死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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126:サンタクロースの夢

 時は少しだけ、舞い戻る。

 

「本当になんか、オルタ姉さんが色々とすみません」

 

 ひとまずソラの指示通りリリィはレオリオを自分の部屋に連れて来て、そして真っ先にしたことが頭を下げての謝罪。

 10歳前後、おそらくはゴンやキルアより年下である少女の対応がとても大人びている為、彼女が謝る理由である次女を対比で思い出してしまい、レオリオは何とも言えない微妙な気持ちになって遠い眼になる。

 だがレオリオが「大したことねーから気にすんな」と返答すれば、リリィの大人びて見えた部分はあっさり剥がれ落ちた。

 

「大したことなくても、レオリオさんは怒っていいですよ!

 そりゃ、レオリオさんを殴ったのは本物のオルタ姉さんじゃなくてもう一人の姉さんの方ですけど、姉さんはあなたが殴られる前から失礼すぎることしか言ってないんですから!

 まったくもう! 本当にオルタ姉さんは全然論理的じゃなくて嫌になります!!」

 

 プリプリとレオリオの大人の対応でオルタを強く責めなかったことに対して怒るリリィは、一気に年相応の子供に見えた。

 どうも「自分がしっかりしないといけない」と自分の幼い弱音などを押し殺して気張っているのではなく、年相応に背伸びしたい年頃なのと反抗期の複雑なオルタの心境などが理解できていないからこその反発であのような態度を取っているだけだとレオリオは感じ取り、少しだけ安堵してもう一度彼は「気にすんな」と言いながらリリィの頭をくしゃりと撫でた。 

 

 頭を撫でるといういかにもな子供扱いにリリィは少し不満そうに唇を尖らせるが、レオリオが先ほどより優しげな眼をしていることに気付いたのか、彼女は不思議そうな顔をしつつもベッドに腰掛けるように勧める。

 その言葉に甘えて、レオリオは実に子供らしくて女の子らしいベッドに「この上なく俺が似合わねーな」と思いつつ腰かけた。 

 

 そしてリリィは、レオリオと対面になるように椅子を持って来て座り、やや前のめりになって前置きなしでレオリオに尋ねる。 

 

「レオリオさん、あのもう一人のオルタ姉さんの正体ってわかります?」 

 

 その目にはもうレオリオに対する心配や申し訳なさが綺麗さっぱり消えてなくなり、ゴンを彷彿させる好奇心で輝いていた。

 現金な反応に思わずレオリオは苦笑する。「もうちょっとは申し訳なさそうなそぶりしろよ」と思わなくもないが、それよりも彼女は全くあの「もう一人のオルタ」の正体はもちろん、彼女がいきなり自分に渾身のビンタを決めた理由も、その直後にしゃがみ込んで泣きじゃくった理由も全く察していないことに安堵する割合が大きかった。 

 

「さぁな。俺はハンターの特権目当てで本命は医者志望だから、こういうオカルトだの幽霊だのっていうのは専門外にもほどがあるからサッパリだ」 

 

 だからレオリオは、苦笑しつつ嘘ではないが本当でもないことを答える。

 本当は彼も既に、ソラほどではないが大部分を察している。

 

“念”に関しての知識があれば、あのオルタは具現化系あたりの能力が暴走していると思うのは当然の発想。

 そして修行をしたでもなく、自覚があって意図的に作り出した能力ではないのなら、あの支離滅裂に思えた「もう一人のオルタ」の行動は「オルタの抑圧された感情の発露」なのではないか? と思うのも自然の成り行きだろう。

 あの「もう一人のオルタ」が念能力よる具現化した本物の分身だからこそ、ややこしく思ってしまうのだ。夢遊病や二重人格に近いものだと考えれば、おそらくはそう珍しい症例ではない。

 

 そして、自分を殴ったり泣きじゃくったのが「抑圧された感情」だとしたら、考えられるのはオルタは男嫌いか、それに近いくらい異性に対して嫌悪や不信感を懐いていると言ったところだろうと、レオリオは目星をつけている。

 というかソラやアストルフォを素通りして、自分に一直線に向かってきた時点で十中八九そうとしか思えない。俺自身に原因はない。いや、確かに初対面でまずあのコートの上からでも圧倒的質量と重力感があるとわかる胸部に目はいったが一瞬だったし……とレオリオは思わず内心で見苦しい言い訳を重ねた。 

 

 ただ一応フォローしておくと、ソラが冷めた目で言い放っていた通りレオリオはオルタを見て鼻の下を伸ばしたし、胸をちらっとその一瞬でガン見していたのは確かだが、それ以降はオルタの態度が悪すぎたのもあるだろうが、あからさまな下心を見せていない。

 そもそも初めの下心だって、まだ10代の青年に隠し通せというのは残酷なほどささやかなものだろう。ソラだって理性では「まぁ、こんだけスタイル抜群の美人ならそれくらいの反応は当然か」と思っており、自分の嫌悪感の方が大袈裟だという自覚はある。

 

 つまりはレオリオの下心など、女性の目から見ても些細と判断される程度のもの。

 ただあれだけの下心に反応して殴りにかかった挙句に号泣は、同性でもオルタを全面的に弁護をしてやることはたぶんない。「気持ちはわからんでもないけど、過剰防衛だ」とオルタも少し叱るのが、おそらくは真っ当な感性を持つ普通の人間の反応だろう。 

 

 しかしそれは本当にただそれだけ、レオリオが抱いた程度の下心しか今まで向けられたことがないのに反応した場合の非難。

 たとえ体を触られる等の直接的な被害はなくとも、もっともっと酷い下心や劣情の視線や言葉に晒されて傷つけられてきたのなら、本来なら「ちょっと不快だった」程度で済んだものにさえ過剰反応してしまうのは自己防衛として当然だ。

 

 そんな風に思ったから、そこまで既に察していたからこそレオリオはリリィの問いに答えず誤魔化した。

 さすがにレオリオはオルタの「両立できない信仰心の放棄と自分の倫理観によるストレス」には全く気付いていないが、彼女がもう一人の自分を生み出すほどに溜め込んで溢れ出したストレス源は、自分も些細とはいえ下心を懐いてしまったからこそ簡単に想像がついたのだ。 

 

 レオリオだけではなくリリィにもソラが「別室待機」を指示し、けれど自分よりはまだ関わっているとはいえやはり部外者であるはずのアストルフォは残している時点で、おそらくこの推測は大きく外れていないだろうとも思っている。

 レオリオの推測通りなら、レオリオの前でオルタにそのストレス源を認めさせるのはただのイジメだし、リリィにこの手の話を聞かせたいと思う変態はこの場にいる訳もない。 

 

 そしてアストルフォは多少のデリカシーがない発言をぶちかます可能性はあっても、セクハラ被害を告白した相手に「モテてるってことだからいいじゃん」などといった二次被害的な地雷は絶対に踏まないし、踏むような奴を全力で怒って非難する奴だ。

 それにアストルフォなら、セクハラ等のあしらい方は下手な女性よりも詳しいし慣れている。

 なんなら彼は、自らが代わりにセクハラの防波堤になることだって厭わない。笑顔で、友人とその家族を守れることを誇りに思って、その役目を全うするだろう。

 ……この上なく男らしくてカッコいい心意気なのだが、やっていることがハニトラ同然と考えたら何とも微妙な気持ちになるので、それは横に置いて忘れよう。 

 

 とにかく、自分の推測通りならソラが「別室待機」の裏に隠した自分への指示は、「リリィがオルタのストレス源に気付かないようにしろ」であることを察しているレオリオは、リリィがどれほど不満そうな顔をしても「専門分野外だからわからない」と言い張り続ける。 

 しかしリリィの方も、レオリオが本当に何もわかっていない訳ではないことくらい気付いている。だからこそ不満そうな顔をしているのだ。

 けれど何を思ってレオリオが何も話してくれないのかは、レオリオの努力の成果か気付いておらず、代わりの心当たりを拗ねて尖らせた唇から発する。

 

「レオリオさんが話してくれないのは、ハンターの『守秘義務』って奴ですか? ソラさんの不思議な力がどんなものなのかも詳しく話してくれないのと同じように」

「あー……えーと、まぁそんなもんだな」

 

 リリィが口にした「誤魔化す理由」はほぼ見当違いなのだが、それもなくはないのとそう思われた方が都合が良いと思ったので、レオリオは肯定する。

 それだけではなく、聞き分けは良い子っぽいのでこれで不満を懐きつつも諦めるだろうとも思ったからこそレオリオは肯定したのだが、その目論みは見事に外れる。 

 

「レオリオさん、それってハンター志望の人にも全く教えられないことなんですか?」

「は?」 

 

 何故か、リリィは諦めるどころかさらに前のめりになってそんなことを尋ねてきた。

 心なしか、目の輝きも増している。

 

 リリィの質問に困惑するレオリオをしり目に、雪の妖精と言われたら信じてしまいそうなほど儚げでありながらこの上なく愛らしい少女は、その雪を溶かしそうなほど強い輝きを灯した……自分の歳の離れた友人にして掛け替えのない仲間である少年によく似た瞳と笑顔で、リリィは両手の握り拳を軽く上下に振りつつ言い放つ。

 

「私、ハンターになりたいんです! 出来れば、今すぐにでも!」

 

 * * * 

 

 リリィの宣言にレオリオは困惑を通り過ぎて絶句し、呆気に取られる。

 しかしテンションが上がってきたリリィには相手の反応がもはや見えておらず、更にブンブン両手を上下に振って自分がハンターを志望する理由を熱弁する。 

 

「ジャンヌ姉さんとトナカイさんのお友達に、アマチュアさんですけどハンターの方がいまして! ジークさんっていって今年受験の予定なんですけど、ジークさん自身もジークさんがお話してくれるハンターとしての活動もすごくすごくカッコよくて、私、ジークさんと知り合ってから将来の夢がサンタクロースからハンターになったんですよ!! 

 

 だから教えてください! その不思議な能力とかはハンターに絶対必要なものなんですか? その能力があるからハンターになるんですか? 受験の時はなくてもいい、後からでも身につく能力なんですか? それとも、生まれつき持っている人と持ってない人がいるものなんですか?」 

 

 リリィの熱弁に押され、「前の夢がサンタクロースで今はハンター志望って、かけ離れてるんだか夢があるのは似てるんだか」とどうでもいいことを思いつつ、レオリオはとりあえず落ち着くようにリリィを宥める。

 リリィも一通り自分のハンターに向ける熱いパッションを語れば落ち付いたのか、「すみません。論理的じゃなかったですね」と言って前のめりだった姿勢を戻す。 

 

 しかし、期待に満ちた目の輝きは衰えない。 

 

 その輝きに目が眩みそうになりつつも、レオリオはハンター試験の過酷さをあの一度きりの受験で思い知ったので、無責任に「そうか、夢に向かって頑張れ」と言う気にもなれず、正直かつ率直に質問の答えではなく忠告を与える。 

 

「えっとな、リリィ。諦めろとは言わねーけど、『物語の主人公みたいでカッコいいから』って理由で目指すもんじゃねーよ、ハンターってのはな。

 これを言っちゃそのジークって奴への心配を煽りそうで悪いけど、プロハンターになる為の試験はマジで死ぬ。普通の人間は一回の試験で5回は死ぬ。正直、俺が合格どころか生き残れたのは完全に運が良かったからだ。

 ただでさえ試験の内容も殺しにかかってるのに、受験生同士がライバルを蹴落とすために隙あらば殺しにかかるような連中揃いだ。死んだ奴は運が悪かったというより、生き残れた奴が強運なんだよ。 

 

 ハンターになる夢自体は諦めろとは言わねーけど、今すぐってのはマジで諦めろ。俺が言うまでもなく、ジャンヌさんやオルタが反対するだろうけど」 

 

 レオリオの言葉に当初はムッと不満そうだったが、ハンター試験の過酷さを知ってリリィの顔色が悪くなる。

 それでも、自分を奮い立たせる為か、それとも自分がハンターを目指すきっかけの人物が「死んで普通、生き残れた方が強運」の試験を受けているという不安を掻き消す為にか、リリィはややかすれた声で反論する。 

 

「で、でも! レオリオさんのお友達は私とそう変わらない歳の子で、その子も初受験で合格したんでしょう!? トナカイさんから聞きました!」

「それはあいつが規格外なだけだ。正直言って、俺はあいつらが人間じゃないって言われても驚かない」 

 

 しかし、リリィの反論をレオリオはほぼ反射で即答する。アストルフォにゴンやキルアの話をしていた為、自分の話に説得力がないという後悔よりも先に、本当に思考より先に声に出た。

 なので、ゴンとキルアに少し悪いと思いつつも、ここまで言ったのならこのまま利用させてもらおうとでも思ったのか、リリィの肩に手を置いてレオリオは彼らを引き合いに出して少女の子供ゆえの無謀さを諌める。 

 

「あのな、確かに俺が試験で知り合ったダチはお前の言う通り、そう歳は変わんねーよ。12歳だ。それも、合格はしなかったが最終試験にまで残った奴ならもう一人いる。

 けどな、そいつらは地下100階からと地上までの階段を息を乱しもせずに駆け上がれるわ、大量殺人犯の心臓を抉って掏り取るわ、3時間も殴る蹴るの拷問の挙句に腕を折られて、足を切り落とすって脅されて刃物突き付けられても自分のワガママを貫き通すような奴だぜ? 心臓抉った奴なんて、そこまでできて不合格だぞ?

 ……ついでに言うと、お前が言う『ハンターに必要な不思議な力』がない状態でこれら全部やらかしたんぜ、あいつらは」

「…………え? ……その人たち、人間なんですか?」 

 

 レオリオが諌めるまでもなく、ゴンとキルアの規格外ぶりを語ればリリィは盛大に引いて、むしろ人間であることを疑い出した。

 その問いはレオリオの方が訊きたいくらいなので、答えずそっと彼はリリィから目を逸らす。 

 

「……まぁ、とにかく『今すぐにハンターになりたい』ってのは無謀どころか自殺志願同然だってことは理解しただろ?」

「…………はい」 

 

 自分の友人であり仲間の濃厚な人外疑惑は横に投げ捨て、とりあえずレオリオが話をまとめると、今度は素直にリリィも同意を示した。

 しかしゴンを彷彿させた輝きはすっかり消沈してしまい、ついでに「そんなに危ない試験にジークさんが……」と俯いてリリィは呟いた。

 レオリオが思った以上に不安を煽ってしまったと感じ、彼は慌てて「いや、死ぬのが普通ってのいうのは俺みたいな実力不足の奴の話であって、アマチュアとはいえハンターとして活動して活躍してた奴なら余裕でイケるイケる!!」と、かなり必死でフォローしだす。 

 

 そのフォローにリリィはきょとんとしてから、やや暗くなっていた顔に笑みを取り戻す。 

 

「あはっ! ありがとうございます、レオリオさん」 

 

 本当にレオリオのフォローで不安が消えたというより、レオリオが自分より傷ついたような様子でそれでも必死にフォローしてくれたという事実で気が楽になったと言わんばかりの笑顔と礼に、レオリオは何とも複雑そうな顔になる。

 複雑そうだが、それでも彼も笑っていた。リリィが笑ったことに、安堵して彼は口元を穏やかに緩める。

 

 が、またすぐに眉間に深い皺が寄る。

 リリィの笑顔もまたすぐに、寂しげで悲しげに曇ったからだ。 

 

「……けど、レオリオさん。『物語の主人公みたいでカッコいいから』だけじゃないんですよ。私がハンターに今すぐになりたいのは」

 

 悲しげに曇りつつも、リリィは笑って言った。

「将来の夢」ではなく、「今すぐになりたい」理由を彼女は語った。

 

「だって、今すぐじゃないと結局他の仕事に就くのと同じくらい時間がかかって、姉さんたちに負担を掛けちゃうじゃないですか。

 私、ハンターっていうお仕事がカッコいいから憧れたのも嘘じゃないですけど、今すぐになりたいのはハンターは年齢とか学歴とかそういうのが全く関係ないから、なろうと思えば今すぐにでもなれるから……、まだ子供の私でも『一人前』だって証明して、姉さんたちを安心させて、姉さんたちの手助けが出来る……そんな風に思ったからなんです」

 

 リリィの言葉に、今度は何もレオリオの口から出てこない。

 何を言えばいいのか、何を言うべきなのかが全く分からなくなって黙り込むしか出来なかった。

 

 リリィのオルタに対するあどけない反感や、ハンターへの夢を語っていた時の子供らしさに安堵していたが、やはり彼女にも「両親の急逝」は消えない傷となり深い影を負わせている。

 彼女の背伸びは子供だからこその「大人になりたい」という願望だけではなく、「大人にならなくちゃ」という焦燥もやはりあったのだ。

 

 リリィ自身が言うように「ハンターという職に憧れている」ことに嘘はないだろうが、それでもきっと今の彼女にとってハンターになりたい動機の割合は、憧れよりもレオリオの動機と似た「姉の負担になりたくない」を起因にした金目当ての方が大きい。

 むしろ、姉たちに「自分たちに気を使って夢を諦めた」と思われたくないからこそ、子供らしい憧れと現実的な願いの折り合いがつく「ハンター」を目指しているのではないかとさえ思う。

 

「……可愛い末の妹を養うことを負担だとか不満に思う人たちじゃないだろ」

 

 きっとこんなこと、言われるまでもなくわかっていることをレオリオも理解しつつ、それでも彼は言う。

 そしてレオリオが思った通り、リリィは椅子の背もたれにも上半身を全体的にもたれかからせて天井を仰ぎ見ながら、「わかってますよ」と答えた。

 

「わかってますよ。ジャンヌ姉さんはもちろん、オルタ姉さんだって素直じゃないけどわかりやすく『あんたを養うくらい片手間で済むんだから、変な気を遣うんじゃないわよ!』とか言って怒るのが目に見えてます。

 そう思ってくれるのは嬉しいですよ。でも、私はその優しさの裏の苦労に何も気づかないまま甘えていられるほど、もう子供じゃないんです。いっそ、気付かないでいられるほど子供の方が、姉さん孝行になったかもしれませんけど……。

 

 レオリオさん、私、思うんです。自己犠牲精神は志が尊くとも、その精神による恩恵を平然と受け取れる人に人の心はありません。それはただの略奪者です。

 その自己犠牲精神を尊いと思っていればいるほど……、その人が好きであればある程にその自己犠牲に気付いてしまいますし、恩恵なんてとても受け取れやしません。ただ、こちらも悲しくなるだけです。

 ……だから……私は…………、自分一人の力で、誰の手も借りずに生きてゆけるし、自分を犠牲にすることなく他人を助けられる……あの人のように、ジークさんのように『強い』っていう証明が欲しかったんです」

 

 レオリオが言いたかったことを全部理解した上で、だからこそあんなにも無謀なことを望んだとリリィは語る。

 オルタに対して何度も「論理的じゃない」と言って怒っていただけあって、子供とは思えぬほど論理的に彼女は自分の心情とその動機を語り尽くしてから、再び微笑む。

 

 何かを諦めたような、あまりにも寂しげな笑みでリリィは、少女は言った。

 

「けど……結局私の夢は夢どころか妄想ですよね。バカでした、私は。全然、論理的じゃない。

 ……バカですよね。ハンターは歳とか学歴とか関係なくなれるってことは、完全な実力主義の世界だってことに気付かなかったなんて……、私なんかじゃ大人になっても無理かもしれないなんてことに気付けなかった私は、本当に論理的じゃないバカです」

 

 言葉が出てこない。

「そんなことない」とリリィの諦観に満ちた自嘲の結論を否定してやりたいが、レオリオの本音としてはハンターになること自体を諦めさせたいのもある。

 本当に、ゴンのようにどうしても追い求めるものがあるのなら、キルアのように自分が今いる場所が闇だからこそ、光の溢れる世界に焦がれているのなら躊躇なくレオリオは応援できたが、この少女の志望動機はゴンやキルア、そして自分よりもクラピカに一番近い。

 

 憧れはあり、自分の意思で決めたことだが、決して本意ではない選択肢。

 姉のことなど言えないくらいに自分を犠牲にしようとしているこの少女の「夢」を応援すべきかどうかは、レオリオにはわからない。

 

 だけど、このまま彼女の諦観に黙ったまま消極的な肯定をする訳にはいかない。

 彼女自身が自分で言ったように、自己犠牲は本当に助けたかった大切な人を守るどころか余計に傷つけるものであるのは確かだが……、リリィの選択肢はきっとジャンヌやオルタの為にはならない、姉を傷つけるものにしかならなくても……それでも、姉の負担になりたくない、自分にも頼って欲しい、強くなりたいというリリィの願いそのものを否定などレオリオには出来ないし、させたくない。

 

 諦めさせたくなど、なかった。

 

 だから出てこない言葉を必死で探す。

 頭の中はもちろん、目をきょろきょろを動かして、リリィの部屋の中で何か一発逆転の言葉をひねり出すきっかけになりそうなものを探し求めて視線を動かしていた時、捉えた。

 

 リリィの部屋に面したベランダの外で、何かが落ちるのをレオリオが目撃する。

 

「え?」

 

 思わず、言葉を探すのを忘れて声に出た。

 落ちてきたものはとっさで一瞬だったので、影しか見えなかった。何かわからなかった。

 ただ、大きさだけはわかった。だからこそ、理解出来ない。

 

 空から垂直に落ちてきた何かは、目測でおそらく500mlのペットボトルぐらいの大きさだったから。

 

 ここはマンションではなく、二階建て戸建て。それも、2階だ。

 そしてこの周囲も、同じくらいの高さの戸建てが並ぶ住宅街。せいぜい3階建てくらいしかないだろう。

 だから、この家の上階から誤って何かが落下することはないし、隣近所から投げ込まれたとしてもレオリオの眼から見て垂直に落ちてくることなど有りはしない。

 

 なのに、落ちてきた。

 気のせいではなく、何かが地面に、庭に叩きつけられた音もレオリオの反応からわずかに遅れてしたので、リリィも気付いて窓の外に顔を向けた。

 

 すると、また空から何かがボタボタと落ちてくる。

 今度は注視して見ていたので、何が落ちてきたのかがわかって、だからこそレオリオは再び声を上げる。

 

「はぁっ!?」

 

 落ちてきたのは、雨のように降ってくるのは魚だった。

 魚が、どう考えても隣近所から投げ込まれているのではなく空の上からいくつも降ってくる。

 

 幸いながら魚の生臭い雨は数秒ほどで納まるが、レオリオの衝撃はもちろんまだ納まらない。

 それどころか、リリィも自分の家の庭に何が落ちてきたかを理解してあげた声でまたパニくる羽目になる。

 

「うそっ! またなの!?」

「また!? こんなの何度も起こってのかよ!?」

 

 下手したら幽霊よりも不可解で衝撃的な光景に衝撃を受けていたのに、それが既に何度かあったという事実が信じられなかった。

 しかしリリィは言葉通り、もう何度か体験しているのでこの不可解な現象を気味悪く思うより庭の掃除の大変さを思い出したのか、「まったくもう!」と可愛らしく怒りながらひとまずベランダに出て、庭を見降ろした。

 レオリオも未だに現状をよくわかってないながらも、一緒に出てリリィが誤って落ちないように支えてやりつつも、自分も庭を見降ろし、絶句する。

 

 さすがに庭を埋め尽くすという程ではないし魚も大きくてペットボトルくらいだが、それでも庭のいたるところに魚が転がり、ビチビチと跳ねている。

 その跳ねる魚を見て、あの降ってきた魚はまだ生きていたことを知り、更にレオリオの中でこの現象の不可解さが増す。

 

 いや、不可解なのは生きた魚が降って来たことだけじゃない。

 2階から見下ろせば、一目瞭然だ。

 この魚の雨は、この家だけに起こった事。庭に隣接しているお隣の庭にすら、魚一匹たりとも転がっていない。

 これはたとえば航空機の貨物が落ちてきた等の事故ではなく、間違いなくまたしてもこの家限定の怪奇現状だと確信させる光景の中、魚まみれの庭の真ん中に立っていた人物が顔を上げる。

 

 下から、ソラがスカイブルーの眼で見上げて言った。

 

「……リリィちゃん。魚好きなの?」

「はい?」

 

 脈絡があるんだかないんだかな質問に、当然リリィは困惑する。

 だが、レオリオはもう既にソラが何を意図して、どんな脈絡で尋ねたのか察することが出来るほどに彼女を知っていた。

 そして今更、思い出す。彼女が自分に与えた「忠告」を。

 

『レオリオ。“凝”を覚えたのなら「違和感を覚えたら即座に“凝”」が鉄則。

 たとえ相手が一般人の女の子でも、被害者の立ち位置でも、こんな非常識なことに関わっているんならまずは“凝”で見てごらん』

 

「この家で起こる現象の大部分は幽霊が原因ではない」と語った時、答えの代わりに与えられた忠告を思い出し、今更だがレオリオは目に力を入れ、オーラを集めてリリィを見た。

 見れば、一目瞭然だった。

 彼女はゴンやキルアと比べたらもちろん弱々しいが、普通の人間、それも子供とは比べ物にならないほど多くのオーラがほとばしり、そのオーラを身に纏っている。

 

 完全に精孔が開き切って覚醒しているのか、まだ半覚醒状態なのかはレオリオには判別がつかないが、それが異常な状態であることだけはわかった。

 

 レオリオが“凝”でリリィを見て、何に気付いたかをソラが確かめた後に彼女は庭からリリィを見上げたまま言った。

 

「『ファフロツキーズ現象』

 こっちじゃどう言うか、そもそも名前があるほどの認知度がある現象なのかは知らないけど、私のとこじゃそう呼んでる。

 本来なら空から降ってくるわけがないものが、雨みたいに降ってくる現象の事だよ。しかも、たいていその『降ってくるもの』は特定の一種に限られている場合が多い。

 

 ポピュラーなのは魚かカエル、あと石かな。落花生や別に国の通貨として流通してるコインが大量に降ってきたって事例もある。いろんなものが同時に降ってくるんなら、極地発生した竜巻とかに巻き上げられたものが落ちてきた説が成り立つんだけど、魚なら魚だけ、落花生なら落花生だけが大量に降ってきたりするから、竜巻説は無理があるんだよね。

 

 ……だからこれは、おそらくはポルターガイストの一種。もしくはテレポートの親戚、アポートが暴走してるが『念能力者(私たち)』の視点からでは定説」

 

 リリィを見上げながら、ソラはこの魚の雨としか言いようがない現象について説明する。

 そしてその説明が何を意味するのかは、レオリオはもちろん既に最低限とはいえ“念”についての知識を得ているジャンヌ達も察することが出来た。

 

 リリィだけが、きょとんとした目でソラを見下ろしていた。

 

「ちょっと待ってよ! あんたはまさか、リリィもだって言う気!?」

 

 真っ先に反応したのは、オルタだった。

 彼女はサンダルも履き忘れる勢いで庭に出てきて、ソラの胸倉をまた掴みあげて姉妹とアストルフォに叱責されるが、その叱責を無視しているのかそれとも本当に聞こえていないのか、ソラをがくがく揺さぶって叫ぶ。

 わかっている。オルタだって叱られるまでもなく、わかっている。

 

 自分のしていることは八つ当たりにすぎないことくらい。

 ソラは何も悪くない。これは、自分たち家族の問題。

 この魚の雨が、ファフロツキーズという現象が本当にリリィの仕業なら、こんな異常を起こせる力を得てしまった理由がオルタと同じく「ストレス」によるものならば、それほどのストレスを抱え込んでいることに気付けなかった自分たちが悪いことくらい、わかっている。

 

 それでも、オルタは叫ばずにはいられなかった。

 

「あんたはリリィまでも、私みたいに変な能力が目覚めてるって言う気なの!?」

「え!? これもしかして私の仕業なんですか!? やったぁっ!!」

「何で喜んでるんだ、おめーはっ!?」

 

 しかしオルタの悲痛な叫びに斜め上の反応を見せたのは、当の本人のリリィ。

 この訳の分からない現状の原因だと言われたも同然だと言うのに、驚愕や困惑ではなく何故かこの少女はガッツポーズを取って喜びだし、実の姉二人どころかアストルフォ、そしてソラまでもその場にずっこけそうな勢いで脱力させる。

 

 思わずレオリオが反射でリリィの頭をどついて突っ込んだが、幸いながら幼児虐待とも言われかねないその行動は咎められることなく、それどころかこの少し後にジャンヌだけではなくオルタからも「妹が何かごめんなさい」と謝られた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「リリィちゃんもオルタちゃんと同じ状態だね。半覚醒ってとこだから、精孔が開いたであろう原因のストレスを取り除きさえすれば放っておけても元に戻るよ」

「はいはい! ソラさん! 私、能力なくしちゃうよりもこのままコントロールできるようになりたいです!!」

 

 ひとまず全員で庭に出て、さすがにもう息絶えた魚をゴミ袋に放り込みながらソラが言うと、リリィが実に眩い煌めく笑顔で手を上げて自分の希望を口にして、オルタに「あんたはもう黙ってなさい!!」とかなり本気の拳骨を落とされた。

 

 当初から子供だからこその無邪気さで、ソラやレオリオの「不思議な力」に憧れていた節が強いとはいえ、ここまでノータイムで「自分も能力者になりたい」と言い出すのは想定外だったのか、言われたソラの方が困惑している顔でレオリオに「これはどういう事かわかる?」と尋ねる。

 幸いと言えるのかはもうよくわからない状況だが、レオリオは直前まで彼女と話していたことが心当たりそのものだったので、リリィとオルタが喧嘩、ジャンヌがその仲裁をしている隙にソラとついでになんかナチュラルに交ざってきたアストルフォにも話しておいた。

 

「うわぁ……、やっぱりリリィも気にしてたんだ。

 レオリオ、ありがとう。応援だけするんじゃなくてちゃんと忠告もしてくれて」

 

 おそらくリリィの精孔が開き、能力が暴走している原因のストレスは、「両親の急逝と、自分だけが何もできない、守られるだけの子供であるもどかしさ」であることを話せば、アストルフォは多少察していたらしく納得してからレオリオに礼を言う。

 先輩からの礼にレオリオはいつも通り照れくささを隠すために、「大したことじゃねェだろ」とぶっきらぼうに言い捨ててから、ソラに「で、どうやって説得する気だ?」と話を振れば、ソラは魚を詰め込んだゴミ袋の口を縛ってから、「説得?」と小首を傾げた。

 

「何を説得すんの?」

 

 真顔でレオリオに尋ね返すソラに、レオリオは「は?」と間抜けな声を上げる。

 彼女が何を言っているのかわからないのはいつもの事だが、これは割と今までの中でも飛び切りだと思えた。

 

 レオリオはソラの言いたいことを理解出来なかったが、ソラの方はレオリオの反応で彼が言いたかったことを理解出来たらしく、だからこそ更に首を傾げる角度を深くしてもう一度彼に尋ねる。

 その二度目の問いで、ようやくレオリオは理解した。

 

「? レオリオ、何で君はリリィちゃんの意志を無視して能力者にならないように説得しようとしてんの?」

 

 ソラの問いにレオリオだけではなくリリィを叱っていたオルタもぎょっと目を見開き、逆にオルタに叱られて不服そうだったリリィの両目が輝く。

 アストルフォは悩むように唇を尖らせ、眉間に慣れない皺を作っており、そしてジャンヌも思い悩むよう少しだけ暗い顔をしていたが、何も言わない。ソラの問いに対して答えない代わりに、非難も「何を言ってるんだ!?」と問い返しもしなかった。

 そして黙っている長姉の代わりか、オルタが「何言ってんのよ!」と再びソラに怒鳴りこむ。

 

「あんた達はプロハンターなんでしょ!? ハンター試験を受けたのなら、それがどれだけ危ないものか知ってるでしょ!?

 そんなものに、そんな仕事に妹を喜んで就かせる訳も、試験に送り出せる訳もないでしょ!!」

「! 危ないのがわかってるから、私の能力を修業してコントロール出来るようにしようって言ってるんです! 論理的な話が出来ないのなら、オルタ姉さんは黙っていてください!!」

「魚を降らせる能力なんかコントロール出来るようになってどうすんのよ!? 嫌がらせにしかならないわよ!!」

「さ、魚だけじゃないですよ! ……多分! クラゲとか貝殻だけが降ってきた時もありますし、それにポルターガイストも私の仕業ならコントロール出来たら便利じゃないですか! この前みたいに包丁を飛ばして落としてゴキブリ退治とかできるし!!」

「料理に使うものをG退治に使うんじゃない!!」

「……あの、オルタ。そろそろ落ち着いてください。叱る論点がずれてきてます」

 

 オルタのソラに対しての非難は、リリィが割って入ったことで矛先が妹に移っただけではなく、姉妹揃ってやや天然が入っている所為で妙な方向に話が転がって行き、収拾がつかなくなる前にジャンヌが止めに入った。

 ついでにオルタとリリィの口論を聞いてアストルフォがやや遠い眼で、「……っていうか、刃物が落ちてきたって話、もしかしてそれ? どうりで君たち姉妹、そんな物騒なことが起こったのに誰も危機感がほとんどなかった訳だよ」と呟き、思わずレオリオとソラも同じく遠くを眺めた。

 この家の怪奇現象は真実を知れば知る程、恐怖から離れていくのは安心していいのか脱力したらいいのか、そろそろ誰にもわからなくなってきている。

 

「……オルタちゃんの心配は身内として当然だし、レオリオが本音ではハンター志望に反対して、能力者になるのを止めたがる訳もわかるよ。

 でも、リリィちゃんの意志を無視するのは絶対に間違いだ。ハンターになりたいのなら、良い機会だからこのまま修行始めちゃうのもの悪い選択肢じゃないし、今すぐにアマチュアとして活動するとかはレオリオがもう説得して止めて、そこはリリィちゃんも納得してるんでしょ?

 それ以外に、何か説得する必要ってある? それ以上の何かしろ・するなって話は、説得じゃなくてこっちの希望や価値観を独善的に押し付けてるだけじゃん」

 

 深く考えれば何か虚しくなってきそうなので、気を取り直してソラは庭の水道で生臭くなった手を洗い、ついでにホースで庭に水をまいて魚の生臭さと潮の匂いを薄めようと努力しながら、自分がリリィの“念”の修業を反対しない理由を淡々と語る。

 その言葉は正論だった為、オルタは「うぐっ!」と唸って黙り込む。

 

 姉を黙らせたことと、自分の意思を尊重してくれたことにリリィはソラに憧れと敬意で輝く目を向け、嬉しそうに笑いながらソラに駆け寄って「ソラさん! ありがとうございます!!」と礼を言った。

 そんなリリィにソラは、淡く微笑みかけて言った。

 

「別に礼を言う事なんかじゃないよ。私が言った事は当たり前の事なんだし、なんだかんだでジャンヌさんはもちろん、最終的にはオルタちゃんもどうせ折れてたよ。

 ()()()()()()()()()()()()()、ね」

「え?」

 

 微笑みながら言われた言葉に、ソラへと駆け寄る足が止まってリリィは呆けた声を上げる。

 そしてその直後、リリィの眼が限界まで見開き、そしてソラ以外の大人たちが悲鳴のような声を上げる。

 

 ソラは、笑ったままだった。

 淡く、優しく笑ったまま、リリィと向き合ったまま受け止めた。

 

 自分の背後からダーツのような勢いで飛んできた、小さなスコップを。

 刃物のように自分のうなじあたりに刺さりかねない勢いで飛んできたそれを、振り向きもせずに掴んで受け止める。

 

「……え?」

 

 リリィはその大きな瞳を零れ落としてしまいそうなほど目を見開いて、ただそれだけを呆然と口にする。

 理解、出来なかった。

 

 ソラの背後で、おそらく庭に埋まったあの人型の紙を探している時に使っていたスコップが浮かび上がり、ソラに向かって一直線に飛んできた光景が理解できない。

 

 信じられない。

 信じられる訳がなかった。

 

 魚が降ってきたファフロツキーズ現象も、部屋の中で物が浮かんだり飛んだりしたポルターガイストが自分の能力だとしたら、これだって自分が起こした事であるという事が。

 

 自分の夢を、自分のしたい事を肯定してくれた、自分の意思を子供だからといって蔑ろにしないで尊重してくれた人を、傷つけるどころか殺しかねないような事をしたのが自分自身だなんて、信じられない。

 

 信じられない。信じたくない。けれど、信じるしかない。

 それが間違いなく自分の能力(ちから)であることを思い知らされる。

 

「嘘だ」と思いながら、ふわりと浮かび上がる庭に転がる石やじょうろ、花壇の縁にしていた赤レンガを目の当たりにして、そしてそれが破裂する寸前の風船のように、ちょっとしたきっかけでソラに向かって銃弾のごとく一斉に撃ち出されてることを理屈なく感じ取りながら、リリィの唇からこぼれた言葉は「……何で?」だけだった。

 

 自分の能力(ちから)であることは嫌になるほど思い知らされているのに、何故こんなことが起こるのかをリリィが一番理解出来ていない。

 

「私は全く気にしてないから、そんな顔しなくていいよ」

 

 血の気を一気に引かせて、唇を戦慄かせて硬直するリリィにソラは微笑んだまま、掴んだスコップを地面に落として言った。

 幸いながら、そのスコップを掴んだ手にも傷はない。だがそれはソラが優秀といえる能力者だったからこそ、飛んできたスコップを受け止める際に手に“凝”を施していたからであり、ただ普通に掴んで受け止めるだけではおそらく指が何本か切断されていただろう。

 

 それほどの凶悪な勢いで飛んできたのに、そして今も庭先にあるものが凶悪な銃弾となって今にも発射を待っているような状況だというのに、ソラに「逃げろ!」と言うべきなのかリリィをどうにかすべきなのかもわからず、リリィと同じくらい顔面蒼白で何もできない、何を誰に言えばいいのかもわからないまま棒立ちするしかない他の者たちとは違い、ただソラだけは場違いな程にこやかに笑って、優しい声音でリリィに伝える。

 

「……君のポルターガイストは、オルタちゃんのドッペルゲンガーと同じ君の抑圧された感情、ストレスそのものとそれに伴う願望だ。

 だから、君が私に攻撃を仕掛けたのは君の本音であることは間違いない」

「違う!!」

 

 ボロリと両目に溜めていた涙を零し、リリィはソラの言葉に被せるように否定する。

 宙に浮かぶ石などはまだソラに向かって撃ち出されなかったが、宙に浮かんだままその場でグルグル勢いをつけるように回転しているのが、ソラの言葉を肯定しているようにしか見えなかった。

 

 それでも、リリィは自分の頭を両手で掻き毟るように乱しながら叫ぶ。

 

「違う! 違います!! 何で私がそんなこと……だって、私本当に嬉しかったのに! 反対せずに……応援してくれたことが嬉しかったのに……、ソラさんのこと、面白くて優しくて楽しい人だから好きだなって思ってるのに……なのに……何で……」

 

 ソラの指摘に対する否定が徐々に、自分自身に向ける疑問になってゆく。

 そのリリィの悲痛なまでの疑問に答えたのは、やはりソラだった。

 

「それも、本当。疑ってなんかいないよ。

 リリィちゃん。本音と本意は別物だ。君は、私の言葉が嬉しかったけど、けれど私の言葉はきっと君の本意には沿わないものだったから不満だったのも本当で本音。

 ……そして、その本音が癇癪を起して暴走しているのが『今』なだけ。

 

 大丈夫。わかってるよ。だから私は、怒ってなんかないし気にしてない。

 君が私に『怪我しちゃえばいい』と思ったのは本音かもしれない。でも、それはちょっと苛立っていたらつい思ってしまうようなもの。本来なら表に出ることなんてなかった、本意なんかじゃないし悪意とも言えない、ちょっとしたストレス解消の空想ぐらいだったことくらい、わかってる」

 

 優しく、リリィの「違う」を否定しながらも、リリィの信じて欲しいことを肯定し、リリィが「嘘だ」と否定したいものを否定してやる。

 決してリリィに悪意があった訳ではない。これは心のタガが緩んでいる今だからこそ溢れ出して暴走している、言ってみれば心の幼子が癇癪で手当たり次第にものを投げつけたのと同じだと言ってやる。

 

 無実とは言えなくても、「ごめんなさい」と謝りさえすればそれで終わることだとソラはリリィに言ってやる。

 

 ……なのに、石やレンガは相変わらず宙に浮かんでいる。心なしか回転がまた更に速くなっているようにも見えた。

 そのことにリリィ自身も気付きながら、彼女は泣きながらオロオロと狼狽える。

 

「な、何言ってんのよ! もう黙りなさいよ!

 わかったから! あんたがリリィを心配してくれてるのも、リリィが気を病まないようにしてくれているのもわかったから、これ以上リリィを刺激しないで! あんたが怪我したら、それこそリリィは一生気を病むんだから大人しくしておきなさいよ!!」

 

 オルタは顔色が蒼白のまま、ソラに向かって泣き出しそうな声を上げて訴える。

 それは彼女の今までの言動と比べたら、妹はもちろんソラにも傷ついて欲しくないからこその叫びであることを、あまりにも素直に表した悲鳴だった。

 

 アストルフォは唇を真一文字に結んだ顔でじわじわとソラの元に近づこうとして、レオリオに肩を掴まれてそのまま後ろに放り投げられた。

 能力者でもないくせに、その外見に反した男らしさを発揮して、いざという時は自分がソラの盾になろうとしてことなど、同じことを思っていた後輩にはお見通しだった。

 

 そして、ジャンヌは――――

 

「リリィ」

 

 末妹の傍らに目線を合わせるようにしゃがみこんで、彼女は言った。

 

「海に行きましょう」

 

 ソラと同じように、どこまでも穏やかに、優しく微笑んで彼女はそう言った。

 

 * * *

 

 ジャンヌのあまりに唐突で脈絡がない提案に、思わず全員が、ソラも軽く目を見開いてポカンと提案してきたジャンヌを見る。

 だが、ソラはすぐにまたジャンヌと同じ微笑みを浮かべた。

 

 オルタが数秒の間を開けて「あんた状況わかってる!?」と怒鳴るが、ジャンヌを引っ掴んでリリィから引き離す前にアストルフォがオルタを後ろから羽交い絞めして止める。

 

「!? 何すんのよ!?」

「オルタ、落ち着いて! よく見て! ()()()()()()()!!」

「「!?」」

 

 止められたオルタがアストルフォを振り払おうともがきながら怒鳴るが、オルタより小柄なのに懸命に彼女を押さえつけながらアストルフォは浮かび上がる石やレンガの回転が緩まっていることを指摘し、オルタだけではなくさすがにどう動くべきかわからなくなって固まっていたレオリオも驚愕させる。

 

 アストルフォの言う通り、石は相変わらずソラを包囲するように浮かび上がり、回転自体もまだ止まっていないが、その回転は惰性のようにゆっくりなものに変化している。

 明らかに、ソラに向けられた攻撃性が薄まっている。

 

 それは、あまりにも突拍子のない提案にリリィの毒気が抜かれたからだと思ったが、そうではない。それだけではない。

 決して何の脈絡もない突拍子のない提案ではないことを、周りが少し落ち着いたのを見計らって続きを語ったジャンヌの言葉で、オルタもレオリオやアストルフォも理解する。

 

「……リリィ。この庭に降ってくるものは、ほとんどが魚でしたね。それも、淡水魚ではなく海水魚でしたね。ここは大陸の内陸部だから、生きた海水魚なんて簡単には手に入らないのに。

 そして……魚だけではなくクラゲやヒトデ、綺麗な貝殻やビーチグラスらしきものも降って来たことがありましたね。

 

 ……降って来たものはいつだって、全部『海のもの』でした。

 リリィ。あなたはずっとずっと私たちに訴えかけていたんですね。『海が見たい』と。海を見たことがない私たちに……両親にも『海を見せる』と約束していましたもんね」

 

 ジャンヌの言葉に、「あ」と声を上げたのはアストルフォだった。

 思い出した。

 

 今から二年ほど前。自分がリリィに「トナカイさん」と呼ばれるきっかけの出来事を。

 

 真面目さとどこか抜けているというかずれている天然さ、そして暴走機関車な所のあるリリィは2年前、何故か本気でサンタクロースに憧れたのと、「賢者の贈り物」という物語にやたらと不満を覚えたという訳のわからない経緯で、公園で友人たちに全く空気を読まず「お勉強セット」をプレゼントとしてほぼ押し売りのように無理やり渡し、友達の方も無理やりクーリングオフしようとしているカオスな現場をたまたま見かけたアストルフォが、その仲裁に入った。

 

 そして和解案として友達がサンタ・リリィに望んだのは物ではなく「海を一緒に見に行こう」というものだった。

 

 ジャンヌの言う通り、ここは大陸の内陸部。沿岸部に行くまで飛行船を使っても丸一日は掛かるので、大人でも海を一度も見たことがない人間はさほど珍しくもない。

 けれど大昔ならともかく、海に面している地域より割高とはいえ海鮮は流通しているし、川や湖もプール等などの水遊びのレジャー施設も普通に存在している現在、海に対して憧れを持つ者など今どきほとんどいなかった。

 

 リリィだって、憧れなどなかった。むしろ、冬の海など見るだけで泳げないのだから何の意味があるのかわからなかったくらいだった。

 それでも、友人が望んだから。友人に喜んで欲しいと思ったから。アストルフォが「きっと気に入るよ」と言ったから。

 

 だから、親や姉にも内緒でアストルフォを巻き込んでと言うよりアストルフォを主犯とした、家出じみた海までの冒険に繰り出した。

 

 そこで、リリィは海を見た。

 泳げないし、天気も悪かったので海の色は灰色で波も高くて荒い、お世辞にも綺麗だなんて言えない海だった。

 

 それでも、それでもリリィにとってその海は――――

 

「あ、ああ……あああ……。

 うぁぁぁああああああああ……!! ああああああああああああああああ!!」

 

 涙が溢れ出る。

 ソラに「違う」と否定した時は比べ物にならぬほどの、滂沱の涙をリリィは零して、その場にぺたりと座り込んで泣き崩れた。

 

 そんなリリィをオルタとレオリオは訳も分からず呆気に取られながらただ泣き崩れるリリィと、何かに気付いて納得したような声を上げたアストルフォを見比べる。

 アストルフォは二人の視線に気づかぬまま、「そっか……。そうだったんだ」と泣きじゃくるリリィを見つめながら苦笑していた。

 それは、こんなにも簡単なことに気付けなかった自分を悔やんでいるようにも見えるが、それ以上に何かに安堵したような晴れやかな苦笑だった。

 

 ジャンヌは座り込んで泣きじゃくる妹を抱きしめる。抱きしめ、慈愛の微笑みのままその背を宥めるように優しく撫でて語る。

 リリィがあの日、得たものを。

 自分の意思で、けれど自分の本意ではない意志で捨てようとしていたものを拾い上げて再び妹に渡してやる。

 

「リリィ。ワガママなんかじゃないんですよ。また海が見たいと望むことは。私たちと海が見たいと思ってくれることはワガママなんかじゃないんです。

 私たちだって、見たいのですから。見たかったのですから。

 両親と、見たことがない海を……、冬の厳しくて荒れ狂う海だけではなく、夏の海だって見たかったのは同じです。それは間違いなく……あなたの夢だけではなく、私たち『家族』の夢です」

 

 リリィの捨てようと思っていた「夢」を、自分も持っていると言ってやる。

 持ち続けることは悪いことではないと教えてやる。

 

 想像とは違った。もっともっと幼い頃に絵本やテレビで見た、綺麗であたたかな海とは違うものだったけど、友達と冒険しながら辿り着き、そして見たあの海の壮大さにリリィは、今と同じくらい泣き崩れたから。

 友達だけではない、それは、「海が見たい」という夢はいつしかどこかに置き去りにして忘れてしまっていた自分自身の夢でもあったことを思い出したから。

 

 夢が叶った瞬間が、決して忘れられなかったから。

 

 だから、帰ってきてしこたま両親にも姉二人にも叱られたが、それでもリリィは言った。

「海が見たい」と。

「みんなにも海を見せてあげます」とドヤ顔で言い放った時は、もはや反省していないのかと怒る気も全員消え失せて笑ってしまった。

 

 反省していないのではなく、それほどに色褪せない大切なものだったことを家族は皆、理解していたから。

 それほど掛け替えのないものだったからこそ、家族にも与えたいとリリィは思ったからこそ言い出したことを皆、わかっていたから最終的には笑って約束した。

 

 いつか必ず、今度は家族みんなで見に行こうという約束を交わした。

 

 けれど、その約束はもう叶わない。

 家族は二人……両親が欠けてしまった。

 

 リリィは、言えなかった。

 両親に叶えることが出来なかった、渡せなかった贈り物。「海を見に行こう」という約束を、姉二人ともう一度交わすことは出来なかった。

 元から歳よりも随分としっかりしており合理的な考えや行動が好きな子だったのが、両親の急逝という現実がその側面を強め、彼女はその夢を、約束を「無意味」と判じて捨ててしまった。

 

 海なんて見たければジャンヌもオルタも自分の意思で勝手に見に行ける。

 だから、そんなことに時間や労力を割くのは自分一人だけではなく、姉二人にとっても無駄であり無意味。

 そんなことをしている暇があるのなら、もっと他に何か実用的なことを探して努力や実行した方が良い。

 

 そんな風に思って、捨てたはずの「夢」だった。

 捨てるべきだと思った「夢」だった。

 

「私にはその『海』が君にとって何を意味しているのかはわからないけど……、リリィちゃん。これだけは言えるよ」

 

 ジャンヌの腕の中で泣きじゃくる、泣きながら訴える。

「海が見たかった……! ずっとずっと私は、海が見たかった!!」と、断腸どころか自分の魂を切り裂いて抉る思いで捨てたものを、泣きながら叫ぶリリィにソラは微笑んで告げる。

 

 彼女が抱え込んでいたものは、間違いである。そんなものは抱え込まなくて良かったと教えてやるために、彼女が思い込んで間違えているものを指摘した。

 

「リリィちゃん。『夢』は大人にならなくても叶うんだ。

 君がなりたいと言ったハンターに、間違いなく子供のままなった子を私は知ってる。そして私やレオリオは、その子に何度も助けられた。その子が子供だからこそ、救われたことだってある。

 だから、良いんだよ。大人にならなくても。君は、君の夢は、大人にならなくちゃ叶わないものなんかじゃない」

 

 ゆっくりと、惰性で回っていた石やレンガの動きが止まる。

 

 一つ、二つと宙に浮かんでいたものが、「怪我してしまえばいい」という癇癪は本音だろうが、決して本意ではなかった攻撃性が完全に鎮火して、浮かび上がっていた物は全て糸が切れたように地面に落ちてゆく。

 

「リリィちゃん。君の心から溢れ出たストレスは、『大人にならなくちゃ』という焦りや子供であることのもどかしさじゃない。それもあるだろうけど、一番はそれじゃない。

 まだ子供でいたい。子供だからこそ、子供でないと叶えられない願いが、夢があるから、その夢を叶えたいからこそ、君は私が反対しなかった、むしろ大人扱いして応援したことが気に入らなくて癇癪を起してしまったんだ」

 

 リリィのポルターガイストによる包囲が崩れたことで、ソラは足を踏み出して歩み寄る。

 そして彼女もその場にしゃがみ込み、リリィの頭に手を置いてあまりにも簡単な結論を与える。

 

「ゆっくりと、大人になりなさい。

 君の夢は子供のままでも叶うから。物語のような冒険も、君の大好きなお姉さんたちの力になることも、それは大人じゃないと出来ない理屈なんてない。

 

 何より、君は既に知っているはずだ。

 夢や願いが叶うという事、そしてそれが叶った時の喜びを知っているからこそ君は……、どれほど遠く離れていても引き寄せたんだ。

『海を見せる』という約束を果たすために、ジャンヌさんとオルタちゃんに海を見せたかったから、一緒に海を見たかったからこそ、君はここに『海』を何度も何度も引き寄せたんだろう?」

 

 ジャンヌに抱き着きながら、しがみつきながらソラに頭を撫でられ、「子供のままでいい」と言われた、「子供のままでも夢は叶う」と言われたリリィはまだジャンヌにしがみついてしゃくりあげ続ける。

 

 それを見ていたオルタが、乱暴に自分の頭を何度か掻き毟り、深い溜息を吐いてから彼女もツカツカと妹と姉の元にまで歩み寄る。

 そして、姉に抱き着いて泣きじゃくる妹に向かって言い捨てる。

 

「バカじゃないの、あんたは。貝殻やビーチグラスなら、降って来たものに当たって怪我でもしない限りはまぁ綺麗ってなるかもしれないけど、魚やクラゲが降ってきて海に憧れたり、行きたいって思う? むしろトラウマになるわよ」

 

 オルタの正論だが泣きじゃくる妹に向かって言うべきではない発言に、リリィはジャンヌに泣きついたまま小さな肩をびくりと震わせた。

 ジャンヌやソラは何も言わない。レオリオやアストルフォもだ。

 

 もうこの次女がどれほどひねくれて色々とこじらせているかなど、色んな意味でいっぱいいっぱいで余裕のないリリィ以外は皆わかっているから、誰もオルタの言葉に叱責しない。

 けれど早く続きを言ってやれという目で見るので、オルタはやや赤らんだ顔でそんな眼で見る4人を見渡して睨み付けてから、言ってやる。

 

「…………けど、期待値が最低になってしまえば案外、入れもしない冬の海でも楽しめるかもしれないわね」

 

 素直さが欠片もないのに、あまりにもわかりやす過ぎて微笑ましく思われている自覚があるのかどうかは不明。

 オルタの、面倒くさい前置きにリリィがようやく、涙でグチャグチャになった顔を上げる。

 その顔を見てオルタがやっぱり、「ひっどい顔ね」と言わなくていいことを言いながら、彼女は笑う。

 

 表向きは、オルタだけが言い張って誰も信じない言い訳としては、「妹の顔があんまりにも酷くて笑えたから」という理由で、長姉とそっくりな慈愛に満ちた笑みを浮かべてオルタは末妹に手を差し伸べた。

 

「私の海への憧れを台無しにしたんだから、責任を取りなさい」

 

 リリィの夢を叶えてやるのではなく、自分の夢だと言ってオルタもリリィが捨てようとしていた夢を拾い上げて差し出した。

 

 その差し出された夢に、オルタの手にリリィは少しはマシになっていた涙をまた溢れ出して、泣きながら、しゃくりあげながら、それでもリリィは喉の奥から言葉を絞り出して手に取った。

 

 

 

「――――はいっっ!」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「じゃ、とりあえずこれ捨ててくるね」

「あ、すみませんがおねがいしま……じゃない!!

 ちょっ、ソラさん! いいです、私がやりますから! というかソラさん生ごみ置き場の場所知ってるんですか!?」

 

 リリィが泣くだけ泣いて少しスッキリしたのを見計らったのか、ソラはリリィが無自覚で引き寄せて降らせた魚が詰まったゴミ袋をサンタクロースのように抱えて、そのまま出て行ってしまう。

 あまりにもナチュラルに抱えて出て行くので割と全員がスルーしてしまったが、ジャンヌが途中で客相手にさせることではないと気付いて、彼女もそのまま追いかけて出て行く。

 

 それを見送る4人は、「何であの二人はあんなにあっさり、空気の切り替えが出来るんだ?」と心底呆れた目で見ていた。

 レオリオやオルタ・リリィ姉妹から思われるのは良いとして、アストルフォからもそう思われるのは、多分ソラとジャンヌにとってかなり心外だろう。でも、心外に思う資格は二人にはない。

 

「……何て言うか、ソラさんって色んな意味で凄い人ですね」

「……気を遣わなくていいぞ。端的に、『何考えてるかわかんねぇ』って言っていいからな」

 

 泣きじゃくって真っ赤になった目をこすりながらリリィが言うと、レオリオがリリィの包んだオブラートを無情にもはがし、リリィを気まずげに苦笑させた。

 

「けど、今度こそ一件落着だね!!

 レオリオに相談して良かったよ! ありがとうレオリオ!!」

 

 何とも言えない空気を払拭する為か、それとも思ったことを素直に口に出しただけか、アストルフォが輝く笑顔でこの家の解決を喜び、レオリオはやっぱり「俺に礼を言う必要ねーだろ」と言いながら、リリィのポルターガイストでグチャグチャになった庭を地道に直し始める。

 そしてリリィは、「あれ? 家の中にまだお化け残ってるんじゃなかったっけ?」とオルタの時のジャンヌと同じく水を差し、オルタに「何でこういうところばっかり、あいつに似てんのよ!」と八つ当たりされたことで毎度おなじみの喧嘩が勃発し、ジャンヌが不在なのでアストルフォが代わりに仲裁に入る。

 

 それをレオリオは花壇のレンガを直しながら眺めていた。

 そして、ふと思い出す。たぶん、同じ様な場所で同じような体勢だったからこそ、記憶が呼び戻された。

 

 ソラは、この庭でこの家が幽霊のたまり場となっていた原因の紙を探していた時、言った。

 

『霊のたまり場になった原因はこれだけど、これは本来ここまで効果あるもんじゃないよ。これがパワーアップした元凶は別にある』

 

 その発言を思い出して、気付いた。

 

(……あれっ? ……あの紙の効果がパワーアップした原因って、判明してたっけ?)

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 自分が持って行くと言ったが、ソラが渡そうとはしなかったので仕方なしにジャンヌがゴミ捨て場まで先導して、生魚が詰まったゴミ袋をゴミ捨て場まで持って行き、一緒にカラス対策のネットを張る。

 

「明日がちょうど生ごみ回収日で助かりましたよ」

「冬だからマシだけど、この量をしばらく庭先とかに置いとくのはきついよね。食べるのも何かあれだし。

 リリィちゃんも、自分でしておいてなんだけど何でよりにもよって生魚? って思ってそう」

 

 ゴミのネットを張りながら、ジャンヌとソラはそんな他愛のない雑談を交わす。

 雑談と同じテンションで、ジャンヌは訊いた。

 

「……ソラさん。()()()()()()()?」

 

 ジャンヌの問いに、ソラは「何が?」と尋ね返しはしなかった。

 彼女もまた、雑談と同じテンションで答える。

 

「あなたに責任や非はないよ。だから、ないもんを勝手に一人で背負い込むのは間違い。妹さんを悲しませるだけだからやめなよ」

 

 自分の事を盛大に棚に上げた忠告に、ジャンヌは苦笑する。

 もちろんジャンヌはソラが自分を棚上げしていることなど知らないし、気付いていない。

 彼女の苦笑は、ソラの忠告がなかったらまさしくしていたことの図星を突いていたからこその苦笑だ。

 

 だからソラもちょっと仕方なさそうに苦笑しながら、言葉を続ける。

 

「責任や非はない。あなたは被害者だ。

 でも、()()()()()()()

 

 言いながら、断言しながら視線を下に向ける。

 ジャンヌの足元の、彼女の影に明度を上げたスカイブルーの眼を向けて、苦笑がやや感心混じりの呆れ顔になる。

 

「……まったく、3ヶ月どころじゃないし、あなたに限ってなら被害は家の中限定じゃなかっただろ? 下手したら、両親が亡くなる前からじゃない?

 あ、ご両親の事故と『それ』に因果関係はないよ。関係あったら、オルタちゃんやリリィちゃんだって無事じゃすまないから」

「そうですか。良かった……。それがわかっただけでも何よりです」

 

 思わず率直な感想を零してから、彼女の不安を煽る発言だったことに気付き、ソラは慌てて「両親の事故死は純粋な事故で無関係」と断言する。

 その断言にわずかだが強張っていたジャンヌの表情が解れ、穏やかに彼女は微笑んだ。

 

 ジャンヌの微笑みと発言に、ソラはまた感心と呆れが入り混じった顔になり、もう一度率直な感想を零す。

 

「……無関係だけど、本来ならとっくの昔に元凶になって一家全滅しててもおかしくないもんだよ、『これ』は。ジャンヌさんのメンタル、鋼どころかオリハルコン製?

 

 いやマジで、どうやったら耐えられんの?」

 

 言いながらもう一度、ジャンヌの足元を、ジャンヌの影を見る。

 

 ジャンヌの影から、どろりとした何かがいくつも這い上がる。

 枯れ枝のように細く、そして異様に長い手がコールタールのように粘着質な液体をしたたらせながら、ジャンヌの足に絡み付き、這いあがろうとしている。

 そしてその腕に滴る液体から発せられる気泡から、何かが聞こえる。

 

 いや、それは気泡ではない。

 小さな小さな口がいくつも生まれては、どろりとした液体に塗りつぶされて消えてゆく。

 その消えるまでの短い時間に、呼吸よりも優先して吐き出すのは呪詛。

 

 いくつもの口が全く違う声で別々の事を好き勝手喚き続けているので、意味のない耳障りな雑音じみているが、少し耳が慣れて何を言っているのか聞き取れるようになってしまった方が最悪だ。

 その口は全て、例外なくジャンヌを呪っている。

 それも、明らかに妬み嫉みの類。一方的に羨んで、彼女の何もかもを貶める悪意が凝縮された言葉をそれらは、永遠と飽きることなく喚き続けている。

 

 無関係のソラでもひたすらに気分が悪くなる呪詛を喚く口と、それほど呪っておきながら縋り付くように絡み付く、いくつもの腕をジャンヌも見下ろし、そして彼女は困ったように笑い、ソラは思わず慄いて若干顔が引き攣った。

 

 

 

 

 

 その反応は、ジャンヌにも「それら」が見えているし聞こえている証明に他ならなかった。

 自分の不幸をひたすら望む「悪意」そのものにすら、彼女は憐れむように、救われることを望むように笑ったのだ。





以下、本文で書く機会を見失った設定。

・2年前にやらかした「2代目はオルタちゃん」的な出来事でプレゼントの押し売りとクーリングオフの攻防戦を繰り広げた友達はナーサリーとありす。
この世界線だとジャックが友達は残念ながらあり得ないので、マスターの方を持ってきました。

・リリィとナーサリー達を海に連れて行くためにアストルフォが使った移動手段は、アストルフォが子供の頃に拾ってからずっと可愛がってるのペットのヒポグリフ(たぶん、暗黒大陸出身)。
ハンターの世界観なら、ペットでもいけると思った。

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