死にたくない私の悪あがき   作:淵深 真夜

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155:夢の終わり

「『彼女』……か……」

 

 カルナの言葉で思い出し、気付く。

 カルナが普段は眠っている所より、ソラの無垢心理領域よりもさらに深い、彼女自身があれほど行き着くことを望んでいた深淵の手前で、人としての、ただの姉としての夢を見続ける少女……式織 海の存在を思い出す。

 思い出して、歯噛みする。

 

 確かに彼女なら、カルナよりも頼りになる。

 ソラはカルナや宝石剣のように、自分の中にあると認識しているものしか使えない。姉が自分の心の奥底で亡霊として存在し続けている認識はあるが、その亡霊は自分の後悔による残影という認識だ。本物だと認識しない限り海はソラの体を使うことが出来ないからこそ、ソラが墜ちて行かないように受け止め続けることに集中することができる。

 

 そして海なら、マーリンがソラに見せている夢に干渉することが出来るはず。

 

 普段は彼女自身が妹の中に「本物」である自分がいることを気付かれたくないからこそ、例え干渉するチャンスがあったとしてもしないだろうが、現状は例外。

 妹自身が自分の所まで墜ちてきているのなら、このままならまたあの最果てに解けて消えてゆくしかないのなら、海はそれこそ一月前、オモカゲによって使われていた時以上の無理も無茶もして、マーリンによって閉じ込められたソラの夢の世界をこじ開けて割り込み、侵入してくるのは想像ついた。

 

 夢は集合無意識の表層。魔術師でなくとも、根源接続者でなくとも、普通の人間でも唯一根源の渦へと繋がるパスだが、それはあまりにか細く、同時にあまりに多くの人間へと繋がっているパスだからこそ、ソラの世界の魔術師達は夢を使って根源の渦の到達に挑戦する者は少ない。

 

 ただでさえいつ途切れるかわからない程に頼りなくてか細いというのに、あまりに多く枝分かれしている完全な迷路状態なので、そんなパスを使っても根源の渦にまではたどり着けず、他人の夢に干渉するのが関の山だとほとんどの魔術師が結論を出しているからだ。

 ……逆に言えば、他者の夢に干渉、介入することはマーリンのように夢魔という特殊な血統の持ち主でなくとも、手段はあるという事。

 

 特に魂だけの存在となって、介入したい夢を見ている者の精神に直接干渉できる位置に存在する彼女なら、下手すればソラ限定だが夢魔であるマーリン以上に干渉が可能だろう。

 

 カルナ以上に警戒しておくべきだった相手の存在を忘れていたことを悔やみながら、しかしマーリンは自分自身に言い聞かせる。

 

(……大丈夫だ。彼女が介入して干渉して来ようとも……、私が『あそこ』にいる限りは彼女も、そしてソラ君自身も手は出せない。

 海君が『魔術師』としてではなく、『姉』としてソラ君を助けようとしているのなら……、わかっていても彼女にはできない)

 

 海の存在を忘れていた。考慮していなかったが、それでも自分が警戒して行っていた対策は彼女にも有効だと自分に言い聞かせる。

 

 ソラへの対策のつもりだった。

 ソラなら矛盾を出来る限りなくした内容の夢でも、それでも夢の中で夢だと気付きかねないとマーリンは評価していた。

 そんな相手だからこそ、マーリンは彼女のファンになったのだから、矛盾だらけの優しくて楽しくて甘やかな都合のいい夢を見続けてくれるなんて初めから思っていない。

 

 そして、夢の中で夢だと気付かれたらマーリンの方が不利となる。

 そもそもマーリンに限らず夢魔という存在は、夢に介入・干渉して内容を操ることが出来るが、それでも夢は夢を見ている本人のもの。

 操られていることに気付いていないからこそ、夢魔は自由に、自在に、好き勝手に干渉していじくり回せるのであって、特に脳が起きているレム睡眠時に自分の存在に気付かれたら、それこそ主導権はあっさり奪い返されて、最悪は虫のように潰される。

 

 肉体こそは持つが、夢魔は精神生命体。現実世界で肉体を破壊されても他者の夢の中に逃げ込めば、肉体の回復・再生に時間はかかっても復活することができるが、夢の中で自身を破壊されてしまえばそれまでという夢魔の弱点は、人間との混血であるマーリンにも当てはまる。

 

 本来なら生命活動すら停止させる夢なので、ソラはノンレム睡眠になっているはずなのだが、カルナというイレギュラーが体を使って起きている為、カルナも眠らせない限りソラはノンレム睡眠にはなってくれないという、そもそもが実はマーリンにとってこの上なく不利な条件だった。

 

 だからこそ、用心して警戒して、対策を施した。

 ソラの夢に干渉する「本体」と言える自分自身の隠れ場所は、「絶対に見つからない」であろう場所ではなく、「見つかって手出しできない」所を選んだ。

 

 そこにいたら、ソラが最果てに、深淵に、根源の渦に、「 」に墜ちて溶けてきてゆく時に逃げ出せず巻き添えになる可能性が極めて高いのだが、マーリンにとってはそれで良かった。

 心中相手がソラなら悪くない。そうやって自分も死ねば、少しは彼女の周りの人たちも納得してくれるかもしれない。

 ……そんな考えは、酷い自己満足であることはわかっていた。

 

 けれどそれは全部今更。

 最初から自分がしていることは、全て自分の為の事。

 

 自分が見たくないものから眼を逸らす為、見たくないものから逃げ出すためにしていること。

 後悔だらけの、なのに後悔できない過去から逃げ出すためにしていること。

 

(全部……私の為のことだ。…………『お前』の為のことじゃ……ない)

 

 そう言い聞かせた。

 見たくないのに、脳裏に焼きついて離れない、憎たらしいくらいに楽し気に笑う「彼」と、その隣でこんな「今」が訪れる想像なんかしていなかった昔の自分にマーリンは言い聞かせる。

 

「彼」とともに、「彼」と同じように笑っていた自分に、言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「海。これはソラの夢なのか?」

「そうよ」

 

 クラピカの質問に海は即答する。

 

「ここはあなたの夢ではなく、ソラの夢。だけど今はその子の夢と言えない、その子を深淵に突き落すための牢獄と化しているわ」

「……どういう事だ?」

「いやあの、私が二人にどういう事かを訊きたいんですけど?

 え? もしかしてこのクラピカ本物? 私の夢に出張中なの? どういう事?」

 

 相変わらずの結論を真っ先に語る所為で逆に訳の分からない海の返答に、クラピカが「詳しく話せ」と促すが、クラピカに自傷の傷を押さえられているソラが未だ困惑しながら二人に尋ねる。

 ソラからしたらクラピカ以上に現状が理解不能の意味不明であることは想像つくが、訊かれた二人は一番の当事者を無視する。説明している時間が惜しいとか、ソラに理解させたら危険という配慮ではなく、ただ単にこの二人はあの潔くて唐突な自殺を怒っているからの無視である。

 

「夢魔の説明はいらないわよね? それに夢の主導権を奪われて、起きるどころか肉体の生命活動すら維持できないのよ。カルナがいなかったら、5分足らずで死んでたわね、そこの愚妹は」

 

 頭上に大量の?マークを飛ばして困惑している妹を無視して、海はかなり端折っているがソラの現状をクラピカに告げつつ、クルリと踊るようにその場で一度回った。

 

「主導権を奪われている?」

 

 海の説明にクラピカは想像以上にソラが危うい状態だという事に気付いて顔から血の気が引いたが、それでも彼は頭の中に冷静を維持しつつオウム返しで尋ねる。

 尋ねずにはいられない。どう見ても、今はソラの夢の主導権がその「夢魔」とやらに奪われている状態ではないからだ。

 

 ソラが自分の胸にナイフを突き刺そうとした時点からそうだ。

 ソラのそんな行動を止めようとしたのはクラピカと海だけ。他の登場人物は、ただ悲しげな顔で黙ってソラを見ていただけだった。

 

 夢魔の目的はクラピカにはサッパリわからないが、ソラを夢の中で自殺に追い込みたかった訳ではない事だけはわかる。

 その夢魔が作り出したこの夢の世界での「クラピカ」の役割に割り込み、得た記憶からしてむしろその夢魔はソラに対して好意的だと思えた。

 

 その記憶は矛盾だらけであまりに有り得ないものばかりだが、ソラだけではなくクラピカも心から「こうであってほしい」と願う、優しくて幸福な世界の記憶。

 どう考えてもソラを自殺に追い込むような世界ではない。むしろソラの行動があまりに唐突で、この世界のどの設定や過去よりもその行動が矛盾していた。

 

 そして、その矛盾によって元々あった綻びが広がっていったように、優しくて幸福な世界はもう破綻している。

 

 海が踊るように、何かを見せつけるようにクルリとターンして再びクラピカと向き合った時には、世界の上っ面が剥がれ落ちて真実を見せる。

 

 広くて他人の家なのにやけにくつろげたリビングは、逃げ出せぬように棘に覆われた枝が絡むように周りを覆う檻に。

 悲しげな顔でソラの自殺をただ眺めていた他の3人は、人の形をした草や蔦の塊に。

 そして海は、ソラよりも年下の少女の姿をしている。

 

 一体いつから、周りや海の姿がこのようになっていたのかはわからない。認識したのは海が唐突なターンをした直後だが、思い返すと初めから海はソラの姉なのにソラより年下の、享年通りの姿をしていたような気がするし、ゴンやキルア、レオリオだと思っていた人物たちも初めからただの草の塊だったような気もしてくる。

 

 何にせよ、自分たちの認識が狂わされていたことは間違いない。

 しかしその認識が正されたという事は、もう夢の主導権は夢魔のものではないはず。

 

 なのに、ここは牢獄のまま。

 優しい世界という書き割りだけが崩壊して、ソラを閉じ込める牢獄そのものは健在である事がクラピカには解せなかった。

 

「話が早くて助かるわ。

 あなたの思っている通り、夢の主導権はもうすでに半分以上を取り戻してる。というか、最初からその愚妹はこれが夢であることを認識してたから、いつだって夢魔に好き勝手にいじくられる夢から、自分の自由に出来る明晰夢に切り替えられたわよ」

「ねぇ待って、全然明晰夢になってないんだけど!? 私の意思関係なく、二人とも勝手に動きすぎじゃない!? もう夢の主導権より話の主導権を私に頂戴!!」

「クラピカ。そこの愚妹を黙らせて」

 

 クラピカがあの端折りに端折った説明で完全に理解していることを、無表情だが本心から感心しているように言って海は話を進める。が、妹が邪魔だった。

 ソラは別に悪くない、空気を読めと言うのなら説明してやるべきなのは二人ともわかっているのだが、まだ怒っている二人はやっぱり当事者の意見というか切実な懇願を無視して、海は妹を見もせずクラピカに命じて、クラピカも「わかった」と即座に了承してソラの口も手で塞ぐ。

 

「なら何故、ここは牢獄のままなのだ? まさかこのバカ本人が閉じ込められることを望んでいる訳でもないはずだろう?」

 

 モガモガとクラピカの掌の中でまだ足掻いて抗議しようとするソラを無視してクラピカが尋ねると、海の無表情が崩れる。

 眉間にしわが寄った程度なのだが、この上なく整った顔立ちだからこそ、その怒りの迫力は14歳ほどの少女とは思えぬほどすさまじい。

 

 クラピカだけではなく妹も一瞬、その迫力で慄かせてから海は吐き捨てるように言った。

 

「言ったでしょ? 取り戻しているのは半分以上で、完全ではないの。一番肝心な部分の主導権は取り戻せていない。それは、この夢の中にいる夢魔の本体を見つけない限り、取り戻せないものなのよ」

 

 その発言で一瞬本気でビビったクラピカだが、海がわざわざ自分を連れてきた理由を察した。

 

「私の能力で、それがどこにいるかを探せと言うことか?」

 

 その察した理由を口にして、クラピカはもう血が止まっているのを確認してからソラの首から傷を押えていた右手を離して、海に具現化した鎖を見せる。

 薬指の鎖。攻撃力は皆無に等しいが一番応用力のある鎖、「導く薬指の鎖(ダウジングチェーン)」を垂らして見せたのだが、海は眉間のしわをほどいて即答する。

 

「違うわよ。というか、居場所なら私もその子も初めから気づいているわ」

「なぜ私を呼んだ!?」

 

 まさかの即座に否定されて思わず素でクラピカは突っ込んだ。本当にこの姉妹は、いつでもどこでも斜め上である。

 

 しかし斜め上ではあるが、この姉妹はわざわざ他人を巻き込んでまで無意味なことはしない。

 意味はある。クラピカを呼んだ意味は、クラピカでなくてはならない意味はある。

 気づいていても、ソラでも海でもできなかったことを出来るのは、クラピカしかいないから呼んだのだ。

 

「そこよ」

 

 海はクラピカの突っ込み兼本気で知りたい疑問を無視して指をさす。

 いや、無視している訳ではない。それは十分に答えだった。

 

「人外のくせに人間に焦がれ、人間に夢を見た、誰よりも優しくて残酷で身勝手で献身的な夢魔(きせいちゅう)は、そこにいるわ」

 

 海が指示した方向にクラピカはゆっくりと首を動かして向けて、確かめる。

 それが嘘であることを願いながら、けれど海の指の直線上にはあるのは……いるのは……一人。

 

 口を塞いでいたクラピカの手が離れる。

 ソラがナイフで突き刺そうとした箇所、自分が血を止める為に押さえ続けている箇所に自然と視線が向いた。

 

 それは胸と首の中間。深く刺せば確かに致命的だろうが、心臓からも頸動脈からも遠いので適切な処置をすれば十分に助かるだろう箇所。

 それでもクラピカは、半狂乱になってナイフを奪って捨てた。今でも、夢だとわかっていても怖くてたまらない。

 

 自分には見えないから。けれど、そこに何があるかを知っている。

「あれ」は自分の夢だったけれど、それでも現実で触れた時、彼女は怯えるように一瞬体を震わせたから。

 だからそこにあると確信している。

 

 ソラがナイフを突き刺そうとした箇所。鎖骨のやや下あたりの位置。

 そこは……そこにあるのは――――

 

 塞がれていた口の口角を少し上げて、ソラは困ったように笑った。

 

 笑って、言った。

 

 

 

 

 

「……うん。

 マーリン(あいつ)は『死点(ここ)』にいる。私の中に。私が夢の中(ここ)で死ななくちゃ掴みだすことが出来ないところに潜んでる」

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「……どうして…………」

 

 大丈夫だと自分に言い聞かす。

 自分の本体の潜伏場所は、気づかれていたとしても手出しは出来ない。

 ソラでは、そして彼女を「材料」ではなく「妹」として想う海にはそれしか方法がないとわかっていても手は出せない。

 

 ソラ自身の「死点」に潜む自分に、手出しは出来ない。

 

 そう何度も何度も言い聞かせているのに、恐れて迷っている。

 だから訊かずにはいられない。

 

「どうして……何で……何で君たちは諦めない!!」

 

 ソラが落ちてゆかないように抱えて支え、目覚めることを期待して呼びかけ続ける必要がなくなったカルナは、アヴァロンに囚われて動けないマーリンに向かって攻撃を仕掛ける。

 彼もアヴァロンのルールに囚われているはずだろうが、ソラと同じくらい自分の犯した罪から逃げずに全てを受け止め続ける精神力は、甘い誘惑の睡魔など気力で押し殺し、振り払う。

 

 獣のように荒々しいが演武の様に流麗に乱舞する拳と蹴りを、マーリンは杖と操る植物でかろうじて受け止め、受け流し続ける。

 いくら見た目に合わない武道派といえど、マーリンの本業は魔術師。頭脳労働で後方支援や搦め手が専門かつ得意分野の彼にはさすがに、骨の髄から血の一滴に至るまで戦いに全てをかけた正真正銘の戦士であるカルナと正面からやりあうのは分が悪かった。

 

 しかしマーリン自身も自分の分の悪さになど気づいていない。そんなものは眼中にない。

 彼は駄々をこねる子供のように、一人きりでどこかに置き去りにされた子供のように、……「置いてかないで」と言っているように、彼は自分とは違う選択を離さない者たちに尋ねる。

 

「例え過程がどんなに幸福でも、その結果が絶望ならばその幸福な過程すら後悔に変わってしまうじゃないか!

 出会ったことを後悔していないからこそ、したくないからこそ結果が悲劇だとわかっているのなら、終わりを早めても少しでもマシなものにして何が悪い!?

 何で……どうして君たちはまだ足掻くんだ!? 今、この足掻きだって悲劇の前座にしかならないというのに!!」

 

 どうして、悲劇が訪れると知っても、結末は悲劇にしかならないと教えても、自分と違って迷っていないのか。恐れていないのかを問う。

 

 相変わらず、彼自身は心の底からソラたちのことを案じている。ソラを殺したいわけではない、ソラを死なせて悲しませたいわけではない。むしろ自分たちの悲しみも絶望も少しでも軽くしたいからこそ、自分たちと同じくらいに足掻いている。誰かの悲しみや絶望に歪んだ愉悦を抱けるような感性は、彼にはない。

 それは、それだけは事実であることに疑いようはない。

 けれど、どこまでもその思いは他者を純粋に思っていながらも身勝手なものだった。

 

「……勝手に悲劇だと決めつけるな! 貴様にはそうとしか見えずとも、その人生を歩むのはマスター自身だ!

 マスターは、マスターの人生は貴様の暇つぶしで読み進められる物語ではない!!」

 

 マーリンの問いは、一蹴される。

 言葉通り、盾にした彼の杖ごとカルナは蹴り飛ばした。

 

 遠距離の攻撃手段がある彼に対して、せっかくマーリン自身が動けない状態だったのに蹴り飛ばして距離を作るのは悪手であることくらい、カルナは理解している。

 それでも彼はマーリンを殺すのはもちろん、もう口もきけないほど殴りつける事よりも優先しなくてはならない事があった。

 

 カルナがオジギソウの軍勢に目を向ける。

 棘だらけの茎に躊躇なく触れて掴んで、ゴンはそれを毟り取ろうとして足掻いている。

オジギソウの葉からはみ出ているキルアの腕はもう動いていない。苦痛を訴えていたうめき声も聞こえない。

 

 それでも、ゴンはその腕に向かって語りかけ続ける。

 

「……キルア……待ってて……。今……助けるから……」

 

 震える声が、もうキルアはこのオジギソウの繭の中で絶望の結末が訪れている可能性くらい、ちゃんと想像がついている事を表している。

 それでも彼は、諦めていない。まだ助かる。絶対に助かる。絶対に助けるという強い意思が、罪の重さで閉じかけた瞼の奥の瞳の中で輝き続けている。

 

 オジギソウがゴンに攻撃しないのは、攻撃条件の「刺激」に値しないほどゴンの足掻きが弱々しいからというより、その輝きに臆しているように見えた。

 

 それが事実であることを証明するように、カルナは叫んだ。

 

「キルア! しっかりしろ! 思い出せ、レイザー達の言葉を!!

 こいつは幻術使いであって、植物使いじゃない!! お前の今、受けている苦痛は幻だ!!」

 

 その言葉に、ゴンがハッとしたように顔を上げる。

 ゴンの顔が上がると同時に、動いた。

 

 繭のように包まれたオジギソウの葉からはみ出ていたキルアの腕が、動く。

 痙攣のような動きではなく、しっかりとした意思のある動き。肘を曲げて自分を包む肉厚な葉を、ナイフのような爪で突き刺してそのまま毟り取った。

 

 内側からも蹴りつけ、殴っているのかボコボコと繭のような葉と茎が絡んだ塊が蠢くように形を変えたかと思ったら、内側から食い破るように弾けて子供の足が、キルアの足が出てきた。

 そこからはみ出ていた腕と内側の腕を使って、残った葉や茎を毟って破り取り、ごろりと転がるように出てきたのは、全身に噛まれたような傷と棘が体中にいくつも刺さったキルアだった。

 

 しかしその傷は、キルアが不機嫌そうに鼻を鳴らして拳で血を拭い取ると、血と一緒に拭われたように消えてゆく。

 

「あー、くそっ! そうだよな。この花畑もこいつが作りだした世界であって、ガチで植物を生やしてる訳じゃねーんだから、幻に決まってるんだよな! くそっ!!」

「キルア! キルア!!」

 

 カルナの指摘で、自分の痛みは幻だと認識したキルアが復活したのを見てゴンは泣きながらキルアに抱き着き、無事を喜ぶ。

 ゴンの方も自分で眠気覚ましに殴った額の傷は本物だが、カルナやキルアを開放しようと足掻いて出来た手の傷は全て血の跡すら残さずに消えている。

 

 イルミの針のおかげと言うかは微妙だが、「早い者勝ち」の操作系に操作されているキルアは実は元から、マーリンレベルの操作系でも完全に操作は出来なかったからこそ、カルナの指摘で簡単に暗示による幻痛から解放された。

 そして良くも悪くも素直なゴンも、キルアが無事なのを見て幻であるということを理解したというより、単純にキルアの無事を知って痛みを忘れたからか彼も幻痛から解放される。

 

「……いい性格してるよ。確かに私は主に幻術を使うけど、本物の植物も操れることくらいわかってるだろうに幻術だって言い切るとはね」

 

 カルナに蹴り飛ばされたマーリンは、緩慢な動作で起き上がりながら不満げに言った。

 マーリンの言う通り、彼の操作系としての能力は幻術に主に使われているが、本物の植物操作も普通に出来る。

 実際にカルナを拘束していた、魔力(オーラ)を吸い取る植物は本物だった。カルナ相手では、幻術は見破られるとわかっていたから本物を使ったのだろう。

 

 カルナの発言はかなり一か八かの賭けと思われた。

 だが、カルナはマーリンの指摘に気まずそうな様子を見せず、むしろ少し不思議そうな顔をして言い返す。

 

「本物を操れたとしても、貴様は使わないだろう? マスターの為に足掻く彼らに対して本気でシャレにならない怪我を負わせるような真似はしない」

 

 ここまで来て、マーリンに対して全幅の信頼を寄せる発言にマーリンは不愉快そうに顔を少し歪めた。

 そう思われていることを嫌がった、不快だったと言うより、カルナの言葉が正解であることに指摘されて気づいた自分自身が不快と言わんばかりの顔だった。

 

「……そうだね。……『僕』は君たちを殺せない」

 

 カルナの言葉を肯定する。

 それでも、マーリンは自分が選んだ選択肢を、未来を譲らない。

 

「けど、ここから逃げ出すことくらいは……出来るよ」

 

 カルナに折られた杖を投げ捨て、指先で空中に文字を書くように動かして再び彼は口にする。

 

「星の内海……物見の(うてな)……」

「!? また!?」

「二重に掛けて無理やり眠らせる気か!?」

 

 自分自身を含めて罪人の自由を奪う檻である楽園、「アヴァロン」を築く為の詠唱を再び口にしてゴンとキルアが反応するが、マーリンが指先で描く文字が更に効果を強化しているのか、呪文が完成していないのに二人は抗いがたい睡魔に襲われてその場に膝をつく。

 

 カルナは何とか踏みとどまったが、それでもソラの体を傷つけぬままこの睡魔に抗う事は限界なのか、唇を噛みしめながらマーリンを睨み、彼はウエストポーチを乱暴に開いてその中身を無造作に掴めるだけ掴んで投げつけ、命じる。

 

「爆ぜろ!!」

 

 それはソラの武器である宝石。

 使い方がシンプル極まりないものなので、カルナも把握していたしとっさに扱えた。

 

 基本は発動キーワードを口にするだけだからこそ、本来ならソラ自身が他者でも使えるように調節していない限りそれらはソラ以外には扱えないもののはずだが、人格こそはカルナでも体とその体が生み出す魔力はソラのもの。

 特に「魔力放出(炎)」のスキルを持つカルナなら、炎系の魔術が宿った宝石とは相性が良い。

 

 しかし、武道派なマーリンでも本職本物の武道派であるカルナとの近接戦が不利だったように、今度はカルナの方が不利だった。

 

「楽園の端から君に聞かせよう。祝福はここに満ちていると」

 

 マーリンは詠唱を続けたまま薙ぎ払うような動作で手を振るうと、辺りに花びらが舞ってその花びらがカルナの投げつけた宝石を幾重にも包む。

 種類を考えずに掴んで投げたので、「爆ぜろ」というワードでは発動しない宝石やブラフの為のイミテーションはそのままマーリンにぶつかることすら出来ず、幾重にも花びらに包まれた所為で小さなバラの花のようになって地面に落ちる。

 

 カルナの発動キーワードに反応した宝石は、カルナが命じた通り弾けるような爆発を見せるが、包み込んだ花弁はカルナの魔力を吸い取っていたものと同じ効果があるのか、爆発の威力はかんしゃく玉レベルにまでガタ落ちしてしまっていた。

 

 音でゴンやキルアの睡魔を少しは退ける事は出来たが、それだけだ。その程度ではまだ、彼らは動くことすらままならない。

 カルナもマーリンの詠唱の邪魔をするには直接叩くしかないが、キルアとゴンを幻影から解放するために取った距離のせいでそれも適わない。

 

 なのに……それなのに、彼らの眼はまだ絶望しない。

 子供二人は諦めないという強い意思の光で輝かせて、地に倒れ伏そうとする体を無理やり起き上がらせようと足掻いている。

 そして最後の足掻きも無情に無効化されたというのに、カルナは――――笑っていた。

 

 笑って、言った。

 

「本当にマスターは果報者だ」

「…………罪なき者だけ――っ!?」

 

 カルナがそう言うと同時に、マーリンの口は後ろから塞がれた。

 嫋やかな繊手が背後から伸び、回り込むようにしてマーリンの口を右手で塞ぎ、彼の両腕も左腕一本で無理やり動きを封じる。しかも掌の中で詠唱できぬように、指をまとめて三本ほど口内に突っ込まれた。

 後ろから抱きつかれる感触は、こんな状況ではなければ実に魅力的なほど柔らかい。感触と腕や指の細さからして明らかに女性が自分の背後に抱き着き、口を塞いでいることに一瞬パニックを起こしながら少しだけ振り返って、相手を見た。

 

 金髪のストレートヘアで吊り眼の美人が、いかにもな営業スマイルで笑っていた。嫋やかかつ肉感的な体からは信じられないほどの力でマーリンに抱き着いて拘束しながら。

 マーリンが女性相手でありながら噛み千切る勢いで、詠唱を防ぐために口の中に突っ込んでいる指に噛みつくが、その笑顔は揺るがない。それどころか口内に血の味すらしない事が、この女性の正体を現している。

 

 直接的な面識はない。だが、千里眼を保有してプライバシーという概念などないも同然なマーリンは知っている。彼女が誰であるか。

 知っていたのに、海の存在以上に予想外だった。だって彼女の「使い道」は、こんなものじゃない。こんなことには使わないし、そもそも邪魔できぬように眠らせたはずなのに……。

 

「……よく……やったわ……クッキィちゃん……。そのまま……そいつを離すな!!」

 

 眠らせたはずの相手が、自分を拘束する「念能力で具現化した人間」の主が途切れ途切れに自分の念能力に命じる。

 途切れ途切れの言葉は睡魔の所為か、それともその睡魔に抗うために千切れる寸前まで自分の舌を噛んだ所為か。

 

 どちらにしろ、ビスケは花に埋もれるように倒れたまま、半分以上閉じた瞼で、それでも開いている隙間からマーリンを睨み付けて凄絶に笑う。

 

 どの時点で起きていたのかはわからないが、おそらくは最初から眠りそうになっても舌を噛んで睡魔を退け、ゴンとキルアには悪いが機を窺っていたのだろう。

 どんなに痛みを与えても追い払い切れない睡魔に襲われている自分を使うのではなく、本来なら自分の美容と他者の回復用であるはずの念能力「魔法美容師(マジカルエステ)」の、実は人間の姿に具現化する必要性はあまりない念人形(エステシャン)である「クッキィちゃん」を使って奇襲を掛けた。

 

 ビスケを眠らせて戦力外にしたと思っていたし、そもそもビスケ固有の念能力は戦闘向けではない事を知っていた、何よりゴン達に気を取られて実力はともかく精神的な余裕など完全に失っていたマーリンにとって、“陰”で近づいていたクッキィちゃんは完全に想定の範囲外な存在だった。

 

 具現化系と相性が良い変化系のビスケは、普段なら美容や疲労回復のためのマッサージオイルに変換する分のオーラを全てクッキィちゃん自身の強化に当て、マーリンを拘束し続ける。

 さすがに人間とは比べ物にならぬほどのオーラを持つマーリンでも、短時間に広範囲の異空間作成や幻術の多用でだいぶオーラは消耗されているのと、オーラを扱うために一番重要な精神がズタボロな所為で、真の姿のビスケ並に筋力強化されたクッキィちゃんは簡単には振りほどけない。

 

(やられた! あの宝石の投げ付けは、この為のブラフか!!)

 

 カルナの笑みとセリフから、彼はビスケの思惑、クッキィちゃんの存在に気付いていた事に気付いたマーリンが、拘束から逃れようともがきながらカルナに視線をやる。

 そこで彼は、まだ自分が間違っていた。想定が甘すぎたことを知る。

 

「……マーリン。もうそろそろ終わりにするぞ。貴様を逃がしはしない。……だからいい加減、目を開けて見ろ。

 ここは……閉ざされた楽園などではない。貴様はどこにだって行ける、まだ何も終わっていないことを、幸福が満ちているのはここではなく世界(そと)である事を知れ」

 

 逃がさないと宣言しながら、「どこにだって行ける」とカルナは告げて何かを天高く投げた。

 それは赤い宝石。おそらく、炎系の魔術が込められたソラの宝石。

 

 投げつけた宝石に、更に魔力を注ぐ為に天へと腕をかざすカルナを見て、彼は何をするつもりか理解したマーリンは今度こそクッキィちゃんの指を噛み千切り、自身のオーラを筋力強化に当ててクッキィちゃんを引きはがしにかかる。

 だがマーリンが彼女を完全に引きはがす前に、カルナが指示を出す。

 

「ビスケット! 能力を解除しろ!! そして3人とも、自分の身を守る事だけに集中してくれ! お前達を巻き添えにしないように気を遣う余裕はない!!」

「!? お前何する気だ!?」

 

 不穏すぎるカルナの指示にキルアは突っ込みつつ、展開が怒涛の勢い過ぎてポカンとしているゴンの頭を押さえて彼はその場に伏せてオーラを増幅させる。

 ビスケも「は!?」と困惑の声を上げつつも、もう既にクッキィちゃんは引きはがされかかっているのでこれ以上の拘束は無理だと判断し、素直に彼女を消してその分のオーラを自分に回す。

 

 唯一、カルナが何をやらかす気なのかを察しているマーリンはこの場から逃げ出そうとするが、彼固有の能力や系統に合っていない空間転移も可能な能力者といえど、やはり得意分野とは言えない能力はとっさの一瞬では発動しない。乱れに乱れきっている精神ではなおの事。

 

「頭上注意だ、悪く思え」

 

 傍から聞けば煽りにしか聞こえないが、彼からしたら敵にすら必要以上に痛めつけたくないからこその真摯な注意を口にして、掲げていた手を勢いよく下ろす。

 その手の動きに従うように、「それ」は澄み切った偽りの青空から、その青空を、マーリンが作り上げた楽園を焼き払いながら落ちてきた。

 

 それは元々炎の属性効果が宿った宝石に、更に自分のスキルを使って上掛けすることで疑似的に再現したもの。

 本来の威力の1/10どころか1/100に達しているかどうかも怪しいものだが、実は崩壊寸前だったマーリンの心そのものであるこの空間を、アヴァロンを破るには十分すぎた。

 

 

 

「我が身を呪え……『梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)』!!」

 

 

 

 それはカルナが持つ宝具の一つの疑似顕現。

 彼がバラモンのパラシュラーマから授けられた、弓術の奥義である「ブラフマーストラ」に彼自身の属性である炎熱を付加したもの。

 ソラが消耗する魔力(オーラ)を少しでも節約するために、魔力が充填されていた宝石を使ったことと、マーリンだけではなくあたりの空間そのものも破壊するために、攻撃範囲が広いこちらを使用したのであって、別にカルナはさすがにこの状況で目からビームにしか見えない「梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)」を使うのはどうよ? と空気を読んだわけではない。

 

 なんにせよその判断は、効果的にも絵面的にも正解だった。

 小指の爪ほどの大きさだった宝石は、レイザーが撃ち出していたオーラ球並の火球となって隕石のように、楽園そのものを焼き払いながらマーリンに向かって墜ちてきた。

 

「くっ!!」

 

 苦手分野の空間転移で間に合わず黒焦げより、得意分野で身を守る事を選んだマーリンは辺りの植物を急激成長させることで壁を作って業火の直撃は防ぐが、かろうじて形を保っていた炭化した植物の壁は一撃で破壊され、壁の所為で視界が塞がれていたマーリンは全く威力が殺されていないそのオーラ球のほぼ直撃を喰らって吹っ飛ぶ。

 

「かはっ!」

 

 血が混じった咳が口から出てくる。腹に直撃してアバラが何本か折れるどころか砕ける音を聞きながら、彼からしたらかなり訳の分からない状況だっただろうに、一瞬の躊躇もない攻撃に本心から感心を懐く。が、同時にそこまで自分は嫌われていた事に少し苦笑を零してマーリンはレイザーを見た。

 

 初めのアヴァロンではない空間に隔離した時点では、ゴン達に掛けたG・M専用の情報共有の為のカメラのような効果の呪文(スペル)で、何が起こっているかを把握してG・Mの誰がいつでも最適最善の行動が取れるように準備していたが、キレたマーリンがアヴァロンを使った事で呪文(スペル)の効果も断絶させられていた。

 あっさりと自分たちの相互協力(ジョイント)型の能力を無効化されたことで、何人がかりで何年かけても結局化け物には敵わない事を思い知らされた。

 

 それでも、G・Mたちは諦めなかった。

 あの異界に閉じ込められた彼らが諦めていないから、だからこそ自分たちの意志でそこに向かったこと、あの化け物に立ち向かった事を知っていたから、またしてもレイザーが他のG・Mの協力ウを得て自信を強化し、アヴァロンを破る為に奮闘していた。

 

 最初のアヴァロンとは違って、何発オーラ球をぶつけてもびくともしない空間に、無様な程何度も何度もぶつけ続けた。

 最初のアヴァロンを破れたのは、やはりマーリンは全然本気ではなかった。恩情に近いものだったことを思い知りながら、それでも諦めなかった。

 

 外側以上の強度を誇るはずのアヴァロンを、内側から破壊したカルナに対しても驚愕だけではなく嫉妬を確かに抱いた。

 しかしそれは、自分が今までしてきたことを、自分の過程を無意味だと判じて結果を捨てる理由にはならない。

 むしろ自分の過程を否定したくなかったからこそ、レイザーは突如破られたアヴァロンに動じながらも、行動に移していた。

 

 もう逃がさないという意思と、今までの恨みも正直言うと込めてぶち込んだ。

 

 恨みも籠っていることを知りながらも、レイザーの細い目に隠された瞳には復讐だの仕返しだのと言った暗い愉悦は存在していない。

 彼はいつも笑っているような目を、本物の笑みで細めている。マーリンに自分の攻撃が、遊びでわざと避けなかったではなく、正真正銘の直撃を喰らったことに対して、子供のように、相手が傷ついたことではなくまるでドッジボールで初めてアウトを取った子供のように、彼は笑っていた。

 

 その笑顔の眩さに、マーリンはまた見たくない「誰か」の面影を見る。

 

(……あぁ。もう僕はここにはいられないな)

 

 初めからわかっていたが、その笑みがトドメとなってマーリンは逃げ出す。

 レイザーから、ゴンやキルア、ビスケから、ここから、カルナの言葉から、まだ何も終わっていないという事実から逃げ出しているくせにどこにも行っていない、ただその場で目を閉ざして耳を塞いで何もかもを遮断し続けるために彼は逃げ込む。

 

 自分の本体を宿した、わかっていても決して触れらない、だからこそここまで行き着いた最も卑怯な逃げ場に逃げ込もうと、そのまま目を閉ざす。

 

 しかしその目はすぐに、見開いた。

 

 

 

 

 

「――――逃がさねぇよ」

 

 

 

 

 

 少女にも少年にも聞こえる声音の宣言に反応して。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「ここ……に……?」

 

 海が指さし、ソラがナイフで突き刺したはずの位置、首と胸の中間、鎖骨のやや下あたりの位置を凝視してクラピカは絞り出すような声で呟いた。

 同時に、ソラを夢の中に閉じ込めていると知らされていながら、その夢があまりに優しい夢だったのでどうしても負の感情を懐けずにいた元凶に対して、憎悪が膨れ上がる。

 

 今までの好意的な感情が消え去る程、あまりに卑劣な隠れ場所だった。

 

「……その子の『死点』はあくまで体のものよ。もちろん、この夢の中でこの子自身を殺す尽くす線や点もあるけど、その『点』は間違いなく偽物。別に突いても死にはしないわ。

 ……理屈ではそんな風に割り切れるけど、だからといって潔く貫ける訳がない事をそこの夢魔はよく知ってるのよ。現にさっきもナイフを刺した位置も、正確には『点』じゃないでしょう?」

 

 呟いてから固まってしまったクラピカに、海は淡々と話を続けてソラに尋ねる。

 ソラは未だに現状をよくわかっていないので困惑を継続中だが、クラピカが「『そこ』にナイフを刺して本当に大丈夫なのか?」と訊きたいのに、答えを聞くのが怖すぎて訊けないといわんばかりの顔をしているからか、いつものように晴れ晴れしく笑って答えた。

 

「あー、うん。クラピカ、心配しないで、これが本物の『点』でも大丈夫だから。刺してない刺してない。そこから少しずれた所を刺して、そっからこの『点』の部分の肉を抉れないかなーと思ってやったことだから」

 

 しかし笑いながら本人的にはクラピカの心配を取り除くためのフォローのつもりで、凄まじいことをやろうとしていた告白を聞かされて、思わず不安や夢魔に対する憎悪や怒りが吹っ飛んで「お前はなんでそう、思い切りが良すぎるんだ!?」とクラピカは突っ込みかけるが、彼の突っ込みより姉のローリングソバットがソラの頭に決まるのが早かった。

 

「ぎゃん!」

「!? ソラ!? 海! 何を!!」

「この愚妹が夢魔に夢を見せられてから何度同じ事して、失敗して痛みに耐えきれず夢の中で気絶して夢が初めからリセットを繰り返してるか知りたい?

 私が何度、『点』を貫かずに夢魔を引きずり出せるかを試すために、この子が首を掻っ切るのとかを見てきたか知りたい? この子、勢いよく切る割りに死にたくないから頸動脈はどうしても避けてしまって、首を躊躇い傷だらけにするのよ。それを何度、あなたが眠るまで私が見てきたか教えてあげましょうか?」

「……すまない。どうぞ続けてくれ」

「ちょっとクラピカ!! 許可出すな! 私だって好きでやってるんじゃない!!」

 

 いきなり自分を飛び越えて、妹の頭にソバットを決めて吹っ飛ばした姉にクラピカが抗議の声を上げるが、海は先ほど以上に深い眉間の皺を刻んで、クラピカを呼び出すまでの自分が見てきた地獄を語り、思わずクラピカは全力で海の方に同情してそのまま八つ当たり続行の許可を出し、ソラに突っ込まれた。

 

「うるさい。好きでやってるんじゃないのなら、さっさとその寄生虫を偽物の死点ごと自力で吐きだしなさい」

「痛い痛い痛い! 出来るならやってるわアホ姉!! 夢なんて現実の記憶を整理するためのものなんだから、明晰夢になれば逆に現実離れしたことが出来なくなるんだよ!! つーか、んなこと言うならお前が何とかしろよ!!」

 

 しかしソラの突っ込みと抗議は海が一蹴し、自分が蹴り飛ばした頭にアイアンクローをかましながら無茶ぶりを吹っかけ、ソラは姉の手を引きはがそうと足掻きながらさらにぎゃんぎゃんと喚いて抗議する。

 相変わらずの喧嘩するほど何とかな姉妹に、クラピカは「もう好きにやってくれ」と脱力した体に任せてそのままふて寝したい気分になるが、この姉妹のテンションほど事態は甘くない事はわかっているので、何とか抜けた気を入れ直す。

 

 海の言う通り、夢の主導権をほとんど奪い返しているのなら、自分の死点などそれこそナイフを使わず指先で拭うだけでも消し去れるはずだ。

 本来ならその程度で、夢魔から夢の主導権を完全に取り戻せたはずだろうが、ソラにはそれが出来なかった。

 

 それはソラが姉に言った通り、これが夢だと自覚してしまっているからこそ無理なのだ。

 夢の中で夢だと自覚する明晰夢は、自覚したからこそ空を飛ぶなどといった現実では不可能なことを起こせる者もいれば、空を飛ぶなど不可能だとわかっているからこそ、ちょうど飛んでいた最中なのにそれが夢だと自覚した途端に墜落するタイプの者もいるらしい。

 

 ソラが普段はどちらなのかは知らないが、この夢、この「死点」に関しては間違いなく後者、自覚しているからこそ失えない理性が邪魔をして、万能の夢に自ら制限を掛けている。

 

 これは夢で、自分の胸に穿たれるようにある黒い「点」は「死」そのものではないと思い込もうとしても、彼女にとってそれは見慣れることがないのに、何よりも見たくないのに逃げ切る事は出来ない見知ったもの。

 それは消えないし、貫けば自分が死ぬことをソラの脳は理解したくないのに理解しきっていて忘れられない。

 だから夢の中でも、自分の意思で好き勝手に世界を作り変える明晰夢であっても、この点は消えないしソラ自身が貫く覚悟も決められない。

 

 この点はソラの体にあるものなのだから、夢の中で精神のソラが貫いても海の言った通りきっと問題はない。

 ソラの眼ならそれが夢魔によって見せられている偽物の「点」かどうかくらい、きっとわかっているはず。自分の体の「点」と精神の「点」はリンクしていないことくらい既に判明しているからこそ、海は「偽物」だと言いきっているのだとクラピカは推測している。

 

 だが、100%無問題とは言い切れない。

 間違いなく偽物であっても、夢は精神の世界だからこそ思い込みがそのまま形になり、そして思い込みは強ければ強いほど現実さえも侵す。

 

 視覚を閉ざしている者に、ただの鉄の棒を熱した火串だと言って肌に触れれば火傷を負い、ただの水を滴らせ続けているだけなのに「出血している」と思い込ませてショック死に追い込まれるように、夢の中の「死」が現実にならない保障などない。

 

 だからこそ、ソラは首を掻っ切る事は出来ても肝心な夢魔が潜む「点」を貫くことが出来ない。

 処置が早ければ助かる首は掻っ切れても、手遅れを決定づける「点」を貫くことはどんなに「これは夢。これは偽物」と言い聞かせても出来なかったし、「夢だから」と言い聞かせて汚れを拭うように消すことも出来ない。消えるものではないというソラの理解が深すぎて、夢魔の支配など関係なくそれは自由にならないのだ。

 

 そして海にもできない。海も、本物だからこそ出来ない。

 

 直死による死は、その目で見て「死」を知覚している本人がその「死」に触れることで干渉しなければ意味はない。

 ソラが「ここに点がある」と指摘した部分を他の人間が刺しても、それは物理的なダメージにしかならず、致命傷からほど遠い箇所ならもちろん一撃で死に至るなんて有り得ない。

 

 だからいっそ、海の手でその「点」を刺してやればいいのだ。

 仮にその「点」が本物であったとしても、ソラではなく他者が、海が貫いたのであれば問題はないことをソラもわかっているはずなので、思い込みの死が現実を侵すこともないはずだった。

 

 そうするのが一番早くてベストで、妹が夢の中で何度も何度も死なない為の自殺未遂を繰り返さずに済んだのに、そんな光景を見なくて済んだことはわかっているけれど、彼女にはできない。

 彼女は体を失って精神だけの存在だからこそ、この世界が……「夢」こそが彼女の現実だから。

 妹をいつか「材料」として使い潰す自分自身を何よりも恐れて、そうなる前に生を終えたことに安堵した彼女が、……「普通の姉妹」として唯一生きてゆける世界で、妹を救うためであっても彼女に妹を殺すことなど出来やしない。

 

 夢魔は、マーリンは海のことを忘れていた。気にもかけていなかったが、結果としてそこはソラ以上に海に対して惨い逃げ場所だった。

 

 しかし、自分の夢を二つとも手離さないように足掻きに足掻き抜いたからこそ絶望した海が、妹の繰り返される自殺に心が折れて諦める訳など無かった。

 むしろ、夢がリセットされるたびに夢魔への憎悪が募り、何としてもこの牢獄を破壊することに全てを掛けたからこそ、……妹の魔力を供給してもらい、自分の魔力を略奪したことでか細くとも生まれて繋がったパスを通してクラピカを連れてきたのだ。

 

「何とかするために連れてきたのよ。ありがたく思いなさい」

 

 そう言って、海は握りつぶさんばかりに締め上げていた妹の頭を地面に叩きつけてから、相変わらず凛然と優雅な無表情でクラピカに向き直る。

 クラピカとしては地面にゴンッ! となかなかいい音を鳴らして頭を叩きつけられそのまま動かないソラが気になって仕方がないのだが、元凶の姉は背後の妹の惨状は無視してクラピカに言う。

 

「そういう訳で、クラピカ。さっさとこの愚妹を殺しなさい。

 こんなところに寄生虫が居座ってるのはあなたの所為なんだから、責任を取りなさい」

「……その言い方はどうかと思うし、もう既にあなたが殺しているようなものだが……まぁ、その通りだな」

 

 ソラの自殺未遂並に凄まじいことを言い出す海に、クラピカは驚きやドン引きではなく「本当にこいつは相変わらずだな」と言いたげな呆れた口調と顔で突っ込んでから、同意する。

 自分の所為である事を、認める。

 

「! 何言ってるんだ、アホ姉!! クラピカの所為な訳ないじゃん!!」

「黙ってなさい、この鈍感朴念仁」

「……ソラ。気遣ってくれるのはありがたいが、この場合は海のように断言してくれた方が私は気が楽だ」

 

 地面にボールをバウンドさせる勢いで叩きつけられて、夢の中で気が遠くなりかけていたソラがクラピカが納得したように同意したことに反応して起き上がるが、姉は振り返りもせずに黙れと命じ、クラピカもソラの否定を否定する。

 

 ソラがどんなに「違う」と言っても、ソラの言う通りクラピカに非や責任はないけれど、夢魔がよりにもよってなところに潜んでいる原因は間違いなく自分であるとクラピカは思っている。

 そしてそれは、事実だ。

 

 クラピカは夢魔が何者か、マーリンとはどれほど人間の常識から規格外な存在かを知らないが、少なくともソラと同じ「直死の魔眼」を保持しているとは思っていない。

 なら、どうやってこの夢魔はソラに手が出せない「死点」の位置を知ったのだ? という疑問がクラピカの自責の始まり。

 

 ソラにしか見えないはずのソラの「死」そのものの点がどこにあるのかをわかっていないと、偽物の「死点」など夢の中で仕込めない。

 体の、いつも見たくないのにそこにある「死点」と同じ箇所に仕込まないと、ソラはその「点」が偽物だと見破った時点で躊躇なくそこを貫けただろう。

 

 今、自分の胸に見えている「点」は偽物だとわかっていても、本物が同じ位置にある事を知っているからこそ彼女は貫けなかった。そうでないのなら、この思い切りが良すぎる女なら間違いなく貫けた。

 

 その「本物」の位置を知った方法は、マーリンに「千里眼」というソラの魔眼と同レベルの有り得ない目を持っていることを知らないクラピカにはわからないが、いつ、どうやって知ったかは気付けた。

 

『お前の死は、私のものだ』

 

 この「点」に潜む夢魔は、あの「約束」をどうやってか知ったからこそ……あの日、クラピカが自分を殺す権利を捨てて得たものを知っているからこそ、ここに潜んでいる。

 

 

 

『ソラ。共に死のう(生きよう)

 

 

 

 あの約束の為に貫いたから、夢魔に知られてしまった。

 あの約束を夢魔が利用して、彼女をこの優しいが虚無に墜ちるまでの慰めでしかない夢に閉じ込め続けているのなら……ソラが何と言おうがこれは、クラピカの所為なのだ。

 

 だからクラピカは、自分が投げ捨てた果物ナイフを拾い上げてソラに近寄り、しゃがみこんで告げる。

 

「それに、別に私の所為でなくとも……これは私の役目だろ?」

 

 笑って言った。

 笑って、ナイフを突きつける。

 

 ソラが刺した位置より少し上。自分があの日、指先で軽く突いただけ、触れただけ、けれど確かに貫いた、彼女が何年先にどんな死に方をしても背負うと決めたものに再び、ナイフの切っ先をあてがう。

 

 しかし突きつけたナイフの切っ先は、ソラ自身が自分の胸に突き刺そうとしていた時よりも震えていて危なっかしい。

 体は正直に「こんなことをしたくない」と訴えている。

 夢の中でも、これがソラを救う手段だとわかっていても、海と同じように「したくない」と心が泣き叫んでいる。

 

 だから、ソラはクラピカの手を掴んで止める。

 

「クラピカ……。いいんだ、しなくていい。私が自分でちゃんと覚悟を決めるから! 大丈夫だから! 死にたくない私が思い込みで、プラシーボで死ぬわけないんだから――」

「させない」

 

 殺したくない、傷つけたくないと、心も体も正直に訴えかけている。

 けれどそれ以上に見たくないこと、して欲しくない事があった。

 

「覚悟なんて決めるな。君は、生き抜け。生きて生きて、生き抜いて欲しいからこそオレは……君の死をあの日背負ったんだ」

 

 彼女がどれほど恐れても逃げ出せないのなら、せめてその死の重さは自分が背負った。

 死のさらにその先にも何かがあるという希望を失わない為に交わした約束だから。

 だから、絶対に死なせはしない。

 

 ソラ自身の手で死ぬことなんて、絶対に許さないという意志が「こんなことはしたくない」という弱音を捻じ伏せた。

 

 ナイフを再びソラの胸に、あの日貫いたはずの「点」に再び突きつけられた。

 今度は迷い、恐れる震えはない。いつでも真っ直ぐに貫けるようにあてがって、クラピカはソラに言う。

 貫かれることを恐れるのではなく、クラピカに対して「本当に、良いの?」と言いたげな、泣きそうでありながら安堵しているようなソラに向かって、告げる。

 

 後悔などさせない為に、彼は自分の背後に視線をやって促した。

 

「私の事よりも、せっかく会えたのだから何か言う事はないのか? お互いに」

 

 互いに深く思いやっているのに、「魔術師」という存在が二人の全てをあまりに歪なものに変えて、過去は愛しいものがあるかこそ酷く痛むものとなった。

 けれどここには、「魔術師」というしがらみはない。

 だからこそ、お互いに言えることはあるのではないかと思った。

 

「……おせっかいね」

 

 クラピカのそんな気遣いというより、ひと月前のオモカゲの一件があまりに後味が悪かったからこその自己満足に、ソラの方は戸惑っていたが海は一言、吐き捨てるようにそう表現した。

 そんな姉にソラは、「クラピカを悪く言うな!」と相変わらず自分のことよりもクラピカを優先して怒り、姉は呆れたような顔をする。

 

 それから少し間が空いて、ソラは何かを迷うように視線を幾度か彷徨わせてから、覚悟を決めたように姉に向かって真っすぐに目を向けて口を開く。

 

「……あ、あのさ、海! もしかして、海も……」

「これは、夢よ。夢魔があなたを閉じ込める為に作りだし、あなたが夢魔から解放されるために見ている夢」

 

 しかし海は妹の言葉を遮って、話し始める。

 

「……だから、私はあなたが望んだままに動く。ただそれだけの存在よ」

「…………いや、めっちゃ好き勝手動いてましたけど?」

 

 ソラが訊きたかった、「海もクラピカと同じく、『本物』ではないか?」という問いを先回りで海は否定するが、ソラはジト目で睨み付けて突っ込んだ。

 クラピカの方も否定するのは想定内だが、その言い分はあの愛があるからこそのDVの所為で通じないだろうと呆れていた。

 

 が、海は妹の突っ込みにもクラピカの呆れにも気にせず、ソラに近寄る。

 近寄って、小さな子供の手で、慈愛そのものの優しい手つきでソラの頭を撫でた。

 

 その行動にソラがポカンと目を丸くして姉を見上げると、海は笑った。

 妹によく似ているけれど、妹とは違う。姉も妹と同じく笑顔が自分の名前によく似ている。

 深く穏やかな凪の海、大海の笑顔で妹の頭を撫で続けながら言う。

 

「これでも、まだ疑うの?」

「…………あぁ。そうだね。……これは……夢だ」

 

 姉の行動と笑顔に、ソラは少し悲しげな笑顔を浮かべて答えた。

 ソラにとって姉に優しく頭を撫でられることは、姉がすでに亡くなっていることなど関係なく、夢でないと有り得ない事なのだろう。

 そしてそれは海も同じ。現実だと絶対にしない、出来ない事だから海はそれをして自分の否定に説得力を持たせた。

 

 自分は「本物」ではないと妹に言い聞かせて、海は言う。

 

「それで? 夢の私に何か訊きたいことはあるの?」

 

 本物ではないから、ソラが作り上げた存在だからと言い聞かせて、ソラが何を知りたがっているのかを尋ねる。

 今なら、言ってやれると。

 あの日の、「どうして?」の答えを。

 

 けれど、ソラは――――

 

「……ないよ」

 

 答えをやはり彼女は求めなかった。

 海の言葉をどこまで信じたのかはわからない。けれど、信じていてもいなくても答えは同じ。

 

 あの日の後悔が、傷が、「忘れたくない」という想いこそが、この亡霊の居場所だから。

 ソラはきっと、この夢を後悔していないから。

 だから、魔法使いにケンカを売った時から変わらぬ答えを貫いた。

 

「バイバイ、海。……またね」

 

 姉と向き合わず、答えを出せなかったからこそ、姉のことを忘れずにまた会いたいと願い続けていたからこそこの夢を見たのなら……。

 だからソラは何も聞かず別れと……、いつかまた現実には持ち帰れなくとも確かに幸福な淡い夢で逢うことを望む言葉を告げる。

 名前にふさわしい、晴れ晴れしい笑顔で。

 

 その笑顔に海は、頭を撫でられていたソラとそっくりなポカンとした顔でしばし見下ろしてから、返答する。

 

「……えぇ。さようなら、空。……いつか、またね」

 

 同じ夢を抱き、同じ夢を見ていると姉は答えて消えた。

 陽炎のように、蜃気楼のように、そこにいた証など残さず、どこまでも潔く役目をはたして退場していった。

 

「……さて」

 

 姉がいたはずの空間をしばし、何かを惜しむように寂しげに見ていたソラは向き合うクラピカに視線を戻して言った。

 

「それじゃあ、もうそろそろ起きなくちゃ。……クラピカ。お願い」

 

 自分を殺す者の手を握って、導く。

 自分の「死」に。

 

 そこに何の迷いもなかった。

 迷いなどあるはずがない。

 

 人は、世界は、目覚めているだけで幸福なのだから。

 

 だからクラピカにも、迷いなどない。

 

「そうだな。任せろ」

 

 笑って言えるほどに、もう迷いも恐れもなかった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 逃げ込む「夢」は、失われた。

 

 ソラの夢へと逃げ込む間際に、自分の本体が潜んでいたソラの「死点」は貫かれた。

 貫かれる間際に見たソラの夢の中にいた、自分を貫いた人物に思わずマーリンは苦笑した。

 

 いるはずがない、本物。

 

 ソラと海の魔力(オーラ)をそれぞれ別の機会に大量に得たからこそ、聖杯戦争のマスターとサーヴァントのような魔力(オーラ)のパスが出来上がっていたのだろう。

 もちろん、本物のマスターとサーヴァントのパスと比べたらあまりにか細いものだが、それでも確かにソラと繋がっていたから。

 

 だから、彼女はそのか細いパスをたどって連れてきた。

 自分には出来ないことが出来る相手を。

 最愛の妹を、救うために殺せる相手を連れてきた。

 

 マーリンがソラを夢の牢獄に閉じ込めるために利用した相手を、彼女も同じく利用して、そして本人も利用されることを望んだ。

 虫の様に潰されなかったのは、彼の恩情というよりただ単にマーリンが利用した彼らの「約束」の為だろう。

 

 ソラを殺すために自分を殺す権利を捨てて、ソラだけの死を背負うために誰も殺さないと彼は誓ったから。

 だから、「夢」を取り戻されて無力な虫けら同然だったマーリンは、虫のように潰されずに済んだが現実へと送り戻された。

 

 どこまでも人間を甘く見ていた、絆というものを軽んじていた自分らしい敗北だとマーリンは自嘲する。

 結局、自分の願いは何も叶わなかった。

 

 答えを得ることも。

 後悔できない過去を、後悔して捨て去ることも。

 後悔できないのなら、もうそれごと自分の生を終わらせることも。

 

 本当はソラのことなど、人間のことなど何も考えていなかった。どこまでも人外らしい、自分本位な願いは自業自得で叶わないことを思い知り、マーリンは微笑んで告げる。

 

「……ごめんね、ソラ君」

「ゆるさねぇよ」

 

 この謝罪は本心からだったが、わかっていたが即座に謝罪など無意味だと言い切られた。

 

 マーリンの眼より遠い、遥か彼方の果てに繋がる、天上の美色。

 セレストブルーの瞳に、変声期直前の子供のような声音。

 カルナはもう、そこにはいない。

 

 ……逃げようと思えば、カルナの夢に逃げ込めた。

 けど、それはしない。

 

 だってそこに逃げ込んでしまえば、きっと自分はその夢に……、彼が望んで見続けるソラのありのままの一生を、何の干渉もせずに自分もずっと見続けてしまうから。

 自分の名前も存在も忘れて、ただその痛ましいくらいに報われなくても……それでも足掻きぬく美しい夢を見続けるのはわかっていたから。

 

 その夢はきっと見続けていたいと思えたからこそ、嫌だった。

「マーリン」という自分の存在に疲れ果てていたからこそ終わりにしたかったくせに、……生きながらにしてその名前を、存在をなくしてしまうのだけは嫌だった。

 

 どこまでも自分のわがまましかないけれど、それでもソラに対してひどいことをしたと思っているのは本当だから。

 他にしたいことは……したいことなどもう何もないから、だからせめてもの……人間ごっこでしかない誠意だけど、それでもマーリンはもう逃げなかった。

 

 逃げずに、目覚めたソラと向き合うことを選んだ。

 

「ゆるさねぇよ」

 

 もう一度、ソラはマーリンに向かって宣言する。

 そして、ソラが目覚めたことにゴンやキルア、ビスケも歓声のような声で「ソラ!!」と呼びかけるのだが、その声に応えるのも後回しにしてソラは高らかに言った。

 

「ゴン! よく見て覚えろ!! ジンにぶちかますんだろ!!」

「……え?」

『………………え゛?』

 

 いきなり名指しで、「よく見て覚えろ」と言われたゴンがまず困惑の声を上げ、「ジンにぶちかます」でソラが何をしようとしているのかを、キルアとビスケ、そしてマーリンが察して思わず声が出た。

 

 声音と目の色、そして雰囲気がガラリとカルナから変わったことに驚いていたレイザーだけが、何がなんだかわからず困惑するが、その後の展開はさらに彼を困惑させた。

 

「! ちょっと待て! お前まさかあの処刑技を!!」

「待って待って待ってソラ! お願い待って!」

「あんた、起きて早々やることそれ!?」

「ソラ君! 本当に待ってお願い! 今それをやると空気が爆散するどころじゃない!!」

 

 マーリンがつい先ほどまでの潔く、無抵抗でソラのすることを受け入れようとしていた姿勢が一気に崩れて、見苦しく切実にソラを止めようとするのはまだいいが、ゴンたちまで何故かマーリンを怒涛の勢いでかばいだし、その剣幕に思わずレイザーはビビる。

 しかも、マーリンに同情していた節の強いゴンはまだしも、マーリンを毛嫌いしていたキルアもかなり真剣にソラを止めているのが謎だった。

 

 しかしその謎は、すぐさまに解けた。

 

 

 

「知るかーーーーっっ!! 私はお前とみんなにどんなシリアスがあったかなんて知らねーよ! 私が覚えてるのは、お前に盛大なセクハラをされたことだけだ!!

 

 潰れろ! 折れろ!! 死に! さら! せぇぇぇっっ!! このさわやかオープンスケベの淫魔ヤローっっ!!」

 

 

 

 周囲の説得はもちろんソラには届かず、マーリンにも空気にも無情なことにそれは実行された。

 

 ソラの男性&シリアス即死効果の必殺技、玉天崩。

 またの名を、一夫多妻去勢拳は最後のライダーキックまでばっちり決められ、ゴンとキルア、レイザーやカードの呪文(スペル)で見ていた他の男性G・Mも内股にさせたという。


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