死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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137:兄妹

 外観だけでも十分にお化け屋敷扱いされるほど不気味な屋敷だったが、中に入ってもその不気味さは払拭するどころか増すばかり。

 

 屋敷のどこにも灯りが灯っている様子はないが、室内に痛んでいる様子もないので、無人の空き家という訳ではないはず。

 なのに、人が住んでいる形跡がこの屋敷には見当たらない。

 

 玄関ホールもそこから繋がる廊下にも、家具や調度品の類はない為、生活感というものが一切感じられない。

 ただ、人形が飾られたガラスケースがいくつもいくつも置かれている。

 

 そしてケース内に飾られた人形の種類は多種多様。

 30cmほどのまさしくお人形というものもあれば、マネキンのような人間大のもの、それよりも大きなもの、愛らしい子供、美しい女性、皺だらけの老人など、人の姿形さえしていれば例外などないといわんばかりの多様性である。

 

 それだけならまだいい。それだけならば、ここは人が住んでいる屋敷ではなく人形専門の美術館の類という、多少は無理があっても自分を騙す程度には説得力のある推測が立ったのだが、その推測は現実逃避であることをガラスケースの人形たちが証明している。

 

 外からでも中に入っても残念ながらこの屋敷の印象は、「お化け屋敷」のまま。

 その原因にして、屋敷の雰囲気以上にその印象を強める原因は、統一性がない人形たちにある二つほどの共通点。

 一つはどの人形も、今にも動き出しそうな程にリアルで精巧な作りである事。

 もう一つは、全ての人形の眼は空っぽで、虚ろな眼窩がケースの中から虚空を見つめている。

 

 そんな人形恐怖症なら発狂死しそうなほど不気味な室内なのだが、幸か不幸か本当にわからないことにゴン達はこの屋敷の異常さに気付いていない。

 

 何故なら彼らは爆走しているソラに追いつこうとするので精一杯で、屋敷内の人形を気にしている余裕など皆無だから。

 まさかここまで無視しようのない存在感を放つ人形たちをガン無視されるとは、オモカゲも想像してなかっただろう。っていうか、したくない。

 直死を使われる以上に殺されたホラーとシリアスは泣いていいと言いたい状況である。

 

 * * * 

 

 廊下を爆走していたら、開けた空間にソラは出た。

 どういう趣旨で屋敷内に作られたのかわからないが、そこはまるで教会の礼拝堂。

 うす暗い広間の天上は吹き抜けでずいぶん高く、広間の中央には祭壇らしき台座が置かれ、聖像や十字架なども配置されている。

 一見すると厳かな教会に見えるが、壁際にいくつも並んでいる棺桶のような箱がここは決して聖堂などではない事を主張している。

 

 そんな玄関ホールや廊下と同じく不気味極まりない広間なのだが、ここが広間であることはわかっても、部屋の細かい装飾まではわからないソラにはもちろん何の効果もない。というか、絶対にこの女、今のテンションだと見えていても関係ない。

 

「おらっ! 出てこいや目玉フェチ・人形マニア・ペドフェリアの変態役満野郎が!! ボコって熨斗つけてヒソカに献上してやるよ!! 痔になる覚悟はOKか!?」

 

 彼女は廊下を爆走してついた勢いが止められなかったのか、止める気がなかったのか、とりあえず勢いのまま広間の祭壇を跳び蹴りで破壊することでようやく止まるが、止まったかと思えば色んな意味でオモカゲ逃げて超逃げてなことを、部屋の真ん中で中指を立てて叫び出す。

 

「てめーは何言ってやがるんだ!?」

「頼むからせめていっそ黙って殴りこんでくれ!!」

 

 そしてソラが嫌すぎる宣戦布告をするために立ち止ったのをいいことに、やっと追いついたキルアとレオリオは突っ込みと後頭部に拳骨を入れ、少し遅れ走るゴンは自分の手を引いてくれているクラピカに「何で痔の覚悟がいるの?」と尋ねてクラピカを困らせるカオス。

 もはやシリアスどころか、屋敷内のホラー要素すら木端微塵に爆散している有様である。

 

「おい、どうしたオモカゲ! 出てこいよ! 今更ビビったのか!? それともボラギノール買いに行ってんのか!?」

「だからケツから離れろ!! んなこと言ってるうちは向こうも色んな意味で出てきたくねーし、出てこられても俺らが困るわ!!」

 

 しかし元より「シリアス? 何それ美味しいの?」なソラは、殴られようがもう既に木端微塵に破壊しつくしていようが関係なく、しつこく挑発にしてもムカつくより先に脱力することをマジギレで叫び、もう一回キルアに殴られてようやく少しは大人しくなる。

 

 そのタイミングで、おそらくキルアの言う通り出てきたくなかったから機を見計らっていたと思われる声が聞こえてきた。

 

「ようこそ、人形の館へ」

 

 全く気配が感じられなかった部屋の中から、唐突に響いた声と放たれる禍々しいオーラ。

 広間の奥にあったガス灯が灯り、黒い外套に病的にやせた青白い顔の男が現れる。

 いつもの彼らなら一気に警戒態勢を取るのだが、体勢こそはいつでもどのようにでも動けるように構えているが、内心は未だに臨戦態勢を取れずにいる。

 

 もちろん原因は、ソラの全力マジギレでやらかしたエアブレイクの所為。

 彼女の斜め上に慣れているので、ソラのやらかすシリアスブレイクをさっさと忘れてなかったことにするのは得意になった自信があったのだが、さすがのあの暴走から間を置かずシリアスに切り替えはちょっと無理だった。

 

 なので4人はオモカゲ眺めながら、よくもまぁソラがあそこまで壊しつくした空気の中で、ここまで何事もなかったかのように芝居がかった事が言えると、正直言ってしたくもない感心を軽くオモカゲに懐いてしまった。

 

 そんな風に、同情に近い感心をされているとはオモカゲも思っていないだろう。

 彼は昨夜とは違って、両目にギラギラとした狂的な執着をありありと宿した眼で5人を見渡し、悠々と言葉を続ける。

 

「ふふ、素晴らしい……。やはり惚れ惚れするほど美しい瞳ぞろ……」

「ガンド!! ガンドガンドガンドガンドォォォッッッ!! 潰れろ、変態!!」

「うおぅっっ!!??」

 

 だがもちろん、ソラがその空気をぶっ壊した。

 オモカゲの言葉を無視してガンドを連打した挙句、自分でぶっ壊した祭壇の一部を持ち上げてそのまま強化系のオーラを生かして剛速球でブン投げる。

 

 連射されたガンドと投げつけられた祭壇をオモカゲは何とか回避するが、それを見てソラは「避けんな、変態!!」と理不尽すぎる事を言い出す。あと変態は、今は関係ない。

 

「このタイミングで攻撃してくるか、お前は!? 本当にいらないとこだけそっくりだなお前ら姉妹は!!」

「うっせーっっ!! っていうか、敵を前にして何べちゃくちゃしゃべり倒してんだよ!? 特撮とかでよくある、隙だらけの変身や合体シーンで攻撃せずにご丁寧に待ってる敵か私らは!? っていうか、お前が主人公気取りかよ!? どっちにしろ図々しいわ!!

 去勢拳か淑女のフォークリフトが開幕ブッパされなかっただけありがたく思いやがれ変態見本市がっ!!」

「どうしてお前ら姉妹は、私を変態扱いするんだ!?」

「その発言、本気かてめぇ!! しない理由がむしろどこにあるんだ!?」

 

 そしてオモカゲも思わず、ソラのぶっ壊した空気をなかったことにして取り繕っていた余裕をかなぐり捨てて突っ込みを入れるが、後ろからクラピカに羽交い絞めにされながらもソラはマシンガントークで言い返す。

 空気を壊しても更に壊して壊しつくすことしかやってないのに、言い分としてはソラの方が割と正しいのと、オモカゲの無駄に気取った気持ち悪い余裕にイラッと来て、内心では「いいぞ、もっとやれ」という思いもあって男4人は口を挟めずにいた。

 

 そんな訳でオモカゲとソラの間で口喧嘩が勃発というカオスな現状に、口を挟めるのはもちろんソラと同じく空気を読む気が一切ない者だけ。

 

「そこの愚妹の言う通り、取り繕いきれないくせに実力に見合わない余裕を見せるからでしょう。

 変態扱いも、あなたは誰が見ても変態でしかないのだから、私たちが似ているから同じ発言をする訳じゃないわよ。軽々しく、私とその愚妹を一緒にしないで」

 

 10秒もしないうちにオモカゲが劣勢となった舌戦に、加勢ではなくとどめを刺す発言をかましながら、ふわりと彼の傍らにどこからともなく降り立ったのは、シスター服のような黒いワンピースを身にまとった絶世の美少女。

 

『!?』

 

 オモカゲ相手ではソラの所為で体勢はともかく精神面では警戒しきれなかったが、その少女を前にしたらゴンとキルアだけではなく、今初めて邂逅したクラピカやレオリオまでも強制的に気が張り詰める。

 

 初めから相手が誰か知った上で見れば、雰囲気が真逆にもかかわらず顔立ちはよく似ているのがすぐにわかった。

 それほどソラと似た少女は、オモカゲに言いたいことを言えば屈辱と憤怒で顔を歪める彼を無視して両眼を固く閉ざしたまま、ソラとは全く違う人形のように感情が見えないのに、人形としては有り得ぬほど有機的な冷たくも美しい無表情を彼らに向けた。

 

 その瞼は開かれていないにも拘らず、その眼に射抜かれたように、ただ視線を向けられただけで威圧されたが、それでもクラピカは喉から声を振り絞る。

 

「…………あなたが海「ガンドッ!!」『待て! 姉にもか!?』

 

 しかし最後まで言う前に、やっぱり歪みないソラが海の登場でクラピカからの拘束が外れたのをいいことに、またしても空気をぶち壊すガンドをぶっ放し、思わずクラピカ達4人どころかオモカゲまでも突っ込みを入れる。

 だが姉の方はオモカゲと違って焦った様子もなく、軽く腕を振るってベチン! と自分に撃ち出されたガンドを跳ね除けて一言、「ぬるい」で終わらせた。

 

「ちっ! 宝石投げつけとくべきだったか!!」

「待て! ソラ、本当に待て!! お前が姉に会いたくなかったのもその理由もわかっているし、納得しているが、本当に今のでいいのか!?」

「は? あれ、海なの?」

『わかってないのに、攻撃したのか!?』

 

 自分のガンドが全く効いていないことに不満そうな舌打ちをして、ポーチから宝石を取り出そうとするソラの肩を掴み、クラピカが「さすがに落ち着け」と説得するが、クラピカの説得はこのどこまでも斜め上な女には見当違いすぎた。

 こいつ、ただ単にチャンスだったからまた攻撃を仕掛けただけで、姉だから攻撃した訳ではなかった。

 

「パイロじゃないことだけわかってりゃいいよ! あのアホ姉の声なんて、もう死んで9年くらい経つんだから覚えてないし!!」

 

 その衝撃の事実にまたしても、オモカゲまでも巻き込んで突っ込みのユニゾンを男どもは決めるが、ソラは開き直ってと言うか初めからヤケクソの開きっぱなしで、本当に姉に執着してたのかお前は? なことを言い出す。

 

「髪の色素と一緒に知能まで抜け落ちたのかと思ったけど、思い返したら初めからあなたはそうよね。髪と身長が伸びただけでお変わりなく何よりだわ、愚妹」

「そういうあんたも、キルアの話じゃ生前からお変わりなく頭の良いバカじゃねーか、アホ姉」

 

 しかし姉からしたら妹の奇行も暴言も通常運転なのか、全く気にした様子もなく髪を優雅に掻き上げながら容赦ない皮肉をぶつければ、ソラもようやく相手を姉だと認識して言い返す。

 言葉の上では険悪そうだが、意外と雰囲気はソラがやや苛立っている程度であり、それも先ほどまでのオモカゲに対しての態度と比べたら可愛らしいものなので、この言葉の応酬も気やすい関係だからこそのじゃれ合いに見えなくもない。

 

「……妹と再会してはしゃいでいるところ悪いが、君の出番はまだ後だ」

 

 それが気に食わないのか、オモカゲは舌打ちの後に再び身の程知らずな余裕を取り繕って、後ろから海の前髪をわし掴んで後ろに引き下らせる。

 人形とはいえ少女に対して非道な行動に、思わずゴンとソラ以外の全員が眼を見開いて、その行動に嫌悪を露わにするが、乱暴な扱いをされている当の本人は痛みどころかそんな扱いされている屈辱に顔を歪めはしない。

 

 むしろこの程度の事に苛立つことの方が情けないと言わんばかりの涼しげな無表情で、彼女はされるがまま髪を掴まれ引きずられるように、オモカゲの後ろへと下げられた。

 自ら動こうとしないのも、また彼女らしい。彼女は全くオモカゲを相手にしないまま、女王のような風格を保ち続けている為、オモカゲが暴力を振るおうが海は彼に逆らえない下僕には見えないし、オモカゲの背後に下がっても彼を引き立てる黒子にも見えない。

 どう見てもオモカゲは、この少女と渡り合うには役者不足である。

 

 そのことに気付いて、キルアやクラピカ、レオリオはオモカゲの対する嫌悪が吹っ飛んで海に対する畏怖で絶句しているのだが、オモカゲ本人がそのことに気付いた様子もなく彼らの反応に対して満足げにニヤニヤ嗤う。

 

 どうも彼は、眼をその眼窩にはめ込んでも節穴のままのようだ。

 キルア達の反応を勘違いするのはまだいいのだが、先ほどまで周りにいくら突っ込まれようが騒がしく、そしてわかってなかったとはいえ姉に対しても躊躇なく攻撃してきたソラが黙り込んだ理由を、「あの姉も逆らえないオモカゲ(じぶん)に対して驚愕している」とでも勘違いするのは、愚かを通り越して幸福なくらいだろう。

 

 オモカゲは気付いていない。

 ソラは包帯に包まれ、眼球を失った空っぽの眼で、それでも真っ直ぐに見ていることを。

 何かを探るように、その「死」しか見えていないはずの眼で冷厳に、冷徹に、冷酷に観察していることに気付いていない、自分の一応の創造主に海は掴まれて乱れた前髪を手梳きで直しながら、凛然としていた無表情がやや崩れて呆れたような溜息を吐いた。

 

 そのことに気付いていないのは、やはりどこまでも自分の見たいものだけしか見ていないオモカゲだけだった。

 

 * * *

 

 ソラが黙り込んだことに不穏なものを感じながらも、何やら黙ったソラや絶句している自分たちに勘違いしているオモカゲが余計なことをやらかして、もう一度ソラをブチキレさせて暴走されたら困るので、クラピカは正直言って嫌なのだが最初のソラの暴走の原因は自分なので、その責任を取る形でオモカゲの注意をひとまず自分に引き付ける為、話しかける。

 

「……オモカゲ、答えろ。クルタ族を襲った時、貴様も旅団(クモ)のメンバーだったのか?」

 

 その質問は完全な一応程度。旅団(クモ)にとって強力無比な「束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)」が使えるがどうかを確認するためのものだが、別に正直に答えられなくてもクラピカには問題なく使えるとほぼ確信していた。

 ヒソカと交代した前任者とはいえ、未だに蜘蛛の刺青は消さずにその手にあり、そして5年前のクルタ族の襲撃に関わっているのならば、それはクラピカにとって許しがたい仇、ターゲット認定から外れないと確信している。

 

旅団(クモ)以外の者に使えば自分が死ぬ」という制約を立てているが、この「旅団(クモ)以外」という条件をクラピカはわざとやや曖昧にしている。少なくとも団員がこの鎖で拘束されている最中に、拘束されている本人や団長であるクロロが旅団からの退団を宣言しても、クラピカはルール違反で死ぬことはないし、拘束力も弱まることはない。

 条件が明確かつ厳密であればある程、能力はさらに強力になったであろうが、下手すればその厳密すぎる条件を逆手に取られる可能性もクラピカは想像ついていたからこそ、あえてターゲットの条件を曖昧にしてグレーゾーンを増やした。

 

 もちろん4年前のソラと別れの原因である奴等や、三次試験の囚人のような偽物相手に使ってしまえば、いくら奴らが外道であってもルール違反なのは間違いないので、相手が偽物だったと知った時点でクラピカは死に至るだろう。

 だが、自分の能力から逃れるための形だけの退団はもちろん、このオモカゲのように後悔や贖罪の為ではなくただ自分の欲望の為だけに旅団から抜け出し、旅団での活動と変わらぬ非道を繰り返している者ならば、刺青が消されていれば危なかったかもしれないが、まだその身に彫り込まれたままならばターゲットの条件から外れはしない。

 

「それはパイロがよく知っている」

 

 しかしクラピカの記憶から彼の能力も把握していたのか、オモカゲは言質を取らせずむしろクラピカを挑発するように、芝居がかった動作で指を鳴らして自分の右端のガス灯を点ける。

 そのガス灯に照らされて、パイロがソラの鮮やかなスカイブルーの眼でクラピカを見た。

 

 だが、オモカゲの思惑とは裏腹にクラピカはパイロが出てきても狼狽えも怒りもしない。

 この男は本当に相手のことなど何も見ていないから、行動が全て空回っている。

 

 ただでさえソラのおかげでクラピカはこのパイロに対しての「答え」を得ているので、オモカゲに対しての怒りはあれど、パイロに対してはもう迷いはないから狼狽えもしない。

 それに加えてここに突入する経緯がアレすぎたのもあって、今パイロを出されてもクラピカの正直な心境は、「そこにずっといたのか。そして、最初からあの空気をぶち壊すソラの暴走を見てたのか。なんというか、すまない」でしかなかったりする。

 

 そしてパイロもパイロで、やはりあのソラのやらかしに困惑していたのだろう。

 ソラの鮮やかなスカイブルーの眼を、彼は今から親友と戦わなければならないことを嘆く悲しげな色に染めてなどいない。ただひたすらどんな反応をしたらいいのかわからないと言いたげに、曖昧かつやや引き攣った笑みを浮かべていた。何この、気まずい空気。

 

「ふふ、繊細なパイロの体と、ソラの無慈悲な終焉が織りなす芸術……。そして、見たまえ――」

 

 しかしそんな親友二人の何とも言えない空気にオモカゲは気付かぬまま、うっとりとパイロを見つめて気持ちの悪い自画自賛をしながらもう一度指を鳴らすと、今度は左端のガス灯が灯り、そのガス灯の下に佇む人間を照らし出す。

 

「兄貴!?」

 

 今度はオモカゲの望んだ通り、まだ完全に吹っ切れていないキルアがいるとはわかっていたのに怯えたような声を上げ、そんな彼を甚振るようにねっとりとした声音でオモカゲは、またしても恍惚とした顔でイルミを彼らに見せつけて語る。

 

「イルミの歪んだ愛情とゴンの真っ直ぐな瞳……。相反する二つの美を同居させることが出来るのは人形だけ……」

「いや、同居させんなよそんな混ぜるな危険。言葉だけでも普通にキモイわ」

『言うな! 黙ってろ!!』

 

 だが、パイロに関しては大人しかったのにイルミの人形に関してはソラが正直すぎる感想をぶちかまし、またしてもキルア達に唱和した突っ込みを決められた。

 たぶんパイロに関してはオモカゲに同意だからとかではなく、普通にイルミの方の評価がキモすぎて我慢できなかっただけで、感想自体は似たようなものなのだろう。

 

 ちなみに即答で自分の「芸術」を、「混ぜるな危険」やら「普通にキモイ」やらと酷評されたオモカゲは、イルミを見せつける為に手を広げた体勢のままフリーズしており、それをイルミは人形らしく本人らしく黙ったまま、ゴンの眼を非常に冷めた様子でやや細めて眺めている。

 

「……へぇ」

 

 そして、イルミのその反応……というかほぼ無反応に対してソラは、何かに気付いたような声を密やかにこぼして、またしても黙り込んでしまった。

 けれど、キルアやクラピカはもちろん、レオリオも見逃さなかった。

 

 彼女は何か、まるで偉そうな演説スピーチの中から、見逃しても仕方がないささやかさでありながら、今まで語っていた内容が全て破綻する決定的な矛盾を見つけ出したかのように、無邪気でありながら意地の悪い、ネズミを甚振る猫のような凄絶な笑みを一瞬だが唇に浮かべたのを見逃しはしなかった。

 

「……姉の態度からして君たち姉妹に芸術を理解出来る感性は期待していなかったが、さすがに君から視力を奪ってこの芸術を見せられないことを、少し後悔したよ!

 ……まぁ、いい。次はクラピカとキルアとレオリオだ。君達のような仲間想いの人間の瞳は、人形に命を与える為には格好の材料に成り得るからね。あぁ……緋の眼はもちろんだが、他の二人の眼も早く欲しいものだよ」

 

 ソラが一瞬浮かべた凄絶な笑みにキルア達はゾッと背筋に悪寒を走らせたが、オモカゲは距離の所為かそれとも節穴だからか全く気付かぬままソラを姉ごと侮辱してから、話をさっさとまた気持ち悪い方向に戻す。

 そんなオモカゲにレオリオは心底ドン引いた様子で「いかれた野郎だぜ……」と呟き、その脇からゴンが飛び出してきてオモカゲに問いかけた。

 

「ねぇ、レツもそこにいるの?」

 

 先ほどからずっと黙っていたのは、ソラの暴走やオモカゲの気持ち悪さに引いていたのも、眼が見えないから状況がよくわかってなかったのもあるだろうが、きっと一番の理由はこれ。

 彼はずっと視力の代わりに聴覚や嗅覚に頼って周囲を探り、レツを探していた。

 そしてこのタイミングで飛び出してきた訳はきっと、オモカゲの発言で昨夜のオモカゲの意味深な言葉を思い出したのだろう。

 

「彼女に適合」というあの意味深だった言葉の意味を、まだ完全に理解した訳ではない。

 けれど、少なくともあの発言の「彼女」はレツなのではないかと思ったから、そうだとしたらレツはそのことをどう思っているのかがゴンは知りたかったから、オモカゲに問いただす。

 

 その質問に、オモカゲは答えない。

 ただニヤニヤともったいつけるように、甚振るように笑ってもう一度指を鳴らすと、オモカゲとパイロに挟まる位置のガス灯が灯り、その下で立ち尽くしている少女を照らす。

 

「レツ!」

 

 見えてなくても、かすかに聞き取った声に反応してゴンは呼びかける。

 しかし、レツは何も答えない。海と同じく固く目を閉ざしたまま、彼女はゴンとキルアがお詫びとして贈ってくれた、そしてゴンが屈託なく「似合うよ」と言ってくれたワンピースの裾を握りしめたまま、俯き続ける。

 顔がほとんど見えないが、それだけでその少女がどう思っているかなど彼女と関わったキルアだけではなく、彼らから少し話を聞いただけのクラピカやレオリオにもわかった。

 

 彼女は、誰かの眼を奪うことなど望んでいない。

 ゴンやキルアに嘘をついて近寄り、利用して騙して傷つけてゴンから目を奪ったことを、何よりも後悔して傷ついていることくらい一目でわかった。

 

 なのに……、なのにオモカゲは――

 

「ふふ、彼女は実に便利な駒だ。今回もゴンの眼を奪うのにずいぶんと役に立ってくれたからね」

「そうやってお前の思い通りに操られて……。そんなのレツの望んだことじゃないだろ!」

 

 レツを「駒」だと言い切ったオモカゲに、ゴンは怒りを爆発させて叫ぶ。

 例え眼が見えてなくてもわかったから、常人よりはるかに優れた耳が確かに、今にも消え入りそうなか細い「もうやめて」という声を聞いたから、何よりそんな声が聞こえていなくても自分の知るレツは嘘なんかついてなかったから、自分たちと一緒にいる時のレツは眼以外は本当に楽しそうに、とても綺麗に笑っていたのを覚えているから。

 

 だから、ゴンは許せなかった。

 レツを駒扱いして、望んでいないことをやらせることはもちろんの事、レツの心を傷つけて弄んでいる自覚すらないオモカゲを許すことなど出来ない。

 

 しかしオモカゲはゴンの発言が本気で理解出来ないと言わんばかりに軽く目を見開いて、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように語る。

 

「何を言ってるんだ、ゴン。……私はね、彼女に生命(いのち)を与えてあげようとしているだけなのだよ」

「生命だって……? どういう意味だ?」

 

 問いかけしながらも、ゴンの心臓が嫌な動悸を奏でる。

 本当は、もうわかっている。彼女が、レツが何であるかなど想像がついている。

 だけどその想像が真実だとしたら、レツはあまりに救われない。だから、一縷の希望をゴンは捨てられない。

 

 けれど、オモカゲは芝居がかった大袈裟な動作で嘆きながら、ゴンが手離さないで守ろうとした希望を踏みにじる。

 その希望は、レツだけではなくオモカゲも想って懐いていたものであることにすら、奴は気付かなかった。

 

「レツはね、人形作りの実験の最中に命を落としてしまった我が妹なのだよ。私が『神の人形師』に至る為の犠牲とはいえ、不幸なことだった……」

 

 ゴンの脳裏に浮かんだのは、昨夜の夕食時、誇らしげに語っていたレツの笑顔。

 人形師の兄を尊敬していて、自分も兄のようになりたいと彼女は言っていた。

 兄の事が心から好きなのだと、百言を尽くすよりも明確に他者に伝えることが出来る、光のような笑顔だった。

 

 ……それでも、彼女の眼は悲しげだった。

 その眼に宿した感情の色は、オモカゲの最後の良心だったのか、それともあの時の感情はレツのものだったのかはわからない。

 

「命を落として――? すると、パイロ同様、その少女も……貴様の妹も人形ということか!?」

 

 オモカゲの言葉にクラピカも叫び、問いかける。

 わかりきった質問の意図に、オモカゲは気付かない。彼はレツがあまりに人間らしいから、人形だと思えなかったことに驚愕して問い返しているのではない。

 信じられないのは、レツという人形の出来ではない。業腹だが、パイロで十分すぎるほどクラピカは既に、オモカゲの人形の出来を認めている。

 

 クラピカが、そして他の全員も信じられないのは、そこまで本物を再現した妹の人形を、赤の他人であるパイロと同じように、ただ誰かの眼を奪う為の道具として扱っているということ。

 

 いっそ他人の眼から見たら完璧でも、オモカゲからしたらまだまだ未完成、失敗作の類で本物の妹と似ても似つかないからこそ、ただの道具として扱い、辛く当たっているのならまだマシだ。

 それならあの人形のレツは憐れだが、酷く歪んでしまっているにしても、妹に対する後悔と愛情は本物と言えるから。

 

「そうだ。レツも私の人形……。私自身の妄執が生み出した忠実なる僕なのだ」

 

 しかし、オモカゲはどこまでも彼らと会話が噛み合わない。

 このセリフを忌々しげに言ったのならば、クラピカ達が「まだマシ」と思っていた推測が当たっていたのだろうが、奴は恍惚と誇るように言い切った。

 

 自分が生み出した人形は、元の人間と変わらない完璧さだと誇りながら、それなのに彼は妹の人形を「妹」ではなく「僕」と言い切った。

 それもまるで、レツ自身もそうであることを望んでいるように恩着せがましく。

 

「ふざけるな! 自分の勝手な都合で殺しておいて、そのうえ何が僕だ! それがレツの望みな訳ないだろ!」

 

 だから爆発したはずの怒りが再び、そして先ほど以上に爆発してゴンが叫んで言い返す。

 だけど、ゴンの怒りは届かない。伝わらない。

 ゴンの言葉はオモカゲからしたら、意味のない音の羅列が偶然意味のある言葉になっていただけの不協和音でしかないのか、彼は不快そうに顔を歪めて鼻で笑う。

 

「ふん、わからん奴だな。人間という脆弱な身を捨て、この私が作った人形になれたのだ。それに勝る幸せなどあるはずないだろう。

 ……あとはお前達の眼さえあれば、レツは命すら得ることが出来る。それがレツの幸せではなくて何なのだ?」

「……おい、海。何でこいつはこの程度の能力でこんなウザいくらいに自信持ってんの? こいつに橙子さんのこと教えてないのかよ?」

 

 自分の考えが、していることが正しいと譲らないオモカゲを無視して、黙り込んでいたソラが呆れたような様子を隠しもせずに彼の背後の姉に尋ねる。

 そして姉も、疲れたような溜息を深々とついて即答。

 

「教えてもこれなのよ。どれだけポジティブな井蛙なのかしら?」

「いや、むしろネガティブなんじゃね? あの人の存在を認めたら、それこそ自信なんて木端微塵どころか蒸発するから」

「それもそうね。けどさすがに、人間を材料にしておいて『人間そのものな人形』という出来を自慢しないで欲しいわ。当たり前すぎて、こっちが恥ずかしい」

「黙れ!!」

 

 他愛ないガールズトークのノリで容赦なくオモカゲをディスる姉妹に、オモカゲが屈辱のあまりに青白い顔をやや赤くして叫び、命じる。

 その命令に従って海は唇を閉ざすが、やはり彼女は気にいらない相手に命令されて逆らえない現状を、屈辱に思ったり嘆く様子は一切見当たらない。

 むしろ彼女の唇は閉ざされたが、その口角は絶妙に美しい角度で上がっている。

 

 妹とよく似た、凄絶な笑みを彼女は浮かべている。

 海からしたら、嗤うしかないだろう。

 妹を黙らせる権限がないのなら、自分一人を黙らせたところで意味などないのだから。

 

「いやだ」

 

 海の思った通り、ソラは黙らない。そして、彼女もオモカゲを相手になどしていない。

 視線の向きがどこだろうが、眼球があろうがなかろうが関係なく、その眼はオモカゲを見ていない。ソラはオモカゲではなくレツだけを見て、突き付ける。

 

 レツが懐く「もしかして……」という希望、昔の優しくて憧れていた人形師の兄に戻るかもしれない期待を撃ち砕く真実を突き付ける。

 

「その子に適合する眼なんてないよ。

 だって、オモカゲ。お前がそれを望んでいないから」

 

 自分に適合する眼さえ手に入れば、もう兄はこんな凶行をやめてくれる。元の優しい兄に戻ってくれる。

 そんなレツの期待を、希望を、ソラは、可能性の魔法使いの弟子は「有り得ない」と言い切る。

 

「その子はお前の念能力で作り上げた人形。生身の人間じゃないんだから、相性の良し悪しはあっても全く適合しない、拒絶反応が起こるってのがそもそもおかしいんだよ。

 念能力はその人の心そのものなんだから、お前が『これは妹に合う』と思い込みさえすれば、どんな眼だってその子に適合するはずなんだ」

 

 何故、その可能性が、希望が「有り得ない」のか。

 その根拠を突き付ける。

 直死の名残の魔眼を持つパイロ、真逆・対極・絶対に交わることのない平行線であろうゴンの眼を持つイルミ。

 この上なく特殊な眼、相性が最悪と思える眼を持つ人形がいるのに、レツにはどの眼も適合しない現在こそが根拠だと言い切った。

 

「誰の眼もその子に適合しないのは、お前自身がそんなの望んでいないからだ。だって、その子に適合する眼を見つければ、もうお前は誰かの眼を奪う大義名分を失う。

 その子に眼を与えてもまだやらかすっていうのは、もうその子の為でも妹を死なせた罪滅ぼしでもない。ただのお前の欲求であることを証明するだけだから……、だからその子の眼は永遠に伽藍洞のまま。

 

 お前が自分の妹を人形として蘇らせたのは、罪滅ぼしでもなんでもない。お前の身勝手な欲求の為に妹を犠牲にした挙句、お前自身の『妹との思い出』すらも自分の犯す罪の責任転嫁、人身御供に妹を差し出してるだけだろうが!!」

 

 * * *

 

 ソラの言葉に、オモカゲはまた更に顔を怒りで赤くして何かを叫びかけるが、その前にレツが両手で自分の耳を塞ぐようにして、髪を振り乱しながら悲鳴のような声を上げる。

 

「もうやめて!! ……わかってる。わかってるよ、そんなの!!

 だから、お願いだからもうやめて!!」

 

 もうこれ以上、自分の希望を砕く真実を告げないでくれと懇願する。

 たとえその希望は現実逃避の妄想に等しくても、レツにはそれしかないから。

「本物」ではない、「本当」など何もない自分にはそれしかないとレツは眼球のない眼から涙を零して訴える。

 

「……レツ」

 

 あまりにレツの悲痛な叫びに、ゴンが痛々しい声で呟く。

 その声が聞こえたのか、レツは泣き叫んで乱れた呼吸のまま、もはや悲哀さえも見当たらない諦観に満ちた声音で言った。

 

「聞いただろ、ゴン。僕は本当は死んでいるはずの人間……。兄さん(オモカゲ)の人形なんだ……。兄さんの命令通りに動くしかない……誰かの眼を奪う為の駒なんだ……。

 君たちとは友達になれるはずもなかったんだよ。……ごめんな」

 

 それはゴンよりも自分に言い聞かせるような言葉だった。

 だからこそ、ゴンは即座に力強く反論する。

 

「本当は死んでるだとか、人形だとか、そんなの関係ない! レツはレツだよ!! 俺達、友達だろ!!」

「でも僕は、ゴンやキルアに酷いことをしたんだぞ!? そもそも、こうして生き返ってさえいなければ、君達を傷つけることもなかったはずなんだ!

 いっそのこと、あのままずっと眠っていられれば良かったのに……」

 

 しかしゴンの言葉は兄と違って真っ当な良心を持つからこそ、レツは受け入れられずに再び髪を振り乱して拒絶する。

 ゴンの言葉も優しさも、彼と友達になりたかったという思いも、そして自分が蘇ったという事実さえも全否定して、拒絶する。

 

 そんなレツの姿は見えなくても、その言葉だけでどれほど彼女が傷ついているのかはゴンにはわかったから、更にゴンは痛々しげな顔と声で呟いた。

「レツ……可哀相に……」、と。

 

「そう。不幸な事故で死んだ彼女を思う私の気持ちが、私にレツの人形を作らせたのだ」

 

 しかしゴンの言葉に同意したのは、この中で一番同意する資格などない元凶。

 オモカゲは顔こそは痛々しげだが、しかしゴンと比べてその表情の痛みはあまりに薄っぺらい。

 奴は妹の人形の何を見ていたのか、ソラの指摘やゴンの言葉はもちろん、レツの嘆きも絶望も初めから見えも聞こえもしていなかったとしか思えない事を、大仰な仕草で表現しながら語る。

 

「だからこそ、こうして生き返ることは彼女にとって素晴らしいことで……」

「違う! 人形のレツが可哀相だって言ってるんだ!!」

 

 ゴンが最後まで、自己陶酔に浸りきってレツに何もかもを押し付ける言葉を言わせず、遮って、たとえ奴が理解せずとも、声が枯れるほど叫んで主張しても届かない言葉だとしても、それでも突き付ける。

 

「お前の人形としてしか生きられないなら、そんなの生きているうちに入らない!」

 

 ゴンは怒りのあまりに、どうしてもオモカゲが許せなかったからこそ、オモカゲのしていることを全否定してしまいたくてとっさに叫ぶが、その発言は聞きようによってはレツにとっても残酷な言葉。

 今、そこにいるレツを全否定する言葉だった。

 

 だからレツは、ゴンの発言に傷ついたような顔をした。

 そして、それをキルアは見たから、彼は親友の真っ直ぐ純粋すぎるからこそ残酷なところに呆れた溜息を吐いて、とりあえずゴンの後頭部を一発ぶん殴っておいた。

 

 いきなり背後から殴られたゴンは気勢が削がれて、困惑しながらあたりをきょろきょろ窺う。それをひとまず無視してキルアは、いつも通り親友のフォローをする。

 疑い続けた、それでも確かに自分たちと「友達」になることを望んでいた、……自分と同じように傷つけたくなかったのに、守りたかったのにそれが出来なかった罪悪感で苦しむ少女に向けて、彼を声を張り上げて告げる。

 

「おい、レツ! このバカはバカだから、お前を否定するようなこと言っちまったけど、そうじゃねぇからな!!

 こいつが否定したかったのはオモカゲの言い分だけだ! そんでもって、お前は『本当を生きてない』とか言ってたけどな、お前は確かにオモカゲの妹っていう『本物』を基にした人形……『偽物』だとしても、お前が生まれてからお前が思った気持ちまで偽物にしてんじゃねーよ!

 

 お前の中にある思い出は全部、本物のレツのものかもしれねーけど、そこから生まれるお前の気持ちはお前のもんだし、お前が生まれてからの記憶は間違いなく、全部丸ごとお前だけの『本当』だろうが!!

 何が、『あのままずっと眠っていられれば良かったのに』だ! お前、俺はともかくゴンと一緒にいて楽しくなかったのかよ!? その気持ちも、『友達になりたい』っていう願いもお前は、偽物にする気か!?」

 

 キルアの言葉で自分の発言のまずさにようやく気付いたゴンが後ろで狼狽している気配を感じるが、それをウザいと思いながらキルアは真っ直ぐ前を、レツを見る。

 

 この場に現れてからずっと俯き続けていたレツの顔が上がる。

 眼は固く閉ざされたままだが、その顔からは悲しみや絶望、諦観が薄れてポカンとやや呆気に取られているような顔をしていた。

 

 実に人間らしい、そして少女らしい顔だった。

 まだちゃんとそんな顔が出来ることに、彼女の心はまだ死んでなどいないことにキルアは安堵して、言葉を続ける。

 

 レツに、問いかける。

 

「言えよ! 『本当』をちゃんと生きたいのなら、レツ! お前がしたいことを、お前が思ってることを、お前の、お前だけの『本当』をちゃんと言え!

 オモカゲの人形でも、それでも『本当』があるのなら! 『本当』になりたいのなら、生きていたいのなら言え!」

 

 その問いかけに、レツは答えない。言えない。言葉が浮かばない。

 頭の中はキルアの言葉がグルグル駆け回って自分の言葉は何も浮かばないのに……、レツの唇はわずかに開き、かすれるような声だがそれでも確かに、わずかでもこぼれ出た。

 

「………………僕は……」

 

 そして、キルアの言葉に勢いづいたのかゴンはつい数秒前の自分の狼狽を放り捨ててキルアの横に並び立ち、叫ぶ。訴えかける。

 ゴンにとっての「本当」を、レツに伝える。

 

「レツ! 俺にとっての『レツ』はレツだよ!

 俺の友達は、『死んだオモカゲの妹(ほんもの)』のレツじゃなくて……『人形(にせもの)』のレツだよ!

 俺にとって本物で本当のレツは、友達のレツはレツだけだ! それが、俺の『本当』だ!!」

 

 その言葉に、レツの顔がぐしゃりと歪む。

 泣き出しそうな顔に、けれど悲しみではなく闇の中に光が差し込んだような、立ち上がれない自分に手を差し伸べられたような、嬉しくて嬉しくて仕方がないからこそ泣きたくて仕方がないという顔になって、レツは一歩前に足を踏み出して、叫ぶ。

 

「――――っっ、ゴン! キルア! 僕は――――!?」

 

 しかしレツの声は、レツの「本当」は彼女の口から出てこない。

 何かを叫びかけたのに、急に消音設定になったかのように彼女の口はパクパクと動くだけで何の音も発しはしない。

 そのことに気付いたレツが、「どうして!?」と言わん顔で喉を押さえて何度も何度も、何かを叫ぶように口を大きく開閉するが、やはりその口からは呼吸音くらいしか発しはしなかった。

 

「……レツ。例えお前の『心』は本物であっても、それでもお前は私の『人形』であることは変わらない。そのことを、忘れてはいけないよ」

 

 自分の声を、「本当」を何とかして絞り出そうと足掻く妹に、オモカゲは近づいて告げる。

 その「心」に自由は与えても、彼女自身に「自由」は与えないという絶望を、醜悪な執着の笑みを浮かべて突き付け、妹を再び絶望に突き落す。

 

 口先だけは「妹の為」「レツの幸せ」を謳いながら、どこまでも妹を傷つけて絶望させるオモカゲにゴンやキルアはもちろん、クラピカやレオリオ、そして不本意とはいえオモカゲ側であるパイロさえもオモカゲの腐れ外道具合に、爆発寸前の怒りを懐く。

 

 その怒りが爆発する前に、口を開く。

 レツが狂乱して「もうやめて」と叫んだ時から、彼女の願いを汲んだようにまたしても沈黙を続けていたソラが、静かに告げた。

 

「――レツちゃん。どうか君は、忘れないで」

 

 オモカゲに声を奪われ、ゴンとキルアに伝えたかった「本当」を奪われ、死にかけていた心が彼らのおかげで息を吹き返したからこそ、あまりに鮮明に痛む絶望に膝から崩れ落ちて座り込んで涙するレツに、ソラは柔らかで優しい声音で伝える。

 

「たとえ声を失っても、それでもどうか君はゴンやキルアが言った事を、彼らの言葉から生まれた君の『本当』を忘れないで。それが今は絶望だとしても、それを否定して捨てて忘れたら、それこそ君は、君の全ては『偽物』になってしまうから。

 

 レツちゃん。『自分の所為だ』なんて思っちゃダメだ。

 悪いのは、そこの変態。可哀想だけど君の兄は人を大事にするという能力が欠落している屑だったのが悪いのであって……、君は何も悪くなんてないんだから、そいつに怒るんじゃなくて、自分の価値を貶めて偽物にしてまで兄を庇わなくていいんだ。価値がないのはそいつの言葉の方なんだから……君は絶望なんかしないで欲しい」

 

 涙は止まらない。けれど、「あぁ、やっぱり僕は『本当を生きる』なんて出来ないんだ」という諦観の絶望によって、最果ての深淵に沈みかけていた自分の『本当』が掬いあげられる。

 

 それは、彼らがこの屋敷に訪れる直前、絶望していたレツに海が告げた言葉と同じ趣旨の言葉。

 姉が同じようなことを言ったなんて、ソラには知る由もないはずなのに、それなのにソラはあの時の、数十分ほど前の海と同じように、優しくて悲しげな声で告げる。

 

「君に価値はある」と、自分の価値を貶め続けるレツの間違いを指摘した。

 

 泣きながら、それでも再びオモカゲがもたらした絶望を跳ね除けて顔を上げたレツに対しオモカゲは、忌まわしそうな顔で一度鼻を鳴らしてからソラに向かって言い放つ。

 

「……雰囲気は真逆だが、本当にそっくりだなお前ら姉妹は!

 だがな、ソラ! 知っているか!? お前の姉はレツに対してはお前と同じようなことを言って庇いたてたが、実の妹であるお前のことは『根源に至る為の材料』としか思ってなかったことを!

 彼女が生前お前を庇ったのは、自分の目的のために必要な、貴重な材料であるお前を損失しない為に過ぎなかったのだよ!!」

 

 オモカゲが何を言おうとしているのかはレツにはわかったから、レツは声にならない声で「やめて!!」と懇願して足掻くが、彼女の願いはオモカゲには届かないし、かすれた呼吸音がオモカゲの言葉を塗りつぶすこともない。

 どこまでも自分の主張を否定する彼らを、ただ傷つけたかったオモカゲは全く告げる必要のない話を唐突にあげて、ぶちまけた。

 

 ソラが出した「答え」とは真逆。

 残酷な、けれど彼女たちの家ではそれこそ当たり前の価値観によって導き出される「真実」を告げられ、ソラが海に会いたくないと思っている理由を知る二人はもちろん、ゴンとキルアもオモカゲの思惑通り、まるで「材料」としか思われていなかったのが自分のように傷ついた顔をして、海を見る。

 

 しかし海は彼らのからの縋るような「嘘だよね?」という視線はもちろん、あの死ぬ間際に自分が告げなかった真実を勝手に、癇癪を起して八つ当たりで暴露したオモカゲに対しても、何も思うことなど無いと言わんばかりにしらっとした無表情に徹していた。

 その反応が、ゴン達の反応で少しは解消されたオモカゲの苛立ちをまた募らせる。

 

 海の反応だけなら、もうオモカゲは慣れたものなので無視できたが、無視できずに苛立ったのは妹の方もレツに対しての優しげな笑みこそは自分の発言によって消え失せたが、彼女は周りと違って傷ついた様子などない。

 包帯で大部分が隠されていてもわかる、姉と同じような無表情をでソラは答えた。

 

「それがどうした?」

 

 傷ついていない訳がないことを、クラピカとレオリオは知っている。

 この「答え」を知ることが何よりも怖かったからこそ会いたくなかったはずなのに、それでもソラは言った。

 

「お前、まさかそこのアホ姉と自分を比べて『こいつよりマシ』とか思ってんじゃないだろうな?

 ふざけんな。海は言ったか? お前のように、私を材料にして自分が根源に至ることが、自分の役に立てることこそが私の幸福だとか、他の無能な魔術師に使い潰されるよりは自分が使い潰した方が私も喜ぶだとか、自分のしようとしていることを、私を盾にして正当化したか?

 

 する訳ねぇんだよ。海はただ自分一人を満足させる好奇心で根源を目指す根っからの魔術師で、どんな外道なことだって根源に至る為ならやるだろうけど、犯した罪の責任に言い訳なんかせず全て背負う人だから私は、『魔術師』に絶望しなかったんだ!

 

 海は外道だし鬼だしアホなのは事実だから、侮辱は好きなだけしたらいいけどな、自分が屑であることを否定するための言い訳に私の姉を使うな!!」

 

 自分の「答え」を否定されても、自分が「材料」でしかなかったことを告げられても、ソラは絶望するのではなくオモカゲに対して怒りを露わにした。

 自分の姉が、あまりに身勝手な自己弁護の材料に使われていることを許さなかった。

 

 姉の為ではなく、自分の為に。

 嫌って疎っていた、それでも手離さないと決めた「魔術師であること」を誇る唯一にして最大の理由が、普通の人間でも言葉を重ねて逃げる「自分の罪は自分で背負う」という当たり前を貫き通した姉の、「魔術師という屑」なりの誠実な誇りだったから。

 

 だから、姉を侮辱することは許しても、責任転嫁の言い訳、上を目指すのではなく下を見て安心する矮小さに姉が使われることだけは我慢ならなかった。

 

 ある意味、オモカゲの思惑通りソラの怒りは買えたが、オモカゲの予想に反して傷つくのではなく受け入れて、そしてオモカゲのプライドがちっぽけな張りぼてであることを指摘するキレ方に、自業自得の自爆という自覚もなくオモカゲはまた屈辱に唇を噛む。

 

 そしてソラの怒りが、彼女の友人にして仲間、掛け替えのない人達の足を止める絶望を同じく顔を上げて前を見据える怒りに変える。

 

「……もうわかった。貴様には何を話しても無駄だという事がな!」

「あぁ、その通りだ。こいつと比べたら犬の方がよっぽど会話が成立するぜ」

「おっさん、ゴンとソラの眼。それからパイロとレツを返してもらうぜ。兄貴はいらねーけど」

「……レツ、待ってて。すぐに! 絶対に助けるから!!」

 

 自分の人形を見せつけても、その出来栄えに感動もしなければ恐れもしない。絶望しない彼らにオモカゲはプライドをこの上なく傷つけられるが、それでも彼は揺るがない。迷わない。

 節穴の眼はとっくの昔に他の道に至る道を見失い、最悪の視野狭窄がどれほど否定されても彼を迷わせない。

 

「くくく……、勘違いしてもらっては困る。予定より早く君たちはここへ辿り着いたが、元々君たちをここに招待するつもりだったのだよ。

 もちろん、返す為ではなく貰う為に」

 

 例えソラに突き付けられても、本当は彼自身が一番わかっているはずなのに、もう彼自身も自分の中で矛盾して破綻している言い分に気付いていない。

 

「先程も言った通り、クラピカ、キルア、レオリオ……。君達の眼はレツの眼に相応しい。透き通った美しさを持つものだったからね。だからわざわざ、ご足労を願った訳さ」

 

 彼自身以外が、それは決してレツの為ではない事、クラピカが最も憎む人体蒐集家と同じ欲求でしかないことを理解しているのに、オモカゲ自身だけがその薄っぺらい大義名分を信じて疑わず、両手を広げて堂々と言い放つ。

 わかっていたが、改めてその壊れっぷりを見せつけられて思わずソラも含めて唖然としてしまう5人だが、それさえも見たいものしか見ていない、その為なら事実も頭の中で捻じ曲げるオモカゲには、彼らがようやく自分たちの状況が絶望的だと気付いたと解釈したのか、醜悪に歪みに歪んだ笑みを浮かべて彼らに宣言する。

 

「ふふふ……そして予想通り、君たちは互いを思うからこそ全員でここまでやって来てくれた。人間の絆というものは美しいものだよ、本当に……。

 さぁ、君達の眼も私に差し出すがいい! レツの眼として、そして私のコレクションとして永遠のものにしてやろう!」

 

 オモカゲの開幕宣言と共に、広間のガス灯が全て一斉に灯り、彼の傍らに控えていたレツ以外の人形たちがゆらりと動き出す。

 それぞれが自分の心から生み出された人形に対して顔を歪め、その苦悶の表情を恍惚と眺めながらオモカゲは呟く。

 

「この世は舞台、人はみな役者か……。クククク……」

 

 その呟きを、海はまた唇に笑みを浮かべて聞いていたことにオモカゲは気付かない。

 

(そうね。そしてそれは……あなたも当てはまるのよ、オモカゲ)

 

 すっかり舞台監督兼観客気分のオモカゲを、内心で嘲笑う。

 彼は気付いていない

 自分もこの舞台(エチュード)の登場人物であり、自分の好き勝手に役者(にんげん)を動かせる立場でも、ただ見ているだけで被害が及ばない立場でもないことに気付いていない事実がおかしくて仕方がないから笑う。

 

 終焉を決定づける機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)の手は、既にオモカゲの喉元にまで届いていることに気付いているのは海だけだった。






連載再開した原作のクラピカさんがものすごくシリアス&苦労しているから、「うちの連載はこんなんですみません……」とマジで土下座したい気分になりました。

そして次回もというか次回の方が、式織姉妹の所為でシリアスとシリアルがジェットコースター並の高低差と頻度で入れ代わり立ち代わりと忙しいです。あと海お姉ちゃんが割とマジでヒソカとタメ張るセクハラしてます(謎の次回予告)
この姉妹、シリアスをぶっ壊すのは得意なのはまだ良いけど、どうしてあそこまで壊しといてさっさとシリアスに戻れるのかが私にもわからない。

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