死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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HUNTER×HUNTERの連載が再開した嬉しさの勢い余って、ノリで投稿。
たぶん超不定期更新になると思いますが、お付き合いして頂けたら光栄です。


1:空の眼

(最悪だっ!!)

 

 地べたに座り込み、無様な体勢のまま後ずさりながら今更な後悔をアベンガネはし続ける。

 

 割のいい仕事だと思っていた。

 レアメタルが採掘される山で急に、採掘の為に入った者、ただの伐採・山菜取り・ピクニックで入った者といった、目的はおろか年齢や性別関係なく、山に入った人間が例外なく体調不良を起こすという現象。

 その原因の解明と出来るのであれば解決を依頼された時は、割のいい仕事だと信じて疑わなかった。

 

 効果範囲こそは広いが、山から出たら症状はもはや消えると表現した方が正確な勢いで後遺症もなく治まり、何より症状は「山に入った者」という条件と同じように例外なく頭痛や吐き気、寒気など「我慢できなくはないけど辛い」程度の被害しかなかったので、採掘の利権か何かで誰かが嫌がらせを行ってるとしか思っていなかった。

 範囲が広い代わりに危害を加える効果が薄い、本当に嫌がらせにしか使えない安い念能力だとバカにさえしていた。

 

 もちろん、範囲の広さと効果が反比例する可能性を考慮はしていたが、念能力者であるアベンガネ自身が山に入っても、気付いて効果を上げたり範囲を狭めることなどなく、むしろ少し普段よりオーラを多めに“纏”をするだけで報告にあった体調不良が起こらなかったことにより、アベンガネは完全に相手を甘く見て、この山全体を覆う念能力を見誤った。

 

 この念能力は嫌がらせ目的ではなく、特定の相手以外をこの山に入れたくなかったから生まれたもの。

 その為の壁であった事に、アベンガネは気付かなかった。

 体調不良を起こさなかったのは、彼が“纏”を行っていたからでも、相手の念能力が弱すぎたからでもない。

 アベンガネは「彼女」が招き入れる「特定の相手」の条件に当てはまっていたからだという事に気付いたのは、オーラが一番強い山の奥の泉にまでアベンガネが辿りついてからだった。

 

 アベンガネの第一にして最大、そして最悪の誤算は、この念能力は生者のものだと信じて疑わなかったこと。

 

『あぁ、マルコ、マルコ、マルコ!! 会いたかったわ! 迎えに来てくれたのね!!』

 

 泉の中心に、藻草が全身に絡みついて空っぽの眼窩をこちらに向け、むき出しの歯をカタカタ鳴らしながら熱っぽく別人の名を自分に向かって呼びかける花嫁衣裳の木乃伊を見て、ようやく気が付いた。

 

 * * *

 

 それは、レアメタルの採掘やその利権など全く関係のない出来事だった。

 痴情のもつれか、結婚詐欺師に騙されたか、それとも女自身がイカれたストーカーだったのか、そんなところだろう。

 

 女が「マルコ」と名乗る男に殺されて、そして男は死体を捨てるためにこの山に訪れて、泉に投げ捨てた。

 が、女は元々念能力者だったのか、それとも息絶える直前に精孔が開き、強すぎる思いが「念能力」として開花したのか。

 

 女は殺されても男を信じた。もしくは、現実から逃避した。

 愛した男と、「マルコ」とずっと一緒にいたいと望んだ。

 自分たちの愛の巣に、誰も立ち入ることを許さなかった。

 

 後者こそが体調不良の正体であった。放出系寄りの操作系だった女のオーラは山全体を薄く覆い、そのオーラに当てられたものが体調不良を起こしていた。

 症状が風邪のひきはじめ程度に過ぎなかったのは、女の良心ではなく邪魔者の排除よりこちらに力を割きたかったからに過ぎないだろう。

 

『マルコ、愛してる。もう離さない。ずっと私を抱きしめて!!』

 

 木乃伊はアベンガネへ熱烈に語りかけて両腕を広げた。

 同時にオーラが増幅して、周囲の木々が揺れ動く。

 地震でも起こったような動きだが、地面そのものに変化はない。

 

 木が、植物そのものが蠢いている。

 泉の中央で佇む花嫁に呼応するように。

 

 アベンガネもオーラを増幅させて、“堅”を行いながら逃げる算段を立てる。

 除念師としては優秀な方だと自負しているが、たいていの除念師と同じくアベンガネは「死者の念」を除念することが出来ない。

 報酬はかなり高額だったが、命に比べれば安すぎる。

 解決は出来なくとも原因の解明が出来たのなら十分だと判断して、アベンガネは自分を捕らえようと伸びて来る木の枝や蔦をオーラを纏った手刀で切り裂きながら、背を向けた。

 

 彼はまだ、相手を舐めていた。

 たった一つに執着して、自我と言えるものをなくし災害そのものとなったイカれ女の残骸が繰り出す攻撃など、単純極まりないものだと思っていた。

 植物そのものにオーラが送り込まれているので普通の人間なら太刀打ちは出来ないが、念能力者なら武闘派とは言えない自分でも破壊することが出来る程度だと判断した。

 その考え自体は、正しかった。間違いはどこにもない。

 

 間違えていたのは、見誤っていたのは、彼女のオーラで増幅された植物そのものの生命力。

 

 背を向けて走り出そうとした瞬間、足が引っ張られてアベンガネは自分のつけた勢いに負けて転倒する。

 自分の足元を見て、何が自分の足を引っ張ったのかを目にして、血の気が一気に引いた。

 

 それは、自分が切り裂いた木の枝や蔓だった。

 アベンガネが切り裂いた枝葉や蔦は、地面に落ちた瞬間に再び根を張って枝を伸ばし、蔦は蠢いて彼の足に絡みつき、さらにそれらはアベンガネの体に巻きつくために急激に成長を続けている。

 

「くそっ!!」

 自分に絡む植物にか、それとも油断していた自分にか、彼は罵倒しながら足にオーラを集めて蔦を引き千切るが、いくら千切っても毟っても、それらは地面に落ちた瞬間に根を張って自分の体に伸びて来る。

 やることなすこと全てが裏目に出た所為でパニックを起こし、オーラが上手く練ることも体に巡らせることも、立ち上がることも出来ずに座り込んだまま後ずさりで何とか逃げるが、周囲が女の操る植物に囲まれて、手足に木の枝と蔦が絡みついてアベンガネの動きを封じるにはそう時間はかからなかった。

 

(最悪だ最悪だ最悪だ!!)

 もうアベンガネの頭の中はその単語で、後悔ばかりが埋め尽くされる。

 

 自分の手足を固めた植物が身体に向かって伸びてきて、また彼は「最悪だ!!」と後悔する。

 口は閉じればいい、だが目は瞼を閉じてもこじ開けられる可能性が高く、鼻に至っては手を使わなくては塞ぐことなど出来やしない。

 

(いやだいやだいやだいやだ!!)

 後悔から拒絶に変わる。

 自分の運命を、死にざまをアベンガネは否定する。

 

(あんな死に方だけは嫌だ!!)

 

 相変わらず「マルコ。あぁ、マルコ」と熱っぽく勘違いをしている木乃伊はもうアベンガネの目には入っていない。

 見たくもないのに、見てしまう。

 泉のすぐ傍らにそびえる樹木を。

 

 その木の幹に埋め込まれて、さながら悪趣味なクリスマスツリーのデコレーションのようになっている、おそらくは生きながらにしてこの急激に成長する植物の肥料となった男の木乃伊を凝視しながら、アベンガネは自分の未来図を否定する。

 

 木乃伊化しているが、体のほとんどが木に埋め込まれているが、その木乃伊の髪は自分と同じ黒髪できついパーマを当てたような髪質だった。

 もしかしたら、その男の肌は褐色だったのかもしれない。

 歳や背格好も自分と同じくらいだったのかもしれない。

 もしくは髪くらいしか共通点がないのかもしれない。

 

 もはや特定しようがないが、彼女にとってアベンガネは「恋人」と同一視するに足りる条件がそろっていたのだろう。

 だから、アベンガネに体調不良の呪いじみた念能力は効果がなかった。

 だからこそ、女はアベンガネを逃がしはしない。

 

『マルコ。もう離さない。ずっとずっと、永遠に一緒よ』

 女の木乃伊は枯れ木のような手を肉が削げ落ちた頬にやって、うっとりとした声音で宣言する。

 

 その言葉に、もう口まで塞がれたアベンガネが涙を流しながら誰かに、むき出しの本能のままに懇願した。

 

(死にたくない!!)

「おっさん、大丈夫?」

 

 パラリと、自分の口を塞いでいた植物が切り裂かれて落ちた。

 

 * * *

 

 まず目についたのは、老人のように艶のない白髪。

 次に目についたのは、日が沈みかけた空のような深い藍色の瞳。

 

 それは10代後半から20代前半の若者で、まともな美的感覚の持ち主なら好みかどうかは別にして、美人だと断言するだろう。

 ただ整っているからこそ性差が曖昧で、なおかつ髪は肩に届くか届かないかくらいの長さでボサボサ、服装はダボダボとしたツナギなので体格もよくわからず、外見で性別の判別がほとんどできない。

 声を聞いていなければ華奢な男と思ってしまいそうだが、実はまだアベンガネは目の前の相手の性別に確信を持てていない。

 男にしては高かったが、女と確信できるほど高いとも言えない声だったから。

 

 そんな性別不詳、おそらく女は眉間にしわを寄せながらもう一度アベンガネに「大丈夫? 生きてる?」と尋ねる。

 その質問にアベンガネが答える前に、背後の木乃伊が吠える。

 

『誰!? 私のマルコに触らないで!!』

「うるせーよ! っていうか、お前がこのクソウザい念の元凶か!

 別に私だって触りたくないし、いらんわこんなおっさん! 何なら熨斗つけて今すぐブン投げて渡すぞ!!」

「やるな! やめろ!」

 

 まさかの即答でブチ切れて、つい一瞬前まで「大丈夫?」と安否を尋ねて心配していた相手を「やる」と言い切った白髪にアベンガネは、こちらも一瞬で助けられた感謝を忘れて叫んだ。

 見た目だけで言えば男でも女でも絶世の美人と言えるのに、白髪の人物は眉間の皺をさらに深めてふてぶてしく舌打ちした。

 その様子で、相手の言ったことは売り言葉に買い言葉だったが割と本気だったことを感じ取り、アベンガネは自分の体に植物が絡みついてミノムシ状態でモゾモゾ動きながら、懇願する。

 

「おい、あんたは念能力者か! 助けてくれ!! 礼ならいくらでもする!!」

 頼るには色々と不安な人物なのはこの1分にも満たないやり取りで十分すぎる程に理解したが、それでもアベンガネに縋る藁はこの白髪だけだった。

 

 だが、白髪は答えない。

 体調不良になる念の効果で頭が痛いのか、青い瞳を細めて木乃伊を睨み付けながら溜息をつき、アベンガネの身体に巻きつく木の枝を一本、ポキっと折った。

 

『……渡さない。渡さない渡さない渡さない。マルコは誰にも渡さない! 私からマルコを奪う奴はみんな殺してやる!!』

「人の話聞けよ、メンヘラ木乃伊」

 

 呆れたような声音で呑気に言い返す白髪に、アベンガネは口を開く。

 何を言いたかったのかは本人にもわからない。「逃げろ」だったのかもしれない。「バカか」だったのかもしれない。

 アベンガネの言葉が声になるより、周囲の木々が白髪に向かって伸びてきた。

 

 アベンガネは、気付いていなかった。

 自分の口を覆っていた植物が、刃物を使ってもここまで綺麗には切断できないであろうと思える切断面であること。

 地面に落ちた瞬間、根を張って成長して伸びてきたそれらが、ただの枝や蔦の切れ端となってその辺に転がっている事。

 自分の全身には植物が絡んだままだが、その植物の成長が完全に止まっていることに、気付いていなかった。

 

 白髪は、手にした木の枝を振るう。

 子供が遊びで木の枝を剣に見立てて振り回すように、ただ振ったようにしかアベンガネには見えなかった。

 間違いなく、白髪はその木の枝にオーラを纏わせていなかった。“周”を行わず、ただの木の枝のままそれを振るった。

 

 振るって、オーラを纏った植物を切り裂いた。

 

 * * *

 

 言葉を失うアベンガネを無視して、というか既に存在を忘れていると言わんばかりに白髪は木乃伊に言う。

 

「一回死んだ死人が、もう一度人間として死ねると思うな。

 もう頭痛いし体はだるいし面倒くさいから、黙ってさっさと殺されろ」

 

 その言葉と同時に、白髪のオーラが変化する。

 先ほどの念を纏った植物をただの木の枝で切り裂いた念能力の正体を掴めるかとアベンガネは期待し、ただオーラが目の位置に集めて“凝”を行っているだけだと気付いて失望したが、一瞬あとになって気付く。

 白髪の目の色が、変化していることに気が付いた。

 

 確かに初めは黒に近い暗い青系統の色。藍色だった瞳に明度が増して、澄み切った蒼天のような色になっている。

 その目の美しさに、アベンガネは現状を忘れて一瞬見惚れた。

 そして同時に、何故か非常に恐ろしかった。

 

 どこまでも続く果てのない、高い高い空を連想させる色だからか。

 その瞳は美しいと同時に、どこか虚無的だった。

 美しいから目を離せないのか、恐ろしいから目を逸らせないのか、アベンガネには判別がつかなかった。

 

『黙れ! 泥棒猫!!』

「お前が黙ってろ、死人!!」

 判別がつく前に、白髪は駆ける。

 

 自分に向かってくる植物を、オーラを纏った手足で殴って蹴って引き千切り、そしてただの木の枝で切り裂きながら突き進み、白髪は泉の縁でオーラを足に集中させて高く跳ぶ。

 

 泉の藻草が蠕動するように蠢くが、木々とは違って柔らかく揺蕩う藻草はいくら急激に成長させて自在に操ることが出来ても攻撃手段には向かない。

 木乃伊はただ、白髪の落下を待つしかなかった。

 白髪が落下して泉に落ちさえすればもう、全身に藻草が絡まりついて水中から浮かび上がることは出来なくなる。

 

 そんなことまで木乃伊が計算していたのかは、わからない。

 白髪もそのリスクに気付いていたのかどうかはわからない。

 

 ただ、空色の眼は真っすぐに木乃伊を見据えて、何の変哲もない木の枝を重力に後押しされて突き刺した。

 木乃伊の右肩に、柔らかい粘土にでも突き刺したかのように深々と。

 

 生きてようが死んでようが、致命傷とは言えない箇所。片腕が使えなくなるのは痛いが、急所とは言えない場所に突き刺した。

 

 急所とは、言えないはずだった。

 

 なのに木乃伊は、崩れた。

 身体のいたるところが痛み、腐り、壊れ果てていたものを何とか操作系のオーラによって繋ぎ合わして、動いていた木乃伊がバラりと崩れ落ち、泉に沈む。

 同時に、アベンガネの身体を拘束していた植物がクタリと力をなくす。

 

 辺りに満ちていた禍々しい、歪んだ愛情と執着そのものだったオーラが消え去っていることにアベンガネは気付くが、そのことに驚き、そして白髪にどうやったかを問いただす暇などなかった。

 

「ぼばっは!?」

「ちょっ!? おい大丈夫か!?」

 

 木乃伊と一緒に泉に頭からダイブした白髪を助けるのに、アベンガネは手一杯だった。

 

 * * *

 

「あははは~。いやマジで死ぬかと思った。ありがと、おっさん」

「……俺はおっさんと言われるような歳じゃないんだが」

「あ、そうなんだ。ごめんねジジイ」

「何故年齢を上げた!?」

 

 げんなりとした様子でアベンガネは、白髪と一緒に山を降りる。

 最終的に自分が助けたとはいえ、自分の救ってくれた恩人でなおかつ、今も泉から救出したことを感謝こそすれ、アベンガネを助けたことに対しての礼を求めない相手なので、それなりに敬意を持ちたいところだが、先ほどからこの調子でふざけ続けるので、敬意や恩義どころかアベンガネは相手を殴らないように自分に説得するだけで精いっぱいだった。

 

 ちなみに、白髪はやっぱり女だった。

 泉に落ちて濡れたツナギを躊躇なく脱いだ時は男だったのかと思ったが、ささやかだが確かに胸があった。

 そのことに気付いて思わず「何してんだお前は!?」とため口で突っ込んだが、白髪の女は素晴らしくいい笑顔で「見せブラと短パンだから大丈夫!」と言って親指を立てて、アベンガネに「こいつは性別は女だが女じゃない」と確信させた。

 

 アベンガネとしては色々訊きたいことがあったが、もうそのやり取りだけでこの女に深く関わるのはやめておこうと誓い立てた。

 オーラを纏っても込めてもいない、ただの枝であの念能力で操られた植物を切り裂き、たったの一撃で木乃伊を、ただでさえ数少ない優秀な除念師でもほとんどが太刀打ちできない、「死者の念」を言葉通り「消し去った」この女の能力はもちろんかなり気になるが、自分の能力を他人に明かす念能力者など普通はそういう制約でも立てていない限りいない。

 

 この女のふざけた態度は自分の能力を明かす気も馴れ合う気もない演技なのか、素なのかもわからないが、どうせ自分の知りたいことは絶対に明かされないことをわかっているので、アベンガネは服を乾かした女とともに山を下りる。

 

「あはは、ごめんごめん。ほら、念能力者って見た目の年齢はあんま参考にならないじゃん。現にウチの師匠はロリババアだし。

 うちのババアじゃなくて師匠は、マジで若作りすごいよ。見た目マジ完全に美少女。口を開けばババアなんだけどね。あと、元の姿はゴリラ。イケメンゴリラ。あの変身は見たら腸がねじれるくらいに笑うよ」

 まったく悪く思っていない調子で、訊いてもいないことを勝手に語る女の言葉にため息まじりで適当にアベンガネは相槌を打ちながら歩いていたら、歌が聞こえた。

 

 横で話している女の声で、女の腰のあたりから「ウチのババアはクソババア~♪」というこれ以上ない酷い歌が聞こえてきて、盛大に引いているアベンガネをよそに「あ、ごめん電話だ。ババアから」といって、ポケットからケータイを取り出した。

 

 どうも自作着メロだったらしい。先ほどから「ババア」と連呼してる自分の師専用として設定してる着メロなら確かに本人に聞かれる可能性は低いが、それにしても尊敬したくない方向ですごい度胸だなと意味不明な感心をしながら、もう助けられた恩は自分も助けたから返したということにして、このまま黙って先に進んで別れようかとアベンガネは考えて歩を進める。

 

 が、その歩みは数歩で止まる。

 電話の向こうの師と語る女の声が、はっきりと聞こえたから。

 何故、この女がここにいるのを知ったから。

 

「あ、ごめんごめん師匠。ちょっと遅れる。一日くらい。

 だからごめんって! え? 今どこかって? 山の中。下山なう。

 しょーがないじゃん! 何か昨日泊めてくれた家の子が山に入れない、遊べないって言って落ち込んでたんだもん! ホテルも宿屋もない村で泊めてくれた家の子供だよ! ならその恩を返さなくっちゃいけないじゃん!

 あ、わかってくれた? さっすが、師匠じゃなかったババア! あ、ごめん本音出た! じゃ、明日には到着するから待ってて愛してるよ、クソババア!!」

 

 敬意や親愛があるのかないのか謎な会話を終えて、目を剥いてアベンガネが自分を凝視してることに女は気が付き、首を傾げた。

 

 最後はマヌケ極まりなかったが、あれだけの実力と特異な能力を持っていたのだから、自分と同じくこの山のレアメタルに関わる企業か何かから依頼を受けていた、武闘派の除念師だと思い込んでいた。

 正直、この女に対して恩義や敬意を抱かないのは女のふざけた言動だけではなく、明らかに年下だというのに自分よりはるか高みにいることに対しての嫉妬もあった。

 

 が、ここまで来ると妬むのもバカらしくなった。

 金目当ての自分の小ささが情けないと思わなくもないが、同時にそりゃこの女の方が優秀なわけだと納得した。

 この女は口が悪いし、恥じらいという概念を知らないし、どこまでも無礼極まりないふざけた性格をしているが、受けた恩を忘れず、与えたものを恩着せがましく主張しないこの女の方が、人間としては上だとアベンガネは潔く認めた。

 

「いや、なんでもない」

 アベンガネは一度目を伏せてからそう言って、そして改めて言葉にする。

「そういえばまだ、言っていなかったな。助けてくれて、ありがとう」

 

 アベンガネが礼を口にすると、女は朗らかに笑って「こちらこそ」と応えた。

 礼の言葉を受け取るだけで、何も求めはしなかった。

 やはりこの女にはきっと自分は勝てないとアベンガネは思い知りながらも、どこかすがすがしい気持ちで山を下りた。

 

 * * *

 

「オレの名前は、アベンガネ。除念師だ。

 まぁ、あんたには必要ないだろうが何かあったら力になる」

 

 山を下りて女は、「じゃ、ありがと色黒にーちゃん!」と言ってそのまま去ろうとするのを引き留めて、アベンガネは自分の名刺を渡す。

 

「へぇ、除念師なんだ。ならこの名刺、超レアじゃん。本当にもらっていいの? 私は残念ながら、名刺持ってないんだけど」

「あぁ。いらないのなら誰かに渡しても構わない。あんたからの紹介なら、安く引き受けてやるよ」

 

 名刺を受取った女の言葉にそう答えてから、「無理なら構わないが、あんたの名前と連絡先を教えてくれないか?」と頼んでみる。

 連絡先を求めたのは、自分にはできない「死者の念」を除念できる相手だからという下心はもちろん多大にあるが、この会話してて頭が痛くなるぐらいふざけたテンションだが、どうも憎めない女を普通に気に入ってしまったのもまた事実。

 

「なんだ、ナンパか?」

「ありえねぇよ」

 そんな軽口を叩きながら、女はアベンガネからもう一枚名刺と書くものを借りて、名刺の裏に自分の連絡先をあっさりと記した。

 

「死人を殺したかったら、まぁできる限りは力になるよ」

 そう言って名刺と筆記具を返して背を向けた女に、アベンガネは「おい待て、名前は!?」と呼び止める。

 

「あ、忘れてた」

 女は振り返り、人差し指を立てた手をまっすぐ上に伸ばしてから答える。

 

「ソラ」

 蒼天にして虚空だった瞳は、とっくの昔に元の藍色に戻っている。

 その瞳を、夜明け前の空の瞳を細めて笑い、女は名乗る。

 

「私の名前は、ソラだ。

 じゃあな。縁があったらまた会おう、アバンカネ」

「アベンガネだ」

 

 どこまでもしまらない、ふざけた女だった。




しばらく原作キャラとちょっと関わるオリジナル話を続けてから、原作のハンター試験編に入ろうかと思っています。

ちなみに私はビスケ大好きですし、ソラさんも師匠が大好きですよ。でも何故かほっとくと彼女は、ビスケをババァと連呼します。何故だ……。

不定期で終わらせどころを全く決めていない見切り発車な連載ですが、末永くお付き合いして頂けら光栄です。

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