死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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 ――(ゆめ)の話をしましょう。

 甘やかな、幸福に生きるという夢の話をしましょうか。



98:髪飾り

 溜息をつきながら歩く。

 

 いつの間にか難破船から難破船へ飛び移るのではなく、雑多な街中を普通に歩いている。

 傍らにはレオリオもゴンもキルアもいない。

 ソラだっていない。

 

 手離さないと決めたはずの手に、彼女の手はない。

 

 だがクラピカはやはり矛盾に違和感を覚えないまま、夢の中を歩いてゆく。

 彼女の体温の代わりに手の内にあった自分の携帯電話をもう何度目かわからないがまた開いて、溜息をつく。

 

 開いた携帯電話の液晶に浮かぶ画面は、数日前に届いた彼女からのメール。

 

 クラピカの修業が一通り完了したと師のイズナビから告げられて、そのことをソラに報告したら彼女は「じゃあ、約束通り旅団について教えてあげる」と数日後に会う約束を交わした。

 だから猶予はあと数日しかないというのに、何も浮かばないことにまた更にクラピカは重い溜息と一緒に、不満を口にした。

 

「……あいつは一体何なら喜ぶんだ? 生きることに貪欲なくせに、それ以外に関しては無欲すぎて困るのだが」

 

 無論、不満を口にしたからといって解決するわけもない。

 だからクラピカは当てもなく歩きながら、またさらに頭を悩ます。

 

 5カ月近く遅れた、ソラへの誕生日プレゼントを何にするか悩み続けた。

 

 * * *

 

 元々、ソラ自身がすっかり自分の誕生日を忘れていた所為で、クラピカが彼女の誕生日を知ったのは数日後の別のイベントで思い出したからなので、さすがにプレゼントをやる気はなかった。

 忘れるくらいなので当然本人からの催促もなかったから、来年はちゃんと祝おうと思ったが過ぎてから祝おうとは思ってなかった。

 

 が、クラピカも人のことは言えず自分の誕生日なんか忘れていたのに、ソラはしっかり覚えていた。4月4日なんて非常に覚えやすい日にちであったからだろうが、しっかり当日にメールで誕生日を祝い、そしてこちらもクラピカは忘れていた、4年前の約束を覚えてくれていた。

 

 桜を、ソメイヨシノを見せるという約束を、写真でだが叶えてくれた。

 

 挙句にイズナビと大喧嘩する羽目になる爆弾発言のメールと写真も送ってこられたクラピカは、半分どころか9割がたヤケクソと意趣返しで「お前も私と同じくらい嬉しすぎて恥ずかしすぎて死にそうな目に遭え!」という気持ちで、今更すぎる誕生日プレゼントを渡そうと決めた。

 

 行動を決めるのは簡単だ。しかし、肝心の「誕生日プレゼント」を何にするかは困難極まりなかった。

 ただでさえ女性へプレゼントを贈ったことなど、母くらいにしか経験がないクラピカにとって難易度が高すぎるというのに、あの女はむしろ女性であることを意識して選ぶべきなのかどうなのかすらわからない。

 

 クラピカが愚痴った通り、彼女は別の世界にたどり着いてしまうほど生きることに貪欲だが、逆に言えばそれ以外の自分のことには基本的に無関心だ。

 物欲に関しては、たぶん本気でないに等しい。

 

 ゲームや漫画の類は割と好きだと言っていたので、嗜好品自体を好まない訳ではないだろうが、それらはあくまで暇つぶしのためのものでしかないとクラピカは思っている。

 現にククルーマウンテン滞在中、そういう類の嗜好品はあの山小屋には一切なかったのに、彼女は不平不満を口にはせずに、楽しそうに一カ月近い日々を過ごしていた。

 ソラのそういう、目の前にあるもので満足して楽しそうに過ごす所はいつもなら好ましい部類なのだが、今はソラに非などないとわかっていても軽く不満を覚える。

 

 ヤケクソで自分と同じくらい困らせてやりたいという八つ当たりが多大にあるとはいえ、彼女を喜ばせたい、嬉しいと思って欲しいのは紛れもない本当だからこそ、何だったら喜ぶのかが全く分からないことに苛立ちながら、当てもなく歩き、そこらの店のショーウィンドウに視線をやる。

 

 しかし、ショーウィンドウに飾られているものは明らかに女性らしすぎて、見て即座に「下手したら泣くな」としか思えない。

 2次試験後の飛行船でのやり取りと、パドキア行きの同じく飛行船での話で、ソラは別に女性らしいものが嫌ってはいない、むしろ本質で言えば少女趣味な所があると思えたのだが、その本質は「魔術師」という最悪な価値感によって歪められ、封じられて、恥じる必要がないのに恥じていたり、傷ついていないと思い込んでいながら根深いトラウマになっていることを知った。

 

 だからクラピカとしては、実用品として便利なもの、趣味でなくとも困らないもの、食べ物や消耗品といった消え物ではなく、女性らしい装飾品を贈りたいと思ってしまう。

 少しでも彼女の歪んでしまった、歪められた価値観を正したいと同時に、あのあまりにも初々しくて、少女らしくて可愛らしかったソラをもう一度見たいという願望が消えない。

 

 しかし、彼女の本質を知った時の様子からして、下手に女性らしすぎるものを贈ると照れる、恥ずかしがる以上に本気で「こんなの私には似合わない。でも、せっかくクラピカがくれたのに喜ばないのも……」と、彼女の人の好さも合わさって災いになり、喜ばせるどころかいらない罪悪感を背負わせかねない。

 

 そもそも、ソラに関してほぼ確定しているのは「女性らしいものを表面上の言動ほど嫌っていない」であって、可愛らしいものが実は結構好きなのではないかというのは、クラピカの勝手な思い込みである可能性が高いことくらい、クラピカ本人もわかっている。

 トラウマやら魔術師としての価値観など関係なく、普通に趣味じゃないものを贈って困らせて気を遣わせるのはこの上なく気まずいと、クラピカはただでさえ少ない選択肢を自分でどんどんとさらに減らしてゆき、途方に暮れる。

 

「……本当に、お前は一体何なら喜ぶんだ?」

 

 もう一度、深い深い溜息をついてクラピカはケータイをいじって一つの写真データを開く。

 一本の桜の古木を背景に、振り向きざまに笑うソラの写真。

 自分の誕生日を祝うメールの後に、「忘れてた」というタイトルで、クラピカを撃沈させる言葉と一緒に送られてきた。

 彼女が最初のメールで入れ忘れていたのは、あの言葉かこの写真か。どちらかはついでだったのか。それともどちらも絶対にクラピカに贈りたいものだったのかは、クラピカにはわからない。

 

 だけど、一つだけわかることがある。

 この写真でたった一つだけわかることは、彼女の髪がハンター試験の時よりも……自分と出会った頃よりも伸びているということ。

 伸びていると言っても、この写真を撮った時期はハンター試験を終えてからまだ3ヶ月ほどしか経っていないので、意図的に伸ばしているのか散髪する機会がなかっただけかはわからない。

 

 クラピカの「見てみたい」という言葉を真に受けて、本当に髪を伸ばしている保証などない。

 もしかしたら数日後の再開時には、クラピカがよく知る元通りの長さに戻っていても何らおかしくないし、文句のつけようもない。

 

 だけど、その写真でたった一つだけわかったこと。あの飛行船では「わからない」としか言えなかった答え。

「似合うかな?」という彼女の問いに、「わからない」としか答えられなかったけれど、今ならどんなに照れくさくても、顔を見ては言えなくても、言わないという選択肢はないくらい、そんなことをした方がよっぽど後悔するくらいに思い知った。

 

 ソラは、髪が長い方がいい。

 髪が長ければ、あの性差を超越して両性にも無性にも見えていた容姿が、はっきりと女性だとわかった。

 絶世の美女という形容が何一つとして過分ではない。

 

 あの時よりも、あの時以上にクラピカは思ってしまった。

「髪の長いソラを見たい」、と。

 

 やはり、彼女が喜びそうなものは何も思いつかない自分に溜息をつきつつも、少しだけクラピカの足取りは軽くなった。

 贈りたいものの方向性だけは、決まったようだ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「お前にとってクラピカは、『弟』でしかないのか?」

 

 レオリオから真顔で尋ねられた問いに、ソラは目を丸くしてしばし黙り込む。

 黙り込んだまま、ソラは腕を組んでそのまま梟のようにどんどん深く首を傾げてゆき、傾げられる限界まで傾げてからレオリオに訊き返した。

 

「レオリオは何を言ってるの?」

 

 その反応と返答に、レオリオは呆れているというか苦々しげな顔になって、センリツに「本気かこいつ?」と尋ねれば、センリツから帰ってきた答えは「……本気で言っている意味がわかってないわね」だった。

 レオリオだけではなくセンリツにも苦い顔で言われて、ソラはますます意味がわからず、首を反対側に傾げる。

 

 その反応が、気に食わなかった。

 

「おめーにとって、こいつは『男』……『異性』って意識はねぇのかってことだよ」

「はぁ?」

 

 他人の色恋沙汰なんて見ていて腹が立つか、虚しくなるかでしかないから関わりたくなどないのに、いつもいつも本気で爆発したらいいのにと思う程、互いが互いを思い合っていることが丸わかりの言動でありながら、それでもお互いがその「感情」を認めないことが、無性にレオリオを苛つかせる。

 

 あれだけ傍から見たら意識されてるのが丸わかりなクラピカの想いに何も気づかないソラが、非モテの妬みだの関係なく、見ていて酷く癇に障る。

 それは、彼女に非がないとわかれば余計に。

 

 非など無い。ソラは鈍いのではなく、そういうものごとに対して鈍感にさせられて、鈍感でないと、麻痺していないと生きていけない世界で生まれ育ったことをレオリオは知っている。

 

 あのあまりにも平然とした顔で、「10歳くらいで結婚させられそうになった」と語っていたソラの残酷すぎる歪みを知っているからこそ、責めるべき相手はソラではないとわかっていながらも八つ当たりで怒鳴り散らしてしまいそうになる。

 

「お前は何でもっと怒らないんだ!?」と、ソラからしたら訳が分からなすぎるであろう言葉を飲み込んで、でも結局は八つ当たりでレオリオはソラが理解出来なかった問いを、もっとストレートに言い換えてぶつけた。

 

 クラピカからしたら、余計なお世話どころかいい迷惑でしかない問いだろう。

 クラピカが起きた時、このような話をされていたことを知られたら割と真剣にレオリオの命の保証が出来ないのだが、そのことをわかっていながらもレオリオは問う。

 

 同じように、わかっていながらもセンリツはレオリオを止めない。

 悪趣味で下世話な好奇心ではなく、センリツ自身が答えを知りたかったからではなく、答えを知って欲しいからこそ彼女は口を挟まない。

 虚偽などなく、本心から何もわかっていない、何も気づいていないことをその心臓が告げていたからこそ、センリツはソラに「答え」を知って欲しいと思った。

 

 しかし、ソラの答えはやはり彼らの意図から大きく外れている。

 

「……何でレオリオは私に全力で犯罪を勧めてるの?」

「何があって俺の話がそうなった!?」

 

 かなり真剣に、またしても絶対零度の眼で見られて言われたので、レオリオも慌てて突っ込みを入れる。

 突っ込まれて、ソラの眼は絶対零度からごく普通の温度にまで戻しり、またしても彼女はきょとんと首を傾げてさらに尋ね返す。

 

「ん? レオリオの国では成人越えがクラピカぐらいの歳の子と付き合うのは合法なの?」

「は? ……あぁ、そういう訳か」

 

 ソラの問いでレオリオは何でソラがあんなにも冷たい眼差しになった理由を理解する。

 唐突過ぎる軽蔑にちょっと戸惑っていたセンリツも、苦笑しながらレオリオが察したソラの軽蔑の理由を確認で尋ねた。

 

「ソラちゃんの国では、10代に手を出すのは軒並みアウトなのかしら?」

「……グレーゾーンが多い変な国なんだよ。同意のあるなし関係なくアウトなのが13歳以下で、結婚は女なら16、男は18から保護者の許可有りならOKだから、親や本人に訴えられない限り一応14からは合法と言えば合法だけど、真っ当な倫理と道徳があれば18歳以下に手出しする奴に変態のレッテルを張るね。まぁ、もちろん20歳と17歳のカップルくらいなら普通にあり得るし、うるさくいう奴の方が頭がおかしい奴扱いだけど」

「なら、お前とクラピカのこと言っても、あそこまで軽蔑した目で見られる筋合いはないだろ」

 

 センリツの問いに本質が潔癖なソラは、故郷の性善説を信望しているんだか、面倒くさいから適当なんだかなグレーゾーンの多さが気に入らないらしく、今度は自国に対して軽蔑を露わに答えるが、その答えにレオリオは少し不満そうに言い返す。

 20代が10代に手を出すのはもちろん、交際さえも法的にアウトな国だったら、ソラの反応はいくら他の国は違う、そもそも20歳と19歳でもアウト判定は厳しすぎておかしいとはわかっていても、その国で生まれ育った人間にとっては当たり前の常識なのだから、つい軽蔑してしまうのはわかるが、ソラの国でもグレーではあるがソラとクラピカの年齢差なら法以前の倫理観としても別に非難されるほどではない。

 なら、あそこまで軽蔑せんでもいいだろという抗議の視線をレオリオが送ると、ソラが誤魔化すように笑いながら謝った。

 

「あぁ、ごめんごめん。確かに私も自分とクラピカくらいの歳の差カップルがいても特に何も思わないよ。21歳の方をロリコンだのショタコンだの変態だのって責める気なんかないって。

 ただ、私とクラピカって歳こそは4歳しか変わんないけど、出逢った頃は4年前。クラピカ13歳で私は17歳だよ? こっちの方が法的には合法だけど、色々とヤバいでしょ。その時の感覚がまだ残ってるせいで、ついね」

 

 ソラの返答に、レオリオとセンリツがそれぞれ自分の眉間に指を当て、「……確かに」「それは……アウト判定が出るでしょうね」と納得してしまう。

 年齢差は変わらないし、成人越えと未成年な21と17の方が本来ならアウトだろうが、13歳が恋愛対象な17歳は、どう考えても17歳が恋愛対象な21歳よりも児童性愛というアウトな性癖持ちを疑われる。

 

 もちろん、13歳にもなればやけに大人っぽい者も少なくないので、これは大いなる偏見に過ぎないのだが、外見は大人でも中身が見た目不相応に未熟なのは確実。

 この場合の問題は歳の差よりも、デフォルトの年齢。同じ年の差でも、13歳と9歳なら余計にヤバさがわかるだろう。まだ2歳程度の差ならともかく、4歳差なら年上側が世間知らずな年下側をたぶらかしているようにしか見えなくなるのは仕方がない。

 

 ソラの言葉に納得した。彼女の発言は、正論である。

 しかし、だからこそレオリオとセンリツは心の底からクラピカに「余計なこと訊いてごめん」と思ってしまった。

 

 ソラの答えは正論だが、正論で「クラピカは恋愛対象にならない」とぶった切っているのだから、謝るしかない。

 

 ソラのトラウマや歪んだ価値観以前に、真っ当だからこその戦力外通告に本気で申し訳なく思うわ、しかもこの話をクラピカが知れば、最初から冗談抜きではあったがレオリオの命の危機が本気で洒落にならないわで、レオリオはちょっと焦りの脂汗を流しながら、「いや、でもお前とクラピカって一ヶ月くらいしか一緒にいなかっただろ?」と、何とかソラから「クラピカを恋愛対象にしてはいけない」という意識改革を試みる。

 

「そうね。4年前ならともかく、今の17歳のクラピカならせめてもう少し異性として見てあげないと可哀想じゃない? 自分が全く成長してないと思い込んで落ち込みそうだし」

 

 センリツもクラピカがあまりにもあんまりなので、レオリオの意識改革を後押しする。

 しかし、この女はどこまでも容赦がなかった。

 

「いやぁ、4年前から比べ物にならないほどクラピカは成長したと思ってるし、再会した時も別人みたいに思えてびっくりしたけどさ……。

 正直言ってこの子、外見だけなら4年前の方が異性にちゃんと見えてた。一人称が『私』になってるのも合わさって、割と本気で時々私はクラピカの性別を忘れる」

「しまった、そうだこいつ再会して即行で、『妹だっけ?』とかほざいてやがった!!」

 

 異性として意識しちゃいけない年頃からずっと一緒にいたのなら、そりゃ赤の他人でも兄弟のように感じて、相手が20歳を過ぎても異性という認識が生まれない、むしろ認識してしまえば「近親姦」という最大級のタブーに触れてしまったかのような自己嫌悪と罪悪感に襲われてしまうのは十分にあり得る。

 

 が、一緒にいた時期がたったの一カ月ほどで、そこからいきなり4年後に再会したのなら、体格どころか顔も大幅に変わる時期なのだから、認識が「弟」から「異性」にシフトしてもおかしくない。むしろ、それだけの空白期間があっても家族としてしか見ない方がおかしいとレオリオは言い聞かせようと思ったが、この場合はクラピカが悪かった。クラピカの顔の造形が、女性的に整い過ぎていたのが本気で悪かった。

 

 レオリオが本気でさらにクラピカに殺されかねない理由で嘆き、センリツも頭を抱えて「どうしよう……。フォローする言葉が何も浮かばない」と、クラピカを絶望に叩き落としたいとしか思えない落ち込み方をしだす。

 

 当然、非はないはずなのに一番の戦犯なソラにとって二人の反応は意味不明すぎたので、戸惑いながら「っていうか、その質問はマジで何?」と改めて、彼らの真意を問う。

 もちろん、バカ正直に答えたらセンリツはまだしもレオリオがクラピカに殺されるのが確定してしまうので、レオリオは目を逸らしながら本当ではないが嘘でもない答えをひねり出した。

 

「え~と、いや特に意味はねぇけど、お前のクラピカ好きっぷりがどう見てもバカップルにしか見えねぇんだよ」

 

 嘘ではない。というか、本気でソラのクラピカに対する愛情が血が繋がらなくとも「弟」に向ける「家族愛」ならレオリオは何も言わなかった。

 クラピカは可哀想だが、それは強制して無理やり変えてしまえるものではないし、変えていいものでもない。

 

 そんなのクラピカだって言われなくてもわかりきっているだろうから、余計なことを言う気などなかった。

 本気で、ソラの抱くクラピカに対する感情が「家族愛」ならば、絶対に何も言わなかった。

 

「違う」という確証はないが、同じく「違わない」という確証もない。

 

「魔力供給」の話題で、何にもわかってなかったゴンが「何でクラピカにしてあげないの?」と言い放った時の反応から、元々違和感だった「それ」が無視できないほど大きくなった。

 

 ソラは、クラピカ相手に魔力供給しろと言われてパニックを起こしていたが、その顔に「嫌悪」らしき感情はなかった。

 あったのはひたすらな「羞恥」とそんなことをやらかしてしまった後、クラピカとどう付き合えばいいのかわからないという「困惑」や「狼狽」、そして何よりも自分たちの関係が変わってしまう、修復不可能なくらいに壊れてしまうことに対する「恐れ」は見て取れたが、家族としか思っていない者に対してならどんなに愛していても、愛しているからこそ絶対に抱く「嫌悪」は少なくとも、レオリオが見た限り読み取れなかった。

 

 もちろんこれも、魔術師という歪んだ価値観によるものの所為かもしれない。

 彼女にとって「魔力供給」という行為自体に羞恥を覚えても、精神的なものとはいえ人類の三大タブーの一つである「近親姦」に関しては何も思うことなど無いという、最悪の歪みを無自覚に抱えこんでいる可能性は極めて高かった。

 

 だからレオリオが藪蛇になるのをわかっていても、こんな余計すぎる世話を焼いて訊いているのは、その最悪の可能性を捨てたかったからが一番の理由なのかもしれない。

 

 そんな風に改めて自分の行動理由を分析しながらちらりとセンリツの様子を窺えば、彼女は少し困ったような顔をしつつも微笑んだ。

 困ってはいたが悲しげではなかったということはきっと、自分よりはるか深く、そして正確に他者の心理を読み取れる彼女は、レオリオよりも正確にあの時のソラの心理を読み取っている。

 そこに「嫌悪」がなかったことに気付いているのなら、レオリオの読みが真実ならば、彼女ならきっと「嫌悪」がなかった理由までも察することが出来るはず。

 

 そして察することが出来ているのなら、出来た上で困っていても悲しんでいないのなら、ソラのクラピカに対する想いの名は――

 

「ふーん。まぁ、ご期待に添えないようで悪いけど、私とクラピカはそんなんじゃないよ。

 我ながら溺愛しててやりすぎっていう自覚はあるけど、私は真っ当な家族愛っていうものがわかってないから、勢いに任せてやりすぎちゃうんだよね。なんなら、レオリオも同じくらい可愛がってやろうか?」

「やめろ。マジで死ぬからやめてくれ」

「どういう意味!?」

 

 レオリオの答えに、ソラは納得したような声を上げつつレオリオの言葉を全面的に否定する。

 ついでに彼女らしい悪ノリを発揮して両手を広げて、「さぁ、可愛がってやるからどんと来い」と言わんばかりの体勢を取るが、レオリオは真顔でそれを拒否して、ソラは割と真剣にその反応にショックを受けた。

 

 ソラは何か勘違いしているが、レオリオの反応は本心からだ。

 この女にクラピカと同じくらい可愛がられたら、間違いなく死ぬ。殺される。クラピカと、あとキルアによって確実に殺されるとレオリオは確信しているので、全力で拒否しておいた。

 

 全力で拒否しないと、本当にソラはレオリオ相手でもあの恥ずかしくなるくらいの溺愛をしてくるのは、容易く想像つく。

 レオリオが想像していた通り、ソラは自分でも自覚があった。

 家族愛というものをわかっていない。家族ならどれぐらいの距離感で接して、どれぐらいの干渉なら許されるのかというものが、彼女は何もわかっていないことを、自分がやりすぎていることを自覚していた。

 

 それはとてつもなく痛々しい愛情。

 

 母親のようにすべてを与え、全てを許す。だからと言って底なしに甘やかしなどはしない。何よりも誰よりも相手が幸福になることを願っているからこそ、叱責など厳しい態度も恨まれる覚悟で取る。

 そのあまりに大人びた愛情は、彼女自身が「愛」に対して幼すぎるから、純粋すぎるから、何も知らないからこそであるというのは、痛々しい以外の何物でもない。

 

 痛々しい。

 しかしだからこそ、その「愛」に希望はあるかもしれない。

 

 無知であり、純粋だから。

 

「家族愛」と今は名付けているその「愛」の名が、今ならまだ変えれるかもしれない。

 別の名前であることに気付けるかもしれない。

 

 そう思えたから、レオリオはもう一度ソラに訊く。

 

「ソラ。お前にとってはマジで、クラピカは『そんなん』にはならねぇのかよ?」

 

 きっとクラピカは、本当にソラが彼へと抱き、向ける感情が「弟」として、「家族」としてのものでしかないのなら、彼は芽生えてしまった、気付いてしまった「夢」を心の奥底に封じ込めて、無理やり別の名前に変えてしまう。

 ソラと気まずくなりたくない、ソラの傍にいられなくなるのは嫌だからこそ、その「夢」を自ら手折ってしまうのが目に見えた。

 

 何よりも大切な「夢」だからこそ、その「夢」を守る為に自分の手で捨てるしかない。

 それは仕方がないことだ。

 クラピカもソラも、どちらも潔癖なくらいで真っ当な倫理観を持っているからこそ、妥協など出来ない。

 この愛情の種類の違いはどちらかが全てを諦めて捨てない限り、ただ共に生きるということすら出来なくさせる。

 

 そして捨てるとしたら、クラピカの「夢」しかないのはわかっている。

「家族」として、「弟」としてしか見ていなかった相手を、いきなり意識を切り替えて「異性」として見れるような相手ならば、初めからこんな夢を見なくて済んだ。

 だから、クラピカは自らその「夢」を捨てることを選ぶだろう。

 

 それは、仕方がないこと。

 よくある話。ありふれた一つの「夢」の喪失であることくらい、わかっている。

 本来なら、口出しするのはあまりにも無粋な話なのだ。

 

 だけど……

 

「お前にとっちゃ、こいつはいつまでたっても守ってやらなくちゃいけないガキのままなのか?」

 

 ソラは残酷な程に、「家族」というものを知らない。わかっていない。

 だからこそ、まだ間に合う。

 まだ、そこにある愛情の名を変えることが出来るのではないかと思ってしまう。

 

 いや、変える必要すらないのかもしれない。

 

 間違いを正せばいいだけなのかもしれない。

 ソラが今は「家族愛」と名付けているその「愛」の名は、本当はクラピカの「夢」と同じ名前かもしれない。

 

「お前は、こいつにお前が必要なくなったら、独りでどこにだって行けるようになったら、笑って見送ってやることが出来んのかよ?」

 

 だから、訊いた。

 

「家族」という関係は、例え相手を疎んでいても決して切れない絆に結ばれているが、いつか絶対にそこから巣立たなければならない。

 親子でも、兄弟でも、その繋がりを断つことは決して出来ないし、断つ必要もないけれど、ずっと一緒にいるべきではない。

 

「家族」とは、最初であり最後のセーフティネット。いつか巣立って独り立ちすることを前提に守り抜き、どうしても独りでは耐えられない時に頼る最後の居場所。

 だからこそ、ずっとずっと寄り添い合うということは出来ない。

 それは助け合いではなく、ただの依存。甘やかしだから。

 

 けれどそんな「家族」という関係の中でずっと一緒に、最期の瞬間まで一緒にいることが出来る「家族」の関係は、ただ一つだけ。

 いつか巣立つことが、離れていくことが前提の「家族」という関係の中でただ一つ、甘やかしではなく支え合う為にその関係はある。元は他人であることが前提で、ただ一緒にいる為だけに「家族」となる。

 

 いつか必ず訪れる別れの瞬間、死が二人を分かつまでと誓い合って寄り添い合って、支え合って共に生きてゆく「家族」の名。

 お前たちの関係は、「姉弟」ではなくそちらじゃだめなのか? とレオリオは訊いた。

 

 

 

「――出来るよ」

 

 

 

 しかし、ソラは笑ってレオリオの問いに答える。

 あまりに綺麗な、透明な笑顔で。

 

「クラピカが、本当は私の助けなんかいらないくらい強くなったことなんか、とっくの昔に知ってる。もう、私が守ってあげなくちゃいけない子供じゃないことはわかってるよ。

 だから私が今していることは、この子の甘えに私も甘えているだけだってわかってる。

 

 だからこそ……クラピカが『もう大丈夫』って言えるようになったら、私は絶対に笑って『元気でね』って言うよ。それが……私があの子と出逢って見続ける『夢』だから」

 

 揺るぎなく、歪みなく、「家族愛」をわかっていないと言っておきながら、一番大切なことはわかっていた、一番愛しているからこそしなくてはいけない覚悟はとうの昔に決めていると、ソラは笑って答える。

 どこまでも澄み切った笑顔で、清々しいまでにはっきりと彼女は答えたから、だからレオリオは「……そうか」と応じる。

 

 応じて、センリツが口を挟む前に少し意地の悪い笑みを浮かべてまたすぐに尋ね返す。

 

「で? 本音は?」

 

 センリツのように相手の鼓動など聞かなくても、わかる。

 長い付き合いだとは言えない。自分が一番、彼女との関わりが少なくて、わかっていないことはきっと多い。

 そんなレオリオでも、わかった。

 

 彼女のあの澄み切った笑顔は、澄みきっているからこそ嘘であるということ。

 ソラのいつもの、その名にふさわしい笑みは晴れ晴れしいからこそ澄み切ってなどいない。

 海とはまた別の深さを見せる、底なしの歓喜や幸福に満ちた笑みだからこそ、その澄み切った笑みは偽りの底を見せることで「私は隠し事なんかしてませんよ」と思わせたいのがすぐに知れた。

 

 この女は誠実ではあるが嘘つきで、しかもその嘘は上手い。

 だからこそ、わざとなのか無自覚なのかは知らないが、見る者が見れば嘘があまりにもわかりやすい。

 

 彼女のことをろくに見ていない、そんな余裕のない者ならば容易く騙されるくらい自然に、完璧に嘘をつくけれど、完璧だからこそ少しよく見れば不自然だとわかる。

 一部だけやけに完璧だから、不自然なのだと気付ける。

 

 彼女のことをよく知っていれば……、たとえ余裕がなくとも、真実が残酷であっても優しい虚偽ではなくその真実を知りたいと真摯に望む者ならば、すぐにこんな嘘は見抜ける。

 

 そのことを端的に指摘してやれば、ソラの透き通った笑みは濁る。

 様々な感情が入り混じり、透明度を失って濁っているのに、それでも綺麗だった。

 

「……うん。ごめん、嘘だ」

 

 レオリオに見抜かれていたのが気まずそうで、嘘をついたことが申し訳なさそうで、嘘を見破られたことに困りながらも、自分の本音を察していながらそれを非難する様子が見当たらないことに安堵して、そしてその胸に秘めた本音を肯定してもらえることを期待するように、ソラは笑った。

 透明なんかじゃない。様々な身勝手で人間らしい感情が入り混じった、それがただの偶然で汚い濁り方ではなく綺麗な色になっただけに過ぎないけれど、それでも確かに、少なくともレオリオにとってあの透明な笑顔よりもずっとずっと好ましい笑顔で彼女は答える。

 

「本当は私、ずっとクラピカと一緒にいたいんだ」

 

 ハンター試験時からは比べ物にならない程伸びた白い毛先と、その髪を束ねる金糸で飾られた真紅のリボンの端を指先に絡め、いじりながらソラは照れ臭そうに、正直に答える。

 

「私、本当にクラピカに『もう大丈夫(必要ない)』って言われたら、たぶん寂しくて死んじゃう」

 

 ソラの本音の返答に、レオリオはもう一度「……そうか」と答えた。

 今度は、満足そうに笑いながら。

 心臓が「やっぱ口出しする必要なんかねぇ、余計な世話だった。心配して損した」と悪ぶりながら安堵しているのをセンリツは聞き、彼女はおかしそうに、そして彼女も満足そうに笑った。

 

 センリツの笑みで自分の本音は彼女にダダ漏れであることに気付いたのか、レオリオは急にふてくされて「あー、もうマジでてめーら今すぐに結婚しろ! そんでキルアに爆発されろ!!」と、もはや言葉を濁す気もなくして手っ取り早い色んなことに対する解決法と、その解決法に今の所一番素直じゃないがわかりやすく阻止しようとするであろう障害を口にするが、ソラは相変わらず訳がわからないと言わんばかりの顔で訊き返す。

 

「いや、だから何でレオリオは私とクラピカをそんなにくっつけたがってんの? っていうか何でキルアも出てきた?」

 

 クラピカにとっても、そしてキルアにとっても残酷なことを言い放つ女に、レオリオはまた更に呆れて「お前こそなんでまだそんなこと言ってんだよ?」と言い返す。

 

「むしろ何でお前は、いなくなったら寂しくて死ぬっていうくらいの相手が『弟』でしかないんだよ? そこまでこいつは『男』に見えねー、戦力外なのか?」

「そうね。せめて『弟』という意識でもいいから、クラピカが男性であることは忘れないであげて欲しいわ」

 

 レオリオの呆れと同情に満ちた言葉に続き、センリツも苦笑しながらせめてもの意識をするように注意する。

 しかし、この女はもはや家庭環境による価値観の歪みなど同情の余地にならない程に酷かった。

 

「いやぁ、確かに時々本気でクラピカの性別を忘れるけど、そもそも私は他人のこと言えないし、私の好みはどっちかっていうと年上だけど、年下はよっぽどの年齢差じゃない限り問答無用でアウトって訳でもないよ。

 でもクラピカはそういうの、『弟』って意識とか全部抜きにして冷静に考えれば考えるほど、クラピカって旦那や恋人にはないわー。絶対に、クラピカも私なんか願い下げだろうけど」

 

 ズバリと、ソラは言い放った。

 クラピカが寝てて良かった。本当に良かったと思いつつ、思わず固まったレオリオとセンリツがしばし間を置いてから同時に「……何で?」と訊いた。

 その問いにも、彼女は透明ではない素のきょとん顔できっぱり答える。

 

「だってクラピカは、緋の眼の為とはいえ就職先が色んな意味でブラックど真ん中だわ、すごく何事にも真面目だけど手先が不器用なのと、マニュアル頼りの頭でっかちな所があるからか家事、特に料理が壊滅的だし、人のこと言えないし女らしさに興味の無い私でも、時々真剣に凹むほどの美女っぷりだし、性格も意地っ張りで短気でキレやすいのに、ネガティブで放っておくといつまでもどうでもいいことで落ち込むっていう、ものすごく面倒くさい子じゃん。

 私はマジで、この子のお嫁さんになってくれる子がいるのかが心配で仕方がない」

 

 最後は真顔で言い放ち、レオリオは頭を抱えた。

 確かに、レオリオは自分が女ならクラピカはいくら顔が良くても、良い奴だとわかっていても、マイナス面が大きすぎて旦那や恋人にしたいとは決して言えないタイプであると思い知る。

 というかクラピカの場合、顔の良さもマイナス面だ。自分より美女に見える恋人なんか、絶対にお断りだ。

 まぁ、そんなレオリオの評価はクラピカ本人が「そもそも私にも選ぶ権利がある」と、心底嫌そうな顔で言われそうなのだが、そこは脳内で「うるせぇ、黙れ!」と怒鳴って黙らせておく。

 

 少しは希望があるかと思ったらやっぱり絶望に叩き落とすソラに、悪いのはソラなのかクラピカなのかとレオリオが頭を悩ませていたら、同じようにソラの即答に絶句していたはずのセンリツがクスクスと笑い出した。

 クラピカに対する容赦なさすぎる戦力外通告に、もはや笑うしかないという心境なのかと思ったら、センリツは浮かべる笑みは乾いた笑いではなく、本心からおかしそうな笑み。

 

 その笑みを不可解そうにレオリオとソラが見ていたら、センリツは笑いの合間にソラに向かって言った。

 

「そこまでクラピカの欠点とかもよくわかってるのに、あなたはクラピカがいないと死んじゃうくらい好きなのね」

「え? うん」

 

 センリツの言葉にソラは不可解そうな顔のまま、即答した。「何言ってんだ、この人は?」と言いたげな程の即答だった。

 そしてそのまま、やはり彼女は事もなげに言葉を続ける。

 

「旦那や恋人としてクラピカに良い所はぶっちゃけ私は見つけてあげれないけど、私はクラピカがクラピカでさえあればそれだけで大好きだけど?

 苦手な所や直してほしい欠点はもちろんあるけど、それがあの子を、『クラピカ』を構成する大切な一部ならそれさえも絶対に無くさないで欲しい、大好きな『クラピカ』だよ」

 

 惚気るように笑って言うのではなく、「それがどうしたの?」と言いたげに言い切ったソラの発言に、レオリオが「こいつどうしよう?」という心配から、「心配して損した」と言わんばかりの歪んだ顔になる。

 つまるところ、この女の言い放った「ない」理由はソラ個人の感情を排して客観的に見た場合であって、ソラ自身はクラピカのどんなところも嫌う理由にはなり得ないらしい。

 

 レオリオの胸やけしすぎて気持ち悪いと言いたげな顔にも気付いて、ソラは初めのレオリオに問われた時のように首を深く傾げるのが、レオリオの許容できる甘ったるさの限界だった。

 

「だぁっーー!! お前らマジで心配して損したわ!! クラピカの嫁の心配する必要なんかねぇよ!! そいつの心配するくらいなら、俺の心配をしろ!! 後ついでにキルアに謝ってやれ!!

 ほんとマジでお前ら爆ぜろ! 爆発しろ! 今すぐに末永く爆発四散しやがれーーっっ!!」

「レオリオ、落ち着いて。気持ちはわかるけど、落ち着いて」

「今すぐなのか、末永いのかどっちだよ?」

 

 ソラにとっては唐突、レオリオとセンリツからしたらソラが爆破ボタンを連打しまくった結果のレオリオのマジギレに、センリツは大いに同意しながら彼を宥め、ソラはやはり意味がわからずどうでもいい部分に突っ込みを入れていた。

 

 そんなバカなやり取りに、我関せずなのが一人。

 このやり取りの元凶であり、話題の中心人物であり、一番の被害者はこんな話がされていることすら知らず夢を見続けている。

 

 それが幸福なことなのかどうかは、誰にもわからない。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 羞恥に耐えながら女性向けのアクセサリー店をいくつか見て回り、そこで店員に「プレゼント用ですか?」ではなく、「ご自宅用ですか?」「そちらは普段使いにも便利ですよ」など、何の疑問もなくクラピカが使うことを前提……つまりは女性だと思い込まれて話しかけられ続けて心が折れかけていた時、見つけた。

 

 かんざしというソラの故郷に一番似た文化の国であるジャポンの髪飾りを眺めながら、「……これだと武器としても使えそうだな」と、アクセサリーとして使うべきではない使い道を思わず思案してしまうほど迷走していたクラピカが、「とりあえず候補で」とそのかんざしを元あった棚に戻して辺りを見渡した時、目に入った。

 

 鮮やかな真紅に、繊細な刺繍が派手過ぎず上品にあしらわれたリボンを。

 

 髪飾りを贈りたいと思ったのは、クラピカの「髪が長いソラを見たい」というわがままが実現してほしいという、誕生日プレゼントにするには本人をあまりに蔑ろにしている酷い理由からだ。

 だからせめて彼女の痛みさえ無自覚な傷が広がらないように、クラピカはなるべくシンプルなものばかりを探して選んでいた。

 

 可愛らしい、女性らしいデザインのものは避けて、なるべくシンプルな髪飾りを選んでいたが、ただでさえ女に間違えられる見た目だと自覚しているクラピカは、余計に間違えられそうだから髪を束ねなければならないほど伸ばしたことなど無いので、クラピカからしたら使い道がわかるものなんてヘアゴムとヘアピンくらいで、カチューシャすら実はよくわかっていない。先ほどまで見ていた、端的に言えば飾りのついた一本の棒でしかないかんざしなんか、どう使えば髪をまとめられるのかが見当もつかないレベルだ。

 

 贈る物は「髪飾り」と決めたが、ただでさえ使い道がわからないものを選ばなくてはいけないというのに、その中でもシンプルなもの、だけどプレゼント感があるものが良いと自分でまた難易度を上げていたことにも気付かず、その結果として「武器として使えるかどうか」という、ない方がいい選定基準を作り上げる迷走っぷりだったのだが、そのリボンを見た瞬間、思ってしまった。

 

「これが良い」、と。

 

 そこに、「きっとソラは喜ぶ」という思いはない。

 彼が避けていた、「女性らしくて可愛らしいもの」という基準に、今どき使う者などごくわずかすぎるヘアアクセサリーである「リボン」という時点でど真ん中に当てはまる。

 

 色は鮮やかであるが可愛らしすぎるパステル系でも、目が痛くなるほどのビビッドでもなくシックな色合いで、施された刺繍は上品な花の図柄なので、「リボン」という単語で連想させる幼さはない。

 むしろ上品なものなので、20歳を超えているソラでもシンプルなポニーテイルやただ一本に束ねるだけという髪型なら、下手に装飾が多い他のアクセサリーより可愛らしすぎるということはなくなるのではないかと思えた。

 

 思えたが、それはほとんど後付けの言い訳だ。

 本当にそう思っていたのなら、クラピカが選ぶべきなのは金糸に真紅のリボンではなく、そのすぐ隣りにあった銀糸で同じ刺繍が施された群青のリボンであるべきだ。

 

 そちらの方がソラの眼や髪の色に合っていてよく似合いそうだということは、女性への装飾品等へのセンスに全く自信がないクラピカでもわかることだった。

 なのに、クラピカが手に取ったのは真紅の方だ。

 

 本音はただ、その真紅に自分の一族の「眼」を連想したから。

 その真紅に飾られた刺繍の糸が、自分の髪の色に似ていたから。

 

 自分自身を連想させたから、だからただそれを贈りたくなった。

 

 自分が見てみたいと望み、自分が好ましいと思ったソラの長い髪に、自分が贈った、自分を連想させるものが飾られたら……それは言葉に出来ないほど幸福なのではないかと思ってしまった。

 

 肝心なソラがどう思うか、喜んでくれるかどうかという考えはなかった。

 もはやそこに、「自分と同じくらい嬉しさのあまりに困らせたい」という当初の目的だったはずの八つ当たりすらなく、ただただ自分のことしか考えていない、あまりに身勝手で自分本位なものでしかない。

 

 それは自己満足でしかないことを自覚できない程、クラピカは他者と自分を同一視などしていないし、自分だけ良ければ他などどうでもいいとももちろん思えない。

 だから、本当はとてつもなく悩んだ。

 もうクラピカの頭の中にはこの真紅のリボン以外の選択肢などなくなってしまっていたくせに、自分自身しか幸せにしないこの選択肢が嫌で、他に何かないかを探そうとしたが、しかしこのリボンを他の誰かに買われて、ソラではない誰かの髪に飾られるのがあまりに癪だった。

 

 だから、「他にどうしてもいいものが見つからなかった時の為の保険」と心の中で自分に言い訳して、購入した。

 いいものなど、見つけられないことなどわかっていたくせに。

 

 それが本来の過去、クラピカが辿ってきた道筋だったのに、この「今」のクラピカはそのリボンを見つけた瞬間、もう他の髪飾りはもちろんすぐ隣の群青にも目を向けず、何の躊躇もなくその真紅のリボンを取って、レジに向かった。

 心の中で、自分の自己満足に対する言い訳はしない。

 その後、見つけられもしないのにまだほかの店を回るなんてこともしない。

 

「本当にこれで良かったのか? 彼女が喜ばないのならまだしも、余計にソラを傷つけてしまうのではないか?」という不安だってない。

 

 だってクラピカは知っている。

 何故、そのことを知っているのかという根本的な部分を何一つ疑問に思わず、受け入れている。

 受け入れて、既知の未来を楽しみにするように笑いながら、自分の耳にぶら下がるイヤリングに触れる。

 

 この時点ではなかった、ソラから送られた誕生日のプレゼント。

 希望の名を冠する空青色の小さな宝石が証明する。クラピカの願いは叶うと。

 

 酷い身勝手な自己満足であったはずなのに、それは当初の八つ当たりはおろか、決して嘘ではない、ソラに本当に与えたかったものまでも彼女は受け取ってくれた。

 あまりに少女らしく、純粋に可愛らしく喜んでくれたことを、クラピカは知っている。

 

 だから、何の迷いも罪悪感もなくそのリボンを購入する。

 

 直接は見れなかった、窓硝子に映る鏡像だったけどもう一度見れたソラの、あまりに少女らしくて可愛らしかった嬉しそうな笑顔を思い出しながら、今度はくだらない意地を張ってそっぽ向くなんてもったいないことをしないでちゃんと見ようと、もう有り得ないはずの未来を夢見ながら。

 

 隣りに彼女はいない。手離さないと誓ったあの手も体温も、今はない。

 だけど、傍にいなくても確かに感じる彼女の存在。彼女がくれる幸福を確かに感じながら、クラピカは思う。

 

 共に生きるということは、きっとこういうことなのだろう。

 

 例え傍にいなくとも、心の一番大切な所に住み、そこで誰よりも何よりも幸福そうに笑って、幸福な未来を見れるように手を引いてくれること。

 きっとそれこそが、「共に生きる」ということだと思えた。

 

 たとえ、この手を引いてくれる彼女は結局のところはクラピカが作りだした己の願望そのものでしかなかったとしても、それは願望であると同時にクラピカの良心、決して穢してはいけない、清らかなままで守り通したいものだからこそ、ソラが決してしないであろうことに彼女の姿を反映させて言い訳に使うなんて真似は絶対にしない。そんなことは出来ない。

 

 だからもう、クラピカに不安はない。

 ソラと会って、弱音を吐き出してしまわないかという不安は消えてなくなる。

 ずっと傍にいたい。君から「間違っていない」という言葉が欲しい。そんな依存でしかない甘えはなくなって、ちゃんと自分の足で、一番正しいと思える方法で自分が歩みたいと思った道へと歩いて行ける。

 

 だから、クラピカはそのリボンを手に取って店から出る。

 

 あの日の夢が現実になった瞬間、幸福の形そのものの元へもう一度、歩み出す。

 

 

 

 

 

 ……クラピカは、気付いていない。

 知らない訳もないのに、現在(ゆめ)の自分も、過去(げんじつ)の自分もその知識を忘れてもいないくせに、意識には上がらなかった。

 

 そしてそれは、ソラも同じ。

 髪飾りが魔術礼装になるということをわかっていたのに、それ以外のことは意識しなかった。

 

 髪は女性にとって特に重要な部位と考える文化圏は、数多い。

 ソラの世界でもクラピカの世界でもそうなのだから、そのような文化が基本と言っていいぐらいだろう。

 

 だからこそ、「髪飾りを贈る」という行為に特別な意味を持つ文化圏の国も数多い。

 もちろん、その文化を未だに重要視している国などは相当少なくなっているだろうが、ほんの少しだけ民俗学や考古学など過去の文化に対する興味を持っていたら、積極的に調べなくても何かの拍子で知ることが出来るくらいに、よくある「意味」だ。

 

 だから、古代スミ族の刺青の意味を知るくらい博学なクラピカも、ただの文化としてではなく本当に魔力が宿りやすい髪を重視している魔術師だからこそソラも、その文化と意味を知っていない方が不自然だ。

 

 二人とも知っている。

 だけど、二人ともそのことを忘れていた訳でもないのに、意識しなかった。

 

 男性が女性に髪飾りを贈ることが「求婚」を意味し、それを受け取ることはその求婚を「了承」するという意味があることを、知っていたのに二人は意識しなかった。

 

 ……それは、意識してしまえば渡せないし受け取れなかったからなのかは、意識していなかった二人には当然わからない。

 だけど、知っていたし忘れていた訳でもないのに、クラピカが髪飾りを贈って、ソラがそれを受け取ったのは本当。

 そこに無意識のうちにどんな「意味」を見出していたかは、わからない。

 

 

 

 

 

 

 わからないまま、世界は急転する。

 答えなんて、いつだってたいていが出せないままに世界そのものに流され、押しつぶされて、なかったことになる。

 

 答えを出せなかったという後悔だって、出来たら幸福な方なのだろう。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「!?」

 

 店から出た瞬間、クラピカはしばし眼を瞬かせた。

 

 何かが違う。何かが大きく違う。そう思いながらも、クラピカにはその違いがわからない。

 違和感を懐きながらも、その違和感の正体に気付けない。

 

 自分の視線が今までより酷く低くなっていることも、手に持っていたはずのリボンも、耳に飾られていたイヤリングがなくなっていることにも彼は気付けない。

 

自分が「何」を失ってしまったかに気付けないまま戸惑うクラピカに、「彼」は心配そうに声を掛けた。

 

「? どうしたの、クラピカ? 大丈夫?」

 

 その声に、胸の内で訴える違和感を押し殺して、無視してクラピカは答えた。

 今にも泣きたくなるほどの懐かしさがそこにあることに、クラピカは気付けない。

 

 だって「彼」がいることは、永遠だと信じていた当たり前だから。

 

「……何でもない。大丈夫だ。……パイロ」

 

 心配などないと彼は親友と自分自身に言い聞かせて、帰路につく。

 

 外に出るための最終試験はあと少し。

 あとは、買った生活用品を持ち帰るだけだと言い聞かせて。

 自分の大切なものは全てある。故郷も同胞も家族も親友も、外への期待や他者への信頼、親友と歩みたい夢も、何もかもがその手の内から零れ落ちてなどいない。

 何も失ってなどいないと言い聞かせて。

 

 心の空白を、虚を、空っぽな何かにクラピカは気付けなかった。






 夢の話をしましょう。

 前座に悲劇があるからこそ、ハッピーエンドが際立つのなら、
 悲劇こそがハッピーエンドの撃鉄を落とす引き金かもしれない。

 なら、
 逆もありうるでしょう?





 ――さぁ。
 悪夢(ゆめ)の話をしましょうか。

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