死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

121 / 185
104:被害者たち

「アバキさーん。それから、ジャック。お客さんですよー」

 

 司会をしていたピエロはメイクを落とさぬまま、控室と寝床も兼ねているホテルの一室のドアをノックし、中の曲芸師とナイフ使いの母娘を呼び掛ける。

 

「客? あたしだけじゃなくてジャックにも?」

 

 アバキは自分だけならまだしも娘の客には全く心当たりがないため、険しい顔でドアを開けずに中で訊き返すと、ピエロは「えぇ。ジャックにも用があるそうです」と肯定する。

 その肯定にアバキの顔はさらに険しくなり、普段は垂れ流しのオーラを身に纏って、ジャックには下がっていろと指示を出す。

 

「いやだ。私たちもお母さんを守る」

 

 しかし、ジャックはアバキの指示を拒否して、彼女の腰に抱き着いて離れない。

 娘の健気さを愛しく思うが、愛しいからこそ言うことを聞いて欲しくてアバキは悲しげな眼と厳しい声音で「ジャック。お願いだから」ともう一度言い聞かせるが、娘はやはり譲らない。

 なのでアバキは自分の前に出ないことだけを言い聞かせてそのまま慎重に、オーラを纏った縄跳びの縄を手にしてドアを開けた。

 

「どちら様?」

「や。お昼はどうも」

 

 堅いアバキの声音とは対極の気の抜ける声音と顔、そしてそのどちらにも覚えがあったことでアバキの警戒心はやや薄れた。

 真っ白な髪を赤いリボンで束ねた、男にも女にも見える不思議な美貌を持つツナギ姿の女性。

 そう簡単には忘れられない容姿の持ち主は、昼間のリハーサル前にいなくなったジャックを探していた時に出会った、ジャックを保護してくれていた二人組のうちの一人。

 

 アバキは一瞬きょとんと目を丸くしてから、「あ、こちらこそ」と言って頭を下げつつひっそりと辺りを窺う。

 どうやらここに来ているのは彼女一人、もう一人のジャックに特に気にかけてくれていた、猫の耳のような独特な髪形をした方の美人は周囲にいないことを確認したタイミングで、彼女を連れてきたピエロ……と言っても一座の仲間ではない、このホテルで下働きとして働く顔見知りの少年が不思議そうに尋ねてきた。

 

「知り合いですか?」

「知り合いというか、昼間にジャックを保護してくれた人よ」

 

 アバキがそう答えるとピエロの少年は人懐っこい笑顔で、「そうなんですかー」と言って相手に自己紹介を始めた。

 5年ほど前にも講演でこの町を訪れた時に出会い、ちょっと面倒をみた時期がある為、彼はアバキのことを姉のように慕い、その延長かジャックも可愛いがり、昼間もジャックを探すのを手伝ってくれたので、ジャックを保護してくれた相手にそっけない対応をされながらも、彼はメイクに似合ったおどけて大仰だが何度も感謝の言葉を述べている。

 その間に入り、アバキは相手に……ソラに言った。

 

「そういえば、あわて過ぎてお礼も全然出来てませんでしたね。どうぞ、お入りください。

 ジョン、大丈夫だからもういいわ」

 

 二人の会話を不自然に思われないように慎重にタイミングを計って遮って、アバキはソラを自分と娘の部屋に二人を招き入れる。

 ジョンと呼ばれたピエロはアバキの慎重さが功をなしたのか、それとも何も考えていないのか、何の疑問も抱いた様子もなく「あ、じゃあ俺は失礼します。お疲れ様でーす」と朗らかに笑って去って行った。

 

 そして、アバキはソラを部屋に入れてから娘を庇うように背にしたまま、顔の険しさを復活させて尋ねた。

 

「……私はともかく、ジャックに何の用?」

「危害をくわえる気はないよ。むしろ、そうならないように全力を尽くしにきたんだ。

 敵意がないってことはわかってくれているから、部屋に入れてくれたんだろう? なら、まずはこちらの話でも聞いてくれない?」

 

 アバキの問いに、ソラは相変わらずのほほんとした口調と空気で両手を軽く上げて、敵意や害意がないのを表す。

 そんなことをしなくても、アバキも相手にそんなものがないことはわかっていた。ソラの言う通り、だからこそひとまず何も知らないであろうジョンに聞かれない為にとはいえ、自分たちの逃げ場をなくす部屋に自ら招き入れたのだから。

 

 彼女も、そして今はいないもう一人も初めて会った時から、二人とも自分より遥かに手練れの念能力者であることはわかっていた。

 そんな相手が一人で、しかも昼間に会った時とは比べ物にならないほど弱々しいオーラでやって来た挙句、部屋に入った瞬間にその弱かったオーラさえもなくなったのは、わざとであることもわかっている。

 両手を上げることよりも、自分に敵意はない、戦う気などないと無防備を晒して表した誠意であることに気付いている。

 

 しかし自分一人に対してならその誠意で十分だが、彼女は娘にも用があると言ったからアバキの警戒心は薄れない。

 薄れないが……昼間の出来事を思い出せば、相手を信じたくもあった。

 

 人見知りなジャックが、迷子になって頼った相手。

 そして自分でも訳の分からない苛立ちを、手に持っていた縄で愛娘を打つ据えかねなかった自分を止めてくれた相手だったから、信じたかった。

 

「……そこから動かず、話して」

 

 だからアバキは娘を、ジャックを庇うように抱きしめたままソラを睨み付けつつソラの要望を聞き入れた。

 

 * * *

 

 アバキとジャックが所属している一座の公演を終えて、ひとまずソラとアタランテはアバキ親子を中心に情報収集にあたることにした。

 そして、その情報収集でアバキとジャックという事件の当事者であろう二人に直接あたるのがソラなのは、アタランテ自身が「死者の念に慣れている汝の方が、不測の事態が起きても対処できるだろう」と言ったからである。

 

 まだ出会って三日ほどだが、アタランテという人物は子供好きというよりもはやトラウマや強迫症に近いレベルで、子供を「守らなければならぬ対象」として見ていることをソラは知っている。

 なので、たとえもう人としての人格を失った、システムそのものとなった加害者であっても、被害者だった子供をもう一度殺したくないと訴えていたアタランテ自らそう提案した時は目を丸くしたが、アタランテはソラの反応に少しだけ「してやったり」といった顔をして、こう続けた。

 

『もちろん汝があの清らかな魂の子供達を殺したら、それこそ私が地獄の果てまで追いつめて殺すがな』

 

 なかなか凄まじいことを軽く言い放ったが、言われた当人も軽く、そして嬉しそうに笑って「君は本当に子供以外に容赦ないね」と言い返した。

 要はソラがそんなことはしないという信頼をしているから、たとえ向こうが襲い掛かって来てもソラならアタランテが頼み込むまでもなく自分の意思で殺さずに何とかしようと足掻くのを信じているから、自分に任せてくれているとソラは理解していたからこそ、アタランテの脅し文句が嬉しかった。

 

 アタランテの信頼は結構な買い被りなのだが、それでもソラは嬉しかったから笑った。

 ソラだって、殺したくなどないから。だから「殺さない」と信じてくれるのは嬉しかったから、その期待に応える気しかない。

 

 たとえその期待を叶えられなかった、彼女の逆鱗である罪にその手がまみれていても。

 アタランテの期待はそんなソラの過去も事情も知らないから懐けるものに過ぎなくても、その期待を期待されなくても叶えたいのは本当だから。

 

 だから、オーラを完全に引っ込めて肉体的な防御力を一般人以下にしてソラはひとまずアバキとジャックに語る。

 自分たちがプロハンターであること。この町に来たの理由。この町で何が起きているかを。

 そしてその事件の犯人像の片割れを語っている最中、アバキは叫んだ。

 

 何故、ソラが自分たちを訪ねてきたのか。自分たちにこんな話をするのかを察したから、アバキはジャックを強く抱きしめて、叫ぶ。

 

「ジャックは違う! その連続自殺の犯人な訳がない!!」

「うん。知ってる」

「だってジャックがここに来たのは1ヶ月くらい前で……って、え?」

 

 アバキの否定をソラも即座に肯定し、その所為でアバキはジャックが犯人であるわけがない根拠を勢いで途中まで言ってから、盛大な肩透かしを食らったことに気付いて思わず茫然。

 娘を抱きしめたまま固まってしまったアバキの反応を、ソラは満足そうに眺めながら話を進めた。

 

「うん。あなた達の一座の公演は1ヵ月前からだから、以前の事件とジャックがこの町に来た時期が合わない。あなたがジャックを『娘』として一座に引き入れたのは半年くらい前に別の町でってことも既に他の団員さんから聞いてるから、ジャックがこの町の一連の事件に関わっているのは有り得ないってのはもうわかってるよ。

 

 そもそもアバキさんにジャック以外の子供は実の子も養子もいないのなら、仮にジャックがマッチポンプみたい真似をして、虐待を誘発してくるような悪霊だったとしても、生きた子供に取り憑いてない限り実際の被害者なんて存在しないはずなんだから、ジャックの正体が何であれこの子自体は一連の事件とは無関係が私の見解」

 

 ソラがわざわざ「虐待で殺された子供が、自分が殺された時と同じ条件が揃った親を自動で殺す死者の念になっている可能性がある」という、今となってはだいぶ低く思える可能性を先に語ったのは、アバキがジャックは死者の念であることを知っているか、そして知った上でも知らなくても「ジャックが犯人である可能性」を語られて、どのような反応をするかを見たかっただけ。

 そしてアバキの反応はソラとここにはいないアタランテが想像した中で、一番望んでいた反応だったので、一人だけ場違いな程ソラは上機嫌に笑った。

 

 そんな事情を知らないアバキは、ソラの笑顔にまたさらに戸惑いつつも、彼女の話からジャックの正体に気付かれているとは思っていたが、思った以上に相手はジャックの正体を自然に受け入れて、そして冷静に判断していたことにも安堵する。

 けどその安堵より先立つのは、「この子、何者? プロハンターってみんなこうなの?」と他のプロハンターにとっても迷惑な勘違いだった。

 

 そんな勘違いと困惑をしているアバキに、ソラは言い聞かせるように説明を続けた。

 

「さっきの話は、可能性のうちの一つ。そんでその可能性は大分低いって私とアタランテは判断した。その理由、そしてあなた達にこうやって話して、あなた達の話を聞きに来た理由がもう一つの可能性なんだ」

「もう一つの可能性?」

 

 とりあえずジャックに関して疑いはなく、娘に何かするつもりはないことだけはわかったので、当初より警戒心と娘を抱きしめる力を緩めてアバキはもう一度落ち着き、話を聞き始める。

 が、ソラが語る「もう一つの可能性」の話が進むにつれてまた、娘を抱きしめる力が強くなる。

 それは、娘を奪われないように、守る為の抱擁ではなかった。

 

「……大丈夫だよ。お母さん」

 

 アバキの腕の中で、ジャックが見上げて母親に言った。

 子供に気を遣われる程、アバキは顔色を悪くさせて、ジャックに対して縋り付くように抱きしめ続ける。

 その反応をソラは無表情で見下ろしながら、言った。

 

「心当たりがあるんだね」

 

 ソラの言葉に、しばし間を置いてアバキは頷いた。

 

 もう一つの可能性。

 愉快犯によって我が子への虐待を誘発し、エスカレートさせて殺させた挙句に、その我が子の死者の念によって同じ死にざまで殺される。

 

 ジャックが犯人という可能性は、何の躊躇もなく否定できた。確信していた。

 それはこの町に来た時期などといった客観的な根拠がなくても、ジャックという子を知っているから、信じているから、アバキにとっては「有り得ない」の一択だったが、こちらの可能性はむしろそうとしか思えなかった。

 

 自分が被害者(ターゲット)にして、ジャックに対しての加害者になりかけていたという心当たりなら、嫌になるほどあった。

 

 この町に来てから何故か、今までなら気にしなかった、むしろ可愛らしいと思えていたジャックのささやかなわがままや甘えに対して、やたらと苛立った。

 昼間など、ジャックが今までリハーサル前に勝手に出歩くなんてことはしたことないのだから、初めは確かに何かあったのではないかと心配して、最近の自分の行いを反省して探していたのに、ジャックを見つけた瞬間に安堵を上回って「自分に迷惑をかけて」という怒りが湧いてきた。

 

 が、そのこらえきれなかったはずの怒りや苛立ちは、ソラと一緒にいたアタランテというハンターの叱責で何故かあっさりと消失した。

 本当に怒っていたのなら、アタランテの言葉は間違いなく火に油だったはずなのに、アバキは水でも掛けられたかのように何で自分はあんなに怒っていたのかがわからなくなったことが、ソラの話で全て繋がる。

 

 自分の感情は自分以外の誰かの手によって、コントロールされていた。

 ジャックのわがままや甘えに対して感じる、めんどくさい、うっとうしいなどといった不満や苛立ちは、本来ならジャックに対する愛情が上回って一瞬で忘れ去るぐらいささやかなものだったはずなのに、“念”によって何倍も肥大させられていた。

 念能力にしてはさほど強制力がなかったのか、アタランテの叱責で自分の感情の昂ぶりがあまりに不自然であることに気付いたおかげで解けたのは不幸中の幸いだ。

 

「……一応訊くけど、犯人の心当たりはある?」

 

 ソラは初めとは別の意味でアバキを刺激しないように、最初から一歩も動かずに静かに質問を重ねる。

 その問いに、アバキは悔しげに首を振る。

 自分も念能力者なのに、こんなにも悪意にまみれた念を掛けられていたことに気付けなかった、そしてその犯人が誰なのかもわからないことが、悔しくてたまらない。

 

 あまりに念能力者として未熟な……念の師匠だった座長がいなくなったことをきっかけに、他の誰かを師事することもなく、座長の夢を継いでハンターになるという夢も諦めて、「今でも十分、護身程度にはなるからいいや」と中途半端なまま何もしなかった自分自身を殴り飛ばしたいくらいに、腹が立った。

 

 ……本物の天才と自分との差、才能の壁を目の当たりにして挫折したくせに、そのことを認めず言い訳を重ねて何もしなかった、成長しなかったツケが、生きてなどいなくても可愛くて愛おしくて守りたい家族を、娘に回ってきたことが悔しくて仕方なく、アバキは零れ落ちそうな波を堪えて唇を噛みしめる。

 

「……お母さん」

 

 そんな母を、母と呼ばせてくれる人を、母になってくれた人をジャックの小さくて短い腕で抱きしめて、無垢な子供たちは言う。

 

「大丈夫だよ。大丈夫だから。だから、泣かないで」

 

 その言葉で、また更にアバキは泣きたくなった。

 自分は立派な母親だとは思っていない。そもそも、アバキは実の母を知らない。

 気が付いたころにはストリートチルドレンとして、汚い路地裏で泥水を啜りながらひとりぼっちで生きていた。

 父親代わりの、“念”の師匠である座長に拾われるまでそんな暮らしをしていたから……そしてその座長をある日突然、何の前触れもなく失って、それがきっかけでその一座が解散してしまいまた独りぼっちになったから……、だから放っておけなくなっただけ。

 

 独りぼっちの子供を放っておけないから、座長が自分や他のメンバーによく言っていた、「芸は身を(たす)く。それ以外は身を助けず」という言葉の通り、生きていけるように手品や曲芸、才能があれば基礎的な“念”を教えてやったりするのは……、手を差し伸べずにいられないのは全てアバキ自身の自己満足。

 救いたいのは昔の、独りぼっちの自分自身であることはわかっている。

 

 なのに……それなのにこの子供は、アバキを心から信頼している。

 理不尽に叱られても、それでもアバキを「お母さん」と呼んで慕ってくれる。アバキからお金や食べ物、生きてゆくための術をもらったらお役目ごめんとばかりに去っていた他の子供達とは違って、ただアバキ自身を求めてくれているから。

 

 だから、アバキは溢れ出しそうな涙をこらえて、笑った。

 

「……うん。大丈夫だよ。ジャック、お母さんは大丈夫だから」

 

 娘に「心配ない」と告げて笑い、そしてアバキは顔を上げて言った。

 

「お願い。私は良いからこの子を、ジャックだけはそんな愉快犯なんかの餌食に、玩具にならないように助けて!」

 

 血の繋がりがなくても、たとえ生きてなどいなくても、ここに存在していることは確かだから、この子たちの母親が自分であることだけは手離したくないから、アバキはソラに希う。

 その願いに、ソラは答えた。

 

「娘の為なら、自分を蔑ろにすんな。ジャックが今、すごく悲しそうな顔してるじゃん」

 

 言うまでもなく、アバキ(母親)ごと助けると応えた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……犯人の腐れ外道は我慢の限界なのかもしれないな」

 

 ロイヤルグラムが近くてほぼ満室のホテルに、ハンターの特権で取った部屋に戻ってきて早々、ソラの話をひとまず聞いたアタランテは、眉間に深い皺を刻んで吐き捨てるように言った。

 まだソラはアタランテからの話を聞いていないが、その反応で十分だった。

 

「やっぱり、アバキさんは今までの被害者の条件に合ってないんだね」

「あぁ。彼女はジャックに対しての虐待など疑われていない。いや、今は一座のメンバーたちが心配しているが、ジャックへの当たりが不自然なほどきつくなったのはこの町に来てからだ。それまでは見ていて微笑ましい、実に仲睦まじくて血縁がないとは信じられない親子だったそうだ」

 

 ソラの答えを、アタランテは舌打ちしてから肯定する。

 

 アバキとジャックが所属している一座の団員から聞き込みをしてみた結果、アタランテはアバキは完全にシロだと判断している。

 そもそも彼女は未婚で、ストリートチルドレンを放っておけず世話を焼くので子供に何かと縁はあるが、旅芸人なので一か所に長くはおらず、手当たり次第に孤児を養子にする訳でもないので、「虐待をしている」という疑いが掛けられる対象がいないのだ。

 

 ジャックに関しては何故か半年前から「我が子」として傍に置いているが、彼女に関して一座のメンバーは皆、「最近のアバキはおかしい。ジャックが可哀想だ」と証言し、その「ジャックに対するあたりが強くなった頃」は聞いた限りではメンバーとアバキの証言は一致している。

 アタランテにはクラピカやセンリツのように相手の言葉が嘘か本当かわかるような能力などないが、クライムハンターとしての経験則がなくても、自分からアバキに関して不利な証言をする時点で、身内をかばって嘘をついている可能性は低いのはわかる。

 だから、アバキは今までの犠牲者の条件である、「虐待を確実にしていたか、その疑いが強い」に当てはまらないとアタランテは判断した。

 

 アタランテの話を聞き、ソラはベッドに腰掛けてこめかみを指でトントン叩きながら情報を整理してゆく。

 

「……今までの共通点は『虐待を確実にしていたか、その疑いが強い』、つまりは躾の域を完全に超えた暴力や暴言を日ごろからしてて、周囲にそう認識されてた人たちだ。そして犯人が犬神タイプの能力者だとしたら、そういう人たちなら、『自分の暗示で足を踏み外しやすい』のと、『子供を殺しても不自然ではない』と思われたから選出されたんだろうね。

 犯人は獲物を自分の楽しみより保身を優先して選んでた可能性が高いけど、アバキさんには虐待の事実も噂ない。

 っていうか、アタランテの叱責で正気に戻るくらい、『子供を嫌え、子供を傷つけろ』って暗示にかかりにくいはずなのに、周りから見てもそういう暗示に掛けられているとしか思えないくらい不自然に、ジャックに辛く当たり始めたのがこの町で公演を始めた一か月前から……」

「……犯人は『ただの奇妙な偶然』ではなく明確な『事件』と気付かれる危険を冒しても、仲睦まじい親子の絆を壊したくなるほど我慢がきかなくなっているということだろう」

 

 ソラが整理した情報を、ソラの向かいに椅子を置いて座ったアタランテが吐き捨てるようにしてまとめる。

 しかしそのまとめに、ソラは納得しかねるようにベッドの上で胡坐をかいで唸った。

 

「う~ん……。それなら全然よくないけど……胸糞最悪だし、被害者の範囲が広がって余計に手が付けられなくなって最悪なんだけど……」

「けど、何なのだ? まだこれ以上の最悪があるのか?」

 

 唸りながら歯切れの悪いことを言い出すソラに、アタランテは椅子に座って向き合って尋ねると、ソラは喉に小骨でも引っかかったような微妙な顔で、納得し切れていない部分を語った。

 

「だからと言って、よりにもよってアバキとジャックを狙うか? って思うんだよ。

 犯人は今まで1年に2,3件っていう頻度の少なさで我慢できてた燃費の良い奴なのに、アバキさんは念能力者、そしてジャックは私でも初めて見たレベルの死者の念っていう、よりにもよって過ぎる親子をいきなりターゲットにする?」

 

 ソラの指摘にアタランテは目を一度丸くしてから、「なるほど。それもそうだ」と納得。

 アタランテにとってジャックは、正体が何であれ保護すべき対象。そしてアバキに関しては、言っては何だが念能力者としてはかなり半端なので、指摘されるまで一般人同様に思っていたが言われてみればその通り、いくら相手がアバキより腕の立つ念能力者でも、いきなり同じ念能力者は狙わないだろう。

 

 相手を傷つけることを目的とした犯罪の矛先は、加害者がどこぞのマッドクラウンのような戦闘狂でもない限りは自分より弱いものに向けられる。いや、自分より弱いものにしか向けられないと言った方が正確だろう。

 

 エスカレートしていった先ならともかく、エスカレートし始めなら段階を跳びすぎだ。

 100歩譲ってアバキに関してなら、彼女の“念”は技術も知識も素人に毛が生えた程度なので甘く見ていると解釈すればいいだけだが、ジャックはそうはいかない。

 

 普通に見ただけならアタランテでも……というかソラ以外にはわからない程、ジャックは自分自身の姿を完全に具現化しているが、“凝”ではなく“纏”で少し目のオーラが普段より増幅した状態になるだけでも、ジャックはオーラが垂れ流しではなく常時“纏”状態であることも、そのオーラが母親のアバキよりかなり多いこともわかる。

 ジャックはオーラそのものの存在、死者の念だとは気付けなくとも、子供とはいえ相当厄介な能力者であることくらいは同じく能力者ならわかるだろうに、あの親子をターゲットにしているのは、確かに不自然だ。

 

「……実は私たちが気付いていない、他の共通点があるのか?」

「それか、犯人側にアバキさんたちを狙う理由があるかだ」

 

 アタランテがその不自然さを説明する可能性を口にすると、ソラは人差し指を立ててもう一つ可能性を口にする。

 

「ちなみに、ジャックに関しては多分狙う理由はないよ。一応、アバキさんとジャックが出会った経緯とか聞いてみたけど、隠し事をしてない限りは狙う理由なんか見当たらなかった」

 

 そう前置きをして、ソラもまた一応アタランテにジャックとアバキの出会いと、親子になった経緯を話しておく。

 と言っても、アバキ本人も「経緯も理由もないに等しい」と言ったぐらい、別にドラマチックな出来事など何も起こっていない話だ。

 

 半年前に、夜の散歩をしていたアバキが自分と同じようにうろつくジャックを見つけて、その時は彼女が死者の念だとは全く気付かず、そしてその町がここグラムガスランドと同じく、カジノなど賭博がメイン産業な土地柄、マフィアの抗争とまではいかない軽いいざこざは日常茶飯事だわ、愉快犯なのかマフィアがらみなのかよくわからない通り魔やバラバラに切断された死体が発見されるような地域だったのもあって、慌てて保護したのが始まり。

 

 当時のジャックは、一般人でも見えるように自分を具現化などしてなかった。

 死者の念として強力すぎて、普通の幽霊よりは見えやすいかもしれないが、念能力者でも“凝”をしてなければ見えない存在だった。

 しかし、護身のつもりで“纏”をしていたアバキにはジャックを見ることが出来た。

 

 おそらくは、実の親の顔も名前も知らず、父親のように思っていた人も、家族だと思っていた一座もなくしてから転々と他の一座や地域を移って来ていたアバキの抱えた孤独と、生まれてこれなかった、家族を知らない水子たちの波長が合ったから見えたのだろう。

 

 その後すぐにジャックの自己申告で正体を知ったが、念能力者だが「死者の念」に関しての知識がなかったアバキは良くも悪くもジャックに対して先入観なく、彼女にとってジャックは見た目よりもはるかに無邪気で無垢な、可愛らしい子供に過ぎなかった。

 だから、危機感なくそのまま今まで出会って世話を焼いたストリートチルドレンと変わらない付き合いを続けた。

 夜の散歩仲間となり、投げナイフを教えてみたりしているうちにだんだんと情が移り、公演を終えてその町を去る際にジャックが「もっと一緒にいたい」と言ったから、アバキは「いいよ」と答えただけ。

 

「お母さんになって」というジャックの言葉に頷いたのも、アバキにとっては理由なんてないに等しい。

 ただジャックを愛おしく感じたから、彼女と繋いだ小さな手の、生きていないとは信じられないぬくもりも手離しがたくなったから、その手を今も繋ぎ続けているだけの話。

 

 そもそも、夜の散歩をしていたのも10年ほど前に唐突に姿を消した座長と、やっぱり唐突に再会できるのではないかという期待が消せないからしていたのだから、家族を求める者同士が出会うのは必然だったのかもしれない。

 そして、互いが「傍にいたい」「傍にいて欲しい」と望むのも。

 

「ジャックが具現化してるのは、そうじゃないと人前以外しかとアバキさんと話が出来ないからだって。で、常に具現化してるんならもうまわりにも『保護した孤児』ってことを明言して、そのまま怪しまれないように芸をしてもらってるんだとさ。

 ジャックは確かに特殊すぎる死者の念だけど、あの二人に関してはそのことは何の関係もないよ。アバキさん、普段はほとんどジャックが死者の念だってことを忘れてるくらいらしいし、言い方は悪いけどあの二人は基本的に何も考えてないな。全部は成り行きで今の関係を築いただけ」

 

「なるほど。うらやまし……じゃなくて、微笑ましいな。

 そして、ジャックと出会ったのがこの町ではないことといい、出会いの経緯も何かしらの事件があった訳でもないことといい、確かにジャックが狙われる理由は今のところ見当たらんな。

 犯人がジャックは相当特殊な死者の念だと気付いているのなら、何らかの思惑があるのかもしれんが、そこに気付ける相手が死者の念の危険性をわかっていないはずもないから、やはりジャックがターゲットという可能性は低いか。そもそも、死者の念をどうやってアバキに殺させるのだ? という話にもなるしな」

 

 サラッと本音がこぼれかけたのを誤魔化しながら、アタランテはソラの「ジャック個人が狙われている訳ではない」という考えに同意する。

 その同意に頷いてから、ソラは話を続けた。

 

「うん。で、アバキさんが狙われる理由だけど……、これは現段階じゃ言いがかりレベルなんだけど、一応理由だけじゃなくて犯人も具体的に心当たりはあるんだよね」

「!? どういうことだ!? まさか、もう既に私たちが会った者なのか!?」

 

 言いがかりレベルとはいえ、具体的な心当たりにアタランテは食いついた。

 椅子から立ち上がって、ソラの肩を掴んで激しく揺さぶりながら問い詰めるアタランテに、ソラが「どうどう、落ち着け」と宥めたことで、アタランテは「すまない」と謝ってもう一度着席。

 だが彼女は本当に落ち着いたのではなく興奮を抑え込んでいるだけであり、椅子に座っても膝の上に置かれた手はうずうずしていたので、ソラは出し惜しみせずさっさと答えることにする。

 

「会ったというか、一応は知ってるしアタランテも多分聞き込みで話したんじゃない?

 このホテルの下働きで、今日の公演の司会をやってたピエロだよ」

 

 言われて、アタランテは目を丸くする。

 その挙げられた相手には確かに覚えがあった。ピエロの格好をして司会をしていたので、アバキたちの一座の人間かと思ったが、彼はホテルの人間で人懐っこい性格と人好きする笑顔、そして話術が巧みなのを買われて、ホテルのイベント時にはそのイベントに合ったメイクや恰好で司会を務めていると聞いた。

 そして確かにその評価通り、人間嫌いかつ男嫌いなアタランテでも不愉快さを最小にしか感じない距離感を保って話していたことを思い出す。

 

 不快さが少なかったのは相手はまだ10代半ば、アタランテにとっては保護対象内の少年というのもあっただろうが、それでも彼は既に17歳前後なので保護対象といっても一応程度、どちらかというとアタランテにとって嫌いな部類に入ってしまうはずなのに、ほとんど気にならなかったことに今更に気付き、アタランテは自分の心境を意外に思ってちょっと驚いた。

 

 そして同時に、「有り得ない」と思った。

 もちろん、ちょっと聞き込みで話した程度の相手を信頼する程、アタランテの人間嫌いも男嫌いも甘くない。むしろ警戒心が強すぎて、無駄に周囲と軋轢を生んでいることに師から注意されたくらいである。

 

 アタランテには客観的に見て、そのピエロの格好をしていた男、ジョンという少年が犯人ではない根拠があった。

 が、ソラの方も「言いがかり」と言いつつあまりにも自然に言い出したので、まずは彼女の話を聞こうと思って「何故だ?」と先を促す。

 そしてソラはやはり、こともなげに言い放つ。

 

「ぶっちゃけ、ただの偏見」

「バカなのか汝は!?」

 

 当然、アタランテは遠慮なくソラの頭をどついた。

 

 * * *

 

「本当に言いがかりではないか! 何を考えてるんだ汝は!!」

「いや、怪しいなって思ったきっかけは確かに偏見なんだけど、あいつが犯人ならジャックの行動に説明がつくんだよ」

「ジャック? ジャックが汝に何か言ったのか?」

 

 殴られても仕方がないことを言った自覚はあるからか、ソラは殴られた頭を涙目になって押さえつつも文句を付けず、理由を語り出す。

 さすがに本当に偏見なのは怪しむきっかけだけらしく、犯人だと思った要因は別らしい。

 

 アタランテもそのことにホッとしつつ、そして大人と子供なら無条件で子供を信じる彼女はジャックの名前を出されたことで少し落ち着き、再びソラの話に聞く耳を持ってくれた。

 

「ジャック自身は何も言ってないよ。というか、言えなかったんだと思う。

 アタランテもあのピエロと話したんなら、知ってるでしょ? あいつは5年前、アバキさんが所属してる一座が前にこのグラムガスランドに来た時、アバキさんが面倒見てやったストリートチルドレンだってこと」

「あぁ、確かに自分でそう言っていたな」

 

 ソラの言葉をアタランテは肯定する。

 アバキのことを聞きたいと言えば、彼は嬉々として5年前のことを話していた。

 アバキに優しくしてもらえたこと、生きる術として芸を教えてもらったが生まれつき軽いとはいえ心臓に疾患があった自分には、体を張る芸はむいていなかったこと。だけど、他の才能はあったからそちらを教えてもらった結果、心臓の疾患も良くなってこうやって普通に働いて暮らしていると、アタランテが他人事ながら「そこまで話していいのか?」と思ったくらいのことまで自ら話していた。

 

 だから、ソラが何故その男を犯人だと思ったのかは、実は見当づいている。

 

「ソラ。汝があの男、ジョンを怪しむのはあいつも念能力者だからだろう?」

「うん。アバキさんが教えたらしいね」

 

 その見当を言葉にしたら、ソラはあっさり肯定した。

 

「体が弱かったから芸関係には向かなかったけど、そっちの才能はあったから少しでも心臓が良くなるのを期待したのと、あと病弱なのが原因で苛められてたから護身のつもりで教えたらしいよ。

 アバキさん自身、念の師匠から全部ちゃんと教わる前にその師匠がいなくなっちゃって中途半端なままだから、四大行と念の系統の話くらいしか教えてなかったそうだけど、滞在してた3ヵ月のうちに“纏”はマスターしたらしいね」

「あぁ。その後もおそらくは自己流で修練したのだろうな。見た限りでは、アバキよりも念能力者としては奴の方が上だ」

 

 ソラの言葉にアタランテも頷いて肯定し、相手を思い返す。

 アバキはオーラの量や垂れ流されるオーラの流れを、周囲の一般人と比較してよく観察してないとわからないぐらい念能力者としては未熟だが、そのジョンという少年は一目でわかるほど、アバキよりもはるかにオーラ量も多く、オーラも無駄に垂れ流すこともない、ハンターの裏試験の合格ラインに余裕で届くレベルだった。

 間違いなく、“纏”や“練”の基本だけではなく個人固有の能力である“発”も得ているレベルだったからこそ、彼は確かに容疑者にふさわしい。

 

 アバキ以外に“念”に関しての師事を誰にも求めなかったのなら、アバキと出会って“念”を教えてもらった5年前から、事件が起こり始めたとされる3年前という2年の間は十分説明できる。

 独力なら“発”にまで至るには才能があってもそれくらいかかるだろうし、それこそ犯行動機が「暇つぶし」「面白そうだから」なら、事件が起こった時期に意味などない。ただ何となく、やりたくなったからやっただけなのだから。

 

 アバキが他の被害者と条件が違うのに狙われたのも、“念”を教えた張本人、自分が“念”を使えることをして知る相手だからこそ、何らかのきっかけで彼女に気付かれる可能性があると疑心暗鬼になって、口封じを企んだと考えればいいだけ。

 もしくは、姉のように慕っていた人が自分は連れて行ってくれず、置いて行って独りぼっちにしたくせに、ジャックは娘として傍に置いていることに嫉妬しているのかもしれない。

 

「奴が犯人なら、ジャックの行動にも説明がつくんだよ。

 あの子が昼間に迷子になって私たちと出会ったのも、あれたぶんわざとだよ。あの子のお母さん大好きっぷりからして、リハ前に脱走なんて母親に迷惑かけるようなことはしないだろうし、したとしても()()()()()()()()()()()()()()()()

 母親と間違えたなんて、適当な言い訳だ。あの子は間違いなく、私たちなら母親を助けられると思ってまずは接点を作り、念能力で感情コントロールが暴走してる母親を見せつけたんだ。

 

 そこまでしてもあの子は何も語らなかったのも、やっぱり母親の為だ。アバキさんは何も気づいていないから、相手を弟のように思って信じてるから、だからアバキさんが気付く前に何とかして欲しくて、私たちと接触したんじゃないかな」

 

 アタランテも少し疑問に思っていた、あまりに自分たちにとって都合が良すぎた「ジャックがリハ前に抜け出して迷子になって自分たちと出会った」ことも、少々気になる不穏な根拠だが説明されて納得する。

 ジャックが何らかの能力を用いたか、それともオーラそのものであるからこそ他の念能力者の存在に敏感なのか、どちらにせよジャックが自分たちの存在に気づき、頼ってくれたと考えた方が自然に思える。

 

 そもそも、やはり念能力そのものであるジャックが母親に掛けられた“念”の存在に気付いていないのも不自然だし、気付いているのならアバキも能力者なのだから普通に指摘したらいいはずなのに、今日ソラが語るまでアバキは何も知らなかった、ジャックは何も語っていなかったのも、やはりソラの推測が一番筋の通る理由になる。

 

 考えれば考えるほどに、確かにジョンが犯人だと色々と説明がつくのだが、しかしアタランテの答えは変わらない。

 

「ソラ。言うのが遅くなって申し訳ないが、奴が犯人である可能性はないとは言わんが相当低いと思うぞ」

 

 ソラがあまりにも確信を持っている以前に当たり前のことのように語るので、自分が説明するまでもなく自分の「犯人ではない根拠」を否定する根拠を持っていると思い込んでいたが、どうやら純粋に彼女はジョンに対して情報不足だからこそこの推測を立てたらしい。

 その情報は知らなくて当たり前なので、さすがにソラに対して過剰すぎる期待をしていた自分に反省して謝罪しながら、アタランテはその「根拠」を口にした。

 

「奴の系統は強化系だ。操作系とは対極に近くて相性が良くない。

 水見式で系統を調べることも、どの系統が隣り合っていることも知っていたから、独学でも系統に合わない能力をわざわざ作りはしないだろうし、仮に操作系寄りの能力にしたとしても親はともかく一般人とはいえ死者の念になった子供も操れるほどの能力にするには、やはり強化系が作った操作系の能力では難しくないか?」

 

 アタランテのジョンが犯人であることを否定する根拠にソラは目を丸くしてから、「何でアタランテ、あいつの系統知ってるの?」と訊く。

 その問いで系統を知った経緯を思い出し、アタランテは呆れたような顔をして答えた。

 

「アバキの話を聞きに行った時、自分から水見式で見せつけたのだ。

 独学であそこまで修練を積んだことは純粋に尊敬するが、彼はおそらく“念”に関しての脅威や危険性をほとんどわかってないな。さすがに周りに人はいなかったが、相手が念能力者だからこそ自分の能力に関しての情報は隠し通すべきというセオリーを全く知らないようだったから、いきなり水見式をされた時はどうしたらいいかわからなくなったわ」

 

 アタランテにとって奴が犯人ではないであろう根拠はもう一つ、このあまりにも無防備に自分の情報を晒したことだ。

 アバキ自身も“念”に関しての知識は基礎中の基礎しかない所為か、ジョンもさすがに一般人に見せつけるようなことはしないが、自分と同じ念能力者相手なら嬉々として系統を明かして、そして無邪気にアタランテの系統も訊いてきた。

 彼にとって念の系統は、星座や血液型程度の認識をしているとしか思えない無防備さに、思わずアタランテは頭を抱えてそういうことは明かさない方がいいと忠告したのは、つい数時間ほど前の話である。

 

 そんなバカなやり取りと、そしてゼロになった訳ではないがかなり低くなった可能性、具体的な容疑者がいなくなったことにアタランテはまた頭を抱えて俯き、疲れたような残念そうな溜息を吐いた。

 その溜息の直後、ソラは訊いた。

 

「アタランテ。君にとってその『ジョン』っていうピエロにはどんな印象を持った?」

 

 脈絡があるようなないような問いに、アタランテはきょとんとした顔を上げる。

「何でそんなことを訊く?」と質問返しをするつもりだったが、顔を上げて見たソラは真剣な眼差しでこちらを窺っていることに気付き、戸惑いつつもアタランテはその質問に答えることにした。

 

「? どんな印象と言われても、たいした印象はないな。まぁ、一見は無神経に距離を詰めてくるうっとうしいタイプに見えたが、むしろ距離感を取るのが上手い接客業に向いている奴だと思ったくらいだ」

「……アタランテにとって、そいつは『守るべき子供』に入る?」

「は? いや確かにまだ未成年らしいから、守るべき対象ではあるがジャックくらいの歳の子と比べたらそこまで積極的に守る気はないな。

 ……言っておくがこれは私の好みによる差別ではではなく、10代後半なら1から10まで手助けする必要はない、むしろある程度は突き放してやらないとそれこそダメになるからという判断だからな」

「わかってるよ、それくらい」

 

 ソラの問いに正直に答えたら、ソラはさらに質問を重ねてくる。

 それにも困惑しつつ答えたら、ソラはしばし俯いて考え込んでから、また質問を投げかけた。

 

「アタランテ。あのジョンって奴、パリストンと似てるって思わなかった?」

「ん? あぁ、確かに距離の詰め方やいつもヘラヘラしてるところは似てるな」

「あいつと似てて、不快だって思わなかったの?」

 

 初めからだが質問が重ねるほどにソラの問いの意図がさらに全くわからなくなってきているが、ソラはやはり終始真顔で、真っ直ぐに、青みがやや増したように見える蒼玉の眼でアタランテを見て尋ねてくるので、「何なのだ、その質問は?」と言って話の腰を折るのは躊躇われた。

 

 だからアタランテは首を傾げなから、答える。

 

「……まぁ思わなくもないが、あれほど人の神経をわかって逆撫でするようなことは言わなかったから、別に話をするのが苦痛だというほどではないな。というか、汝が奴を怪しんだきっかけの偏見とやらはそれか?」

「いや、全然違うよ」

 

 答えてからふとソラが言い放った「偏見」の理由に見当づけて尋ねてみたら、ソラは即答で全否定した。

 ならば一体、どんな偏見を懐いてソラはジョンを怪しんだのかが本気でわからなくなって混乱してきたアタランテに、ソラは青い瞳で彼女を見据えて言った。

 

「……人間嫌いで男嫌いの君が、一応程度の守るべき対象とはいえパリストンに似てる相手のことをわりと好意的に語るんだね」

「はぁ?」

 

 ソラの言っている意味が一瞬わからなかったが、一拍おいてから「確かに」と納得する。

 言われるまでもなく先ほども自分で気づいたことだが、ジョンという少年は彼自身に非はほとんどないのだが、本来ならアタランテにとって好意的に語られる訳がないはずの人物だ。

 

 未成年ということでアタランテにとってジョンはまだギリギリ守る対象ではあるが、彼は既に一人で生きていける年齢であり、実際に一人で自立して生きているので、無条件で慈しむ対象にはならない。むしろ彼女が嫌う対象に近い。

 距離感を取るのが上手いし、神経逆撫でするようなことは言わなかったが、そもそもアタランテはデフォルトで人間、特に男を毛嫌いしているので、こちらのパーソナルスペースに入らないようにしてくれても正直言って視界に入った時点で、理不尽だと自覚しつつもアタランテは相手を不快だと思ってしまう。

 

 だから、彼を嫌う理由はほぼ言いがかりの理不尽なものだと自覚しているから、何の非もない相手をそんな風に嫌う自己嫌悪を合わさって、普段ならソラのあの問いに対して不快そうに苛立ちながら答えるのが自然だったはずなのに、アタランテがソラの問いに答えている時に懐いていたものは、意図のわからない問いに対する困惑と狼狽くらいだ。

 

 そのことに気付きつつも、アタランテは意外そうな顔で言った。

 

「それもそうだな。意外と私は彼を気に入っているようだな」

 

 その答えを、ソラは黙って聞いていた。

 何も言わない。言っても意味はない。むしろ今指摘して、アタランテは刺激してしまえば向こうの思うつぼかもしれないから、ソラは青い眼でアタランテを見つめながら「そう」とだけ答えた。

 

 昼間のアバキと同じく、アタランテの美しい顔にも“凝”をしないと見えない黒い大きなシミらしきものが、こめかみから顔全体にじわじわと侵蝕するように浮かび上がっていることを指摘せず、ソラは提案する。

 

「アタランテ。アバキさんとジャックの所に行こう」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ソラからの唐突な提案に、もちろんアタランテは止めた。

 時刻は既に夜の10時を回っている。どのような用件でも緊急性がない限り失礼な時間なので、アタランテの制止は常識的なのだが、ソラがいきなり提案した理由を語れば「こんな夜分に迷惑だろうが」という言い分は即座に撤回した。

 

「ジャックは犯人の目星をつけてる可能性が高いから、アバキさんに気を遣って黙っているのなら悪いけど、こっちもあの子から詳しい話を聞いた方がいい。

 私たちが聞き込みという形で動いていることを犯人に知られたら、向こうも行動に移すはずだ。それが積極的に動くにしろ、アバキさんたちを諦めて逃げるにしろ、どちらにせよこっちにとって都合が悪いから、私たちも思い浮かぶ可能性と今できることを全部行動に移した方がいい」

 

 ソラの言う通りこちらが既にアバキがターゲット認定されていることに気付き、犯人を探していることを犯人側にも知られたのなら、向こうも間違いなく何かしらの行動に移る。

 失礼でも迷惑でも今すぐに動くべき、緊急性のある状況だと気付き、アタランテは最初の自分の意見をひっくり返して「急げ!」と言い出して、そのままケータイさえも充電しっぱなしで何も持たず、ソラも置いて部屋から出て行った。

 

 そんな猪突猛進なアタランテの背中を眺めて走りながら、ソラはひとまず自分の推測が正しいことを確信して安堵する。

 

 アタランテも既に犯人の毒牙へ無自覚にかかっているが、どうやらこの能力は初めに想定していた通り、イルミやシャルナークのように完全な行動コントロールが出来る強制型ではない。

 というか、おそらくは半強制でも要請型でもない。正確に言えば、相手の行動はもちろん感情のコントロールだって出来てはいない。多少、自分が望む方向に誘導しやすく出来るだけの能力だと考えた方がいいだろう。

 しかしそれが幸いなのか不幸なのかは、今の段階では微妙と言わざるを得ない。

 

 アタランテの話を聞いて、ソラが想定した相手の能力……ジョンの能力がソラの想像通りなら、おそらくソラでは除念できない。

 殺せるが、まず間違いなく「それ」を殺してしまえば致命的なのは犯人側ではなく被害者側だから、強力無比な邪道のソラではなく、真っ当な除念師でないと手が出せないタイプだ。

 

 だが、除念師でなくとも外せる可能性はあった。

 だからこそソラは、アタランテにアバキと同じように“念”を掛けられているという指摘をせず、ジャックに会いに行こうと提案した。

 

 アタランテに語った理由に嘘はない。

 特にソラからすれば、犯人はもうジョンで決定されているのだから、向こうにこちらの行動や情報はある程度アタランテによって抜かれてしまっている。行動に移すには遅すぎたと後悔しているくらいだ。

 

 だが、一番の理由はアタランテに掛けられている“念”は、アタランテが一番守りたいと思っている対象のジャックによって解ける可能性が高いと踏んだから。

 

 昼間のアバキは、アタランテの叱責で自分の言動の不自然さや理不尽さに気付いて正気を取り戻し、掛けられていた“念”を自力で外していた。

 ソラの指摘でも同じようにアタランテが自力で外せる可能性はあったが、先ほど「ジョンに対して好意的」と指摘してもその不自然さに気付かなかったアタランテは、アバキより強力な“念”を掛けられている可能性が高い。

 念能力を掛けられているという指摘はそれを外すきっかけになるかもしれないが、同じくらいアタランテを逆上させる地雷になる可能性もある。

 だから今はひとまず指摘せず、他力本願で悪いがジャックに任せることにした。

 

 特定の感情を肥大化させているのなら、その肥大化されている感情より強い感情を揺り起こせばいいと、昼間のアバキを見てソラは思ったからこそジャックに頼る。

 アタランテなら掛けられた“念”によって肥大化しているジョンに対しての信頼や疑いたくないという気持ちより、ジャックに対しての感情の方が大きいのは確実だ。少なくともジャックに指摘されて逆ギレは有り得ないとソラは確信していた。

 

 その確信は正しい。

 アタランテの優先順位は、純粋無垢な幼子が常に1番だ。おそらくは操作系能力者でも、要請型や半強制型ではなく、脳そのものを弄って壊しつくすことで相手を操る強制型でもないと、彼女に何の罪もない子供を殺させることは出来やしないだろう。

 

 それぐらいに揺るがない、譲れないアタランテの信念にして夢、己の存在意義だからこそ悲劇は起こった。

 

 誰も、アタランテ自身も、ソラも、犯人さえもここまで早急かつ綺麗なタイミングは想定外。

 タイミングが最悪なまでに奇跡的に重なって起こった、出会い頭の事故だった。

 

 

 

「っっっっきゃああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 

 

 ホテルの廊下で、悲鳴が響き渡る。

 アバキとジャックが公演を行い、そして宿泊しているホテル。彼女たちの部屋の階の廊下で、女性の絶叫が響き渡り、アタランテとソラはエレベータから転がり出る勢いで掛けた。

 

 その声は、アバキの声だった。

 

「ジャック!!」

「アバキさん!!」

 

 アバキの絶叫でその階の宿泊客、主にアバキの一座の人間たちが部屋から出てきてその人波をかき分けながら二人は、鍵のかかっている金属製のドアをこじ開けるというか引っぺがして、部屋に入った。

 そして、見てしまった。

 

 驚愕に目を見開いて呆然としているのか、そもそも抵抗の意思など初めからないのか、無抵抗でアバキに馬乗りにされているジャックと……無抵抗のジャックに馬乗りして、恐怖に引き攣った蒼白な顔でボロボロと大粒の涙をこぼしながら、「ごめんなさい」とひたすらに連呼しながら、黒いシミを不気味にうごめかせて娘の首を絞めるアバキを、アタランテが真っ先に見てしまった。

 

 瞬間、彼女の顔の半分が同じ黒いシミに覆われた。






ミステリ系を読むのは好きだけど、伏線を張り巡らせる作業に気力を持って行かれて、執筆意欲がそがれるから、もう「初見はスルー出来るけど、読み返したら明らかに怪しいモブキャラ」を作るのは諦めて、即効でばらしてみた。もはやヤケクソだな、私。

ちなみに彼は型月キャラではないけど、モデルはいます。
……そのモデルと同名なんですけど、私は素で名前を勘違いしていたから後で修正しました。もしどっかに修正前らしき名前があったら、生ぬるい目で見なかったことにしつつ、感想欄ではなく誤字報告機能で報告してくださったらありがたいです……。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。