死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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142:良心が選んだ結末

 ゴン達カルナとは初対面の3人は脱力してその場に座り込み、旅団の人形たちですら武器を落としたり、気が抜けてその場に膝を屈してたりする。

 そしてヒソカは腹を抱えて爆笑。

 

 ヒソカの爆笑が響く広間の中、その爆笑を掻き消す勢いでクラピカは、相変わらず悪気も他意もないからこそ厄介すぎるカルナのボケに対してキレた。

 

「お前がソラと記憶共有をしてないよりはマシ、下手したらしてない方がマシな程度にしか出来てないのは知ってるし、その訳も理解しているし納得もしてる!!

 だがな、今ここでそれを訊くか!? お前は一体あれを何だと思って、あそこまで勢いよく殴って壁ごと吹っ飛ばしたのだ!?」

「……すまない、クラピカ。空気が読めなくて、本当にすまない」

 

 クラピカの剣幕に、ソラと人格を交換して現れたカルナがオロオロしながら謝るが、彼の精一杯の誠意を込めた謝罪は今のクラピカには逆効果だ。というか、その謝罪自体が壊滅的に空気を読めていない。

 

「謝るくらいなら、最初から何とかならないのか!?」と、もはや今更過ぎてどうしようのないことにキレるクラピカを眺めながら、抜けた気を入れ直した3人は遠い目でそれぞれ呟く。

 

「……ソラが謝った理由と、クラピカがなんかすごく頭痛そうだった理由がよくわかった」

「あんだけ強いんなら初めから出せよって思ったけど……、確かにこれはあんま出さねー方が良いわな」

「っていうか、お前こそんなことでキレてる場合か?」

 

 最後にぼそりと呟いたレオリオの突っ込みが、一番の正論。

 悪いのはクラピカより一切の躊躇なくオモカゲを吹っ飛ばしたくせに、あれが何者だったのか、今がどういう状況なのかをほとんどわかってないことを堂々と告白してきたカルナの方であり、クラピカがマジギレする気持ちはよくわかるのだが、そんな行為は時間の空費に他ならない。

 

「! すまない、クラピカ! 説教は後にしてくれ!」

 

 クソ真面目にクラピカの八つ当たりじみた説教を聞いていたカルナがそう言って、バルコニー状になっている2階の手すりを飛び越えて降り、行動する。

 

 自分が悪い自覚があるからか、カルナはクラピカの愚行と言える行為を責めず、代わりに彼が犯した間違い、今すべきなのはカルナに「空気を読め」と怒ることではなかったこと、そんな時間の空費によって起こるはずだった悲劇を自己責任と言わんばかりに自分で行動して防ぐ。

 

『!?』

 

 轟音とともに、カルナが破壊した壁の真下に当たる1階の壁も破壊され、瓦礫の粉塵が舞う中からゆらりと幽鬼のようにオモカゲが現れた。

 カルナが殴って落とした外から、フランクリンの念弾で壁を破壊したのだろう。その気配を感じ取って、カルナはその念弾に破壊された壁の直線上にいた子供二人、ゴンとキルアを犬猫のように小脇に抱え込んで、そのままクラピカとレオリオの位置にまで舞い戻って来る。

 

 あまりに自然かつスピーディな行動に、思わず全員が目を丸くして帰還したカルナを見るが、カルナからしたら自分のしたことなど全てが出来て当たり前かつ、自分がしたかったからしたことなので、彼らの視線の意味がわからず、「オレはまた空気が読めなかったのだろうか?」と、斜め上の不安を懐いて首を傾げる。

 

「あ、ありがとう! カルナさん!!」

「……すまない。今、お前を責めるべきではなかった。私が全面的に悪い。……ありがとう。助かった」

 

 しかしどこまでも素直で人見知りをしないゴンが現状を一番最初に把握し、カルナの小脇に抱えられたまま輝くような笑顔で礼を述べ、クラピカも頭に昇っていた血が降りてきたのか、自分の非を全面的に認めて謝罪して、あのままオモカゲの攻撃の餌食になりかねなかった二人を助けた礼を口にする。

 

「……礼を言われるようなことなどしていない」

 

 カルナからしたら助けたかったから勝手にしたことなので、二人の言葉に困惑したように小首を傾げながら、相変わらずの言葉の足りなさを発揮して、彼らの感謝を無愛想に切り捨てているような返答をするが、幸いながらその誤解はされなかった。

 

 それは全員がソラから彼の不器用さをよく聞かされていたからというのも大きいが、そう言った彼の顔はゴンとクラピカの純粋な好意と感謝が嬉しかったのか、ソラの顔でソラがいつも表すよりはるかに淡くて儚いが、同じくらい美しくて魅力的と言える笑みを浮かべていたからだ。

 

 その笑みに、疑ってこそはいなかったが、半神の英霊なんて規格外な存在を早々受け入れて信じられなかったキルアとレオリオが、半神だの英霊だのといった情報はどうでもいいと思い、彼を、カルナを信頼しようと思えた。

 何故、ソラの中にカルナという魂が存在している理屈は、未だに理解し切れていない。おそらくどれほど懇切丁寧に説明されても、理解しきれる自信がある者だっていない。

 けれど、これだけわかればいい。

 

 カルナはソラの味方であるということ。

 彼女の大切な人を守る為、彼女が幸福に生きるという夢を守る為なら、例え何が起こっているのかわからない状況に、突然たたき起こされて任されても、迷いも躊躇もなく行動し、そして守った者に礼を言われるという見返りさえも求めず、ただ守るということさえわかればいい。

 

 信頼するには、十分すぎる情報だ。

 そしてカルナがそんな人だと理解するには、あの儚くて淡くとも、輝くような笑顔だけで十分すぎた。

 

 * * *

 

「……なんだ、その眼は! 何者だ、お前は!?」

 

 自分で破壊した壁の向こう、土煙の中からオモカゲが狂乱した声を上げる。

 人形を作る際に人の心に潜り込むのがオモカゲの能力なので、こちらの情報はほぼ全て筒抜けかと思っていたが、さすがに人形の材料である「執心」に関係する情報以外は手に入らないのか、どうやらカルナの情報はオモカゲには全くなかったらしい。

 

 なので、いきなり人格どころか、奴が最も執着する眼まで変わってしまったことに混乱しているようだが、奴は自分の人形を正攻法で、文字通り真っ直ぐ一直線に攻略してきた彼の技量を目の当たりにしておきながら、自分の優位がカルナ一人によって覆されたことに気付いていない。

 

 とっくの昔にレツの為だった手段と目的が逆転して、妹の現身を絶望させるほど歪み、腐り、堕ちて人形と眼球への執着そのものと化しているオモカゲにとって、カルナの玲瓏でありながら苛烈なオッドアイは見た目だけでも極上な上、どこまでも真っ直ぐで揺るがない、純粋すぎる眼だと感じ取る。

 

 ……純粋な善人の眼ほどオモカゲにとって魅力的に思えるのは、そういう眼こそ妹にふさわしい、妹本来の眼に似ているという想いの名残なのが、今ではただただ悲しい。

 妹に対しての愛情だったはずの執着は、いつしかその理由を見失い、オモカゲにとってカルナの眼はソラの直死の魔眼並に、喉から手が出るほどに欲しい逸品でしかない。

 

 カルナから殴られ、2階とはいえ壁をぶち抜いて転落したのだから、いくらオーラでガードしていたとしても、オモカゲは相当なダメージをくらったはず。特に彼は強化系から一番相性の悪い特質系なのだから、ただでさえ直接的な攻撃の防御は苦手であり、現に壁の穴から現れたオモカゲは、長い銀髪や独創的な外套は血にまみれてボサボサのボロボロだ。

 

 ……それでも、その眼だけは痛みなど感じていない。自分の怪我に気付いてすらいないのがわかる程、ギラギラとした執着の光を放っている。

 

 その光に4人は嫌悪感を懐くが、カルナはそんな彼らを庇うように前に出て、良くも悪くもオモカゲのことなど何とも思ってなさそうな無表情で、相変わらずのマイペースを発揮する。

 

「名を訊いているのか? 俺は槍兵(ランサー)のサーヴァント。真名はカルナ。

 ソラ(マスター)に取り憑く亡霊だと思っておいてくれ。詳しい説明は求めるな。どうせ聞いても無意味だ」

 

 傍から聞けば挑発にしか聞こえない発言に、彼に庇われた4人は「……こいつ、ソラの言う通り、本当に言葉足りねぇ!!」と思って頭を抱える。ソラの説明の甲斐があって、全員が実にカルナをよく理解してやっている。

 人形たちが脱力した気を入れ直したことで、ヒソカの爆笑も止んで肩慣らしになるかも怪しい戯れを再開しているのだが、その最中にさすがのヒソカもカルナの発言に「相変わらずだなぁ……」と苦笑する。

 

 彼の天然ぶりを知っている者はその程度の反応で流すが、もちろんオモカゲはカルナの大真面目な自己紹介を挑発と受け取って、逸品を前にした歓喜の笑顔から一転し、屈辱に顔を歪ませた。

 

「無意味? 私にお前の! お前らの世界の『魔術』が私には理解出来ないと言う気か!? そんなにも『魔術』の方が優れていると言う気か、お前ら姉妹は!! そんなにも私の人形が、私の念能力が貴様らの世界では児戯に過ぎないと言う気か!?

 私の……私の『人形受胎(ドールキャッチャー)』さえも貴様の世界では、ありふれた魔術だと言う気か!?」

 

 カルナの「俺自身も実はよくわかってないし、仮にわかっていても、真似できるようなことじゃない、出来たとしてもデメリットの方が大きいから」という、普通にオモカゲを思って言った「聞いても無意味」は、もちろん全く相手に伝わっていない。

 むしろ、今のカルナの状態はオモカゲの「人形受胎(ドールキャッチャー)」に近い能力か魔術に見えることが、海とソラに散々煽られたオモカゲのコンプレックスを更に刺激して、オモカゲは被害妄想を爆発させて喚き散らし、カルナを本気で困惑させた。

 

「……お前がそう思うのなら、そうなのでは? 俺は十分に、凄いとは思うのだが」

「……カルナ。もういい黙れ。質問にだけ答えろ。お前、どこまでソラの記憶を覚えていて、現状を把握している?」

 

 小首を傾げて、更に悪気なく相手を煽ったカルナに、オモカゲは病人のように青白かった顔を赤くさせて、屈辱と憤怒に歪ませた。

 ちなみにカルナとしては、もちろん煽ってなどいない。嫌味ではなく「目標を高く設定するのはいいことだが、自分をあまり卑下するな」という励ましのつもりで言っているのだが……伝わる訳ねぇだろ。

 

 が、さすがにあのフランクリンの念弾を、最低限のオーラを使って防いで受け流した技能を目の当たりにしている為か、オモカゲは怒りを堪えて念弾を掃射はせず、機を窺っている。

 それをいいことにクラピカが後ろからカルナの肩に手を置いて、ひとまず彼に与えるべき情報を与える為、彼が持つ情報を求めるのだが……、わかっていたがやはりこのサーヴァントはマスターに似て、ベクトルは違うが斜め上である。

 

「眼球を奪われ、視覚情報が入ってこなかった所為で、おそらくほとんど何もわかっていない。せいぜい、あの男の『本体』がマスターの眼を奪い、お前達も傷つけた、マスターの敵だということくらいか」

『……本体?』

 

 言われた通り把握している情報をシンプルに伝え、「ソラの敵だとわかってるんなら、訊く必要なかっただろ!」とクラピカは再び突っ込みかけるが、その前に気になったところがあった。

 

 この男、何故か目の前のオモカゲをおそらくは人形だと思っている。

 彼に制約を見破られたクラピカは、彼の洞察力を嫌になるほど信頼している。オモカゲがヒソカに殺されず旅団を脱退出来た理由もあって、警戒を露わにオモカゲへ視線を向けるが、オモカゲ自身もカルナの発言に目を丸くしており、その反応で思わず全員がカルナの発言の意味不明な部分をオウム返し。

 

 オモカゲの様子からして、演技ではないだろ。

 奴の今までの言動からして、カルナの言う通りヒソカから逃れた時のように、自分の人形を操って本物は一度も自分たちの前に現れていないのならば、ニヤニヤ嘲笑って「何のことだか?」とわざとらしく恍けたはず。

 

 だけどカルナからしたら、何故そのようなことを訊くのかが理解出来ないらしく、またしても困惑したように小首を傾げながら、事もなげに答えた。

 

「マスターやお前たちの心を抉るような人形を作りだす能力なのだろう? それにしては、あの人形の出来が悪すぎる。

 あのコートにオールバックの男はクラピカ、お前の最大の仇だろう? それくらいはオレも覚えているし、どんな男だったかも記憶にある。道具として扱うために心を与えていないから、威圧感がなく、薄っぺらく見えるのはまだしも、あれはいくらなんでも弱すぎる。あまりに記憶と違うから、別人の人形かと疑ったくらいだ。

 

 その程度の出来の人形に、お前たちの心が揺さぶられる訳がない。なら、本体は高みの見物で人形に人形を操らせている……と思ったのだが?」

 

 おそらく途中でさすがに、クラピカ達の反応……「お前……マジか?」というドン引きに気付いていたのだろうが、ソラからの「言いたいことを途中で止めるな。だから君は誤解されるんだ!」という忠告に従って、カルナはたぶん自分が何かを大きく間違えていると察しながらも、目の前のオモカゲが偽物だと思った理由を全部余すことなく言い切った。

 

 しばし、沈黙が落ちる。

 その沈黙を破ったのは、カルナに「弱すぎる」と断言されたクロロ人形と戯れていたヒソカの、最初のボケに対して以上の大爆笑。

 

「っっははははははははは!! カルナ! 君って本当に洞察力は凄いのに察しが最悪だね!!」

 

 弱過ぎると断言されたクロロ人形と戯れながら、涙が出るほど笑いまくってヒソカは、この上なくカルナという人物を的確に言い表す。

 その反応で、さすがにカルナも察する。自分の間違いを。

 

 オモカゲが「本体」発言で眼を丸くした時から「まさか……」とは思っていたが、彼の記憶の中で本物と比較できる対象がクロロしかおらず、けれどその記憶と全く噛み合わないほど弱いと感じたこと、そしてソラや彼女の仲間たちを高く評価していたからこそ、それら二つを結びつけるにはあの仮定しかなかった為、カルナはそのまま信じ込んでいた。

 洞察力は心が読めるのではないかと思うほど優れているのだが、半端な記憶の共有とカルナ自身が他者に価値を見出して高く見ることはあっても、低く見ることがない善性が、完全に裏目に出たようだ。

 

 そしてカルナでも、自分の発言はその場の全員に「その程度の実力か」と蔑んでいる嫌味に聞こえることは理解出来た。

 しかも、ソラたちに対してなら期待の裏返しとも取れるのでまだマシだが、オモカゲに対してはカルナの発言に救いはない。

 

「…………その……なんというか…………本当にすまない」

 

 なので、思わずカルナは心の底から気まずそうで申し訳なさそうな顔をして、自分の発言に完全フリーズしてしまっているオモカゲに謝った。

 当然、カルナの精一杯の謝意は伝わらず、というか伝わっても余計にムカつくだけで、ブチキレたオモカゲが機もクソもないというヤケクソを起こして、念弾を掃射する。

 

 自分の謝意が伝わらないことをカルナはやや残念に思うが、怒られても仕方がないことを言った自覚はさすがにある。

 カルナ個人としては詫び代わりに何発か受けてもいいのだが、もちろんソラの体でそんなことが出来る訳がないので、心から悪いと思いつつ残り少ないオーラを巡らせ、必要最低限分を必要な所にだけ纏って先ほどのように受け流そうとした。

 

 だがその前に、小さな人影が二つ自分の両脇から飛び出した。

 

「!? 待て!」

 

 カルナの言葉に応じず、飛び出た二人……ゴンとキルアは残りのオーラを振り絞り、力いっぱいに纏って、カルナと入れ替わる前のソラのように自らを盾にして念弾を防ぐ。

 念弾から、カルナを守りながら二人は口々に言った。

 

「カルナさん!

 俺達はカルナさんよりずっと弱いかもしれないけど、それでも一緒に戦わせてよ!」

「つーか、てめーは確かに強いだろうけどな、色んな意味でソラ以上に任せるのが不安なんだよ! ソラ以上のボケの癖に、あいつ以上のお人好しをほっとけるか!」

 

 本当は、わかっている。

 自分たちが何かをするより、カルナ一人に任せた方が良いくらい、自分たちとこの英霊とは実力の開きがある。

 父親が太陽神だなんて関係ない。そもそも体はソラのものなのだから、カルナが本来持っているはずの父の恩恵など、今はないも同然だ。彼の持つものは全て、彼自身の力で得た実力であることなどわかっている。

 

 それでも、ゴンとキルアは掃射される念弾の中に飛び込んだ。

 

 このまま、何もしないままなのだけは嫌だから。

 そんなことしたら、彼女がせっかく怒ってくれたのに、あの怒りは全て茶番になってしまう。

 

「……まったくだぜ!」

「カルナ。全員バラバラに別の方向からオモカゲに向かう。だからお前も気にせず特攻しろ。誰かを庇おう、守ろうとするな。そんな必要は誰にもない」

 

 だから、ゴンとキルアだけではなくレオリオはまだ未熟なので5分も維持できないはずの“練”を行いながら鞄で念弾を弾き、クラピカは薬指の鎖で念弾を精一杯防ぎながら、何度切り払われても、念弾で撃ち落とされても、中指の鎖をオモカゲに向かって伸ばす。

 

 茶番になんてさせたくない。その一心で、もうボロボロで、オーラなんてソラ以上に残っていない体に鞭うって、それでも彼らはオモカゲに立ち向かい、道を作り上げる。

 カルナがオモカゲの間合いに入るまでの道を、作る。

 

 オモカゲが、裏目に出たとはいえ互いに思いやった行動を、「弱い」と言って嘲笑った。

 自分一人では何もしていないくせに、全てが誰かからの借り物で偽物の癖に、自分たちの力で抗う彼らをオモカゲは馬鹿にして、蔑んで、嘲笑ったことにソラは怒った。

 

 だから、いつもいつだって自分で何とかしようとするくせに、入れ替わることなんて簡単でリスクだってないに等しいのに、それなのに絶対にしなかった「カルナに代わる」を実行したのは、カルナじゃないと勝ち目がないと思ったからじゃない。

 

 カルナというジョーカーを見せつけることで、彼に頼らなかった自分を、自分の仲間たちを肯定したかったから、……「お前とは違う」と言いたかったからこそ、ソラはカルナに代わった事を知っているから。

 

 カルナ一人いれば十分だから、代わったのではない。

 一人で十分なはずのカルナがいても、誰も「もういいや」なんて思わないから、カルナを彼らが助けてくれると信じているから。

 それを、例えあの節穴の眼では何も伝わらなかったとしても、それでも見せつけたかったから。

 

 そんなこと、言われなくてもわかっているから。

 だから、だから――――、カルナは眩いものを見るように蒼緋の眼を細めて微笑った。

 

 傷ついて欲しくない、無理して欲しくない。そんなことをして余計に傷ついたら、ソラだけではなく自分も悲しい。自分一人だけに頼ったって何も悪くない、それはむしろカルナとしては誇らしいと言いたい気持ちはあるが、それ以上に決して諦めない彼らを、尊く、強いと思った。

 こんな時にしか役に立たないのに、既に散々迷惑を掛けた自分を守ろうとしてくれる彼らが、自分を信じて道を築こうとする彼らが、何よりも眩かった。

 

 だから、その意志を無駄には出来ない。

 カルナは今度こそ辿り着くと誓って、握りしめる。

 ――――ソラがずっと握りしめていたものを、落とさぬように、手離さぬように固く握りしめて微笑みながら足を踏み出した。

 

 そんな彼の笑顔など、振り向く余裕などないから知らないくせに、まるで見たかのように嬉しげにゴンはオモカゲが放つ念弾を体に受けながら、それでも突き進みながら言った。

 

「カルナさん! 早く終わらせて、それからいっぱい話をしようよ! 俺、ソラの話を聞いてからずっとずっと、あなたと会って話がしたかったんだ!!」

 

 場違いなその後の予定を無邪気に言い放つ少年に、カルナもオモカゲの念弾を受け、流し、弾き、蹴り返しながら、やや苦笑して答えた。

 自分を召還した日に、「仲良くなりたいから一緒にご飯を食べよう。カルナさんは何が食べたい?」と、従僕ではなく対等な人間として、友人として扱ってくれたマスター(ソラ)の面影をその少年に見ながら。

 

「……オレは長くソラの体を使う訳にはいかない。オレがこの体を使うだけで、マスターは魔力(オーラ)を消耗する。そして長く使えば使うほど、オレがマスターの人格を食い潰す危険性が出てくるからな。

 

 ……だから、オレにしたい話は、俺に訊きたい話は、全部マスターにしてくれ。マスターなら、必ずどんな話でもしてくれるし、オレもマスターを通してでもその話が聞けたら……、オレのことを知りたいと思ってくれるのなら、そんな夢を見れるのならば、オレはこの上なく幸福だから」

 

 相変わらずの空気の読めない、しかも今までと違って重い断り文句に一瞬ゴンが打ち沈み、纏うオーラ量も下がってヤバかったが、後半の発言に単純なゴンは一気にテンションを上げて、どこに残っていたんだ? と思うオーラを纏って朗らかに笑って答える。

 

「うん!!」、と。

 

 そのやり取りに、他の3人は「お前ら、マジで空気読めよ。んなこと言ってる場合か?」と思うが、実は彼らにもそんなことを思う資格はない。

 ゴンとカルナのやり取りに、言葉に、どうしようもなく嬉しそうに3人も笑っていたから。

 

 笑いながら、誰も絶望などしない真っ直ぐで眩い光をその眼に灯しながら、オモカゲに向かってゆく。

 

 * * * 

 

(何故だ何故だ何故だ!? どうして、こんなことに!?)

 

 オモカゲにはわからない。

 有利だったのは、優勢だったのは自分の方だったはずなのに。

 

 海とパイロとイルミで十分だと思っていたが、この3人がやられるのはまだ想定の範囲内。

 この3人を使って、出来る限りオーラを消費させてスタミナも削り、傷を負わせていれば良かった。後は、旅団の人形を使えば余裕だと思っていた。

 

 ヒソカという予定外の乱入者によって人形が1体やられ、3体も奴に使わざるを得なくなったのは少し痛いが、それでも「人形受胎(ドールキャッチャー)」があれば、それも遠距離のフランクリン・近接戦のフィンクス・防御のノブナガという組み合わせならば人数の不利など関係なく、彼ら5人を封殺出来たはずだった。

 

 ……最大の予想外、カルナという存在さえも本来なら、それほど痛手にはならなかった。

 

 奴が自分、もしくは体の持ち主のソラ以外に興味がなければオモカゲは危なかっただろうが、もうオーラも尽きかけた自分よりはるか格下な足手まといが4人もいるのなら、それを放っておける人格でないのなら、いかにカルナの実力が化け物じみていてもオモカゲの方が有利だったはず。

 

 手元にいなくても、カルナ以外の4人はオモカゲにとって人質同然だった。

 節穴なのに余計な所ばかり見ているオモカゲは、2階にいたはずのカルナがゴンとキルアを自分の念弾から守る為に飛び降りて、二人を抱えてわざわざ詰めていた距離を再び取ったことに気付いていたからこそ、どんなにカルナが自分に肉薄しようが、彼らに向かって攻撃を仕掛けたら、自分には結局近づけないことを予測していた。

 

 その想像は、当たっていた。

 

 だけど節穴の彼の眼では、自らの欲求と執着しか残っていない腐り果てた心では気付けない。

 誰も、カルナ一人に頼る気などない事に。

 誰も諦めてなどいない事、むしろカルナ以外の全員が自分の手で、オモカゲのにやけた顔を殴り飛ばしたいと思っていることに気付けなかったからこそ、この様であることにオモカゲは何も気づけないまま、答えの出ない自問を、がむしゃらに念弾を放ちながら繰り返す。

 

 カルナは、誰も助けに向かわない。

 自分のように最小限のオーラ運用でダメージを最低限に防いでなどいないのに、いくらオーラでガードしても全身が念弾による痣と自分の血で塗れていても、カルナは彼らに見向きもしないで突き進んでくる。

 そして、他の4人も歩みを止めない。

 

 たとえオモカゲが更にオーラを込めて念弾の撃ち出す速さを倍速にして威力を上げても、ガードしているオーラを貫通してキルアが手足に穴を開けて倒れ伏しても、彼らは一瞬「キルア!?」と呼びかけて案じただけだった。

 そしてその声にキルアは、「問題ねぇよ!!」と怒鳴り返した。

 血にまみれた、もう力などは入らないはずの手足に力を込めて、立ち上がろうと足掻きながら。

 

 そんなキルアの足掻きが、昼間のイルミの人形を前にしていた時とは打って変わって、闇などどこにもない光に満ちた目が、あんなにも執着していたはずなのに気に入らずトドメを刺すつもりで更に念弾を放とうとした瞬間、目の前にクラピカの鎖が迫り、そちらの対処に気を取られる。

 

 初めは動く必要もなかった。文字通りの高みから、嘲笑いながら念弾を放ち続けるだけでも勝てたであろう状況が、それぞれバラバラに迫ってくるのでオモカゲは一番の強敵であろうカルナを側に近づけさせないだけで精一杯、無様に広間内を逃げ回り、旅団の人形を保管していた棺などを壁にして、念弾をただひたすらに撃つという時間稼ぎしか出来ていない。

 

(くそっ! くそっ!! こんなはずじゃ、こんな、こんな奴らに私が、私の人形が負ける訳があるか!!)

 

 現実を、自分の現状を罵りながらオモカゲはカルナに向かって念弾を放つ。背後にレオリオが迫ってきているのは無視した。

 だが、彼が一番念能力者として未熟だから、甘く見た訳ではない。

 

 自分の「人形受胎(ドールキャッチャー)」を卑下するつもりはないが、さすがに3人分の能力を持っても一人で5人相手は不利だと判断したオモカゲは、一人だけ能力を解除し、再び人形として具現化してそのままレオリオに向かわせた。

 

 解除した相手は、タイマン専用と使い勝手はあまり良くないが、1対1なら絶大な効果が期待できるノブナガ。

 

 オモカゲの背中からずるりと這い出るように現れたノブナガに、レオリオは「げっ!?」と声を上げるが、そのまま彼はヤケクソ気味に特攻。

 それを背後で「バカめ!」と嘲って罵るオモカゲだが、彼の思惑通りにはいかない。

 

「「レオリオ!!」」

 

 ゴンとクラピカが無茶をやらかす仲間の名を呼んで、クラピカは薬指の鎖でレオリオの腕を捕え、ゴンは横からレオリオの脇腹にダイブするように飛び出し、そのまま彼を横手に逃れさせる。

 けれどこれは、ノブナガの居合いから庇ったのとはちょっと違う。二人はレオリオ、そしてオモカゲが気付いていなかった、彼らの背後から勢いよく飛ばされてきたものに気付いていたから、顔色を変えてレオリオを救助したのだ。

 

 レオリオが横手に吹っ飛んで空いた軌道上に、バンジーガムで反動をつけて、パチンコ玉のように飛ばされてきたのは、体にいくつもトランプが突き刺さった挙句、ガムによって拘束されて身動きが取れなくなっているマチとフェイタンの人形。

 

 もはや壊されたとしか言いようがない姿だが、それでもまだ人形の素体にも戻ってないという事は生きている、壊されきっていないのだろう。

 だから、ノブナガは自分の“円”の範囲内に入ってもその二人を切り払って、レオリオ達に追撃を掛けることが出来なかった。

 

 そして、避けることもしなかった。

 避けたら背後のオモカゲに直撃するからという人形としての忠誠か、それともオモカゲなど眼中になく、自分の仲間がこれ以上傷ついて欲しくないという、与えられなかったはずの心ゆえかはわからない。

 

 ただ、ノブナガは腰に刀から手を離し、二人を抱き留めたことは事実。

 二人が飛ばされてきたすぐ後の軌道上に、クロロのベンズナイフが同じように飛ばされ、それがノブナガの額に突き刺さっても、彼は抱きかかえた仲間を投げ捨てて逃げよう、避けようなんてことはしなかった。

 

「……カルナが『出来が悪すぎる』って言うのもわかるよ♠ 実力はもちろん、性格も本人たちより甘すぎない?」

 

 そう言いながら、目を極限まで細めて吊り上げ、悪魔のようにヒソカは笑う。

 トランプやフェイタンの武器がいくつも体に突き刺さって人形に戻りかけているクロロの顔面を掴んで、引きずって歩み寄りながら。

 

 クロロの人形も似たような戦法で倒した。

 本物のクロロなら、例え投げつけられたのが瀕死の仲間でも避けずに受け止めて、決定的な隙を作るなんて真似は間違いなくしない。

「生かすのは旅団(クモ)」という自ら定めたルールに従い、彼らを見捨てて、ヒソカを殺しにかかっていただろう。

 

 だけどこのクロロはさすがにノブナガほど顕著ではなかったが、マチとフェイタンを盾にしつつ投げ飛ばした時、一瞬だが迷っていた。受け止めるか、そのまま見捨てて避けるかを迷い、結局は避けたのだが、その一瞬の遅れがヒソカのガムに繋がったさまざまな武器・凶器を集中砲火をくらう隙となった。

 

 迷ったのは、オモカゲの作った人形の出来が悪かった、もしくはこの人形を生み出した団員の願い、「ずっと一緒に」というものに反映されたからか……。

 それともこのクロロは、自分が「幻影旅団(クモ)」でないことを知っていたから、仲間を見捨ててもそれは「旅団(クモ)」を生かすことにはならないからこそ、迷ったのかもしれない。

 

 そうだとしたら内面の方はむしろ良い出来だったのかもしれないが、ヒソカはそんなフォローをしてやる気はないので、オモカゲはひたすらに屈辱で顔を歪め、焦りが余裕をなくしてゆく。

 

 せっかく分離させたノブナガがやられた挙句、ヒソカまでも自由になってしまったことに気付いたオモカゲは、焦りに焦って念弾を四方八方に撃ち出し続ける。

 もう誰も狙っていない。ただひたすらに、癇癪を起してそこらにあるものをがむしゃらに投げつける子供のように撃ち出すことで、誰も自分に近づけないようにするだけで精一杯。

 

「きゃあっっ!!」

 

 そのような無様にもほどがある行動によって、気付く。

 すっかり忘れていた、いつの間にか自分の傍からいなくなり、奪っていたはずの声すらも、オモカゲが存在を忘れていたことで取り戻していたレツが、オモカゲの無茶苦茶な連射の流れ弾に当たりかけ、怯えた悲鳴を上げた事で、思い出す。

 

(こいつがいた!!

 こいつを、レツを使えば、ヒソカはともかく他の連中の動きは封じれる!!)

 

 一発逆転の手段、自分の妹の人形を人質に取るという外道極まりない手段を思いついたオモカゲは、希望と言うにはあまりにギラギラとしていて見苦しい目をレツに向けて、命じる。

 

「レツ! こっちに来……!?」

 

 だがその命令は言い切る前に、レツが持つものに気付いて見失う。

 彼女の姿が途中から見えなくなっていたのは、オモカゲがすっかりレツの存在を忘れていただけでも、戦闘に巻き込まれないようにレツがどこかに避難していた訳でもない。

「これ」をレツは、取りに行っていた。

 

 レツが抱きかかえているのは、4・5歳の幼児くらいの大きさで、豪奢なドレスを纏った美しい青い目を持つ……レツによく似た、本物のレツの眼を持つ人形。

 その人形の左腕で抱きかかえて、レツは人形の、自分の眼に突き付ける。

 

「レツ……!? お前……!?」

 

 曲芸用の短剣を、今にも人形の両目に突きつけ、自分の眼を真一文字に切り裂こうとしていた。

 

「それは、お前の眼なんだぞ!? やめろおおおぉぉっっ!!」

 

 自分の(いもうと)の行動を信じられず、オモカゲは絶叫してレツに命じる。

 …………だが、

 

「させねぇよ」

 

 入れてはいけない、近づかせてはいけない者を間合いに入れてしまう。

 金糸の刺繍が入った真紅のリボンで束ねられた白い髪がなびき、シミどころか黒子一つない()()()()がオモカゲへと伸びる。

 

 玲瓏と苛烈が共存する蒼緋の眼ではなく、玲瓏も苛烈も飲み込んで無価値に、無意味に堕とす終焉のセレストブルーがそこにあった。

 

 ソラは元から、カルナに全てを任せる気などなかった。

 自分の実力ではオモカゲの間合いに入るのが困難であるから任せたのは確かにあるが、カルナと代わった理由など、あのブチキレて言った言葉が全て。

 虎の威を借るオモカゲが気に入らなかったから、癪だが同じ土俵に上がってやって、お前の借りている威など、(カルナ)と比べたら子猫でしかないというのを叩きつけたかっただけ。

 

 だから、カルナと入れ替わる際にこれだけは自分たちの半端な記憶共有でも、カルナが覚えておけるように強く命じながら入れ替わった。

 

「間合いに入ったら、すぐに私に代わって」と、ソラはカルナに命じていた。

 カルナは、その命令の為だけに現れた。

 

 しかし最初にして最大のチャンスは、まさかのカルナがオモカゲを本体だと思ってなかったという勘違いによって入れ替わらず、とっさに吹っ飛ばすというもはや笑うしかないことをやらかして失敗。

 まぁ、結果としてはソラが見せつけたかった、突きつけたかったもの、オモカゲのしていることも持っているものも、全て他人の偽物にして借り物であることを思う存分見せつけたので、ソラは呆れてはいるがカルナを責める気はない。

 

 むしろ、最高のタイミングでここまで自分を送り届けてくれたことを感謝しながら、伸ばした右手でオモカゲの体に押し付け、叫ぶ。

 

 

 

秩序は混沌に溶け墜ちる(そこに、意味はない)!!」

 

 

 

 

 カルナなら邪魔だと思って手離すことなどない、自分がポーチやポケットに仕舞わずにずっと握りしめていたもの、手離してはならないからだと察してずっとずっと握りしめてくれていたものを……姉が遺した()()()()()()()()()()()()をオモカゲに押し当てて、その魔力を起爆させた。

 

「なっ!?」

 

 ソラが海の人形が遺したものを拾い上げていたことに気付いてもいなかったのか、それとも姉の形見と言えるものをこんなにもあっさり使い捨てるとは思っていなかったのか、オモカゲは海の悪食鯨飲、悪魔のごとく何も生み出さず、成さず、ただ周囲を巻き込んで自壊する混沌の魔力に己のオーラを根こそぎ食われながら、叫ぶ。

 

「バカな!? どうして――――」

 

 未だ現実を理解していない兄は、ソラによって……海によってオーラを食われてレツに命令することが出来ず、自由の身のままのレツは寂しげに答えた。

 

「大切にして欲しかったのは眼じゃなくて、本当の僕の気持ちなんだよ……」

 

 それは、兄は昔の兄のままでいて欲しかったという、兄の良心(こころ)から生まれた、人形としてのレツの願い。

 だけど、もうそれは叶わない事を思い知り、受け止めたから、レツは自分と兄の最後のよりどころをその手で切り裂いた。

 

 

 

「――もう終わりにしよう、兄さん。人形(かこ)に執着して、人を傷つけるのは……」

 

 

 

 

 レツが人形に埋め込まれた「本物の自分の眼」を切り裂くのと、海の魔力が尽きるのと、クラピカの中指の鎖がオモカゲに届いたのは同時だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 クラピカの「束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)」はクラピカの予測通り、「旅団以外の人間」にオモカゲは入らず、その効果を発揮する。

 

 強制“絶”状態になれば、オモカゲの能力であるレツも消えてしまうのではないかとゴンとキルアは心配したが、一度オーラを分け与えれば、そのオーラを使い果たすまではオモカゲと独立して存在を保てるらしく、レツは海やパイロのように人形の素体には戻らず、広間の端で佇んでいる。

 

 近寄ってはこない。

 ただ、悲しげな顔で両眼を真一文字に切り裂いた人形と短剣を持って佇むレツに、何か話しかけようとゴンは思うが何も言葉が浮かばず、キルアの「今はそっとしといてやれ」と言う言葉に従って、代わりにオモカゲと向き合う。

 

「バカな…………。私に忠実なはずのレツが……、何故こんなことを……」

 

 オモカゲは自分が強制“絶”状態で拘束されていることにすら気づいていないのか、どこにも焦点が合わない眼でブツブツとレツに裏切られたことについて、答えの出ない自問と恨み言を繰り返し続ける。

 

 その様子を見てヒソカは、オモカゲそのものに対する興味を完全に失ったのか、クラピカ達に「どうせ、君たちはオモカゲを殺さないんだろう? ならボクにちょうだい♥」とは言いださなかった。

 だがその場から立ち去らないということは、オモカゲへの興味は失っても、この結末には興味があるらしい。

 

 自分たちの戦いを、思いをオモカゲと同じく見世物として興味を懐いて見ているヒソカの視線は酷く不愉快だが、相手にすれば余計に面倒であることは全員がわかりきっているので、ひとまずクラピカはヒソカを無視して仲間にオモカゲをどうするかの相談をする。

 

「お前の小指の鎖で、何かルールを作って後はハンター協会に投げりゃいいんじゃね?」

「いや、こいつは既に目的を見失った執念そのものだ。下手に『念能力の使用禁止』というルールを定めても、勝手に絶望して死を選びかねない。

 ……自殺は勝手にしたらいいが、私の能力を自殺に使われるのはさすがに勘弁してくれ」

 

 レオリオに手当てをしてもらいながらキルアがまず提案するが、クラピカはうんざりとした顔でチラリとオモカゲを見て答える。その答えに、キルアも「悪い」と謝って、嫌気が差したような溜息を吐いた。

 

「……何故だ? お前達は何故、私の人形の素晴らしさがわからんのだ? 永遠の命とともに、お前の美しい眼が生き続けられるのだぞ? 素晴らしいと思わないのか?」

 

 ブツブツと、自分の人形の素晴らしさに理解を示さない彼らをオモカゲは、心底不思議そうに、そして憐れむように呟き続ける。

 そこに上っ面の正気さえも感じられない。もはやレツよりもオモカゲの方が、壊れた人形じみて見えるほどに誰にも伝わらない言葉を、ただひたすらに繰り返す。

 

 しかし、今こうして不気味で何もわかっていない発言を繰り返すのは腹が立つが、それだけで済んでいるのはもちろん、クラピカによって強制“絶”で念能力を封じられているから。

 先ほどの戦闘とソラが使った海の宝石によるオーラの空費で、オモカゲもだいぶオーラを消耗しているが、それでも自分たちより余裕はあるはず。

 

 クラピカが殺したがらない理由は皆がわかっているし、誰もが殺してほしくないと望んでいる。そしてそれは、クラピカに限られた話ではない。

 オモカゲの生死自体は、はっきり言ってゴンでもどうでもいいものだろうが、だからこそこんな奴の死を誰も背負いたくないし、誰にも背負って欲しくない。

 

 だけど、今ここでこいつを開放してしまえば、何一つとして懲りてないオモカゲは間違いなく同じことを繰り返す。

 仮に自分たちのことは諦めたとしても、どこか別の誰かが犠牲になるだけの話。何一つとして解決していないので、開放する訳にはいかない。

 

 クラピカの中指の鎖で拘束したまま、ハンター協会に元・旅団員という賞金首として突き出すのが一番いいのだろうが、しかし今の状態では突き出す前にクラピカのオーラが尽きて、拘束が解かれるのは確実。

 オモカゲの能力は厄介極まりないので、能力を封じないことには誰も安心できない。だが、そうしてられる時間に制限があり、そして猶予もない。

 

「お前、海にオーラを吸収する鎖を使ってなかったか? あれでこいつのオーラを吸いつつ、お前が回復したらいいんじゃね?」

「あれはまだ実験段階な所為で、確かにオーラを奪えるが奪ったオーラをほとんどその鎖を具現化して能力行使に使うから、中指の鎖よりは私の負担は減らせるだろうが、加減を間違えればこいつのオーラを奪い尽くして死に至らしめる」

 

 レオリオが海との戦闘で使っていたクラピカの新技を思い出し、それを使った提案をしてみるが、そちらもオモカゲを殺してしまう可能性が高いので却下されてしまう。

 

「なら、私がこいつの能力を殺すしかないよね」

 

 黙っていたソラが、口を開く。

 本当は、皆が言うまでもなく最初に思い浮かんだ方法を。

 他に何かないかと足掻いて、見つけられずに最初に戻った手段をソラは口にして、ポケットからいつものボールペンを取り出した。

 

「……ダメだ」

「殺すのは、こいつ自身じゃなくてこいつの能力だよ。大丈夫、こいつは具現化系寄りの特質系だから、ウボォーギンのようには……」

「ダメだ!!」

 

 クラピカは振り替えず、俯いてソラの提案を拒絶する。

 そんな彼に明るい声音でソラは、「オモカゲを殺す訳じゃない」と言って聞かせるが、最後まで言う前に強く強くクラピカは拒絶する。

 否定する。

 

「オモカゲは死ななくても、こいつが作りだした人形が! お前が『本物』だと言った者たちが死ぬことに、お前が殺すことになるだろう!! ダメだ! 絶対にダメだ!!

 私に誰も殺してほしくないと願うのなら、お前だって誰も殺すな!!」

 

 ソラがオモカゲの能力を殺せば、それこそソラはオモカゲ以上に殺したくないものを……少なくともレツを殺すことになる。

 それだけは許せず、それをさせるくらいなら自分が手を汚すと言うようにクラピカは小指の鎖を具現化させて、ソラに泣きながら訴えかけた。

 

「……そう」

 

 クラピカが自棄を起こしたような行動に、レオリオが慌ててなだめにかかり、ゴンがソラの前に立ってクラピカと同じようにソラを止めようとして、そしてキルアはクラピカやソラが手を汚すくらいなら……という思いで、自分の指先をビキビキと変形させている中、ソラは静かに言った。

 クラピカの訴えに、ソラは応えた。

 

「なら、まだ足掻こうか」

 

 笑って、クラピカの「殺すな」という願いに応じる。

 強がるようにも見える、歳よりも幼いく見えるどこか儚い笑顔で、それでも……殺すのではなく足掻く選択を選んでくれたクラピカに喜ぶように、晴れ晴れしく笑ってソラは歩を進め、オモカゲの前に立って言った。

 

「……オモカゲ。お前の人形は、『永遠』なんかじゃない」

 

 ピクリとわずかに、オモカゲの肩が跳ねた。

 ブツブツと吐き出し続けていた恨み言が止むが、オモカゲは顔を上げない。ソラの言葉など、聞こえなかったことにして、現実を否定する。

 

 それでも、ソラは言葉を続けた。

 自分の眼を使ってオモカゲの能力を殺すのではなく、オモカゲが自分の能力には大きな欠陥がある事と、……既に失って取り返しのつかなくなったものに気付くことを、期待して。

 

 それは下手したら、オモカゲ自身を殺すことよりも、オモカゲの生きるために必要な執着そのものである念能力を殺すことよりも、残酷な絶望を突き付ける行為だと知りながら、ソラはそれでもかすかな「希望」を信じて、期待して、語る。

 

「オモカゲ。これは挑発とかじゃない。私たちの世界の『魔術』という技能が、『念能力』に勝ってるという自慢でもない。それに、魔術は血の遍歴を重ねて研鑽するもの。私の世界より魔力(マナ)が豊富だというのを抜いても、一代でこの域の能力に至る時点で、少なくとも私よりずっと才能豊かだって言えるよ。私や姉が引き合いに出した人は、それこそ怪物級なんだ。比べるのがおかしい」

「……何の話だ? 今更、同情か?」

 

 ソラの言葉、本当に今更になってオモカゲをフォローする発言に、無反応だった、無視していたオモカゲは吐き捨てるように訊き返す。

 しかしソラはその問いに答えず、話を勝手に進める。

 

 同情なんかではない。これは、引導の為の前置きに過ぎないのだから。

 

「オモカゲ……。お前が望む『永遠』は置換魔術(フラッシュ・エア)じゃ、それの亜種と思えるお前の能力じゃ叶わない……、そういう話なんだ。お前は海に潜ることで、空を飛ぼうとしていたような……、初めから大きく間違えていたって話なんだよ」

 

 オモカゲが跳ね上げるように顔をあげ、レツとよく似た青い目が……人形に埋め込まれていたレツの眼とは違って、濁りに濁りきった眼がわずかに理性の光を取り戻し、ソラを見上げて問う。

 

「……どういう……ことだ?」

 

 その問いに、ソラは無表情で答える。

 引導を渡す自分がどんな感情も表す権利などないと言うように、その顔から感情を掻き消して、隠し通して、人形のような顔でソラは言葉を続ける。

 

置換魔術(フラッシュ・エア)は、『劣化交換』の魔術なんだ。それが、基本。そこから外れたらもうそれは置換魔術じゃない。他の魔術だ。他の……能力だ。

 だから、無理なんだよ。初めから置換魔術では、至れない。本物の、本来の肉体と魂の組み合わせでも『永遠』に至れないのに、『劣化交換』の法則から逃れられない置換魔術で至れるわけがないんだよ。例え何を代償にしても、天秤は釣り合わない。

『永遠』はまだ文明に墜ちていない魔法(きせき)の領域なのに、魔術で至れるわけがないんだ。置換魔術(フラッシュ・エア)を極めて、魔法級に至っても……、本物の魔法になることはないんだ。そこには必ず、行き止まりがある……。

 

 ……本当は、わかっているんだろう? 旅団の人形がそのいい証拠だってことくらい」

 

 ソラが何を言いたいのかは、オモカゲだけではなくクラピカ達もわからない。その中でも一番話についてゆけてないゴンが、やや気まずげだが「どういう事?」と尋ねると、ソラは振り向いてはくれなかったが、それでも答えてくれた。

 

 それも優しさなんかではない。ただ、オモカゲに突き付けているだけ。

 オモカゲが自分の人形に見ていた「永遠」なんて、幻想に過ぎなかったことを突き付ける。

 

「置換魔術で人形に人格を与えるには、『この人形の人格はこんなのだ』っていう自分のイメージを植え付ける概念置換か、人形が本来の体だと精神を誤認させて、誰かの精神をそのまま人形に入れる人格置換のどちらかだ。

 オモカゲの人形は概念置換だと思ってたけど、こいつは人形を生み出した誰かの概念(イメージ)という心の一部を、人形に与えて人格にしてる。概念置換じゃなくて、人格置換の方だったんだ。

 

 けど、これだと本来なら人形を戦闘になんか使えない。肉体と精神の結びつきが強すぎて、些細なダメージで人形に入れられた人格が本来の体に舞い戻るはず。……オモカゲは、その欠点を『精神丸ごと』肉体から奪って人形に入れるのではなく、『精神の一部』だけにして、その一部を使って概念置換で足りない精神部を補って、人格を作り上げることで克服してた。一部を肥大化させることで、本体にその一部を自分の欠けた部分だと認識できないようにして、結びつきを弱めたんだ。

 

 これはこれで、凄い技術だと思うよ。……けど、一部とはいえ心を使っているのだから、やっぱり心は本来の体に戻りたがる。完全な克服は出来てなかった……。

 だから、時間が経てば経つほどに風船から空気が抜けるように、人形は心を無くしてゆく……。元の体に心が戻って、最終的には自分を形造った『執着』しか残らない……、ううん、それすらもやっぱり時間経過で消えてゆくんじゃないかな?」

 

 ソラの言葉に、オモカゲは眼を見開く。

 そしてソラの話を怪訝な顔で黙って聞いていたヒソカが、唐突に「あぁ、なるほどね♦」と声を上げた。

 

 その声に思わずゴン達が振り返って注目すると、ヒソカはニヤニヤ笑って、自分が気付いた事実を教えてやる。

 

「ソラの話は何がなんだかよくわからないけど、確かにあの人形たちは、道具として使うためにわざと『心』を与えてなかったにしては、おかしかったよ♣

 心がない割りには互いに互いを庇おうとしてたし、見捨てるのを迷ったりもしてたから、人形らしくもないけど本物らしくもないなぁって思ってたんだ♦ けどあれは、『幻影旅団(クモ)のルール』というしがらみとか、お互いの意地とかもなくなった、彼らの『執心』そのものだけが残って人形の体を動かしていたから、あんなにも全員が甘ちゃんだったんだね♥」

 

 ソラが「異世界からやってきた魔術師」という事を知らないくせに、そのことを知っている連中よりも早く、正確に旅団の人形のおかしい部分を指摘してみせた。

 

 ヒソカの言う通り、あれは意図的に心を与えてなかったにしてはおかしいが、与えていたにしては似てない人格だった。

 付き合いは短く最小限、初めから裏切る気しかなかったヒソカでも、旅団の連中は仲間意識が強くて助けられるのなら助けるし、殺されたら絶対に復讐するほど絆が深い分、自分が利用されて仲間を傷つけるくらいなら見捨てて、利用している敵を殺してほしいと願う者しかいないことを知っている。

 

 ノブナガの人形が“円”の範囲内に飛ばされてきた仲間を居合いで切り捨てなかったのはまだいいが、武器から手を離して仲間を受け止めるなんて行為は、ノブナガ自身の素直じゃない性格を抜いても有り得ないはずだった。

 

 そんな性格をわざわざ作り上げて、人形にするメリットなど当然ないので、あの行為はオモカゲの意図したものではないのが明確。

 ならばどうして、あのような人形が生まれたのかを考えれば、ソラの憶測が一番筋が通る。

 

 あの人形は最低でもヒソカと交代した3年ほど前に作られたもの。その年月が、飲み物の炭酸が抜けるように、徐々に旅団の人形から初めは本物のような人格を薄れさせて、最後に残ったものは旅団の「執心」という人形の芯にして核。

 本物の彼らもしないであろう愚かな庇い合いをしてしまうほど、混じりけなど何もない純粋な「仲間を思う気持ち」そのものしかないからこそ、あのような人形になったのだ。

 

「……オモカゲ。お前の人形は『眼球の欠損』という制約で、置換魔術で起こる失われる『何か』を固定化させてると思ってたけど……、魔術じゃなくて念能力なら、魔力(マナ)が豊富なここなら可能なのかもと思ってたけど……、それは多少の時間稼ぎ程度にしかなってなかった。

 お前は置換魔術(フラッシュ・エア)の基本を、欠点を克服できていない。置き換えたものは必ず劣化するという法則から、逃れられていない。

 

 お前は誰のどんな心から人形を作っても、その人本人の眼を奪っても、それは全部時間稼ぎにしかならないんだ。永遠になんか程遠い、忘却のように緩やかに失って、いつか必ず消えてゆくものに過ぎないんだよ」

「黙れ!!」

 

 ヒソカの言葉に肯定はしなかったが、彼の言葉を無視はせずに最後まで言わせてから、ソラは続きを語る。

 決して、オモカゲの念能力者としての才能がなかった訳でも、能力の技能が劣っていた訳でもない。ただ、根本から間違えていた。その能力は、オモカゲが目指したものから遠ざかり続けるものであったことをソラは告げるが、オモカゲはクラピカの鎖に拘束されたまま叫ぶ。

 

「嘘だ!! それが事実なら、レツはどうなる!? あの子は旅団の人形よりもずっとずっと前からいる!

 お前はレツを見ても、心が薄れて消えかけの人形に見えるのか!? 違うだろ!! 旅団の人形が出来そこないだったのは認めよう! だが私にはレツが、最高傑作が残っている!!

 

 お前らは何故、わからない! 彼女の美しさを! 何故、いつか死んで腐らせるくらいなら彼女(レツ)にその眼を与えて永遠にしてやろうと思わないんだ!?」

 

 ソラの言葉を、レツを引き合いに出して否定すればそのまま勢いづいてオモカゲは、また己の眼を歪んだ執着と思い込みでギラギラ輝かせて、拘束されながらもその眼を差し出せと喚きたてる。

 その様子に引きながらも、ソラに危害を加えない為にクラピカはオーラどころか動きさえも完全に止める為、更に残り少ない自分のオーラを鎖に注ぎ込もうとするが、ソラが手で制してそれを止める。

 

「……だからこそ、もうやめて欲しいんだよ」

 

 表情も、声も、感情を表さず掻き消してソラは語るが、蒼玉の瞳はほんのわずかに我慢しきれず滲み出た。

 悔しげで、悲しげな感情が涙代わりに薄く滲み、その眼を覆う。

 

「……そうだ。旅団の人形がああなのに、お前の始まりであるレツちゃんが今でも人間らしい、そしてお前の心のはずなのに、お前の目的に同意していないあの子は、おかしい。

 初めは何代も代替わりさせてるのかと思ったけど、それならあの子の心だってお前と同じくらい歪んでしまってるはずだ……」

「そう! レツは私を裏切ったが、それこそが私とは別人の証!!

 レツが、私の人形が永遠の証だ!!」

「違う!!」

 

 ソラがオモカゲの主張を、ソラの推測が正しいのであればレツが矛盾を起こしていることを認めると、オモカゲは鬼の首でも取ったかのように自分を正当化し始める。

 そんな彼の主張を、泣き声のような叫びが否定した。

 

「……ゴン?」

 

 オモカゲがクラピカに拘束されてから、そして自分の基となった本物のレツの眼を切り裂いてからずっと黙って俯いていたレツが顔を上げ、戸惑ったように声を上げる。

 そんな彼女が余計に痛々しくて、泣いてしまいたくて、けど泣く訳にはいかないから、だから拳で滲んだ涙を拭ってゴンは叫ぶ。

 

 ソラの語った「置換魔術(フラッシュ・エア)」についても、何故その魔術では「永遠」に至れないのかも、実は未だにゴンにはよくわかっていない。

 けれど、「置換魔術(フラッシュ・エア)」とは大きな代償がいるものであることは何とか理解した。

 そしてそれを知れば、これだけはわかった。

 

 ソラが何に足掻いているのか、何に期待しているのかだけはわかったから、……同じ期待をしているから、信じていたいから、叫ぶ。

 

「違う……。レツが誰かの眼を奪うことを、お前のように望んでいないのは……、レツがきっと本物のレツと同じくらいずっとずっと優しいままなのは…………オモカゲ、お前が……レツの代わりに『代償』を払っているからなんだ……。

 

 お前の心に戻りたがるレツっていう良心(こころ)を、レツの体に留める為にお前は……、レツが優しいレツのままでいられる為に……お前は自分の優しさとか……、思いやりとか……、そういうのを全部レツにあげちゃっているから……だから、お前は……オモカゲはもう何もわからなくなっちゃったんだ。レツが何で悲しんでいるのかとか、レツが喜ぶことは何なのかも……それは全部レツにあげちゃったから――」

 

 何か反論しようと口を開いたオモカゲから言葉は出てこない。ただ黙って、眼を見開いていた。

 レツも、自分を模した人形を床に落として言葉を失っている。

 

 わかっていた。ゴンの言葉は、気付いたことは、理解したことは救いなんかではない。

 むしろこれは、レツに対してのトドメになることなどわかっていた。

 

 証拠は何もない。けれど、そう考えると全て筋が通る。

 他人の心から生まれた旅団の人形は、もう一度旅団と接触しない限りは時間の経過で失われるだけだったが、オモカゲ自身の心から作られたレツなら、レツの体からオモカゲの体にその心が戻って来ても、いつでも補充という形で補完し続けることが出来た。

 

 だが、何度もソラが言ったように、置換魔術(フラッシュ・エア)は劣化交換。

 レツに心を与えるたびに、オモカゲ自身の心が摩耗して、すり減っていった。だからここまで彼は、歪み、腐り、堕ちてしまった。

 

 実妹を実験台に使ったことや、「こんなこと望んでいない」とわかっていながらレツという人形を作りだしたことからして、オモカゲには初めから歪んだ部分もあったのは確かだろうが、決してそれだけではないという証明がレツ自身。

 しかし、その良心が失われた証拠もまた、レツが証明していた。

 

 レツに責任や非などない。

 けれど、ここまで兄を歪めたのは、兄から善性を奪ったのは、兄の良心から、善性から生まれた自分自身の所為だと気付いたレツが、短剣を胸に抱くようにして黙り込む。

 そんなレツにゴンは心の中で何度も何度も、「ごめん」と謝る。

 

 傷つけるとわかっていた。それでも、言わなくちゃいけなかった。

 信じていたかった。期待したかった。叶って欲しいから。

 

 そしてそれはソラも同じ気持ちだから。

 だからソラが、大人の責任として最後の悪あがきに努める。

 

「…………もうやめよう、オモカゲ」

 

 優しく言葉をかけ、手を差し出す。

 

「このままだとお前は、ただ他人を傷つけ、妹を犠牲にして、妹の現身を悲しませた挙句に、心を全てすり減らして廃人になるだけだ。お前のしてきたことの全てが、無価値に……無意味に堕ちる。

 お前が劣っていた訳じゃない。ただ選んだ手段が間違いで、そのことに本来なら気付けなかったけど今、気付けたんだからいいことにしよう。

 

 だから、どうかもうやめて、良心(レツ)を自分の心に戻してやれ。……それはあの『レツ』の死かもしれないけれど、……お前もあの子もこのまま緩やかに人間として尊いものを失い続けるよりは……お前一人でもそれを取り戻して、今度こそ手段も選んで……胸を張って誇れる方法で、今度こそ本物の妹にも、そして今ここにるレツちゃんにも償いをすればいいじゃないか」

 

 ゴンが言えなかったこと、例えレツ自身が望んでいても言えなかった、「良心(レツ)を取り戻せ」とソラは言って、オモカゲに手を差し伸べた。

 

 決して終わりではない。お前のしたことは罪深いが、それでも始まりが人としての尊いものならば、今は許せなくともチャンスを、未来をやると言ってやった。

 オモカゲのしてきたことを全否定しない為に、無価値に、無意味にしない為に、ソラはオモカゲに与えられる最大限のものを与えた。

 

 …………だが、

 

「……嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!」

 

 ソラの差し伸べた手に、差し出した可能性に、オモカゲは噛みつくようにその全てを「嘘だ」と言って否定して、拒絶して、跳ね除けた。

 鎖に拘束されながらも、身をよじりもがいてオモカゲはひたすらに叫ぶ。

 

「何がもういい、だ!! 人形を作れない私など、死んだも同じ! たとえ私が死んでも、私の人形たちは生き続け、貴様たちを殺す! 私の……私の人形は永遠だ! この私自身もこんな劣化する体を捨ててしまえば、そうだ、負けたのは私がこんな脆弱な人間の体を使ってたからであって私も人形になっていれば……」

 

 その叫びが、ソラに、ゴンに、彼らに思い知らせる。

 もう本当に、オモカゲの中には良心が、人としての善性が残っていない。

 ソラの推測が正しいのならば、もうレツさえも今の善良と言える人格を保っているのは時間の問題であることを証明する。

 

 ……オモカゲが自ら現在の念能力を手離して、誰の手も汚さずに奴を無力化することも、良心を取り戻すことで本心からクルタ族虐殺などの罪を悔やみ、贖罪してくれるという期待も、人形としてのレツの生は終えても、兄の心の中で兄の善性として生きるという希望も、この狂った哄笑がそんなものはないと知らしめる。

 

 足掻きに足掻いた結果、その足掻きは全て無駄だったことを思い知らされる結果にソラは、無表情のまま、悲しさが滲んだ両眼をそっと閉じた。

 

(……やっぱり、こいつはもう殺すしかないのか)

 

 そんなソラの、諦めてくれた方がずっとマシに見えるほど、まだ何かを足掻こうとしている背中が痛々しくて、キルアはもうこれ以上彼女が余計に傷つくだけの足掻きなどしない為に、弱い自分を守る為ではなく、彼女の為にオモカゲの心臓をくり抜こうと再び指に力を入れた時――――

 

「――――嘘じゃないわ」

 

 ゾッと、背筋に悪寒が走った。

 

 柔らかで優しげな声音で、そう言った。

 もう誰の声も耳に届いている様子がなかったオモカゲが、笑いを止めてきょとんとした顔でその声の主を探す。

 

 誰かなんて、わかりきっている。その声は、目の前でした。

 自分に差し伸べた手は、まだ引かない。むしろその手はオモカゲの頬を慈しむように撫でて、彼女は……『彼女』はゆっくりとその眼を開いて言った。

 

 意味などない。ただの気まぐれ。

 ただの気まぐれで、笑った。

 深い深い青海のように、高い高い蒼天のように、人間が求めてやまない最果ての象徴そのもののように、この上なく美しく笑って、言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『私』が言うのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天上の蒼。

 諦観に満ちた、絶望の眼で――――

 

 

 

 * * *

 

 

 

 一瞬の意識の空白を、ソラは自覚しない。気付けない。

 

 自分の周囲、クラピカ達が顔面蒼白で絶句しているのも、ヒソカさえも驚愕に眼を見開いているのも、あれほど最悪の意味でポジティブに現実逃避していたオモカゲが、この世の終わりでも見たかのような諦観の眼をしているのも、不自然には思わなかった。

 

「……ありがとう。兄さんの為に、僕の為に、兄さんを説得してくれて」

 

 いつの間にやって来たのか、広間の端にいたはずのレツがオモカゲの脇腹に抱き着くようにして、ソラに言った。

 寂しげに、笑いながら。

 それでも何かを吹っ切ったように、晴れ晴れしく笑ってレツはソラに言った。

 

 

 

「……だから、どうか自分の所為だって思わないで。

 ……僕が兄さんの『良心』なら……、兄さんを止めるのは僕の役目なんだ」

 

 

 

 兄の脇腹に刺した曲芸用の短剣を引き抜いて、レツは儚げに笑った。

 


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