死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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140:青海は蒼天に沈む

「ソラッッ!!」

 

 とっさに出てきた名前は、案じた存在は、失いたくなかった人はただ一人。

 

 状況を見れば倒れてパイロにマウントを取られているという、パイロに対してならともかく海の攻撃に関しては一番心配がいらない体勢だったというのに。

 

 彼女を救おうと駆け出したレオリオも、彼女をオモカゲの命令で殺そうとしていたパイロも、その瞬間のクラピカには見えていなかった。

 

 自分はあの日「沈黙」を返したクイズの答えを、あまりにもあっさりと、正直に出した。

 何の迷いも躊躇もなく出したのに、それなのに海の魔力球が着弾し、その威力で胴体に風穴が空いたのはソラではないと理解した瞬間、そんな資格はないのに、見捨てたのに、それでもクラピカは自分の胸も同じように抉られたかのような悲痛な声を上げて、叫んだ。

 

「パイロ!!」

 

 叫んで、駆け寄る。

 選べなかった。選ばなかった。それでも、手離したくなかった大切な親友の現身。

 自分の心から切り離されて、それでも自分のことを彼自身の意思で好きであり続けてくれた少年を「パイロ」と呼び、傾ぐその体を支えた。

 

 ようやく、クラピカの手はパイロに届いた。

 

 * * *

 

「……海、どういうことだ?」

「海さん! どうして!?」

 

 オモカゲと同時に、イルミの人形を倒したことで両眼を取り戻したゴンが、勝利と目の奪還を喜ぶ間もなく目にした衝撃的瞬間を問いつめる。

 しかし海はどちらに対してもそっけなく、全く悪びれずに答えるだけだった。

 

「避けられたから直線上にいたあの子が被弾した。それだけよ」

 

 海の身も蓋もない答えにオモカゲは彼女を睨み付け、ゴンは「どうして」と言いたげに悲しげな眼をして彼女を見つめる。

 キルアも同じように海を見ているが、彼はゴンと違って「もしかして……」という仮説が頭の中に浮かび、それが事実だとしたら……という思いでどんな顔をしたらいいのかがわからず、ただひたすらに悲しげな顔をしていた。

 

 海の言い分ではあれは事故であり、自分の魔術に一応は仲間であるパイロが巻き添えにならないようにという配慮は全くなかったが、わざとではないと言っているように取れた。

 そして海の言う通り、海はパイロを狙った訳ではない。劣勢のソラに加勢しようと駆け出していたレオリオに目がけて魔力球を投げつけていた。

 

 ただレオリオが自分の背中に迫る魔力球に気付き、とっさに避けた結果その直線上にいたパイロが代わりに被害を被っただけであり、別に海はオモカゲに対して背信行為などしていない。

 ……少なくとも、表向きは。

 

 おそらくオモカゲは、人形の行動を一挙一動まで指定して操ることはできるだろうが、それは効率が良くないどころか人格を与えている意味がまるでないので、オモカゲは与える命令、操る内容は「敵を倒せ」「生かして目を手に入れろ」という目的と「人形同士、争うな」などといった禁則事項程度であり、行動自体はそれぞれの人形の人格に任せているとキルアは推測する。

 だから、直接的にオモカゲや彼の駒である人形に攻撃は出来ないが、先ほどのような「事故」をわざと起こすことならば……運とタイミングが味方に付けば可能なのだ。

 

 そしてこの姉なら、例え運が味方をしなくても自力でタイミングを掴んで引き寄せてそれをやってのけることを、それぐらいできるほどに有能であることを、キルアは昨夜の戦闘で散々思い知らされていた。

 だからやはりあの発言は言い訳に過ぎず、彼女は……自らの意思でパイロに当たるように攻撃したのではないかとキルアは思ってしまった。

 

 その攻撃した理由は、オモカゲに対する嫌がらせか、彼に操られて親友を傷つけるしかないパイロを憐れんだからか、それとも……危機一髪だった妹が関係しているのかまでは、わからない。

 動機に関しては完全に、どこにも根拠らしい根拠などない、自分の願望でしかないことはわかっていたからこそ、それぐらい海のことを何も知らないことを改めて思い知ったから、キルアはただ悲しげに彼女を見るしか出来なかった。

 

 キルアと違って、海の行動がわざとであることを察しても、その動機まで想像してやる気のないオモカゲは、いくら一番戦闘能力が高いとはいえ、やはり彼女に任すのではなかったと後悔する。

 しかし今更海を下がらせるのも時間と人形とオーラの無駄使いなので、オモカゲは舌打ちしてから「後で覚えてろ」と捨て台詞を吐いた。

 

「何を怒っているのかしら? せっかく、あなた好みの演目にしてあげたのに」

「……礼は言わないが、それは認めよう」

 

 海の全く自分の怒りを歯牙にもかけない態度に苛立ちつつも、その言い分だけは認めてやる。

 海を下がらせないどころか、無防備なクラピカ達に攻撃するように命じない理由だからこそ、認めざるを得ない。

 明らかな海の反意に対する苛立ちを紛らわせるように、苛立ちを塗りつぶす歓喜を期待してオモカゲは視線を海から彼らに移す。

 

 ……クラピカと、海によって破壊されてパイロの形を保つのはあと幾何もない人形との悲劇に注目した。

 

 * * *

 

「パイロ!?」

 

 クラピカと同時に、パイロに馬乗りにされていたソラが体を無理やり起こして叫ぶ。

 その所為でパイロはかろうじて保っていたバランスを崩し、後ろに倒れ込むが、床に背や頭をぶつける前にその小さな体は抱き留められた。

 

「パイロ!!」

 

 真っ赤な眼で、涙をボロボロ零しながらクラピカがパイロを抱き留めて、見下ろし、叫ぶ。

 そんな彼を空色の眼に映して、パイロは力なく、けれど心から嬉しそうに笑って言った。

 

「……嬉しいなぁ。……僕のことを『パイロ』って……呼んでくれるんだ」

「当たり……前だろ!」

 

 自分よりはるかに小さくて軽いパイロを抱きかかえながら、クラピカは言い切った。

 

「お前は……オレの心から、願望から生まれたパイロで……、本物とは懐く思いが違うのかもしれないけど……、それでもお前にはお前の意思がある! その意志はオレのものでもオモカゲのものでも、誰のものでもない! お前自身のものだ!!

 

 だから……お前はオレの、もう一人の親友だ。……何度、オレが見捨てて、切り捨てても、それでも俺のことを親友だと思ってくれたお前が……『パイロ』じゃない訳ないだろう?」

 

 パイロがソラに向かって叫んだ言葉は聞こえていたし、それ以前に彼の慟哭も聞こえていた。だから、ソラと同じようにクラピカも気付いていた。

 この腕の中のパイロは、パイロ本人の魂が人形に宿ったものでもなければ、パイロの心をコピーした同一人物同然の偽物でもないことを。

 クラピカが知らないパイロのことは、このパイロ自身も知らない、クラピカがすると思っていることだけをして、しないと思っていることはしない、クラピカがイメージするパイロでしかないことに気付いていた。

 

 それでも、クラピカは彼を「パイロ」と呼ぶ。親友だと言う。

 それは本物のパイロに対しての侮辱かもしれない。けど、そうだとしてもクラピカは彼を「パイロではない」と否定することは、手離すことなど出来なかった。

 

 自分にとって都合の良い存在だからではない。自分の心から切り離されても、何度も何度もクラピカは「お前が一番ではない」と突き付けても、それでも彼自身の意思で自分と戦うのを嫌がってくれた、自分を友達だと、親友だと思ってくれたから、クラピカもその友情に応えたいと思ったから、手離せなかった。

 

 しかし、その願いは叶わない。

 初めから、叶いはしないことなどわかっていた。

 だって、どんなにこのパイロの思いが本物であっても、彼は……オモカゲの人形に過ぎない。

 

「……見捨てていいんだよ。……むしろ、ソラさんより僕を優先したら、怒るよ」

 

 クラピカの罪悪感を、パイロはクラピカの記憶通りの穏やかで優しい微笑みを浮かべて許す。

 どこまでもやはり彼は、記憶通りのパイロだ。

 しかし、海によって風穴が空けられた胸からは血も臓物も何も出てこない。その中身は空っぽで肌も風穴から徐々に、無機質な灰色に変化してゆく。

 

「……海!!」

 

 そんな親友の変化、仮初めの命さえも終わるのが近いのを感じ取ってクラピカが絶句しているのを、見えていなくても感じ取ったのか、ソラが起き上がって立ち上がり、姉に向かって叫んだ。

 妹の怒声を、姉は固く目を閉ざしたまま何も答えず黙って聞いていた。口を出したのは、海ではなくパイロの方。

 

「待って……ソラさん……。海さんは……あなたのお姉さんは……悪くないんだ……」

「パイロ……お前……」

 

 パイロが海を弁護するのを見て、クラピカの傍らで膝をついて同じようにパイロの様子を悲痛な顔で、助けられぬ無力さを悔やむ顔で窺っていたレオリオが全てを察する。

 おそらく彼にとってこの結果は、望んだもの。

 二人で示し合わせて具体的に計画立てたものではないだろう。たぶん、パイロが「出来たら、チャンスがあったらでいい」と言って海に頼み込んでいた程度の話。

 

 それがたまたま、上手くいっただけなのだ。

 オモカゲに操られて、クラピカやクラピカの大切な人達を傷つけ、殺す前に自分を(ころ)して欲しいという望みが叶っただけの話。

 そこに海のどのような意思があったのかは、わからない。

 

 パイロはそれ以上、具体的には何も言わなかった。

 オモカゲが自分たちの間にあった「頼みごと」には既に気付いているだろうが、それでもパイロは自分の願いを叶えてくれた誇り高くて強い少女がこれ以上、オモカゲに不当に傷つけられないことを望んで口にはしなかった。

 しなくても、わかっていた。

 

「わかってるよ。でもね、パイロ。そんなの関係ないんだ」

 

 妹は、ソラはわかっていた。

 姉が本気で仲間が巻き添えになってもいいくらいに手段を選ばなくなれば、それこそ自分たちはとうに勝ち目などなくしている。被害者がパイロだけという時点で、それは海のミスでも、魔術師らしく手段を選ばないという手段を取った訳でもなく、狙ってやったことであることくらい、ソラはわかっている。

 

 そしてそんなことを姉がするということは、パイロが姉の逆鱗に触れたか、パイロ自身が望んだかの二択しかない。

 パイロの性格を知れば、二択ですらなくなる。前者は有り得ない。

 そこまでわかっていた。わかっているけれど、そんなのはソラが姉を「許さない」理由には関係ない。

 

 パイロ自身が望んでいたとしても、関係なく許せない。

 たとえ彼が、クラピカから切り離されて本物のパイロはもちろん、生み出したクラピカとも全く別の一個人として確立していても、ソラ自身も彼を個人として認めていても、それでも彼が「クラピカの心の断片」である事実に変わりはない。

 

 誰であっても、許せるわけがなかった。

 例えそれは切り離されていた彼の心を元に戻す行為だとしても、本当は「殺し」も「傷つけ」もしていない、そう言うべき行為ではなかったとしても。

 クラピカの心を殺すことなど絶対に許せないからこそ、ソラは狂い果てるほどに手離せなかった本能すらも捻じ伏せたのだから。

 

 だからソラは眼球のない眼で、海とは違って脳に視覚映像を直接送り込めてなどいない、ただ「死」だけを認識している視界で睨み付ける。

 それでも、その包帯の奥の空っぽの眼窩から溢れ出し、引きずり出す「死」の気配を感じ取れないほど鈍くない訳がないのに、海は揺るがない。

 

 ただ彼女は清濁を全て平等に飲み込む大海のごとく、悠然とそこに立っている。

 

 そんな姉の余裕が気に入らないのか、ソラは一歩前に足を踏み出した。

 しかしその足は、歩みは一歩で止まる。

 

「ソラ」

 

 パイロが決して生きた人間ではなかったことを知りながら、その命が自分の腕の中で潰えるのをただ見ているだけという、5年前の一族が虐殺されたことを知った時とはまた別の絶望に襲われ、言葉を失っていたクラピカが顔を上げず、俯いたままソラを呼び掛けて、言った。

 

「ありがとう」

 

 それは、パイロを「クラピカの親友」だと言ってくれたことか、パイロ自身が「もういい」と訴えても、攻撃せずにただひたすら防戦を続けたことか、それとも本能を捻じ伏せてまで、クラピカの心を傷つけたくない、殺せないと思ってその手を下ろしたことか……。

 

 ソラのどの行為に対する礼なのかはわからない。

 けれど、彼はその一言で許した。

 彼女に感謝していると伝えて、彼女が一人勝手に背負い込むであろう罪悪感を奪い取る。

 

 パイロを殺したのがソラの心が生んだ海だとしても、自分は許すと言った。

 

 クラピカのその言葉に毒気を抜かれたように、険しかったソラの顔が、纏っていた空気が緩む。

 緩んだ空気の中、緩んだ表情筋を動かした。

 

「こちらこそ!」

 

 ソラは笑って、再び足を踏み出す。

 パイロを抱きかかえるクラピカと背中合わせになるように、クラピカとパイロの別れの邪魔をさせないという意思表示のごとく彼の後ろに立ち、海と向き合った。

 

 海に対して「許さない」という意志に変わりはない。

 しかしそこにはもう、先ほどまでの殺気はない。例え意味などなくても、憂さ晴らしにすらならなくても、ただ自分の激情をぶつけようとしていたやけっぱちの殺気はなく、ソラが懐く「許せない」という思いはクラピカを「守る」というさらに強い意思の原動力に変化していた。

 

 その変化に気付いたのか、悲しげで申し訳なさそうだったパイロが再び安堵の笑みを浮かべる。

 そしてその笑みに、クラピカも笑う。

 

 また、助けられなかった。また、親友を喪う。

 その悲しみに胸が張り裂けそうなほど痛むが、それでもこれは5年前よりずっと幸福な終わりだとわかっているから、だからクラピカは泣きながらも笑うことを選んだ。

 

 クラピカが笑うことを選んでくれたから、クラピカが自分のことを「親友(パイロ)」だと言ってくれたから、パイロも彼の腕の中で笑って、自分が言う資格などないと思っていた言葉を口にする。

 

「……村を出る時、パイロ(ぼく)とした約束、覚えてる?」

「あぁ。もちろんだ」

「じゃあ、訊くね。…………楽しかった?」

 

 ソラの眼を奪われた日にも尋ねられた問い。

 その時は、答えられなかった答えをクラピカは口にする。

 

「……オレはまだ……旅に出てなんかいない。旅に出て、世界を歩む足も、世界を映す眼も、……その世界の美しさをお前に伝える声も、それらは全部5年前に、幻影旅団という大蜘蛛に奪われたままだから……だからオレは、『うん』とは答えられない。

 ……お前の望む答えは、返せない…………」

「…………そう」

 

 どこまでも誠実に、クラピカは答える。

 その答えにパイロはわかっていたが少し悲しげに眼を細めたが、続いた言葉に驚きと、そして歓喜を空色の瞳に滲ませて見開いた。

 

「けど……、パイロ。オレは、幸せだ。

 お前との約束は果たせてない、まだ旅にも出ていないけど、あまりに多くの悲しいこと、辛いことがあって、そしてこれからもオレはそんな思いを懐いて生きていくだろうけど……。

 けれど、それを分かち合える友を得た……。オレの懐く悲しみを塗りつぶすほどの、抱えきれない幸福をくれる人を見つけた。……共に生きてゆきたい人が、……同胞の皆より、父さんや母さんより、お前より大切な人と出会ったんだ。

 

 ……だから、オレは幸せで、これからだってずっとずっと幸福だ。

 今はまだ、お前の問いに『うん』とは答えられないけれど、お前達の眼を取り戻したらオレはようやく、旅に出れるから……そうしたら今度は必ず、『うん』と答えられるから……、だからもう少しだけ待っていてくれ」

 

 パイロが何よりも望んだ、「幸せだ」という答えにしばし眼を瞬かせてから、パイロもついに泣き笑いになって彼も応える。

「わかったよ」、と。

 

 パイロの胴部はもう、服さえも具現化出来ずに灰色の人形の素体に戻ってしまっている。

 残された時間はあとわずか。

 声だってもう、かすれた囁きのような声しか出せない。

 そのわずかな時間と絞り出すような声を使って、パイロは最期にクラピカに伝えた。

 

「クラ……ピカ……。お願い……。ソラさんに……どうか……伝えて……」

 

 言いたいことはたくさんあった。

 こんな残酷な終わりであっても、クラピカと出会えた感謝を伝えたかった。

 こんな自分が生まれるほど、強く心に残してくれていた事が本当に嬉しかったと言いたかった。

 本当はまだ消えたくない、死にたくない、「パイロ」としてこれからも生きていたい。

 本物のパイロが交わした約束を、「一緒に旅をしよう」という約束を果たしたいという弱音を吐き出したかった。

 

 けれど、パイロが選んだのは自分のことではなく、クラピカへの思いではなく、ソラについて。

 クラピカにソラへの伝言を、最期に託す。

 

 自分を、クラピカの心を殺したくないと言って泣いて笑った彼女の為に、パイロには伝えなくてはならないことがあった。

 

 

 

「海さんは…………()()()()()

 

 

 

 

 それはどういう意味なのか、尋ね返す時間は与えられなかった。

 ただそれだけを言い残して、パイロの頭部すらも眼球のないマネキンのような人形の素体に戻り、そしてそのまま全身が縮んで全長はせいぜい20センチほどの人形に戻ってしまう。

 

 自分の膝の上の人形をクラピカはただ見下ろしながら、涙を零す。

 二人目にして二度目の親友の死を、クラピカは静かに悼んだ。

 

 * * *

 

「ククク……。悲劇は甘美な蜜の味……。悲しみは生の証……。これもすべて私が作った人形のおかげで味わえる至福の時間だ。感謝したまえ」

 

 偽物にして本物だった親友の死を悼むクラピカに、一体いつ移動したのか、広間の二階から文字通り高みの見物でオモカゲが神経を全力で逆撫でする発言をして、クラピカは自分の両目を激怒で緋色に染めて振り返る。

 しかし、クラピカや言われたクラピカと同じくらいブチキレたレオリオやゴン、キルアより先に二人は怜悧な刃のように言葉で切り捨てる。

 

「「うるさい」」

 

 姉妹が揃って同時に、吐き捨てた。

 

 ソラからの「うるさい」一蹴は予測していたし、むしろ姉に似て自分の予定していたペースをかき乱すこの妹の心をかき乱せたのなら、オモカゲとしては気分が良いくらいなのだが、海のわかっていたが主を主と思わない態度に飽きもせず苛立ち、嫌味の一つでも口にしようかと思ったが、その前に海はオモカゲに背を向けたまま言い捨てた。

 

「まだ、私の演目が終わってないのに、勝手に舞台を終わらせないで」

 

 海の言葉にオモカゲは一瞬、目を丸くしてからその眼を醜悪に細める。

 

「……ほぉ。すっかりやる気をなくしているのかと思ったら、私の勘違いだったようだな」

「えぇ。本当に節穴ね、あなたの目は」

 

 バッサリと言い捨てる海の皮肉も、今のオモカゲには気にならない。

 クラピカとパイロの別れを実に面白い演目として見ていただけあって、彼からしたら楽しみで仕方がないのだろう。

 海とソラの、生かした姉と生かされた妹の、あまりに皮肉な殺し合いという演目は彼からしたら最高のショーだ。

 

 そのことに気付き、全員がオモカゲにこの上ない嫌悪と憎悪が籠った視線を投げつけ、キルアは「ソラ! お前は手を出すな! 俺らがやる!!」と下がるように声をかける。

 

「いやだ」

 

 しかしもちろん、この女がそういう気遣いに応えてくれるわけがない。

 

 ソラは即答でキルアの言葉を一蹴して、自分の両目を隠していた包帯を解く。

 解きながらソラは、話しかけた。

 

「……なぁ、姉さん」

「私をそんな風に呼ばないで。あなたが妹だと思うと、虫唾が走るのよ」

 

 ソラが海を「姉さん」と呼べば、即答で拒絶。あまりに身も蓋もない拒絶に、思わずそう言われたことを知っているキルア達も言葉を失う。

 吐き捨てるように言ったのなら、そこまで驚きはしなかった。

 

 海は懐かしむように穏やかに笑って言ったからこそ訳がわからず、皆が、オモカゲでさえも言葉を失っているのだが、妹はというと幾重にも固く、絶対に解けないように巻いていた包帯を解きながら、妙に穏やかに言われた言葉を気にした様子もなく話を続けた。

 

「はいはい……。じゃあ、海。……あんたは何で、あの日私を生かしたんだ?」

 

 本気なのかこの姉独特の冗句なのか全くわからない海の発言をサラッと慣れた調子で流し、ソラは問うた。

 自分が得るべきではないと思ったから、だから魔法使いに頼るのではなく八つ当たりに殴りに行くことを選んだはずの、永遠に解けない後悔(ぎもん)を口にする。

 

 ……自分で見つけたはずの、そしてオモカゲによって暴露され、自分が見つけたものは否定され尽くされたはずの「答え」をソラは、海に直接問うた。

 

 その問いに、海は答える。

「虫唾が走る」と言い切った時と同じように、たったの14歳とは思えないほど穏やかに、懐かしむように、慈しむような笑顔と声音で彼女は答えた。

 

「そんなこともわからないの?」

 

 問いかける妹に、答えを見つけられない妹をバカにするように、からかうように、尋ね返す。

 自分の口からは絶対に、教えてはくれなかった。

 だからソラは、言い返す。

 

 今更、こんな問いをしたのはあの日の答えを期待したからなんかじゃない。

 ただソラには言いたいことがあったから、いい機会だからそれを言いたかっただけ。

 今までの言葉など、あの日、言いたかったけど言えなかった後悔を今、ここで晴らす為の前準備に過ぎない。

 

「わかんないから訊いてんだよ! そんなのもわかんねーのかよ、アホ姉!!」

 

 勢いよく包帯を引き抜いてその眼を開ける。

 パイロから取り戻した、両眼。

 お情け程度に効果が焼き付いた魔眼ではなく、その脳髄と繋がる本物。

 

 それは蒼天にして虚空。

 (そら)にして(から)

 

 命あるものならば、物も死者も概念も神様だって殺して見せる終焉の眼。

 

 天上の美色。至高の青(セレストブルー)

 

 

 

 ――――直死の魔眼が、開かれた。

 

 

 

 その眼を前にして海は一瞬言葉を詰まらせたが、何かが一周回って呆れたような声で言う。

 

「……知ってたけど、改めて前にすると冗談みたいな眼よね。

 というか、何であなたは魔眼殺しもなく裸眼で過ごしていられるのよ? その眼、ランクで言うと黄金どころか宝石、それも虹手前のノーブルカラーよ」

「はっはー! いいだろう! あんたも魅了の魔眼持ちだったけど、さすがにノーブルカラー級ではなかったもんな! やらねーけどそこで羨んどけ!!」

「褒めてないし羨ましくないしいらない。本当に、強がりや意地やプライドじゃなくて、本当に本心から心からいらない。むしろ土下座して勘弁してくださいって頼むのも躊躇いがないくらいにいらない」

「そこまで言われるとさすがにムカつくな! 泣くぞ!!」

「どうぞご勝手に」

『お前ら実は仲良いだろ!!』

 

 ソラの取り戻した直死を前にしての、本気で感心すべきなのか呆れるべきなのかわからないと言いたげな海に、ソラがいつもの調子を取り戻して調子に乗ると、海も海で素で返し、そのまま姉妹は実に微笑ましくないが殺伐もしてない、気の抜ける喧嘩を始めたので、思わずキルアを筆頭に男勢が突っ込みを決める。

 

「「まさか」」

 

 しかしその突っ込みは、全く説得力のない姉妹ユニゾンで否定された。お前ら、本当に実は仲良いだろ。

 そう思ったのは当然、ソラ側だけではなくオモカゲも同じ。

 自分好みの悲劇を期待したからこそ、海の無礼と勝手な行いを許したというのに、まさかの姉妹コントを見せつけられて苛立ったオモカゲが「海っっ!!」と声を荒げた。

 

「はいはい。気が短くて器も肝も小さい。本当、評価できるところのない人ね」

 

 しかしその叱責さえも「私は何も悪くないけど、仕方ないから譲歩してあげる」と言わんばかりに海は仕方なさそう自分の背中、シスター服のような独特の襟の裏から何かを探り出す。

 それを見てソラは腕を組み、年下となってしまった姉と同じくらいしかないささやかな胸を張って言う。

 

「はっ! 海、本気で私と戦う気か?

 確かに私は未だにあんたに勝てる自信のないへっぽこ魔術師だけどさ、魔術回路に付加かけ過ぎて魔力もほとんどつきかけてるコンディションが最悪極まりない今のあんたと、パイロから目と一緒に魔力(オーラ)も多少は取り戻した私とじゃ、さすがに私の方が分があると思うけど? ……たぶん!」

「そこはもう少し自信を持ちなさいよ。情けない」

 

 あまりに平然と立って話をしているので、その場の全員が忘れかけていたが、海の体はもう既に余裕など全くないくらいボロボロに酷使されていることを指摘して、自分の方が勝機があると自信なさげに堂々と言い放つ妹を、海は本気で呆れ果てた声音で突っ込み、そして言う。

 

「けどまぁ、自信を持ってても粉砕されてたでしょうから、ある意味では分をわきまえてていいかもね」

「…………は!? ちょっ、おまっ、なんでそれ持ってんの!?」

 

 言いながら取り出したものを軽く素振りして見せつけ、ソラは素で狼狽えて文句をつける。

 

 それは一振りの短剣。

 柄には豪華絢爛に大粒の様々な宝石が埋め込まれており、刀身も透き通っているが硝子ではなく宝石だと判断できるほどの輝きを放っている。

 

「宝石剣」という呼び名にふさわしい、短剣を海は携えて言った。

 

「あなたが唯一、知っていて覚えている私の礼装だからよ」

 

 つまりはお前の自業自得であると、妹に言い捨てた。

 

 * * *

 

「待って! それ反則反則!! っていうか、それ失敗作じゃん! 海、自分で作っといて自分で粉砕したじゃん! 何で今ここで復活して使ってんの!?」

「だからあなたが唯一知ってて覚えてて、そしてここなら向こうの世界で使うよりマシだからよ」

 

 パイロの人形の戻り方が「服を着た人形の素体」ではなく、ただ単に「人形の素体」だけ、つまりは服すらもオーラで具現化していたのだから、礼装もオモカゲの能力で具現化して再現されていても不思議ではないことに気付いていなかった、そんな余裕はなかったし、見せられるまですっかり存在を忘れていたものを見せつけられ、ソラは先ほどまでの自信は本当に粉砕されて狼狽える。

 

 そんないつものソラとテンパった妹の発言に淡々と答える海のやり取りを、「……どこから突っ込めばいいのやら?」という顔でクラピカとレオリオ、そしてオモカゲは眺めるが、キルアだけが彼女の短剣を見て「……あ」と気まずげな声を上げ、ゴンはその一言で意外といい勘を発揮して全てを察する。

 

「……え? ソラが何で今更焦ってるのかと思ったら……、キルアまさか……今朝の電話であの『剣』のこと言ってなかったの?」

「……タイミングを逃して後回しにして、そのまますっかり忘れてた」

「待って、キルア! ゴン! 知ってたの!? 知ってたのに言ってくれなかったの!?」

 

 まさかの報連相の不足がここで発覚して、ソラは泣きそうな声を上げてキルアに抗議する。

 そんな騒がしいやり取りにオモカゲは「私が望んだ演目はこんなものじゃない……」と思って頭を抱えるが、海は妹の半泣きもオモカゲの嘆きも無視して、自分の焼き切れかけている魔術回路にさらなる負荷をかけ、残っている魔力を絞り出し、短剣に注ぎながら詠唱を始める。

 

水底に灯を(消える)大地に翼を(墜ちる)断頭台に正義を(無くす)

 

 詠唱と同時に、短剣が黒い魔力を纏う。

 それは明らかに、海が注ぎ入れる魔力にしては過剰。

 

「……おいっ! ソラ! まさか、あの短剣は……」

「多分クラピカの想像の通りの性能だよ! このチート魔術師!! 何でお前はアベレージ・ワンなのに、虚数魔術の使い手なんだよ!!」

 

 海の聞き覚えのある詠唱と、彼女が持つ短剣の見た目、そして明らかに過剰な魔力を纏うという性能からしてクラピカほど理屈を理解していなくても、全員がだいたいあれはどういうものなのかを察して顔から限界まで血の気が引く。

 

獣には富を、人には愛を、世界には救済を(無価値に世界は満たされて)

 

 間違いなく、彼女が持つ短剣はソラの魔法の師にして、彼女たちの家の魔術の始祖であるゼルレッチの宝石剣を模したもの。

 さすがに第二魔法を限定とはいえ行使する礼装を、天才の域だといっても直弟子に取られなかった、「向いてない」と言われた海が作り上げたとは思えないが、彼女の実力を知っていればその威力が本物には遠くて及ばないとしても、舐めてかかれるものだとも思えない。

 

 そして、この詠唱からして間違いなく海はソラが使っている本家と同じ性能の宝石剣が放つ、純粋な魔力の塊を光の刃として撃ち出しているだけではない。

 この女、自分の周囲の生命力を巻き添えにして奪って自壊してゆく、悪食鯨飲の魔力をその短剣に纏わせている。

 

 本人も昨夜言っていたが、確かに本家と比べたら雅さなどない、えげつなさである。

 

「あーっ! くそっ! お説教は後でいくらでも聞くから、今は後回しでお願いします!!」

 

 そのことを知る、だからこそ今ここにその短剣が存在する元凶はクラピカに八つ当たり気味の返答をしながら、ポケットから取り出す。

 直死の際に使うボールペンではなく、バタフライナイフを取り出し、くるくる回しながら刃を出してソラは言い訳を叫びながら豪快に潔く左手首をリストカット。

 

光は影の国へ、(我らの意味は)万象は海の底に、そして天空は檻の中(底なしの無為に食い尽くされる)

 

 黒い魔力が刀身を覆いつくすと同時に、ソラの体が血管を死なぬ程度に、けれど決して浅いとは言えぬほどに切り裂いた痛みの反射で跳ね上がる。

 何をするつもりなのか、そして確かにクラピカの想像通りの刃が打ち出されるとしたら、「線」を切り裂くか「点」を貫けるか危うい直死より対抗できるのはこちらであることもわかっている。

 

 それでも彼女自身を犠牲にしないといけないものを許容できるはずがなく、クラピカとキルアが「後回しにして」というソラの要望を無視して「ソラッ!!」と叫ぶが、その叫びを塗りつぶすようにソラが叫ぶ。

 

「来いよ! クソジジイ!!」

 

 相変わらずシンプルで酷すぎる具現化するための詠唱に、初耳の海は苦笑した。

 自分も詠唱をしてる最中でなければ、「あなたは大師父を何だと思ってるの?」とでも言っていただろうし、ソラもソラで「クソジジイだって言ってんだろ!!」とマジギレで返しただろう。

 

 けれど、もうそんな軽口の叩き合いは出来ない。

 微笑ましくないけれど、殺伐というほどでもない。ある意味では姉妹らしい、「仲良いだろ」と突っ込まれるようなやり取りは……そんなソラにとっても、海にとっても泡沫の夢でしかない時間はもう終わり。

 

 カーテンコールを告げるように、姉妹は同時に振り上げた。

 

「星よ、差し出せ――」

 

 刀身を黒く染め上げ、海自身どころかソラよりもその刃がまとう黒い魔力は大きい宝石剣の失敗作を。

 

「――世界を、穿て」

 

 剣というより豪華絢爛なこん棒と言った方が正確な、とっさに出してまだ最低限にしか魔力を纏っていない、偽物を。

 

 二人は同時に、振り下ろして撃ち出した。

 

堕天細工(キシュア・ゼルレッチ・シュバイン)宝石剣(オーグ・オルタナティブ)

虚構細工(キシュア・ゼルレッチ・シュバ)宝石剣(インオーグ・レプリカ)!!」

 

 黒い、何も生み出さずただ辺りを巻き添えにして消えてゆくしかない黒い魔力の刃と、ただただ純粋な力の奔流、魔力(マナ)そのものの光の刃が同時に撃ち出され、ぶつかり、黒い魔力は光を喰らい、光は悪食鯨飲さえも切り裂こうと前に進む。

 

(……やっぱり、失敗作ではこの程度ね)

 

 海の方が刀身に纏わせた魔力の量は多く、撃ち出した魔力の刃の大きさも大きかったのに、海の宝石剣ではソラの宝石剣が撃ち出した光の刃を押し切る事は出来なかった。

 ソラは反則だと喚いたが、海からしたらソラが投影する宝石剣の方がよほど反則。彼女が一体何に怯えていたのか、どうして自分に勝ち目があるかないかで「たぶん」と言ってしまうほど自信が持てないのかが、海にはわからない。

 

 海は、ソラが思うほど余裕のある魔術師なんかではないのに。

 だからこそ、自分はあの日……、両親が妹を、ソラを、「架空元素・無」という魔術属性をコネクション作りの為にどこかの経歴だけは御大層な家に売りつけようとした時から、それを海が防いだ時からずっとずっと、足掻いてもがいて、けれど手が届かない事を、自分が果てのない「空」ではなく、底がある「海」であることを思い知って絶望し続けてきたのに……。

 

『なぁ、海。どうして魔術師は、手段を選ばない事を自慢するバカが多いんだろうね?

 手段も方法も選ばないって、自慢することじゃないだろ。選んでたら目的が果たせない程度の実力ってことなんだから』

 

 だから、そう言った妹の首を絞めた。

 わかっている。あれは自分に対しての嫌味なんかではない。むしろそうであった方がどれほど救われていたか。

 

 妹は、ソラは、海こそ「手段を選んで目的に到達できる」と思っていたからこそ、同意を求めて言った事を知っている。

 

 首を絞められたソラは、苦痛よりも姉の唐突過ぎる暴行に対する怯えや怒りよりもその顔に優先させて浮かべた表情は、懐いた感情は、「どうして?」という疑問だった。

 自分の姉に対する評価が過大であったことに気付きもしないで、ソラはきょとんとした目でただ首を絞められた。

 そのまま、卑屈な怒りと嫉妬で殺されることなんか想像しないで、すぐにやめてくれるだろうと信じて疑わない目のまま、ソラは首を絞められている間中「どうして?」と訴えかける目で海を見返し続けた。

 

 妹は今も昔も、純粋で、無垢で、愚かで、そしてとてつもなく残酷であることを思い出して……泣いてしまいそうな懐かしさを噛みしめる海の体が、彼女の意思に反して動き出す。

 

(……全く、情緒も何もわかってないくせによく芸術家を気取れるわね)

 

 海の黒い刃はソラの光の刃を押し切れないが、相殺は出来そうなのを見て、オモカゲは連撃すれば勝機はあるとでも思ったのだろう。

 だから、海の意思を無視してオモカゲは海の体を操る。

 

 更に海の魔術回路に無理やり、残り僅かな魔力を過剰なほどに通して、失敗作の宝石剣に魔力を注いで礼装の機能を起動させ、刀身にあたりからかき集めた魔力(マナ)を纏わせる。

 

 それを見てソラは舌打ちしながら、駆け出した。

 宝石剣から手を離し、海へと距離を詰める。

 

 その行動、特に宝石剣の制約である「直死の間合いの外」を自ら破るソラが理解できず、彼女の仲間は「何やってんだ、バカヤロー!!」と彼女を案じているからこその罵声を浴びせ、ソラを止めようと彼らも駆け出し、手を伸ばす。

 

 そんな自ら海の宝石剣の餌食になりたがっているとしか思えない行動に、オモカゲはニヤニヤと愉悦の笑みを浮かべ、海は背後の笑みを見てなくても、見えていなくても易々と想像ついた為、心の底から自分の創造主の愚かさに呆れた。

 

 わかりやすくは言ってなかったが、説明したのに覚えていないのか初めからわかっていなかったのかオモカゲに海は呆れ果てて、だからこそ色々と諦めて好きにさせる。

 というか海からしたら、オモカゲだけではなくソラ以外の全員に対して呆れている。特に、自分の魔術がアベレージ・ワンでありながら虚数属性の魔術だと気付いたクラピカに、「あなたはさっきの聡明さをどこにやったの?」と訊きたい気分である。

 

 そんな呆れ果てて投げやりな気分のまま、海はオモカゲの命令通りだがおざなりに告げる。

 

「星よ、差し出せ」

 

 この詠唱時点で気付いていないのが、海からしたら信じられなかった。

 オモカゲが犯した失敗に。

 この「宝石剣」が何故、「失敗作」なのか。

 何故、向こうの世界でこれを下手に使用すれば抑止力案件になるようなものなのか。

 

『!?』

 

 ソラと海以外の全員が、信じられないものを見たように目を見開く。

 信じられないのはこちらの方だと、海は言いたかった。

 

 キィィンっと澄んだ音を立てて、魔力の刃を撃ち出す前に刀身が折れて壊れた海の宝石剣が何故そんなにも意外なのか、信じられないのか、想像できていなかったのが不思議で仕方ない。

 壊れて当然だろう。

 もうこの地の魔力は先ほどの一撃の為にほぼ搾り取って奪い尽くしたというのに、あれとまた同じだけの魔力を求めても物理的にないのだから、宝石剣の機能は海から供給される魔力だけ賄おうと無理して空回って焼き切れて壊れた。

 

 ただそれだけの話だ。

 

 ソラだけがそうなることを読んでいたからこそ、オモカゲに操られての連撃を『チャンス」だと思い、自分の宝石剣を捨てても駆け出して、海へと距離を詰めてきたことに気付いていたのは、これまた海だけだった。

 

「バカばっかり」

 

 ボソリと海は、気付いていなかった者達への感想をシンプルに言い表した。

 

 ……宝石剣が奇跡の生き残り、魔法の一端であるのは、第二魔法を限定行使するから。

 つまりはどんなに強力な魔力の刃を撃ち出せたとしても、第二魔法を限定的にでも行使して撃ち出したものではない限り、それは「宝石剣」としては価値などない失敗作でしかないことに、オモカゲも他の者も気づいていなかった。

 

 この宝石剣は、偽物だが決して失敗作ではないソラの宝石剣とは違って、世界に極小の孔を穿って、そこから並行世界の魔力(マナ)を無尽蔵に供して汲み上げて刀身に纏い、放っている訳ではない。

 

 単純に周囲の魔力(マナ)を無差別に無造作にかき集めて、使用しているだけ。

 海が優秀だったのもあって、そのかき集める容量が大きすぎる所為で、魔力(マナ)が少なくなっていたあちらの世界で使用したら、下手すればその地を魔力(マナ)枯渇地帯(ドライスポット)化しかねないから、海は早々に破棄したことを教えていたのに、オモカゲはすっかり忘れていたのか、元々理解していなかったのかはわからない。

 

 どちらにせよ、昨夜レツに与えていた自分の眼で見た威力に味を占めて、ろくに考えずバカなことをしたのに変わりはない。

 そんなオモカゲをもはや皮肉る気にもなれず、オモカゲが茫然自失して何の命令もしないのをいいことに、海も何もせずに自分の間合いまで、直死の間合いまで辿り着いた妹が自分に与える最後の、とどめの、パイロを殺した事で買った「許さない」という一撃を待った。

 

 閉じた瞼の裏で、懐かしい日々を思い返しながら。

 

 

 

 * * *

 

 

 

『言葉の上っ面だけで知ったような気になって、半端な理解で見当違いな解釈されるよりは、初めから最後まですべて全部誤解され続けた方がずっとマシ』

 

 クラピカに言った言葉だが、これは誰かに向けての皮肉ではなく、海の自嘲と願望の言葉。

 ずっとずっと、最初から最後まで誤解しておきたかった。

 気付きたくなかった。気付いてほしくなかった。

 

 自分が妹をどう思っているかなんて、気付きたくなかった。

 自分が妹をどう思っているかなんて、気付いてほしくなかった。

 

 けれど、気付いてしまった。

 妹があまりに女性として残酷な使い道の為に売られかけていたことを知った日に、海は自分が眼を逸らしていたものに気付いてしまった。

 

 あの時、ガンドを連打したのは本心から相手が気持ち悪かっただけだ。海は本当に、親がその魔術師の一族と派閥に恩を着せられる程度の打算で、妹を売ろうとしていたことなど知らなかった。

 

 事前に知っていたら、海は両親を躊躇なく殺してでも阻止していた。

 その頃はまだ母から魔術刻印を受け継いでいなかったので、敵対するのは不利であり、殺したら自分が受け継ぐはずの魔術刻印も失っていただろうが、妹がまさしく子を産む道具扱いで使い潰される未来と比べたら、悩む余地もなく惜しいものではなかった。

 

 親は別に、海がそのような行動を取ることを予想していたから黙っていた訳ではない。

 彼らはそこまで、海が妹に対して真っ当な愛情を懐いているなんて知らなかった。話さなかった理由は、海の妹に対する認識は自分たちと同程度、道具として使われるだけ評価してやってることに感謝しろぐらいだと思っていたからこそ、話す必要性を感じていなかった。

 いなくなった後で、「最近、妹を見ないわね」と言われたら答えようぐらいにしか思ってなかったからという、屑具合だ。

 

 そんな両親を軽蔑していたのに、なのに海は両親のしようとしていたことを「許せない」と思うよりも先に、「許せない」理由として、「もったいない」と思ってしまった。

 

 自分は妹を愛していると思ってたのに。そう信じていたのに。

 

 自分が根っからの、骨の髄から人間以前に魔術師である事は知っていたけど、妹に対しての想いは、あの子を守りたい、大切にしたいという想いだけは人間としてのもの。

 人間として、姉としてのごく普通で、当たり前で、だからこそあまりに眩い愛情だと思っていたのに、それは幻想だったことに気付いてしまった。

 

 自分はずっとずっと、妹が生まれた時から妹の魔術属性に、妹の特性に、自分より遥かに「根源」に近いその体に眼をつけていただけ。

 だから守りたかったし、大切にしていただけだったことに気付いてしまった。

 

 気付いてしまったのに、全てはきっと自分の良心を誤魔化す為ですらなく、妹が自分に警戒して逃げ出さないように自分でも気づかぬように無意識に、「優しい姉」を演じていただけだったはずなのに……

 

 それなのに海は、あの日……、自分のベッドの中で体温を分け合うように抱き合って、そして語らった「夢」の答えを妹から得たことで……、妹のあまりにまばゆい「夢」と覚悟を知った時……

 

 偽物だったはずの愛情が、本物になってしまった。

 

 あの日はまさしく、魔術師ではなく姉としての「海」が生まれた瞬間。

 海は魔術師としての業を……、何を犠牲にしても「根源」に至りたいという夢を懐いたまま、人間種としての起源にも突き動かされてしまった。

 

 人間はいつだって、自分にはないものを求める。それも、生きる為や種の保存として必要だからではない。

 空を飛ぶ必要も、海の深さを知る意味など、世界の果てに何があるかなんて知らなくても生きてゆけるのに、それでも人はただその眩さに魅せられて、求める。

 それを「人間種の起源」と言わずに、何と言うべきか?

 

 だから海も、その「起源」に突き動かれた。

「根源」と同じくらい自分からは遠いものを、初めから自分にないものを、妹に見て、眩いと思って、求めてしまった。

「根源」を求める理由と同じく、理屈ではなくただ当たり前のように欲しいと思ってしまった。

 

 普通の姉妹でありたいという夢を……見てしまった。

 

 そんな夢を見たくせに、なのにその夢と同時に叶えることなど出来ない、対極に位置する夢も海は手離せなかった。

 ソラが「求めるのは当たり前」と言ってくれた、「根源に至る」という魔術師の業そのものの夢も手離せなかったから、だから海は卑怯な手段を取った。

 

 この二つが噛み合わない、いつか必ずどちらかを犠牲にしないといけない事をわかっていながら目を逸らして問題を後まわしにし続けていたのに……、海は両親の屑具合に完全に怒りで頭が沸騰した熱が建前を溶かして本音が浮かび上がらせて、自分の怒りの本質に気付いてしまった。

 

 あまりにも純粋な怒りだったからこそ、目を逸らしていた自分の答えに気付いてしまった。

 そして、気付いてしまったらもう海は目を逸らすことが出来なかった。

 

 それはあまりに……「助けてくれてありがとう」と言って笑った妹に対して、不誠実だと思ったから。

 

 偽物なのに、偽物だったはずなのに本物になってしまったからこそ、……愛しているからこそ海は言ったのだ。

「勘違いしないで」、と。

 

 妹の為ではなかったことを、海自身が傷ついた事実を告げた。

 姉と呼ぶなと拒絶した。彼女が妹だと思うと虫唾が走るのは事実だ。……こんなにも自分を信頼してくれている尊い存在を、「材料」と思っていた、未だに「材料」にしようと思っている自分が許せなくて、そんな自分が姉であるという事実が許せなくて、自分たちが姉妹だと思うことにすら虫唾が走ってしまった。

 

 そうやって、全て本音だけど全部は語らず、誤解されて嫌われてしまいたかった。

 半端な理解で見当違いな解釈を与えて勘違いさせるのは……、海の優しさは全て純粋な姉としての愛情だと思わせるのは、海自身と同じようにいつかきっと最初から真実を知っているよりも余計に傷つくから。

 海の愛情が、今は決して偽物ではないことを知った方が、妹は海に対しての期待を捨てられず、逃げられなくなってしまうかもしれないから。

 

 そんな理由を心の中で並び立てたが、それもまた妹の為ではなく我が身かわいさの言い訳であることも知っていた。

 本当は、妹に嫌われてしまえば自分の本物になってしまった愛情も冷めて、薄れて、いつか消えるという卑怯な期待をしていたからに過ぎない。

 

 海は自分の為だけに、愛した妹を、愛している妹を拒絶した。

 なのに、妹は…………

 

『……わかった。じゃあ、海』

 

 姉と呼ぶなと言えば、名前で呼びだした。

 そしてどんなにそっけなくしても、話しかけたい時に話しかけて来た。

 さすがに海に嫌われてるとは思っていたようだが、それなのに妹は普通に……ごく普通に今までと変わらず接してきた。

 

『海はすごいよね』

 

 今までと変わらず、姉は手段を選んで目的に到達できると……、犠牲なんか出さずに「根源」にいつか至れると信じて疑わなかった。

 

 そんな訳ないのに。

 気付いてしまった日から海はずっとずっと、足掻いた。

 妹を犠牲にせず、自分が「根源」に至る方法を探し続けた。いや、そんなものはなくてもいい。むしろ妹を犠牲にしても至れない、どれほどの犠牲を払っても自分がそこに至る才能はないと思い知って諦めることが出来たのなら、海は人間種の起源として得た夢を守ることが出来た。

 

 なのに、海は突き抜ける程の特異性はなかったけど、才能が飛びぬけて優秀だった。

 妹は突き抜けた特異性があったのに、それを生かす才能はなかった。

 

 自分一人では至れないと思い知らされたのに、自分が妹の突き抜けている特異性を使えば、そこに至れるのではないかという期待は潰えてはくれなかった。どんなにか細くとも、その可能性は、期待は必ずあった。

 そしてその可能性は、敬愛する、そして自分の二つの夢を守り抜く最後の希望だった大師父にも突き付けられた。

 

 才能は海の方があるが、魔法使いに必要な素質があるのは妹の方、だけど素質はあるけど妹には才能が致命的に足りないと言い切られた。

 

 可能性の魔法使いにすら、自分の夢を二つとも手離さないまま守り抜いて叶えることはできないと否定された。

 

 だから、だから海はせめて、せめてもの悪あがきで、これだけはと願って望んで守ろうとした。

 だからあの日、海は泣きながら笑った。

 笑って答えず、逆に訊き返した。

 

『そんなこともわからないの?』

 

 嫉妬に狂った父親から妹を守ったのは、魔術師としてか、本物になってしまった偽物だった姉妹愛からかはもう海自身にもわからない。

 ただ、死ぬ間際に泣いたのは父親に殺されるほど妬まれてたってことに絶望していたからではない。海の愛情は家族に限らず全て妹だけに向けられていたのだから、父親なんて眼中になかった。

 

 海が絶望していたのは、自分が死んでもう「根源」には至れないことと、こんな時までそんな後悔をする自分は「魔術師」であることを思い知って……、やはり自分は普通の姉妹に……ごく普通に妹を愛する姉にはなれなかったことに絶望していた。

 

 けれど、妹は死にかけた海を抱きかかえて、泣きながら、けれどポカンとした顔で訊いたのだ。

「何で?」、と。

 姉が自分を助ける理由を、まったく理解していなかった。

 

 だから、海は笑った。

 せめてもの悪あがき、妹は何も気づかないで。何もかも誤解して、知らないままでいて欲しいという望みだけは叶っていたことが嬉しかった。

 

 姉に材料だと思われていたから、守られたとは思ってなかった。

 姉が自分のことを、普通の人間らしく愛していたとも思ってなかった。

 

 気付かなくていい。知らないままでいい。

 だってどちらも、それは妹にひどい傷を負わせるだけだから。

 だから海は、自分の悪あがきだけは叶っていたことに安堵して笑った。

 そして最期のワガママとして……せめて少しでも長く妹の記憶に、心に残っていたかったから、ひっかき傷くらいになればいいと思って訊き返した。

 

『そんなこともわからないの?』

 

 それがまさか、海の二律背反した夢のどちらか一つに気付いてしまうのと同じくらいの傷になるとは思わなかったあたり、やはり海は人の心をよくわかっていない魔術師だ。

 

 そんな自分の失敗を思い返して、自嘲の笑みを浮かべながら海はさらに思い返す。

 これで終わりだと思っていたのに、続いてしまった日々を。

 

 オモカゲによって彼岸から此岸に引き挙げられて……、妹の領域に無遠慮に潜り込んでまさぐって「執心」を探っていた手を自ら望んで伸ばして掴んで、二度目の生を得た。

 その生で得た、あまりに短くて、けれどこの上なく幸福だった海なりの「普通の姉妹」のやり取りを思い出す。

 

 オモカゲのことは大嫌いだけど、実はこの生をくれたことだけに関しては、本心から海は感謝している。

 だってもしも海が本物の奇跡、魔法の領域である完全な死者蘇生で二度目の生を得ていたとしたら、それは生前の絶望を再び味わうだけ。

 

 自分は魔術師だから、その業を捨てきれなかったから、だから一生後悔するとわかっていても、「根源に至る」という夢を叶えることは、最愛の妹を最低最悪な形で犠牲にするという絶望の結末と同義だとわかっていても、それでも海はいつか必ずその絶望を自ら選んでいたことはわかっていたから。

 

 だから、海はこの生に満足している。

 オモカゲの人形として、「魔術師」であることを否定された生だからこそ、海はようやく「ソラの姉」になれた。

 

 ソラの姉として、妹の大切な人を傷つけようとしたことを謝れた。

 ソラの姉として、妹を侮辱するような出来の人形と、妹を狙う死霊どもに怒りを懐けた。

 ソラの姉として、妹に執着しているくせに何もしない意気地なしの子供に失望できた。

 ソラの姉として、妹の面影を持つ少女に伝えたい言葉を伝えられた。

 ソラの姉として、危機感のない義弟候補に忠告出来た。

 

 ソラの姉として……妹と話が出来た。

 

 妹と、ソラと、もう一度会えた。

 

 全て「魔術師」としての打算なんてない、全部、純粋に姉としての想いで行動出来た。

 だからもう、十分だった。

 海にとっては十分すぎるくらい幸福な時間だったから、「姉」としての未練は全て叶ったから、だから今度こそ海は「死」を選ぶ。

 

 今度こそ、妹の心の中にすら残らぬように、妹を怒らせることでもうその心に残らぬように、妹の眼で完膚なきまでに死に果てるのを待った。

 

 瞼の裏の長くも刹那の回想が、走馬燈が終わり、脳に視覚情報が届く。

 目の前に、あんなに焦がれた「根源」に至る終わりの青が迫り、そのまま海を――――

 

 

 

 ソラは、追い越した。

 

 

 * * *

 

「え?」

 

 まさかの素通りに海は間の抜けた素の声を上げて振り返る。

 ソラは、妹は姉を素通りして追い越して、姉の背後で腕を振るった。

 

「……呼ぶなって言われても、虫唾が走っても、海は私の姉なんだよ」

 

 セレストブルーの眼は、海ではなくその背後のオモカゲを睨み付けている。

 

「私の姉を、自分の物みたいに扱うな!!」

 

 オモカゲにそう宣言して、ソラは断ち切る。

 オモカゲから海へと細く繋がる、マリオネットの糸のようなオーラのパスを。

 

 海という人形を生かす命の供給口にして、海の自由を縛り続けた枷を、その眼が断ち切った。

 

 ソラに断ち切られた事で、海はオモカゲの支配下から逃れるが、海自身の体にはもうオーラなど残っていない。今、ここで立っていられたのは海の気高すぎる誇りと、オモカゲから供給されていたオーラのおかげ。

 だから支配から解放されると同時に、足先からオモカゲの能力が、置換魔術が解けて人形の素体に戻ってゆく。

 

 そのことに気付いているのかどうかも怪しい、見た目相応に幼い面差しで海は、背後のソラに尋ねた。

 

「……何で?」

 

 どうして自分を殺さなかったのかを尋ねる姉に、ソラは振り返って言ってやる。

 

 

 

「そんなのもわかんないのかよ!?」

 

 

 

 妹の意趣返しに姉は数秒言葉を失ってから……笑った。

 妹に、ソラによく似ているけど違う、深くて穏やかな、果てがないはずないのに果てなど見えない大海の笑顔で、海は答える。

 

 

 

「わかんないから訊いてるのよ、愚妹」

 

 

 

 答えて、そうして全身の置換が解けてしまう前に海は手にしていた失敗作の宝石剣を喉にあてがい、ずいぶんと短くなった刀身で無理やり、潔く喉笛を切り裂いた。

 妹の手が汚れる前に自らを殺して、終わらせて、そして落ちてゆく。沈んでゆく。戻ってゆく。

 海がいた場所に。

 

 あんなにも至ることを望んだ根源……ではなく、その手前。

 

 忘れたくないという望みと、忘れないで欲しいという願いが互いに引っかけて、引っかかって墜ちてゆきはしない海の居場所。

 

「 」へと繋がる空っぽの器の中にある、本来ならないはずの異物(こころ)

 妹の心の奥底に、海は舞い戻って満足げに笑った。


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