死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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106:シリアルキラー

 ジョン・ゲイシー。

 

 ホラーサスペンス系の作品が好きな者なら、聞き覚えはあるかもしれない。

 なくてもこの二つ名を知れば、彼が起こした事件や彼自身がモデルであろう作品やキャラクターが一つや二つは思いつくだろう。

 

 

 

殺人ピエロ(キラー・クラウン)

 

 

 

 ソラの世界ではチャリティ活動に熱心で、特にパーティー等で子供たちの為にピエロに扮して楽しませてくれる、親しみやすくて評判の模範的市民とされた名士だったのが、その裏で30人以上を殺害してアメリカを震撼させた連続殺人鬼(シリアルキラー)として有名であり、ホラーサスペンス系の作品でピエロが出てきたら、ほぼ100%こいつがモデルだと考えたらいい。

 このような犯行に及ぶ人物になった要因として、父親からの度重なる人格否定や暴力といった虐待を受けた過去はあるが、被害者の人数と被害者の身元が判明している中で最年長は20歳、最年少はわずか9歳という事実が同情の余地をなくしている。

 

 そんな人物と同じ名前だと言われたのに、言われた本人は落としたはずのメイク通り、奇妙で滑稽で不気味で醜悪な笑みを浮かべて、実に嬉しそうに言った。

 

「へぇ……。そんな風に言われてるんだぁ」

 

 歪みきった愉悦の笑みを浮かべるジョンに、ソラは相変わらず白けた目で言い放つ。

 

「お前じゃなくて、同じ名前で別の奴がな。二番煎じで満足する程度なら、善行でそのプライドを満たせ小物」

 

 相手の高揚に水をぶっかけて冷ますようなことを言い放ち、ジョンの顔はまたしても不満げに引き攣る。引き攣りつつも、彼は嗤う。

 笑いながら、銃を持った右手を軽く広げて何かを見せつけるようにして高らかに語る。

 背中に隠した左手は、まだ見せない。

 

「二番煎じ? 前座の間違いだろ?

 あなたの知ってるその『ジョン・ゲイシー』がどこのマイナー殺人鬼か知らないけど、そんな奴と俺を一緒にするあなたの方が小物……」

「何人殺したかは知らないし知りたくもないけど、死体を自宅地下室に隠してるのなら、やっぱり同じだ。オリジナルティもクソもない。

 というか、気付かれないと思ってたのか? お前、さっきから私が何で鼻と口元隠してるのか見えてなかったの?」

 

 しかしジョンのおぞましい自慢は、やはり淡々としたソラの言葉で一刀両断。

 どこまでも白けたままのソラは、何でこんなにも白けているのかも仕方なさそうに教えてやる。

 

「スラム地区であることと、元はガス発掘地の土地柄二重で気づかれてなかったみたいだけど、匂いがヤバいな。死体が腐敗しすぎてメタンガス発生してんじゃないの?」

 

 そのあまりにも面倒くさそうに、「何でこんなこともわからないの?」と言いたげなソラをジョンは不愉快気に睨み付けるが、その足は確かに怯えるように一歩引いて相手から距離を取る。

 

 ジョンはソラが自分を恐れていないのは、自分の能力に直接的な戦闘能力がないことに加え、能力を使って他者を殺すように誘導しているが、自分の手を汚したことがない、自分にそんな度胸もないと思っているから、ジョンを甘く見ているからだと思っていた。

 

 初めの銃弾を念能力者と言えど素手で弾いたのは、ほぼ独学で念能力を身に着けたので、四大行の応用である“硬”を知らないジョンは驚いたしヤバいと思ったが、相手の姿をちゃんと見てジョンは安堵したからこそ、姿を現した。

 ソラの血まみれ怪我だらけの姿で、本気が出せるほどのコンディションではないのは一目瞭然だから、あの防御は初めから警戒していたから何とか対応できた余裕のない、偶然に近いものだと判断した。

 

 ジョンが能力を掛けて暴走させていたアタランテを殺したのか、気絶程度で収めたのかまでは知らないが、想定よりもはるかに早く片を付けて、しかも自分の居場所まで探り当てて辿り着いたことには酷く焦ったが、それでもここまで傷を負っている相手なら何とかなると思っていた。

 包帯などを巻く程度の手当てもせず、ここに一人でのうのうとやって来たのは、仲間もジョンの餌食になっていたことに対してキレて、冷静さに欠いているからだと思っていたからこそ、ジョンは逃げずに姿を現してソラと対峙しているのだが、彼の想像で正しい部分は本気を出せるコンディションではないことくらい。

 

 本気など出せなくとも問題ないほど実力に開きがあることに、彼は気付いていない。

 そして、ソラがろくな手当もせずにここにやって来た理由は、ただキレているからではないことに気付けない。

 

 だからジョンはソラの態度に、言葉に屈辱を感じて苛立っているが、同時に訳がわからなくて混乱し、怯えていた。

 

 彼にはわからなかった。

 どうして、有毒ガスの発生を危惧する程の数の死体がこの家にあることを察していながら、ジョンは自分の手を汚す度胸がない臆病者ではないことに気付いていながら、念能力者といえど同じ念能力者相手にこんなにも傷だらけで現れておきながら、怯えも恐れもしない、だからといって怒りでそのような感情が塗りつぶされているのとも違う、完全につまらない演目を見るように、退屈げに白けているのが理解出来ず、しかしその理解不能から来る恐れを彼は虚勢で取り繕う。

 

「……は、ははっ……。確かに、もう俺は匂いなんて麻痺してたから盲点だったよ! やっぱりプロハンは度胸が凄いな!

 けど! これに気付いてないようなら、お前はプロ失格じゃないか!?」

 

 言って、彼は背中に隠していた左手を出し、ぐいっと引っ張った。

 左手で掴んでいる太い荒縄を、その縄から繋がる何かが、タイミングも合図も何もなく引っ張られたことで派手に転び、しかしジョンはそれを無視して無理やり引きずり出した。

 

 荒縄に縛られ、猿轡を噛まされた、もはや恐怖も絶望も摩耗しきって泣くことすらせず、人形のような無機質な眼をした、ゴンやキルアと同じくらいの歳の……少年と思われる子供が物のように、灯りのない家の奥からずるりと引きずり出された。

 

 おそらくはスラムの、ストリートチルドレンだろう。

 一般家庭の子供を攫ったのなら捜索願が出ているだろうから、あの子供を守る為なら屍山血河も築き上げる覚悟完了済みのアタランテが、そんな事件を知らない訳がない。間違いなく、今回の事件を調べている過程でついでに見つけて、こちらも心血注いで解決しようとするはずだ。

 

 少年が身に纏っているものは服というよりボロキレとしか言いようがなく、全裸に近い。なのに、ソラは子供の性別を暫定で少年だと思っている理由の割合で、部屋が暗くてよく見えないという部分は酷く小さい。

 それよりも理由として大きいのは、むき出しの肌には今のソラよりも生々しい傷で塗りつぶされるように、まともな肌をしている所を探すのが困難なほどだからだ。

 打撲による青あざが一番マシな部類で、鞭か何かで打ち据えられて肉が爆ぜるように裂かれた傷や、火傷の痕があまりに痛々しい。

 そしてそれらの拷問のような暴行行為は体だけではなく顔にもおよび、元の造形がほとんどわからなくなっているだけではなく、髪の毛すらまばらだ。

 

 そんな、間違いなくジョンの歪み切って腐りきった、彼と同じくジョン・ゲイシーが元ネタではないかと実は前から思っていたどこぞのマッドクラウンの方が、少なくともソラが知る限りでは本当に戦闘能力皆無な一般人は襲わないし、意外と相手を殺す時も拷問のように甚振って長引かせることは少なく、基本的に一撃必殺の即死させるだけマシに思える悪趣味の産物を見せつけられてソラは……、やはり白けた目のまま言う。

 

「お前、本当に見本のような小物だな」

 

 ジョンの最低最悪な悪趣味の玩具になっていた少年に同情の視線さえ送らず、ソラはただただつまらなそうにジョンの全てを否定した。

 

 * * *

 

「そんなのを見せつけて、こっちが怯えるとでも思ったのか? キレるとでも思ったのか? ……絶望するとでも期待したか?

 初めはお前の能力による犠牲者は少ないから、愉快犯にしては燃費が良くて我慢強い奴だと思ってたけど、ジャックの話を聞いてお前の評価は、小物中の小物でしかないってことはわかりきってるんだよ。だから、こんな胸糞悪い展開は、もうとっくの昔に想定済みだ。いちいち反応を期待すんな、面倒くさい」

 

 白けきった声音で言いながら、ソラは歩を一歩だけ進める。

 ソラの歩みに反応して、もはや引き攣った笑みすら維持できずにジョンの顔から血の気が引き、後ずさりながらまた一発、ソラに向かって発砲した。

 しかしその弾丸はやはり、怪我を負っているソラの手がいとも簡単に弾いて防ぐ。最初の一撃を防いだのは、偶然でもそれだけに集中したからこそできるギリギリでもなく、自分にとって余裕であることを見せつける。

 

 一般人どころか、実は念能力者にとっても人間離れしていると評価する芸当を見せつけられたジョンはさらに顔色を悪くさせて、今度は引きずり出した子供を無理やり立たせ、その子供のこめかみに銃口を突き付けた。

 

「来るな!! 来たらこいつの頭を……」

「吹っ飛ばしたら、なおさら私の遠慮がなくなることもわからないのか?」

 

 しかし、その脅迫は言い切る前に意味がないことをソラによって指摘され、ぶった切られる。

 

「人質は生きているからこそ、価値があるんだよ。その子を殺せば、私はもう何の遠慮も躊躇もなくお前を殺す。今そうなってないのは、その子がいるからこそ交渉の余地を与えているだけだ。

 というか、その子を殺すという最大の隙を見せたら、お前は逃げる暇も反撃する暇もなく死ぬけどいいのか?」

 

 ジョンがソラに対する嫌がらせと切り札のつもりで連れてきた自分の玩具は、ほとんど何の役にも立っていない、最大の悪手だったことを突き付け、ソラはまた一歩近寄りながら、右手で自分の額を指さした。

 

「その子を人質に取るくらいなら、拳銃なんかに頼るくらいなら、お前の能力を私に掛けてみたらどうだ?」

 

 ニヤニヤ笑いながら言ったのなら、ジョンは理解出来た。それが挑発であることを理解出来た。

 だけど、これは理解出来ず彼はさらに怯えて数歩後ずさる。

 

 理解できるはずがない。

 挑発と言えるほどの熱も感情もない声音で、淡々とした提案なんて。

 銃弾よりも防ぎようのない、最悪の魔弾を撃ち出せと自ら提案する、目の前の女の心理がわからない。

 

「私を絶望させてみろよ、殺人鬼」

 

 殺人鬼(シリアルキラー)相手に、異常の代表格を前にしてさらなる異常を見せつけながら、ソラはゆっくりと歩み寄る。一歩一歩、近づいてくる。

 

 どこまでも白けた、退屈そうな、何の意味も価値も見出していない眼で見据えて、ソラは語る。

 何故、自分がこんなにも白けているのかを懇切丁寧に教えてやる。

 

「……ジャックは、昼間のアタランテの叱責でアバキさんに掛けられてた“念”が解けたと思って、油断してしまった。私たちに出会ったことで、そして私たちはジャックが説明するまでもなく、ほとんど犯人像を正しく推測できてたこと、私がお前に対して警戒していたことで、あの子はもうアバキさんは大丈夫だと安心しきってしまった。

 だから、アバキさんの為にもお前によって特定の感情が有り得ないほど増幅して、暴走してしまわないよう、なるべく甘えないようにしてた反動で、アバキさんに今日は久しぶりにめいいっぱい甘えてた。……お前は何の価値もない小物だけど、小物だからこそ大物ぶりたい虚勢を張って、悪趣味さはずば抜けてることだけは認めてやる」

 

 何の価値も意味も見出してやるものかと決めたから、ソラは灼熱する怒りを抑えこんで、今すぐにジョンを直死で最果ての、最深の「死」に突き墜として、そして引きずり出された見せしめにして人質の子供を救いたいという思いも隠して語りながら、距離を詰める。

 この悪趣味極まる道化師が作り上げた舞台を壊しつくし、殺しつくす為に、全てを否定する。

 

「お前がアバキさんに仕組んでいた感情を強化する念は、苛立ちや面倒くさいというものだけじゃなかった。本意ではない虐待をして自己嫌悪で苦しむアバキさんを見る程度で、満足できる奴じゃないからな。これは、メインデッシュまで場繋ぎの楽しみでしかなかった。

 お前は『あるワード』で、その感情が強化される念を発動するように仕込んでたんだろう? アバキさんとジャックに、最大級の絶望を与えるために。

 

 ……だからジャックは大人しく、何の抵抗もせずにその首を差し出したんだ。

 発動させてしまったのは、油断してた自分だから。アバキさんは何も悪くない。だから、お前の望む絶望を絶対に与えないように、あの子はただアバキさんに殺されることを受け入れた」

 

 ジャックは教えてくれた。

 ジョンはまだ自分の家にいてこの町から逃げ出していないことと、ジョンが犯人だと気付いていながら何故何もしなかったのかという理由、彼が犯人だと知ればアバキが傷つくから気を遣っていたのもあるが、何よりはアバキ自身の強化されている感情の暴走を最低限にするため、余計な情報は入れたくなかったから、ジャック自身が行動に移すことはほとんど出来なかったという話と一緒に、ソラとアタランテが見た光景の意味を、あの子たちは深い悔恨を噛みしめるように語った。

 

「お前は、一年に2,3件程度で満足できるほど我慢強くない。何の保証も根拠もなく、自分は大丈夫だと思い込んでるバカだ。

 とっくの昔にお前はエスカレートして、行き着くところまでいってたんだ。スラムの子供みたいにいなくなっても誰も気にも留めない、気付かれない子供を甚振るだけでは満足できなくて、親のいる子供に手を出した。

 ……そんなお前が、お前が何もしなくても、いつかそうなったかもしれない親子の結末を早める程度で満足できる訳がない」

 

 ジャックはアバキに掛けられていた“念”が、完全に外れたと思っていた。おそらく、今までのとは違って特定のワードが能力発動のスイッチになっていた為、スイッチが押されない限り“陰”に近い状態だったのだろう。

 だからジャックは気付けないまま、もう大丈夫だと安心していたから、そしてジャックを傷つけていた罪悪感と最悪の事態に怯えるアバキを安心させたかったから。

 だから、ジャックは笑顔で、表現できる限りの胸の内を母に伝えた。

 

「お母さん、大好き」と言った。

 

 それが、あまりにもおぞましい愉悦の引き金になることなど、アバキもジャックも想像がつかぬほど、お互いを大事に思っていた。

 だからこそ、至ってはいけない所にまで強化されて増幅されて狂化された感情が牙を剥いた。

 

「……アタランテが見つけてしまった犠牲者たちにも、お前は同じ“念”を掛けてたんじゃないか?

 子が親に『好き』という好意を表した時、その好意をこの上なく嬉しく、愛おしく思った時、愛おしいからこそ生まれる不安……、愛しい我が子を失った時の恐怖を、そして『失う前に、奪われる前にいっそ自分の手で』という狂気を……本来ならそんなものが生まれた事すら気付けないぐらい微細な感情を最大限にまで引き上げて、親を狂乱させて子供に手を掛けてしまうよう、お前は仕向けたんだ」

 

 だから、アバキは恐怖に引き攣った顔で、泣きながら、ジャックに謝りながら首を絞めるしかなかった。

 本心ではあるが、間違いなく本意ではない。本意にはなり得ぬくらい微細な、我が子を愛するが故の不安とその不安が生む狂気が、理性を一瞬で蒸発させるほど瞬間的に増幅させられたら、アバキのように素人に毛が生えた程度の念能力者では、抗える訳がない。

 

 抗おうという発想すら塗りつぶすほどに、その感情を強化されてしまっていた。

 だからアバキは、ジャックを愛しているから、ジャックからの愛情がこの上なく嬉しかったから、失いたくないからこそ、泣きながら、謝りながらもその狂気に呑まれるしかなかった。

 

 そしてジャックは、アバキの手が自分の首にかかった瞬間には全てを察していたからこそ、ただその首を、命を差し出した。

 死者の念であるあの子たちが今更、首を絞められて何の影響があるのかは不明だが、あの子たちは間違いなくアバキの狂気を受け入れることが二度目の死に繋がったとしても、何の恨みも絶望もなく、ただ母が心安らかになることだけを願って、全てを差し出した。

 自分たちが欲しいものは既に全部もらっていることを、その首にかかる手が、恐怖に引き攣った顔が、絶え間なくあふれ出た涙が証明していたから。

 

 ジャックはそれで良かった。

 初めからジョンを警戒していたから“念”を掛けられていなかったし、掛けられていたとしても何もかもわかっていたから、母に裏切られたとは思わない、憎悪や絶望は砂粒よりも小さな欠片も湧きやしなかったから、意味はない。

 

 だけどそれは、全てをわかっていたジャックの話。

 

「そして子供は、訳もわからず最悪のタイミングで自分の好意や愛情を裏切られたとしか思えないことをされたんだから、必ず絶望や憎悪を懐く。

 その子供にも憎悪と絶望を増幅する“念”を掛けていれば、後はお前が何もしなくても能力が発動したら精孔が開き、オーラは増幅されて能力者として覚醒する。けど親も同じように強すぎる悪意のオーラで精孔が開いている状態だから十中八九、子供は親に負けて死ぬしかない。その死によるエネルギーを材料にして、親に復讐する死者の念が生まれる。

 どうりで、物理干渉が可能な程の死者の念が7人も生まれる訳だ」

 

 どこまでが計算通りかはわからないが、“念”に関しての知識がアバキから教えてもらっただけのものしかないのなら、おそらくは狙って作り上げた物ではなく偶然の産物。アバキは死者の念すらジャックに出会ってやっと知ったのだから、ジョンだってそんなものの存在など、最初は知らなかったのだろう。

 

 ただ、愛し合っている親子にわざとすれ違いを起こさせて殺し合わせるという悪趣味極まりない目的で、親には不安と恐怖と狂気を、子供には憎悪と絶望を強化する“念”を仕込んでいた結果、さらに惨いすれ違いと絶望が起こるようになったから……、それが面白かったから続けただけ。

 

 自分が気づいたことを語りながら、また一歩、ソラがジョンに近寄る。

 ソラが近寄れば寄るほどジョンも後ずさって逃げるのだが、彼はもう後数歩で自分の背中が壁にぶつかること、追いつめられていることに気付いていない。

 

 逃がす気などないから、ソラは言葉を続ける。ジョンに向かって、何もかもを突き付ける。

 

「ターゲットが『虐待を確実にしているか、その疑いが強い』親だったのは、事件が表ざたにならない保身だったのもあるだろうけど、お前がより見たかったのは、虐待されても親を信じて親が大好きな子供と、虐待してしまっても本心ではちゃんと子を愛している親の絆を一番残酷で、最低な形で踏みにじりたかったから。

 お前の獲物は、お前に最悪な感情強化の念を掛けられている人はもっともっと多いはずだ。3年で7組の犠牲者は、お前が我慢強かったからでも用心深かったからでもなく、本当に子供を愛していた親はたったのそれだけだったから。

 

 アバキさんとジャックを狙ったのも、あの人はお前が念能力者であることを知ってるから口封じとか、ジャックに嫉妬してるなんて関係ない。

 とっくの昔にエスカレートして歯止めがきかなくなってるお前には、7組の親子はもちろん、この家の犠牲者にも気付かれていないことで調子に乗って、さらにエスカレートした。

 元々破綻しかけていた家族ではなく、仲睦まじい親子の絆をぶち壊したかったから、だからたまたま目の前に現れて、お前のことを信じて疑わないアバキさんを狙っただけだろう?」

 

 語りながら、自分の世界の「ジョン・ゲイシー」は父親に肉体的にも精神的に虐待され、存在意義を全否定されても父親を敬愛していたという話を思い出した。

 もしかしたら、この同名の少年も同じような家庭環境だったからこそ、ここまで歪んで腐り果ててしまったのかもしれない。

 

 親子の絆を一番最低な形で壊すのは、自分が欲しかったものを得ている者への嫉妬なのかもしれない。

 

 そんな風に思ったが、思っただけ。

 同情などしない。する余地などないから、思ったことは頭の一番使わない片隅に仕舞いこんで、ソラは悪臭から呼吸器を守っていた手を下ろす。

 

 顔を全て晒して、恐怖も怒りも嘲りも見下しすらも浮かべていない、退屈しきった、白けた顔で二番煎じの殺人ピエロ(キラー・クラウン)に告げる。

 

「お前の演目はもう全部わかってる。全部全部、想像通りだし、意外性があった部分はただの偶然の産物。性質は最悪だけど、それは全部お前が小物だからこその最悪だ」

 

 他者の絶望という胸糞が最悪な舞台の主役にして観客のジョンに対しての感想を、彼の全てを無意味に、無価値に堕とす言葉を吐きだす。

 

 この行為にどれほどの意味があるのかなんて、ソラ自身にもよくわかってない。けど、こいつの前で怒りも憎悪も不快感も見せるのは嫌だった。

 奴が他者のそういう感情を、怒り狂い嘆き悲しみ、そして絶望する顔を見たいがために、行き当たりばったりで何人もの死を積み重ねて作り上げた舞台だからこそ、ソラは絶対にこの舞台の意味を見出してやらない。

 

 絶望なんて見せてやらないと決めたから、ソラは終幕の為に宣告する。

 

 

 

「つまらないんだよ、お前は」

 

 

 

 ジョン=ゲイシーが作り上げた舞台を、演じ続けた「殺人ピエロ(キラー・クラウン)」という役柄も、そして彼自身が楽しんで観てきた全てを否定(殺し)尽くした。

 

「黙れぇぇっっっ!!」

 

 ソラの言葉に、感想に、宣言に、壁際まで追いつめられたジョンは持っていた拳銃を投げ捨てて放つ。

 絞り出せる限りのオーラを絞り出し、掌からそのオーラを全力で撃ち出した。

 ソラの胴体ほどの大きさとなって撃ち出されたオーラの塊は、それだけでも物理的に十分すぎる念弾となっているが、もちろんこの歪み腐った道化師が良くも悪くも真っ直ぐ単純な念弾を放つ訳もない。

 

 自分以上の異常さに、ソラの狂気に呑まれて錯乱していても、錯乱しているからこそ、全力でジョンはそのオーラに込める。

 感情を強化させる。

 恐怖を、不安を、絶望を最大限に。

 たとえジョンに対してそのような感情を全く懐いていなくとも、生きている限り意識していなくても必ずどこかに、何かに感じている恐怖心や不安が器である心を粉々に破壊する程に増幅させ、その増幅した感情によって生まれる絶望をさらにさらにさらに強化させて壊しつくすために、撃ち出した。

 

 ジョンは気付いていない。

 それこそが、ソラの描いたシナリオ通りの行動であることを。

 もうとっくの昔に自分は主役からも脚本家や監督という立場からも引きずり落とされ、自分の見ている舞台、演じている演目は自分が描いたシナリオではなくなっていることに、彼は気付かないまま目の当たりにする。

 

「全部わかってるって、言っただろ?」

 

 撃ち出されたオーラが、念弾が、セレストブルーの眼差しと共に吐き出された言葉と右手の一閃で切り裂かれて掻き消えた。

 

 銃弾を弾いた時のように腕に“硬”をしていたら、まだジョンは救われた。

“硬”どころか“凝”もしていない、軽い“纏”状態でソラは、鬱陶しい羽虫でも追い払うような軽い動作で、ジョンの全力で撃ち出したオーラを切り裂いた。

 

 切り裂かれたジョンのオーラは、本来なら触れた時点でアウト。実体があるものではなく、感情という実態がないものを強化させるからこそ、下手すれば一般人より己の心をオーラとしてむき出しにして、鎧代わりに身に纏っている能力者ほど逃れられないということは、アバキとアタランテで学習済み。

 相手のオーラにジョンのオーラが触れた時点で汚染されるように、特定の感情を強化されて我を失う。

 

 そうなるはずだったのに、そうなるべきなのに、ジョンのオーラはもう生命エネルギーでも何でもないものに成り果てて、雲散霧消してゆく。

 消えてゆく。死んでゆく。

 

 ソラは、揺るがない。

 この上なく美しい、天上の美色でありながら退屈し切った、相手を「無価値」と断じる双眸がそこにある。

 

 恐怖も、不安も、絶望もそこにはない。

 

 代わりに、突き付ける。

 

「もう終わりだ、ジョン=ゲイシー。お前の悪趣味な遊びも舞台も、続きがあるとするならお前が自業自得な絶望をするだけだ」

 

 終幕を告げる。もう行き止まりであることを突き付ける。

 

「うるさい黙れっっ!!」

 

 しかしジョンはまだ終わりを受け入れない。拒絶する。

 ジョンは抱え込んでいた少年をソラに向かって突き飛ばす。

 さすがにそれを無視することは出来ず、ソラはこの家に来てから初めて嘲りでも不快でも白けた様子でもなく、焦りと心配を顔に出して少年に手を伸ばして抱き留めた。

 

 その隙に身を翻し、ジョンは家の奥に逃げ込む。

 

 諦めていないと言えるほど前向きな行動ではない。悪あがきというより、現実逃避。

 死ねばもろともという、ヤケクソに過ぎない足掻きを彼は続ける。

 

「は、ははっ! 絶望、させてみろって言ったな! させてやるよお人好し!!

 まだ……まだ生きてる玩具がそれだけだと思ってるのか!?」

 

 言いながら、狂ったように笑いながら負け惜しみのように叫ぶ。

 まだ、自分の腐った欲求をぶつけていた子供がいることを告げながら、再びオーラを練る。

 先ほど絞り出せるだけのオーラを撃ち出したので威力はたかが知れてるが、それでも今まで重ねてきた拷問をフラッシュバックさせて、ショック死させるには十分な程のオーラを練りあげて、再び絞り出す。

 

 これまでの犠牲者と一緒に押し込んで手錠と荒縄で繋いである玩具に向かって……、ごく普通の地下収納に見せかけた地下室の扉に向かって練り上げてオーラを床に打ち付けようと、オーラを溜めた両腕を掲げた時。

 

「だから、全部わかってるって言っただろ!!」

 

 突き飛ばされた少年を抱きかかえながら、焦りも後悔も何もない、悪臭と悪意に満ちたこの場では最上の異常さを、清々しさを見せつけるようにソラは叫んだ。

 

 

 

「今だ!! ()()()()()!!」

 

 

 

 ソラの呼び声などなくても、既に気付いていたのかそれは解き放たれる。

 彼女の声と同時に、床下から、地下室の入り口である床の扉をぶち破って、オーラの矢が撃ち出された。

 

 * * *

 

「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」

 

 床板もろとも、ジョンのオーラを打ち出す直前だった両腕にアタランテのオーラの矢が直撃。

 もう既にソラに向かってオーラの大半を使い果たしていたのもあったが、強化系と言えど肉体強化ではなく感情強化という特殊かつ邪道な能力が裏目に出て、オーラを纏っていたにも拘らずそれは装甲の役目をほとんど果たさず、ジョンの両手は肘から先が原型を留めぬほどバラバラに吹き飛ばされた。

 そして撃ち砕いた床の破片の中から、ハンカチで鼻から下を覆ったアタランテがこの上なく不機嫌オーラをまき散らしながら、ゆらりと幽鬼のように出てくる。

 

 色んな意味で相当怖い光景なのだが、ソラは抱きかかえている子供の拘束を解きながら、一人だけ大笑いしてアタランテに言う。

 

「あははははっっ! アタランテ、ナイスタイミング!! っていうか、そこにいたの!? 鼻と精神大丈夫!?」

「黙れ馬鹿者!! 私の機嫌は最っっっっ悪だ!!」

「でもアタランテのおかげで、そこのアホの最低最悪な最後っ屁を防げたよ!」

「それは確かに喜ばしいが、汝にわかるか!? 腐乱死体に囲まれたもっとも救いたいものを目の当たりにして、汝の合図まで耐え忍んだ私の気持ちが!!」

「うん! そこは本当にごめん!! 私もまさかここまで匂いがする死体と一緒に暮らしてるとは思ってなかった!!」

 

 何故か変なツボにはまって笑っているソラはもちろん、アタランテもアタランテで腕を吹っ飛ばしたジョンを放置してソラに対してキレているので緊張感が欠片もなく、空気が変に緩む。

 その緩んだ空気に、ソラに抱きかかえられている子供や、アタランテの後ろに隠れている3人ほどの子供はきょとんとしていた。

 ……肉体的な拷問と、無理やり感情を強化されて恐怖や絶望を麻痺させてもらえないという精神的な拷問を重ねられ、だからこそ能力を掛けられていなければ人形のように何も感じなくなっていたはずの子供達が、「戸惑い」という感情を取り戻す。

 

 それは、自分たちを虐げていた者がやられたのを見たからだけではなく、自分を見捨てず抱き留めてくれた人のぬくもり、そして地獄そのもの地下室の中で「生きていてくれてよかった」と泣いた人の涙の熱さを知っているから。

 この人たちは、感情を殺さなくても自分たちを苦しめなどしないと、その温度で理解したから。

 だからその温度が、凍りつかせていた感情をわずかにだが確かに呼び起こす。

 

 しかし、その目覚めた感情はすぐさま「恐怖」という氷によって封じられた。

 

「っっっっな……んで……なんで、お前がいるんだよ!?

 いつから……何で……お前ら……殺し合ってたのに……何で……ここで……お前ら……なん……で……」

 

 両腕がアタランテのオーラで吹き飛び、怪我を押さえて止血することすら出来ずにのたうち回っていたジョンが、血と涙と鼻水にまみれながら、何故アタランテがいつからそこに、地下室にいたのかを錯乱しながら訊いた。

 その問いに子供たちは恐怖が蘇り、全身を強張らせて硬直し、アタランテは子供たちにジョンから守るように抱き寄せつつ、殺意を込めた眼で奴を睨み付けるだけで質問に答えはしない。

 だが、ソラの方は飄々と答える。

 

「初めっからだよ。アタランテは“絶”で完全に気配消して、お前の家の中にまだ生きている被害者、お前の人質になりそうな、最後の最後に私に見せつけるために殺しかねない相手がいないか、いたらそれを防いで保護してもらうために別行動してたんだよ。

 まぁ、つまり私はお前の気を引き留める囮役だった訳」

 

 この男のしてきたことを「つまらない」と一蹴することに、無価値だと断じることにどれだけ意味があったかは、ソラにはわからない。

 あんなの、ソラの自己満足に過ぎないことは自覚している。

 けど、わざわざそんな話をしていたこと、今すぐに殺してやりたいという怒りを抑えつけていた理由も、その価値もあった。

 

 ゆっくりゆっくり、甚振るようにしながらも退屈そうにして、自棄を起こさないように、だからといって余裕も与えぬように恐怖で縛り付け、完全に自分だけに集中して注目させて、“絶”で気配を殺したアタランテが家の中に侵入して家探しをしても気付かぬようにしていた。

 

 ある程度の時間が稼げたら、アタランテがこの家の中に気付かれずに入ったであろう確実な時間さえ稼げたらそれで良い。犠牲者を隠している部屋を見つけられなくても、本当に最後のヤケクソをやらかそうとしたらそちらに向かうだろうから、それさえわかれば遠距離の攻撃手段はソラにもアタランテにもあったので、どうとでも防げるだろうという割といい加減な計画だが、見事にアタランテは子供の監禁場所まで探り当てて、不意打ちを成功させた。

 

 ただそれだけの、作戦だの計画だのとも言えない単純極まりないことなのに、激痛で錯乱しているジョンには理解出来ない。

 理解出来ない理由は、激痛だけの所為ではなかったが。

 

「なんで……何で殺し合ってたのに……お前らは協力し合ってんだよ!?

 なんで、お前は生きてるんだよ!? 何で、何で……何でお前には憎悪が最大限になるようにしてたのに……、お前……ジャックのいうことも無視してアバキを殺そうとしてたくせに……、自分の仲間の話も聞かずに殺そうとしてたくせに!! 何で……何で何でなんでなんで……」

 

 ジョンからしたら、殺し合っていたはずの片割れがほぼ無傷で生きていることだけでも信じられないのに、殺し合っていた二人がろくに時間も置かずに信頼して協力し合っていることも、アタランテに掛けた念が解けているだけではなく、彼女は自分がやらかした暴走を悔やんでいる様子もないことが、理解出来ずに泣き喚く。

 

 その指摘に、アタランテはハンカチに覆われていない顔半分を、美しいからこそこの上なく恐ろしい怒りの形相にして、さらにジョンを睨み付ける。

 それは完全に、ジャックの首を絞めていたアバキを見た時と同じ顔だった。

 

 しかし、アタランテは攻撃しない。両手を血が出るほど握りしめて耐えながら、吐き捨てるように告げる。

 

「……確かに、私は貴様の被害者であるアバキを、ジャックの救いである母親を、ジャックの目の前で殺そうとした。

 アバキは完全なる被害者だが、私は違う。お前によって強化され、増幅されていたとはいえ、どう見ても殺したいから殺そうとしているのではなく、殺したくなどないのに殺さないといけないという、強迫観念に駆られてジャックに手を掛けていたアバキを、『鬼畜』と言って殺そうとしたのは、まごうことなき私の意思。……私の本音だ。

 私は、アバキはもちろん救いたいと願うジャックが真に望むことすら考慮せず、ただ自分が気に入らないものを排除して、アバキだけではなく私の味方でもあったソラも信じきれずに傷つけて、独善をジャックに押し付けようとしていただけ。

 今思い出しても、私自身を絞め殺したくなるほど身勝手で最悪なことをしたが、それは私自身の責任だ」

 

 自分の罪を全て棚上げにしたジョンの言い分を、アタランテは認める。

 決して本意ではなかったけど、捨てられなかった本音。

 アバキは悪くないことなど、一目見た瞬間から理性ではわかっていたのに、自分でもそこまでの滅私奉公ができる保証などないくせに、身勝手な本音はどんな理由があっても、子に危害をくわえる親の存在を許すことが出来なかった。

 

 正義感ではなく、自分が親としての立場で思う独善ですらなく、そんな親が欲しいという子供のわがまま、親だって自分と同じ人間であるとは思わず、万能な神様のように、心のないロボットのように期待していたに過ぎない。

 幼子ならその期待は許されただろうが、アタランテはもうそんな期待が許されないのに、親だって弱音を吐かないと潰れてしまう、普通の人間であることを知っているくせに、親になることも大人になることも拒んで、子供のままわがままに望み続けていただけだ。

 

 だから、あの時のソラの言葉は、非難は当然だ。

 ソラに謝られる筋合いなどない。アタランテに掛けられてた念を外す為ではなく、真正面から言われても仕方がなかったことしか言われていない。

 ……ジャックに許されないのは、当然のこと。

 

 だってアタランテも未だに、間違いなく善意で、自分の危険を顧みずにアタランテを救ってくれたハンターのことを恨んでいる。

 わからなくて当然だと思っているのに、母であった山猫を射殺したハンターを憎まずにはいられない。

 

 だからこそ、アタランテは今ここにいる。

 自分のしたこと、自分の身勝手で醜い愚かな本音による自己嫌悪で潰されてしまいそうで、後悔ばかりが胸を占めるからこそ、立ち上がって、前を向いて、より自分が見たくないものを目の当たりにする可能性を理解した上で、そして実際に目にしてもその膝を屈しないで、顔を覆っていたハンカチをむしり取って、子供たちを自分の背に隠して、子供たちの前に立って、ジョンを見据えて言い放つ。

 

 ジョンに向かって、何故自分がここにいるのかを教えてやる。

 

「悪いのは私だ。罪があったのは私だ。許されないのは私だ。

 ……けど、そんな私にあの子は頼ってくれた。アバキを救うために、他にもう犠牲者が出ないように、今の犠牲者を救うために、どうか立ち上がって欲しいとあの子は、……あの子たちは言ったから! ジャックは言ったから、私は今ここにいる。

 

 あの子は、あの子たちは一番許されないことをした私を許そうとしてくれたから、私だって被害者だと思ってくれたから、許そうと努力してくれたから……、だから私はあの子たちが私を許せるように、許せる人間にならなくちゃいけないんだ!!」

 

 ジャックに引導の言葉を、アタランテの行動も願いも全否定という絶望を与えられて、ショックで気絶していた時間は5分もない。

 ソラがジャックにアタランテを渡したかと思ったら、渡して早々に「起きろ!」と言って、かなり遠慮なくアタランテの頭を殴って、彼女の意識を覚醒させた。どうもジャックに渡したのは、自分が抱え込んだままだと殴りにくかったから渡しただけらしい。

 

 もちろん、起きてすぐにジャックと再び顔あわせは、その時のアタランテにとっては拷問に等しく、アタランテはしばらくひたすらに「ごめんなさい」としか言えなかったが、そのエンドレスの謝罪も早々に「話を聞け」と、ソラの脳天チョップで物理的に停止させられた。

 

 もうそこまで殴られまくっていることに文句どころか、ソラに対して大怪我を負わせたことも忘れて気付かなかったくらい、罪悪感と自己嫌悪と絶望で自分の殻にこもっていたアタランテを立ち上がらせたのは、彼女を絶望に叩き落としたはずの子供。

 

 ジャックは言った。

 

 アタランテに対して憎しみではなく、罪悪感を懐いていると一目でわかるほど申し訳なさそうに、あの子たちにとってジョンと同じくらい許しがたいはずのことをしたアタランテに、希った。

 

『お願い。お母さんを、私たちを助けて』

 

 頼ってくれた。

 それが、理由。

 

 それだけが、アタランテの立ち上がる、前を向く、諦めないで進んでいくしかなくなる理由。

 

 目覚めているだけで出逢える、見つけることが出来る、生きてゆける手離しがたい救済。

 

「あの子たちの救いを踏みにじったのは私の醜い本音だが、あの子たちを救いたかったのがその本音の始まりだから……、私は自分を責めて、後悔して俯いて座り込んでいる暇などないのだ!!

 私は、許せないはずの私を頼ってくれたあの子の望みを、今度こそ叶えるためにここにいる。

 

 それが……許されない、罪深い愚かな私でも許された特権だから……大人の特権だからだ」

 

 泣き出しそうな顔で、それでも誇るように力強く宣言してから、アタランテは振り返って、ソラを見て笑った。

「そうだろう?」と同意を求めるような笑みに、ソラも笑って返す。

「そうだよ」と、彼女と自分が持つ特権を肯定し、そしてその特権をちゃんと実行できていると答えるよう、晴れやかに笑う。

 

「アタランテ、かっこいー!」

 

 ちゃんとその特権を実行できている、本当は泣きたいし弱音も吐きたいし、誰かに頼って甘えたいけど、それでも歯を食いしばって立って前を見て、かっこつけられていることを、子供が夢見る未来の象徴であることを、おどけながら肯定した。

 

 その言葉がまた更にアタランテを泣かせにかかるのだが、何とか込み上げた涙をこらえて、再びジョンに向き直る。

 

「もう終わりだ、ジョン=ゲイシー。だから暴れて余計に血を減らすな、煩わしい」

 

 向き直り、激痛で泣きわめいてのたうち回るジョンのあまりの見苦しさと無様さを見下す気にもなれず、ただ不快そうに言い捨てる。

 本音では両腕を吹っ飛ばすだけでは飽き足らず、今すぐに殺してやりたいくらいだが、どうせ裁判にかけても反省するとは思えない相手をここで殺しても、アタランテが嫌な思いを背負うだけならまだしも、こいつが死者の念になられたら最悪極まりないので殺す気はない。

 だが当然、アタランテに手当てする気はサラサラない。彼女のすることは一応程度の忠告だけ。

 

 もちろんそんな忠告、ジョンには聞こえていないし聞いてない。

 出血が激しすぎてのたうち回る元気もなくなったのか、今度は土下座のような体勢で自分の肘から先がなくなった腕を抱え込むようにして、ジョンはひたすらに痛みと自分の現状を嘆いてすすり泣く。

 

 そんなジョンを眺めてソラは、治療用の宝石を取り出してアタランテにいくつか渡した後、残った宝石を指に挟んで見せて、一応彼女に宣言しておく。

 

「止血だけしとくよ。どうせ君は、あいつに触れたくもないだろ?」

「……あぁ。すまない。嫌な役目を押し付けて」

「君は地下室で一番嫌なものを見たんだから、イーブンだよ」

 

 ここで死ねば嫌な気分になるが、生かすために治療するのも耐えられないのは、アタランテだけではなくソラも同じだろう。

 だからアタランテはソラに謝罪するが、ソラは見せたくて見せた訳じゃないものを引き合いに出して、アタランテから罪悪感を奪い取る。

 そんな事をするから余計に罪悪感が増すことをわかっていないソラに、アタランテはもはや指摘するのもバカらしくなって溜息を吐きながら、ソラからもらった宝石を子供の特にひどい怪我の部分に優しく押し当て、癒しながら聞いた。

 

「いやだぁ……いやだぁぁっっ……。 痛い……、痛いよぉ……。死にたくないよぉっっ……」

 

 お前がどの口でそんなことを今更言えるのだ? とひたすらに胸が悪くなるすすり泣きに、答える声を。

 

 

 

「死にたくないの?」

 

 

 

 鈴の鳴るような可愛らしい声は、ソラのものではない。

 幼い女の子の声に、聞き覚えがはっきりとある声に思わずアタランテは勢いよく振り返る。

 

 ソラも予想外なのか、目を丸くして立ち止まる。

 立ち止まって、ただ見た。

 

 白いワンピースを着た、可愛らしい10歳くらいの女の子を。

 ジャックが、そこにいた。

 

 * * *

 

 ジョンの傍らに立って彼を見下ろすジャックを、ソラも、アタランテも、被害者の子供達も、そしてうずくまってすすり泣いていたジョンも、ただ呆然と見る。

 誰も、ジャックに対して「どうしてここに?」「いつの間に?」と問うこともしない。

 普段のアタランテなら、ジャックがジョンに近づこうものなら、彼女の正体やジョンの怪我など関係なく、「そいつから離れろ! 危ない!!」と叫ぶはずなのに、彼女はただ目を丸くして何も言わない。

 

 それぐらいに、言葉を失う程に誰もが理解出来ない。

 ジャックがここにいることよりも、どうやっていつの間にやって来たことよりも、自分の怨敵と言っていいはずのジョンを見下ろすジャックの、あまりにも慈愛に満ちた優しげな笑みが理解出来なかった。

 

 全員から注目を浴びていることを全く気にした様子もなく、ジャックはアイスブルーの眼で優しくジョンを見下ろしながらもう一度、首を傾げて尋ねる。

 

「死にたくないの? 生きていたいの?」

 

 まるで転んでしまった子供に「歩ける?」と尋ねる母親のように、柔らかな声音で彼女達はジョンに問う。

 その問いに、激痛と自分の両腕がバラバラに吹っ飛んだという事実でグチャグチャに掻き乱れたジョンの思考は、あまりにも素直に答えてしまう。

 

「死に……たく……ない」

 

 元始の願いを、口にする。

 何も疑問に思わず、自分の痛みと迫りくる死の恐怖に一杯一杯なジョンは、ジャックが自分に向ける訳がないはずの笑みを浮かべていることにも気付いていない。

 

 そもそも彼は初めから、何にも気付いてなかった。

 ジャックは自分と同じくアバキに“念”を教えてもらった、アバキより才能のあった子供だと思っていた。

 念能力そのもの、死者の念だなんて考えたこともなかった。

 

「……そう」

 

 だから、わからない。

 ジャックの問いに対する自分の答えがどのような結末に至るかも、ジャックが浮かべている幼子でありながら慈しみに満ちた聖母の笑みの意味も、その後に続いた言葉も――

 

 

 

 

 

「じゃあ、()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ジョンも、子供たちも、アタランテも、何もわからない。

 ジャックの言葉の意味が何一つとして理解出来ない。

 出来たのは、ソラだけだった。いや、ソラだってこの時点では勘でしかなかった、ちゃんと理論立てて理解出来た訳じゃない。

 

 ただ、「死」に最も近いからこそ、「死」をより敏感に感じ取り、嗅ぎ取って逃げ続けている彼女はその笑みと答えを聞いた瞬間、顔から血の気が一気に引いて真っ白な顔色のまま、恐怖に引き攣った顔で一気に2メートル近くジャックから飛びのいて距離を置く。

 

 

 

「――解胎聖母(マリア・ザ・リッパー)

 

 

 

 同時に、揺らぐ。

 ソラの行動とジャックの呟きと同時に、ジャックの姿がまるで陽炎のように揺らめき、そして薄れた。

 

 自分の後ろまで飛びのいて逃げ出したソラの行動と、ジャックの蜃気楼のような揺らぎに、彼女の有り得ない笑みと言葉で体も思考も金縛り状態だったアタランテが我に返り、「ジャック!!」と叫んだ。

 叫び、手を伸ばす。

 

 両腕を失って戦意も喪失しているとはいえ、ジャック自身が死者の念とはいえ、それでも油断ならないのが念能力者だ。

 いや、そんなこと関係なく、殺人鬼の傍らに幼子がいて何もしないなんて、アタランテには出来る訳がない。

 例え、様子や言動がおかしいのも雰囲気が不穏極まりないのも、ジョンではなくジャックの方であっても。

 

 だからずいぶんと今更だが、アタランテはジョンからジャックを引き離そうと手を伸ばした。

 

「!? ダメだアタランテ!!」

 

 しかし、手を伸ばして駆け出そうとしたところを、後ろからソラに羽交い絞めで止められた。

 

「!? 何をする!? 離せ!!」

 

 ソラの行動にまたしても頭に血を昇らせて、アタランテはジョンの能力がかかっていた時と同じように怒鳴りつけ、自分の首や胴体に絡むソラの両腕を引き離そうとするが、ソラはホテルからアタランテごと飛び降りた時以上に力を込めて離さない。

 離さないまま、自分たちの傍らでオロオロと狼狽え、戸惑う子供たちに向かって叫ぶ。

 

「君たちも、見るな!! 眼を閉じて耳を塞いでろ!!」

「汝は一体何を言ってる……」

 

 さすがにその言動で、アタランテの方も不穏なものを感じて問うが、質問を全て言葉にする前に答えが出た。

 

 

 

「ぎゃああああああぁぁぁっっっっっっっ!!!!!」

 

 

 

 絶叫が轟く。

 

 男の悲鳴だ。

 それも恐怖や驚愕による悲鳴ではない。

 

「いだいいだいいだいいだいいだいいだいやめてごめんなさいゆるしてやめっっっああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!!」

 

 激痛を訴え、許しを乞う悲鳴が、ゴリゴリという何かを削るような音、ぐちゅぐちゅと何かを潰してかき混ぜるような音と同時に聞こえてくる。

 地下室の犠牲者たちの腐敗臭に満ちているはずのこの家の中を、さらに濃い血の匂いで塗りつぶしながら。

 

「……な……何なのだ? これは……。いったい、……何が起こって…………」

 

 アタランテと、「見るな」と忠告された子供たちが思わずとっさにその絶叫の元に目を向けてしまい、子供は全員眼を見開いたまま固まって、アタランテは唇を戦慄かせて問う。

 

 何が起こっているのかなんてこの絶叫と音、そして血の匂いで想像がつくのに、何が起こっているのかはわからない。

 だってそこは、その悲鳴が、音が、匂いがする場所は、つい数秒前までジョンとジャックがいたはずの部屋の端は、そこだけが白い霧で覆われている。

 

 そこに見えない壁か何かがあるように、霧はあたりの広がることがない代わりに薄れることもなく、まるで部屋の中に雲があるように、その中の光景を隠し続ける。

 いつしか、悲鳴は止んでいた。

 だが、音は止まない。

 

「……アタランテ。純粋無垢と善良は違う。イコールで結ばれるとは限らないんだ」

 

 アタランテの背中に羽交い絞めというより抱き着くようにして、ソラは言った。

 ソラの声はやたらと遠く感じたのに、その音はいやにはっきり聞こえると、アタランテはぼんやり思う。

 

 ゴリゴリという堅いものを削るような音は大分少なくなり、代わりにグチャグチャという水気のある何かを撹拌するような音と同時に、その霧の色が徐々に変わる。

 白から赤へ、そしてその赤が黒に近くなり、霧の色が赤黒くなるにつれて雲のような霧も小さくくなってゆく。

 そして霧がバレーボールくらいの大きさになった時、霧は中身を床に吐き出す。

 

「あの子は穢れていない。だからこそ、複数人が融合していても完全に統一された人格を生み出すことが出来た。

 でも、人間は善悪の両義があってこそ人間だ。穢れが何もないという時点で、あの子に人間としての在り様を求めるのは間違いだったんだ。

 

 ……あの子の在り様は、妖精に近い」

 

 ソラの声は確かに聞こえているのに、アタランテには何を言っているのかわからない。

 何も理解でいないまま、ただそれを見ることしかアタランテには出来なかった。

 

 ビジャビジャビジャ!! と水と水気のあるものを激しく叩きつけられる音がする。

 霧が床に吐き出したそれを見て、子供達4人は気を失ってその場に倒れてしまう。

 子供が倒れているにも拘らず、アタランテは何もしなかった。何も出来なかった。

 ただ、真っ青な顔色のまま、自分を止めてくれたソラの腕へ、縋るように震える手を重ねながらそれを見ていた。

 

 大量の血液の中、泳ぐように浮かんでいる耳の欠片、爪、頭皮と一緒の髪の毛という部品でかろうじて、元が人間だったとわかるくらい原型を留めていない、人間のミンチを。

 生きながらに切り刻まれて撹拌されて搾り取られたジョンの残骸と、少しずつ人の形になってゆく霧を前にして言葉を失っているアタランテに、ソラは語った。

 

「あの子は……あの子たちにはたぶん悪気はない。これは、復讐なんかじゃない。

 だってあの子たちは生まれてこれなかった、ただ生きていたかっただけの子達だから……だから、だからたとえ相手が誰であっても、放っておけないんだ。

『死にたくない』『生きていたい』って願いを放ってはおけない。

 

 ……でもあの子たちは、生まれてはこれなかった。あの子たちは死ぬことで母の胎から生まれ落ちた、そしてその大半が……堕胎された子供達だからこそ、あの子たちはこうするしかないんだ。それしか知らないんだ。

 

 自分たちの仲間に引き入れたかった訳でもない。ただ、願いを叶えようとした、死にたくないのなら、生きたいのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()としたんだ。

 そうすることしか知らないしできない。そして、あの子たちが『母親になる』には、ああするしかないんだ!

 あの子たちが生きていたのは母親の胎の中だけで、死ぬことによって外に出たからこそ……、何の穢れもなく死んだからこそ『ジャック』としての生を掴んだからこそ、こうするしかない。

 

『死にたくない』と願った対象を、自分たちと同じように生きながらにグチャグチャに切り刻んで撹拌して、人間としての全てを体と一緒に絞り出すことで(オーラ)を濾過して、自分たちと同じように何の穢れもない状態にして……その胎に収める」

 

 そこまで語って、ソラは顔を上げる。

 顔を上げて、泣き出しそうな顔で笑う。

 

 霧から再び少女の姿に戻った、……酷く大人びた寂しげな笑みを浮かべて自分の下腹部を愛おしげに撫でるジャックに、自分が導き出した答えを口にした。

 

 

 

「それが…………君達、『ジャック』という死者の念の能力であり、在り様なんだろう?」

 

 

 


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