死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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14:難易度「Lunatic Hard」

「これってさ、うっかり素で『ステーキ定食、弱火でじっくり』を頼んだ一般人がここに来ちゃったらどうするんだろうな?」

「普通にそのままエレベーター乗って帰んだろ」

「それもそれでシュールな光景だな」

 

 エレベーターから降りてふざけた調子で話しかける白髪と、少しうっとうしそうに話を適当に流す銀髪。傍から見たら、やや年の離れた兄弟に見えるだろう。

 ただ、ウザそうに適当にあしらっているのが弟の方だが。

 

「やあ。ちょうど君たちで100人目だね」

 

 ハンター試験30連続本試験挑戦、もはや長老級の常連である「新人潰し」のトンパもそう思い、いつものように気さくで親しみやすいおっさんを演じて話しかける。

 話しかけられた二人は、初めは「何だこいつ?」と言いたげな目でトンパを見たが、ビーンズから配られた番号札が事実、トンパの言う通り99番と100番であった事に驚いて少しだけ目を見開いた。

 

「……わざわざ数えてたの? 暇なおっさんだな」

「いきなり酷いな!」

 

 しかし即座に、容赦が一切ないツッコミを入れられた。しかもまだ12歳前後の弟らしき銀髪の少年ではなく、兄か姉なのかが性別のよくわからないが、とりあえず歳は10歳近く上らしき白髪の方に。

 弟の方に言われるのなら、まだ内心で「このクソガキ」と軽くムカつく程度だが、20前後から礼儀も遠慮も皆無な発言が即答されるとは思わず、トンパのお人好しを装った笑顔がさすがに引きつった。

 

 しかしとっくの昔に目的が本末転倒して、もはや生きがいとなっている年に一度のお楽しみをここであっさりキレて台無しにするほどトンパは若くない代わりに、性根は腐りきっていた。

「まぁ、確かに暇だったから数えてたんだよ。経験上、まだまだ受付時間が終わらないのはわかってたからな」とやや引きつった笑みで彼が答えれば、興味なさそうにナンバープレートを胸につけていた少年の方がちらりと視線をよこしてから、白髪の方に尋ねる。

 

「受付の開始時間とか終了時間って、ナビゲーターからも聞かされてなかったよな?」

「そうだね。それがだいたいわかるって、おっさんは常連?」

 声もやや高めの男とも少し低めの女とも取れる声で、口調ですら性別が判別しにくい白髪にトンパは少しだけ戸惑いながら、いつもの口上を口にする。

 

「ははっ、常連どころか俺は10歳の時からもう35回、試験を受けてるいわば、試験のベテランさ!」

「自慢することじゃないだろソレ」

「もう諦めろよ、おっさん」

 

 今度は二人同時に、呆れを超えて憐れむような目で見られて言われた。

 絶対にこのよく似たクソガキ兄弟に、超強力下剤入りジュースを飲ませるとトンパが誓ったのは言うまでもない。

 

「いや、ここまでくるともはや趣味みたいなもんだね。

 ところで、君たちはルーキーだろ? じゃあ、これは先輩からの餞別だ」

 

 やや強引だが、トンパはさっそくジュースを取り出して二人に差し出す。

 銀髪の方は、「お、ラッキー。さっき肉食って喉が渇いてたんだよ!」と言い出しながら無邪気に手を伸ばす。

 その手を制したのは、白髪の方だった。

 

 弟の方がしっかりしているタイプの兄弟かとトンパは思っていたが、一応どちらも年相応なところもあったか程度にトンパはその行動を捉えていた。

 ソラの眼が黒に近い藍色から、色味は暗いがはっきりとした青系統の色に、サファイアブルーに変化したことには気づかなかった。

 

「いらない」

「ん? 嫌いなジュースだったか? 他の味もあるぞ」

 

 心の中で「失敗か」と舌を打ちながら、しれっと相変わらず人の好い笑顔を浮かべて尋ねる。

 罠だとは思っておらず、一応警戒しているだけならまだ「お人好しのおっさん」を演じていれば彼らを潰すチャンスは十分あり、もしかしたら本当にただこのジュースが嫌いなだけの可能性もあったので、白髪が言外に表した「自分たちに関わるな」という言葉に気付かないフリをする。

 

「いや。食べ物の好き嫌いはないよ。でも、これはいらない」

 しかしそんな演技は、青い瞳に剥ぎ取られる。

 白髪ははっきりとそう答えながら、トンパが差し出すジュースの缶に人さし指を突き刺した。

 そしてそのまま、真っすぐではなく不規則に缶をなぞると、その指がなぞった通りに缶がすっぱりと滑らかすぎる切り口を見せて床に転がり、ジュースが零れ落ちる。

 トンパと毎年恒例の悪趣味なショーを観賞していた常連たちが、それを顎が外れそうなほど大口を開けて絶句するのを、白髪は青から藍色に戻った眼で見渡して笑った。

 

「缶に細工されてる飲み物なんて、怖くて飲めないな」

 

 男なのか女なのか、子供なのか大人なのかよくわからない白髪が、面白がっているのか嘲っているのか憐れんでいるのかもわからない笑みを浮かべていた。

 しかしトンパは、白髪が何を思って笑っているのかはわからなくとも、たとえ35回のハンター試験の経験がなくとも、それだけは理解できた。

 

 こいつは去年、合格確実だったあの奇術師と同じく、関わってはいけない人間であると本能が警鐘を鳴らす。

 

「……あ……あぁ……」

 もう誤魔化す気もなく、ただトンパは後ろに後ずさる。

 幸いながら相手は奇術師とは違って戦闘狂ではないらしく、逃げるのなら即座に興味をなくしたようにそっぽ向いた。

 

 そのことに安堵の息をついたタイミングで、腕を掴まれた。

「ぎゃあ!」

「こんぐらいで悲鳴あげんなよ。情けないおっさんだな」

 

 いつの間にか、白髪の傍らにいたはずの銀髪が、トンパの横に並んで猫のような笑みを浮かべている。

「? キルア、どうした?」

 白髪もいつの間にか移動していた弟に呼びかけるが、少年は無視して笑顔のまま、トンパの腕を掴んだまま空いている方の手を差し出す。

 

「喉、乾いてるんだ。まだあるんだろ? 俺にくれよ」

 手を差し出し、上目遣いでトンパを挑発するように見ながら少年は言葉を続ける。

 

「俺は、細工してようが別に平気だからさ。毒は効かない。だから、くれよ」

 

 関わってはいけないのは、舐めてはいけないのは白髪だけではなく自分もだと、その眼と少しでも動かせば服越しでも腕の動脈を掻っ切れそうな爪が語っていた。

 

「……あ、あぁ」

 トンパは言われるがままにジュースを差し出して、新顔の二人から逃げ出した。

 逃げながらも、長年の経験が彼に語る。

 今年のハンター試験は、波乱の年であることを。

 

 * * *

 

「余計なことすんなよ」

 トンパからもらったジュースをぐびぐびと普通に飲みながら、キルアがソラを睨み付ける。

 自分を庇って手の内をわずかとはいえ早速見せて撃退したのが、背伸びしたいお年頃なキルアからしたらまたしても苛立ちの種だったらしいが、ソラの方はしれっと答える。

 

「いや、しらんよ。ゾルディック家の毒耐性なんて。っていうか、細工してあんのわかってて、私だけ断って君に飲ませたら私最低じゃん」

 基本的に空気を読まないボケばかりしているくせに、こういう時は反論のしようがない正論を吐くのがまた気に入らず、キルアは鼻を鳴らしてまたジュースを呷る。

 

「っていうか、どんだけチートなんだよその眼は。物に細工してあるのかどうかもわかんのかよ」

「いや。経験上、その可能性が高いなーって思っただけ。やっぱ後から手を加えたものとか仕掛けのあるものは、何も手を加えてないものより脆いと言うか寿命が短いのか、線が多いんだよね。あと、別物を継ぎ足してたりすると、そこで線が途切れてたりするし」

 

 キルアが若干拗ねながら、八つ当たり気味にソラの眼について文句をつけ、相変わらず八つ当たりされてもソラは気にせず笑って解説する。

 傍から聞くとキルアの問いに対してあまり嚙み合っていない答えだが、キルアの方は拗ねて唇を尖らせていたのが一転して、やや引いた様子で「へぇ」とだけ答えていた。

 

 ソラから眼の事を聞いたのは、エレベーターの中。

 バスから降りてもソラが自分の義姉、もしくは義妹、または嫁候補と知って何と表現したらいいかわからない、とりあえず最悪であることだけは間違いない気分になっているキルアを何とかしようとして上げた話題がこれだった。

 

 キルアの関心をソラが嫁候補からそらせたという意味では成功だが、結果としては別の方向でキルアを最悪の気分にまた陥らせたことをソラは気付いているのかいないのか。

 横目でキルアがソラを見ると、視線に気づいた彼女はきょとんとした顔で小首を傾げていた。

 

 全く何も気にしていない顔が無性にムカついて、もう一度ジュースを呷って中身を飲み干す。

 気に入らなくて仕方がなかった。

 他の家族には気に入られているとはいえ、自分の命をガチで狙ってくる男の弟である自分に、自分の切り札をホイホイ話す無防備さも、そのことを指摘しても「君がいつまでも凹んでるよりマシだよ」と言ってのける甘さも、甘やかしも。

 

 何より、その周りの人間も物も常に壊れかけであることを思い知らされるツギハギの視界で、普通に歩いて笑って生きている壊れた精神性が、気に入らなくて仕方がなかった。

 隣に立って歩いて会話をしているというのに、ソラが酷く遠く感じて仕方がなかったから、気に入らなくてムカついて、苛立ちのままに空になった缶を後ろに放り投げた。

 

「コラ、キルア。ポイ捨てすんな」

 非常識の塊のような女のくせに、地面に落ちる前に缶をキャッチしてごく普通の人間のように、姉のようにキルアを叱りつけるのが、またそれがキルアからしたら気に入らず、今度は反論の余地があったので言い返す。

 

「ゴミ箱ねーじゃん」

「あのおっさんがいるだろ」

「どのおっさんのこと言ってるんだよ!? ジュースくれたおっさんのことか!?

 お前、すげぇ酷いこと言うな!!」

 

 まさかのトンパをゴミ箱扱いに思わず拗ねていたのを忘れて突っ込み、キルアの突っ込みをスルーして本当にトンパをソラは探し始めた。

「本気であのおっさんにゴミを押し付ける気かよ……」と呆れつつも、別にそのこと自体に文句はなかったのと、ちょっとゴミを押し付けられた時のトンパの反応は面白そうだなと子供らしい悪戯心に火がついて、自分もキョロキョロと見渡して探す。

 

 途端、背筋に悪寒が全力疾走して思わずキルアはソラをその場に残して飛びのき、一気に彼女から5メートル近く距離を取った。

 周囲の人間はキルアの唐突な動きに驚いて彼に注目するが、一番近くにいたソラはキルアに見向きもしなかった。

 

 ソラは振り向きもせず左手に持っていた缶をそのまま背中にやり、自分の背後から跳んできた何かを受け止めた。そうやって受け止めている間に、自分の武器である宝石が詰まったウエストポーチを開けて、いくつかの宝石を握って彼女は何かが飛んできた方向、ねっとりとしか表現しようがない殺気を先ほどから飛ばしてくる方向に向き直る。

 

 ソラが振り返って向き直っても攻撃をやめて逃げる気は相手にないらしく、先ほど以上の数と勢いで飛来してくる何かを、ソラはオーラで覆った手足で弾き続ける。

 ソラを狙って跳んできたものが彼女に弾かれることで周りがとばっちりを受けて負傷するが、顔見知りならともかく赤の他人、それも一般人ではなくハンター志望者に気に掛ける余裕は、今のソラにはない。

 今現在、彼女を動かすのは、前面に出ているのは「死にたくない」という狂気(ねがい)

 

 いきなりの攻防に周囲の人間がパニックを起こして逃げ惑う。逃げる者のほとんどが、ソラのとばっちりを喰らいたくないから、状況はわからないがとりあえず危険だけは察知したからに過ぎないが、ソラに襲い掛かる武器を見て、相手が誰であるかを察したから逃げる人間も少なくない。

 

 キルアは、動けなかった。

 ソラを置いて逃げて、安全圏と思える距離からただ見ていた。

 粘つくような歓喜や狂喜雑じりの殺気に足がすくみ、長兄の「勝ち目がない敵とは戦うな」という呪縛(こえ)が頭に響く。

 

 ただ、見るしか出来なかった。

 ソラが人体も壁もスチール缶も、易々と突き刺さるトランプの投擲を受け続けるのをただ彼は見ていた。

 

「何なに!? 何なのこの状況!?

 まだ試験始まってないよね!? 私だけ今から試験!? 私だけ試験の難易度違いませんかこれーっ!!」

 しかし本人が本気で焦っているのはわかるが、妙に緊張感がないことを言い出しているので、見捨てた罪悪感は皆無だった。むしろ、「真面目にやれよ」と思って普通に観戦してしまった。

 

 実際のところ相手も様子見でしかなかったのか、あらかたカードを投げつける以上の攻撃は加えてこなかった。

 それでも投げつけられたトランプは、ワンセットで50枚以上。それを避けて弾いて防ぎ切ったソラは、ゼイゼイと息をしながら相手を睨み付けた。

 

「……いきなり何の嫌がらせだよ。っていうか、誰だ」

「うん、ごめんね♦ 初めはちょっと様子見のつもりだったけど、あまりにいい反応するから楽しくなっちゃって♥」

「うわっ! 気持ち悪っ!! 何だお前、爆砕しやがれ!!」

「お前凄いな!!」

 

 拍手をしながら44番の番号札をつけ、ピエロのようなメイクと衣装の男がソラの前に出てきた瞬間、ソラは何の遠慮もなく率直な感想と要望を言い放ち、キルアは素でちょっと尊敬した。見習う気はもちろんないが。

 周囲の受験者、特に去年この44番ことヒソカが何をしたかを知っている者は、ソラの無知ゆえの蛮勇にキルアと同じ敬意を抱きつつも盛大に引く。

 彼らはソラの首がヒソカのカードによって切り落とされるのが、その蛮勇の代償だと予想していたが、むしろ言われた張本人は「酷いなぁ♠」と言いつつも、ひどく楽しげに喉を鳴らして笑っていた。

 

「ボクはヒソカ♣ よろしく♥ 君たちは兄弟かい? よく似てるね♦」

「ハイハイ、そりゃどーも。おーい、少年。行くよ」

 

 ただでさえ細い目を細めてヒソカはソラに名乗って握手を求めるが、ソラは心底うざそうな顔をして適当極まりない相槌を打ちながら、キルアを名前ではなく名前を知らなかった頃のように「少年」と呼んで、奴から離れようとする。

 そのことを疑問に思うほどキルアは愚かでも鈍くもないので、彼も珍しく素直に黙ってソラについていく。

 

 言動といい、今もなおこちらに向けて飛ばしてくるねっちょりとした殺気が、この男の危険度をわかりやすく告げている。

 そんな男に顔を知られただけでも嫌なのに、名前まで知られるのは御免こうむるのはソラもキルアも共通していた。

 

「つれないなぁ♠ 名前さえも教えてくれないのかい?」

「名前は名無しの権兵衛です。いいからついてこないでくれませんかね! って言うか、さっきから尻見てないかお前!?」

 

 しかしヒソカの方はその程度で諦めるつもりはないらしく、ソラとキルアの後をついて回って話しかける。

 そのしつこさと、実際に尻に視線を感じていたらしく、ソラはキレてヒソカに向き直って文句をつけた。キルアと自分の尻をガードしながら。

 

「ごめんごめん♦ あまりに美味しそうだから、つい♥」

 しかしまったく悪びれもせずに舌なめずりで言われたセリフに、ソラは「ぴょっ!」とヒヨコのような変な悲鳴を上げて全身にでた鳥肌が治まるように体を撫でさする。

 キルアもキルアで変態の見本市のような男に盛大に引きつつも、自分に逆セクハラをしてきた、貞操観念や羞恥心が壊れ気味な女にまともな反応をさせたヒソカに、したくもない尊敬をしてしまった。

 

「もう何なんだよ、お前は! マジでどっか行けよ! 泣くぞ!!」

 もうすでに半泣きになりながら、まったく脅しになっていない脅し文句をソラは叫ぶが、もちろんそんな叫びはこの変態からしたら喜ばしい反応でしかなく、実に楽しそうにヒソカは眼を細める。

 

「うーん♦ キミの泣き顔はすごく見たいし、むしろ啼かせたいくらいだけど、これ以上嫌われて避けられたらもったいないから、とりあえず退散するよ♣」

「もうその発言で、これからも全力で避けるわ!!」

 

 幸いながら相手は楽しみは後にとっておくタイプらしく、今すぐにどうこうしようとする気はなく、ソラからしたらまったく嬉しくないことを告げながら、背を向けて歩き出す。

 遠ざかっていくピエロの後ろ姿を見送りたくないが警戒心から二人は見送り、3メートルは離れたところで一緒になってホッとした。

 

「……何だ、あの変態。おい、ソラ。お前はどんだけ、トラブルと変態ホイホイなんだよ?」

「あれに目をつけられたのは、私の所為じゃないだろ!?」

 とりあえず、ソラは別に悪くないことを理解しつつも八つ当たりと冗談を半々にキルアが文句をつけると、ソラはまだ涙目のままキルアの前に出て反論する。

 未だに自分の体を抱きしめるようにして腕をさすっていることからして、本気でヒソカが気持ち悪くて仕方がないらしい。

 

 キルアが知る限りソラは割といつも余裕を持ってふざけているので、その反応が新鮮で面白かった為、さらにからかおうとした時。

 

「その前に、一つ訊かせて♥」

 

 全く近くない、そして大きくもない声だが、ヒソカに関わった事でソラとキルアも他の受験生から引かれて近くに人がいなかった所為か、妙にはっきりと聞こえた。

 その直後、ソラが引き寄せられた。

 

「!」

「!? ソラ!」

 

 磁石で引き寄せられる、もしくは見えない糸か何かで引っ張られるように、ソラは後ろに吹っ飛んで離れたはずのヒソカの腕の中に納まる。

 ソラは何も言わなかった。

 ただ、つい先ほどまで涙目だった瞳はすでに乾ききって、ひたすら嫌そうな顔でヒソカを見上げて睨み付ける。

 

 そんな反応さえも嬉しそうに目も口角も釣り上げて笑いながら、恋人のように抱き寄せたソラの顎を長い指でヒソカは掴んで顔を上げさせるのを、キルアはまた動けず、近づけずにただ見るしか出来なかった。

 やめろとも、離せとも、言えなかった。

 

 ヒソカは細めた瞳に不愉快そうなソラを映して、尋ねる。

「君の眼、色が変わらなかった?」

 

 ソラは答えない。

 何も答えないまま、自分の腰に回したヒソカの手の甲に指を這わす。

 不規則に、線を描くように指を這わした。

 

「気のせいだろ?」

 ソラはそう言って、自分の顎を掴むヒソカの手を引き離す。

 ヒソカも腰に回していた手を離して、ただ実に楽しそうな笑顔で「……そう♦ 気のせいかぁ♣」と言った。

 

 近くはもちろん遠目でも、青だとはっきりわかる色をしたソラの眼にねっとりとした視線を向けながら。

 それでも、ソラはいけしゃあしゃあと言い張った。

 

「そうだ。気のせいだ。だから、二度とやるなこのペドピエロ」

 

 * * *

 

 相変わらず反省や誠意が見えない、むしろムカつく「ごめんね♥」という謝罪をしてからヒソカは、上機嫌でその場から離れた。

 去年はつまらなすぎて試験官にも手を出したのに、その試験官すら手ごたえがなさ過ぎて殺す気も起きなかったので、今年は去年よりマシだと良いな程度の期待が早速裏切られたことが嬉しくて仕方がないらしい。

 

 ヒソカが当初、性別不詳の白髪……ソラを見かけた時は、念能力者なので少し注目した程度。

“纏”は出来ているが、何故か纏うオーラの量が不安定で胴部にオーラが妙に少なく、無自覚の内に精孔が開いて独学で不安定な“纏”をマスターしてしまったのかと思った。

 ただオーラ量自体は多かったので、点数をつけるなら低くて70点、高くても85くらい。「玩具」としては合格点だが、どちらかというと弟らしき銀髪の少年、キルアの方にヒソカは心惹かれていた。

 

 まだ“念”に目覚めていないが、いないからこそ無限の可能性を秘めるまさしく青い果実をさっそく発見したことでテンションが上がって、ついでにソラの正確な点数を採点しておこう、死んだら弟の恨みを買って熟した時に良い戦いが出来そうくらいに軽く考え、トランプを投げつけた。

 

 初めに持っていたジュースの缶で受け止められたのは、まだ予想の範疇だった。

 しかし、瞬時にオーラを“纏”から手足にオーラをさらに高めて集中させる“凝”を行い、そのまま自分の投げつけるトランプを捌く様を見て。ヒソカのソラに対する評価は一転した。

 

 独学で妙な癖を身につけてしまったのかと思ったが、どうもオーラを手足に集中させるのは彼女の戦闘スタイルらしく、まだ粗削りは否めないが十分に実戦慣れした実力に、ただでさえ高かったテンションがさらに上がってしまった。

 

 何より素晴らしさのあまり興奮したのが、彼女は“周”をして投擲しただけのトランプはオーラを纏った手足で弾いていたが、「バンジーガム」でヒソカの手や他のトランプなどと繋がっていたものは、避けるか近くにいた受験者から奪った荷物や武器を使って弾き、絶対に自分で直接触れはしなかったこと。

 

 初見かつ不意打ちで、ヒソカの能力に対して満点の答えを実演して見せたソラに、「イイ♥」と興奮してそのままトランプを1セット使い切ってしまった。

 ヒソカのズボンがニッカボッカに近いゆったりした物であったのが、ソラはもちろん周囲にとって幸運なことだろう。その理由は、知らない方が世界は平和である。

 

 もう彼女を見つけた時点で、ヒソカにとっては今年のハンター試験での目的は達成されたようなもので、ヒソカは鼻唄を唄いながら機嫌よく歩く。

 完全にモーゼの十戒状態で悠々と歩いていたら、なんとヒソカに声を掛ける酔狂な人物が現れた。

 

「ヒソカ。余計なことをしてくれたね。あれに目をつけたのなら、今すぐに殺してよ」

 

 パンクとかロックとかそういうレベルではなく、むしろ何故生きているのかが不思議なくらい、体はもちろん顔面や頭部に釘に近い太さの針を刺したモヒカンの男がヒソカに話しかけ、周囲の受験者たちがさらに全力で引いた。

 ヒソカは針男を見て一瞬だけきょとんとしてから、「何だ、イルミか♥ キミも受験かい?」と相変わらず機嫌良さそうに笑う。

 

「そうだよ。っていうか、本名で呼ぶのやめてくんない? 変装の意味ないじゃん。呼ぶなら、ギタラクルで登録してるからそれで呼んで。

 あと、さっきちょっかいかけてた銀髪の子供、あれ、俺の弟だから手を出したら殺すよ」

 

 まだ付き合いは短いが、上手い事ギブ&テイクの関係を築いているゾルディック家の長男、イルミは大抵の人間が引くか嫌そうな顔をするヒソカの粘着質な殺気を浴びせられても完璧にスルーして、淡々と自分の要求だけを棒読みで伝える。

 しかし、まだ大した付き合いはないとはいえ、相手の心理を読み取って揺さぶり、自分の都合のいいように動かす心理戦も得意なヒソカは見抜く。

 ロボットの方が人間味があるように思えるほど、無感情無感動なイルミが苛立っていることに気付き、ついでに彼のセリフの中で気になる部分があったので、そこをまずは尋ねる。

 

「銀髪の子? 一緒にいた白髪の子は違うのかい? よく似てるから、兄弟だと思っていたよ♣」

「違う。ありえない。っていうか、似てない。あれが、あの女がキルに似てる訳ないだろ」

 

 今度はヒソカでなくとも気付けるぐらいに、乱暴に突き放した口調で言われた挙句に殺気をぶつけられ、もうヒソカとイルミの周りは完全に誰もいない。

 殺気をぶつけられている当の本人は、その珍しすぎる反応に「今日は本当に良い日♥」と悦に入りながら、飄々と会話を続けた。

 

「あ、女の子だったんだ♦ けど、何がそんなに気に入らないんだい? 事情はよくわからないけど、あの子はキミの弟を庇っていたよ♣ 良い子じゃないか♥」

 ヒソカの言う通り、兄弟だと思っていたので特に疑問に思わなかったが、赤の他人だったのならお人好しとしか言いようがないくらいに、ソラはヒソカからキルアを庇っていた。

 

 初めのトランプ投擲ではキルアの近くに逃げないで、トランプを弾いて飛ばさないように努力していたし、ヒソカが立ち去ったと見せかけてバンジーガムを張りつけようとした時、彼女はわずかに視線をこちらにやってキルアをヒソカから完全に隠すように彼の前に立っていた。

 襲撃された際は、絶対に触れないように警戒していたバンジーガムを、キルアの為に自分を盾にして立ちふさがっていた。

 

 ヒソカのその言葉に、イルミの顔が不愉快そうに歪むというとてつもなく珍しいものを見た。出来れば素顔で見たかったなぁと思うヒソカをよそにイルミは一言、「……偽善者」とだけ呟く。

 

「……嫌いだからだよ。あの女の事が、大っ嫌いだからだよ!」

「いやその理由を訊きたいんだけどね♠」

 

 ほんの少しだけ困ったように言いつつも、イルミはそれ以上語るのも嫌と言わんばかりのオーラを立ち上がらせるので、ヒソカは彼女と何があったのかを聞き出すのを諦める。

 代わりに、「ところで、余計なことって?」と初めにイルミが言い出したことを、わざとらしく小首を傾げて尋ねてみた。

 

「お前がちょっかい出した所為で、あの女が完全警戒に入った事だよ。最悪。あれじゃもう、殺気を消そうが、“絶”をしようが不意打ちなんか成立しない。

 ……くそっ! 本当に何なんだ、あいつは。変装は即座に見破るわ、“円”はほとんどできないくせに“絶”を見破るわ、完全に死角から攻撃しても避けきるわ。あの眼だけでも厄介だって言うのに、予知能力も持ってんの?

 まぁ、ヒソカのおかげで俺の殺気が紛れて向こうが俺に気付いていないのは、不幸中の幸いだけどさ」

 

 ヒソカの問いに答えながら、イルミは徐々にただの愚痴を語りだすが、その愚痴の内容のすさまじさに、ヒソカは思わず目を見開く。

 誰が相手でも十分にすさまじいことをやらかしているとわかる内容だが、相手がイルミだという事でソラがやらかしたことはもはや、すさまじいを通り越してありえない。

 生まれた時から生粋の暗殺者に「不意打ちが通用しない」という最大級の賛辞は、ヒソカの想像の範疇を超えて驚かせ、その直後に歓喜の笑みを浮かべる。

 

「……へぇ♣ 現役かつエリート暗殺者のキミから逃げきれるくらいなんだ、彼女♥」

 

 ますます、今年の試験を楽しみになって喜びで体を震わせるヒソカを、さすがのイルミもやや引いた様子で告げる。

「……ヒソカが気に入って殺してくれるんならいいけど、俺やキルの前であの女の逃げ場を塞がないでよ」

「おや? どうしてだい?」

 

 イルミの要望に、ヒソカはこの上なく楽しそうに笑いながら尋ねる。

 その笑顔を無表情でありながら実に気持ち悪がっていることがよくわかる、器用極まりない表情でイルミは眺めながら少し考える。

 

「……あの女、基本的に自分の生存を第一に優先してるから、こっちが攻撃を仕掛けても向こうの行動は逃亡一辺倒。だけど、逃げ場を失って『殺らなきゃ殺られる』モードに入ったら、手段を選ばなくなる。巻き添えは、ごめんだ」

 

 教えたら絶対にヒソカは、全力でソラを追い詰めると思っていたので言おうかどうか悩んだが、ヒソカの性格上、不愉快なことだが確実に自分と弟は玩具認定しているので、巻き添えでせっかくの玩具が減る事態は逆に避けるだろうと考えて、正直に答えておいた。

 イルミの予想通り、戦闘狂のヒソカは彼女の本気を引き出す方法を告げられると、さらに笑みを深めて狂喜なのか殺気なのか欲情なのかもうよくわからないオーラを湧き上がらせる。

 そのオーラの予想以上の気持ち悪さにイルミは少しだけ後悔しながら、自分の腕にうっすら浮かんだ鳥肌をさすった。

 

 さすりながら、イルミは不快さのあまり唇を強く噛みしめる。

 これだけ気持ち悪いものを前にしても、あの日、3回目の出会い、自分の家で鉢合わせして思わず追い回して、そして追い詰めた日に見た彼女の、ソラ=シキオリの眼が忘れられないことが不愉快で仕方がなかった。

 

 逃げ場をなくして、ようやくあの何もかもが気に入らない、暗殺者としてではなくイルミ=ゾルディック個人の意思で殺してやりたいと思った女を殺せると思った時、彼女は呟いた。

「死にたくない」、と。

 

 もちろんそんな命乞いが通用するのなら、イルミはそもそもソラを追い回していない。

 そんなこと、イルミ以上に言った本人がわかっていた。

 だからあれは、命乞いではない。

 

 あれは、奇妙なバランスを保つ狂気が一辺に偏って崩れる直前の、警告。

 その警告を聞き入れなかった者に、ソラは向き合って言った。

 

「――なら、殺すしかないよね?」

 

 スカイブルーからさらに明度が上がり、遥か彼方の天上を意味する青空の美称、セレストブルーの眼にイルミを映して、この世のものとは思えない程美しく笑ったあの瞬間が、忘れられない。

 常に身近で隣り合っていると思っていた「死」に対する恐怖を生まれて初めて感じ、全身に鳥肌が総立ちしたあの感覚を忘れられず、ただでさえ募っていた殺意がさらに積み重なる。

 

 出来れば今すぐに、あの女に向かってありったけの針を投擲したいし、針人形を使って襲わせたいが、今現在の警戒モードでなくとも通用するわけがない、通用するなら既に1万回は殺せているので、イルミはいつしかさすっていた自分の腕に爪を立てて、殺意を押さえつける。

 

 もしもソラが一人で試験に来ていたのなら、不本意ながら3度の一方的な殺し合いである程度把握している彼女の性格上、攻撃を仕掛けて天敵認定されているイルミ(自分)がいるとわかれば、試験を諦めて逃げる可能性が高い。

 殺せないのは悔しいが近くに存在しているよりははるかにマシなので、間違いなくヒソカに話しかける前にイルミは実行していただろうが、何故かよりにもよってソラは家出したはずの弟とまるで姉弟のように一緒にいる。

 

 キルアにはイルミの針が埋め込んであるので、ある程度ならどこにいるのかなどは把握できるのだが、それでも限度があるので出来ればこの試験が終わると同時に連れて帰りたいし、仕事でライセンスが必要なので試験もちゃんと受けて合格したいから、キルアに自分の正体がばれる訳にはいかない。

 イルミの針による変装はともかく、イルミの武器が針であることは普通にキルアは知っているため、イルミはソラに近づくことも武器を投げつけることも出来ない現状に舌を打つ。

 

 そんな人間味あふれるイルミをヒソカは楽しげに眺めながら、まだ始まらないハンター試験に期待を思い馳せる。

 今年は、去年とは比べものにならないくらいに難易度が高く、自分を昂らせる試験になることが決定している事で、ヒソカは恍惚と天を仰ぐ。

 

 ……どこが天を仰いだのかは、言わない方がいいだろう。




逃げる方にとって難易度ルナティックハードは当たり前だけど、逃げきれている時点で殺す側も難易度ルナティックハードだよなぁ、というお話。

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