死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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103:無色の子供達

「到着したのは良いけど、何したらいいんだろうね?」

 

 飛行船と列車を乗り合わせ、享楽の都グラムガスランドに到着して早々、ソラは気の抜けることを言い出した。

 しかし訊かれたアタランテは、大真面目かつ申し訳なさそうに謝る。

 

「すまない。『特定の死者の念』という可能性しか頭になかったから、生きた人間の犯人像となる情報は何もないのだ。ゼロから探さなくてはならないな」

「いや、別に責めてないよ。っていうか、こんな胸糞悪くなる可能性なんか思い浮かばない方が健全だから気にしないで」

 

 雑談程度のつもりの言葉を重たく受け取ったアタランテをフォローして、とりあえずソラは宿探しを提案し、もちろんアタランテは了承する。

 

「けど、今日いきなり飛び込みで泊まれるところあるかな?」

 

 提案しといてソラは人ごみをすり抜けながらソラはちょっと不安そうに言うと、アタランテは「ハンター(ライセンス)の特権は何のためにあると思っているのだ?」と突っ込まれた。

 元々ハンター証は、免許書程度の身分証明書くらいにしか思っていなかったソラはすっかりそれに付属する特権を忘れていたので、苦笑しながら言い訳を続ける。

 

「そういやそうだね。でも、せっかく楽しみにして来てる旅行客の枠を奪うみたいでちょっと申し訳ないな。

 あーぁ、こんな仕事で来た訳じゃなかったら私もゆっくり見たかったなぁ。ロイヤルグラム」

 

 言い訳というか素の感想を呟きながら、賑わう街並みと人々をソラが眺める。

 観光事業で成り立っている町なので基本的に年がら年中人が溢れているが、それでも今はけた違い。その理由はソラが言った、この時期にグラムガスランドで行われる最大のイベント「ロイヤルグラム」である。

 

 この町、グラムガスランドはカジノやそれに付随する興行、ショービジネスで経済が成り立っているため、旅芸人やサーカス一座が年がら年中やってくる。

 そんな彼らにとって、この町の最大権力者であるグラム家が経営する高級ホテルで、同じくグラム家が主催するイベントであるロイヤルグラムでの成功は、そのまま興行一座にとっての栄光を約束されたようなものらしい。

 

 ミーハーではないソラにとって栄誉がどうたらこうたらは何の興味はないが、楽しいものや賑やかなものは純粋に好きな為、十分に興味が引かれるイベントなので本気で仕事で来ていることが惜しいらしい。が、ソラとは逆に賑やかなものを好まないアタランテは「前半はわからなくもないが、曲芸等の見世物に興味はないな。見るのなら一人で頼む」とそっけない返答をされる。

 その返答にソラはちょっとだけ意地悪く笑いながら、言い返す。

 

「そりゃ残念。来年くらいに仲のいい皆を誘って来ようかなって思ったけど、アタランテは不参加決定だね。キルアやゴンを紹介するいい機会だと思ったのに」

「!? 卑怯だぞ! 彼らも来るのなら私も行く!!」

 

 ソラの言葉でとっさにアタランテはむきになって前言を撤回するが、ソラの表情でからかわれていただけだと気付き、ふてくされたように唇を尖らせて睨み付けるが、ソラは飄々と「そんな顔しても可愛いだけだよ」と言い出す。

 

 この町にやって来るまで飛行船で3日ほど過ごしたことでずいぶん気安い関係になれたのは、アタランテ自身も僥倖だと思っている。

 しかし、ソラはアタランテが人間嫌いだが子供は好きだということで、彼女の食いつきがよさそうな子供の話……、つまりはキルアとゴン、あと昔のクラピカの話をしてみたら、ソラの想像以上に食いついてしまった所為で、アタランテがそっけない態度を取るとこうやって、彼女が会ってみたいと思っている子供をエサにからかってくることだけはいただけない。

 

 もちろん悪意はなく、ソラ自身が子供のようにアタランテに構って欲しいから言っていることは理解して、それを少し可愛いと彼女自身も思っているのだが、子供のような動機でソラの手の内で踊らされるのはやはりちょっとムカつく。

 

「……初めからだが、汝は年上を敬う気はないのか?」

「私、年上には甘える主義だから。年下には君と同じく全力で可愛がって甘やかす主義だけど」

 

 アタランテが言い返せば、ソラはしれっと笑って反省などする気はないと言い出す。

 この飄々と人を手のうちで転がして反応を楽しむところは、アタランテが出会った人間の中でもトップクラスに不快なパリストンに似ているくせに、彼と違ってムカつきはしても不快さは皆無な所がまたムカついた。

 

 不快さが皆無なのも、皆無なのにムカつくのも、「年上には甘える主義」と言いつつ気を遣っていることに気付いているから。

 アタランテをからかうのは、彼女の反応を面白がっているのではなく、3日前のソラの言葉で多少は吹っ切れたが、子供が好きすぎるのが災いして救えなかった罪悪感と、犯人を見つけられるだろうか、死者の念だった場合は除念師を見つけられるだろうかという不安に襲われる彼女の気を紛らわそうと気を遣ってくれていることに、アタランテは八つ当たりじみたムカつきを抱えつつも感謝していた。

 

「だから、来年その可愛がってる子たちをここに連れてくるためにも、さっさとこんな仕事を終わらせよう」

「……そうだな」

 

 何をしたらいいのか手探り状態だというのに終わらせた後のことしか見ていないソラに、アタランテは少し困ったように、だけど彼女が子供相手以外には皆無に等しい柔らかな微笑みを浮かべて答える。

 自分一人では罪悪感と憎悪だけを抱え込んで行動し、解決してもきっと傷つくだけだったものに、たどり着きたいと思える心穏やかな未来をくれたことに感謝しながら、アタランテは考える。

 その未来にたどり着く為に、自分たちがすべきことは何なのかを。

 

 が、その考えは纏まるどころか何一つ浮かばないまま中断させられた。

 

「! お母さん!!」

「ん?」

 

 人波をかき分けて飛び込んできた小さな人影がソラの腰辺りに飛びついて、ソラはきょとんとした顔で自分の腰にしがみつく相手を見下ろし、アタランテも同じ者に明らか輝いた目を向ける。

 そして注目されている当の本人は、ソラと同じくきょとんとした顔でソラを見上げて、やや間を開けてから言った。

 

「…………お母さんじゃない」

 

 ソラに抱き着いてきたのは、10歳前後の白いワンピースを着た女の子だった。

 服装は可愛らしいが色素の薄い銀髪は乱雑に短く、頬には大きな傷跡があるので、顔立ちだけ見れば男の子にも見えるが、どちらにせよとてつもなく可愛らしい子だった。

 ただでさえちょっとたまに傍から見たらお前がお巡りさん案件じゃないか? というレベルで子供好きなアタランテはもちろん、言動からして間違いなく迷子を放っておけるわけもなく、彼女は大分打ち解けたソラに対してもそっけなかったのが一転して、腰をかがめて視線を合わせ優しげに笑いかけて話しかけた。

 

「お母さんとはぐれてしまったのか?」

「……うん。お母さんと同じ服だから、間違えた」

「そうか。頑張ってお母さんを探していたのだな。偉い子だ。だが一人で探すのは危ないから、汝が良ければ私達にも探させてくれないか?」

「いいの?」

 

 子供の問いにアタランテは「もちろんだ」と即答してから、ソラの意見を全く聞いていないことに気付く。

 彼女の今までの言動からして反対する訳がないと確信しているが、さすがに失礼だと思ってアタランテは振り返って無視していたことを謝ってから了承を得ようと思ったが、ソラの顔を見てまず疑問が先に出た。

 

「……ソラよ。その顔は何なのだ?」

 

 ソラは何故か迷子の子供を凝視しながら、何とも言えない顔をしており、迷子の方もソラを見上げて不思議そうに首を傾げていた。

 もちろん、迷惑そうだとかそういう顔ではない。あえて言うならば「何でここにいるの?」と言いたげな顔を彼女はして、子供を頭のてっぺんからつま先まで凝視していた。

 

「あー……ごめん、変な顔して。確実に別人なんだけど、なんか見覚えがめっちゃある子だったからつい、ね」

「知り合いに似ていたのか」

「いや、知り合いではない……のかなぁ? 本人も何でああなるのかわかってなかったし」

 

 ソラの気まずげな返答で、何とも言えない顔と凝視していた理由にアタランテは納得したが、何故かソラはアタランテが納得して出した答えを否定する。というか、言っていることがアタランテからしたら支離滅裂で意味不明だ。

 しかしそこらを問い詰める前に、ソラはしゃがみこんで迷子の相手をしだしたので、アタランテも疑問は後回しにする。

 

「お母さんじゃなくてごめんね。私の名前はソラだよ。君の名前は何かな?」

 

 ソラの問いに、少女は愛らしくはにかみながら答えた。

 

「……()()()の名前は、ジャック」

 

 * * *

 

「私……『たち』? それに……ジャック?」

 

 少女の答えに思わずアタランテは戸惑って、彼女の言葉を反復する。

 どう見ても一人だというのに複数形の一人称で明らか性別に合っていない名前を名乗られたら、普通は誰でもそんな反応しか出来ない。

 そして普通ではないソラはというと、何故かその答えに頭を両手で抱え込んだ。

 

「汝は何をしてるのだ?」

「……いや、4年前の謎が解けたような、さらに増えたような、とりあえず『何でここにいる?』感が増したような……。

 ところで、君のお父さんの名前はもしかしてフラットとかじゃない?」

「? 私たちにお父さんはいないよ」

 

 ソラの問いにジャックはさらに不思議そうに小首を傾げつつ答え、アタランテも訳がさらにわからなくなったので「汝は本気で何を言っているんだ?」と呆れた様子で尋ね出す。

 ソラ自身も、「うん、何言ってるんだろうね私」と言いながら立ち上がり、気を取り直してジャックに手を差し伸べる。

 

「まぁ、私のことは置いといて君の『お母さん』を探そうか」

「うん!」

 

 母親が大好きなのかジャックはソラの提案に輝かんばかりの笑顔で答え、その手を取る。

 出遅れたアタランテは出しかけた手をあまりにも残念そうな顔で引っ込めるので、ソラはちょっと吹き出して彼女に睨まれる。が、「ジャック、あっちのおねーさんも迷子になったらいけないから手を繋いであげて」とジャックに提案したことで、アタランテの機嫌は一瞬で直った。

 この女、子供が絡めばかなり単純である。

 

 しかしアタランテの至福の時間はすぐさま終わってしまった。

 アタランテもジャックと手を繋いで名を名乗り、彼女の母親の特徴とどのあたりではぐれたのかを尋ねていた所で、「ジャック! どこなの!?」という女性の声が上がる。

 その声に反応してジャックも「お母さん!」と叫び、二人の手を振りほどいて駆け出した。

 

 二人がジャックを追って人波をかき分けると、そこにはソラと似たようなツナギを着て、濃い化粧をした20代後半程の女性がジャックと向き合っている。

 厚化粧と言っても、それは水商売風や若作りのためのものではない。強いて言えば、舞台劇風だろう。

 美しく見せることよりも、遠目からでも目や唇がはっきり見えるようにアイラインと口紅を濃く引いて強調し、両頬にはペイント。

 明らかにサーカスか何らかのショー関係のメイクをした女性がジャックと向き合って、彼女を見降ろして激しく叱責していた。

 

「どこに行ってたの!? もうすぐ公演だって言ってたのに、なんで勝手に出歩くの!?」

「……ごめんなさい、お母さん」

「ごめんなさいじゃない! 時間がないっていうのに何でこんなことするの!?」

 

 迷子になっていた子供に対して頭ごなしに叱りつけるだけではなく、手に持った縄跳びの縄を鞭のように地面に何度も叩きつけながら、今にも子供をその縄で打ち据えかねない、脅しのようなことをしている女性を見てアタランテは思わず、「何をしてる!?」と怒鳴りつけた。

 アタランテの怒声に女性は一瞬跳び上がって顔を上げるが、自分が怒鳴られたとは思っておらず辺りをきょろきょろ見渡す。その反応がまた、アタランテの神経を逆撫でした。

 

「迷子の責任は子供をちゃんと見ていなかった、手を繋ぐなどの対策をしていなかった親にあるものだろうが!

 怪我もなく無事に戻ってきたことをまずは喜べ! 貴様のしていることは躾でも叱責でもなく、責任転嫁だ!」

 

 子供を心配していた故にキツイ言葉で叱責していたのなら、アタランテも宥める程度にしか口を挟む気はなかったが、その女性の叱責は明らかに苛立ちをそのままジャックにぶつけているものだった為、アタランテは女性に詰め寄って反論する。

 すると女性はしばしアタランテをポカンと見返していたと思えば、やや呆然とした口調で「……そう……ですよね」とやけに素直に彼女の言い分と自分の非を認めて、今度はアタランテが肩透かしをくらう。

 

「……そう、ですね。やだ、あたし何でこんなに苛立ってたんだろう……? ごめんね、ごめんねジャック」

「ううん、いいよお母さん。悪いのはリハーサルしないで勝手に出て行った私たちなんだから」

 

 苛つきを露わに歪んでいた顔が一転して申し訳なさそうに女性はしゃがみこんで娘に謝罪すると、ジャックは自分の非を認めて母を許す。

 そして傍らのアタランテを見上げて、言った。

 

「お母さんを苛めないで」

「え? ……いや、その……だって……」

「はーい。ごめんね、ジャック。いきなりお母さんを怒鳴っちゃって。でもアタランテは君が苛められてるって勘違いしてたみたいだから、許してあげて」

 

 自分に先ほどまで向けてくれていた無邪気な笑みが、敵意そのもの視線になったことにアタランテが狼狽え、言葉を失っていると後ろからソラが明るくフォローする。

 ソラに対してもジャックは敵意の視線を向けたが、ソラはその視線に狼狽えず真っ直ぐに、初めから彼女に向けていた笑顔のまま見つめ返し、そして母親から「ジャック、ダメよ」と軽い注意を受けたことで、敵意は子供らしい拗ねたむくれ顔にまで軟化する。

 

「……お母さんに謝ってくれたら許す」

「そっか、ありがとう。いきなり余計な口出ししてごめんなさい。ほら、アタランテも」

「あ、あぁ……。出会い頭に大変失礼な真似をして申し訳ない」

「い、いえ。こちらこそ、お見苦しいものを見せてすみません。というか、もしかしてお二人がこの子を見つけてくれたんですか? そうだとしたら重ね重ねすみません! ご迷惑をおかけして」

「いや、そんなことはない! 見つけたのもつい先ほどで、探そうとした瞬間に見つかったから私たちは何もしていない!」

 

 ジャックの譲歩にソラは即座に応じて、アタランテにも頭を下げるように促した。

 アタランテはまだちょっと状況を理解し切れていないが、戸惑いながらも素直に謝罪すると母親の方も同じく戸惑いつつ、こちらももう一度謝る。

 改めて謝罪されると、アタランテも自分の沸点の低さを恥じ入って、謝られる筋合いも礼を言われる資格もないと言い張り、そのまま謝罪合戦になってきたところでソラが口を挟んで止めた。

 

「ところで、公演がどうたらこうたらって言ってたけど、時間は大丈夫?」

「あっ! す、すみません! このお礼はまた後日させて頂きます!

 ジャック! 行くよ!!」

 

 言われて時間が相当ヤバいことに気付いたのか、「礼は後日」と言いつつソラたちの名前や連絡先を聞きもせずにジャックと手を繋いで走って行ってしまった。

 ジャックは母親と走りつつも、振り返って二人に手を振る。謝罪したことで自分の宣言通り許したのか、その笑みは無邪気で無垢なものだった。

 

 アタランテはジャックに慈愛の微笑みを浮かべて手を振り返す。

 そして二人がある程度走って離れたのを見計らって、ソラに呼びかける。

 

「行くぞ」

「了解」

 

 何も説明していないが、互いにわかっていたので何も言わず聞かず、二人は走り去っていったジャックとその母親の後を追った。

 ジャックの母親の反応に困惑してしまったが、謝罪合戦している間に頭が冷えてアタランテはあの反応を結びつけた。

 

 子供に対して苛立ちを露わに、八つ当たりにしか見えない叱責をしていながら、それを注意すれば開き直るでも正当化するでも言い訳するでもなく、目が覚めたように素直に反省する。

 まるで先ほどまでは夢でも見ていたかのように……、誰かに操られていたかのような反応は、ソラが想定した「愉快犯」によって感情の一部を肥大化させられ、本来なら望んでいないことを後押しさせられていたかのようにしか見えなかった。

 

 あの母親とジャックは、ソラとアタランテが探し求める「愉快犯」にターゲット認定されている可能性が極めて高い。

 だからここで、逃がす訳にはいかない。

 

 母親のメイクと言動からして、あの母子はショービジネス関係者であることは間違いない。

 どこかのホテルのイベント係として専属契約しているのならまだしも、サーカスなどの巡業一座に所属しているかフリーの旅芸人ならば、今を逃せば明日どころか今夜中にでもこの町から去っていくかもしれない。

 

 おそらくは親を「後押し」している念能力はさほど強いものではない。だからアタランテの叱責をきっかけに、既に解けているかもしれない。

 それなら何の問題もないが、まだ掛けられたオーラが少し残っていたら、その残滓の所為でまたしても子供に対して普段なら何とも思わない些細なことで苛つき、その苛立ちに任せて手近にあって物で殴ってしまったり、投げつけてしまったら……、それが重い鈍器や刃物、高温の油だった場合は悲劇がまた増えてしまう。

 

 だからアタランテは駆ける。

 もしかしたら今度こそ、救えるかもしれない。最も嫌悪する「愉快犯」を最短で捕えることが出来るかもしれない。

 そんな期待をしながら彼女はソラに「幸先がいいな」と語るが、ソラから返って来た反応は煮え切らないものだった。

 

「う~ん。……まぁ、怪しいと言えばこの上なく怪しいな」

「? 今日の汝は妙に歯切れが悪いな。怪しいどころか、あの反応は汝が予想していた『愉快犯』の被害者そのものだろう」

「うん……。つーかアタランテはジャックのことでブチキレて気づいてなかったみたいだけど、少なくとも母親は間違いなく何らかの“念”が掛けられてたよ。“凝”で見てみたらあの人の顔、なんか黒いシミみたいなのに染まってて、君の叱責に納得したらそのシミが薄れて消えたから」

 

 ソラの答えにアタランテは、ジャックが理不尽に叱られているのを見て頭に血が昇り、自分が何しにこの町に来たのかを忘れていた、あまりにプロハンターとして迂闊な自分を恥じるが、それ以上にソラの答えはやや不謹慎だが嬉しかった。

 母親に“念”が掛けられていた、その“念”の効果でジャックにきつく当たっていて決して本意ではなかっただけでもアタランテにとっては十分救われる話であり、そして何より犯人が憐れな子供の死者の念という可能性はほぼ消えたことと、町に到着してすぐに守るべき対象を見つけられたのは最高の幸運と言って良かった。

 

 だからこそアタランテはソラの反応が腑に落ちず、もう一度尋ねる。

 

「なおさら汝は何故、そんなにも歯切れが悪いというか不安そうなんだ?

 まぁ、確かにこの現状を喜ぶのは、あの親子が被害に遭ってて良かったと言っているようなもので不謹慎な所があるが、下手すれば私たちが情報収集している間に彼女たちが最悪の事態に陥っていたかもしれないと思えば、このタイミングで出会えたのは僥倖だろうが」

「うん。私も二人と出会えたのはラッキーだと思ってるよ。犯人が死者の念じゃなくて愉快犯だってほぼ確定したのも幸いだけど……、母親の方はもう想定していた被害者の典型だからこそ、あの子がイレギュラーすぎて何か余計にややこしいんだよね」

 

 アタランテの言葉を肯定しながら、ソラは言外に「ジャックが怪しい」と語った。

 そのことに一瞬、感情的に反論しそうになったがすぐにアタランテは思い出す。ソラが言うまでもなく、確かにジャックは怪しい、不可解な部分があったことを。

 

 女の子にあきらか男性名な「ジャック」もかなりおかしなところだが、今に限らずいつの時代にも子供に嫌がらせとしか思えない名前を付ける親はいる。

 あの母親はそんなタイプには見えなかったが、もしかしたら父親が男の子欲しさに付けたのかもしれない。それなら酷い話ではあるが、さほど珍しい話でもないのでひとまず横に置いておける。

 

 横に置くことが出来ないおかしな点は、ジャックの奇妙な一人称。

 出会って10分も関わっていなかったのでろくな会話をしてないが、その短いやり取りの終始一貫、ジャックは「私たち」と自分を複数形で語っていた。

 明らかにおかしいのだが、あまりにも自然にその一人称を使うので、最初にその理由を尋ねるきっかけを見失ってしまえばそのまま受け入れてスルーしていたことに気付き、アタランテは自分の未熟さを恥じつつ「確かにな」とソラの言葉に応じる。

 

「……よくよく考えると、母親をあそこで庇えるような良い子がリハーサルを抜け出して一人で勝手に出歩くというのも不自然だな。

 もしかしたら、犯人は親だけではなく子供にも生前から能力で行動を少しだけ操り、誘導してさらに親が我慢しきれない、道を踏み外してしまうようにしているのか?」

「その可能性もあるけど、それならジャックの一人称の説明はつかないじゃん。っていうかアタランテ、こっちも気付いてないんだ」

 

 走りながらアタランテがさらに浮かんだジャックの不自然な部分を思い出して一つの仮定を作るが、その仮定は肯定しつつもジャックの一番怪しい所に何の説明がつかないことを指摘してから、ソラは意外そうに言った。

 馬鹿にしていたり呆れているニュアンスはないが、それでも自分が何かを見落としていることにすら気付けていないのが悔しいのか、ソラを睨み付けて「何をだ?」と尋ねる。

 

 ソラは走りながら、しれっと答えた。

 

「あの子、死者の念だよ。複数形の一人称はたぶん、複数の亡霊が融合してるから」

「…………………………は!?」

 

 * * *

 

「……有り得るのか? そんな『複数の亡霊の融合体である死者の念が、統合された人格を保ち、一般人にも見えている』というのが?」

「その実例を見ちゃったからには、有り得るとしか言いようがないなー」

 

 ぼそぼそと、グラムガスランド内では中堅に位置するホテルの舞台で繰り広げられる曲芸をほとんど見ず、他の観客の迷惑にならぬように小声でアタランテとソラは語り合う。

 もちろん話の内容は、「ジャック」というソラ曰く規格外としか言いようのない死者の念だ。

 公演が始まる前に説明をしたのだが、ソラでも未だに信じがたいのなら当然アタランテがそう簡単に納得できる訳もなく、何度も何度も同じような質問を繰り返し、ソラは律儀にその質問に答え続ける。

 

「アタランテは気付いてなかったみたいだけど、あの母親……アバキさんも能力者だよ。“纏”はしてなかったけど、流れ出るオーラの量が一般人より多いし、その流れも綺麗だった。

 だから初めは能力者にしか見えないのかと思ったけど、アバキさんの言動からしてジャックも公演に出演させてるんなら一般人にも見えてるでしょ。

 その場合、アバキさんはどっちなんだろうね。ジャックの正体を知っているのか、知らないのか。自分とあの子は本物の親子じゃないとわかっているのか、信じ込んでいるのか」

 

 公演内容が記されたプログラムを開いて眺めながら、ソラは語る。

 このプログラムと公演を見て新たにわかったことは、つい先ほど縄跳びをしながら綱渡りという曲芸を見せた、ジャックが「お母さん」と呼ぶ女性の名はアバキということだけ。

 それ以外は何もわからない。

 本当に、ジャックは能力者でもない一般人にも見えるのかはまだわからない。

 

 ……だが、プログラムには確かに彼女の名前が載っている。

 

 アタランテもプログラムのジャックの名を睨みつけながら、認めたくない、出来れば眼を逸らしていたい可能性、ジャックが死者の念だと知ってまず初めに浮かんだ可能性にようやく覚悟を決めて尋ねる。

 

「……ジャックが死者の念だとしたら、…………やはり一連の事件は愉快犯によるものではなく、あの子が…………」

「あ、それはない。いや、断言はまだできないけど可能性はかなり低い」

 

 しかしアタランテの決死の覚悟で尋ねた問いは、あまりにもあっさり望み通りの答えを返されて脱力し、望み通りなのに普通にムカついた。

 

「なら最初に言ってくれ! 無駄に肝を冷やしたではないか!!」

「ごめんごめん。ちょっとジャックがマジで有り得な過ぎたから忘れてた。

 けど、まだ断言できるほどわかってることはないけど、本当にその可能性は低いよ。そもそもあの子、そんなに新しい死者の念じゃない。3年どころか数十年物だよ。……いやぁ、マジで何なのあの子」

「……それは確かに、言い忘れても仕方ないほどに凄まじいな。というか、汝は見ただけでそこまでわかるのか」

 

 アタランテが小声で器用に怒鳴りつければ、ソラは謝りながら言い忘れてた理由と、彼女が一連の犯人、最初にアタランテが想定していたパターンではない根拠の一つを教えれば、アタランテは慄きつつ納得して別の所に突っ込みを入れた。

 

「あー、見ただけでわかるというか、私は念とか習得する前からそういうのにピントが合いやすい眼だったから、経験則で古い新しいくらいはわかるよ」

「……経験則になるほど見てるのか。そして、そんな汝でもジャックは有り得ぬものなのか」

 

 もはやどこに驚けばいいのかわからなくなっているアタランテに、ソラも困ったように苦笑してまたジャックの規格外ぶり話は戻る。

 

「うーん……、数十年物の古さも、一般人にも普通に見えるも、複数の亡霊が融合してるのも、一つ一つは珍しい方だけど有り得ないものでもないよ。でもこれら全部がそろってるのは、何なの? 奇跡なの? ってレベルだね。

 その中でも、複数人融合してて人格が統合されて破綻してないってのは、本当に奇跡としか言いようがない。私も今年の4月に7人融合の死者の念と戦ったけど、あれは完全に元の人格が入り混じって誰でもあって誰でもない混沌(カオス)になってた。

 けどあの子は確実にその死者の念以上の数を取り込んで融合してるのに、完全に『ジャック』っていう女の子の人格で固定されてる」

 

 死者の念に関して詳しくなくても、ジャックがどこまでも有り得ない存在だということだけはわかるその答えに、またしてもアタランテは「有り得るのか? そんなことが」と訊いてしまう。

 その問いにソラは、少し悲しげな眼をしたことにアタランテは気付く。

 気付きながらも、ソラがすぐに語り始めたので「言いたくないのなら言わなくてもいい」と止めることは出来なかった。

 

「……普通はね、どんなに善良な人間同士でも全然違う趣味嗜好の人間同士が融合したら、それはもう誰でもあって誰でもない混沌にしかならないんだよ。綺麗な色でも混ぜる色の数が多ければ多いほど、汚い色になるように。似た色ならマシだけど、それでも数を重ねればやっぱり同じだ。

 …………だから、『あの子達』は初めから混ぜ合わせる色なんかない、無色の魂だったんだよ。

 

 ………………アタランテ。ジャックという死者の念はきっと、『水子の集合体』だ」

 

 ソラの答えに、アタランテは言葉を失う。

 だから、ソラだけが語り続ける。

 

 この世で最も弱く、最も清らかな魂のことを語った。

 

「アタランテ。水子はね、祟らないんだよ。自然流産とか死産とか、母親に非がない不幸はもちろん、身勝手な理由で堕胎されても水子は決して誰も祟らない。

 だってあの子たちは憎悪を知らない。知性の芽はあるけど何も知らないまま死んでしまうから、誰も憎んでないし愛してほしいとさえも思っていない。水子っていうのは、『 』に最も近い魂。ただ原初の願いである『生きたい』『生まれたい』っていう本能だけの、小さくて弱々しいオーラそのもの……。

 水子が祟ったなんて話は、親自身の罪悪感にその無色の魂が染まって悪影響を与えているだけ。水子自身の意志じゃなくて、罪悪感を鏡のように反射してしまっただけの話」

 

「水子」というものが何であるか、生まれてこれなかった子供の怨霊ではないことを説明して、ソラはさらに話を続ける。

 

「……あの子はこの町で生まれたとは限らないけど、ここは昔からカジノとそれに付随する興業で成り立ってる。……サーカス巡業だけじゃなく、風俗関係も相当多い。水子が生まれやすい土地なんだろうね。

 ……仕事と割り切って、罪悪感なく堕胎する人が多かったから水子が汚染されなかったのは、幸なのか不幸なのか私にはわかんないや」

 

 アタランテからしたら、最も嫌悪する女の話に唇を噛みしめる。

 だが、ソラと同じようにアタランテも我が子を人の形になりきる前にずたずたに引き裂いてゴミ同然に捨てておきながら、そのことに罪悪感がないことを幸だとは口が裂けても言いたくないが、不幸だとも言えなかった。

 

《さあ! お次はこの妖精のように愛らしい姿からは想像も出来ぬほど巧みなナイフさばきをご覧ください!!

 投げナイフ使い、ジャックの登場です!!》

 

 司会のまだ若いピエロがマイクで「彼女たち」を紹介する。

 舞台の裾から登場したジャックは、公演前に来ていたワンピースではなく水着のようにかなり露出の高い恰好で、アタランテはあんな幼子の性も見世物にしていることに憤る。

 ジャックも舞台衣装とはいえ慣れないのか、恥ずかしそうにもじもじしながら舞台の中心まで歩いて来るが、中心に立ってスポットライトを浴び、ナイフを手にした瞬間、雰囲気が様変わりして彼女は他の芸人たちと同じようにプロになる。

 

 腰のホルダーにぶら下げた6つのナイフを引き抜き、それらを使ったジャグリングから始まり、的当ては百発百中、投げナイフという演目から少し外れるが観客が投げたリンゴを空中で一刀両断などという、司会の言葉が大袈裟ではないナイフさばきを見せつけ、観客を純粋にその技術で沸かし、拍手と喝采を浴びる。

 

 誰も、無人の舞台を不思議がったり不気味がったりする者はいない。

 そこに確かに彼女がいると認識している。

 誰も、「彼女達」は生きてなどいない、生まれてくることすら許されなかったことなど想像つかず、ただ純粋に彼女を称賛している。

 

 そして最後の演目。

 体の四肢をロープで固定された女性……、「彼女達」が母と呼んだアバキの足元には長い導火線がついたダイナマイト……に見せかけた花火程度の火薬。

 司会のピエロはこの爆弾が爆発する前にジャックがアバキを拘束しているロープをナイフの投擲で断ち切って開放すると説明し、導火線に火がつけられた。

 

 導火線は2mほどあったが火の回りは早い。20秒足らずで半分燃え尽きるが、それ以上にジャックが早かった。

 アバキを拘束するロープは太いので、かすったくらいでは拘束は解けない。しかし数ミリずれたらアバキの四肢をナイフがざっくり切り裂くくらい固く拘束されているにも拘らず、ジャックは4本のナイフという最低本数と、30秒足らずという最短時間でアバキを開放してしまい、逆に観客はスリルが足りず一瞬盛り下る。

 しかしアバキが解放された瞬間にジャックがプロとしての顔を投げ捨てて、「お母さん!!」と叫んでアバキに飛びついて抱き着くのを見たら、もう文句は誰も言えない。

 

 観客がほっこりと和んでいる中、アタランテだけが泣き出しそうな顔をしていた。

 

 我が子を殺したことに罪悪感も覚えなかった女が多かったことを、幸いだとは言いたくない。

 だけど、不幸だなんて言えなかった。

 罪悪感などなかったからこそ、「彼女達」は何にも染まらず、無色なまま互いに寄り添い合って、いつしか一つの形を得たのだから。

 だからこそ、「今」があるのだから。

 その「今」を、「彼女達」を否定したくなどないから言えない。

 

 母親に抱き着いて楽しげに、幸せそうに笑うジャックも、そのジャックをしっかりと抱き上げて観客に娘を自慢するように、見せつけるようにして惜しみない称賛の拍手を受け取るアバキも否定したくない。

 

 だからアタランテは両手を強く握りしめながら、隣のソラに、いつしか悲しげな眼から穏やかで優しい慈しみの眼で二人を見ているソラに告げる。

 

「……ソラ。犯人を見つけよう。必ず見つけて……守り抜こう」

「もちろん」

 

 アタランテの決意に、ソラは当たり前のように当たり前だと答えてくれた。

 

 まだ何もわかっていない。

 一連の事件の犯人は結局愉快犯なのか、特定の死者の念なのかも、アバキは本当にターゲット認定されているのかも、ジャックの正体をアバキは把握しているのかも、ジャックが一連の事件に何か関わっているかもわからない。

 だけど、あの親子の絆は嘘ではないと思った。嘘じゃないと信じたかった。

 

 守りたくて救いたいものであることだけは、間違いなかった。

 





アタランテを出すならこの子も出さなくちゃという使命感で出しました。皆の愛娘、ジャックちゃんです。
ソラさん、アポやFGOのアサシンなジャックとは面識ないけど、バーサーカーなジャックとは面識あるので、本編のような微妙な反応になりました。

ジャックの設定は原作と同じようで真逆な為、彼女の在り様が原作と変化しています。
そこらへんは今後の本編で明らかにしますのでしばしお待ちを。

一応、オリジナル回はオリキャラや型月キャラのスターシステムだけじゃなく、HxHのキャラを絶対に一人登場させるというマイルールで書いてます。そうしないと、HxH原作で書く意味がない気がするので。

けどこの中編はちょっとそのマイルールがぎりぎりセーフというか、セウトな感じが自分でもします。
アバキはHxHキャラというには微妙ですよね……。でも彼女以外、出せるキャラがいなかった。あと絶対にいつか出したいって思ってたんだ。

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