死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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121:被害者

 あの夏の日。

 

 どうして自分だけ先に家に帰った理由なんて、トモリはもう覚えていない。

 おそらくは見たいTVがあったとか田舎に飽きたとか、その程度のくだらない子供らしいワガママなのだろう。

 

 兄が何故、自分と一緒に帰ってくれなかったのかもわからない。

 そもそも兄は10年くらい前に、兄妹だけで母方の田舎に一週間ほど預けられたこと自体を覚えていないかもしれない。

 

 覚えていたとしても、かなり薄れて曖昧になってしまっているはず。

 トモリから一日遅れで帰って来たその日に、田舎で過ごした一週間なんて比にならない出来事が起こったから。

 同居していた祖父が死んだという事実によって、その直前の退屈で平凡な日常は上書きされてしまっているだろう。

 

 兄は知らない。

 

 自分の家族は、自分以外の全員が人殺しであることを。

 妹が、殺人鬼であることを。

 

 あの夏の日、何があったのかを

 

 あの夏の日からずっと、妹が何に取り憑かれ、トモリは何に追われているのかを知らない。

 

 

 

 ……そのことが、憎くてたまらなかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「!? ……緋の……目……?」

 

 クラピカの双眸に見据えられ、その眼が何であるかを理解したネオンが、喉奥からかすれた声を零す。

 それは4か月前に自分を守ってくれていた護衛たちから逃げ出し、自分の占いという能力を盗まれる羽目となり、そして大金を支払って得たはずだった、そこまでして欲していたもの。

 

 自分の悍ましさを自覚させられたきっかけが、念能力による偽物でもホルマリン漬けの眼球単品でもなく、生きた状態でそこにあることを理解して、ただでさえ青白かったネオンの顔からさらに血の気が引く。

 

 血の気が引いた理由は、クラピカに憎まれていたことを知って、その憎悪の理由を理解して、彼に復讐されることを恐れたからではない。

 彼女はただ、ホルマリン漬けの標本ではなく生きた状態の緋の眼を見たことで、あの日、自分が「綺麗」だと言ってはしゃいで愛でていたものが、ようやく「ただの綺麗なもの」ではなく「元は生きていた人間の一部」であることを実感できたから、自分のしてきたことの悍ましさを改めて突き付けられたからこそ、顔面蒼白となって絶句していることを鼓動が如実に、饒舌に語っていた。

 

 しかしネオンは、未だに自分が復讐されるほど憎まれているとは思っていないお花畑ではない。

 その証拠にネオンは眼を見開いたままクラピカの眼を、緋の眼から眼が逸らせなくなったまま、やはりかすれた声で訊いたから。

 

「……クラピカ……さんは……だから……ずっとあたしを……恨んでたの? ……あたしの護衛になったのは……あたしに……復讐する為?」

 

 クラピカの言葉を正しく聞き入れていた。

 現状を自分に都合の良いように改変も解釈もせず、真っ当な想像力を働かせて、現実を認識していた。

 自分が許される訳がないことを、理解していた。

 

 センリツにはその真っ当な良心が、ネオンはもちろんクラピカにとっても痛々しいものにしか見えない。

 

 ネオンの本質が善良であればあるほど、こちらも本質はお人好しの部類であるクラピカは、ネオンに対して憎悪を懐く自分に、ネオンを許してやれない自分に嫌悪を懐いてしまうことはあまりにも皮肉だ。

 本来なら最も罪深い者たちが自分たちの罪を認識もせずにのうのうと生きているというのに、環境と周囲の人間によってねじ曲がって、エスカレートして加害者になってしまったネオンや、間違いなく被害者であるはずのクラピカばかりが割を食って傷つき続けるのは、痛々しいという言葉では足りない。

 

 ずっと、そう思っていた。

 なのに、今はネオンに対しては同じだが、クラピカに対しては違う。

 彼の鼓動に、「許したいけど許せない」という迷いはない。

 それどころか、ネオンに対しての憎悪らしき感情も見当たらない。

 

 センリツが聞き取って読み取ったクラピカの心境を肯定するように、彼はやはり淡々とネオンの問いに答えた。

 

「……復讐する気は最初からありません。……あなたの護衛になったのは、同胞の眼を取り戻す為。あなたのコネクションを利用する為でした。

 ……恨みはあります。ですが、今のあなたに対して抱くのは恨みや憎しみというより……失望と憤り……ですね」

「……失……望?」

 

 緋色の瞳でまっすぐに、「お前は自分にとって永遠に加害者だ」と言っておきながら、クラピカは復讐どころか怨恨や憎悪も否定した。

 そしてまともな良心があるからこそクラピカの言葉が信じられないのか、顔色は蒼白のままだがネオンの後悔や自己嫌悪で染まった瞳に、わずかばかりの困惑が混じってその困惑の原因の言葉をオウム返しする。

 

 理解出来なくて当然だ。

 憤りは懐いて当然だが、失望は理解出来ない。自分の一族の形見を、惨たらしい虐殺の証を嗜好品として愛でる人間に、失う程の何か望みを……期待を懐いていたなんて、その罪を正しく理解しているからこそ理解出来なかった。

 

 しかしクラピカにとっては、今もなお自分が何に対して失望しているのかがわからないこともさらなる失望理由だったのか、深い溜息を吐いて言った。

 

「……あなたは……本質的に人体なんてものを愛でる趣味嗜好は持ってなどいなかった……そう思えた日から私は、あなたが自分の犯した『罪』を償ってくれると……期待していたのです。

 ……ですが……あなたは自分の『罪』を理解しても、償いはしなかった。だから、私はずっとそのことに失望して……憤って……憎悪していました」

 

「償わなかった」という指摘に、ネオンは肩を震わせ、唇を噛みしめて俯く。

 クラピカの言う通り、ネオンは自分の「人体蒐集」という趣味嗜好の悍ましさを自覚しても、償いらしい償いなど何もしていない。

 コレクションはほとんど手離したが、そのコレクションは遺族に返還する、身元がわからないのであれば共同墓地にでも埋葬してやるという、「コレクションではなく、元は生きていた人間の遺骸として」「人間の尊厳を尊重して」手離したわけではない。

 ただただ今まで通りコレクションとして売り払って、自分が自覚して嫌悪した人体蒐集家に横流ししただけ。

 ネオンがしたことは償いではなく、ただ単に自分が見たくないから処分しただけだ。

 

 犠牲者の尊厳を未だに自分は踏みにじり続けていることをネオンは突き付けられ、もはや「ごめんなさい」という言葉すら出てこない。

 

 そんな言葉では償いきれないことを、ネオンは理解している。

 そんな言葉は相手の神経を逆撫ですることを、ネオンは理解出来ている。

 

 彼女が浅慮であるのは確かだが、それは過保護に箱入りに育てられたからこその浅慮。環境によって作られたものであり、改善や教育の余地がない愚かさではない。

 彼女自身の感性や頭の出来は総合的に見れば良くも悪くもない、ごく普通の少女でしかない。

 

 だからこそ、ネオンはクラピカに「償わなかった事」を指摘されても謝れない。

 ネオンは「普通の少女」だからこそ、クラピカに対して罪悪感を懐き、自分の罪深さを理解しているからこそ、彼女は――

 

「……ですが……、憎悪の方はもうありませんよ。……あなたが何故、償いはしなかったかを……理解したから」

 

 絶句するネオンとは対照に、未だに重傷と言える状態であるクラピカはゆっくりと途切れ途切れだが、それでも饒舌に語り続ける。

 断罪するようにでも甚振るようにでもなく、出来の悪い教え子に噛んで含めるように語るのが、やはり口出しする隙を見出せないままただ聞いているセンリツには理解出来なかった。

 

「あなたは自分のしてきたこと、『人体蒐集』の悍ましさを自覚して、自分自身を罪深く思っている。その罪を償いたいと思っている。

 ……ですが同時に……罪深く思えば思う程、罪悪感に苛まれる程に膨れ上がる思いがある。その思いを押し殺して償いが出来るほど、あなたは高潔でも強くもない、普通の人間だからこそ償えなかった。

 

 ……『私だけが悪いの?』という被害者意識があるのでしょう?」

 

 クラピカの指摘で、ネオンの心臓が激しく脈打った。

 

 それはネオンのボディガードとしての面接時に行われた実力テストで、自分が「侵入者」であることをクラピカの鎖で当てられた時のスクワラが奏でた鼓動と同じ。

 図星を突かれた瞬間の、鼓動だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 トモリの祖父は、トモリに物心がついたころには寝たきりだった。

 若い頃の不摂生が祟り、心臓も肺も弱りきってろくに会話することも出来なかった祖父は、トモリにとってただいるだけの存在だった。

 父も母も祖父の介護を理由にトモリや兄に対して放任に近い扱いだったが、歳の離れた兄は両親の事情を理解しているから、幼いトモリにとってはその扱いが当たり前のことだったので、兄妹に不満はなかった。

 

 介護に全く何も関わっていなかったのもあって、トモリにとって祖父は好きになる理由もないが嫌いになる理由だってない人、まさしく空気のような存在だった。

 しかし彼女の両親にとっては、祖父は重荷でしかなかったのだろう。

 

 幼い子供がいる家庭に要介護の老人は、精神的にも肉体的にも金銭面でも負担でしかなかった。

 だからきっと、あれは初めから全部計画的だった。

 子供達を母方の田舎に一週間も預けたのは、親としての良心か、それともただの保身かも、トモリにはわからない。考えたくもない。

 

 だって最初は良心だったとしても、最終的にはただの保身でしかなくなってしまったことを、トモリ自身がよく知っている。

 親としての、人間としての良心を保身に変えてしまったのは、自分の考えなしのわがままであることも彼女は自覚しているから、もう何も考えない。

 

 考えない。

 自分が一日早く帰ってこなかったらとか、祖父の部屋の物音に気付かなければなんて考えない。

 もう変えようがない過去を、「もしも」という想像で虚しいだけの夢など見ない。

 

『ねぇ、お父さん。おじいちゃんが……』

 

 一日、たった一日だけ予定より早くトモリだけ、一人だけ田舎から自宅に帰ってきて見つけてしまった。

 介護ベッドの中で、痰が詰まっているのか酷くか細い呼吸で、瀕死の芋虫のようにうごめく祖父を見つけたから、トモリはそのことを父に教えに行った。

 だが、父は……、祖父の実の息子であるはずの父は……

 

『いつものことだから、放っておきなさい』

 

 そう言って、トモリの肩を抱き祖父の部屋からトモリを遠ざけた。

 

『お父さんも今日は休みだから、ずっと一緒にいよう』

 

 トモリを、祖父の部屋に近づけなかった。

 トモリがどこにも行かないように、電話に触れないように、ずっとずっと一緒にいた。

 父だけではなく、母親もずっとずっとのっぺりとした能面のような顔で、トモリを見ていた。

 

 ずっとずっと、見張っていた。

 

 そうして翌日、祖父がベッドの上で不恰好に固まっているのを見て両親は、血相を変えて救急車を電話で呼んでいたことを覚えている。

 慌てているのに、焦っている声音なのに、お芝居でも見ているようにスムーズなやり取りだなと思った。

 

 わかっていた。両親が何をしたかを。

 いや、両親は何もしていない。トモリと同じだ。

 何もしていない。「何もしていない」をやったと理解していた。

 

 ちょっとした風邪が命取りになる祖父に、何もしなかった。

 意図的に見殺した。

 その共犯なのだ。

 

 両親にとって計算外で失敗だったのは、トモリが一日早く帰って来たことよりも、その後のことだろう。

 

 何も言わなければ良かった。何もしなければ良かったのだ。あの夏の日のように。

 そうしたらたったの5歳であるトモリは、日々の大人にとっては些細でどうでもいいが、子供にとっては珠玉の出来事が記憶を上書きして自然と忘れただろうに、両親は今になって思えば最大限の悪手を取った。

 

『トモリは隠し事をしてないかい? お父さんはしていないよ。だからトモリも、きちんと節度を持ってやっていこう』

 

 あの日から、あの夏の日から両親は何かとトモリに対して過保護になった。

 兄はそれを、「今までかまってやれなかったから」とか、「たった一人の娘だから」とでも思っている。

 

 トモリを一人で出歩かせないのも、幼稚園や学校で友達や先生と何を話したかを事細かく聞きだすのも、休みの日は父親の書斎からほとんど出してもらえないで一日を過ごすのも全部全部、女の子だからという過保護さだと信じて疑っていない。

 あの書斎の中で交わされた主語のない会話を、兄は知らない。

 

 人の好い兄は両親が妹に、「お前も共犯だ」と言い聞かせ続けていることを知らない。

 

 そうやって両親はトモリに言い聞かせ、誰にも何も話していない事を、娘も共犯であると自覚している事を確かめる事で勝手に安堵していたが、三日もしたら勝手に疑心暗鬼に陥ってまた娘に言い含めて言い聞かせて……を10年近く繰り返し続けた。

 

 何度も何度も言い聞かせるから、外に出さず記憶に上書きさせるようなものに触れさせなかったから、娘にあの夏の日をより鮮明に焼き付けてしまったことを両親が気付いたのはいつ頃かなど、トモリは知らない。

 知りたくもない。勝手に共犯者に引き入れて、勝手に娘の口から悪気なく漏れることを恐れたから、共犯者であることを何度も何度も言い聞かせて育てたくせに、そのことを後悔してまた更に勝手に怯えて疑心暗鬼になっている両親のことなど、もう何も知りたくなどなかった。

 

 家では両親の疑心暗鬼に見張られ、両親から唯一離れることが出来る学校でも、トモリは心を休めることなど出来なかった。

 ごく普通の無邪気な同級生たちを、友達を見れば嫌でも思い知らされたから。

 

 自分の家は、自分の両親は、自分は普通ではないこと。

 両親に言い聞かされた、共犯であること、人殺しであるという自覚が成長するにつれて、自分のしたことの重大性を理解するにつれて増した罪悪感がトモリを追いつめ、溜め込んだストレスが爆発するのではなくエネルギーとなって得たのが自分の「力」だと、トモリは「念能力」という言葉すら知らなくとも、ほぼ正解にたどり着いていた。

 

 兄についた「悪い虫」、兄の恋人に癇癪を起して平手で殴るだけのつもりが、勢い余って頸椎を折って殺してしまった時に、自覚して辿り着いた。

 

 明らかに自分の体に見合わない体力と力を、超常的なものだと思う程度にトモリは幼かったが、それを「神様がくれた力」「神様が自分を選んでくれた」「自分は神様に選ばれた特別な存在」という方向には思わなかった。

 そう思うのなら、本当にそうだとしたら、神様がトモリを救うつもりでくれたのなら、こんな暴力にしか使えないであろう力ではなくもっと単純に、あの夏の日をなかったことにしてくれたらいいだけなのだから、その「力」を救いだとは思わなかった。

 

 神様から与えられたものだとは思えなかった。

 だから逆に、「悪魔が自分に取り憑いた」とトモリは考えた。

 その考えが、一番筋が通ると思った。

 一番、都合が良かった。

 

 悪魔に取り憑かれたのなら、何も悪くないと本当はわかっている兄の恋人を殺したことも、疑心暗鬼が膨れ上がって、もう学校にすら行かせることを渋りだした両親を殺すのも、自分や兄が疑われないように無関係な相手を殺すのも、それらは全部全部悪魔が自分にやらせていると思えば気が楽だった。

 悪魔に憑かれているから、悪魔に操られているから、自分は悪くない。

 

 ソラに「芝刈り機という形の獣」と自称したのと同じ言い訳。

 獣だから、人間の倫理観で自分は裁けない。

 悪魔に憑かれているから、自分に責任などないという言い訳に過ぎないことはわかっている。

 

 わかっている。何もかも本当はわかっている。

 だけどもう、トモリは自分を止めることなど出来なかった。

 

「悪魔」に憑かれたトモリは、建物の屋上を警察の追跡を振り払って駆け抜ける。

 後ろを、自分を追いかけるものを、自分を追うパトカーでも背中に張り付く「悪魔」でもない「何か」を気にして何度も振り向きながらも足を止めない。

 

 ただ真っ直ぐに、がむしゃらに走り抜けて求めた。

 本当に本当に、殺してしまいたかった自分の獲物。

 

 一人だけ、何の罪も負わず何も知らないまま幸福でいる、妬ましい兄の元へとトモリは獣のように走り続ける。

 

 ……それすらも本当は「目的」ではなく「手段」であることから、トモリは眼を逸らし続けた。

 

 

 

 * * *

 

 

 大きく跳ね上がった心音は確かに図星を突かれた時の音。

 だが、彼女の鼓動は「嘘つき」の旋律を奏ではしない。

 そのまま心音はゆっくり落ち着くのではなく、むしろどんどん早まって行った。

 

「…………被害者……意識? ……クラピカさんには……あたしがまだ……全然反省してないように見えるの!?」

 

 両手を強く握りしめて、悔しげに唇を噛んでからネオンはクラピカに向かって叫んだ。

 4か月前の、まだ能力を持っていた頃の彼女を思わせる子供のヒステリックさをむき出しに。

 何も償いなどしていない自分が被害者に対して言うべきではない、自己弁護の言葉を吐き出す。

 

 心音からして、それは完全な逆ギレ。

「あたしはこんなにも反省しているのに、許してくれないなんてひどい!!」という思いが透けて見える言葉は、筋違いの被害者意識。

 

 ……のはずだが、センリツにはそうは思えなかった。

 ネオンの鼓動は確かに「怒り」なのに、図星を突かれて逆上しているのは確かなのに、ネオンの言葉が自己弁護には聞こえない。

 

 それは、センリツはその怒りの鼓動で隠した本音の感情さえも読み取っていたから。

 

 ネオンの怒りは虚勢。

 彼女がクラピカに図星を突かれて懐いた感情は、怒りではなく恐れ。

 ネオンの叫びは、「これ以上あたしに踏み入らないで」という懇願にしか見えなかった。

 

 しかし、センリツではネオンがクラピカの指摘……、彼女自身が持つ「被害者意識」の何を恐れているのかはわからない。センリツはあくまで相手の心音から心理を推測しているだけで、思考そのものを読み取っている訳ではないから、本音の心音を聞き取っているからこそ本心がわからないはよくあること。

 

 ネオンが何を恐れているのかがさっぱりわからないのと同じく、センリツにはわからなかった。

 

「……反省している事、己の罪を認めることと被害者意識を持つことに矛盾はありませんよ。……特に、その被害者意識が責任転嫁による筋違いな自己弁護ではないのなら」

 

 どうしてクラピカは、ネオンの言葉に気を悪くした様子もなく淡々と話を続けられるのかが。

 彼も確実に、気付いている。ネオンの怒りが虚勢であることも、彼女が恐れているものも、センリツ以上にわかっているからこそ語っている。

 

 その言葉が……、クラピカのネオンを責めるのではなくフォローしている言葉に何故、「……いや、やめて……。黙って……黙ってよ!!」とネオンは泣きながら懇願するのかが、何がそんなに恐ろしいのかが全く分からない。

 泣きながら懇願する少女を、どうして彼は地獄の業火のような真紅の瞳で、こんなにも冷淡に見ていられるのかがわからない。

 

「……あなたの被害者意識は、筋違いなものではない。正当なものですよ。……だから私は、許したかった。許そうと思った」

「……いやだ……。ごめんなさい……。ごめんなさい……。謝るから……何でもするから……だから……だからもうやめて!!」

 

 クラピカの言葉に被せるように、ネオンは自分の耳を塞いでひたすらに彼の言葉を拒絶する。

 その様子に、クラピカは横たわったまま深く息を吐く。

 そのため息が失望を露わにしていた。

 

 クラピカはネオンに同情していた。彼女は「被害者」であると思っていた。だからこそ、許したかった。許そうと思っていた。

 だが、ネオンは被害者だがクラピカにとっての加害者であることは一生変わらないから。

 どんなにささやかでも、悪気などなくても、被害者だったからこその罪であっても、あの日、偽物とはいえ同胞の眼をただの「物」として扱った彼女はクラピカにとっての加害者。

 ましてや、まだ彼女をクラピカは許していない。許せる理由がない。

 

 だから、容赦などせず彼は突き付けた。

 

「そんなにも……認めたくないのか。自分が『被害者』であることを」

 

 クラピカの「答え」にセンリツは「え?」と困惑の声を上げる。

 ネオンの方は「いやだ」も「やめて」もいうことが出来ず、ぴたりと時が止まったかのようぬ動かない。動けない。

 何も言えない。彼女にとって、その言葉は喉元に刃を突き付けられたも同然。下手な反論は致命傷になる。

 

 しかしネオンの自己防衛は賢明だったが、時間稼ぎにもならなかった。

 

 突き付けた刃を、押し込む。

 クラピカはセンリツに説明するのではなく、ネオンに対するトドメとして答えた。

 

 

 

「……彼女が自分の被害者意識を認めないのは、『こんなにも反省しているのに』と私に主張したいからではない。そもそも、『自分が被害者であること』を認めたくないのだ。

 そうだろうな。自分が被害者であることを認めてしまえばあなたは逆説的に……自分が父親や周囲の人間から愛されていなかった事を認めることになるのだから」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 門を飛び越えると耳が痛くなるほどに警報が鳴り響いたが、トモリは無視して駆け抜ける。

 兄がどこにいるかはわからないが、わからないからこそ壁をよじ登って窓を割って最短距離で押し入ったのは職員室。

 

 ここなら、兄はいなくとも兄の居場所を知る者がいると思ったから。

 

 母校の職員室でいきなり窓から押し入ったトモリを見て、冬休み中に部活や補修などで学校に来ていた教員たちが目を丸くしてトモリを注目する。

 誰も現状を理解出来ないのだろう。無理もない。1年ほど前までこの学校に通っていた、そして兄が教師になったということで卒業後もちょくちょく顔を出していた生徒が、トモリが、3階の職員室に壁をよじ登ってガラスを素手で叩き割り、しかもその腕は無傷で押し入って来るなんて夢にしても荒唐無稽だ。

 

 だから……悲鳴さえ上げられず、誰もが「信じられない」「理解出来ない」と言わんばかりの顔で、口を半開きにしてこっちを見ていた。

 信じられないから、理解出来てないから、その言葉には意味などない。

 

「……トモリ?」

 

 兄が自分の名を呼んだことに、トモリは意味など見出せなかった。

 何が何だかわからないと言いたげな、呑気な顔に抱く感情は妬ましさと憎悪しかない。

 そんな顔で、そんな呑気な顔であの家で暮らせていたこと、両親にあの呑気な顔で普通の息子として扱ってもらえて、愛されていたこと、あの呑気で何もわかっていない無神経な顔で自分を何も知らずに可愛がってきたことが、ただただトモリにとって憎くて憎くて仕方がない。

 

 何もしてないのは、同じなのに。

 何もせず、トモリが予定より一日早く家に帰りたいと言った時、止めなかった。一緒に帰ってはくれなかった。

 何もしていない。なのに、なのに、なのに――――

 

 トモリはあの夏の日に全てを失い

 兄は昔からずっと、何も変わらない。

 

 そのことが憎くて、妬ましくて、けれどようやくその想いを全てぶつけられるということに歓喜して、トモリは笑みを浮かべて手近にあった、おそらくは教頭のものと思える机を片手で持ち上げて投げつけた。

 

 そこまでしてようやく、トモリが飛び越えたことで鳴り響き続ける警報と同じくらい、耳障りな悲鳴が響き渡る。

 冬休み中なのと、トモリが侵入した際の警報で生徒の様子を見に行ったのか、職員室に残っている教員は兄を含めて3人ほど。

 更に運よく、トモリと兄の直線上に他の教員はおらず、兄も職員室に入って来たばかりなのか出て行こうとしていたのか、窓から入ってきたトモリから一番距離もあったので、とっさに投げつけられた机から逃げることが出来た。

 

 だが、腰を抜かしたのか地べたにしゃがみ込んだまま立ち上がることも出来ず、兄は座り込んだまま後ずさって妹から逃げようとする。

 別の入口へと一目散に駆け出した同僚たちに助けを求める兄に、トモリはゆっくりと近づいた。

 甚振る為ではなく、そろそろトモリのオーラも足も限界近くて、走るのが億劫だったから。

 逃げ場などなかったから、走る意味もまた机か何かを投擲する意味もないと思ったから、トモリはゆっくり歩いて近づくことを選ぶ。

 それが、「悪魔」によって誘導されたものであるとは自覚しないまま。

 

「悪魔」の誘導によって、即座に殺さなかった事でできた猶予に兄が何を告白するかを知らないまま、トモリは兄の元にたどり着く。

 

「……お兄ちゃん」

 

 何故、呼びかけたのかはトモリ自身もわからない。

 ただ別れを告げたかったのか、恨み言を吐き出したかったのかもわからない。

 言いたかったことは全て吹き飛んだ。

 

 いつものように「お兄ちゃん」と呼ぶ妹に、まだ話は通じると希望を抱いたのか、それともこの状況でいつも通りだったことが恐ろしすぎて錯乱したのか、兄はその場で、妹の目の前で土下座して懇願した。

 

「ご、……ごめん! トモリ、ごめん!! 許してくれ! 俺が悪かった! すまない! 許してくれ! 頼む!!」

 

 妹が何をしに来たのか、妹のターゲットが自分であることを理解して、土下座で命を乞う。

 許してほしいと哀願する。

 自分の罪を、懺悔した。

 

「ごめん! 父さんや母さんを止められなくて……ずっと何も気づかないふりして、見て見ぬふりをしてごめん! お前を書斎から連れ出さなくてごめん! お前に自由をあげてやれって父さんたちを説得しなくてごめん!!」

 

 兄の言葉に、トモリは言葉を失う。

 呆然としながら、彼女はただ兄が土下座で続ける罪の告白を聞く。

 

 何も、気付いていないと思っていた。

 兄は何も、両親が自分に対してべったりなのは娘可愛さの過保護だと思って、祖父がいた頃のように放任するよりはいいと思っているから、何もしなかったのだと思っていた。

 だが、兄は告白する。本当は、気付いていたと。

 

 本心からの娘可愛さによる過保護だとしても、両親の妹に対する扱いは異常であることを気付いていた。

 しかしそんなの、よく考えなくても当然であることにトモリも今更気付く。

 

 小学生にもなっても、小学校高学年にもなっても、中学生にもなっても休みの日は丸一日家から出ないどころか、父親の書斎から出てこない妹を、妹と一緒になって書斎に引きこもる父や母を異常に思わない訳がない。

 ましてや、トモリと兄は歳がかなり離れている。

 祖父が死んだ当時、トモリは5歳だったが兄は既に中学生だった。

 トモリとそう歳の変わらない子供だったのなら、子供ゆえの世界の狭さで両親の異常に気付けなかったかもしれないが、その歳なら過保護にしても異常だと気付かない方がおかしいことに、トモリは気付いた。

 

 気付きたくなどなかったから、だからこそずっとずっと逃げ続けて、目を逸らし続けて、自分は兄が好きで、兄さえいれば両親などいらないと言い聞かせていたのに、兄は愚かなことにそれが謝罪になると……命乞いになると思い込んで暴露し、突き付ける。

 

「……は……ははっ……あはははははははははははっっ!!」

 

 思わず腹を抱えて笑い出したトモリに、兄は困惑し、狼狽え、怯えながらも顔を上げて妹の名を呼びかける。

 その様子が更にトモリを笑わせにかかる。

 妹に対して化け物を見るような目で見ておきながら、罪悪感ではなく保身の為だけに中身のない謝罪をするだけあって、兄は未だに現状を正しく理解していない。

 まだ心のどこかで自分が妹に殺される訳がないと思い込んでいる兄が、腹の底からおかしくておかしくて仕方がないトモリは笑いに笑って、腹を抱えたまま訊いた。

 

「ははっ……ねぇ、お兄ちゃん……」

 

 何も知らないと思っていた。

 自分の家族は、兄以外の皆が人殺しだと思っていた。自分だけではなく、両親も。

 

 

 

「……何であの日、一緒に帰ってくれなかったの?」

 

 

 

 トモリの脈絡のない問いに、兄は怯えながら、狼狽しながら、「あの日っていつのことだよ?」と尋ね返す。

 だが、トモリは確かに見た。

 トモリの問いに、一瞬だけ目の前のトモリ以上に「何か」に怯えたように眼を見開いてから、トモリからその眼を逸らしたのを。

 

 兄だけが違うと思っていた。

 そんなことなど無い。

 どうしようもなく、兄も自分たちと同じ共犯者(かぞく)だった。

 ただ兄は家族の誰よりも要領が良くて、立ち回りも上手かった。

 

 兄が自分以上に退屈だったであろう田舎で大人しく一週間も過ごしていたのは、その間に両親が何をする気なのかを察していたのだろう。

 察しておきながら、何も知らないふりをして何もしなかった。「何も知らないから何もしない」を、無関係を貫いた。

 

 トモリが予定より早く帰りたがったのを止めなかったのは、強固に止めれば、強固に止めたことを両親に知られたら、自分が両親の計画を察してしたことに向こうも気付くと思ったからだろう。

 そして一緒に帰らなかったのは、両親の「計画」が上手くいっていれば既に自分たちにも連絡が入っているはず。だからまだ、「計画」は成功も失敗もしていない、継続中であることも察していたから、帰らなかった。

 共犯者になどなりたくなかったからこそ、妹が両親の共犯になりうることを予測しておきながらも、自己保身を優先して親戚に任せて妹を送り出し、自分はあと一日だけ母方の実家で過ごした。

 

 兄も自分と同じだった。

 ただ、自分よりも両親よりも上手く「何もしない」をしていた。

 そしてそのまま、兄はずっと「何もしない」を続けた。

 

 両親のトモリに対しての異常な過保護が監視であることに、本当は気付いていただろうが何もしなかった。

 口出しすれば、両親は何も知らない、家族の中で唯一「共犯者」ではないと思っていた兄も「共犯」であることに気付いて安堵するような奴等なら、トモリは「何もしなかった」ことなど忘れることが出来た。

 

 本質的に自分自身しか信用していない人たちだからこそ、「共有の秘密」は安心の材料どころか疑心暗鬼の種にしかならないことも知っていたから、兄は自分の為に妹を差し出した。

 たとえ本当に兄が何も知らず、本心から両親の妹に対する過干渉が酷いと思ったからこその注意も、両親は「あの夏の日のこと」に結び付けて、こじつけて、疑心暗鬼を膨らませて、良くて妹と同じ目に、悪ければ今度は「何もしない」という消極的な手段ではなく積極的に手を汚すかもしれなかったから。

 

 だから、何もしなかった。

 そしてそれは、今も同じ。

 

 何もしなかった。

 だから、自分は何も知らないし何も悪くなどないと主張するように、何もしない。

 明らかに異常だった両親の過干渉を止めなかった謝罪はしても、あの夏の日のことに気付いていても、兄は目を逸らしてなかったことにする。

 妹を生贄に差し出し続けたことを、謝罪せず、認めず、なかったことにして何もしない。

 

 何もしなかった。

 

 1か月前に恋人が惨たらしく殺されても、1年ほど前に強盗に両親が殺されても、その少し前に自分の恋人が行方不明になっても、兄は悲しんだり落ち込んだりはしたけど、何もしなかった。

 恋人の行方を追うとか、犯人を捜すとか、そういった事は何もしない。

 さすがにそれらが全部トモリの仕業だとは今も気付いているかどうかは怪しいが、きっと気付いていても同じ。

 

 自分が一番かわいいから、何もしないことで被害を受けずに済むのなら何もしない。そういう人であることを、トモリは一番近くでずっとずっと見てきた。

 だからこそ、トモリにとって兄はこの世で一番憎くて、許せなくて、妬ましい、殺してやりたい存在だった。

 

 だから、トモリは笑いながら…………泣きながら……、その涙の意味もわからないまま泣いて、酷く重い手を振り上げた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「あ……」

 

 クラピカの答えに、思わずセンリツは声を上げる。

 あまりにも簡単にぴったりと、センリツには理解できていなかった部分にその「答え」は嵌りこんだ。

 

 虐待児が他者に自分の被害を訴えない理由は、あまりにも日常的に行われているから感覚が麻痺して、自分がされていることは虐待だと認識していない、訴えても信じてもらえないという諦観、訴えたら余計に酷い暴行を受けると思っている怯えなど様々だが、特に多いのは「虐待児自身が親を庇っている」というパターン。

 

 それは、親の気まぐれの優しさに縋って、「親だって本当は自分を愛してくれている」と思っているのならまだ救われる。気まぐれでも、可愛がってもらえた瞬間があったのは事実なのだから。

 救われないのは、本心では自分が愛されていないことをわかっている、理解しているが、それを認めるのはあまりにもみじめで、それこそ何のために生まれて今まで生きてきたかのかがわからなくなるからこそ、頑なに「虐待されているという事実」を否定している場合。

 

 虐待されていたことを否定しても、自分が被害者であることを否定しても、事実は変わらないことなんてわかっていながらも、せめて自分の中でだけ、自分の認識の中だけでも「虐待なんかされていない、普通に愛されている子供」でありたいという、救いでも何でもない誤魔化しに縋るしかない子供だったのだ。

 

 ネオン=ノストラードという少女は、それほどまでに「愛」に飢えて、「愛」に絶望していた。

 

 そのことに気付き、思わずセンリツはネオンに視線を向ける。

 痛ましげな……憐みの視線を、そんなつもりなどなかったけれど反射的に向けてしまった。

 

「……っっ見るな! そんな眼であたしを見るな!!」

 

 センリツの視線の意味に、自分に向けられた視線が何であるのかを敏感に感じ取ったネオンが、持っていたケータイをとっさに投げつけ、センリツの額にそれは当たる。

 クラピカは「センリツ!」と彼女を案じた声を上げて上半身を少しだけ起き上がらせるが、センリツは自分にぶつけられたケータイを拾い上げて「大丈夫よ、気にしないで」と答えた。

 

 それは、クラピカではなくネオンに向けての答え。

 非戦闘要員とはいえ念能力者でプロハンターのセンリツなら、ネオンが投げつけたケータイなんて避けるなり受け止めるなり出来たが、彼女はあえて何もせずに自らネオンの攻撃を受けることを甘んじた。

 ネオンが自分の何気ない、反射で向けてしまった憐みの目にどれほど傷ついたかを理解しているから。ネオンの引き裂かれそうなほど痛ましい心音を聞き取って、理解していたから。

 だからせめてもの償いのつもりだった。

 

 ケータイが当たった瞬間、自分のしたことを悔やんで顔を歪めたネオンはやはり、根は善良と言える少女であることをセンリツに思い知らせる。

 だからこそ余計に、この思いが彼女を傷つけるとわかっていても懐き、向けてしまう。

 憐れみに傷つけられ続けたからこそ誰よりも敏感に感じ取ってしまうネオンは、センリツの言葉からも憐憫を感じ取ったことで悔恨が怒りに、憎悪に塗り替わる。

 

「そんな風に思うのなら、そんな眼であたしを見るのなら、何で初めから言ってくれなかったのよ!!」

 

 センリツに向かって泣きながら、訴える。

 

「あたしのしてることが悪いことなら、最初からそう言って欲しかったのに!! あたしのワガママを、ワガママだって叱れば良かったのに!!

 皆みんな、いつだってあたしにその場しのぎの誤魔化しで媚を売って……嘘ついて……、『オークションが中止になった』なんて嘘つかずに、『ダルツォルネさんが死んじゃうぐらいに危ない強盗だから参加しない方がいい』って言ってくれたら、あたしは変装までして逃げ出したりなんかしなかった!

 言わなくたってわかってたよ! でも言って欲しかった! 嘘ついて誤魔化すんじゃなくて、正直に話して説得して欲しかったのに……、なのに……なのに……誰もあたしと向き合ってなんかくれなかったくせに、今更になって何でそんな目であたしを見るの!?」

 

 自分が本当に欲しかったもの、緋の眼でも王女のミイラや俳優の使用済みティッシュでもなく、ごく当たり前の愛情を、ネオンという個人と向きあって誠実に対応するという当たり前を与えてくれなかったくせに、今更になって見下すような憐みを向けてくるセンリツをネオンは責め立てる。

 

 それが理不尽な要求であることを、きっと本人もわかっている。

 新人であるセンリツやクラピカが、ろくにまだ性格も知らない雇い主の娘、護衛対象であるネオンに「人体蒐集なんて悍ましい趣味はやめた方がいい」なんて言える訳がない。

 家に連れ戻す際の「オークションは中止」という虚言だって、雇い主であるライトの指示だ。護衛としてのキャリアがあるスクワラやリンセンだって、「正直に話した方がいい」とライトに忠言するのは難しいことくらい、ネオンはきっとわかっている。

 だからこそ、怒り狂いながらも彼女の心臓は自分の言葉の一つ一つに悔恨を懐き、傷つき続けている。

 

 それでも……、わかっていながらも、傷つきながらも叫び、訴える気持ちも理解しているので、センリツは目を伏せて俯き、彼女が一番向けられたくない憐みを向けてしまわないように努力しながらその血を吐くような訴えをただ聞いた。

 ……ネオンの言葉は理不尽であることは確かだが、理不尽だと指摘する資格などセンリツはもちろん、自分と一緒に雇われた新人の護衛たちも、前々から護衛だったスクワラ達にもない。

 

 自分たちは皆、ネオンに対して誠実に向き合い、対応することを「したくても出来ない」からしなかったのではなく、「初めからする気がなかった」からしなかったことに間違いないから、……自分たちもネオンに対して間違いなく加害者であることを思い知らされたからこそ、センリツは贖罪としてただ大人しくネオンの訴え、慟哭を聞き続ける。

 

「パパはあたしのことを見てくれなかった! あたしの話なんか聞いてくれなかった! 占いの結果とあたしが欲しいものだけ聞いて、お金で買えるものだけ渡してそれ以外のものは……全部『忙しい』で終わらせて何もしてくれなかった! 死んじゃったママの話をしてって何度頼んでも、何も話してくれなかった!!

 

 他の人たちだって……みんなあたしのことなんか見てなかった!

 ダルツォルネさんはパパがダメだって言った事は、何にも説明してくれないであたしを遠ざけるだけだった! エリザたちはあたしのいうことを肯定しかしてくれなかった!

 

 誰も、あたしの何が悪いかなんて一度も言ってくれなかったくせに、何も教えないで物だけ与えて、あたしの占いに頼りきってたくせに、あたしが占えなくなったのは、能力を失ってパパに『生まれてこなければ良かった』って言われるのは自業自得なの!?

 本当に欲しいものなんか何も知らないくせに、ずっとずっと欲しいって叫んでたのに聞いてくれなかったくせに、なのにあたしがワガママだったから全部悪いって言うの!?

 誰も教えてくれなかったのに、どうやって何が悪いかを知れば良かったの!? そんなに、あたしの欲しかったものは欲しがっちゃいけないワガママだったの!?

 

 パパに! あたしの為とか言ってくる人に! あたしを愛して欲しいって思うのはそんなに悪いことだったの!?」

 

 何もセンリツは答えられなかった。

 悪いことではない。悪いわけがない。

 彼女が欲したものは、あまりに当たり前のもの。欲しいと泣き叫ばなくても、普通なら与えられて当然だったもの。

 少なくとも他人に対して一方的に求めるのは間違いだが、父親に求めるのはワガママであるはずがない。ましてや、ネオンが望んだ「愛」はただ甘やかすものではなく、嫌われてもいいから正しく生きて欲しいという厳しさも含めたもの。むしろ彼女の環境を考慮すれば、よくぞここまで真っ当な愛情を求めたことに感心するくらいだ。

 

 ネオンの主張は、訴えは、叫びは正当であるからこそ、センリツは答える術を持たない。

 彼女がネオンに与えられる答えは全て、ネオンが拒絶する憐みから来るものだから、それはあまりにも今更な同情だから、ネオンの為ではなく自己満足に過ぎないものであることを理解しているからこそ、センリツな何も答えることが出来なかった。

 

「……それが、あなたの『罪』を償わない理由になると思っているのか?」

 

 吐き捨てるように、言い放つ。

 どこまでも、不気味なほどに静かだったクラピカの心音が徐々にペースを速めてゆく。

 声音にも憤怒を滲ませて、クラピカはネオンの訴えに対して尋ね返した。

 

 その問いに、今度はネオンが答えられなくなる。

 センリツと同じように答えがわかっているから、その答えこそ答えてはならない答えだと理解しているからこそ、怒りで紅潮していた顔色から血の気が引いてゆく。

 

 その血の気の引いた顔に、真紅の瞳がその色にふさわしい激情をかろうじて押さえ込んだ声音で突き付ける。

 ネオンが盾にしてきたものを、逆に突き付けて見せつけた。

 

「……あなたに罪を償う気がなかったとは思っていない。むしろ、自分自身の良心による罪悪感に耐えられず、いっそ誰かに責められたかったのだろう?

 ……だが、父親の自業自得な不幸の責任転嫁はさすがに理不尽すぎて償いとしても受け入れられず、私たちはあなたを『被害者』として見て憐れんで、あなたが償いたい『罪』に対しては誰も責めなかった。……誰も責めてくれなかったから、どんな償いをすれば許されるという指針もなかった挙句に、あなたは『被害者』でありたくなかったから自己弁護も出来ない。

 罪悪感だけなら耐えられたかもしれないが、その罪悪感が認めたくない被害者意識も増幅させてゆく。

 

 ……だからあなたは、認めたくない被害者意識から逃げ出すために『悪魔』を産み落とした」

 

 ネオンが無意識のうちに作り上げた第2の念能力。

 人間の弱さに寄生して、肯定することで育てる人間の共存者。

 願いを捻じ曲げて叶えるのではなく、どれほど捻じ曲がって歪んで破綻していようとも、不幸と絶望の底に追い詰めても真摯に叶えるもの。

 人知無能な「悪魔」が何故、生まれたのかを語る。

 

「あなたが自分に『悪魔』を憑けているのは、罪悪感による『自分なんて不幸になればいい』という願望だけではない。

 あなたが不幸になれば、あなたに向けられる憐みはあなたが否定したい『愛されていなかった』ことに対してではなく、単純にあなたの不幸に対しての憐憫になる……、少なくとも自分にそう言い聞かせることが出来るからこそ、あなたは自分の不幸を望んでいた。

 

 ……父親に憑いていたのは、あなたが不幸になる要因として必要だったからもあるが、それ以上にあなたは父親に愛されない明確な理由が欲しかったから憑けたのだろう。

 初めから愛していなかった、道具としてしか見ていなかったより、自分の所為で不幸になるという明確な自分の非が、愛されない理由があった方が、それさえなければ愛されていた、愛してくれたという夢想が出来るから……だから『悪魔』は父親にも憑いた。

 

 そして私に関しては……あなたは私にとって『同情の余地が強い加害者』ではなく、『完全無欠の加害者』になってしまいたかったからこそ、私が瀕死の重傷を負う未来をあなたは選び取って、『悪魔』にその未来を導かせた」

 

 彼女が、ソラが言った通り、偽物の「悪魔」はネオンを不幸と絶望に陥れても、どこまでも真摯に、誠実に、愚直に彼女の願いを叶えていた。

 ネオンの「悪魔」は、「自分は被害者ではない」というネオンの望みをただひたすらに叶える、「愛されていないという現実を認めたくない」という弱さを「それでいい」と肯定し続けてきた存在であるとクラピカは指摘する。

 

「……おそらく、あなたは予知として映像化するほどではないが、私がクルタ族であることを無意識的に気づいていた……、少なくとも私があなたに対して当初懐いていた嫌悪や憎悪に……、そしてあなたが『被害者』であることを知ってから抱いた憐みと迷いに気付いていたのだろうな。

 ……だからこそ、あなたはこの現在(みらい)を選び取ったのだ。……回避できれば、自分の予知能力で回避できたのならば私はあなたに感謝して、きっとあなたを許していた。私に憐みによる恩情ではなく、あなた自身の力と行動によって許されたのなら、あなたは自分が被害者であることを否定したまま、罪を償えたことになると思えたのだろう。

 

 そして……失敗しても良かったんだ。失敗して、私から同情の余地をなくして完全無欠の加害者に、責められて当然の存在になってしまいたかった。憐れむ価値などないと思われたかった。

 ……あなたは、ただひたすらに私から自分に向けられる憐みを消し去りたかった」

 

 歪んでいながら、あまりにも単純な願い。

 その願いを叶えても、何の解決にもならない。むしろネオンは余計に救われなくなる。

 憐みでも彼女に向けられるはずだった救いの手を失うような願望だというのに、それでもネオンは縋った。

 自分が生み出した「悪魔」に。

 

 彼らだけが、自分の「愛して」という言葉に応じて、どこまでも誠実に、真摯に向き合って叶えてくれているからこそ、ネオンは「悪魔」を……自分の「弱さ」を手離せない。

 だからこそ、「悪魔」はさらに育ち、エスカレートしていった。

 

「あなたの『悪魔』は正確に言えば、『不幸な未来に導くもの』ではない。あなたが『被害者であることを全否定する為』の存在だ。

 だから……、あなたは無関係であるはずの相手にすら『悪魔』を憑けた。……あなたの為に、あなたが『完全無欠の加害者』になる為に『悪魔』はあなたに忠実に、誠実に行動し、あの『ブロンド殺し』の少女に憑いたんだ。あなたがいたからこそ、あなたさえいなければ存在しなかった未来に……実兄を殺すなんて未来に導かれてしまったんだ」

 

 自分の無意識の、無自覚の弱さ(ねがい)がもはや自分の関係者に留まらないことを知らされ、ネオンは息をのんで固く握りしめた両手を小刻みに震わせる。

 ネオンにまとわりつく「悪魔」たちは、それを見て笑っている。

 無邪気にネオンの願いが叶うことを、「加害者」になるネオンを心から喜び、笑っている。

 

 そんな歪みきっていながら、ネオンが望んだように打算的にネオンの要求を表面上だけ叶えるのではなく、誠実に忠実に叶える「悪魔」がセンリツには理解出来ない。

 ソラが説明した通り、確かにこの悪魔は人間の共存者と言えるかもしれないが、あまりにもその誠実さが、叶える願いの歪みが酷過ぎて、偽物ではなく本物がそうだと語っていた「手の届く範囲にありながら決して理解できない淵」こそがこの「悪魔」だとしか思えなかった。

 

 クラピカは、その悪魔たちの笑い声にうるさそうに顔をしかめつつゆっくりと起き上がる。

 理解出来ないものを前にした恐怖などなく、その顔にはネオンの慟哭に答え、尋ねた時の憤怒もない。

 疲れたような、呆れているような顔で……けれどその心音に諦観はない。

 何度失望しても、それでもまだ彼は懐いている。

 

 上半身を起こして、じわじわと血がにじむ腹を押さえながらネオンに対して諭すように言った。

 

「もういい加減にしろ、ネオン=ノストラード。

 あなたの贖罪は全て、的外れなんだ。だから私は、あなたを許したいのに許せない」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 泣きながら、もう疲れ果てているはずの重い右腕を振り上げて、何が何だかわからないという顔をしている兄に、謝っているのに許されないことが理解できていない兄の顔に振り落とす。

 が、その「芝刈り機」と自称した凶爪が一撃で兄の顔面をグチャグチャに切り刻む前にトモリの背中に、べったりと張り付く「悪魔」越しにぶち込まれた。

 

「ガンド!!」

「!?」

 

 人間大の「悪魔」が背中にへばりついていたおかげで、背中に撃ち込まれたオーラの塊に対してのダメージはないに等しかったが、その衝撃で元々疲れ果てていた足に力が入らず、トモリは前のめりに倒れる。

 自分に向かって倒れてきた妹を、兄は「ひぃっ!」と短い悲鳴を上げて腰を抜かしたまま器用に、俊敏に身をひねって避けた。倒れた妹を案じる声もなければ、支えようともしなかった。

 

 それを、ソラはあまりにも冷ややかな目で眺めながら言った。

 

「……君は本当に不運な子だな。周りがこんなにも無能の屑ぞろいじゃなければ、君はどんな形であれとっくの昔に(すく)われていたのに」

 

 トモリが押し入った窓からソラも入ってきて、彼女はマンションでの交戦時からずっと変わらない憐みを向けて、歩み寄る。

 

「……何で……あんたが……ここに!?」

「君を探してた時、マンションの管理人さんが君のお兄さんが中学校の先生やって妹を養ってる、近所でも評判の仲良し兄妹だって言ってたからね。聞いた時は個人情報ガバガバ過ぎない? って思ったけど、結果としてはプライバシーって概念がない人で助かったよ。

 あと、警報まで鳴り響いてくれてるんだから、迷わず一直線に向かっていけるさ」

 

 何とか体を起き上がらせたトモリが振り向いて、睨み付けて問うた答えをソラは、腰を抜かしたまま自分に向かって手を伸ばし、「助けて」と懇願するトモリの兄を無視して返しながら、歩みを止めない。

 トモリを恐れている様子は全くないが、トモリに襲われている人間を助けよう、トモリを今すぐに止めようという気概もなく、彼女はゆっくりと近づいてくる。

 

 近づきながら、ソラは答える。

 訊いてなどいない、トモリが逃げ続けた、目を逸らし続けたものを。

 自分が追いつめた責任を取る為に、トモリにとって何の迷いもなく恨める加害者になる為に、ソラはトモリの弱さ(ねがい)を突き付けた。

 

「……具体的に何があったのかはいまだにわかんないけど、……君はずっとずっと追われ続けていたんだね」

 

 あの夏の日から、トモリに取り憑いた「悪魔」が何であるかを。

 

「君に後ろを振り返る癖があるのはその所為だ。君はずっとずっと何かに追われて、ずっとずっと休むことなく逃げ続けてたんだ。

 ……逃げる為に、たくさんの人を殺して、多くの言葉で言い訳して、誤魔化して、そしてそれは()()()()()()()全部成功してしまった」

 

 トモリの背中にしがみつくネオンの「悪魔」は、ソラの乱入によって「実兄の殺害」という未来を壊された所為か、ずいぶんと縮んでしまった。

 しかし、ソラやクラピカに憑いていたものと同じくらいの大きさになっても、それはまだ確かに存在する。

 トモリの運命は、悲劇は、訴えたい何かを何も言えないまま警察に射殺されるという運命を回避できていない証拠は、糸のような細い眼でソラを睨みつけながら「まだ終わらない」と言いたげに笑う。

 

 だが、ソラは悪魔の哄笑を無視して話を続ける。

 そもそも、ソラは「トモリが実兄を殺害する」ことまでは想像ついていたが、その後のことまでは知る由などない。

 知っていても、知らなくても、ソラのすべきことも出来ることも決まっているし、変える気もないから何も変わらない。

 

 だからソラは、淡々と話を続けた。

 ネオンの「悪魔」ではなく、トモリの「悪魔」だけをただ見て語る。

 

「本当に……何て皮肉な不運だ。

 君の選んだ選択はベストでもベターでもない、むしろ願いなんて何も叶わないものだけど終わらせるという目的だけは達成出来たはずなのに、君が優秀だったのと周りが無能だったせいで、君は手段に成功しすぎて目的を追い越して掴めないという大失敗を犯し続けた」

「……何の……話よ!? 意味がわかんないのよ!!」

 

 ソラの言葉にトモリは叫び返して、もう疲れ果てているはずの足に力を入れて駆け出し、重くてたまらない腕を振り上げてソラに襲い掛かる。

 その攻撃を、ソラは迷いなく軽やかに受け流しながらソラは突き付ける。

 

 トモリが生んだ「悪魔」に願った、捻じれ、歪み、曲がって破綻しているけれど、もうそれしか望めなくなってしまった願いを。

 トモリの「悪魔(よわさ)」を、突き付ける。

 

「君は『逃げ切りたかった』んじゃなくて、『捕まりたかった』んだろう?」

 

 あの夏の日からずっとずっと、トモリは逃げ続けた。

 逃げることを、強要され続けた。

 父と、母と、……兄にもずっとずっとトモリは強要されてきた。

 

 5歳の子供に、「死」が何であるかもよくわかっていなかった、祖父のことは良くも悪くもなんとも思っていなかった、何にも知らなかった子供に「祖父なんていらないと思ったから見殺した」という罪悪感を植え付けて、共犯だと言い聞かせた。

 

 真実を叫ぶ声を寄ってたかって奪われたトモリは、どれほど疲れ果てても逃げるしかなかった。

 

 だから……だから……トモリは――

 

「君は君自身を追う自分の罪悪感から逃げきれないことは初めからわかっていたから、とっくの昔に疲れ果てていたから、君は誰かに『捕まえてもらう為』に、より多くの罪を犯した。

 ……自首という手段を選ばなかった、……選べなかったのは、()()『被害者』になりたくなかったからかな?

 

 ……本当、何て酷く捻じ曲がって歪んだ、本末転倒な願いだ」

 

 トモリは共犯などではなかった。

 彼女は両親の無言の圧力で、祖父を見殺すことを強要されただけ。

 

 どんなに不穏で異様な雰囲気を両親から感じ取っても、祖父の容体が明らかにおかしくても、他の大人にそれを訴える術などたった5歳の子供にある訳がない。

 トモリに非など、どこにもない。

 

 彼女は、間違いなく被害者だった。

 

 だが、トモリ自身がそれを認めなかった。

 だって、自分が被害者であるということを認めてしまえば、逆説的にトモリは認めなくてはならないから。

 

 両親は、トモリが帰ってきた時点で彼女を共犯にしない為に計画を中止することだって出来たはずなのに、トモリを共犯に引きずり込むことを選んだという事実を認めてしまえば、両親にとって娘が罪悪感で苦しみ続けることよりも、祖父の介護がこれからも続くことを恐れていたということになる。

 トモリよりも、娘よりも自分たちの負担を軽くすることの方が重要だったことを認めなければならない。

 

 自分が愛されていなかった事を認めるくらいなら、トモリは強要されたのではなく自分の意思で見殺したと記憶を改竄して、共犯者に、加害者になることを選んだ。

 

 だからどれほど罪悪感に苛まれても、トモリは逃げ続けることしか出来なかった。

 どんなにトモリが「自分も共犯者で加害者だ」と叫んでも、5歳の幼子が真実共犯者になれる訳など無い、何もわかっていない子供に親が強要したことくらい誰だってわかる。

 トモリは自首をしても裁かれないどころか、もっとも直視したくない真実を突きつけられるからこそ、逃げ続けるしかなかった。

 

 ……「被害者」であることを否定するために逃げるトモリは、両親たちとは違って自己弁護で、自分のしたことを正当化することで、開き直ることで逃げるという行為を休むことすら出来なかった。だから当然、疲れ果てる。

 その疲労の果てに望んだ、ただ「もう休みたい」の一心で育て続けて生れ落ちた「弱さ(あくま)」こそが、トモリの「念能力」だ。

 

「君は『被害者』であることを絶対的に否定し尽くしたかったから、新たな罪を犯しても自首という形で自分から終わらせることが出来なかった。

 そうだね。同情の余地がない加害者は、自首なんかしない。保身に走って自分の犯行を隠し通す。……だから君は、捕まりたいのに捕まらない努力をしなくてはいけなかった。

『この子にも同情の余地はある、ある意味被害者なんだ』という弁護の言葉こそ君は一番望んでないから、君はとてつもない遠回りしなくてはいけなかった」

 

 トモリの願いに対してあまりにも矛盾しているように思われたトモリの犯行は、矛盾などしていないとソラは語る。

 そしてそれが正解であることは、ソラに向かってがむしゃらに腕を振り回しながら、「黙れ! 黙って!!」と泣きながら懇願している事で明らかだ。

 

 年齢や性別の時点でトモリは、どのような犯罪を犯しても無関係の他人に同情されてしまう。何も知らない他人は何も知らないからこそ、「虐待でもされてて歪んでしまったのだろう」と無神経な憶測で真実を突き付けることくらいわかっていたからこそ、トモリはどこまでも残酷な犯罪を、身勝手な動機で、卑劣な手段で行わなければならなかった。

 

 それぐらいしないと、トモリから同情の余地はなくならないから、トモリはあまりにも遠回りな手段を取り続けた。

 そしてこの手段は遠回りだが、本来なら所詮は子供の浅知恵による犯罪とその隠蔽。簡単に露見して、トモリは望み通り「加害者」として捕まり、逃げるのをやめることが出来た。

 トモリの望み通り同情の余地を完全になくすことは出来なかったとしても、捕まることで終わることが出来たはずだった。

 

 だが、トモリはあまりに不運なことに、子供の浅知恵であったにも拘らずどれもこれもそれがトモリの犯行だと気付かれなかった。

 

 兄の最初の恋人は、未だに死体を発見されていない。

 強盗殺人に見せかけた両親の死因は「殴殺」であることから、トモリは完全に容疑者から外されてしまった。

 今現在の「ブロンド殺し」だって、名前の共通点を警察が気付いているのかどうかも怪しい。

 

 トモリ自身に「念能力」という反則的なイレギュラーが生じたことも大きいが、たとえ警察組織内に念能力者が存在しなくても、念能力の存在を警察組織内の誰も知らないでいられるほど、能力者による犯罪は少なくなどない。

 だから、トモリという能力者の存在に気付くことは決して不可能ではなかったはずなのに、誰も気付かず今に至るのは、トモリが優秀すぎただけではなく周囲が無能すぎたというソラの評を否定できない。

 

 ……特に無能なのは、屑だったのは、トモリの兄。

 念能力という異能に気付けなくとも、きっと妹の行動を不審に思うきっかけはいくらでもあったはず。

 なのに、一番近くにいながら気付かなかった。

 

 彼が本当に妹が夜中に、自分の服を着て出歩いていることにすら気づいていない愚鈍なのか、あの夏の日と同じく薄々察していながら何もしない卑怯者なのかまではわからないが、どちらにしろ屑には変わりない。

 泣きながら妹が他人に、自分を助けてくれた人に襲いかかっている隙に、腰を抜かしたまま這いずって逃げ出した時点で、もはやトモリのしてきたことに何の意味もない。

 

 真っ当な良心があったからこそ、ずっと罪悪感に追われ続けて来たのに、だからこそ疲れ果ててしまったのに、その罪悪感を増やしても否定し続けてきた「被害者」である証明を兄によって見せつけられた。

 

 自分は家族に、両親にも兄にも愛されていなかった事を突き付けられても、トモリはもう止まらない。自分を止めることなど出来ない。疲れ果てているのに、もう力などは入らないのに、止まる術を……自分が「被害者」であるという残酷な現実を受け入れることで助けを求めることを選べなかった時点で失っているから……、もはや意味などないとわかっていても止まらない。

 

「何でよ……。どうして私ばっかり! なんでお兄ちゃんは、私と同じくせに私と違って自由で、逃げもせずに彼女なんか作ってるのに、何で私は逃げ続けなくちゃいけないの!? 何で私のしてることに気付かないの!?

 何でよ!? 何であんたは……何も出来なかったくせに、何も守れなかったくせに、どうしてあんたは許されるのよ! 何で私は被害者でも加害者でも許されなくて、みじめな思いをしなくちゃいけないのよ!!」

 

 泣きじゃくりながら、それでもトモリは自分が被害者であることを否定しようと、ソラから憐みの目を消そうと躍起になって、ソラの守りたかったものが傷つき、ソラがしたかったことは失敗に終わった事を指摘する。

 加害者になろうと足掻き続ける。

 

 しかし、その足掻きも終わりを迎える。

 

 またけたたましく鳴り響いていた警報にまぎれて、パトカーのサイレンがどんどん近づき、集まってくるのが聞こえる。

 窓の外には、赤い光がいくつも点滅している。

 

 そのことに気付いたトモリは、顔から血の気が引いてそのままソラから、警察から逃げ出そうと背を向けて廊下に飛び出し、駆け抜ける。

 

 あんなに逃げるのをやめたかったのに、もう休みたいからこそいくつもいくつもの罪を重ねて来たのに、なのにまたトモリは逃げ出した。

 もう、トモリは逃げることしかできないから。

 

 あんなにも目を逸らしていたかった、「兄は全部気付いていたうえで何もしなかった」ことを知ってしまった。

 同情の余地がない加害者であることに執着した理由を、ソラに何もかも見透かされた。

 

 これだけでもうトモリが望んだ、トモリの願いである「被害者であることの否定」は叶わないというのに、このまま捕まって「同情の余地のない卑劣で残忍な犯罪者」として扱われるのも、自分が被害者だったことを訴え「愛されなかったかわいそうな子」として扱われるのも、どちらも今更過ぎて同じくらいみじめで耐えられなかった。

 

 だから、逃げ疲れたのに、もう逃げたくないのに、それでも自分のしてきた今までが「みじめ」の一言で終わらせたくなくて、逃げたってもう何も得られないことはわかっているのに、それでもトモリは廊下を駆け抜け、窓を割ってそのまま飛び降りた。

 

「悪魔」がけたたましく嗤うのを聞きながら。

 その「悪魔」は自分が生み出したものなのか、それとも自分とあまりによく似た少女に憑けられたものなのかも、トモリにはわからない。

 

 ただ、「悪魔」の哄笑と同時に銃声が高く響いたのを聞いた。





ネオンのキャラがイメージに合わないという読者さんが多そうだなと思いながら書きましたが、私はもとからネオンはこんな子、型月のエリちゃんに近いイメージです。

一応、作中で説明した通り(占い師に憧れたきっかけとか、コレクションのジャンルが広いというかちぐはぐな所とか)を根拠にしたイメージで、「こういうキャラだったらいいな」という独断のキャラ編ではないつもり。

けど実際にこんな子だとしたら、原作がマジで救われないなぁ。
というか、ネオンの人でなしキャラが定着したきっかけが、「自分の護衛、特に一番の古株で自分のマネージャーだったダルツォルネが死んだと聞かされても、木乃伊の心配しかしてなかった」だろうから、私のイメージが正解ならネオンはダルツォルネの事、心底嫌いだったことになるな……。
まぁ、実際エリザの錯乱にはショックを受けてたようだから、あの子は例外なく他人はどうでもいい人でなしではなく、少なくともダルツォルネは本心からどうでも良かったのは事実か。

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