死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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148:どうしようもなく子供だった

「…………は?」

 

 ビスケに方向転換させられ、最初にソラを見たキルアはそれだけ言って、ポカンとした顔で固まってしまった。

 ソラを、ソラだけを、傍らのゴンにも目を向けず、首を痛めそうな勢いで方向転換させたビスケも忘れ去ったかのように、ソラだけをただひたすらに見つめていた。

 

 そしてソラも、キルアに対して非常に気まずそうな苦笑を浮かべて見つめているが、彼女の方はいつまで見つめ合っていてもどうしようもないので、ひとまずアクションを取ってみた。

 

「……はぁい。キルアが大好きなソラさんですよー」

 

 気まずげに笑いながら、手を上げてふざけたことを言ってみた。いつものキルアなら、「うぬぼれんな!」か「バッカじゃねーの!」と言い返す、微笑ましいツンデレを見せてくれる言動で様子見をしてみたつもりなのだが……。

 

「っっっっっっ!!」

 

「キルアが大好きな」と言った途端、キルアは顔どころか耳、首までも真っ赤に染める。何かを言いたげに口を開くが、その口から言葉は出てこず、酸欠の金魚のようにハクハクと開閉するだけ。

 その反応に、ゴンとビスケは頭を抱えた。マンドレイクの花粉が効いていない可能性は、間違いなく潰えたのがこの反応でよくわかる。

 

 ソラの方もわかっていたから、更に困ったように眉を下げつつも笑った。

 ソラとしてはいつも通り、「気にしなくていいよ」「君は悪くないよ」という思いを伝える笑みのつもりだった。というか、彼女からしたらそれはほぼ反射で笑っているので、自覚すらなかったのかもしれない。

 

 だが、今のキルアにとっては色んな意味でトドメだった。

 

「!!?? っっあああああああああぁぁぁぁぁっっっっ!!」

「!? キルア!? ちょっ、どこ行くの!?」

「待ってソラ! ソラが追いかけた方が逆効果!!」

「キルアー。気が済んだから帰ってくんのよー」

 

 ソラの「まぁ、気にすんな」という苦笑がキルアにはどう見えたのか、彼はこれ以上赤くはならないだろうと思えた顔をさらに赤くして、そのままマンドラゴラよりは可愛らしいが、マンドラゴラのように絶叫しながら森の奥、草木も薮も関係なしに突っ切り、道なき道へ真っ直ぐ爆走して消えていった。

 

 ソラは慌ててキルアを追おうとするが、ゴンが正論で止め、元凶であるビスケはキルアに渡していた、そして逃げる際に落としたハンカチを拾い上げて、それを振りながら呑気に見送る。

 そんなビスケのマイペースかつ危機感のない反応を、いつもとは逆にソラが非難するような視線を向けて言った。

 

「師匠! どうすんの!? っていうか、何で私に向けた!?」

「いや、上手くいけば効いてもいつもと変わりなくて一番平和かなと……」

「何をどう思ってそうなった!? 」

 

 悪びれずに即答するビスケに、ソラもまた即座に言い返す。

 その反論に思わずビスケだけではなくゴンまでも頭を抱えたので、ソラはビスケの軽はずみな行動に対する怒りが少し抜けて困惑する。

 

「え? 何その反応? っていうかゴンまで?」

「まさかここまで何も気づいてないとは……」

「キルアが報われなさすぎる……」

「は?」

 

 ソラの困惑で、さらに二人がキルアに対しての同情で頭を抱えてしまっていることに気付かず、ソラは首を深く傾げた。

 

 * * *

 

「あぁ、大丈夫じゃ。問題ない。根を齧ったのなら理性も吹っ飛ぶじゃろうが、花粉程度なら最初に見た異性が世界一美しく見える程度で、毒も丸一日あれば抜ける」

 

 NPCの長老に集めた素材を渡してから、「仲間が花粉を頭から被ったんだけど」とゴン達が尋ねたらあっさりと答えてくれた。

 ちなみに雌株なのに花粉が出た理由は、他の花に擬態しているからと、あれは正確に言えば花粉ではなく、マンドラゴラをおびき寄せるためのフェロモンらしい。どうりでマンドラゴラが、キルアに纏わりついたわけだ。

 

「……まぁ確かに、キルアの反応もいつものツンデレの延長線って感じで、理性が完全に吹っ飛んでる訳じゃなさそうだったけど」

 

 長老の答えに、ソラは相変わらずどう反応したらいいかわからないと言わんばかりの顔でひとまず納得しながら、ちらりと後ろを見た。

 

 背後には誰もいない。というかこの部屋の中にはソラとゴンとビスケ、そして長老しかいない。

 だが部屋の外、もしくは家の外かもしれないが、それでもさほど離れていない場所から自分たちの様子を伺っている気配が消えない。

 

 しかし、その気配に警戒している者は皆無。当たり前だ。全員がその気配はキルアだと気付いているのだから。

 

 ソラの元から逃げ出したキルアを、ソラが追いかけても逆効果でしかないので、ひとまずゴンにキルア探索を任せたら、キルアはあっさり見つかったらしいが、「絶対にソラと顔合わせたくない! 合わせるくらいなら死んだ方がマシだ!!」と言われ、その訳もゴンは重々理解していたので、キルアの希望を叶えた結果が現在のキルア単独別行動……、というよりただ単にストーカー状態である。

 

 本人は絶対に認めないだろうが、顔は合わせたくないが完全に別行動を取ってしまうのは、ソラから離れてしまうのは嫌なようだ。

 それはマンドレイクの効果か、キルアの本音かまではわからない。

 

 とにかく、マンドレイクの所為で理性が蒸発して、色んな意味で危険な状態ではないこと確定に安堵しよう……と、ソラたちはそれぞれ自分に言い聞かせた。おそらくどこかで聞いているキルアも、同じように自分に言い聞かせているとこだろう。

 

 なのでキルアのことは本人の望み通り放っておいて、長老から報酬である指定カード、「長老の精力増強剤」を得て街の宿を訪れて二部屋取る。

 

 普段は修行も兼ねて野宿がほとんどなのだが、状態異常に陥っているわ、ソラとは一緒にいられないから単独行動を取りたがる状況での野宿は、キルアを一方的に危険に晒すので、本日は宿泊することにした。

 しかし、ゴンと同室なら出てくるだろうとも全員が期待したのだが、しばし待っても気配はするのに、ゴンの前にも出てこなかった。

 

「なんで俺の前にも出てきてくれないんだろう? ビスケと違ってからかう気なんてないのに」

「ちょっとゴン、それどういう意味?」

「たぶん、気を使われて腫物対応も嫌なんでしょ。複雑なお年頃だから」

 

 待っても呼びかけてもキルアが現れないのでゴンは諦め、ソラとビスケと一緒に宿屋1階の食堂で夕食を取りながら軽く愚痴ると、ビスケはジロリとナチュラルに度胸のある発言をしたゴンを睨み、ソラはビスケを無視して、相変わらず上品に食事をしながら答えた。

 

 ゴンはソラの答えに納得しつつ、それなら自分はどう対応したらいいのかで頭を抱え、ビスケは自分を無視した弟子を睨みつける。

 しかしソラは悪びれず、むしろソラもビスケを睨みつけて言った。

 

「っていうかマジでどうすんの、師匠。キルア、この調子だと効果が切れても、羞恥と私なんかに惚れた自己嫌悪でしばらく同じように逃げ回って、姿現さないよ?」

「……それは同感だけど、あんたマジで『私なんか』って思ってる?」

 

 目の明度は変わっていないので、怒りの度合いは高くないが本気で怒っていることを、さすがに一番付き合いが長いビスケは理解しているが、それよりもビスケとしては気になったところがあったので、謝罪より優先して突っ込む。

 余計なお世話だとキルアはキレるだろうが、一応ビスケからしたら自分がやらかしに対する贖罪のつもりでもある指摘だった。

 

 だがソラは、ビスケが話をはぐらかしている訳ではないことを理解しているくせに、ビスケが何を言いたいのかは、全く理解していない。

 

「ん? 師匠、自分に惚れられるのが嫌だったからというより、キルアに気遣って私を見せたの?

 まぁ確かに、ガチで祖母と孫ぐらいの年の差がある師匠より私の方がマシだろうけど、それでも9歳も上なんだから、キルアからしたら私もババア枠だよ。そんなんにマンドレイクの所為かつ一時的とはいえ惚れたのなら、マジで一生モノのトラウマ、黒歴史以外になんかあんの?」

 

 きょとんとした顔できっぱり言い放ったソラに、ビスケはもはや自分がまたババア扱いされていることにキレることもできず、固まってしまう。

 ビスケだけではなくゴンも目を一度見開いてフリーズしてから、二人は同時にこの上なく悲しい顔をするので、ソラはまたしても首を傾げる。

 

「……相手にしてないのはそりゃ、そんだけ歳の差あれば仕方ないけど、まさかここまで気付いてないとは……」

「うん、そうだよね。だってクラピカのこともソラは気づいてないんだから……、そりゃ気づいてないよね」

 

 ソラの仕方がない面があるとはいえ、それでも究極的と言っていい鈍感朴念仁ぶりに二人は頭を抱えてブツブツ呟くが、ソラにはさっぱり意味が分からないらしくいぶかしげな顔をして、「二人とも何言ってんの?」と尋ねる。

 

「てめぇだよ。『何言ってんの?』なのは」

「え?」

 

 しかしソラの疑問に対して、答え以上にある意味では正しい突っ込みを背後から決められ、ソラは呆けた声を上げて振り返る。

 呆けた声は、その突っ込みの意味が分からなかったでも、いきなり背後から突っ込まれたことに驚いたからでもなく、現れることがないという前提で話していた者が現れたから。

 

『キルア!?』

 

 ソラだけではなく、ゴンとビスケも顔を上げて思わず叫ぶ。

 効果が切れるまでどころか、効果が切れても姿を現すのが一体いつになることやら……と本気で思っていた相手が、唐突に現れたことに困惑する。

 が、その困惑はソラ以外すぐさま解消された。

 

 一瞬、思ったよりも早く効果が切れたのかとも思ったが、キルアがソラを前にしても顔を赤くしていないどころか、この上なく不機嫌オーラを放っていることで二人は察する。

 先ほどのソラの返答、「自分なんかに惚れるのは一生モノのトラウマな黒歴史」という発言にキレているのだろう。

 

 普段のキルアでもソラの何も気づいていない鈍さと、自分自身を異常に低く見て、ソラを想う人ごと貶める自嘲の言葉にひどく苛立つだろうが、理性や意地がそれを表には現さない。

 少なくともわかりやすい行動や言葉で表すことはしないのだが、マンドレイクの毒がキルアの理性を、意地を、奪いこそはしないがひどく緩める。

 

 緩めて、曝け出す。

 毒によって強化・倍加しているのは確かだけど、決して毒によって作られた偽物ではない。初めからあったものが、溢れ出る。

 

「……お前は本当に何もわかってないんだな」

「え? 何が? っていうかキルア大丈夫? って、私は触らない方がいいよね……!?」

 

 キルアがこの上なくぶちギレモードであることはわかっていても、その理由はやはりわかっていないソラは、キルアの吐き捨てるような言葉に戸惑いながらも、キルアを気遣う。

 気遣っているからこそ、伸ばした手を引いてゴンかビスケにキルアの様子を見るように頼もうとしたが、その引いた手をキルアが掴む。

 

 ソラの手首をキルアが掴んで引き、無理やり立たせてそのまま、ポカンと固まっているゴンとビスケに言った。

 

「ついてくんな。聞き耳立てるな。マジで殺すぞ」

 

 一方的に自分の要望だけを突きつけるように言い捨て、そのままキルアは何がなんだかわからない状態のソラの腕を引いて、ズガズガと元とはいえ殺し屋らしくない足音を立てながら食堂から、宿から出て行った。

 

「……ビスケ、どうしよう?」

「……ほっときましょ。首を突っ込んだら馬に蹴られるだけよ。あー、青春青春」

 

 キルアとソラが出て行ってから、ゴンがひどく困り果てた顔で尋ねるので、ビスケは軽く答えて食事を続行。

 ビスケは気づかなかったし、ゴンも思い違いをしていた。

 

 実はビスケはソラの本質が、潔癖と言っていいほどの純情乙女だということを知らなかった。

 当初のクラピカたちと同じ程度に、下ネタを好む奴だと思っていた。マンドラゴラ関連については、本人が嫌悪しているというより、ゴンへの同情でキレているのだと思っていた。

 

 だから何があってもソラなら反撃して帰ってくるだろうし、キルアはともかくソラ自身はさほど気にしないとしか思ってなかったからこそ、軽く「放っておけ」と言い放ち、そしてゴンはビスケがソラの潔癖ぶりを知っていると思い込んでいたからこそ、「大丈夫かな?」と心配しつつ、ビスケの指示に従った。

 

 

 

 ビスケは知らなかった。そして、ゴンも。

 ソラがあそこまで「自分に向けられた恋愛感情」に対して鈍い、真の理由を知らなかった。

 

 

 

 キルアは、思い知る。

 本当に何もわかっていなかったのは、自分の方だと。

 

 * * *

 

「き、キルアー、キルアさーん。どうしたのー? 私はどこに連れていかれてんのー?」

「うるさい」

 

 手を引かれながら戸惑った声で尋ねるソラの言葉を、一蹴する。

 何もかもが、キルアを苛立たせる。

 

 何もわかっていない、戸惑った声も。

 あざになりそうなほどの力加減で掴んでいるのに、「痛い」とも言わず、抵抗せずに自分についてくることも。

 自分が今どんな状態なのかをわかっているくせに、まったく危機感を抱いていないことも。

 

 ……自分に惚れられていることをわかっていても、ただただ困った顔をするだけなのが、何よりも気に入らない。

 

 マンドレイクによる一時的なものだと思っているからだなんて、キルアにとっては何の慰めにもならない。

 それはつまりは、キルアの気持ちをこの女は全く何も気づいていないから、だからただ困るだけということなのだから。

 

 嬉しいはもちろん、断る前提であっても悩んでもいない。

 本心からこの女は、キルアが自分をそういう対象にするとしたら、今のような相当特殊な状況しかないと思っている。

 

 それが、マンドレイクに侵されてひどく緩んでいた理性と意地のねじを完全に外す。

 

「うわっ!?」

 

 宿から大分離れて、ゴンやビスケがつけてきてないことも辺りの気配を探って確かめ、それでも人目を避けて細い路地裏にソラを、まずは投げ入れるように突き飛ばす。

 本気を出せば転ぶことなどなかったくせに、キルアのいつもの八つ当たりを甘んじて受けるように、ソラは受け身をろくに取らず路地裏に転んで、座り込んだまま振り返って文句をつける。

 

「キルア! さすがにいい加減にしないと怒るよ!!」

「怒ってんのはこっちの方だ」

 

 その文句を即座に反論して切り捨てる。

 怒っていると言う割には異常に静かな声音にソラは、うわべだけだった怒りを消し去って、またしても困惑を露わに、自分の前に逃げ道をふさぐように立つキルアを見上げて言った。

 

「……キルア?」

 

 未だ何もわかっていない。危機感を抱いていないのを信頼だと解釈して喜ぶ余裕なんて、キルアにはない。

 マンドレイクなど関係なく、最初からそんなものはない。

 信頼以前の問題であることを、初めから知っている。

 

「そんなに俺は、対象外か?」

「は?」

 

 ポカンとした顔が、無性に腹立つ。

 

 初めは確かに、そんなものではなかった。

 兄の嫁候補であるという事実が無性に気に入らなかったが、それは長兄も次兄もキルアは嫌っている相手だから気に入らないだけで、もしもキルアが兄を慕っていたら、案外積極的にくっつけようとしていたかもしれない。

 間違いなく最初は、ただの「好き」だった。それ以上もそれ以下も、それ以外もない。ゴンに向ける友愛と同じような、ただの好意でしかなかった。

 

 いつから変化したかなんてわからない。

 

 けど、今とあの頃の「好き」が別物であることは確か。

 兄や最初からライバル意識していたクラピカはもちろん、ゴンにだって渡したくないという想いにまで変わり果てたのに……、最初から今までまったく変わらないソラが、ムカついて仕方がないから言った。

 

「ガキだからか? 9歳も下だからか?

 自分をババア扱いして、勝手に俺を決めつけんじゃねぇよ」

 

 尋ねつつ、自分が理不尽なことを言っている自覚はある。

 自分がクラピカ以上の対象外であるのは、当たり前だ。ただでさえ歳の差がかろうじて一桁という程離れているのに、そもそも自分の歳が問題すぎる。

 

 同じ9歳差でも30歳と21歳になら周りは30歳を犯罪者呼ばわりするだろうが、お互いに同意の上ならそれはやっかみや冗談の類で、40歳と31歳ならわざわざ歳の差を口にする者などほとんどいないだろうが、21歳と12歳は直球で犯罪だ。

 キルアだって今、ソラに尋ねているくせに、自分が恋愛対象の20代の女が現れたら、間違いなくドン引く自信しかない。

 

 そこまでわかっているくせに、そんな変態は自分だってお断りなのに、まっとうであればあるほどありえないことはわかっているのに、だからこそ女神に忠告されても目をそらしていたのに、馬鹿な大人の真夜中テンションの所為で、蓋をしきれなくなる。

 

「キルア……」

「……5年後なら、お前の視界に俺を入れてくれるのか? 歳の差は縮まらねーんだから、それぐらいしろよ」

 

 まだ戸惑っている。けれど何かに気づいたように、何かを言いたげに呼ばれた名前を無視して一歩近づき、言葉を続ける。

 

「俺は、何年たってもお前にとって可愛い弟で、守らなくちゃいけない子供なのか? お前にとって一生モノのトラウマでも、黒歴史でもないんなら視界に入れろよ。

 ……5年、待ってくれるって約束してくれよ。誰のものにもならないで、俺がせめて他の奴らと平等になるまで、どうしようもないもので諦めなくていいように、待っててくれよ」

 

 わかっているから、諦めようとした。

 わかっているからこそ、諦めきれなかった。

 

 だって歳の差なんて、自分がソラよりずっと年下で子供である事実は、どんなに何を頑張っても変えられない。

 そしてそれは、キルア自身の非ではない。

 努力で何とかなるのならいくらでも頑張れたのに、自分に非があることならば諦めることもできたのに、誰も何も悪くないからこそ納得がいかなくて、キルアは唯一の可能性に縋り付く。

 

 今にも泣きだしそうな声音で、顔で、ソラに歩み寄りながら希う。

 

 今の自分が対象外なら、5年後の自分を視界に入れてほしいと。

 5年後でもまだ10代の未成年だが、それでも子供とは言えなくなっているから。大人になるから。なってみせるから。

 

 だからそれまで……、誰のものにもなるなというのは、キルアの一方的なわがまま。

 自分の心変わりの可能性はもちろん、ソラ自身のことを何も考えていない、身勝手なものであることはわかっているのに、言わずにはいられない。

 

 それしか、キルアが彼女の視界に入る手段はないから。

 そう思っているから、キルアはソラの前で座り込み、彼女の手を逃げられないように、すがるように掴んで顔を寄せる。

 

「それが無理なら、今ここで俺を見ろ。嫌なら、拒絶するなら、ガキだとか自分がババアだとかじゃなくて、俺を理由にしろ」

 

 毒が抜けた後のことを、考えていないわけではない。このまま突き進めば、きっともう自分はソラと顔を合わせることすらできなくなる。

 それでも……このままただの可愛い弟として、守りたい子供でしかないよりはましだと思えた。

 たとえ「最低」でも、異性として……「男」としてソラの記憶に残った方がマシだった。

 

「キルア、君は――」

「マンドレイクの所為じゃない」

 

 さすがにキルアが何をしようとしているのか、わかってないはずないのに、それでもソラはこれがキルアの本意ではないと思っている。

 そんなソラの最後の壁を、今までのままでいられる言い訳を否定して壊す。

 

 マンドレイクの所為ではない。いや、こんなことを言い出しているのも、自分のしようとしていることも、マンドレイクに理性も意地もひどく緩められている所為なのは確か。

 

 それでも、この思いだけはマンドレイクの所為なんかではない。

 

「……何が、『最初に見た異性が世界で一番美しく見える』だ」

 

 長老の言葉を、鼻で笑う。

 あの時、キルアの目に見えたソラは――――

 

 

 

「お前は最初から世界で一番綺麗だろ」

 

 

 

 見えたものはいつもと何も変わらない、腹が立つ間抜け面。

 ただ、タガが外れただけの話だ。

 

 * * *

 

 タガが外れて、絶対に後悔するとわかっていても触れたくなった。

 今までの腹が立って苛立って、それでも心地よかった何もかもが、壊れて失っても欲しかった。

 

 けれど、結局触れることも奪うこともできず、キルアは離れる。

 わかっていたのに、それでもキルアには出来なかった。

 

「……泣くほど嫌なのかよ」

 

 言い訳を全て自分で捨てて、心地よかったあのぬるま湯のような関係を壊してまで触れたかったその唇に触れる前に、ソラの蒼玉の目から溢れ出した雫がキルアの頬に触れた。

 わかっていた。自分のしていることがどれほど、彼女を傷つけるのかなんて。

 そしてキルアは、自分が失う覚悟はできても、彼女を傷つける覚悟なんてできる訳ないことも。

 

 だからキルアはせめてと思って、願う。

 

「……キルア。ごめん。ごめんなさい……」

「謝んなよ」

 

 何もかも、もう戻らない。数週間前とは違って、キルアが零した水はそれを少しでも受け止めようとした人の手すらキルアは叩きとして、全てぶちまけた。もう盆に戻る余地のある水はない。

 盆に残っているのは、思い出という雫だけだ。

 

 だからせめて、せめてと願うのはただ一つ。

 

「謝るな。謝るくらいなら、何でもいいから考えて言えよ。

 俺の何がダメだったのかを。歳以外なら、何でもいいからさ。家のことでも兄貴のことでも、顔が好みじゃねぇでもいいから……、言えよ。言ってくれよ。

 

 ……もう少しでも早く生まれていればなんて、どうしようもない後悔させたくなけりゃ、言ってくれよ。俺がガキだからじゃなくて、『俺』だから無理だって言ってくれよ」

 

 家のことも兄のことも、顔だってもちろんキルアにはどうしようもないことだけど、それは全部「キルア」だから、持って生まれたもの。だからまだマシ。

 心臓が引き裂かれそうなほど辛いけれど、それはまだ「キルア」を見た上での拒絶であり否定だから、耐えられる。

 

 たとえ自分と同じ「好き」ではなくとも、それでも彼女が「好き」になってくれたのは、他の誰でもない「キルア」だから。

 今の自分にあるものが何か一つでも欠けていれば、自分の「好き」も彼女の「好き」もなかったかもしれないものだから。

 

 だから、耐えられる。

 

 耐えられないのは、どんな自分であっても、自分でなくても関係なく切り捨てられること。

 キルアがキルアであるという要素ではないくせに、キルア自身の意志や努力で変えられるものではないことで、視界にすら入れてもらえないということ。

 

 

 

「…………俺を、見ろよ」

 

 

 

 子供であっても大人であっても、キルアはキルアなのに。何もかも変わっても、それだけは変わらないはずなのに。

 それなのに今は「子供」というだけで、ソラの視界に入れてもらえないのだけは耐えられないから、希う。

 その願いに、ソラは答えた。

 

「……キルア。……()()。違うんだ」

 

 泣きながら、ソラは答える。

 キルアより幼く見える面差しで。キルアよりも自分の言葉を恐れているように、震えた声で彼女は精一杯の言葉を紡ぐ。

 

「違う……。違うんだ……、キルア……。

 ごめん、キルア……。本当にごめん……。せっかく言ってくれたのに、覚悟を決めてくれたのに……こんなことしか言えなくて……ごめん。

 

 ……ごめん。……ごめんなさい。……けど……違うんだ。……()()()()()()

 私が……君を視界に入れない……そういう対象として君を見ない理由に、君の歳も君自身の何もかもは何の関係もない。

 ……全部、私自身の問題なんだ」

 

 何度も謝り、「違う」と言うソラの言葉をキルアにしては根気強く聞いていたつもりだが、ようやく答えた「理由」に、ブチっと頭の中で何かが切れた。

 

 まだ足掻く、まだあの関係でいようとするソラに苛立ってキルアは声を荒げて叫ぶ。

 

「何が違うっていうんだ!! 自分に全部、責任押し付けるのもいい加減にしろ!!」

「違う!!」

 

 だがキルアの怒声は、それ以上の痛々しいほどに涙で湿った声音でかき消される。

 勢いづけて叫んだ言葉は、それ以上の勢いで一気に消火され、キルアの方はポカンと見返すしかない。

 ただ静かに、涙をこぼすソラをキルアは見ることしかできなかった。

 

 その涙の意味など、考え付かなかった。

 

「……違うんだ。キルア。これは自虐じゃない。加害妄想でもない。根拠のある事実だ。

 それに私は――君だけじゃなくて誰のことも『そういう対象』としては見てない。……見ないように、してるんだ」

「――――え?」

 

 腹が立つほどの鈍さを意図的だと言われて、呆ける。

 キルアは何もわかってなかった。

 とっくの昔に気づけたであろう情報を持っていたはずなのに、キルアは気づけない。

 ソラが言う「根拠のある事実」も、誰も「そういう対象」にはしない理由も。

 

 呆けるキルアに、少しだけソラは笑う。

 昼間、マンドレイクの毒がしっかり効いているキルアに向けた笑顔と同じ、困ったような苦笑を浮かべる。

 涙を流しながら、それでもソラは笑って言った。

 

 自分の言葉が真実であることを証明するように、涙以外あまりにいつも通り笑う。

 

「キルア。私は『魔術師』だ。この体はこの世界の人間はもちろん、元の世界の一般人にも存在しない『魔術回路』っていう疑似神経が、本来なら存在しない臓器を持ってる。

 そしてこれは本来なら存在しないはずのものだから、次代に引き継ぐのはもちろん、先代よりより多く、質のいいものにするのなら、子供を胎児の時点でいじくって調節する必要がある。

 そこまでしてもピークを過ぎたら徐々に衰えて、いつか一本残さず枯れ果ててしまうものだ」

 

 ハンター最終試験前の猶予期間中に少しだけ聞いた、魔術師としての話。「魔術回路」の話をあの時よりも詳しく説明されて、キルアの困惑は余計に深まる。

 しかし「それがどうした?」と尋ねる前に、ソラは話を一方的に続けた。

 

「けどな、そのピークがいつなんてわからないし、枯れ果てたと思ったら先祖がえりで、歴代最高の数や質を誇る持ち主が現れたりすることもある。

 私の姉がいい例だ。私の家は衰え始めてたはずなのに、海は歴代最高の、芸術品と言えるぐらい緻密で上質な魔術回路の持ち主だった。

 

 ……だから、想像つかないんだ。

 ここには私以外に魔術回路を持つ者なんかいないし、私も継がせたくないくらいだから、私が誰の子を産んでも魔術回路は衰えるしかないはずだけど……、ここは私の世界より大気の、世界そのものが生み出す魔力(マナ)が濃い、神代に比較的近いからこそ、本当に衰える確証はない。下手したら強化される可能性は決して低くないんだ……」

 

「私が誰の子を産んでも」という発言で、キルアの頬に熱が集まる。

 自分の言い出した話の延長線にある話題なのに、そこまではさすがに考えていなかったからこそ、生々しくなった話に今度こそ「それがどうした!?」と、逆ギレ同然に怒鳴った。

 

 ……考えてなどいなかった。

 キルアが夢見た夢は、「『今』が続くこと」ばかりだった。

「未来」の夢など、見ていなかったことに彼は、まだ気づけない。

 

 キルアが怒鳴っても、ソラは困ったように笑ったまま泣いていた。

 困りつつも、嬉しそうだった。

 キルアが何もわかっていないことを、彼女は喜んでいた。

 

「キルア。魔力とはこの世界で言う生命エネルギー……オーラの事だ。魔術回路はそれを増幅させて、生成する役割を持つ。だから一般人はもちろん、同条件の修業をした念能力者と比べても、個人差では説明できないほど私のオーラ量は多いんだ。

 ……そして、生命エネルギーが豊富な者は肉体を失って、魂だけでこの世に留まる幽冥の者にとって誘蛾灯……、もう自分で生み出すことが出来ない命そのものを、奪う事でこの世に長らえようとするこの世あらざるものを引き寄せるんだ」

 

 顔にたまった熱が下がるのを感じる。

 愚かではない、むしろ聡明と言えるキルアにはそれだけでもうソラが何を言いたかったか、ソラが言った「根拠のある事実」がなんなのかは想像ついた。

 

「魔術師が『普通』になれない、最大の理由はこれ。自分の身はもちろん、自分が引き寄せてしまったものに周りの人を守る術、そもそも引き寄せないための手段として、魔術は必須。

 魔術回路が全部閉じているのなら、せいぜい『霊感がある』程度で済むかもしれないけど、何かの拍子で開いて、そこから生成されてあふれる魔力をコントロールできなければ、この世あらざるものに襲われる以前に、エネルギー過多で自分の体に負担をかけて自滅するかもしれない。

 無知は悲劇しか生まないからこそ、魔術回路を持っている限り、魔術は手放せない。

 

 じゃあ、魔術回路ごと手放せばいいだろって思うだろ。けどな、魔術師にとって魔術回路は才能そのものだから、基本的に手離す術なんてないんだよ。あっても、それは後継者に移植する術、他者の魔力回路を奪う術だ。……誰にも押し付けず、本人に負担も掛けずに捨てる術なんて誰も研究しなかったし、私もまさか私以外に魔術師がいない世界に来るなんて思ってなかったから、何も調べなかった。……何も、知らないんだ。

 

 直死を使うことも考えたけど、魔術回路は普通に生きる上に必要な神経や臓器に絡み付いて一体化してるものとか、本来は普通の神経だったはずのものが魔術回路に変わり果ててる場合もあるから、直死でもどうしようもない。

 ……私の子供は私の血を引く時点で、たくさんのものを最初から手放さなくちゃならないんだ」

 

 キルアが何もわかってないことを喜び、キルアが気づいてしまった様子を見せれば悔やむように声を震わせ、それでも笑って言った。

 その笑顔が、「君の所為じゃないよ」という笑顔が無性に悔しくて、キルアは駄々をこねるように言い返す。

 

 子供でいたくなかったくせに、どうしようもなくしていることは子供だった。

 

「……『魔術師』になるしかないから、諦めるっていうのか? お前は、『魔術師』は幸せになれないっていう気か!?

 お前は! 今の自分が! 『魔術師』の自分が不幸だって言う気なのか!?」

「……ははっ。キルアは偉いね。……うん、私がここで諦めることは、私が軽蔑する魔術師(クズ)はともかく、尊敬する魔術師も貶めることになる」

 

 そんな子供の訴えは、柳の様に受け流される。

 言われなくても、わかっていた。キルアよりもきっと彼女の方がはるかに諦め悪く、足掻いて考え抜いたことくらいわかっている。

 

 だからこそ、救いがない。

 

「『魔術師』だから幸せになれない道理なんてないよ。現に私は幸せだ。

 ……けどな、キルア。ここにいる魔術師は、私だけだ。魔術回路がもたらす不幸を防ぐ術は、私がその子に伝えるしかない。私が受け継がせるしかない。

 他に、助けてくれる人も教えてくれる人もいないんだ」

 

 とっくの昔に考え抜いて、出した答えを告げる。

 

「……私の子供や孫ならそれでいい。私自ら徹底的に教えられるだろうから。ひ孫玄孫の頃には私の足掻きは終わってるだろうけど、私が教えた子が引き継いで教えてくれてるはず。

 でも、その次は? 私の子が代々一人っ子で一子相伝にしても、その教えが正しく伝わるとは限らないし、そもそも魔術回路の数や質、属性やその魔術回路を生かしたいかなるべく使いたくないかで、やり方は千差万別だ。

 

 それを全部、紙に書くなりデーター化するなりして残しても、魔術回路が衰えた所為で危機感がなくなって、もう必要ないと処分されるかもしれない。処分されたタイミングで、先祖がえりが生まれたら?

 されなくても、衰えるどころか海と同レベルの魔術回路持ちが生まれた時点で、私の教えなんて何の役にも立たないかもしれないんだ。

 

 ……自分でも考えすぎだとは思ってるよ。でも、考えてしまうんだ。そして、嫌なんだ。

 私は魔術師でも幸せだよ。この世界に来たことに後悔なんてない。幸せだよ。幸せに生きてるよ。だからこそ、嫌なんだ。絶対に嫌なんだ。

 

 ……私が好きな人と結ばれたことで生まれた子が、その子孫が、私の幸福の結果であって象徴であるはずの子が、私さえいなければ有り得なかった要因で、不幸になるのは嫌なんだ」

 

 考えすぎなのは確か。だけど、杞憂というにはあまりにも高い可能性。

 それでも、キルアは俯いて血が出るほど固く自分の手を握りこんで言った。

 

「……気持ちは分からなくもねーけど、お前が自分でも言ってる通り、考えすぎだろ。

 そんなの、自分のじーさんが先天性の難病だったから自分の子供や孫に遺伝するかもとか、そういうレベルの話じゃねーか。なんだよ、お前は。そういう奴等は子供作んなって言う気か?」

 

 杞憂だと告げる。

 あまりに無責任で身勝手だと理解していながら、それでもソラが「嫌だ」と恐れる未来など杞憂だと言い張る。

 

 自分が挙げた例など、ソラの苦悩と同じ立場になど立っていないことくらいわかってる。

 難病なら、家族以外にも手を差し伸べる者がいるだろう。そして医学の進歩で、いつか克服するかもしれない。

 

 けれどソラに、彼女の子孫たちの悲劇に手を差し伸べる人はいるだろうか?

 差し伸べる者がいたとしても、それは実際に助けになるのだろうか?

 

 ソラしか魔術師としての知識がない世界で、魔術回路を引き継がせない術を見つけ出すにはどれほどの年月が必要なのかなど……、魔術師ではないキルアには想像もつかない。

 

 それでも、キルアは言った。

 

「……諦めんなよ。そんなこと不安に思うくらいに、お前は……『家族』が欲しいんだろ?」

 

 ソラの言い分に納得出来なかった。

 たとえ自分が視界に入らなくても、それでも叶って欲しいと思う程に、ソラが願っていることを理解してしまったから。

 

 考えすぎな程に考えるほど真摯に彼女は「家族」を欲しているから、諦めて欲しくなかった。

 

「……うん、考えすぎだ。私は、悪い方ばかりに考えてる自覚はあるよ」

 

 キルアの身勝手な懇願を、ソラは肯定する。

 けれど、ソラはキルアの願いを叶えてはくれなかった。

 

「…………でも、ごめん。無理なんだ。君が『大丈夫』って言ってくれたのは嬉しいけど、無理なんだ。……怖いんだ」

 

「怖い」と言いながら、両手で涙を抑えるように覆うが、その眼から涙は更に溢れ出る。

 その溢れた涙を掌に乗せて、ソラは言った。

 

「……キルア、言っただろ? ヨークシンで、クラピカが熱出して寝てる時に……、魔術師の体液が魔力そのものと言って良いって。

 そして魔力とはこの世界、念能力者にとっては生命エネルギー(オーラ)のことだ」

 

 また唐突に、話が変わる。

 けれど、今度は「何の話だよ?」とは思わなかった。

 

 思い出してしまった。

 あの時、「魔術師の体液が魔力そのもの」と語ったソラがどんな反応をしていたのか、ソラがはっきりとは言わなかったが察した内容。

 

 それが、ソラが泣きながら語る「怖い」と結びつく。

 

 キルアは口を開く。

 もういい、言わなくていいと叫びたかったのに、言葉にならなかった。それほどに、おそらくソラが「魔術回路が引き寄せた『この世あらざるもの』による悲劇」以上に恐れている悲劇が、あまりに惨すぎて、ショックで、キルアから言葉を奪う。

 

 ソラは、泣きながら笑う。

 それは全知万能の女神によく似た、あまりにも美しも悲しげな……絶望を見た目で、それでも笑ってソラは告げる。

 

 

 

「キルア。……魔力供給で一番効率的なのは……性行為だ。

 だから……、魔術回路が体液を魔力(オーラ)そのものにしている私を抱けば、私の意思なんか無関係で相手はオーラを供給できる。

 私だけじゃない。私の血を引いて、魔術回路を引き継いで持って生まれたら、それは念能力者にとって……『充電器』として使えるんだ」

 

 

 

 その言葉が、思い知らせる。

 自分はどうしようもなく子供だったこと。何もわかってなかったこと。

 

 彼女がどんな思いで「家族」を諦めたかなんて、キルアは何もわかってなかった。

 

 * * *

 

 約半年前は顔をトマトの様に赤くして、自分やゴンに気を使っているのではなく素で言えなかったことを、ソラは言った。

 あの日とは違って、顔を赤らめてパニくることなく。

 むしろ血の気が引いているような、白い顔だった。

 

 キルアもその直接的な言葉に、顔を赤らめることはない。

 逆に血の気が一気に下がって、気が遠くなった。

 

「……生きている限り、生命エネルギーは生成されるし体に宿るんだから、能力者に限らず一般人でも体液に魔力(オーラ)は溶け込んでるよ。でも能力者でもそれはごく微量だから、性行為だろうが吸血だろうが『そういう行為でオーラを吸収する能力』を持っているか、もしくは『自分の体液をオーラそのものにする能力』を相手に行わない限り、効果は気休めにもならない。

 ……でも、魔力を生成する臓器を持つ私は、能力じゃなくて『体液が魔力(オーラ)そのもの』っていう体質だから……、私や相手の意思も能力も関係なく魔力(オーラ)を分け与えることが出来るんだ」

 

 ソラは静かに補足を語る。

 キルアに気を使って、少しでもあまりに惨い可能性を想像してしまわないように言葉を選んでいるが、そんなの無意味だ。

 

「分け与える」なんて欺瞞もいいところ。そんな体質を持つ者がいるとわかれば、行われるのは一方的な搾取しかない。

 

 それも……キルアのひいき目など関係なく、ソラは人体蒐集家にとって垂涎の逸品と言っていい、絶世の美貌の持ち主だ。

 彼女の姉の容姿も思い返せば、そう簡単に相手の遺伝子と混ざって崩れてしまうようなものじゃない。ソラの血を引く子供もまた、容姿に期待できる。

 

 キルアにはもう、想像ついてしまった。ソラが何よりも恐れる、最悪の未来を。

 

「この世あらざるもの」を引き寄せて襲われる可能性など、それと比べたら可愛いくらいだ。

 少なくともそちらなら、いかなる苦痛や絶望を味わっても、「死」で終わることが出来る。

 

 だけど……だけど……、もしもソラが、ソラの血を引く子孫が「充電器」として使えることに気づかれ、それを利用されたら……。

 

 女はもちろん男でも、人としての尊厳を踏みにじられ続けてる。それも、簡単に殺してさえもらえない。

 体液が魔力(オーラ)そのものならば、血液も生命活動ギリギリまで抜かれて売りさばかれるかもしれない。そちらの方が、「充電器」としては使い勝手がいいから。

 

 これだけでも生き地獄以外言いようがないが……、間違いなくこれだけでは終わらない。

 

 ソラの言うとおり、これは体質だ。つまり、才能など無関係で、ソラの血さえ引いていれば、代を重ねるごとに薄れていってもある程度は確保できる。

 そしてただでさえ「充電器」としての役割だけでも十分すぎるほど使えるのに、容姿が極上ならばそれこそ、念能力者でなくても欲しがる屑は有象無象。

 

 間違いなく、「増やす」ことを考えないほど短絡的な奴はいない。

 そして、代重ねで魔術回路も容姿も劣化するのなら、その原因が「ソラの血が薄れた」ならば、もはや畜産ですらなくただの商売道具として見ているのなら、取る手段は――――

 

「うっ…………」

「キルア!」

 

 最悪の最果て、行きつく先を想像してしまい吐き気が込みあがる。

 真っ青な顔色で口を押えてよろめくキルアを、ソラは悲鳴のような声を上げて、倒れぬように抱き留める。

 

「想像するな。知らなくていい。わからなくていい。わからないままでいて」

 

 倒れかけたキルアを支えているというより、ソラがキルアにすがるようにして希う。

 けれどそれは、もう無理。

 

 ようやく理解した。理解してしまった。

 

 ソラが本当に恐れているのは、この諦めが悪すぎるからこそ、今ここにいる彼女が諦めざるを得なかった真の理由はこちらの方だ。

 魔術回路がもたらす悲劇でソラが恐れているのは、「この世あらざるもの」ではない。人間だ。同じ人間でありながら、自分の益と快楽の為に他者の全てを踏みにじって毟り取る人間の悪意が、悪性がソラは怖くて仕方がなくて、けれどそれを防ぐ術なんて見つけられないから諦めるしかない。

 

 可能性だけでいえば、結局はどちらも同じ。杞憂と言えるほどありえないものではないが、いつか必ず確実に起こることなんかじゃない。

 そもそも「体液が魔力(オーラ)そのもの」なんて情報、そう簡単に露呈する訳ないのだから、可能性だけで考えれば、「この世あらざるもの」に襲われる可能性の方がはるかに高くて、こちらは無視してもいいくらい低い可能性だろう。

 

 だけど……、その低い可能性を引き当ててしまったら、その時点で絶望と地獄が決定される。

 

 だって、ばれてしまえばもうその悲劇の犠牲者は、一人では済まない。

 ソラの血を無理やりでも、人間の三大禁忌の一つを強要させてでも薄めず、絶やさず、増やして使い潰される。

 魔術回路が自然に枯れ果てる、その時まで。

 

「……ごめんね、キルア」

 

 キルアの小さな背中にしがみつくようにして抱き着きながら、ソラは言った。

 もう何度目かもわからない謝罪を繰り返す。

 

「ごめんね。嬉しくないよね。辛いよね。視界に入ってないのに、抱きつかれても腹が立つだけだよね……。

 ……私なんかを好きになってくれたのに。覚悟を決めてくれたのに。……綺麗だって言ってくれたのに……ごめんね。

 わかってるよ。私の不安なんて考えすぎだって。ネガティブすぎる妄想みたいなものだって、わかってる。わかってるよ。それでも……私は――」

「謝んなよ!!」

 

 何度目かもわからない。何度目だって同じだ。

 ソラの謝罪は、キルアにとって意味などない。ただひたすらに苛立つだけ。余計に泣きたくなるだけだから、キルアは叫んだ。

 

「謝んなよ! お前は何も悪くないのに、なんで謝るんだよ!?」

 

 ソラにしがみついて、すがりついて叫ぶ。

 もう傍にはいられないと思った、触れられないと思ったその体温を抱きしめて言った。

 

「全部、悪くねーじゃん! お前が悪いところなんて何もないだろ!!

 なら、謝んなよ! 謝る暇があるんなら、まだ足掻けよ! お前はそれで、それだけでここまで生きてきたのに、足掻き続けたから今を幸せだって言えるくせに、なんで諦めてるんだよ!!」

 

 自分がどうしようもなく子供だったと、思い知らされた。

 

 ソラにこんな話をさせなくても気付けるだけの情報なら、既に持ってたのに。

 最も効率のいい魔力供給が性行為だと知った時点で、魔術回路が子供に引き継がれる事を知らなくても、ソラ自身が狙われるかもしれない事に思い至っても良かったのに、何も気付けなかった。

 

(何が、『俺を見ろ』だ!! 俺の方がソラのこと、何も見てねーだろうが!!)

 

 自分の言葉や行動を、当初の予想とは全く違う意味で後悔する。

 自分がどれほど愚かだったかを、思い知る。

 

 ソラの視界に入ることを望んでいながら、キルアはソラが自分の思いに応えてくれたら、自分を視界に入れてくれた後のことなんて、何も考えていなかった。

 そんなの想像できなかった。

 クラピカに渡したくないと思いつつ、決して彼のことが嫌いでもないからこそ、奪うような真似だってしたくないという矛盾も本音。

 

 あの腹が立って苛立って、それでも心地よかったぬるま湯のような関係が、これからもずっと続くことを望んでいた。

 あの関係を終わらせようとしていたのに、キルアが本心から望んでいたのは、あの関係が永遠であることだった。

 

 自分のものにならなくてもいいから、誰のものにもならないで。

 きっとそれが、キルアの本音。あまりにも身勝手な、けれど真摯な望み。

 

 そんな自分の望みが、どれほど愚かな子供の願望だったかを理解した。

 それが、叶ってしまったからこそ理解した。

 

 ソラは誰のものにもならない。自分が視界に入らないのは子供だからではない。

 そんなあまりにも身勝手なわがままは、キルアの望みは叶った。

 

 ソラが普通の人間なら得て当たり前の幸福を、あまりに多くのものを諦めることで、諦めた上で叶ってしまった。

 

 それは、キルアの望みだったのは本当。

「違う」と否定することは許されない。考えれば、「未来」を思えばわかったことを考えなかった自分が今更、言い訳して自分が愚かだった罪から逃げるなんてしたくない。

 

 だからこそ、キルアにはもう叫ぶしかない。

 

「諦めんなよ! 謝るなよ! お前は悪くないんだから、胸を張ってお前が欲しいものは全部手に入れろよ!!」

 

 叶ってしまった夢を破棄するために、今度こそこの関係が壊れてもいいと覚悟を決めて、ひたすらに叫んだ。

 

 自分が馬鹿で身勝手で、未来から目そむけてただただ居心地のいい今だけに執着していたのは思い知ったけど、それは事実だけど……ソラが傷つくのは、幸せになれないのは、何も悪くないのに本当に欲しいものを諦めなくちゃいけないのが嫌なのだって本当だから。

 

 だからせめて、叫ぶ。

 諦めるな、と。諦めなくてもいい、と。

 

 それしかできない。

 ソラが恐れる未来を防ぐ方法も、否定する根拠も見つけられないキルアに出来ることなど、子供の癇癪を続ける事だけ。

 

 あまりに他力本願な願いを、叫び続ける。

 ソラが苦しんで苦しんで苦しみ抜いて諦めたことくらいわかっているくせに、まだ苦しめとしか言えなかった。

 

「キルア」

 

 すがりつくようだった腕の力が緩む。

 キルアを包み込むように、壊したはずのあの関係を再び形作るような抱擁で、ソラは言った。

 

「ありがとう、キルア。でも、違うよ。私は諦めたんじゃない。

 

 ――――――選んだんだ。私は私の幸福の為に、私が不安や後悔を懐かない為に、ある幸福を捨てて別の幸福を選んだだけなんだ。

 だから、キルアが自分を責める必要なんてない」

 

「諦めたのと何が違うんだ?」とは訊けなかった。

 あまりに惨い未来を強要するだけで、それを防ぐ術どころかそんな未来を想像もせず、のうのうと彼女がくれる幸福に浸っていた自分が、そんな風に言って責めて追いつめる資格なんてない。

 

 それに何より――――

 

「……だから、キルア。

 ……ごめん。本当に、本当にごめん。酷いこと言って、酷いことを望んで……」

 

 少しだけまた、ソラが自分を抱く腕の力が強くなる。

 縋り付き、尋ねた。

 

「……キルア。私は、君の傍にいてもいい?」

 

 キルアに「諦めるな」なんて、言う資格などない。

 ソラがまだ、あの関係でいてくれようとしてくれていることにホッとしてる自分が、まだ未来に目を向けようとしないで、心地よい関係に甘んじている自分が嫌で嫌でたまらなかった。

 

 けれど、それでも……キルアは答える。

 

「……バッカじゃねーの」

 

 いつも通りの悪態をついて、こぼしたはずの水をまだあるようにふるまって、答えた。

 

「いいに決まってんだろ」

 

 キルアの答えに、ソラは笑う。

 涙の痕がはっきりと残り、少し目の周りは赤く腫れている。

 それでも、キルアにとって世界で一番綺麗な、晴れ晴れしい笑顔で彼女は言った。

 

「……ありがとう。キルア。――――大好きだよ」

 

 その言葉に、「俺もだよ」とは言えなかった。

 照れ臭かったからじゃない。彼女の「好き」と自分の「好き」が決定的に違うから、……彼女の「好き」に「俺も」という同意なんて出来なかった。

 

 キルアに返せた答えは、子供のようにソラにしがみついて、縋り付いて、そのくせ子供のように声を張り上げて泣きじゃくる事も出来ず、嗚咽を必死で堪えて返した返答はそっけない一言。

 

「知ってる」

 

 自分の「夢」は、惨い現実によって儚く敗れたことを知った。

 それでも、まだ手離したくないからキルアは祈る。

 

 願うよりも強く、けれど信じるには弱い、信じたくとも信じられる強さのないキルアは祈る。

 

 

 

 

 

(――俺じゃなくていい。

 だから、どうかいつか必ず、こいつが恐れる『未来』を誰か……殺してくれ)

 

 

 

 

 

 キルアが未来に託せた「夢」は、ただそれだけ。

 今は「今」を続ける事しか、出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……初恋は実らないと言うけど、やっぱり切ないね。特に好き合っているし、互いに非もないのに結ばれないのは。

 まったく、あの女神様は本当に彼女と違って性格が悪い。こうなることをわかってて、わざわざ突きつけることないじゃないか」

 

 伏せていた眼を開き、「魔術師」は言う。

 ソラとは、ソラの世界の遥か過去の奇跡に縋って、文明に追い越されたものを再現している魔術師たちとは違う、一端こそは文明に墜とされてもその全容は未だ奇跡に値する(すべ)を使いこなす「本物」は、虹色の髪を風になびかせて天を仰ぎながら、独り言を紡ぎ続ける。

 

「……君の言ってることは、選んだ道は間違いないよ。君が正しい。

 そもそも、君の存在自体がこの世界のイレギュラーだ。君の血を引く者なんて、アラヤもガイアもきっと存在を許さない。……許すとしたらそれは君の存在を今、許しているのと同じ理由。君の世界の魔術師と同じ理由。

 

 だから、世界の為にも子孫の為にも、君自身の為にもその選択は正しいよ」

 

 色彩の洪水と言える花畑、季節も環境も無視して百花繚乱に咲き乱れる花園の真ん中で魔術師は、「誰か」の選択を肯定する。

 

「――――けど、『物語』はやっぱりハッピーエンドじゃないと」

 

 肯定しながら、否定する。

「誰か」が選んだ選択を、生き方を否定する。

 自分好みではない。ただそれだけの理由で魔術師は否定した。

 

「というか、前々から思ってたけど君は誰かのハッピーエンドを作るのは得意だけど、自分のはどうも下手だよね。よーし! ならこのマーリンお兄さんが力を貸してあげよう!」

 

 魔術師、マーリンは一人勝手にそう結論付けて、持っていた杖で軽く地面を一度叩く。

 その瞬間、世界は塗り替わる。

 

 百花繚乱の花園は消えうせ、草木がほとんどない岩石地帯が現れる。

 世界そのものさえも騙しきって姿を変え、匂いさえも生み出した幻術を解き、マーリンは現実を歩きながらにこやかに笑って言った。

 

「大丈夫、君の『夢』は必ず叶うよ。

 だって、あれほど君はたくさんの人を幸福に、ハッピーエンドに至らせる為に頑張ってきて、君の幸福を願う人だってたくさんいる。……『人』じゃない、私も含めてね」

 

 自分好みではないというだけだが、それでもというべきか、だからこそなのか真摯に「誰か」のハッピーエンドを望む。

 本心から、それを与えたかった。本心から望んでいた。

 

 だからこそ迷いなどありはしない。

 

 

 

 

 

 

「夢は現実に儚く敗れるのなら――――――現実を塗り替えたらいい」

 

 

 

 

 

 月を見上げ、歌うように、夢見るように夢魔は言う。

 その眼は人形とは違って有機的な熱を持つ、感情の色が見える瞳でありながら……虫と同じくらいに「人」から見たら理解しえないほどの距離を感じるものだった。





G・Iを攻略しよう! 編は今回で終了。
次回からマーリン編……ですが、前回があれなのに今回で急転直下に重い話をぶち込んでしまったので、ガス抜きのつもりでコピペ改変集を同時更新しておきました。

どっちにしろ、テンションの乱高下が激しすぎてごめんなさい。

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