死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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150:救済は夢の中

「君の眼を騙しきる自信はさすがになかったから、“凝”をされた時は焦ったよ」

 

 本心からの感想に過ぎないのだろうが、嫌味にしか聞こえない。

 その発言が癇に障って、今すぐその澄ましたイケメンの鼻っ柱にストレートのグーパンをブチ込みたい衝動に駆られるが、ソラの腕は上がるどころか自分の指を握りこむことすらできない。

 せめて、自分の右手に絡み付く相手の指を振り払いたいのに、それすら出来ずソラはただただひたすらに、相手の肩に自分の頭を預ける体勢のまま睨み付ける。

 

 それすらも、今すぐに落ちてきそうな瞼を無理やり根性で開いて。

 睨むことしかできないのではない。睨むことすらも精一杯だった。

 

 そのことを悔しく思い、その悔しさを燃料にして無理やり瞼をこじ開け続ける。

 あまりにも魅力的だからこそ、この誘惑に乗る訳にはいかない。乗ってはいけない事をわかっているから。

 

 この花畑が生み出す睡魔に囚われたら終わりであることを、理屈などなく本能でソラは感じ取っていた。

 

 * * *

 

 ゴンは立ち上がることも、突如現れたマーリンもしくはマーリンが現れると同時に倒れたソラの名を叫ぶことすら出来ず、その場で固まってしまった。

 良くも悪くも本能で生きている節の強いゴンは、どんなに予測外の事が起こっても余裕がなければないほどむしろフリーズしない。頭の中は真っ白になって何も考えられない状態になると、本能が全力で体を動かしてむしろ普段よりキレのあって適切な動きをするのがほとんどだ。

 

 なのに、この時ばかりは動けなかった。

 動いた方が危ないと、本能が警鐘を鳴らした訳ではない。本能でさえも、もうどう動いても無駄だと諦めた訳でもない。

 そして動きたいのに動けない、念能力で物理的にかそれとも威圧などといった精神的なもので動きを止められている訳でもなく、ただただ動けない。

 動く気になれなかった。

 

 それはあまりに予想外な出現と、残酷な感謝の言葉に思考が停止してしまい、その停止した思考にマーリンが生み出した花畑が、異界が甘やかな誘惑を注ぎこんだから。

 

 だからゴンは動けないまま、動かないままゆっくりと重力に従うように、逆らう真似など思いつきもせずに自然と下がってきた瞼に委ねようとした。

 

「!?」

 

 が、ドサリと何かが倒れる音がゴンの思考に注ぎ込まれた誘惑の霧を一気に晴らす。

 

「キルア!? ビスケ!?」

 

 花の中に埋もれるようにして倒れた二人を目の当たりにしてようやくゴンは叫び、そしてマーリンを睨み付けて言った。

 

「何をした!?」

 

 ゴンはマーリンを「敵」だと認識して叫ぶ。

 例えマーリンには相変わらず、敵意の類は一切なくとも。

 自分の叫んだ声に対して振り返った彼は、ゴンに花言葉を教えた時、感謝を告げた時と同じく穏やかに、柔らかく微笑んでいたとしても。

 

 そこに悪意はもちろん敵意など一切ないことが、ゴンにとって怖くてたまらなかった。

 どこまでも自分たちはわかりあえない事を表している笑顔が、怖くて仕方ない。

 

 けれどゴンの怒りと恐怖など気付いていないのか、それとも気にもかけていないのか、どこまでも月よりも遠く見える目を柔らかく細めて笑い、マーリンはやはり春風のようにどこまでも緊張感なく穏やかに言う。

 

「わかってたけど、君はやはりほぼ無効化してるね。子供でもそこまで動ける子は珍しいよ。

 まぁ、逆にキルア君ほど動けなくなっている子も珍しいけどね」

「……なんの……話だ!?」

「! キルア!!」

 

 頭から地面に、花の中に埋もれるように突っ伏していたキルアが、両腕で何とか上半身を起こしてマーリンを睨み付け、叫ぶ。

 しかしその上半身を起こして支える腕は生まれたての小鹿の足のように震えており、今にも崩れ落ちそうだ。

 マーリンを睨み付ける両眼も、眼球は状況が理解できていない困惑を上回る怒りで燃え滾っているが、瞼は半分近く落ちてその眼の激情を隠してしまっている。

 

 感情と相反する酷い睡魔を追い払おうと、キルアは自分の拳を握って掌に爪を突き刺し、傷つける。口の中も同じく、錆の味が満ちるほどに噛んでようやく夢に落ちかける意識を現実にかろうじて留まらせている。

 

「この……異常な眠気はてめぇの仕業か!?」

 

 口の中に溜まった錆味の唾液を吐き捨て、キルアはソラを抱きかかえ続けるマーリンに言った。

 答えは期待していない。ゴンの夢の中に現れたことといい、ソラが言った「夢魔との混血」という情報からして、睡眠薬の耐性など何の役にも立たないほど強力な催眠が行えることくらい予想がつく。

 

 だからこそ今ここで眠ってしまったらお仕舞だとわかっているから、骨に達するのではないかと思えるほど自分の掌に爪を立てて傷つけ、痛みで頭の中を覚醒させる。叫んだのも、眠気覚ましの悪足掻きに他ならない。

 しかし相手は、そのことをわかった上での挑発で言ってる方が救われるくらい、優しげに微笑んで答えた。

 

「そうだよ。薬による眠気とは全く違って気持ちいいだろう? だから、安心して眠りなさい。最近、ろくに眠れてないんだろう?」

 

 マーリンの言う通り、こいつが現れて辺りが薄暗い森の中から蒼天の下の花畑に変わった瞬間から襲い掛かる睡魔は、暖かくなり始めた春の明け方、寝具の中の微睡のごとく心地よくて、このまま瞼を閉ざして眠りにつきたいという誘惑があまりに魅力的だ。

 特に、これまたマーリンの言う通りここ最近は自己嫌悪と後悔、そしていくら考えても答えが見つからない思考の迷路に迷いこみ続けてろくに睡眠が取れずにいるキルアには、肉体的にも精神的にも抵抗するのは難しい。

 

 それでも、キルアは瞬きさえも堪えて目をこじ開けて叫ぶ。

 

「余計な……世話だ! いいから、そのアホをさっさと離せ!!」

「……そう……よ。……何の……つもりなの?」

 

 キルアと同じように頭からうつ伏せに倒れ込んでいたビスケも、意識をまだ手離していなかったらしく、ごろりと転がって仰向けになって言った。

 

「この……超イケメンが……うちのバカ弟子に……何の用だわさ……。あぁ、くっそ……。ムカつくことにホント、拝みたいくらいイケメン……。くっ! 去れ! 睡魔!! 夢の……イケメンパラダイスより……現実の……イケメン!!」

「ビスケしっかりして! もうだいぶ寝てない!?」

「欲望全部ダダ漏れだぞ、ババア!! むしろお前は寝てろ!」

「……さすが……ババア……。ブレなさすぎ……だろ」

「えーと、ありがとう?」

 

 しかしゴンとソラで効果に個人差があるのはわかっていたが、ビスケも相当効きに効いているタイプだからか、言ってることがだんだんとソラに対する心配とマーリンへの警戒から、ただの欲望の垂れ流しの寝言になってしまっている。

 頼むからせめて本当に寝た上で言ってくれと言いたい寝言に思わずゴンとキルアは突っ込み、ソラも弱々しく呆れを込めた感心を呟いて、さすがのマーリンも困惑の苦笑を浮かべてひとまず礼を言っておいた。

 

 いきなり警戒心や緊張感が吹き飛ぶカオスに陥ったが、ビスケの寝言のインパクトがキルアの眠気をだいぶ吹っ飛ばす怪我の功名となり、キルアはまだ頭の奥がふらつくような眠気を感じながらも、今度こそ完全に体を起き上がらせて立ち上がる。

 

「おい、淫魔。餌が欲しいならそこのババアをやるから、さっさとそいつを返せ!!」

 

「夢魔=インキュバス・サキュバス=淫魔」という知識があったからか、それともソラを抱きしめて離さないからこその罵倒なのかは不明だが、いきなり淫魔呼ばわりしてくるキルアにマーリンは苦笑するが、自分が淫魔に近い存在であるのは事実なのでそこは反論しない。

 

「ソラ君が心配なのはわかるけど、さすがに酷いなぁ。

 大丈夫。ソラ君とはぜひともそういう意味でも仲良くなりたいけど、それはあくまでそうなれたらいいなぁという私の希望であって、目的じゃない。

 だから悪いけど、まだ離せないよ」

 

 キルアが本気の誤解か挑発の軽口かよくわからない誤解だけはさすがに否定するが、「淫魔」であることの否定は全くしていないので意味はなく、キルアは「その返答でこっちが納得すると思ってのか、てめぇ!!」となおさらにブチキレた。

 そして「やる」と言われたビスケに関しては完全にスルー。それは優しさだったのか、さわらぬ神にたたりなしという心境だったのかどうかはわからない。

 

 ビスケがひっそり「あたしは? ねぇ、あたしは!?」と、花に埋もれつつしつこく睡魔と戦いながら尋ねるのをゴンも無視して、どうとでも動けるようにオーラを練り上げつつ尋ねた。

 

「……マーリンさん、どうやってここに? ここはまた、夢の中なの?」

「ここは、『アヴァロン』と私は呼んでいる、夢と現実の狭間だよ。そして、どうやって来たも何も私は徒歩で君たちに近づいて、君が起きてからはずっと君の傍にいたんだよ。

 ゴン君。君がソラに渡したベラドンナ。あれは比喩ではなく、そのまま本当に私だったんだよ」

「え?」

 

 だがあまりにもマーリンが夢の中と同じように、悪意も敵意もなく穏やかに楽しそうで事もなげに答えるので、ゴンの中の裏切られた、騙されたという悲しみや怒りが霧消して、素の不思議そうな声をあげる。

 そんなゴンの反応に苛立ったようにキルアは高く舌を打って、同じくオーラを練り上げながら再び皮肉をぶつける。

 

「花に化けてたって事かよ! ハエを食わすぞ、食虫植物が!!」

「ちょっと違うね。花に化けてたんじゃなくて、君達には私が花に見えるように幻覚を掛けてたんだよ」

「……どっちにしろ……だいぶ間抜けな真相じゃねぇか」

 

 キルアの罵倒を気にした様子もなく笑顔で、惜しみなく種明かしするマーリンの腕の中でソラは、弱々しいが懸命に言葉を紡ぎ、身も蓋もない突っ込みを入れる。

 

「それもそうだね。というか、やっぱり君は君の世界の私と会ってるんだね。

 警戒して直接会いに来なかった甲斐があったよ。まぁ、さすがにあそこまで毛嫌いされてるのはちょっと凹んだけど」

 

 自分の目の前で平行世界の自分とはいえ、ボロクソに言われていたことを凹むと嘯くマーリン。爽やかな笑顔で嘯くのでヒソカよりマシかと思ったが、ベクトルが違うだけで同じだけムカついて、ソラは睡魔に対抗しながら舌を打った。

 

 打ちつつ、何故こんな手間が無駄にかかる手段で自分に接触を図った理由を、多少は理解する。

 

 こいつは間違いなく千里眼で、ソラが突然この世界に現れたことを初めから知っていた。そしてソラがこの世界で過ごした4年間で本心から「ファン」になったからこそ、自分の同一存在がソラを放っておくわけがないこと、一度くらいは何らかの接触を図って面識を得ていることに想像ついたからこその警戒だったのだろう。

 

 この人外は、人間に対してはもちろん自分に対しても嫌になるほど客観的だから、平行世界の自分がソラと面識を持っていたら間違いなく嫌われているし、警戒されることも確信していた。

 何故なら、自分が間違いなくそうさせるようなことしかしない自信しかないからだ。本当に屑だな、こいつ。

 

 ソラに警戒されたくないから、おそらくはこうやってゼロ距離にまで近づく必要があったからこそ、マーリンはソラが持つ「直死の魔眼」すらも騙しきる幻覚を用いて近づき、ゴンに「花」だと思い込ませて自分自身をソラの元まで導かせ、ソラが自らマーリンの手を取るように誘導させたのが事の真相。

 

 ただそこまでしてソラに近づくどころか、ゼロ距離にまで入って接触する意味や意図は未だに見えない。その意図を考えて想像して予測する余裕がなく、ソラは苛立ちと悔しさを露わに再び舌を打つ。

 

 自分の眼に過信しすぎていた自分自身が、情けなくて悔しくて仕方がない。

 この男が自分の世界では死ねないから有り得ないが、死んで英霊になっているのなら「冠位」を得て、アラヤ側の抑止そのものとなっていたはずの魔術師であることを知っていながら、ゴンに差し出された花を無警戒に受け取ってしまった自分のうかつさに、後悔が止まらない。

 

「マーリン」という名前が出てきた時点で、魔力(オーラ)が籠っているかどうかを確認する程度ではなく、今のような最高精度にまで上げて見るべきだった。

 自分の知ってる自分の世界の「マーリン」の性格や、奴が抱えるトラウマや後悔など考慮に入れず、能力面や人外故の性質だけで考えるべきだった。

 

 奴の反則ぶりを理解していたのに、警戒していなかった。警戒すべき相手であることをわかっていたのに、そんな相手であることを知っていたのは自分だけなのに警戒をしなかった、出来なかった事を悔やみながら、ソラは何度も閉じる瞼をこじ開けて睨み付け、そして夢の中に落ちそうな意識を振り絞ってマーリンに掴まれていない左手の指先を動かし、自分の足に触れる。

 

「! ……ソラ君、知ってたけど思い切りが良すぎるよ」

 

 が、マーリンがソラの意図に気付き、腰に回して支えていた腕でソラの左手も掴み、ダンスでも踊るようにソラの両手を掴んだ体勢で苦笑した。

 ソラの方は全く足に力が入っていない状態なのでその場に座り込みそうになりながらも、睡魔によって落ちかけた瞼の隙間からセレストブルーの眼で睨み付けるが、マーリンは揺るがない。

 その天上の美色がどこに繋がっているかを知った上で、彼はあくまでも駄々をこねる子供を相手するような苦笑を浮かべ続ける。

 

『ソラっ!!』

 

 マーリンがソラの両手を捕えて動きを封じた事で、ゴンとキルアだけではなくビスケも睡魔を跳ね除けて、体を起こした。だがまだ彼女は完全に睡魔を追い払い切れておらず、立ち上がることは出来ない。

 そして一歩足を踏み出したゴンとキルアには、ソラが「来るな!」と声を絞り上げて止める。

 

 ゴンとキルアはソラの制止を聞くか無視するかで一瞬悩むが、その言葉など意味なくどちらも動けない。

 ゴンとキルアに視線をやったマーリンが、相変わらずの春風のようだったから。

 

 浮かべている笑みの種類は苦笑だが、どこまでもあたたかくて優しい。

 けれどそれは人間が勝手にそう感じるだけで、春風自体に意思などない事を思い知らせるほど、その柔和な笑顔と調和していながらも彼の眼は遠い。

 

 感情を隠している訳ではない事だけはわかるのに、肝心なその感情が何もわからないほど、自分たちからはあまりに遠い目をしている。

 無表情で完全に感情を隠されているのとは比べ物にならないほど、それは恐ろしかった。

 

 隠すということは、知られたくない感情を懐いていると想像がつくから、そこから抱く感情を推測できる。

 けれど、自分が知る喜怒哀楽のどれにも当てはまらない、自分たちにとって「感情」と言えるものなのかもわからないものを懐いていることだけがわかるという事実が、ヒソカやイルミ、クロロといった「圧倒的な強者」に対しても懐いたことがない「未知」という恐怖を二人に叩きつけ、足を竦ませてそれ以上踏み出せない。

 

「困ったなぁ。私は君たちに危害をくわえる気なんてない、今のだってむしろ私はファインプレーだと思うんだけどな。

 この子、眠気覚ましに自分で自分の『線』に指突っ込もうとしていたんだよ? 線だから死にはしないし治癒も方法がない訳じゃないけど、十中八九は切り落とさなくてもその部分から壊死するようなことを止めたんだから、さすがにちょっとは褒めて欲しい」

『!?』

 

 マーリンは自分がどう思われているのかを正確に察したのか、やや苦笑を深めて自分の行動の理由を語ると、マーリンに対して敵愾心むき出しだった3人の視線はソラに移る。

 3人から「またお前はとんでもない事しようとしてやがったのか!?」という愛ゆえのガチギレ視線を感じながら、ソラは鼻で笑ってマーリンに言い返す。

 

「……お前なら……治せるだろ? っていうか……止めるくらいなら、……さっさとこの固有結界だか何だかを……解除しろよ」

「まぁ確かに、『線』での怪我ならまだ治す術はあるし、君相手なら治しただろうけど……。っていうか、眠気覚ましよりそっちを期待しての行動だったんだ。

 どっちにしろ、思い切り良すぎだね君は」

 

 ソラの強がりでしかない憎まれ口に、楽しそうにマーリンは笑って答える。

 その笑顔にはやはり、敵意どころか好意しかない。どんなに遠くても、それが嘘ではない事がわかる程にそれは強く純粋な好意だ。

 

 だからこそ、この状況がなおさらに誰にも理解出来ない。

 特に危害らしい危害をくわえられたわけではないが、騙し討ちでソラに近づくどころかゼロ距離になるまで正体を現さず、少しでも気を抜けば意識を手離しそうな空間を作り上げられただけで十分、相手に全力で警戒する理由になる。

 

 だが、十分な理由があるのにゴンの中に「どうして?」という思いが消えない。

 マーリンは自らを「騙す者」と言い切って、ゴンを騙して利用してソラに近づいたと既に告白しているのに、最初から彼と自分たちはわかりあえない事を理解していたからこそ夢の中で拒絶したのに、それでもゴンがマーリンに対して信じることをやめれないものが一つだけあった。

 

「……マーリンさん、本当に何が目的なの?」

 

 だから、尋ねる。

 わかりあえなくても、せめて理由だけは知りたくて。目的を知りたくて。

 たとえそれが理解出来ないものでも構わなかった。むしろそれならそれで今、懐いている迷いを捨てられる。

 

 だけど、マーリンはどこまでも子供のような無垢故に残酷だった。

 

「え? 夢の中で言わなかったっけ? ……って、あぁ。君に普通に拒否されたから、私からは何も言ってなかったねそういえば」

 

 きょとんと、本心からゴンの問いに不思議そうな顔をしてから自分で思い出して気まずげに笑い、それから答えた。

 今のゴンにとっては、何の救いにならぬ予想通りの答えを。

 

 

 

「私はソラ君を幸せに、救いに来たんだよ」

 

 

 

 自分で言っておきながら、自分の評価があまりにも正しかったこと、そしてゴン自身がちゃんとその評価を理解しきれていなかった、してはいけないとわかっていたのに、期待していたことを思い知る。

 彼は、自分たちと同じものを望みながらも、あまりに遠い。主観で見てくれない。ゴンが彼を信じても、彼はゴンを、人を信じてなどいない。

 

 同じ結末を望んでいることを知っていても、その過程で何が大切なのか理解してくれていない。

 だから、好意で騙して裏切って「ハッピーエンド」に至る為に「人」にとって大事な何かを平気で踏みにじる。

 彼にとって「人」が大事にしている必要な過程は、自分が目指す「ハッピーエンド」を破綻させかねない蛇足にしか見えないから。

 

 今、目の前で笑っている生き物はそういう存在であること、同じ結末を狂おしいほどに望んでいながらも、どうしようもなく「敵」であることをようやくゴンは、心から理解出来た。

 

「……なら、今すぐに消えろ!!」

 

 最初から、7年ほど前から相手がそういう生き物であることを理解していたソラは、顔を上げることが出来なくても、今にも瞼と一緒に意識を落としそうになりながらも、それでもマーリンを睨み付けて言った。

 自分の幸福を望む者を、拒絶する。

 

 その拒絶に、マーリンはやはりどこまでも遠い目のまま柔らかく苦笑する。

 ソラを捕える手は、離さないまま。更に手に指を強く絡めながら彼は言う。

 

「君が眠ってくれたら、ご希望に応えるよ」

「……好きでも、……信頼もしてない奴に見せるほど……私の寝顔は安くねぇよ!!」

 

 ソラの要求をやんわり拒否するマーリンに、失いそうな意識を踏みとどまらせて言い返すソラ。

 既にゴンもキルアもビスケも、マーリンは相手にしていない。そのことに腸が煮えくり返る思いをキルアは懐くが、ゴンはともかくソラを挟んでマーリンと正面を向く位置の自分とビスケは、下手に動けばソラを人質に取られる最悪の位置だ。

 

 だから何とか頭を冷やせと自分に言い聞かせながら、アイコンタクトで「お前がまず動いて、こいつの気をそらせ」とゴンに伝える。

 ゴンを囮に使うのは悪いと思うし、そもそもこの空間が“円”のような役割を持っているのなら、背後という位置関係すら意味はない。

 が、それ以外に行動など取りようがないので、ビスケも悪手とわかっていながらもそれを取るしかない現状に悔みつつ、同じくアイコンタクトでキルアの指示にOKと許可を出す。

 

 しかし、ゴンが行動に移す前にマーリンが動いた。

 

「そう……。なら、仕方ないね。私としては、役得だからいいけど」

「!?」

 

 ぼそっと全然仕方なさそうには聞こえない独り言を呟くと同時に、マーリンは掴んでいたソラの両手を引いて自分に再び抱き寄せる。

 そしてそのまま、抱き寄せた勢いのままに躊躇なく重ねて、ソラだけではなく行動開始しようとしていたゴンや、口の中をキルアと同じくらい噛んで眠気を追い払っていたビスケ、そしてキルアの思考を真っ白に染め上げる。

 

 

 

 

 

 …………ソラの唇に自分の唇を重ね、ソラの手を掴んでいた腕はいつしか左手は腰、右手は後頭部に回って押さえつけて深く深く口付ける。

 

 唇が離れた時、その口からお互いに零したのは唾液ではなく小さくて可憐な花の花弁。

 色鮮やかな花弁をいくつか口から零しながら、マーリンは支えていた手を離す。

 

 マーリンと同じく、花弁を吐血のように零しながらその両目を固く閉ざして、ソラは後ろに倒れ込む。

 好きな者、信頼している者にしか見せないと強がった寝顔を、無防備に晒して。

 

 

 

 

 

 頭の奥でキルアは、何かがキレる音を聞いた。

 

 * * *

 

 自分に対しての挑発や嫌がらせを意図していたのなら、むしろ冷静になれたかもしれない。

 だが、キルアはわかっている。相手が何者かなど、ゴンとソラからの伝聞であるというのを抜いてもほとんど理解できていない、理解しようがない「人外」である事ばかり思い知らされた。

 それでも、何もわかってなくてもこれだけはわかる。

 

 マーリンの眼中に入っているのはソラとゴンだけ。自分とビスケに対しては、何の興味も懐いていないことくらい、その理由も含めてわかっている。

 

 この「ハッピーエンド至上主義」にとって、ソラやゴンといった愚かで痛々しいぐらいにそこに……、「ハッピーエンド」に邁進する者がこの上なく好ましいのだろう。

 ビスケはともかく、自分のような慎重の皮を被った臆病者で卑怯者など、彼が好む「主人公の友達」か「主人公の弟分」というポジションだからこそ名前を憶えている程度で、奴のキルアに対して懐いている感情は「好きの反対は無関心」の典型。

 

 好き嫌い以前に、眼中にない。相手にしていない。どうでもいい。

 

 そう思われていることに関しては、キルアの方もどうでもいい。ムカつくと言えばムカつくが、キルアだってマーリンという生き物に興味はないのだから、お互い様のはずだった。

 

 だが、マーリンはその無関心さ故にキルアの逆鱗に触れた。

 

 自分に興味がない、眼中にないのは良い。

 自分がハッピーエンドメイカーになれるとは、おそらくこの世の誰よりもキルア自身が信用してないのだから、期待された方が困る。

 

 期待なんかされたくない。なれるとは思ってない。

 けれど、それでも例外があった。

 彼女の人生の終着点を「そこ」にしたい。彼女のあまりに残酷な運命を覆したい。傷ついた分だけではなく傷ついた以上の幸福を与えたい。

 他の誰かの、自分にとってのハッピーエンドメイカーになれなくても、彼女のハッピーエンドメイカーにはなってみせたかった。

 

 ソラにだけは、与えたかった。

 

「未来」を見ていない、「今」に耽溺していただけの愚かな子供だったから傷ついて傷つけて、今もハッピーエンドから酷く遠い事しかしていないのはわかっているけれど、その自己嫌悪で毎日死にたいぐらいだけれども……、この願いは、望みは、祈りは本当だから。

 

 だから、絶対に許せない。

 

 未だに捨てきれない未練、幼くて身勝手な独占欲による怒りである事は否定しない。

 けれどそれ以上に、そんな八つ当たりでしかない浅ましい怒りを塗りつぶすほどの激情が湧き上がる。

 

「ソラを救いたい」と言いながら、ソラが泣いて傷ついて、それでも「選んだ」と強がって笑って捨てたはずの「夢」の名残りを、捨てきれず大切に仕舞い込んで守っていた聖域を踏みにじった相手を許すことなど出来ない。

 

 それが何を意味していたかなど知らない。理解出来ない。する必要などない。

 それがソラの「救い」になる事だけは有り得ないのを知っているから、だから絶対に許さないだけで十分だった。

 

 練り上げていたオーラを爆発させる勢いで解き放つ。後先のことなど考えない。

 この時、自分の脳内に「勝てない敵とは戦うな」という兄の呪縛(こえ)が聞こえていたかどうかも、キルアは覚えていない。

 それぐらいに、ただ「許せない」という思いだけが思考も体も支配して動かした。

 

 ゴンとビスケが叫んだ自分の名前も聞こえない。自分が向かって来ても癇癪を起している子供を見るような笑みを浮かべていたマーリンだが、その余裕ぶりすら目に入らない。

 殺意とも言えない、ただただ許せなかったから視界から消してしまいたいという思いだけで距離を詰め、凶器と化したその爪を振るう……はずだった。

 

 鞭のように、その脚はしなって打ち据える。

 

『!?』

「ぐっ!!」

 

 わき腹に抉るようにエンジニアブーツの爪先がめり込み、さすがにマーリンも顔を苦痛に歪めて呻いてそのまま横手に吹っ飛ぶ。

 

 蹴りつけたのは、ソラだ。

 昏倒と言うにはあまりに安らかな、寝顔としか言いようがない顔を晒して後ろに倒れ込んでいたはずなのに、キルアがマーリンの間合いに入り込む前に、倒れ切る前に足を踏ん張り、後ろにのけぞったかなり無理のある体勢のまま、おそらく油断して無防備だったとはいえ体格のいい男を一撃で吹っ飛ばす蹴りに、思わずキルアも一瞬呆気に取られて足も止まる。

 

 そして、「許さない」一色に染まっていた思考が、幸か不幸かちょっと誰にもわからないが別の思考に染まって、そのまま怒りを抱えつつもキルアにまともな思考能力を取り戻すきっかけになってくれた。

 

 そのきっかけ、キルアの「許さない」さえも上書きで塗りつぶす「別の思考」は言った。

 のけぞった体勢を元に戻し、いかようにも動けるように構えながらキルアと同じくらい、ソラどころか異父弟さえも聞いたことがないのではと思えるほどに怒りに染まった声で、「彼」は叫んだ。

 

 

 

「……貴様! ソラ(マスター)に何をした!!」

 

 

 

 高い方であるが明らかな男の声と口調。右手の甲には星と月と太陽、空を輝かせるものの象った刺青らしき文様。

 そして、「死」を引きずり出すのではなく生きてきた軌跡を見透かすような冷厳と苛烈という対極が矛盾なく調和している蒼緋の眼。

 

「「カルナ!?」」

「え、誰!? っていうか、今どういう状況!?」

 

 ソラの姿、体でありながらソラではない事に気付いたゴンとキルアが思わず叫び、そしてビスケがさっきからずっと困惑しっぱなしで尋ねる。

 その疑問の声で、ビスケはカルナに関しては何も知らない事をゴンとキルアは思い出す。彼が出てきた数少ない機会であるヨークシンやオモカゲの一件については話してあるが、カルナに関してはソラが異世界出身である事を知っていても簡単に信じられる話ではない上、説明がこの上なく面倒くさかったから、カルナの事を抜いても通じる内容だったのもあって話していなかった。

 

 なのでビスケは自分の弟子の変貌にパニック気味だが、当然時間に余裕がある時でも説明が面倒くさかった話を、今ここでしてやる暇はない。

 ゴンとキルアは「味方だから大丈夫!」「後でしてやるよ!」とだけ言って、ひとまずビスケは放置してカルナに「お前に任せるしかないほどヤバいのか!?」と訊こうとした。

 

 が、どちらもその疑問を口に出すことは出来なかった。

 

「あいたたた……。『君』が出てくるのは想定内だけど、あの体勢からこの威力の蹴りはさすがに反則……」

「――今のオレに戯言を聞き流す余裕はない」

 

 蹴り飛ばされて花の中に埋もれていたマーリンがわき腹を押さえつつ、マントやローブに着いた花弁を払って立ち上がる。

 痛みでやや顔は引き攣っていたが、それでもやはり春風のような笑顔で同じく緊張感もなく和やか呑気に吐き出す言葉を最後まで言わせず、カルナは口の中にまだ残っていた花弁と一緒に言葉を吐き捨てた。

 

 マーリンの様子とは対極、つい先ほどまでのキルアと同じく「許さない」という怒りを露わに、冷厳そのものと思えた蒼い眼さえも焔のような滾る激情をかろうじて爆発させないように堪えながら、マーリンと対峙している。

 

 カルナの怒気に、ゴンとキルアはもちろん彼が何者かも全くわかっていないビスケでさえ、手出しはもちろん口出しすらしてはいけない事を本能で感じ取る。

 カルナ自身が余計な手出しをしたからとて、こちらに八つ当たりする相手ではない事をオモカゲの一件でゴンとキルアは理解しているが、今のカルナは業火そのもの。彼の意思など関係なく、ただ近づくだけでも火に炙られて傷つくように、彼が発する殺意や憎悪などない、ただただ純粋な怒気だけでもこの場にいる者の心は恐怖で折られかねない状態だ。

 

 不幸中の幸いは、ビスケどころかゴンやキルアもカルナがここまで相手に怒りを懐くことは、生前も含めて初めてと言ってもいいかもしれないほどに有り得ない事象であることを知らない事。

 

 カルナはヒソカやオモカゲでさえも、「ソラの敵」「ソラやその仲間を侮辱した者」として、好いてはいなかったし警戒していたが、カルナ個人としては相手に対して怒りはおろか嫌悪もしていない。

 好意的な感情は全くと言っていいほどないが、彼らの良く言えばどれほどの苦難の道でも諦めず、目的の為に邁進する精神性には純粋に敬意を懐いているほど、誰もを平等に見て評価する。

 

 カルナが「聖人」というにふさわしい人物であることはソラから聞かされていたしゴン達も納得していたが、どれほど醜悪な行いをした者であっても、例えその被害を自分が受けて、多くのものを失い奪われ、人としての尊厳を全て踏みにじられようとも、その相手を憎まず価値を認めて讃えるほどだとまでは知らなかった。

 

 知っていれば、それこそ彼の怒りの対象が自分ではないとわかっていても、生存本能が人としての誇りを全てへし折り、カルナだけではなくこの世全ての怒りという怒りにも過剰反応して恐れて立ち向かえなくなる、まさしく負け犬そのものの精神になっていただろう。

 

 しかし、それほどの怒りを真正面から向けられていながらもマーリンの微笑みは揺るがない。

 憤怒による灼熱の業火さえも春風のような笑みと声音で吹き散らす自信でもあるのか、それとも本心からカルナの怒りに気付いてさえもいないのか判別がつかない。

 どちらにせよ、彼は自分のしたことに対して罪悪感も迷いもないことだけは理解出来た。

 

 察しは最悪だとヒソカに爆笑されながら言われたが、同時に称賛されたスキルにまで昇華した洞察力、「貧者の見識」がそのことを見抜き、ただでさえ薄い表情が人形のように無機質な「無」に固まる。

 マーリンとは対照的に、無表情でありながら腸が煮えくり返るどころではない怒りの熱をその眼に宿しつつも、自分の怒りでソラの仲間である3人が畏縮しないようにかろうじて保つ理性で爆発しないように押さえつけながら、唸るように言った。

 

「……マーリン……だったか? ……もう一度、訊く。

 貴様はマスターに何をした? 何が目的だ? 一体何が目的でマスターを……ソラを『夢』の中に閉じ込めた!?」

「!? カルナ! どういう事だ!?」

 

 カルナの言葉に反応したのは、対峙しているマーリンではなくカルナの努力虚しく彼の怒気に畏縮してしまい行動どころか何も言えずにいたはずのキルアだった。

 縋るように、泣き声のような悲鳴のような声でカルナが言ったソラの現状に対して問いかける。

 

 マーリンは微笑んだまま沈黙を続け、カルナは振り返らず答えた。

 

「……オレはマスターの命令で出た訳でも、俺自身の意思でマスターの体を使わせてもらっている訳でもない。

 例えマスターの人格を食い潰す危険性があっても、今はオレがこの体を使わなければマスターは死ぬしかないから、出て来ざるを得なかっただけだ。

 マスターは肉体ではなく精神が奴の能力か何かで眠りにつかされ、奴が見せる『夢』が殻となって『夢』の中に閉じ込められた。

 おそらくはマスター自身に『夢』を見ている自覚はない。『夢』を現実だと認識させ、自分の精神という内側だけに意識が向くように閉じ込められた所為で、オレの呼びかけに反応どころかも認識できず、自力で目覚めることも出来ず、意識が内側に向き続けている所為で肉体に生命活動しろという命令すら取れずにいる……。

 

 今のマスターは植物人間どころか、オレが肉体の主導権を握っていないと、生命活動すら無自覚に停止する状態だ」

 

 自分の無力さを悔やむような声音でカルナが吐き捨てた答えに、キルア達3人は言葉を失った。

 しかしそれは一瞬。全員の思考はまともに働いていない。おそらく正確なソラの現状を理解出来ている訳でもない。

 

 それでも、カルナの事を全く知らないビスケでさえも、ソラの現状はマーリンの所為である事、マーリンの所為でソラは最も恐れて逃げ出して逃げ続けた場所に、一直線に突き落されたことだけは理解したからこそ、それぞれマーリンに向かってカルナに負けぬほどの憤怒を露わにした顔を向け、叫ぶ。

 

「このっっ、屑イケメン!! うちのバカ弟子に何した!?」

「殺す! てめぇだけは絶対に殺す!!」

 

 ビスケが相手を自分好みのイケメンだと認識した上でも許す気がない事を殺気で表し、キルアは再び爪を猫の爪のように使いやすく変質させたうえで、まだ実用段階に至っていない武器である特注ヨーヨーを取り出して構える。

 

 そしてゴンは、縋るようにもう一度だけ訊いた。

 

「何で!? マーリンさんが言ったのは嘘だったの!? ソラを幸せにしたいって、救いたいって言ったのは何だったの!?

 答えてよ! マーリンさん!!」

 

 未だ敬称が抜けない、わかりあえないと何度思い知らされてもそれでもこれだけは……、例えこちらが望んだ形ではなくても、望んでいる至りたい場所は同じだと信じているからこそ、ゴンはもう一度だけ縋り、尋ねる。

 

 その疑問に、マーリンは少し振り向いてゴンに顔を向けて答えた。

 

「もちろん、嘘じゃないさ。むしろどうしてそう思うんだい?」

 

 笑ってすらいなかった。心の底からゴンが何故、自分の行動理由を理解できていないのかが不思議そうな顔をしていた。

 まるで子供が羽根や体を捥いでもまだ動く虫を見るような、悪気がない代わりに罪悪感も皆無、どこまでも純粋に不思議そう、理解出来ないものを見る目だった。

 

「……貴様は本気か?」

 

 同じ印象をカルナも感じ取ったのだろう。彼の声音に怒りや非難だけはなく、これまた珍しいドン引きに近い、得体のしれない不気味さに対する困惑が見て取れた。

 しかしマーリンからしたらその確認の言葉も、カルナだけではなく怒り狂って今にもマーリンに向かってきそうだったキルア達すら引きに引いているのが心外なのか、やや不満そうに拗ねた子供のような表情で語る。

 

「そこまで私に説得力はない? 本気も本気だよ。

 というか、私からしたらカルナ。君の行動の方が理解出来ないよ」

「どういう意味だ?」

 

 やはり信じられない事にマーリンはカルナの問いに対して肯定で返し、挙句カルナの方を非難するように「理解出来ない」と言い切った。

 その発言にカルナは一瞬だけ不愉快そうに片眉を跳ね上げてから訊き返すと、やはりマーリンはゴンよりも幼い子供のように、空の青さの理由を尋ねるように、心の底から不思議そうな顔で事もなげに自分には理解出来ないカルナの行動理由を問う。

 

「カルナ。君は何故、ソラ君に全てを任せているんだい?」

 

 その問いだけなら、まだ理解出来た。

 奴が言い張る「ソラを救いに来た」という理由とその疑問はまだ、矛盾しない。カルナの実力と実はデメリットがさほどないことを知っていれば、そこを疑問に思うのは当然の反応だろう。

 

 だがその後に続いた問いは、マーリンと同じく純粋な人間とは言えないはずのカルナでさえも、相手と自分は絶対にわかりあえない、あまりに遠すぎる生き物だと思い知らされた。

 

「いや、今までならそれしかないから仕方ないって理解出来るけど、私は君が今、怒っているのが本当に理解出来ない。

 カルナ。君は何故、今()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 もはや、その問いに怒りを覚える者はいなかった。

 カルナは蒼緋の眼を「信じられない」と言わんばかりに見開いて、きょとんとした顔をしているマーリンを見つめ続け、キルアは重すぎて指では無理だから手首に嵌めたヨーヨーを花畑の中に落とし、かすれた声で訊き返す。

 

「……お前、何を言ってるんだ?」

 

 それしか出来なかった。頼むから挑発のつもりで言っていること、ソラを救いたいなど真っ赤な嘘であることをそろそろネタ晴らししてくれという思いで尋ねたが、キルアに視線を向けたマーリンは相変わらずきょとんとした顔のまま、どこまでも残酷な誠実さを見せる。

 

「? だって今が絶好のチャンスだろう? ……あぁ、君たちは彼女がどんな『夢』を見ているのかわかってないから、怒っているのか!」

 

 不思議そうな顔で訊き返してから、自分で答えを見つけて納得したのかマーリンは手を叩いて、花のように柔らかく幸せそうに、夢見るような微笑みを浮かべて彼は語る。

 夢魔としての特性を駆使して作り上げた、ソラを閉じ込めた(ゆめ)

 彼女が突き落された、深淵に溶けるまでの間に見せつける、幻影にすぎない走馬灯の内容を嬉々として語った。

 

「ソラ君は私が作った、彼女が望むであろう幸せな人生……、魔術師なんかじゃない普通の女の子で、大好きな姉とも死に別れていない、彼女が慕っていた魔術師たちとは友達のまま、そして『 』に落ちてここまで逃げ延びたのではなく、初めからこの世界の住人という設定の人生(ゆめ)を歩んでいるよ。

 もちろん、君たちとも出会うさ。君たちと出会って、君たちと苦難を乗り越えながら一緒に成長して、そして……恋をしてそれが実って、聖杯に望むほどでありながらそれほど普通なら叶わない願いだと思いたくなかった悲願を叶える……。

 

 彼女が見ている『夢』は、そんな有り得ないけどありふれた、山場もなければオチらしいオチもない、平坦だからこそ掛け替えのない幸福な『夢』だ」

 

 絶対的にあり得ない設定とそれによって生まれる大きな矛盾も飲み込んで、整合性などないのにそれに気付かず進む「夢」を語る。

 あまりに荒唐無稽だが、それは確かに彼女が、ソラが狂おしいほどに望んでいる「夢」そのものだろう。

 

 きっと夢だと気付いていたとしても見続けていたい、現実になど戻りたくなくなるほど、起こすくらいなら夢見たまま、それが現実だと信じて疑わない間に死なせてやるのが優しさ思えるほどに残酷で甘い夢。

 

「……あんた、何考えてるの? どこまでが本気なの? あんたは……あの子の『ファン』だって言っておきながら、それを本気であの子の……ソラの幸せって言う気!?」

 

 ビスケが問う。

 あらゆる意味で彼女が一番、現状の様々な事情をほとんど理解しておらず、その為「何がわからないのかすらわからない」状態で疑問を口にすることすら出来なかったが、これだけはわかる。

 

 マーリンがソラに見せているという夢は、確かにソラが望む夢だ。そこは善意で好意だというのは認めよう。

 だが、その夢を見せてやっている間に死なせろという言い分だけは認められない。例え、ビスケ自身がその言い分の方が正しく、幸せだと思っていても認める訳にはいかない。

 

 それを幸せだと思っているのはビスケであって、ソラ本人は絶対にそれを認めないから。

 ビスケには理解出来ない、見ていて痛々しくてやめてほしいものであっても、この現実で傷つき続けながら走り抜けて生き抜くことが幸せだとソラは言うから、そう言うことをビスケは知っているから、素直には認められなくてもソラが生きて生き抜いて幸せになって欲しいがビスケの本心だから、絶対にマーリンの言い分を認める訳にはいかない。

 

 だから今度こそ完全に相手がイケメンだとかそういうことは完全に頭から吹っ飛び、叫ぶ。

 問い返しているのではなく、「見当違いの迷惑なんだよボケッ!!」という意味合いでの言葉だったのだが、相手はどこまでも人間とは違う思考形態をしていることを思い知らされる。

 

 マーリンはビスケに視線を向け、微笑んだ。

 ゴン達の言葉に対しては心底不思議そうにしていたのに、ビスケの言葉は……ビスケが何に怒っているのかだけは理解出来たのか、彼は眩いものを見るように目を細めてビスケの言葉に応じる。

 

「……ビスケット、貴女は本当にソラ君の事をよく知っている。

 うん、その通り。こんな終わりで満足するのは、彼女のファン失格だ」

 

 まさかここで肯定されるとは思わず、ビスケは気勢が削がれて「え? あぁ、うん。わかればいいのよわかれば」と話を終わらせてようとしてしまい、キルアに「色ボケるな、ババア!!」とキレられたので具現化したバインダーを投擲して黙らせた。

 

 一瞬にしていつも通りすぎる空気になった事でマーリンは楽しげにくすくす笑い、ゴンはビスケとキルアの喧嘩を止めるべきか、マーリンの訳のわからない真意を問い詰めるべきか悩む。

 が、空気を読む機能がないとしか思えないカルナが、ビスケとキルアのやり取りを「楽しそうだな」と本心から思ってそのままスルーし、シリアス続行でマーリンに問う。

 

「……貴様はマスターがそのような終わりを望んでいないことくらいはわかっているのだな。ならばなおさら、何が目的なんだ?

 何故、マスターの生き様を気に入っていながら、マスターの生をここで終わらせようとする?」

 

 カルナの問いに、ビスケとキルアのやり取りを見て笑っていたマーリンが問い返す。

 

「君がそれを訊く?」

 

 冷ややかな、声だった。

 春風のようだった何もかもが一転して、寒波そのものになったかのように冷たく問い返す。

 

 花のような笑顔は、もうそこにはない。しかし、最初から変わらずそこに悪意や敵意といったものはない。

 人形のような無機質な無表情でも、カルナのような爆発しそうな感情を押さえつけているからこその無表情でもない。おそらくマーリンとしてはわかりやすく素直に自分の感情を露わにしているのだが、それがカルナやゴン達にはわからない、伝わらない。

 

 虫と向き合っても、表情なんてわからない。今、どんな感情を懐いて行動しているのかなんて予想もつかない。

 それぐらい、自分たちとこの生き物には隔たりがある事を思い知らせる、意思疎通不可能な無表情で彼はカルナと向き合ったままゴンに言った。

 

「……ゴン君。君は、『なくても見つける』と言ったね? その答えは素晴らしいよ。私が今まで生きてきた中で、一番好きな答えだと言ってもいい」

 

 まずは夢の中でゴンが言った、「ソラを救う具体的な方法は何かあるのか?」という問いに対しての答えを讃えた。

 それはマーリンにとって「好きな小説の名シーン」程度でしかなかったとしても、本心から称賛だった。

 

「……けど、君のあの答えは残念ながらソラ君に対しては不正解だ」

 

 本心から讃えていた。

 だが、その答えでは彼が見た「結果」を変えることが出来ない。

 だからマーリンは、自分が考えて作り上げた「結末」を変えようとは思わない。

 

 その理由を、冷ややかな無表情で振り返り今度こそゴンに、人間にも理解出来るようにわかりやすく、端的に教えてやる。

 

 

 

 

()()()()()

 君が一生をかけても、誰の力を借りても、この現実という世界に、ソラ君を救う術なんて存在してない。ないものは見つけられないんだ」

 

 

 

 あまりに残酷で、シンプルな答えを告げる。

 ゴンはその答えに、「勝手に決めつけるな!」とは言えなかった。

 マーリンが本心から称賛した「本能で生きている、良い勘」が、理屈を飛ばして答えを見つけてしまう。

 

 それは低い可能性に期待せず、「ない」と切り捨てている諦観ではない。

 彼のあまりに遠い、だからこそ全体を見渡すことが出来るその眼だからこそ見つけた答えであることを、「千里眼」が既にゴンが望み目指した「答え」を世界の果てまで探して、それでも見つける事が出来なかったからこその断言だと理解してしまい、ゴンの膝はその場に崩れ落ちた。

 

「ゴン!? てめぇ! 勝手なこと言ってんじゃねぇよ!!」

 

 ビスケにバインダーで殴られていたキルアがビスケを突き飛ばして、ゴンが言いたかったことを、気付かないでいたかったことに気付かないまま叫んで言い返す。

 だが、マーリンは冷ややかで遠い眼をキルアにも向けて告げる。

 

「ある意味ではキルア君、君にとっては喜ばしいかもね。

 キルア君。ソラ君が君に語った最も恐れる未来は、まずないと断言できる。あれは杞憂といってもい良い。

 ()()()()()()()()()()()

 

 花畑に落としたヨーヨーを拾い上げて再び手首に装着したキルアだが、その発言は無視できずに「……どういう意味だ?」と訊き返してしまった。

 

 その問いに、マーリンは答える。

 

 キルアでもゴンでもビスケでもなく、視線をカルナに……本心から「ハッピーエンド」を美しく思うからこそ、その生き様に魅せられて「ファン」となったはずなのに、彼女が逃げ出した深淵に突き落すしかなかった元凶であるその「体」を見据えて答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソラ君の未来なんて、保障されているのはせいぜいあと1年半。

 それ以降は十中八九、ガイアにもアラヤにも邪魔者扱いで殺されるだけだよ」







マーリンのキャラに自信がないから、感想などで「FGOなどでこんな感じだったから、ここはおかしい」などといったご指摘やアドバイスを頂けたら助かります。

が、前回の前書きでも書いたように「わかった上で変えてる」部分も多々あり、そしてその変えている理由はネタバレになる為、そこら辺の違いは気になられても修正・説明が出来ないのはご理解ください。


どうしても気になられる方は、活報の方に少しだけ私がどのようなイメージでマーリンを書いているかを語ってますので、そちらを一度見てもらえたら幸いです。
一応、本文中にもある情報の事しか書いてませんが、現段階では断言していない事を書いてますのでネタバレが本気で無理な方はご注意ください。

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