男性が暗闇のように音もなく佇んでいる。攸夜だ。
瞼に遮られていない片方の蒼い瞳が、側にいるもう一人をまっすぐに射抜く。
「……うん。ティアナの気がすむまで、好きにさせてあげるつもり」
答えるのは、今も気炎を上げる教え子をどこか不安な様子で見守るなのはだった。
ここ数日ほど前――丁度、攸夜が監修した特別訓練でこっぴどく負けて以来、ティアナが通常業務の終了後に自主練習を行っていることに感づいた彼女はこうして毎日、影ながら見守ることにしたのだった。
自分も、遅くまで仕事をこなしているにも関わらずに。
「あんな無茶な訓練を続けていたら、いつか潰れるぞ」
「そうかも。……でもティアナ、しっかりしてるし、自分の限界くらいはわかってるよ、きっと。ちゃんと体調管理できてるって、信じてるから」
「……見解の相違だな」
なのはの希望的観測を多分に含んだ意見を切って捨て、攸夜は寄りかかっていた壁から身を離した。
「攸夜くん?」
「退がらせてもらう。……フェイトを部屋で待せてるんでな」
これ以上、ガキの駄々に構ってられるか。そんな心中の毒を気障な言葉に隠し、攸夜は親友に背を向けた。
元々、ここにいるのはお節介焼きな親友を気遣ってのこと。これ以上なのはの我が儘に付き合ってやる義理はないと攸夜は考える。
それに、フェイトの気持ちを最優先に行動するのは攸夜の基本仕様の一つだ。
今ごろ“愛の巣”二号室では、甘えんぼの金色わんこが今か今かと首を長ーーくして待ちかまえているだろうし。
「じゃあな、なのは。あまり夜更かしをするんじゃないぞ」
「うん、わかってる。ありがとね、心配してくれて」
それでも親友へのさりげない配慮を忘れないのは、彼の情に厚い人柄故だろう。
出力の方向こそまったく正反対の平行線だが、彼の本質は“志宝エリス”と同一なのだから。
「…………別に。お前が風邪でもひいたら、ユーノの奴にどやされるからな」
――天邪鬼な照れ隠しも基本仕様の一つである。
「ふふっ。おやすみ攸夜くん」
「あぁ、おやすみ」
軽く挨拶を交わし。夜闇の中に溶けていく親友の後ろ姿を最後まで見送り、ほぅ、となのはが小さく息を吐く。
「……うまく、いかないなぁ」
ぽつり。弱音がこぼれた。
普段は気丈に振る舞う彼女も、一人となれば不安に駆られる。かつて“不屈”と称されたその
なのはにだってわかっている。今のティアナの傾向が決してよくないものだということくらい、わかっている。
いつか自分のように無茶が祟って身体を壊し、後悔するのだと。いつか自分のように焦燥が仲間を傷つけ、たいせつなものを奪い去るのだと。
どこの誰よりも、痛いほど。
だが同時に、なのはにはそんな至らぬ自分がどの面を下げて説教するんだという思いもあった。
未だに迷い、模索を続ける自分に、自らの歩む道程すら見つけられない自分に、誰かを導く資格などあるのだろうか。
「……“先生”はむずかしいね、レイジングハート」
『同意します』
胸元で光る真紅の宝玉を手のひらに乗せて向かい合い、語りかける。
『しかし、マスターは充分以上にやっていると本機は判断します』
「……そう、かな。そうだと、いいんだけど」
十年来のパートナーの励ましとも取れる発言に曖昧な返事をして、夜空を仰ぐ。
都心から距離のあるここでは、瞬く星がよく見えた。
――こんな静かすぎる夜は、無性にユーノの声が聞きたくなる。柔和でやさしい、あのひとの声が。
寂しくて、淋しくて、さびしくて――、けれど、なのはにはその想いを素直に伝え、甘えることが出来ない。彼の命を奪いかけたという自責の念が、途方もない罪悪感となって彼女を苛み続けていたから。
「……がんばれ、ティアナ」
結局この日も。跳ねっ返りな教え子の奮闘を最後の最後まで見守ってから、なのはは自室への帰路に就いた。
* * *
女子寮裏、小さな空き地。
雲の切れ間から覗いた蒼白い月光が降り注ぐ。
音もなく大地に降り立った光は、建物や木々などに遮られて影のグラデーションを創り出す。
幻想的な光景の中、手頃な木の幹を背もたれにしてティアナとスバルが訓練の合間の小休止をしていた。
数日ほど前からスバルも参加し始めたこの夜の自主練習。ティアナとは同室であるスバルが加わるのはごく自然の流れであり――、二人の様子に気がついたエリオもまた、時折付き合うようになっていた。ハードな訓練を受けているうち、いつしか仲間意識が生まれていたのだろう。
もっともキャロだけは、僚友たちの動向を把握していてなお、終ぞ参加することはなかったが。
「とうとう明日だね、ティア」
「ええ……」
神妙な面もちで語り合う。
明日は教官であるなのはとの模擬戦、ここ数ヶ月の教導の成果を披露する晴れの舞台だ。
二人、特にティアナは、その模擬戦になおさら賭けていた。最近、負けが込んでいる自分たちはここで挽回しなければならない、と。
「明日の模擬戦……、イケるかな」
スバルが言う。
密かに――少なくとも本人たちはそう思っている――編み出した秘策は、通用するのだろうか。
自らの代名詞たる砲撃魔法を封じているにも関わらず、なのはの実力の天井は一向にして見えてこない。それがまるで、彼女との間に横たわる隔絶した格(・)の差を見せつけられているようで。
エースオブエースと讃えられる超一流の魔導師にはやはり、勝てないんじゃないのか――、そんな強い諦観が浮かんでは消えていく。振り解くことができない。
「……とーぜんよ、あんだけ練習したんだから。もっと自信を持ちなさいよ、自信を。アンタ、意外と緊張しいなんだし」
いっそ蛮勇に聞こえるほど勇ましい叱咤。
ティアナとて、緊張していないわけではない。明日の戦いを思うと震えがくる。挑発的なことを言うのは不安の裏返し、ただの空元気だ。
けれど、唯一の家族を亡くしてひとりぼっちになったティアナは、強がって、突っ張るしか生き方を知らなかった。
「まあでも。成功率はいいとこ八割くらいかな、実際」
「うん、そんだけあればたぶんだいじょうぶ」
「……」
現金にも立ち直るスバルとは対照的に、ティアナが不意に表情を陰らせる。
「……スバル、アンタはほんとにいいの?」
「なにが?」
「アンタの憧れのなのはさんに、ある意味、逆らうことになるから……」
不安そうなティアナ。するとスバルは力強く言い返す。
「私は怒られるのも叱られるのもなれてるし、逆らってるっていっても強くなるための努力だもん。ちゃんと結果出せばきっとわかってくれるよ。――なのはさん、やさしいもん」
えへへ、と自分の発言に照れ笑いする脳天気な相棒に、くすりと微笑み、ティアナが立ち上がる。
んーっ、と大きく伸びをして、スバルにことさら笑顔を向けて声をかけた。
「じゃ、もう一セットやって、今夜は終わりにするとしますか」
「おー!」
* * *
洋上、訓練施設。
廃棄された近未来都市を模倣した箱庭が今日の舞台だ。
観戦は定例の通り、手近なビルの屋上。本日は肉眼でよりよく観察するため、なのはたちのいる地点からそれほど離れていない適度な高さの建物が選ばれた。
そこには、緊張した面もちで模擬戦を次に控えるエリオとキャロ、戦闘の準備に余念のないオペレーターのシャーリー、どこか落ち着かない様子のお目付役兼上官(一応)であるフェイト。そして、両手をポケットに突っ込み戦域を睥睨する攸夜が揃っている。
エリオたちの手前、さすがのテスタロッサさんも今回ばかりは自重したらしく、定位置に張り付いてはいない。
だが、ウズウズちらちら、彼の方ばかりに気を取られていることは彼女の「エリート敏腕執務官」という対外的な印象を守るためにも見逃すべき事柄であろう。武士の情けである。
「どうやら間に合ったようだな、テスタロッサ」
とそこに、物見遊山にやってきたポニーテールの麗人が、数人の部下をぞろぞろ引き連れて颯爽と見物人の輪に加わった。
「あ、シグナム」
「師匠!」
「せんせー、こんにちはー」
「ええ、こんにちは。キャロさんとエリオくんが心配で、観に来ちゃったわ」
「ヴィータもか。お前も案外暇なんだな」
「ヒマじゃねー、仕事だ、仕事。私も教導隊だからな、なのはの教導の成果が気になんだよ」
「ヴァイス陸曹、珍しいですね」
「姐さんの付き合いさ。……俺に声をかけてくれるのはシャーリーちゃんだけだよ」
「名有りモブの悲しさですね、わかります」
挨拶もそこそこに。
始まる会話の話題と言えば、教導官とのその教え子たちによる戦いについての他にはない。
「シグナムたちも、なのはたちの模擬戦を見に?」
「ああ。今回の戦いは、ここ数ヶ月の訓練の総決算なのだろう? 別小隊とは言え私も一応、彼らの上官だ。高町の教導の成果、この目で
ちらりと弟子であるエリオの方を横目で見やり、シグナムは冗談めかして腕を組む。
むにっ、とボリューム満点の双丘が押し上げられる様をエリオとヴァイスが思わず凝視した。近くにいた女性陣から散々な仕打ちを受けるまでがお約束である。
ちなみに。男性陣で唯一被害を受けていない攸夜だが、そもそもフェイト以外の人間を女性として認識しているかすら怪しいので、さもありなんと言わざるを得ない。
さておき。そうこうしているうちに、毎度のごとく言うべきか、スバルの突撃から模擬戦が開幕した。
「行きますっ、なのはさんっ!」
「いつでもいいよ、スバル!」
「はああああッ!!」
ティアナの援護射撃で頭を抑え、速度に優れたスバルが前進するセオリー通りのファイア&ムーブメント。空に伸びた〈ウイングロード〉を駆け抜けて、スバルがなのはに接敵する。
この程度の打撃、回避など容易だがこれはあくまでも訓練、模擬戦。あえてその場に留まったなのははレイジングハートを掲げて迎撃。リボルバーナックルとレイジングハートが激突し、オレンジ色の火花が空に咲く。
「っっ――、強くなったね!」
「なのはさんに、さんざん鍛えられてますから!」
スバルの振るう拳は、数ヶ月と比べて明らかに重さを増している。
今までの訓練でも幾度となく受け止めた確かな成長の証を肌でひしひしと感じ、なのはの口元が自然と緩む。
魔法の“暴力”に強い嫌悪感と忌避感を覚えていても、やはりうれしいものはうれしかった。
激しい交錯の後、ヒット&アウェイよろしく急速離脱するスバルに追撃を仕掛けるなのはの動きは、先読みしたティアナのクロスファイヤーに牽制されて叶わない。
――ここまでは、概ね想定通りの展開と言えるだろう。
及第点を与えてもいい定石に則った試合運びに満点の評価をあげつつ、なのははアクセルシューターを展開、斉射した。
ハラハラとしたり、考え込んだり――各々思い思いのリアクションで激闘を観戦している。
そんな中、一際目立つ異物感がひとつ。黒いボサボサ頭の攸夜だ。
「…………」
無言。痛いほどの沈黙。
普段の飄々とした超然さはどこへやら、ひどくむすっとした顔つきであからさまに機嫌が悪い。
文字通り、“憤怒”のシャイマールといったところだろうか。近ごろ感情の沸点が低くなってきている攸夜である。
そんな様子を横目に、シグナムがぽつりと彼に質問を投げかけた。
「ところで宝條、どう思う」
「断言する。駄目だな」
迷いのない即答に、ほう、と整った眉を上げてみせるシグナム。攸夜はまだ険しい表情でなのはとティアナ、スバルの戦いに視線を向けたまま。らしくないほど行儀が悪い。
主語の抜け落ちた会話に付いていけず、端で聞いている人間の半数は頭上にクエスチョンマークを乱舞させている。例外は、事の概要を把握しているフェイトとヴィータ、メガーヌの実戦部隊首脳陣だけだ。
「ふむ……だが、問題は無いように見えるが?」
「根本的な欠陥を修正出来ていないんだ、絶対に何かやらかすに決まってる。どうせ最初だけは言うこと聞いておこう、とかなんとかしょうもない事を考えてるんだろうさ」
……小賢しいガキ共が。学芸会のお遊戯じゃねぇんだぞ。
差し当たっての一般論を痛烈に否定し、忌々しいと吐き捨てる攸夜。なまじ人間の本質を見抜く“眼”を持っていれば、こうした澱み、歪んだ昏い情念が嫌でも目につく。
それは仮にも“七徳”を背負う彼にとって、不幸なことだと言えよう。
眉間に深い皺を刻み、攸夜はヒートアップしていく。
「なのはのヤツ、結局最後まで事なかれ主義で日和見やがった」
いつになく冴え渡る毒舌から手に取るようにわかる、抑え切れない苛立ちと不満。ティアナとスバルの独断専行に関して、常に警告する立場を貫いていた彼は予期してたのだ――手酷い破綻の訪れを。
「何が指導教官だ。やり方がいちいち温いからガキがつけあがるんじゃないか、ド阿呆が」
「まぁそう苛立つな。――仕方あるまい。年齢以上に大人びて見えるが、高町もまだまだ若いんだ。迷いもするし、時には誤るのも無理はなかろう」
「ハッ、んなこたぁアンタに言われなくてもわかってるっつの」
乱暴に言い捨てられた言葉に、シグナムはやれやれと肩をすくめる。親友を思いやっているのはよくわかるが、もう少し言葉を選んだらどうだ、と。
現に、側で聞いているエリオやキャロがあわあわと動揺しているし、ヴィータなどなのはを悪し様に言われて不快感を隠そうとしない。大人なメガーヌは別として、ほか二名もまあ、似たようなものだ。
――有り体に言えば、場の空気は最悪を通り越していた。
「ユーヤ……」
とても心配そうに愁眉し、フェイトは攸夜の服の裾をギュッと強く握っている。まるでどこか遠くに行ってしまわないように。
別に息の合った様子のシグナムに嫉妬しているというわけでもなく、攸夜の不安定が極まって煮詰まりすぎた精神状態を真摯に気遣っているようだった。
――フェイトは攸夜の心の動きに影響されやすい。マイナスの感情であれば、特に。
攸夜が喜べばフェイトも華やかな笑顔を咲かせ、攸夜が悲しめばフェイトも哀切の涙を流すだろう。そして逆もまた然り。
お互いがお互いを補完し合い、足りないところを補い合ってゆくのがふたりの関係だ。それはきっと、彼らが“友だち”になった頃からずっと変わっていない。
攸夜を「自分の世界のすべて。世界そのもの」だと臆面もなく言えるフェイトだからこそ、こうしていとも簡単に悪影響を受けてしまう。
「まったく相変わらずだな、お前たちは」
シグナムは今日も今日とて無闇矢鱈に仲睦まじい好敵手たちを微笑ましく思い、次いで年長者としての苦言を呈しておく。
「しかし宝條、お前がそのような態度でいるとテスタロッサも不安がる。器量が知れるぞ?」
「っ……さすが守護騎士サマは言うことがご立派だね。亀の甲より年の功ってわけか」
今日の自分は大変よろしくないとわかっているはずなのに、攸夜の返答はやはりトゲトゲしい。
横で聞いていたフェイトはついに険悪な空気に参ってしまい、本格的に涙目だ。
妙なところで子どもっぼい――ぶっちゃけ意地っ張りな彼の性質が、悪い方向に働いている。仕方のない奴だな、と言葉にはせず呟いてシグナムがそれとなく話題を変えた。
「はぁ。……私は別段構わんが、シャマルの前では歳のことを言ってやるなよ? あれでかなり気にしているようだ。我々に、老いなどという概念なぞありはしないのにな」
やれやれ、とかなりオーバーに呆れを表して肩をすくめる始末。彼女なりのジョークに毒気を抜かれ、攸夜が目をぱちくりさせた。表情からは険が抜け、何とも言い難いビミョーな顔をした。
ややあって、はたと自分の変化を自覚した攸夜は、どこかばつが悪そうにそっぽを向き、癖っ毛を荒々しく掻いたのだった。
――くしゅん!
どこかの医務室で、医療品の整理をしていた某黄緑色の人が盛大にくしゃみをしたのは完全な余談である。
「さっきから聞いてれば、師匠もユウヤさんもあんまりです! ティアナさんやスバルさんを馬鹿にして!」
あまりの言い様にたまりかね、ついに不満を爆発させたエリオが声を上げる。攸夜の機嫌が少々持ち直し、プレッシャーが大幅に軽減されたのも理由の一つだろう。
「エリオ……」どこか辛そうな視線を送るフェイト。しかし彼女はかける言葉が見つけられず、おろおろするばかり。
二重の意味で嘆息し、攸夜は髪を逆立てる赤毛の少年を見やる。蒼い瞳から見下ろされ、エリオが思わず身を強ばらせた。
「なら一つ聞くが。この模擬戦の狙いは何だと思う?」
「えっ。そ、それは……」
突然の問いかけ。予想外の方向からの切り返しに言葉を失い、どもりながらもエリオは必死に頭を回転させる。論点をずらされた、という事実には気付かないままに。
尊敬し、ほのかに思慕するフェイトの目の前で無様な姿は見せられない。
「なのはさんに勝つこと、じゃないんですか?」
「違う。間違っているな、坊や」
坊や呼ばわりされ、ムッとするエリオ。そんなことは些末ごとだと攸夜の言葉は続く。
「ここで重要なのは勝ち負けじゃない。今まで訓練してきたことをどれだけ自分の血肉に出来ているのか、そこが大事なんだ。間違っても指導官をコテンパンにしてやろう、だなんて考えちゃいけないな」
先ほどまでの燃えたぎるマグマのような怒りはどこへやら。攸夜の口調は静かで柔らかいものだった。
うんうん、と横でヴィータが神妙に頷いている。教導隊に所属していた身として共感する面もあるのだろう。
「じゃあ、スバルさんたちの努力はムダだって言うんですか!?」
「そうは言っていない。例えば、訓練の課題に教官の撃破が含まれた場合、倒そうと試行錯誤することには意義がある。そういう訓練も今までにあったはずだな?」
「は、はい。ありましたけど……」
「自分勝手に振る舞っていいのは何の責任も持たない子どもだけ。お前たちは独り立ちすると自分で決めたのだろう? なら、責任ある者として上司には可能な限り従うべきだよ。それが納得のいかないものだとしても、な。割り切れなくても割り切ってみせるのが“オトナ”ってもんだ」
あくまでも諭すという姿勢は崩さない攸夜の言葉は不思議とエリオの心に響き、納得を与えた。
苛烈で冷酷な言動が目立つ攸夜だが、面倒見がいい一面も持っている。本質的に、目の前で困っている人を放っておけるようなタイプではない。
「こんな俺だが、評議会や政府からの依頼はキッチリこなしてるんだぜ?」
冗談混じりに茶化すと、少しだけ場の雰囲気が和らいだ。
「勿論、納得出来ないならその意見をちゃんと上申することも大切だけどな。
「そんなことっ!」「あるわけないじゃないですか!」
意地の悪い言に、血相を変えて反論するエリオとキャロ。どれだけなのはが慕われているのかを再確認にして、攸夜は僅かに目元を緩めた。
「それを聞いて安心したよ。……結論を言えば、コミュニケーションが足りていないんだな。なのはも、お前たちも」
「確かに。耳が痛いな」
「私ももっと気にかけてあげるべきだったわ」
「面目ねぇ」
「……ごめんなさい」
シグナム、メガーヌ、ヴィータ、フェイトが口々に非を認める。決して彼女らが無能だったというわけでない。
しかし管理職の仕事に忙殺され、結果として部下のケアを怠っていたことは確かだ。
「まぁいいさ。それは今ここで糾弾すべき事柄じゃないし、俺にそんな権利もない。……今は見守ろう、全てはその後だ」
他人事のように漏らし、攸夜は魔法使いが舞う空を見上げた。
縦横無尽。
ウイングロードがなのはを取り囲み、さながら鳥籠のように大空を埋め尽くす。
地上から、ティアナがクロスファイヤーシュート――無数の誘導弾を撃ち上げ、白いを檻の中心へと追い立てた。
そこに、スバルが捨て身で飛び込む。強烈極まりない打撃を何とか弾き返し、なのはが叱責に声を荒らげる。
「こらスバルっ! だめだよ、そんな危ない機動!」
「ごめんなさい! でもちゃんと防ぎますからっ!」
「ああ……、たしかにダメだな。――ち、スバルの野郎、あとでシめてやるか」
「あらあら、スバルちゃんたらしょうがないわね。クイントが見たら確実にお冠よ」
ヴィータとメガーヌがスバルの無謀な行動に渋面を浮かべ、
「でもどうしちゃったんでしょうね、二人とも」
「そうだね。なんだかいつものキレがないみたいだし……」
シャリオとフェイトが不可解な戦いの推移に違和感を訴える。
発言こそしないがヴァイスもおおよそ同意見らしく、複雑な表情で辺りを見回している。彼は、いつの間にか姿の見えなくなったティアナを探していた。
とある事情から狙撃手を廃業し、今は輸送ヘリのパイロットをやっている彼だが、かつては一流を誇ったスナイパーの“観察眼”は未だ錆び付いてはいない。
「――ん? ありゃあ……」
鷹の目が、お目当ての少女を捉えた。
戦域から少し外れたビルの屋上。両手のクロスミラージュを眼前に構えたティアナが、オレンジ色に輝く魔力を収束させている。
「ティアナが、砲撃?」
「狙撃でもするつもりか」
「いいや、違いますね。像が若干歪んでる、おそらく幻影だ」
一足遅れて彼女を発見したフェイトとシグナムの読みを訂正する。やはり眼力は衰えていない。
「なるほど陽動か。では、本人は……」
照準用レーザーを器用に避けながら、なのはが錐揉み回転しながらシューターを乱射する。
殺到する桜色の光線を足場を飛び跳ね、時には身体を捻ることでやり過ごし、スバルが再度の接敵を試みた。
「でりゃああああぁぁっ!!」
三度激突する魔力。
桜色の障壁に阻まれ、空色の光が激しく飛び散る。
押し込まれたなのはの動きが、止まった。
――それは確かな好機。
二人の遙か頭上。天に伸びる青き路を駆け上がり、太陽色の髪の少女が捻るようにして空中に身を投げ出した。
その手には、燈黄色の刃を生やした白い拳銃。銃剣、バヨネット。鉄壁の防御を貫く刃を眼前に構え、真っ直ぐに停止したなのは目掛けて落下する。
会心のタイミング、とでもティアナは思っただろう。
しかし――――、
「レイジングハート……、モードリリース」
眩い閃光が奔る。
派手な爆轟とともに強烈な爆風が吹き荒れ、その余波は観戦者たちのいるビルにまで届いた。
「なのはは……!?」
強風に長い髪を煽られながら、フェイトが親友の身を案じて悲鳴混じりの叫びを上げる。吹き上がった砂煙で遮られ、現状の様子はわからない。
そして数瞬の後、噴煙が晴れると同時に広がった光景に一同は絶句した。
「おかしいな、ふたりとも……。どうしちゃったのかな……」
ほのかな桜色の光に包まれ、宙に停止したティアナ。
鉄拳を突き出した体勢のままのスバル。
そして……
「……がんばってるのはわかるけど、模擬戦は、ケンカじゃないんだよ?」
リボルバーナックルを左手、クロスミラージュの銃剣を右手で受け止めたなのはが、そこに立っていた。
オレンジ色の魔力刃を掴んだ手の平からは、生々しい鮮血が流れ落ちて。
「練習のときだけいうこと聞いてるふりで、本番でこんな危険な無茶するなんて――、練習の意味……、ないじゃない」
俯いたままのなのは。かすれた声。
「私の言ってること、私の訓練……、そんなに間違ってる? そんなに私、頼りない……?」
「ッ!」
魔法で空中に固定されていたティアナはその瞬間、拘束を破壊して対岸の足場まで飛び退き、錯乱した感情に任せてクロスミラージュを構えた。
トリガーの空引き、魔導炉がドライヴ。砲撃魔法の術式が起動する。
「わ、私は――!」
が、次の言葉にその意気も霧散した。
「信じて、たのに――」
絶望。
裏切られた信頼が変わるのは仄暗い悲しみ。言葉には出来ない悲痛な叫びが音もなく響く。
裏切られれば悲しい。心が傷つく。
そんなもの、誰だって同じだ。
――ぽたり。
水滴が、澄み切ったしずくが青く輝く道端を濡らした。
「なのは、さん……?」
顔色を失い、スバルが虚ろな声で“憧れのひと”の名を呼ぶ。
「あ……」
脱力するよう崩れ落ちるティアナの前で、収束していた魔力が解けて四散した。
「――なのは、泣いてる?」
「チッ」
フェイトが戸惑いの声を上げ、攸夜が苦々しく舌打ちする。
どちらの胸にも鈍い痛みが到来し、ほとんど同質の不愉快な感情が沸き上がった。
「あ、あれ? どうして私、泣いてるんだろ……? ――なん、で、なんで、だろ……よく、わかんないや……」
ようやく自らの異常に気がづき、なのはの口をついて出たのは戸惑いの言葉。
訥々とした独白は意味をなさず、一度自覚してしまえばあとは涙が堰を切ったかのように溢れ出し、ポロポロと青空に散るだけ。
止めどなく流れ落ちる涙を袖で乱暴に拭うと、なのははぎこちない笑顔を浮かべた。
けれど涙は止まらない。
「えと、えっと――、ご、ごめんね、ふたりとも。その、もう一度はじめからやりなおそっか」
自失した教導官としての自分を無理矢理に立て直し、職務を全うしようと精一杯に取り繕う。その笑顔が、その姿があまりにも痛々しくて、ティアナとスバルが息を飲んだ。
「……やはりこうなる、か」
呆れたように呟いた攸夜は、白々とした視線を両者に向けている。
ことの推移に興味を失っていた彼にフェイトが言う。
「ユーヤ」
「いいのか、フェイト」
「うん、これ以上は無理だよ。見てられないよ」
「……仕方ないな」
主語の抜けたフェイトの言葉の意味をくみ取って、攸夜は予備動作なしに大きく跳躍した。
その動きを目で追えたのはフェイトとシグナム、エリオのみ。近くいた他の四人はもちろん、接近されたなのはやスバル、ティアナたちすらも感知出来ない。
「えっ、攸夜くん――?」
音もなく背後に現れた攸夜の気配に振り返り、なのははきょとんとして小首を傾げる。
無邪気にも見える表情に、そして涙で潤んだ瞳にわずかにたじろぎ、苦い罪悪感を抱えながらも攸夜は努めて平静な声でなのはに告げる。
「もういい。止めろ、なのは」
「やめろって、なにを? あ、模擬戦なら、いまからやりなおして――」
「もういいんだ……少し、眠ってろ」
「えっ?」
首筋辺りに当て身を受け、なのはがゆっくりと崩れ落ちる。まるでぷつりと糸の切れたマリオネットのように。
ざわり、と周囲に動揺が走る。
気絶したなのはを左腕で抱き留めた攸夜の隣に、フェイトが一足遅れて降り立つ。彼女はわずかに敵意の籠もった視線を茫然自失している部下たちへと送り、すぐに攸夜の顔を見上げた。
「ユーヤ、医務室に連絡したよ。ベッドの準備、しておくって」
「わかった。すぐに行こう」
相談の間、二人はティアナたちに一切の意識を払おうとしなかった。
まるで道端の石ころみたいだ、とティアナは真っ白な頭で他人事のように思う。
「シグナム! 後のことを任せていいか? フェイトを除くと、アンタがこの場で一番階級が上だ」
「道理だな、承知した。高町を早く連れて行ってやれ」
「悪いな」
好敵手に後を託し、攸夜はこの日初めて穏やかな微笑みを浮かべた。
もっともそれは、恋人を安心させるためだけのものだったけれども。
「医務室まで跳ぶ。ちゃんと捕まったな、フェイト」
こくり。神妙に首肯するフェイトは、なのはを抱き抱えた攸夜に横からしっかりと抱きついていた。
一見微笑ましい三人の姿が歪み、空間に溶けて――、呆然と立ち尽くす二人の少女たちだけが、その場に残される。
「――さて。スバルにティアナ、お前たちもさっさとこちらに戻ってこい。訓練は中止だ」
朗々としたシグナムの声が訓練場に冷たく、響いた。