死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜
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97:Ifは弔われた

 原形をとどめるもの、残骸としかいえないもの、まだ新しいもの、酷く古いもの。

 海流の関係かもはや座礁しているいくつもの船も島の一部に見えるそこは、まさに船の墓場。

 そしてその墓標であり死体そのものの船の中で、異彩を放っていたのが重厚な軍艦だった。

 

 軍艦としては小さい方なのだろうが、それでも他の船とは比べ物にならぬ大きさ。

 艦首部分は島の岸壁にめり込んでほぼ島の一部になっていたり、軍艦の外壁のいたるところにフジツボが張り付いてるので、ずいぶんと昔に難破したものなのだろうが、朽ち果てているという印象はない。

 案外、この軍艦はまだ死んでおらず、船として使えるのかもしれない。

 

「皆さん、ようこそいらっしゃいました」

 

 そんな軍艦の前で、柔和な笑顔を浮かべる老夫婦らしい男女にまずそう言われて、周囲の受験生たちを戸惑わせた。

 その戸惑いを、老夫婦は笑顔でほぐしてゆく。

 

 自分たちは軍艦を改装したホテルの支配人であり、四次試験は三日後でそれまではこのホテルで休憩をとるようにと、老夫婦は受験生たちに告げた。

 その説明で戸惑いと今までの試験による緊張や警戒が一気に解けて、受験生たちはそれぞれ歓声を上げる。

 ソラも「やったー! お風呂に入れる!!」と喜び勇んで走って客室らしき軍艦に入ろうとするが、クラピカが「気持ちはわかるがはしゃぐな!」と叱るよりも先に老夫婦に止められた。

 

「お待ちください」

「あ、部屋の鍵とかまだもらってなかった。ごめんなさい」

「いえ、その前に宿泊料前金で一千万ジェニーいただきます」

『…………え?』

 

 数秒、間を置いてソラだけではなく受験生ほぼ全員が声を上げる。

 しばしそのまま待っても受験生たちの戸惑いと疑問を老夫婦は「冗談です」という形では解消してくれず、彼らはただ初めと変わらない笑顔を浮かべ続けた。

 

 * * *

 

「これも試験なのかねー。まぁ、ある意味では一番ハンター試験らしくていいや。楽しいし」

 

 そう言いながら、ソラはぴょんぴょんと難破した船を飛び移ってゆく。

 

 ヨークシンの超高級ホテルでも半年は過ごせる宿泊費を請求した老夫婦は、「そんな法外過ぎる料金、払えるか!!」という受験生のブーイングを受けても笑顔を崩さず、現金がなければ現物でも構わない、そこらの難破船にはお宝が眠っているのでそれらと交換で部屋の鍵を渡すと言い出したので、どう考えてもこれはトレジャーハントの実技試験だ。

 

「宝があるかもしれないではなく、あると断言しているということはそうだろうな」

「……にしても、せっかく見つけてもそれ全部あのじーさんばーさんに渡さなきゃなんねーんだろ? そう考えるとやる気が起きねーな」

 

 同じように船から船へと飛び移って、まだ荒らされていない、財宝がありそうな船を探していたクラピカがソラの言葉に同意し、二人から少し遅れてやって来るレオリオはブチブチを不満を口にする。

 尊い目的があるとはいえ守銭奴なレオリオは、せっかく見つけた金目の物が自分の物にならないことでやる気スイッチはオフのままだが、彼は守銭奴以前に単純だった。

 

「おっしゃー! とったどー!!」

「うわっ!? 何!? 海坊主!?」

「誰が海坊主だ!!」

 

 素潜りで海底の財宝を探していたハンゾーが金色に輝く王冠を見つけて、海面から勢いよく顔を出してきたことに驚いたソラが素で声を上げたら怒られた。

 怒る気持ちもわかるが、ソラが素で言った気持ちもわかると思いながらレオリオは二人のやり取りを見ていたが、クラピカはハンゾーが見つけた王冠を見て、驚愕の声を上げる。

 

「! あれは、ジュラ3世の王冠!!」

「何っ!?」

 

 正直言ってレオリオにはそのジュラ3世がどこの国の王様なのかすらわかってないが、金目の物であることだけはわかった。

 ハンター試験の一環だということは、ここにあるお宝もあらかじめ用意されたもので大したことがないと思っていたのかもしれないが、下手したら宿泊料の1千万以上の価値ある本物のお宝がゴロゴロ転がっているかもしれないという可能性の現物を目にした瞬間、彼はそれらを見つけても自分のものにはならないという前提をすっかり忘れて一気にやる気がMaxになった。

 

「ぷはっ! ねー見て見て! こんなのがあったよ!!」

 

 そして今度はゴンが海面から出てきて、いくつも煌びやかな石が埋め込まれた杖らしきものを掲げて、傍にいたソラ達に見せた。

 それもクラピカはハンゾーの王冠と同じように、「イング女王に献上予定だった太陽の錫状!」とご丁寧に解説をしたので、レオリオの期待値は爆上がりして「こうしちゃおられねぇ!!」と言いながらシャツを脱いで、自分もより価値のある宝がありそうな海底目指して海に飛び込む直前、ソラがしれっと言った。

 

「クラピカ。あれ、宝石じゃなくて硝子だよ」

「そうか。じゃあ、きっとベッドの足だな」

「ぼはっ!」

 

 宝石魔術師なだけあって宝石には目が利くソラが、遠目からでもゴンの持っているものに埋め込まれた石が宝石でないことに気付いて指摘すると、別にクラピカの方も本当に国宝級のお宝だとは思っていなかったのかあっさり納得して訂正し、そのやり取りに脱力したレオリオは踏み堪えることも出来ず、頭から海に落ちた。

 

「何をしてるんだ?」

「……誰の所為だと思ってんだ、てめぇ」

 

 本気でレオリオの奇行が理解できずきょとんとした顔で尋ねるクラピカに、レオリオは海から這い上がりながらちょっとキレた。

 それをソラは腹を抱えて笑っていたら、今度はゴンと同じように海に潜っていたキルアが顔を出し、「俺もはっけーん!!」と彼にしては珍しく年相応の無邪気さを見せて、高々と戦利品らしき豪奢なネックレスを掲げる。

 

「…………キルア。ちょっとおいで」

 

 キルアの声で微笑ましそうに笑いながらそちらを向いたソラが、しばし間を置いてからキルアを手招きする。

 何故か微笑ましそうだった笑みがやや引き攣った笑みになっていることにキルアは戸惑いつつも、バシャバシャ泳いで素直にソラの元までやって来る。

 そして「ちょっとそれ貸して」と言われても、やはりキルアは首を傾げつつ素直に渡す。自分が見つけたものを奪うような相手ではないことはよく知っているので、その行動に何の不安もない。

 

 確かにソラは、自分の利の為に他人の成果を奪う人間じゃない。

 が、キルアが「一体何なんだよ?」と尋ねる前にソラは、キルアから受け取ったネックレスを勢いよく水平線の彼方にブン投げた。

 

「悪霊退散!!」

『えっ!? って、悪霊!?』

 

 まずはソラの唐突すぎる剛速球に驚愕してから、その掛け声にネックレスを渡したキルアだけではなく、見ていたゴンやクラピカやレオリオ、そしてたまたま傍にいた他の受験生たちも同じ声を上げた。

 そして無関係な者達も一通り驚かせた張本人は、「え。うん。憑いてた」と真顔で答えた。

 

「何か今までの犠牲者の数だけ呪いが上乗せってタイプっぽかったな。中心の宝石の中にフジツボみたいにびっちりいたわ。

 殺したら宝石も粉々になってホテル代にもならないし、新しい犠牲者を心待ちしてる奴等を殺して楽にするのも癪だから、もう誰にも見つけられない海底に沈めておいた方がいいかなーって思ったんだけど、ダメだった?」

 

 ソラの返答に唖然としている周りに、やはりソラはごく当たり前のように説明をしてから小首を傾げる。

 この女にとって、幽霊退治なんて害虫退治とさほど違わないのかもしれない。

 

「……イエ、助カリマシタ」

 

 自分がお宝だと思って持ってきたものは、とんでもなくキモくて危ないものだったことを知らされたキルアは、もはや突っ込む気力もないらしく棒読みで話を終わらせる。

 そしてゴン達はひっそりと、「お宝を見つけたらまずはソラに見せよう」と話し合って決めた。というか、先ほどのやり取りを見ていた者は、ソラと初対面でもわざわざ見せに来た。

 

「大丈夫だよ。あんな性質悪いのはめったにいないから。ほとんどがただそこにいるだけだよ」

「……ソラ。それはフォローになっていない」

 

 ソラの豪快過ぎる悪霊退治(?)から気を取り直して難破船の探索を再開するが、ソラからしたら本心からのフォローが色んな意味でやる気を削ぎにかかった。

 フォローするのなら、嘘でもいないと言え。害はないとわかっていても、いるだけで嫌なんだと言ってやりたいが、彼女からしたらその辺にいるのは当たり前という世界で生まれ育っているのだから、たぶん自分の要望は何も通じないとクラピカは諦めて、なんとなく目についた船の中に入ってみる。

 

 比較的その船は新しい方だと思ったが、機械類が何も搭載されていない古い作りの帆船だった。

 損傷はひどいが船員らしき死体はない。というか、何もなさ過ぎる。

 もう既に他の受験生にめぼしいものは持って行かれたと思い、クラピカはその船から出ようとした時、何かを踏んだ。

 

「!?」

 

 その踏んだものを何気なく拾い上げて、思わずかすれた声で呟く。

 

「……なん……で……()()が……こんな……ところに……」

「? クラピカー、どうしたのー? 何か見つけた?」

 

 有り得ないものを、ある訳がないものを見つけてクラピカが茫然としていたら、ソラが船の入り口から呼びかけた。

 その声で我に返ったクラピカが、とっさに拾い上げたペンダントをズボンのポケットにねじ込んで、「いや、なんでもない!」と言って誤魔化した。

 暗い船内で、自分の明らかに悪いであろう顔色に気付かれないことを祈って。

 

 それぐらい、信じられないものだった。有り得ないものだった。

 これがここにあるということは、クラピカにとって何よりも喜ばしい可能性が生まれるはずなのに、戸惑いしか抱けない。

 

 それは、本当はわかっているから。

 クラピカが思っている通り、それは有り得ないもの。

 

 森の奥の集落で隠れ住んでいたクルタ族には、有り得ない可能性。

 今ここにこんなものがあるのは、クラピカにとって都合のいい夢だから。

 

 クルタ族の文様が刻まれたペンダントがここにあるのは、希望ではなくこれが泡沫の夢である証明に過ぎないことを本当はわかっていたから、クラピカは喜ぶことなど出来なかった。

 

 * * *

 

 客室のベッドに腰かけ、クラピカは難破船で拾ったクルタ族のペンダントをだた見つめ続けた。

 

 他の財宝を探す気にはなれず、ソラに適当なことを言って誤魔化して離れて支配人の老人にこのペンダントを見せ、これがあった船はいつからこの島にあるのかを尋ねたが、クラピカが期待した答えは返ってこなかった。

 

 いや、そもそも自分はどんな答えを期待していたのか。それさえもクラピカにはわからない。

 整合性の取れない矛盾なんて、このペンダント以外見つけられなかったのに部屋を確保していることと同じように、疑問に思わず「そういうものだ」と納得してしまえばいい。

 夢なんてそんなものだ。そう、無意識が言い聞かせようとしているのに、どうしても受け入れられない。

 

 クルタ族があの船で旅団から逃れて生き延びた者がいるかもしれないという可能性がきっと、この世界(ゆめ)では真実なのに、クラピカには受け入れられなかった。

 

 本当は何もかもわかっているから。

 クルタ族の集落は森の奥だ。川はあるが海は遥か彼方で、船などクラピカのように「外」に憧れを持って調べてない限り、存在を知らなくても何ら不思議ではないくらい、自分たちにとって必要などないものだった。

 船を使って旅団から逃れることなど、有り得ない。

 

 同じ「有り得ない」ことでも、ここにパイロがいて一緒にハンター試験を受けていたり、クルタ族虐殺が初めからなかったことになっているのなら、きっとクラピカは何の疑問も抱かずに、泡沫の夢を受け入れていた。

 有り得ないからこそ、夢だからこそ存在する世界で一時の再会を噛みしめることが出来たが、ここにあるのはあくまで「クルタ族の生き残りがいるかもしれないという可能性」でしかない。

 

 夢の中でさえも、それは現実ではなく可能性に過ぎない。

 現実には持ち帰れない、あまりに虚しい偽りの希望。

 だからこそ、クラピカは受け入れられない。受け入れてしまえば、ここでその希望に喜びを見出してしまえば、現実に戻った時にそれは掌から零れ落ちて何も残っていないことを思い知り、絶望することをわかっているからこそ、クラピカはこの現実(ゆめ)を受け入れられない。

 

 夢を現実だと思い込んでいたいからこそ、この目の前の現実を夢だからこその有り得ないものだと認識しなければいけない矛盾に、クラピカの頭の中はグチャグチャに掻き乱されて、ただ彼は手の内のペンダントを眺めて「有り得ない」と思い続けるしか、そう言い聞かせることしか出来ずにいた。

 

「クラピカ。どうしたの?」

「!」

 

 有り得ないと言い聞かせながらも、なぜ有り得ないのかという具体的な理由を考えてしまえば、この世界が夢だと自覚してしまうから、何とかこの夢を否定しないまま有り得ない理由を考え続けていた所為で、クラピカは気付いていなかった。

 自分に用意された部屋は三つのベッドがある部屋、支配人からも「同室者が出るかもしれない」と言われていた部屋であることを忘れていたし、その同室者が一体いつやって来たことにも気付いていなかった。

 

 同室者が、ソラであることすら気づいていなかった。

 

「……ソラ…………」

 

 すぐ傍にやってきて自分を見下ろして話しかけられるまで、全く何も気づいていなかったクラピカは慌てて掌を握りしめペンダントを隠す。

 今更隠してもソラにはとっくに見られていただろうし、そんなことした方が怪しいというのに、ソラはクラピカが隠したペンダントに「何それ?」や「何で隠すの?」とは言わず、ただいつものように晴れやかな笑顔を浮かべて言った。

 

「ルームメイトがいるって言われた時は、知らない奴だったら嫌だなー、それ以上にヒソカだったらどうしようとか思ってたけど、クラピカで本当に良かった!

 あと一人くらい同室になるかもしれないけど、君がいるのならヒソカ以外なら誰だっていいや。ヒソカなら、君を連れて野宿するけど」

「……あぁ。確かにヒソカと同室になるくらいなら野宿の方が億倍マシだな」

 

 明らかにクラピカは不審なことしかしていないのに、ソラはそのことには触れず、ただクラピカと同室であることを喜んだ。

 これもクラピカ自身の願望による、都合のいいただの「夢」なのか。

 それとも、現実のソラも同じことをしてくれるのか。

 

 そのことを考えてしまえば、この夢は夢であることを自覚した明晰夢になってしまうから、ペンダントと同じように消化不良の疑問を抱えながらもクラピカはねじ伏せて、彼女の話に応える。

 応えつつも、やはり頭の中は矛盾に気付きながら気付かぬふりをしつつ、けれどこの夢を現実だと信じていたいからこそ矛盾を受け入れられないという二律背反の袋小路に陥り、クラピカの思考はまた出口のない迷宮に沈んでいって、ソラからの言葉をつい生返事で返してしまう。

 

「あーもう! 潮風は気持ち良かったけど、髪がベタベタで気持ち悪い!」

「……そうだな」

「クラピカはもうお風呂に入った?」

「……いや」

「私が先に入っていい?」

「……あぁ」

「私、1時間ぐらい出てこないかもしれないけどいいの?」

「……あぁ」

「…………一緒に入る?」

「……あぁ。………………!?」

 

 初めの方はまだちゃんと話を聞いていたが、次第に「あぁ」という定型しか返さなくなっていたクラピカがしばし間を置いて、何を言われて自分は何と返したかに気付き、頭の中をグルグルと掻き回していたものが全部吹っ飛んで、耳まで真っ赤になって今更「お前は何を言っている!?」と怒った。

 

「君が人の話を聞いてないから悪いんだろうが。でも良かったよ、条件反射の生返事で。本気だったらさすがに困った」

 

 しかしクラピカの怒りは、やや呆れたような顔をしているソラに正論で返されて封じられる。

 ソラの言う通り話をろくに聞かず生返事だった自分が全面的に悪いし、ソラの方もどこまで話を聞いていないかを確認するための発言であって本気でなかったのなら、クラピカに「自分と相手の性別を自覚しろ! 恥を知れ!!」と彼女を叱る権利も資格もない。

 なのでクラピカは赤い顔のまま、「……すまない」と素直に謝った。

 

「まぁ、別にいいんだけど」

 

 ソラもあっさりとクラピカを許すが、彼女はそのままシャワールームには向かわず、クラピカの隣に腰掛けてそのまま話を続ける。

 

「クラピカ。私はさ、君の幸福をいつだって願っているよ」

 

 唐突かつ重いぐらいの願いを、あっけらかんと中身のない雑談のようにソラは言い切る。

 

「だから、君が話したくないのなら何も話さなくていい。隠したいのなら、それを暴く気なんかないよ。……でも、君が『話したら、相談したら迷惑を掛ける』とか、隠し事に罪悪感を覚えて辛い思いなんかしてほしくない。

 クラピカ。私が一番君にしてほしくないことは、君が自分から幸福になる術を捨てることだ。だから……、それだけは忘れないで」

 

 クラピカの明らかな隠し事であるペンダントについて何も訊かなかった理由、そして自分の話を聞かなかった生返事は許さなかった理由を語り、クラピカに念押しする。

 忘れてはいけない、間違えてはいけないことだけを、ソラはクラピカに伝える。

 

 その言葉には、その願いには、何の迷いも疑問も矛盾もなく、クラピカは受け入れて返答することが出来た。

 

「…………そうだな」

 

 彼女が自分の幸福を誰よりも何よりも願っていてくれていること。

 それは、自分が作り上げた都合のいい夢ではない。起きたらなかったことになる、泡沫に消える夢ではない。

 その証拠の……3次試験が終わった後ならもうなかった、もうソラに返したはずなのにあまりに自然に耳にぶら下がるイヤリング……彼女から借りた彼女の姉の形見ではなく、間違いなく自分のものである空青色の宝石が飾られたイヤリングに触れながら、クラピカは笑って返答する。

 

「心配をかけてすまない。……話したくないというより、何をどう話せばいいのか自分でも混乱している所なんだ。

 だから心配はしなくていい。少し考えに煮詰まっていたようだから、私もしばらくそのことは忘れることにしよう」

 

 クラピカの言葉と笑顔で、彼の気分が晴れたことをソラは察したのか、彼女はまたしてもその名にふさわしい晴れやかな笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「そっか。なら良かった。じゃあ、私は先にお湯をいただくよ。

 ……で? 結局どうする? 一緒に入る?」

「入るか!!」

 

 ソラの今度はわかってからかっている言葉に、クラピカは赤い顔で枕を思いっきり投げつけた。

 

 * * *

 

 ソラに言った通り、これが夢であるということに自覚したくないからこそ、夢だと自覚しないと受け入れられない理由がないという思考の迷路から一端抜け出して、そもそもここにクルタの紋章が入ったペンダントがあることも忘れて考えないようにする。

 

 が、その思考を放棄してしまうとクラピカにはやることがない。

 やることがなくなってしまえば、嫌になるほどクラピカの耳に入るのはシャワーやバスタブに湯を溜める水音と、ソラの気持ちよさそうな鼻歌。

 

「……考えるな。無心になれ」

 

 ベッドの上に寝転がりながら耳を塞いで、クラピカは自分に言い聞かせた。が、そんなことで簡単に無心になれるのならば、そもそもこんな心労を味わっていない。

 

「……あの、馬鹿者が。お前があんなからかいをしてなければ、私も意識なんかせずにすんだのに。そもそも、絶対にお前も本心では言ってて恥ずかしかったくせに何故言った? 私が冗談でも、『入る』と言っていたらどうする気だったんだ?」

 

 なのでブツブツと、全く無心になれない代わりに胸の内から湧き上がる愚痴を理不尽なものも含めてクラピカは吐き出し続ける。

 愚痴を吐き出して、ソラが全部悪いということにして、自分の頭の中に余計なものが何も浮かばないようにし続けた。

 

 2次試験後の飛行船内で、そして最終試験でのヒソカ戦の後で見た、体のラインを隠すツナギの下にあったソラの均等が取れた体のことも、ヒソカのセクハラから助け出そうとして抱き寄せた時の、華奢であまりに自分と違う何もかもが柔らかい感触も、頭の中から追い払う。

 

 ソラが露出するたびに、ドキッとして冷静になれなかったこと。けれど、他の女性ならあの程度の露出は「寒そうだな」ぐらいにしか思わないこと。

 彼女を抱きしめた時、より強く抱きしめたのはヒソカに警戒していたのと同じくらい、ただ単に抱きしめたかったから抱きしめていたことを、クラピカは思い出さないように、考えないようにし続ける。

 

 考えてしまえば、自己嫌悪で死にたくなるから。

 ソラの本質とそう変わらないレベルで潔癖かつ初心なクラピカにとって、「シャワーを浴びる異性」を意識するだけで罪悪感と自己嫌悪が重くのしかかってくるものだった。

 

 ……そもそも、ソラを「異性」として意識してしまっているのが、クラピカにとって致命傷。

 

 そんな風に、意識などしたくなかった。

 2次試験後の飛行船でレオリオに問われた「姉として好きなのか、異性として好きなのか」という問いに、あの時は「わからない。けど、彼女と一緒にいられるのなら何でもいい」が間違いなく本心であったが、今は違う。

 

 けれど、何が違うかは考えない。考えたくない。

 これが夢であることを自覚してしまうのと同じく、その「愛」に名前を付けてしまうと、もう今見ている夢と同じく表面上は何も変わらなくても、ただそこにある幸せを心から噛みしめることな出来なくなる。

 

 だって彼女は、ソラは、見ていない。

 ソラにとってクラピカは、大切で幸福そのもので、自分がいるからこそ救われ続けていたとしても……、最愛の「弟」だから。

「弟」でしか、ないから。

 

 ソラはクラピカのことを、けっして異性としては――――

 

「あーっ! やーっと部屋を取れたぜー!!」

「!」

 

 考えないようにしていたが、どうしても考えてしまう思考が空気を読めていないのかある意味では最高に読んでいたのかわからない声で途切れ、クラピカはベッドから身を起こす。

 

「レオリオ?」

「お? 何だお前と同室か。まぁ、全然知らん奴より気を遣わなくていいし、ヒソカとかなら野宿の方がマシだからいいけどな」

 

 どうやら、3人目のルームメイトはレオリオらしい。

 レオリオも起き上がったクラピカに気付いて、ソラと全く同じことを言いながら空いているベッドの上に鞄を放り投げる。

 

 今更、部屋をもらったのか? とクラピカは思ったが、そういえばレオリオが初めに意気揚々と持って来ていたのはおそらくはこの軍艦の主砲の砲弾であって、価値ある宝ではないと言われていたことを思いだす。

 たぶん彼はもう一度、難破船を探し回って何とか宿泊料分のお宝をようやく確保したのだろう。

 

 二度手間だったので、疲れ果てていることは良くわかる。

 特に彼は海に落ちていたので、体中が潮風と海水、そして自らの汗でベトベトだったことも想像がつく。

 だからよほどの風呂嫌いではない限り、誰だってさっとシャワーを浴びて体のベタつきを落としてしまいたい気持ちはよくわかる。ごく普通の感性であり、行動だ。

 

 だが、いくらなんでも空いてるベッドの上に自分の鞄と既に脱いでいたシャツを放り投げ、「先に使わせてくれ」とも言わずにシャワー室に直行はクラピカも予想出来ず、反応に遅れてしまう。

 全員にとって運が悪かったのは、ソラは髪や体はさっさと洗って、シャワーを浴びるのではなく湯に浸かっているのか、水音が全くしなかったし鼻歌もやめていたことと、クラピカの前で着替えのツナギや見せブラならともかくパンツは出せる訳もないから、シャワー室に着替えの入った鞄を持って入っていたので、レオリオは「もう一人ルームメイトがいて、現在入浴中」ということに全く気付いていなかったことだろう。

 

 そして入浴している本人も、レオリオがやって来たことは声で気づいていても何も言わずにシャワールームに直行しているとは思っておらず、ソラは天井を見上げて久しぶりの入浴を呑気の楽しんでいた。

 

 レオリオは洗面所の隅に置かれた鞄には、クラピカの盛大にパニくった「ちょっ、まっ、お前、何を!?」という声と慌て過ぎてベッドから落ちたことにむしろ気を取られて気付かず、「何してんだこいつ?」と思ってズボンを脱ぎながら、シャワールームの曇り硝子戸を開けた。

 ソラはユニットバスでないことを喜んでいたが、ユニットバスならシャワーカーテンがあったので結果としては不運だった。

 

「……え?」

「……は?」

 

 この不幸の中で唯一かつ最大の幸運は、レオリオがズボンは既に半分脱いでいたが、ズボンごとパンツを脱ぐという横着をしていなかったことと、ソラが底の浅い西洋風のバスタブのふちを枕にして、足をバスタブから投げ出す代わりに体を湯に沈めるという体勢を取っていたこと。

 つまりはどちらも見られて困る部分は完全に隠している状態だった為、最悪の事態には陥らなかった。

 

 が、だからと言って平和的に終わる訳がない。

 

「…………ぴょ?」

「レオリオーーーっっ!!」

 

 ソラとレオリオが互いに「何でこいつがここにいるのかわからない」という顔で見詰め合って、ソラが耳どころかわずかにバスタブから見える肩まで真っ赤になってひよこのような声を上げた直後、ブチキレたクラピカがレオリオの首を後ろからわし掴んでシャワールームから引きずり出し、乱暴に硝子戸を閉めた。ソラから見たらクラピカの腕しか見えなかったので、たぶん彼は絶対に見ないように相当頑張ってくれただろう。

 

 そしてそのままレオリオを床に転がし、クラピカはマジタニ戦と同じくらい鮮やかな赤い眼でレオリオを睨み付けながら、逃げられないように腹を踏みつけた。

 

「ぐえっ!」

「貴様は何を考えてるんだ!! この変質者!!」

 

 かなりの勢いをつけて踏んづけたのでレオリオは潰れたカエルのような声を上げるが、もちろんクラピカはそんなことに気を遣わない。むしろ、本気で内蔵を吐かせるつもりで踏みつけたのかもしれない。

 そしてレオリオの方も、いくらわざとではなかったとはいえ自分が一方的に悪いのもわかっているので、この暴行の抗議はせずに「ま、待て待て待て!! 俺が全面的に悪かった! でもわざとじゃないことだけは理解してくれ!!」と謝りながら、せめてヒソカ以上に潔すぎるセクハラをやらかそうとした訳ではないと熱弁する。

 

 ついでにレオリオは何故ここまでクラピカがキレているか、その理由をおそらくは当の本人よりも正確に理解していたからこそ、彼の怒りを少しでも鎮めるために「っていうか、見てない! マジで見てない! あいつのバスタブに体を沈めてたから、顔と足しか見てない!!」と言ったのだが、クラピカの怒りは当然納まらない。

 むしろ、盛大な自爆に過ぎなかった。

 

「それは『見てない』ではなく、『見えなかった』だけだろうが!! どっちにしろ、何故ソラがいることを知ってすぐに扉を閉めなかった!? お前、見えてても絶対、私に掴みだされるかソラに追い出されるまで自分で絶対に眼を逸らしたり、扉を閉めるということはしないだろうが!!」

 

 ソラの見られたら困る部分を見なかったのは、レオリオが紳士だからではなくただ単に運とソラの体勢の問題であっただけであることにクラピカは指摘して、ほとんど言いがかりでレオリオの顔面をぶん殴ったが、実際に見えていてもレオリオは自分からすぐに出ていくという選択肢は取らない自覚はあったので、「すみません!」と謝りながら殴られた。

 

「謝ってすむか!」と叫びながら、クラピカはもう一発殴ろうと拳を振り上げたら、シャワールームから「……クラピカー」とソラの声がした。

 

「クラピカ。もういいよ。やめて」

「!? ソラ! 気を遣うな!! 確かにわざとではないのは事実だろうが、こいつは罵倒されて当然のことをしたし、君は怒っていい! というか、怒るべきだ!!」

 

 シャワールームからソラがクラピカを止める声に、レオリオは「助かった!」と思うが、クラピカはまたソラの魔術師としての価値観でいらない我慢をしていると思ったのか、ソラに怒るように説得する。

 ソラの魔術師としての価値観をまだ知らない設定なのか、レオリオはクラピカに「いやいや! ふつう逆だろ! 煽るのかよ!?」と突っ込みを入れるが、入れる資格が一番なかった為、紅蓮の眼で睨み付けられて黙らされた。

 

 しかし、レオリオに突っ込む資格はないが、そもそもクラピカの叱責も的外れだった。

 

「いや、違う。止めてるのは私が出た時は既に気絶してたり、もう殴る所が残ってなかったら、私が消化不良になるだけだから止めてるだけ。

 あと5分くらいで出るから、クラピカはそいつを縛り上げといて」

「そうか、ならいい。任せろ」

「すんません! マジで反省してますから勘弁してくれ!!」

 

 

 別にレオリオを庇っているのでも許しているのでもなく、自分の手で殴りたいから止めているだけであることにクラピカは納得して、ベッドからシーツをはぎ取ってレオリオを簀巻きにする準備を始め、レオリオはクラピカに踏みつけられながら必死になって弁解しながら抵抗した。

 

 その後、レオリオが白目を剥くまでソラのプロレス技の実技講座は続いたという。

 

 

 

「……やりすぎちゃった」

 

 さすがにわざとではないことはクラピカもソラも信用していたので、白目剥いたレオリオにソラは誤魔化すように笑い、クラピカはレオリオに対して同情する気はないが、怒りもだいぶ納まったのでとりあえず担いでベッドに寝かせてやることにする。

 

 そして、もうすでに日が暮れかけており、空が青から赤に染まっていることに気付く。

 自分の眼と……自分の一族の眼とよく似た色の空をしばらくクラピカは見つめてから、その紅の空から目を離せないままクラピカは背後のソラに言った。

 

「……ソラ。……少しだけ、付き合ってくれ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「それにしても、ハンター試験でこんなに信頼できる仲間を得るなんて珍しいわね」

 

 レオリオの自爆話をさっさと忘れたいのは本人だけではなく聞いた側もそうだったので、その話はなかったことにして三人はハンター試験の話で少し盛り上がる。

 ソラとレオリオは、センリツが体験した「軍艦島」によるトレジャーハント、そしてそこから数十年に一度起きる異常気象が訪れる前に脱出するという試験の話を楽しんで聞いていたのだが、語り終えた後にセンリツはしみじみと呟いた。

 

「そうなの?」とソラが首を傾げて訊くと、センリツはその本心から自分の言葉の意味が良くわかっていないソラを微笑ましそうに笑って、「そうなのよ」と肯定する。

 

「普通、試験なんだから周りは皆ライバルだと思って、一時的な協力関係すら作れない方が良くある話なんだけどね。

 プロハンターは、同期生ほどあんまり仲は良くない方よ。同じ試験で合格してるから、相手がどんな悪辣な手段を使って合格したかを互いに知っている、自分が相手に煮え湯を飲まされたって人が多いから、プロになってもライバル意識ならいい方、毛嫌いしている人も珍しくないわね」

 

 言いながら、センリツもその「悪辣な手段を使って煮え湯を飲まされた同期のプロハンター」を思い出したのか、センリツと同じ能力を持っていなくても彼女の心情がわかるほど、うんざりした声音で「ハンター試験で信頼できる仲間を得る」のが珍しい理由を語った。

 ついでに、そのまま軽く愚痴る。

 

「軍艦島の後半の試験は、そういう自分さえよければそれでいいっていう自己中心的な考えを矯正して、協調性を身につけさせるための試験だったのでしょうけど……、そういうのは綺麗事だとむしろ思い知らされた気がするわ。

 初対面同士だから連携が取れないのは仕方がないとはいえ、協力し合う試験だっていうのに足の引っ張り合いをやめない奴らが多すぎて、結局脱出するまでに半数が海の藻屑になったからね。あたしがあの脱出に成功して合格できたのは、完全に運が良かったからでしょうけど、あなた達なら円満に協力し合えそうね」

 

 協力し合う試験なのに、タイムリミットに余裕がないのと軍艦を使わず難破船を軽く修復した小舟で脱出を図った者は渦潮に飲まれて沈んでいったのを目の当たりにしたのもあって、受験生同士がかなりギスギスした空気だったのを思い出したのか、センリツは疲れたような溜息を一度吐いてから、ソラとレオリオに向かって微笑んだ。

 

「いやー、どうだろう? 私ら5人なら確かに口げんか程度で納まりそうだけど、残った受験生全員と協力ならなぁ……」

「……この場合、ヒソカやキルアの兄貴だったあの針野郎より、トンパがマジで鬼門だな。いや、あいつもさすがに失敗したら全滅の可能性が高いのなら、余計なことはしないか?」

「でも自分が誰からも信用されてない、邪魔者だって思われていることは自覚してるだろうから、見捨てられるぐらいなら全員巻き添えに……ぐらいはしそうだよね」

 

 しかしさすがに「受験生全員が協力する」という形の試験なら、その試験に残った受験生たちが誰であるかによるが、センリツの期待通り円満とはいかない可能性が高いことを二人は語るが、センリツの微笑みと信頼は揺らがない。

 

「トンパは私も知ってるから気持ちはわかるけど、それでもあなた達がいればあたしの時よりもずっといい結果になると思うわ。

 だって、ハンター試験以前からの知り合いはクラピカとソラちゃんくらいで、あなた達二人でも3,4年前に1カ月だけの付き合いなら、信頼関係なんてリセットされててもおかしくないのに、数年来の友人のように信頼し合って、協力し合うのを見ていたら、まともな感性が少しでもあれば疑心暗鬼で周り全員を敵だと思って足を引っ張ることしか考えていないことを恥じると思うわ。

 そもそも、あなた達も『こいつら以外は信用できない』とという排他的な考えで集まって、5人で行動するわけでもないでしょう? 打算で繋がっているか、本物の絆かなんて見ればわかるし、そういう絆で繋がっている相手は信頼したいと思えるものよ」

 

 さすが30年連続でハンター試験を受けている、最悪の大ベテランのことはセンリツも知っていたらしく、トンパについてはちょっと嫌そうな顔で肯定したが、今はいない子供も含めたこの深い絆で繋がった5人なら、お互いの信頼を見せつけることで頑なな他の受験生たちの疑心暗鬼も解消するであろうと期待する。

 

 その期待が照れくさいのだが、否定するのは自分のことだけならともかく仲間も卑下にしているからか、レオリオはバツが悪そうにそっぽ向く。

 ソラの方は大人の対応で、「そう? ありがとう」と素直に受け止めて答えた。

 対応は大人の社交辞令のようにあっさりしたものだが、「ありがとう」と答えた笑顔はゴンと同じくらい無垢で無邪気な、他意などない純粋な笑顔であった。

 そんなそれぞれの反応にまた、センリツは微笑ましそうに笑う。

 

「……けど、改めて考えるとクラピカはすごく運がいいね」

 

 ソラは子供のように無邪気で純粋な、この上なく嬉しそうな笑顔のままクラピカの額のタオルを取り換えながら言った。

 

「センリツの言う通り、本来なら周りが皆敵だと思ってどの試験でもずっとギスギスしてるのが普通だったんだろうね。3次試験なんか全員バラバラのルートに進んで、トンパに囲まれてるような状況になる可能性の方が高かったんだ。……そもそも、今年じゃなかったら私とクラピカは再会なんかできなかった。

 だから……この子が今年、受験してくれて本当に良かった。……レオリオやゴンやキルアも受験したことも、そしてクラピカの就職先にセンリツとかあとヴェーゼとスクワラみたいにクラピカの私情に理解がある人達と出会えたことも含めて、……運命だって言いたいくらいにこの子は恵まれているね」

 

 洗面器にタオルを浸して、ぬるくなったタオルを冷やして絞って額の上に乗せてやると、少しだけクラピカの呼吸が楽になる。

 それを安堵したように優しげな微笑みを浮かべて眺めてから、ソラは顔を上げてレオリオとセンリツに向かって言った。

 

「だから、ありがとう。レオリオ。センリツ。クラピカと出会ってくれて。

 この子、人間不信がだいぶマシになってるとはいえ、まだまだ面倒くさい性格なのに、それでも根気強く付き合ってくれて。

 ……この子に、幸せになりたいと思わせる、人間をまだ信じていたい、独りは嫌だと思ってくれる大事な一因になってくれて、本当にありがとう」

 

 その名にふさわしい、晴れ渡った青空のように綺麗な笑顔でソラは二人に礼を告げる。

 それは全部、あなたの方に言えることだとセンリツは思ったが、それでも……初めはただの好奇心と同情、そして自分の呪いを解けるかもしれない除念師である彼女との繋がりを欲して、つまりは打算でクラピカ寄りだったセンリツの行動に、動機は何であれ誰かを幸福にする一因となったという、あまりに純粋で誇らしい意味を見出されたことに、彼女は照れ臭そう笑いながら、「……どういたしまして」と答えた。

 

 元の体に戻る為に裏社会・裏稼業の住人となってゆくことで目には見えない何かを、元の体より人間らしい部分、人間として必要な部分を腐らせて削り落としていた気がしたが、ソラの言葉でその無くしていたはずの人間としての一部を少しだけ取り戻せた気がした。

 自業自得の呪いにかかって、その呪いを解く為に直接的ではなくとも誰かを不幸にする仕事を行う自分に、生きている価値があるのか? という不安が、緩やかに消えて言った気がした。

 

 あまりにささやかだが、それでも確かに救われたセンリツも幸福そうに笑う。

 

 しかし、同じように礼を言われたレオリオは、笑っていない。

 照れくさくてバツが悪そうにそっぽ向いてる訳でもなく、彼は真っ直ぐにソラを見ていた。

 何かを見透かすように。

 見極めるように、真剣な眼差しで彼はソラを見ていた。

 

 そのことに気付いたソラは、少し困惑しながら「どうかした?」と尋ねる。

 

 レオリオは、やはり真剣なまなざしのまま質問に質問で彼は返した。

 

「お前にとってクラピカは、『弟』でしかないのか?」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 無言で、クラピカは歩いて船から船へと飛び移る。

 ソラも無言で、クラピカの後をついてゆく。

 

 何も訊かず、雑談もせずにただ彼女はついてゆく。

 無言で、クラピカの頼みをきく。

 ホテルの支配人夫婦から譲ってもらった灯油をそれぞれ半分ずつ持ったまま、彼女はクラピカの望み通り付き合った。

 

 そして、目当ての船の前にやってきてクラピカは立ち止まり、ようやく口を開く。

 

「……これは、おそらくクルタ族の船だ」

 

 有り得ない存在を語る。

 有り得ないと訴える自分の声を、無視する。

 

「……そう」

 

 ソラはただ静かに、それだけ答える。

 どうしてそう思ったのかなんて聞かない。

 この世界の矛盾に、彼女は触れない。

 ただ、静かにクラピカの幸福を……夢を守り続ける。

 

 だからクラピカは、有り得ないものをなぜ有り得ないかについて考えず、矛盾を無視して、見ないことにして、受け入れる。

 

「きっと、旅団から逃れて難破したのだろうな。……死体どころか積荷も何もなかったから、……もしかしたらこの島に難破した後、どうにか生き延びて島からも脱出したのかもしれないな」

 

 有り得ない可能性。

 狂おしいほどに現実に持ち帰りたい、どんなに低くても現実であってほしい可能性を口にする。

 

 有り得ない。森の奥に隠れ住んでいたクルタ族が、船を使って海まで出て旅団から逃れるなんて有り得ない。

 メディアが公開していた虐殺されたクルタ族の人数は、クラピカが把握していた同胞の総数と一致していた。外から入村した、純粋なクルタ族ではない者も合わせて、自分以外全て虐殺されたことを知っている。

 有り得ないのだ。

 自分以外に、生き残りがいる可能性なんて。

 

 そんな可能性があったのなら、クラピカは絶望なんかしなかった。

 どんなに低くてもその可能性に縋って、その可能性だけを見て前を向いて歩いて行けた。復讐にさえも、目を向けやしなかっただろう。

 

 絶望して、誰も信じられなくなって、どん底にまで堕ちて、……それでも独りは嫌で、死んでしまいたいくせに死にたくなくて、夢を諦められなかったからこそ、出逢えた。

 

 この可能性は、クラピカが全てを失ったと思った日から歩んで来た、その歩みの中で傷つきながらも手に入れたものを否定する可能性。

 希望であると同時に、何もかもを全否定するもの。

 

 その、有り得ないはずの船の中に再びクラピカは足を踏み入れる。

 そして持って来た灯油タンクの蓋を開けて、何も言わないまま無言で船の中に灯油を撒いた。

 

 ソラも後に続いて中には入ったが、何も言わずにただそれを見ている。

 クラピカが持っていた分の灯油を撒き終えたら、ソラは無言で自分が持っていたタンクを渡して、空になったタンクを代わりに受け取った。

 

 そして全部の灯油を撒き終えたクラピカが、ようやく「火を貸してくれないか?」と口を開く。

 

「……マッチやライターは持ってないね。宝石を使ってもいいけど……、私より向こうに頼んだ方がいいんじゃない?」

 

 ソラも沈黙を破って、少しいたずらっ気を出した笑みで自分の背後を指さした。

 クラピカの方も気付いていたらしく、戸惑ったり驚いた様子もなく「そうだな」と言って振り返り、言った。

 

「レオリオ。火を貸してくれ」

 

 ソラに言われた時は往生際が悪く隠れていたが、名指しされるも意地を張り続けるのは情けないだけなので、気まずげに頭をボリボリ掻きながらレオリオが他の船の影から出てきて、飛び移ってやって来た。

 

「……言っとくけど、デバガメじゃねーぞ。ルームメイトが二人とも様子がおかしかったから、なんつーか……ちょっと気になっただけだ」

 

 どうやらソラからのプロレス実技講座で白目を剥いたが気絶にまでは至っていなかったらしく、クラピカとソラの様子のおかしさに気付いて、二度手間のトレジャーハントで疲れ果てているわ、自業自得とはいえソラからのプロレス技で全身痛めつけられたというのに、それでも二人を追ってきて様子を窺っていたらしい。

 

 そこまでしておいて「心配」とは言えない彼の意地に、クラピカは親近感を覚えて少し笑いながら「そうか」とだけ言って、手を出した。

 その手にレオリオは紙マッチを取り出して渡してやる。

 

 ソラに言ったことが聞こえていたのか、それとも訊くまでもなく想像がついているのか、訊かないでいようと気を遣っているのか。

 どちらにせよ、何も言わないのはレオリオの優しさであることはわかっているので、クラピカはそのことも含めて「ありがとう」と言ってマッチを受け取り、器用に片手で火をつけて、それを灯油まみれとなった船に向かって投げいれた。

 

 ガソリンと違って灯油は気化しにくいので、火をつけた瞬間に引火して爆発して燃え広がることはないので、火をつけてから3人は船から出てその船が燃えてゆくのをまた無言で眺めた。

 二人がどのように思って、この燃え盛る船を眺めているのかはわからない。

 

 クラピカは、弔いのつもりで眺めていた。

 この船を、自分以外に生き延びた同胞がいるという可能性を自ら弔って、火葬していることなどきっと二人は知らない。

 

 現実へは持ち帰れない、ただもう一度絶望するだけの可能性をクラピカはやはり受け入れることなど出来なかった。

 だけど眼を逸らして、なかったことにすることも出来ない。

 だってこれは、自分の今までを否定するとわかっていても心の底からあって欲しいと望んでいることだから。

 

 だからこの行動は、けじめ。

 あって欲しいけど有り得ない可能性と決別するために、今ここでこの可能性を燃やし尽くして海に沈めて、あって欲しいけどなかったからこそ「今」を得たという証明の為に弔った。

 

 ……クルタの紋章が刻まれた、ペンダントも同じように海へ……自分の心の深部に、自分自身でさえも取り出せないほどの奥底に沈める。

 手離さない。忘れない。けれど、「クルタ族」はもう絶対に手が届かない「過去」であると自分自身に知らしめると同時に、慟哭のような音があたりに鳴り響いた。

 

「何だ!?」

「……汽笛?」

 

 レオリオがあまりに唐突な音に驚き辺りを見渡し、同じく目を白黒させているクラピカがこれと似たような音をハンター試験前、港で聞いたことを思いだして口にする。

 クラピカの言葉にこちらも同じくびっくりしていたソラが少し納得したように曖昧に笑いながら、視線をホテルである軍艦に視線を向ける。

 

「あー……。そういえばキルアとゴンが軍艦を探検してたっけ? 私が軍艦の線や点が少ないから、動力部は生きてるかもってことを話したから」

「……あれ。あいつらの仕業か」

 

 いきなり驚かせた挙句に真実を知れば気が抜けることをやらかした子供二人に、レオリオは疲れたような声を上げるが、ソラはクスクスとおかしげに笑った。

 

「あははっ、でもいいタイミングだ、死哭き女(バンジー)の泣き声みたいだったよ。

 ……弔いには、ぴったりだ」

 

 ソラの言葉にクラピカが何のつもりで船を燃やし、ペンダントを海に沈めたかを理解している彼女に少しだけ驚いたが、すぐにそれは驚くべきことではないと納得する。

 

 だってこれは、夢。

 ここにいる者は皆、本人ではなくクラピカの心の延長。

 

 だからこそ、ソラはクラピカの心情を理解しているし、レオリオは疲れ果てた体に鞭うってでも心配してやって来てくれるし、ゴンやキルアはクラピカのしていることを何も知らなくても、クラピカの同胞を悼むような行動をとってくれる。

 

 全ては、自分が生み出した願望。

 

 こんな出来事などなかった。

 こんな世界は存在しない。

 こんな可能性は有り得ない。

 

 全ては、夢。

 

 現実によって溶けるように消える、泡沫の夢。

 

 だけど……、それでも――

 

「……そうだな。…………弔いの、汽笛だ」

 

 ソラの言葉にクラピカも応じ、もう一度燃えてゆく、消えてゆく、海に沈んでゆく船を、有り得ない可能性を、過去を見つめる。

 

 この可能性は、現実には持ち帰れない。

 

 だけど……ゴンとキルアの無邪気さが、知らず知らずの内でも自分の心を癒す慰めになるということ。

 レオリオの不器用で素直ではない優しさが、自分自身も素直ではないが心地よいこと。

 

 そして…………

 

「……さ、クラピカ。暗くなってきたし、ちょっと寒くなってきたから、帰ろう。

 皆で帰って、一緒にご飯食べて寝よう」

 

 紅が藍へと染まり、その藍色とよく似た瞳を細めて笑って、手を差し伸べる人。

 

 一緒に帰ろうと、帰る場所をくれる人。

 独りじゃないと教えてくれる人。

 

 ……クラピカの幸福を、誰よりも何よりも望んで喜んでくれる人がいることは、決して「夢」の中だけではない。

 

 有り得ない可能性ではない。

 もう手が届かない「過去」ではない。

 

 これは現実に持ち帰れるものだから……

 

 

 

 

 

「――あぁ。そうだな」

 

 だからクラピカは、その手を取った。

 夢であることを知りながら、夢を持ち帰る為に、その手は決して離さない。






――もしも(ゆめ)の話をしましょう。

Ifは現実ではないからこそ、存在する夢物語。
だけど、現実に持ち帰れないとは限らない。

現実に持ち帰れば、名前が変わってしまうけどね。

過去を夢想するIfを持ち帰れば、それは現実を犯す妄執と呼ばれ、
未来を夢想するIfならば、それは現実を築く希望と呼ばれるの。

現実には敵わないのに、現実を犯し、現実を築く二つの「夢」。

「愛」と「恋」(ゆめ)の話を、しましょうか。







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