死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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129:「直死」と「魔眼」

 狂ったような哄笑。

 あまりにも残酷な所業。

 他者の眼を奪うなどという、あり得ない異能。

 

 それら全てクラピカが見た事のないパイロであり、5年前と変わらぬ容姿という点も考慮すれば、考えられるのはただ一つ。

 

 このパイロは、クラピカの親友であるパイロではない。

 おそらくは念能力によって作られた、偽物だ。

 

 そんなこと、わかってる。もっと前から、初めから、5年前と変わらぬ姿という時点で気付いても良かったのに、気付くべきだったのに……

 

 それでも、クラピカは信じられなかった。

 

 狂ったような哄笑を上げ、自分を救ってくれた人を傷つけ、奪ったその眼でこちらを見ている彼が、偽物のはずのパイロが……あまりに悲しげに笑っていたから。

 泣き顔のような笑顔なんて、見た事などないのに。そんなにも悲しげに、彼が笑っていたことなどないのに。

 

 それなのに、その笑顔だけは間違いなくパイロのものだと思えた。

 偽物だなんて、思えなかった。

 

 * * *

 

 偽物だなんて思えなかった。

 何かの間違いだと叫びたかった。

 悪夢なら今すぐに覚めて欲しかった。

 

 けれど、クラピカは選んだから。

 たとえ夢であっても、選んだから。

 伸ばした手が掴む人、守ると決めて選んだ人をクラピカはきつくきつく抱きしめて、深紅の瞳で目の前の少年を睨み、激しくなる雨音にかき消されぬよう叫んだ。

 

「お前は……、お前は、パイロじゃない!!」

 

 少年は、パイロの姿をした「何か」はクラピカの言葉に傷ついたように目を見開く。

 その顔にまたクラピカの胸の内が酷く痛み、否定しておきながら「パイロ!!」と叫びかけた。

 叫んで、手を伸ばしそうになる。

 

 だけど、クラピカの腕は2本しかないから。

 その2本の腕を、誰に、何のために使うかを決めたから。

 その為に、切り捨てたから。

 

 だから伸ばしかけた手を堪えるように、またさらに力を込めて、腕の中のソラを抱きしめて泣きながら叫ぶ。

 

「お前は……パイロじゃない! お前がパイロである訳がない!!

 パイロが……私の親友が……こんなことをする訳がない! ソラを傷つける者が、パイロであるはずがない!!」

 

 彼が自分の親友ではない、パイロではない根拠を叫ぶ。

 認める訳にはいかない。

 

 なのに、「パイロではない」はずの少年は、どこまでもクラピカの記憶通り、「パイロ」らしく傷ついた顔をして、クラピカに迷いと後悔を刻み付ける。

 

「僕だって本当はこんなことしたくない……」

 

 やや顔を俯かせ、悲しげに少年は呟く。

 いつしか手にした二対の木刀……、クラピカも“念”を習得する前は使っていたクルタ独特の剣術に使う、ヌンチャクの様に柄の先が紐で繋がったものを構えて、どこまでもパイロらしい表情と言葉で、パイロらしくない行動を取る。

 

「でも……どうにもならないんだ。……ごめんね」

 

 謝罪しながら、パイロはソラを抱きかかえたままのクラピカに向かって駆け出す。

 足が不自由だったはずなのに、その動きはどこまでも軽やかだった。パイロであるはずのない根拠をまた、突き付けられる。

 

 なのに、それでもクラピカの心のどこかで、未練がましく叫んでいる。

「どうして?」と。

 

 パイロでないのなら、考える必要のないことを。

 こんなことをする理由など知る必要ないのに、それでも何かの間違いだと思いたくて、そんな未練が抱えるソラ以上の重荷になって動けない。

 

「ちっ! 何、呆けてやがるんだ!!」

 

 動けないクラピカとソラに代わって、レオリオが飛び出して来て持っていた鞄を振り回し、パイロの木刀を弾いて防ぐ。

 いや、防いだように見えてパイロは木刀でレオリオが振り回した鞄の衝撃を受け流して逃がし、同時にレオリオの懐にもぐりこんだ。

 

 そして、彼はレオリオを見る。

 蒼天の、スカイブルーの両目が見開き、レオリオのがら空きの脇腹ではなく彼が踏み出した右足の太ももあたりに視線をやって、そこへ振るった木刀が当たる直前……

 

「ガンド!!」

「!?」

「うおっう!?」

 

 レオリオの足をギリギリ避けて、ソラの飛ばしたオーラ弾であるガンドが飛んで来て、今度こそ予想外の攻撃に木刀が弾かれる。

 そしてそのまま、ソラは左手で未だに自分の両目を抑えつつも、右手でガンドを連発する。

 

 見えてないから、それとも余裕がないからかレオリオに対して配慮が全くない連射な為、レオリオからかなり切実な悲鳴を上がる。

 幸いながら、激しく降り注ぐ雨のおかげで“凝”をしていなくても普段は不可視だが物質化しているガンドが飛んでくる軌道が見えるため、レオリオは嫌がらせとして優秀なソラのガンドを何とか全弾避け、パイロも接近を諦めて後ろに跳んで距離を置く。

 

「ソラ! もういい! 無理するな!!」

 

 自分の所為で彼女にとっておそらく、死の次くらいに最悪な事態に陥らせながら、何もできずにいる自分を殺してやりたいと思いながらも、クラピカはソラに懇願の様な声を上げて止める。

 だが、ソラはクラピカの言葉を無視して、荒い呼吸の合間にレオリオに向かって怒鳴った。

 

「っっの、バカ野郎!! 近……づくな! その子は……()()()を持ってるんだぞ!!」

「「!?」」

 

 言われて、クラピカとレオリオは一気に顔色を変える。

 ソラの眼を奪われたという事実が衝撃的すぎて、そして「それ」はあまりに特異な存在故に、「ソラのだけのもの」という印象が強すぎて吹き飛んでいた、最も重要で最悪な情報をその言葉で思い出した。

 

 奪われたものは、今、偽物のパイロと思わしき少年の眼窩に納まっている、あまりに鮮やかで美しいスカイブルーの眼は、その眼の名前は――

 

「……本当、凄いねクラピカ。その人は。

 ()()()()()で、生きていられるなんて」

 

 肯定するように、パイロは悲しげな笑みのままソラを称賛する。

 しかしその声音は、称賛にしては酷く憐みが込められたもの。

 皮肉に近いニュアンスだが、皮肉すら言える余裕なんてない本音が見て取れた。

 

 それほど、彼にとってもその「視界」は、地獄めいているのだろう。

 

 だからこそ、現状が最悪極まりないことをクラピカとレオリオに理解させる。

 その最悪の中、クラピカは動いた。

 

「……レオリオ! ソラを頼む!!」

「は!? えっ、ちょっ、おい! クラピカ!!」

 

 守るように、縋りつくようにきつく抱きしめていたソラを、クラピカはレオリオに押し付けるように渡し、スカート状の腰巻の裏から久しく実戦では使っていなかった、しかし鍛錬は怠っていない木刀を取り出して構える。

 鎖は具現化しない。一番戦闘で使える肝心の中指の鎖は、少なくとも今現在の段階では使用できる条件を満たしていないので、具現化するだけオーラの無駄だと考えて、その分のオーラを自身と木刀の強化に回す。

 

 出来る事なら自分の手で守りたかった。

 信頼できる仲間とはいえ、他の者に任せたくなどなかった。

 けれど、この最悪の状況でその意地や独占欲は、最悪の事態から一直線に最悪の結末に転がり落ちるだけだと判断し、クラピカは自分が足止め役を担うと宣言する。

 

 しかし、クラピカの決断に反対の声が上がる。

 もちろんそれは、自分の未熟さを悔やむように歯を噛みしめたレオリオではない。

 

「!? クラ……ピカ……っ! たた……かうな! その子は……」

 

 レオリオの腕の中で、ソラが叫んで止める。

 だけどクラピカは振り返らず、彼女の声をかき消すように、振り切るように叫び返した。

 

「中・遠距離の攻撃手段があるのはお前だけで、そのお前が今、一番危うい状態だろうが!!

 まだ四大行をマスターしていないレオリオより、私の方がマシだ! 何より……、奴の使っている剣術はクルタ族のものだ! 接近戦でも私が一番太刀筋を理解しているから、対処が可能だ!!

 いいから! 逃げろ!!

 私も深追いはしない! 足止めに専念するから、お前たちは逃げるんだ!!」

「クラピカ! その子は君の――」

「うっせぇっ! 黙ってろ怪我人!! クラピカ! てめぇ死んだらぶっ殺すからな! さっさと来いよ!!」

 

 クラピカの言葉にソラもまだ何か反論しようとするが、レオリオがソラの口を塞いで抱きかかえて、走り去りながらクラピカに対して怒鳴る。

 その行動に感謝しつつも、クラピカに返答する余裕はない。ただ彼は真紅の眼で、目の前の「何か」と対峙し続ける。

 

 先に動いたのは、「何か」の方。

 クラピカの言葉に、青い眼のパイロが……、偽物であるはずの少年が、やはりどこまでもクラピカの記憶通りに笑って答える。

 

「やっぱり、クラピカは凄いね。あれだけでわかるんだ。

 そうだよ。クラピカと再会できた時、足手まといになりたくなくて、必死にこの武術を覚えたんだ……」

 

 5年の月日が経っても、もう誰も教えてはくれないし自分以外に使う者もいないのに、一目でレオリオの鞄を受け流し、懐に入り込んだのがクルタの武術だと理解出来たことを、彼はとても純粋そうに微笑んで、喜んだ。

 だがその笑みはまたすぐに、今にも泣き出しそうな笑みへと歪んでいく。

 

「でも……、こんな形で使わなくちゃいけないなんて……!」

 

 嘆きながら、心の底から不本意そうな顔をしながらも、少年の動きに躊躇はなかった。

 やはり足にハンデがあるとは思えぬほど、むしろ小柄な体格を生かすよう、軽やかに飛び込んできて距離を詰め、木刀を突き付ける。

 

 その突き付ける木刀の切っ先は、目や喉、みぞおちなどといった急所類ではなく、肩や腿あたりを狙っているように見えるのが、余計にクラピカの背筋に寒気と緊張を走らせ、同時に心が怒りで灼熱する。

 彼女の眼を、どれほどの絶望と狂気に耐えながら、傷つきながら、失いながらも共存してきたものを、親友の姿を使って利用することが許せなかった。

 

 彼女の眼を奪ったこの「偽物」が、許せない。

 許せない……はずなのに、それでもクラピカの中から迷いは消えない。

 

「何故、攻撃してこないの?」

 

 その迷いを、「何か」が、少年が、……パイロが見抜く。

 

 自分の攻撃を木刀で防ぎ、受け流しておきながら、一切攻撃を仕掛けてこない。

 それは、足止めに専念しているから、足止めで精一杯だから、蒼天の魔眼に警戒しているからではない、そんなの全部ただの言い訳であることを見抜いていたのは、その眼ではない。

 

 パイロだから、見抜いていた。

 

「もしかして、僕を傷つけたくないの――?」

 

「違う」という言葉は出てこない。

 そう言うべきなのに、そう言って切り捨てる為に、自分は泣きながらつい数分前に叫んだのに。

 選んだのは目の前の少年ではなく、今はいない彼女だから。

 彼女を傷つけたのが、自分の親友であるわけがないと言って、切り捨てたのは自分なのに。

 

 それなのに、クラピカの口から彼の言葉を否定する言葉は出てこない。

 かすれた、呻くような、か細い悲鳴のような声しか、出てこなかった。

 

「――――パイロ……!」

 

 否定したのに、彼は親友ではないと切り捨てたのに、もうその名で呼ぶべきではない、呼んではならないことはわかっているのに、それでもクラピカは思わず、泣き出しそうな顔と声音で呼んでしまう。

 呼びながら、声にならない声で叫ぶ。訴える。

 

『どうして――――』

 

 懇願のような、切願のような、祈りのような疑問に、パイロはやはりクラピカの記憶通り、優しくて穏やかな微笑みを浮かべ、唇だけが動く。

 

 ――――クラピカは優しいからね。

 

 声はなく、唇だけで彼は告げる。

 迷いを捨てきれなかったクラピカに出来た決定的な隙、乱れに乱れた“纏”を逃さず、彼の腹を思いっきり蹴りつけながら。

 

「かはっ!!」

 

 まだその「眼」に慣れていないからか、クラピカの胴部には狙いやすい「線」も「点」もなかったからか、それとも殺す気自体がないからなのかはわからないが、幸いながらその蹴りはただの蹴りだった。

 だが、これも狙ったのか偶然なのかはわからないが、そこは約一か月前にトモリという逃げ続けた加害者にして、憐れな被害者である少女に切り裂かれた傷口。

 

 治療は済んでいたが、元は即死しなかったのが奇跡的な程の重傷だった傷。

 そこにパイロの全体重を掛けた蹴りが突き刺さった所為で、傷口が開いて血が滲む。

 

 その血が滲む傷口に追い打ちでパイロは、木刀で薙ぎ払うように殴りつけ、クラピカの“纏”は精神的にもボロボロであるのも含めて保てず、完全に解けてしまい、クラピカは石畳の上に倒れ伏す。

 そんな彼をパイロはやはり、どこまででも悲しげな顔で見下ろしながら、優しく声を掛ける。

 

「大丈夫だよ。君にはこの『眼』は使わない。『あの人』はソラの眼を一番欲しがっていたけど、クラピカの眼も欲しがってたから……、君を殺しはしないよ」

 

 最初の蹴りはともかく、追撃でも「線」や「点」を使わなかった理由を語る。

 その発言からして、彼は自分の意思でこの凶行を行っている訳ではないことを確信するが、それはクラピカにとって救いにはならない。

 

 彼の意志によるものならば、それこそクラピカは切り捨てられた。

 彼がパイロではない、自分に対して最悪の嫌がらせで作り上げられた偽物だと確信して、何の迷いも躊躇もなく、破壊し尽くすことが出来ただろう。

 

 けれど、誰かに操られているのなら……、彼が本物のパイロである可能性がまだあるのなら、この凶行は決して彼の意志ではなく、むしろ彼の表情通り、最も本意ではない行いだとしたら……。

 それこそ、パイロにもクラピカにも救いはない。

 

 絶対に、許せない。

 

 だから、クラピカは開いた傷口から溢れ出る血よりも深く、鮮やかな緋色の眼で自分を見降ろすパイロを、その背後に潜む誰かを……、自分を、パイロを、そして彼女を……ソラを弄びながら姿を見せない卑怯者に、憎悪を込めて睨み付ける。

 

 しかし当然、クラピカの憎悪はその「黒幕」には届かない。

 ただパイロが、更に悲しげな顔をするだけだった。

 

「酷いよね……こんなの……」

 

 自分のしたことに唇を噛みしめ、もう雨ではなく涙だと確信できる雫を空色の眼から零しながら、やはり表情と言葉に全く合わない行動を取る。

 泣きながら、パイロは木刀を高く掲げる。

 

 殺す気はなくとも、無事に済ます気はサラサラない。

 おそらくは旅団がクルタ族を蹂躙と凌辱の果てに虐殺した理由と同じく、より緋色の発色を強める為に甚振る気なのだ。

 

 親友の、パイロの手で。

 

 それを理解すれば、それこそ相手の思うつぼだとわかっていても両目に熱が籠り、視界が鮮烈な赤一色に染まる。

 だけど、体は動かない。

 傷が開いたことによる痛みではなく、目の前の少年がクラピカの全てを、憎悪以外の何もかもを停止させる。

 

 動けない。

 逃げられない。

 抵抗できない。

 

 もう、親友を置いてゆくことなど、クラピカには出来ない。

 親友を傷つけることなど、初めから無理だ。

 

 切り捨てたはずのものに縋り付いて、何も出来ずにいる無力で愚かなクラピカをパイロは見下ろしながら、笑う。

 彼の弱さも慈しみ、許すように彼は微笑んで告げる。

 

 

 

「今、楽にしてあげる。……でも、これだけは信じて。

 ……クラピカは僕の一番の友達だよ」

 

 

 

 

 ――――そんなの、言われるまでもなく知っている。

 

 クラピカは唇だけでそう告げて、最後の抵抗のつもりか瞼を伏せて、真紅の両目を覆い隠した。

 

 直後、木刀が振り落とされる風切音と同時に響く。

 

 

 

 

 

「ほとばしれ!!」

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 男にも女にも聞こえる、変声期直前の子供のような、半端な高さの声音が響く。

 その直後、クラピカの閉ざした瞼の裏が白く染まる。

 眼を閉ざしていても、焼けるような閃光を感じ取れた。

 

「うあぁぁっっ!?」

 

 自分の頭部に向けて振り落とされるはずだった木刀が、肩に当たる。

 それも“纏”が解けて無防備なクラピカにとっては十分すぎるダメージだが、けれど明らかに込められていた力が緩んでいる。殴ったというより、落ちてきた程度のダメージだった。

 

「黒幕」に見せたくなくて開けるつもりがなかった瞼が、自然と開く。

 そこには、パイロが膝をついて痛みに耐えるよう、両目を手で押さえていた。

 

「クラピカ!」

 

 背後から、声が聞こえる。

 水たまりをバシャバシャと踏み鳴らし、泣き声のような声で自分を呼ぶ人に、地面に転がったまま視線を向ける。

 

(……本当に、どうしてお前はいつも、いつだって――――)

 

 動けなくなったはずなのに、何もかも、憎悪以外が停止していたはずなのに、もう諦めて堕ちてゆくしかなかったはずなのに、その声が、その姿が、その存在がクラピカの何もかもをまた掬い上げ、救い続ける。

 

 いつも、いつだって、自分が一番助けて欲しいときに助けに来てくれる人は、言った。

 

 

「バカ! クラピカのバカ!!

 君が! その子を切り捨てられるわけないだろ!! そんなのもわかんなかったのか!?

 出来もしないことをしようとすんな! そんなの、君も私も、誰も望んでないんだよ!!」

 

 

 

 レオリオが持っていたものなのか、両目に包帯を雑に巻いて、駆け寄って、言い切った。

 出来るわけなどない、と。

 出来なくて当たり前だと。

 

 クラピカがパイロを切り捨てなくていいことを、ソラは許した。

 初めからそんなことを求めていないと言って、包帯越しでも、そこにあの「眼」がなくても、それでも泣いている事がわかる顔で、クラピカを叱りつける。

 

 そんな彼女に、クラピカは地面に横たわったまま答えた。

 

「……あぁ。それに関しては、何も反論できないな」

 

 両目の緋色は、とっくに色も温度も失っている。

 泣き出しそうな顔で、泣き出してしまいそうな程、……嬉しそうにクラピカは笑って答えた。

 

「……私は、どうしようもなくバカだな」

 

 こんなにも簡単に救われるのに、あんなにも簡単に絶望して諦めた自分がおかしくて笑えたから、笑った。

 笑えたから、大丈夫だと思えた。

 まだ、諦めずにいられると思えたから、倒れても手放さなかった木刀を杖にして、起き上がろうと足掻いた。

 

 が、その足掻きは「バカ野郎!!」という怒声で押さえ込まれる。

 

「起き上がんなバカ野郎!! 何が足止めに専念するだ!! ソラの言う通り、戻ってきて大正解じゃねぇか!!」

「……レオリオ。……いつから、いた?」

「最初からソラと一緒に走って来てたわ!! いや、ソラが宝石を閃光弾代わりにした時は、巻き添えにならねーように隅に隠れてたけど、その後は普通にソラの後ろにいたわ!!

 てめーはどんだけソラしか見てねーんだよ!? お前完治したら絶対に爆発しろ!!」

 

 割と素でレオリオを忘れていたし見えていなかったクラピカが、久々に天然を発揮して素ボケで尋ね、レオリオはクラピカに最低限の止血を迅速に施しながら突っ込んだ。器用な男である。

 

 そして言いたくなる気持ちは理解できるが、その大声の突っ込みは現状では悪手。

 ソラの宝石で目くらまし、至近距離からの魔力による閃光は視力を奪うだけではなく、強烈すぎる光で痛みさえあったが、それでも自分のすぐ傍で獲物であるクラピカを連れて逃げるのを、パイロは許しても「黒幕」が許すわけがない。

 

 パイロはきつく目を閉ざして、左手で目を抑えたままだが、まだ木刀を握っていた右手でクラピカに突っ込みを決めて、自分でどのあたりにいるかを盛大にばらしているレオリオに向かって振り下ろす。

 

 が、その木刀は容易く受け止められた。

 躊躇なく木刀を素手で掴み、そして言った。

 

「どうしたの? まさか、()()()()()()()()?」

 

 その声に、ゾッと背筋に寒気が走ったのはパイロだけではない。

 レオリオやクラピカでさえ、例外ではない。きっと、パイロを通じて見ているであろう「黒幕」も同じ。

 だからこそ、パイロは武器である木刀から手を離してそのまま大きく後ろに跳び、距離を取る。

 逃げの体勢に、入った。

 

 そんな彼を、ソラは()()()()

 

 抉られ、奪われ、そして今は包帯で覆われた目で、完全にパイロの動きを把握して、その顔は彼の動きに合わせて動く。

 

「……パイロ。君にこんなことをさせてる『あの人』に伝えろ」

 

 ソラは、パイロに目を奪われる直前と同じように、「いいよ」と応じ、そして「耐えられるのなら」と宣戦布告した時と同じように、凄絶に笑って告げる。

 

「『魔眼』と『直死』を一緒にするな。

 パイロ、君は生き物の『線』しか見えてないだろ? 物には見えないし、たぶん君自身の『線』も見えない。そして、生き物でも『点』は見えないし、視力を失くした程度で同じように何も見えなくなるんだろう?

 ……はっ! 君自身が持ってるんなら()()()()で良かったけど、『黒幕』がその程度で喜んでいるようじゃ、さすがに取られた甲斐がないな!」

 

 ソラの言葉に、パイロはまだ目を閉ざしたままだが目から手を離して、やや呆けた顔で「……え?」と、顔と同じく呆けた声を上げる。

 言われて、クラピカとレオリオも気づいたのか、目を見開いた。

 

 パイロは、レオリオの振り回した鞄を木刀で受け流して、懐に入り込んだ。

 あの眼に慣れていなかったから出来なかったとも考えられるが、ただがむしゃらに振り回していたからこそ、太刀筋も何もなくて予測不可能な動きの鞄を受け流すだけの技量があれば、……『見えて』いたのなら出来たはずだ。

 

 レオリオが待つ鞄の『線』に木刀を突き刺し、切り裂くことくらい。

 むしろその眼の威力を試すためにも、やらない方が不自然だ。

 

 そしてソラは、視力が低下しても、視力を失くしても、失わない。失うことが出来ない。

 だからこそ、彼女はこの世界に流れ着いてまず最初にその眼を抉ることなく、現在に至った。

 

「……その眼は私から離れた時点で……私の脳から離れた時点でそれはもう、『直死』じゃない。私は脳で『死』を知覚して、それを視覚情報として捉えているだけだ。『直死』という力の起点は、眼球じゃなくて脳なんだよ。

 だから今、君が使っている眼は、強力すぎる磁石の所為で、鉄に磁力が帯びているようなもの。お情け程度に焼き付いた、『直死』の名残の『魔眼』」

 

 先程までの狂気が滲み出る笑みとは打って変わって、今度は淡々と「直死」について語り、教えてやる。

 本当に「黒幕」が「直死」を欲したのなら、それはあまりに無駄で無意味なことだったと告げてから。また彼女は笑う。

 

「……パイロ。君が見てるものは『死』じゃない。それはきっと、『命』そのものだ。その『線』を使えば、生き物限定でなら私の『直死』と同じような効果が期待できるけど、本質はかなり違う。同じなのは上辺だけで、『それ』で切り裂いても、終わりはしない。

 ――――大丈夫。君の視界は、『死』に溢れてなんかいない」

 

 今度は、クラピカに向けて語るように、パイロに向けて穏やかに笑って教えてやった。

 彼が恐怖そのものの声を上げた視界は、決して世界の綻びそのものではない。

 綻びがあっても、それでも生きている証そのものであったことを教えてやる。

 

 その言葉に、笑みに、クラピカの「敵」に対しての殺気や憎悪はもちろん、敵意すらない。

 ソラは、ただ当たり前のように接する。

 

 パイロを、クラピカの親友として扱い、接した。

 

「――――お前は、本当にどうして……」

 

 レオリオに手当てをされて、いつでも逃げ出せるように担がれながら、クラピカは呟いた。

 その呟きを最後まで言わせず、レオリオは呆れきったように代わりに言う。

 

「おめーのことが、大好きだからだろうがよ。……お前が守りたいもの、取り戻したいものを全部諦めないで、守ろうとするのは。

 わかってない訳ねーのに、無駄な意地張って諦めたフリしてんじゃねーよ。あいつの言う通り、誰もんなこと望んでねーっつーの」

 

 正論すぎて何も言い返せず、クラピカはただ「……そうだな」とだけ答えた。

 

 レオリオの言葉とクラピカの素直な返答に、少しだけソラがこちらを見て笑う。

 やはり、眼球を奪われて喪失しているどころか、目に包帯を巻いているのが不自然なほど、自然にこちらが見ているような様子が、その視界を想像できないが理屈だけは理解しているクラピカとレオリオにとって、痛々しいことこの上ない。

 だけど肝心なソラの顔を見ていれば、彼らが痛々しいと思いつつも、そう思うことは彼女に対しての侮辱であり、そして自分たちにとってもそんな思いをする意味のない、バカらしいことだと思い知る。

 

 ソラは、この豪雨の中でも、「死」しか見えない世界の中でも、どこまでも晴れやかに笑っているから。

 

 その笑みに、安堵したのはクラピカとレオリオだけではなかった。

 

「……良かった。あなたがクラピカと出会ってくれて」

 

 閃光によって奪われていた視力がだいぶ回復したのか、パイロは薄目を開けて微笑む。

 心なしか、彼の顔色は少し良くなっているように見えた。

 それはソラによって、その視界が決して絶望的なものではないことを知らされたからか、それとも彼の言葉通り……親友とソラが出会ってくれたこと、だからこそクラピカは救われて、今があることに安堵したからは、わからない。

 

 答えを得る前に、パイロの表情はまた痛々しく、悲しげに歪んだから。

 パイロは泣き出しそう顔で、何よりも誰よりも自分のしていることを厭っているのがわかる顔で、手離した木刀の代わりにか小ぶりのナイフを取り出して、構える。

 

「だけど……ごめんなさい。

 あなたが……ソラが優しいのは僕も嬉しいけど、優しくしてくれて、僕をクラピカの親友として扱ってくれたのは凄く嬉しかったけど……でも、僕はあなたを……クラピカを――――」

「させないよ」

 

 本意ではない、「黒幕」によって強要されている全てを否定する。最後まで言わすことすらさせない。

 ソラはまた、包帯に巻かれた顔に凄絶な笑みを浮かべてまずはレオリオとクラピカに「いつでも逃げる準備は良い?」と訊きながら、のこのこと移動する。

 移動と言っても数歩ほど。しかし、ソラが立った前に何があるかを理解した瞬間、クラピカとレオリオは顔色を変えた。

 

「パイロ、そして隠れて見るしか能がない臆病者の卑怯者。よく見てろ」

 

 クラピカとレオリオが、「おいバカやめろ!!」と怒鳴るのを無視して、パイロがやや困惑しながらもソラに向かって駆け出してきても、ソラは笑ったまま告げる。

 自分の前にある、蔓に覆われた廃屋と思われる石作りの家の壁を撫でながら、こともなげに言い放った。

 

 

 

 

 

「これが、『死』だ」

 

 

 

 

 

 

 ソラの白く細い指先が、石壁が柔らかな粘土のように第二関節まで沈む。

 その直後、石壁は、廃屋は、まるで初めからそのように外れる構造だったように、歪な形でありながらあまりになめらかな切り口を見せて、崩れ落ちた。

 

 宝石魔術以上の派手な目くらまし、石造りの家の崩壊による轟音と一緒に、クラピカの「っっこの! 奇跡の大馬鹿者ーーっっ!!」といういつものマジギレが響いた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

「このっ! 大馬鹿者!! 私も、人のことは言えないことをやったと思っているが、お前は本当に自分を棚上げして何してんだ!?」

「うるせーよ! まだろくに治療もしてねーのに怒鳴るな! 安静にしてろ! 傷口が余計に開くぞ!!」

 

 ソラが廃屋を直死で壊して、その崩壊を目くらましに、そして豪雨の中でも近隣住民が無視できない騒ぎを作り出すことで、騒ぎに乗じてソラたちは逃げ出した後、借りていたレンタカーの中でクラピカはキレて、ソラにしても無駄な説教を開始し、レオリオが運転しつつ突っ込んで止める。

 

「あはは、ごめんごめん。けどあれ以外に一時退却する手段って何かあった?」

 

 クラピカもわかっていたが、謝罪こそはするが反省が一切見当たらない、通常運転すぎるソラの様子にまた、血が止まらないというのに頭に血を昇らせて「お前という奴は……!」と、説教を続行しようとするが、ソラがクラピカの肩を掴んで引っ張り、自分の膝の上にクラピカの頭を乗せたことで、彼は言葉を失ってフリーズ。

 

「私がバカなのは今更なんだから、そんなわかりきったことを改めて怒る暇があるんなら、安静にしときなさい」

 

 しばしフリーズしてから、ようやく自分がソラに膝枕してもらっている状態だと気付いたクラピカが、二人からの「安静にしろ」という言葉を無視して赤い顔で起き上がろうとしたが、ソラの手が彼の頭をあやすように撫でたら、何か言いたげではあるが結局黙って、そのままソラの膝の上で横になり続ける。

 

 そのやり取りをバックミラー越しに見ていたレオリオが、「頼むからお前ら本当に、今すぐ爆散してくれ」と真顔で頼みだす。

 もちろん、レオリオの要望は無視され、クラピカは先月と同じように後部座席で横たわったまま改めて、「……すまない、私の所為で迷惑をかけて」と謝罪する。

 

 その謝罪に、ソラはクラピカの頭を撫でるのを続けたまま、包帯に覆われた顔で、いつものように笑う。

 

「君の所為なんかじゃないよ。悪いのは、君の心の一番大切な部分に土足で入りこんだ挙句、君の親友を利用している黒幕だ。

 ……だから、クラピカ。謝るんじゃなくて、これからどうするかを考えよう。とりあえず……」

 

 クラピカに罪などないと言い切って、過去を悔やむのではなく未来を見ようとソラは提案するが、具体的な未来を語る前にソラのケータイが鳴る。

 ソラは「ごめん」と一言謝ってから、コートのポケットからケータイを取り出してそのまま電話に出る。

 

 誰からの電話かなんて、わかりきっていた。

 

 今日は、1月7日。

 本当は試験が始まる前に電話をしてやりたかったが、この「クルタ族の生き残り」の件で時間が取れなかったことを申し訳なく思っている。

 

 そのことを知れば、「またクラピカを優先しやがって」と思って拗ねるだろうから、だからこそ「あの子」から電話がかかってきたら、何があっても出ようと決めていた。

 彼が望んでいる言葉を、心から告げたかった。

 

 

 

「やぁ、キルア。

 ハンター試験、合格おめでとう」

《!? ……何でお前は俺が、試験初日で合格してるって決めつけてんだよ?》

「君が試験途中に経過報告する程、健気な可愛げがある訳ないだろ? 君が私に電話を掛けてくるとしたら、それしかないことくらい知ってるよ」

 

 

 

 ソラの前置きなしの言葉に、電話の向こうのキルアも、そしてソラの膝の上のクラピカ、運転席のレオリオも一瞬言葉を失ってから、「実にこいつらしい」という反応をそれぞれ表す。

 そんな彼らの反応に、ソラは悪戯が成功したように無邪気さで、あどけなく笑う。

 

 全員生きているのだから、怪我は負っても無事に逃げ出すことは出来たから、クラピカの親友は本物でありながら彼を裏切った訳ではないのだから、頼りになる仲間は無事ハンター試験に合格して、そしてちょうど今ゲームの世界から現実に帰ってきて、連絡を取ってくれているのだから……。

 

 何も嘆く必要などないから、立ち止まっている暇などないのだから。

 

 世界は、目覚めているだけで幸福であることを知っているから。

 

 ソラが笑わない理由などないのだから、笑った。

 

 

 

 

 ……生きているものが何も見えない、暗闇の中。

「死」だけが線と点として青白く輝く視界の中でも、笑い続ける。






感想で結構突っ込まれた通り、「魔眼」は眼球そのものに特殊効果が付属されているものだけど、「直死」は脳が死を知覚することで視覚情報にしているものなので、正確に言えば「直死」は「魔眼」の一種ではなく、眼球を奪ったからと言って「直死」は得られないし、逆に奪われた側も「直死」は失いません。

それでもパイロがソラのものと比べたらかなりの劣化版とはいえ、「線」が見えている理屈は一応本編中の通り。
ソラの「直死」があまりに強力すぎた所為で、「死」ではなく月姫のロアのように、「生き物の命」くらいは眼球だけで自然に捉えることが出来る目に変質してしまっているから。

ロアと似たような効果とはいえ、そうなった経緯や状態は全く別なので「設定上、有り得るのか?」と訊かれたら、「有り得る有り得ないよりも、その方が物語として面白いだろ」としか答えようがないので、ご容赦ください。


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