死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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90:「 」を求める者

 パクノダ達を乗せた飛行船が断崖絶壁の岩山の山頂に降り、そしてその飛行船から4人が降りたのを確認してからクラピカ達が乗っている飛行船も着陸するように指示を出す。

 飛行船が着陸し、クラピカは鎖を引いてクロロを歩かせて外に出ようとするが、その前にキルアから声を掛けられた。

 

「おい! 本当にお前一人で行くのかよ! せめてソラやゴンが操られてないかかどうか確かめる為に、センリツも連れてけよ!」

 

 もうすでに、「人質交換の場に立ち会うのはクラピカ一人」ということは話し合って決めていたのだが、納得しきれていなかったキルアが駄々をこねるように土壇場で叫び、クラピカは静かに首を振ってもう一度、立ち会うのは自分だけと決めた理由を語る。

 

「ダメだ。センリツは先ほどの電話の件で、無理をさせ過ぎた。そうでなくとも、『彼女』相手ではセンリツの能力は悪いが意味がなく、ゴンとは初対面で『普段の心音』というものを彼女は知らないから、やはり意味がない。

 

 そして、お前達も今更だがこれ以上姿を現して向こうに情報を与えるな。飛行船から奴らを警戒してくれるだけで十分だ」

 

 そのことには、もうとっくの昔に納得している。

 確かに今更だが、それでも姿を現す必要がなければもう一切姿を見せない方がいいことなどわかりきっているし、センリツは未だに電話で聞いたらしい「彼女」の心音に怯え、耳を両手で塞ぎ続けているので、もう一度「彼女」の心音を聞けと命じるのは残酷この上ないことくらい、わかっている。

 

 だが、キルアはクラピカの言い分を全て納得しているが、それらを納得する上で一番根本的な前提をまだ納得していない。

 だから、クラピカを睨み付けてそれを突き付ける。

 

「…………本当に、『あれ』は偽物でも操られてる訳でもないんだろうな!?」

 

 クラピカは結局、キルアとレオリオに「彼女」のことはほとんど説明しなかった。

 クラピカ自身も「彼女」については何もわかっていないに等しいので、説明のしようなどなかったが第一なのだが、わかる範囲内で説明しようにもクロロが邪魔だった。

 

 クラピカの系統柄クロロから離れることが出来なかったので、そのことを理由に「本人が帰ってきたら話す」とだけ言って、二人の疑問も不安も不満を無理やり黙らせた。

 もちろん二人だってクロロの前で話すべきではない情報であることくらいはわかっているが、だからと言ってあんなにも明らかに「違う」部分を見せつけた「彼女」が、偽物でも操られているとも疑わない訳がない。

 

「疑うのはわかる。だが、そう思えた根拠は今は話せないが確かにあるから信じてくれ。

『彼女』は確かに、ソラではない。別人だ。しかし、体は間違いなくソラのもので、旅団に操られている訳でもない。正直言って私も『あれ』が何者なのか、どうのような状況なのかは理解できていないが……、それだけは確かだ」

 

 何度も同じことを訊き、言わせた答え。

 キルアはしばしクラピカを睨み続けたが、自分以上に彼の方が空港でのソラでは有り得ない行動を見て、『あれ』が何者なのか、ソラはどうしているのかを不安に思っていない訳がないことも、この上なく癪だがわかっている。

 

 そんなクラピカが何の根拠もなく楽観的に、「偽物でも操られてもいない」とは絶対に言わないことだってわかっているからこそ、最終的に折れて鼻を鳴らしてそのまま行けと言わんばかりに背を向ける。

 その小さな背中に、クラピカは一言だけ告げて彼も背を向け、歩み出す。

 

「――相手が何であれ、誰であれ、必ず取り戻す」

 

 クラピカの言葉にキルアは言い返した。

「当たり前のこと言ってんじゃねぇよ」、と。

 

 その言葉に少しだけクラピカの顔の強張りが解れ、「そうだな」と返答して彼は扉を開けた。

 

 * * *

 

 草木など一本も生えていない断崖絶壁に、赤いコートと白い髪をなびかせて立つ「彼女」を目にすれば、そこは現実ではないように思えた。

 それほどまでに、姿自体に変化などないはずなのに、ソラだって十分に絶世という枕詞が大袈裟ではないほどだったのに、「彼女」は格が違う。

 

 女神の美貌で微笑む「彼女」が一人いれば、背景が何であれそれはもはや女神を題材にした一つの芸術作品であり、そしてその世界は現実ではない。

 しかし、決してそこは天国でもない。

 

 花のように、星のように、月のように、宝石のように、春の桜のように、夏の青空のように、秋の紅葉のように、冬の雪のように、この世の美しきものすべてに似た、幼子のような無邪気さあどけなさ、恋する乙女のような艶やかでありながら純粋さ、そして聖母のごとくの慈愛を湛えた女神の笑みを浮かべながら、それら全てが穢れて朽ちて壊れて奪われて失って死に果てたのを見てきたかのような、諦めるしかない、諦める以外のことなどもうできない絶望の眼をしている女神がいる場所が、天国であるはずがない。

 

「眼」を目の当たりにして、わかっていたことを改めて、諦めきれないだけ「彼女」の眼より絶望的に思い知らされる。

 その眼は、「彼女」はソラではないという事をクラピカに突き付けた。

 

 一瞬クラピカは酷く傷ついた顔になり、ゴンはそんなクラピカに痛ましそうな視線を送るが、彼にそんな顔をさせた当の本人はただ穏やかに笑っていた。

 クラピカの絶望を楽しむような悪趣味な笑みではなく、慈愛そのものの笑み。

 まだ絶望できるだけの希望があること、この世界に、生きることに期待が出来ていることを羨むような、諦観の絶望にその笑みは矛盾しているようで完璧に調和していた。

 

 そのソラとは決定的に違う、何もかもを諦めきっている、諦めるしかできない「彼女」の笑みが無性に気に入らないと同時に、自分がどうして絶望しているかを思い出し、己を奮い立たせる。

 ソラと「彼女」が違うように、自分も「彼女」とは決定的に違う。

 

 諦めてなどいない。諦めることなど出来ない。

 例え相手が神であっても、それよりも得体のしれない何かであっても、絶対にソラを取り戻すという自分を絶望に沈める重りでもある「希望」を抱えて、クラピカは「女神」を緋色の瞳で睨み付けて尋ねた。

 

「ゴンと……『式織 空』で間違いないな」

「えぇ。改めてもう一度、初めまして。私が、『式織 空』よ」

 

 クラピカの確認に、人質を連れてきたパクノダではなく「空」があどけなく微笑んで答える。

 そのことにパクノダもクラピカもやや不快そうに眉間のしわを深めたが、「彼女」に何を言っても無駄なことくらい両者はおそらく同じくらい理解しているので、勝手に気が済むまで語らせる。

 しかしこの女、ソラとは別人なくせに間違いなく同一人物であることを確信させる斜め上を、ここでも見せる。

 

「あなたとの話はこの後でも出来るから、こちらと話をさせてね」

 

 微笑みながら言う「彼女」の言葉の意味が良くわからず、クラピカとパクノダどころか、ゴンや後ろの方で人質交換が終わるまで大人しく待っているヒソカもいぶかしげな顔になるが、そんな彼らの疑問を無視して「空」は、自分の口元で細い指先を軽く振るう。

 何かをその指先で切り落とすような動作をした直後、「彼女」は微笑みながらもう一度、挨拶を口にした。

 

「初めまして、クロロ=ルシルフル」

「――――お前が、予言の『女神』か」

 

 クロロが女神の言葉に応じ、クラピカは驚愕で眼を見開きながら臨戦態勢で振り返る。

 人質交換が終わるまで何も話せないように口元を覆っていたクラピカの鎖が、チェーンジェイルが消失していた。

 クロロの動きを拘束している体の鎖や、心臓に埋め込んだ念の刃は健在であることを確認しても、クラピカから警戒と焦りは消えない。

 

 明らかにあの動作で、クロロと話すために口元の鎖を切断なり無効化なりしたのだろうが、それだけなら勝手に余計なことをしたことに対しての怒り程度にしか感じないが、クラピカはクロロが「彼女」の言葉に応じるまで、一部とはいえ自分の能力が無効化されたことに気付けなかった。

 

 除念の存在を知っているのだから、当然クラピカは自分の“念”が無効化された時、例えその除念された対象が自分から遠く離れていても感知できるようにという保険を付けている。

 なのに、自分の指から繋がっている状態だというのにクラピカは全く感知できなかった。

 その保険ごとクラピカの能力を、命を代償にして支払って得たものを殺しつくされたことで、ソラとは別人であることを確信しても、カルナ以上に得体が知れない相手であることを理解しても、それでも信じきれずにいた「彼女」の機能……、「彼女」が神であることを信じざる得なくなる。

 

 また更に、「必ず取り戻す」という希望が底なしの絶望にクラピカを沈める重さを増すが、それでもやはり彼は女神でさえも縋った「諦観」という最悪の救いを振り払い、焦りをねじ伏せて思考を走らせる。

「彼女」とクロロに黙るように命じるべきか、このまま当初に思った通り「彼女」の気が済むまで勝手にさせるべきかと、自分のすべき行動は何かを必死で思考を高速回転させているクラピカには気付かなかった。

 

 自分の背後でクロロの「予言」の意味を知っているパクノダとゴンが若干、生ぬるい眼でクロロを見ていたことに。

 

 そしてクロロ本人も、部下と子供にそんな眼で見られているということに気付いていない。

 気付くどころか彼はパクノダやゴンも、自分を睨み付けて車内や飛行船内以上に全力で警戒しているクラピカも、何故かいるヒソカだって眼中にない。

 

 あの空港で目にした瞬間から、彼は「彼女」しか見ていない。

 見えていない。

 

 頭の端で、自分は予言の意味を大きく間違えていたことを理解する。

 あれは、この「女神」によって旅団が壊滅するという意味ではなかったことを思い知る。

 

 優位は揺るがされた。

 今のクロロに、余裕などない。

 無様に自分が「幻影旅団の頭」であることを忘れて、「彼女」に手を伸ばしてその身を、その存在を求めないのは、ただ単にクラピカによって拘束されていて動けないからに過ぎない。

 

 ただ、欲しかった。

 自分の何もかもを振り払って、捨て去ってでも、欲しかった。

 それさえ手に入れたら、きっとその振り払って捨てたものさえも手に入る。

 もう取り戻せないものでも、例外ではないと確信する。

 

 何者かなんてわかっていない。それでも、理解した。

 クロロが、自分が求めていたのはソラ=シキオリでも、彼女が持つ魔眼でもなく、ソラの深淵で眠り続けていた、魔眼の最果て。

 

 自分はこの女神を、虚無を、「 」を求めていたことを、ようやくクロロは理解した。

 そして自分が今まで求めてきたものは全て、この「 」にあると確信する。

 理屈などない。ただ盗賊として、幻影旅団(クモ)の頭としての勘に過ぎないが、それは疑いようなどなかった。

 

「……ねぇ、クロロ」

 

 そんなクロロの恋のように熱っぽいが、決して恋なんかではない視線を、本人よりもその視線に込められた感情の意味を理解しながら、受け入れるでも跳ね除けるでも無視するでもなく、その意味を殺しつくして溶かしつくして無意味に堕とす全知は訊いた。

 

 飛行船内で、ゴンに、パクノダに、ヒソカに尋ねた時と同じように、全知であるが全能ではない女神が、全知だからこそ分からない答えを求めて、彼女は顔から微笑みを、眼から諦観の絶望を消し、ただただ純粋な疑問だけを浮かべて問う。

 

「あなたは『 』(わたし)を求めてどうするの?」

 

 強欲であり一途な盗賊に、問いかける。

 

 * * *

 

「あなたの勘は当たっているわ。あなたが求めるもの、知りたいことは全て『 』(ここ)にある。だってそれらは皆、ここから生まれたものなんだもの。

 ――でも、だからこそ『 』(そこ)には何もない。

 あなたの望むもの、求めるもの、欲するもの、知りたいこと、全てがそこにある、あなたの人生を全てを掛けても本来なら得られないものが全てあるからこそ、『私』を得るということはそれだけであなたの全ての目的が達成し、完結するということよ。

 

 ……ねぇ、そのことに何の意味があるの?

 目的を全て達してしまって、知りたかったことを全て知ってしまって、全てを得たからこそ何にもすることが無くなって、得たものの意味を失くして……それからあなたは一体、何をするの?」

 

 女神の言葉を「余計なことを言うな!」と叫んで止めようとパクノダは口を開きかけたが、言葉は出てこなかった。

 女神は初めから、「クロロに何もする気はない。眼中にない」と言い張ったのは嘘ではない。

 

「彼女」は本心から疑問に思って訊いているのだろうが、自分たちに問うたように答えなどわかりきっている。

 だからこれはもしかしたら「『私』のことなんか諦めろ」という、ある意味では旅団の為の言葉なのではないかと思えた。

 もちろん結果としてそうなるだけで、「空」にそんな意図などないことくらい確信しているが。

 

 だけど、それでも確かにパクノダは期待してしまった。

「空」の言葉で、諦めることを。

 

 この女神は団長のありとあらゆるすべての終着点だからこそ、「彼女」を得てしまえば何もかもが終わってしまう。生きている意味を、生きていたい理由を失った後の生など、それは呼吸をして心臓を動かしているだけに過ぎないもの。

 生きている意味を最短で失うことになるという忠告で、団長がこの女神に対する執着を諦めてくれることを望み、期待した。

 

 しかし団長は、クロロ=ルシルフルは一般的な感性からははるかにずれているが、彼もクラピカやソラと同じく諦めが非常に悪い。

旅団(クモ)存続のためなら(じぶん)さえも切り捨てろ」という掟を作り上げた本人なだけあって、彼は諦めたくないものの為ならば、それ以外全てを躊躇なく捨てることが出来る人間だった。

 

「意味がない?」

 

「空」の問いに、言葉に、忠告にクロロは嗤う。

 見当はずれなことを言っていることに対して嘲りの笑いではなく、純粋におかしなことを言われて面白がっているように彼は笑い、パクノダ達が口にすることが出来なかった、全知の女神に対して「答え」を口にした。

 

「それがどうしたというんだ?」

 

 クロロの返答に、パクノダだけではなくオロオロと「空」とクロロを交互に見ていたゴンも、さすがに警戒心よりもクロロの様子に不審が上回って来たクラピカ、そして話が終わるまで我関せずを貫くつもりだったヒソカも、この開き直り発言は予想外だったのか、目を丸くする。

 

 しかし、クロロは周囲の反応を無視して言葉を続ける。

「空」しか見ていない、見えていないクロロは「空」に答えを告げる。

 

「意味なんてない」と告げた「彼女」に、「そんなことはわかりきっている」と答えた。

 

「あぁ。その通りだ。お前の言う通り、お前さえ手に入れたら生きている意味などなくなる。俺が求めるもの全ての意味を得るからこそ、無価値に、無意味になり下がるだろう。

 だが、それが何だというんだ? お前の言う通り、目的を果たして終わるしかなくなったのなら終わればいい。

 そんなこと、生まれてきたからには生きている限り逃げ出せはしない。目的を果たしていなくてもいずれは時間切れが必ず訪れるものだろうが。

 

 だが、それが何だというんだ? 過程と結果は必ずセットでなくてはいけないものか?」

 

「空」の忠告など、言われるまでもなくクロロは理解している。

「彼女」を得ることで訪れる結末など、「彼女」を得ていなくても逃げられやしないという結論を出し、鼻で笑う。

 

「結末は同じだ。お前を得ることが出来ても出来なくても、俺は必ずいつか死ぬ。俺に限らず誰もが、世界そのものがそうだろうな。

 ならばなおさら、過程と結果は別に考えるべきだろう。俺はただ、どうせ何をしてもしなくても同じ結末に至るのなら、何もしないを選ぶのではなく俺が抱える渇望を、空虚を埋める何かを……お前を求めることを選んだだけだ。例えそれが俺の終わりを早めることになっても、埋めた空虚すら溶かされて無意味になっても、生きている限りは『意味はある』という幻想を見ていられるのなら、その幻想を見ている間だけその『意味』を信じていられたらいい。幻想から目覚めて、この世が全て無意味だと確信したのなら、それこそもう期待など何もないのだから、終わることに何の未練もなくなって都合がいいくらいだ。

 

 生きるという『過程』の『結果』が、どのような『過程』を選ぼうが全て『無意味』に至ることなど、言われるまでもなく初めから知っている。今更な話だ。

 だからこそ、その『過程』で俺は全てが欲しい。全てを求める。お前を求める理由など、ただそれだけのことだ」

 

 クロロの主張に、「空」以外の全員が呆気にとられる。

 潔いと言って敬意を懐くべきか、極論すぎると思って呆れるべきか微妙な所だが、それでもなかなか凄まじい結論を「今更」と言い放つほど、「空」に尋ねられる前から出しているクロロにヒソカでさえも言葉を失っていた。

 

「……意味を見出すのではなく、無意味であることを受け入れるのね。

 まったく、『 』(わたし)を求めるだけあるわ」

 

 唯一言葉を失っていない「空」が、微笑んで独り言を呟く。

 飛行船内で「答え」を出せなかった、「答えない」ことを選んだ3人に向けた微笑よりもさらに美しく、深く微笑みながら。

 セレストブルーの瞳には再び救いのない諦観の絶望を刻んで。

 

 そしてゴンにはその絶望が、笑みと同じくさらに深いものになっているように見えた。

 その眼は何も期待していない、希望など抱けない、何もかもが手遅れだと知って諦めて絶望しているから感情の揺らぎは全く起きないので、「彼女」が何を考えているかなど誰にわからない。

 

 きっと、「彼女」自身にもわからない。

 全知であっても、心がない「空」には知り得ないこと。

 

 だからそれはただのゴンの勘でしかないもの。

 

 ゴンには「空」がほんの少しだけ悲しんでいるように見えた。

 期待などしていないからこその絶望の眼だというのに、ゴンには小さな期待が潰えて失望して悲しんでいるように見えた。

 まるで、彼女が断じている「無意味」を肯定されたことを悲しんでいるように。

 結末に、行き着く最果てに、彼女自身に「意味」を見出してくれなかったクロロに失望しているように見えた。

 

「……貴様のその自己満足な、幻想に過ぎない『過程』の為に、一体どれほど絶望的な他人の『結果』を生んだと思っている!?」

 

 しかしゴンの考えは、クロロの予想外に開き直りきった主張を理解したクラピカの今にも殴り掛かりそうな怒りを抑えこんだ声音で吹き飛び、慌てて彼は「クラピカ!」と呼びかけて、彼の理性を繋ぎ止める。

 さすがに、本当に「空」の言う通り「彼女」が眠りにつけばソラが目覚める保証などないという不安の渦中にクロロの発言で、クラピカの克服したと思われていた悪い癖を再発しかかったが、ゴンの声で何とか思いとどまる。

 

 あまりにも得体が知れず、何をしたいのか言いたいのか、止めることで何が起こるのかがいくら頭を働かせても想像がつかず、傍観することを選んでしまった自分に激しく後悔しながら、クラピカは胸を空いている左手で押さえつけて、乱れた呼吸を何とか落ち着かせようとするが、横から叫んでもクロロはクラピカに視線も意識も向けはしない。

 

「空」しか見ていないことが、さらにクラピカの怒りに火をつける。

 

「パクノダ! 人質交換を開始する!!」

 

 その怒りを何とかクロロにぶつけないように、ようやくここまで来た「人質交換」が台無しにならぬように、半ば以上にヤケクソであることを自覚しつつも、クラピカはパクノダに宣言する。

 パクノダの方も今更になって悪い癖をクラピカが発揮してクロロが殺されたら、アジトに残した団員達に会わせる顔がないので、さっさとこの厄介極まりない女神を返してしまおうと、「空」に対してはもちろんクロロにも内心で「もうこれ以上余計なことを言うな!」と思いながら、「わかったわ」と応じる。

 

 そしてパクノダはクラピカの元へ行くように二人の背を押し、クラピカもクロロに鎖を巻いたままパクノダの元へと歩かせる。

 当初の予定では二人が操作されていないことを確認したら、クロロは能力を封じているのもあってさほど警戒すべき対象ではないので、鎖はこの時点で解くつもりだったが、「空」に対しての執着ぶりを目の当たりにしたら「空」が自分の手元に戻るまで拘束を解く気はなくなったらしい。

 

 そしてパクノダも、「彼女」を本気で求めているからこそ、能力を封じられた状態で手を出そうとはしないとクロロを信頼しながら、それでもあの熱に浮かされているとしか言いようのない状態を目にしたら、「有り得ない」とは言い切れなくなってしまったので、クラピカのしていることに不満はない。

 

 幸いながらクロロはパクノダの信頼通り、余計なことをする様子もなく、「空」とすれ違っても眼でその姿を追うこともなく、大人しく歩いてくる。

 大人しくしていないのは、女神の方だった。

 

「クロロ。答えてくれたお礼に、予言をしてあげる」

 

 すれ違いざまに、「空」は言った。

 その言葉に振り返りはしなかったが、クロロは立ち止まる。

 

「……ほう。予言には今現在、いっそ何も知らなかった方が良かったかもしれんと痛感させられているからこそ、しばらく当てにしたくないんだがな」

「まぁ、そう言わないでよ。私のは無形の『予測』でも、殺せる『確定』でもなく、本物の『予言』だから」

 

 クラピカは相手が「神」そのものの機能を持つことを忘れているのか、それとも「神」を敵に回す覚悟を完了しているのか、「何をしている! 早く来い!!」と叫び、ゴンも「空」の手を掴んで無理やり歩かせようと試みるが、「空」はクラピカの言葉を無視して、そして確かに掴んだはずの手はゴンの掌からするりとすり抜けてしまう。

 

 そして「彼女」は本物の「予言」を口にする。

 

「私とあなたが出会うチャンスはあと一度。……『 』を求めるあなたの手が、何を掴むのかを私に見せてね」

「!」

 

「空」の「予言」を耳にして、クロロは振り返る。

 しかし、自分の背後に確かにいたはずの女神がいない。

 

 代わりにゴンとクラピカが、「信じられない」と言わんばかりに目を見開いていているのが見えて、思わず戸惑う。

 彼は自分の背後でパクノダとヒソカも同じように、眼を見開いて固まっていることに気付いていない。

 

 クロロだけ直前まで背を向けて、「彼女」を見ていなかったから気付かなかった。

「彼女」はクロロへの予言を口にした瞬間、姿を消したという事に。

 

 いつの間に消えたかなんて、誰にもわからない。むしろ、本当にそこにいたのかどうかすら、たった数秒前の出来事なのに記憶が曖昧だ。

 

「何をしているの? 帰らないの?」

 

 そして、クロロ以外の全員を訳が分からなすぎてパニックにすら起こせないことをやらかした張本人は、相変わらずいらない所だけソラと同じで、空気が読めていない発言をする。

 

 クラピカの背後、飛行船の扉を開けて中からひょっこりと出てきた「彼女」は、やけにのほほんとした調子でクラピカとゴンに声を掛けた。

 

 これまた「いつの間に?」と思うのもバカらしく、ソラとは別の方向性で酷く苛つかせにかかる「空」をクラピカが睨み付けて視線で抗議するが、「彼女」はクラピカなど全く見向きもせずにただ自分を、自分の肉体すら見透かした奥底、空っぽの深淵、「 」を求める男に微笑み返した。

 

「じゃあね、クロロ。『パンドラの匣(ピトス)』を目指す『方舟(アーク)』で会いましょう」

 

 微笑みながらも、その眼は変わらない。

 結果などわかりきって、過程にすら意味も価値を見出せない。

 何もかもを諦めた、自らの手で終えることすらも出来ないことを思い知らされた絶望の眼でそれだけを告げて、「彼女」は背を向けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「空」が勝手に飛行船に戻っていくのを見てクラピカは舌打ちし、ゴンに早くこちらに来るよう促して彼は、クロロを拘束する鎖を解いた。

 開放したクロロとパクノダ、そしてヒソカに「取引成立だ。あとは好きにしろ」とだけ言い捨てて彼らはさっさと飛行船に戻り、そしてその飛行船も二人が戻って数分もしない内に浮上する。

 

 ほとんど旅団を眼中に入れていない様子が少し癇に障ったが、おそらく「空」ではなくちゃんとソラを連れて来ていても、それはそれでクラピカは間違いなく旅団を眼中に入れない。

 むしろ、自分が読み取ったソラや子供二人の記憶を思い返しせば、砂糖吐きそうな空気の中で蚊帳の外にされなかっただけマシだと、パクノダは若干ピントのずれた安心をしてしまう。

 

「……あー♦ もしかして、団長の『優位が揺らぐ』って別に旅団の団長としてじゃなくて、クロロ個人の話だった?」

 

 やや遠い眼でクラピカ達を乗せて遠ざかってゆく飛行船を眺めるパクノダに、ヒソカも飛行船を眺めながら口を開く。

「空」もパクノダやゴンも、ヒソカに対してクロロの予言についての解説は何もしていなかったのだが、あの一瞬で旅団(自分たち)をヨークシンに留めておける予言に内容を換算する頭の柔らかさと回転の速さを持ち合わせるヒソカには、「空」に対するクロロの執着で、予言の正確な解釈に見当がついたらしい。

 

 裏切り者に口を利きたくなかったのか、パクノダはその問いに答えずにヒソカをただ睨み付けるが、自分たちと同じように飛行船を、自分たちとは全く違う熱を持った目で眺め続ける団長も目に入って、自分の守る沈黙は全くの無駄だと思い知らされる。

 

「クロロって実は一途だねぇ♥ イルミといい勝負なんじゃない?」

 

 その証拠にヒソカはくつくつ笑いながら、たぶん熱に浮かされていなければクロロに、そしてイルミにも怒られるようなことを言い出す。

 クロロの「空」に向ける執心は恋愛感情とは程遠い、ただ単に今までありとあらゆるお宝に向けられていた欲求が、その全てであり結末である女神に集中してしまったものでしかないとパクノダは思ったのだが、これは何のフォローにもなっていないことに気付き、彼女はそのまま自分たちを連れてきた飛行船に戻って行った。

 

 それを見てヒソカは少し意外そうに、「おや? ボクを止めないのかい?」と尋ねるが、パクノダはもう疲れて面倒くさいと言いたげな顔で振り返り、「あなたに団長は殺せないわ」と告げる。

 その言葉を、ヒソカはクロロに向ける信頼と取った。

 

 彼はようやく待ち望んでいた「クロロとのタイマン」という御馳走を前にして、「空の女神」を前にしたクロロほどではなくても浮かれているのか、女神の意地悪にも、それに便乗したパクノダの裏切りに対しての意趣返しにも気付いていなかった。

 

 なので、ヒソカは未だに自分たちの存在など忘れ去っているように、もう豆粒くらいの大きさになっている飛行船を未だに眺め続けるクロロに話しかけた。

 

「クロロ♠ 愛しの女神さまが名残惜しいのはわかるけど、そろそろボクの相手もしてくれないかなぁ♥」

 

 呼びかけられて、クロロはようやく視線を向ける。

「何だお前、いたのか?」と言わんばかりの眼で見られ、さすがにここまで眼中になかったことにヒソカは苦笑しつつも、この興味の無さがいつまで続くかと思えば熱が集まった。

 どこにかは、言うまでもないことだから言わせないで欲しい。

 

「ずっと待ってたよ、この時を♥ さぁ、()ろう♥」

 

 滾る一部を「まだ早い」と抑えながら、クロロをヒソカは誘いつつ服を脱いだ。

 変な意味はない。脱いだのは上だけ。ただ単に、自分の正体を晒しただけだ。

 

「ボクが入団したのは、いや、入ったと見せかけたのはまさにこの瞬間の為♥

 もうこんなモノ必要ない♦」

 

 言いながら、彼は自分の背中に張りつけていた4という数字が刻まれた12本足の蜘蛛の刺青を、べりっとシールのようにはがした。

 ようにではなく、比喩抜きでそれはタトゥーシールに過ぎなかった。

 

 ヒソカの能力により偽装されていた仲間の証、偽りの卯月が暦からはがされる。

 

「これでもう仲間割れじゃないから、エンリョなく()れるだろ?」

 

 ヒソカから見せつけられたものと、彼の言葉にようやく未だに心は女神の方にあったクロロが、目を丸くしてヒソカの方に意識を向ける。

 そしてそのまま数秒の間を置いて、彼は低く笑い始めた。

 

「フッ……くくく、なるほどな。団員じゃないなら話せるな。俺はお前と戦えない」

「?」

 

 意識がやっとこちらに向いたのはいいことだが、余裕の笑みではなく本心からおかしそうにおかしなことを笑って言い出したクロロに、今度はヒソカの方が目を丸くする。

 そしてようやく、ヒソカは種明かしをしてもらえた。

 

「というより、戦うに値しないと言っておくか。鎖野郎(ヤツ)にジャッジメントチェーンなる鎖を心臓に刺されて、俺はもう念能力を全く使えないんだ」

「…………………………」

 

 クロロの答え、今現在の自分は一般人よりは強いだろうが能力者と戦えるような状態ではないことを告げられ、完璧にその場で固まるヒソカにクロロはまだ笑いながら、「その様子だと、鎖野郎の能力をお前は知らなかったようだな。だとしたら、お前の改竄した予言は凄い偶然だな」と、追い打ちを掛ける。

 

 その追い打ちに対して怒りを覚えた対象は、追い打ちをかけている本人でも、自分の目的を知っておきながら能力を封じっぱなしで教えてもくれなかったクラピカでもなく、間違いなくこの「現在」という「未来」だってあの飛行船内の時点でわかりきっていたのに、もう訪れないと確定している「未来」のことしか語ってくれなかった、心がないくせに性悪な女神に対してだった。

 

「……クロロ♣ キミ、イルミのこと言えないよ♦

 っていうか『彼女』が本命って、ソラが本命よりずっと趣味が悪い♠」

「ほっとけ。俺の目当ては外見でも性格でもなく、あれの『機能』だけだ」

 

 なのでせめてもの意趣返しにか、自分が変態である自覚があるからか、他人の悪趣味にも寛容なヒソカにしては珍しいドン引きのジト目で、イルミに対して失礼すぎたクロロの感想をそのまま言い返すと、クロロもクロロでヒソカとのやり取りで少しは女神に対しての熱が治まって冷静になったのか、しない方がマシなくらい酷い言い訳を口にした。

 

「何ていうか、体目当てとかの方が純愛に聞こえるぐらい酷い理由だね♣」

 

「お前が言うな」な発言をしてから、ヒソカはそのまま脱ぎ捨てた上着を拾いあげて、飛行船へと戻ってゆく。

 その際、興味を失った相手に一応だが発破をかけておいた。

 

「じゃ♦ 頑張って早く能力を取り戻しなよ♠

 愚図愚図してるとボクが、女神さまごとソラを美味しく頂いちゃうから♥」

 

 言われるまでもなく、クロロは手段など選ばず死ぬ物狂いで、一刻も早く自分に掛けられた念を外すことに躍起になるとわかっている。

 しかし、その目的も理由も間違いなく愛しい女神を手に入れる為であり、ヒソカ(じぶん)のことなど眼中にもない。

 そのことがムカついたので、「幻影旅団の頭」としての自分を全て剥ぎ取られるほど、優位になど立てない程に、無様に何もかもかなぐり捨てても欲する「彼女」は、女神としてならともかくソラとしてならヒソカでも壊せる存在であることを突き付け、自分の存在も忘れられないように刻み付ける。

 

「……あぁ。そうだな。……愚図愚図している暇なんてないな」

 

 クロロは、ヒソカの言葉に応じながら俯いて口に手をやり、また笑いだす。

 それを最後に一瞥だけして、ヒソカは飛行船に戻って行った。

 

 自分の言葉に意味なんかないことを、ヒソカは理解している。

 自分の言ったことなど、クロロはほとんど意に介していない。気にしていない。

 ヒソカのことなど見ていないし、ヒソカの言葉なんか聞いてもいないこともわかっている。

 

 クロロはきっとこれから、旅団の人間を含めて誰のことも見やしない。

 誰を見てもその奥に、あの女神を見て求める。

 けれどそれはきっと、今更なこと。

 

 きっと初めからクロロは、誰を見てもそのさらに奥の深淵、その人が生まれてきて帰り着く根源を見て、求めていた。

 

 それが、「式織 空」という明確な形になってしまっただけ。

 

「……一度……一度か。たったの一度といって本来なら嘆くべきなのだろうが、……十分だ。

 確実にお前が再び俺の前に現れるのなら…………もう逃がさない」

 

 笑いながらクロロはもう目の前にはいない、けれどいつだって隣り立つ「彼女」に一番近いものに、「死」を「彼女」の代わりにして告げる。

 

「あぁ、見せてやるさ。必ず、お前を掴んでやる。

 ついでだ。『パンドラの匣(ピトス)』だけじゃ飽き足らん。お前の全ても、お前の奥底の『希望(エルピス)』も暴き、曝し、奪い尽くしてやる――」

 

 その眼に宿る熱の名は、執着。

 恋愛感情とは別物の、灼熱の欲求。

 

 だけど、それは「恋愛」とは言えずとも「愛」とは呼べたかもしれない。

 

 自分の手を伸ばす先が「 」だと知っていながら、それでもがむしゃらに求める感情の名はきっとどんなに汚らしくて身勝手なものでも、それが正しい。

 

 現実を歪めるほどに強い強い求める心。

 それは、確かに「愛」なのだろう。

 





更新が最近遅くてすみません。
仕事が微妙に忙しくって、なかなか執筆時間が取れませんでした。いっそめちゃくちゃ忙しかったら、ストレス発散にどんなに短い時間でも見つけて書きまくったりするんですけど、微妙に忙しいくらいだと時間が多少できても他のことに時間を使ってしまってました。

今回のあたりまでは先週くらいにはもう出来てたんだけど、「もう少し続けよう」と書いてたら3万字を超えそうだったから、とりあえずクロロを放置した時点で切りました。
なので、いつもよりちょっと短め……というか、いつもが長すぎですよね。今話でも13000字越えしてますし。

なので次話は今現在8割方は出来てるので、次回の更新は早めだと……いいなぁ。
だって次回はまた、「空」に関しての説明会、旅団編よりさらに突っ込んだ所までだから、すごく気を遣うですよ……。

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