死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

156 / 185
幕間:屑が屑たる所以

 夢を見る。

 

 脳などその頭蓋にはない。

「これ」は上っ面だけの形代。

 

 だけどその空っぽの中身に詰め込まれた「記憶」は本物だから。

 だから、生前の真似事で夢を見る。

 

 まどろみの中、記憶を整理するだけ。

 必要な記憶、いらない記憶、思い出したくもない記憶、覚えておきたい記憶を整理するだけ。

 

 そしてこれは、その整理の最中に少し思い出に浸っただけ。

 

 ただそれだけの、「夢」だ。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「姉さんは、どうして『根源』に至りたいの?』

 

 ベッドの中で、妹は問うた。

 瞼は半分以上閉じているので、おそらくは夢半ばの発言だろう。だから、何も答えず自分も瞼を閉ざして寝入ってしまえば良かった。答える必要など、きっとなかった。

 

 けれど、海は横たわったまま妹と向き合って答えた。

 

「……どうして、かしらね?」

 

 答えておきながら、問いかけた。

 それは、海に出せた精一杯の答え。

 

 閉じかけていた妹の眼が開く。どうやら、眠気が吹っ飛ぶほどその答えは妹にとって意外だったようだ。

 

「わかんないの?」

 

 問い返す妹に、海は曖昧な笑みを浮かべて語る。

 

「そうね。私は自分が何故、『根源』に至りたいのかがわからないわ。けど、絶対に私は至りたいの。魔術師としての栄誉とか使命とか、そういうのはどうでもいいの。

 そこに至って、魔法を得て、何かしたい訳でもないのだけど……どうしようもなく惹かれてしまうの。……親の事を私は馬鹿にする資格なんてないわね。むしろ、目的らしい目的もないのに『根源』を目指す私の方が、馬鹿なのかしら?」

 

 現存する4人の魔法使いの内の一人、第二魔法の使い手キシュア・ゼルレッチの弟子の子孫。魔術師の名家と言える式織家の後継ぎとして生まれ、育てられている海に出せる、精一杯の答え。

 魔術師としての最終目標である「根源に至る」こと。それを「どうしてそれを目標にしているの?」と問われたら、海は「わからない」としか答えようがなかった。

 

 妹の質問はきっと、自分の父母や他の魔術師らしい魔術師からしたら噴飯ものなのだろう。

 それを問うこと自体が、魔術師としての生を、存在を否定しているも同然だから。

 生きている限り心臓を動かして呼吸をするように、魔術師として生まれたら「そこ」を、根源を目指すのは当然だと、彼らは思考停止しているから。

 

 せいぜい上げるとするならば、「根源に至る」という事実が魔術師として最大の栄誉であるからが理由。

 けれどそれは、海からしたら失笑ものの理由。

 

「根源に至る」を本当に栄誉だと思っているのなら、それは根本から思い違いをしている。

「根源」はその名の通り、万物の根源なのだから自分たち魔術師はもちろん、魔術師が見下す一般人だって元は「根源」から生まれたもの。至るまでもなく、どんなに遠くでもか細くとも、それでも繋がっている。

 

 だから、別に誰もそこに至る努力などしてなくても、そこから生まれた事実はあるし、いつか必ずそこに還る。

 それが当たり前の事なのだから、わざわざ逆流することや先回りすることを何故、栄誉だと思えるのかが海には理解出来ない。

 

 栄誉なんて俗物的な理由で求めているのなら、いっそ「魔法を得たい」「叶えたい願いがある」という即物的な理由で目指している方が、海からしたら好ましいくらいだ。

 魔術を根源に至る為ではなく、手段として扱う「魔術使い」を魔術師は見下しているので、そのような目的で「根源」を目指す者は魔術師にとって自分たちの全てを侮辱する大敵かもしれない。

 けれど海にとっては、根本から勘違いしている「栄誉」に目が眩んでいる輩より、明確な目的ありきで目指している者の方が正しいと思う。

 

 海にとって「栄誉」なんて、スポンサーを得るための実績証拠でしかない。

 それを最終目標にするのは、金銭を溜め込むだけ溜めこんで全く使わず、飢え死にするほどの本末転倒ではないかと思っているからこそ、海はただの偶然でも、一度限りでも「根源」に至れたらそれでいいと思っている自分の父母や、同じ様な考えの魔術師たちを軽蔑している。

 

 軽蔑している……のだが、けれど海は自分こそ、父母とは比べ物にならぬほど最も愚かな魔術師ではないかとも思っている。

 

 だって海にはそれこそ「目的」はあるのに、「意味」はない。

 

「根源に至る」という目的を、海は幼い頃から、物心がついた頃には既に、完全に持っていた。むしろ、初めからその目的を抱えて生まれ、ある程度の知識を得てその「目的」を明文化出来るようになっただけな気がするほど。

 

 そしてその「目的」は決して両親によって洗脳のように、自分の意思など関係なく押し付けられたものではない。

 それは、両親が躍起になって求める「栄誉」に興味がない時点で明白だ。

 

 だけど、「栄誉」に興味がないのならばなおさらに、海の「目的」には意味がない。

 そこに至って、「根源」から何かを手に入れたい訳でもないのに、そこを目指す自分の「意味」が海自身にもわからなかった。

 わからないけど、求めていた。

 

 理屈などなく、何もしなくともいつかそこに必ず至ることを理解していても、「式織 海」という存在のままそこにたどり着きたいと願ってやまない自分がいることだけは確かだった。

 だから海は、「いっそ、そこまで求める理由を『根源(そこ)』で見つけましょうか」と、これまた主客転倒しているような結論を出しかける。

 

 そんな必要はなかった。

 答えは「根源」にまで至らなくても、海は手に入れた。

 与えられた。

 

「……別に姉さんは馬鹿じゃないと思う。惹かれるのは、『当たり前』だよ」

 

 今度は海が眼を見開いた。

 

 いつしかまた瞼を半分ほど閉ざした妹が返した言葉に、海は眼を見開いてそのまま固まる。

 そんな姉の様子にやはり意識は既に夢半ばだからか、妹は全く気付いた様子もなく、うつらうつらしながら言葉を続けた。

 

「……姉さんが『根源に至りたい』のは、昔の人の『空を飛びたい』とか『海の最果てには何があるんだろう?』って気持ちとおんなじじゃないかなぁ?」

 

 その答えが、すとんとあっけなく胸に落ちた。

 今まで、一体自分は何に悩んでいたのかがわからなくなるほど、自分の中に欠けていた「目的」に対して「理由」のピースに、妹の言葉はぴったりと嵌り込む。

 

「……あぁ。そうね。うん、そうだわ」

 

 自分の「目的」は、身も蓋もなく言えばただの「好奇心」に過ぎないのだ。

 そこから生まれたと知っていても、いつか必ず至るとわかってはいても、そこから生まれたのは「式織 海」の原型で、そこに至るのは「式織 海」の最終であって、今の自分ではない。

 自分はただ、自分の眼で自分も知っているはずなのに見たことがない故郷を、自分が行き着くはずの最終到達地点を見てみたいだけだったと、海は自分の「目的」の理由を、意味をようやく理解した。

 

 それは、父母が固執する「栄誉」並に中身などない理由と意味かもしれない。

 けれど、その理由にも意味にも海は自嘲する気にはなれなかった。自分は結局、最も愚かな魔術師かもしれないことは否定できないけれど、迷いはなくなった。

 

 だって、この「好奇心」こそが人間を成長させてきたことを海は知っている。

 魔術師はもちろん、「神秘」を操れない普通の人間だって、成長や進化の始まりは、きっかけは「好奇心」だ。

 その「好奇心」が取り返しのつかない事態に陥らせるとは、神話の時代から、黄泉平坂やパンドラの匣で教えられてきたけれど、それでも未だに人類は「好奇心」を殺せていない。

 

「これはどうなるんだろう?」「この先には何があるんだろう?」という、ただそれだけの、後先など考えていなかった、損得などどうでも良かった、ただただ知りたかった、見たかった、求めてしまっただけの気持ちが大きな意味を、失敗だけではなく成功を、数多くの幸福を生み出してきたことも知っているから。

 

 海の中で決して手放せない、捨てられないくせに足場がふわふわとしていて頼りなく思えていた「根源に至る」という目的は、妹の言葉でしっかりとした地盤を得て、迷う理由などなくなった。

 だから海は、半分寝ている妹の髪を撫でて微笑み、それから尋ねる。

 

「……あなたには、何かあるの?

 私の『根源』のように、惹かれてやまない『何か』は」

「………………あるよ」

 

 もう瞼は完全に閉じていたので、答えは期待していなかったのだが、まだかろうじて寝ていなかったらしい妹は答えた。

 

「……末那(マナ)を……いいなぁって思うの」

 

 妹の答えに、海の笑みは消え失せる。

 妹に与えてもらった「答え」と同じものを返してやりたかったのに、それは叶わないことを思い知る。

 

「末那が……羨ましいなぁって……思うの。……式さんと幹也さんを見てると、あんな大人になって、あんな人と結婚したいなぁって思うの……。

 ……良いことをしたら褒められて、悪いことをしたら叱られて、当たり前のように生きて、当たり前のように死んでいく……そういう……『普通』に……私は惹かれるの」

 

 眼を閉ざし、起きているから答えているのか半ば寝言なのかよくわからない言葉を、うわ言のように妹は続ける。

 小学校に上がって出会った遠戚の友達を、その両親を羨み、憧れていると語る。

 どこまでありふれていて当たり前な平凡に、「普通」に焦がれていると告白する。

 

 そして、寂しげに妹は笑った。

 

「……でも、無理だよね。……だって、私は……『魔術師』だもん」

「――――そうね」

 

「そんなことはない」という否定など、出来なかった。そんな嘘を鵜呑みにする程、愚かだからこそ救われる妹ではないことを知っているから、海は潔く介錯するように同意した。

 

 ただ、妹がその「夢」を諦めてしまう理由に「魔術師」であることを上げているが、それは正確に言えば違う。

 この妹が「ただの魔術師」であるのなら、完全な「普通」は無理でも、それに限りなく近い位置にまで近づける事なら出来た。

「魔術師」としての全てを捨てさえすれば、出来た。

 

 けれどこの妹にそれは無理であることを、海は両親よりもはるかによく知っている。

 だからこそ今、一緒のベッドで寝ているのだ。

 

 妹は、「夜になると結界を張ってもお化けが一杯寄って来るから」という理由で、自分のベッドに潜り込んで明け方まで一緒に寝たがる。

 それを知れば、低級の死霊も追い払えない妹を両親は蔑むだろうが、妹は追い払えない訳ではない、怖いから一緒に寝たがっている訳ではないことをきっと、あの両親はいくら説明しても理解しないことは海もわかっているので、両親に気付かれないように協力しながら、妹の好きなようにやらせているのが現状。

 

 式織家は1世紀以上前に魔術とゼルレッチに傾倒したことをきっかけに縁を切られているが、一応は退魔四家の一つ「両義家」を本家とする血筋だ。

 かの家は「万能の人間」を作る為に、多数の精神を宿しそれに耐えうる無色の肉体を作ることに傾倒しており、絶縁されたことでその「技術」を式織家は失っている。だから、二重人格者は生まれない。

 

 だが、それでも何百年も脈々と作り上げてきた「無色の肉体」に至る為の血は、そう簡単に薄れも消えもしない。

 むしろその血が、普通の人間よりはるかに無色に近い肉体を得て生まれる事、「根源」に近い所から生じる事こそが式織家は魔術に傾倒し、そして魔術師にしては歴史が浅い部類でありながら「名家」扱いされる傑物が生まれる所以。

 

 そしてこの妹は、自分よりもはるかに「根源」に近い。何の遺伝子の悪戯か、おそらくはその身の透明度だけで言えば、本家の両義家に近いのではないかと海は思っているが、そのことに気付いているのは家族の中では海だけ。

 両親は俗物だから、魔術回路の数や魔力の質といったわかりやすいものだけで海の方を評価している。妹を評価している点なんて、希少極まりない「架空元素・無」という魔術属性くらいで、それさえも「珍しいだけで使い道がない」と蔑んでいるから、彼らは何もわかっていない。

 

 海の才能が他の一般的な魔術師と比べて飛び抜けているのなら、妹は才能自体は大したことがないが、妹自身の存在は、特性は突き抜けていることを両親は気付いていない。

 

 妹の「特異性」は「魔術師」という異常の中でも「突き抜けている」としか言いようがない。しかし、妹自身にその「突き抜けている」特異性を生かす才能はほとんどない。

 だからこそ、妹は死霊など怖がっていない。怖いとは思えない。故に、最高に危なっかしい。

 

 無色に限りなく近い妹の肉体は、蘇りたい死霊にとって最高の器だろうが、妹自身は式織家の人間らしい我の強さを持っているので、最低限の追い払う方法を教えていれば問題はない。付け入られる隙などこの妹は見せない。

 だが、付け入る隙は見せなくても、死霊どもは妹に付きまとう。そしてそれは、周りの無防備な一般人に影響を与える。

 

 これは「魔術師」としての素養ではなく妹の肉体そのものが持つ特性なので、「魔術師」としての全てを捨てても失われない。

 妹自身はその我の強さで無事でも、周囲に被害をもたらす呪いじみた存在になるので、そうなりたくないのなら最低限の「追い払う」術だけではなく「祓う」術も必要だからこそ、「魔術師」であることは捨てられない。

 

 そして妹は死霊を怖がっていないし、その体を死霊に明け渡す気もサラサラないが、彼女は式織家の人間らしくこれと決めたことは曲げない我の強さはあるくせに、自分より他者を優先したがる。

 だから、妹は死者に付け入られるのではなく、自らの意思でその身を明け渡しかねないという不安を、海は懐いている。

 

 自分のベッドに潜り込む妹を容認しているのは、そんな理由だ。

 自分の存在が、生死の境界線さえ曖昧な妹が「肉体なんていらないや」という結論を出さない礎になっているのは、救いだとさえ思っている。

 

 だから海は、妹が確かに生きている証の体温を抱きしめる。

 それしか出来ない。妹が惹かれてやまない生き方を、「出来る」と言ってやることも、諦めている妹を慰める言葉も浮かばない。

 ただ余計に妹が望むものは手に入らない、遠すぎるものだと思い知る事実しか浮かばない自分の無力さを悔やみながら、それでも自分がこの体温に安堵しているように、少しでも妹の救いに、慰めになることを祈って抱きしめることしか出来なかった。

 

 そんな姉に、妹は抱きしめられながら言った。

 

「だからね……、姉さん。私は……末那みたいな『普通』の人たちを守れる人になりたい」

 

 諦めたからこそ、手に入らないと知っているからこそ得た「夢」を語る。

 

「……うちの馬鹿親みたいに……あの尊い人達を見下して……利用して……傷つけるような奴らから……守れる魔術師に私はなりたい。

 私は……『普通』にはなれないけど……、けれどその『普通』を守る人間に……そんな魔術師になれたら……、私は魔術師として生まれてきて良かったって思えるから……。だから、……私はそういう魔術師になるよ」

 

 夢半ばの意識で「夢」を語る妹に、またしても眼を見開き、そしてもう一度海は笑った。

 普段の8歳にしてクールビューティーという言葉の体現者と思える無表情が嘘のように、深く深く、その名の通り穏やかな凪の海のように何もかもを包み込むように笑って、海は妹の額に自分の額を、熱を測るように押し当てて告げる。

 

「『神よ、願わくば私に、変えることの出来ない物事を受け入れる理性を、変えることの出来る物事を変える勇気を、そしてそれら二つの違いを常に見極める叡智を授けたまえ』」

「……何、それ?」

「ニーバーの祈り……。私の座右の銘よ」

 

 文明に追いつかれているのに効率の悪い魔術に固執して、一般人から怪しまれている両親の無様さに嫌気が差していた時、学校で知ったキリスト教の割と近代に出来た教えの一つが、海の「こうなりたい」という理想の自分を端的に言い表していたので、それ以来「ニーバーの祈り」は海の座右の銘。

 その座右の銘を妹にも教えてやる。教えて、そして率直な感想を語る。

 

「あなたは……神に祈らなくても、それら全てを持ち合わせているのね」

 

 教えなくてもおそらく妹は本能的に、「魔術師」を捨てても自分は焦がれる「普通」になれないことを知っている。無理に「普通」になろうとしたら、それこそ彼女が焦がれる「普通」を最悪な形で壊してしまうことを理解している。

 だからこそ自分で諦め、それでも手離しがたい大切なものを物を手離さないように、彼女は「変えれないもの」と「変えれるもの」を見極めて得た「夢」があまりに眩かった。

 自分の好奇心に過ぎない「目的」など霞むほどに、尊くて眩い「理性」を「叡智」を「勇気」を「夢」を懐く妹を海は称賛した。

 

 そんな姉の言葉に、妹はへにゃりとだらしなく笑って、そして言った。

 夢の中に意識を完全に沈ませる間際、姉からの称賛に対して妹はシンプルに返答した。

 

「それは、姉さんの方だよ」

 

 自分にとって姉は、祈る必要もなくニーバーの祈りを体現できていると。

 

「……言い逃げするか、この愚妹は」

 

 根源に至りたかった理由も説明出来なかった自分に対して、どうしてそう思えたかを聞く暇もなく完全に眠りに落ちた妹に海は、ちょっと不服そうに唇を尖らして軽く頬を引っぱってみるが、やっぱり妹は起きやしない。

 だから海も聞きだすことは諦めて、妹を湯たんぽ代わりにして寝ることにする。

 

 妹を抱きしめ、包み込んで眠りにつく。

 妹を狙う死霊どもから、妹を隠すように、庇うように。

 

(……『根源に至る』が魔術師としての『私』の夢なら……、この子の姉としての『私』の夢は、『(いもうと)の夢が叶うこと』なんでしょうね……。

 あぁ、それはきっと……魔術師でないと不可能なのに、魔術師として有り得ぬほど人間らしくて、優しくて、眩くて、幸福な『夢』ね……)

 

 

 

 それが、「式織 空」の姉としての自分。

「式織 海」としての原風景。

 

 忘れてしまいたいのに、手離せない。忘れたって、失えない。

 それは起源にも似た、深い深い、「自分(わたし)」を形作った原初の(きず)

 

 

 

 * * *

 

 

 

「くくく……、美しいね。確かにこの眼から見える世界は輝いて見える。私のコレクションに相応しい眼だ」

 

 不快極まりない声が、微睡から意識を引き上げる。

 魔力を仮初めの体に通して、瞼を閉ざしたまま海は視覚情報を脳に送り込み、現状を把握する。

 

 オモカゲのことは、どうでもいい。奴との関わりなど必要最小限にしたい。むしろ必要な分さえも切り捨てたいのが、海の隠してもいない本音。

 ただ気がかりだったのは、放っておけなかったのは、性格も外見も似ても似つかないのにどうしようもなく重ね見てしまう少女。

 

「……しかし、残念ながらレツ。お前に合う目ではないようだね」

「兄さん、もうこんなことはやめて……」

 

 オモカゲの妹を、どうしても海は放っておくことが出来なかった。

 

 イルミの人形を使って奪ったゴンの眼球を自分の眼窩にはめ込んで悦に浸っていたオモカゲは、彼の眼による視界を一通り堪能した後に少しばかり残念そうに語って、その眼をイルミに戻す。

 そんな兄に、レツは泣き出しそうな顔と声音で懇願する。

 

 誰が聞いても、誤解のしようもなく彼女はこんなこと……、自分を信じてくれた少年、友達だと思ってくれた、友達になりたかった少年の眼を奪う行為を厭っているとわかる言葉を訴えるが、振り返ったオモカゲは心底不思議そうに小首を傾げて、そして困ったように苦笑しながらレツと向き直る。

 

「レツ、どうしたんだ? 全てはお前の為にやっている事じゃないか」

 

 眼球のない顔で、オモカゲは妹と向き合う。空っぽの眼窩だが、彼は海の魔術によって彼女と同じように眼球がなくとも視界を確保している。

 なのに、オモカゲは気付かない。

 自分の言葉でどれほど、妹が傷ついた顔をしているのかに気付かない。

 

(ゴンを傷つけるようなことになってしまったのは、僕の所為……)

 

 ゴンが「似合うよ」と言ってくれたワンピースの裾を握りしめて、兄の命令で行った事に対して潰れそうな罪悪感を懐く妹に、オモカゲは駄々をこねる子供をなだめるように優しく、噛み合っていない、最もレツが求めていない言葉をかける。

 

()()に命を与える為には、人間の眼が必要なんだ。わかっているだろう?

 お前に命を与える為には、彼らのように真っ直ぐな人間の眼こそが必要なんだよ。意志の強い人間の持つオーラは、澄みきっていて拒否反応も出にくいだろうからね」

「だからって、兄さんはゴンやキルアを……あの二人の仲間の眼を奪うつもりなの? そんなこと、僕は望んでない!」

 

 今度こそ、「望んでいない」と断言する。

 なのに、オモカゲは文字通り眼が節穴どころかその耳も飾りらしい。

 妹の言葉は、真摯な思いは全く彼には伝わらない。

 

「やれやれ……。

 私が『神の人形師』になれたのは、全てお前のおかげだ。お前が最初の犠牲になってくれたことで、この術を完成させることが出来たのだからな。私がお前の眼の為に尽力するのは当然のことだろう?」

 

 その言葉に、発言に、さすがに我慢の限界を迎えて海は噴き出した。

 

「! ……海。なんだその反応は?」

 

 戻ってきて眠らせていたはずの人形がいつしか起きていたことに気付いたオモカゲが振り返り、不愉快そうに眉を跳ね上げて尋ねる。

 その問いに、学習能力のないバカだなと海は思いながら、尋ねられたのだから彼の人形らしく忠実に、正直に答えた。

 

「いえ、とてつもなくあなたが羨ましくってついつい笑っちゃったわ。

 人形の材料に『本物の人間』が必要な、その程度のレベルで『神の人形師』と恥ずかしげもなく名乗って満足できるあなたは、自分の身の程をよく知っているのね」

 

 言って、もう一度失笑する。

 

 人間の血肉を材料に使って「人形」を作りだす魔術師自体は珍しくないが、それは「人形」に特殊能力などの付加価値をつける為に行うもの。

 ただ単に、「人間そのものの出来の人形を作りたい」という動機で、人間を材料にするのは三流という評価さえも甘い。人間を使えば人間そっくりの人形なんて、作れて当然。自慢どころか、恥じるべき所業だ。

 

 多大な犠牲を払って得たのがその程度で、そしてその程度で満足して「神」を自称するなんて、海でなくとも時計塔の魔術師たちなら、ウケ狙いで言っているのかと思って笑ってやるのが優しさだと解釈するだろう。

 

 しかし当然、海の優しさは相手には伝わらない。

 海の発言に、レツは「言っちゃった……」と言わんばかりの顔で固まり、オモカゲは伽藍洞の眼を見開いて海の前までツカツカと早足で距離を詰める。

 そして彼女の頬に拳を叩きつけて殴り飛ばした。

 

「! 兄さん!!」

 

 レツは非難の声を上げるが、海はノーガードで椅子から転げ落ちたにも拘らず、相も変わらず涼やかで凛とした無表情の美貌を維持して普通に立ち上がり、魔術でさっさと治療する。

 しかし治療しなくても、頬の殴られた傷ぐらいでは彼女の美貌を損なわれない。切れた唇から流れる血を舐め取る動作など、14歳ほどの少女とは思えぬほどに艶やかだ。

 

 オモカゲは自分で作った人形でありながらその人間離れした美貌と、自分に逆らえないはずなのにまるで自分の方が彼女の下僕になったように感じるほど、堂々としたその佇まいを不気味に思いながらも、それを隠して吐き捨てるように海に言い捨てる。

 

「……お前と……お前の世界の『魔術師』と一緒にするな!!」

 

 海から彼女の世界の「神の人形師」と、自称ではなく他称で呼ばれる封印指定の魔術師の話を聞いているからか、オモカゲの病人のように青白い顔は怒りと悔しさで赤く染まっている。

 自分が井蛙であること、その封印指定の魔術師がもしもこの世界にいたら、それこそ自分はただの恥さらしでしかないことに気付いていたが、いないことに安堵して眼を逸らしていた事実を突き付けられたことにオモカゲは激昂している。

 

 だがそんな彼の憤怒など、海の滑らかな口先を閉ざす要因になどなりはしない。むしろさらに滑らかにさせる潤滑油同然だ。

 

「そうね。こちらの世界は私の世界とは大きく違うのだから、一緒にするのは残酷だし失礼だわ。

 さすがに神代レベルとは言わないけど、まだまだ神秘に溢れてマナも豊富なこちらと、奇跡は5つしか生き残っていないあちらと比べたら、ね」

 

 クスクスとあどけなさと艶やかさを見事に調和させた笑みを浮かべながら、オモカゲの言葉に同意するが明らかに彼女が「一緒にして失礼」と語っているのは、オモカゲではなく自分の世界の魔術師たちの方だ。

 文明に奇跡が追いついて、星が生み出す魔力(マナ)は長く見積もっても数百年ほどで枯れ果てるであろう程、神秘が駆逐された自分たちの世界より、こちらの世界の方が「魔法(きせき)」は無理でもそれと同レベルな「魔術」は……「念能力」は生まれる余地がある世界で「その程度か」と海は言外に言い放ち、オモカゲを更に煽る煽る。

 

「やめて! 兄さん、やめて!!」

 

 怒りのあまりに能力を駆使して黙らせるのではなく、海をもう一度殴り飛ばして黙らせようとしたオモカゲだが、その振り上げかけた腕にレツがしがみついて懇願され、さすがにここで暴力を振るうのは結果的に海の発言を全面肯定する惨敗であることに気付き、彼は忌々しげに舌打ちしつつ握りしめた拳から力を解き、海を無視して妹の柔らかな髪を撫でた。

 

「……あぁ、そうだな。レツは優しいな。……だからこそ私は、本当に悪いと思っているんだよ」

「……その子が『優しい』ことはわかっているのに、本当に悪いと思っているのなら、あなたは何をしているの?」

 

 しかし、レツの優しさを海は自ら台無しにする。

 海から挑発する笑みは消え失せ、怒りが冷気のごとく立ち昇る。

 

 海は、ソラの人形が壊されても何も出来ず、何も言わなかったキルアに対してと同じように、不愉快そうにオモカゲに向かって吐き捨てた。

 

「何が、『お前の為』よ。独善者」

「黙れ。私が独善ならお前は偽善だろうが。今更、『妹思いの姉』を気取るなよ」

 

 レツの懇願に対してオモカゲが言い聞かせた「お前の為」という言葉に、この上なく不愉快そうで怒りどころか憎悪さえ込めて海が言い放てば、ゆらりと振り返ったオモカゲは即答で反論する。

 今度は、頭に血が昇った激昂ではない。オモカゲの方に余裕がある。

 

 ニヤニヤと彼は甚振るように嗤いながら、自分の「独善」を語る。

 

「ふん、確かに私のしていることは独善的かもな。未完成な術でこの子の……(レツ)の眼を――そしてレツ自身を失うことになってしまった罪滅ぼしに、『レツの人形(このこ)』を蘇らせ、適合する眼を探してやっていることはな」

 

「独善」だと認めておきながら、オモカゲが悔やんでいるのはあくまで「過去の失敗」だけだ。

 妹を術の、「人間そっくりの人形を作りだしたい」という自己満足でしかない願望の犠牲にしたこと自体を、彼は何も悔やんでいない。

 そして、自分の「罪滅ぼし」が自分の背後で、どんな顔をしているかにも気付いていない。

 

(……あの日、僕は死んだんだ。ここにいる僕は“本当”じゃない)

 

 自分が決して「本物」ではないことを、兄の口から改めて突き付けられていることに傷つき、絶望している人形(いもうと)に気付きもせずにオモカゲは、「本物」の妹を失った時と同じ自己満足でしかない行いを、自己満足で語る。

 

「もはや私の『魂呼ばい(タマヨバイ)』でも、レツの眼はレツに戻してやることは出来ない……」

 

 後悔していると言わんばかりの口調だが、オモカゲは空っぽの眼窩をレツの背後のガラスケースに向けて、満足げに恍惚としていた。

 彼の脳には、そのガラスケースに鎮座した4,5歳の幼児ほどの大きさで、豪奢なドレスを身に纏った人形が映し出されているのだろう。

 

 その人形は、美しい青い瞳をしていた。

 ソラの天上の美色である「直死の魔眼」と比べたらさすがに劣るだろうが、彼女の眼と違って美しいからこそ見ていられないのではなく、まさしく吸い込まれそうなほどの美しさだった。

 

 そして、それほど美しい瞳を持つ人形の顔立ちは……、レツとよく似ていた。

 

 それは、数年前にオモカゲが本物の妹を犠牲にすることで作り上げた人形。

 未完成の術を実験的に行った所為で、妹の命を奪った挙句にその人形から自分や他の人形に移すことが出来ない、言ってみれば「失敗作」のはずなのに、ただの「人形」としての出来は最高だからか、オモカゲは満足げに笑いながら語る。

 

「まぁ、特殊な防腐剤によって永遠の美しさ得た分、幸せと言えるだろう。

 お前がソラ=シキオリに……実の妹にしようとしたことと比べたら、な」

 

「お前よりましだ」と、海に突き付ける。

 

「私を非難する資格が、お前にあると思っているのか?

 お前はただ、機会がなくて実行できなかっただけだろう? お前と私の何が違うというのだ?

 

 あぁ、違うな。間違いなく、お前と私は違う。一緒にするな。

 私から言わせてもらえば、どのような形であれレツが、妹が生きていた証を、彼女の犠牲は無駄ではなく芸術を生み出したと称賛されるものを残そうとしている私からしたら、お前のしようとしていたことは理解出来ん。お前に、『姉』と名乗る資格はない」

 

 突き付けられても、海は無表情だ。むしろ、白けている。

 そんなの、他人に言われるまでもなく知っている。

 

 自分が人でなしなことくらい。

 知っている。そんなの、生まれた時から。

 生まれた時から自分は、人間という生き物以前に「魔術師」という生き物であったことくらい、知っている。

 

 なのに、オモカゲはそれを突きつけたら自分が、海が傷つくと思っているのか、嗤いながらわかりきったことを突き付けた。

 

 

 

「『根源』などという訳のわからないもの、そして辿り着いたとしても戻ってこれる保証もなく、お前自身の存在が抹消される可能性すらあるものに至る為、()()()()()()()()()()()()()()()お前が、今更人間ぶるな」

 

 

 

 

 魔術で脳に直接視覚情報を送り込んでいるのに、海にはもうオモカゲなど見えていなかった。

 見えていたのは、脳裏に映る光景は自分が死ぬ3年ほど前の他愛なく終わった、他愛などなかったはずのトラブルの顛末。

 

 妹が、ろくに成果も上げていない「架空属性・無」の魔術を研究している魔術師に、後継者作り……ならまだいい方、魔術の実験に使うために「架空属性・無」という魔術属性を持つ「実験材料」をいくつか産み落とす「胎盤」として親に売られかけた時、運よく海が事前に阻止できた時のことを思い出す。

 

 あの時、ガンドを連打したのは本心から相手が気持ち悪かっただけだ。

 阻止できたのは、偶然の産物。あの当時の海の行動に、妹を助けるという意図は全くなかった。

 だから、「助けてくれてありがとう」と言って笑った妹に海が返したセリフは、「勘違いしないで」だった。

 

 自分と同じくらい伸ばしていた、たまにリボンで結ってやったり梳かしてやったりしていた黒髪は、ザンバラに短くなっていた。

 自分の袖を引いた腕の手首には縛り付けられていた縄の痣と擦り傷があって、顔にも親が大人しくさせる為と、せっかく質のいい魔力が宿っていた髪を自分で切った挙句に、礼装に使えるように残すのではなく焼き払ったことに激昂したのか、頬や目に殴られた痣が出来た顔で、それでも清々しく、晴れ晴れしく笑っていた妹に「あなたの為なんかじゃない」と海は断言した。

 

 妹の為なんかじゃない。

 それは、事情など知らなかったからだけではない。

 知っていたら、それこそ海はこんな直前間際ではなく、両親を殺してでも事前に阻止していた。

 

 海は、事情を知った後に親の浅はかさを軽蔑しながら思ったから。

 

 妹を、ソラを、あんな自分のガンドもろくに防げなかった三流、ろくな成果も出せずに過去の栄誉に縋って生きている、貴族というより寄生虫のような魔術師に妹を売るなんて、ソラを、あの子を、あの「根源」に近い存在をその価値も理解せぬまま、気付いていない、ただの胎盤として利用しようとしてる愚者に差し出すなんて――――

 

 

 

 なんて、()()()()()()――――

 

 

 

 そう、思ったから断言して、言い聞かせた。

「あなたの為じゃない」、と。

 

 * * *

 

「あなたは何を言っているの?」

 

「どうして?」と言いたげな脳裏の妹を振り払い、海はオモカゲに訊き返す。

 

「偽善? バカバカしい。私のしている事なんて、偽善ですらないわよ。今更人間ぶるな? 言われるまでもないわ。

 私は、『魔術師』よ。どれほど『根源(そこ)』から離れても、意味も理由もなくともただの好奇心で、何を犠牲にしようとも自己満足でそこに焦がれる『業』を背負う者……。それが『魔術師(わたし)』よ」

 

 オモカゲの自分を傷つける為に突き付けたことを、嗤って認める。

 そんな事、言われるまでもない当たり前のことだと言い切ってみせ、オモカゲに意趣返ししたつもりの期待が外れた不愉快そうな顔をさせるが、海はオモカゲと違ってそんな反応で溜飲は下がらない。

 そもそも、オモカゲを相手にして言った訳ではない。

 

 海が見ているのは、彼の背後の少女。

 自分と同じ、オモカゲによって作り出された人形。

 自分と同じように、オモカゲの命令で自分の本意ではない行動を取らされていると思っていたであろうレツは、海の発言に「信じられない」と言わんばかりに目を見開いている。

 

 そんな彼女にあの日の妹に対してと同じように断言する。

「勘違いするな」と、言い聞かせる。

 

「一緒にするな? それは私でもあなたでも言う資格などないセリフ、『人間』が私たちに言うべきセリフよ。

 屑が屑たる所以は、『他者を大切に扱う能力がない』こと。あなたのように、自分の身勝手さにも失敗にも向き合えず、ただ自分の欲求を満たす行いすらも『妹の為』という大義名分で責任逃れをしているあなたは、私と同じく人でなしの屑であることを、せめて潔く認めたら?

 

 人間ぶっているのはそちらの方でしょ? 見苦しいわよ」

 

 今度は横ではなく真後ろに吹っ飛ばされる。

 レツも、今度は止めることが出来なかった。それほど躊躇のない蹴りだったというのもあるが、彼女は海に突き付けられた言葉によって、頭を金づちで殴られたような衝撃を受けて「やめて」と叫ぶことが出来なかった。

 

「っっっ黙れ!!」

 

 全力疾走でもしたような荒い息をつきながら、オモカゲは海に命じる。

 命じられなくても、もう既に海はオモカゲに対して言いたいことは言い尽くしたので、何も語らずにただ笑った。

 オモカゲに腹を蹴り飛ばされ、壁に海は背中を叩きつけられるのだが、痛覚はちゃんとあるはずなのに海は人形のように、人形らしく表情を苦痛で歪めることなく、ただ艶然と微笑み続けた。

 

 その笑みが、とてつもなく人間らしい有機的な笑みなのに、人間らしい感情が読み取れない笑みだからこそ、作者であるはずのオモカゲは心の底から不気味に思い、追い打ちで、もう壊れてもいいという思いで蹴りだしかけた足が止まる。

 

「……見苦しい? それはお前の方だ。

 海、お前はもう『魔術師』ですらない。お前は、私の『人形』だ。どれほど生意気な口を聞いても、お前自身の性能は私をはるかに凌駕していようとも、私の命令に逆らえず、私の意思でこの世から消え失せる程度の存在であることを忘れるな!

 ……お前に自由などない。どんなに焦がれても、妹を犠牲にしてもお前はもう『根源』などに至れない。そんな意味の分からないことをやらせてやる自由などなく、お前はお前の世界の知識と技術をすべて私に差し出して使い潰されるのだよ!!」

 

 蹴りだしかけた足が止まった理由を、自分が作りだした人形に恐れた自分を誤魔化すように、オモカゲは改めて海が何であるのかを知らしめる。

 それでも、海の表情には歪まず、陰りも見せない。

 ただ嘲笑うように、嗤い続ける。

 

 自分の言葉が、海ではなく背後の妹に対してトドメを刺し、絶望を与えていることに気付きもしないオモカゲを海は、もはや憐みさえも込めて嗤っていた。

 

 その笑みの意図を理解できていないオモカゲは、嗤い続ける海を「狂人が」と言い捨て、彼女の前髪を掴んで顔を上げさせ、命じる。

 

「……先ほどの廃墟では、さすがに昨夜に引き続いて無理をさせたと思ったから、キルアの眼を奪わずとも『帰ってこい』と命じた。その恩情も理解出来ていないようだな。

 命令だ。次は、壊れても必ず奪い取れ」

「……兄さん、お願いだからもうやめて……。

 もう誰からも目を奪わないで……。ゴンの眼を返してあげて……」

 

 海に対して命令するオモカゲに、レツは俯いて絞り出すような声で懇願する。

 その懇願にオモカゲは海から手を離して、困ったような苦笑を浮かべて振り返り、答えた。

 彼女の懇願に込められた期待、レツが「嘘だよね?」という一心で縋った希望を、やはりオモカゲは気付きもせずに踏みにじる。

 

「情が移ったか……。

 無理もない。私の指示以外は全てレツ本人として二人に接していたんだからね」

 

 妹の思いが本物であることを理解していながら、そうでないと自分の能力は不完全な失敗作であること認めることになるからこそ理解しているのに、なのにオモカゲは何もわかっていない。

 

「だが、お前の新しい眼には生者のもの……それも純粋な輝きを持つ者でなければなるまい。

 ……そうだな、次はキルアの眼をプレゼントしてやることにしよう」

 

 彼女の思いは本物であることを知っていながら、彼女の言葉を、懇願を何も聞いていない。レツが「やめて」と言っていることを、平然と「お前の為」と言いながら実行する。

 レツの縋った期待を、希望を、オモカゲ自身がその自覚もなく粉々に叩きつぶして踏みにじる。

 

 彼は本当に、「(レツ)の為」に他者から目を奪っている訳ではない。

 自分の罪悪感を軽くさせたいが故の、自己満足な償いですらない。

 海の言う通り、この男はただ単に自分の執着する「眼」を欲しているだけ。しかし、その悍ましい行いを海のように、どれほど罵られても潔く、凛然と「そうである」と受け入れていない。その行いによって生まれて自分に向けられる憎悪や罪を、背負う気などない。

 

 全て、最初の犠牲者である妹に、レツに肩代わりさせている。

「お前の為」というのは、その為の言葉であることをレツは、海をきっかけに、そして兄自身の言葉がトドメとなって気付いてしまった。

 

 だから、もう何も言わなかった。

 

「来客か……。そろそろ来る頃だとは思っていたが――」

 

 誰が来たかなど、訊くまでもなくわかっている。

 わかっているのに、言えなかった。「もうやめて」という切願は、ただ自分の偽物にして本物を生み出す心が引き裂かれるだけだと思い知ったから。

 

「レツ、私の眼は返してもらうよ……」

 

 兄がそう言って、レツの頬に触れて彼女の顔を上に向かせるのも無抵抗だった。

 もう何も見たくないから、兄の眼を返すのは好都合としか思えなかった。

 

「“魂呼ばい(タマヨバイ)”」

 

 しかし、眼を返しても、視力を、光を失ってもレツから絶望は消えない。

 オモカゲが消してはくれない。わざとなのか無自覚なのかはわからないが、次から次へとレツに絶望を与えてくる。

 

「さぁ、レツもおいで。せっかくだ、彼らが最後に見たものとして君の美しさを目に焼付かせてやろう」

 

 レツを、ゴン達の眼を返してほしいと訴えたレツを、彼らと友達になりたかったと願う彼女の思いは本物であることを知っておきながら、例え目には見えずとも彼らの眼が奪われる断末魔を聞かせようとする兄に、レツは涙も出ない顔を向けるが、その足はオモカゲの元へと歩いてゆく。

 

 彼に逆らえず、逃げ出すことも出来ず、ゴン達に「逃げて」と伝える事すら出来ない自分を憎みながら、声にならない声で彼女は願い続ける。

 

(――――もうやめて、兄さん)

 

 諦めたはずなのに、思い知ったはずなのに、それでもレツの中には優しかった、自分の作った人形や操る人形の出来を陽だまりのような笑顔で褒めて、大きくてあたたかな手で頭を撫でてくれた記憶がある。

 たとえそれは、本物のレツのものであって自分のものでなくても、レツにはそれしか縋れない。

 

 優しかった兄は偽物ではない。だから、いつかきっと元の兄に戻ってくれる。

 そう信じて……、それは自分自身を慰めるために自分を騙す行為だと自覚しながらも信じて兄についてゆくレツの背に、凛とした声が掛けられる。

 

「レツ。屑が屑たる所以は、『他者を大切に扱う能力がない』ことよ」

 

 信じていたいのに、自分を騙していたいのに、なのに海は残酷に突き付ける。

 優しかったのは最初から上っ面だけだったのか、本物の妹の死がショックで変わり果てたのか、それとも他に何か要因があるのかなんてもはやわからない。

 

 だけど、優しかったレツの兄であるオモカゲはもういない。自分を生かし、操り、苦しめているのはただの屑であることを再び突きつけられ、レツは眼球のない顔を海に受けて睨み付ける。

 

 そんな自分に、彼女はどんな顔をして言ったのかはわからない。

 

 

 

「だから……、大切にされなかったあなた自身に価値がないと思うのは、重大な過ちであることを覚えておきなさい」

 

 

 

 どんな顔をしているのかは、わからない。

 ただ、とても優しくて悲しげな声音だった。





今回は一応、終始一貫してシリアスといえる(のかな?)だけど、次回が前回のあのソラのテンションが来るかと思うと……

もうオモカゲは即死でもいいから、シリアスは何とか生かしてもらえませんかね式織姉妹よ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。