死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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ハンター試験編
11:弟その2に認定


(あ、これ夢だ)

 

 ソラが自覚したのは、ロンドンを歩いていたはずが、いつの間にか武家屋敷を彷彿する日本家屋に案内されてから。

 気付いて自分の髪を見てみると、まだこの頃は普通に黒かったはずが毛先まで真っ白になっており、視界は相変わらず至る所に線が走り、点が散らばっている。

 

「どうした?」と振り返って尋ねる姉弟子の恋人に、「何でもないです」とソラは答えて、案内されるがままに日本家屋、衛宮(えみや)邸にお邪魔する。

 夢であるという事を自覚したのなら、普通の夢から好き勝手動ける明晰夢に切り替わっているはずだが、懐かしいのと冷静に見れば場所や時系列がめちゃくちゃなのが面白いので、ソラは過去回想を続行することを選んだ。

 

(そういえば、これが凛さんと親しくなったきっかけか。あー、飯が美味い)

 もっきゅもっきゅと夢の中で、友人というには微妙だが、割と仲が良かった相手が作った日本食を食べながら思い出す。

 

 ソラには姉弟子が二人いる。

 正確に言えば姉弟子ではなく、ソラの師匠の流派の魔術師というだけであり、立場で言えば直弟子であるソラの方が上かもしれないが、ソラは普通に自分よりその二人の方が何もかも上だと思っているし、尊敬もしている。何より正確な関係をいちいち説明するの面倒くさいので、「姉弟子」ですませている。

 

 そのうちの一人であるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、超絶自由人な師匠がどこか違う世界線に行っている間、ホームステイさせてもらっていたのですぐに仲良くなれたのだが、もう一人の姉弟子はルヴィアと犬猿の仲だったため、ソラはルヴィアの手下認定されて近寄るだけで警戒され、猫のように威嚇された。

 それが、遠坂凛だ。

 

 そんな彼女と仲良くなったきっかけは、ロンドンをブラブラと一人で散歩をしていたら、海外でよくある一人が話しかけている隙に、もう一人が荷物を奪うひったくりを目の前で目撃したソラが、ちょうど自分の方にひったくりが走ってきたので、カウンターで蹴りつけて捕獲したこと。

 その被害者がぜひともお礼がしたいと言ったので、ソラは遠慮なくお礼の希望を述べた。

 

「日本食が食べたいです」

 

 ホームステイ先は、実は割とお嬢様と言える程度に裕福だったソラでも、肩身が狭くなるようなセレブだったため、ジョークがジョークにならないほど食文化がひどいことで有名なイギリスでも美味しい料理、それもフルコースにありつけるのは幸運だったが、それでもソラの魂が「米・味噌・醤油」を求めていた。

 なので相手が同じ日本人であったため、完全に素で割と図々しい欲望がそのまま口に出てしまったのだが、相手は一拍置いてから吹き出し、「お安い御用だ」と笑って下宿先に案内してくれた。

 

 それが姉弟子の恋人、衛宮士郎との出会いだった。

 

 * * *

 

 現実では士郎の下宿先に招待されたはずが、夢の中では何故か1年後ぐらいに遊びに行った、日本の彼の実家になっているのは、ソラにとって衛宮邸は処分した自分の実家に似ていたから、こちらの方が印象深くて記憶の残っているからだろうと納得していたら、玄関先で凛の声が聞こえてきた。

 さすがにあの当時の正確な会話など覚えていないが、どうもこの夢の中ではいつものようにもう一人の姉弟子、ルヴィアとケンカして負けて、士郎に泣きついて甘えているらしい。

 

「痛い~痛い~。も~、何なのよあの成金ドリルは~。延髄にハイキック決めてやったのに、何でぴんぴんしてんのよ~」

「はいはい、わかったから落ち着け、凛。言いにくいんだが客が来てるから、今更だけど猫を被っとけ」

 

 士郎にしがみついて泣きついて、居間までやってきた凛は「客が来てる」という言葉で、青ざめて目を見開いた顔を上げた。

 プライドの高い彼女にとって、見た相手と八つ当たりで士郎にガンドを連射するレベルで、見せたくないプライベートの姿だったのだろう。幸いなことにその「客」が凛にとって他人ではなく、予想外すぎる相手だったことで逆に思考が一瞬フリーズして、ソラと士郎はフィンのガトリングを喰らわずに済んだ。

 

「お久しぶりです、凛さん」と、箸をわざわざおいてから手を挙げてソラが挨拶をすれば、凛は口を酸欠の金魚のようにハクハク動かすだけで、言葉は出てこない。

 自分の大師父の直弟子かつ、いけ好かない天敵の手下が自分の恋人の家で、恋人の手料理を食べているという現状に理解が追いつかないでいた凛にソラは、記憶通りのセリフを言ってみた。

 

「凛さん! 凛さんの恋人を私のお母さんにください!!」

「誰がやるか……って、え? お母さん? ど、どうぞ?」

「なんでさ!!」

 

 あまりの飯の美味さに本気でソラが言えば、凛は一度反射で却下したが、「恋人」ではなく「お母さん」として欲していることに気付いて混乱し、思わず許可してしまい士郎が突っ込む。

 

「あはは、確かに先輩は『お母さん』に欲しいですね」

 いつの間にかナチュラルに加わった人物が、おかしげに笑う。この当時いるわけのない、日本に遊びに行ったときに出会った、士郎の後輩である間桐桜がそこにいた。

 

「し、シェロがお母様ならソラ、私の事をお父様と呼んでも構わなくてよ!!」

 この頃はまだ士郎がルヴィアの執事というバイトをするどころか、知り合いかどうかも怪しかったというのに、何故かすでにフラグが立ってるルヴィアが頓珍漢なことを言い出して、また士郎は「なんでさ!!」と突っ込む。

 そしてやはりいつの間にかいる、ソラと出会って5秒で意気投合したフラット・エスカルドスは、「あ、俺も俺も! 士郎さん、息子にしてください!!」と飯を食いながら立候補する。

 

 相変わらず時系列がグチャグチャだが、何の違和感もなく夢は続く。

 夢の中のソラは現在のソラの姿なため、全員より少し上に見えるが、当時のソラは13歳。最年少だったため、なんだかんだで可愛がられていたことを思い出す。

 

 3年前は、これが当たり前だったことを思い出してしまった。

 士郎にご飯を作ってもらったり、士郎だけではなく凛や桜にも料理を習ったり、ルヴィアと凛のケンカを無責任に煽ったり、フラットと悪ノリしてアホなことに魔術を使って、教授に2時間正座説教されたり。

 そんな騒がしくって、全然平凡ではないし平和でもないけど、どこまでも当たり前で安心できる日々がソラの日常だった。

 

 守られていることが、当たり前だった。

 

「ご馳走さまでした」

 箸を置き、両手を合わせて士郎と食材そのものに礼を述べて、ソラは立ち上がった。

 

「もう行くの?」と凛が尋ね、ソラは笑って答える。

「えぇ。弟が、待ってないかもしれないけど、待ってるかもしれないから」

 

 彼らにまた会いたいとは思っている。でも、ソラに「帰りたい」という願望があるのかどうかは、自分のことながら謎だった。

 向こうでも命がけの戦いはあった。でも、こちらと比べたら間違いなく平和な世界。

「死にたくない」のなら、ソラが選ぶべき世界は向こうであることなど明白なのに、どうしてもソラには帰る気が起きなかった。

 ここに留まる気どころか、長居する気もなかった。

 

 むしろ今すぐに出て行きたかった。

 何故なら居間から玄関に繋がるはずの廊下が、妙に暗くて長い洞窟じみたものになっており、その先でワンピースのような民族衣装をまとった、金髪の少年が佇んでいたから。

 背を向けて俯いているその少年は、待ちくたびれてふてくされているのに一人で先に進む気はなく、素直ではないがずっと待ってくれているように見えたから。

 

 だからソラは、今すぐに走り出して一秒でも早く彼の元に辿りつかなければならなかった。

 士郎たちはソラを止めない。皆が「仕方ないな」と言わんばかりに苦笑している。

 唯一、桜だけが「あ、これどうぞ。お土産に」といったん引き留めて、紙箱を渡してくれた。

 中身は初めて出会った時に一緒に作ったプリンであることに、ソラの顔がほころぶ。

 

「ありがと、桜さん。弟のご機嫌取りにいいかも」

 それだけ伝えて、ソラは駆けた。

 

 夢であることはちゃんと自覚してる。

 これは明晰夢ゆえの、自分の都合のいい願望であることなどわかっている。

 それでも、期待してしまう。

 この夢のように、どんなに遠くても彼が待ってくれている事を、いつか必ず出会える事を。

 

 ソラが歩み、走り、生き抜いたその先は彼が待つあの優しい陽だまりの中である事、輝けるものが現実でもあるのではないかと期待しながら、ソラは走り抜けて弟の名を呼ぶ。

 

「クラ……!?」

 その直後、腕に抱えていた紙箱がひょいっと取り上げられた。

 驚いて振り返れば、豊かな髭を生やした老紳士にも頑固ジジイにも好々爺にも見えるが実際は、悪に義憤し善を嘲笑う、行動倫理が破綻したハッスルクソジジイである自分の師匠が、紙箱を開けて口角を吊り上げた。

 

 お前もう何百……いや何千歳だよ? という冗談みたいな年齢だというのに、悪戯を思いついた子供のような目で師は、何の躊躇もなくソラがお土産にもらったプリンを一つを取り出して、一気に食った。むしろ、飲んだ。

 

 それを目の当たりにしたソラは、元々あったのかどうか怪しい敬意が完全にすっ飛んで、躊躇なく拳を握りしめて、突き刺すように殴りかかって叫ぶ。

 

「それは私のプリンだー!! クソジジイ!!」

「がはっ!!」

 

 ベキッとなかなか痛そうな音と、ジンジン痛む自分の右手。

 そして目の前で転がる、なんだかんだで品のある師匠(ジジイ)とは似ても似つかぬチンピラを見て、ソラは首を傾げた。

「あれ?」

 

「て、てめぇ! 何のつもりだ!?」

 後ろから文句をつけられると同時に振り返ると、眉間に銃口が突き付けられたので、思わず反射で銃の線を素手でなぞって切り落とせば、周囲が一気に静かになった。

 そんなドン引かれの沈黙の中、周りを見渡してソラはようやくここがどこか、自分が何でこんなところにいるのかを思い出す。

 

 飛行船の共用ロビー。

 ハンター試験を受けに、会場に向かう真っ最中だったことを思い出した。

 

 * * *

 

「……そういえば、ジジイはさすがにあんなアホでムカつくけど、可愛らしい嫌がらせはしたことなかったな。10回中100回死ぬようなことはよくされたけど」

 まだ寝ぼけているのか、ソラはどうでもいいことに気付いて呟くと、「おい、死にすぎだろ」と横から突っ込まれた。

 呆れたように的確な突っ込みを入れた12歳前後の少年を、まだ少し眠そうな目で眺めながらソラは尋ねる。

 

「少年、今これはどういう状況? ハイジャック?」

 ここがどこかは思い出したが、共用ロビーのソファーで離陸前から居眠りしていたソラは、未だに現状を理解しておらず、とりあえず一番可能性が高そうな出来事を口にする。

 寝ぼけていきなり殴りかかってしまったとはいえ、その報復に銃口を突き付けられたり、そもそもガラの悪そうなチンピラ崩れな連中が、それぞれ武器を持って自分と、同じソファーに座っていた少年を取り囲んでいたら、もうそれしか思い浮かばない

 

「……マジで寝ぼけて殴ったのかよ」

 少年は猫のようにパッチリとした吊り目を半目にして呟いてから、質問に答えてくれた。

「まぁ、似たようなもんだけど。ハンター試験を受けるのなら自分の仲間になれ、ならなきゃ殺すとか言ってんだよ」

「バカじゃね?」

 

 どうやらこの小悪党共は、徒党を組んで試験に挑むつもりらしい。それだけなら他にもいるだろうから好きにしろだが、乗客のほとんどが同じくハンター志望者なこの飛行船内で、さらに仲間を集めると同時にライバルを排除しようと企んだらしい。

 似たようなものだったが、ある意味ハイジャックより救いのないバカさ加減にソラは素で言うと、ソラが素手で銃を解体するように切り飛ばしたことで固まっていた男どもが騒ぎ出す。

 

「何、のんきに話してるんだクソガキども!!」

 2メートル近い背丈に筋骨隆々な男から怒鳴りつけられて、ソラと少年は白けたような視線を向ける。どちらもまったく自分たちを恐れていないことに、おそらくリーダーであろう男は顔を怒りで真っ赤にして、さらに怒鳴り散らす。

 

「……っの、クソガキども!! いいか! 俺はアマチュアのトレジャーハンターでありながら、50人の部下を持つバンディ様だ!

 お前らのようなガキでも役に立つ時があるかもしれねぇから、声を掛けてやったのに! よっぽど、命はいらんようだな!!」

 

 どうやらチンピラ集団の数の暴力と空の上という逃げ場のない環境で、他のハンター志望者は奴らに屈したらしく、このバンディという男の配下でないのは、寝ていたので元々声を掛けられた覚えがないソラと、スケボーだけを持ったハンター志望ではなく遊びに行く子供にしか見えない、銀髪の少年だけらしい。

 

 総勢100人近くが、この空飛ぶ密室で敵だという状況をやっとソラは理解したが、それでも彼女の眼は白けたまま。

 それは少年も同じく、彼は男の言葉を鼻で笑った。

 

「アマチュアってことは、自称ってことだろ? しかもトレジャーなら、ひったくりでも万引きでもトレジャーハントって言い張れんじゃね? ただの一人じゃ何もする度胸のない臆病者が集まった、しょっぼい犯罪集団だろ?」

 

 ソラが思っていたことと全く同じことを言い放った少年に、バンディの顔色は真っ赤を通り越してドス黒くなり、奴は唾を吐き散らしながら怒鳴る。

「はっ! ガキだから最後に泣いて謝れば見逃してもらえるとでも思っているのかクソガキが!

 俺とこのバンディ隊は、アマチュアハンターの中でも手段も方法も選ばないことで有名なんだ! 狙ったお宝を手に入れるのはもちろん、気に入らない奴をぶち殺すのもな!!

 楽に死ねると思うなよ!!」

 

 男の宣言の直後、ソラはしれっと言った。

 

「手段も方法も選ばないって、自慢することじゃないだろ。選んでたら目的が果たせない程度の実力ってことなんだから」

 

 ソラの即答に数秒間、沈黙が落ちる。

 怯えさせるための脅しにドヤ顔で言い放った言葉が、剛速球のピッチャー返しされたことでチンピラどもは固まり、少年は一拍置いてから腹を抱えて爆笑する。

 

「あーははははっ! ちょー正論! 俺今、本物の論破を見たよ!!」

「だよな! 私の言ってること、正しいよな! 何で、手段も方法も選ばない、節操なしであることが自慢できることだと思ってる奴が多いんだろうな?」

 

 笑い転げる少年に指差し、さらに同意をソラは求める。その言葉から、言われたから即興で思い浮かんだ皮肉を言い返したのではなく、昔から常々思っていることらしい。

 実際にソラは時計塔の魔術師に対しても同じことを言い放って、魔術師の大半を敵に回したこともあるわ、それより以前にも実姉に対して同じことを言って首を絞められたこともあるが、それでも未だに変わらず揺るがない、信念でも価値観でもない、ソラにとってそれは当たり前のこと。

 

 そしてもちろん、怒りで顔色をドス黒くさせながらも自信満々に、甚振る笑みを浮かべて言った相手にとって、それが当たり前であるはずはない。

 顔色はさすがにもう変化しようがなかった代わりか、こめかみや額に今にもはち切れそうな血管がいくつも浮かび上がり、憤怒に顔面を歪めてバンディが命令する。

 

「殺せ! あの白髪のクソヤローを……」

「ガンド」

 

 全部言い切る前にソラの指先からオーラの塊、魔力弾、指さしの呪いが放たれて、不可視でありながら質量を伴ったそれが、バンディの顔の中心に命中した。

 いきなり顔に硬球でも直撃したような音がしてぶっ倒れたリーダーに、周囲が騒然とする中、相変わらずソラと少年だけはマイペースだった。

 

「え! 今のお前!? 何やったんだよ!? って言うか、初めに銃を素手で切ったのも何なんだよ!?」

「んーと、魔術? 私、魔術師なんだよ」

「へー、そりゃすげぇな。で、本当は?」

「信じてないだろ」

 

 和やかな会話を交わす二人に怒りの視線をチンピラどもは向けるが、少年はともかく得体のしれないことをやらかしたソラに向って行く勇気はないらしく、誰も何もしないし何も言わない。

 

「ひゃ、ひゃにやってんだっ! ふぉろせ!!」

 鼻が完全に折られた挙句、異様に痒い顔を押さえてバンディが命じる。

 ソラの攻撃を喰らった直後に、敵討ちとして誰も向かってこなかった時点で、人望がないのは丸わかりだが、怪我をしても部下たちを縛り付けた恐怖は健在らしく、その命令でチンピラどもはソラに向って行く。

 

「少年、面倒なら隠れてなよ。私は逃げる」

「逃げんのかよ!」

 

 言われるまでもなく、少年はそのつもりだった。

 この程度のチンピラどもなら、自分一人でも余裕で殲滅できる自信はあったが、面倒なのは事実なので、彼はお言葉に甘えて隅に避難した。

 

 が、見ていたらどんどん血が騒いで疼いてきた。

 

 100人近くが一人に集中しているのと、限られた空間であること、そして信頼関係もクソもない、恐怖と利害だけで結ばれた奴らがうまく連携など取れるわけがない。

 ソラは見事にチンピラどもを盾にして、逃げ回る。ほとんど彼女は攻撃などしていない。

 しかしソラが逃げ回ることで、空ぶった武器や拳が味方に当たり、それに腹立てた奴が自分を殴った相手を殴り返し、だんだんとたった一人を甚振るリンチではなく、近くにいる者を手当たり次第に殴る乱闘と化してきた。

 

 その立ち回りと、謎の攻撃手段が少年の興味を引いた。

 チンピラがバカな提案をしてきた時は、「ハンターなんてしょうもないんだな」と試験を受ける前から期待がしぼんだが、ソラというハンター志望者がそのしぼんだ期待を復活させた。

 

 少年は指先に力を込める。

 それだけで、指先が変形する。

 

 筋肉が凝縮して、ただでさえ子供らしく小枝のように細い指先がさらに縮こまったせいで、爪が猫のように飛び出たように見える変化。

 人間としてあり得ないことをやらかしているのに、少年は平然と薄ら笑いを浮かべながら、もはや敵味方関係のない、乱闘となった喧騒の中に飛び込んだ。

 

 足音はなく、気配を極限まで殺し、命を抉り取るに一番ふさわしいその手を少年は、躊躇いなく振るう。

 そこに大義はなく、正当性はなく、しかし狂気というにはあまりに幼い欲求しかなかった。

 本当に「魔法」のようなことばっかりしている相手を見て、自分だって負けていない、自分だってすごいということを証明したがっているにすぎなかった。

 

 まだお互い名乗ってすらいない、名さえも知らない相手に「すごいな」と言ってほしいと望んだことを、少年は気づかない。

「何やらかそうとしてんのかね、この少年は!!」

「がふっ!」

 

 手近なチンピラの心臓を抉る前に、ロケットのように突っ込んできたソラにタックルを決められて、思わず息が止まった。

 そのまま咳き込む少年を、ソラはいわゆるお姫様抱っこの体勢で抱えて、「一時退避~」と言いながら共用ロビーから逃げ出した。

 

「待てこらクソヤロー!!」

「な、何しやがるんだアホーッ!!」

 

 背後のチンピラどもの怒声と、少年のブチ切れた叫びは同時だった。

 

 * * *

 

「お前、いきなり何で俺にタックル決めてくるんだよ! って言うか、離せ! 降ろせ!!」

「あー、もー、うっさいなー。ちょっとは黙ってなよ少年。説明もお説教も出来ないじゃん」

「お前に説教される筋合いはどこにもねーよ! マジ離せ! 殺すぞ!!」

 

 共用ロビーから出て、ソラは少年を抱えたまま走り回りながら、この少年を一時的に黙らす方法を思案する。

 足にオーラを回して、とっくに追ってくるチンピラどもは引き離したが、抱きかかえる少年がうるさくて、いったんどこかに隠れることも出来ないから、何としても黙らせたかった。

 

 少年を要望通り降ろし、自分だけ逃げて隠れるという考えは浮かばない。それをしてしまえば、そもそも何のためにソラは少年にタックルをかまして止めて、少年を抱きかかえて逃げたのかがわからなくなるからだ。

 ソラにはどうしても、少年に言いたいことがあった。

 だからそれを伝えるまで、離すわけにはいかなかった。

 

 が、そんなこと知るわけのない少年は、そろそろ本気でブチ切れたのか、ギャーギャー騒がしかった声を低くして静かに、「……マジで死にたいのか、クソヤロー」と言い出した。

 しかしソラは、少年が本気で殺気立ってきたことに気付いていながら、相変わらず面倒くさそうな顔だった。その様子が少年をさらに苛立たせ、また指先に力を込めると同時に、ソラがふと何かを思いついたのか、目を軽く見開いた後でニヤッと笑った。

 

 その笑みに一瞬少年が呆気を取られた隙に、ソラは少年を抱えたまま自分の着ているツナギのジッパーを下ろす。

 むき出しとなった白い肌と、スポーツブラタイプの見せブラを目にして、少年が「なっ!?」と言ったきり、顔を真っ赤にして固まった。

 どうやらソラを男だと思い込んでいた思春期の少年には、いきなり至近距離で見せつけられた女性であるわかりやすい証は刺激が強すぎたらしい。

 そんな少年にソラは無慈悲なサービスとして、少年の後頭部を押さえつけて自分の貧相な、けれど彼女が自分で言うほど絶壁でも皆無でもない胸に、追い打ちで顔を埋める。

 

「こんな残念な胸でも効果あんのか。おっぱいってすげーな」

 女が言うべきではないセリフを吐きながら、少年が完全に思考停止して黙ったのをいいことに、ソラはとりあえずボイラー室に隠れて少年を降ろす。

 

「少年? おーい、しょーねん。こんな貧相な胸で満足したら、人生もったいないぞー」

 部屋の隅に降ろしてもまだ真っ赤な顔で硬直している少年に、ソラは呼びかけることしばらく。

 ようやく思考が再起動した少年がまだ顔は赤いまま、「何しやがるんだこの変態女!!」と叫びかけたところで、ソラは手で口を押さえつけて塞いだ。

 

「ハイハイ、騒がないでねー。騒いだらまた埋めるよ。ぱふぱふが出来るほどなくてごめんね」

 少年の前で口をふさいだまま、ヤンキー座りで言うソラに、少年はしばらくふがふがと文句をつけていたが、少年が爪を立てようが渾身の力で握ろうが、はがすどころかびくともしない腕に諦めて大人しくなる。

 

 騒ぐ気をなくしたのを見てソラは、少年の口から手を離して訊いた。

「少年、君はさっき殺す気だっただろう?」

 

 少年は答えない。

 足音や気配はもちろん、殺気も完全に消していたつもりだったのに、しっかり気づかれていたことに対して、理解できない苛立ちと、もやもやと消化しきれない何かが胸の内に渦巻いた。

「うっせーな、それがなんだっていうんだ!?」と、怒鳴り散らしてしまいたい気持ちに駆られたが、その反応のガキっぽさが嫌で、でも他にどんな反応が自分の望む「大人」な反応なのかがわからず、結局子供らしくふてくされてそっぽ向いて黙り込む。

 

「何で殺そうとしたんだ?」

 

 再び問うソラの言葉もそっぽ向いて無視していると、少年の顔をソラは両手でつかんで!無理やり自分の方に向ける。

 今度こそ「何しやがる!?」と言いかけるが、結局声にならなかった。

 

 コツリと熱でも測るように、ソラは少年の額に自分の額を当てて、あまりにも近い至近距離で、決して目がそらせないようにして言った。

 

「殺すことが目的だったのなら、よくはないけど私には関係ないから、口出しする気はないよ」

 そんな至近距離から告げられた言葉は、少年の想像から真逆のもの。

 てっきり全身がかゆくなるような、「命は大切にしなくちゃいけない」等のお説教が来るかと思ったら、肯定こそはしなかったがほとんど、「好きにしろ」と言わんばかりに突き放した。

 

 その発言の意外さと、そう思うのならこいつは何が言いたいんだ? という疑問できょとんとして、少年の方もようやく真っ直ぐにソラの眼を見た。

 自分の姿が映る夜空色の瞳が、少し細くなる。

 ソラは、からかうように笑って言った。

 

「けど、そうじゃないなら、私と同じようにうざいから大人しくさせたかっただけなら、ダメだろ?

 君は十分、手段も方法も選べるぐらいの実力があるんだから」

 

 少年の頭の中で、ソラがチンピラのリーダーに言い放った言葉が蘇る。

 

『手段も方法も選ばないって、自慢することじゃないだろ。選んでたら目的が果たせない程度の実力ってことなんだから』

 

 その即答に、爆笑しながらも「正論」だと言ったのは自分自身だ。

 だからあまりにも簡単に、その一言で自分のしようとしたことが間違いだったと納得できた。

 それは、目の前の女の言葉であると同時に、自分の言葉でもあったから。

 

 けれど少年は、気付いていない。

 納得はできても自分の性格上、プライドの高さゆえに正論でぐうの音が出ないほどやり込められたら、正論だからこそ悔しさで絶対に反感を抱くはずなのに、少年の胸の内には先ほどまでずっと渦巻いていた苛立ちも、もやもやとした説明できない何かも消えていることに。

 

 ソラも、気付いていない。彼女にとって、それは当たり前のことだったから。

 子供だからといって、弱いなどあり得ないことを彼女は知っている。

 

 そもそも念能力者は彼女の師匠を筆頭に、外見年齢があてにならないので、ソラは見た目で相手の力量に先入観など抱かない。

 さすがに見ればこの少年が、念能力者ではないことくらいはすぐにわかるが、同時に武器を持ったチンピラどもに囲まれていても余裕たっぷりな態度でありながら、どこにも隙などなかった立ち振る舞いからして、あのチンピラ集団では歯が立たない実力を持っていることくらい、簡単に知れる。

 下手すれば立ち回り次第では、念を覚えたばかりで個人的な能力である“発”を会得出来てない能力者相手なら、今のままで勝てそうなぐらいだ。

 

 だから、ソラにとっては初めから当たり前の前提だった。

 少年が無自覚のまま望んだ、少年のことを「すごい」と思う事なんか、そんなの初めからずっと思っていた。

 

 少年は気付かない。

 無自覚のまま、望みが叶っていたことを知って笑う。

 

「当たり前だろ!」

 ソラの言葉に対して誇らしげに、言葉通り当たり前のように受け取りたいのに、隠し切れない喜びで目を輝かせて、笑って答えた。

 その言葉に、ソラも満足したように笑って少年から額を離す。

 

「そっか。なら、賭けしようぜ少年」

 唐突なソラの誘いに、少年は驚いた様子もなく口角を上げて「いいぜ」と応じる。

 

「殺しなし、気絶させた人数が多い方が勝ちな」

「いいよ。負けた方が、ジュース奢りで」

 

 少年は立ち上がって拳を鳴らしながら、勝手に賭けの勝敗条件を決めて、それをソラが応じると同時にソラと少年が隠れたボイラー室のドアが乱暴に開いた。

 

「こんなところに隠れて居やがったのかクソガキども!!」

「ガンド」

 

 ドアを開けてすぐに、袋の鼠だと思ってどや顔で言った男に、ソラはまた即座にガンドを放つ。

 

「はぁ!? またそれかよ! まだ開始とか言ってないから今のなし!!」

「はいはい。何なら私は、マイナス10人からスタートでもいいよ」

 

 こうして飛行船内で約100人VS2人という人数差でありながら、ソラと少年の一方的な無双が始まった。

 

 * * *

 

 ハンター志望者によるハイジャック行為が行われたため、予定していた国の空港ではなく一番近場の空港に飛行船は降り立った。

 離陸してから約3時間後の事だったが、それだけの時間があれば、二人からすれば十分だった。

 自分たち以外の全員を、大人しくさせるのは。

 

「少年、急げ! 飛行船に乗り遅れる!」

「わかってるつーの! 手、引っ張んな!」

 

 飛行船が空港に降りた時には、ハイジャック犯とその仲間たち、脅されたとはいえ仲間になることを選んだ者たちは皆、ソラと少年の手によって意識を手放していた。

 もちろんそれは正当防衛なので罪には問われないが、警察からしたら色々と話を聞きたいところだ。しかし、ハンター試験に受験予定だからその飛行船に乗っていた二人が、説明する余裕などある訳がない。

 

 ソラも少年も「受験終わったら説明してやるよ!!」と言って事情聴取から逃げ出して、他の試験会場行きの飛行船のキャンセル枠をもぎ取って、大急ぎでその飛行船乗り口まで急ぐ。

 

 その途中で、ソラは飛行船の部屋を取る時の手続きで自分がした事を思い出し、少年に伝える。

「あ、そうだ少年。君の事、私の弟ってことにして手続きしておいたから」

「はぁ!?」

 

 思わず抗議や不満を現す声を上げてしまったが、よくよく考えたら支障がないどころか、家出中である自分にとって好都合なことに気付き、「別に良いけど」と少年は答えようとした。

 

「ごめんごめん。手続きしてる時にそういや名前も知らないことに気付いたけど、名前も知らない赤の他人の子供の手続きをしたら私、お巡りさん案件じゃん? だからとりあえず、名前はミケにして、私の弟ってことにしておいた。

 ほら、髪の色が似てるからあっさり信じてもらえたよ」

「何でよりにもよってそんな名前にした!? いっそシロとかにしとけよ! 嫌だけどまだ脈絡があるわ!!」

 

 その前にソラが好き勝手語り、知りたくなかった自分の偽名に文句をつけてもソラはまったく悪びれず、あっけらかんと笑う。

「あはは、ごめんってば。お詫びに飛行船でジュースおごってやるから許せ」

 

 賭けは結局、引き分けだった。だからジュースのおごりはどちらもなしなのに、「詫び」と称して自分に与えようとするのが腹立った。

 けど、「ガキ扱いするな」と怒ってはねのける気もどうしても起こらなかった。

 

 それは、殺しの手段ばかり褒められた自分にとって、初めてだったから。

 全く殺さなかったことを、「すごいじゃん」と言われたような気がしたから。

 

 家を継ぐ以外の道を、暗殺者以外の未来を与えられたような気がしたから。

 この手が、そんな道に、未来に自分を連れて行ってくれるような気がしたから。

 

 だから少年は、あまりにも自然に自分の手を取って引っ張っていく手を離せないでいた。

 自分からしっかり掴み、その手が引かれる方に走りながら告げる。

 

「――キルア」

「え?」

 

 きょとんとした顔で振り返るソラに、そっぽ向いてもう一度だけ言った。

「俺の名前は、キルアだよ。次からは、ちゃんとそう書け」

 

 いつまでこの「姉弟」が続くのか何かわからない。飛行船に乗った時点で終わってもいいはずなのに、「次」を求めた。

 その言葉に、ソラは藍色の瞳を瞬かせてから笑ってこたえた。

 

「あぁ。わかったよ、キルア。ちなみに、私の名前はソラだ」

 

 今更だったので、どちらも「よろしく」なんて言わなかった。

 言わないまま、しっかりと手を繋いで飛行船に乗り込む。

 

 ソラは約10日ほど前に、キキョウからメイク中に延々と聞かされた、彼女の息子の中でも最愛の三男、「キル」が「キルア」だとは気づかないまま、彼を自分の「弟その2」に勝手に認定した。




ハンター試験編に入るとは言ったが、原作沿いに入るとは言ってない。

……すみません、原作沿いを楽しみにされていた方、イルミの「こんにちわ死ね」とヒソカのズッキューンを期待していらした方ごめんなさい。
初めからゴンたちが試験会場に辿りつくまでの、船・クイズ・キリコ編にあたる3話を書いてから、原作沿いにする予定だったんです。

なのであと2話、キルアとソラの珍道中が続きます。
楽しんでいただけると幸いです。


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