死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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89:全知は問う

 おかしいと言えば初めからおかしな部分はあった。

 ガス欠で倒れていたはずのソラが、普通に起きているどころかピンピンしていることだとか、一応まだ人質という立場なのに、パクノダより先行して歩いてきているという部分に違和感を覚えても良かったのだが、そこらへんを疑問に思ったのはむしろソラをまだよく知らないセンリツぐらいで、レオリオやキルアどころかクラピカでも「まぁ、ソラだし」と理由になっているのかなっていないのかよくわからない力技で流してしまっていた。

 

 レオリオやキルアは、案外元気そうなソラに安堵していた。

 クラピカも、センリツの疑問を「ソラだから」で流した。

 

 だが、センリツの疑問を流しておきながらも、彼女がおかしいと思った部分以上に消せない違和感をクラピカは確かに感じていた。

 言葉で指摘も説明も出来るようなものではない、ささやかすぎて「気のせい」だと思って流して忘れてしまいそうなものだったが、それでも確かにクラピカはゴンと手を繋いで歩いてくるソラの何かがおかしいと思っていた。

 故に、そのささやかだった違和感が急激に膨張して爆発した瞬間、キルアやレオリオと違って困惑と混乱は一瞬で済み、即座に行動に移すことが出来た。

 

 念能力で操作されているという可能性は、ほとんど最初から排除していた。

 パクノダではなくヒソカに確認の電話をしたのは、彼がここにやって来た動機からして「ソラに何かしたか?」という問いに嘘をつく可能性が皆無だと思ったからではなく、彼は自分と同じく「カルナ」と面識があることを知っていたから。

 

「あれ」がカルナでもないことだって、一目で知れた。だが、カルナの存在を知っているか知らないかで、「あれ」がどのような状態なのかを理解出来ているかいないかにはおそらく雲泥の差があるので、説明なしに「中身が違う」という話を出来るであろうヒソカを選んだだけの話だ。

 

《……よくわかるねぇ♣ 参考までに、どうしてわかったのか教えてくれないかい?》

 

 こちらの気を知らないのではなく、間違いなく理解しているからこそ癇に障るほど上機嫌な声音で、電話の向こうのヒソカは質問には答えず、逆に訊き返した。

 その問いに答えたのは律儀なサービス精神ではなく、ただ単に今にも爆発しそうな怒りが我慢しきれず溢れ出ただけ。

 

「貴様を前にしてソラがゴンの側から離れることも、ゴンを庇ってゴンの前に立たないことも有り得る訳がないだろうが」

 

 自分はもちろん、キルアとレオリオも即座に気付き、そして未だに「あれ」が何なのか、どういう状態なのかが理解はもちろん想像すらつかず、ただ窓の向こうの「彼女」を見下ろすしかない理由を即答する。

 ゴンから手を離し、一流の踊り手のような優雅な動作でありながら、子供のような無邪気さでからかうようにクルクルと舞いながらに離れて振り返るという行動にも違和感しかないのだが、それ以上に「あれはソラじゃない」と確信させたのは、その一点だ。

 

 自分だけ安全圏に逃げるというほど離れてはいないが、それでもゴンよりもヒソカに対して距離を置いた時点で、ゴンを守ろうとは今も全くしていない時点で、「彼女」はソラではない。

 そんなことが出来るような人間なら、このような状況にまず陥ってなどいない。

 そう指摘すると、ヒソカは電話の向こうでくつくつと笑いながら、「なるほど♥」と納得する。

 だが、彼が納得したからとてクラピカが望む答えなど返ってこない。

 

《けど、『彼女』がどこの誰で何者なのかはボクが訊きたいなぁ♠ 少なくとも言動からして旅団に操られてるって感じではないし、どう見ても女の子の人格だからカルナでもないしね♦

 パクノダに替わろうか?》

 

 イヤホンで電話の会話を聞かせているセンリツを横目で見れば、彼女はクラピカ達が何故こんなにも困惑し、警戒している理由や事情を未だに把握しきれていないが、とりあえず今までのやり取り通りヒソカの心音を聞き取って、嘘はついていないと告げる。

 

 元より期待はしていなかったが、それでも結局何もわからなかったことに苛立ち、舌を打ってからクラピカは「替われ」と命じたら、窓の外でヒソカが腕を振り上げてパクノダに向かって投げ渡そうとする。

 しかし、ヒソカが腕を振るう前にクラピカの耳に当てたままの電話から声がした。

 

《ヒソカ。()()()()

 

 誰の声かは、わかった。

 わかったのに、わからなかった。

 

 カルナと違って、声自体に変化はない。普段の彼女より若干高い声音のような気がしたが、言葉遣いがソラよりも上品で柔らかい、完全な女言葉の所為でそう聞こえるだけかもしれないと思える程度の違いだ。

 間違いなくソラの声音だったが、クラピカにはわからなかった。

 

 ソラの声だとしたら、ヒソカから投げ渡される前にどうやって彼の電話を奪ったのかという疑問は、浮かびもしなかった。

 それよりも気になったのは、女性らしくて柔らかで優しげで穏やかな印象を持ち、決して棒読みや合成音声じみてなどいない肉声だとはっきりわかる声音でありながら、舞台の台本どころか問題集の回答でも読み上げるような声に聞こえたこと。

 

 無邪気に面白がっているようにも、やっと会えた喜びに満ち溢れているようにも聞こえる声なのに、どこにも響くことなくすぐに消えていく空虚な声が、電話の向こうでクラピカに告げる。

 

《初めまして》

 

 その言葉が、確信を絶望に変える。

 間違いなく、「彼女」は「ソラ」ではないとクラピカに思い知らせた。

 

 * * *

 

 あまりに虚ろな声音と、はっきりと告げられた自分と相手は初対面であるということ、「彼女」がソラではない、ようやく取り戻せると思っていた人はここにはいないという絶望が、クラピカの頭の中を真っ白にさせて、用意していたはずの「貴様は誰だ?」という言葉が出てこない。

 

 だから、何も言えなくなっているクラピカの代わりに「彼女」が先に話を進める。

 勝手に語り、忠告した。

 

《クラピカ。『私』相手にセンリツを嘘発見器に使うのはやめてあげた方がいいわよ。

 無意味に彼女を怖がらせるだけだから》

 

 言われて、センリツの方に再び視線を向けたのはほとんど意図した行動ではなく、反射に過ぎなかった。

 だが、視線をセンリツに移したクラピカはそのまま固まる。

 隣のセンリツは、顔色を青どころか真っ白になるほど血の気が引いてクラピカ以上に固まっていたからだ。

 

 車内でのクロロの心音、念能力を封じられ敵に囲まれているという状況でも、それは昼下がりのコーヒーブレイクと変わらないと言い切って、実際にそうとしか思っていない心音を耳にした時と似た反応だが、それ以上にセンリツは恐れ慄いていた。

 イヤホンを外して耳を塞いで「もう嫌!!」と叫ぶことすら出来ない、恐怖のあまり何も行動に移せないでただただ体を小刻みに震わせているセンリツに、クラピカも「どうした!?」や「大丈夫か!?」と訊くことも出来ず絶句するしかなかった。

 

 代わりにキルアとレオリオがセンリツの様子のおかしさに気付いて、彼女の方を掴んで揺さぶりながら、「おい、どうした!? 何を言われたんだ!? ソラはやっぱり操られているのか!?」と尋ねる。

 その問いに答えず、センリツは歯をガチガチと鳴らしながら逆に訊いた。

 

 

 

「……な……に………………この…………おと…………。これが……心音…………なの?」

 

 

 

 電話越しでもセンリツの能力ならばはっきりと、「彼女」の心音が聞き取れた。

 むしろセンリツはソラが旅団によって念能力によって操られているかどうかを確かめるために、より耳を澄まして集中して彼女の心音を聞き取ろうとしていたのが仇となる。

 

 目の焦点が合わず、どこを見ているのかも怪しいほどに恐怖一色に染まりきったセンリツに、彼女を揺さぶっていたキルアも、それを止めて「落ち着け!」と言っていたレオリオも、今度は別の意味で戸惑って説明を求めるようにクラピカに視線を向けてくるが、説明が欲しいのはクラピカの方だ。

 

 そんな彼らの心境を読んだかの如くのタイミングで、「彼女」はクスクスと笑いながら告げる。

 

《ほら、早くイヤホンを外してあげて。

 時計の秒針みたいにただ一定のペースで鼓動を刻むだけの心音なんて聞いても、センリツの精神をすり減らすだけよ》

 

 言われて、クラピカも顔から血の気を引かせてもう一度言葉を失う。

 センリツに目を向ければ、彼女はわずかに首を動かして「彼女」の言葉を肯定した。

 

 心音で「彼女」の心理状態を推測するのは不可能だと告げる。

 そこにあるのは正真正銘、ただの「音」でしかない。

 これと比べたら車内でのクロロの心音が実に人間らしくて安心できるほど、感情など反映されない、まさしく肉でできた時計の秒針のような、有機的でありながら酷く無機質で無感情、空虚な音でしかないと恐怖を湛えたセンリツの眼が語っていた。

 

 その肯定に、口よりも如実に答えを語る眼にクラピカも慄きながら、これ以上センリツに負担を掛けぬように忠告通り震える手でイヤホンを外して、ようやく用意していたはずの言葉を絞り出すように紡ぐ。

 

「…………誰だ、……お前は。……一体、……何者なんだ?」

 

 ソラではない誰かに対する警戒心や、カルナとは違い彼女が大切に思うものを大事にも尊重しようともしないことに対する怒り、ソラがまだあまりに遠いという絶望が、得体のしれぬものを前にした「未知」に対する恐怖へと塗り替わってゆくのを感じながらも、クラピカは訊いた。

 

 その問いに、「彼女」は即答する。

 回答集でも読み上げるような、空っぽの声音で名乗り上げた。

 

「存在としての名なら、『式織 空』。

 機能としての名前なら、神様でも根源接続者でもアカシックレコードでもラジエルの書でも聖杯でも、あなたのお好きなようにどうぞ」

 

 ほとんど答えになっていない、意味が分からない返答だったが、ただ一つだけ「彼女」が告げた「機能」としての名の一つが何を意味しているのかだけは、理解出来た。

 その理解した一端が、恐怖一色に塗り替わっていた心に再び、憤怒の火を灯す。

 

「――ソラは、どうした!?」

《眠っているだけよ。大丈夫。用が済めばすぐに起こしてあげるわ》

 

 静かにキレていたと思えば、センリツと同じように顔面蒼白になって慄き、そしてまた今度はブチキレるクラピカに、どんな会話をしているのかサッパリなキルアとレオリオは困惑するしかないが、電話の向こうの「空」はクラピカの全てを見透かしているように飄々と、彼が望む答えを即座に告げる。

 

 クラピカの望み通りの答えだが、当然その言葉を信用などしていない。

 しかし、だからといって頭から否定して敵対することは、愚行でしかないこともクラピカは理解している。

「彼女」が何者かなんて何もわかっていないも同然だが、自分の前に連れて来たらややこしいどころではない相手をパクノダが連れてきた時点で、力づくで眠らせるなりして運ぶことも出来なかった、「彼女」の好きにさせるしかなかったことも想像ついている。

 

 そんな相手に喧嘩を売れば、それこそソラがどうなるかわからない。

 なのでクラピカは、ゴンが「彼女」に警戒している様子もなく大人しく手を繋いでいたことを根拠に、ひとまず引き下がる。

 ゴンなら相手が何者であっても、ソラに危害を加える相手だと判断していたら絶対に、あんな風に手を繋いで一緒にやってくることもないと信じているから、「空」の答えも信じることにした。

 

「……用とは何だ?」

 

 しかし答えを信じたら信じたで、警戒すべきこともある。

 センリツがここほど怯える空虚な心音を奏で、自身の「存在」ではなく「機能」として「神」を自称し、こちらが何をしてるのかもこちらの心情も全て見透かしているようなことを告げる相手の用件など、全く想像がつかない割に良い予感も皆無だったからこそ訊いた。

 

 そしてやはりその問いも予定調和だったかのごとく、一瞬の間もなく「彼女」は答えた。

 

《ソラに頼まれたことをするだけよ》

 

 その答えに、思わずクラピカは呆気にとられる。

 これもこれで良い予感が全くしない、ある意味では恐ろしい答えなのだが、それでも人間味が欠け落ちているどころか初めから持ち合わせていないと思える相手から出てくるとは思えなかった答えに、怒りや警戒心を一瞬忘れてクラピカは素で「頼まれたこと?」とオウム返ししてしまった。

 

 その反応をおかしげに「空」はクスクスと上品に笑ってから、言葉を続ける。

 

 

 

《『クラピカが幸せになりますように』》

 

 

 

 今は眠る、「式織 空」(自分自身)精神(こころ)でありながら、全くの別人の言葉を。

 

《『クラピカが、幸せになることを諦めませんように。幸せになることに罪悪感なんて、抱かなくなりますように。

 

 どれだけたくさんのものを諦めても、幸せになることだけは諦めませんように。

 クラピカの幸せを願い、望み、祈る人間がいることが、君の罪悪感を減らしてくれますように。

 クラピカの生きる道が輝ける幸福に……、どれほど傷ついても、何度後悔しても、涙が枯れる程泣いても、……それでも、その全てが尊くて何もかもが報われる幸福になりますように』》

 

 無意識に、クラピカの指先が自分の耳にぶら下がる石に触れる。

 あまりに幸福だった、幸福そのものだった瞬間、泣きたくなるような幸福の形をそのまま再現される。

 どこにも響かず、何も残さずに消えてゆくしかない空虚な言葉ではなく、「諦める」という救いすら奪い尽くす呪いとなっても消えず、手離せなかった「ソラ」の言葉を「彼女」は告げる。

 

《『クラピカが幸せになりますように』

 ……それが、ソラからの頼まれたことよ》

 

「ソラ」の言葉を終えると、すぐまた「彼女」の言葉はどこにもつかみどころはなく、何も残さない虚ろなものに戻る。

 だが、それでも「彼女」は言った。

 

 機能として「神」を名乗った「彼女」は、歌うようにクラピカに告げる。

 

《私は貴方の願いを叶えに来たのよ》

 

 万能の願望器(聖杯)は、そう言った。

 

《だから、何を願うかを考えておいてね。

 私は全能ではないけど万能くらいではあるから、大概のことは叶えられるわよ》

 

 やけに明るく軽く「彼女」は言うだけ言って、そのまま「はい」とパクノダに電話を押し付けるのが聞こえてきた。

 勝手に話を終わらせるなとクラピカは言いたかったが、おそらく「彼女」に対してこの手の文句はソラ以上に効果などなく聞き流されると先ほどまでのやり取りで感じ取っていたので、そのまま黙ってパクノダが電話に出るのを待つ。

 

「……止まっている飛行船に乗れ。行先はもう伝えている。……ヒソカも望んでいるのなら乗せろ。人質交換が済むまで何もしないと誓うのなら、好きにしたらいいと伝えろ」

《……ヒソカはともかく、こっちの『空』についてはいいの? 何か訊きたいこととかあるんじゃないの?》

 

「空」から丸投げに近い形で電話をいきなり替わられたので、「『あれ』は何なんだ? どういうことだ? お前たちが何かしたのか?」とパクノダもほとんど答えようがないことを訊かれるかと思ったら、クラピカは何も尋ねずに指示を出してきたので、思わずパクノダの方が訊いた。

 クラピカに気を遣ったわけではなく、ただ後からいちゃもん付けされたくないから、先に色々と弁解出来る機会があるのならしておきたいと思っての言葉だが、クラピカは即答で「必要ない」と返す。

 

「どうせ、お前たちも事情を完全に理解している訳ではないのだろう? ならば、後で本人に訊いた方が早い」

 

 元から念能力による操作だとしたら、寝かせたまま運んできた方がささいな言動による違和感でこちらに近づく前に気付かれるという可能性を限りなくゼロに出来たというのに、それをしなかった時点でソラが操作されている可能性はないと判断していたが、「空」が自身の機能について「聖杯」と名乗ったことで、「彼女」の存在や言動に旅団は何一つ関わっていないとクラピカは確信していた。

 

 彼女が語った機能としての名はほとんどが理解出来なかったが、「神」に並んで「聖杯」という単語は間違いなくこの世界の住人では出てこない。

 クラピカ達にとって聖杯とは、神話や宗教に登場する聖遺物の一つでしかない。

 そこに「万能の願望器」という意味などない。

 

 ソラの世界の「魔術」や「聖杯戦争」についての知識を得ていない限り、「彼女」がどうして機能として「聖杯」と名乗ったのかはまず理解できないことなのだ。

 パクノダの様子からして、ソラが全く別の世界からやって来たという記憶は読んでいなかったはずであり、いったん開放して連れてくるまでにその記憶を読んだとしてもやはり、ここで「聖杯」とソラに名乗らせる意味は皆無なので、クラピカは旅団が何か細工したという可能性を捨てると同時に、旅団側が「彼女」に関しての詳しい事情や正体を理解してはいないと判断し、とにかくことを進めることを選ぶ。

 

 ここで「彼女」が何者かの説明を求めても、ただ時間がかかるだけ。

 旅団側が「彼女」の存在を把握しているのならともかく、連れてくる途中で「彼女」が目覚めてパクノダしか把握していないのならば、ここで時間を取らせたら他の団員たちが不審に思ってやって来る可能性が高く、そうなったらまた余計にややこしくなって不都合だ。

 

 はっきり言って「空」のことをクラピカは信用も信頼もしていないが、「空」の「用が済んだらソラを起こしてあげる」という言葉をひとまず信じたのと同じ理由、ゴンが怯えたり警戒している様子もなく「彼女」の隣でヒソカから庇うように寄り添っていることで、少なくとも敵に回るような相手ではないと判じて、とにかく互いにとっての切り札であり爆弾である人質をさっさと交換してしまった方がこれもお互いにとって好都合だろうと、手短にパクノダに説明する。

 

 パクノダの方も、正直言って「彼女」と少しでも早く離れたいくらいだったので、その説明に納得して彼女はヒソカにクラピカからの伝言を伝えて大人しく、指示通りの飛行船に乗り込んだ。

 

 クラピカの方は通話を切り、話が終わるのを律儀に待っていたキルアとレオリオからの「あれは何だったんだよ!?」「ソラは操られてんのか!? 本物なのか!?」という質問攻めに返す答えと、未だに怯え続けているセンリツへのフォローに頭を痛ませる。

 

 不測どころではない想定外の事態によって、さらに考えなければならないこと、しなくてはいけないことが増えた所為で余裕を失くしたクラピカは気付けなかった。

 鎖によって拘束され、無力化して、口もふさがれて一言たちともしゃべれないクロロが、黙ってじっと窓の外を見下ろしていたことを。

 

 闇色の瞳を見開いて、異様な輝きを放ちながら彼はずっと見ていた。

「式織 空」を、ずっと見ていた。

 

 そして「彼女」も、何にも期待していない空っぽの眼で、諦観の絶望そのもの蒼天の眼で一瞬だけだが彼を、クロロを見たことに、クラピカは気付けなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「ふぅん♦ 旅団も災難だね♠ あんなに気を付けていたのに、まさか『女神』は比喩じゃなくて本物だとは誰も想定してなかったから仕方がないけど♥」

 

 飛行船の中で、「キミは何者なんだい?」というヒソカの問いに、「空」は旅団のアジトでした「体の人格」についての説明をすれば、ヒソカは旅団のように途中で噛みついて話の腰を折ることもなく、素直に聞き入れて他人事のような感想を口にし、パクノダを苛つかせた。

 そんなパクノダの苛つきの溜飲を下げるのは、ヒソカが来るまでこちらが苛立ちの元凶そのものだった女神。

 

「それはあなたにとってもそうでしょう? でも、言っておくけどあなたが幸せになれないのは私の所為じゃないわよ。どちらかというと、フィンクスの所為よ。私は基本的にあなたに何もする気なんてないもの」

「……へぇ♦ けど、ボクの本来の予言ではキミの存在がボクの望みを壊すって出てるんだけど、それはどういう事なのかな?」

 

 ニコニコ笑いながらしれっと、ヒソカが予言の改竄や影武者などいろいろ手を尽くして前倒しにした予言が望み通りの方へと向かわない宣言をブチ込んで、珍しくヒソカが若干不愉快そうな様子を見せつつ尋ねる。

 本心はどうであれ、表面上の余裕は常に保ち続けるこの奇術師に相手に快挙と言える言葉だったので、正直「いいぞ、もっとやれ」とパクノダは思わなくもないが、ここでこの二人の戦闘となればこの後の人質交換に差し障りがありそうなので、「余計なことは言わないで」と「空」の方を一応止めた。

 

 アジトでのあの反則ぶりな「眼」を考えたら、「空」の方に心配する必要は皆無。むしろ明らか団長とのタイマン狙いでここにいるヒソカを「彼女」が殺してくれたら旅団としては好都合この上ないのだが、ゴンは「空」にどのような反則的な力を持っていても放っておいていいという発想にはならないらしく、ヒソカから「空」を守るように前に二人の間に挟まるように座り込んで動かないので、二人の殺し合いの巻き添えに彼が遭わぬようにと思って止めた。

 

 しかし、パクノダの配慮はもちろん、ゴンの「空」を守ろうとする意志すらも、この女神にとっては何の意味もないものだからか、パクノダの言葉を無視してヒソカの問いにやはり目覚めてから変わらぬ様子で、穏やかに空虚な即答をする。

 

「そもそも、私が目覚めなければそれこそあなたはクロロと二人きりになんかなれないわよ。

 あなたの予言の待ち人、あれはクロロじゃなくてカルナのことよ」

 

 即答された答えに、不愉快そうな顔と同じくらい珍しくヒソカは目を丸くして、きょとんとした顔でしばし沈黙。

 そんなヒソカを無視する形で、「空」はヒソカよりもゴンとパクノダに対してヒソカの本来の予言に関しての解説、訪れなかった未来について語る。

 

「ヒソカの予言の2週目には、『紅玉の仲介により、待ち人がやってくる』とあったから、同盟を組んでたクラピカが約束を守ってクロロと戦うチャンスをくれたって解釈しちゃったんでしょうけど、クラピカが仲介する形で現れ、あなたと戦うのはクロロじゃなくて私の代わりに目覚めていたであろうカルナの方よ。

 カルナはいつか機会があればあなたと戦うことを約束してくれていたでしょう? あの約束を守ろうとしてくれたのよ。

 

 カルナは事情を分からず逃げ回っていることはクラピカにもわかったけど、クラピカは彼の実力を全然把握してなかったから、彼を追っているのが旅団の中でも武道派二人で、カルナはオーラもまだ回復なんかしていない上にゴンもいるということを考えたら、不利だと思ったのでしょうね。実際は、全然心配なんかいらないけど。

 だから、カルナ達が逃げ出したと連絡が来てクラピカは、こちらから向かって向こうのホーム、自分たちにとってはアウェーで人質交換に応じる譲歩をして、何とかカルナ達にノブナガ達が手を出さないように交渉するの。

 

 けれどその交渉をしたのは、イルミが操っていたシャルナーク。彼を使って旅団を攪乱させて、全然別の場所に誘導したおかげでノブナガとフェイタンが死んだあと、あなたは旅団に邪魔されずクラピカが連れてきたクロロに会うことが出来るわ。

 でも、旅団がいないのならば不公平で卑怯だけど、クロロをそのまま解放なんて当然クラピカ側からしたらしたくないわ。ヒソカが確実にクロロを殺してくれるのならともかく、ヒソカが負けてクロロがそのまま逃げられたら、旅団に知られた情報に関してのフォローが出来ないという最悪の状況になってしまうから、あなたの『クロロを解放しろ』という要求をクラピカ達は跳ね除けるけど、それなら今、ここでクラピカ達と敵対することを宣言したから、カルナがクロロの代わりに自分が戦うと名乗り上げてくれた。

 これが、私ではなくカルナが目覚めていた場合の出来事よ」

「……あー♣ すっごい納得♠」

 

 おそらくはクロロと同じく二通りの未来が記されていたヒソカの予言、その内のカルナルートと「彼女」が呼んでいる方の未来図を解説すれば、ヒソカは脱力したような声を上げた。

 確かに、そのような状況ならば「待ち人」がクロロなのはおかしい。予言の内容に、不自然な部分が多々出てくる。

 

 状況からしてイルミにいくら情報を偽証してもらい、旅団の邪魔が入らないように全く別の場所へ団員を誘導してもらっていたとしても、それはせいぜい1時間も稼げたら儲けものな時間稼ぎでしかない。

 さらに言うとクロロにとって自分とタイマンで戦うメリットなんか存在しないのだから、彼は間違いなくヒソカと戦うこと、ヒソカを殺すことよりも、自分がその場から逃げ出すこと、もしくは旅団に居場所を知らせてこちらに向かわせることを最優先するので、アジトからひどく離れた場所ではない限り、クロロがとにかく効果が派手な能力を連発すれば、イルミによって別の場所に誘導されていたメンバーも気付けるだろう。

 

 なので、ヒソカの運が悪ければタイマンの最中、良くてもタイマンが終わってから旅団のほぼフルメンバーがやってきて、タイマンの邪魔をされるか団長の仇討ちとして団員が向かって来る可能性が非常に高いのだが、それが予言が記していた未来だというのなら、「女神が目覚めぬ限り貴方は幸福だ」と記されていた部分が不自然だ。

 

 自分が最強だという自信はあるが、だからといってヒソカは幻影旅団を甘く見てなどいない。

 クロロとのタイマンで大怪我を負いつつも勝利した後で、残った旅団員との戦闘はこれもタイマンならまだしも、一対多数のリンチではさすがに不利であることくらい冷静に判断している。

 なので、そのような状況になればさすがのヒソカも迎え撃つことよりも退却を選ぶ。選ぶが、本心ではクロロに勝った最高の高揚感の中、彼には劣るとはいえこれまたレベルの高い能力者との戦いを続けられたら最高の昂りの中で絶頂を迎えられるという期待がある為、その期待を自ら捨てなくてはならないヒソカの心情を思えば、予言の中の「貴方は幸福だ」が当てはまらなくなる。

 

 タイマンの最中で旅団が乱入したのなら、なおの事。

 乱入してきた団員とも交戦して、クロロごと全滅させることが出来たらそれなりにいい気分にはなるだろうが、やはり水を差されたことで間違いなくテンションは若干下がって、到底「幸福」と言える気分ではない。

 第一これが予言通りの未来ならば、旅団の死人は自分と予言前に死んだウボォーギンを抜いて4人だけなのは有り得ない。間違いなく自分がもっと殺している。

 

 なので、「待ち人」がクロロではなくカルナだという「空」の答えにヒソカは心から納得した。

 彼が相手ならば、確かにクロロと戦えなくても不満など何もないし、負けて大怪我を負っても幸福だと実にいい笑顔で言い切れる自信はあった。

 

「だから、私が目覚めた時点であなたが望んだカルナとの交戦はお流れしちゃってるの。それは謝るわ。ごめんなさいね。

 まぁ、代わりにクロロと団員の横やりが入らない場所で二人きりになる機会はあるから、それで妥協して」

「…………キミがカルナの代わりに戦ってはくれないのかい?」

 

 色々と納得しつつ脱力し、そしてカルナと戦う絶好のチャンスを失ったことが結構ショックらしくかなり凹んでいるヒソカに、「空」はにこやかに笑いながらソラとは別方向に空気を読まない発言をする。

 自分のペースを保てない、乱されるという点においてはソラよりカルナに近いとヒソカは感じながらも、カルナと違ってこちらはわざと振り回している節が見え隠れしているので、ヒソカとしては本当に珍しく「気に入らない」と思いながらも戦闘狂なりの矜持で誘ってみるが、それも不発に終わる。

 

 ヒソカの発言でゴンの方が警戒して、「空」を守るように両手を広げて立ちふさがるが、「空」の方はそんな目の前の彼など見ていない。

 彼のしていることに何の意味を見出しもせず、求めもせず、しかし「無意味」と語って止めはしないのは、「彼女」なりの慈悲なのか。

 

「空」は相変わらず、一瞬の間もなく目の前の紙に書かれていることを読み上げるように、空っぽの答えを告げる。

 女神には、ヒソカ自身が説明できず理解しきれていない部分までお見通しだった。

 

「ヒソカ。あなたは『天災』なんかと戦ってどうするつもり?」

 

 その問いかけこそが、ヒソカがどうしてもこの女神に、「空」に興味を懐けない、戦闘意欲を覚えるどころか萎える理由の答えだった。

 

 最初から変わらず、ヒソカに対して「彼女」は警戒心も抱かず隙だらけだが、これは自分が相手にされていないから、相手にする必要などないと思われているからであることなど、ヒソカはとうに気付いている。

 明らかにソラはもちろん、カルナでさえも足元に及ぶかどうかが怪しい、自称である「女神」が比喩ではないと確信できる相手でありながら、ヒソカがどうして「彼女」と戦いたいとは思えないのか。

 それは、「彼女」がまさしく「神」の名にふさわしいほどの存在であるからこそだ。

 

 自分より確実に強い者、勝ち目のない相手とは戦いたくないという腑抜けた理由ではない。

 それはまさしく、「空」が訊いた通りの理由。

 天災と……台風や地震と同等の存在、圧倒的な力の奔流そのもの相手にまずどう戦えと? 何をもってして勝ち負けを判断しろと? という根本的な疑問もあるが、それ以上にヒソカが「彼女」に対して興味を懐かない理由は単純に、相手が「人間」どころか「生き物」とさえも言えない存在だから。

 

 この女神は自分でクラピカに電話で語っていた通り、「女神」という存在ではなく「女神」という機能そのものでしかない。

 会話が成立しているので錯覚してしまうが、目の前のこの存在は基本的に訊かれたことの答えをそのまま返しているだけだ。自己や自我というものは「ソラ(精神)」のものであり、「彼女」には存在しない。

 

 ヒソカが「彼女」に興味を懐いていない以上に、「彼女」はヒソカの存在など視界にすら入れていない。

 入ってもそれは、路傍の石ころと変わらぬ認識でしかない。

 

 何もないくせに、あまりに一方的に多くのものに影響を与える者。

 あまりに多くのものを傷つけるくせに、そのことに思うことなど何もない者。

 これは、人の形に見えるだけの天災。

 

 本来なら形などない、力そのものの「何か」でしかない「彼女」はたまたま何かの間違いで「式織 空」という人間の「形」を得てしまったから、そしてその形を動かす「精神(こころ)」を作りだしたから、まるで気流やプレートの関係で特定の地域に定期的に発生する台風や地震のように、かろうじてその作りだした「(ソラ)」が望む方向に流されているだけの、存在や行動に理由はあっても決して意味などない、何もない者。

 それが「彼女」なのだろう。

 

 だから、ヒソカは「彼女」に興味を懐かないし、懐けない。

 台風や地震に勝負を挑んでも、勝ち負けどころか相手にされない以前の問題なのだから。

 自己や自我というものが存在しない、機械よりも人間味のない機能そのものな「彼女」を一個人として認識することに意味などないと無意識に判断していたことに、ヒソカはようやく気付いた。

 

 気付けばなおさらに、「彼女」を相手にする気は失せた。

 天災に殴りかかっても勝負にならないと同じように、天災に話しかけても意味はない。

 答えは返ってくるだろうが、そんなの辞書を引いて調べた結果と同じ。独り言よりはマシ程度で、会話ではない。

 

 だからヒソカは最後に一つだけ、それこそ辞書でも引くような気持ちで訊いた。

 

「……キミのことをソラは覚えているのかい?」

「覚えていないし、ソラはもちろんカルナも『私』の存在なんか知らないわ。知性(精神)があってこそ外界を認識することが出来るから、知性は自分が(じぶん)を生み出したと思い込んで生きて、体の人格(わたし)の存在なんて認識なんてしない。

 安心なさい。ソラとカルナは天災でも神様でもなく、人間として生きていける者よ。まぁ、カルナの方はちょっと色々と問題だらけだけど」

 

 ヒソカの問いに、何もないただの「全知」は用意していた答えを淡々と述べた。

「彼女」の記憶を少しでも覚えていて、ソラが「彼女」と同じ「眼」になることはないと告げる。

 

 何もないくせに何もかも知っている、何でも出来るからこそその結果に価値も意味を見出せないという絶望は、決してソラが味わうことなどないという答えに、「そう♦」とだけヒソカは応じてそのまま、飛行船がどこか到着するのを待つ。

 色々と癇に障る相手と気分が悪くなる時間だったが、「彼女」の「安心なさい」には言葉通り安心できたので、後は当初の期待通りクロロとタイマンできることを楽しみにしようと、気持ちを切り替えた。

 

 初めて見た時から、興味は湧かないが酷く気に入らないと思っていた、ソラと「彼女」の一番の違い。ソラがする訳のない眼、諦観の絶望を刻んだセレストブルーを、今はただ純粋に憐れみながら待った。

 

 

 

 

 

 ……しかし、ヒソカの誤算はもう一つだけあった。

 ヒソカが理解した通り、「空」には自己や自我と言えるものはないと言っていい。天災そのものであるという認識は間違いない。

 だが、天災に自己や自我がなくても、気流やプレートの関係である程度の法則に従って発生したり、動いたりするように、「彼女」もソラという精神が眠っていても無自覚であっても、最低限のかじ取りくらいはしている。

 

 ヒソカは気付いていなかった。

「空」はヒソカのことなど何の興味もないが、ソラはヒソカのことを隙あらば自殺をお勧めするくらい嫌っていることを忘れてはいなかったが、それを「空」に結びつけはしなかった。

 

 ……まさか意図的にクロロが解放される条件、クラピカの能力によって「念能力の使用禁止」という制約(ルール)を課せられている現状の情報を隠して話していたとは予想していなかった。

 

 * * *

 

「あぁ、ちなみにヒソカはカルナに負けるわよ。

 あの人、あなたのことすら別に嫌いじゃないけど、さすがにソラやクラピカ達はもちろん、旅団の守りたかったものも全て自分の欲求の為に利用して、踏みにじったことに本気で怒るから、少しだけ本気を出してくれるわ。

 左手と右足を失って、あと顔に大火傷を負うけど満足できる戦いになっていたでしょうね」

「……それ、余計にそっちの未来じゃないことが悔しくなるから、言わないで欲しかったなぁ♠」

 

 ヒソカが切り上げたはずの話を、しれっと「空」が続けてヒソカが文句を言う。

 自分が負けるわ、手足の欠損や顔に大火傷というシャレにならない被害に遭うと聞かされても、そちらの未来を望むヒソカの戦闘狂ぶりにゴンは色んなものが一周回って敬意を懐くような視線を送り、パクノダは率直かつ盛大に引いていた。

 

 そして余計なことを言った本人は、相変わらずあどけなく穏やかに嫋やかにクスクスと笑いながら、意味などない話を続ける。

 

「ごめんなさいね。でも、仕方ないの。だってあなたの話の結末を語っておかないと、パクノダの未来の話に入れないのだもの」

 

 全く悪びれた様子もなく謝りながら、話の主題をさっさと変える。

 ヒソカから、パクノダに。

 彼女が当初望んだ答えを、この女神が目覚めず代わり半神の英雄が目覚めていた場合、自分が選んだのは誇りか諦観かどちらかなのかについて、彼女が未だにそれを知りたいかどうかを確かめもせずに、「空」は淡々と答えた。

 

 訊くまでもなかったから、答える。

 

「シャルナークがイルミに操られて、カルナ達が向かって交戦している場所とは全然違う方向に、戦闘要員のフランクリンとボノレノフ、もしもの時の治療役としてマチを向かわせるわ。まぁ、もちろんこの理由は出まかせ。ヒソカの為というより、イルミ自身が隙あらば逃げるために、なるべく厄介メンバーをアジトから離しておきたかった選んだメンバーよ。

 それで、あなたとコルトピ、そしてシズクと操られたシャルナーク、ヒソカに扮したイルミがアジトに残るのだけど、マチはシャルナークに何となく違和感を覚えたから、そのことをあなたに伝えるわ。

 

 それであなたは隙を見てシャルナークの記憶を読むことで、彼が操られていることとヒソカが誰かと入れ替わっていることに気付く。同時に、イルミも気付かれたことに気付いてあなた達は交戦するわ。

 その際、コルトピとシズクがあなたをカルナ達が本当に向かった場所へ行くように指示して、あなたをイルミと操られたシャルナークから庇って戦闘から離脱させる。

 あなたは二人の言う通り、別の場所に誘導された他のメンバーに連絡を取って、本当にカルナ達がいる場所へと向かう。幸いながらフランクリン達もマチの勘を信じてアジトからさほど離れていなかったから、すぐに合流して向かうことが出来るわ。

 

 そして、到着したのはちょうどヒソカとカルナの戦いが終わった直後」

 

 そこまで語って、「空」は急に立ち上がる。

 立ち上がった自分を見上げて「『空』?」と呼びかけるゴンを無視して「空」は、聞いているのかどうか怪しいほど無言で、こちらを向きもせずに座り込んでいるパクノダの元まで歩み寄る。

 歩み寄り、近づきながら「彼女」は笑いながら謡う。

 

「『貴方は狭い個室で2択を迫られる

 誇りか諦観しか答えはないだろう

 誇りを選ぶのならば撃ち抜きなさい

 それは魔弾となって、硬玉を撃ち砕くから』」

 

 慈しむような優しげな笑みを浮かべながら、憐れむように絶望の眼でパクノダを見下ろし、彼女の予言を口ずさみながらそれが何を意味していたのかを教える。

 

「あなたの予言は、クロロやヒソカとはまた違った方向でちょっと特殊なの。

 基本的にネオン=ノストラードの予言は悪い未来を回避させることを優先して記すから、警告文は『死』を退けるためのものがほとんどだけど、あなたにとって、あなたのその時の状況にとって『死』は悪い未来ではなかった。

 もちろん、死なずに済むのなら死にたくないでしょうけど、あなたの死ぬは最後の最後だからこそ、他の誰かの行動次第であなたが何もしなくてもその死は回避できた可能性が高かったから、あなたがすべき行動を示す警告文がかなりギリギリのタイミングになってしまっているの。

 

 そして、そのタイミングであなたにとっての『悪い未来』は自分の死ではなかった。

 だから、あの予言の警告文に従って回避できるのは『死』ではなく、『何もしなかった』というあなたが幻影旅団(クモ)であるという存在意義を無意味に落とす自らの行動。

 あの予言の意味はね、『諦観の絶望を回避したければ、死ね』という意味だったのよ」

 

「空」の語った予言の解釈、パクノダのあったかもしれない未来の救いの無さにゴンは絶句する。

 死ぬか、それとも自分が今まで生きてきた意味、これから生きてゆく意味全てを捨てて生き延びるかという最悪の二択に迫られるという未来は、既に回避していると知っても聞きたくなかったであろうと思えるものだ。

 

 しかし、その最悪の未来を語られたパクノダ本人は、ゴンとは裏腹に沈黙を破ってクスリと小さくだが確かに笑った。

 その反応にゴンだけではなく、我関せずだったヒソカも目を丸くしてパクノダに注目すると、彼女は二人を無視して挑むような好戦的な眼で「空」を見上げて訊く。

 

「……そう。で? 結局、私が選んだのはどっちなの?」

「そんなの、『私』に訊くまでもないでしょう?」

 

 パクノダの問いに即答どころか被せ気味に「空」は訊き返す。

 自分の反応はこの女神とっては意外でも何でもない、生きるための呼吸をすることのように当たり前のものでしかなかったということにパクノダは一瞬だけ苛立ったが、実際に自分にとって当たり前であるとに納得してしまう。

 

「空」の反応通り、そして言葉通り、自分の反応は意外でも驚くべきことでもなければ、この女神や未来視になど訊く必要もないこと。

 自分が何を選んだかなんて、わかりきっている。

 

 それでも、「空」は答えてくれた。

 パクノダの為というより、何が何だかわからないという顔をしているゴンの為の解説だったのかもしれないが、憎らしいほどの説得力を持つ「彼女」の断言はパクノダにとってわかりきっている者をさらに強固に、確固たるものにしてくれた。

 

「あなたが選んだのは、『誇り』よ。予言による警告があってもなくても、変わらないし迷わない。あんな警告文は、一応の保険でしかないわ。

 

 クロロはあなた達が連れてきたフランクリンの念弾にクラピカが被弾したおかげで逃げ出すことが出来るの。

 そしてそのクロロを捕えようとカルナが動き、そのカルナの動きを一瞬でも止めるためにあなたはカルナに銃口を向ける」

 

 右手の親指と人差し指を立てて銃を模し、その指先をパクノダの眉間に突き付けて「彼女」は話を続ける。

 

「あなたの動きを察知して、クラピカは負傷しながらもあなたに攻撃を仕掛けて、あなたのカルナに対しての攻撃を防ごうとするわ。

 あなたはカルナがどれほど反則的な力の持ち主かを、ちゃんと理解してた。自分の攻撃なんか1秒の時間稼ぎになる自信もなく、なったとしてもその稼いだ時間でクロロや他のメンバーが彼から逃げ切れる保証もなかった。

 自分のやることが、死が無駄死になる可能性があまりに高かったことなんて考えるまでもなくわかっていたからこそ、選択肢がよぎるのよ。

 

 カルナやクラピカ達の性格なら殺されることはまずないでしょうから、彼らに屈して最愛の仲間たちと生きるか、無駄死にでしかなくても一縷の望みに掛けて自分の命をチップに、旅団を逃がす時間を作るかという選択肢が。

 けれど、その選択肢はよぎっただけ。あなたの答えなんか、決まりきっているわ」

 

 突き付けていた指先で軽くパクノダの眉間を突き、指先が離れる。

 

「あなたはクラピカを無視して、カルナに銃弾を撃ち込む。あなたの記憶(想い)をたっぷり詰め込んだものをね。

 カルナは優しいから、訳のわからない記憶が流れ込んだことよりもあなたの想いが躊躇いとなって、あなたが想定していたよりもはるかに時間を稼ぐことが出来たから旅団は無事、離脱することが出来るわ。

 そして、あなたのその銃弾がクラピカとソラに癒えない傷を負わせる魔弾となる。

 

 ソラの為に出来る限り誰も殺したく無かったクラピカは自分の手を汚したことで、決して忘れることも許すことも出来ない罪を負って、そしてそのことはクラピカやカルナ、ゴン達が隠し通そうと努力しても、ソラはすぐに気付くわ。気付いて、ソラもそのことに責任を感じ、誰もが背負わないで欲しいと願う罪を自ら背負う。

 

 それが、二人の歩む足を鈍らせてる枷となり、二人はどれほど望んだってもう、二人が夢見た最終地点には辿り着けない。

 お互いが、自分はそこにいていい資格なんてないと思ってしまうから。二人の夢は、あなたの魔弾によって撃ち砕かれたから。

 

 これが、あなた達が一歩間違えれば、もしくは間違えなければ歩んでいたであろう未来の結末。

 クラピカ達の幸福を旅団(クモ)が殺しつくす結末(ハッピーエンド)にして、最終的に世界の滅びを加速させて、確定させた剪定事象(バッドエンド)よ」

 

 * * *

 

 初めから変わらぬ様子で、言い終えた。

 憐れむような諦観の絶望を刻んだ眼で見降ろしながらも、慈しむように穏やかな笑顔を浮かべて「彼女」は、旅団の悲劇だけではなく、自らの「精神(こころ)」の絶望までも、淡々と回答集を読み上げる空虚な声で語り終えた。

 

 その内容にゴンはパクノダの未来の救いのなさを知った時以上に、もう既に訪れないと確定していることなど関係なく最悪の気分に陥って言葉を失くしているが、パクノダとヒソカは「彼女」の発言に対していぶかしげな顔をしていた。

 

「……さすがに『世界の滅びを確定』は大袈裟じゃない?」

「大袈裟じゃないわよ。

 だって、このルートだと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いぶかしげな顔になった原因の発言にヒソカが代表して突っ込みを入れてみると、「空」は振り返りもせずに即答した。

 その返答に、二人はもちろんゴンも首を傾げる。

「アイザック」という名に覚えがある者は、この場にはいなかった。

 誰も、それがハンター協会会長のファーストネームだとは気づかなかった。

 

 そして「空」もそのことを説明しないまま、どこか遠くを眺めるように絶望の眼を細めて語り続ける。

 世界が滅ぶ序章を淡々と、何の感慨もなく。

 

「ヒソカが重傷を負うし、旅団はクロロを取り戻しているのならあなたに協力を求める意味なんてない。だから、ゴン達がヒソカに協力してもらう機会を失くして、二人はこちらの世界線よりも重傷を負ってしまうのよね。

 こちらと同程度なら、ソラもビスケットもゴン達の希望になるべく応える形で協力するんだけど、あれ以上の怪我なら自分たちが前線に出て短期決戦で済ますことを譲らないから、結果としてはこちらよりも早くクリア出来て間に合うから、『同行(アカンパニー)』や『ブループラネット』が手に入らなくなるの。だからゴン達は初めからもう一周し直して、『同行(アカンパニー)』を使うのは丸々1年ぐらい後になるわ。

 

 その頃には憐憫の獣になり損ねた王様関連は全部、多くの犠牲を支払って終わっているから、失わずに済んだものは多いけど、手に入れた強さもない。そして、王の残党たちと分かり合える術も、あなた達が参戦しなかったことで初めからない。

 だから、2年後に生き延びているのはレオリオくらいでしょうね。ゴンのことがなければ、彼は『方舟(アーク)』に乗り込む理由なんてなかったから逃れる代わりに、ゴンとキルアはジン経由で乗り込んで、そしてソラとクラピカは最後の獣退治に乗り込む。

 けれど、『パンドラの匣(ピトス)』を開ける材料がそろっていないから、抑止に阻まれて『方舟(アーク)』が地上の代わりに浄化のために沈む……。

 

 ほら、これだけでもうこんなにも違う」

 

 空港でヒソカに語りかけた時のように、子供が無邪気にはしゃぐように、舞姫が観客に魅せるように、両手を広げてくるりと実に優雅に、可憐な動作で振り返り、そして笑って語る。

 

 何を言っているのかは、ほとんどわからない。

 しかしそれは、絶望的な未来であることだけはわかる。

 これは、この世界では回避した、けれど確かにあった、自分たちが関わることが出来ない、感知できないどこかで確かに存在している、本筋から外れた所為で切り捨てるしかなくなった、剪定された世界の話。

 

 そんな話を、「空」は笑って語る。

 おかしくておかしくて仕方がない、笑っていないとやっていられないと言わんばかりに、それほどまでに突き抜けた絶望を答えた。

 

「大袈裟なんかじゃないわよ。世界は蝶の羽ばたき一つで無数に未来が分岐する。でもその世界を内包する次元の面積も維持するエネルギーも無限じゃないわ。

 だから、さらにより多くの未来に分岐するであろう世界以外、もう結末が決まりきって並行世界も存在しないから、過去逆行すら出来ない一本道の世界は切り捨てられるの。わかりきった未来の為に使う時間も面積も資源ももったいなから、枝葉を切り落とすように剪定されるのよ。

 故に、カルナが目覚めた世界線は剪定されるしかないの。『(ピトス)』を開ける材料はそろってないから『方舟(アーク)』は沈めるしかないのに、『方舟(アーク)』には未来の分岐に関わる人物がそろい踏みしている。

 世界を生かすために、人間を生かすために未来を、可能性を失うしかない世界線なんて、滅ぶ以外の道なんかないでしょう。

 

 ねぇ、ゴン。最後の魔法、文明に未だ権威が略奪されていない、開拓されていない本物の奇跡は何かわかる?」

 

 ヒソカに向き直ったのと同じように、実に優雅に振り返った「空」が唐突に尋ね、問われたゴンは「え!?」と素で困惑するが、別に「彼女」はゴンの答えを待つ気などなかったらしく、クルクルとその場で舞いながら3人に告げる。

「剪定事象」という、逃れようのない理不尽なセカイの(システム)を。

 

「『世界の皆が幸せになること』よ。

 けどこれはね、魔法であっても手が届かない。届いてしまってはいけないもの。だって、世界の誰もが幸せになるという結末が『確定』してしまえば、その世界はもう『未来』に対しての可能性は何もないと判断されて、剪定される。

 剪定事象は、その行き着く未来が良いか悪いかなんてなんて関係ない。剪定されるかされないかの基準なんて、未来があるかないかだけ。

 

 理不尽でしょう? でも、そうなるしかないの。結末が決まってしまえば、それがどんなに幸福なものであっても、もう終わるしかない。築き上げた全て、その幸福のために払ってきた犠牲も、その犠牲によって得た尊いものも、何もかもが根源に、虚無に、最果てに、『 』(わたし)に溶けて還りついてゼロに戻る。無意味になる。

 どれほどの未来に分岐したって、結局そこに行き着くしないのに、それなのに世界はいくつもの未来を生み出して分岐して、そしていくつもの世界を滅ぼして拡張し続けていると同時に、殺し続けているの。

 確定した未来を、可能性をいくつもいくつも潰して、殺して、滅ぼして、そうやって無限の未来を求めているくせに、分岐した未来を一つに収束させようとしている……」

 

 そこまで語って、「空」は舞うのをやめて立ち止まる。

 そして「彼女」は、問うた。

 

「……それなのに、どうしてあなた達は……」

 

 目覚めてから浮かべ続けていた笑みは消えていた。

 そして、その眼に焼き付き、刻み込まれていると思われていた諦観に満ちた絶望さえも、その時にはなかった。

 

 瞳と表情が相反せず、矛盾せずに初めて一致していた。

 

 

 

「どうして、あなた達は生きてゆけるの?」

 

 

 

「空」はゴンに、パクノダに、ヒソカに、3人に問う。

 全知だからこそ、わからない疑問の答えを「彼女」は3人に求めた。

 

 

 

 

 

「何故、どんなに足掻いても終わることが決まりきっているのに、諦めないの?」

 

 

 

 

 

 あまりにも無垢な、不思議そうな顔で女神は人間に尋ねる。

 

 

 

 

 

 

「あなた達がこの世界に、自分の命に見出す意味は何?」

 

 

 

 

 

 

 その問いに、答えられる者はいなかった。

 答えならある。確かにあるのだが、それは言葉に出来るほど具体的なものではなかったというのもあるが、それ以上にこの女神の前で言葉にしてしまうのが怖かった。

 

 この女神は間違いなく、知っているから。

 言葉に出来ない自分たちの「答え」など、訊くまでもなく知っている。

 この女神なら、自分たち以上にその言葉に出来ない答えを、納得できる言葉にすることもできる。

 

 そして同時にその「答え」は、「彼女」にとってまったく意味などないもの。

「答え」のさらにその先、自分たちにとっても意味などなくなってしまう絶望の結末を、「彼女」は初めから知っているから。

 

 その絶望を告げられるのが怖かったから、言わなかった。

 

 ……そんなことだって、「彼女」はわかっていただろう。

 それでも期待してしまったのは、「ソラ」としてのものか。それとも、「彼女」自身のものだったのか、3人にはわからない。

 

「――そう」

 

「答えない」という答えに納得したような声を上げた時には、「空」はもう何もかも元通りになっていた。

 全知故の無垢な疑問は消え失せて、穏やかに、全てを許すように笑っていた。

 

 何もかも諦めた、諦めることしか出来ないと思い知らされた、絶望の眼で「空」は微笑んだ。





更新が遅れてごめんなさい。
昨日には更新出来たんですけど、本編に少しだけ天災を例えに出しているのがさすがにこのタイミングでは不謹慎かなと思ってしまいました。
もう少しずらそうかとも考えたけど、それはさすがに神経質だなとも思い、本日更新です。
気を悪くされた方がいらしたら、すみません。
他意は全くありません。ただ単に、ヒソカが明らかな強敵相手なのに興味が湧かない理由を説明するには、これが最適だっただけです。


話が代わりますが、友人に「何でカルナルートが剪定事象なの?」と訊かれて、当初は私が使わないルートだからというメタ的な意味合いでしかなかったけど、ちょっと真剣に考えてみた結果、割とマジでジワジワと救いのない方向に転ぶなと思った結果が、本編での「空」が語った未来です。

ちなみにこれもわざわざプロットとは言えないレベルですが考えたのを友人に見せたら、「何でここまで使わない設定を考える? 大丈夫かお前?」と言われました。
お前が訊いたから考えたのに!

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