死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

155 / 185
136:覆水盆に返らず

「いいよ」

 

 軽やかに、あまりに容易く応えられた。

 

 まるでそれが当たり前のことのように。

 

 応えている側がまるで、助けを求めていた手を取ってもらったかのように。

 

 ソラは笑って言った。

 

 * * *

 

「!? な、なんなんだよ、てめぇは!!」

 

 いきなり自分と子供の間に割り込み、酒瓶が割れる勢いで殴られても痛がるどころか、背後の酔っぱらいの存在に気付いていないと言わんばかりな相手に、思わず酔っぱらいもしばし酔いが吹っ飛ぶほどに呆然としていたが、あまりに呑気なやり取りが男の癇に障った。

 

 自分を無視されていると思ったのか、それとも割り込んできた相手が女だと気付いたからか、なんにせよ素面でも理性的な行動が期待できないチンピラにとっては、キルアとソラのやり取りは理屈なく不快なものだった。

 だからその感情をアルコールに任せて怒鳴り、行動に移す。

 

 怒鳴りながら、男は再び酒瓶を振り上げた。

 割れた酒瓶の、その割れ口をソラに向かって振り落とそうする。

 

 もちろん、眼を奪われたからといってソラがそのような害意に気付けない訳も、反応できない訳もない。

 即座に抱きしめていたキルアから手を離して、座り込んだままだが酔っぱらいに向き直る。

 が、そこからソラは動けなくなった。止まってしまった。

 

 男がただのチンピラにすぎず、下手したら寝てても対処できるほどソラにとって雑魚だったことが、この場では逆に不運だった。

 ソラから完全に冷静さを、理性を奪えるほどの脅威ではなかったからこそ、ソラの行動は停止してしまう。

 

 これが念能力による攻撃ならば、ソラの中の「死にたくない」という狂気が増幅して彼女の理性を塗りつぶし、躊躇なくその包帯越しでも見える、眼球を失っても失えない視界に満ちる「線」や「点」を使って排除していたはず。

 だが、相手は雑魚中の雑魚だからこそソラの中の狂気は、ソラの理性を奪えない。「死にたくない」という願いを叶えるのに、殺す必要などない相手だった。

 

 今のソラの視界では、むしろ手加減こそが困難。

 ただ相手の体勢を崩すための蹴りさえも、足が切断されるのならまだいい方、致命傷どころか死後の世界さえ望めぬ最果てに突き落すことも容易いからこそ、ソラはキルアや自分の身を守る為に向き直ったのは良いが、理性があったからこそ、そこからはとっさに動けない。

 

 どうしたらいいかが、わからなくなってしまった。

 

 とっさの状況こそ、死を夢想する思考によって冷静極まりなく見えるソラが、「どうしよう」という顔で固まり、自分の顔に躊躇なく振り落とされる酒瓶をただ見ていた。

 その酒瓶を、素手で受け止めて掴んで握りつぶされるのも、包帯越しに、「死」しかないはずの視界で、それでも確かに見ていた。

 

「何してんだ、馬鹿野郎!!」

 

 そう怒鳴られながら肩を掴まれ抱き寄せられ、キルアに守られた。

 

 包帯を巻いていてもきょとんとした顔で自分を見上げているのがわかるソラはひとまず放っておいて、キルアはソラを抱き寄せたまま酔っぱらいを睨み付ける。

 

「あ、ひぃ……! わ、悪かったよ! 俺が悪かった!」

 

 キルアに睨み付けられた途端、男の態度は一転する。

 キルアが酒瓶を握りつぶしたという行動はもちろん、その握り潰した酒瓶のガラス屑をぱらぱらと落として、オーラでガードしていたので傷一つない掌を見せつけられたことでようやく、アルコールで鈍りに鈍りきった脳にも、本能的な警鐘が届いたようだ。

 この目の前の少年は、自分の憂さ晴らしで甚振れる相手ではない。むしろ自分が甚振られる立場だと理解した男は、その場に跪いて土下座しながら卑屈に命乞いを始めた。

 

 もちろん、そんな行為はキルアを余計に不快にさせるだけ。

 だからキルアは、纏うオーラをさらに増幅させることで相手を威圧して命じる。

 

「消えろ!!」

「ひっ、ひいっ!!」

 

 腰が抜けているのか男は立ち上がることも出来ず、しかしその命令に従わないと命がないと思ったのか、無様に這いずるように逃げ出した。

 それを見送って、ソラはキルアの胸にもたれるように彼を見上げて言う。

 

「……ははっ。ごめん、私が助けられちゃったね」

 

 笑ってそう言ったソラに、キルアの胸の中で理不尽だとわかっているが怒鳴ってやりたい、泣き叫びたい気持ちが生まれる。

「そんなんじゃない」と叫びたくなった。

 

 ソラを助けたられたのは、相手を殺さずに済んだのは、全部全部相手が雑魚という言葉でも過大評価なぐらいだったからに過ぎない。

 もしも相手がイルミだったら、キルアは何も出来なかった事をもう思い知っている。

 

 だからこそ、逃げ出したのに。

 だからこそ、自分はこんなところで独りきりなのに。

 

 それなのに、ソラはまるで半年ほど前の自分の誕生日のように、雨でびしょ濡れになりながら、いるはずがない、現れるはずがないと思ったタイミングで――

 

「……だから、なおさらに私は君を助けなくちゃね」

 

 怯えるように、震える手で、それでも優しくキルアの頬に触れて撫でる。

 キルアがなくしたはずの、こぼしたはずの「助けて」という願いを受け止めて応えようとする。

 

「ねぇ、キルア。何があったの?」

 

 その問いに、意地を張る術などキルアは知らない。

 ただ自分の頬を、雨にまぎれて流れる涙を拭う指先に縋るように掴んで、懺悔するように言葉を、弱音を吐き出すことしか出来なかった。

 

 * * *

 

 また自分は逃げ出したこと。自分の命とゴンを秤にかけて、自分の保身を優先したこと。昨日も今日もゴンに守られて、庇われたのに、自分は何も出来なかったこと。「信用するな」と忠告していた相手よりも、自分の方がよっぽど信用ならない行動しかしていないこと。父親と交わした約束なんて、とっくの昔にもう何度も破っていること。

 

 時系列はめちゃくちゃでわかりやすく話そうという配慮もなく、ただキルアは頭の中に浮かぶ後悔を全て吐き出す。

 泣きじゃくりながら、それがもう情けないと思う余裕すらなく、自分の罪を、抱える罪悪感を全部ソラに告白した。

 

「……俺がいたから……ゴンは眼を……、俺、……海の言う通りだ。……何も、出来なかった。

 ……全部もう、手遅れで……取り返しがつかなくて……全部、……本当なのに……ゴンが好きなのも……もう人殺しは嫌なのも……ゴンを守りたかったのも本当なのに……それなのに俺は……俺の所為で……俺が弱くて……バカで……臆病者だったから……守りたかったのに、……器から水は全部こぼれたんだ…………」

「……あんのアホ姉、本当に余計なことしか言わないな」

 

 キルアの泣き言を一通り聞いたソラからまず最初に出た感想は、姉に対する辛辣な言葉だった。

 そのことに突っ込みを入れる余裕もないキルアは、グズグズと歳よりもずっと幼い子供のようにすすり泣き続ける。

 

 そんな彼を、ソラは仕方なさそうに一度息をついてから向き直り、尋ねる。

 

「キルアは、自分が全部悪いと思ってるの?」

 

 ソラの問いに、キルアは怯えるように一度肩を震わせてから、かすかに頷いた。

 頷き、すすり泣きの合間にあまりに自虐的で自罰的な言葉を零す。

 

「……だって、俺さえいなけりゃイルミの人形なんかいなかった……。いたって、俺がいなけりゃゴンは逃げられた。……俺は人形だって言われても、それでもビビッて動けなくて……その所為でゴンは逃げる隙を無くして……俺を庇って向かって行ったのに……、俺は一人で……ゴンを見捨てて……一人で……逃げて……」

 

 キルアの言っていることは、結果論に過ぎない。それも、あまりにゴンに都合よく考えた妄想に等しい。

 

 確かに彼がいなければ、イルミの人形はオモカゲによって作られることはなかっただろうが、その場合はキルアの代わりにゴンにとって執着する人、決して傷つけられない大切な人の人形が作られ、その人形とゴンの心が弄ばれただけであることは明白。

 

 それにキルアがいなくても、ゴンはイルミから逃げられた保障などない。むしろ、キルアだけではなくイルミ自身も執着する弟の存在があったからこそ、ゴンの扱いが雑で逃げる隙があったかもしれない。というかイルミだけではなく海もいる時点で、二人の逃走成功率などどう足掻いてもそう高くはない。

 

 冷静に考えればキルアの言ってることには突っ込みどころが満載だ。

 だけど、そんな正論が通じる精神状態ではないことも明白である。

 何より、キルアはそんな正論など頭の中ではちゃんとわかっている。

 

 これは彼なりの償い。

 自分の悪くない所まで自分の責任だと背負い込むことで彼は、償おうとしている。

 こぼれた水はもう戻らないのなら、失ったものの代わりにならずともせめてという一心で、彼はひたすらに自分を傷つけ、苦しみ抜くことで償うつもりなのだろう。

 

 ゴンの眼が奪われたという事実は、もうどんなに足掻いても戻らないこぼれた水。

 その償いに、キルアは夢見たものを全て捨てて諦めようとしている。自分にとっての光を失うことが、ゴンから眼を、光を奪った償いなのだろう。

 

 けれど、その償いだって自己満足だ。

 だからこそ、ソラは言った。

 

「そうだね」

 

 キルアの言葉を、肯定する。

 

「君が逃げたこと、イルミに怯える必要がない所まで怯えたこと、だからこそゴンが眼を奪われたのは事実だ。

 だから、君が悪い」

 

 キルアが悪いと、取り返しのつかない事態を引き起こしたのは、元凶はキルアだと断言する。

 優しく、彼の頬を撫でながら。

 彼の涙を、「君は悪くない」と言うように拭いながら、晴れ晴れしく笑って彼女は言う。

 

「そして、ゴンも悪い」

 

 被害者であるはずのゴンも悪いと、自業自得だとあっけらかんと言い切って、泣きじゃくっていたキルアの涙を一瞬止めた。

 自分の発言に彼がポカンとしているのを、「死」しか見えていないくせに全部はっきりと見えているように、ソラは満足げに笑ってさらに言葉を続ける。

 

「えっと、レツって子だっけ? その子を信用してるしてない関わらず、アジトっぽい所にまでそもそも連れてこなければ良かったんだよ。そうしたら、その子を海に攫われてわざわざ罠だってわかってるところに入らずに済んだ。

 イルミの人形と対峙した時だって、君がイルミに苦手意識を持ってるのは知ってるんだから、いっそイルミが出た瞬間に君を殴って気絶させて抱えて逃げれば良かったんだ。

 だから、ゴンだって悪いよ。

 

 そんで、そもそも私が眼を奪われなければ、奪われたって君たちに頼らなければ良かったんだから私だって悪いし、クラピカも無理してパイロと戦おうとせずに最初から逃げてれば、怪我せずに君達と探索できたんだからクラピカも悪いし、レオリオは未だに裏試験クリアしてなくて戦力に乏しいから、レオリオも悪い。

 そんで何より、私らに関わったオモカゲが悪い!」

 

 ゴンの何が悪かったのかを、キルアが自分で言ったような結果論で語り、そしてそのままソラ自身だけではなくクラピカやレオリオまで悪いと言って、挙句の果てに諸悪の根源のオモカゲまで引き出してきた。

 ソラの発言は突っ込みどころが満載なのだが、彼女の言葉でやや冷静さを取り戻したキルアは、それを突っ込めば自分の発言にもブーメランで刺さることもわかっているので、何と反論すればいいのかわからず、困惑のポカン顔続行でソラを見下ろし続けた。

 

 雨の中でも、晴れ晴れしく笑う顔をただ見ていた。

 

「キルア。私も最近になってようやくわかったことなんだけどさ、『取り返しのつかない事態』に『こいつさえいなければ』っていう戦犯はそういないよ。責任転嫁で生贄として祭り上げられる人はいても、本当にその人さえいなければ、それさえなければ起こらない事なんて稀だ。

 

『取り返しのつかない事態』っていうのはさ、大概が『みんな少しずつ悪い』んだ。

 それに関わった人はもちろん、直接関わりのない人も『これくらいならいいだろう』っていう甘さと、そして誰も非なんてない間の悪さ、運の悪さがいくつもいくつも積み重なって起こることなんだと思う」

 

 それは、ソラの優しさであることはわかっている。

「君は悪くない」という言葉なんて、キルアは受け取れない。その言葉を真に受けて、自分の罪なかったことに出来る人間になりたくないからこそ、キルアは自分のしたことにここまでショックを受けているのだ。

 

 だからソラは、キルアの罪自体は決して否定しない。否定せず肯定しながらも、キルアが潰れてしまわぬほどに、背負わなくてもいい分は捨てさせる為に言っていることはわかっている。

 そしてその言葉は嬉しかった。自分の罪を手離さないまま、心が軽くなったのは本当。

 だけど、同時にソラの言葉の残酷さにキルアは気付いてしまった。

 

「……なんだよ……それ……」

 

 だから、止まっていたはずの涙がまた浮かび上がって、視界を滲ませる。

 けれど今度は意地を捨てきることが出来ず、泣きじゃくることが出来ない。

 泣く資格など自分にはないことを、思い出してしまった。

 

「それじゃあ……結局どう足掻いたって、無駄って事かよ! 『取り返しのつかない事』っていうのは……、ゴンの目玉が奪われるってのは誰が何したって変えれなかった運命って事かよ!!」

 

 ソラの言葉はキルアにとっては優しいものだが、それはゴンやそしてソラ自身にとってはあまりに残酷なものだった。

 もしも話の上でも、救われない運命だったなんて認められない。認めたくない。だからキルアは、認めない。

 

 けれど、ソラは可能性の魔法使いの弟子だ。

 彼よりもはるかに「運命」とはどのようなものかを知っている。

 だから、迷いも躊躇もなく言い切る。

 

「そうだよ。『取り返しのつかない事』っていうのは、本当に『取り返しのつかない事』であればあるほど、ジジイの魔法ですら無意味だ。過去に渡っても、自分が犯した失敗をやり直したって小さな支流が出来るだけで、自分以外の誰かが同じ失敗を犯したりすることで、どこかで誰かが帳尻合わせをすることで本流に合流する。

 仮に支流がそのまま本流に合流しなかったとしたら、どこにも合流しないか細い支流なんてどこかで必ず枯れ果てるっていう、それはそれで『取り返しがつかない事』になるんだ」

 

「魔法」でも変えられない。変えられたとしても、きっとより残酷な「運命」に分岐するだけだと魔法使いの弟子は言う。

 

 包帯に包まれていても、眼球を失っていても、それでもそこにあるのは、その眼下に詰まっているのは「希望」であると確信できる笑顔で、彼女はどこまでも揺るがず、迷わずに語る。

 

「けどな、キルア。『取り返しのつかない事』っていうのは全部、結果論だ。結果が出てしまったからこそ、『取り返しがつかない事』なんだよ。

 結果が出ていないのなら、間に合うさ。例え本流が悲劇に突き進んでいても、か細い支流でその悲劇の部分だけ避けて通って、至りたい未来がある本流に合流する裏ワザだってある。

 

 キルア。ゴンの眼が奪われたのも、君がゴンを助けようとせずに逃げ出したという出来事は、海の言う通り既に器からこぼれた水だ。それはもう、取り返しがつかない。

 けどな……キルア。その水はもう既に土に染み込んで掬い上げることも出来ないものなのか? 乾いてもうどこにも残っていないのか? 違うだろ?」

 

 取り返しがつかないことが起こってしまった。

 けれどまだ、終わってなどいないとキルアにソラは教えてやる。

 キルアが零した水は、まだ「そこ」にあることを告げる。

 

「器を満たしていた清らかな水は、確かにもう戻らない。それでも、無様でも何でも地べたを這いずって掬いあげれば、泥が混じっていても、器の半分にも満たないぐらいにしかもう戻ってこなくても……それでも取り戻せるかもしれない。

 まぁ、そんな水はいらないって言われたらもう何も言えなくなるけどさ……。それでも、掬ってみたら思ったよりもずっと汚れていないし、ずっとずっと多くの水を取り戻せるかもしれない」

 

 ゴンの眼を奪われたことも、ゴンを見捨てて逃げたことも、もう変えられない事実だけど、取り返しがつかない事態となったのは、こぼれた水は、取り戻せないのはその「事実」という「過去」だけだとソラは言う。

 今ならまだ、取り戻せるものはあると教える。

 

 キルアが裏切ったという事実が泥となり、信頼を失っても、最初のほど信じてもらえなくても、好きになってもらえなくても、それでも……キルアが諦めずにどれほど無様でも取り戻そうと足掻けば足掻いただけ、器にこぼした水が戻ってくるかもしれないと、ソラは言ってくれた。

 

 それも所詮は慰めであることを、キルアは理解している。

 けれどキルアにとってその言葉は、その可能性は……無様に泣いて縋って這いつくばってでも欲しかったもの。

 

「……なぁ……ソラ…………。俺……最低だ。

 ……見捨てたのに、……裏切ったのに……それなのに俺……まだ一緒にいたいんだ……」

 

 泣きたくないのに、意地を張りたいのに、その意地を全て取り払ってしまう目の前の女に腹を立ててキルアは、八つ当たりもかねて力いっぱいしがみつく。相手が痛いかなんて考えず、ただ抱き着いて、泣きつく自分の顔を相手の肩に押し当てて隠して、告げる。

 

 自分の、許されないと思って言えなかった自分の本音をぶちまけた。

 

「……許されなくても、それでも俺はまだ……ゴンと一緒にいたいんだ。……一緒にいて、今度こそ強くなって……あいつみたいになって、……それで……完全に許されることはなくてもいい……でも、また『友達』って言えるくらいに……取り戻したいんだ……。許されたいんだ……」

 

 キルアの本音に、身勝手だけどどこまでも真摯な、取り戻したいものを聞いたソラは、やはり怯えるようにだがそれでも、最初から変わらずキルアに触れる。

 恐れながらでも、触れなかった事で起こるかもしれない「取り返しのつかない事」を防ぐために、ソラは精一杯の勇気を込めて、キルアを抱き返し、背中を撫でて答えていやる。

 

「……それが叶うかどうかの保証は、私にはしてやれない。

 でもな、キルア。『取り返しのつかない事』が些細なことの積み重ねなら、『掛け替えのない幸せ』だって些細なことの積み重ねだ。君が多くのものを捨てたって、悲劇に至る流れは変えれないことの方が多い。それなら、その悲劇だけを避ける支流を作る為に、小さな何かを積み重ねていく方がずっといい。

 

 ――大丈夫。君が足掻いてもがいて守って掴んで取り戻したものは、いつか必ず君にとって掛け替えのない輝けるものになる。それは……保障してやるさ」

 

 そんなの、今更だった。

 あの日、1年ほど前の飛行船で何気ない気まぐれと興味という些細な出来事から掴んだ、掛け替えのない輝けるものをキルアは抱きしめながら、心の中でそう思った。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 しばしキルアはまだ納まらない嗚咽を落ち着くまで、ソラの肩にぐりぐりと額を押し当て続けていた。

 これはさすがに絶対に誰にも言えない本心だが、キルア自身まだ離れたくないから涙を止める気になれなかった。

 

「キルア!!」

 

 だが、背後からの声でキルアのプライドが復活したのか、涙は一瞬で止まってほぼ突き飛ばす勢いでソラから離れた。

 そして、キルアが振り返ると同時にキルアのみぞおちに凄まじい勢いでタックルを決められ、キルアはそのまま後ろにいたソラも巻き添えで転倒。

 

「キルア!!」

「ごふっ!」

「ぎゃあっ!!」

「……何してんだ、お前ら?」

 

 3人の追突事故を、傘をさしたレオリオが呆れきった眼で見て呟き、同じく傘をさしたクラピカがやや狼狽えながら三人……というかソラに向かって駆け寄る。

 が、衝突事故の戦犯であるゴンはそれどころではなかった。

 

「キルアの馬鹿! 何でいきなりどっか行くんだよ!! レオリオ達と合流できたから良かったものの、雨だからキルアの匂いもわかんなくて、もしかして一人の所をオモカゲに襲われてるんじゃないかって心配で……ああ、もうキルアのバカバカバカ!!」

「はぁ!?」

 

 ゴンは応急処置のつもりかソラと同じように眼に包帯を巻いた状態で、キルアに馬乗りになって捲し立てる。

 その捲し立てる発言に、いきなりタックルを決められた怒りが吹っ飛んでキルアはポカンと目を丸くさせた。

 そんなキルアの様子に気付いた様子もなく、ゴンはキルアにバカ連呼の合間にキルアの肩を掴んで訊く。

 

「ねぇ、キルア! 大丈夫!? どこも怪我してない!?」

 

 ゴンの問いも、キルアは理解出来ないまま唖然としていた。唖然としたまま、それでも彼の口からこぼれた言葉は「……大丈夫」だった。

 しかしゴンはキルアの返答に納得した様子はなく、更に念押しで尋ねる。

 

「本当! 何かお酒の匂いと血の匂いがするけど、本当に怪我してない!?」

「は? いやマジで怪我は…………! ってそれ、俺じゃねーよ! おい、ソラ! お前、頭大丈夫か!?」

「心配するなら、早くどいてやれ! ソラもどけでも何でもいいから何か言え! というか、何があったんだ!? 怪我してるのか、こいつは!?」

 

 ゴンの念押しに今度は別の意味でポカンとしてから、ソラが自分を庇って後頭部に酒瓶のフルスイングを喰らったことを思い出し、慌ててキルアはゴンのタックルの巻き添えで下敷きにしているソラに振り返って尋ね、ソラの元に駆け寄ってきていたクラピカにも突っ込まれる。

 

 しかしソラはクラピカの心配をスルーして、キルアとゴンがどいたらケロッとした顔で起き上がり、「あぁ、大丈夫大丈夫。っていうか、怪我してんの私?」と言い出し、思わずキルアは「本当に心配を無駄にさせる天才だな!!」と逆ギレして後頭部、酒瓶で殴られたところをぶん殴っておいた。

 

 さすがにそれは痛かったらしくソラは悶絶して、クラピカとレオリオを心配したらいいのか、呆れたらいいのかで悩ませるが、殴ったキルアは自業自得と思って放っておくことにし、気を取り直してゴンと向き合って尋ねる。

 

「つーか、ゴン。何でお前、ここに……」

「キルアが勝手にどっか行っちゃうからじゃん!」

 

 最後まで言い切る前にゴンはもう一回、憤慨しながら答える。

 その怒りはどう見ても、「勝手にどこかに離れて行ったこと」に対しての怒り、迷子を叱る親のような憤慨であり、決してキルアが「逃げた」ことを責めていない。

 それが理解出来ず、キルアは思わずゴンに怒鳴りつけてしまう。

 

「どっか行ったんじゃない! 逃げたんだよ! 俺は!!

 俺は、何度も何度もお前に庇われて、助けられたのに……それなのに俺は我が身かわいさでお前を見捨てて……」

「見捨ててないよ! キルアは俺の眼を奪われた後、イルミに立ち向かおうとしてたことくらい、見えてなくてもわかるよ!」

 

 キルアの言葉に、ゴンも怒鳴り返す。

 キルアは決して自分を裏切っていない、見捨てていないと言い張る。まるで、ゴンの方が裏切ったのに見捨てないで欲しいと縋り付いているような、図々しいことを堂々と言い放つ。

 もちろん、そんな風に言い訳して納得できるのなら、キルアは今ここにいない。

 だからゴンの言葉に「でも……」と何かを言い返そうとするが、それもゴンは最後どころか最初も言わせなかった。

 

「それに俺……、キルアになら裏切られてもいいよ!」

「え?」

 

 しれっと、ゴンは言い切る。

 

 ゴンにとってキルアが命の危機を感じて逃げることは、決して裏切りではない。

 何があっても、例え自分は助からなくても友達は生き延びて欲しいと思っているから、自分のように力量差を考えずバカやってキルアも死んでしまうぐらいなら、バカな自分など見捨てて助かって欲しいがゴンの本音。

 

「だって、キルアは友達だもん。だから、俺は何があってもキルアを助けるよ。

 キルアが怪我したり、死んじゃうよりはずっといいから!」

 

 キルアを助けるのは、自分のわがままと彼を大切に思っていた人達……、たとえキルア自身が与えて欲しいと望んでいたものとは違っていても、間違いなく彼を愛している彼の家族やゾルディック家の使用人たちに対する誠意。

 

 彼をゾルディック家から連れ出すことは、家業柄キルア自身のしたことでなくても絶対に買ってしまっている恨みの危険にさらすということ。

 そんな危険にさらすのは、キルアと一緒にいたい、キルアにもう人殺しなんてしてほしくないと望んだ自分のワガママであることを、あの1年前のゾルディック家で思い知ったから。

 

 だから、彼を守ろうと誓った。

 それが自分に出来る精一杯の誠意と、友情の証だったから。

 

 ゴンにとっては全てが当たり前の行動と発言なのだが、キルアはもう何を言えばいいのか、どう反応したらいいのか完全にわからなくなってしまったのか、口をポカンと開けてそのままぺたりと座り込んでしまった。

 

 そりゃ、脱力もするだろう。自分がこぼしたと思っていた水……、ゴンからの信頼や友情はキルア自身が取り戻そうと、泥に汚れていても掬い上げようとしたものは、初めから一滴たりとも失われてはいなかったと本人から聞かされたら、それを喜ぶより先立つ思いは「俺の罪悪感や覚悟は何だったんだ?」であり、力も抜ける。

 

「あれ? え? キルア、どうかした?」

「……あはっ! なんだ、キルア。君がこぼした水は君が掬う前に全部、ゴンが受け止めてくれてるじゃん」

 

 ゴンの相変わらず真っ直ぐ純粋だが、猪突猛進なワガママ具合に気が抜けてしまったキルアを、脱力させた本人は何が何だかわからず狼狽しながら、ソラはおかしげに笑いながら近寄り、そして二人は同時に手を差し出す。

 

 立ち上がれなくなったキルアに、「一緒に行こう」と言うように差し出された手をキルアは何度か瞬きをして見比べ、それから彼は自分の頬を両手でバチンと痛そうな音が出るほど叩いて立ち上がる。

 ……二人の手はどちらも取らず、自分の足で、自分の力で立ち上がる。

 

「あー! マジで俺が一番アホじゃねーか! 悩んで損したわ!!」

 

 ヤケクソ気味に、叫ぶようにそう言って。

 涙が雨で誤魔化せていると信じて。

 

 どんなにゴンが「友達だから裏切られてもいい」と言ってくれても、やはりキルアから「裏切ってしまった」という罪悪感は消せやしない。消してしまいたくない。

 だって本当にその言葉に甘えてしまえば、ゴンを見捨てて逃げた行為が、「本能」によるものではなく「本性」になってしまう。自分はゴンの「友達」ではなくなってしまう。

 

 だから、今はまだその手を掴めない。掴まない、甘えてしまわないと誓う。

 

 今は掴めないけれど、またもう一度、今度こそ何の迷いもなく、罪悪感や引け目など懐かず堂々と掴みたいから。

 座り込んだ自分を引き上げて、どこかに連れて行ってもらう為ではなく、自分が連れて行ってやりたいから。

 

 だからキルアは、今はまだ自分一人で大丈夫と二人に言うように、立ち上がって告げる。

 笑って、言った。

 

「――――ありがとな」

 

 * * *

 

「話はまとまったか? なら、そろそろこっちにも事情を説明してくれ。ゴンから多少は聞いたけど、支離滅裂でお前らに何が起こったのか正確にはまだよくわかってねーんだよ」

 

 キルアの珍しい素直な礼の言葉のしばし後、気まずげに傘をさしたレオリオがその傘の下で軽く手を上げて要望を述べ、3人はレオリオとクラピカを蚊帳の外にしていたことに気付いて「あ」と声を上げる。

 が、ゴンとキルア側の事情の説明をする前に、キルアがもっと早くに疑問に思うべき処に気付いてまずは先にそちらを尋ねた。

 

「っていうか、ソラ。お前どうやって、俺を見つけたんだよ? そもそも、何で一人で行動してたんだ?」

 

 ソラたちが何故ここにいるのかは、別に尋ねる必要はない。

 無理するなとは言っていたが、ソラもクラピカもそれを大人しく聞いてくれる奴ではないのはわかりきっている。だから今朝方の自分の電話で大人しくしていられなくなって、こちらに向かってきただけなのもわかってる。

 そしてクラピカの能力なら、当てもなくうろついているキルアやキルアを探していたゴンを見つけ出すことも出来ただろう。

 

 わからないのは、何故ソラだけが一人先にキルアを見つけることが出来たのかだ。

 眼を失っているソラをこの二人、特にクラピカが一人にさせる訳がないはずなのに、何故ソラは一人で行動していたのか、そして一人で行動していたのならどうやって自分を見つけ出したのが気になって尋ねたのだが、それを訊いた瞬間、空気が凍った。

 

「……え? ……俺、何か変なこと訊いた?」

 

 しばし間を置き、キルアは思わず横のゴンに尋ねるが、ゴンも空気の不穏さに気付いて困惑しながら首を横にブンブン振る。

 その反応で、この凍った空気の原因は自分が元凶ではないとキルアは自信を持つが、安堵は出来ない。

 

 安堵できない原因はもちろん、レオリオの「やっちまったー」という顔でも、青ざめた顔で自分からそっと眼を逸らすクラピカでもなく、自分の眼の前で笑っているソラだ。

 ソラは笑っている、笑っているのだが何も話してはくれず無言を続行。

 そしてその笑顔も、包帯で眼を隠されてもあの花の(かんばせ)としか言いようがない美しい笑みだが、目だけは一切笑っていない、ソラがガチギレしている時の笑みであるのがわかった。

 

 なのでキルアは、どう考えてもそのガチギレの元凶であるクラピカを睨み付けるが、彼が観念して何をやらかしたかを告白する前にソラは言った。

 

「キルアを見つけられたのは、これ。

 君にプレゼントしたペンダントと連動してこの針が動くから、これで見つけた。見えてなくても、連動して動く針の方向は集中すれば魔力を感じ取ってわかるからね」

 

 ソラは笑顔のまま、ツナギのポケットから鎖で三つ連なる懐中時計らしきものをジャラリと取り出し、その内の一つの蓋を開いて見せた。

 開けられた蓋の中身は、時計ではなく羅針盤。ただ、中のゆらゆら揺れる針はキルアのペンダントトップと同じ鮮やかな赤で、そしてその針は北ではなく真っ直ぐキルアを指し示している。

 

 自分の誕生日プレゼントが発信器のような役割を持っていたことに、キルアは「ストーカーか、てめぇ……」と軽く怒りを表すが、この女がそれをストーカーのように悪用しないのは知っているので口ほど気にはしていない。

 怒りはプライバシーの侵害ではなく、それを使って知らない内にキルアの危機を排除するための無茶をしそうだからだ。

 

 しかしキルアの怒りはソラに笑って受け流される。というか、ソラが一人でキルアを先に見つけ出せた理由が、色んなものを吹っ飛ばす。

 

「あはは。けどそれに集中するあまりに、一人で突っ走ってレオリオは途中で撒いちゃった。クラピカ? 誰ですかそれ?」

「「え?」」

 

 彼女自身に視力がなくてもキルアを見つける術があったのなら、一人で行動していた理由は察しがついたのでレオリオに関しては「だろうな」としか思えなかったが、クラピカに関しての発言に思わずキルアとゴンは困惑する。

 あまりに自然に「誰?」と言い張り、自分の後ろでクラピカが傷ついたように切なげな顔をしているというのに、ソラは気付いていない訳でもないだろうにそれでもしれっとしているので、キルアもゴンもさらに訳がわからなくなって、ゴンはおずおずと「あの……、ソラ……。後ろにクラピカが……」と指摘するが、その指摘に対してソラが真顔で言い切る。

 

「後ろの人? レオリオはともかくもう一人は知らない人です」

「おい、クラピカ! お前マジでこいつに何やった!?」

「ソラ! 私が本当に全面的に悪かったから、そろそろ存在を認識してくれ!!」

 

 ソラの「知らない人」と言い張る強情さと、ですます調の敬語にこれは冗談抜きでヤバいと思ったキルアが突っ込むと、クラピカは割と本気で泣きそうな声でソラに許しを乞う。

 が、クラピカに対して厳しい所はあるがそれは溺愛ゆえの厳しさ、基本は甘すぎるはずのソラは、やはり彼の声など聞こえていないと言わんばかりにツーンと無視。

 

「……え? クラピカ、本当に何したの?」

「わかんねぇ。俺の方が訊きてぇよ」

 

 ソラの様子に若干怯えながらゴンがレオリオに尋ねるが、レオリオは遠い目で自分もお手上げであることを告げる。

 レオリオが言うには、クラピカが自分の能力で自分の傷を治した直後から、ソラはクラピカを徹底的に無視しているらしい。

 

 たまに反応したかと思えば、他人行儀な敬語で知らない人扱いをし、レオリオが「お前は何にキレてるんだよ?」と尋ねられても、「え? 怒ってないよ? 怒る理由なんてないもん? クラピカ? 何で知らない人の事で私が怒るの?」と言い張って、道中ずっとクラピカを凹ませにかかっていたようだ。

 

 クラピカ自身はソラのマジギレに心当たりはあるようだが、彼もその理由をレオリオには話さなかった。いや、話そうとはしたのだが、その瞬間にソラが中身の入ったスチール缶のジュースを握りつぶして無言で微笑み、「あ、これは聞いちゃダメだし、話してもアウトなんですね」を二人に知らしめたので、どちらも断念した。

 レオリオにとってはいい迷惑である。

 

 そんな大迷惑をかけていることに気付けないほど、もしくはわかっていてもやめられないほどに怒っているソラは、自分が悪かったと何度も謝るクラピカをやはりスルーして、サラッと話題を変える。

 

「ところでゴン、レツって子はどうしたの?」

 

 キルアの話は支離滅裂だったが、概要くらいは理解出来ていたソラがゴンに尋ねると、ゴンはちょっとまだクラピカを無視するソラに引きつつも素直に答える。

 

「え? ……さぁ? キルアを追いかけて全力で走って来たから――」

 

 ソラの問いに「レツって誰だ?」とレオリオはキルアに訊き、キルアが二人に何が起こったのかを話そうとするが、ゴンの続いた言葉に話そうとしていた内容が全部吹っ飛んだ。

 

「今頃()()()()()()()戻ってるんじゃないかな?」

「え?」

 

 きょとんと目を丸くするキルアに、ゴンは少し気まずげに笑って答える。

 

「俺、レツと出会った時から変だなって思ってたんだ。表情と裏腹に、いつも悲しい目をしてたから……。あの眼は、レツの眼じゃないと思う」

「……昨日、海と一緒に現れたオモカゲにも眼がなかったって言ってたもんね。私とパイロの時のように視界を共有できるのなら、自分の眼を相手に預けるのは有効だな」

 

 ソラもキルアの話の段階でレツの正体に関して見当がついていたのか、冷静にゴンの想像を補強する憶測を口にする。

 そしてキルアも、言われてようやくモヤモヤと胸の内で引っかかっていた違和感が全て線となって結びつく。

 

 レツは服屋から出た時にはその直前まで抱きしめていた人形を、持っていなかった。

 おそらくあれが、人の心に潜り込む能力そのものだ。

 

 よくよく考えれば、いくら人の心に潜り込む能力そのものは「無害だからこそ気付けない」ものだとしても、オモカゲのことなど何も知らない内に潜り込まれてしまったソラとクラピカならともかく、もう既に能力をある程度把握して警戒していたキルアに気付かれぬほど遠距離から能力を掛けて、心に潜り込んだというのは無理がある。

 特に奴は、遠距離系の能力を得意とする放出系とは相性が悪い特質系だ。

 

 それなのに、キルアに気付かれることなく彼の心からソラとイルミという執心を使って人形を作りだした時点で、気付くべきだった。

 レツとオモカゲが裏で繋がっている可能性は考えていたが、そうだとしたら自分達の眼を狙って来ると思っていたので、彼女が自分たちには直接危害をくわえようとはせず、「心」に潜り込む隙を探していたのは盲点だったことに、キルアはようやく気が付いて舌を打つ。

 

「くそっ! イルミの人形が現れた時点で気づくべきだった……。俺がもっとしっかりしてりゃ、ゴンも眼を奪われなくて済んだのに……」

「ううん、これでいいんだ。

 クラピカ! クラピカの鎖で、俺の眼がどこにあるかわからない? まだ俺の眼には、今の俺よりもオーラが籠ってると思うんだ!」

 

 悔しげな声を上げるキルアに、当の本人は朗らかに笑ってクラピカにかなりの無茶ぶりを言い出した。

 ゴンの提案にクラピカは凹むのやめて少し驚いたように目を軽く見開いてから、呆れたような顔と声で答える。

 

「……お前という奴は、本当に無理と無茶をするな。

 どこまでが計算か知らないが、出来る。というか、この町に着いてお前達を探そうとした時、何故かゴンの居場所を示す反応が二つあった」

『えっ!?』

 

 クラピカの答えに、キルアとレオリオだけではなく何故か提案者のゴンも驚き、全員から「……おい」という目で見られた。

 やはりゴンは計算づくで自分の眼を奪わせた訳ではなく、勢いでやってから後で「こんなことできるんじゃないかな?」という思い付きの無茶ぶりを言ってみていただけのようだ。知ってた。

 

 ちなみに、ソラはクラピカの言葉に無反応を貫いてたが、一瞬だけ「本当!? すごい!」と言いたげに顔が無邪気に輝いていた。

 なのでクラピカは自分が本気でソラにとって「知らない人」レベルにまで愛想が尽かされたわけではないことを知り、ホッとしながら薬指の鎖を具現化して言葉を続けた。

 

「最初は意味がわからなかったが、なるほど、そういうことか。

 お前の言う通り、オモカゲの能力は眼球だけではなく、その持ち主の生命エネルギー(オーラ)も大部分を奪い取るからこそ……、奪われて間もないのなら本人よりその眼球の方がオーラが籠っている。ソラの眼は残念ながら日が経ちすぎている所為か反応はないが……ゴンの眼なら問題ない」

 

 そう説明しながら、クラピカは傘を顎と肩で挟んで固定しながら地図を広げて鎖を垂らすと、現在地はもちろん町から離れても薬指の振り子は現在地よりも大きく円を描いてクルクル回る。

 その鎖の動きを見て、歓声が上がる。

 

 ゴンの眼が奪われていることを幸いとは言いにくいが、それでもう奪われて逃げられての一方的なやられっぱなしでもない。

 ようやくこちらも反撃できることを、ゴンやキルア、レオリオだけではなくクラピカさえも好戦的な笑みを浮かべ、ソラは嬉しそうに声を上げる。

 

「やった! これで奴の元に行けるね! ありがとう助かったよ、知らない人!!」

「まだ私は他人なのか!?」

 

 まさかのまだ他人扱いにクラピカは突っ込み、3人は脱力する。

 なんだか心配したくない方向性で、このままオモカゲのアジトに行くのが不安になって来た。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……ここだ。間違いない」

 

 激しくぐるぐる回る振り子と屋敷を前にして、クラピカは重苦しく言った。

 海とイルミの人形が待ち構えていた廃墟とは、逆方向の郊外。

 切り立った崖の上に佇む洋館は廃墟よりもずいぶん大きくて立派だが、第一印象は昼間の廃墟と同じくお化け屋敷としか言いようがない不気味さ。

 

 そんな屋敷をオモカゲのそのもののように怒りが籠った眼で睨み付け、キルアがまず言った。

 

「オモカゲは相当ヤバい相手だからな。作戦が必要だ」

「あぁ、戦いは避けて二人の眼を奪い返すのを最優先する。……ゴンとソラは隠れててくれ。っていうかマジで余計なことすんな」

 

 キルアの言葉に続いて、レオリオが忠告というか懇願する。

 散々、こちらの精神を甚振るような真似をされてきたので、レオリオとキルアは今すぐにオモカゲの顔面を殴り飛ばしたい気持ちを抑えて、何とか冷静に対処するためにまずは、目玉取られているくせに勝手に突っ走りそうな二人に大人しくしとけと念押しするが、ゴンはやや不服そう、ソラはごかますように「てへっ!」と笑うので、キルアがキレて「本当にわかってんのかてめーら!」と怒鳴った。

 だが、彼らは一つ失念していた。

 

 このメンバーの中に、実は猪突猛進バカはもう一人いることをすっかりキルアもレオリオも忘れていた。

 

 その失念していた事実に気付いたのは、怒鳴るキルアと叱られている二人を呆れたように見ていたレオリオ。

 彼は「言ってる場合か……」と思いながら眺めていたら、自分の背後で扉が開く音がしたことに気付き、「向こうからやってきやがった!?」と焦って振り返ると、そこには単身特攻しようとしているクラピカ。

 

「おい、クラピカ!」

「傷は完治した、オーラも回復しているから問題はない。……奴は私が倒す。レオリオ達こそ、危険な戦いは避けるべきだ。ついてこない方がいい」

 

 慌ててレオリオがクラピカの肩を掴んで扉の外に引き戻して止めるが、クラピカはやや乱暴にレオリオの手を振り払ってこちらを見もせずに言う。

 その横顔の瞳は、業火のごとくの紅蓮に染まっていた。完全に彼は頭に血が昇って悪い癖、感情だけで動いている。

 

 なので慌ててキルアとゴンも駆け寄って、クラピカを止めにかかる。

 

「一人で戦うつもりなのか!?」

「ダメだよクラピカ! 相手はオモカゲだけじゃないんだよ!!」

「オモカゲが元旅団(クモ)の団員というのなら、私の手で復讐を果たすべき相手だ」

 

 しかし、それぐらいの説得で彼の頭に昇った血が下がるのであれば、クルタの集落にいた頃から彼の両親や親友、そして長老は苦労せずにすんだ。

 

 今の彼が復讐心だけで動いているのならば、まだ説得のしようがあったかもしれない。

 しきれなかったとしても、彼が冷静さを失う程の怒りが復讐心だけなら、いっそ腹パンで意識を奪ってその辺に隠しておくことに躊躇いは生まれなかった。

 

 そんな乱暴な方法で止めることに躊躇いが生まれたのも、何と説得すべきかわからなくなったのも、彼にとっては復讐心はむしろ怒りの割合としては小さい、自分以外の者を巻き込ませないための方便に過ぎないから。

 

「それに奴はパイロを……、私の親友を利用してソラの眼を奪った。その上、ソラの姉を手駒に使い、ゴンまでも傷つけて……」

「クラピカ……」

 

 あのヨークシンの一件でだいぶ矯正されたはずの悪い癖が再熱している要因は、クラピカにとって決して踏み入れてはならない聖域にオモカゲは土足で踏み入り、彼の逆鱗に触れるどころか毟り取るような行いをしているから。

 彼が冷静になれない要因が、キルアを守るためとはいえ浅はかだったとしか言えない自分の行為が大きく関わっていることを思い知って、ゴンは悲しげに呟いた。

 

 だが、それでも、だからこそ独りでなんか行かせる訳にはいかない。

 だからゴンは説得は諦めたが、「なら俺も行く!!」といつものワガママをぶちかまそうとした時……。

 

「…………はぁ?」

 

 不機嫌この上ない声に、思わず全員、クラピカも肩を跳ねあげて固まった。

 その声を聞いた瞬間、昇っていた血の気は一気に下がり、怒りのあまり紅潮していた顔が一転して青ざめ、瞳の緋色も急激に色を失っていく。

 そして真っ青な顔で、クラピカはゆっくりぎこちなく振り返り、声の主を確かめた。

 

「……ソ、……ソラ?」

 

 振り返った先のソラは、ニッコニコに笑っていた。

 笑っているのだが、何故だろう。背景にものすごく黒くて禍々しいものが立ち昇っているような気がするのは、たぶんクラピカだけではない。キルアとゴンに至っては、レオリオの背後に隠れてしまっている。

 

「ふふふ……。いったいどの口が、『何でもかんでも自分の責任として抱え込むな』って言うのかなー。いや、別にいいんだよ。だって私には関係ないもん。知らない人の事だし」

 

 クラピカのソラにした説教を棚上げな、自分が全部悪いと言って背負いこみ、無茶をやらかそうとしていることに明らかなガチギレしつつも、未だに彼を他人扱いしながらソラはツカツカと歩み寄る。

 もはやクラピカにはソラからの他人扱いに凹む余裕もなく、思わずソラが近づいた分だけ後ずさって距離を置く。

 

 が、すぐに自分が一回開けた扉に背中をぶつけて行き止まる。

 そこまで追い詰めながら、ソラはやはり笑顔のまま近づいて来て言う。

 

「いいんだけどさぁ……、さすがにちょーっと腹が立つなぁ」

 

 言われて仕方ないことをやった自覚はあるので、言い訳の言葉はクラピカには思い浮かばない。というか、浮かんでも口にする勇気はない。

 せめてもの足掻きに助けを求めるようにあたりに視線をやると、自分の傍らで自分を止めようとしてくれていた3人はいつの間にかずいぶん遠くにいる。

 クラピカの頭に血が昇った馬鹿げた行動は止めてくれても、ソラから助けてくれる気は皆無のようだ。ゴンでさえも、両手を合わせて「ごめん」とジェスチャーしている。

 

 それもやはり自業自得だとはわかっているが、それでも「裏切り者!!」と恨み言を内心でこぼしながら視線をソラに戻すと、彼女はあと一歩踏み出せば自分と抱き合うくらいにまで距離を詰めてきた。

 そして包帯に包まれた顔、空っぽのはずの眼でクラピカを真っ直ぐに見て言う。

 

「――私は、どんなにバカげた真似でも、『死んでもいいや』なんて気持ちでやったことはない。

 私が自分の命や寿命を犠牲や引き換えにしているように見えているのなら、それは間違いだ。私はいつもいつだって、死にたくないから、生きていたいからの行動しかしてないよ。クラピカ」

「え? って、うわっ!?」

 

 数時間ぶりに知らない人ではなく名を呼んでもらったことに、焦りや恐怖は吹っ飛んで困惑したが、もちろんそれを喜ぶ暇など与えてはくれない。

 ソラはクラピカに一方的に言い放って彼を困惑させた隙に、ヤクザキックで扉をぶち破った。

 さすがにクラピカごと蹴ったわけではない。足でクラピカの背後の扉に壁ドンの要領で蹴りつけてぶち壊し、扉にもたれかかっていたクラピカはそのまま後ろに倒れる。

 ちなみに、クラピカがもたれかかりソラがぶち破った扉は、引き戸である。

 

 本来開く方向とは逆方向にとんでもない力を掛けられて、蝶番がぶっ壊れた扉と一緒に倒れたクラピカをソラは素通りして、屋敷の中に入ってゆく。

 それを見て慌ててクラピカは起き上がり、離れていたゴンとキルア、レオリオも「ソラ!!」と呼びかけるが、もちろんソラは聞く訳がない。

 

 彼女は一度振り返り、包帯を巻いていても泣き出しそうな顔をしているとわかる顔で叫んだ。

 

 

 

「クラピカのバッカヤローーーーッッ!! 命を大事にしない奴なんて大っ嫌いだ! どこぞのもののけの姫みたいなこと言わせてんじゃねーよ! 自分で言っといて説得力ないし!!

 君が独りで勝手にするって言うんなら、私だって勝手にやって君の仇なんてむしろ君が同情してしまうくらいにボッコボコにしてやるーー!!!!」

 

 

 

 顔は悲痛なのに、緊張感やらシリアスやらを爆散させる発言をぶちかまし、そのままソラは屋敷の奥へとダッシュ。

 そしてどうでもいいが、そのセリフはもののけの姫ではなく息子の作品であるゲドな戦記であることに気付いてない。素で間違えている。

 

「クラピカ本当に何したの!?」

「待てソラ! 私が悪かった! 本当に私が悪かったし反省している!! もうバカなことは言わないしやらないから、ひとまず止まれ!!」

「うわっ、スピード上がりやがった!!」

「クラピカ、てめぇもう何も言うな! 全部逆効果だ!!」

 

 ゴンが改めてソラがブチキレている理由をクラピカに問うが、そんなの答える余裕などないクラピカがソラを追いながら再び謝るが、クラピカの謝罪はキルアの言う通り火に油でしかない。

 作戦もクソもなくどたばたとソラを追いかけて、4人は屋敷を疾走しながらちょっと思う。

 

 前門にブチキレて、八つ当たりでオモカゲをボコろうとしているソラ。後門に忠誠心皆無殺意は全開、隙あらばオモカゲをディスる海。

 このエアブレイカーどころかエアデストロイヤー姉妹に挟まれたオモカゲはともかく、シリアスは生き残れるのが本気で不安になって来た。





ちなみに原作である映画と本編とで、オモカゲのアジトまで辿り着いた方法が全然違います。
原作だと「ゴンが自分の眼にオーラを込めて、それを辿って見つけた」でしたが、私が「いや、無理だろ。それ、蟻編あたりのゴンでも無理じゃね?」と思ったので、クラピカの眼は無事なのもあって本編のように変更しました。

ゴンは放出系よりの強化系なので、絶対に無理とまでは思ってないけど、それでもあの状況でそんなことが出来るほどの度胸はあっても実力はまだこの時点ではないと思う私は、別に過小評価じゃないですよね?

そもそも自分の眼とはいえ、そう簡単に相手の能力で奪われたものを追跡・探索できるのなら、メモリの大部分を使ってそういう系の能力を作りだした能力者さんの立場がない気がする。

っていうか、何で一応は公式と言える映画の内容に「原作(漫画)の設定に合ってなくない?」と思ってしまう部分があって、二次創作で修正しなくちゃいけないんだ?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。