死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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84:蜘蛛の天敵

 パクノダはただ沈黙を続ける。

 

 ただひたすらにフィンクス達がやって来るまで、もしくは団長を攫った鎖野郎からの連絡が来るまで、パクノダは沈黙を続けるしかない。

 そうしないと、何か少しでも情報を漏らしたと鎖野郎側に知られたら、団長の命はない。

 

 いや、そこまで簡単に向こうは人質である団長を殺さないという確信はしている。

 その確信している「根拠」に、チラリと視線を向けた。

 

 停電中に騒いでソラが自傷してそのまま自滅してぶっ倒れたので、巻き込まれた一般人に見つかるとあらゆる意味で厄介この上な為、停電から回復する前に旅団は人質二人をホテルのロビーの端に追いやって取り囲んで、人目から隠していた。

 本当はホテルから出て行きたいところだが、フィンクス達を待たなければならないし、下手に動いて鎖野郎が何らかの勘繰りをし、団長を殺すという短気を起こされたらかなわないのでそうするしかない。

 

 幸いながら旅団が“絶”で気配を消しているのもあって、未だ停電のパニックから回復していないホテルスタッフや客は、旅団にも手首から血を流して顔面蒼白で倒れている女にも、その女を泣きそうな顔で抱きかかえて呼びかけ続ける少年にも気付かない。

 

 鎖野郎が団長をそう簡単に殺さない「根拠」を特に意味もなく眺めていたパクノダだが、どうにも手首の傷が気になって、甘いと思いつつもハンカチを取り出してソラの手首に巻いて止血してやった。

 パクノダの行動にゴンという少年はポカンと目を丸くして、そして丸い眼のまま「……ありがとう」と礼を言った。毒気が抜けるほど素直な子供に、「別にあなた達の為じゃないわよ」と思わず沈黙を破って言ってしまう。

 

 パクノダのセリフは別に照れ隠しではない。本音だ。

 この女は自分たち幻影旅団にとって爆弾であると同時に、現状を打破するに必要不可欠な存在だから、弱るのは大いに結構だが出血多量で死なれては困る。なので最低限の止血をしただけだ。

 他の仲間もそのことをわかっているからこそ、パクノダの行動に何も咎めはしないのだろう。

 

「……出来ればこのままずっと眠り続けてくれないかしら?」と、パクノダは考えながら、苦しげではないが安らかでもない、死体のように、人形のように眠り続ける女を再び眺めた。

 

 鎖野郎が、どれほど憎くても団長をそう簡単に殺せない根拠。

 奴が何を犠牲にしても絶対に見捨てられない弱点である女性、彼の姉であり、家族であり、そしておそらく本心では「家族愛」ではない別の愛情を懐く相手。

 

 ソラ=シキオリを黙って眺めていた。

 

 * * *

 

 団長が鎖野郎に攫われたと知って、旅団側が選んだ選択は「今は鎖野郎側の言う通りにして、フィンクス達の到着を待つ」だった。

 

 パクノダ・マチ・シズクが負傷しており、無傷な男二人の内、コルトピは戦闘要員ではなく完全な後方支援型。

 ソラがガス欠を起こして無力化しているとはいえ、このあらゆる意味で反則的な女に油断は出来ない。誰を人質の見張りとして置いて行くにも不安で、人質ごと連れて行って全員で追えば、こちらの付け入られる隙が増えるだけだ。

 

 少なくとも、ソラとゴンは鎖野郎にとって人質の価値がある相手なのと、団長誘拐という計画を成功させた鎖野郎が人質の意味を理解せず、既に団長を殺している事態は有り得ないと全員が判断したため、この上なく癪だが鎖野郎がナイフで残した伝言通り、パクノダはソラやゴン達から読み取った記憶を誰にも話さず、沈黙を続ける。

 

 沈黙を続けながら、思考をひたすらに走らせる。

 

(……私が得た情報を話しても、おそらく鎖野郎は団長を殺せない。……この子が、ソラ=シキオリが私たちの手の内にいる間は、人質交換の材料となる団長を殺すことは出来ない)

 

 ソラとゴンとキルアの記憶を読んだことで把握した、鎖野郎ことクラピカという人物像。

 

 綿密な計画ではなかったというのに団長誘拐を成功させたことや、前回の調べではゴンやキルアから情報を引き出せなかったことといい、彼の性格は理知的で頭の回転が速く、秘密主義な冷徹であることは確かだが、それはそうしないと自分が守りたいものを守れないからこそ作り上げた性格であることも、パクノダは読み取って理解している。

 

 クラピカという男の本質は、ガス欠を起こしてもゴンを助けようとしたソラや、ソラを見捨てられず今もソラを自分たちから守るようにして抱きかかえ続けるゴンと同じ、仲間を絶対に見捨てられない情に厚い人間であることに間違いはない。

 

 だから、メッセージを無視してパクノダがここで洗いざらい全てをぶちまけて団長を追っても、ゴンとソラを人質に取っている限り、クラピカは団長を殺せない。

 そして、パクノダが得たクラピカの能力とその弱点さえあれば、おそらく彼は簡単に殺せる。

 

 だが、問題はその後だ。

 

 団長は予言での「空の女神」はブチキレたソラ=シキオリであると解釈して、そして彼女がキレる理由は最愛の弟である「紅玉」関連だと考えた。

 その解釈にパクノダも異存はない。ソラ本人と第3者であるゴン達の記憶を見た限り、ソラとクラピカは恋愛関係じゃないのが本気で不思議なくらい相思相愛だ。

 

 鎖野郎を、クラピカを殺せば、予言にあった団長の優位さえも揺るがす「空の女神」が間違いなく目覚めると確信している。

 

 今の状態でソラがブチキレていったい何が怖い? と思うのは、この女のことをよく知らないから思えることだ。

 今のパクノダは、何故シャルナークはソラという存在をあれほど忌避していたのか、嫌になるほど理解できる。

 

 この女は正気などとっくの昔に枯渇している。狂い果てており、理屈が通じない。目的のためなら手段を選ばないし、そして精神が酷く不安定なのでその目的すらも忘れ去って暴走する。

 奇跡的な偶然や環境が重なって正気に近い人間性を普段は保っているが、クラピカを殺されたとなれば、もはやこの女は残されたわずかな人間性を全て捨て去って、どれほどの犠牲を払っても、何を巻き添えにしても、誰を見捨ててでも旅団を追い詰めて、全滅させるだろう。

 

 それこそ、今こうやって倒れるほどに守ろうとして、そして自分を守ろうとしてくれている子供すら、この女は自分の守りたかった大切な人、守ってくれた可愛い子であったことすら忘れて、認識できず、自分たちを全滅させるのに利用できるのならどれほど惨い非道な手段でも利用して、逆に邪魔するならば何の躊躇もなく殺して捨てるぐらい壊れ果てた死神と化すのが想像ついた。

 

 それぐらいに、ソラにとってクラピカという存在は唯一無二の最愛であることをパクノダは理解している。

 

 だから、いくら団長を取り戻せてもその後すぐに全滅させられたら何の意味もない。

 しかし、このままならおそらくは団長の予言にあった「蒼玉の防人達」であるソラの仲間達により、予言通り最低でも自分を含めた5人が死ぬ。

 下手したら「団長誘拐」という予言されていなかった事態が起こっている所為で、既に予言とは全く違う未来に向かっているのなら、予言はもはや当てにならない。最悪は団長さえも殺される。

 

 ならばせめて予言にあった一番最悪の事態、「空の女神」が目覚めぬように、今ここでソラ=シキオリを殺すか? という選択肢も頭によぎったが、それもパクノダは却下するしかなかった。

 

 今のソラの状態だけを見れば、殺すことなど簡単に思えるだろうが、やはり彼女の反則ぶりを考えるとガス欠で気を失っている相手であっても、殺しにかかるのはあまりに危ない橋を渡る行為に思えた。

 直死が念能力でないのなら、ガス欠であっても体さえ動かせたらこちらが危ない。団長やシャルナークが語っていた、そして記憶にあったウボォーギンとの戦闘での反応速度を考えたら、十分にこの状態でも殺そうとして近づいたら返り討ちというのは有り得る。

 そしてソラ本人が色んな意味で非常識すぎて忘れかけていたが、この女には「カルナ」という彼女と同じかそれ以上に非常識な仲間が、ヒソカの言葉が正しければその身の内に眠っている。

 

 ただでさえ手出しできない条件ばかりが揃っているが、そんなものがなくてもパクノダはソラの命に手を出せない。

 彼女を殺したら、それこそ団長の命の保証はなくなることがわかっているから。

 

 クラピカにとってゴンという子供も間違いなく、大切で守り抜きたい仲間であるのは確かで、ゴン自身もそう思われていることを誇らしく思っている。

 しかし同時にこの子供は気付いている。どれほど大切に思われていても、それでも決してクラピカにとっての優先順位は揺るがないし変わらない。

 ソラが絶対的な1位であり、ソラの為ならクラピカは他の誰もを、自分自身の命でさえも犠牲にするということを、ゴンは知っている。

 

 クラピカにとって真の意味で人質の価値があるのは、ソラだけだ。

 確かにソラを殺せば、予言にあった団長の優位を揺るがすであろう「空の女神」が目覚めることは有り得ないが、それが自分たちにとって最善の未来に向かわせるとは限らない。

 ただ単に予言の文章が、「空の女神」から「紅玉」とクラピカを表す言葉にとって代わるだけの可能性の方がずっと高かった。

 

 だから、パクノダは沈黙を守り続けるしかなかった。

 どう考えても鎖野郎を出し抜く、もしくは「空の女神」を眠らせたままで済ませる方法が思い浮かばない。

 ただわかることは、自分たちの行いは団長の意志、旅団(クモ)としての(ルール)に反しているとまではいかなくても、望ましくないということ。

 

旅団(クモ)では……』

 

 もう何年ほど前か、思い出せない。

 10年以上前の酷く懐かしい気もすれば、昨日の事のように鮮烈に思い出せる。

 幻影旅団を結成した時、団長が語った旅団としての絶対的な(ルール)をパクノダは思い出す。

 

『俺が頭でお前達は手足。手足は頭の指令に対して忠実に動くのが大前提だ。……が、それは機能としての話で、生死の話ではない。

 例えば()が死んでも、誰かが跡を継げばいい。場合によっては頭よりも足の方が大事な時もあるだろう』

 

 団長が何を言いたかったのはわかっている。

 自分がもしも旅団の足を引っぱる存在になったのならば、躊躇わず見捨てろということだ。

 

 その考えに反対する者などいなかった。誰もが足手まといになる気はもちろん、なるかもしれないという不安もなく、足手まといになるくらいなら自ら死を選ぶくらい、全員が自分に自信を持っていたし、仲間も結成当初は全員同郷というのもあって信頼していた。

 

『見極めを誤るな。

 俺の命令は最優先。だが、俺を最優先に生かすことはない』

 

 言われるまでもない、まるで生きるために呼吸することのような当たり前の前提だった。

 しかしそれは、「信頼」という名の妄信だったのではないか? と今のパクノダは思う。

 

 足手まといになる不安などなかったが、もしそうなったときの自分というビジョンはあった。だからこそ、いざという時は死のうと覚悟を決めることは出来たが、パクノダは「団長を見殺そう」という覚悟などなかった。そんな事態、考えたこともなかった。

 団長が誰かに出し抜かれて、今日のように攫われたり殺されたりするわけがないと思い込んで、思考停止していたことに気付いてしまう。

 

『俺も旅団(クモ)の一部。生かすべきは個人ではなく、旅団(クモ)

 

 団長が課した(ルール)に不満などない。覚悟の上だ。

 ……けれど、それでもパクノダは出来ればクロロが頭の旅団(クモ)の足の一部でありたかった。

 そしておそらくは、この場にいる皆が同じ意見だろう。

 

 だから全員が、今はまだ団長を取り戻せる可能性があるからこそ、鎖野郎の指示に従うという屈辱的な現状に甘んじる。

 

 まだ大丈夫。まだ、見極めは誤っていないと自分に言い聞かせる。

 鎖野郎も、そしてソラも最優先はお互いだが、相手以外に興味がないほど排他的ではない。

 むしろどうしても選ばなくてはならない事態に陥った場合でもない限り、他の仲間も同じくらい大切に慈しむ、身内認定している相手には非常に甘い連中だということはわかっている。

 

 だから、人質がいる限り状況はどんなに悪くなっても五分だとパクノダは自分に言い聞かせる。

 

 ……言い聞かせつつ、思い出す。

 自分の占いの内容。記された予言。

 

『貴方は狭い個室で2択を迫られる

 誇りか諦観しか答えはないだろう

 誇りを選ぶのならば撃ち抜きなさい

 それは魔弾となって、硬玉を撃ち砕くから』

 

(狭い個室というのは、私の頭の中という事……? 答えは誇りか諦観かとはどういうことなの?

 話すこと、話さないこと、どちらが誇りでどちらが諦観なの?)

 

 あの占いは来週のことを示しているのはわかっているが、何かの間違いで占いの内容が前倒しになった結果が現状ならばと考えてしまい、思考の迷宮に陥りかけていることに気付いて、彼女は頭をふって一度思考をリセットする。

 

 大丈夫だと言い聞かせる。

 少なくとも、パクノダは団長と生かしたいという思いゆえに旅団(クモ)を裏切ることになっても、諦観などしないと、自分に言い聞かせる。

 どんな選択肢であろうとも、諦めることなど選ぶものかとパクノダは折られた奥歯が痛むのを無視して噛みしめて誓った。

 

 * * *

 

 渋滞で遅々としか進まない車に苛立ち、レオリオとキルアがチラチラと後ろを気にするが、クラピカは人形のような無表情で、前だけを見て冷徹に言う。

 

「大丈夫だ。敵の何人かは痛手を負った。加勢が来るまで動くまい。

 そして動いたら連絡が入るように手配はしている」

 

 言って一応、手の内のケータイを確認するが、ケータイは沈黙を続けている。

 ヴェーゼとスクワラの協力によって、ホテルの中にはヴェーゼが操る人間、ホテルの周囲にはスクワラが操る犬を配置して監視を続けてもらっているので、今の所旅団はホテル内に留まっているのは確実だ。

 

 スクワラの犬は旅団を前にしてエリザの元へ逃がしたはずなのだが、何匹かはおそらく犬自身の意志でスクワラの元に戻って来たらしく、その犬を利用させてもらった。

 旅団への見張りの為だけではなく、ソラが自分はともかくゴンとキルアはどんな手を使っても最優先で逃がすこと、そしてそんな風に逃がされてても素直に二人が逃げる訳がないことをクラピカは予測していたらしく、せっかく逃がされたのにホテルに舞い戻るという無謀を冒さぬ為にも使われて、キルアは現在に至る。

 

 思った以上に協力者がいて、そして最悪は捕らわれた3人を「今は」救出できなくてもいいという考えで行った計画なので、キルア一人でも逃げ出せたのは僥倖だ。

 しかし、本当に僥倖だと思える余裕などレオリオやキルアにはない。

 その原因は、後部座席の人質。クロロの存在だ。

 

 捕らえられても一切動じないクロロの迫力に押され気味の二人は、気を逸らすためにチラチラと追手が来てないかという確認をしてしまうが、当の本人にして車内の緊張の元凶は、先ほどから横目でクラピカを見ている。

 そのことに気付いていたが無視していたクラピカだが、さすがに耐えれなくなったのか、クロロの方に視線も向けずに「何を見ている?」と問う。

 

「いや。鎖野郎が女性だとは思わなかった」

 

 挑発のつもりかそれとも素の感想なのか、ソラとのやり取りを見ていたら後者も本気で有り得そうだと思いながらも同時にキルアは、言える空気じゃなかったから口に出せなかった突っ込み所へ突っ込んでくれたことにちょっとだけ感謝した。

 変装だというのはわかっているが、クラピカの女装は違和感が仕事してないどころか消息不明になっていたので、ソラがクラピカと再会した直後のセリフとほぼ同じことを内心でキルアは思っていたことは、クラピカには一生の秘密だ。

 

「……私がそう言ったか? 見た目に惑わされぬことだな」

 

 クラピカはカツラを外して否定するが、カツラを外したくらいで違和感は戻ってくれやしない。むしろ、なくても何の問題もないという事実を指摘するようなエアブレイカーはおらず、そのままクラピカは話を続ける。

 

「それより発言に気をつけろ。何がお前の最期の言葉になるかわからんぞ?」

「殺せはしないさ。大事な仲間と姉が残ってるだろう?」

 

 クラピカの言葉を即座にクロロが否定する。

 その言葉に、クロロの両端に座っているクラピカとキルアが同時に怒りと殺気を噴き出す。

 

 ソラから容赦ない方法でだが自分一人だけ助け出されたのは、冷静に考えれば向こうの人質が一人減って、こちらの仲間が一人増えているのだから、喜ぶべきことであるとわかっているのだが、キルアからしたら一人で逃げたような気がして、悔しくて仕方がないのだろう。

 

 そしてクラピカも、一番助けたい人が未だに旅団の手の内、しかもあの停電での暴れようからしてゴンはまだしもソラは確実に無傷で済んでいないのはわかっているので、不安を懐いていない訳も心配していない訳もない。

 

「挑発を受け流せるほど……、今、私は冷静じゃない……!!」

 

 ジワリとクラピカは眼の明度を上げながら、怒りを堪えて振り絞るような声音で「黙れ」と告げるが、クロロはそれを無視して、捕えられた当初から変わらない余裕をたっぷり含んだ笑みを口の端に浮かべてさらに言う。

 

「……あの娘の占いにも、このことは出なかった。

 つまりこの状態は予言するほどのこともない。とるに足りない出来事というわけだ」

 

 今更だが自分の護衛対象を昨夜、セメタリービル内に連れ込んだのがこの男であること、彼女の予知能力で未来の情報を得ていることなど、そのセリフで色々とわかることがあったが、キルアはもちろんクラピカもそれらの情報は頭には入らず、ただクロロの明確な嘲りと侮蔑だけを理解して頭に血を昇らせる。

 

「貴様……!!」

「てめぇ……!!」

「クラピカ!! キルア君!! ダメ!!」

「もし、そいつを殺したら俺がお前らを()るぜ……!!」

 

 

 クラピカは眼球を怒りで灼熱した緋色に染め上げてクロロの胸倉を掴みあげ、キルアはクロロの隣で自分の手を心臓が抉りやすいように変質させて睨み付けるが、助手席のセンリツが悲鳴のような声あげて、レオリオは脅し文句で止めにかかり、何とか二人は自分の中の怒りを抑えつける。

 なのにクロロはセンリツとレオリオの努力を、酷薄な笑みで台無しにする。

 

「もう一度言ってやろうか?

 俺にとってこの状態は、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらない平穏なものだ」

 

 ブチッと、頭の奥で何かがキレた音をキルアは確かに聞いた。

 

 どれほど自分達が神経をすり減らして、どれほど不安で胸を痛めつけてこの状況をやっと作って持って来たかも知らないで、例え挑発の為のハッタリでしかなかったとしてもその言葉はキルアにとって許せるものではなかった。

 

 だから、かろうじて殺してしまったら人質の意味がない、ソラとゴンの命の保証がゼロになることだけはわかっていたので、キルアは心臓を抉るという方法はやめて拳を握って振り上げる。

 

「! やめろ! キルア!!」

 

 しかし、キルアの拳は振り落とされる前に手首を捕まれて止められる。

 その止めた人物を、キルアだけはなくレオリオやセンリツ、そしてクロロまでも意外そうな目をして見た。

 

 止めたのは、クラピカだった。

 しかも彼は、人質としてクロロを使うために怒りに耐え忍んで止めた訳ではない。

 クロロの胸倉を掴んでいたはずの手は既に離れており、その眼の明度は緋色から紅茶のような色合いにまで落ちている。そして表情も怒りは半分以上なくなってどこか不思議そうにであり、呆れているようにも見えた。

 そしてその表情がもたらす感情は、キルアに向けられたものではない。

 

「……貴様はそれを本気で言っているのか?」

 

 キルアの腕を掴んだまま、クラピカはクロロに目を向けて問うた。

 

「貴様は本気で、今、この状況を平凡な休息の一時と変わらぬ平穏なものだと言うのか?」

 

 その問いに、クロロは答えない。先ほどまでなら余裕ぶって、クラピカをからかうためにわざと黙り込んでいると思われるが、今現在は素でクラピカの問いかけの意味がよくわからないので、答えようがないのだろう。

 変化はかすかだが、それでもキルアを止めた時以上にクロロが目を丸くしているのがレオリオやキルアにもわかったが、肝心なクラピカの問いかけの意味、挑発だとわかっていても冷静になれないことを言われたというのに、一番冷静になれない立場であるクラピカが、どうしてこんなにも冷静というより平常な様子で、本気で不思議そうにこんな質問をしているのかが理解できない。

 

「……本当よ」

 

 クロロが答えないので、代わりに答えたのはセンリツだった。

 しかしセンリツも現状が理解できず、困惑している。

 心音で感情や心理状態を、下手したら本人よりも正確に理解・把握できるセンリツだからこそ、余計にクロロとクラピカの心境が理解できないのかもしれない。

 だからこそ彼女は、自分にも理解できる答えを求めて自分が得ている情報を告げる。

 

「彼の言っていることは本当。彼の心音はいたって平常。動揺はみじんもないの。

 死への不安・恐怖・虚偽の不協和音、なにもないわ。おそらく、『死なない』と思ってるんじゃない……。

 この音は……死を受け入れている音……。死を毎日、傍に在るものとして……享受してる音……」

 

 センリツの言葉に、レオリオとキルアは一瞬呆気にとられてから顔色を変える。

 彼女の言葉でクロロの言葉は、「自分は絶対に死なないから余裕だ」という自信ではなく、「自分が死んだからといって、それが何なのだ?」という意味だったことを理解したのだろう。

 

 事実、クロロの心音は初めから変わらない。クラピカに捕らわれた直後こそは動揺していたがそれは一瞬。その一瞬の中にも、やはり死に対する恐怖や不安を懐いた心音は全く奏でなかった。

 今現在もクラピカの様子や問いに対して心音が奏でる音色は、「何を言っているのかがよくわからない」程度の戸惑いであり、それもセンリツが自分の心理を言い当てたことで彼女に対する素直な称賛に変わってしまう。

 

 自分が今、能力を封じられて仲間からも引き離されて四面楚歌だという状況に対する焦りなんてどこにもない。

 

「そちらの仲間の言う通りだな。

 前提がまず、間違っているよ。お前たちは。俺に人質としての価値などない」

 

 レオリオがクロロの言葉の意味を理解したからこそ理解出来ず、「どういうことだ!?」とセンリツに詰め寄るように怒鳴ってしまうと、センリツはすぐ横のレオリオの怒声よりも、クロロの理解できない心音から逃れるように耳を塞いで言い返す。

 

「彼は本当に『自分に人質の価値がない』と思っている。でも、団長(リーダー)だということも事実!!

 もういや! もう聞きたくない!!」

 

 あまりに理解できない異常な心音に、センリツが錯乱して悲鳴のような声を上げる。

 そんな彼女を落ち着かせるように、クラピカはキルアから手を離して、宥めるようにセンリツの背を撫でた。

 

「すまない、センリツ。負担をかけて。……だが、助かった。だいたいわかった」

 

 クラピカの声と背を撫でる体温、そして彼の心音が錯乱したセンリツを落ち着かせる。

 クラピカの心音も、センリツからしたらクロロと同じくらい理解できないもののはずなのに、クロロのものとは違ってそれは何故かひどく心を落ち着かせた。

 

 クロロに対する怒りや憎悪は最初から変わらず、クラピカは心音で奏でている。

 しかし、クロロの発言は「死など怖くない」という主旨だと理解した途端、彼に対する憎悪が失望や肩すかしに近い形でしぼんでいったのをセンリツは聞き逃さなかった。なくなったわけではなく、むしろ自分に失望させたことに対してやや理不尽だがさらに怒りを燃焼させていた。

 

 しかし、もう一つ彼は別の怒りをその胸に灯していた。

 怒りでありながら、憤怒でありながら、その音色はセンリツにとって心地よいと思えるもの。

 それは、あの日の音とよく似ていた。

 旅団(彼ら)にオークションが襲撃される前、ビルの屋上で雑談を交わして時の心音に。

 

 センリツが落ち着いたのを見て、クラピカの手が離れて彼は後部座席に体を戻す。

 そしてクロロを見たくないからか、真っ直ぐに視線も顔も前に向けたままクラピカはキルアに言った。

 

「キルア。こいつを殴るのはただ疲れるだけで意味がない。無視しろ。

 こんな()()()の話など」

 

 はっきりと言い切った。

 しかし挑発や皮肉と言った陰湿さはない。ただ当たり前のことのように、外の天気でも語るようにクラピカは、侮蔑の色などなく平坦にクロロを「臆病者」と言い切った。

 

 そんな彼からもらった自分の評価をクロロも全く気にせず、むしろどこか楽しそうに思える様子で「ほう」と相槌を打った。

 そして実際、クロロはクラピカの発言に怒りなど覚えてない。彼は「いい暇つぶしを見つけた」と言わんばかりに、「どうしてそう思う?」とクラピカに訊き返す。

 

 さらに言うと、クラピカも嫌味や皮肉のつもりで言ってなどいない。

 正真正銘、クラピカ個人から見たクロロという人物像の感想ではあるが、クラピカの憎悪や私怨で歪んだ、相手が自分の言葉で傷つくことを期待した言葉なんじゃない。

 

 クロロに現状が「大したことがない」と言われたと思った時は頭に血が昇ったが、それが絶対に助かる自信があるからではなく、自分の命に初めから価値などないと思っているからだと知れば、逆にどんどん醒めていった。

「前提を間違えている」は、クラピカからしたらこちらのセリフだ。

 

 教えてやるのも癪だが、知らないまま勘違いした余裕でずっと癇に障る笑みを浮かべられるのもごめんなので、クラピカはやはりクロロに顔も目も向けずに答えた。

 

「『死』が毎日、傍に在るものなのは事実だ。だからこそ、それを受け入れられる訳がない」

 

「死」はどこにでもある。だからこそ、遠ざかることも遠ざけることも出来やしない。

 それでも、彼女は逃げ出した。

 

「その事実を誰もが知っていながら、眼を逸らして、逃げ出して、悪あがきで時間稼ぎをしていることこそが『生』だ。

 真の意味でその事実を受け入れているのだとしたら、『死』はすぐ傍に在り、逃げ出せぬ終着点であることを思い知らされているのなら、人に限らず誰も、何も生きてなどいけない。どんなに生き延びても、必ずその意味はなくなることを突き付けられて、思い知らされているということなのだからな。

 だからこそ人は、『死』が目に入らぬように『死』以外のものを貪欲に取り入れて頭の中をいっぱいにしておきながら、その取り入れたものの『死』を意識せぬように頭の中を空っぽにして生きていかねばならない」

 

 ……それが出来ない眼を持たされた彼女は、普通の人間とは比べ物にならぬ速度で逃げ続けなければ、ただ呼吸をすることさえもできない。

「死」から逃れるために、己の「死」を常に夢想するなんて狂気に捕らわれ続けてないと、生きてゆけない。

 

「死」に囲まれて生きている彼女を知るからこそ、クラピカは許せない。

 クロロの発言を。

 彼の価値観を許せなかった。

 

 そんな価値観を持つ者が、彼女を、彼女の眼を欲したという事実が許せない。

 

「貴様が本気で先ほどのセリフを言っているのだとしたら、貴様は死を超越した強者でも、死を望む異常者でもない。

 死が傍に在ることなど、誰だって知っている。知っているからこそ、それから逃げ出すために誰もかれもが必死に生きて、生き抜いて、生きあがいて『生』に意味を見出そうとしている。

 すぐ隣の死を享受するということは、生きることからも死ぬことからも逃げているだけだ」

 

 クロロの方を見向きもしなかったクラピカが、顔を向ける。

 瞳は再び赤く染まっている。怒りゆえだろう。

 しかし先ほどの怒りとはどこか違う。感情的だが短絡的ではない理性の光を燈した眼で、断罪のようにクラピカは宣言する。

 

「だから貴様はただの、すぐ傍らに在る死から死に物狂いで逃げ出そうとすることを諦めているくせに、目を閉ざしてそこにあるものを見ないようにしているだけの、臆病者だ」

 

 ソラとクロロの大いなる違いを、あまりに無様で痛々しく、無意味にしか見えない方法で「生」に縋り付く強い彼女との違いを断言した。

 

 * * *

 

 クラピカの答えを初めの内は面白がって聞いていたのが、徐々に苦い顔つきになって、最終的に苦虫を噛み潰したような顔になってクロロは断言したクラピカに言った。

 

「思った以上にシスコンだな」

 

 クラピカが誰のことを見て、言って、クロロを「臆病者」と判断して非難しているのかを理解しているからこそ、まさかこの状況でここまで盛大な惚気を聞かされるとは思わず、挑発や皮肉のつもりもなく素で言った。

 ヒソカの報告で、ソラとクラピカが連携を取れていない理由に「ソラは紅玉を弟として溺愛しているが、紅玉はソラのことを利用しているだけで姉だと思っていない」という可能性も考えていたが、どうやら想像とは真逆の意味でこの男はソラの事を姉だと思っていないと、今後の役には立つが個人的には知りたくもなかった青臭い情報にクロロは苦虫噛み潰しを続行させながら、「趣味が悪い」とイルミに対しても思った感想もついでに口にする。

 

「……貴様がそれを言うか?」

 

 幸か不幸か怒りで余裕がないクラピカは、普段ならしたであろう反応、赤面して狼狽えてシスコンを否定するくせに、「趣味が悪い」と自分だけではなくむしろソラの方を侮辱する言葉に、シスコン発言以上にキレて否定するという無様な姿は見せず、ただ静かに言ってクロロの顎を右手で掴む。

 

「そう思うのなら、何故貴様は彼女に固執する? 眼か? あの魔眼がそんなに欲しいのか?

 貴様のような臆病者があの魔眼を得られると思っているのか? あの魔眼が欲しければ、死ね。あれは何度も何度も死んで、死に果てて、死に尽くした者が行き着く最果てに触れて、それでも死にたくないと願って、『生』を諦めずに足掻いた者が得てしまう、『死』という絶望と終焉そのものの後遺症だ!

 死など恐れてなどいないと嘯き、死から一番眼を逸らして逃げることからも逃げ続けている貴様が、軽々しく彼女を、あの魔眼を欲するな!!」

 

 クロロのソラを侮辱して軽んじる発言に、あの時キレなかったのが奇跡的な程に許せない光景を思い出し、ギリギリとクロロの顎を掴みあげてクラピカは今度こそキレた。

 仲間の明らかにおかしな様子に気にも掛けず、ソラの包帯を無理やり、顔を傷つけても引きはがすほど求めた、あの異常な執着をしておきながらソラを侮辱する発言は、クラピカにとって当初の挑発行為より許せるものではない。

 

「おい! こいつの発言は無視しろって言ったのは誰だ!? 落ち着け! 頭冷やさねーと、今さっき言ったこと全部ソラに言うぞ!!」

 

 しかし今度は、クラピカの言葉で色々と落ち着いたというか、思わず砂糖吐いて脱力していつもの調子を取り戻したキルアがクラピカを止める。

 地味に最後の脅し文句が効いたのか、クラピカは舌打ちしながらも素直にクロロから手を離す。その様子をバックミラー越しに見ていたレオリオは若干呆れて、センリツの方に至ってはもうクロロに対する怯えが完全になくなったのかちょっと笑っていた。

 

 しかしクラピカにキレられていたクロロは、さらに上乗せさせられた惚気に近いものに苦虫を噛み潰すでもなく、せっかく得たネタを使ってクラピカをからかうでもなく、そして顎を掴みあげられたことに屈辱や怒りを覚えるでもなく、猫のように中空に目をやって少し考えるように「ふむ」と唸ってから、「確かに。俺はあの女の何を求めているのだろうな?」と疑問を口にした。

 

 意外とこの男の素は、マイペースで子供のように好奇心が旺盛だということを当然知らぬクラピカ達はまたしても挑発かと思うが、センリツから「……本気で言ってるわね」と答えられ、むしろ反応に困った。

 クロロとしては前々から疑問だったが、改めて問われると気になってきたからこそ、別に他者からの答えを求めるでもないただの自問自答なので、気にせず独り言を続行する。

 

「まぁ、あの女は思考回路が斜め上すぎて手綱を握りきる自信はないから、仲間に欲しいかと言えば普通にいらんが、あの正しい意味でも誤用の方でも破天荒な人格は、見ている分には飽きないから好ましいとは思う。

 眼の能力は得られるものならどんな手段を使っても欲しいし、あの眼の色そのものも素晴らしいとしか言いようがないとは思うが…………、あの眼のホルマリン漬けに興味を懐くとはどうしても思えんな。そして、同じ異能を持つ眼を得たとしてもあの女を諦めきれるとも思えん。

 ふむ、改めて考えてみると俺はあの『眼』やその異能が欲しいというのは違う気がするな。だからと言って、ソラ=シキオリそのものが欲しいとも、また何か違う」

「……自問自答ならば黙って頭の中でやれ。不快だ」

 

 クロロの独り言に、クラピカは吐き捨てるように言う。

 さんざん迷惑な執着しているくせに、その理由を本気でわかっていないクロロの疑問は確かに、クラピカからしたら不快この上ないだろう。

 

 クロロは素直に「そうだな」と同意して、独り言をやめる。もちろんそれは、クラピカの為じゃない。

 

「もう得られないものについて考えるのは、暇つぶしにしても無意味だな」

「……それは、自分の死を覚悟しているが故の諦観か?」

 

 独り言を、何故あんなにもソラを執着しているのかという答えを出すのが無駄だと判じた理由を、クラピカはやはりクロロの方を見ずに訊く。

 当然ながら彼も、本気で自分が言った通りだとは思ってなどいない。

 

「それもあるが、俺に人質の価値がなければあの女を生かす理由などないことぐらいわかっているだろう?

 あの女に執着しているのは俺だけで、他の連中にとってはあの女は厄介な敵でしかない。そんなのがせっかく弱っているというのに、無事で済むと思っているのか?」

「思っている」

 

 クロロの言葉に再び彼の、彼ら幻影旅団の異常な優先順位、頭さえも切り捨てて「幻影旅団」という存在の存続を優先する集団だという事を思い出されて、キルアやレオリオが戦慄する前にクラピカはあまりにもあっさりと即答する。

 

 答え、そして訊いた。

 

(リーダー)さえも切り捨てろという掟を作ったのは、貴様自身か?」

 

 その問いに、クロロは何も答えない。

 彼は素で呆れていたり、苦虫を噛み潰している時以外ずっと浮かべていた余裕の笑みを消して、黙ってクラピカを見ていた。

 

 そしてクラピカは自分の問いに答えない、自分をじっと観察しているように見ているクロロを無視して、言葉を続ける。

 

「……旅団の11番は、ウボォーギンという男は何も答えなかった。私がどれほど拷問して痛めつけても、死を覚悟して貴様らの情報を何一つとして漏らしはしなかった」

 

 クロロにウボォーギンがどれほどの屈辱にまみれても手放さなかった誇り、矜持を語る。

 

「……それは貴様ら『幻影旅団』の掟だからか、奴自身の意志で話さぬことを選んだのかは、私にはわからない。

 だが、後者はもちろん前者であっても、……貴様の思惑は初めから的外れなのだよ」

 

 そしてクロロとは逆に、今度はクラピカの方が笑みを浮かべて語るので、キルアやレオリオはいつもと様子が違い過ぎるクラピカに引いて、「大丈夫か、こいつ?」と真剣に心配し、センリツは彼が何故笑っているのかに気付き、クラピカをここまで吹っ切れさせたソラを改めて凄いとやや現実逃避気味に感心する。

 

 クロロは、笑みを消して横のクラピカを見下ろすように、観察するように眼をやや細めて見ながら思う。

「……まずいな」と。

 

 車内の誰にどう思われているのか、そのことを気にしていないのか気付いていないのか、クラピカは酷薄な笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 

「貴様らは私にとっては不愉快この上ないが、仲間を思いやる心を持っている。その掟は、心などない冷酷で冷徹なものではなく、仲間を思いやるからこそ犠牲を最小限にするものだろう?」

(……まずいな。

 思ったよりも、鎖野郎(こいつ)は感情的だ。それだけなら都合は良いが、こいつは感情的なくせに短絡的ではない)

 

 クロロがクラピカと直接的な会話をするまで描いていた「鎖野郎」の人物像は、パクノダが記憶を読んで当初思ったものと同じ。理知的であり冷酷で、協力者はいても失いたくないと思える仲間は、自分たちが彼の同胞を虐殺したことがおそらくトラウマとなり作れないからおらず、せいぜい例外はソラくらいで、あとは目的のために利用して切り捨てるタイプだと思っていた。

 

 しかし、実際に会ってみれば情に厚いどころか甘いぐらいの青二才だ。

 必死で抑えつけても挑発には我慢しきれず乗り、怒りのあまりに口を滑らせて惚気とはいえソラに関する情報をクロロに与えてしまう子供だと思った。

 

 だが、その印象が塗り替わる。

 元からなのか、彼女の影響か。血が繋がっていなくても、目の前の男は間違いなくソラの「弟」であることをクロロは思い知らされる。

 

「…………貴様らが血も涙もない外道集団ならば、確かに人質交換など成立しない。だが、貴様らは数少ない特定の相手のみとはいえ、確かに情があるということは既に分かっている。

 そして、貴様が『幻影旅団』の設立者なら、貴様に人質の価値がないなどといった思い込みは的外れだ。

 旅団員は貴様だからこそ、自分の命を捨てる覚悟で『旅団(クモ)』の手足となった。理屈では貴様の掟通りにすべきだとわかっていても、貴様を生きて取り戻す手段があるのならば、それに縋り付く輩は必ずいる」

(こいつは感情で目的を定め、理性でそこへ至る過程を作りあげる。

 感情で何を犠牲にしても手に入れたいものを定めているからこそ、どれほど挑発しても最終目標は見失わず、理性で動いているくせに感情論を重視しているから、どう動くかの予測が困難だ)

 

 感情だけで、もしくは理性だけで動く者ならば、扱いは容易い。

 感情だけで動くのならば、挑発を続けて怒りで視野を限界まで狭めれば、放っておいても後は勝手に自滅してくれる。

 理性だけで動いているのなら、行動の予測が容易いので対策が取りやすく、そして利害をちらつかせれば交渉が可能だ。

 

 だがこの男には、クラピカには揺るがぬものがあり、元からそれしか見ていない視野だからこそ挑発しても無駄だ。視野はもう変わりなどしない。

 そして感情で目的を定めているからこそ、手段を選ぶ気がないくせに過程も大切にしないとその目的にたどり着けないことも理解しているから、ただ利害だけが成立する交渉は通用しないし、理性的に感情論な行動を取る為、傍から見たら行動が支離滅裂で予測など不可能だ。

 

 そんな酷く矛盾しているようで両立させた生き方は、「死にたくない」と「守りたい」という二つの狂気でバランスを取るソラという女によく似ている。

 ただあの女の場合は本物の狂気であり、壊れているからこそ、周りが何もしなくても彼女自身が一歩どころか半歩でも間違えれば自滅するしかない危うさがあるが、クラピカは上手く「感情」と「理性」の使い道を使い分けているので、隙がない。

 

(こいつは挑発に乗ってしまっていたんじゃない。自分の本質が感情を優先して、感情に振り回される激情家であること自覚しているからこそ、ストレスを溜め込んで肝心な時に爆発して台無しにしないように、自分の意志でただ良い機会だから乗って発散していただけだ。

 俺に対して告げたソラ=シキオリに関しての情報など、初めからくれてやるつもりのものしか晒していない。自分にとってソラ=シキオリが弱点であることはすでに隠しようがないことをわかっていたからこそ、あの女は弱点であると同時に逆鱗であることを強調して、忠告……というか脅しているのか)

 

 理性だけで動いていたら、クロロの語った価値観と旅団の掟で計画が成立していない、瓦解していると諦めてしまっていただろう。

 感情だけで動いていたら、人質交換が成立しなければ彼の心の支えであるソラを喪い、成立したらしたで彼は旅団に情があることを受け入れられず、どちらにせよ精神に多大な傷を負ったはず。

 

 しかしこの男は感情で旅団に情があることに怒りを覚えているが、旅団に情があろうがなかろうが、自分の最終目標に何ら関係ない、障害にはならないから受け入れている。むしろ、理性でそれが利用できるものだと理解して、そして実際に利用している。

 感情論を理解しているからこそ、冷静に旅団側の行動を予測して動いている。

 

「――人質交換は、成立する。

 記憶を読みたがらなかった団員に気を遣い、ソラではなくゴン達の記憶を読むように命じたお優しいリーダーを見捨てられない者は必ずいる」

 

 人質交換が成立すると思っている根拠を、クラピカは仕返しと言わんばかりに挑発するように笑って語り、ケータイを取り出した。

 ホテルの外を犬を使って見張っているスクワラから、増援らしき者達が来たというメールが入ったので、クラピカは拉致ってすぐに奪っていたクロロのケータイを取り出し、センリツが盗聴していた仲間の名前を名簿から探して電話を掛ける。

 

 念の為か、クロロの口は拉致られた当初と同じく鎖で封じられた。

 成立すると確信している人質交換を淡々とクラピカが始めるのを、クロロは何も言えぬまま、舌を噛みきっての自殺も許されぬ状態のまま、無表情で見下ろす。

 

 クロロは本気で自分に人質の価値はないと思っているし、死ぬことの覚悟など幻影旅団を結成する前から完了していたが、だからといって何もせずに殺されるつもりも毛頭になかった。

 隙あらばこの連中を殺して自力で帰るつもりしかなく、仮に死んでも団員達に鎖野郎とソラの仲間の情報を少しでも遺すつもりでクラピカ達を挑発し、どういう人間なのかを観察していた。

 

 その観察によって得た情報が、結論を出す。

 

(……迷うな。パクノダ。情報を全て話して、ソラ=シキオリを殺して皆と来い!)

 

 誰がウボォーギンを殺したのかが確定していなかった時点で「鎖野郎」は、「厄介そうで面倒な敵」だった。

 しかしウボォーギンを殺したのがソラだと知れば、クロロにとって「鎖野郎」は「自分たちの周りを飛び交う羽虫」ぐらいにしか思えなかった。

 自分が攫われても、そうだった。幻影旅団という集団の在り様を前提から間違えて、意味のないことをしている愚かで憐れな獲物でしかなかった。

 

その認識が、覆る。

 

(こいつは、こいつらは、たとえ今は予言の未来を回避できたとしても絶対に俺達を諦めない。こいつらは俺達と同じ、いや、片割れを失えば俺たち以上に止まらなくなる。

 いくら情報を抜き取っても、こいつらを不利な状況に落とし込めたとしても、生きている限り諦めはしない。本気で俺達を殺すことを目的に定めたら、首だけになっても食らいつく気だ)

 

 鎖野郎と赤コート、紅玉と蒼玉、クラピカとソラは幻影旅団にとってどんな存在かが決定づけられる。

 今の内に、例え予言以上の犠牲を払ってでも念能力がまだ未熟なうちに、オーラを使い果たして酷く弱っているうちに、二人が引き離されているうちに殺しつくさなければならない者だとクロロは認識する。

 

(こいつらは、殺し尽くさない限りいつか必ず俺たちを、幻影旅団(クモ)を殺し尽くす『天敵』だ!)






クラピカを救済するには、まずこいつの自分から不幸に邁進する性格をどうにかしないといけないなとは初めから思っていたんですが、性格を別物に変えると救済以前に誰やねんこいつになる(もう既になってたらごめんなさい)ので、性格そのものは変えずに考え方を変えさせた結果が、今回です。

クラピカの性格やら欠点を自分なりに分析した結果、何度か本編で書いてるように彼の本質はゴンとかに近い激情家で、理性的な面は後付け。その所為で、したくもないこと、本質に合わないことを普段からして地味にストレスを積み重ねて、一番肝心な時(一番ストレスがかかる時)に爆発して本質の感情的な面が出て視野狭窄になるのが最大の欠点だなーと思ったので、色々と吹っ切れさせて「理性で目的を決めて感情で動く」というクラピカの行動パターンを逆転させてみたんですが……、結果、隙がなくなってないかこいつ? になりました。

まさか、「旅団頑張れ!」と思う日が来るとは思いませんでした。
元が有能な分、最大の欠点を克服させたらヤバいなこいつ。

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