死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜
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110:ビスケの心労はまだまだ続く

 ビスケが語る自分とソラが師弟関係になった理由……というか、ソラがクラピカ探しに自分自身さえも蔑ろにして専念するのではなく、表面上だけでも真っ当に生きてゆける術を大人しく学ぼうとするきっかけの序章を聞き、キルアは素で言った。

 

「あいつ、もしかして自分で死者の念を引きつけてないか?」

「あー、それ自分でも言ってたわさ。ただでさえこの世に自分を留めておくのに精一杯な死者の念は、波長が合って自分が見える奴に付きまとうから、死者の念に対して常時“凝”状態のあの子にまとわりつくことが多いんだとさ」

 

 キルアの冗談半分の発言を、さらりとビスケは肯定した。

 その肯定にキルアはもはや「マジであいつ死者の念ホイホイなのかよ!?」という突っ込みもいれず、同情するような視線をビスケに向けた。

 彼の先ほどの発言が冗談半分ということは、半分は本気でそう思っていたし、冗談部分も正確に言えば「冗談になって欲しい」という期待だったのだろう。

 

「ソラの行動は、ビスケを助けようとしてたんだね」

 

 キルアから送られる同情を「そこまで落ちぶれていない」と言える気力もないほど、ソラに振り回された当時の記憶で疲弊しているビスケの空気を入れ替えようと試みたのか、ゴンがビスケの話で気が付いた部分を言及した。

 

「……そうね。あの子、あの眼になる前から幽霊の類は見慣れていたから、自分で言った通りいつもなら間違えなかったんでしょうけど、まだ本調子じゃなかったのとあたしが追い掛け回してたから、いきなり墜ちてきた『彼女』を本物の投身だと思って、あの子を追って落下位置真下に突っ込んできたあたしをとっさに庇って引っぱって放り投げたのよ」

 

 ゴンの言葉に、ビスケは精神的な疲弊を少し薄めて答える。

 疲弊が薄まったが、その語りにはわずかながら影が落ちていた。それは、ソラが泣きながら許されない、絶対に自分が許さない罪に謝罪を繰り返し続けていた時のことを語っていた時と同じ影。

 後悔と罪悪感の影だった。

 

 影の正体に気付き、ゴンだけではなくキルアも戸惑う。

 そんな二人に気付かせてしまう程、今の自分は当時の感情に引きずられていることに気付いたビスケが自分の未熟さを自嘲しつつ、語る。

 

「……あの子は、ソラはあたしをあの時『助けて』しまったから、あたしを選んで『彼女』を切り捨てたからこそ、あの子はクラピカを探すことを諦めたのよ。

 ……ううん。諦めてなんかいないわね。でも、あの子は『今は会えない』と判断して、彼が生きていること、生き抜くことを信じて、自分がいなくても手離してはならないものを手離さないこと祈って、あたしの元に大人しく残ったわさ」

 

 ビスケもすぐに撤回したが、一番ソラらしくない「諦めた」という言葉。

 しかもそれはよりにもよってクラピカに関すること、クラピカを探し出して再会すること自体は確かに諦めてなどいなかったが、その優先順位を下げたことが信じられず、子供二人は目を見開いて言葉を失った。

 そんな二人の反応を、頬杖を突きながら眺めてビスケは語る。

 

「意外に思う? まぁ、当たり前よね。あたしだって、意味がわからなかったわよ。

 あんだけ狂い果てる元凶でありながら、ない方がマシな正気を手離せない理由であって、そんでもってもはや笑い話にしたいくらいの脱走劇をやらかすほど会いたい相手を探すことを、一旦とはいえ保留にしたんだから」

 

 ビスケも理解出来なかった、ソラがクラピカを探すのではなくビスケの元に残って、ビスケに師事した理由を語る。

 

「それほど会いたい相手だからこそ、あの当時のソラだと会えなかったのよ。

 だって、あの子はあのままならどれほど壊れてもソラがソラである為の『何か』さえも、自分で気づかない間に手離しかけていたから、……あの子自身がそう感じていたから、ソラはあたしの元に残ったのよ」

 

 ビスケとしては、この言葉が全てだった。

 自分とソラの現在の関係に至った理由について全て語ったも同然なのだが、ゴンもキルアも意味がわからず首を傾げていたので、そのままビスケは昔話を続行させた。

 

 自分も、最後の最後までわからなかった、ソラが「クラピカとの再会」という目的の優先順位を下げてまでして、守りたかった「何か」の話を続ける。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 もう夕刻と言える時間。

 一般病棟個室でソラは、2階からアイ・キャン・フライ(失敗)をやらかして出来た傷の治療を終えて、ベッドの上にちょこんと座り、腕組み仁王立ちのビスケに問い詰められていた。

 

「あんた、何者なの?」

「異世界からやって来た、行動倫理が破綻したクソジジイ魔法使いの弟子」

「もう一回、隔離病棟にぶち込まれたいのかあんたは!?」

 

 見た目12歳前後の少女のものとは信じられない威圧感を放ちながらビスケは問うが、訊かれた方はしれっと夢見がちなのかそうでないのかよくわからないことを言い出して、もちろんビスケはブチキレた。

 が、答えた本人もクラピカのようにあっさり全面的に信じてくれるわけがないことなど百も承知なので、やはりしれっとしたまま言葉を続ける。

 

「別にふざけてもからかってもいないよ。信じてもらえないのは当たり前だし、むしろあっさり信じられたらこっちが心配する。

 ただ、私の言ってることが本当にしろ、妄想を信じ込んでるにしろ、今の私にはそうとしか言えないのが事実。下手に常識的なこと言って取り繕って嘘が判明するよりは、私の頭がおかしいってのを前提に相手してもらった方が私は楽だし、そっちも私の変な発言を無駄に深読みして疑うよりも『頭がおかしいから』で済ませた方が楽でいいんじゃない?」

 

 自分の話を真実だと主張するでも、ビスケをおちょくるでもなく、淡々と信じてもらえないことを前提にした上での話だと語るので、ビスケの怒りはトーンダウンする。

 同時に「もしかして……」と、ソラの話をわずかばかり信じかけてしまう。

 

 もちろんすぐさま「バカバカしい」と思って切り捨てるが、ソラのあまりにも冷静かつ自分でも「信じられる訳がない」と思っている様からして、妄想を信じ込んでいるタイプの狂人には見えないのと、念能力と似て非なる彼女の異能の数々は、この世界の技術ではなく全く別の世界のものだと考えたら、一番矛盾なく説明できるのではないかと思ってしまい、何度切り捨てても「もしかして……」という思いは浮かび上がる。

 

 その浮かび上がるものを無視して、ビスケはジト目になって話をひとまず変える。

 

「……ふざけてないんなら、とりあえず今はそれで良いわさ。

 とにかく、あんたには色々と訊きたいことも訊かなくちゃいけないことも、やらなくちゃいけない手続きも山ほどあるんだから、まずはもう脱走はせずに大人しくすると誓いなさい」

「それは無理」

「口先だけでも『はい』って言っときなさいよ! そんな正直に脱走宣言されたら、こっちも面倒なのに見張らなくちゃならんでしょーが!!」

「そっちもしたくないんかい」

 

 ビスケの命令に真っ正直な即答をすれば、ビスケもキレながら正直な不満をぶちまけて、ソラは呆れながら突っ込む。

 その突っ込みにビスケはソラの胸倉を掴みあげて、見た目に反したやさぐれっぷりを見せつけながら肯定する。

 

「当たり前よ。あんた、自分のやらかした数々を忘れたの?

 あたし個人として訊きたいこと、晴らしたい疑問だって山盛りだけど、それ以上にあんたと関わるってことは面倒事しか生まれないってのはもう嫌になるほど思い知らされてるのよ。思い知らされてるのに、あんたと最初に関わったハンターってことで、あたしはあんたの身元やらなんやらが判明して、処分が決まるまで監視しろって指令が出されたのよ。

 正直、昼間に追いかけたのを後悔しているくらいだわさ」

「うん、そこはマジでごめん」

 

 自分のやらかしに対して開き直っているとはいえ、面倒と迷惑をかけまくっていることに対しては本心から悪いと思っているので、ソラは締め上げられながらも謝罪を口にする。

 だが当然、その程度の謝罪でビスケの怒りは収まらない。

 

「あーーっ! もう本当にあんたは何なの!?

 脱走する気しかないんなら、何でマジで昼間の内に逃げ出さなかったの!? 何であの『死者の念』が消えてからは大人しくあたしに捕まって治療受けて今、ここにいるの!? いっそあの時また逃げ出してたら、あたしは死者の念に気を取られて逃げられたって言い訳が立って、お役目ごめんになれたのに!!」

 

 ソラの胸倉から手を離し、頭を掻き毟りながらビスケは苛立ちを言葉に変えてぶちまける。

 苛立ちだけではなく、純粋な疑問も同時に吐き出した。

 

 昼間のビスケが気付かぬまま踏みつけてしまっていた、「死者の念」らしきものはビスケが絶句しているうちに姿を消してしまった。

 ハンター歴が長いだけあって、ビスケにも少ないが死者の念と関わった経験はある。

 その経験則から、踏みつけていた自分に未だ何の影響もなく、悪意も感じられなかったこと、そもそも、“硬”に近いほど両目にオーラを集めなければ見えないほど微弱なオーラだったので、あれは何らかの目的で生み出された死者の念ではなく、偶発的に生まれた一般人の死者の念、幽霊と言える存在だと確信している。

 

 おそらくは怪談によくある、自分が死んだことに未だ自覚もなく自分の死を何度も繰り返し再現しているタイプなのだろう。

 見えてしまったら精神的に結構クるものがあるが、当の本人は誰かに何かするつもりはないので、無害と言っていいタイプだとビスケは判断している。

 

 なのでビスケは一応程度の気持ちで協会には報告しておいたが、協会の方もビスケの話を聞いて同じ判断を下し、そちらは特に危険視せず何もしなくていいと言われている。

 協会からしても、念能力者でさえよほど注意しなければ見えないレベル、たまたま生まれつき目の精孔が開いて常時“凝”状態で、本来なら見えないはずのものを見ることに特化してしまった、所謂「霊感持ち」にとって目撃したら不運程度の死者の念に下手なちょっかいを掛けて、その死者の念が凶悪化してただでさえ少ない除念師を失う訳にはいかないので、その判断は妥当だ。

 

 協会にとって優先しなければならない「危険」は、自分の死を自覚していない死者よりも、謎しか生み出していない生者、ソラ=シキオリの方。

 

 一応、ビスケが協会に報告したソラに関しての情報は、嘘は何もついていないが本当のことを全部は語っていない、事実をかなり穏便にしたものだ。

 そんな報告をした理由は、ビスケが感じ取ったソラの異常性を説明すればするほど、説明しているビスケの頭を心配されそうだと思ったからと、ソラに対しての罪悪感があったから。

 なのでなるべく彼女の異常性や謎を強調せず、「身元不明で、身内を攻撃されたから反撃していた正当防衛の念能力者」で済むように努力はしたが、やはりどれほど穏便に言い繕っても、犯罪者9人を惨殺と、その死因からして当然ソラはかなり危険視されてしまった。

 

 幸い、ビスケの師である協会長は、ビスケの話を聞いておそらくは事実全てを語ってはいないことに勘付きつつも深追いはせず、ソラに対して捕えろだの始末しろだのと言った非人道的で過激な指令も出さなかった。

 まず間違いなくそれは人道的な良心からではなく、彼自身もソラ=シキオリという人物に興味を懐いているからこそ、数多くの謎を解明せぬまま「危なそうだから処分」はもったいないと思っただけだろうが、それでも大きな組織のトップに立つ人間が本当に危険だと判断していたのなら、こんなぬるい指令は出さない。

 

 なんだかんだでビスケが庇っている時点で、ソラという娘は怪しさしかないが悪人ではないとネテロはビスケを信頼して、判断してくれただろう。

 だからこそビスケ名指しでソラを監視しろという指令は、ネテロからしたら「守ってやれ」という意味合いだったのかもしれないが、当の弟子がその信頼と珍しいネテロの優しさを放り投げて、その役目を放棄したいと思っている最中、何故かそう思わせた元凶が今は大人しくしているのが理解出来なかった。

 

 ソラの病室が隔離病棟から一般病棟に移ったのは、この女は閉じ込めても無駄だと病院側もビスケも判断したからこそ、無駄なあがきでベッドやドアがまた壊されるよりはもういっそ脱走された方がマシと思われたから。

 はっきり言って、次にソラが逃げ出してもビスケは追いかけるつもりはあまりない。

 

 今までのやり取りからして、あの不安定極まりなかった情緒は何故か回復しているので、ビスケが抱いていた後悔や罪悪感もすっかり影も形もなく消え去っていた。

 なので今のビスケとしては、ソラに対して抱いた疑問を少しでも晴らしたいという好奇心以外の彼女に関わる理由は消失している。

 

 そしてその好奇心も、この女の情緒が回復した方が予測不可能っぷりが加速している言動に振り回されて積み重なっている心労と比べたら、はるかに小さい。

 面倒事をこれ以上起こさないと確定しているのならともかく、まだまだ面倒事を生み出す気しかないのなら、もう関わりたくないがビスケの本音。

 

 そんなビスケの割と切実な願望を、どの方面からもぶち壊す張本人は当然そんな自覚もなく、悪びれずにビスケに問うてきた。

 

「あ、そうそう。私の話より先に、その『死者の念』とか『念能力』についてちょっと教えてくれない?

 たぶん私がイコールで結んで認識してるものとそれらは、似てるけど結構違ってて、お互いの認識がすれ違ってる部分が多そうだから」

 

 自分の怒りや苛立ちをサラッと受け流す元凶にまたムカつきながらも、それはビスケ自身も思っていたこと、話そうと思っていたことなので、ビスケは不満そうだが椅子をベッドのわきに持って来て座り、“念”に関しての簡単な講義をしてくれた。

 

 お互いの認識通り、ビスケの言う「念能力」とソラの言う「魔術」は、自らの生命力、精神エネルギーを使用することで起こす「非常識(きせき)」、科学とは全く違う法則で行う技術という根本は一致していたので、ソラはビスケの説明に見当違いな質問や反論などは全くせず、一発でほぼ完全に理解した。

 そしてビスケを凝視しながら深々と頷き、納得したような声を上げる。

 

「あー……。はいはいなるほど。それでか」

「? 何に納得してんのよ」

「いや、あなたの外見と実年齢が一致していないことと、それなのにあなたはすっげー良い人なのが今やっと理解出来た」

「はぁ?」

 

 ビスケがいぶかしげに訊いた問いにソラは即答するが、答えを聞いた方が謎が増した。

 前半の納得は、「“纏”は普通なら垂れ流しのオーラを自らの体に留め続ける技術なので、これを習得しているものは一般人よりはるかに若さが保たれる」と説明していたのでこちらも納得するが、後半が意味不明すぎた。

 言ってる内容も内容だが、この娘はさらっと暴言レベルの失言を呼吸同然の自然体で吐きだすのだが、同じくらい自然に何故か相手を突発的に褒め称えるので、嬉しいや照れくさいよりも困惑が先立って、どう反応したらいいのかわからなくなる。

 

 特に「可愛い」や「美人」ならまだビスケは素直に受け取って喜ぶが、自分の内面に関しては悪人ではないだろうが善人でもない、性格を良し悪しで言えば悪い一択であることを自覚しているので、ソラの「すっげー良い人」という感想が本気で理解出来なかった。

 

「……何をどうしたら、あたしに対してそんな感想が生まれるのよ」

「いや、私の異常さもクソ面倒さも理解した上で、面倒だって思いつつもこうやって病院に連れて来てくれたり、私の知りたいことを教えてくれる時点で、あなたは普通に良い人じゃん」

 

 しかしビスケの自己評価をやはりソラは自然体で言い放ち、不意打ちでビスケを赤面させる。

 どうやら彼女は彼女なりにちゃんとビスケに恩義を懐いているようで、偽悪的な所があるビスケはソラの感想と、改めて自分の行いを顧みたことで生まれた羞恥を誤魔化すために、声を荒げて話を変えるというか元に戻す。

 

「そ、それがなんでまたあたしの外見の話に繋がんのよ!?」

 

 恥ずかしがりつつもソラが自分を「すっげー良い人」と判断した理由は納得したが、やはり一番の謎が未だに深まるばかりなので、そこを指摘して訊いた。

 その問いに、ソラは笑って答える。

 

 鼻で笑って。

 ビスケではなくここにはいない誰かを、何かを嘲笑して語った。

 

「『念能力』って奴は、基本的に一代限りの個人的な能力だからこそ強力なんだね。やっぱり、根本は同じでも『魔術』とは全然違う技術だったんだ。ちゃんと聞いて良かったよ」

 

 まずは、ビスケの問いの答えはなく正直な感想を述べてから、ソラは答えた。

 自分が何故、ビスケの外見とビスケが善人であることはイコールで結ばれることを疑問に思っていたかを、「念能力」だとビスケの外見と人間性はイコールで結ばれるが、「魔術」だとそれは絶対に結ばれないものである理由の前提を答える。

 

「『魔術』は血の遍歴を重ねて研鑽するものなんだ。そして、魔術を行使するには『魔術回路』っていう疑似神経が必要なんだけど、これは元からあったものじゃなくて人為的に作り上げたもの。本来なら人間にはない、いらないはずの臓器だから、何の手も加えなければ代を重ねるごとに退化して無くなるはずのもの。

 そんな『不自然』を強化して増やすために『魔術師』は、自分の子供を生まれる前から調節して改造するんだ。それが、魔術師として当然のこと。

 

 ……そんなことが普通のこと、その魔術回路が強力になる分、本来の体の機能を圧迫して低下させて我が子が半身不随になろうが寿命が縮まろうが、魔力量が増えたり魔力の質が良くなるのなら万々歳、それが我が子に与えられる最大限の愛情だと信じて疑わないのが、『魔術師』だ」

 

「魔術師」を嘲りながら、「念能力」と「魔術」の最大の違い、お互いが一番すれ違っていた認識の部分を説明し、ビスケは引き攣った顔で絶句していた。

 その絶句しているビスケを見て、ソラはまたクスクスと笑う。

 自分の語るあまりに身勝手な「愛情」に対して皮肉げに、ソラの言うことが「信じられない」と言わんばかりにドン引いているビスケを羨むように笑って、ようやくビスケの問いに答える。

 

「そんな『愛情』が当たり前な魔術師という生き物が、自分の若さや美しさに執着したらどうなると思う? どういう手段を取ると思う?

 無理やり後付けで得たものに縋ってるだけの癖に、魔術回路が選ばれしものの証明って勘違いしてる、選民思想に染まった外道が、魔術回路のない一般人を自分と同じ『人間』扱いすると思う?

 あいつらは、『ばれなきゃ犯罪じゃない』って思考だよ」

 

 答え、まとめた「魔術師」という生き物の在り様に、ビスケはさらに顔を引き攣らせて返せた言葉は「あんた何者?」という、振り出しに戻る問いだった。

 

「その答えはいくら聞かれても最初と変わんないなー」

「最初の話を信じたら信じたで、余計にあんたが訳わかんなくなるのよ。あんたも『魔術師』なんでしょ? あたしから言わせてみれば、あんたはあたしのこと言えないくらいに、……バカを通り越して見ていて痛々しいくらいのお人好しじゃない。

 ……それでも、あんたは自分を『魔術師』だと言うの?」

 

 ビスケの振出しに戻った問いにおどけた様子で笑いながら答えるソラ。

 そんな彼女の反応に呆れつつも、語るにつれて忘れかけていた記憶が蘇り、ビスケは言葉通り痛々しそうに瞳を細めて再び問う。

 

 ソラの話は、自分の知っている常識から外れているということを抜いても信じられなかった。

 そんな事をする人間がいるということが信じられないのではない。むしろビスケは、そんなことを平然と出来る人間の方をよく知っている。絶望することに飽きるくらい、見てきた。

 

 信じられなかったのは、彼女が語ったことが真実なら、我が子を人間とは別の生き物に近づくよう改造し、その所為で寿命を縮めることさえも「愛情」だと信じて疑わない生き物と彼女が同じということ。

 

 泣きながら、誰が許しても自分自身が一生許せない罪に対して、何度も何度も謝罪し続けたこの少女が。

 どれほどの罪を背負っても、その罪の重さに潰されそうになっても、それでも前に進もうとしていた彼女が。

 命の重さも、その命を奪う罪の深さを知っているから、自分以外の誰かを守る為だったと自分の汚した手を正当化しない人間が、「魔術師」という存在であることが信じられない。

 

 本当に彼女が自分で語った通りの魔術師であるのなら、それなら彼女自身はよほど救われた。

 ビスケだって、胸糞悪い想いはしてもそれは一過性ですんだ。

 おそらくは一生逃れられない、普段は忘れていてもふとした瞬間に自分を苛む後悔や罪悪感を抱え込まずに済んだ。

 

 なのに……ソラはビスケの問いに笑って答える。

 困ったように、叶えてやりたい願いを叶えてやれないと子供に言い聞かせる大人のように、眉を下げて柔らかく微笑んで彼女は言った。

 

「そうだよ。私は、『魔術師』だ。『魔法使いの弟子』だけど魔法は何も使えないし、『魔術使い』の方が正確なくらい『根源』に興味なんかないけど……、私は『魔術師』なんだと思う。

 どんなに私が魔術師(あいつら)を疎んでも、私が生まれ育ったのは魔術師の世界だから……だから……私は、『普通』じゃない。普通から一番遠い所にいるのが、私なんだろうね」

 

 ビスケの否定を望んだ問い、質問のフリをした否定を否定して、自分が「魔術師」であることを肯定する。

 受け入れる。

 

 だが、諦めない。

 

「……ねぇ。あなたの名前、何だっけ?」

 

 ソラの答えに何も言えなくなってしまった、何か反論できるほどの情報もなく、何よりこの少女が「普通」ではないことは初めからわかりきっていた、ビスケこそが一番否定できないほど理解してしまったから黙りこんでいたら、ソラはまた唐突に話を変える。

 今更それを訊くか? と思いつつも、そういえば名乗るタイミングを逃し続けていたことに思い至り、ビスケは割と自業自得な鬱っぽい気分を振り払うようにして名乗った。

 

「……ビスケット=クルーガーよ。呼ぶなら、ビスケでいいわ」

「そう。子供じゃないと許されない、凄い名前だね。そりゃ、元の姿には戻れないわ」

「いきなり喧嘩を売るな!!」

 

 ビスケが名乗ったら、やはり呼吸同然に失礼すぎる事実を言い放ち、ビスケの罪悪感などを木端微塵にしてゆく。

 ぶっ壊しておきながら、それを呼び戻すのもまた彼女自身。

 どちらもやりたくてやっている訳ではなく、自然体なのだろう。

 

 当時のソラに、「心配を掛けたくない」「自分の弱さを見せたくない」と思える余裕なんてなかった。

 ただ、嘘を吐く余裕なんてなかったから、思ったことを全部そのまま口にしていただけだと気付けたのは、どれほど経ってからかはもう覚えていない。

 

「ねぇ、ビスケさん」

 

 覚えていることは、忘れたくても忘れられない罪悪感という傷になったのは、この言葉だ。

 

「私に、生きていく術を教えて」

 

 夜空色の瞳でまっすぐに見据えて、彼女はビスケに願った。

「死」に満ち溢れた世界で、生きていく術を教えて欲しいと。

 

 そんなの、ビスケの方が知りたかった。

 

 * * *

 

 口調も雰囲気も、懇願や切願といえるほど追い詰められた熱意はなく、淡々としていた。

 だが、底知れない眼でどこまでも真っ直ぐ、ビスケの何もかもを見透かすように見据えられることに居心地の悪さを感じて、ビスケは眼を逸らす。

 

「……あんたは何を言ってるの?」

「そのまんまだよ。私は異世界云々が事実か妄想かっての引っこ抜いても頭がおかしいし、この世界の常識を知らないのは事実な挙句、念能力と似て非なる厄介すぎる能力持ちだから、今のままだと私は生きていけない。

 私が死ぬか、私以外の全てを殺してしまうかって結末になってしまいそうだから、私にこの世界で、正気に近い位置にしがみついて踏みとどまって生きていく術を教えて欲しい」

 

 ビスケの正直な返答に対しても、ソラはやはり淡々と答える。

 その淡泊な言葉が逆に、熱意はないのに引く気も諦める気もないことを嫌になるほどこちらに伝える。

 

 なので、ひとまず返事は保留にして、ソラの言い分で気になったところだけを拾い上げて質問を続ける。

 

「あんた、大人しくする気はなかったんじゃないの? また病院から脱走して、クラピカだか誰だかを探すんじゃないの?」

「大人しくする気はなかったけど、その理由はクラピカじゃない。……クラピカには悪いけど、あの子にはしばらく待ってもらう。

 今は……今の私じゃ、今のままの私じゃあの子に会えない。あの子と会っちゃダメだから、だからこそあなたに頼んでるんだ」

 

 ビスケのまた最初に戻る素朴な疑問はソラの頼みに繋がるものらしく、彼女はあっさりと昼間の騒動の原因を否定して、二日前にあそこまで求めた、「帰らなくっちゃ」と縋り付いた最愛を探すことを後回しにし、その答えに丸くなったビスケの眼が背けていたソラの方に戻って来る。

 意味がまたわからなくなったというビスケの思考を汲んだのか、それとも語りたかっただけなのか、ソラはやはりどこまでも熱のない、もう心に決めて揺るがない答えを淡々と言葉にしてゆく。

 

「言っとくけど、クラピカ探すことを諦めた訳じゃないよ。ビスケさんがどこまで私たち側の事情を知ってるのかは知らないけど、あの子は生きてるし怪我の心配もしなくていいからこそ出した結論だ。

 捥がれた腕の治療は私がしてくっつけて逃がしたし、沸点低くて危なっかしい子だけど、同じ失敗を繰り返すほどバカじゃないし、なにより私と会う前の1年間を生き延びた子だから、冷静に考えれば今すぐに保護しないとヤバいって訳じゃないから、申し訳ないけど後回しにしただけ」

 

 まずはクラピカに対して、ビスケが思ったよりも心配していない理由を語られ、そこは普通に納得した。

 サラッとソラが語る、捥がれた腕をただ治療するのではなく接合させたという発言にまたしても「あんた何者?」と思うが、今そこを突っ込んだら話が進まないので、ひとまず横に置く。

 治癒系能力者でもレベルが高すぎることをやらかしているのが信じられないが、その前提だとクラピカという少年の死体はもちろん、隻腕で重傷の少年が見つからなかったこともすんなりと納得がいくので、まずは余計な茶々を入れずに話を聞く。

 

「私の本音としては、こうやってビスケさんと話してるのも惜しいくらい、今すぐにクラピカを探しに行きたい。会いたい。無事だと信じてるけどこの眼で無事を確かめたいし、私も生きてる、平気だよって伝えたい。

 ……でも、出来ない。今の私ならまだしも、このままじゃダメ。あの子も世間知らずの部類だし、念能力については何も知らないはずだから、あの子じゃダメなんだ。ビスケさんには悪いけど、あなたが適役なんだ。

 

 だから、どうかビスケさんお願いだ。

 私に念能力を教えて。そうしないと、私は私の『殺さなくては殺られる』、『殺さないと守れない』というスイッチが簡単に入ってしまう。手加減なんて出来ない。わからない。

 私は一線を踏み外してしまったから、このままだともう戻れないから、戻り方がわからないから、だから私に誰も殺さなくても守りたい人を守れるくらいの強さをください」

 

 強くなりたいと、希う。

 両腕負傷という状態でありながら、ビスケでさえも「殺される」と本能の警鐘が鳴りやまなかったほど追いつめていたにも拘らず、ソラはビスケに強さを求める。

 

 もう誰も殺したくないと願っておきながら、戦うことを拒絶せず、これからも戦っていくことを前提として求めた。

 戦わないと手に入らない、守る為には戦わなければいけないことを知っているから、だから強くなりたいと願う。

 

 ビスケにとって答えを保留する為、時間稼ぎに過ぎなかったはずの問いが、逆に保留する時間を奪う。

 彼女がどんな思いで最愛を後回しにして願っているのかを、理解してしまった。

 この斜め上の暴走を続けたバカは、二日前の少女の化け物にしてあまりに清廉潔白だからこそ罪の重さを真っ直ぐに受け止めていた少女と同一人物か? と本気で疑っていたぐらいだが、間違いなく同一人物だと思い知らされる。

 

 未だに彼女は、自分の罪を正当化などしていない。真っ直ぐに向き合って、背負っている。

 だからこそ、自分が最も望む「クラピカとの再会」を後回しにして、強くなることを、これ以上同じ間違いを、罪を犯さぬ術を求めている。

 

 それは、罰であると同時に自分を許せない彼女が唯一、自分に許した幸福であることを、ビスケは知らなかった。

 

 彼女は、ビスケが思うよりずっと前から壊れている。ビスケが思う以上に、救いがないほど狂いきっている。

 そんな彼女を、肯定したから。

 どれほど狂っていても、壊れていても、そうなることで生きてゆけるのなら、それでいいと肯定した。

 

 その狂気こそが、自分にとっての救済であることを彼は告げたから。

 どれほどの罪を犯しても、生きていてくれるだけで救われる。幸福だから。

 だから、生きていて欲しいと望んでくれた人がいるから。

 

 どれほど壊れ抜いても、狂い果てても、ソラがソラである限り、生きてくれる人がいるからこそ、救われているからこそ狂い果てたソラは求める。

 

 その罪と向き合い続けて、さらに自分が傷つき、壊れても、それでも戦うことをやめはしない。

 守ることを、やめない。

 それが、例え自分と彼しか見出してくれないものであっても、どれほど壊れて狂ってもソラがソラであると言い切れるものだから。

 手離してはいけない。手離せばもうソラは、死んでなくても生きてなどいない存在に成り果てるものだから。

 

 だから、それだけを守る為に、それだけは掴み続ける腕が欲しいと願う。

 

 そんなソラの願いの意味を当然ビスケは理解し切れる訳もなく、ただただひたすらに痛々しい、何の意味があるのかわからない生き方を選んだ少女を、怒鳴りつけるように口を一度開くが、言葉は何も出てこない。

「そんな生き方はバカだ!」と言って、止めることなど出来なかった。止めたって、無意味だとわかっていたから、言ったって止まらないのを見たら余計に辛くなるから、何も言えずに黙り込む。

 

 そんなビスケの沈黙を、ソラは「自分にメリットがないから了承しない」と解釈した。

 このあたりの感情論が通用しないドライな感性でビスケは、ソラが自分で肯定していた「魔術師」であることを思い知らされた。

 

「ねぇ、ビスケさん」

 

 ソラは言った。

 両目のミッドナイトブルーを鮮やかに変幻させて。

 

「私、死者の念を殺せるよ」

「…………はぁ?」

 

 もう何度目かわからない、唐突な話題の転換。

 しかしソラからしたら、当然の話の成り行き。

 

 だからソラは、ミッドナイトからサファイアブルーに変化した両眼の明度をさらに上げつつ、話を続ける。

 

「私が『幽霊』『悪霊』って認識しているものは、あなた達にとっては『死者の念』って呼ばれるものなんでしょう? そしてそれは、凄腕の念能力者でも対処できる者はほとんどいない、襲われたら災害だと思って諦めるしかないものなんでしょう?

 

 私、()()()()()()()

 少なくともこの世界に来てから既に二体、殺した。

 

 ……ねぇ。そんなことが出来る私って、希少価値があるんじゃない? どんなに私が得体がしれなくて怪しくても、怪しいからこそ後腐れなく、厄介極まりないものとぶつけられる便利な掃除道具として、ハンター協会とやらに売り込めるんじゃない?

 それは、ビスケさんのメリットにならない?」

 

 初めは何を言っているのか理解出来なくて、ポカンとしたままただソラの話を聞き、ソラの色の変わる眼を見ていた。

 そういえば、この眼のことも訊いとかなくちゃと現実逃避気味に思いながら見て、話は半分以上耳を素通りしていたが、ソラの眼がその名にふさわしいスカイブルーにまで明度が上がったのを見て、背筋に悪寒が走る。

 

 二日前の異常を、彼女を「化け物」と認識した何かが再び垣間見えると同時に、素通りしていたはずの言葉を理解してビスケは「ふざけるな!!」ととっさに怒鳴りつけた。

 

 ビスケに怒鳴りつけられて、ソラはスカイブルーの眼を丸くさせる。

 その呆気に取られた顔が、酷く癇に障った。

 自分がソラの発言の何に対して怒っているのか、全くわかっていない顔が気に入らなくて仕方がない。

 

 だからビスケは、血が昇った頭で思いつく言葉をそのままソラにぶつけ続ける。

 

「あんたは本気で何がしたいの!? あたし(ひと)のことを良い人だとか言っときながら、あたしにあんたを上に売れって言うの!? あんたにとって『良い人』はそんな事、平気で出来る人間なの!?

 第一、あんたはそのクラピカって奴に会いたいんでしょ!? そいつと会うために、強くなりたいって言ってんのに、何であんたはわざわざ自分で首輪を付けられて、檻に閉じ込められて、利用されるだけ使い潰される未来しか見えない道を選ぼうとしてる訳!?

 あんたは本当に一体、何がしたいのよ!!」

 

 ビスケの怒涛の勢いで叱られても、ソラは怯えもしなければ気まずそうにもならない。

 もちろん、反省もせず彼女はカラッと実に晴れやかに笑う。

 

「あはっ! ビスケさんって、素直じゃないけど本当にバカがつくほど良い人だね」

「うっさい! それ、あんたにだけは言われたくない!!」

 

 会話が成立しているようで噛み合っていないことを感じる苛立ちを拳に乗せて、割と遠慮なくソラの頭をビスケはどつくが、この女は念能力者じゃないらしいのに素で丈夫なのか、ビスケの拳骨による悶絶を数秒で済ませて、涙目のまま笑い続ける。

 

「いや、ごめん。確かに今のはむしろ、ビスケさんに対しての侮辱だね。本当にごめんなさい」

 

 笑いながら、ビスケの叱責の前半は素直に認めて謝罪する。

 ビスケにとっては、どうでも良かった部分を。彼女に「そんなことやめろ」と止める為の口実でしかない部分を反省して謝罪するくせに、後半を、ビスケの「そんなのやめろ」と止めた本心部分に対しては、素直に認めているからこそ、謝罪も撤回もしなかった。

 

「でも、実際に私に対してはそんな感じで『メリットがある』っていうのを表さないと、たぶん良くてビスケさんは一生、私の監視になるんじゃない?

 私の異世界出身って主張が私の妄想で、私の身元や経歴が判明したらまだしも、そういうのが何も判明しないのなら私はいつまでたっても訳の分からない、目を離してはいけない危険人物扱いじゃん。

 それだとお互いに良いことなしだから、どうせ腐れ縁が続くんなら私の利用価値を示してくれたら、危険人物に念能力なんてさらなる爆弾を教えても言い訳は立つかなーって思ったんだ。

 

 うん、結局私は自分のことしか考えてないな。本当にごめんね、ビスケさん」

 

 ビスケが言わなくても、ソラは自分の提案が自分を使い潰すために縛られる未来に至る提案であることなど百も承知の上。

 そして、その提案をしなくても自分にもはや自由など許されていないこともわかっていた。

 

 ソラの言う通り、今のままなら良くてソラの一生はビスケ、もしくは他のハンターによって軟禁されて監視され続ける。

 そしてこれは本当に、最良と言っていいぐらいだ。

 

 一番高い可能性は、何らかの理由を付けて犯罪者の烙印を押して処分されること。

 彼女の身元が判明しない限り、判明しても身内がハンター協会等に強い圧力をかけられる人物がいるか、もしくは何も拒まないからこそ奪うことを許さない、あの流星街の出身者でない限りはやはり「念の為」程度の理由でその命を奪う指令が下されるという非道な可能性が高すぎた。

 今回の件で既に、その処分を下せる言い訳は十分に揃っている。

 

 生きてさえいれば奪われた自由を取り戻すチャンスはあるかもしれないのだから、彼女が本当にクラピカに会いたいのなら、強くなりたいのなら、生きていたいのなら、確かにここで脱走して逃げ出すよりも、ハンター協会にソラという少女に利用価値がある、生かすメリットがあると売り込んだ方がいいのは事実。

 

 頭に血が昇って口にした言葉をさっそくビスケは後悔する。

 結局、自分の願いが叶わないことだけを思い知らされるだけだった。

 

 それでも、ビスケはソラから背を向けて足掻くように口にする。

 

「バカじゃないの」

 

 ソラのように、諦めていないからこその足掻きではない。諦めていないからこそ、切り捨てている訳じゃない。

 だからこそビスケも、ソラの為なんかじゃなくて自分の為に口にする。

 

「そもそも、あんたの主張が信じられると思ってるの? 異世界だの魔法使いだのを真顔で口にするあんたの主張なんて、誰も本気にしやしないわよ。

 本気にされていないのに、あんたの危険性だけは理解されてるから、『じゃあ、試しにやってみろ』とも言われない。あんたは、何も聞いてもらえない、見てもらえないまま、どっかに閉じ込められるのが関の山よ」

 

 自分の願いが叶わないのなら、ソラの願いだって叶わないことを告げる。

 

「だから、バカなこと言うのならそんな死に急いでるようにしか見えないバカより、『私は何も知らなかった。悪意も害意もないし、もうあんな能力(ちから)は怖いから二度と使いたくない』って言っときなさいよ。

 生きていく上の術は、強くなることよりも弱者であることの方が楽で賢いもんよ」

 

 利用価値があると主張するのではなく、ないと主張しろといいながらビスケはソラから逃げるように、ベッドに座るソラの横を素通りして、彼女の背後の窓に近づく。

 それは諦めているからこそ、せめて少しでも安穏な道を選んでほしいという後ろ向きな希望に過ぎない。

 

 自由がないのは同じでも、思ったよりも弱くて危険性などないと判断されたら、少なくとも軟禁も監視もそこまで束縛は厳しくない。いつかは「危険性もなく無価値」と判断されて、自由になるかもしれない。

 少なくとも、利用価値を示すよりはずっとずっと彼女は生きていられる可能性が高い。利用価値を知られ、使い潰されるよりはマシだと思った。

 

 その「マシ」はソラにとってではなくビスケにとってであることなど、わかりきっている。

 それでも、ビスケは縋るように言葉にする。

 

「……第一、死者の念を殺すって何? あんたの異世界やら魔術やらの主張を信じたとしても……というか信じたからこそ、念能力と魔術は本当に根幹部分くらいしか一致してないのなら、余計に信じられないのよ。

“念”に関してなーんにも知らなかったあんたが、除念出来るっていうの? あんたが雪男を見つけるよりも困難だと言われてる除念師だっていうの? そんな除念師の中でも不可能に等しい死者の念の除念を、既に2回してきたなんて、それこそ異世界がどうのこうのっていう話と同じくらいか、それ以上に信じられないわさ」

 

 今、こうやって話している自分でも信じてやれない、ソラが売り込む自分の利用価値(メリット)は荒唐無稽だと語り、そんなことを主張すればするほど余計に危険視されることを告げながら、ビスケは何気なく近寄った窓のカーテンを閉めようとした。

 その瞬間、振り返ってビスケの背中を眺めていたソラが転びそうな勢いで立ち上がったのが鏡面となった窓ではっきり見え、同じように窓に映ったビスケの顔が強張った。

 

 ビスケの顔が強張ったのは、背後のソラの行動が原因ではない。むしろ、ソラが目を見開いて鬼気迫った様子で立上り、駆け寄った理由と同じだ。

 外は大分暗くなって、部屋の中が明るい所為で窓はほぼ鏡のような状態となって外がだいぶ見にくくなっていたが、それでもはっきりと見えた。

 

 暗くなった窓の外を、さらに黒く染める豊かで艶やかな黒髪が波打ったのも。

 あまりに細い、百合の花を連想させる白い手足が宙をもがくのを。

 病的というより病人であることが一目で知れるほど青白く痩せこけた、それでも、それだからこそか背筋がぞっとするほど美しい顔が確かにこちらを向き、何かを訴えかけるように唇が戦慄いたのを……

 

 ビスケとソラを見ながら、墜ちてゆく女性が確かに見えた。

 

 そして、ソラが窓に到着したと同時にぐしゃりという音がした。

 何かが墜落し、潰れ、ひしゃげ、壊れる音だ。

 

 なのに、誰も出てこない。

 かなり派手な激突音だったのに、誰もその音に気付いた様子もなく、医者や看護師、軽傷の患者が出てくる様子もなければ、自分たちのように窓から何事かと思って様子を窺う者もいない。

 

 自分たち以外の誰も、気付いていない。

 病院のおそらく屋上から飛び降りて、墜落し、まるで虫のように手足が折れ曲がり、頭が潰れている女性の存在に誰も、何も気づいていない。

 

「……ビスケさん」

 

 そんな女性の残骸を真っ青な顔で見下ろし続けるビスケに、ソラは訊いた。

 

「……初めは、見えてなかったんだよね? “凝”って技を使って、やっと見えたんだよね?」

 

 ビスケは答えない。答えないまま、彼女は自分の小さな手で、指で自分の眼に触れる。

 その行動が、ソラに取って十分すぎる答えだった。

 だから、ソラは次の質問に移る。

 こちらも本来なら訊く必要などない、もうわかりきっている質問だったが、ソラは問うた。

 

「…………今は、“凝”してた?」

 

 ビスケもその問いに意味などないことくらい、わかっている。わかっているが、「わかりきったことを訊くな」という気力もなく、ビスケはただわずかに首を横に振った。

 そのあまりにわかりきった意味のない答えに、ソラは「そう」とだけ答えて再び視線を窓の下に移す。

 

 そこには、もう何もなかった。

 女性の潰れた死体はもちろん、女性が墜落した形跡も残っていない。

 

「……ビスケさん。

 私がクラピカを探すのは後回しにするのに、大人しくしない理由は『彼女』だよ」

 

 ビスケと共に、「彼女」がいたはずの、墜ちたはずの地面を見下ろし続けながらソラは今更、自分が大人しく病院に留まりながら、大人しくしないと宣言した理由を語る。

 

「ビスケさん、あなたはあなたなりに私のことを心配してくれてるんだろうけど、無理だよ。

『彼女』は自分が私には見えることに気付いた。そして、ビスケさんも見てしまった。見えることに気付いて、存在していることに気付いて、存在を認知してしまったから、もうあなたは“凝”をしてなくても『彼女』が見える。

 ……ごめんね、ビスケさん。もう、あなたも無関係じゃない」

 

 ビスケよりも「彼女」について、あの転落死を繰り返す死者の念についてわかっているような口を利き、謝った。

 謝りながらも、彼女はやはり譲らない。揺るがない。諦めない。

 

「だから、あなたはどうせ『彼女』について協会に報告しなくてはならない。……その報告に、私をなかったことには出来ないよ。

 

 ――――私はね、『彼女』を助けなくちゃいけないから逃げなかったんだよ」

 

 * * *

 

 翌日、病院の院長や医者たちに、ビスケが昨日見たものを説明すれば予想通り苦虫を噛み潰した顔になり、暗に「これ以上面倒事をこちらに押し付けるな」と言われた。

 ソラのことで既に散々、この病院には迷惑をかけているのだからその反応は当然のこと。

 

 だが、ある特定の医者と看護師たちだけはビスケの話を聞いて顔色を変えた。

 それは、精神科の医者と看護師たちだった。

 

 ビスケの話した、昨日の昼間と夜に見た「転落死する女性の幽霊」なんてどこにでもある怪談にしか聞こえない。

 病院という場所柄、この手の話は山ほどあるし医者も看護師も幽霊を信じてる信じてない関係なく、これくらいありきたりな怪談は誰も何とも思わない。

 顔色を悪くなどさせないはずなのに、彼らは明らかにビスケの話に戸惑い、怯えるような反応をした。

 

 もちろんビスケは彼らの反応を見逃さず、話を聞いた。

 守秘義務もハンターとしての立場と特権でゴリ押ししてねじ伏せて聞きだしたのは、ある患者とその患者の担当だった看護師の話。

 

 今から半年ほど前に精神科にやって来た患者は、「毎日、目の前で墜落死する女が見える」と訴えた。

 時間も場所も問わず、例えば窓を開けたタイミングで、何気なく外を見た瞬間、外出して歩いていたら目の前に、同一人物と思える女性が落ちてきて、地面に叩きつけられ潰れて死ぬと訴えかけてきた。

 

 もちろん、それは現実の女ではない。

 地面に激突してひしゃげた死体はいつも1分足らずで、血の跡や地面に女性が激突した後も残さずに消え、自分以外には誰もその女性の死に騒ぐ様子もない。

 

 何より、患者が言うにはあたりに高い建物どころか木すら一本もない道を歩いていても、目の前に落下してきたこともあるのだから、認めたくなくてもそれが現実ではないことは認めざるを得なかった。

 

 そしてその女性が現実でないのなら、考えられる可能性は二通り。

 幽霊か、自分のおかしくなった頭が生み出した妄想か。

 霊魂の存在を信じてなかったのか、それとも幽霊より自分の頭がおかしくなったという事実の方がマシだと思ったのかまではわからないが、彼は後者だと判断して精神病院に通うことにした。

 

 そして、カウンセリングを受けて精神安定剤を処方してもらうが、全く症状は改善せず、医者の方もいくら患者から話を聞いても「墜落死する女性の妄想」が生じるトラウマ等が見つけられず、だからといって突拍子のない妄想を信じ込んでしまう統合失調症の類にしては、「墜落死する女性を見る」以外は全く症状が当てはまらない患者だった為、頭を悩ませていた。

 

 そしてその患者はノイローゼがどんどん悪化してゆき、その妄想から逃れるために自殺しかねない所まで追いつめられてきたので入院を勧めて、患者もその提案を受けて病院にやって来た時、病院の出入り口で悲鳴が響いた。

 

 そこにいたのは、ポカンとしている患者とその患者を親身に看ていた看護師(ナース)

 彼女は予約してた診察時間になっても来なかった、遅刻していた患者を心配して病院の玄関口で待っていた。そして、患者がちゃんとやって来たのを見て、病院に来る途中でふと魔が差して自殺なんかしていなかった事に安堵した瞬間、見てしまった。

 

 患者と自分の間に墜ち、潰れた女性を。

 

 目の前で人が一人墜落して彼女はパニックに陥ったが、しかしさすがは看護師。すぐにその女性に駆け寄って、目の前の患者や自分の悲鳴を聞いて同じように駆けつけた同僚たちに「応急処置を手伝って!」と叫んだ。その女性の救命を試みた。

 

 ……しかし、彼女の同僚は何もしなかった。そのことに苛立ち、「何してるの!?」と怒る前に、同僚たちは困惑しきった顔で、不気味そうに言った。

 

「何してるの? 誰を助けようとしてるの?」

 

 同僚たちの問いの意味がわからず、言葉を失った彼女に患者は言った。

 信じられないものを見るように驚愕しながら、同時にやっと救われたように安堵しながら。

 

「……あなたには、見えるのか」

 

 言われて、ようやく気付く。

 自分が何とか救命しようとしていた、とてつもなく長い黒髪の女性が消え失せていることに。

 その女性の特徴が、長く美しい黒髪も、病人のようにか細い手足も、全部それは目の前の患者が語った「墜落死する女性」の特徴だったことに気付くと同時に、彼女は二度目の悲鳴を上げた。

 

 ……その後、患者は数日の入院で退院し、それから病院にかかることはなかった。その日を境に、毎日毎日現れ続けた「墜落死する女性」が現れなくなったから。

 その患者と入れ替わるように看護師が通院し、そして3ヵ月前から彼女は入院している。

 

 ソラが昼間いた、ソラが逃げ出した隔離病棟に。

 あの、窓がない病室のうちの一つに彼女はいた。

 彼女は患者と全く同じ症状を訴え、同じように耐えられなくなり、自ら外に出なくていい、外を見ることが出来ない、「彼女」の墜落を見なくて済むあの病室に閉じ込めてくれと懇願し、3ヵ月前からずっといる。

 

 ソラが立ち止まった真上こそが彼女の病室だったことを、知らされた。

 

「感染というより、人から人へと移り渡ってるタイプだね」

 

 ビスケが聞きだした精神科の患者と、まるで感染するように同じ症状に陥った看護師の話を聞いてソラは、ビスケの感想である「感染」を否定した。

 

「まぁ、正確に言えば確かにそうよね。感染源の元の患者は、その看護師に渡したと思われるタイミングでもうその『墜落死する女性』を見なくなってるんだから」

 

 ビスケもソラの言葉に同意しながら、見上げる。

 夜の病院の中庭で、上空を。

 墜ちてくるのを、待っている。

 

「うん。たぶん彼女は、自分が今どういう状態なのかわからず、何度も繰り返し墜落してるんじゃなくて、はっきりとした意図をもって繰り返してるよ。

 あと、悪意は全く感じられなかったから別に嫌がらせ目的でもないね。だからこそ、他に見える人がいたらさっさとその人に移るのかな? 自分の目的に合わないって見限ってるのと、何度も見せつけるのは可哀想だと思ってるのかもね」

「自分が見える相手にしか取り憑けないっていう制約も付けてるんでしょう。……なんにせよ、悪意は皆無でも害があるって一番性質が悪いわさ」

 

 こちらの世界に来る前から持っていた「幽霊」に対する経験則による憶測をソラが語れば、ビスケはそこに念能力の知識を付け加えて補完する。

 ソラはその補完に「あぁ、なるほど」と、だいぶ回復した左手とまだギプスをはめたままの右手で腕組みして納得していた。

 

“念”に関してわかっているけど恍けているのか、本当にわかっていないのか判別がつかないその様子に、ビスケは胡散くさそうな目で眺めながら、「……で、どうする気?」と改めて尋ねた。

 

「あんたの言う通り、どうもあたしも『あれ』に取り憑かれたみたいね。昨日、ホテルに帰ってから今日また病院に来るまで、2回、目の前で潰れられたわさ。

 けど、あの子が何をしたかったのかはあたしにはサッパリだし、あたしが触れる前にあの子は消えちゃうから、あたしに出来ることなんか何もなかったわ。

 

 ……“念”を覚えて約40年のあたしでも、たぶん死者の念として弱い部類の『あれ』に手も足も出ないっていうのに、あんたは一体どうやって『あれ』を……彼女もう一回、今度こそ『殺して』やるのよ?」

 

 ソラが昨夜言った通り、どうやら一度見てしまったことで『彼女』の能力の条件に当てはまってしまったのか、ビスケの前に『彼女』は現れた。

 ソラも見ていたはずなのに、ソラは昨夜以降は見ていないらしく、どうやらわずかだがソラが見てからビスケが見たという時間差があったため、看護師からソラに移った彼女がソラを経て、ビスケに移ってビスケだけが取り憑かれている状態らしい。

 

 看護師が取り憑かれた経緯からして、他の者に移ったら今まで取り憑かれていた者には見えなくなると思っていたが、昨夜の病室でソラにもまた見えていたことからして、それはただ単に前の被害者の前で現れなくなるからそう思うだけなのかが疑問だが、ソラが「私の眼は特別製だから、参考にならない」と言っていたから、ビスケも深く考えることはやめている。

 そこらの疑問は特に解明しなくても問題ないので、放っておくことにしている。

 

 疑問だけではなく、自分の目の前で墜落死を繰り返す死者の念の事だって放置で問題ないと思っている。

 

 放置で良かった。この程度の、嫌がらせにしかならない死者の念など。

 もちろん気分は良くないどころか最悪だが、一般人と比べたら体はもちろんメンタルも比べ物にならぬほど鍛えているビスケなら、無視することは出来た。

 彼女の正体や目的はわからないが、彼女が自分に付きまとう理由は先ほど言った通り既に推測が立てられているし、間違っていない自信もあるので、未知に対しての不安は少ない。

 そして彼女に悪意がないことはビスケも感じ取って気付いていたので、ビスケからしたら恐れるものではない。

 

 そもそも死者の念といえど、結局のところ念能力に過ぎないのなら、まだ試していないが“絶”になれば、もしくは“凝”とは逆に眼の精孔だけを完全に閉じてしまえば、その間は見えなくなる可能性は高かった。

 だから、ビスケからしたら放っておいてもよかった。

 

 いつか自分以外の誰かが運悪く見てしまい、その人に「彼女」が移るまで。

 もしくは、「彼女」のオーラが尽きるまで、ビスケは「彼女」の繰り返される死に様を無視し続けることは出来た。

 

 放っておけなかったのも、無視できなかったのも、自分ではない。

 ソラが放っておけなかったから。無視できなかったから。

 だから、ビスケは付き合わされているだけ。

 

「死者の念を殺せる」というソラの言葉を、否定し尽くすためにビスケは付き合ってやっている。

 なのに、付き合い三日目となってもやっぱりこの女は斜め上だった。

 

「念を覚えて約40年って、ビスケさんマジでいくつよ? ババアは冗談のつもりだったけど、冗談になってなかったのか……」

「余計なとこばっかり気にしてないで、質問に答えなさい!!」

 

 そういえばビスケは自分の実年齢を未だに教えていなかったので、ソラはビスケの発言に本気で戦慄した様子を見せ、ビスケはソラの緊張感のない戦慄を浮かべる頬をねじりながらキレた。

 

 さすがに打撃より地味にかなり痛い攻撃に、ソラはピーピー鳴き声を上げながら謝って、解放してもらった頬を撫でながら答える。

 しかし、この女は真面目に真っ正直に答えても、やはり答え自体が斜め上だ。

 

「あいたたた……。ってゆーかビスケさん。私、別に彼女を殺す気サラサラないですよ」

「はぁ?」

 

 自分どころかソラ自身がここにいる理由をひっくり返す発言に、ビスケはこめかみに青筋を浮かばせて「今、何て言った?」といわんばかりに睨み付けるが、ソラは本気でビスケの反応が理解出ず首を傾げて言葉を続けた。

 

「私、言わなかったっけ? 『彼女を助ける』って。『彼女を殺す』なんて、私言った覚えないつもりだけど?」

 

 その言葉に一瞬ビスケはポカンとして、そして思い出したのかやや気まずそうに目を逸らした。

 確かに言われてみれば、ソラは「死者の念を殺せる」と発言していたが、それはあくまでハンター協会に売り込む自分のメリットとしての話であり、彼女に対して「殺す」という発言はしていない。

「助ける」と言っていたことをビスケは思い出し、自分の勘違いを気まずく思いながら逆ギレ同然に「なおさらあんたどうする気よ!」と怒鳴った。

 

「どうするって……」

 

 ビスケの逆ギレに、ソラはまた更に困ったような、「何でそんなこと訊くんだろう?」といわんばかりの顔になって答えを口にしようとしたが、その言葉は途中で飲み込まれた。

 ビスケも気付く。

 

 地面に影が浮かび上がる。

 

 月明かりがはっきりと映し出す。

 腿あたりまである黒髪が風になびく様を。

 真っ白な丈の長い病衣はドレスじみて、同じように裾をはためかせている。

 

 そのどちらも蝶の羽のように見えた。

 そうでなければ、説明がつかない。

 

 彼女が夜空に浮遊している理由が、説明つかない。

 

 そしてそれはきっと、彼女自身もそうだったのだろう。

 

 ぼんやりと夢でも見ているような顔で彼女は、浮かんでいた。

 そして、その正気が薄い顔が地上を見下ろした時、天から彼女をぶら下げていたか細い糸が切れたかのように、いきなり墜ちた。

 

 自分が浮遊していることを自覚してしまったから、気付いてしまったから墜ちたようにしか見えなかった。

 夢を見ていたから、夢の中だから、夢だと信じていたからこそ現実の自然法則から逃れて浮遊していたのに、それが現実だと認識してしまったからこそ彼女は、現実の自然法則に囚われ、従って墜落した。

 

 その、墜落していく女性めがけてソラは駆けだす。

 

「!? ソラ!?」

 

 ビスケが「また何してんだお前は!?」という怒りと心配がないまぜになった叫びを無視して、右手をぶら下げていた三角巾をはぎ取りながら駆け抜け、そして彼女の落下位置から約1m手前でいきなり跳んだ。

 

 

 

「おりゃぁぁぁって、マジか!?」

 

 

 

 もはや、ビスケは「バカでしょ」とも言えず唖然としたままただ見ていた。

 心なしか墜落する女性も地面に激突する寸前、「は?」といわんばかりに困惑していたような気もする。

 

 ソラは女性が墜落して、地面に激突する前に捕まえようとした。

 ソラは自分の宣言通り、彼女が生きた人間ではないことを理解した上で、生きた人間相手のように墜落死から助けようと、自分の体をクッション代わりにしてまで、助けようと試みた。

 

 ……だが、ソラ自身が魔術師であって念能力者ではないからか、それとも墜落死を繰り返す彼女自身に「自分に見える相手に取り憑いて、その相手の前で墜落死を繰り返す」以外に出来ることが本当にないほど弱いからかは不明だが、地面激突前に少しでも衝撃を和らげるために高くジャンプして墜ちてきた彼女をキャッチしようとしたソラは、彼女の体を素通りしてソラもそのまま頭から落下。

 

 結果、墜落死してひしゃげた女性と、昨日のビスケのように顔を地面にぶつけて悶絶するソラという、ビスケに限らず誰にとってもビビればいいのか呆れたらいいのか、心配すべきなのはどっちの方かわからない光景が出来上がる。

 

 しかし自分の拳骨からすぐに回復しただけあって、ソラは鼻を押さえてすぐに起き上がり、結局昨日と同じ結果となった女性が消えていくのを見て、座り込んだまま独り言をぼやく。

 

「いやー……マジか。触れないのかよ。今までのは普通に蹴りが効いてたからこれは予想外だわ。今までのは、こっちに危害加えてくる気満々の奴だったからかな?」

 

 ソラの独り言で、どうやら心配すべきはこいつの怪我ではなく頭の中だとビスケが確信している中、ソラはまだ地面に座り込んだまま、実に何も悪びれてもいなければ、失敗を恥ずかしがりもせず気まずさも感じさせない自然体で、堂々と言った。

 

「ビスケさん。私じゃ捕まえられないようだから、彼女が出たらビスケさんを投げつけてもいい?

 頑張ってキャッチして」

「良い訳あるか!!」

 

 もちろん、ソラの提案を即座でビスケは却下する。

 

 ソラの無茶苦茶ぶりに振り回されて、ビスケは既に根本的なものを忘れている。

「死者の念」を助けるという試み自体を否定することを、ビスケはすっかり忘れていた。

 

 忘れて、付き合う理由なんかないに等しいはずなのに、付き合った。








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