魔法大戦リリカルなのはWizardS   作:かぜのこ

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#28

 

 

 

「「「きゃあ!」」」「うわぁ!」「くっ!」

 

 強烈な衝撃をまともに受けて、スバルとエリオ、ノーヴェ、それからギンガとチンクが大きく吹っ飛ぶ。

 人数分の水柱が時間差で上がる中、衝撃波を巻き起こした元凶――闇の落とし子と化したゼストと、先ほどの一撃を辛くも耐え抜いた“魔騎士”及び“狼の王”が激闘を続けている。

 

「つつ……チンク、かなりやられてたみたいだけど、大丈夫?」

「このシェルコートが守ってくれました、大事ありません隊長。しかし、我々全員を相手にしてなお圧倒するとは……」

「ううー……。あの人、一騎当千ってレベルじゃないよ、ギン姉っ!」

 

 青い槍を支えに無言で立ち上がる赤毛の少年を見やりつつ、ギンガは何時になく冷静さを欠いた部下を気遣う。続いて発せられた妹の泣き言に姉は場違いにも苦笑した。

 すでに“狩人”レライアはゼストの攻撃からティアナを庇って送還されており、そのティアナも追撃で気を失って戦闘不能。彼女と、無理を通して召喚を行い戦力を失ったキャロ、そしてジュエルシードの入ったケースの防衛に専念している“風雷神”フールーの参戦も難しい。

 なお、ウェンディとディエチは上空で闇妖虫の成体と戦闘中である。

 召喚師であるルーテシアがそれを呼び寄せて魔力切れを起こしたらしく、戦闘不能なのが幸いと言えば幸いか。

 旗色の悪い戦況――多勢に無勢でなお、劣勢に陥っている彼女らが情けないのではない。強健で才気ある魔導師と戦闘機人六名に加え、大幅に弱体化しているとはいえ、AAAランク魔導師と同等かそれ以上の戦闘能力を有する裏界魔王四柱。それを相手に、しかも単独で返り討ちにできるゼストがどこかおかしいのだ。

 

 “混沌”に――悪しき幻想に由来するどす黒いオーラが猛威を振るう。

 見ているだけで不快感が肌を泡立たせる闇を纏った尖兵を睨み、赤毛の少女拳闘士ノーヴェが拳を打ち合わせた。

 

「っち、あのオッサン、マジでバケモンだな!」

「ノーヴェ! 口が過ぎるぞ!」

「ええっ? いやぁ、でもさぁ……」

 

 急に叱りつけられて、しどろもどろになるノーヴェ。個人的な私情もあり、ゼストを何としても救いたいチンクは、妹の何気ない一言にも過敏に反応して、つい声を荒げてしまう。

 場違いな姉妹喧嘩に、ふぅ、とギンガが嘆息する。

 

「チンクこそ、ちょっと言いすぎよ。焦っているのはわかるけど、今はそんな場合じゃないでしょう?」

「っ……すみません。ノーヴェもすまない」

「まぁ、私は気にしてないんだけど。……チンク姉、なんか思い詰めてない?」

 

 ノーヴェに指摘され、チンクは無言で顔をしかめる。眼帯を巻いた右目に手をやった。

 ゼストをあのような境遇に堕とした原因は自分だ、という思いが彼女の中にはある。妹たちには知らせていないが、チンクに科された刑罰は他のナンバーズの面々の中でも特に重い部類に入る。――殺人という、とてつもない罪を犯しているから。

 当時は自由意志を与えられていなかったし、造物主の命に従い戦うことが自分の使命だとも考えていた。その考えは通りすがりの魔法使い(ウィザード)に敗れ、檻の外に広がる広大な世界を知ってから消え失せたが、代わりに「良心の呵責」を抱えるようになった。

 もちろん、その罪を誰かに転嫁するつもりはない。

 しかし、どうせ解放するのなら、もっと早く、ヒトを殺める前に解放してくれていたならよかったのに。そうしたら、誰も泣かずに、泣かせずに済んだのに──そうチンクは、攸夜をお門違いにも恨んでしまう。

 その思いはきっと、愛しい娘を救いたい一心で機動六課に所属し、必死で戦っているメガーヌも同様だろう。

 

 どうして助けてくれなかったのか、と。

 

 ――神は、世界はいつだって平等に残酷だ。

 

「ハイ、お話はここまで! みんな、気分を切り替えて? 戦闘はまだ終わってはいないんだから」

 

 自然とリーダー格に収まっていたギンガの一声が、散漫となった空気を引き締める。はっ、と彼女以外の面々が顔を上げた。

 

「きゃいんっ!」

「チィ……冥魔の加護を受けたとはいえ、ヒトの身でこれほどか! 我が輩も、もはや決闘を所望するなどとは言っていられん!」

 

 どうやら魔王二柱もそろそろ限界のようだ。特に、外面を捨て始めたエリィがいろいろな意味でヤバい。

 

「で、でも戦うって言っても、どうやって……。私たちの攻撃、ぜんぜん通用しないし――」

「それでもやるしかないだろ! 戦わなきゃ、ヤられるのはこっちだ!」

「――行きます!」

 

 スバルとノーヴェの問答を余所に、一人駆け出すエリオ。一拍遅れてチンクが続き、「ああっ、もう! また勝手してー!」と叫ぶスバル、ギンガとノーヴェがそれぞれ両足に装着した推進機器を起動させた。

 一端退いたマルコ、エリィを瞬く間に抜き去り、エリオがゼストに肉薄。タイミングが良かったのか、豪槍吹き荒れる攻撃圏の内側に飛び込んだ。

 

「うおおおおおっ!!」

「ぬぅ……!」

 

 歴戦の老将と若き騎士。信じた正義に裏切られた男と、未だ自らの正義を知らない少年が、三度激突した。

 

「エリオ!」

 

 溢れ出す瘴気が流水を瞬時に汚染し、迸る雷撃がそれを瞬く間に蒸発させる。

 絶え間なく鳴り響く鋼の音色。繰り広げられる激闘に、出遅れた四人は割って入ることができない。

 たった一人、エリオは善戦している。ゼストが多少手心を加えていることもあろうが、決定的な要因は彼本人の鬼気迫るその気迫。この壮年の騎士に何か思うところがあるのだろう、ことさら感情的に挑みかかっていた。

 メンタルのコンディションで実力が大きく変わるのは、育ての親のフェイトと同様のようだ。

 と、そのとき。

 

「ゼスト……!」

「旦那っ、ロストロギアはもういいから退けってヤツらが!」

 

 戦いを見守っていたルーテシアとアギトが口々に声を上げる。どうやら何らかの要因で、状況が変わったらしい。

 ちなみにリインフォースⅡは火の玉の直撃で目を回している。

 

「……ここらが潮時か」

「うわっ!」

 

 言うやいなやの豪槍一閃。

 ゼストの槍が横に薙ぎ払われると黒い衝撃波が巻き起こり、体重の軽いエリオは煽られてサッカーボールのように弾き出された。

 さらにそこから縦に振り下ろし、放たれた漆黒の大斬撃がエリオやスバルたちの間を断ち割って、大量の水をブチ撒ける。

 打ち上げられた水が引力に引かれ、辺り一帯に降り注ぐ。

 白く染まる視界。その光景はさながらどしゃ降りのスコールだ。

 川底に突き立てたストラーダを頼りに押し寄せる猛烈な濁流に耐えていたエリオの眼が、白いカーテンの先に揺らめく黒い闇を捉えた。

 

「ま、待て!」

「ゼスト!」

 

 雨が収まると同時に、エリオとチンクが制止の声を上げる。

 そこに込めた感情は正反対ではあったが、届かないとわかっていても叫ばずには居られなかったのは同じだった。

 歩みを止め、ゼストが肩口からわずかに振り返る。

 

「この勝負、預ける。チンク、そして少年よ」

 

 巌のようなその声を最後に、彼とその仲間たちは深淵の先に沈んでいく。退き際も見事な手際だった。

 

「……くそっ」

 

 漸進ずぶ濡れのエリオが、苦い表情で吐き捨てる。

 ジュエルシードを守ることこそ達成したものの、各々の心にどこかやるせないしこりを残した戦いは、こうして幕を下ろした。

 

 

   *  *  *

 

 

「原罪を糧に燃焼せよ! ギルティフレイム!」

 

 天あらゆる罪咎を焼き尽くす灼熱の獄炎〈ギルティフレイム〉が、天空で幾度となく炸裂し、超高熱の波動を振り撒く。

 焼き尽くす罪の重さに比例して威力を増すこの魔法の前では、冥魔の毒を孕んだモノは格好の燃料だ。

 

「天を突く(いにしえ)(ほむら)ッ、燃え上がれ! スカーレットイグニスッ!!」

 

 追撃の魔法。大規模な緋色の火柱〈スカーレットイグニス〉に包まれ、辺り一帯が焦土と化す。

 古代神の莫大な魔力を持って生み出された圧倒的な熱量は建物を瞬く間に焼き尽くし、灰燼へと還元する。

 

「く……、ああっ!」

 

 それらをまともに受け、アリシア・テスタロッサが小さな悲鳴を上げて墜落した。

 焼け焦げ火達磨の身体をビルの屋上に強く打ち据え、くすぶる炎を消すかのようにのた打つ。遅れて落下した大剣(カースドウェポン)が地面に突き刺さる。

 ふわり、とパニエによって優美に膨らむ煌びやかなドレスを翻し、魔王ルー・サイファーが静かに降り立った。

 

「……ふむ、大口を叩く割にはだらしのないことよ。もそっとまともな抵抗は出来ぬのか? これでは気の長い我も退屈で欠伸が出てしまうぞ、小娘」

「……っ!」

 

 呆れ混じりで嘆息し、侮蔑の視線を横目で送る。

 次元の違いをまざまざと見せつけられ、復讐の魔女は悔しそうに唇を噛んだ。

 ――ルーはこの戦いで、自らの分身たるアイン・ソフ・オウルをほとんど使っていない。それでなお、フェイトとほぼ同等の戦闘力を保有すると思われるアリシアを一蹴するその実力。不完全な状態ですら圧倒的なカリスマとパワーを誇る――それが“金色の魔王”、裏界帝国最強の大公である。

 

「さて、戯れもこれまでか。……そちは今回の事件、その核心に近い場所におるようだ」

 

 言うが早いか、アイン・ソフ・オウルが俯せたアリシアを取り囲む。

 純白の装甲に挟まれた紅い結晶が光を放ち、解放される“節制”に酷似した力――名付けるなら“強欲”と言ったところか。

 

「うぅ……く、はあっ、わたし、の、魔力、が……!?」

 

 傷ついた身体から魔力が拡散され、アイン・ソフ・オウルに流れていく。

 七枚の“羽根”が放つ神秘に僅かな魔力さえじわじわと強奪(スナッチ)され、荒い息を吐くアリシアは立つこともできない。

 抵抗力を完全に奪い去り、弱ってからゆっくりと拘束しようというのだろう。笑みを浮かべた口元を上品に扇で隠し、ルーは苦痛に這い蹲るアリシアを見下ろした。

 気品ある色合いの銀眼はひどく冷たい。

 

「そちにはいろいろと聞きたいこともある。さあ、我と共に来るがいい」

「だ、誰が……!」

「命ならば救ってやるぞ? 穢れた魂を救済する程度の奇跡、我らにとっては安いものだ」

「そん……、なもの! こっちから、お断りよ!」

「……ふむ。では我に降る気も話す気はない、と?」

「しつこい!」

「そうか。ならば疾く死ね」

 

 それっきり、足下に這い蹲った〈落とし子〉から興味を失ったルーの意志を受け、アイン・ソフ・オウルが出力を上昇させる。

 容赦なく魔力を奪われ、アリシアがとうとう痛ましい悲鳴を上げる。元々生気の感じられない病的な白い肌から、みるみるうちに血色が失われていく。

 

「魂魄を混沌に汚染されたまま魔力を奪えば、その生命を保つ事も危うかろうが。どうせ元より死していた身、さして変わらぬだろう? ……我が手ずから、穢土にて待つ母の許へと送ってやろうぞ」

 

 左の手の中に拳大の火球を生み出し、俯せのまま沈黙した少女を見下ろす。

 絶世の美貌をオレンジに染めて灼熱の炎が煌々と燃え盛る。

 

「……ま、ママ……ママの、ために、わたしは――」

「む?」

 

 俯き、何事かを呟くように独語するアリシアの姿をルーが訝しむ。ようやく心が折れたのかと僅かに気を緩めた瞬間、それは起こった。

 

「――うあああああああァアアアアアアアアアアーーーーッッ!!!!」

「うぬ……!?」

 

 喉を張り裂けんばかりに振るわせた絶叫を引き金に黒い瘴気が爆発する。

 拡散した濃密な漆黒の魔力がアイン・ソフ・オウルを四方に弾き飛ばし、ルーは咄嗟に腕で自らを庇う。

 ――凄まじい魔力爆発が収まった頃には、アリシアの姿はもうなかった。

 

「……逃した、か。――まったく我ながら詰めの甘い、これではベルのことを笑えないわね」

 

 ぽつりと自嘲をこぼしたルーに、部下からの悲鳴のような強い思念が届いた。

 

《ご主人様っ!》

「どうしたのエイミー? そんなに慌てて、エレガントではなくてよ?」

 

 やんわりと無作法を窘め、のんびりとした口調で問いかけた。

 だが、その常日頃に纏った優雅な態度も、もたらされた本題の内容によって容易く崩れ去る。

 

《申し訳ありません。しかし、若様が――》

「っ、なんですって!?」

 

 血相を変えた大魔王は後始末も忘れ、瞬く間にその場から転移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ♯28 「たったひとつの冴えたやり方」

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖王教会本部。

 ミッドチルダ北部、鬱蒼とした森林に囲まれたベルカ様式の――第97管理外世界に置き換えるならゴシック様式に近い――荘厳な建築物である。

 古代ベルカ文明に端を発するベルカ人たちの拠点、あるいは彼らの現在の故郷たるベルカ自治区の実質的な政庁として。また“教会”の名の通り、次元世界中の聖王教徒の信仰を集める大聖堂としての機能も合わせ持っている。

 近隣には付属施設である聖王医療院が併設されており、訪れた患者たちからは都市部よりも空気がずっと綺麗だと好評だという。

 機能美を徹底的に追求したクラナガンの街並みと比べると、華美で格式ある、悪く言えば過剰装飾・古くさいといった印象の廊下を、妙齢の女性二人組が歩いている。六課制服姿のフェイトとなのはだ。

 二人は先の事件の報告や後始末もそこそこに、カリム・グラシアの執務室へ呼び出されていた。

 

「……フェイトちゃん、目の回りが真っ赤だよ?」

 

 不意にかけられた言葉に、はたと足を止めるフェイト。なのはが同様に歩みを止めて振り返る。

 

「え? そお、かな」

 

 なのはの言葉通り赤く腫れ上がった瞼の辺りを触れながら、フェイトは小首を傾げる。いつものぼんやりとした表情が逆に痛々しい。

 有り体に言えば泣きはらしたような……、そんな印象をなのはは傍らの親友に感じていた。

 

「そうだよ、鏡見た? うさぎさんみたいにまっ赤っかだよ。……ねぇフェイトちゃん、なにか、あった?」

 

 おずおずと問うて見る。

 存外に泣き虫な親友のことであるから、目を腫らすまで泣くというのも珍しくはないがそこまで涙を流した理由がわからない。

 

「うーん……ちょっと、ね」

 

 困ったように苦笑するフェイト。一応、心当たりはあるらしいが、歯切れがどうにも悪かった。

 

「そっか……。それでフェイトちゃん、その“ちょっと”は解決したの?」

「現在進行中、かな」

「理由は、やっぱ教えてくれない?」

「……」

 

 取り繕うような曖昧な笑み、無言の肯定。それ以上追求することをなのははしなかった。

 以前のなのはなら、無理やりにでも聞き出そうとでもしたかもしれないが、今の彼女はそんなこと思いつきもしなかった。数々の経験は、なのはを精神的にも成長させていたのだ。

 フェイトが言いたくないのならそれでいい。自分に相談してくれるなら自分の力が必要な事柄であり、そうでなければ自分の力では解決できない問題だということ。

 いつか誰かが言っていた。

 “同じ道を歩むのが仲間であり、違う道を行くのが友である”、と。

 ――であるなら、やはりなのはとフェイトは友だちなのだ。

 

 違うものを見て、違うことを感じて。

 違う願いを抱いて、違う場所を目指して。

 それでも心は、しっかり繋がっている。

 地球に残した親友たち――アリサやすずかともそうであると信じている。信じたい。

 

「でも、ピンチのときはちゃんと頼ってね。――友だちでしょ? 私たち」

「……うん。ありがとう」

 

 親友の気遣いを噛みしめるように、フェイトはふんわりとはにかむ。

 こぼれた笑顔は透明で、野に咲く可憐な一輪の花のように可愛らしい。

 

(……ふぇ、フェイトちゃん、その笑顔は反則だよぅ……)

 

 思わず赤面した顔を両手で隠し、なのはは恥ずかしそうに俯いた。

 

 

   *  *  *

 

 

 カリム・グラシアの執務室。

 日当たりがよく、格調高い調度品で統一された部屋の応接用のソファーセットに、神妙な面持ちで座るフェイトとなのは。はやてと合流し、初対面同士の自己紹介も済ませている。

 なお、この部屋に集合したことに深い意味はない。はやての親しい友人であり、管理局・聖王教会において一定の地位を有しているという点を考慮して選ばれただけである。

 さておき、部屋の主である修道女服の女性――カリムは自分の執務机に着いており、青いゆったりとしたドレスを纏った黒髪の女性が一同の視線を集めて静かに佇んでいた。

 

「では、ユウヤさんは……」

「……魔王シャイマールは現在、此方の医療施設に収容されています。意識こそ回復していますが、動けるまでには今暫くの時が必要でしょう」

「そ、そんな……」

「ウソやろ……」

「……っ」

 

 青いドレスの女性、リオン=グンタのもたらした情報に、部屋の空気が氷点下を下回った。

 個人的な交友のほとんどないカリムはともかく、絶句して言葉も出ないなのはやはやてのショックは計り知れない。事前に知っていたらしいフェイトでさえ、ひどく沈痛な面持ちで膝の上に置いた両手を握りしめているのだから。

 

(……フェイトちゃんが泣いてた理由って、これだったんだ……。攸夜くんが命に関わる大ケガしたんじゃ、当然だよね……)

 

 途切れ途切れになった意識の糸を手繰り寄せながら、なのははそう納得していた。

 自分だって信じられないし、ひどくショックなのだ。恋人であるフェイトの心痛は如何ばかりだろうか。想像だにできない。もっとも、真相は当たらずとも遠からずと言ったところだったが。

 と、茫然自失からいち早く立ち直ったはやてがリオンに質問する。

 

「それで、攸夜君と相打ちになった敵のことわかっとるんか?」

「ええ。その名を“冥刻王”メイオルティス……ファー・ジ・アースにも来襲し、配下を使って破滅を振りまく強大なる冥魔の王の一柱です」

「“冥刻王”……」

 

 禍々しい渾名を絞り出すように呟くフェイト。その鮮やかなスタールビーの双眸の奥底に一瞬だけ、昏く濁った感情が過ぎる。

 

「……彼にほぼ相打ちに持ち込まれ、力を減じている可能性もありますが、油断は出来ません。……我々がどれだけ盛強な存在かは、ご存じでしょう」

「たしかに……」

 

 なのはが呻くように同意する。魔王の――というか、ベール=ゼファーの被害を一番被ったのが彼女である。

 

「はぁ……、ますます事態が混迷して来たようね。私のレアスキル、“預言者の著書(プロフェーティン・シュリフテン)”もこの有様よ」

「うわ、真っ黒ですね」

「まったく読めへんのは相変わらずみたいやな、カリム」

「ええまったくよ、はやて」

 

 ぼやくカリムが一同に見せたのは、ページ一面が黒く塗り潰された手記らしき書物。年に一度、近しい未来を抽象的ながら予言する彼女の古代ベルカを由来とする才能も、四年前――“冥王の災厄”以来効力を失っていた。

 

「……当然ですね。ヒトの矮小なる力で運命を識ろうなど行為自体、不遜極まりない」

 

 “秘密侯爵”の不躾な言い様に、むっとカリムが眉間に皺を寄せた。少なからず誇りとする才をバカにされて面白くないのだろう。

 

「だいたい、なぜあなたがここにいるのです?」

「……貴女方に、この事態についてご説明差し上げよと仰せつかったのです。疑問もおありでしょう?」

 

 カリムの非難がましい視線を涼しげに流し、リオンが答える。

 彼女の言葉に反応を見せたのは意外にもはやてだった。

 

「なら一つ、教えてもらおうやないの。前々から訊いてみたいことがあったんや」

「……なんでしょう」

「冥魔って、結局のところなんなん?」

「……。……冥魔とはかつて、神々の戦争の際に産み出された生体兵器であり――」

「ちゃうちゃう、そういう基本的な知識やなくてな。なんで冥魔が私らの世界に現れるんか……そこが私にはわからんのや。あんたらなら、なんか掴んでるんと違うか?」

 

 挑むような視線を正面から受け、リオンは諦めを込めて小さく嘆息した。

 

「……結論から言えば」

 

 結論から言えば? とオウム返しする一同。どこか期待するような、ワクワク感がある。

 勿体ぶった沈黙を生み出し、思考の読めない微笑を浮かべた魔王がその重い口を開く。

 

「理由はわかりません」

 

 が、鮮やかに肩すかしを食らってずっこける。

「わからへんのんかい!」はやてがすかさずツッコミを入れた。関西人の血は伊達ではない。

 

「……大樹の如く無限に枝分かれする確率変動世界、あるいは我々の主八界を始めとする異次元宇宙――、それら平行世界とは本来交わってはならないもの。どこまで進んでも絶対に交わらないからこそ、()()と称されるのです」

 

 自らの故郷を例に、“秘密侯爵”は真理の一端を説く。

 

「ひとつひとつの世界は同じに見えて、世に満ちた理も、世を形作る構造も、過ぎ去った過去も、歩み至る未来も、記録された運命も……あらゆるものが決定的に異なっている」

 

 “魔法”という概念一つ取ってみてもその差異は明らかであるように、ファー・ジ・アースと第97管理外世界というふたつの“地球”もまた、完全に異なった別個の宇宙なのである。

 

「故に両者は交わらない、はずだった」

 

 それは書物を紐解くようで。

 あるいは歴史を紡ぐようで。

 いつの間にか、聞き手たちはその語り口に引き込まれていた。

 

「じゃあどうして私たちはこうして出会って、話すことができているの?」

「……それは、シャイマールが、“七徳の宝玉”が両者の世界を(えにし)で結んでいるのです」

「えにし?」

「ええ。……偶然にしろ必然にしろ、この世界に流れ着いた彼を基点に、ヒトが縁、あるいは絆と呼ぶものが生まれたのです」

 

 絆、とフェイトが声には出さず胸中で繰り返した。

 

「貴女方も知っているように、彼は一度、自らの存在全ての消滅と共にこの世界から去っています。その原因は身の程を超えた“運命”すら塗り替える力を揮った反動にありますが、彼はしかし諦めませんでした。汚泥を啜ってでも力を蓄え、然る後に帰還しよう、と。……幸い、在るように上書きされたこの世界にあってただ一つ、変わらない“絆”の()がありましたから」

 

 はっとして、フェイトが両手で胸元――金色のネックレスを押さえる。

 これが自分たちを再び惹き合わせてくれたのだという漠然とした思いがこのとき、確信に変わった。

 

「そうして全ての準備が整い、此方へと凱旋する段階になって初めて……絶対に有り得てはならない異常を見つけた」

「それが……冥魔」

 

 こくり、とリオンが頷く。

 

「自分の一人には手に余ると考えた彼は、他の裏界魔王たちに協力を求めた訳ですが……ここからは割愛しましょう。……ともかく、我々にも原因が掴めないのです」

 

 本来、こういった事の調査は“魔王女”の得意分野なのですが。リオンは憂鬱そうに言葉を切る。

 その「一人不思議の国のアリス」こと“魔王女”イコ=スーはと言えば。相変わらず自室に籠もって、「すごくこわいことがおきるのです……、とてもこわいことがおきるのです……」と念仏のように繰り返しているとかなんとか。冥魔に関することと基本的に距離を置いている彼女だが、この件には特に関わり合いになりたくないらしい。

 とはいえ、ミッドチルダ――ひいては次元世界に訪れるであろう“カタストロフィー”を、「“魔王女”の黙示録」としてきっちりと預言しているのはさすがと言えよう。

 

「……」

 

 解決の手掛かりが失われてしまい、部屋の雰囲気が沈む。

 ……ただ、とリオンが囁くように呟いた声がやけによく響いた。

 

「……此方の冥魔はやはり、主八界のそれとは少々趣を異なる様です。生体兵器というより――そう、強いて言うなら()()の様な……、そんな印象を感じます」

 

 抽象的で要領を得ない物言いに困惑が広がる。

 

「そういえば、保護したっていう女の子はどうなったんや。“冥刻王”とやらに狙われてたらしいし、なんや知ってるかもしらんよね」

「ああ、あの子ね。あの子なら、いまは病院のほうで精密検査を受けてると思うけど……」

 

 つい、と詳しく事情を知っていそうな聖王教会の幹部になのはが目線を送る。

 

「ええ、その件は伺っています。そろそろ検査も終わるころですから、連絡があってもいいはずですが」

 

 と、そのとき。

 執務机に備えつけられた趣味のいいアンティーク調の電話のベルが鳴る。

 

「はい、もしもし。……あらシャッハ、どうしたの? ――そう、わかったわ、あなたは人手を集めてちょうだい。私たちもすぐに捜索に向かいます」

「……カリム?」

 

 訝しげにはやてが問うと、受話器を置いたカリムは険しい表情でこう答えた。

 

「例の少女、行方を眩ましたわ」

 

 

   *  *  *

 

 

 清潔が保たれたリノリウムの廊下をフェイトが足早に行く。その足取りには隠しきれない焦りと苛立ちが滲み出ていた。

 

 ――保護した少女が行方を眩ました。

 

 カリムの執務室でそのことを知らされたフェイトたちは、すぐに聖王医療院に赴くと手分けして付近の捜索を開始した。

 少女自身は何も知らないにしろ、冥魔の企みを解き明かすためのカギであることは間違いないし、年端もゆかぬ幼い少女を一人っきりにさせているというのは精神衛生上よろしくない。

 早急に探し出して保護する必要があった。

 

(はぁ……、次から次にトラブル続きで、なんか疲れちゃったな……)

 

 ただ、今のフェイトには行方不明の少女のことは割とどうでもよかった。

 より正確に記すなら、一時は生死の境をさまよっていた恋人の体調が気になって、それどころではなかったのである。

 もちろん少女の身を案じてもいるし、早く見つかればいいとも思っているが、とにかくタイミングが悪かった。

 カリムとの面談が終わればすぐにでも攸夜のところに向かうつもりでいたのに、未だ自分は延々と歩き回っている。さすがに仕事の一環では投げ出すこともできず、本人も気づかぬまま募らせた焦燥は尋常ではない。任務中に遭遇した、あえて目を背けて考えないようにしている“彼女”のことも合わさって、フェイトの心はじわじわと蝕まれていた。

 フェイトにとって「世界そのもの」である攸夜の存在は、それだけ彼女の多くの部分を占めているのだ。

 

「……はぁ……あの子、どこ行っちゃったんだろ?」

 

 建物内を探し回ってはや十分。精神的にも肉体的にもハードな任務明け、さすがに足取りにもやや疲れが見え始めた頃。

 子どもの足でこの施設の敷地外に出たとは考えにくい。どこかに隠れていたりするのだろうか。

 ふと、思いつく。

 

「バルディッシュ、探査魔法とかってできる?」

『可能ですが、ここ一帯は魔法禁止区域内です。使用は控えた方が賢明では?』

「そっか……、そうだね」

 

 パートナーの指摘に納得して意見を取り下げる。

 自分がやらなくても聖王教会の職員の誰かがすでにやっているだろうし、わざわざ規則を破って叱られても面白くない。

 第一、監視カメラの映像や何やらですぐに足取りを追えそうなものだ。そもそもこうして探し回る必要がはたしてあるのか、という思いが脳裏を過ぎる。

 

(…………。……これだけ探しても女の子は見つからないし――、ユーヤのとこ、行っちゃおうかなー……)

 

 真面目な優等生気質である彼女らしからぬ、自分勝手な思考。疲労と心労はピークに達し、弱気の虫が頭をもたげる。

 フェイトのモチベーションは、現在最安値を更新中だった。

 何気なく視線を窓の方に向けると、見慣れたサイドテールの後ろ姿を見かける。

 

「……なのは?」

 

 白いを着た例のオッドアイの少女を後ろに庇い、聖王教会のシスターらしき人物と向かい合っている。何がどうなって現在の「まるで戦闘開始五秒前」な状況に推移したのかはよくわからないが、自分も今すぐ向かった方がよさそうだ。

 フェイトはそう結論づけると、最寄りの階段を探して再び歩き始めた。

 

 

 聖王医療院、中庭。

 季節の花々が咲き乱れた華やかな花園。素人目で見ても隅々まで丹誠込めて手入れをし、育て上げたことがわかる見事な庭園だ。

 美しい自然の芸術に目と興味を引かれつつ、フェイトは声を上げた。

 

「なのは!」

「フェイトちゃん」

 

 心強い味方を得たとばかりに、なのはが安心の笑顔を浮かべる。

 フェイトはやや当惑した様子で対峙する両者を見回した後、当事者にして事情を知っているであろう親友に問う。

 

「ええと……、これってどんな状況?」

「あ、うん。えと、それはその……」

「そこの人造魔導師を引き渡していただきたいだけです」

「……人造魔導師?」

 

 ショートカットのシスター――シャッハ・ヌェラの端的な言葉に、フェイトは紅い瞳をわずかに見開く。

 人造魔導師――、彼女には因縁浅くない単語だ。自然とフェイトの姿勢は厳しくなり、敏腕捜査官としての顔が表に出る。

 

「検査の結果、その少女が人造魔導師であることが判明したのです。どんな危険な力を持っているかもわかりません、早急に身柄を拘束しなければ」

「そんな乱暴な言い方しなくたって……この子が、ヴィヴィオちゃんが恐がってますよ」

「その弱々しい姿すら擬態かもしれません。世界の災いとなるならば、いっそ――」

「っ、それが聖職者の言うことですか!?」

 

 シャッハの害意となのはの大声に驚いたのか、足元の少女――ヴィヴィオという名前らしい――が身を竦ませた。

「ママ……」なのはのスカートの裾をきゅっと強く握りしめ、小さく肩を震わせる姿は憐憫を誘う。子どもの世話好きなフェイトはずきりと胸に幻痛を感じた。

 でもママって……なのはのこと? と首を傾げてもいたが。

 とりあえず念話ではやてとカリムに連絡を取りつつ、フェイトは不毛な問答を続けている二名を宥めることにした。

 

「なのは、落ちついて。それから、えっと……」

「シャッハ・ヌェラです。シスター・シャッハとお呼びください」

「あ、はい。ではシスター・シャッハ、あなたの個人的見解の是非はともかく、私たちにその子をどうこうする権利はないんじゃないでしょうか。まずは騎士カリムやウチの部隊長に指示を仰ぐべきだと思います」

 

 若干毒の入ってしまった感はあったが、決して間違った意見ではない。むしろ道理が通っている。

 

「……確かに。いささか考えが飛躍していました、すみません」

 

 その証拠にシャッハは少し考える素振りを見せたのち、謝罪して矛を収めた。

 なのはもひとまず胸をなで下ろした様子で、微笑を浮かべて少女の髪を撫でている。

 ようやく騒動が終息したかに見えたそのとき、

 

「――おや、それを処分しないのかね。私はそこのシスターの意見に賛成なのだが」

 

「「「!!」」」

 

 横合いから投げかけられた第三者の言葉に再び場の空気がざわめいた。

 発言者は、ずかずかと近寄ってくる白衣姿の男性。肩まである紫のウェーブがかかった長髪に、整っているがどこか年齢不詳の顔立ち。フルーツの盛り合わせの入った籠を抱えた何の変哲もないスーツ姿の女性を連れていたが、フェイトは男の方から目を離せなかった。悪い意味で。

 ――見覚えがある。忘れられるわけがなかった。

 無言でフェイトは男性からなのはと少女を庇うように歩み出て、数瞬遅れてなのはが男の正体に気がつく。ミッドチルダとその文化圏の時勢に疎いなのはであっても、顔くらいは知っていた。

 次元世界に悪名を轟かせた希代の次元犯罪者。その名は――

 

「ジェイル、スカリエッティ……!!」

「初めましてと言うべきかな? “エースオブエース”高町なのは、そして、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン――“F”の落とし子」

「……ッ」

 

 嫌と言うほど思い知る自分の仄暗い出自をあげつらわれ、フェイトは美しい眉の間に鋭い雷を走らせた。

 

「フフ……」

 

 粘着いた視線と胡散臭い笑みにさらされて、フェイトの全身が総毛立つ。

 明確な拒絶と不快感はある意味でデジャヴ。ガラス越しの実験動物を見るような目に、今思い返せば“母”のそれと酷似する色を感じた。断じて認めたくないことであったが。

 それを意識した途端、身体の震えが襲う。

 十年間、心の奥底に根を張って弱い部分を自傷する心的外傷は簡単に拭い去れるものではなく。

 震える自分の身体を押さえ込もうと自らを掻き抱き、フェイトは唇を掻んで瞼をぎゅっと瞑る。膝を突くことこそなかったが、腕から血が滲んでしまいそうなほど強く掴んでいた。

 

 すると、どこからともなく飛来した黒い槍がスカリエッティの顔の、わずか数センチ横を通り抜けて後方に着弾。エグい音を辺りに轟かせ、木々を木っ端微塵に粉砕する。

 はらはらと紫の毛が舞い、場の空気が一瞬にして凍り付いた。

 

「「「「…………」」」」

 

 絶句する一同。妙な静寂を破る甲高い電子音。

 何かに気づいたスカリエッティが懐から電子音の源らしい、タブレットタイプの携帯端末を取り出す。どうやら電子メールの着信音だったようだ。

 ディスプレイをタッチし、メールフォルダを開く。そこには「余計なことはするな」の一文。

 

「おやおや……()の大魔王がお怒りの様子だ。くわばらくわばら」

 

 自らのすぐ脇に広がる惨劇の痕を見、スカリエッティはそう冗談めかした。その傍らでは、彼の悪ふざけのとばっちりを受けた助手が本格的に呆れている。

 一見、澄ました表情で取り繕ってはいるのだが、頬の辺りがひくひくと引き吊っていることをフェイトは見逃さなかった。

 

(ユーヤ……、ありがとう……)

 

 援護射撃――実力行使的な意味で――の贈り主は考えるまでもない。暖かな安堵とともに、してやったという小さな優越感が彼女の豊満な胸を満たす。

 隣では、突然の出来事にびっくりして今にも泣き出しそうな涙目の少女を屈んで慰めていたなのはが、「愛だねー……」としみじみ呟いていた。

 

「なぜ、あなたがここに? あなたは管理局の監視の下、収監施設に拘留されているはずだ」

 

 某過保護な魔王によるまさかの武力介入でいくらか正気を取り戻し、さりとて敵意を隠す気もないフェイトが語気を普段よりも強めて問い質した。

 年齢不明の科学者は、ニヤリと嫌らしい笑みを口元に浮かべた。

 

「さて? 君の疑問はもっともだが、私はこうして君の目の前にいる。いったい何故だろうね、執務官殿?」

「はぐらかさないで! ことと次第によっては実力行使も辞しません」

 

 詰問を茶化され、声を荒げるフェイトは懐のバルディッシュに手をやる。薄笑いと返答の軽薄さが、彼女の憤りに拍車をかけていた。

 

「……やれやれ、まったく気の短いことだ。それは――」

「それは私が呼んだからや」

 

 肩をすくめるスカリエッティの言葉を引き継いだのは、彼女たちの幼なじみにして親友の上官だった。

 

「はやて?」

 

 カリムとともにやってきたはやてはシャッハの横を颯爽と抜け、フェイトとなのはの隣――二歩半ほど前に立つ。カリムは自分の部下と合流し、軽く状況を聞き出している。

「攸夜君、誰がこれ弁償すると思っとるんやろ……」と破壊の爪痕に対して感想を独り言ち、渦中の少女と科学者を交互に見やった。

 

「その子が人造魔導師やってさっきカリムから聞いてな、一番事情を知ってそうなこのマッドを呼び付けたんよ」

「シャイマールが重傷だと耳にしてね、見舞いの準備をしていた最中だったのだが。まさか迎えのヘリまで寄越されるとは、豪気なことだ」

「はんっ、そんならちょうどよかったやないの。こっちはあんたが外を出歩けるよう上に掛け合ってやったんや、むしろ感謝してほしいくらいやわ」

 

 スカリエッティの皮肉に軽口を叩いて返すはやて。親しげ――ではないが、両者は明らかに顔見知りの様子。

 何か妙なことになっている、とフェイトはなのはと顔を見合わせて首を傾げる。

「げふげふ」はやては改まった咳払いをし、事情が判然とせず困惑の色を隠せない部下たちに向けて口を開く。

 

「さて、改めて二人に紹介しとく。機動六課の技術開発顧問、“ドクター”ことジェイル・スカリエッティ氏や」

「そしてこちらは助手のウーノだ。彼女共々よろしくしてくれたまえ」

 

 紹介を受け、今まで沈黙を保ち続けた付き添いの女性――ウーノが一礼する。

 が、フェイトとなのはは呆然としていて全く聞き届いていなかった。

 

「……えっ?」「はやてちゃん、いまなんて?」

 

 口々に聞き返す二人。当惑混じりの声色からは「否定してほしい」という気持ちがありありと伺える。

 苦笑するはやて。次々に流転する展開についていけず、動転しきりの友人たちを宥め賺すように――あるいはとどめを刺すように――、再度、努めてわかりやすい、端的な表現を選んで告げた。

 

「信じたくないんはよーくわかる。せやけど、これは現実や。……このおっさんは私ら機動六課の身内です」

 

「「え、ええええぇぇぇぇ~~~~っ!?!?」」

 

 自分たちとの意外すぎる関係をようやく理解させられた二人の、息の合った悲鳴が庭園に響いた。

 

「どどど、どういうことなのはやてちゃん!?」

「はやて、どうしてこの人が――!」

「文句なら攸夜君に言うてやー」

 

 割と衝撃的な事実が明かされ、驚愕しきりの親友二人を鮮やかに無視して、はやてはニヤニヤするマッドサイエンティストに問い質す。

 

「単刀直入に聞くけど、あんたその子の正体知ってんやろ?」

「ふむ、端から決め付けかね八神部隊長。まあ、心当たりなら確かにあるよ。私としては些か想定外なのだが」

「んなら勿体ぶらんとキリキリ吐んかい。隠し立てすんならしばくで?」

 

 詰め寄る剣幕は、今にもデバイスを取り出しかねないほど。さきほどのフェイトといい勝負だ。

 あんまりな言われ様に、スカリエッティは胡散臭い笑みを顔に張り付けたまま肩をすくめた。

 

「では単刀直入に言わせてもらおう。その少女は古代ベルカ時代の指導者、“聖王”――正確にはそのクローンだ」

「なんですって!?」

「ちょっとカリムうるさい。黙っといて」

「うぐっ」

 

 瞠目して、悲鳴のような声を上げた友人の出鼻をぴしゃりと挫くはやて。自らが信仰する宗教の根幹に関わることなので、カリムにとって聞き捨てならないのも無理はないのだが。

 

「……ねぇフェイトちゃん、せいおー、ってなんだっけ?」

「うーん。私もよく知らないけど、ずっと大昔のベルカを率いてたひとで、聖王教会の祀っている神さま?らしいよ。昔のベルカはミッドチルダと戦争してたんだけど、ロストロギアの暴走で文明は滅びちゃったんだって」

「へぇー。じゃあ、えらいひとなのかな?」

「……たぶん」

 

 ――などと置いてけぼりを喰らった感のある二名が、ひそひそ声を潜めて相談していたりする。

 が、フェイトの説明はかなり漠然として要領を得ない。

 歴史に何の興味もない一般的な年頃の女性ならば、さもあらんと言うべきだろうか。一応、自分が所属している国家と団体にも関連する事柄ではあるのだが……。

 

「その根拠は?」

「あの特徴的なヘテロクロミアだよ。DNAを照合してみなければ正確な事は言えないが、まず間違いないだろう。文献によればベルカの聖王は代々翠緑と深紅のオッドアイであり、虹色の魔力光〈カイゼル・フェルベ〉と無敵の“鎧”を持っていたとされている」

「ええ、確かにその通りです。……その子、よくよく見ると記録に残る聖王の面影があるようにも思うわ」

「私も、騎士カリムと同意見です。部外者に指摘されるまで気づかなかったとは……不覚です」

 

 聖王教会関係者が口々に同意を示す。だが、そのクローンニングの元となった遺伝子情報の出所という、新たな謎が浮上した。

 カリムがふと思い浮かんだ可能性を口にする。

 

「まさか、盗まれた聖遺物から……?」

「ふむ、おそらく。以前、部下に命じて聖王の遺伝子情報が残っていると思わしき聖遺物を盗ませたことがあってね。そのデータは解析した後、裏社会に流したんだが――」

「原因はあんたか!」

「聖遺物の紛失の一件はあなたの仕業だったのね!」

 

 はやてとカリムが口々に責め立てる。

 

「ハハハ。君たちは知らないだろうが、その件も私の罪状に加えられているのだよ。一事不再理というじゃないか」

 

 そう言われてしまえば追求できない。司法の基本を盾にうまく居直られてしまい、フェイトは内心で少々残念に思った。

 

「だが、断じて言うが実際に製造したのは私ではないぞ? 手間を省くために、遺伝子情報を拡散させたのだからね。第一、そういった違法な生命科学を研究する機関は軒並みシャイマールに撫で斬りにされ、生き残りも取り込まれて私同様に管理されているはずだ」

「そういや攸夜君が前にそんなこと言うてたなぁ。……ほんとにあんたと違うん?」

「そもそもクローンニングなど時代遅れの枯れた技術、今更興味など感じんさ。今の私の研究課題は“ホムンクルス”の実現だ」

 

 次のナンバーズは〈ホムンクルス〉として、だのと自分の研究についての話題に脱線しだしたマッドは放っておき、はやてとカリムが相談する。

 

「となると、いったい誰がその子を生み出したかが問題になるわね」

「冥魔がどっかの研究者を洗脳なりなんなりして、とか?」

「あり得るわね……。でも、なんのために?」

「うーん……せやけど、あんたなんで聖遺物なんて盗ませたん?」

 

 再び、スカリエッティに話題が移る。

 

「うん? そうだね。無論、研究目的というのもあったが、一番の理由はやはり“ゆりかご”だろうか」

「“ゆりかご”というと、あの?」

 

 カリムがスカリエッティの言葉に応える。聞き慣れない単語にフェイトとなのはが顔を見合わせた。

 それぞれの理由で事情をよく知る二人の会話は続く。

 

「そうだ。最高評議会がその存在を秘匿し、今は聖王教会が管理・調査しているあれだよ。“ゆりかご”とは聖王の御座艦にして“鎧”――この現代に聖王の血を蘇らせる理由があるとするなら、あの兵器以外には考えられない」

「少々ベルカの歴史を学んでいればわかることとはいえ、ずいぶん詳しいのですね」

「シャイマールが来襲する以前、管理局に対して起こすつもりだったクーデターの切り札にと考えていてね。例えば、搭載されていた防衛兵器はいわゆるガジェット・ドローンの雛形にさせてもらった」

「あんたそんなこと企んでたんかい……」

「今となっては無駄な時の浪費だったと反省しているがね」

 

 政治色の濃い会話を黙って聞いていたなのははふと、毎日の日課になっているユーノとのメールのやりとりで出た、「最近発掘された、古代ベルカのフネの見取り図の捜索を聖王教会から依頼された」という旨の話題を思い出した。

 “兵器”という仰々しい単語に少し不安になって、なのはが質問する。

 

「……その、“ゆりかご”っていうフネはそんなに危険なものなんですか?」

「いや、それほど大それたものではないよ。通常の魔導師相手ならいざ知らず、高濃度のAMFと防衛兵器を用いたとしても戦闘機型や戦車型の“箒”、そしてB-Kの攻勢を食い止められるものではない。さらによしんば月の魔力を得られる衛星軌道上に辿り着けたとしても、ミッドチルダの宇宙(そら)にはセフィロトがいる」

 

 スカリエッティは嘲笑を浮かべ、蒼く晴れた空に浮かぶ双子の月――その遙か先にあるであろう白亜の巨艦を指さした。

 

「おそらく“ゆりかご”では迎撃用の反応魚雷はおろか、対空砲火の誘導レーザーにすら耐えられないだろうね。逆に空間歪曲障壁を抜くことも、単一素粒子の装甲を傷つけることも尋常な兵器では不可能だ。両者には、大人と赤子というレベルでは済まない戦力差があるのさ」

 

 セフィロトの非常識かつ理不尽な仕様を、楽しげに解説するスカリエッティ。単艦で次元世界一つを制圧できるという売り文句は、決して誇大妄想ではないのだ。

 無論、その運用には厳しい制限が科せられており、基本的には管理世界共同体の国際会議による議決でのみ他の次元世界に進出することが許される。

 しかし、ミッドチルダ周辺の領域であればある程度裁量の自由が認められている。その点、彼の考察は正しい。

 

「――が、冥魔の王がその少女を欲していたというのなら話は変わってくる」

 

 一転、冷酷な声が一石を投じた。

 

「そんな時代遅れな遺物を持ち出してくるのだからね、彼らには彼女と“ゆりかご”を有効的に活用出来る何らかの手段や思惑がある訳だ。もう一度言うが、私は速やかな処分を推奨しよう」

「まぁ、せやろなぁ……」

 

 はやての疲れ混じりの言葉を皮切りに、その場の全員の視線がオッドアイの少女――件のクローンへと向けられた。

 ぽけーっと花畑で舞う蝶々を目で追いかけていた少女は、大人たちから注目に慄いて再びなのはの足に抱きつく。

 

「たった一人の犠牲で、失われるかも知れない数千数億の命が救われる。簡単な引き算だと私は思うがね」

「それは――」

 

「そんなの、そんなのダメだよ!」

 

 なのはの悲痛な声が、傾きかけた流れを断ち切った。

 いささか感情的になっている彼女は、足下の少女を大人たちの視線から庇うように抱き寄せる。それを見て、密かにはやてが面白がって笑みを浮かべた。

 

「こんな……、こんな小さな子を犠牲にして。それで手に入れた平和なんて、そんなの間違ってる!」

「私も、なのはの意見に賛成だよ」

 

 フェイトも賛同を示すと、なのはが安心したように微笑んだ。

 

「ふむ。確かに最善とは言い難いが、最も優れた次善の策ではないのかね?」

「最善を目指すなんて言わない、世界がそんな単純じゃないことだってわかってる。……でも、誰かを救うためだと言い訳して、こぼれ落ちる命を諦めるなんて、私にはできない」

「何も切り捨てず、全てを救うと? それは理想だよ、妄想と言ってもいい。その空虚な幻想から産まれた自己満足の恣意的ヒロイズムが、さらなる悲劇を生むとは考えないのかい?」

「私は、始める前からできないって諦めたくないだけ。たとえあなたの言うことがたった一つの正解だったとしても、犠牲が出ることを仕方ないなんて言葉で片づけてしまうくらいなら――」

 

 言葉を切り、フェイトは薄笑みを浮かべるスカリエッティを正面から見据えた。

 

「そんな正解、私はいらない」

 

 正論にも揺らぐことのない瞳はその鮮やかな真紅に断固たる信念と、混じりっけのない覚悟を灯していた。

 

「お話にならないね」

「っ、あなたは!」

 

 険悪なムードが漂う。

 ここではやてが行動を起こす。

 

「と、いろいろ意見が出たわけやけど。カリムはどう思う? 聖王教会の幹部としての立場からご意見をどーぞ」

「嫌な言い方をしてくれるのね。……包み隠さずに言うなら、その少女をこちらで確保したいところよ。もし本当にその子が聖王のクローンなら、ね」

「おやおや」

 

 争いの火種を嗅ぎ取り、愉快げな声で茶化すマッドが武闘派シスターに殺す気で睨まれて肩をすくめた。

 

「でも、今の管理局と下手に事を構えたくないのも教会の本音。だから私ははやての決定に賛同し、最大限協力することにするわ」

「そこで丸投げするカリムもええ性格してるわぁ」

「あら、当然の流れだと思うけど。責任重大ね、部隊長さん?」

 

 そう言って、軽くウィンクする食えない友人に若干の徒労を感じつつ、はやては襟を正す。

 

「さて今回の件やけど、まさしく“冷たい方程式”やね。まあ原典の“カルネアデスの板”でもええけど」

 

 読書家らしく、はやてが無駄に蘊蓄を披露する。

 頭上にクエスチョンマークを浮かべる聴衆――スカリエッティは何やら思い当たるらしいが――に、彼女はお得意のふてぶてしい顔を見せた。

 

「私らの故郷、第97管理外世界の古い哲学の問題でな。

 とある一隻の船が難破し、乗務員は全員海に投げ出されました。一人の男が命からがら、一枚の板にすがりつきました。

 するとそこにもう一人、同じ板に捕まろうとする人が現れました。けれども二人が捕まれば、板そのものが沈んでしまうかも知れない。そう考えた男は後から来た人を突き飛ばして殺してしまいました。

 そのあと救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたましたが、罪には問われませんでした。

 ……と、こういう筋書きのお話や」

「ふむ、なるほど。緊急避難の命題というわけだね。人間心理と社会の矛盾を突いたなかなか興味深いテーマだ」

「あんた無駄に博識やね……」

 

 言わんとするところをすんなり理解した科学の鬼才に、感心を通り越して呆れるはやて。人種は違えど生殖も可能な同じヒトなので、似たような哲学的な考え方があるとは言え、いくら何でもあっさり理解しすぎである。

 気を取り直し、はやては再び口を開いた。

 

「まとめると、誰かを犠牲にして生き残ることは、法治社会では時に悪でなくなることもあんねや。ひとりの命を代償にその他大多数を救済する……たしかに合理的で冴えたやり方や。たとえばそれが、幼い少女の命やっても」

「はやて……」

「はやてちゃん……」

 

 不安げに見つめる親友たちに、はやては思わず笑えてしまう。そんなに自分は頼りないのだろうか、と。

 

「でもなぁ、私は物語でもなんでも、ハッピーエンドが好きなんや。完全無欠、ご都合主義な大団円ならもっといい。トゥルーもグッドもいらん、誰も失わず、誰も悲しまんと笑顔になれる――、私はそんな夢みたいな未来がほしい」

 

 かつて忌まわしき“闇”に囚われ、親友たちの懸命により救われた彼女が取り得る手段など、初めから一つしかないのだから。

 

「……せやから私がどうするかなんて、決まってるやろ?」

 

 現実の辛さや厳しさも併せて飲み込んで。

 はやては今日も、ニッと大胆不敵に笑うのだった。

 

 

   *  *  *

 

 

 夕暮れの聖王医療院、とある病室。

 私はベッドサイドのイスに座り、まっ赤なリンゴの皮を剥いていた。

 このリンゴ、スカリエッティにお見舞いだと押しつけられたものだ。――とりあえず、へんなところはない、と思う。

 ……あっ、皮、途中で切れちゃった……皮を切らさないように剥くのはやっぱり難しい。

 

 はぁ、とため息。リンゴを脇に置く。

 かたわらのベッドで黒髪の男の子が規則正しい寝息を立てている。夕焼けに染まる穏やかな寝顔に幼いころの面影を見て、胸が苦しくなる。

 着ているものこそ普通の紺色のパジャマだったけれど、シーツから覗くギプスで固められた右腕や、真新しい包帯に包まれた左目が痛々しくて。

 ……なんだか、目の奥がツンとした。

 

「ユーヤ……」

 

 名前を呼んで、頬に触れる。

 そっと、そっと。

 けして起こしてしまわぬように。……指先から伝わる温もりがうれしくて、同時に悲しくなる。

 彼がこんなに酷く傷ついたところを、私ははじめて見た。

 こうして目の当たりにしてもまだ信じられない。4年前の決戦でも、10年前のクリスマスの夜だって、彼の翼はボロボロになりながらも気高く、力強く、夜闇を制していた。

 私はまだどこかで過信していたのかも知れない、私のユーヤはどんなことがあっても負けないと。……あのころからなんの進歩もない自分に嫌気が差す。自己嫌悪で吐き気がした。

 

 ――中庭での話し合いのあと、私は六課に戻らずまっすぐこの病室に向かった。一秒でも早く、彼の顔を見て無事を確かめたかったから。

 わけもなく不安だった。……“彼女”に出合って、散々になじられて。私の心は弱っていたんだろうか?

 あいにく彼は眠ってしまっていて、代わりにそれまで彼の相手をしていたルーさんと少しの間、いろいろお話した。彼のケガがほんとうはどれだけ酷いのか……とか、いろいろ。

 詳しく聞いて、愕然とした。

 包帯をしている以外は元気そうに見えるけれど、実際はそう見えるように取り繕っているだけ。ギプスに包まれている右手の中身はからっぽで、包帯でくるまれた右目なんて潰れてて。正しく彼は満身創痍――、それを治す余力さえないのだと。

 

「……」

 

 少しだけ開かれた窓から忍び寄る秋色の風が、レースのカーテンを揺らす。私にはそれが寂しげに思えた。

 そろそろ閉めた方がいいかもしれない。カゼをひいたら大変だ。

 

「ん……」

 

 窓を閉めていると不意に、意外と長いまつげがしばたたく。私は慌ててベッドのそばに跪いた。

 薄く開いた蒼い瞳――、私の好きな星色の宝石。

 

「――フェイ、ト……?」

「あ……」

 

 声を聞いた途端、名前を呼ばれた途端、目の前が滲んだ。

 ぐしぐしと袖で拭うけど、あふれる涙が止められない。そんな私に、すっかり目覚めた様子の彼はほのかに苦笑する。

 

「少し眠ってただけだってのに、大袈裟なヤツだな」

「だって……だってっ……!」

 

 だって、ほんとうに心配だったんだよ? あなたのこと。

 ――ルーさんの言葉が、脳裏に蘇る。

 

「崩壊した宇宙の虚数空間でエイミーが見つけたときには、生きているのが不思議なくらい酷い有様だったの。魔力の欠如や肉体の損壊もそうだけど、一番致命的だったのは“プラーナ”の欠乏……あらゆる存在が持つ根源的なエネルギーが限りなくゼロになっていたわ。一歩間違えば……いいえ、おそらくこの子でなければ消滅していたでしょうね」

 

 ルーさんはさらに、「“慈愛”の魔力がなければ、今頃はこうしていられなかったでしょう。まあ、この子のことだから、そこまで計算に入れての挺身なのだろうけれど」とも言っていた。困ったような、愛しげな表情で。

 聞き慣れない単語の意味こそわからなかったけれど、そこに込められたニュアンスならわかる。

 ……なんで。どうして、そんなにも自分を軽く扱えるのだろう。心配する私の気持ちも、知らないで。

 

「……ごめん」

 

 ユーヤはそう言い、涙でぐしゅぐしゅになった私の顔に右手を伸ばそうとして、はっとした。たぶん、手が使えないことに気づいたんだと思う。

 行き先を失ってさまよう手を取り、胸に抱き寄せる。

 ぽた、ぼた。しずくが落ちて、包帯に跡を残した。

 

「……もうこんなこと、しないで……」

「フェイト……」

「ぐすっ……やだよ、ユーヤがいなくなっちゃうの、わたしもうやだよぉ……ひぐ」

「ごめんな、もう大丈夫だから」

 

 そっと抱きよせられた私はしばらくの間、子どものように彼の胸を濡らすのだった。

 

 思いっきり泣いたあと。

 寝汗をかいたというユーヤの背中を湿らせたタオルで拭ってあげた。……かなり特殊なシチュエーションに、ちょっとどぎまぎしたのはナイショだ。

 それから、中庭で起きた騒動の顛末を説明することになったので事細かく報告した。……スカリエッティについて秘密にされてたこととかの抗議の意味を込めて、いろいろ文句言ったら逆にたしなめられちゃったけど。それはまた、別の話。

 

「それでその、ヴィヴィオって子を預かることになったわけか」

「うん、そうなんだ。なんだかやけになのはに懐いちゃってて、それなのに引き離すのはかわいそうだよね」

「そうだな」

 

 リクライニングしたベッドにゆったりと身を預けたユーヤは、あまり上手じゃない私の話を合いの手まじりで楽しそうに聞いてくれていた。

 

「あ、でもなのは、かなり困ってたなぁ……。六課で保護するって最初に言い出したのは、はやてだったんだけどね」

「まあ、見ず知らずの幼児にママ呼ばわりされちゃあな」

「うん、私もそう思う。ちょっといきなりすぎだよね」

 

 彼の少し投げやりな意見に同意して、苦笑し合う。

 縁あって、たまに預かったりしてる孤児院の子たちに「お母さん」と呼ばれることのある私でも、未だに違和感というか拒否感を覚えるのだから、なのはが困惑するのも当然だ。

 

「だけどなおさら、フェイトも面倒見てやらないとな。……あのなのはに、子育てなんて出来るとは思えん」

「そうだね、できるかぎり力になるつもり。……それにほら、私って普段けっこうヒマだし」

「仮にも隊長が暇ってのはどうなんだ」

「だ、だって……」

 

 ちょっとした冗談を言っただけのつもりなのにたしなめられた。予想外の展開に言葉が出ない。

 機動六課では捜査官としての活動のない今の私の主な職務は、必然的にデスクワークばかり。同じ中間管理職だけど、教導を受け持っているなのはよりは時間に余裕ができてしまう。けしてサボっているわけじゃないことは、彼も承知してるはずなのに……。

 ううー。涙目でにらんでみた。

 ……だめだ、とってもイイ笑顔を返された。わかっててやってるんだね、ひどいんだから。

 

「ま、そういうことなら俺も協力させてもらおう。とりあえず上との調整は任せてくれ、力付くで認めさせるから」

「もう……あんまり無茶しちゃだめだよ?」

「あはは、心得てますって」

 

 まったく、笑い事じゃないよ?

 不穏なことを臆面なく断言してしまう頼れる私の恋人は、大ケガを負っていてもなんにも変わっていなかった。

 

 しゃり、とリンゴをつまんでかじるユーヤ。おいしい、と言ってくれてうれしかった。うまく切れてるね、とほめてもらってもっとうれしかった。

 でもその喜びも、長くは続かなかった。

 

「――それにしても、ジュエルシードにアリシア・テスタロッサ、か……」

「あ……、ぅ、うん……」

 

 呟くような一言。ガン、と頭を殴られたような衝撃を感じた。

 心臓が痛いくらいに激しく脈打って、胸が苦しい。

 

「てっきりジュエルシードは、管理局が保管しているもんだと思ってたんだが……実際のところはわからないな。この十年で散逸した可能性も充分ある。俺の方でも調べてみよう」

「……うん……」

「問題は“アリシア”、か。虚数空間からサルベージしたらしいが……〈落とし子〉にして君にぶつけるとは、下種なことを考えたヤツもいたものだな。痺れも憧れもしないが」

「そう、だね……」

 

 考えをまとめているような独り言に生返事しか返せない。

 絶望色の感情に、胸のなかが埋め尽されていく――……くるしい、くるしいよ。

 

「……フェイト、アリシアに“ニセモノのくせに”とでも言われたか?」

「っ、……どうして?」

「わかるさ、君のことなら」

 

 小さな微苦笑。あたたかく包み込んでくれるやさしさに、心が救われる気がした。

 彼はふと真剣な表情をして窓の方を見た。

 

「――お互い、真正面から向き合ういい機会かもな」

「向き合う?」

「ああ。俺たちが抱えた厄介な業と、さ」

「業……」

 

 重苦しい言葉が、ずん、とのしかかってくる。

 彼の言う、私の“業”というものがなんなのかはわかりきっている。今まさに目の当たりにして打ちのめされているのだから。

 だけど、あなたは――?

 

「情緒が不安定になっている今の君にこれ以上、追究する気はないけどね。……甘いかな、俺は」

「ううん、そんなことないよ。……ありがとう」

 

 ユーヤは自由になる左手で私の手を取る。私は指を絡めて、ぎゅっと握り返した。

 ……漠然とだけど、感じてた。いつか“運命”に立ち向かい、乗り越えなきゃって。そうしなければ、きっと私はいつまでたっても前に進めない。

 光差す未来になんて、たどり着けない。

 

「ふたりで、乗り越えよう」

「ああ。ふたりで、な」

 

 だから、決着をつける。

 アリシアのこととも、“母さん”のこととも。

 ――あなたの、笑顔に誓って。

 

 

   *  *  *

 

 

「ご主人様、宜しかったのですか?」

「何がだ、エイミー」

 

 テスラの姿で廊下の長いすに座り、病室内の恋人たちを黙して見守っていたルーが褐色肌の部下の声に顔を上げる。

 

「彼女の良質な“プラーナ”を用いれば、若様の傷を癒す助けになったはず。今のままでは復調に時がかかりすぎるのでは?」

 

 フェイトの保有する存在の力(プラーナ)は、傷ついた神を癒すに相応しい純度と量がある。

 彼女ほど上質ならば直接魂魄から抜き出すのではなく、生命の危険が少ない血液などの体液摂取でも済む。愛する男性のためならそれくらい易いだろう――そう入れ知恵しようとしたエイミーだったが、他ならぬルーに止められた。

 彼女はなぜ魔王らしい合理的な方法を採らないのか、その真意を主に問いたかったのだ。

 

「確かにな」

「でしたら何故」

「だが要らぬ」

「しかし」

「諄いぞ」

 

 静かに一喝され、「差し出がましいことを」とメイド魔王はあっさり引き下がった。

 ルー自身、その方法を考えなかったわけではない。しかし結局は、攸夜に判断を委ねた。

 ――ヒトに破れ、世界の未来を託した彼女と。ヒトに恋し、世界の未来を信じた彼。その動機は、ある意味では同質であった。

 時に、自分の命すら投げ捨てる行き過ぎた献身を見せる“血”を分けた弟――あるいは息子――が好ましいと思う自分が居ることに、彼女はもう驚かない。

 ルーは見てみたいのだ。

 シャイマールや他の古代神のようにヒトを否定するのではなく、ヒトとともに歩む路を模索するカミとその仲間たちの創る“世界”が。

 

「……往くぞ、エイミー。奴らに目に物を見せてやらねばな」

「はい」

 

 あるいはそれこそが、失われた“楽園(エデン)”なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――やあ、メイオ、ご苦労さま。手間をかけたね。

 

『ほんとだよ、まったくもー。酷い目にあっちゃった』

 

 ――ボクもまさか、あんな自爆紛いの手段に出るとは思わなかったよ。さすがは“裏界皇子”と言うべきかな。

 

『それにしても、よかったの? あのコをさらってこなくて。キミがその気なら、いつだってできたのに』

 

 ――いいんだ、これでね。全てはボクのシナリオ通りに運んでいるのさ。

 

『ふーん……?』

 

 ――種は蒔いた。後はそれが芽吹いて、実を成す刈り取りの季節を待つだけだよ。

 

『……ま、あたしはベルちゃんと遊べればなんでもいいんだけどっ♪』

 

 ――キミのそういうシンプルなところ、嫌いじゃないよ。

 ――……さて。絶望の未来に至るトラジリディの第二幕、開幕と行こうか。

 

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