死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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100:心中の約束

「今、何時だ?」

 

 ソラの言葉に応じてから、数秒後。

 するりとソラの手首を掴んでいたクラピカの手が離れる。

 

 それはもう掴んでいなくても彼女はどこにも行かないと信じて安心しているからか、ただ単にいつまでも掴んでいられるだけの体力もなかったからかはわからない。

 

 だが、彼の赤みかかった茶色の両目にはだいぶ理性の光が戻ってきている。

 ようやく頭が少しはまともに働くようになったのか、クラピカは発熱で苦しげな息をしながらも時間を尋ね、その問いのソラは笑って答えた。

 

「2時だよ。午後のね」

 

 答えつつ、ソラは日付をわざとふせる。センリツもレオリオもそのことに気付いてながら、何も言わない。

 そしてクラピカがまだ5日だと思っていること、自分達が意図的に情報を一部隠したことに気付いていないことにホッとした。

 このはっきり言ってソラと同レベルで無駄というか無意味なくらい責任感が強いクラピカなら、1日半も眠り続けていたことを知れば、明らかにまだ体調が回復していないにもかかわらず仕事に復帰しようと無理するので、どうせすぐにばれるのなら体調が全快とまでは行かなくても、熱が下がるまではこの時差を誰も話す気はない。

 

 現にクラピカは、まだ休んでろと言われても地下競売はあったのか、仕事はどうなったのかをセンリツに尋ねるので、センリツは苦笑しながら答えてやった。

 

ネオン(ボス)は……地下競売の方はどうなった?」

「結局なかったわ。どうやら旅団を警戒して、来年から地下競売自体中止になるみたいよ。その代わり、後日今年の残りの品はコミュニティー主催のネットオークションをやるそうよ。ボスも渋々納得してくれたわ」

「……嘘だな」

 

 しかしこちらの答えはほぼ即座に見破られた。

 前半の地下競売中止に関しては疑う余地などない。おそらくは旅団の偽死体が具現化のタイムリミットを迎えて消え失せたことで、旅団は生きていることをコミュニティーが察したからこその中止だろうとクラピカは見当付けている。

 

 旅団の死体が偽物であったことを知らない者でも、幻影旅団が全滅した訳ではないことは知っているので、「残党に警戒して」と言えば納得するだろう。普通は。

 しかしクラピカの雇い主は、その普通には当てはまらない。

 

「彼女は臨場感を楽しみに来てたんだ。自宅のパソコンで競売を体験できるからと言われて満足するとは思えない」

 

 ネオンという少女は悪い意味で箱入り世間知らず、それゆえに歳よりも幼いぐらいの傍若無人なワガママであることをまだ1週間に満たない期間でさんざんクラピカは見てきたからこそ、もうどんなにわがままを言っても無意味だとわかっていても、ごねにごねるのは目に見えていた。

 しかしいくら十老頭にもファンがいてコネがあるとはいえ、さほど大きくないマフィアの娘のワガママをコミュニティーが聞き入れるわけもないので、結果としてはセンリツの言った通りで間違いない。

 

 だからこそ、クラピカは「渋々納得した」という細かい所が気になった。

「ごねたが諦めた」とでも言えばクラピカは何も気にしなかったが、渋々とはいえ納得したというのが、クラピカの知るネオンのイメージに合わず、それはクラピカに知らせたくない何かを隠していると、起きた当初の寝ぼけはどこへやら、しっかり彼は見抜いていた。

 

 この聡明なところは純粋に尊敬しているが、どうして自分から傷つきに行くのか……とセンリツは思いながらも、「真実を話せ」と訴える眼に負けて彼女は隠していた部分を語る。

 

「……嘘は言っていないわよ。

 ただ……、ボスが納得して大人しく帰った理由は地下競売中止を諦めたからじゃなくて……スクワラとエリザのことなの」

「……? スクワラと……エリザ?」

 

 一瞬、前者ともかく後者は本気で「誰だ?」と思ってしまうが、すぐにネオンに付き従っていた侍女の一人の名前であることをクラピカは思い出す。が、思い出したら出したで、余計に「その二人が何だというんだ?」と思い、目を丸くして訊き返した。

 その様子に、どうやら彼は全く二人の関係に気付いていなかったことにセンリツは少しだけ笑って教えてやる。

 

「あの二人、真剣に交際していたらしいのよ。

 で……、スクワラは緋の眼を持ってソラちゃんと逃げようとしてたんだけど……」

「そうそう。あの緋の眼……というか3日のオークションの競売品は多分全部偽物だよ。そのことに気付いて私、即効でその偽物を殺しちゃったんだよね」

 

 センリツの説明にソラも思い出したのか、彼女の説明を引き継いで語ると、クラピカも競売品までも偽物だったことは知らなかったらしく、またさらに目を丸くした。

 しかし競売品がフェイクじゃないのなら3日の襲撃の意味がまるでないのと、念能力による模造品を持っていたからこそ、ホテルの場所どころかソラとスクワラが車で移動していることさえも気づかれて追跡されたことに説明がつくので、クラピカはその話は「そうか」の一言で終わらせる。

 

「で、私がそれをさっさと殺しちゃったことで、そのスクワラって人が緋の眼を置いて逃げた所為で旅団の残党に盗まれたと思われちゃったんだよ。まぁ、その時には競売品具現のタイムリミットが切れてたみたいだから、コミュニティーに確認したらそもそもあれは偽物だったことはすぐに証明されて、結局お咎めなしだったらしいけど」

「そうか……。散々巻き込んだあげくにとばっちりをくらわせることになって申し訳ないが、それが最低限に済んだのなら良かった。……しかし、その話とエリザ、そしてボスに何の関係が?」

 

 競売品が偽物で、ソラが殺してしまったと言った時点で、スクワラがとばっちりと誤解で緋の眼紛失の責任を取らされるのではないかという想像をしていたので、ソラが続けた説明でクラピカは本心から安堵した。

 だが、ますますその話で「ネオンが渋々納得した」という話に結び付くのかがわからない。

 

 ネオンなら間違いなく、盗まれたにしろ紛失にしろ元々偽物であったにしろ、せっかく手に入れたお宝を手離す羽目になったことに泣きわめくはず。

 彼女の考えの足りなさからして、スクワラの話で旅団に脅威を感じて大人しく帰ることはあり得ない。そこまで考えられる頭があるのなら、もしくは度胸がないのなら、3日前にひと騒動は起こらずにすんだ。

 仮に納得したとしても、それならそれでわざわざスクワラがネオンの侍女と交際しているなんて微妙に気まずくなる事実を暴露する意味はないので、クラピカの疑問は更に深まってゆく。

 

「……あなたの想像は正しいわよ。ボスは緋の眼がなくなったと知って、すごく泣いてたし怒ってたわ。父親の方は念能力に多少の知識と理解があるから、あれが偽物だったとわかった時点でお咎めなしにしてくれたけど、ボスは自分の能力も無自覚だからあれが偽物だってことも納得してくれなくて……。

 それでスクワラはボスにひたすら八つ当たりされていたんだけど、それをエリザが庇ったのよ。

 

 …………お願いだから、この人を剥製にしないで。緋の眼を落札したお金なら自分が何をしても絶対に払うから、お願いだから殺さないで。殺したあげくに、剥製になんかしないでって泣きながら懇願したらしいわ」

 

 ソラから説明を引き継いでセンリツが答えた言葉に、クラピカは言葉を失う。

 失いながらも、聡明な彼はもうこの時点でセンリツが何故、嘘なんてどこにもないのに何を隠そうとしていたのか、その理由も察してしまう。

 

 彼女がクラピカに気を遣っていたのは、彼の目的である緋の眼はもうネオンの手元にはないということではなかった。

 

「……エリザの懇願に、ボスはショックを受けたみたい。

 彼女にとってエリザは……侍女たちはただの自分のお世話係じゃなくて友達か、親しんでいるおねえさんぐらいの人、……ボスにとって心を許せる大切な人だったのでしょうね。

 そんな大切な人の恋人を八つ当たりで剥製にするような人間だと思われていたこと……、そしてエリザが懇願しなかったら実際に剥製にしていたかもしれない自分にショックを受けたみたいで、……その後は大人しくなったし、自宅にも自分から帰る、競売はもういいと言ったそうよ」

 

 それは、あまりに今更な反省。

 そもそも、侍女を友達だと思っていたこと自体が愚かだ。ごく普通の令嬢と侍女ならまだ、雇用関係も主従関係も超えた友情が芽生えるかもしれないが、人体コレクターで合法のものを買い集めるだけではなく、自分を危険に晒す失敗を犯したとはいえ護衛を剥製にしてコレクションの一部にし、自分の仕事のマネジメントもしていた一番付き合いが長い護衛の死さえも気にかけない娘に、心を許せる者などどれほどいるか。

 

 間違いなく彼女は侍女たちに、機嫌を損ねたら殺された挙句に死後の尊厳さえも凌辱され続けると思われて、ずっとずっと恐れられていたはずだ。

 彼女が腹を割って話していると思ったのは、全て幻想。気が合う友人ではなく、どんなにおぞましい話でも、笑顔の仮面を貼り付けて合わせていただけにすぎない。

 

 ……たとえ、本心から自分の友人は何があっても、どれほど珍しい身体的特徴を持っていたとしても、剥製にしたいとは思わない。その行為をおぞましいと思っていたとしても、信用などされていなかったことを知った。

 そして、信用されなくて当然だったことも彼女は思い知った。

 

 直接手に掛けたことは皆無でも、自分が軽々しくコレクションしてきた人間にもその死を悼む誰かがいたことを今更になって思い至り、そしてその遺体をコレクションとして扱うことがどれほど冒涜的なのかを、自分の大切な人だったら簡単に想像がついて「おぞましい」と思えたのに、自分に興味がない相手ならただの「物」としか思っていなかった、何よりも冒涜的でおぞましい自分の矛盾に気付いてしまった。

 

 そのことを、センリツはクラピカに隠しておいてやりたかったのだ。

 たとえこれも、体調が回復して仕事に復帰すればすぐに気づくことであっても、せめて今は安らかに休めるように時間稼ぎをしてくれていたのだろう。

 

 旅団と同じくらい憎くてたまらない相手が、あまりに今更で、そして罪悪感ではなくただただ自分の真っ当な部分を守る為に自分自身をおぞましいと感じてショックを受けたという事実は、クラピカを救わないと思ったから。

 余計に彼が傷つくだけだと思ったから、黙っているつもりだった。

 

 けれど……

 

「…………そうか。

 すまない、センリツ。気を遣わせて」

 

 クラピカは目を伏せて、発熱で苦しげな呼吸でありながら穏やかに答える。

 声音だけではなく、その顔も、鼓動も彼は穏やかだった。

 

 クラピカの答えとその様子に、センリツだけではなくレオリオも意外そうに丸くした目で彼を見下ろす。

 ソラだけが、黙ったままだった。彼と同じように、穏やかに笑いながら彼を見下ろしていた。

 

 伏せていた目を再び開いたクラピカが、意外そうな顔をしている二人に気付いてやや苦笑しながら二人の疑問に横たわったまま答える。

 

「……少し前の私なら、間違いなく神経を逆撫でされる話だっただろうな。……自分以外の誰かを大切に思う、死んで欲しくないと思える心があるのなら、どうして人体蒐集などというあまりにも惨たらしくておぞましいことが出来るのだ? という怒りしか湧かなかったはずだ。

 

 ……だが、旅団との一件で色々と振り切れたのと、……先ほどまで見ていた夢の所為か、許す気になれないが彼女があのような悪趣味を悪趣味だと自覚できなかった環境に同情し、期待を懐けるようにはなった。

 ……ボスは、彼女は過保護で箱入りに加えて、マフィアの一人娘という立場の所為で一般常識が通じない世界しか知らない。誰も彼女に、当たり前のことを教えてやらなかった。周りの人間は自分の言うことだけを聞くロボットではなく、自分と同じく血が通い、感情を持つ人間であることすら知らなかった。人体さえも物としか思えなかったから、それがどのような経緯で自分の手元にあるのかということなど考えたこともなかったし、教えられても彼女にとってそれは果実の収穫過程くらいにしか思えなかった。

 

 ……それが、今回の一件でようやく自分以外の誰もが自分と同じ人間であり、自分のしていることがおぞましいと思えたのなら、今は結局自分のことしか考えていない自己嫌悪でも、いつか……心から自分のしていたことを悔やみ、その罪を償いたいと思ってくれるのなら……それはきっと、私自身が自分の手を汚して旅団を殲滅することよりも……、自分を殺して人体蒐集家に媚びて同胞たちを取り戻すことよりもずっと救われる。

 ……そんな期待を、私はしているのだよ」

 

 その期待は、しない方がいいことなんてきっと誰もがわかっている。

 わかっていたからこそ、クラピカはしていなかった。そんな期待をすればするほど、自分が傷つく。罪深いのは相手の方なのに因果応報は訪れてはくれず、自分たちの罪など自覚しないままのうのうと生きているのを見れば見るほど、その期待はクラピカを傷つけ続けるからこそ、とっくの昔に捨てたはずのものだった。

 

 けれど、その捨てたはずの期待を、捨てたことも持っていたことすら忘れていた期待を思い出して、見つけて、そして拾い上げてしまった。

 

 旅団は、血も涙もない、人の心など持ち合わせていない奴らではないと知ってしまった。

 

 この世は()()で分かれてなどいない、誰もが灰色である事を知った日を思い出した。

 

 ……「こうなればいいな」という願いが、叶った。

 

 たとえそれは泡沫に消える夢の出来事でも、あの瞬間は間違いなく真実だったから。

 あの世界が、クラピカの生きている世界だったから。

 

 だから、こちらでも信じたくなっただけの話。

 

 期待は自分を余計に傷つける重荷ではない。

 夢は叶うものだと信じたくなったから、クラピカは期待することにした。

 

 あまりにおぞましい収集癖を持ちながらも、誰かの幸福を望み、そこへ導く為に未来を書き記してきた少女を信じることにしたのは、ただそれだけの話だ。

 

 * * *

 

「……そう」

 

 クラピカの答えを聞いても、レオリオはもちろん、心音で相手の心理は読み取れるセンリツですらどうしてそのような心境になったかの経緯はさすがにわからず意外そうな顔をしていたが、ソラだけは笑って応じる。

 

 彼女だって何もわかっていない。むしろ「空」の記憶がないのだから、クラピカが色々と吹っ切れていたことすら知らないはずなのに、ソラは心から嬉しそうに笑っていた。

 クラピカが捨てたはずの期待を拾い上げて、いつでもクラピカがまた持ちたいと思った時にすぐ手渡せるように、どんなに傷ついても手離さず、大事に抱え込んで守って来てくれた人は、クラピカのものだけではなく自分の期待だって捨ててなかった。

 

 自分が傷つかない為の予防線に、自分の本意ではない選択ばかりを取るのではなく、傷ついてでも自分が歩みたい道を選んでほしいという期待がやっと叶ったことに、ソラは穏やかに、けれどあまりにも満ち足りた微笑みを浮かべてくれていた。

 

 その笑みを見上げて、クラピカの胸の内にもあたたかなものが満ちるが、同時にそのあたたかさを冷ましてゆくものも少しずつ広がっていく。

 

「……センリツ、レオリオ。少しだけ、席を外してくれないか」

 

 クラピカは動かして痛む関節に顔を少し歪めながらも上体を起こして、二人に頼む。

 理由は何も語らないが、どちらも何も訊きはしない。

 まだ寝とけ、無理するなとは誰も言わず、センリツは「えぇ」と静かに応じ、レオリオはいつものように「へいへい、お前らもうマジで末爆しろ」と意味不明な捨て台詞を吐いて立ち上がり、部屋から出て行った。

 

 残されたのは、クラピカとソラだけ。

 

 コンクリがむき出しの床に座り込んだソラは、黙って笑ったままクラピカと向き合っている。

 笑っているが、その笑みは先ほどまでの笑みとは違う。

 

 満ち足りたように幸福な、晴れ晴れとした笑みではなく、どこか寂しげな笑みは全知だからこそ救われない女神とよく似ていた。

 だけど、その眼には諦観の絶望などない。

 

 希望も期待も未来もどれほど傷ついても手離さない証に、クラピカは手を伸ばす。

 ソラの頬に触れ、親指で目じりを一度撫でて、訊いた。

 

「……これは、もうこのままなのだな?」

 

 ソラの()()眼を真っ直ぐに見据え、訊く。

 気付いていないふりをして、答えなど知らないままでいた方がきっと楽だった。

 けれどそれは、この心に満ちるあたたかなものを気付かぬ間に徐々に凍てつかせて凍らせて、クラピカをどこにも行けなくさせるから。

 

 だから、わかりきったことを訊く。

 

「――うん」

 

 この世の果て、天上の美色であるセレストブルーでも、その名にふさわしいスカイブルーでもないが、その眼は夜空のように闇に近いがどこかに光を灯すミッドナイトブルーではなかった。

 色味はまだ暗い方だが、遠目からでもその眼は黒ではなく青だとわかるくらいの明度、サファイアブルーの双眼を細めてソラは肯定する。

 

「……うん。これはもうずっとこのまま。直死の使い過ぎの副作用なのは同じだろうけど、一時的なものじゃない。デフォルトの精度が上がっちゃったみたい」

「……視力は?」

「落ちたけど、元々私の視力はかなり良い方だったから気にしなくていいよ。今でも普通に1.0はあると思うし」

「嘘じゃないだろうな」

「嘘つくのなら、『いつものが長引いてるだけ』って言うさ」

 

 クラピカの問いにいつもの調子を取り戻して、ソラは飄々と答える。

 何でもないことだと、彼に言い聞かせる。そしてそれは、強がりでも心配を掛けたくないからでもなく、本音であることを証明するようにまた晴れやかに笑った。

 

「本当に君は気にしなくていいってば。っていうか、私が思ってたよりもなんかずっと後遺症が軽くてびっくりしてるくらいだから、マジで気にしないでよ。

 今だから言えることだけど、私はもう視力は絶望的だなーって思ってたくらいだし」

「私もそう思っていたが、それは墓場まで持って行け」

 

 本当に今だから言えるが、今でも言って欲しくなかったあの限界を超えるほど直死の精度を上げた結果をあまりにも軽く語るので、クラピカはいつものようにソラの頭を引っぱたく。

 引っ叩きながらも、ソラは自分の眼の状態を不思議に思いつつもさほど疑問に思っていないことに安堵した。

 

 間違いなく、本来ならば視力を失って死の線と点しか見えない、地獄以上に地獄でしかない視界になるはずだった眼を、以前より悪化しているがひとまず元に戻ったのは「彼女」のおかげ。

 悪化しているのは、ソラがこちらの世界に来て直死を得てしまったのと同じ理屈。

 あそこまで直死を酷使して、元通りに戻ってしまえばソラ自身が「有り得ない」と思って思い出せない、思い出してはいけない記憶の蓋を開けてしまうかもしれないからこそ、少しばかりの後遺症をあの女神はあえて残したのだろう。

 

 だから、ソラの言う通りこの結果を、彼女の眼を気にする必要はない。これが最善であることはわかっている。

 だけど、クラピカの脳裏にはこの眼の行き着く先が、行き着いてしまうかもしれないあの(うろ)が消えない。

 

「……クラピカ?」

 

 いつも通り引っ叩いたかと思ったら、俯いて黙りこんだクラピカにソラは身を乗り出して、彼の顔を覗き込む。

 その顔には確かに、夜空色ではないが蒼玉の眼球で埋め込まれているのを見て、脳裏のあのIfを追い払い、クラピカはぽつりと語る。

 

「……ソラ。夢を見たんだ。

 いくつも……色んな夢を見た気がするが……ほとんどが思い出せない。覚えているのが……、外に出る為の最終試験で私が、パイロを侮辱したならず者どもに暴力で撃退しなかった結果、……旅団に同胞が虐殺されずに済んだという世界の夢だ」

 

 唐突に話が変わったこと自体にソラは気にせず、クラピカの夢の内容に少し眼を見開いて、それから笑った。

 

「いい夢だったんだね」

 

 所詮、夢でしかない。同胞が、家族が、親友が生きているということを現実に持ち帰ることが出来ない、意味などないから、「良い夢」と言っていいのかどうかはクラピカ自身でもわからなかったのに、ソラは自分が見た夢のように嬉しそうに笑って言った。

 

 現実に持ち帰れないからこそ、もう出会えるのはそこしかない。

 まだクラピカの愛しい人たちは生きている証明だと語るように、ソラは笑って喜んでくれた。

 

 だからこそ、クラピカの中の裁定者にして処刑人は、自分自身(クラピカ)を許しはしない。

 

「……あぁ。良い夢だったよ。……良い夢だったと思っていた。良い夢に……したかったんだ」

 

 クラピカはうなだれたまま自分の頭を両手で抱えて、ソラの言葉を肯定しながら否定する。

 良い夢だった。間違いなく良い夢だった。良い夢に出来たはずだった。

 良い夢にしたかったけど出来なかった、気付かぬまま通り過ぎて、何もかも手遅れだった夢。

 撃ち出せたのは絶望という幕引きだけだった。

 

「私が夢の中で、ならず者どもに殴りかかるのを思い止まったのは、君のおかげなんだ。私は、君と出会ってもいないはずの時期の夢で、そのことを何も疑問にも思わず、君を思い出したからこそ思い止まれた。

 私が同胞も故郷も何もかも失わずに済んだのは君のおかげだというのに、私は……私は……君と出会わないままのうのうと日々を過ごした。

 何も失わないまま私は、ゴンやレオリオやキルアと出会い、ハンターとなって、幸福に過ごしていたんだ。

 

 君のおかげで何も失わずに済んだのに、君のことを忘れて、私は……オレは……君を独りきりにした」

 

 目覚めたことで夢のほとんどが溶けるように断片的なものとなっているのに、それだけは鮮明に思い出せる。

 

 血の海と人間の残骸の中心に佇む、壊れきったソラが。

 狂いたくなかったからこそ一縷の希望を託した結果、さらなる地獄を突き付けられた空っぽの眼窩が。

 

 クラピカと出会えなかったソラの結末が、あそこまで壊れ抜くほどに手離せなかった「死にたくない」を、手離さないまま死ぬしかないという償いに追い詰められて行き着く先が、頭から離れない。

 

「……独りきり?」

 

 頭から離れない。

 けれど、その声はクラピカの耳に届いた。

 

 本心から不思議そうな声だった。

 顔を上げた先で、ソラはその声の印象通り不思議そうな顔をしていた。

「笑っていた」とクラピカが指摘した時の女神と、全く同じ顔をして彼女は再び問いかける。

 

「? その夢の中で私とクラピカは出会ってないの? クルタ族が虐殺されず、私がいないだけの世界の夢ならマジで私はいないんじゃない? そもそも、この世界に流れ着いたのが奇跡みたいなもんだし」

「……いや、一応最後に出逢ったのだが……」

「なら、私は独りじゃないじゃん」

 

 初めのうちはソラが言っている意味がよくわからなかったが、どうやらソラはクラピカの夢には自分はクラピカが思い止まったきっかけ以外に登場していないと解釈していたらしく、若干脱力しながらクラピカは訂正を入れる。

 しかし、訂正を入れてもソラはクラピカの言っていることに納得も理解もしかねるのか、腕を組んで首を傾げていた。

 その反応に、クラピカの方も納得も理解も出来ずに更に困惑する。

 

「夢の中だと私とソラが出逢ったのは4年前、お前がこちらの世界に来てすぐではないのだよ」

「うん。それが?」

「……クルタが虐殺されていないから、私は自暴自棄にもなってはおらず、スラム街など足を踏み入れたりはしなかったんだ」

「そりゃそうだろうね」

 

 困惑しつつも説明を続けるが、どうしてもソラはクラピカの言いたいことを理解出来ず、何故かクラピカは張本人にトラウマを抉られる羽目となるが、クラピカの方もソラの珍しいのかいつものことなのかよくわからない鈍感さに混乱しているのか、八つ当たりの苛立ちさえも起きなかった。

 

「だから、……夢で私と出会ったソラは、……死んではいなかったが生きてなどいないという状態だった」

「だろうね」

 

 ソラに対して気を遣っているのか、ただ自分が思い出したくない悪あがきなのかもわからなかった遠まわしな説明が底を尽き、クラピカが核心を突いた答えを述べるが、それでもソラの反応は変わらない。

 しれっと何でもないことのように納得して言い切ってまだクラピカの答えを待つソラに、ようやくクラピカは自分のしていた誤解に気付く。

 

 彼女はクラピカの言っていることの意味がわかっていないが、そのわかっていない部分は夢の中で自分がどんな状態なのかではなかった。

 初めから彼女はわかっていた。

 

 4年前に、こちらの世界に流れ着いてすぐにクラピカと出会っていなかったら、自分はどんな結末を迎えたかを。

 自分がどんなふうに壊れ抜くかを、ソラはクラピカよりもずっと正確に理解していた。

 

 唖然と自分を見返すクラピカに、しばしソラは怪訝そうな顔で見返していたが、彼の反応で彼女の方もクラピカがわかっていないと誤解していた部分に気付いたらしく、少し呆れたように言葉を続ける。

 

「なんか話が噛み合わないと思ったら、そっからわかってないと思ってたの?

 わかってるよ。自分のことだもん。私は君と4年前に出会ってなかったら、今とは全然別の壊れ方をしてたさ。今の上手くやれば誰にも迷惑を掛けずに済む、少なくとも私自身は割と幸せな壊れ方じゃなくて、誰も救われないわかりやすい壊れ方をしてることくらい、わかるよ。

 その夢の私、たぶん目玉なかったんじゃない? それぐらい、今の私よりも死ぬ物狂いで『死』から逃げようとして……だからこそ、『死』を見ない為にこの世全てを無差別に殺しつくそうと暴走してたってところかな?」

 

 淡々と、最悪のあったかもしれない可能性を語る。

 それぐらい彼女にとってその壊れ果てた自分は、有り得ない存在ではなかった。

 もしかしたら、今でも一歩間違えればすぐさまそうなってしまうかもしれない、身近な結末なのかもしれない。

 

 なのに、ソラはそんな自分のIfに怯える様子もなく、再びクラピカに問い返す。

 

「で? だから何で、私が独りなの?」

 

 クラピカと出会ったのは、同胞の面影を色濃く持ち、そしてそれ以上に尊いものを抱えきれないほどくれたソラではなく、壊れ抜いて苦しみ抜いて、それでも死ねないけど死ぬしかない、殺す以外に生きる術などなかった死神であったことを承知の上で、問う。

 

 問いながら、答える。

 

 自分は独りではない、と。

 

「ねぇ、クラピカ。どうして君は、私を独りだと思うんだ?」

「……私が、4年前にお前と出逢えず……お前が壊れるしかなかったから……」

「出逢ったのが4年前かそうじゃないかってだけで、ちゃんと私と君は出逢ってるじゃん」

 

 その答えを否定するためにクラピカは答えるのに、ソラはクラピカの答えを「答えになっていない」と否定する。

 自分は決して独りではないと、答える。

 

 クラピカに下された罪を、否定する。

 

「……手遅れ……だったんだ! お前の言う通り、夢の中のソラに両目はなかった! とっくの昔に自分で抉って、さらなる地獄を見て、その地獄を消し去る為に誰も彼も殺すしかなくなっていたんだ!

 それなのに……それなのにお前は自分を破滅させるものを捨てなかったから! だから……だから……君は……ソラは!!」

「死のうとしたの?」

 

 どうしてソラがそんな風に言うのかも、自分は何が言いたいのかもわからなくなってきたクラピカが、手遅れだった、何も出来なかった、絶望のまま終わるしかなかった夢の結末をぶちまけて、叫ぶ。

 しかしその叫びにも、ソラは静かに応じる。

 静かに淡々と、自分が手離さなかったからこそ、そうするしかなかった絶望を、贖罪の幕引きを口にした。

 

「それで、どうしたの?」

 

 そしてそのまま、口にする。

 幕引きのはずなのに、結末のはずなのに、ソラは「続き」を問うた。

 

「君は、どうしたの?」

 

 終わるはずだった。手遅れだった。何もかもが今更だった。

 悲劇が訪れなかったからこそ救いもなく、壊れ抜くしかなかった自分にクラピカは何をしたのかを、何が出来たのかを問う。

 

 終わるはずでも、手遅れとしか思えなくても、今更であっても、クラピカが足掻いたことを信じて疑わない。

 

「……手を、伸ばした」

 

 だからクラピカも、答える。

 

「……死のうとする君を……止めた。やめてくれと……叫んだ」

 

 壊れ果てていても、どれほどの罪にまみれていても、今更であっても、それでも希ったことを。

 終わらせない為に、足掻いた続きを答える。

 

「オレは――ソラに生きていて欲しかった」

 

 その答えに、ソラは笑う。

 意外そうでも何でもない。わかりきっていたことを答えてくれたからこその安堵に満ちた笑みを浮かべて、彼女は事もなげに、クラピカの悪あがきに続きを、意味を与えた。

 

「なら、私はやっぱり独りじゃないよ。

 そこまで壊れても、この手が許しがたい罪にまみれていても、それでも私に生きていて欲しいと願ってくれた君に、私がそこまで壊れても生きてきたことに意味を見出してくれた君に出逢えたのなら、私はそれだけで十分救われる。

 

 ……君は何も悪くないし、何も失ってなんかいないよ。少しだけ遅くなっただけで、君の夢見たその世界は君の守り抜きたい大切なものは何も失われてなんかいない。

 途中で終わったから後味が悪く思えるだけで、その夢の結末は間違いなくハッピーエンドに至るとても良い夢だったんだ」

 

 * * *

 

 ソラのあっけらかんと言い切った答えに、クラピカの方が目を丸くして、それからボスっと枕の方に起こしていた上体を倒した。

 一瞬、ソラはクラピカが倒れたことに過保護を発揮して焦ったが、彼があおむけになって自分の額に手の甲を当てながら言ったことで、いつも通り呆れられただけだと思って安心する。

 

「……何というか、お前に対して罪悪感を懐くのが本当にバカらしくなってきた」

 

 本心からの言葉だった。

 それは自分が見た夢に関してはもちろん、このヨークシンでのこと、旅団のこと、自分と出会ったことやこれからのことも含めての感想だ。

 

 夢の中のソラは、結局は本人ではなくクラピカ自身の心の一部であることを思い知った。

 彼女はクラピカの良心だから、どんなにクラピカが望んでも人を殺した自分を絶対に許さず、かすかな正気を取り戻した時点でもう生きてはくれないけれど、本物はそこまで清廉ではなかった。

 普通に、生きたいから、生きる理由を見つけたのなら、生きていてほしいと誰かが望んでいてくれたら、生きる意味を教えられたら、死にたくないから生きることを選ぶような人であることをクラピカはすっかり忘れていた。

 

 よく考えなくても、わかるはずだった。

 自分が「やめてくれ」と叫び、手を伸ばして止めれば、生きて欲しいと望めば彼女はその手がどれほどの血で汚れていても生き抜いてくれることくらい、わかっていた。

 

 ――だって、今がまさにそうなのだから。

 

「そうだよ。私は好きでやりたいからやってることしかしてないんだから、罪悪感なんて肩がこるだけだからさっさと捨てなよ」

 

 クラピカの脱力しながら言い捨てた言葉に、怒ってもいいことを言われた本人はまったく気にした様子もなく笑って、クラピカを見下ろす。

 その本当に罪悪感を投げ捨てたくなるほど底抜けに明るい笑みをクラピカは見上げながら睨み付け、「少しは私に対して怒るなりしろ。自分のことに対して怒ることをめんどくさがるな」と、彼女の自分を蔑ろにする悪癖を叱る。

 

「別にクラピカの言う通りなんだから、怒る方が理不尽じゃん。

 ……それに、いいの? ちょうどクラピカが寝てる間に聞いた話で、クラピカに言いたいことがあったんだけど、熱が下がってからじゃなくて今、お説教が開始されてもいいのかな?」

 

 しかしクラピカの叱責は、墓穴かつ藪ヘビだった。

 自分に覆いかぶさるようにして見下ろしながら言うソラは相変わらず笑っているのだが、その笑みの種類は先ほどまでと全くの別物に変化している。

 

 花のように美しい笑みだが眼だけは笑っていない、ガチギレしている時の笑みで見下ろされて、クラピカは横になったまま思わず背筋が伸び、心の中で「私が寝ている間に、一体どんな話をしたんだ!?」と、レオリオとセンリツをちょっと恨んだ。

 

 謝って先ほどの言葉を撤回しようかとも思ったが、ソラは発熱しているから今すぐに説教しないだけだと言っていたのでそれは時間稼ぎにすぎず、むしろ我が身可愛さで自分の言葉を軽くなかったことにした方が余計に彼女の怒りを買うと判断して、クラピカは4年ぶりのガチギレ説教を諦めて受け入れる。

 

 同時に、どうせ怒られるのならという開き直りが迷いを断ち切る。

 

「一体何に関して怒られるのか恐ろしいが、それは大人しく聞くから少しだけ待ってくれ」

 

 言いながらもう一度クラピカは起き上がろうとするので、覆いかぶさる体勢だったソラはクラピカの肩を軽く押さえて、安心させるような柔らかな笑みに戻していった。

 

「はいはい。熱が下がるまで後回しにしてやるから、君はもう休め。まだ熱は高いし、体も辛いだろう?」

「違う。熱が下がって楽になってすぐに説教されるくらいなら、今すぐの方がマシだ」

 

 クラピカの「少し待ってくれ」を「熱が下がるまで」と解釈していたソラの手を掴み、クラピカは答えて起き上がる。

 

「まだ、お前に言いたいことがあるからそれを聞いてからにしろ。

 どうせ叱られるのなら、今一緒に怒られた方がマシだ」

「君は一体、何を言う気?」

 

 何故かまだ体を起こすのがやっとなくらいにしか回復していないのに、結構不穏なことを言い出したクラピカに、ソラは呆れが一周して感心しているような顔と声で訊き返す。

 そんなソラを、クラピカは真剣なまなざしで見据えて言った。

 

「ソラ。私はお前の望みを叶えてやれない」

 

 ソラはクラピカの言葉を、彼の答えを黙って聞いた。

 かなり唐突な話だというのに、「何の話?」と尋ね返すこともなく、彼女は淡く笑う。

 仕方なさそうに、苦笑した。

 

 諦観の絶望を双眸に刻みつけた女神の笑みに似ているが、別物の微笑み。

 仕方なさそうで、クラピカの答えを受け入れていながら、何も諦めていない眼。

 たとえクラピカ自身が彼女の望みを叶える気がなくても、自分の何もかもを犠牲にしても、結果として自分の望みどおりの結末に連れてゆくことを決意していることを、クラピカは知っている。

 

 知っていながらも、クラピカは選んで捨てる。

 

「私には、誰も殺さないという生き方は無理だ」

 

 ソラが最も眼を逸らしていたいものと向き合って、逃げ出した場所に沈みながらも望み、守ろうとしたものを否定する。

 

「私には、絶対に殺さねばならない者がいる」

 

 この手を汚し、最期の瞬間に自分自身を殺してやる権利を放棄すると宣言する。

 

「私は――」

 

 クラピカは、手を伸ばす。

 伸ばし、触れた先を見てソラは息をのんだ。

 

 そこは、「死」だった。

 クラピカにはもちろん、見えてなどいない。何の変哲もない。触れたからといって何も起こりはしない。

 そもそも、現実も同じ場所に「死」があるとは限らない。

 だけど、そこは確かにあの夢では「死」だった。

 

 彼女は自分の胸を、鎖骨の下あたりを自分の手で貫こうとしていた。

 自分を最も恐れる、逃げ出したい最果てに突き落そうとしていた。

「死点」はそこにあったから。

 

 だから、クラピカはソラの胸を。鎖骨の下あたりを指で突く。

 彼女にしか見えないし触れられないし殺せない。

 けれど、確かに彼は明確な自分の意思でそこに触れ、突き刺した。

 

 

 

 

 

「お前の死は、私のものだ」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 ソラの顔から微笑みが消える。

 

 クラピカの答えを受け入れ、否定しないくせにそのまま叶えてくれもしない、傷つくことも何も恐れていない、慈愛に満ちているからこそ狂気そのものの笑みが、血の気を失くした顔に、今にも泣き出しそうな顔になって唇を戦慄かせた。

 

「……君は……何を言ってるんだ?」

「そのままだ。私は今、お前を殺した。お前の死を私が受け持った。

 お前より先に私が死んでも、お前がどんな死に方をしても、……誰の手にかかったとしても、お前を殺したのはこの日の私だ。お前が自分自身を殺してやれないのなら……その権利をとうに失っているのなら……私が代わりにお前を殺してやる」

 

 ソラの縋るような問いに、クラピカは彼女が望んだ答えを返してやれない。

 彼女が一番望んでいない答えを、ただ静かに返答する。

 

「ふざけんな!!」

 

 クラピカの静けさとは対照に、ソラは声を荒げて叫んだ。

 

「何で君は、よりにもよってそんな意味のないことをしようとするんだ! もしかしてそれは私に対しての贖罪のつもりか!? だとしたら的外れにもほどがあるわ!!」

 

 自分の胸に触れるクラピカの指先を引っ掴み、怒りに顔を歪めてソラは叫び続ける。

 なんだかんだで本気で怒っていても理知的で、相手に付け入る隙を与えさせないソラが初めて取り乱した。

 取り乱して、クラピカの言葉を何とか撤回させようと足掻く。

 

「ふざけんな! 私は今まで一度も、君のために誰かを殺したことなんかない!

 私はな、どうせ誰も殺してなくても、自分で自分を殺してやったとしてももう手遅れだったんだ! 私はあの最果てに、『 』に落ちた時点でもう行き着く場所は決定してたんだ!

 

 私はこの生を終えたら、生まれ変わることも、天国や地獄っていう死後の世界という未来を失くす代償で生き延びて、『今』を得たんだから、だから……だから……私は誰も殺してなくてもあそこにまた落ちるくらいなら、自分の意思で自分が行き着きたい『今』の終着点に向かうために……選んで、切り捨てて、殺したんだ。

 全部、私の為で私の責任で、私自身の意志で選んだことなんだ。君の為なんかじゃないし、君の所為なんかじゃないんだ」

 

 叫び、そして再び泣きそうな声音で懇願するように、自分を殺したと言い張るクラピカの手を両手で握りしめて、自分の額に押し当ててソラは縋りつく。

 

「……だから、だから君は誰も殺さなくていい。君の手は君自身を最期に殺してやるために取っておけ。

 クラピカ。死の後にも未来はあるんだ。少なくとも、輪廻転生……生まれ変わりという概念は魔術の世界では『起源』というもので認知されている。君はクラピカという生者としてはもう、君の家族や親友と再び出会うことはないけれど、また出会う頃には違う名前で違う存在かもしれないけど、それでもまた出会えるかもしれないのに、……その可能性すら捨てる気か?

 記憶なんて何も残ってなくても、それでも君という魂に刻まれた君の全てが、クラピカという存在が失われても連綿と続いて、君の大切な人と再び同じ絆を結ぶ可能性はあるのに……どうして君は、それを捨てようとするんだ?」

 

 ソラの言葉の一つ一つが、クラピカの胸に突き刺さる。

 彼女をここまで取り乱すほどに悲しませて、ここまで縋り付くほどにやめて欲しいと望んでいることが本当に正しいのかという自信は、初めからない。

 

 だけど、たとえ間違っていてもクラピカは退かない。

 譲れない。

 一度口から出た言葉は、失った命と同じように取り返しなどつかない。

 

 もうどんなにソラが縋ってクラピカの言葉の撤回を望んでも、それは叶わない。

 だから気休めの、嘘でしかない、本当はもう手遅れだとソラもわかっている撤回なんかしない。

 ただ、自分が選んだ罪を背負って、自分で選んだ道を歩み続ける。

 

「……その連綿と続く輪廻にも終わりはある。どうせ、行き着く先は誰も変わらない最果てだ。

 なら、……今世では同胞たちが先に逝ったが、私が死ぬ時は一足先にさらにその先に向かうだけだろう?」

「それがバカなことだって何でわからない!?」

 

 クラピカの譲らない答えに顔を上げ、目のふち一杯に涙を溜めて怒鳴りつける。

 

「私みたいに選んでも選ばなくても先がないのならともかく、何で君はその先を自分で捨てようとするんだ!? いつか終わりが来るのなら、さっさと終わらせた方がいいって言うんなら、初めから生まれてこなければいいんだ!!

 君は、いつか終わるものを無意味だとか無価値だと断じるバカじゃないだろうが!!」

「あぁ、私はバカだろうが、そういうバカではないつもりだ。というか、私だってお前に対する贖罪のつもりなんかじゃない。

 私だってお前と同じだ。私は自分の為に自分の責任で、自分の意思でお前の死を受け持つと決めたんだ」

 

 涙目でわめきながらクラピカの胸に縋り付いたソラが、それでも静かに反論するクラピカの言葉によって一瞬呆ける。

 彼は罪悪感でまた、自分の幸福を捨てるという罰を選んでいると思っていた。

 しかしそれは否定される。

 

 ソラに責任を感じさせない為の虚言ではない。

 あまりにも真っ直ぐで真摯なこの眼が嘘ならば、ソラはもう何も信じることが出来ない。

 

「……ソラ。お前は先ほどの私の夢を、私が失いたくなかったものは何も失わずに済んだ、良い夢だと言ってくれたな。あぁ、良い夢だよ。あれが平行世界として存在してほしいくらいだ。

 ……だが、私はあの世界の私になりたいとは思わない。あの世界でも、私は一番失いたくないものを失っている。

 たとえお前があの世界でも今と同じように救われていると言ってくれても、私は絶対にあの世界では罪悪感に押しつぶされて耐えられない。……私は君の眼が好きだ。同胞の面影があるかないかなんてもはや関係ない。君の生きている証のような眼が好きだから、その眼を失っている君を前にしたら、身勝手な話だが君がいくら救われていても私が救われない。

 

 だから私は、この世界の私のまま、この世界の君と生きてゆきたい」

 

 クラピカの言葉が嘘ではないと信じつつも、そうじゃないとしたら何故、こんなことを言い出したのかがわからなくなっているソラが言葉を失っている隙に、クラピカは少しだけ笑いながら話を続ける。

 またしても唐突に変わる話だが、ソラは言葉を失ったまま、クラピカの胸にしがみつく体勢のまま、丸い眼で彼を見上げてただ聞くしか出来なかった。

 

「クルタ族が蘇るというのなら、蘇って欲しいことに変わりはない。けどその為に君がいなくなるのも、君が4年も救われないまま苦しんで、一番見たくないものを突き付けられ続けるのも嫌だ。

 いつか終わるからといって未来を蔑ろにするのはバカらしいが、もう終わった過去にいつまでも縋り付いている方がもっとバカであることも思い知らされたんだ。何も失わずに、誰も不幸にしないで幸福になどなれないことを、今更になって理解したんだ。

 

 私はもう『クルタ族(過去)』を見ない。同胞の眼は必ず全て取り戻すが、それは私が前を向いて歩いてゆくためだ。振り返ってしまう未練を捨てるために、弔うために取り戻す。

 私がこれから見るのも、手を伸ばすのも、手離さないのも今あるもの、この手に持つものを守り抜く為に生きてゆく。

 

 ……だから、ソラ。……君の『死』を私にくれ」

 

 クラピカの胸に額を押し当てて、ソラは呟いた。

 

「…………意味が……わからないよ」

 

 それしか言えなかった。理解出来なかった。

 クラピカはソラ自身がどれほど傷ついても、自分の何を失っても選んでほしかった生き方を選ぶと言ってくれているのに、なのにどうしてそれが自分を、ソラを殺すという結論に至るのかが理解出来ない。

 

 クラピカの話を聞けば聞くほどに混乱して、頭の中がこんがらがって行くソラとは対照に、クラピカは仕方ないと言いたげに笑う。

 ソラが初め、「望みを叶えてやれない」といわれた時と同じような苦笑を今度はクラピカが浮かべていた。

 

「……私は君を失いたくない。君を悲しませたくない。君に苦しんでほしくない。君と幸福に生きてゆきたい。

 だからこそ、君が決して失えず恐れ続ける終わりを、少しでも安らかなものにしたい。私には君の、自分が傷つくことに気を掛けず私や誰かを守り抜こうとすることは、どんなにこの『今』を幸福に生き抜いたとしても、その終わりが独りきりで全てだからこそ、無意味な最果てに落ちて溶けて、自分も無意味になることを恐れているからこそ、自分を蔑ろにしているようにしか思えない。

 その恐れが君を死にたくないのに死に急がせるのなら……私もそこに逝こう。

 

 独りじゃない。ソラ、君はこの生を終えても独りきりで落ちて溶けていくことなんかない。私が先に終わってしまうのなら、私がそこで君を待っている。考えたくなどないが、君が先に終わってしまったとしても、私はすぐ……なら君はむしろ怒るか。けど、長くても数十年ほどで同じところに逝くから……だから少しだけ待っていてくれ。

 何度も生まれ変わって別ものとしか思えない私だった魂ではなく、間違いない私自身が来ることを知っていれば、君なら耐えられるだろう?

 終わってしまった後も、そしていつか終わる『今』も」

 

 ソラの背を宥めるように軽く撫でていたクラピカが、ソラの肩を掴んで自分から引き離して、もう一度真っ直ぐに彼女を見据えて言った。

 今にも泣き出しそうな、自分よりも幼い面差しの、……迷子の子供のような、独りきりで途方もない道に歩き疲れたような顔をしたソラに言い聞かせる。

 

「ソラ。まだ、足掻け。足掻き続けろ。たとえこの命を使い果たしても、終わっても、また君が逃げ出した最果てに落ちても、足掻き続けるんだ。

 無意味なんかじゃない。終わりなんかじゃない。きっとそこにも、まだ『次』がある。先があると信じろ。それを否定し尽くす絶望に溢れていても、同じだけその絶望を打ち払う何かがある。少なくとも、誰もがそれを望んでいる。だからこそ、その最果ては結末を知りながらあらゆる命を生み出し続けるんだ」

 

 歩き疲れても、まだ歩み続けろとクラピカは言う。

 それは、あまりにも残酷な望み。

 

 だけど、それしか出来ないから。

 それだけが出来るから。

 

 神様は諦めることしか出来ないけど、全知でも万能でもない弱い人間だからこそ諦めないことが出来るから、その諦めない悪あがきがいつか神様ですら創り出せなかったものが生み出すと信じているから、神様だってそれを期待しているから――

 

 クラピカは、望みを口にする。

 神様でも、聖杯でもない。

「普通」という一番傷がつかない場所から一番離れたところにいながら、どれほど傷ついてもありきたりでありふれた幸福を望み、信じて手離さない人に叶えて欲しい望みを希った。

 

 

 

 

 

「ソラ。共に死のう(生きよう)

 

 

 

 

 

 生き抜く為に、終わりを恐れるあまりに「今」を蔑ろにしない為に、自分たちに残された命を、生を一瞬でも無駄にしない為に、この命を使い果たした先でもまだ「次」があると信じて足掻き抜く為に、心中の約束を願う。

 

 この願いは、あの女神が告げた「愛」によるものか「恋」によるものか、その答えは未だクラピカは出せていない。

 出せていないけど、それでもソラが好きなのだけは何があっても変わらないから。

 ソラと生きていたいから。

 どのような形でも、ずっと一緒にいたいから。

 幸福になりたいから。

 

 だからこそ出した答えと望みに、ソラは…………答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼玉の両眼から、「死」に繋がりながらも誰よりも何よりも苛烈な程に命の輝きを放つ瞳から大粒の涙をいくつもいくつもこぼしながら、ソラは笑う。

 迷いの果てにようやく自分がゆくべき道を見つけ出したように、笑って応えてくれた。

 

 

 

 

 

 まだ、足掻き続けることを誓った。

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