死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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 ――夢の話をしましょう。

 もしも話ほど、夢のある話はないでしょうね。
If(もしも)」という言葉一つで、過去も未来も自由自在。

 どれほど悪逆非道な出来事も
 どれだけ荒唐無稽な物事も
 全てが起こりうる可能性の宝庫。

 ……けれど、とっても残酷な言葉。
 だって「If(もしも)」は現実ではないからこそ、生まれる言葉。

 初めから現実には敵わない「夢」であることが前提の言葉なのよ。



96:あったかもしれない世界

 繋いでいた手が離れる。

 

「よし、次は私が行こう」

 

 けれどクラピカは一人ではない。

 機転で見事に向こうが仕掛けた策を逆に利用して勝利したゴンと入れ替わるように、細くて柵も手すりもない橋を渡ってリングに向かう。

 自分の背後では、ハンター試験で得たかけがえのない仲間が「頑張れー」などと声をかけてくれている。

 

 この当時はゴンとレオリオならまだしも、キルアに対しては信用どころか警戒心の方が強かったくらいで、何よりとっくの昔にハンターになる気など失せているくせに、人死にや他者の絶望を間近で見られるショーとして試験に参加して、積極的に受験生、特に新人に危害をくわえる悪意の塊であるトンパがいたはずなのに、彼の姿は影も形もない。

 

「クラピカーっ! さくっとやっちゃってー!!」

 

 代わりに、ゴンと同じくらいかゴンよりも無邪気にぴょんぴょん跳ねながらソラが声援を上げていた。

 クラピカはトンパがいなくてホッとしているくせに、ソラが代わりにいるということ、彼女がトンパの代わりなら第一試合は勝利したのかなどといった疑問は全く頭に浮かばない。

 

 不自然な矛盾に気付かないまま、夢を見ている自分に気付かないまま、彼は振り返って「はしゃぐな! お前が一番年上だろ!」とソラを叱りつけた。

 叱りつけながらも笑っていたのは、本当はちゃんとこれが夢であることを知っているから。

 無自覚だが意図的に夢であるという事実から眼を逸らし、本来では有り得なかった世界に浸る。

 

 夢であることを自覚してしまえば、夢は明晰夢に切り替わってしまう。

 自分で好きなように動き回って世界すら変えれる明晰夢はそれなりに楽しいだろうが、それは目覚めれば儚く消えてゆく夢だと知っているから出来ること。

 

 夢の中で感じる幸福は、夢の中でしか存在しない泡沫の幻に過ぎないと知ってしまえば、それはもう幸福だと思えなくなってしまう気がしたから。

 

 だからクラピカは、夢を見続ける。

 泡沫でも、幸福に思えたという事実は本当なのだから、それが少しでも長く続くように彼は自分自身で生み出しておきながら、予測がつかない夢を見続ける。

 

 * * *

 

 クラピカと対戦する試験官にして懲役100年越えの囚人もリングに上がり、そして覆面と巻頭衣のような服を脱ぎ捨てて、その身を露わにした。

 

「げ……。すげぇ体……と顔」

 

 その姿を見てまずレオリオが言った感想は、おおむね全員が同意した。

 顔は異形としか言いようがない。

 どう見ても後天性と思われる顔なのだが、元の造形が全く想像が出来ぬ程にその顔は傷み、歪み、崩れていた。

 そしてその顔に反して体は、胸の小さな19個のハートの刺青以外は傷一つない、不自然なほど筋骨隆々なマッチョボディ。

 華奢ではあるがクラピカは決して小柄ではないのに、彼と囚人が並べば大人と子供に見えるほど体格差があり、レオリオは「大丈夫か?」と不安げな声を上げる。

 

 しかし、不安を抱いているのはレオリオだけだった。

 彼以外の4人は初めのレオリオの感想に同意していたが、顔はともかく体に関しての感想の真意は真逆。

 ゴンは勘でしかない部分で判断しているだろうが、他の3人は全員あの筋肉は鍛え上げて身に着けたものではないと見ただけでわかった。

 

 そもそも、人体の急所が揃い踏みしている顔面があれだけボロボロなのに、体が無傷というのは強者として有り得ない。

 まず間違いなく、あの筋肉は筋力増強剤か何かで人工的に身に着けたもの。偽物ではないが、後々のリスクを考えたら肉襦袢を着ている方がマシな、こけおどしでしかない。

 

 男は自分の胸の刺青を指して、その刺青の数だけ人を殺してきただの、命のやり取りがしたいだのと喚いているが、喚けば喚くほどキルアは白けてゆき、ソラは全く心配する必要もない相手だと判断して、壁に背中を預けてのんびりクラピカの試合を観戦することにした。

 

「いいだろう。勝負の方法を決めてくれ。それに従おう」

 

 そしてクラピカ本人も、男が何を言おうが無表情無反応で淡々と話を先に進める。

 無表情と言っても、相手に感情を悟られないように表情を消している人形のような無表情ではなく、本気で彼からしたら思うことが無いからこその無表情な為、話を進められて男の方が明らかに狼狽していた。

 

 クラピカは顔立ちも体格も女性的なので、相手は少し脅せばすぐに怯えて退くとでも思っていたのだろうが、残念ながら彼は実力も内面も外見と一致していない。

 デスマッチを提案したり、負けを認めてもこちらが攻撃をやめることを期待するなと脅したり、武器の使用を禁止しても、クラピカはやはり無表情のままその条件全てに素直に従って、男はさらに狼狽えてゆく。

 もはや、ただのコントである。

 

 この試合は、コントでしかない。喜劇(コメディ)でしかないと、男の真の実力に全く気付いていないレオリオ以外の誰もが、クラピカ自身でさえもうんざりしながら思っていた。

 誰も、ソラさえもクラピカの心配はしていなかった。

 

 気付いていなかった。

 相手の「切り札」に。

 それが最大の悪手だと男自身が何も気づいていなかった。

 

《スタート!!》

 

 真の試験官であるリッポーが放送で試合開始を告げると同時に、男はその身に反して自分の身長を超えるほど垂直に飛び上がった。

 思ったより身軽であったことに、クラピカは見積もっていた相手の実力を少しだけ上方修正したが、飛び上がって重力と自分の重さでさらに勢いをつけ、威力が増したその拳の一撃にはさすがに驚愕した。

 

(床を素手で砕きやがった…………!!)

 

 ある意味では、その事実に一番衝撃を受けていなかったのは相手の実力を見誤っているレオリオだった。

 ゴンもキルアもソラもクラピカも、相手の実力を決して甘く見ていない。

 正しく見極めて見積もって見破っていたからこそ、その見積りをはるかに上回る攻撃力に絶句していた。

 

 しかし、床を砕いた一撃よりも見逃せないものもまた、全員が見つけてしまう。

 

 男の背中に大きく張り付いた、刻まれた大蜘蛛。

 12本足の蜘蛛の刺青を見た瞬間、二人の眼は見開かれる。

 地獄のような紅蓮と、遥か彼方最果ての蒼天が開かれた。

 

 男は勝利を確信していた。

 体内に仕込んだ鋼鉄による一日に一撃限りの腕の威力と旅団の(イレズミ)は、彼にとっては脅しの道具に過ぎなかった。

 

 自分が利用している存在は、どれほどの恨みを買っているかなど考えたこともない。彼にとって幻影旅団という大蜘蛛の存在は、都合のいい道具であると同時におとぎ話の怪物と同じくらい、現実味のない遠い存在だった。

 旅団(やつら)の存在が現実だと真の意味で理解などしていなかったのなら、旅団が行ったことも同じ。彼にとってそれは小説の中の出来事に等しかった。

 

 小説の中の登場人物が、自分の目の前に現れることなど想像したことが無かった。

 

「くくく、どうした? 声も出ないか?」

 

 だから男は相手の様子、隙を見せても攻撃を仕掛けないで棒立ちしているのをいつも通りの畏怖だと思い込んで、話を続ける。

 自分が今、相手の逆鱗に無造作に、無神経に触れ続けていることに気付かないまま、あまりに愚かな言葉を吐き続けた。

 

「俺様は旅団四天王の一人、マジタニ。

 一発目は挨拶代わりだ。負けを認めるならば今だぜ。今ならまだ、俺様もそんなに……!?」

 

 幻影旅団のことをむしろ何も知らないと暴露しているも同然な、笑い話にもならない虚言が途切れる。

「そんなに」何だったのかは、何と言って人を殺す度胸も戦う度胸も殴る度胸も、恨みを買う度胸すらない卑怯で弱い自分を誤魔化すつもりだったのかわからない。

 ただ、ようやく気付いた。

 自分の愚行に気付かないまま、自分は自ら処刑台に立ったことに気付かないまま、男は、マジタニは気付く。

 

「うっ…………」

 

 憎悪に燃える、緋色に気付いた。

 

「ひ……な、なんだお前!?」

 

 相手が偽物であること、おそらくは肉体的に人を傷つけたことすらない小心者の卑怯者であることくらい、クラピカはわかっている。

 だが、それでも許せない。その背中の大蜘蛛の存在も、忌々しい大蜘蛛の名を騙る口も、幻影旅団が存在することで益を得て、どのような形でもあのおぞましい大蜘蛛の存在を肯定する相手が、絶対に許せない。

 

「!?」

 

 だからまず、面白くもない気分だけが悪くなる無知を晒す口を左手で掴みあげて塞ぐ。

 ゴキゴキとあごの骨にひび割れて砕ける音がするが、クラピカには聞こえない。

 あごを砕かれながらも、ようやく自分のハッタリが通用する相手ではなかったことに気付いたマジタニは必至で言葉を、真実を吐き出す。

 

「わっ、たっ、ま、待て!! わかった俺のま……」

 

 だけど、それだってもうクラピカには聞こえない。

 クラピカに聞こえるのは、自分自身の「許せない」という憎悪の怨嗟だけ。

 

 真っ赤に染まる視界は、目の前の男すら見えていなかった。

 見えていたのは、男の背中に張り付く忌まわしい大蜘蛛だけ。

 

 その大蜘蛛を叩きつぶす勢いで、クラピカは軽々持ち上げたマジタニの顔面に握りしめて振りかぶった拳を――

 

 

 

 

 

「クラピカ!!」

 

 

 

 

 

 何も聞こえていなかったはずなのに、その声だけははっきりと耳に届く。

 真っ赤に染まっていた視界は、霧が晴れるように色彩を取り戻す。

 目の前にいるのは、顔も知らない忌々しい旅団の誰かではなく、クラピカに怯えてクラピカが顎を掴んだ手の中で必死で命乞いをしている、あまりにも脆弱で情けない卑怯者。

 

 殴る価値などない相手だった。

 

「いいんだ。クラピカ。君がそんなことをしなくていいんだ」

 

 灼熱していた脳髄を、その声が冷ましてゆく。

 冷え切った心に、手離しがたい温もりが分け与えられる。

 

「自分の罪を自分で背負えない卑怯者なんかの為に、君が自分を許せなくなる必要なんかない。

 許さなくていい。憎んでいい。怒っていい。だからこそ、君は何にもしなくていい。裁定者にも処刑人にもならなくていい。

 自分の怒りが正当で、罰として妥当なものだったとか考えなくていい。君が罰を執行して、誰も罰してくれないから絶対に自分を許せない罪なんか背負わなくていい」

 

 クラピカの手が、掴みあげていたマジタニのあごから離れる。

 血がにじむほど強く握りしめていた拳が、柔らかく解かれる。

 

 醒めた頭が、自分のしようとしていたことがどれほどバカバカしいことだったかを理解して、思わず笑ってしまう。

 笑うしかない。それぐらい、自分は無意味で無駄なことをしようとしていた。

 

 この手をこんな偽物で卑怯者の血で汚してどうすると、クラピカは自分自身に問いかける。

 そんなことをするために、この手はあるんじゃない。

 

「クラピカ。君は君のしたいことをすればいいんだ。君の手は、君の幸せを掴むためにあるんだ」

 

 自分に問うたはずの答えを与えられ、クラピカは自分の短慮さに苦笑しながら応える。

 背中から腕を回して自分を抱きしめて止めたソラの手に、自分の手を重ねて彼女の小さな手を握りしめた。

 

「……あぁ。その通りだな」

 

 己の幸せを、掴んだ。

 

 * * *

 

 気が付いたら、目の前にマジタニが倒れていた。

 顔面には力いっぱい殴られたような傷を負って、ぴくぴく痙攣している。

 

 ソラがあの底が見えない吹き抜けを飛び越えてリングに上がって、クラピカに抱き着いてマジタニを殴りつけるのを止めたというのにこの結果は明らかにおかしいのだが、そのことにクラピカは何の疑問も抱かない。

 周りもクラピカが殴る前に止めたはずなのに、殴られて気絶しているマジタニを前にして、クラピカが殴るのをやめた前提で話を進める。

 

 ソラが乱入したのなら、対戦相手に何かしたわけではない、むしろ有利だったクラピカの邪魔をしていたのでクラピカが反則負けという結果にはならなくても、何らかのペナルティーくらいはなければ不自然なのに、リッポーは何も放送を入れず、他の囚人達も文句を付けない。

 

 記憶と願望が入り混じった夢は、酷い矛盾を抱え込みながらも何の破綻もなく続いてゆく。

 

 クラピカはしばしソラに抱き着かれたまま彼女の手を握って、自分の手が何のためにあるのかを改めて自分に言い聞かせてから、脱ぎ捨てた上着や武器を拾ってソラと一緒に他の仲間たちの元へと戻る。

 

「いきなり何してんだよ、お前ら二人は!! 爆発しろ!!」

「やだよ!」

「何の話だ!?」

 

 戻ってきて即レオリオは二人を怒鳴りつけるが、その文句と要望は正当なのか理不尽なのか微妙な所。

 しかしレオリオの言葉はわりとクラピカたち二人以外の総意だったらしく、キルアからもジト目で「爆発しろ」と言われ、囚人たちからも「もげろ!!」と野次を飛ばされ、そしてゴンは苦笑していたが誰の野次も止めてくれなかった。

 

 だけどクラピカがキレた事情も、ソラが反則となるリスクを負ってでも彼を止めた理由も既に分かっているので、この文句は完全にやっかみであることもレオリオは自覚している。

 なのでレオリオは、しつこくクラピカのリア充っぷりを責めるという虚しいことはせずに気を取り直して、「っていうか、大丈夫かお前?」と尋ねてきた。なんだかんだで、面倒見のいい心配性な男である。

 

 レオリオの問いに「あぁ。私に怪我はない」と答えるが、その答えはソラに「それは見りゃわかるよ」と突っ込まれた。

 レオリオも訊きたかったのは外傷の有無ではなく、傷ついた本人でさえ見えないし触れられない傷についてだったので、「つーか、お前に近づいても大丈夫か?」と軽口を叩きながらもう一度訊いた。

 

 今になっては頭に血が上った自分が恥ずかしすぎるので、クラピカとしてはもうなかったことにしたいのだが、本気で心配しているレオリオやゴンに「大丈夫だ」とゴリ押すのは悪いので正直に自分の悪癖、偽物だとわかっていても旅団のシンボルである蜘蛛を見たら、それが12本足であるか、刺青であるかなど関係なく、本物の蜘蛛であっても逆上して性格が変わることを告白した。

 

 旅団の騙りも本物と同じくらい許せないのならまだしも、旅団のことを何も意識していないし関係もない蜘蛛モチーフの刺青やアクセサリーの類、そして本物の蜘蛛でも先ほどのように頭に血が昇って冷静さを一気に失う自分に対する嫌悪が抑えられず、クラピカはその場に座り込んで自分で自分に皮肉の言葉を掛ける。

 

「ふっ……、しかしそれはまだ私の中で怒りが失われていないという意味では、むしろ喜ぶべきかな……」

 

 クラピカの自嘲にゴンとレオリオは、「クラピカには蜘蛛を見せないようにしようね」と話し合い、キルアは気にした様子も見せなかった。

 

「クラピカ」

 

 羞恥と自己嫌悪のネガティブスパイラルに陥りかけていたクラピカが、ほぼ反射で顔を上げる。

 反射で体が反応してしまうくらいに、クラピカはソラに弱い。

 どんなにバカなことや危ないこと、無謀なことをソラが行ってクラピカがブチキレても、最終的には絶対に許してしまうだろうし、ソラに頼まれたことは彼女が理不尽な無茶を言わないという信頼があるのを抜いても断れない。

 そして何より……彼女の声音に怒りがにじんでいる時は本心から「逃げたい」と思いながらも、絶対に逃げ出せない。

 

 彼女が怒る時は、彼女自身のことなど何も関係ない。クラピカのことだけを思って、クラピカのことを自分のことのように怒っていることを知っていればなおさらに、逃げたい気持ちも増すが余計に逃げられなくなる。

 

 座り込んだクラピカの目の前に腕を組んで立ったまま見下ろすソラに、思わず背筋を伸ばして「何だ?」と尋ねれば、ソラはクラピカに問う。

 

「怒りを忘れていないのが喜ぶべきなら、私も喜ぶべきなの?」

 

 自分が後悔するとわかっていても意地を捨てられない、素直には程遠い性格であるということは嫌になるほど知っている。自覚して、これも嫌悪していながらも未だに直せない悪癖だ。

 けれど、そんなことを言われたら、そんなことを訊かれたら、意地を捨てざるを得ない。

 

 だって、ソラがこんなことで喜ばないことは知っている。

 喜ばないけど、それでもクラピカの喜びを、幸福を誰よりも何よりも大切にして守ってくれるから。誰よりも何よりも傷つきながら、守ってしまうから。

 だからクラピカは意地を捨てて、でも羞恥による顔の赤みを隠すだけの意地はやはり捨てられず、自分の抱え込んだ膝に自分の額を押し当てて、答えた。

 

「……喜ばなくていい。あんなの、嘘だ。嬉しくも何ともない」

「……そう」

 

 クラピカの返答にソラはそれだけ言って、クラピカのすぐ隣に座り込む。

 そしてそのままこつんと自分の頭をクラピカの肩にもたれかからせて、彼女は告げる。

 

「クラピカ。私は、君が私の声を聞いてくれたこと、君がやめてくれたことは嬉しかったよ」

 

 自分が何を嬉しく思い、何に喜ぶかをクラピカに伝える。

 伝えて、もう一度訊く。

 

「これは、これからも喜んでいいの?」

 

 その問いにまず初めに頭に浮かんだ言葉は、「どうしてお前はそういうことを素面で言えるのだ!?」という文句だった。

 だけど、クラピカの口から出てきた言葉は短い、「……あぁ」という返答だけだった。

 

 答えと一緒にクラピカの手はすぐ隣のソラの手と重なっていた。

 自分は素直ではないが、現金なくらいに正直だなと思い知らされた。

 

「おい! そっちに爆発が得意な囚人いねーか!?」

「よしきた! セドカン! 出番だ!!」

「爆発なら任せろー!!」

「貴様らどういう意味だ! というか、本気か!?」

 

 しかししんみりする暇もなく、レオリオが声を張り上げて囚人側に爆破協力を仰ぎ、しかも何故か囚人側もノリに乗ったことにクラピカがキレた。

 だがクラピカのマジギレは、キルアが「されたくなけりゃどこでも隙あらばイチャついてんじゃねーよ! マジでお前、今すぐ爆発しろ!!」とこちらもマジギレで返し、挙句の果てにはゴンにまで「……ごめん、クラピカ、ソラ。さすがに気まずい」と言われてしまって、またしてもクラピカは羞恥で膝を抱えて顔を隠してしまう。

 

 ちなみに、爆発しろと言われている片割れは他人事のように爆笑していた。

 

 * * *

 

 これ以上いじっても面白いどころかクラピカが実力行使で黙らせに来るのと、ただただ独り身の虚しさが際立つだけな気がしたので、レオリオは気を取り直してもう一度声を張り上げ、次は自分が試合に出ると宣言する。

 

「さぁ、俺でケリをつけてやるぜ!! さっさとそいつを片付けて次のヤローを出しな」

「うふふ、それは出来ないわね」

 

 しかし、いきなり出端はくじかれた。

 

 声からして女性らしい囚人は橋を出してもらってリングに上がり、倒れたマジタニの傍らに自分も膝をついて何かを確認してから、彼は死んでいない、気絶しているだけだと告げる。

 

「…………気絶しているだけ。

 勝負はデスマッチ!! 一方が負けを宣言するか死ぬかするまで戦うと決めたはず。彼はまだ生きているし、負けも宣言していない」

 

 ほとんど負けを宣言していたが、クラピカの迫力に押されて最後まで言えてなかったことをいいことに、この試合はまだ終わっていないと告げる。

 おそらく彼女は、クラピカの性格さえも完全に読んでいたのだろう。そうでなければ、この「時間稼ぎ」は通用しなかった。

 

「ちっ、屁理屈ぬかしやがって。おい、クラピカ。あの死にぞこないに引導を渡して来いよ」

「断る」

 

 舌打ちしてクラピカを促すレオリオに、クラピカは座り込んだまま即答した。

 当然、レオリオはその答えに納得しないがクラピカも自分の答えを譲る気はない。

 

 どうして殴っていないはずなのにマジタニが気絶しているのかは、わからない。

 そのことを疑問に思わない。

 殴っていないにしろ殴ったにしろ、あの蜘蛛を見た瞬間から頭が沸騰して視界が真っ赤に染まり何も考えられなくなって、戦意を失っていた相手に殺意をぶつけて、本気で殺す気だったことに変わりはない。

 

 自分の短慮さの結果であることに変わりはないのだから、クラピカはどうしてマジタニが気絶しているということを疑問に思わないまま、「これ以上敗者に鞭を打つようなマネはごめんだ」と答え、マジタニが自力で目覚めるまで待つと言う。

 

 そんなクラピカの返答に、とことこと近づいてきたキルアがクラピカを見下ろしながら言った。

 

「ねぇ、あんたが嫌なら俺が()ってやるよ。人、殺したことないんでしょ?

 怖いの?」

 

 あまりにケロッと、ついでにごみを捨てて来てやるぐらいの軽さで「殺してやる」と言い放つ子供をクラピカは見上げる。

 歳よりも達観しているようには見えなかった。むしろ、歳よりも幼く見えた。

 彼は自分の言っていることの何がおかしいのか、何が悪いのかを全く分かっていない子供だったことを、当時のクラピカは知らないはずだった。

 

 この当時はまだ、彼がゾルディック家の跡取りと期待されている子供だとは知らなかったから、この言葉があまりにも不気味だった。

 知った後は、敵に回った時のことを考えて警戒していた。

 

 だけど、今は

 あの最終試験で狂おしいほど、痛々しいほど望み願う、あまりにもささやかな願いを口にしていた子供を知る、過去と未来の記憶が入り混じった記憶を持つクラピカは静かに答えた。

 

「軽々しくそんなことは言うな。他者の命を軽く見るということは、自分の命も軽く見るということだ。

 第一、そんなことを頼んだらソラの雷が私に落ちるだろうし、お前も怒られるぞ。そして……とてつもなく彼女を悲しませるが、それでもいいのか?」

「なっ!?」

「よくわかってくれてるようで嬉しいよ」

 

 クラピカの初めの忠告には、「お説教うぜー」とでも言いたげな顔をキルアはしていたが、ソラに関しての忠告には顔を真っ赤にさせる。

 またクラピカの隣のソラも、クラピカの言い分を肯定するのでキルアはしばらく赤い顔で金魚のように口をハクハクと開閉してから、「うっさい! バーカバーカ!!」と言ってる方もバカにしか見えない照れ隠しで意地を張る。

 

 その言動はどう見ても年相応か、歳よりも幼いぐらいのただの子供。

 自分が代わりに殺そうか? と尋ねていた、幼く無垢だからこその不気味さは消えてなくなり、どう見てもどこにでもいる普通の子供にクラピカは少しだけ微笑ましくなって笑うと、それが余計にキルアの癇に障ってさらにキレた。

 

「何笑ってんだ、てめーっ!! つーか、団体行動だっていうのにわがまま言ってんじゃねーよ!!」

「おっ、たまにはいいこと言うじゃねーか! もっと言ったれ! 他人の迷惑を考えろよな!!」

 

 キルアの照れ隠しとマジギレに便乗して、レオリオもクラピカの「トドメを刺さない」という意見を撤回しろと詰め寄るが、それに関してはやはりクラピカは引く気がなく、頑なに「断る」と言い続ける。

 そしてクラピカの強情さに痺れを切らしたレオリオが、しまいには多数決を取ると言い出して、けど試験としての多数決ではなく受験生が勝手にやってるだけなのでモニターはつかず、代わりに挙手で取った。

 

 結果、トドメを刺すという意見はレオリオのみだった。

 

「この裏切り者がーーっ!!」

 

 自分と同じくクラピカにトドメを刺すように言っていたキルアが賛成しなかったことに、レオリオは大人げなく責め立てるが、キルアは拗ねたようにつーんと「だって無意味じゃん。意見変えないって言ってるし」と答える。

 口ではそう言っているが、反対理由の本心は「クラピカに無理強いさせると、ソラがブチキレるから」だろう。

 

 そしてゴンも暴力沙汰を嫌い、特にする側がいやがっているのに無理やりやらせるのは論外なので、相手が負けを認めていたのだから大人しく待とうと穏健な意見を口にする。

 

 レオリオだって頭に血が上りやすくて手が早い人間だが、人を殺したい訳でもないので普段ならその意見に従っていただろうが、ただの偶然なのだが自分の意見が反映されない多数決が続いたせいか地味にストレスが溜まっていたらしく、不満げに舌を打つ。

 

 ここにトンパがいたのなら、間違いなく彼は多数決の罠に嵌っているレオリオを見てほくそ笑んだだろう。

 する必要もないのに多数決を募り、しかも匿名性が失われる挙手を行ってしまえば、抱え込まなくて良かったストレスをさらに抱え込み、疎外感が強まって信頼は傷つき、対立が生まれて集団は決裂する……。

 

 そんな風に考え、崩壊の未来に舌なめずりでもしていただろう。

 

 ソラの意見を聞くまでは。

 

「おい! ソラ!! おめーの頑固すぎるバカ弟に何とか言ってくれ!! こいつぜってーお前のいうことしか聞かねーよ!!」

「いや、そもそも私はクラピカが手を汚してほしくないから止めたんだけど?」

 

 ソラにキレているのか頼み込んでいるのかよくわからないことを言い出したレオリオに、ソラは少し呆れたような顔と口調で言い返す。

 その答えは初めから予想出来ていない方がおかしいのに、頭に血が昇っているレオリオにはそんな想像力も働かなかったらしく、「あーそうかいそうかい! どいつもこいつも人が好いな!!」と今度こそ完全に逆ギレして拗ねだした。

 

 大人げを遥か彼方に投げ捨てているレオリオに、ゴンとキルアはどうしようかと顔を見合わせて、クラピカの方は我関せずに座り込む。

 レオリオの幼い不満の相手をしてやるのは、ある意味では妥当なのか最年長のソラだけだった。

 

「……というかさー、レオリオ。一つ訊いていい?」

「あ? 何だよ?」

 

 部屋の隅にヤンキー座りでブツブツと不満を呟き続けるという陰険なストレス発散をしだしたレオリオに、ソラは立ち上がって近づき問いかける。

 その問いにガラは悪いがちゃんと対応するあたり、やはりこの男の根は善良だ。

 

 だからこそ、ソラは訊いたのだろう。

 後になって気付いてしまえば、きっと彼は余計に自分を責める。だからこそ、早いうちに、傷が浅い内に彼女は指摘する。

 

「レオリオって、ハンターじゃなくて医者になることが本命なんだよね?」

「? あ、あぁ。そうだけど、それが何だっていうんだ?」

 

 ソラの問いにレオリオは先ほどまであった苛立ちによる棘もなくなり、素で不思議そうな顔をしながら答えつつ質問の意図を尋ねる。

 苛立ちや不満が一時的とはいえ完全に吹っ飛ぶほど、彼にとっては意味がわからない問いだったのだが、これはソラが「一つ訊きたい」ことではなく、確認のための問いでしかなかった。

 

 なのでソラはレオリオの問いに答えるために、本当に訊きたかったことを尋ねる。

 

 座り込んで見上げている彼の唇に、ソラの指先が触れる。

 ソラが本当に訊きたかったのは、ソラが指摘したかったレオリオが自分の夢の為に絶対にしてはいけなかったことは、ただ一つ。

 

「君は『殺せ』と強制した口で、患者に『生きろ』と言うの?」

「!」

 

 彼の意見は別に間違ってなどいない。

 相手は100年越えの懲役、死刑とほぼ変わらない刑期の囚人なのだから、囚人の方も自分が殺されるリスクを承知の上で、恩赦の為に試験官になったはずだ。

 そしてまだ60時間ほどの猶予があるとはいえ、制限時間がある試験なのだから早く終わらせる手段があるのに、「したくないから嫌だ」と言うクラピカの意見は確かにわがままだ。それが嫌なら初めからちゃんと負けを宣言させろと言われたら、何の反論も出来ない。

 

 だからソラは賛成する気にはなれなかったが、相手にトドメを刺すという意見そのものを否定や非難する気はなかった。

 レオリオ以外の人間ならば、レオリオの本当に志望している職種が医者でなければ、ソラに思うことなど何もなかった。

 

 彼だけは、言ってはいけなかった。強制させてはいけなかった。

 治療に大金が必要な病気の子供に、「金なんていらねぇ」と言える医者になる為に、それがどれだけ過酷な現実かを知っても諦められなかったのなら、妥協することが出来なかったのなら、これだって妥協してはいけない。

 

 殺したくない、生かしたいと訴える相手に、自分の都合で「殺せ」と強制した口で「生きろ」という言葉を吐き出しても、それは何の説得力も持たない。

 あまりに薄っぺらい、意味などない音の羅列でしかならない。

 

 今日のあの「殺せ」という言葉は、彼が目指す医者への道を阻む大きな罪悪感になりかねない。

 そのことを、ソラは指摘した。

 

 ソラの指摘に目を見開いてレオリオはしばし絶句してから、悔しげに頭をかきむしって唸ってからいきなり立ち上がる。

 そのままソラの問いには答えず、彼女を追い越してツカツカと歩いてゆき、ソラの言葉に同じく唖然としていたクラピカの目の前に立つ。

 

 そしてまた、勢いよく座り込んだかと思ったら頭を床につくほど下げて言った。

 

 

 

「すまん!! 俺が全面的に悪かった!!」

 

 

 

 それこそが、全身全霊の反省と誠意を込めた土下座こそがソラの問いに対する答えだった。

 

 * * *

 

 レオリオに土下座で謝られてクラピカは狼狽える。

 クラピカ自身も自分の言っていることは、自分の愚行に仲間も巻き込んで尻拭いさせていることであるのを自覚しているから、レオリオのトドメを刺せという意見そのものに否定や非難はしていないし、する気も初めからなかった。

 

 むしろこの夢の中ではどうなっているのか不明だが、本来ならソラの代わりにストレスを増幅させる悪意のトラブルメイカーであるトンパがいたからこそ、レオリオのストレスが溜まって暴走していた節が強いので、やはりレオリオを責める気にはなれない。

 

 なので正直言ってレオリオの強制は確かに苛ついていたが、土下座で謝ってほしいとまでは思っていなかったので、ここまでされるとクラピカの方が罪悪感が増して申し訳なくなってくる。

 

「レオリオ! そこまでしなくていい! そもそもは私が短慮だったせいで、今も私のわがままで時間を無駄にしてるのだから、試験としてはお前の意見が正しいのだから気にしなくていい!!」

 

 なので必死になってレオリオに頭を上げるよう、クラピカは説得する。

 キルアはもちろん、ゴンもまだ長い付き合いとは言えなかったのだが、それでもこの光景を「珍しい光景だ」と思いながら眺めていた。

 レオリオも自分でやっておきながら珍しい状況だと思いつつ、あんまり大袈裟に謝り続けると今度はクラピカが気を遣って自分の本意を押し殺して、「責任を取ってトドメを刺す」と言い出しかねなかったので、クラピカの説得に応じて顔を上げる。

 

 これにて亀裂が入りかけた関係は無事に修復され、意見も「マジタニが目覚めるまで待つ」に統一されたと思っていた。

 

「そうだね。試験としては、レオリオの意見が一番正しい」

 

 しかし、何故かその解決の立役者が話を蒸し返す。

 ソラの発言にクラピカの肩が怯えるように一度跳ね上がり、そしてそのまま彼の顔色が一気に悪くなるのを3人は目撃するが、そのことに関しては何の疑問も抱かなかった。

 

 というか、正直言ってクラピカ以外の3人も同じような反応をしてしまった。

 そんな反応をしてしまうくらい、ソラの声音は冷ややかなものだった。

 

 クラピカは知っている。ソラがこんな風に怒っているというより冷ややかに感じる声音を出すときは、マジギレしていることを。

 脳裏に走馬灯のように浮かぶのは、出逢った頃の人間不信真っ只中、ソラ以外の人間全てに敵視してクラピカを気にかけて話しかけてきたり、お菓子や何かを分け与えてくれようとした人の善意を拒絶して、表面上の礼さえも言わずに無視した時のソラの笑顔。

 

 油の切れたからくり人形のような動きで、クラピカは首を動かしてソラの方を見る。

 ソラは、自分の記憶通りに笑っていた。

 花の(かんばせ)という表現以外出来ないほど美しいが、目だけは全く笑っていない、彼女がマジギレした時に浮かべる笑顔でツカツカとまだ座り込んでいる、それでも往生際が悪く壁に背中を張りつけて何とかソラから距離を取ろうとするクラピカの眼の前に立ち、言った。

 

「――クラピカ」

 

 まずはとてつもなく美しい笑顔で、彼の名を呼ぶ。

 そして、振り上げた拳を勢いよくクラピカの頭に叩き落とした。

 

「わがままだって自覚してんなら、せめて下手に出ろーーっっ!!」

 

 マジタニが床を殴り砕いた時と同じ音がする拳骨と同時に、ソラの雷も落ちる。

 クラピカの頭が床と同じく砕けていないか本気で心配になる音だったが、誰も「大丈夫か!?」とは訊けない。

 怒られているのはクラピカだとわかっているのだが、全員がソラの迫力と勢いに幼い頃の母親の説教という、逃げられないし逆らえない恐怖体験を思い出したのか、余計な口を挟む勇気は誰にもなかった。

 

 幸いながらクラピカの頭は砕けてはおらず、悲鳴や泣き声も上げれないほど悶絶しているがとりあえずは無事である。

 頭を両手で押さえて、プルプルと小刻みに震えるしか出来ないほどの一撃だったが、もちろんそれをぶちかました本人はいつもの過保護はどこへやら、クラピカを気遣いはせず彼女は床を叩き割る勢いで足を一度踏み鳴らして、「クラピカ、正座」と命じる。

 

 言われた瞬間、クラピカは頭から手を離して体育座りを正座にして両手は膝の上、顔は俯いているが背筋はぴんと伸ばした。

 出逢った頃のたったの1ヶ月で2.3回ぐらいにしか買ってないはずの、ソラのマジギレ説教時にさせられる正座という体勢は、数年経っても痛みを無視して反射で行えるほどクラピカの体にも精神にも刻み込まれていたようだ。

 

 そしてクラピカが正座した瞬間、もう一度ソラの雷が落ちる。

 

「本当に、何で君はそう自分の非を自覚してるのに不遜なんだ!! あんな態度じゃ誰だって、お前何様!? って思うわ!!

 自分のわがままだってちゃんとわかってるのなら、『すまないが時間をくれ』くらい言え!! 下手に出て頼んでたら、レオリオだって医者志望として最低な強制なんかしないで数時間くらいなら待ってくれただろうし、少なくとも『殺せ』じゃなくて『叩き起せ』って言うぐらい良い奴だってことは私でもわかってるのに、君がわかってない訳ないだろ! 

 

 わかるか!? クラピカ! 君の配慮が全くなかったせいで、レオリオが無駄にストレスを抱え込んで、本来なら口にしなかった最低な言葉を吐いて、その罪悪感を背負わせてしまったんだ!

 言ったのはレオリオ本人なんだからその罪悪感はレオリオが背負うべきものだけど、君が当たり前の気遣いをしていればレオリオは売り言葉に買い言葉であんなこと言わなかったんだ!

 

 君の言ってることはわがままだけど、この試験では都合が悪いだけであって君がしようとしてることは倫理的には一番正しいんだから、そのことに罪悪感は背負わなくていいし、したくないのならしなくていい! むしろしなくていい我慢してやろうとしたら、私がぶん殴って縛り上げて止めるわ!!

 でも! 関係ない人にも迷惑かけてることは事実なんだから、そこは普通に申し訳なく思って、下手に出て頼めーーっっ!!」

 

 怒涛の勢いにしても内容の正しさにしても、口の挟みようのないお説教が開始され、クラピカは身を小さくしながらそれを聞き続けた。

 時々、チラリとやや遠巻きに眺める3人に「助けてくれ」と言う視線を送ってみたが、3人は同じく視線で「無理」としか答えなかった。

 

 

 

「……なぁ、あいつもしかして死んでるんじゃねーの?」

 

 2時間ほど経ってもマジタニが目覚めないことに気付いたキルアがそう言うまで、ソラのお説教は続いたという。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「……クラピカ、3次試験でそんなことしてたんだ」

 

 レオリオから聞いた自分が不在だった3次試験の一幕を知って、ソラは頭痛に堪えるように自分の眉間に指を当てて呟き、センリツは苦笑していた。

 

 現在、廃ビルの一室でクラピカの容体を見ているのはこの3人だけ。

 ゴンとキルア、そしてゼパイルはそろそろオークションに参加する準備をするために出かけてしまった。

 開始時刻はまだまだなのだが、ドレスコードがあるので礼服をレンタルしに行ったらしい。ゼパイルはともかく、ゴンとキルアのサイズの礼服はすぐには手に入らない可能性もあるので、行動に移すのは遅かったくらいだ。

 

 そうやって残された3人は、クラピカは相変わらず起きないが熱はわずかだが徐々に下がって行き、容体も快方に向かっているので特に気張らず、熱さましのタオルを交換したり汗を拭いたり水を飲ませたりしながら、雑談を続けていた。

 

 そしてその雑談は、クラピカの話ばかりになる。当然と言えば当然だろう。この3人を繋ぐのはクラピカであり、センリツはもちろん、ソラとレオリオだってさほど長くて深い付き合いではないので共通の話題というものはあまりない。

 なので、ゴン達がいた時はたまたまだが4年前のクラピカの話ばかりになっていたので、ソラが「自分の知らないクラピカの話を知りたい」と言い出し、その要望を受けてレオリオが3次試験の話をしていた。

 

 3次試験に関しては、ゼビル島までの船の上でゴンとキルアから多少は話を聞いていたが、ゴン達が気遣ったのか偽旅団のマジタニとの話とその後のレオリオとのやり取りはあまり詳しく聞いていなかったので、マジタニに関しての話でソラは「何で自分がそこにいないのだろう?」と言いたげな顔で聞いていた。

 

 その顔があまりに悲痛そうだったので、レオリオはその悲痛さを取っ払うために自分の恥をさらして正直に、トドメを刺すか刺さないかと言うくだりも話したのだが、レオリオの希望通りソラから悲痛さは消えたが代わりに冷ややかな目になって寝ているクラピカを見下ろした。

 

「ソラ。言っとくけど起きて早々に説教開始すんなよ」

 

 クラピカだけとは限らず、彼女は溺愛しているからこそ礼儀に厳しいというか、自分の大切な人の本心や本質が周りに悪く取られてしまうような言動を取ることを非常に嫌うので、クラピカは起きて早々に8カ月も前の出来事に関しての説教という、反省したくても訳がわからない状況に陥るのはさすがにかわいそうだと思って、レオリオは忠告しておく。

 

「さすがにしないわ。あとで絶対にするけど」

 

 レオリオが忠告するまでもなく、ソラも起きてすぐにお説教や拳骨をする気はサラサラなかったが、しないという選択肢も初めからなかったので、レオリオは寝ているクラピカに「すまん」と内心で謝っておいた。

 

「まぁ、なんだかんだでクラピカもまだ17歳……その試験のときは16歳だったのだから、少し大目に見てあげたら?

 あたしとしてはその話を聞いて、ほっとしたくらいよ。彼も色々とうかつで未熟な所がある、まだ子供だってことに何だか安心したわ」

 

 ソラとレオリオのやり取りに、センリツは苦笑をちょっとおかしげな笑みに変えて少しクラピカをフォローする。

 たぶんクラピカとしてはあまりされたくない方向でのフォローなのだが、彼の自分を押し殺して大人になろうとしている痛々しさと比べたら、子供らしいうかつさの方がよっぽど見ていて気が楽なのは事実なのだから仕方がない。

 

 そしてそれはソラも同意らしく、唇を尖らせつつも「そうだけど……」と同意する。

 同意してから、深い溜息をついてソラは仕方なさそうな眼でクラピカを眺めて言った。

 

「本当に、仕方のない甘え下手な子だ。そんなんじゃ、レオリオに愛想尽かされちゃうぞ」

「おい、何でそこで俺が出てくる。気色悪いわ」

 

 ソラの発言は何かの冗談かと思って、レオリオはややげんなりした様子で突っ込みを入れたら、ソラだけではなくセンリツも「何言ってんだ、こいつ?」とでも言いたげな目でレオリオを見返してきた。

 女二人の視線に戸惑いつつ、とりあえず冗談でなかったことは察したレオリオが「え? マジで何で俺?」ともう一度尋ねるたら、今度は微笑ましそうでおかしそうに二人は笑う。

 

 その反応がさらにレオリオからしたら謎なのだが、ソラたちからしたら謎など何もない、わかりきったことだった。だから、一通り笑ってから教えてやる。

 

「レオリオ。初めはともかく、その頃のクラピカは君のことを嫌ってなんかいない。むしろ結構好きだよ。それはトドメを刺すことを強制されて、それを拒否してもレオリオの意見そのものを否定や非難しなかったことで明らかだ。

 知ってるだろうけどクラピカの沸点は低いから、ただでさえ偽旅団で気が立ってる時に嫌いな相手にそんな強制されたら、絶対に言い返して最低でも口げんかが勃発してたよ」

 

 ソラの言葉で、「それもそうだ」とレオリオは納得する。

 実際、初対面で今思えば大人げがどちらもなさすぎる理由でそれぞれブチキレて、口げんかどころか決闘までやらかしていたのだから、3次試験でのクラピカは相当に穏便な方であった。

 しかし、「クラピカが自分のことを結構好き」はもちろん変な意味でないとはわかっていても、何かと突っかかってくる相手なので気色悪いという感想は照れ隠しだが、その点において納得いかないのは事実。

 

「別にそこは、俺のことが好きか嫌いかなんて関係ねーだろ。ただ単に、俺の言ってることは医者としても人としても最低だけど、あの試験ではそれが一番合理的で、自分の要望はわがままだってことくらいは自覚してたから文句がつけられなかっただけだろ」

 

 なのでレオリオはクラピカに好かれているという部分を否定してみたが、それでも女二人の笑みは揺るがない。

 

「それも確かにあるかもね。でも、彼はいつだって誰に対しても下手に出ない不遜で無礼な人間じゃないわ」

 

 今度はセンリツが答えた。

 クラピカは確かに、いきなりダルツォルネに対して喧嘩を売るような発言をしていたし、敬語もほとんど使っていなかった。

 とりあえず社交辞令で下手に出るということをしないのは確かだが、旅団の11番を倒して負傷したソラを連れてきた時は、ソラを抱えてなければ土下座をしていたであろうぐらいに下手に出て頼みこんでいた。

 

 あの時はなりふりに構えないくらい余裕がなかったのが第一だろうが、同じように自分のわがままだと自覚していながら、無神経なくらいレオリオに対して下手に出なかった理由はきっとそれだけではない。

 

「甘え下手なんだよ、クラピカは。元々の性格なのか、人間不信の後遺症なのかはよくわかんないけど。

 甘えたい相手に素直に甘やかしてほしいなんて言えない。でも、自分が相手に大切にされている証が欲しいっていう子供なんだよ。絶対に認めないけどね」

 

 センリツの言葉に続けてソラがさらに語れば、ようやくレオリオは彼女たちが何を言いたいか、何に対して微笑ましく思っていたのかを理解する。

 理解して、呆れたようにクラピカを見ろして彼は言った。

 

「あれで甘えてたのかよ、こいつ!?」

 

 それは下に兄弟が出来た上の子が親に、または親の再婚や養子などで血の繋がらない義父母に対して子供がやる悪戯や反抗と同じようなもの。

 クラピカの下手に出ない、何かとレオリオに対して不遜だったり突っかかるのは、「自分がどれだけ無礼なことをしても許してくれる」という期待と甘えだと、彼女たちは言っているのだ。

 

 たしかにソラの方が全てにおいて斜め上に何枚も上手な為、クラピカがソラに振り回されている印象が強くてわかりにくいが、割とソラに対してもクラピカは似たようなことをやっているので、改めて思い返すと色々すんなり納得してしまった。

 ソラ以上にレオリオに対してその甘え方が特に顕著なのは、ソラと違ってレオリオに対して好意や友情はあっても、恩義と言えるものはないからこその遠慮のなさだろう。

 

「……マジでガキだな、こいつ」

 

 納得したが、正直言って迷惑でしかない信頼と期待、そして甘え方をされていたと知ったレオリオはしみじみと、心の底からの感想をまだ眠り続けるクラピカに対して言い放つ。

 そのうんざりした感想の中に、安堵が密かに雑じっていることをソラとセンリツは気付いてまた笑う。

 

 きっと彼は、ずっと罪悪感を抱えていた。

 初対面で歳は2歳ほどしか違わないのに、敬称を付けなかったことに対して大人げなくキレて、彼の大切な同胞を「薄汚い」と言ったこと。

 その発言の所為でいつまでたってもクラピカから信用を得られない、だから彼は自分に対して何かと無礼で突っかかってくると思っていたのだろう。

 

 ……そうではなく、とっくの昔に彼はレオリオからしたら迷惑なくらいに信頼して甘えていたからこそあの態度だと知って、レオリオは仕方なさそうな顔に少しだけ隠しきれない安堵を浮かべていた。

 

「そうそう。だから、レオリオも気を遣わないで迷惑なら迷惑だって叱っていいよ。っていうか、叱らないといつまでたっても傍迷惑な甘え下手だから叱ってやって」

 

 レオリオの言葉に同意しながら、ソラはクラピカを甘やかしたいからこそ厳しくレオリオに対して「遠慮はいらない」という許可を出した。

 その許可に、レオリオは笑って「言われなくてもそうするっつーの」と答える。

 

「迷惑だから付き合わない」という選択肢が一切ない、そんなことは考えついてもいないレオリオの、こちらも素直ではないがあまりに穏やかで優しい心音にセンリツは自分のことのように嬉しそうに微笑んだ。

 そしてそれは、心音など聞こえていないソラも同じだった。

 

 

 

「……そういや話が変わるというか戻るんだけど、3次試験は結局その後どうなったの? 偽旅団(クモ)は起きて素直に負けを認めたの?」

 

 色々とクラピカにとって都合の悪い話がようやく終わったタイミングで、ソラは自分で言っているように話を戻した。

 そしてその戻された話に、レオリオは「うっ……」と非常に気まずげな声と顔で唸ってそのままソラから眼を逸らす。

 

 3次試験のマジタニとの戦いに関してがクラピカにとって最大限に都合の悪い話なら、その後の話はレオリオにとって人生最大級の黒歴史かもしれないレベルで都合が悪い話だった。

 なので何とか話を誤魔化そうと思ったのだが、肝心なところは特に鈍感だが基本は敏いソラだけでも誤魔化すには無理があるというのに、人間嘘発見器なセンリツはソラが話題にあげた時点でレオリオが何かやらかしたことに気付いていた。

 

 それが「恥ずかしい」程度の心理を奏でる心音なら、センリツは気を遣って話をまた変えていたろうが、彼女の優秀すぎる耳が「軽蔑されることに対する不安」までも聞き取ってしまい、レオリオには申し訳ないがセンリツの好奇心が「訊かないであげよう」という気持ちを上回って「あなたは一体、何したの?」と逃げ道を塞いで問いかけた。

 センリツはまだたったの一日の付き合いだが、レオリオのことを信頼していたから、本気で自分たちが彼を軽蔑するようなことはしていないだろうと思っていたからこそ、その不安を誤解だと思い訊いたのだが……

 

 結果、せめてもの誠意で正直に話したレオリオはその誠意が認められたのか何も言われなかったが、女二人の視線は絶対零度にまで冷え込んでしまった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 キルアの言葉で全員がマジタニの様子を確認しようとしたが、クラピカはこんな時以外にする機会はない正座を2時間続けていた所為で、足がしびれて立ち上がれずにいた。

 そのことに気付いた、正座させていた本人は笑いながらクラピカに手を差し伸べる。

 

「あはっ、ごめんごめん。ちょっとヒートアップしすぎて、長すぎたよね。大丈夫?」

「……悪いと思っているのなら、出来れば見なかったことにして放っておいてくれ」

 

 立ち上がろうとした瞬間、足のしびれでそのまま床に膝をついてOTLのポーズのまま立ち上がれないでいるところを目撃されたクラピカは、羞恥で赤くした顔を俯いて隠して訴えるが、こういう要望はいつだってソラは聞いてはくれない。

 いつも通りサラッとクラピカの要望を聞かなかったことにして、ソラは勝手にクラピカの手を取って立ち上がるのを手伝う。手伝いながら、しれっと言った。

 

「けどさ、クラピカ。君は本当に反省しなさい。そんなんだとレオリオに愛想尽かされちゃうよ」

「気色の悪いことを言うな!!」

 

 本心からの言葉を叫ぶと、気色悪いと断言された本人はソラの発言が聞こえてなかったのか、「何言ってんだよお前ら?」と呆れた顔でこちらを見ていた。

 そしてゴンやキルアも振り返って、未だに一歩も先に進んでいない二人を呼びかける。

 

「二人とも、何してんのー?」

「置いてくぞー」

 

 暗い道の先は、そこが見えない吹き抜けでも試合用のリングでもなく、目が眩みそうなほど晴れ晴れしい青空と深く鮮やかな海が広がっていた。

 試合は、3次試験はどうなったのかという疑問は浮かばない。

 

 夢がまた移り変わって行くという自覚もなく、ただ自然にクラピカは受け入れる。

 

 有り得ない時間、有り得ない可能性、有り得ない世界を本物だと信じて夢を見る。

 

「クラピカ。私は色々怒ったけど、でも実は結構嬉しいんだよ」

 

 手を繋いで歩くこのソラだって、本物じゃない。ソラにこんなこと言われたことなどない。ソラからのマジギレのお説教は幸運なことに再会してから一度もされていないのだから、これはクラピカが作り上げた幻。

 ただの、クラピカにとって一番都合のいい夢。

 

「傍迷惑だけど、でも誰も信じられなくなってた君が、君のトラウマと言っていい見た目ガラの悪いチンピラなレオリオにあんなに甘えられるくらい、……裏切られるのが怖いから先に拒絶するんじゃなくて『嫌われない』と思えるほどに、君は人のことを信じられるようになったんだね」

 

 でもこの笑顔は、クラピカが人間不信ではなくなっていること、不器用極まりなくてレオリオに対して本当に迷惑な甘え方だが、確かに信用して期待して甘えることが出来るようになったクラピカに、心の底から嬉しそうに微笑む笑顔は「有り得ない」と思いたくなかった。

 

「……君は、もう私だけのクラピカじゃないんだね」

 

 惜しむようにほんの少しだけ寂しそうなその横顔は、有り得ないでいてほしいのか有り得て欲しいのか。

 それはまだ、わからない。

 まだ、答えは出せない。

 

 自分の見たい夢、見ていたい夢、守りたい夢は何なのか、クラピカにはまだわからない。

 

 

 

 

 

 わからないまま、歩いてゆく。

 手離せない体温と一緒に。

 

 有り得ない世界でも、君と一緒に。

 


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