名前のない幻想郷縁起   作:楠乃

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蛇足

 

 

 

▼▼

 

 

 私の名前は、未阿、と言います。

 お母さんが付けてくれた、大切な名前です。

 

 

 

 覚えている一番最初の記憶は、泣きながら笑っているお母さんに抱きしめられている時。

 お母さんは、嗚咽混じりで「……生まれてきてくれて、ありがとう」と、笑って言ってくれた。

 

 多分、あれは私がお母さんから産まれてきた時の記憶なんだと思う。

 お母さんは決して、私に涙を見せることはなかったから。お父さんも、二度か三度ほどしか見たことがない、と言っていた。

 母様に訊けばもっと具体的なことを教えてくれるかもしれないけど、それは多分、卑怯ってやつだと思う。

 

 

 

 ともかく……お母さんは私の、一番大事な人で、一番尊敬している、自慢の母だ。

 笑顔が素敵な、私のお母さんだ。

 

 

 

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 お母さんは、私が四歳を迎えて二ヶ月が過ぎた頃に、居なくなってしまった。

 私を産むために、命の灯火を譲ってくれたのだと、お父さんは教えてくれた。

 

 命はとても大切なもの。一度しか無い筈の人生をお母さんは、私のために分けてくれた。

 ……でも、やっぱり、私はお母さんと一緒に居たかった。

 

 

 

 またお母さんと一緒に、隣の長屋にある柿の木から、二人してこそこそ隠れながら柿を取って食べて、親子で怒られたかった。

 お父さんとお母さんの農業の手伝いをして、皆に褒められたかった。一緒に動いて、働いて、遊んで、一緒に疲れて寝転がりたかった。

 布団で眠るときに、お父さんがいつも語ってくれる幻想の日常のお話を、お母さんが見て聴いて覚えてきたお話を、共に聴いて居たかった。様々なお話を教えて欲しかった。

 お母さんとお父さんがいい雰囲気になっているのを、目を覆う手の隙間から覗いて、見ていたかった────うん、これはちょっと違う気もするけど。

 

 でも、お母さんは行ってしまった。

 お父さんと、私を置いて、行ってしまった。

 親切な緑髪のお姉さんが、「必ず、また逢えますよ」と教えてくれたけれど、それでも寂しいものは寂しい。

 

 必死に涙を堪えていた、お母さんを送る式典の最中に、私は母様と出逢った。

 その日の一週間前に一度、家に来てお母さんと話をしていたから、母様と初めて逢った訳ではないけど、

 

 

 

 それでも、『母様』とちゃんと紹介されて、簡単な説明を受けて、

 ……甘えて良い、お母さんそっくりな人に出逢って、

 

 

 

 それで、抱きしめられたら、もう、私には何も我慢できなかった。

 

 私は堰を切ったように泣き出してしまい、そして静かに涙を流すお父さんと母様に囲まれ、お母さんのお見送り会は終わった。

 

 

 

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 あれから、母様は良く我が家に来るようになった。

 

 見れば見るほど、母様はお母さんにそっくりで……私は日を追ってお母さんに────母様と良く似るようになってきた。

 お母さんは昔、表に顔向け出来ないようなことをしてしまい……私はそれで寺子屋に通うことができないということも、その時にはもう知っていたけれど、

 母様とだんだん似ていく自分を見て、少し複雑な気持ちになったのも、本当のことだった。

 

 決して、お母さんを恨む気持ちを持ったことはない。

 

 けれども、母様が複雑な気分を隠し、微笑みを浮かべて私を撫でる時。

 お父さんが遠くを見て、お母さんを想っていると分かる顔をしている時。

 

 少し、私は生まれなかった方が良かったんじゃないか、と思うことがある。

 それは絶対にない……そう分かって、そう信じていても、ふと考えてしまうことがあった。

 

 そんな時は甘えて、笑うようにしている。

 

 

 

 母様は一ヶ月に一度は必ず、私たちの所へとやってきた。

 

 たまに外で、家令を連れて出歩く母様を見ることがあったけれど……その時はいつも顔が沈んでいて、暗い顔をしているような気がする。

 その時の母様は私を見付けると、隠れるようにと必死にアイコンタクトをしてくる。

 理由は分かるけれど、やっぱりそう言われると少し悲しい。

 

 母様が隠れて家に来る時は、いつも外で見る時よりも顔に表情が浮かんでいた。

 お母さんと母様の違うところと言ったら、顔があまり動かないところだけど、それでも母様は家で逢う度にコロコロと表情を変えて、笑うようになっていった。

 

 私と目が合った時は、嬉しそうに顔を綻ばせて、

 お父さんと目が合った時は、少し恥ずかしそうに笑い、

 皆と手を繋いだ時には、嬉し涙を浮かべそうになっている。

 

 

 

 そんな母様を、私も、お父さんも、全部分かっている。

 

 だって、そうお母さんと決めたから。

 

 母様が初めて来た後、お母さんたちの事情を知った後で、「『私』も弱いから、『私』も私だから……だから、『私』が笑ったら、一緒に笑ってあげて」って、家族で決めた。

 

 そして、「このことは……『私』には内緒ね?」って、笑って決めたから。

 

 

 

 

 

 

 いつか、母様も居なくなって、お姉さんの下でお母さんと逢った時に、

 

 思い出を共有して、そして私がちゃんと成長したって、

 

 立派に、綺麗に育ったって、報告できるように、

 

 約束守ってるって、安心してくれるように、

 

 

 

 だから私は、今日も笑う。

 

 笑顔がとっても素敵な、お母さんにも負けないぐらいに。

 

 

 

「母さま、手を繋いで行きましょう?」

「はいはい、未阿、そんなに引っ張らないで」

「……稗田の方は大丈夫か?」

「大丈夫よ。私と『私』の友人が手伝ってくれているから」

「そうか……ありがとうな」

「! ……ふふっ、こちらこそ、ありがとう」

「ほらはやく! お母さんが待ってます!」

「未阿、そんなに急がなくてもお母さんはきちんと待っててくれているさ」

「私がお母さんに早く報告したいの!」

「ふふふ、そうね。でも、慌てて進んではダメよ?」

「分かってます!」

 

 そう言って私は、母様の手を握り、無理をさせない程度に柔らかく引っ張って、笑って皆を先導する。

 

 今日はお母さんとお別れをした日から、ちょうど六年目。

 母様の日程が運良く決まり、久し振りに三人揃ってお母さんのお墓に行くことができた。

 

 お掃除をして、お母さんが好きだった花を活けて、三人で手を合わせて、皆で報告。

 

 

 

 

 

 

 お母さん、ありがとう。

 今日も幸せで、今日も皆で笑えています。

 

 

 

 

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